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カントのコペルニクス的転回について

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Academic year: 2021

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(1)カ ン トの コペ ル ニ クス 的転 回 につ い て. 菫. 香. 序 カ ン トの所謂 コペルニ クス的転 回 と言 われ る形 而上 学 にお け る思考法 の 革 命 は,従 来 カ ン トの形 而上 学を どの よ うに捉 え るか によ って様 々に解 釈 され て きた。我 が 国 で は高坂 正 顕博士 以来 ,カ ン トの形 而上 学 にお ける思考 法 の 革命 を「 自然 科学 にお け る実 験 的方法 の形 而上 学へ の 導入 」 と解す る立 場 が 一 つの有力 な見解 にな って い る。 この小論 で は,こ の従来 の見解 が 吟味 され. ,. あ らため て カ ン トの コペルニ クス 的転 回 の本質 が考 察 され る。. 『 純粋理性批判』 ・第二版 (1787)の 序文 において,カ ン トは次のよ うな 脈絡の中で 自己の形而上学 にお ける思考法 の革命を語 っている。 形而上学の現状を見 るに,そ こにおいては人 々は互いに言い争 い,常 に行 き詰 まり,学 として確実な道を辿 るに至 っていない。形而上学 はまさに暗中 模索 の状態 にある。 そこで , ある幸運な着想に基 づいて思考法 の革命 die. RevolutiOn der Denkartを 成 し遂 げ, 学 として確実な道を辿 るに至 った 「 純粋理性批判』につ いては慣例に従い,第 一版を A, 第二版を B, と略 してその原版 の頁を示す ことにす る。また, カ ン トのその他の著作 に関 しては, ア カデ ミ版 (Kants Gesammelte Schriften,Akademie Ausgabe)の 巻数と頁数を以. 1)BXV。. って示す ことにする。.

(2) カ ン トの コペルニ クス的転回につ いて. ゴ2イ. 数学 と物理 学 のその 革命 の本質 を熟考 し,同 じ理性認識 で あ る形而上学 に も 類 比 の 許 され る限 りその思 考法 の 革命 を導入す ることによ って ,形 而上 学を 学 と しての確実 な道 へ 導 きた い と考 え,カ ン トは所 謂 コペルニ クス的転 回 と 言 われ る形而上 学 にお け る思考法 の 革命を提唱す るに至 った と。 我 々は この小論 で カ ン トの この思考法 の 革命 の本質 を問 う こ とにな るので あ るが,ま ず考察 の手掛 りと して ,カ ン トが語 る数学,物 理 学 ,形 而上 学 に お け るそれぞれの思考法 の 革命 を 略述す ることか ら始 め よ う。 数学 が 学 と しての道 を辿 るに至 った「幸運 な着 想」. (BXI)は ,あ る人 が. 二 等辺 三 角形 の論証 を行 うに際 し,「 彼が図形 において 見 た もの あ るいは ま た 図形 の単 な る概念 を深 ぐり,謂 ばそれか ら図形 の諸性質 を学 び取 るので は な く,彼 が 自 ら概念 に従 って ア ・ プ リオ リに考 え入 れ (構 成 によ って )描 出 した もの を通 して 図形 の 諸性質 を産 出 しな けれ ばな らない」 (BXI― XII)と 気付 いた ことに基 づ く。 つ ま り,「 何 もの かを確実 にア ・ プ リオ リに知 るた め には,彼 が 自己の概念 に従 って 自 ら事象 の 内 に 置 き入 れ た もの か ら必然的 に帰結 す るもの以 外 は何物 もその事象 に付加 して はな らな い」 (BXII)と 言 う点 に,数 学 にお け る思 考法 の 革命 の本質 が あ るので あ る。幾何 学 の証 明 に 際 して,我 々が その証 明 の根拠 と して 「図形 にお いて見 た もの」 を使用 して いない ことは,た とえ ば,黒 板 に描 かれた三 角形 が 常 に正 確 な三 角形 を表現 し得 ない とい う こと もさる こ となが ら,そ の 図形 が不正 確 で あろ うとも,数 学 者 に とって その三 角形 は三 角形 と して通用す るので あ り,そ の三 角形 におい て 数学者 は三 角形 の 諸性質 を正 し く示す こ とがで きる,と 言 う事実 によ って 窺 い 知 る こ とが で きる。 また 同様 に,我 々が 「図形 の単 な る概念」 か ら図形 の 諸性質 を学 び取 る こ とがで きな い こ とも,た とえ ば「 三 角形 の 内角 の和 は 二 直角 で あ る」 と言 う幾何学 の命 題 が単 な る矛盾律 によ って 説 明 し得 ない と 言 う こ とか ら窺 い知れ る 。 なぜ な ら, 論 理 的 には, 主語 ・ 「 三 角形 」は相 異 な る三 つ の述語― (i)「 内角 の和 は二 直角 よ り大 で あ る」,(ii)「 内角 の和 は 二 直角 で あ る」,(iii)「 内角 の和 は二 直角 よ り小 で あ る」 一 を 同等 の権利を. 2) BX―. Xl。.

(3) │1 香 り 以 って付加 す ることがで き,主 語. 0「 三. 豊. ゴ25. 角形」 と述語 ・ 「 内角 の和 は二 直角 で. あ る」 とは論 理 必然 的 に結合 されて いないか らで あ る。数 学者 はそ の 幾何 学 的命題 の証 明 に際 し,ま ず「 三 角形 を構成 す ることか ら始 め る。彼 は一本 の 直線上 の一 点 か ら引かれ 得 るす べ ての接角 の和 が 常 に二 直角 にな ることを知 って い るので,そ の三 角形 の一 辺 を延長 し,二 直角 に等 しい二つの接角を手 に入 れ る。次 に彼 は三 角形 の対辺 に平行 な一 本 の直線 を 引 いて二つの接角 の 外 角 の方 を分 割す る。 そ うす ると,二 つ の 内角 の 内 の一 方 に等 しい一 つの外 接角が ここに生 じることがわ か る等 々。彼 は この よ うに して 常 に直観 に導か れ なが ら推論 の連鎖 を辿 り, この 問題 の 極め て 明 白な また同時 に普遍的 な解 決 に至 るので あ る」 (A716,B744)。 つ ま り, 我 々は幾何学 において,「 自 らの概念 に従 って ア ・ プ リオ リに考 え入 れ (構 成 によ って )描 出 した もの を 通 して 図形 の性質 を産 出」す るので あ る。上記 の幾何学 の例 に見 られ る「構 成 Konstruktion」 の方法 こそ数学 にお け る思 考法 の 革命 の本質 で あ り,数 学 にお ける「 置 き入 れ」 の方法 で あ る。 ところで,カ ン トは この「 置 き入 れ」 の方法 を物理学 において も見 い 出す。 「 経験的 な諸原理 に基 づ く限 りでの」. (BXI)物 理 学 を見 るに, その思 考. 法 の 革命 の本質 は,「 理 性 自身が 自然 の 内 に置 き入 れ た もの に従 って, 理 性 が 自然 か ら学 ばね ばな らい もの,そ して理性 が それ 自身 だけで はそれ につ い て 何事 も知 らないで あろ うよ うもない もの を ,自 然 の 内 に求 め る」(BXIII一. XV)と 言 う点 に あ る。 この よ うな革命 が可 能 にな ったのは,た とえ ば,「 ガ リレイが 自 ら選 んだあ る重 さの球 を斜面 に ころが り落 と し」 (BXII)た と き. ,. 彼 が次 の こ と, す なわ ち,「 理 性 は 自ら自己の企 画 に従 って産み 出 した もの の みを洞 察す ること,理 性 は恒常不変 な法 則 に従 う自己の判 断 の原 理 を もっ て 先導 し, 自己の 問 いに答 え るよ う自然を強制 しなけれ ばな らな い 。 …… 0な ぜ な ら,さ もなけれ ば予 め企 画 され たいか な る計 画 に も従 わ ないで 偶然的 に な され た諸観察 は,一 つの必然 的法則 において まとま り合 う ことが な く, し. 3)こ の「構成 」 の方 法 は代 数学 にお いて も同様 に見 い 出 され る。 Vgl.Go Martin; Inllnanuel Kant, Berlin 1969, S. 25。.

