• 検索結果がありません。

アメリカ映画と日本映画における「メロドラマ」の特徴とその変遷

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "アメリカ映画と日本映画における「メロドラマ」の特徴とその変遷"

Copied!
153
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

アメリカ映画と日本映画における「メロドラマ」の

特徴とその変遷

著者

中村 聡史

学位名

博士(芸術学)

学位授与機関

関西学院大学

学位授与番号

34504甲第410号

URL

http://hdl.handle.net/10236/00028978

(2)

関西学院 大学審 査

博 士学位 論 文

アメ リカ映画 と 日本 映画 にお け る

「メ ロ ドラマ

Jの

特徴 とその変遷

(3)

博 士 論 文 要 旨 題 目 :ア メ リカ 映 画 と 日本 映 画 にお け る 「メ ロ ドラマ 」 の特 徴 とそ の変遷 大 衆 娯 楽 と して の メ ロ ドラマ は 、演 劇 、 文 学 、 映 画 と様 々 な領 域 にお い て 、 そ の 時 々 、また 、そ の 地 域 ご とに 、それ ぞ れ の あ り様 で 受 容 され て きた。そ の 、 あ ま りに類 型 的 な物 語 構 造 、あ るい は様 式 ゆ え に軽 視 (時に は あ か ら さま に蔑 視

)さ

れ が ち な メ ロ ドラマ で あ るが 、 しか し、そ の類 型 性 は 時 代 や 地 域 にお け る強 弱 、盛 衰 は あ る もの の 、常 に一 定 の 熱 度 を持 つ て 受 け手 た る大 衆 か ら支 持 され て き て い る。 本 論 は 、そ の よ うな メ ロ ドラマ とい うも の の 特 性 と映 画 にお け る様 相 を、ア メ リカ 映 画 にお け る メ ロ ドラマ と 日本 映 画 にお け る メ ロ ドラマ に注 目 し、そ れ ぞ れ にお い て メ ロ ドラマ が どの よ うな様 相 を 呈 し、 どの よ うな特 徴 を持 ち、ま た 、 どの よ うな変 化 を示 した の か 、 も し くは (メ ロ ドラマ の強 す ぎ る類 型 性 ゆ え に

)示

さな か っ た の か 、につ い て の考 察 を通 して つ ま び らか にす る こ とを 目 的 とす る。 まず 第

1章

で は 、考 察 の前提 と して メ ロ ドラマ とは何 か 、とい う一 般 的 な理 解 と、定 義 、そ して そ れ をふ ま えた メ ロ ドラマ 映 画 の 映 画 面 で の 特 徴 を検 証 し た。 定 義 で は 、 ピー ター 0ブル ックス の卓 抜 した メ ロ ドラマ論 、『 メ ロ ドラマ 的 想 像 力 』

(1976年

)を

論 拠 に 、 メ ロ ドラマ とは 、本 来 、 大 衆 に道 徳 を示 す 劇 で あ り、 一 種 の教 条 的機 能 を果 たす もの で あ る こ とを示 した。 つ ま り、メ ロ ドラマ とは単 に安 易 なお 涙 頂 戴 もの で は な く、観 客 で あ る大 衆 に とつ て 教 条 的 な意 味 会 い を持 つ 倫 理 劇 で あ り、道 徳 劇 で あ る。そ こに は 、そ れ ぞ れ の 時 代 や 地 域 にお け る大 衆 が抱 い て い る道 徳 や 価 値 、あ るい は欲 望 が 強 く反 映 され 、観 客 で あ る大 衆 は そ の よ うな メ ロ ドラマ を見 る (読む 、聞 く

)こ

とで 自己 の本 質 的 な道 徳 観 や 価 値 観 を確 認 し、そ の欲 望 を満 足 させ るの で あ る。

(4)

映 画 にお け る特 徴 に 関 して は 、サ イ レン ト期 か ら

1930年

代 、

1950年

代 ま で の ア メ リカ 映 画 にお け る メ ロ ドラマ を例 に あ げ検 証 した。 そ れ らの 映 画 に は 、 次 の よ うな特 徴 が み られ る。す な わ ち 、サ イ レン ト期 にお け る ヒステ リー に も 似 た 身 体 所 作 (身ぶ り)。 特 にモ ノ ク ロ映 画 に顕 著 に見 られ る ソフ ト・ フ ォー カ ス や 多重 露 光 の使 用 。 ま た 、カ ラー 映 画 にお け る、そ の極 彩 色 の色 彩 や 、デ ィー プ 0フ ォー カ ス 、 ス ク リー ン 0プ ロセ ス 、擬 似 夜 景 の使 用 、 ワイ ド・ ス ク リー ンの採 用 に 、 ドリー や ク レー ン に よ る移 動 撮 影 、等 々。 メ ロ ドラマ 映 画 に は これ らの 技 法 の 多 用 が指 摘 で き る。そ して 、この よ うな きわ め て 映像 的 に「過 剰 」 な表 現 こそ が メ ロ ドラマ の 映 画 面 で の特 徴 で あ る。 ま た ア メ リカ 映 画 に くわ え、 日本 映 画 にお け る メ ロ ドラマ を例 に あ げて 、メ ロ ドラマ 映 画 に お け る音 楽 の特 徴 的 な使 い方 、メ ロ ドラマ 映画 にお い て は映像 と音 楽 は切 り離 し難 い もの と して あ る こ とも指 摘 す る こ とが で き るだ ろ う。 続 く、第

2章

で は メ ロ ドラマ 映 画 の黄 金 期 、古 典 期 を、ア メ リカ 映 画 にお い て も 日本 映 画 に お い て も、同 じく

1930年

代 ∼

1950年

代 と し、そ れ ぞ れ の 時代 を代 表 す る作 品 、『 哀 愁 』

(1940年 )と

『 ま た逢 う 日ま で 』

(1950年 )と

を 取 りあ げ 、具 体 的 に分 析 した。 そ の 作 品分 析 を通 して 見 えて き た の は 、大 衆 の 欲 望 を満 足 させ 、 大 衆 に 、 彼 らが 望 む 道 徳 や 価 値 観 を呈 示 す る メ ロ ドラマ は 、 大 衆 の い だ く欲 望 や 道 徳 や 価 値 観 の反 映 と して あ り、そ の た め 、メ ロ ドラマ が そ れ ぞ れ の 時 代 と地 域 に お け る大 衆 の 置 か れ た 状 況 と密 接 に 結 び つ い た 内容 を有 す 、 とい うこ とで あ る。 さ らに 、 第

3章

で は 、社 会 的 に も文 化 的 に も大 き な転 換 期 に あ つた

1960年

代 か ら

1970年

代 に あ つ て 、 メ ロ ドラマ 映 画 が い か な る影 響 を受 け、 そ の 内容 を どの よ うに変 化 させ た か に つ い て 、 ア メ リカ 映 画 の場 合 、 日本 映 画 の場 合 、 双 方 を論 じた。 前 者 は 、伝 統 的 な結 婚 や 家 庭 とい うもの の価 値 の否 定 、あ るい は 不 信 と して あ らわれ 、そ れ は ま た 、そ れ ま で 受 動 的 な存 在 と して描 かれ て き た 女 性 が主 体 性 を持 つ よ うに な る変 化 と して あ らわれ て い る。 後 者 で もま た 、 変 化 は家 とい うもの に縛 られ て い た 女 性 の解 放 と して あ らわれ て お り、そ れ は 、

(5)

多 くの場 合 、性 的 な側 面 か ら描 か れ て い る。 しか し、一 方 で そ う した 女 性 の性 愛 と対 立す る よ うに 、精 神 的 な愛 、純 愛 が この 時期 の 日本 の メ ロ ドラマ 映 画 で は描 かれ て お り、 そ れ は しば しば 、難 病 に よ る死 とい うか た ち を とる。 この 第

3章

をふ ま えて 、第

4章

で は 、現 代 の メ ロ ドラマ 映画 と して 、ア メ リ カ 映画 にお い て は『 マ デ ィ ソン郡 の橋 』

(1995年

)と

『 タイ タニ ック』 (1997 年

)を

、 日本 映 画 にお い て は『 時 雨 の記 』

(1998年

)を

、 そ れ ぞ れ 取 りあ げ て 、作 品 を分 析 した。 そ の こ とか らわ か る こ とは 、現 代 の ア メ リカ にお け る メ ロ ドラマ 映 画 は 、古 典 期 の 特 徴 を強 く意 識 して い るが 、そ れ に くわ えて 、女 性 が男 性 に対 す る欲 望 の 主 体 者 で あ る とい う転 換 期 をへ た変化 もふ ま えて い る とい うこ とで あ る。さ らに、 分 析 か らみ えて くるの は 、 現 代 の ア メ リカ 映 画 にお け る メ ロ ドラマ は 、 作 品 内 に物 語 の 作 者 とそ の観 客 とが 同 時 に存 在 す る よ うな 回 想 形 式 を と る こ とで 、メ ロ ドラマ とい うもの の様 式 それ 自体 につ い て の現 代 か らの批 評 的 な言 及 に な っ て い るの で あ る。 ま た 、 日本 映 画 にお け る現 代 の メ ロ ドラマ で あ る『 時 雨 の記 』 は 、それ が転 換 期 のふ た つ の大 き な流 れ 、す な わ ち性 愛 と純 愛 との 両 方 を あ わせ 持 つ よ うな 混 合 的 な 映 画 で あ る とい うこ とを指 摘 す る こ とが で き る。また 、そ れ に くわ え て 、『 時 雨 の記 』で は 当事者 で ない 第 二者 的人 物 を物 語 の 回想 者 と して配 置 す る こ とで 、メ ロ ドラマ に客観 的 で冷 静 な視 点 を導 入 して い る。 これ は ア メ リカ 映 画 の場 合 と同 じ よ うに現 代 的 な特 徴 で あ る と言 え るだ ろ う。 以 上 、本 論 で 、ア メ リカ 映 画 と 日本 映 画 に お け る メ ロ ドラマ を分 析 して 見 通 せ る こ とは 、次 の よ うな事 柄 で あ る。す な わ ち、メ ロ ドラマ 映画 は 、物 語 展 開 、 登 場 人 物 の 配 置 や 性 格 に 関 して は 、類 型 的 で似 た り寄 った りの もの で は あ るが 、 そ れ が 呈示 す る道 徳 観 や 価 値 観 は 、各 時 代 や 地 域 に よつて 異 な る。そ して 、男 女 の 関係 、 どち ら側 の視 点 で描 か れ て い るか 、 どち らが そ の欲 望 の 主 体者 で あ るか 、 とい つた 関係 性 も時代 に よっ て変 化 して い る、 とい うこ とで あ る。 この よ うな変化 を メ ロ ドラマ が 見 せ るの は 、メ ロ ドラマ が 、大 衆 の欲 望 と密

