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教材「紙」考(6)

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Academic year: 2021

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(1)Title. 教材「紙」考(6). Author(s). 佐野, 比呂己. Citation. 語学文学, 58: 27-36. Issue Date. 2019-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/10930. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 教材「紙」考 ⑹. 研究の経緯 1. 2. 6. 7. 佐 野 比 呂   己 . 三 筆者・幸田文(補遺). 」を中心に整理 幸田文とその家族について「あとみそよわか する。. 父は兄弟の多い貧困の中に育つて、朝晩の掃除はいふま でもないこと、米とぎ、洗濯、火焚き、何でもやらされ、. 音楽もしつかりしてゐる。 ( 一一三頁). かくぶつ. 「格物致知」は朱子学と陽明学で解釈を異にする。朱子によ れば自分の知識を極限にまで推し広めることをいい、王陽明に. -  - 27. 稿は「教材「紙」考⑴」「教材「紙」考⑵」「教材「紙」考 本 3 4 5 「教材「紙」考⑷」「教材「紙」考⑸」に続くものである。 ⑶」 「教材「紙」考」は、次のように構成されている。 一 所収教科書について. ち. いかにして能率を挙げるかを工夫したと云つてゐる。格物. ズムがあつて、縫針・庖丁・掃除・経済お茶の子である。. 〴〵く人に知られる者に育てあげた人である。ちやんとイ. である。八人の子のうち二人を死なせ、あとの六人をこと. てやつた厳しさと思ひやりをもつている。おまけに父の母. ち. 二 教科書における「紙」の位置. 致知はその生涯を通じて云ひ通したところである。身を以 以上⑴. ⑴. ⑸. ⑷. 以上⑶. ⑵. 三 筆者・幸田文 四 「紙」の書誌  五 原典と教科書の異同  六 大意 七 文章構成 八 語句・表現 【二〇①─⑩】  【二〇⑪─二二⑧】  【二二⑨─二四⑧】  【資料 教科書本文】 . 〔1〕.

(3) ることをいう。しかし、物の理を極め尽くして真の知に至るこ. いものであつた。これらをこなすことは、おいそれと行か. 畠もやらされた。およそ道具は皆素人向きな物では満足 できなかつた人であつたから、鋤鍬は百姓なみの大きい重. よれば自然な心情、本来的な心のはたらきを徹底的に発現させ と、即物主義、 実践主義であることは疑いを容れる余地がない。. が、幸ひなことに上脊が高く、よその女の児より腕力が強. なかつた。私は常々不器々々と云はれてゐたものであつた. 〳〵. 我が国の文人は、一般的に書斎の人・考える人であり、傍観 者・批評家である。それに対して幸田父子は生活者・行為者の. かつたから、力づくで突貫してゐるうちに少しづゝ会得し. き. 文学であって、日常の些事を大切にしたことは極めて特色的で. 慣れた。( 一六〇頁「あとみそよわか」). ぶ. ある。そしてこのような「格物致知」の精神は、少なくとも幸. 指はやゝ骨太、やつとこでなくては切れないほど厚い堅長. 父は、 「おつかさんの手には閉口する」などとよく云つ ていた。おばあさんの手は、 たなごゝろが割合に広く厚い。. すなわち、我が国においては明治時代ころまでは、町家の奉公. 制度的、全人教育的実践主義の精神を継承するものであった。. くものであった。同時にこれは我が国伝来の教育精神たる徒弟. あろう。「格物致知」の精神はこのようにして幸田家三代を貫. 田露伴の母であり幸田文の祖母である猷から始まる。. の爪がしつかりかぶさつてゐたと記憶する。へらの代りに. 腕力もまたいうまでもなく指の力と同様に生活者の資本であ る。また露伴にかかればだれしもが不器たることを免れ得ぬで. しるしのつくほど厚い爪である。握力は強く、指一本々々. 人であれ、 武道の内弟子であれ、 ないしは漢学塾の学僕であれ、. ものである。このように考えると、幸田文の文学的出発は四十. 8. 二歳に及んで、父幸田露伴の死という偶然ごとを契機とするも. それぞれに固有な学問技術を修得する基盤ないしは前段階とし. に力がある。 ( ( 三一頁) 「みそつかす」) 指は生活者の象徴である。知識人の象徴ではない。猷は家付 きの娘で、典型的なしっかり者であった。六人の子どもを皆一. のである。それまでは平凡な一主婦にすぎず、父幸田露伴から. えれば、将来文学的に開花することを約束される素地は父幸田. は何ら文学的手ほどきを受けていない。しかし、時代性を踏ま. て、炊事・清掃・薪炭のごとき日常の瑣事の修練が要求された. 流人を育てた。その点は森鷗外の系族に酷似する。 のであった。 」 。( 一三八頁)そして、この父幸田露伴からも 幸田文は少女時代にみっちりと仕込まれる。. 露伴から十二分に仕込まれていたというべきである。. -  - 28. 〔1〕. 猷に育てられた「父の指もまた力と敏捷さに於いて相当なも. 〔2〕. 〔1〕.