(4) ゴ26. カ ン トの コペルニ クス的転回につ いて. か も,理 性 が求 め必要 と して い るのはそ の よ うな必然的法則 で あ るか らで あ る。理性 は一方 の手 に,そ れ に従 ってのみ互 いに一 致す る現象が法則 と見 倣 され 得 るよ うな 自己の原 理 を持 ち,他 方 の手 に,理 性 が 自己の原 理 に従 って 考 え 出 した実 験 を携 えて,自 然 に向か って行 か なけれ ばな らな い 。 それ は も ちろん, 自然 か ら教 え られ るため で はあ るが ,先 生 が望む こ とを何 で も言 わ され る生 徒 の資格 においてで はな く,証 人 を して 自分 が 出 した質 問 に答 え る よ う強要す る正 式 の裁判官 の資格 においてで あ る」 (BXIII)と 言 うことに気 付 いたか らで あ る。 カ ン トは物 理 学 にお け る「 置 き入 れ」 の方法 を「 実験的 方法 Experimentalmethode」. (BXIH Anm.)と. も呼 ぶが , この方法 の特性. は次 の例 が雄 弁 に物 語 って い る。一 ガ リレイが ピサの斜塔 か らそれぞれ重 さ の違 う物体 を落下 させ た とき,そ れぞれ の物体 は絶対的 に 同時 にで はな く ,. 僅 かな時 間 の違 いを以 って地上 に達す る こ とが観察 され た。 ガ リレイに敵対 す る者達 はその観察事実 につ いて,物 体 はその 自然本性 に従 って運動す るも ので あ り,そ の 自然本性 によ り,重 い物体 は下方 へ ,軽 い物体 は上方 へ 運動 す る。軽 い物体 は上方 に運動 す るよ う努め るので あ るか ら,重 い物体 は軽 い 物体 よ り速 く落下 す ると,ア リス トテ レス ・ ス コ ラ的運 動論 を展 開 した。 し か し,ガ リレイはその同 じ観察事実 につ いて ,す べ ての物体 は等速度 で 落下 す るもの で あ り, 落下 の時間差 はそ の空 気 の 抵抗 に 起 因す ると 主張 した。 一す べ ての物体 が等速度 で 落下 す ると言 う ことを ,我 々は直接現象 において 観察す る ことが で きな い 。 それ は,た とえ経験 へ の考慮 を必要 とす るに して も,理 性 が 自 らの企 画 に従 って産み 出 した もので あ り,理 性 の本来 的行 為 に 属す る。 そ うして,実 験 において は,こ の法則 とそれか ら必然 的 に帰結 す る ものが 洞察 され る。近世 自然 科学 にお ける実験 は単 な る偶然 的 な諸観察 に支 え られ た物 につ いて の情 報収集 で はない。 それ は理性 の原 理 に基 づいて考案 され ,実 験 において は,観 察 を通 して見 られ た事実 に反 して す ら理 性 の企 画 の 内で 先 き取 りされ た物体 の本質規 定 が洞察 され る。 カ ン トは以上 のよ うに , 数学 と物 理 学 の思考法 の 革命 の本質 を 「 置 き入. 4)Vgl.M.Heidegger(1);Die Frage nach dem Ding, Tubigen 1962,S.69-70。.

(5) 香. 川. ゴ2/. れ」 の方法一数学 において は「構 成」 の方法 ,物 理 学 において は「 実験 的方 法」 と言われ た一 と規定 したの ち,そ の実 例 に倣 って形 而上学 にお け る思考 法 の 革命を次 の よ うに提唱す る。 「 これ まで人 は,我 々のす べ ての認識 は対 象 に従 わ なけれ ばな らな い,と 想定 した 。 しか しこ うした前 提 の もとで は,我 々の認識 が それ によ って拡張 され るよ うな何 ものか を:対 象 につ いて ア ・ プ リオ リに概念 によ って作 り出 そ うとす るす べ ての 試み は失敗 した 。 それ故,形 而上学 の課題 において,我 々が今度 は,対 象が我 々の認識 に従 わなけれ ばな らな い,と 想定す ることに よ って ,も っとよ く前進 しないか どうか 試 みてみ よ う。 この想定 は既 に,対 象が我 々に与 え られ る以 前 に対 象 につ いて 何 ものか を確定す べ きと ころの対 象 の ア ・ プ リオ リな認識 の望 み どお りの可能性 に一 層 よ く合致す る。 この こ とは コペルニ クスの最 初 の着想 と同 じ事情 にあ る。 コペルニ クス は,全 星 群 が観察者 の 周 りを回転 す ると想 定 したので は,天 体 の運 動 の 説明が うま くゆ か なか ったので,観 察 者を回転 させ ,逆 に星 を静止 させ たな ら,も っと うま くゆ くか ど うか試み たので あ る」 (BXVI)と 。 このよ うな思考法 の 革命 こそ カ ン トの所謂 コペルニ クス的転 回 と言 われ る もので あ るが,我 々は この コペルニ クス的転 回 と言 われ るカ ン トの思考法 の 本質 を問 うにあた り,次 の二つ の 問 い一. i)な ぜ カ ン トは 自 らの立場 を コペルニ クスの立場 に比 したのか,. カ ン トと. コペルニ クスの 間 に考 え られ る類比 の 問題 。 五)な ぜ カ ン トは数 学 と物 理 学 の思考法 の 革命 を 自 らの形而上学 にお け る思 考法 の革命 に比 したのか,数 学 ,物 理 学 ,形 而上学 の三 者 の 間 に考 え られ る思考 法 の 革命 の類比 の 問題 。 ―を軸 に して考察 を進 めてゆ くことに したい 。. カ ン トと コペルニ クスの場合―見 認識 と対 象 との関係 が逆 にな ってい るよ.

(6) ゴ28. カ ン トの コペルニ クス的転回につ いて. うで あ る。なぜ な ら,コ ペルニ クスの 場合 は観 察者 が星 の 周 りを回転す るの で あ るか ら,カ ン トの場合 とは逆 に認識 が対 象 に従 って い ると考 え られ て い るよ うに見 え るか らで あ る。 で は カ ン トと コペル ニ クス との間 にはいか な る 類 比 が考 え られ るので あろ うか。 た とえ ば, 高坂 正 顕博士 は,「 カ ン トは彼 によ る哲学 的方法 の変革を コペ ル ニ クスの天文学 上 のそ れ に擬 らえ た 。 天体 が地球 を巡 るので はな く , 地 球 が天体 に対 して運 動す るの で あ る。 その よ うに認 識 が対象 に従 うので はな く,対 象 が認識 に従 ひ,即 ち認識 が対象 に対 して受 動的 で はな く,却 って能 動 的 で あ り,運 動的 で あ ると想定 す る ことによ って,カ ン トは対 象 の 問題 を 解 決 せ ん と した… … 。所謂 コペル ニ ク ス的転 向 Kopernikanische Wendung の 名 の起 こる所以 で あ る」 とそ の 類 比 を説明 され る 。 この見解 によると. ,. 「 地球 が天体 に対 して運動す る」 ことと「 認識 が対象 に対 して運 動的 で あ る」 こととの間 にカ ン トと コペル ニ クスの類比 が成 立す ることにな るが , しか し. ,. の に 「 認識 が対 象 に対 して運動的 で あ る」 とは,上 記 引用文 続 く高坂博士 叙 述 の文 脈 か ら考 え ると,「 我 々は 自 ら物 に置 き入 れ た ものの みを,物 につ いて ア ・ プ リオ リに認識 す る」 (BXVIII)と 言 うカ ン トの形而上学 にお け る新 し い思考法 を指 して い ると考 え られ るので,こ の連 関か らす ると,む しろ コペ ル ニ クスが観察者 を回転 させ ,星 を静止 させ ると言 うこ とを初め て着想 した ペ ニ ス 場合 に,そ の着 想を可能 に した思考法 ,換 言すれ ば,コ ル ク が「 感性 に反 して はい るが真 な る仕方 で ,観 察 され た運 動を天 空 の諸対象 の 内 にで は な く,そ の観察 者 の 内に求 め」. (BXXAnm.)た. ことに, その両者 の類 比 を. 求 め るべ きで はなか ろ うか。. ば. も っともど こにその類 比が成立す るか は色 々見解 の あ ると ころで,た とえ ペ ー トンや ス ミスの見解 を支持 して岩 崎武雄博士 は ,「 コペル ニ クス は天. 体 の見 か け上 の運 動を地球 上 の観察者 の運 動 によ って説明 したので あ るが カ ン トもまた見 か け上対 象 の持 って い る性 質 を主観 の 働 きによ って説明 しょ ,. 1)高 坂正顕(1);「 カント」・高坂正顕著作集第二巻・理想社,77頁 。.