(6)

接 に結 び つ い て い るか らで あ る。メ ロ ドラマ は 大 衆 が 自己 を確 固 た る もの とす るた め の モ ー ドで あ っ た。 ゆ え に そ れ は 、大 衆 が抱 く、願 いや 欲 求 、考 え方 や 価 値 観 、 も ろ も ろ の欲 望 を満 足 させ る もの で あ らね ば な らず 、だ か ら、メ ロ ド ラマ は 常 に 、そ れ ぞ れ の 時代 、そ れ ぞ れ の 地 域 にお け る大 衆 の今 現 時 点 で の あ り方 の反 映 と して あ る。 つ ま り、メ ロ ドラマ あ るい は メ ロ ドラマ 映 画 は た とえそれ が どん な に古 色 蒼 然 と した 形 式 に 見 え よ うとも、必 ず ど こか で ア クチ ュ アル な現 在 性 とで も言 う べ き もの を持 つ の で あ り、 ま た そ うあ らね ば な らない ので あ る。

(7)

目次 序 第

1章

メ ロ ドラマ とは何か ? 第 1節 メロ ドラマの定義 i。 語源 と用法の歴 史 五

.蔑

称 としてのメ ロ ドラマ とブル ックスに よる読み直 し 五。本論 にお けるメロ ドラマ認識 第

2節

メ ロ ドラマ の映画面での特徴

i.不

可視 の もの を描 くこ との困難 五。関係性 の明示 による 「愛」の表現 五

.身

体所 作、身振 りによる「愛」の表現 市。身体的状態 に よる「愛」の表 現

v.ソ

フ ト0フォー カス とデ ィープ 。フォー カス 宙.アメ リカのメロ ドラマ映画 にお ける音楽 の重要性 前 。日本 の メロ ドラマ映画 と主題 歌 価 .歌 謡映画 とメ ロ ドラマ 第

2章

黄金期 のメ ロ ドラマ映画― 品分析 I――

1節

『ウォ

"レ

勁制 と

『期国

i.『

哀愁』の人気と影響

… … … 1 … … … …3 … … … …3 … … … …3 … … … …3 … … … …6 … … … …8 … … … …8 … … … …8 ………10 ・ ・ ・ … ・ ・00… 。11 ………12 ………16 ……・…・……17 ………18 …・……・……22 ……・…・‥‥22 …・……・……22 五。原作 “

Waterbo Bridge"と

最初の映画化作品『 ウォタル ウ橋』 …23 五.『 ウォタル ウ橋』における売春 とい う行い

・………0025 市.『 ウォタル ウ橋』で称揚 される女性の貞節 とその理由

…………・27

v.再

映画化作品『哀愁』と回想形式への変更

…………029 宙

.主

人公マイラに関する『哀愁』における変更

……・…・・31 前.『 哀愁』におけるすれ違い

…………。32 価.『 哀愁』におけるマイラの自死

…………033 破.『 哀愁』で強調 される戦争 という罪悪 とその理由

・…・……・35

(8)

第2節 陶ミた逢 う日ま`側 i。 『 また逢 う日まで』とその評価 五.敗戦

5年

後のメロ ドラマ 五.『また逢 う日まで』と戦後の新 しい価値観 市.『また逢 う日まで』の直裁的な台詞 v。 反戦映画 としての『 また逢 う日まで』 宙.『また逢 う日まで』に残 る戦前的な価値観 前。出会いの場面での交わ らない視線 価.硝子越 しの接吻場面における接吻描写 破.硝子越 しではない接吻に漂 う不吉 さ x。 戦後民主主義 としてのメロ ドラマ 第

3章

転換期 を迎 えるメロ ドラマ映画 第1節 アメリカ蜘郵場合 i。

1960年

代 におけるアメ リカ映画の変化 五.結婚や家庭 を否定す るよ うになるメロ ドラマ映画 五.映像表現における変化 第2節 日 i.戦後ではな くなる社会 と家の解体 五.熱情的で性的な女性たちが描かれ るメロ ドラマ映画 面.純 愛 と難病が描かれ るメロ ドラマ映画 第4章 現代のメロ ドラマ映画― 品分析 Ⅱ―― 第1節 膿げシ ソン帥研制 と 勝「イタニック』 i.『マデ ィソン郡の橋』 と恋愛 を演 じるイース トウッ ド 五.『マデ ィソン郡の橋』映画化の際に施 された変更 面.ク リン ト0イース トウッ ドが演 じる登場人物の特徴

.主

人公、フランチェスカの抱 える抑圧

v.フ

ランチェスカの見たい

/見

られたい とい う欲望 宙.作 品内に設置 され る観客の存在 前

.ジ

ェームズ0キャメロンの経歴 とメロ ドラマ映画 …。………・…36 ……0…・…36 …・…・………37 ……・…・……40 ………41 ………・・43 ………44 ………46 …・…・………50 …・……・……53 ……・…・……55 …0…・…57 …・…・………57 ……・…0…0057 …・…・………58 ………60 ………61 ………61 0…・………62 …0…・……65 ……・…。00…68 …・……・……68 ……・・………68 ……0…・……70 ……・・………70 …・…・……。・72 ………73 …0…・……75 ………76

(9)

価.『タイ タニ ック』の語 り手ローズのメロ ドラマ的想像力

…………80 破。ローズにおける欲望の二重化

…………82

x.伝

統的メロ ドラマ映画への 日配せ

…………・85 対

.隠

されたメロ ドラマ的登場人物、キャル

…………86 如。それ以外の現代におけるアメ リカのメロ ドラマ映画

…………91 第2節 屏踊蒔劃

…………。92

i.マ

キノ雅弘の 「最後の弟子」としての澤井信一郎

…………92 五.澤井信一郎の作品歴 と特徴

…………・94 五

.不

倫 ものであ り純愛映画である『 時雨の記』

…………097 市.『時雨の記』に至る吉永小百合の変遷

……3…98

v.切

り返 しにみ る『 時雨の記』の古典的映像表現

…………99 宙。『 時雨の記』における第二者による回想形式

…………101 前

.『

時雨の記』以降の 日本におけるメロ ドラマ映画

…………103 おた)り に

……・・…・…0106 註 文献一覧 関連作 品 リス ト 図版 図版 出典 …………・・…109 ……。…0…120 ……・……・…124 ………134 0……………0143

(10)

序 大 衆 娯 楽 と して の メ ロ ドラマ は 、

18世

紀 、 革 命 直後 の フ ラ ン ス にお い て演 劇 の ジ ャ ンル で 最 初 の 大 成 功 をお さめ て 以 来 、 文 学 や 映 画 、 ラ ジオ ドラマ や

TVの

連 続 ドラマ 、 は て は 、 コ ミックブ ックや アニ メー シ ョン、 な ど、数 多 く の領 域 、メデ ィア で 生 成 され 、それ ぞれ の時 代 、あ るい は地 域 に よ つて様 々 な あ り様 で 受 容 され て きた。 一 方 で 、メ ロ ドラマ は そ の 、物 語 構 造 や 形 式 が あま りに も類 型 的 で あ るた め に 、長 ら く、悲 劇 な どよ りも下位 の ジ ャ ンル で あ る と、軽 視 、あ るい は時 に は あ か ら さま に蔑 視 され て しま うもの で もあ つ た。 しか し、メ ロ ドラマ ヘ の そ の よ うな一 般 的 な評 価 や 理 解 は 、ジ ャ ンル 研 究 の 対 象 と して メ ロ ドラマ が盛 ん に 取 りあ げ られ る よ うに な る

1970年

代 以 降 、見 直 され て い くよ うに な る。 以 後 、 メ ロ ドラマ 研 究 は演劇 、文 学 、音 楽 、美 術 、 そ して 映 画 、 とい つ た 分 野 、領 域 を超 えて盛 ん に な され る よ うに な り、そ の ア プ ロー チ の仕 方 も、例 え ば メ ロ ドラマ 映 画 研 究 にお い て は 、精 神 分 析 的 な ものや 、 メ ロ ドラマ が製 作 、 受 容 され た 時 代 の社 会 や 文 化 面 で の歴 史 的 状 況 を も とに論 じる立 場 、あ るい は 、 ジ ェ ン ダ ー研 究 や フ ェ ミニ ズ ム批 評 の 立場 か らな ど、実 に多様 な もの とな つて い る。 本 論 は 、以 上 の よ うな メ ロ ドラマ 研 究 の状 況 をふ ま えた うえで 、メ ロ ドラマ 映 画 を、各 時 代 にお け る メ ロ ドラマ 映 画 を定 点観 測 的 に論 じ、か つ 時 代 を追 つ て 見 る こ とで 、メ ロ ドラマ 映 画 の次 の よ うな 問題 を解 き明 かす こ とを 目的 と し て い る。つ ま り、メ ロ ドラマ は 、各 時 代 にお い て どの よ うな特 徴 を持 ち 、ま た そ の 特 徴 を どの よ うに変遷 させ る こ とで 、大 衆 に支 持 され 続 けて きた の か 、 と い う問題 で あ る。 本 論 は そ の 問題 を解 き明 かす た め に 、各 時 代 の ア メ リカ 映 画 にお け る メ ロ ド ラマ お よび 日本 映 画 に お け るメ ロ ドラマ を考 察 の対 象 と して い る。 なぜ 、ア メ

(11)

リカ 映 画 と 日本 映 画 に考 察 の対 象 を絞 つ た の か。そ の理 由 は 主 に 次 の

3点

に あ る。第

1に

ア メ リカ 映 画 も 日本 映 画 もメ ロ ドラマ とい うもの とそ の歴 史 の初 期 か ら強 く結 び つ い て お り1、 メ ロ ドラマ が 特 に 商 業 面 で 最 も主 要 な ジ ャ ンル の ひ とつ で あ つた 時 期 が確 実 に あ つた 、 とい う点 、第