(4) 幸田文の文学は彼女の境遇の然らしめるところでもある。幸 田文は五歳で生母に死別し、その後に入った「継母は生母にく らべて学事に優り、家事に劣つてゐた」 ( 一一三頁「あとみ そよわか」 )ので、十四歳の時、父幸田露伴は継母をさしおい. 親子三代にわたる生粋の江戸つ子であるが、東京府下南 葛飾郡向嶋村で育つた土地柄はいたしかない。. つかす」)とは幸田露伴の批評である。. 「おまへは暴 風 雨の最中へ生れたやつだ」( 一六八頁「みそ. あらし. 幸田文の中には江戸っ子の鋭敏な神経、繊細な感受性ととも に、野生をともなった土性骨、きかぬ気の強烈な個性がある。. たために、酒の小売商を営み、前掛け姿で酒の配達もした。離. て炊事いっさいを彼女に命じた。嫁しては婚家先が左前になっ 縁になって生家に帰ってからは、数年にわたって寝たきりの父 幸田露伴の看病をし、 女手一つで死を送った。苦労の人である。. 樽は普通二十三四貫あるものだが、どうやらこつを覚えて. そして、それらの生活の知恵は、全て露伴に負っている。. 私には腕力があつた。露伴さんのお嬢さんと云はれて、 もやしみつば育ちのやうなふうにあしらはれ、風にもたま. 掃いたり拭いたりのしかたを私は父から習つた。掃除ば かりではない。女親から教へられる筈であらうことは大概. 人を驚かした。一升罎は約八〇〇匁あつた。註文とあれば. らぬ性に扱われるのがいやさにばかな力業に堪へた。四斗. みんな父から習つてゐる。パーマネントのじやんじやら髪. . エ レ ベ ー タ ー の 無 い 五 階 へ 六 本 一 度 に 運 び あ げ も し た。. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 0. といふことを非常によく知りたが その後父が死んで行く つてゐるのを見聞きするにつけ、 自然私も誘れたかたちで、. 幸田文は父幸田露伴の死を覚悟した。. かまれこづかれたりする。. これは婚家が傾いて酒の小売商をした時のことであるが、父 幸田露伴の看病中も口答えをして、身体の利かぬ父に襟髪をつ. ) 三五〇頁「勲章」. 9. にクリップをかけて整頓することは遂に教へてくれなかつ. (. . たが、おしろいのつけかたも豆腐の切りかたも障子の張り かたも借金の挨拶も恋の出入も、みんな父が世話をやいて. 「あのこと」 まで父は気をつかっ それだけではない。男と女の ている。これでは父親コンプレックスになるのは当然であろう。 その父露伴は才に長けているが、娘幸田文も一筋縄で行く少女 ではなかった。. 〔1〕. -  - 29. 〔2〕. 〔1〕. くれた。 ( 一一二頁「あとみそよわか」 ). 〔1〕.