(7) 香. 川. 豊. ゴ29. うと した」 とその類比を説明 されて い る。「 天体 の見 か け上 の運 動」 にお い て ,ペ ー トンが 自 ら運動す ることのない恒 星 の見 か け上 の運 動 を予想 して い るよ うに,こ の場合 の天体 の運 動 は実 際 の天体 の運動 とは異 な る我 々に とっ ての現 われ と しての天体 の運動で あ る。 この よ うな運 動 は一 つ の仮象 と して 運 動す る地 球上 の観察者 に帰 せ られ るもの と考 え られ るが, しか し,カ ン ト の認 め るところによ ると, コペルニ クス は天 体 の見 か け上 の運 動を もた らす 感覚 的経験 に反 して す ら観察 され た天 体 の運 動 を正 しい仕 方 で その観察者 の 内 に求 めたので はなか ったか を 問題 にな って い るのは見か け上 の天体 の運 動 と我 々観察 者 との関係 で はない 。 また「 見 か け上対象 の持 って い る性 質」 に おいて も,ペ ー トンは物 自体 が空間的 ・時 間的 な ものでないのに我 々にその よ うに見 え ると言 う例を語 り,そ の見 か け上 の対 象 の性質 が我 々人 間精神 の 本性 に帰 せ られ るべ きもので あ ると解 して い るが,カ ン トの形 而上学 にお け る思考法 の革命 は対 象 のア ・ プ リオ リな認識 の可能性 に 関わ るもので あ り. ,. そ こで 問題 に され るのは,対 象 の見 か け上 の性質 と我 々主観 の 働 きとの 関係 と言 うよ りも,む しろ真 な る対 象 の在 り方 と我 々主観 の 働 きとの 関係 と言 え る。 上記 二 様 の見解 はいずれ も類 比成立 の場面 を取 り違 えて い る。 と ころで ,黒 積俊夫氏 は上記 二 様 の見解 を,カ ン トまたは コペル ニ クスの どち らか に 引 き寄 せ た上で 両 者 の類比を整合 的 に解 釈 しよ うとす るもので あ ると批判 され , 次 の よ うに その類比を説明 され る。す なわ ち,「 コペ ル ニ ク 岩 崎武雄. ;『 カ ン. ト「 純粋理性 批判」 の研究』 ・ 勁草書房 ,26頁 。. cf.Ho J.Paton;]Kant's Metaphysic Of Experience, New York 1965, p.75.. N.K.Smith;AL Colmmentary to Kant's Critique of Pure Reason,New York 1962, p. 24ff.. 3). H.Jo PatOn;ibid.. 4). BXXH Anm。. 5). H.J.PatOn:ibid。. 6). 黒積俊夫. 3頁 。. ;「. コペル ニ クス転 回」考・ 九 州大学教養部「 テオ リア」 第十九号 ,. 2∼.

(8) ゴ3θ. カ ン トの コペルニ クス的転回 につ いて. スにおいて は,一 見 常識 には反す るものの 地球を運 動 させ ,反 対 に太 陽 を静 止 させ た上で ,不 動 の太 陽 の立場 か らその 周 りを回転す る惑星 の運 動を眺 め た よ うに,カ ン トにおいて は,一 見常識 には反 す るものの認識 と対象 との 関 係 を逆転 させ ,対 象が認識 に従 わね ばな らぬ と考 え るとともに,対 象を動か す 自 らは動か ぬ 中心 (そ れが何か は未 だ不 明 で あ るが )の 立場 か ら対 象 の性 質 や関係 を眺 め る , とい う仕方 で 両者 の 間 に 類比 が成立 す るよ うに思 われ る。重要 なのは,常 識 に反 す る逆転 を試み るとい う ことだ けが「 コペル ニ ク ス的転 回」 の 内容 を成す ので はな く,そ の逆転 とともに, 自 らの 眺 め る立場 を転換 して ,不 動 の 中心 の立場 か ら対象を眺 めね ばな らぬ,と い うこの第 二 の点 が それの不可欠 の要 素を成 して い る ことで あ る。 ……「 立場 の転換」 と い う この要素を「 逆転 」 とい う要 素 と合 わせ て考 え る ことによ って 初 め て … …両者 の 類比 が成立 し得 ると考 え られ る。 しか し,そ れ で は形而上学 にお け るカ ン トの立場 の転換 とは何 を意味す るのか」 ,カ ン トの「批判前期 の,物 を神 的悟性 に対 す る物 と して把 え る立場 は即 ち物 自体 の認識 を物 の認識 と解 す る立場 で あ り, この立場 において は物 の客観 的認識 ,換 言すれ ば物 に関す る先天的認識 は端的 に不可能 で あ る,恰 も,地 球 の立場 か ら惑星 の運 動 の客 観 的認識 が不可能 で あ るよ うに。 そ して,惑 星 の運 動 の客観 的認識が太 陽 の 立場 において 初 めて可能 で あ るよ うに,物 (但 し,現 象 と しての物 )の 先天 的認識 は物 を人間悟性 に対 す る物 と して把 え る批判期 の立場 において 初 めて 可能 で あ る」 と。黒 積氏 は「 逆転」 と言 う要 素 に「 立場 の転換」 と言 う要素 を導入 され,カ ン トと コペ ル ニ クス との類比 を前記 二 様 の見解 よ りよ り整合 的 に解 釈 されて い るが , しか し, この場合 問題 に されて い るのはあ くまで そ れぞれ の「立場 の転換」 を可能 に した思考法 の 革命 の 間 の類比 で はなか った か。 コペ ル ニ クスにお ける地球 の立場 か ら太 陽 の立場 へ の転換 ,カ ン トの批 判前期 か ら批判期 へ の物 の把握 にお け る立場 の転 換 ,こ れ らの転換を可能 に した思考法 の 革命 の類比 こそい まカ ン トと コペ ル ニ クス との 間 で 問題 に され. 7)同 上,10-11頁 。 8)同 上,15頁 。.

(9) 香. り ││. ゴ3ゴ. て い る類比 なので あ る。黒 積氏 の見解 において は,カ ン トの思 考法 の 革命 と 類比 を以 って語 られ る コペルニ クスの立場 の転換 を可能 に した彼 の思考法 の 革命が その類比 の説 明 において 明確 に されて いないよ うに思 われ る。で は宇 宙全体 のプ トレマ イオス的表象か らコペルニ クス的表象 へ の転 回を可能 に し た思 考法 の 革命 とはいか な る もので あ ろ うか。 「全星群 が観 察 者 の周 りを回転す る」 と言 うプ トレマ イオス的表象 の 内 に は,ち ょうど物体 の運 動 の規定 を経験か ら出発 し物体 の 自然本性 の 内 に求 め るア リス トテ レス 0ス コ ラ的運動論 にお け るよ うに,経 験 に即 しなが らも対 象か ら対象 の本質 的規定 を 汲み取 ると 言 う思 惟 の 根本 的態度 が 支配 して い る。 しか しこれ に対 し,「 観察 者を 回転 させ , 反対 に星 を静止 させ る」 と言 う コペルニ クス的表象 の 内 には,対 象 の本質 的規定 を「 天空 の諸対象 の 内に で はな く,そ の観察者 の 内 に求 め る」 と言 う思惟 の新 しい態 度 が生起 して い る。前者 は対象 の本質 的規定 を対象か ら汲み取 ることにおいて,自 然 科学的 表象 を通 してで はあ るが,「 認識が対象 に従 う」 と言 う立場 を表 明 して お り. ,. これ に対 して 後者が ,同 じく自然 科学的表象を通 して「 認識 に対象が従 う」 と言 う立場 を表 明 して い ると見 倣 され るな らば,我 々はそれぞれ立 場 の転換 を可能 に した思 考法 の革命 において カ ン トと コペルニ クス との類比 を整 合 的 に説 明 し得 ることにな る。 で は コペルニ クス的表象を支配 して い る思 惟 の根 本 的態度 とはいか な る もので あろ うか。 ガ リ レイは『 新 科学対話 』 において,「 若 し任意 の物体 が 何等か の摩 擦 な しに,水 平面 に沿 うて拗 げ られ た もの と<想 定 mente concipio>す れ ば. ,. 以上 に於 て 十分説 明 した こ とか ら, この物体 は 同 じ平面 に沿 ひ この平面が無 限 で あれ ば,等 速 ,か つ 永久 に運 動を継 続 す ることが 知 られ る」 と語 るが. ,. ハ イデ ッガ ーは 引用文 中 の「精神 に お いて 想定 す ること mente cOncipere」 をおおよそ次 のよ うに解釈 して い る:す なわ ち,そ の想定す ることにおいて. 9)ガ リレオ・ ガ リレイ著 0今 野武雄, 日田節次訳 ;『 新科学対話』・下巻・ 岩波文庫 154頁 。なお,引 用文中の< >の 中は筆者による挿入である。以下筆者による引用 文 中の挿入は同様に して示す ことにす る。. ,.

(10) ゴ32. カ ン トの コペルニ クス的転回について. は,あ る根本見取 図 の 内で 物体 の す べ ての規定 を予示す る ことを可能 な らし め るよ うな,物 体 の本質 (物 体性 )の 先取 的認識 の公 理 的企 投が考 え られ て い る。 その企 投 によ って 物体 は時間 ・空間的 に相連 関す る質点 の運 動連 関 と して 統 一 的 に表象 され る。 自然 はそ の企投 に基 づ く根本見取 図 の 内で一 様 な 時間 0空 間的運動連 関を もった領域 と して限界付 け られ,物 体 はそ の領域 の 内 に組 み込 まれ ,支 え られ て ,初 めて物体 で あ り得 る ことにな る。 自然 科学 にお け る物体 とは まさに この よ うな領域 の 内で 自 らを示す もので あ り,そ れ らが いか に 自 らを示す か は根本見取 図 の 内 に予示 され,根 本見 取 図 を通 して その 自 らを示す ものの受 け取 り方 ,探 知す る仕方 が規定 され る。 そ して この 探 知す る仕方 こそ実験 で あ ると。 ハ イデ ッガーは,そ れを通 してす べ ての 自然事象 が眺 め られ る根本見取 図 を予 め企 図す るよ うな思惟 の 働 き (公 理 的企投 )を ガ リレイの「 精神 におい て想 定す る こと」 の 内 に見 い 出 して い る。近世 の 自然 科学 を支 え て い る この よ うな思惟 の態 度 は,近 世 の 自然 科学 的思惟 の 根本 的態度 と して コペル ニ ク ス的表象 の 内 に も働 いて いな けれ ばな らな い 。「真 な る仕方 で , 観察 された 運 動を天体 の諸対象 の 内 にで はな く,そ の観察者 の 内 に求 め る」 コペ ル ニ ク スの場合 も,「 観察者 の 内 に求 め る」 と言 うその思 惟 の態 度 において公理 的 企 投 の存在 を告 知 して い る。 そ うす ると, コペルニ クス的表象 の 内に働 いて い る思 惟 の この 根本的 態度 か ら, コペ ル ニ クス的表象 は 自然 科学 的表象を通 して 「 認識 に対 象が従 う」 と言 う立場 を表 明す るもの と言 え よ う 。 なぜ な ら,「 観察者 の 内に求 め る」 ことが , あ の思 惟 の企 画 の 内で 物体 の本質 が先 取 され ,そ の企画 において 輪郭 付 け られ た領域 の 内 に物体 が組 み込 まれ ,支 え られ て ,物 体 が初め て 物体 と して可能 にな る ことを意味す るので あれ ば. ,. それ はや は り「認識 に対象 が従 う」 と言 う立場 を表 わす もの と言 う ことがで きるか らで あ る。 カ ン トと コペル ニ クス との 間 には完 全 に 類比 が成立 し得 る。 いや , コペル ニ クス的表象 の地 盤を準備 した思考法 の 革命 (実 験 的方 法 )の 内に働 く公 理 的企投 は,ハ イデ ッガーによ ると同時 に近世 的思惟 の一. 10)M.Heidegger(1);a.a。. 0。. ,S.70-72..