2に

、メ ロ ドラマ の全 世 界 的 な 普 及 に お い て ア メ リカ 映 画 が果 た した役 割 の 大 き さを考 え る と、ア メ リカ 映 画 にお け る メ ロ ドラマ を対 象 にす る こ とは避 け得 な い 、 と考 え られ る点 、第

3に

、大 衆 とメ ロ ドラマ との 関係 性 に重 き を置 く本 論 に お い て 、そ れ を考 察 し、 解 明 して い く うえで 、日本 語 を母 国語 とす る 日本 人 で あ る執 筆 者 が 日本 映 画 を 対 象 とす る こ とに意 義 が あ る と考 え る点 、 で あ る。 また 、本 論 で は 考 察 を時 代 ご とに 区分 して行 な つ て い るが 、そ の時 代 区分 は 次 の

3区

分 で あ る。第

1に

、サ イ レン ト映 画 の 時 代 をへ た

1930年

代 か ら

1950

年 代 ま で を黄 金 期 、 第

2に 1960年

代 か ら

1970年

代 を転 換 期 、 そ して第

3に

1990年

代 以 降 を現 代 、 で あ る。 そ して 、本 論 文 で は 、まず 、第

1章

で 考 察 の前 提 と して メ ロ ドラマ の定義 と、 メ ロ ドラマ の 映 画 にお け る特 徴 の確 認 をお こな い 、第

2章

お よび 第

4章

にて 、 第 1と 第

3の

時 期 で あ る黄 金 期 と現 代 につ い て 、ア メ リカ映 画 、 日本 映 画 そ れ ぞ れ にお い て そ の 時 期 を代 表 す る、あ るい は典 型 とな る作 品 を あ げ 、詳 細 な 分 析 を行 っ て い る。残 る第

2の

時 期 で あ る転 換 期 につ い て は 、ア メ リカ にお い て も 日本 に お い て も メ ロ ドラマ 映 画 に 、あ る転 換 が あ つ た とい うこ とを確 認 す る た め に 、 具 体 的 な作 品 を あ げ な が ら、 メ ロ ドラマ 映 画 を め ぐ る状 況 の変 化 と、 そ れ に よ つ て メ ロ ドラマ 映 画 が どの よ うに変 容 した か を指 摘 して い る。 この よ うな分 析 と考 察 を通 じて 、メ ロ ドラマ 映 画 が そ れ ぞ れ の 時 代 や 地 域 に お け る大 衆 とい う存 在 と強 く結 び つ い て い る こ と、そ の 大 衆 の反 応 と して メ ロ ドラマ 映 画 が あ り、時 代 や 地 域 に よ つて 変 化 す る もの で あ る とい うこ と。そ れ ゆ え、メ ロ ドラマ 映 画 は現 在 性 や 社 会 性 とい うもの を明確 に有 した ジ ャ ンル で あ る とい うこ と、が解 明 され た。 そ して 、そ の現 在 性 や 社 会 性 とい う側 面 にお い て 、現 代 の メ ロ ドラマ 映 画 が 抱 え る問題 もま た判 明す る こ と とな つ た。

(12)

1章

メ ロ ドラ マ とは 何 か ? 第

1節

メ ロ ドラマ の定義 まず 、作 品 の具体的 な分析 に入 る前 に、前提 と して メ ロ ドラマ とは何 で あ る のか、 とい う基本的 な問題 を明 らか に してお く必要が あるだ ろ う。 事 典 に よ る定 義 事 典2を参 照 す れ ば 、メ ロ ドラマ とは ギ リシア語 の「メ ロス

(melos=音

楽)」 と 「 ドラマ

(drama=劇

)」 を語 源 とす る語 で 、本 来 の意 味 は音 楽 を伴 っ た劇 全 般 の こ とに な る。次 節 で 後 述 す る音 楽 とメ ロ ドラマ との 関係 の重 要 性 を考 え る と、 この語 源 は現 在 で もメ ロ ドラマ の特 徴 を よ くあ らわ して い る。 歴 史 的 に メ ロ ドラマ とい う語 句 の使 用 は 、

18世

紀 フ ラ ン ス の ジ ャ ン

=ジ

ャ ック 。ル ソー が 音 楽 に言葉 をつ けた 自身 の戯 曲『 ピグマ リオ ン』

(1762年

) をイ タ リア のオ ペ ラや 、ふ るい音 楽 劇 との 区別 の た め に用 い た の が 最 初 とされ て い る。 そ の後 、メ ロ ドラマ は 、

18世

紀 か ら

19世

紀 に か け て ヨー ロ ッパ 各 地 で流 行 した 大 衆 演 劇 の 一 ジ ャ ンル を指 し示 す 言 葉 と して 定着 した。 蔑 称 と して の メ ロ ドラマ とブル ック ス に よ る読 み 直 し しか し、一般 的 に メ ロ ドラマ (あ るいは メ ロ ドラマ的

)と

い う言葉 は、あ る 作 品 を貶 め る際 の蔑称 、そ の作 品が低俗 で感 傷的 で抒 情過多 の安易 なお涙頂戴 もので あ る と断ず るた めの、差別 的 用語 と して用 い られ る こ とが多 い。なぜ な らば 、メ ロ ドラマ は多 くの場合 、物語構 造 も、その登場 人物 も極端 に類型的 で あ り、型 には まったお決 ま りのパ ター ンを繰 り返す か らで あ る。『 メロ ドラマ 的想 像力』

(1976年 )3の

著者 、 ピー ター・ ブル ックスは メ ロ ドラマ の特徴 を

(13)

次 の よ うに記 す 。 こ の 言 葉 の含 む と こ ろ は お そ ら く誰 に とっ て も似 た り寄 つた りの もの で あ ろ う。強 い感 情 へ の耽 溺 、道 徳 の 分 極 化 と図 式 化 、極 限 的 な存在 状 態 、状 況 、 行 動 。 あ か ら さま な悪 行 、善 な る者 た ちへ の迫 害 、そ して 、最 後 に美 徳 の勝 利 。誇 張 され た表 現。い わ くあ りげ な プ ロ ッ ト、サ スペ ンス 、息 を のむ よ う な運 命 の 急 変 。以 上 挙 げて きた こ とが メ ロ ドラマ とい う言葉 に含 まれ る こ と が らで あ る4。 こ こで 、ブル ック ス は 、メ ロ ドラマ が ほ とん どの場 合 にお い て 、善 人 と悪 人 、 美 徳 と悪 徳 とに は つ き り と三 分 され て お り、展 開 は あ ま りに ご都 合 主義 的 で波 乱 万 丈 で あ り、著 し く感 傷 的 、扇 情 的 で あ り、善 人や 美 徳 は様 々 な 障 害や 困難 に翻 弄 され るが 、最 後 に は悪 人 は倒 され 、悪 徳 は否 定 され 、善 人 と美 徳 が勝利 す る こ とで 終 わ る、 もの で あ る とい うこ とを認 めて い る。 しか し、ブル ック ス は 、元 来 メ ロ ドラマ 蔑 視 の根 拠 とな つて きた これ らの特 徴 に こそ メ ロ ドラマ の価 値 を認 め 、 「メ ロ ドラマ は 、ほ か の ジ ャ ンル モ ー ドに は な い 、 柔 軟 性 に 富 ん だ 、適 応 性 の あ るモ ー ド」5でぁ り、 か つ 、 「注 目に値 す る一 貫 した モ ー ド」6と して メ ロ ドラマ を読 み 直 し、 再 定 義 を試 み るの で あ る。 ブル ック ス は メ ロ ドラマ の源 泉 を フ ラ ン ス革 命 期 お よび そ の 直後 とす る。7 ブ ル ッ クス に よ る と革 命 後 の近 代 市 民 社会 の揺 藍 期 、権 力組 織 や 制 度 よ りも個 人 の 自立 した 精 神 が 尊 ば れ る個 人 主 義 的 社 会 が 形 成 され つ つ あ つ た 時 代 にお い て は 、そ れ まで の キ リス ト教 的 神 や 封 建 制 度 とい つ た 、絶 対 的 な価 値 観

(=

「聖 な る もの」

)が

損 な われ 、そ の こ とに よ つ て 、それ らの価 値 観 に 自己 を依 拠 して い た 人 々 に とつ て は 、存在 理 由の 中心 とな るべ き核 が 喪 われ 、空 白化 し、 判 別 困難 な 不 可 視 な もの とな っ て しま っ た。メ ロ ドラマ とは 、そ の よ うな不 安 定 な状 態 か ら、人 々 が 自 らの精 神 を救 い 、中心 を回復 させ るた め の試 み 、また

(14)

そ の た め の 一種 の儀 式 と して機 能 した とブル ックス は捉 えた の で あ る。 ブ ル ック ス は 、以 下 の よ うに メ ロ ドラマ を論 じて い る。 象 徴 的 に も、現 実 的 に も、伝 統 的

<聖

>と

そ れ を表 象 す る制 度 (教会 と王 制

)が

最 終 的 に役 目を終 え、キ リス ト教 的 世 界 の 神 話 が解 体 し、階 層 秩 序 を も つ た 社 会 体 制 が崩 壊 し、こ う した社 会 に依 存 して い た文 学形 式 と して の悲 劇 や 風 俗 喜 劇 が意 味 を喪 っ た の で あ る。 メ ロ ドラマ とは 単 な る悲 劇 か らの 「転 落 」な どで は な く、悲劇 的 ビジ ョンの喪 失 を め ぐる反 応 で あ る。それ が この 世 に生 れ 出 た の は 、心理 と倫 理 の伝 統 的 義 務 観 念 が荒 々 しく覆 され つ つ も、心 理 と倫 理 の普 及 と、生 活 の復 興 が 当面 の 日々 の政 治 的 関 心 事 で あ つ た 世 界 に お い て で あ つ た8。 つ ま り、革 命 な どに よ るあ ま りに も著 しい 、ヽ価値 観 や 倫 理 観 、道 徳 観 の変 動 、 そ れ に よ る秩 序 の乱 れ に よ って 、大 衆 は 、そ の アイ デ ンテ ィテ ィ を喪 失 して し ま うこ とに対 して不 安 と恐 怖 に か られ る。そ して 、大 衆 はか つ て信 じた絶 対 的 な価 値 観 の復 権 とそれ が い ま だ に有 効 で あ る こ との確 認 を求 め る。また 同時 に 大 衆 は 、変 わ つ て しま つた 世 界 の 中で 、今 後 自 らが依 拠 す べ き、新 た な価 値 観 、 倫 理 、 を も求 め るの で あ る。 メ ロ ドラ マ とは 、そ うした 大 衆 の欲 望 に対 す る 「反 応 」で あ る とブル ック ス は言 って い るの で あ る。 だ か ら、メ ロ ドラマ が飽 く こ とな く、伝 統 的 な美 徳 と悪 徳 、善 と悪 との二 元 的 な 対 立 と最 終 的 な美 徳 と善 の勝 利 を著 しい劇 的 さを もつて描 き、伝 統 的価 値 観 、あ るい は 変 動 後 に示 され るべ き新 た な確 固 た る秩 序 を示 す の は 、そ の こ と に よ つ て 、 喪 われ た 中心 に代 わ っ て 「創 造 され た仮 の 中心 」9が置 か れ 、伝 統 的 な倫 理 観 や 道 徳 観 が 回復 し、変 動 後 の時 代 にお い て も有効 な秩 序 が 、取 り戻 され 人 々