(5) しかしまつたく別な子としての情から、 父はいかに終るか、. へようと思つたときからすれば、なんといふ異つた思ひに. 懸命が要求されるものらしく察せられた。看病誌に一行加. のだつたが、おのづから義理人情を越えた、ある一しよう. た。親子の情や前後の行きがゝりは取り去るべくもないも. で一向かまはないけれど、私はづんと正面にゐようと思つ. 剣勝負である。露伴の死を何人が囲もうともそれは縁次第. られた。真剣勝負は一人を八方から囲んでも、誰も皆が真. 一人に一人だ。が、死には後ろがない、八方睨みだと考へ. 来父の死には私一人が直面しようとした。面と対へるのは. す〳〵と行はれることかとも深く感じ、思ふこと多く、以. もにたやすからざることであり、他方から云へばかうもや. つた延子叔母の病苦をつぶさに見て、死とはかくも内外と. ゐきたいときめてゐた。ことに父に一年さきだつて亡くな. そのときは私も私なりの力をつかひ果すまで、じつと見て. などはどうぞして遁れて、 あたりまへに終つてもらひたく、. 死や、交通事故のむごい苦しみ死に、脳溢血の混沌たる死. かしてなにくれとなく見ておくし、勘もいい」【二〇④】とあ. 貫かれているところにある。それは、 「紙」にも「捨て目もき. その最大の特徴は、自ら書斎よりも台所の方が向いていると 言っているように、いわば反文学的な、素人の裸の目によって. めて個性的である。. 幸田文の文学は、父幸田露伴をはじめとする幸田家の人々の 中での人間形成の記録から出発し、独特の体験に根ざしたきわ. もある。. 満ちている。また、それは日本近代文学がすでに失ったもので. それは私たちの随筆という通念を破ったふしぎな力と美しさに. るところに、常に強靱な生命力の火花を散らすからであって、. に」いて、「真剣勝負」で、対象の「まつ正面を対おう」とす. しかし、幸田文が単なる伝記作者たるにとどまらず、個性あ る作家として独自の価値を主張しうるのは、この「ずんと正面. せであった。. 解説してくれる。その意味で露伴が子幸田文を持ったことは幸. 田文の数々の随筆は、父幸田露伴の人となりや精神を興味深く. これは正に真剣勝負である。そしてこのような精神こそ、父 露伴が身をもって示した精神の正統な継承ではなかろうか。幸. ) ( 一〇七頁『父─その死』. なつたのか。けれども、あくまで私のするのは一行である. るが、そのように、露伴によって鍛えられ、しかも世帯の苦労. り. べきものだと思ひ、また父がいかなる態度に出ても、一心. をし抜いた才女の、日常生活のどんなささやかな物事をも見逃. ら. し っ か り 見 と ゞ け た く 思 ふ や う に な り、 ど う か 安 ら か に. 凝つた武者顫ひだかあるいは歯の根のあはぬ胴顫ひだか、. 徐々に死んでもらひたいと願つた。一瞬乱離こつぱいの爆. 10. と に か く 顫 へ て も ま つ 正 面 を 対 は う と 決 心 し て ゐ た。. -  - 30. 〔1〕.

(6) さない、いやささやかなことだからこそ、かえってかりそめに 見逃すことをしない冴えた目に支えられている。いわば反文章 的な、いかにも気性者らしい、性根の備わった、潑溂たる、体. 見えなかったものが表面に現われ出る。比喩的に、物事が発 生する。また、考えや感情などが生じる。. ●紙はもう生きていないし、流れていなくなった【二四⑪】. からも紙がわいていたようだった。父の死によって紙の動きが. 当たり的な「はり」のある文体も独特である。. 八 語句・表現. 止まってしまったので、家の中の紙の生命が失われ、紙の流れ. 父・露伴の在世中は、その文筆活動に伴って外からも紙が流 れ込んで来ていたし、紙が絶えず活用され、ちょうど父の身体. ●父がなくなると【二四⑨】. 死を悲しむ思いを託している。「紙はもう生きていない」は擬. 」 の 項 に「 ウ ツ カ リ ト( う つ 「 日 葡 辞 書 」 に は、 「 Vccarito かりと) 副詞。注意もしないで、ぼんやりしているさま。」. 心を奪われている状態にいう。うっからと。うっかと。気ぬ けしてぼんやりしているさまを表わす語。. ●うっかりと【二四⑭】. まとまった紙を数える単位。半紙二〇枚、美濃紙五〇枚(大 正一四年八月以前は四八枚) 、その他の紙は五〇枚。. ●一帖【二四⑬】. る詠嘆でもある。. 人法であり、それは父がもう生きていないという事実にからま. がそうみなしていたように生命あるものとみなし、そこに父の. が失われてしまったことを一抹の感傷を込めて述べている。父. 原典には「父が亡くなると」とある。 筆者・幸田文の父・露伴が亡くなったのは、 昭和二十二年 (一 九四七)七月三十日である。 ●在世【二四⑨】 この世に生きている間。生存している間。存命中。 (世 。 Xecaini aru 「日葡辞書」には「 Zaixe ザイセ(在世) 界に在る) 現世に居ること。すなわち生きていること」 とある。 ●流れこんで【二四⑩】 流れてその中へ入りこむ。また、流れるように入りこむ。流 入する。. 原典には「湧いて」とある。. ●わいて【二四⑩】 . -  - 31.