(11) ‖ 香 ノ. 豊. ゴ33. つ の 根本動 向を示 してお り, しか も近世形而上学 も同 じ根 本動 向 の 内 に生 起 す るので あれ ば,カ ン トの形 而上学 にお け る思考 法 の 革命 と コペルニ クスに お け る思考法 の 革命 とが, 形而上学 と 自然 科学 にお け る 学 問的な 性格 の 相 違 ,そ の認識対象 と認識 様式 の違 いに もかかわ らず,同 列 に置かれ類比 を以 って語 られ ることも首肯 され 得 るであろ う。 カ ン トの思考 法 の革命 も,コ ペ ル ニ クス の思考法 の革命 も , 同 じ近世 的思惟 の根本動 向 の 内 に 生起 してお り,ま さにそれ故 に両者 の 間 の「 事情 は 同 じもの」 (BXVI)と 言 われ るので 12). あ る。 カ ン トと コペ ル ニ クス との間 に上記 の よ うな類比 が成立す ると して,次 に 我 々は,数 学 と物 理 学 にお け る思 考法 の革命 とカ ン トの形 而上学 にお け る思 考法 の革命 との間 にいか な る類比 が成立す るかを考察 しな けれ ばな らな い。. 数学 と物 理 学 にお け る思考 法 の革 命 は「 置 き入 れ」 の方法一数学 において は「 構成」 の 方法 ,物 理 学 において は「 実験 的方法」 と言 われ る一 の発見 に 基 づ くと考 え られ たが, カ ン トの形 而上学 にお ける思考法 の革命 も,「 我 々 は 自 ら物 の 内 に置 き入れ た ものの みを, 物 につ いて ア ・ プ リオ リ に認識す る」 (BXVIII)と 言 うこ との内に見 い 出 され るのであ るか ら,同 じく「 置 き 入 れ」 の方法 の発見 にその革命が基 づ くと言 え よ う。 そ うす ると二 者 の 間 に 「 置 き入 れ」 の方法 に基 づ いて互 いの 類比 が成立す るよ うに思 え る 。 しか し,同 じ「置 き入 れ」 の方法 と言 われて も,数 学 は「構 成」 の方法 ,物 理 学 11)Mo Heidegger(1):ao a.0。 ,S.74, 75。. 12)近 世的思惟 の根本動 向の内に立 って ぃ るの は,ガ. リレイや その他 の 自然科学者 も 同 じで あ るが, コペ ルニ クス の所 説 が宇宙 の体系 を決定 的 に変 え るよ うな新 しい世 界像 を もた らす こ とによ って ,い ちはや く自然科学 にお け る近世 的思惟 の誕生を告 げた と言 う事実 に比 して,カ ン トはいまや対 象認識 の仕方 を決定 的 に変 え る思 考 法 の革命を通 して新 しい世 界像 を もた らさん とす る 自己と コペ ル ニ クス とを比 べ た も の と思 われ る。.

(12) ゴ3イ. カ ン トの コペルニ クス的転回につ いて. は「実験的方法 」 と解 され るよ うに,そ れぞれ の学 問 の性格 の相 違 か ら当然 それぞれ の方法 は互 いにその固有性 を具え てお り,そ れぞれ別 の方法 と解 さ れ る側面 を持 つ と予測 され る。 と ころで,我 々は カ ン トの形 而 上学 におけ る 思考法 の 革命を 自然 科学 にお け る実験 的方法 の形而上学 へ の 導入 と解す る我 が国 におけ るカ ン ト解 釈 の代表 的見解 を知 って い る。そ こで三 者 (数 学 ,物 理 学 ,形 而上学 )の 間 の思 考法 の革命 の類比 を問 うに先 き立 ち,こ の代表 的 見解 を吟味 してみ よ う。 高坂博士 はカ ン トの コペ ル ニ クス的転 回を 自然 科学 にお け る実験的方法 の 形而上学 へ の導入 と解 され , 形 而 上学 におけ る 「 置 き入 れ」 一高坂博 士 は 「 投 げ入 れ」 とも称 され る一 の方法 について 次 の よ うに語 って お られ る。す なわ ち,「 注 意深 く <純 粋 理 性批判 >第 二 版 の序文 を読 まれ た人 は,そ こに 「… … 彼等 〔数学 と自然 科学〕 に とってか くも有利 な結果 を齋 した思考法 の 変革 の要点 を熟考 し,且 つ理 性 認識 と して,形 而上学 との類推 を 許す限 り. ,. その点 に於 いて 少 な くとも試 み に,模 倣 して見 よ う」(BXVI)と い う言葉 の あ った ことを見逃 され な いで あろ う。数学及 び 自然 科学 に於 け る思考法 の 変 革 とは,既 に述 べ た如 く,投 げ入 れ の方法 を用 うる ことで あ る。実験 的方法 を用 うる ことで あ る。即 ち哲学 の対 象が素材 と しての経験 で あ るときに,そ の経験 を ば投 げ入 れ の方法 によ って 理 解 せ ん とす るので あ る 。 しか らば. ,. 「何」 に対 して 「何」 を投 げ入 れ る ことによ って ,所 謂経験 を 内面 的 に理解 せん とす るので あ るか。投 げ入 れ られ る場所 は 「直観 に於 いて 与 え られ る雑 多 な るもの」 で あ り,投 げ入 れ られ るもの は 「直観 の形式 た る時間及 び空間 と純粋悟性 の諸概念」 で あ る。 しか らば それ は如何 な る点 に於 いて実験 的方 法 と類 似 を もつので あ るか。投 げ入 れ るとい う ことは,如 何 な る点 に於 いて 実験 的方法 と類似す るので あ るか。実験的方法 とは理性 の計 画 を対象の 内 に 置 き入 れ る ことによ って ,対 象 の理 性 的な る性質 を見 いだす こ とで ある。 ガ べ リレイの場合 , トリチ ェ リーの場合 ,ま た シュタールの場合 ,皆 す て 自然 を して理性 の計 画 に従 わ しめ,そ れ によ って 自然 の理 性 的 な る素質 を実証 せ ん とす る ことなので あ る。 それ は 自然 が理 性 的 な る ことを,言 わ ば 自然 を し.