(=観

)が

自己 を確 か な もの と して 取 り戻 す こ とが 可 能 とな るか ら で あ る。

(15)

ブル ック ス に とつ て は 、メ ロ ドラマ とは 、 「い か な る場 合 も根 本 的 に民 主 的 で あ り、そ の表 現 を あ らゆ る人 々 に わ か りや す く示 そ うとす る。 」 もので あ り 「メ ロ ドラマ こそ は 、聖 な る もの が喪 われ た時代 に、本 質 的道徳 を提示 し、機 能 させ るた め の 主 要 な モ ー ド」10なの で あ る。 そ れ ゆ え、メ ロ ドラマ は大 衆 の抱 く欲 望 や 欲 求 、彼 らが 求 め る価 値 観 や 道 徳 観 、倫 理 や 秩 序 の反 映 と して あ らね ば な らな い 。 そ の た め 、メ ロ ドラマ は様 式 の 強 固 な類 型 性 に もか か わ らず 、そ の指 し示 す 内容 に 関 して は 、時 代 や 地域 に よ つ て 大 きな差 異 を露 呈 して しま うもの で あ るH。 しか し、 ともか く も、メ ロ ドラマ にお い て は 、観 客 と作 家 は作 品 に よつて 強 く結 び つ け られ た共 犯 関係 に あ り、観 客 は作 品 上 に あ らわれ た様 々 な表 現 や 効 果 を 、見 聞 きす る こ とに よ つ て 世 界 を提 え直 し、 中心 を取 り戻 す 。 そ して 、作 家 は そ れ を可 能 とす るた め に 、あ らゆ る技 巧 を こ ら して 作 品 を作 り出す 。ブ ル ック ス は 、そ の 、観 客 と作 家 が発 揮 す る、世 界 を提 え直 し、 中心 を回復 させ る 力 の こ と を 「メ ロ ドラマ 的 想 像 力

(=Melodramatic lmagination)」

と呼 ん だ の で あ る。 そ して 、ブル ック ス は そ の 「メ ロ ドラマ 的 想 像 力 」 に よつて創 造 され た 作 品 にお け る、表 現 形 式 の特 質 と して 「隠 喩 」 と 「過 剰 」 を挙 げて い る 12。 五 。 本 論 に お け る メ ロ ドラ マ 認 識 こ の ブ ル ッ ク ス の メ ロ ドラ マ 論 は 、映 画 に お い て も大 き な イ ンパ ク トを 与 え 、 ほ ぼ 同 じ時 期13に 発 表 され た トマ ス・ エ ル セ サ ー の 論 文 「響 き と怒 りの 物 語 一 フ ァ ミ リー ・ メ ロ ドラ マ ヘ の 所 見 」

(1972年

)14と と も に 、 メ ロ ドラマ 映 画 研 究 の 画 期 とな っ た 。 以 後 、映 画 に お け る メ ロ ドラ マ 論 は 様 々 な 方 法 論 で 論 じ ら れ15、 議 論 百 出 の 感 が あ る が 、常 に 主 要 な 問 題 と して 意 識 され る の は 、や は り、 ブ ル ッ ク ス が 指 摘 した 、 メ ロ ドラ マ の 表 現 形 式 に お け る 「隠 喩 」 と 「過 剰 」 で あ ろ う。

(16)

サ イ レン ト期 にお け る ヒステ リー に も似 た 身 体 所 作 (身ぶ り

)や

、特 にモ ノ ク ロ映 画 に顕 著 に見 られ る ソフ ト0フォ ー カ スや 多 重 露 光 の使 用 、 あ るい は 、 カ ラー 映 画 の華 麗 な色 彩 や 、デ ィー プ・ フ ォ ー カ ス 、 ス ク リー ン・ プ ロセ ス 、 擬 似 夜 景 の使 用 、 ワイ ド・ ス ク リー ンの採 用 に 、 ドリー や ク レー ン に よ る移 動 撮 影 等 々 、詳 細 は次 節 で述 べ るが 、メ ロ ドラマ 映 画 に は一 見 して それ と判 る ほ ど特 徴 的 な (過剰 な

)視

覚 的 表 現 が 用 い られ て い る。 無 論 、そ こに は メ ロ ドラ マ の本 来 の語 源 で もあ る音 楽 の効 果 的 かつ 劇 的 な使 用 も加 わ る。 メ ロ ドラマ 映 画 の観 客 は 、演 劇 にお け る メ ロ ドラマ の観 客 と同 じよ うに 、こ れ ら過 剰 な表 現 を見 る こ と と聞 く こ とに よ つて 、 「メ ロ ドラマ 的想 像 力 」 を働 かせ 、隠 喩 的 に表 現 され た 、登 場 人 物 た ち の 心理 的 葛藤 や 感 情 の動 き とい っ た 不 可 視 な もの を提 え 、認 識 し、結 果 と して 登 場 人 物 に対 して過 剰 な ま で に感 情 移 入 し、同 一 化 をは た す の で あ る。 もち ろん 、そ の 同一 化 へ の プ ロセ ス は 、そ れ ほ ど単 純 な もの で は な く、作 品 (あ るい は 作 家

)と

観 客 が 抱 え る、 社 会 的 、 政 治 的 、文 化 的 な背 景 や 、人 種 や ジ ェ ン ダー な どに よ つ て きわ め て 複 雑 な もの とは な る。 さて 、こ こで 、一 応 メ ロ ドラマ あ るい は メ ロ ドラマ 映 画 とは何 か とい う問題 に対 す る本 論 文 の認 識 を、 次 の よ うに ま とめ て お きた い。 まず そ れ は 、メ ロ ドラマ 映 画 が過 剰 な表 現 や 効 果 に よつて 、不 可 視 の もの が あ た か も観 客 の 眼 前 に あ らわれ た か の よ うに描 く、 とい う点 で あ る。 不 可 視 の もの とは 、社 会 が大 き く変 動 す る時 代 に喪 われ て しま つた伝 統 的 な 道 徳 観 や 倫 理 観 の こ とで あ り、新 た な時 代 に観 客 で あ る大 衆 が依 拠 す べ きか ち か ん で あ る。 あ るい は 、 よ り文 化 的 、社 会 的 視 点 か らみ た場 合 で は 、社 会 的 身 分 や 人 種 、貞 操 観 念 や ジ ェ ン ダー な どを理 由 に社 会 か ら抑 圧 され た個 人

=登

場 人 物 の 心 理 的 葛 藤 、さ らに は これ が お そ ら く最 も一 般 的 で 多数 描 か れ て い る も の で あ ろ うが 、愛 情 な どの 強 い感 情 的 動 き の こ とで あ る。 メ ロ ドラ マ 映 画 とは 、これ らを過 剰 な表 現 とそ の類 型 性 に よつて誰 にで もわ か る よ うに描 き、観 客 の作 品へ の耽 溺 と同 一 化 を促 し、感 情 を著 しく揺 さぶ る

(17)

もの で あ る。 そ して ま た 、この よ うに メ ロ ドラマ 映 画 が観 客 で あ る大 衆 と強 く結 び つ い て い る とい うこ とは 、メ ロ ドラマ 映 画 は 、そ の あ ま りに強 い類 型 性 に もか か わ ら ず 、そ れ が提 示 す る道 徳 や 価 値 観 は 、それ を求 め る大 衆 の暮 らす 時 代 や 地域 に よ つ て 異 な る もの で あ る、 とい う点 で あ る16。 以 上 の よ うな メ ロ ドラマ 、メ ロ ドラマ 映 画 の認 識 をふ ま えた うえで 、次 節 で は 、なぜ メ ロ ドラマ 映 画 が過 剰 な表 現 形 式 を取 る の か とい う理 由 も含 めて 、メ ロ ドラマ の 映 画 にお け る特徴 を確 認 して い きた い。 第

2節

メ ロ ドラマ の 映 画 に お け る特 徴 不 可 視 の もの を描 く こ との 困難 前 節 で 述 べ た よ うに 、メ ロ ドラマ 映 画 が 不 可 視 の もの を描 く もの で あ る とす れ ば 、視 覚 的 な表 現 媒 体 で あ る映 画 にお い て は 、そ の こ とは 、きわ め て本 質 的 な 困難 を 生 じさせ て しま う。 そ れ は 、不 可 視 とい うこ とは 、言 うまで もな く、人 の 目に は 見 え な い とい う こ とで あ り、 日に は 見 え な い もの を 、映 像 に よ つ て視 党 化

(=現

前 化

)す

る こ とは不 可 能 で あ る とい う事 実 で あ る。 メ ロ ドラマ 映 画 の特 徴 はす べ て 、この 見 え な い もの を見 え る よ うに させ な けれ ば な らな い 、少 な く とも観 客 に あた か も そ うで あ るか の よ うに錯 覚 させ ね ば な らな い 、とい うこ とが そ の要 因 と して あ る。 例 えば 、 メ ロ ドラマ が 現 前 させ る不 可 視 の もの を 、 お そ ら く最 も一 般 的 で 、 多 数 の メ ロ ドラマ が そ れ に つ い て の 物 語 で あ る 、 人 が 人 へ と抱 く、 愛 情

=愛

、 とい う強 い感 情 に絞 つ て 、 そ の こ とを考 えて み よ う。 関係 性 の 明 示 に よ る愛 の 表 現

(18)

愛 情 とい う不 可 視 の もの が観 客 に とつ て 可 視 の もの と して 現 前 して い る と 感 じ させ るた め に 、 メ ロ ドラマ 映 画 は 、 まず 何 をす るか。 そ の試 み の第