(7) とある。. 現代語において「案外」は、「予想していたことと異なること」 という意味を持つ点で、「意外」と共通するところがある。が、. に見られる。. 形の副詞的な用法を「意外」は持たない。これに対し見出しな. 用法の面からいうと、「案外彼は信用できる」のような単独の. ●切らして【二四⑭】 貯えていた品物をすっかりなくす。買い置きをなくす。. 平安時代中期の公家日記、『左経記』長元四年二月四日に「一 日事若有御覧事令行給歟如何、仰云、更無見聞、唯推量所行也、. 思いがけないこと。予想と食い違うこと。意外。存外。慮外。 副詞的にも用いる。. 合いが弱い。さらに、 「 意 外 に 」 に は、 何 か そ の 思 い 込 み を 覆. 驚きが大きいのに対して、「案外」のほうはその思い込みの度. 思い込みが強く、それだけに「正直者だった」という事実への. 彼は正直者だよ」と「意外に彼は正直者だよ」を比較してみる. どにおける、「意外! 行方不明の○○生存していた」に見ら れるような感動詞的用法を「案外」は持たない。また、 「案外. 其時申不違小野宮記之由、如此案外事令量行給旨、不異古賢之. ●案外【二四⑮】. 由、入道大納言所語也云々」とあるが、中国文献には見出され. すような具体的事実の裏付けが感じられるのに対して、「案外」. 「案の外」という言い方が『今昔物語集』二五・九に「今日 の内に寄て責むこそ、彼奴は案の外にて迷はめ」とあり、 「案. 「意外」に比べ、 「案外」のほうが、判断を下す前と後での落. とした感覚を述べているような印象を受ける。以上のように、. には、そのような根拠の存在はあまり感じられず、なにか漠然. のほか」を「案外」と表記したことによって生じた和製漢語と. 差が小さいように思われる。. と、 「意外に」のほうが「彼は正直者ではない」という予想の. ない。. 見 ら れ る。 『左経記』の「案外」もアンノホカと読まれた可能 性もある。. ●文房具屋さん【二四⑮】. 「文房具」とは文房で用いる道具の意。物を書いたりするの に必要な具。筆・紙・墨・硯・文鎮など。現在では、鉛筆・ペ. 」の項に「ア Anguai. (思ひの外) 自 ングヮイ(案外) すなわち、 Vomoino foca 分が考えていたこと以外。 」が見える。他には、 禅門抄物の『巨. ン・ノート・インク・定規・消ゴムなどの学習用具をさしてい. 室町時代以降においては、『日葡辞書』に「. 海代抄』にある「案外に」もアングヮイと読まれた例と見られ. うことが多い。文具。. . る。ただしその一方で、「案外 アンノホカ」も『黒本本節用集』. -  - 32.

(8) ●ひょっとしたら【二四⑯】. 「文房」とは、書物を読んだり、物を書いたりするためのへ やのこと。書斎。. えあり」 「 よ し あ り 」 を 一 流、 二 流 と 使 い 分 け て い た と は 言 い. 「ゆえあり」の方が精神的深みがある、あるいは一流である と考える説もあるが、中古の文献で「ゆえあり」「よしあり」. て用いられたもので、 同様の意味は「よしあり」にも見られる。. 訓がみられる。. みに「観智院本名義抄」では「縁」に「ヨシ」「ユヱナリ」の. 「縁故のあること」の意は、本来「よし」の意味であったも のが、両語の類義性から「ゆえ」の方にも生じたものか。ちな. にくい。. が併用されているのは「源氏物語」などに限られ、 一般的に「ゆ. 本質に由来する、つまり「ゆえあり」と感じられる状態をさし. ありうる事柄を仮定して、または危惧して述べるのに用いる 語。もしも。万一。ひょっとして。ひょっとすると。 ●不慣れ【二四⑯】 不馴れ。なれていないこと。熟練していないこと。経験の少 ないこと。また、そのさま。 ●ゆえ【二四⑯】 本質的に備わっている原因をいう。これに対して、類 事物に よし 義語「由」は、要因を事物のうちに求めることに重点があり、. ●そこねた【二四⑯】. とゆえ」の形で用いられることが多い。. 「さしさわり」の意は、「ゆえあり」とは逆で、悪い状況が 生じる原因の意から出てきたもので、「ゆえなし」あるいは「こ. 両者は本来、意味を異にする語と思われる。しかし、すでに上. 損ねた。機会をのがす。. 故。深い理由や原因。また、由来。. 代から「ゆえよし」という語形が存し、また古辞書類でも同一 の意味は近接していたと思われる。. 筆者の心の中に親しくすみついている白い和紙への気持ちが こもっている。白い紙への郷愁を何気なくにじませている。. ●親しく白い紙が住んでいる【二五①】. 字にユヱ・ヨシ両訓が認められることなどから、古くから両者 中古の和文では「非常に趣のある様子」や「人の素姓や身分、 物の成り立ちなどの、すぐれて由緒のあること」の意で用いら れるようになるが、これは「ゆえあり」という文脈的意味を取 り込んだもので、人物や事物の風情が、そのもののすばらしい. -  - 33.