(13) ‖ 香 り. 豊. ゴ35. て告 白せ しめ ることなので あ る。 しか しそれ は 自然 の 内か ら理 性 的 な るもの を 引 き去 るときに, 自然 その もの が成立 しない こ とを実験す ることによ って 実証せ られ るので あ る。 ここに実験的方法 な るものの意 味 が あ る。 しか らば カ ン トは経験 その ものに対 して,か か る実 験 的方法 を適用 したであろ うか。 我 々は批判 の本文 に於 いて,い か に知覚 の世界 が初めて 時間 と空間 によ って 成立 し,更 に経験 の世界 が悟性 概念 によ って初めて成立す るかを,彼 が証 明 せん と試み たかを 熟知 して い る。知覚 の世界 か ら時空 の形 式 をのぞ いた ら何 が残 るか 。 また経 験 の世界 か ら悟性概念 を 除 いた ら何が残 るか。 これ に反 し て,時 空 の形式 を 「感覚 の雑多」 に投 げ入 れ るな らば何が生 ず るか。更 にそ れ に加 え るに悟性概念を以てすれ ば如何 な る結果 が生 ず るのか 。 カ ン トの言 葉 を 藷 りるな ら純 粋 理 性 の実験 dieses Experiment der reinen Vernunft. (BXX)を 試み ることによ って,. 彼 は経 験 その ものの構造 を明 らか にせん と. し,ま たそれ によ って,悟 性概念 の確実性 ,客 観妥 当性 を証 し,よ って もっ て 先天 的認識 を哲学 の体系 の 内 に包 含 し,か くて また 自然 科学 を基礎 づ けん と したので あ る。 これ は 明 らか に一 つの実験 的方法 の哲学 に対 す る適用で あ ったで あろ う」。 「 自然 科学 の対 象 は 自然 科学 的方法 を 適用す ることによ っ て我 々に認 識 され る。実験 によ って理性 的な るものを 投 げ入 れ ,そ れ によ っ て対 象を認識す るのであ る。 カ ン トは今 この 同 じ方 法 を 哲学 に於 いて用 いん とす る。か くの如 くに方法 が互 いに類似 せ るもので あ るな らば,与 え られた 対 象が 自然 科学 と哲学 とに於 いて は異 な るので なけれ ばな らな い。同 じ一 つ の対象 で あ る と して も,そ の探究 され る段 階が異 な るので なければな らぬ 。 哲学 に於 いて与 え られた対 象 とは如何 な るもので あ るのか。 自然 科学 に於 い て 明 らか にせ られ る対象 は,所 謂経験 に於 いて与 え られ る対 象 その もので は ない。む しろそれ に対 して 学 的労作を加 え ることによ って見 いだ され るとこ ろ の もので あ る。言 わば第一次 の対象 で はな くして第 二 次 の対 象 で あ る。 し か らば第一次 の対 象を明 らか にす る学 はないのであ るか 。所謂与え られ た と 称 せ られ る対 象を,更 にその根抵 に立 ち到 って,理 解 せん とす る学 はないで あ. 1)高 坂正顕12);『 カン ト解釈の問題』・高坂正顕著作集第二巻・理想社,42∼ 43頁 。.

(14) カ ン トの コペルニ クス的転回につ いて. ゴ36. ろ うか。 自然 科学 は経験的な る世界 を明 らか にす るとい う。 しか しなが ら彼 等 のなす と ころは,経 験 的 な る世界 を更 に法則 的な る概念 の 内 に統 一 す る こ とによ って,言 わ ば表面 に 向 か って 理 解 して行 くので あ る。 これ に対 して所 謂経験 の世界を その 内部 に 向 か って理解 して行 く学 がな いで あろ うか。経験 の世界 を,何 等 か理性 的 な るものを ,そ の 内 に置 き入 れ る ことによ って 理 解 せん とす る学 がないで あろ うか。 ここに少 な くとも形而下 の学 に対す る形而 上 の学 が成立す る余地 が あ るで あろ う。 ここに哲学 の 領域 が存 しないか。経 験 は 自然 科学 に対 して は探究 の 出発点 で あ るけれ ど,哲 学 に とって は,探 究 の課題 で あ り,帰 着点 で あ る。 自然科学 によ って見 いだ され ると ころの対象 は, 自然 科学 的方法 の下 に立 つ 経験界 で あ るに対 して,哲 学 によ って見 いだ されん とす るところの対 象 は, 自然 科学 の材料 とな り得 る経験界 で あ る。言 わ ば 自然 科学 の対 象が構成 せ られ た経験で あ るの に対 して,哲 学 の対象 は素 材 と して の経験 で あ る。哲 学 は この 素材 と しての経験 を理 性 的 な るものを置 き入 れ る こ とによ って 理 解 せん とす るので あ る」 と。 高坂博士 は 自然 科学 と形而上学 との対象 の 相 違 を認 めなが らも ,「 置 き入 れ」 の方法 と言 う学 の方法 の共通 な性格付 け に基 づ いて, 自然 科学 と形而上 学 が 同 じ実験的方法 を用 いて い ると主張 され る。 カ ン トも自 ら形而上学 にお け る 自己の思考法 を,「 この 自然 科学 に倣 った方法 は, 純粋 理 性 の諸要素 を 実 験 によ って 確証 され あ るいは否定 され るものの 内 に求 め ると言 うと ころ に 成 り立 つ 」 (BXVIH. Anm.)と. か ,「 純粋 理 性 の この実験 は, 往 々還元 の方. 法 , 一 般 的 には総合 的方法 と称 され る 化学者 の実験 にたいへ ん 類 似 して い る」 (BXXI. Anm.)と. 述 べ て い るので あ るか ら, この 際, 形 而上学 にお け. る革命 され た方法 を実験的方法 と称 して も何等差 し支 えな いよ うに見 え る。 しか し,形 而上学 におけ る「置 き入 れ」 の方法 はア ・ プ リオ リな認識 との関 わ りで語 られ るのに対 し,物 理 学 におけ る「置 き入 れ」 の方法 が語 られ る場 合 にはア ・ プ リオ リな認識 と言 う言葉 が省 かれて い る。む しろそ こでは経験. 2)同 上 ,40∼ 41頁 。 3)Vgl.BXHI一 XIV;BXVHI..

(15) │1 香 り. 豊. ゴ37. 的 な諸原理 に 基 づ く 限 りでの物 理 学 にお け る 実験的方法 が 問題 に されて い た:そ うす ると,同 じく実験的方法 と称 し得 た と して も,そ れ らの 間 には単 に「構成 せ られ た経 験」 と「 素材 と しての経 験」 と言 う対 象 の違 いによ って は明 らか に され ないあ る決定 的 な相違が あ るので はなか ろ うか。我 々は「 置 き入 れ 」 と言 う ことに関 して 両者 の類似性 を認 め るに して も , それぞれ の 「 置 き入れ」 の方法 を吟味 しなけれ ばな らな い 。 た とえ ば,ニ ュー トン物 理 学 にお け る「 す べ ての物体 はそ の静止 の状態 を. ,. あ るいは直線上 の一 様 な運 動 の状態 を,外 力 によ って その状態 を変 え られ な い限 り,そ の まま続 け る」 と言 う公 理 は物 理 学 の原 理 と して観 察 や実験 の結 果 か ら一般化 (帰 納 的一 般化 )さ れ た もので はない。それ は物 の本質 的規定 の先取 として理性 によ って 予 め企 画 され産み 出 された もので あ る。 しか し. ,. ニ ュー トンの公 理 系 つ ま リー 群 の公 理 ,定 義 ,定 理 か らな る演繹体 系 は,一 定 の手続 を以 って物理 的世界 の事象 と結 び付 け られ てお り,た とえ ばあ る定 理 が実験を通 して観 察 され る物体 の運 動 と一 致す る ことが確認 され ると言 う よ うな構造 を持 って い る。 この ニ ュー トンの公 理 的方法 にお いて は経験 の観 測可能 な与件 と公理 系 は区別 されてお り,公 理 系 は測定 によ って感覚可能 な ものの世界 か ら汲取 られ るので はな く,む しろ測定 され るものが公 理 系 を前 提 に して い る。 つ ま り公 理 系 は理性 によ って観測可能 な ものの 内 に置 き入 れ られ るので あ る。公理 と言 う自然探究 にお け る相対 的 に 固定 された立脚点 の 選択 は最 初か ら自然現象 と結 び付 け られ るので はない。そ の選 択 に際 し経験 へ の考慮が な され ると して も,選 択 自身 は理性 の本来 的行 為 た る思 惟 に属 し て い る 。 そ して その選 択 と共 に我 々は新 しい 物 理 的世界 像 に 出会 うので あ るな カ ン トは物 理 学 にお け る思考法 の革命 を語 る際 に, 自然科学 の あ る公理 系 にお け る演繹結果 が実験 によ って確認 され る場 合 の 例 (た とえ ばガ リレイ の落体 の実験 や トリチ ェ リーの気圧 の実験 )を 挙 げてお り,公 理 系 の観測可. 4)BXI。. 5)ニ ュー トンの公理的方法につ いては,. ジョン OP・ ローゼ著 ,常 石敬一訳. 哲学 の歴史』・紀伊国屋書店,102頁 以下を参照 した。. ;「 科学.