1歩

は 、登 場 人 物 の役 割 や 関係 性 を明確 にす る こ とで あ る。 誰 が誰 を愛 して い るの か 、ま た誰 が誰 を愛 しつ つ あ るのか 、あ るい は誰 が 誰 に愛 され た い か 、これ らの こ とを即座 に観 客 に理 解 させ る こ とが肝 要 な ので あ る。 なぜ な ら、 この よ うな 関係 性 の 明示 は 、愛 が 存 在 し うるそ の場 、舞 台 を あ らか じめ作 り出す こ とで あ り、それ が な けれ ば愛 を映 画 の 中 に存 在 させ る (視 覚 化 す る

)こ

とな どで き な い か らで あ る。 そ して 、そ の 関係 性 は 、愛 の視 覚 的 表 現 に費 や す 時 間 が 多 く とれ る よ うに、で き るだ け迅 速 に観 客 に理 解 させ た方 が 良 く、そ の た め に は 、な るべ く類 型 化 され パ ター ン化 され た 、登 場 人物 の役 割 や 関係 で あ つ た方 が 良 い。 メ ロ ドラ マ 映 画 が 、あ の よ うに早 い段 階 で の ボ ー イ ・ ミー ツ・ ガ ー ル

/ガ

ー ル ・ ミー ツ・ ボ ー イ を飽 く こ とな く繰 り返 して い るの は そ の理 由 に よ る。 そ の結 果 、観 客 は物 語 が 開始 す る とす ぐ さま どの 登 場 人物 同士 が 愛 し合 うよ うに な るの か を予 測 す る こ とが で き 、時 に は 、少 しで も メ ロ ドラマ 映 画 に な れ て い る観 客 で あれ ば 、物 語 の 開始 す る以 前 か ら、キ ャ ステ ィ ン グ・ タイ トル を 眺 め た だ け で 、そ の 映 画 にお い て要 とな る人 間 関係 を あ る程 度 把 握 す る こ と さ えで き るだ ろ う。 この よ うに 、キ ャ ステ ィ ン グに よつ て物 語 を予 測 しな が ら映 画 を見 る 、 とい う行 為 は ご く一 般 的 なふ るま い で あ る。 ま た 、この 関係 性 は ほ とん どの場 合 、映 画 の は じめか ら終 わ りま で原 則 と し て 不 変 で あ る。物 語 の展 開 に よ つて 物 理 的 に離 れ ば なれ に な る とい うよ うな表 面 上 の 関係 の変 化 は あ つ た と して も、愛 し合 うとい う本 質 的 な 関係 性 は決 して ゆ ら ぐ こ とは な い。観 客 は 、メ ロ ドラマ 映 画 にお い て 登 場 人 物 の 人 間 関係 の把 握 や そ の劇 的 な変 化 に わず らわ され る こ とは な く、あ る意 味 で は安 心 して そ の 愛 情 表 現 を堪 能 す る場 を与 え られ るの で あ る。 この 、明快 で かつ 固 定化 され た 関係 性 を舞 台 と して 、メ ロ ドラマ 映 画 は愛 と

(19)

い う本来 不 可視 の もの を視覚化す るわ けで あ るが、その方 法 は大 まか にいつて ふ た通 りのや り方 が あ る。 あ らか じめ、そのふ たつ を ここで述 べ て しま うと、それ は、役 者 の身体的表 現 に よる もの と、撮影等 に よる映像 的表現 に よる ものの

2種

で あ る。それ ぞれ の特徴 を具体的 な作 品例 をあげつつ以下 にみて い くこ とに しよ う。 五 。 身 体 所 作 、身 振 りに よ る愛 の表 現 まず は 、身 体 的 表 現 で あ るが 、これ を考 え る うえで サ イ レン ト期 の メ ロ ドラ マ 映 画 に お け る役 者 の演 技 を無 視 す る こ とは で きな い だ ろ う。言 うま で もな く、 音 声 と して の 台 詞 を発 す る こ との で き な い サ イ レン ト映 画 に お い て は そ の表 現 の か な りの部 分 を役 者 の身 体 に負 うこ とに な る17。 そ して 、 それ は時 に きわ め て 特 徴 的 で 一 種 異様 な感 じのす る過 剰 な形 式 とな る。 例 え ば 、

DOW・

グ リフ ィス監 督 の『 散 り行 く花 』

(1919年

)の

ク ライ マ ッ ク ス の場 面 。今 で 言 う と こ ろの ドメ ステ ィ ック・ バ イ オ レン スや 、そ して 、明 示 され て は い な い が お そ ら く性 的 な虐 待 をす ら行 う横 暴 な 父親 か ら逃 れ 、中国 人 の 青 年 (リ チ ャー ド・ バ ー セ ル メ ス

)の

も とに 身 を寄せ て い た か ら少 女 (リ リア ン・ ギ ッシ ュ

)が

、父 親 に見 つ か り、再 び 家 へ と連 れ 戻 され て しま う。少 女 は 、怒 りに任 せ た 父 親 の 暴 力 に怯 え惑 い 、家 内 の小 部 屋 に 閉 じこ も る。そ こ で 少 女 は 、ほ の か に恋 心 をい だ く よ うに な って い た 青 年 と永 遠 に 引 き離 され た 絶 望 と、そ の 絶 望 を体 現 す る父 親 へ の 恐 怖 か らか 、一 心 不 乱 に狭 い 室 内 を ぐ る ぐ る と何 度 も立 ち回 り、時 に 、支 離 滅 裂 な ダ ンス の よ うな 異様 な動 きで 身 悶 え、 つ い に は何 か に取 り憑 か れ た よ うに な り、 そ の ま ま 息絶 えて しま う。 そ して 、 そ の死 の 間 際 、少 女 は か つ て 父 親 に 強 要 され て い た笑 顔 を見せ るた め に 、 自 ら の 口唇 の 両 端 を 吊 り上 げ る。 こ こで 見 せ られ る リ リア ン 0ギ ッシ ュの身 体 所 作 は 、あ た か も衣 笠 貞 之助 監 督 の『 狂 つ た 一 頁 』

(1926年

)に

お け る精 神 異 常者 の そ れ とほ とん ど同様 の

(20)

よ うに思 え るほ ど、情 緒不安定 で、熱 に うか され た、 ヒステ リックな、ほ とん ど病 的 な もので あ る。 この よ うな動 きは、 リリア ン・ ギ ッシュの メ ロ ドラマ映 画 で あ る『 散 りゆ く花』 と同 じくグ リフィス監督 の『 東へ の道』

(1920年

) や『 嵐 の孤児』

(1921年

)18、 ぁ るい はキ ング・ ヴィダー が監督 した『 ラ・ ボ エ ー ム』

(1926年

)な

どに お い て も同種 の もの が 見 られ る。 と りわ け『 嵐 の 孤 児 』 で は リ リア ン・ ギ ッシュ演 じる女性 主 人 公 の義 理 の妹 (リ リア ン・ ギ ッ シ ュ の実 の妹 で あ る ドロ シー 0ギ ッシ ュが演 じる

)が

盲 日で あ るた め 、そ の身 体 所 作 、身 体 表 現 は 非 常 に重 要 な もの とな つて い る。 そ こで は 、ま さに文 字 通 り不 可 視 で あ る こ とが 、身 体 の動 き に よつ て表 現 され て い る。 リ リア ン・ ギ ッ シ ュ、あ るい は そ の妹 の ドロ シー・ ギ ッシ ュが初 期 の メ ロ ドラマ 映 画 を代 表 す るス ター で あ る こ とを考 えれ ば 、彼 女 らの動 きが メ ロ ドラマ 映 画 的 な身 体 表 現 で あ る と言 うこ ともで き るだ ろ う。 そ して 、これ らはす べ て 、愛 の喪 失 や 愛 の危 機 に お け る動 きで あ り、つ ま り、 愛 とい う感 情 に よ つ て 精 神 が 不 安 定 に な り、そ の身 体 に 著 しい 乱 れ を生 じさせ る。 この こ とは 同時 に 、身 体 の乱 れ の過剰 さが そ の登 場 人物 の強 い 愛 を感 じさ せ る要 因 と もな り、す な わ ち 、 こ こにお いて は ギ ッシ ュの身 体 所 作 、身 体 表 現 そ の もの が 愛 とい う目に見 えな い もの 、不 可 視 の もの の 可 視 化 の た め の視 覚 的 表 現 とな る の で あ る。 ま た 、メ ロ ドラマ 映 画 にお い て 、愛 に よつ て 死 ぬ 登 場 人 物 の き わ めて 多 い こ と も、単 な る物 語 的 な要 請 のみ で は な く、身 体 表 現 に よ る愛 の視 党 化 の方 法 の ひ とつ で あ る。 市 。 身 体 的 状 態 に よ る愛 の表 現

先述 した『散 り行 く花』や『 ラ

0ボ

エーム』はもちろん、ジョージ

0キ

ュー

カー監督の『椿姫』 (1936年

)や

フランク

0ボ

ーゼーギ監督の『武器よさら

ば』 (1932年

)、

マーヴィン

0ル

ロイ監督の『哀愁』 (1940年

)、

ジュリア

(21)

ン・ デ ュ ヴィ ヴィエ監督 の『 ア ンナ 0カ レーニナ』

(1948年

)、 ダ グラス 0 サ ー ク監督 の『 風 と共 に散 る』

(1955年

)な

ど、枚 挙 にい とまが ない ほ どの 作 品で 、 メ ロ ドラマ の登場 人物 は死 んでい る。 これ らの メ ロ ドラマ映画 にお け る、彼 女

/彼

らの死 因 の半分 は恋 人 と引 き離 され た こ とを主 な原 因 とす る病 気 で あ り、半数 は諸処 の事情 で恋 人 との関係 が 引 き離 され た絶 望 か らの 自殺 で あ る。 また 、死 なない まで も、 レオ・マ ッケ リ ー 監督 の『 避逓』

(1939年

)の

よ うに女性 の交通事 故 に よって愛 し合 う男女 がす れ違 い をお こ した り、あ るいはマー ヴィン0ル ロイ 監督 の『 心 の旅 路』(1942 年