(9) 読み手は幸田文の心根に一種の優雅さを覚えつつ、その語りに. うした、父はこう言ったという肉親のなつかしさと娘時代への. 和紙がまだ生活の中に生きていたよき時代の、 それは同時に、 祖母や父への思い出と深くつながっている。あのとき祖母はこ. この随筆の主題は和紙に対する郷愁である。. 露出した取り扱い方をすることも同様である。. い。もちろん、現代に対する批評であるというような、観念の. だから、この作品をかつての道徳の読みもののように物を粗 末にするな式に受け取ることは誤りであることはいうまでもな. い近親者を懐かしむ心情を日常の中に取り戻しうるのである。. 素直についていける。私たちの生活の中にも決して滅んでいな. 回想の情とが、 和紙に対する哀惜の一体となって流露している。. しかし、和紙への郷愁とは、幸田家の場合、和紙が生活の中 にあった幸田文の娘時代の家庭環境やしつけ、加えてまだ生き. 九 解釈・鑑賞. そこには、紙というものにゆかしい趣味性とか品位とかいう ものがほとんど無視されて、実用一点ばり、便宜主義の大量生. ていた折り目正しい時代に対する確固たる信念がその基盤に横 たわるのである。. 産的な現代に対立する心情があることは確かであろう。 自分自身の育った家庭環境を回想しつつ、そこに展開された 伝統的な美徳の世界を現在もなお心に持ち続けていることの証. 【二一②】「自分の日常にしてからが、 今の生活に和紙は遠くなっ. ただ、幸田文はそのような心情を主知的、文明批評的に露出 することを努めて避けて、「自分のうかつな時代ずれを苦笑し」. 幸田文の視座は全体に伝統的なものに傾きがちである。幸田 文の思想は古いものとして避ける読者もいることであろう。一. の教えが生きているのである。. する視点が厳としている。そこには露伴から受けた 「格物致知」. 思うという単純なものではなく、生活に裏付けられた人生に対. 幸田文が、単なるメディアから要請された露伴の語り部「思 い出屋稼業」に終わっていない。随筆家としても作家としても. ているのである。 」 【二一③~④】と反省している。. 面では確かにそのことを認めざるを得ない。しかし、同時に現. 次に、前述した通り、幸田文はひたすら過去への回想という . である。. 代に於いては伝統的なよきものを見直すこともまた重要なこと. 一家をなしえている。この随筆も紙から亡くなった祖母や父を. 幸田文はそういう自分を苦笑のうちにとらえるといったふう に、一見その筆に余裕を見せながらも、なおそういう自分にあ. を綴っている。. る誇りを抱いている。 こうした態度が文章に張りを与えている。 幸田文がこれらの随筆を執筆する発想の過程として、祖母や 父への追慕と畏敬とが潜んでいる。それがあるがゆえに私たち. -  - 34.