(16) ゴ38. カ ン トの コペルニ クス的転回につ いて. 能 な ものへ の置 き入 れ と実験 によ る法則 の確認 と言 うニ ュー トン的 な公 理 的 方法 の本質 を実験 的方法 と称 した と考 え られ る。 と ころで ,カ ン トの実験的方法 を ニ ュー トンの 公理 的方法 と関係付 け以上 の よ うに解 釈 し得 るとす るな らば, 高坂 博士 の言 われ るよ うに,「 実験的方 法 とは理性 の計 画を対象 の 内 に置 き入 れ ることによ って ,対 象 の理 性 的 な る 性質 を見 いだす こ とで あ る」 と考 え られ得 るよ うで あ る。 なぜ な ら,「 理 性 の計画」 とは理 性 に基 づ く公理 系 の設定 と解 釈 で き,「 置 き入 れ」 とは設定 され た公理 系 を物 理 的世界 にお け る事象 の法則 とす る こ とで あ り,そ うした 法則 に従 った物体 の在 り方 を「 対 象 の理 性 的性質」 と言 い得 るか らで あ る。 しか した とえそ のよ うに解 釈 し得 ると して も, 物 理 学 の実験 につ いて ,「 自 然 の 内か ら理 性 的 な もの を引 き去 ると きに, 自然 その もの が成 立 しない こ と を実験す ることによ って実証せ られ る」 と高 坂博士 が語 られ るとき,こ の場 合 の実験 は物 理 学 にお け る実験 を 正 当に言 い表 わ して いない 。なぜ な ら,物 理 学 の実験 によ って確認 され るのは,た とえ ば公理 系 にお け るあ る定理 と観 察 され る物体 の運 動 との一 致 で あ り,そ れ によ って対 象 の理 性 的 な性質 が認 識 され ると して も,高 坂博士 の言 われ るよ うに理 性 的 な もので あ る一 群 の 公 理 を 自然 か ら引 き去 るな らば,物 理 学 にお け る実験 その ものが成立 しな くな るので あ るか ら, 自然 その ものの成立 に関わ るよ うな理 性 的 な もの を 自然 か ら引 き去 ると言 うよ うな実験 は,物 理 学 にお け る本来 の実験 とは言 い難 いか らで あ る。高坂 博 士 の言 われ るよ うな実験 は,物 理 的な世界像を決定す るよ うな 自然探究 の立脚点 の選択 において思考 的 に可能 な実験 と して考 え ること はで きるが ,カ ン トが『 純粋 理 性 批判』 において実験的方法 との関係で語 る 実験例 とはその性質 を異 にす る。高坂 博士 の 自然 科学 の実験 の解 釈 は,カ ン トが空間 ・ 時間,カ テ ゴ リー を経験 の可能性 の形 式的制約 と して 析 出す る場 合 の議論 つ ま り形而上学 にお け る「 置 き入 れ」 の方法 に引 きつ けた解釈 にな って い る。 また, 高坂 博士 は, 自然 科学 にお け る対象を 「 構成 せ られた経. 6)カ. ン トが物理学の思考法の革命において語 る,「 理性 は 自らの企画に従 って産み出. した もののみを洞察す る」(BXIII)と は このことである。.

(17) ‖ 香 り. ゴ39. 豊. 験」,形 而上学 にお け る対 象を「 素材 と しての経 験」 と区別 され るが, 自然 科学的経験 の基礎 にな ってい る 日常的経験 を「 素材 と しての経 験」 と解 す る な らば,「 素材 と しての経験」 は決 して カ ン トの形而上学 の対 象 で はない 。 カ ン トにお け る経 験 の対象 は ニ ュー トン的原 理 によ って理解 され る 自然物 で あ り,「 カ ン トの眼 差 しは直 ちに数学的 ・ 物 理 学 的 な学 の対 象 と しての物 に 針付 け にな る」 ので あ る。 カ ン トによ ると,『 糸 屯粋 理 性批判』 の先験的感性 論 と先験的分析論 は 自然 科学 が前 提 に して い るア ・ プ リオ リな原 理 その もの を 自然 科学 か ら引 き離 して独立 に取 り扱 って お り,そ こで挙示 され る諸原則 (経 験 を可能 な らしめ るよ うな諸原則 )は ,既 に物 理 学 者 が 自然 の考察 にお. いて経験を作 り出す場合 に「 不可欠 な手 引」 (B.d XX,S。 318)と して使用 して い るに して も,物 理 学 の 公理 とは異 な って ,そ れ らの原則 は個 々の経験 に関わ ると言 うよ りむ しろ経 験 一 般 (経 験 の野 )に 関わ るもの と考 え られ て い る。高 坂博士 の言 われ るよ うに,カ ン トは形 而上学 において「 素材 と して の経験」 に 関わ ってい るので はな く,経 験 一 般 の可能性 に関わ って い るので あ る。 それ故 , 自然 科学 の対 象 と区別 して 形 而上学 の対 象を 「素材 と しての. 経験」 と解 す るのはカ ン ト的でないと言え よう。 最後 に, 日屯粋理性批判』 にお ける経験がなによりもまずニ ュー トン的原理によって理解 され る自然物 の経験を意 味す るとして も,カ ン トが空間 ・時間・ カテ ゴ リーを経験 の可能 性 の形式的制約 として折 出 し,ア ・プ リオ リな総合的判断を経験一般 のア・ プ リオ リな形 式 (原 則)と して挙示す ることにおいて,高 坂博士 の言われる よ うに直ちに 自然科学の 基礎付 けを 目指 しているとは言い難 い 。 カ ン トが 『 純粋理性批判』において 自ら表明す る彼の先験的哲学 は 「存在論 Ont。 logia」. (A845,B873)で. あり, その学 の必然性 と役割 は人間理性 のよ り高次な関. 心に基 づ くもので,決 して 自然科学 の基礎付 けを第一の 目的 とす るものでは 7)Vgl.M.Heidegger(1);ao a.o。 ,S.98.;Go Mortin;a.a.0。 8)M.Heidegger(1);a.a。 0。 ,S.100。. バ .11.. 9)Bdo XX,S.316. 10)Bd.XX,S.315;Vglo M.Heidegger(2);Kant und das Problem der Meta‐ physik,3Aufl。 ,Frankfurt/M1965。. S.18。.

(18) ゴイθ. カ ン トの コペルニ クス的転回につ いて. ない。 カ ン トがそ の存在 論 において 直 ち に 自然 科学 的 な経験 に眼を 向け るの は,存 在論 におけ る存在者 へ の 関わ りの本質 の 開明 と言 う課題 に とって , 自 然 科学者 達 があ る指 標を与 えて くれ るか らで あ る。 さきに述 べ たよ うに,近 世 の 自然 科学 的思考 を支 えて い る公理 的企投 において 物体 の本質 的規定 は先 取 的 に認識 され ,そ れ によ って 初 めて物体 の 認識 が可能 にな った。 自然 科学 にお け る公理 的 な方法 において は,物 体 の本質 的規定 の先取 的認識 (公 理 ) と物体 の経験 は区別 され ,前 者 が 後者を可能 にす ると言 う制約連 関が働 いて い る。そ うして ,こ の制約連 関が存在論 にお け る存在論 認識 と存在 的認識 の 一 カ ン ト的 な表現 に従 え ば先験 的真 理 が経験的認識 を可能 にす ると言 う一制 約 連 関へ の指標を与 え くれ るので ,カ ン トは直 ち に 自然科学 的 な経験 へ とそ の 眼差 しを投 げるので あ る。 と ころで ,『 純粋 理 性批判』 の先験 的感性論 と 先験 的分析論 で展 開 され る形而上学 の第 一 部 門 (存 在論 )は ,一 定 の経験的 対 象 に直接 関与す る こ とな く自然 一 般 を可能 な らしめ るよ うな諸法則を問題 にす るの に対 し,こ れ らの法則 が外 官 の対 象 に適用 され た ものが 物 理 学 ,内 官 の対象 に適 用 され た ものが心理 学 で あ るとカ ン トは考 えて い る。そ うす る と,形 而上学 の第 一 部 門 は直 ち物 理 学 の対象 に 関わ ると言 うよ り,物 理 学 の 対 象 と心理学 の対 象を含 めて科学 的 に探究 され認識 され る対象一般 に関わ る と言 え よ う。 つ ま り,形 而上学 の第 一 部 門 は,物 体 が何で あ るかを語 る物理 学 の原 理 的 な部 門 に先 き立 ち,物 体 も含 めて対 象一般 の先取 的 な認識 (自 然 一 般 を可能 な らしめ るよ うな ア ・ プ リオ リな原則 )を 主題 的 に考察す るので あ る。 自然 とは存在者 が 自 らを対 象 と して我 々に示す場 で あ り, 自然 一 般 を 可能 な らしめ る諸原則 を問 う ことは,存 在者 が 自己を我 々に対 す る対象 と し て 開示す る場 の構造 を明 らか にす る ことに他 な らな い。 そ うして この場 の構 造 認識 こそ『 純粋 理 性批判』 において語 られ る経験一般 のア ・ プ リオ リな形 式 (原 則 )の 予料 な ので あ る。 カ ン トの形而上学 の第 一 部 門 は, 自然 一 般 を. 11)Vglo M.Heidegge〈 2);a.a.0。. 12)Vgl.A146,B185. 13)Bd.IV,S.470。. ,S。. 20。.