)の

よ うに男性 の記 憶喪 失お よび心身薄 弱が女性 との出会 い をひ きお こ した り、とい つた、登場 人物 の身体 的事 態 が愛 の成 立や 不成 立 に深 く関わ る こ とも 数 多 い。 つ ま り、これ らの例 に よつて示 され るのは、メロ ドラマ映画 にお いては、愛 お よび愛 情 の欠損 が あ りえない ほ ど直載的 に身 体 の欠損 に結びつ いてお り、ま た逆 に、身 体 的状 態 が愛 の状 態 と直載 的 に結 びつ いて い る、とい う特徴 であ る。 そ のふ たつ は、メ ロ ドラマ映画 にお いて は分 ち難 い もの と して扱 われ 、愛す る もの の身 体 は愛 とほ とん ど同様 の意 味 を持 つ こ とにな る。 ここで もまた、身体 の表現 が愛 の存在 を表 明 してい るので あ る。 で は、次 に、映像 的表 現 につ いて は ど うで あ ろ うか。 ソフ ト0フォ ー カ ス とデ ィー プ・ フ ォー カ ス メ ロ ドラマ 映 画 の 映 像 的 特 徴 は 、ふ た つ の 、一 見 して そ れ とわ か る映 像 に よ つ て 、代 表 され る と言 え るだ ろ う。そ れ は 、主 にモ ノ ク ロ作 品 にお け る ソフ ト・ フ ォ ー カ ス に よ る映 像 と、主 に カ ラー 作 品 にお け るデ ィー プ・ フ ォー カ ス に よ る映 像 で あ る。それ らの 映 像 は 、映 画 の 中の 、と りわ け ロマ ンテ ィ ックな場 面 、 あ るい は感 情 が劇 的 に盛 り上 が る場 面 にお い て よ く使 用 され 、そ の独 特 で 一種 異 様 な雰 囲 気 は 、愛 とい う抽 象 的 な感 情 、不 可 視 の もの の 存在 を観 客 に感 じ さ

(22)

せ る効果 を持 ってい るので あ る。 具 体的 に見てみ よ う。 まず は 、 ソフ ト・ フォー カ ス に よ る映像 で あ るが 、これ は、先 に述べ た関係 性 の 明示 とも関わ つて くる。例 えば『 武器 よ さ らば』や『 避逓』 、『 哀愁 』 、 『 ア ンナ・ カ レー ニナ』 な どにお け る、 「ボーイ・ ミー ツ・ ガール 」 (「ガー ル・ ミー ツ・ ボーイ」

)の

場 面。『 ア ンナ・ カ レー ニナ』では、主人公 ア ンナ (ヴ ィ ヴィア ン0リ ー

)と

、相 手役 で あ る ウロンスキー (キー ロン0ムー ア) は出会 い の場 面で見つ め合 い、その様 がそれ ぞれ の表 情 のア ップ の シ ョッ ト

/

リバ ー ス・ シ ョッ トに よつて表 現 され るのだが 、そ の時 、そのア ップの映像 は ほぼ例外 な く、顔 に薄 く紗 がかか ったかの よ うな、お ぼ ろげな照 明 とソフ ト・ フォー カ スに よつて撮 られ た、軟調 の画面 にな って い る。 あ るい は 、最初 の出会 いの場 面以外 にお いて も、『 武器 よ さ らば』にお け る、 病 室 で の密 や か な結婚 式 の場 面 (図

1)や

、ふ たたび戦地 に赴 か な けれ ばな ら な くな った米兵 と従 軍看護 婦 の別 れ の場 面 (図 2)、 最 後 の女性 との死 に別 れ の場 面 (図 3)、 『 哀愁 』にお け る 「オール ド0ラ ング・ サイ ン」19にのせ た 、 閉店 間際 の レス トランで の ダ ンス場 面 (図

4)、

『 避 遁 』 にお け る、小 さな礼 拝 室 で の祈 りの場 面 (図 5)、 な ど、登場 人物 の感 情 が盛 り上が るよ うな場 面 で は、表 情や 時 には画 面全 体が、同様 に ソフ ト0フ ォー カスに よつて捉 え られ て い る。 また 、『 ア ンナ・カ レー ニナ』で青年 将校 ウロンスキーが人妻 ア ンナ に告 白 す る雪夜 の停 車場 の場 面 で は、降 りしき る雪 の映像 が ソフ ト・ フォー カスで撮 られ た ア ンナ の表 情 の上 にオーバー・ ラ ップで重 ね られ 、お ぼ ろげ さが よ り強 調 され た 映像 になって い る (図 6)。 この よ うな 、俳優 の顔 や画 面全 体 が、ぼ んや りと浮 かび 上が るよ うな映像 は、特 に戦前 のモ ノクロ映画 にお いて頻繁 に 見 られ る ものだが、そ の撮 影技術 に よるあか らさまな画 面 の加 工 は、当然 の こ となが ら、普通 に撮 られ た映像 とは異 な り、独 特 の効果 を見 る もの に与 え る。 そ の効 果 とは、あ る種 の神 秘 的 な雰 囲気 で あ り、崇 高 な精神 世界 の存在 の印

(23)

象 で あ る。メ ロ ドラマ 映 画 にお い て愛 の場 面 を この よ うな映 像 で捉 え る とい う こ とは 、 純 粋 に精 神 的 で真 会Jな もの で あ るべ き メ ロ ドラマ 映 画 にお け る愛 を、 結 婚 とい う儀 式 に代 表 され る神 聖 さや 神 秘 性 に よ っ て保 証 す る とい うこ とで あ る。つ ま り、愛 す る者 の表 情 は 、神 秘 的 な雰 囲 気 を持 つ ソフ ト・ フ ォー カ ス に よ って 、神 へ の祈 りと同等 で あ る こ とが表 明 され 、視 覚 的 に愛 とい う目に見 え な い感 情 の存 在 とそ の正 当性 を表 現 す るの で あ る。 デ ィー プ・ フ ォ ー カ ス に よ る映像 は それ よ りも もつ とダイ レク トに感 情 が表 現 され て い る。 そ の場 面 の大 部 分 が深 焦 点 レン ズ で撮 られ た とい う20『風 と共 に散 る』 の 冒 頭 場 面 を例 に とって み よ う。そ の 冒頭 場 面 で は 、ク レジ ッ トタイ トル に重 ね 合 わ され な が ら、深 夜 、ア メ リカ郊 外 の 工業都 市 を酒 瓶 片 手 に 自動 車 で暴 走す る 若 い 男 (ロ バ ー ト・ス タ ック)と 、あ る大 邸 宅 で彼 を待 つ

3人

の男 女 (ロ ック・ ハ ドソン、 ロー レン・ バ コール 、 ドロ シー・ マ ロー ンが それ ぞれ 演 じる

)の

姿 とが 並 行 的 に描 か れ るの だ が 、 どの よ うな映 像 で構 成 され て い るで あ ろ うか。 まず 、夜 の場 面 が露 出調 整 に よつ て 日中 に撮 られ て い る擬 似 夜 景 、い わ ゆ る ツ ブ シ、 ア メ リカ の夜 (デイ 0フ ォー

0ナ

イ ト

)21で

ぁ る こ とで 、夜 空 が 明 晰 な 青 空 と して は っ き り と映 つ て い る (図 7)。 ま た 、暴 走 す る車 中の後 方 、背 景 の 映 像 が 、 ス ク リー ン・ プ ロセ ス に よ る あ か ら さま な合 成 で あ る (図

8)。

つ づ い て 、大 邸 宅 にお い て は この 映 画 の 主 要 人 物 た る

4人

の 男 女 が 次 々 とク レ ジ ッ トと と もに紹 介 され るの だ が 、例 えば そ の うち にひ と りで あ る ドロ シー 0 マ ロー ン演 じる妙 齢 の女性 が 、暴 走 して いた 車 を運 転 して い た男 性 が壁 に打 ち 付 け た酒 瓶 の 音 に驚 き、何 事 か と窓 辺 に走 り寄 る の だ が 、そ の 際 の 照 明 の具 合 が き わ め て 陰 影 の濃 い 、明 暗 の は つ き り した 映 像 に な つて い る (図 9)。 さ ら に 、 ロバ ー ト・ ス タ ック演 じる男 が邸 宅 に入 つて く る際 に 、大 量 の落 ち葉 が風 に 吹 か れ て 入 り込 ん で くる (図

10)。

これ らが す べ て テ クニ カ ラー で かつ 深 焦 点 レン ズ に よ るデ ィー プ ・ フ ォー カ ス に よ つ て捉 え られ て お り、 そ の結 果 、 この 一 連 の場 面 の映 像 は 色 彩 が 極 端 に強 調 され 、隅 々 ま で 映 し込 ん だ 映 像 は 明

(24)

晰 す ぎ る く らい で あ り、極 彩 色 で ギ ラ ギ ラ と した 、息 苦 しい圧 迫 感 、閉塞 感 で 満 た され て い る。 この よ うな映 像 は ソフ ト・ フ ォー カ ス の そ れ とは こ とご と く対 照 的 で あ る。 そ の要 因 と して は 、 この よ うな場 面 の多 くが 、す で に カ ラー 時代 に入 つた戦 後 の