(10) 入部)・過去(回想部) ・現在(結び)という構成も、整然とし. んでいるという結びも余韻に富んで優れている。この現在(導. 父が亡くなって紙が姿を消したが自分の心の中には白い紙が住. くのもきわめて自然で巧みである。それから現実にかえって、. 和紙を買いにやった使いが空しく帰ってくることが導入部に なって、本論である祖母や父の思い出という回想部に入ってい. した流露感がある。. ている。そのことが作品の構成にも自然さを与え、しみじみと. 姿勢をとり、現代への批判という姿は努めて背後に隠そうとし. 「文句を言う父親 さらに、幸田文はそのような父に対して、 はこっけいで、おうような祖母のほうがおかしくもなんともな. ある。. いかにも露伴らしいひたむきなところがよく出ていて効果的で. なまけ者で不親切なせいだ」 【二四②~③】として腹を立てる。. ちを持つ。進歩のないことに対して、 「業者と使用者と両方が. 単に祖母の時代にひたすら紙を大切にするのとは違う。露伴は、. りを見届ける」 【二二⑭】というところなどは言うまでもない。. れている。使用済みの紙は「必ず燃して灰にして、つまり終わ. も. ていてしかも自然でつくりものを感じさせない点、この随筆の. いのである。 」【二四⑧】という箇所などは、父親に対する愛情. いけないと言って、孫たちに「ぐいと書け」 【二二④】とけし. けちではない証拠には、高価な紙だとおじて書けないようでは. まず、祖母は他家からもらった和紙を再製して用いる。そこ には、質素倹約が美徳であるという風習が見られる。そのくせ、. うものが如実に描かれている。. はなくて、そこには幸田家の折り目正しい生活とか品位とかい. 幸田文には「造語家」という随筆がある。露伴一家の造語癖 を述べたものである。幸田文も相当な造語家である。 「捨て目. ない、この随筆に挿入すると独特の味わいを与える。. 三⑬】などは、擬態語そのものとしてはさして特異なものでは. ~⑤】 「ちくりとやられた」 【二三⑦】「ぴりりとしている」 【二. も例外ではない。 幸田文の随筆には一般に擬態語が多い。「紙」 「すっきりとやりたかった」【二〇②】 「ぐいと書け」【二二④. てはなはだ個性的である。. 最後に注目したいのは文体である。幸田文が強烈な個性の持 ち主であることは既に述べた。彼女の文体もその個性を反映し. に適度な抑制がきいていて、これもまた優れた表現である。. かけて手習いをさせる。. もきかして」 【二〇④】 「深思案」 【二〇⑦】 「大切がる」 【二二④】. -  - 35. 和紙を滅びさせたくないと同時に、洋紙もよりよくしたい気持. 優れた技巧の一つとして着目したい。. 祖母の剛毅闊達な気性とともに、幸田家の家風を躍如たらし めている。随筆中の圧巻である。. さて、ここでは回想部について注目したい。祖母と父との思 い出が綴られているが、単に紙を仲介した思い出というわけで. 次に、随所に幸田露伴の格言ともいうべきものがちりばめら . 11.

(11) などは辞書にはない語である。 幸田文の文章は、犀利な観察、鋭敏な感覚、繊細な感受性に よって対象を完全に自分のものにする。それを自家特有のこと. (4)」 、 「教材「紙」考(5) 」の末尾数字をそれぞれ示す ものである。. また、ことばの完成度が高く、手あかのついたことばを安易 に借りることを潔しとしない。. 8 「みそっかす」( 『中央公論』 昭和二十四年(一九四九) 三月). 店 平成六年(一九九四)十二月) 以下、第一巻、第二 巻等をそれぞれ 、 と略す。. 7 「あとみそよわか」( 『創元』創元社 昭和二十三年(一九 四八)十一月)尚、本文は『幸田文全集』第一巻(岩波書. ここにも露伴の申し子としての、対象に密着しつつ、自分の 目と心で深い意味をさぐっていくという人生態度が堅持せられ. ばと表現法で定着したもので、強い個性が全体を貫いている。. ている。. 9 「勲章」 (『文学界』文藝春秋 昭和二十四年(一九四九) 三月). 〔2〕. 「造語家」( 『第一新聞』昭和二十三年(一九四八)十一月 二十四日). ※本稿は、JSPS科研費(18K02517)による成果の 一部である。. -  - 36. 〔1〕. (中央公論社 昭和二十四年(一九四九) 『父─その死─』 十二月) . 10. 11. 注 1 『釧路論集』第四十八号 平成二十八年(二〇一六)十二 月 二九~三八頁 2 『語学文学』第五十五号 北海道教育大学語学文学会 平 成二十八年(二〇一六)十二月 二三~三二頁 3 『国語論叢』第八号 さいたま国語教育学会 平成二十九 年(二〇一七)三月 一一~二三頁 4 『 国 語 論 集 』 北 海 道 教 育 大 学 釧 路 校 国 語 科 教 育 研 究 室 平成三十年(二〇一八)三月 一~八頁 5 『国語論集 』北海道教育大学釧路校国語科教育研究室 平成三十一年(二〇一九)三月 一~一二頁 6 尚、〔 〕内の( )数字は、 「教材「紙」考(1) 」 、 「教 材「紙」考(2) 」 、 「教材「紙」考(3) 」 、 「教材「紙」考 15. 16.

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参照

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