(19) │1 香 り. 豊. ゴィゴ. 可能 な らしめ る諸原 則 が我 々によ って経 験 一 般 の ア ・プ リオ リな形式 と して 予料 され ると言 う こ とを 示す こ とによ って ,我 々の存在 者へ の 関わ りの本質 の解 明 と言 う存在 論 の課題 を 引 き受 け る。そ して それ らの諸原則 (存 在論 的 認識 )に 基 づ いて ,存 在 的認識 た る 自然 科学 の原理 的 な部 門 も可能 にな るの で あ るか ら,形 而上学 の第一部 門 (存 在論 )は 第 二 次的 に 自然 科学 の基礎付 けに関わ ると言 え よ う。空間 ・時間 ,カ テ ゴ リー を経験 の可能性 の形 式的制 約 と して析 出 し,経 験一般 の構造 を明 らか にす ること一高坂 博士 が形 而上学 にお け る実験 的方法 につ いて 純粋 理 性 の実験 と して述 べ られ た事柄 は我 々に お いて はむ しろ この こ とを指 す こ とにな る一が カ ン トの批判 において 本質 的 な役 割 を担 う こ とは筆 者 も認 め るところで あ るを しか し,(i)高 坂博士 の解 され る実験 が カ ン トの語 る物 理 学 にお け る実 験 と違 った意 味 に使用 されて い ること,(ii)博 士 が持 ち込 まれ た 「構成 され た経 験」 と 「 素材 と しての経 験」 との区別 が カ ン トにおいて維持 し難 い こ と,(iii)カ ン トの形而上学 の第 一 部 門 は存在論 で あ り,博 士 の言 われ るよ うに単 に 自然 科学 の基礎付 けを 目 指す もので ない こ と,以 上三 つ の理 由か ら,我 々は高坂博士 の言われ るよ う に,カ ン トの コペルニ クス的転 回を 自然 科学 にお ける実 験 的方法 の形 而上学 へ の導入 と解 す ることはで きない と考 え る。 ところで ,岩 崎博士 は,カ ン トの コペルニ クス的転 回 と 自然 科学 にお け る 実験 的方法 の形 而上学 へ の 導入 とを 区別 され ,高 坂博士 とは異 な った観点 か ら自然 科学 にお け る実験 的方法 の形 而上学 へ の導入 を評価 し ょうとされ る。 そ こで 次 に岩 崎博士 の見解 を問題 に してみ よ う。 岩 崎博士 は,カ ン トの コペルニ クス的転 回 の思想を認 識論 的主観主義 の思. 14)自. 然科学 (そ の原 理 的な部門 も含 めて )は 個 々の物 へ の関 わ りを排除 しな いが. ,. 存在論 はその よ うな物を抽象 して 物一般 Dinge uberhauptを 取 り扱 うと言 う両学 問 の相違 (Vgl lmmanuel Kant's VOrlesungen uber die Metaphysik,2 Aun.. nache der Ausgabe von 1821, neu herausgaben vOn Dr. Ko H. schnlidt, s. 12.)を 保持 した上 で ,我 々は この よ うな基礎付 けを認 め る。. 15)こ. の本 質 的 な役割 につ いて は,拙 稿. ;「 先験的 な 問 い」. 人 間科学 年報 ・ 創 刊号 を参看 され た い。. と F批 判』・ 甲南女子大 学.

(20) ゴイ2. カ ン トの コペルニ クス的転回について. 想一認識論的主観 主義 の思想 とは「 われわれ は,わ れわれ の主 観 か ら独立 に 客観 的 に存す る対象 をそ の あ るが まま に認識す るので はな く,わ れわれ の主 観 の うち に先天 的 に存す る認識 の形 式 によ ってわれわれ に与 え られ る素材 を 秩序 づ け統 一 づ け,そ れ によ って いわゆ る対 象 とい うものが構成 され る,と 考 え る考 え方 で あ る」一 と解 され るな この思想 は, 自然 科学 におけ る実験的 方法 の形 而上学 へ の 導入 と言 うカ ン トの意 図 を遂行す るため カ ン トが考 え 出 した もので あ り,高 坂博士 とは異 な って カ ン トの この意 図 と この思想 とは互 いに両 立 し得 ない と言 われ る。で はなぜ両立 し得 ない のか 。 自然科学 におけ る実験 的方法 は ,「 われわれが あ らか じめ理性 によ って考 えた ことを対象 の うち に投 げ入 れ てみ る こ とによ ってそ の考 え の正 否を検討 す るとい う ことで あ った。 しか しこの ことが 可能 で あ るため には,あ らか じ め理性 によ って考 え られ た ことが経験 的対 象 によ って確かめ られ るよ うな性 質 の もので なけれ ばな らな い」。 実験的方法 において 投 げ入 れ られ るもるは 「経験 か ら全 く独立 な主観 の 先天的形式 とい うよ うな ものでな く,経 験的要 素を含 んだ もので あ る ことを 必要 とす る」。 と ころが認識論的 主観主義 の思 想 において は「先天 的 な主観 の形式 の 投 げ入 れ」 が行 われ るの で あ り,「 投 げ入 れ られ るものは決 して経験的要 素を含 む もので はな く,全 く経験 か ら独 立 な主観 的原 理 な ので あ2」 。 実験的方法 において対象 の 内 に投 げ入 れ られ るもの が「経験的 な もので あ るが故 に こそ,実 験 によ って 吟味す る ことがで きた ので あ る。だが認識論 的主観主義 のよ うに,主 観 の 先天 的形 式を投 げ入 れ る ことによ って対 象が 構成 され るので あ ると考 え るな らば,わ れわれ はい か に して も この考 え方 が正 しいか どうかを吟味す る ことがで きな い」。 カ ン. 16)岩 崎武雄 ;前 掲書25頁 。 17)同 上,26頁 。 18)同 上, 7頁 。 19)同 上,27頁 。 20)同 上,28頁 。 21)同 上,46頁 。.

(21) 香 川. 豊. ゴイ3. 卜は実験不可能 な もの を認識 論 的主観主 義 において 投 げ入 れ実験 しよ うとす る原理 的な矛盾を犯 してお り,両 者 は決 して 両立 し得 ないので あ る。で はな ぜ カ ン トが その よ うな誤 りを犯 したか と言 うと ,「 カ ン トにおいて学 問的意 義を有 す る確実性 を持 った認 識 は先天 的認識 でな けれ ばな らない とい う考 え 方 が牢乎 と して抜 くべ か らざる信念 と して存在 して いた」 か らで あ る。 カ ン トは両者を混 同 し,「 カ ン トにおいて実験 的方法 と 認識論 的主観主 義 の思想 が結 び つ け られ る。む しろ,両 者 は 同一 の もの と考 え られ る。認 識論 的主観 主 義が成立 しな けれ ば,つ ま りわれわれが先天 的な認識形式を持 ち,そ れ に よ って対象を構成 す るので なけれ ば,数 学 や 自然 科学 にお け る実験的方法 も また成立 しない と考 え られて しまったので あ る」。 で は 「 この認識論 的主観 主 義 の思想 を取 り除 くとき,カ ン トの所説 が ど うい う意義を持 つ もの と して 理 解 され 」 るので あろ うか。「 認識論的主観主 義 の思想を取 り除 いて しま っ た と き,カ ン トが 「先験 的感性論」 と「先験 的分析論」 において見 い 出 した ものは何 で あろ うか。私 はそれ は要 す るに 自然 とい うものは物 自体 で はな く て現象 で あ るとい うこ と,そ して 自然 科学 的認識 とは この現象 につ いての認 識 で あ るとい うこ とを洞察 した点 に存す ると考 え る」。 で は 「 それ は一 体 ど うい う意味を持 つの か」, それ は 「 われわれがわれわれ に現 われ る姿 での 自 然 を把握すれ ばそれで よいので あ り,そ れ以上 の こ とを問題 にす べ きで はな い とい う ことを意 味す るで あろ う。言 いかえれ ば,わ れわれ は人 間的立場 か ら自然を見 , 自然 の 認識 を行 うべ きであ って ,そ れ以上 に 自然 の奥 に何が存 す るかを問 うべ きで はない とい う ことで あろ う」。 カ ン トは,「 自然現象 の本 質 を , その 隠れ た本質 を と らえ よ うとす る 」 近世以前 の 自然研究 に対 し. ,. 「 ただ 自然現象 はいか に あ るか とい う ことの みを問題」 にす る「 近世 自然 科 22). 同上 ,29頁 。. 23). 同上 ,31-32頁 。. 24). 同上 ,53頁 。. 25). 同上 ,174頁 。. 26). 同上 ,175頁 。.

(22) カ ン トの コペルニ クス的転回につ いて. ゴイイ. 学 の本質 を見事 に洞察 した と言 う ことがで きる」 。「われ われ は人間立場 を 越 え る必要 はない,わ れわれ は現象 と しての対象を把握 すれ ば,そ こに人 間 的立場 か ら見 た真 理 を と らえ うるのだ とい う考 え方 こそ,認 識論的 主観主 義 とい うほ ころび た衣裳を つ けて カ ン トが示 そ うと した ことで あ った」。 そ し て ,「 カ ン トのな しとげた コペル ニ クス 的転 回 はカ ン ト自身 の言 うよ うな認 識論 的主観主義 の思想 に存す るので はな く,そ の奥 にあ る真 理 観 の転換す な わ ち,真 理 とい うもの を無 限者 的立場 か らで はな く,有 限者 的立場 か ら見直 そ うとす る点 に存す る」 と岩 崎博士 は語 られ る。 岩 崎博士 は形 而上学 におけ る「置 き入れ」―博士 において は「投 げ入 れ」 一を経 験 か ら独 立 な主観 のア ・プ リオ リな形 式 の置 き入 れ と解 され, 自然 科 学 にお け る実 験 的方法 と しての 「置 き入れ」 と区別 され ると共 に , 前者 の 「置 き入 れ」を認識論 的主観 主義 の思想 と見 倣 し,そ の思想 を実験的方法 と 矛盾す るもの と して排除 され た 。 しか し , この よ うな批判的見解 の根底 に は,形 而上学 に導入 され た実 験的 方法 が 自然 科学 のそれ と同一性格 の もので なけれ ばな らな い と言 う前提 が存 してお り,実 は この前提 が カ ン トにおいて 成 り立 つ か ど うか甚 だ疑間 で あ る。 さきに述 べ たよ うに,カ ン トは形而上学 におけ る「 置 き入 れ」を語 る場合 にア ・プ リオ リな認識 と言 う言葉を挿入す るが,物 理 学 の場合 にはその言葉 を挿入 して いないので あ る。形 而上学 にお け る実験 的方法 は 自然 科学 にお け るそれ と同一 の性格を持 つ ので はな く,あ くまで 「 自然探求 者 に倣 った方法」 (BXVIH. Anm.)で. あ る。 そ うす ると. ,. 認識 のア ・ プ リオ リな主観形式 の「置 き入 れ」を , 自然 科学 にお ける実験 的 方法 と して の「 置 き入 れ」 の観点 か ら,実 験不可能 な もの を実験す ると言 う 矛 盾 を犯 す もの と考 え る ことはで きな いで あろ う。 また,岩 崎博士 は カ ン ト の コペル ニ クス的転 回を認識論 的主観主義 と解 してお られ るが, この解 釈 に も問題 が あ る。 博士 は認識論 的主観主義 につ いて ,「 一 方 において対象 の主 27). 同上 ,176-177頁 。. 28). 同上 ,179頁 。. 29). 同上 ,181頁 。.