1950年

代 に撮 られ た とい うこ と もあ るの だ ろ うが 、 いず れ にせ よ、 そ の 映 像 的 な過 剰 さは 、映 画 全 体 に ど こか切 羽 詰 ま った よ うな雰 囲気 や 、突 き放 した よ うな感 じを与 えて お り、 同時 に ま た 、 ひ ど く様 式 的 で 審 美 的 に誇 張 され た 、 ほ とん ど戯 画 的 と言 つて よい よ うな空 気 を と もな つて もい る。『 風 と共 に散 る』 にお い て は 、 それ は 、 上流 階級 の人 々 の行 き詰 ま つ た愛 を表 現 して い る。 こ の 時 期 の メ ロ ドラマ 映 画 が 家 庭 内 部 の様 々 な トラブル に さ ら され る愛 を そ の 主題 と して 主 に扱 っ た 、フ ァ ミ リー・ メ ロ ドラマ と呼 ばれ る もの で あ る こ とは 良 く指 摘 され て い る こ とで は あ るが 、そ の よ うな愛 の不 安 定 さが 、デ ィー プ・フ ォー カ ス の 映 像 に よつて 、しば しば誇 張 と言 つて もい い ほ どに強 調 され 、 具 体 的 か つ 直載 的 に示 され て い るの で あ る。 この よ うに、メ ロ ドラマ 映 画 にお い て愛 とい う不 可視 の もの は映像 的 に は ソ フ ト・ フォ ー カ スや デ ィー プ 0フ ォー カ ス に よつ て視 覚 化 され よ うとす るの だ が 、それ らは神 秘 的 な雰 囲気 にせ よ過 度 に様 式 的 で戯 画 的 な雰 囲気 にせ よ、い ず れ と も き わ め て 非 現 実 的 な表 現 と して画 面 に表 され て い る。ま た 、先 に述 ベ た 身 体 的 表 現 にお い て もそれ は非 現 実 的 で あ る と言 え るだ ろ う。愛 の た め に死 ぬ こ とは も とよ り、愛 に よつて 死 ぬ よ うな身 体 が 実 際 に あ りえな い こ とな どは 、 考 え て み な くて もわ か る こ とで あ る。 つ ま り、メ ロ ドラマ 映 画 にお け る不 可視 の もの の現 前化 、視 覚 化 の試 み の成 功 は 、 この よ うな非 現 実 的 な空 間 、時 間 の演 出 が 、 ど こ まで もつ と も ら しくで き るか 、 ま た 、 メ ロ ドラマ と呼 ばれ る多 くの 映 画 にお い て ど こま で 一 般 化 し、 定 型 化 で き るか 、 とい うこ とにか か って い るの で あ る。 メ ロ ドラマ 映 画 が そ の 表 現 の 多 少 の差 こそ あれ 、形 式 的 に は画 一 的 で類 型 的 な 印象 を与 えて しま うの は そ の た め な の で あ るが 、 とにか く、メ ロ ドラマ 映 画 は愛 とい う目に見 えな い

(25)

不 可 視 の もの で あ る とい う意 味 にお い て は現 実 的 で は な い抽 象 的感 情 を、非 現 実 的 な身 体 や 映 像 を視 覚 的 に見 せ る こ とに よ つ て 、あ た か もそ れ が 見 え るか の よ うにす る こ とを、 目指 して い るの で あ る。 そ の意 味 にお い て は 、メ ロ ドラマ 映 画 ほ ど、 い わ ゆ る リア リズ ム か ら遠 い 映 画 も な い だ ろ う。 宙。 ア メ リカ の メ ロ ドラマ 映 画 にお け る音 楽 の重 要 性 これ 以 外 に 、聴 覚 的 表 現 と して メ ロ ドラマ 映 画 にお け る音 楽 の 重 要 性 、そ の 過 剰 な使 用 も指 摘 して お か ね ば な らな い で あ ろ う。最 初 に確 認 した よ うに メ ロ ドラマ の 語 源 の ひ とつ で あ る 「メ ロス 」 とい う語 は音 楽 、メ ロデ ィ を意 味す る 言 葉 で あ る。だ か らメ ロ ドラマ は 、そ もそ も本 来 的 に音 楽 が そ の様 式 の 主 要 な 部 分 を 占 め て い る もの で あ つた 。映 画 と して の メ ロ ドラマ にお い て も、それ は 引 き継 が れ て い る。特 に トー キー 以 後 、メ ロ ドラマ 映 画 と音 楽 とは密 接 に結 び つ い て お り、 それ は決 して切 り離 して 考 え る こ とが で きな い もの で あ る。 例 えば 、オペ ラの映画化 で あ る『 ラ・ ボエー ム』は、ア メ リカで で はないが トー キー 時代 に

2度 (1935年

1944年

)に

わ た つて リメイ ク され 、『 椿姫』 で は ヴェル デ ィのオペ ラにお け る有名 なア リア 「ああ、そ はか の人 か」の メロ デ ィがテ ー マ 曲 と して繰 り返 し使 用 され て い る。 また、『 武器 よ さらば』での女性 の死 の場 面では、 リヒャル ト0ワ ー ダナー の楽劇『 トリス タン とイ ゾルデ』 の 「愛 の死」が、使用 され てい る。 この 「愛 の死 」は、ワー ダナー の楽劇 にお いて も、 トリス タンの死 に直面 したイ ゾルデ の嘆 きの場 面で流れ る音楽 で あ り、そ の劇 的 さはそれ 自体 が単独 で演奏 され る ほ どの もので あ り、そ の使 用 は、否 が応 で も見 る ものの感 情 を過 度 に昂 ぶ らせ る効 果 を発 揮 してい る。 あ るい は、『 哀愁 』で は女性 主 人公 が劇 中で ピ ョー ト ル・ イ リイ チ 0チャイ コフス キー のバ レエ『 白鳥 の湖』のバ ック・ ダ ンサー を 務 め るバ レ リーナ とい う設 定 か ら、同バ レエ のテーマ 曲 とで も言 うべ き「情景 」 が 、様 々な ア レンジで繰 り返 し使 用 され て い る。『 哀愁』は先 に もあげた閉店

(26)

す る レス トランでの ダ ンス場面 で流 れ る 「オール ド・ ラング 0サ イ ン」が有名 で あ るが 、映画全編 を通 して 主 に使 用 され るの は この 「情景 」で あ り、『 武器 よ さ らば』と同様 に女性 の死 とい うクライマ ックス を盛 り上 げ るの もこの曲で あ る。 この よ うに、メロ ドラマ映画 で は、その クライマ ックスが、オー ケ ス トラに よる過剰 に劇 的 な劇 伴 音楽 に よつて盛 り上 げ られ るので あ る。 さ らに、『 風 と共 に散 る』や『 慕情 』

(1955年

、監督

=ヘ

ン リー・キ ング)、 『 間奏 曲』

(1956年

、監督

=ダ

グラス0サー ク)、 『 悲 しみ は空 の彼 方 に』

(1959年

、監督

=ダ

グラス・サー ク)、 『 め ぐ り逢 い』

(1957年

、監督

=レ

オ・マ ッケ リー

)な

ど、多 くの メ ロ ドラマ映画 が そ の タイ トル バ ックに映画 と 同名 の主題 歌 を流 して い る点 もメ ロ ドラマ映画 の特徴 で あ る と言 え る。そ して また 、『 ア メ リカ交響楽』

(1945年

、監督

=ア

ー ヴィング・ ラバー

)や

『 愛 情物語 』

(1956年

、監督

=ジ

ョー ジ・ シ ドニー

)な

どの音楽 そ の ものが物語 の 中心 にあ るよ うな映画 の存在 もまた考慮す る必要 が あ るだ ろ う。 前 。 日本 の メ ロ ドラマ 映 画 と主題 歌 こ うい つ た 音 楽 の重 要 性 は 日本 映 画 にお け るメ ロ ドラマ で も同様 で あ る。 例 えば『 愛 染 か つ ら』

(1938年

1939年

、監督

=野

村 浩 将

)や

『 君 の名 は』

(1953年

1954年

、監 督

=大

庭 秀 雄

)は

、そ の 主題 歌 を抜 き に して は語 る こ とが で き な い。 と りわ け 、『 愛 染 か つ ら』 の 主題 歌 で あ る 「旅 の 夜風 」 (1938 年 、西 条 八 十 作 詞 、 万城 日正 作 曲

)は

120万

枚 もの レ コー ド売 り上 げ を記 録 して い る。 この売 り上 げ は現 在 にお い て も 「ミ リオ ンセ ラー 」 と呼 ばれ 、大 ヒ ッ トの指 標 とな る数 字 を超 えて お り、 当時 の レ コー ドお よび 再 生 機 (蓄音 機) の普 及 の度 合 い を考 え る と、驚 異 的 な記 録 で あ る と言 え る。西 条 八 十 に よ る「花 も嵐 もふ み こ え て … … 」の詞 と、万城 日正 に よ る メ ロデ ィは 時 代 を超 え て広 く 大 衆 に浸 透 し、 こ とに よ る と映 像 よ りも強 く観 客 の記 憶 に残 る も の で あ つ た。

(27)

観 客 は『 愛 染 かつ ら』 を思 い起 こす とき、映 像 も もち ろん で あ るが 、それ と同 日寺に (む しろ映 像 よ りも先 に)、 映 画 の音 楽 、 主題 歌 の メ ロデ ィ と歌 詞 、 を ま ず は頭 の 中 に鳴 り響 かせ るの で あ る。 『 君 の名 は』 の 主題 歌 「君 の名 は」

(1952年

、 菊 田一 夫 作 詞 、 古 関裕 而 作 曲

)も

『 愛 染 か つ ら』と同様 に 強 い 印 象 を見 る もの に 与 え る。「君 の名 は、と、 尋 ね し人 あ り… … 」で は じま る この 歌 は 、も と も とは原 作 で あ る ラ ジオ ドラマ の 主題 歌 で あ つ た。言 うまで もな く、ラ ジオ ドラマ は聴 覚 に よ る聴 取 しか で き な い た め 、そ の メ ロデ ィは聴 衆 の 耳 を 引 く もの で あ るほ うが よい。古 関裕 而 に よ る 「君 の名 は」の旋 律 は 、きわ め て抒 情 的 で そ の要 件 を充 分 に満 た して い る と言 え るだ ろ う。そ の 主題 歌 が 映 像 を伴 っ た 映 画 に も採 用 され た の で あ るの だ か ら、そ の効 果 は いや 増 して い る。 さ らに 、映 画『 君 の名 は』 に は 、 この主題 歌 の他 に 「忘 れ 得 ぬ 人 」 、 「数 寄屋 橋 エ レジー 」 な ど数 曲 の挿 入 歌 が あ り (す べ て 、菊 田一 夫 作詞 、古 関裕 而作 曲)、 な か に は 出演者 の佐 田啓 二や 淡 島 千 景 が 歌 うもの ま で あ っ た。 これ らの 歌 を聞 き な が ら、映 像 を見 る こ とで 、観 客 は 氏 家 真 知 子 と後 宮 春 樹 のす れ 違 い の物 語 に耽 溺 した の で あ る。 この『 愛 染 か つ ら』 や『 君 の名 は』 以 外 の作 品 、例 え ば『 人妻 椿 』 (1935 年 、監 督

=小

島政 二郎

)な

どで も、主題 歌 は映 画 を盛 り上 げ る重 要 な要 素 と し て あ っ た 。 この よ うに多 くの メ ロ ドラマ 映 画 にお い て は 、映 像 と音 楽 (主題 歌

)は

切 り 離 しが た い もの で あ り、そ こで は 、映 像 と音 楽 とが 一 体 とな つて 、物 語 の劇 的 さを過 剰 な ま で に高 めて い くの で あ る。 価

.歌

謡 映 画 と メ ロ ドラマ ま た 、主 題 歌 と メ ロ ドラ マ 映 画 の 関 係 を考 え る うえ で 、歌 謡 映 画 と呼 ば れ る 映 画 を 無 視 す る こ とは で き な い で あ ろ う。歌 謡 曲 や 流 行 歌 の メ ロデ ィや 歌 詞 を モ チ ー フ とす る 映 画 で あ る 歌 謡 映 画22は、 日本 で は 人 気 が あ り、 特 に 戦 後 の

(28)

1940代

後 半 か ら

1960年

代 にか けて 、松 竹 や 新 東 宝 、 日活 で 盛 ん に製 作 され て い る。 む ろん 、流 行 歌 を題 材 とす るの で あ るか ら、そ の 内容 は様 々 で あ り、 コ メデ ィや 青 春 映 画 、時 代 劇 、 とジ ャ ンル は 多 岐 に わ た る。歌謡 映 画 のす べ て が メ ロ ドラマ で あ る とい うこ とは 決 して な い 。 しか し、モ チ ー フ とす る歌 が 、男 女 の 出会 い と別 れ 、恋 愛 を歌 つ た よ うな もの で あ る場 合 、あ るい は 、つ らい 人 生 に堪 え忍 ぶ 女 性 の 苦 悩 を歌 つ た よ うな もの で あ る場 合 、そ の歌 謡 映 画 は 限 り な くメ ロ ドラマ に近 付 い て い く。 例 え ば近 江 俊 郎 の ヒ ッ ト曲 「湯 の町 夜 曲」

(1949年

、 野 村 俊 夫 作 詞 、 古 賀 政 男 作 曲

)を

題 材 と した『 湯 の 町 夜 曲 月 出 の接 吻 』

(1950年

、監 督

=中

川 信 夫

)23は

、意 に沿 わ な い 結 婚 か ら逃 れ 、将 来 を約 束 した 恋 人 の も とへ 行 くた め に 、勘 当同然 に家 を飛 び 出 した 女 性 が 、恋 人 とのす れ 違 い の な か で 、キ ャバ レ ー の 女 給 や 看 護 婦 へ とそ の身 をや つ して い く、人 生 の流 転 を描 い た 作 品 で あ る。 そ の あ ま りに も ご都 合 主 義 的 な 展 開や 強 い感 傷 性 、主 人 公 を邪 魔 す る明 白な悪 役 の 存 在 、な どを考 え る と、この 映 画 は典 型 的 な メ ロ ドラマ で あ る と言 え るだ ろ う。 そ の よ うな物 語 が 、幾 度 も繰 り返 し挿 入 され る 「湯 の 町 エ レジー 」 と、 ク ライ マ ック ス で新 曲 と して 披 露 され る 「湯 の 町 夜 曲」24のメ ロデ ィに よつて 盛 り上 げ られ るの もま た 、 メ ロ ドラマ の特 徴 を示 して い る。 また 、 島耕 二 監督 の『 上海 帰 りの リル 』

(1952年

)は

、津 村 謙 に よ る同名 の ヒ ッ ト曲

(1951年

、東 条 寿 二 郎 作 詞 、渡 久 地 政 信 作 曲

)を

題 材 と して い る が 、 この映 画 で も音 楽 に よ つて 映 画 は よ りそ の劇 的 さを増 して い る。 まず 、 こ の 映 画 は 、 ク レジ ッ トタイ トル の背 景 が 主題 歌 「上海 帰 りの リル 」の楽 譜 で あ る とい う特 徴 的 な もの で あ り (図

11)、

そ の楽 譜 に書 か れ た メ ロデ イがバ ッ ク に流 れ る の で あ るか ら、否 が応 に も観 客 は 強 い 印 象 をそ の タイ トル バ ック と そ こに流 れ る音 楽 か ら受 け る。ク レジ ッ トに続 く映 画 の 導 入 部 で も主題 歌 は 強 調 され て い る。 この 映 画 は 、 上海 の キ ャバ レー か らは じま るの だ が 、 そ こで 、 主題 歌 が 中国語 の 歌 唱 に よ つて 歌 われ 、 しか も、中国 語 の歌 詞 が 字 幕 と して 提 示 され る (図

12)。

も ち ろん 、 中国 語 を よ く解 さな い 多 くの一 般 的 観 客 に と

(29)

っ て は 、この字 幕 タイ トル は歌 詞 の 内容 をわ か らせ る とい う点 で は無 意 味 で あ る。 しか し、時 に後 景 か ら前 景 へ と近 づ くよ うに そ の 文 字 の大 き さを変 え る 中 国 語 の 字 幕 は 、見 る もの に 奇 異 な感 覚 を抱 かせ 、強 い イ ンパ ク トを 与 え る。 し ば ら くす る と、画 面 はデ ィ ゾル ブ で 横 浜 の キ ャバ レー ヘ とか わ り、中国語 で 歌 わ れ て い た 「上 海 帰 りの リル 」 も 日本 語 で の 歌 唱 に か わ つ て い く。 そ して 、 タ ク トを振 る音 楽 家 の ナ レー シ ョンに導 かれ 、 「上海 帰 りの リル 」 とい う曲 が な ぜ 生 ま れ た の か 、そ の 歌 の タイ トル に あ る リル を め ぐる物 語 が 、主 人 公 の友 人 で あ る彼 の 回想 と して は じま つ て い くの で あ る。 つ ま り、 「上海 帰 りの リル 」 とい う歌 は 、 この映 画 に とつて 、単 な る

BGMを

超 え た 、物 語 の 本 筋 そ の もの で あ る、 とい うこ とが この 導 入 部 で は強 調 され て い るの で あ る。 さ らに 、映 画 の 中盤 、上海 で の 思 い 出 を も とに音 楽 家 が 作 詞 作 曲 した 「上海 帰 りの リル 」の 楽 譜 を見 た 主 人 公 が歩 道 を歩 き な が ら リル との 思 い 出 を回想 す た ちの 様 子 、な どが 何 度 もオ ー バ ー ヨラ ップ‐で重 ね 台 看‐Dせ られ (図

13)、

ま た そ こに 「上海 帰 りの リル 」が 流 れ る こ とで 、主 人公 の リル ヘ の強 い 思 い が 強 調 され る 、 きわ め て過 剰 な演 出 とな っ て い る。 そ して 、 こ こで も また 、そ の よ うな感 情 の 高 ま りを導 くの は 「上海 帰 りの リル 」 とい う楽 曲 で あ り、それ を盛 り上 げ る の もま たバ ック に流 れ る 「上 海 帰 りの リル 」 の メ ロデ ィな の で あ る。 この よ うに映 画『 上海 帰 りの リル 』 は 、音 楽 (メ ロデ ィ

)が

他 の 作 品 に比 ベ て も、物 語 (ドラマ

)と

強 く結 び つ い て お り、か つ そ れ が 過 剰 さ を もつて 強 調 され て い る、とい う点 で き わ め て メ ロ ドラマ 的 要 素 の 強 い 映 画 で あ る と言 え る だ ろ う。 以 上 の よ うに 、メ ロ ドラマ 映 画 に お い て は音 楽 が き わ めて 重 要 で あ る。そ れ は 時 に映 像 よ りも前 面 に 出 て く る ほ どで あ り、 と同 時 に 、映 像 と切 り離 しが た く密 接 に結 び つ く。そ れ とい うの もや は り、メ ロ ドラ マ 映 画 が愛 情 に代 表 され る よ うな 不 可 視 の もの を現 前 化 しよ うとす るか らで あ る。これ ま で み て きた よ うに メ ロ ドラマ 映 画 は様 々 に過 剰 な映 像 技 法 を用 い る こ とで 、登 場 人物 の感 情 、

図 7 r深夜の 工業地帯J (疑似夜景) 『風と共 iこ散る~ (1956 年) 図 9 r窓辺 に走 り 寄 る 女性j 『風と共に散る~ (1956 年) 図 1 1 r譜面 を背景 と す る タ イ ト ルj 『上海帰りのリノレ~ (1952 年) 図 7 r深夜の 工業地帯J (疑似夜景) 『風と共に散る~ (1956 年) 理勝 帯畠 〆 ‘ ,¥、、 図 8 r暴走す る 男 J (スクリーン・プロセス)『風と共に散る~(1956 年)図 l O r入室す る 男 と 風 に舞 う 務 ち葉
図 1 3 r歎 に のせて の 回想、j f上海帰 り の リ ノレ~ (1952 年〉 図 1 5 r橋上での 回想、。 若 き 日 の ロ イ j 『哀愁~ (1940 年) 図 1 4 r橋上での回想。 年老 い た ロ イ j『哀愁~(1940 年)図 16r 出会い。男 に よ る 見初 め①j『また逢う日まで..11(1950 年)
図 1 9 r 出会 い。 男 に よ る 見初 め④j 『また逢う日まで~ (1950 年) 図 2 1 r 出会い。 男 に よ る 見初 め⑥j 『また逢う日まで~ (1950 年) 図 1 9 r 出会 い。 男 に よ る 見初 め④j 『また逢う日まで~ (1950 年) 図 2 0 r 出会い。 男 に よ る 見初 め⑤j『また逢う日までJ](1950 年)図 22r硝子越 し の接吻①jf ま た逢 う 日 ま で~(1950 年)図 20r 出会い。 男 に よ る 見初 め③j『また逢
図 2 5 r硝子越 し の接吻④j 『また逢う日まで~ (1950 年) 図 2 7 r硝子越 し の接吻⑥j r ま た逢 う 日 ま で~ (1950 年) 図 2 6 r硝子越 し の接吻⑤jf ま た逢 う 日 ま で~ (1950 年)図 28r硝子越 し の接吻⑦j『また逢う日まで~ (1950 年)
+5

参照

関連したドキュメント

以上,日本の満洲経営の縮図ともいえる,豊 満発電所の建設と戦後の歴史変遷を考察してき

調査資料として映画『ハリー・ポッター」シリーズの全7作を初期、中期、後期に分け、各時

−104−..

脚本した映画『0.5 ミリ』が 2014 年公開。第 39 回報知映画賞作品賞、第 69 回毎日映画コンクー ル脚本賞、第 36 回ヨコハマ映画祭監督賞、第 24

昨年の2016年を代表する日本映画には、新海誠監督作品『君の名は。」と庵野秀明監督作品『シ

 映画「Time Sick」は主人公の高校生ら が、子どものころに比べ、時間があっという間

[r]

[r]