(23) 香. 川. ノイ5. 観 か らの独立性 を認 めね ばな らず,他 方 において対象が主観 の先天 的な認識 形 式 によ って構成 され た もので あ ると考 え よ うとす ることは本来両立 し得 な い要求 を含 んで いた」 と言 われ るが,カ ン トは対 象を主観 か ら全 く独立 した もの と考 えて い なか った 。博士 も認 めてお られを よ うに,カ ン トは現象 (経 験 の対 象 と しての現象 )の みを認 識 し得 ると考 えてお り,こ の場合 の現象 と. は我 々が経験 において出会 う対象自身なのである。 カ ン トが 純粋理性批 『 判』 において「経験はいかに して可能であるか」と問う場合,カ ン トは我 々 の認識とまった く無関係な対象がまず独立に存在することを前提 し しかる , の ちに我 々が いか にその対 象を認識 す るか と問 うので はない. 。 カ ン トはその へ の 経験 可能性 の 問 いを通 して,存 在 者が そ こに おいて対 象 と して我 々に 顕 わ に な る可 能 的経 験 の構造 と範 囲 とを 明確 に規定 せん と試 み るので あ り,存 在者 が対 象 と して我 々に顕 わ に な る場 の構造 を問わん とす るので あ る そ 。 う す ると,博 士 の 言われ る認 識論 的主観主 義 の思想を カ ン トの思 想 とす ること はで きない と言 え よ う。最 後 に,カ ン トの コペ ル ニ クス的転 回 において 博士 の 言われ るよ う真理観 の転 換が結果 す ることは,ヵ ン トにおいて も認 め られ るところで あ る。 しか し,ヵ ン トの コペル ニ クス的転 回を単 に近世 自然 科学 の本質 の洞察 と評価 され る点 は ど うで あろ うか 。博士 は. ,近 世 自然 科学 の本 質 を, 自然 科学 にお いては 自然現象 の 隠れ た性質 が問われ るのでは な く ,た だ 自然現象が いか に あ るか と問われ る,と 言 うこ との 内に見 い 出 してお られ るが,カ ン トは コペルニ クス的転 回 において あ くまで思 考法 の革命 を問題 に して いたので はなか ったか 。思考法 の革命 と言 う観点 か ら見 れ ば,近 世 自然 科学 の本質 はその 公理 的性格 の 内にあ ると言 うべ きで あろ う。 さきに述 べ た よ うに, 自然 科学 の実験 的方法 にお ける実 験 の本質 は法則 の確 認 に あ り ,物 体 の み な らず実 験 さえ も理 性 が 自 ら企 画 し,産 出 した もの (公 理 系 )に 基 づ いて 可能 にな ると言 う 点 に こそ 近世 自然 科学 にお け る 思考法 の 本質 が あ っ た 。そ うして, この よ うな新 たな 自然 科学 にお け る思 考法 とカ ン トの所謂 コ. 30)同 上 ,172頁 。 31)A393..

(24) カ ン トの コペルニ クス的転回 につ いて. ゴイδ. ペ ル ニ クス的転 回が 比 べ られ たので あれ ば,形 而上学 におけ る コペ ル ニ クス 的転 回 と 自然 科学 におけ る実験 的方法 との類比 も思考法 の革命 に限定 して考 え るべ きで あ る。博士 の コペ ル ニ クス的転 回 の評価 は思考法 の 革命 の本質 と 言 うよ り,そ の革命 の結果 に議論 が移行 して しま って い るよ うで あ る。 以上 ,カ ン トの コペ ル ニ クス的転 回 を 自然 科学 におけ る実験 的方法 の形而 上学 へ の導入 と解 す る二つ の見解 を吟味 したが,そ れ らの見解 は共 に 自然 科 学 にお け る実 験 的方法 と形 而上学 に導入 され た実 験 的方法 とを 同一 視す る一 高 坂博士 は 自然 科学 にお け る実験 を カ ン トに引 きつ けて解 釈 されてお り,岩 つ て され 崎博士 は逆 に形 而上学 にお け る実 験 を 自然科学 のそれ に引 き け 解釈 て い る一 と言 う前提 に立 って いた 。 そ して我 々はそれ らの見解 に 同意す るこ とが で きなか った。 カ ン トはむ しろ両者 の方法 を別 の もの と考 え て い る。で はカ ン トの思考法 の革命. (コ. ペ ル ニ クス的転 回 )の 本質 は ど こにあ り,数 学. 物 理 学 ,形 而上学 におけ るそれ ぞれの思考法 の革命 はいかな る意 味. ,. において. 類比 を以 って語 られ るの で あろ うか。. 四 ニ カ ン トは 自己の形而上学 におけ る思考法 の革命 た る コペル クス的転 回 を において 述 べ た箇所 (本 稿 一 において 引用 )に 続 いて ,「 と こ ろで 形 而上学 こ る ことがで も,人 は対象 の直観 に関 して は これ と類 似 した方法 で れを試み か に して い きる。 も し直観 が対象 の性質 に従 わ なけれ ばな らな とすれ ば,い ・ ことがで きるか,私 に に 人 が対象 の性質 につ いて 何事 かを ア プ リオ リ 知 る 々の直観能 力 の性 はわか らな い。 しか し,(感 官 の客観 と して の)対 象 が我 に考 え る こ.と がで きる。 し 質 に従 うので あれ ば,私 は こ うした可能性 を十分 べ は これ らの直観 に立 か し これ らの直観 が認識 とな る きで あ るな らば,私. ,. と しての何 ち どま って い る ことはで きず,表 象 と しての これ らの直観 を対象 ばな らな い 。 か成 るもの に関係付 け,こ の対象 を表象 によ って 限定 しなけれ た対象 それ故 ,私 がそれ によ って この限定 を成 し遂 げ ると ころの諸概念 もま.

(25) 香 川. 豊. ゴイ/. に従 うと想定 す るな らば,そ の場合 には私 は再 び,私 がその対 象 につ いて ア ・ プ リオ リに 何事 かを 知 り得 る 仕方 につ いて 同様 な当惑 に 陥 い ることにな る。 しか しそ うで はな くて ,対 象 あ るい は同 じことで あ るが対象がそ こにお いて のみ (与 え られ た対 象 と して )認 識 され るところの経 験 が,こ れ らの概 念 に従 うと私 が想定 す るな らば,そ の場合 には私 は直 ちに一 つ の一 層容易 な 解 決策 を見 い 出す。 なぜ な ら,経 験 その ものが悟性 を 必要 とす る認識様 式 で あ り,私 は悟性 の規則 を私 に対 象が与 え られ るに先 き立 って, したが って ア ・ プ リオ リに私 の 内 に前提 しなけれ ばな らず ,こ の規則 は概念 の 内で ア ・ プ リオ リに表現 されて い るので あ るか ら,経 験 の す べ ての対象 は必然的 に この 概念 に従 ひ , この概念 に一 致 しなけれ ばな らな いか らで あ る 」 (BXVII一. XVIH)と 述 べ て い る。 形 而上学 の課題 において ,対 象が我 々の認識 に従 わなけれ ばな らな い,と 想定す るカ ン トの新 しい思 考法 は上記 のよ うな仕方 で 展 開 され ,そ れ によ っ て対象 につ いて ア ・ プ リオ リな認識 が 獲得 され ることにな る。換言すれ ば. ,. 空 間 ・時間 と言 う我 々の直観形式 とカテ ゴ リー (純 粋悟性概 念 )と 言 う我 々 の思惟形式が経 験 を可 能 な らしめ る形 式 的制約 と して 析 出 され ,こ れ ら経験 の可能性 の諸制約 の解 明 に基 づ いて ア ・ プ リオ リな総合 的判断 (対 象 につ い てのア ・プ リオ リな認識 )の 可能性 が示 され,対 象 につ いての ア 0プ リオ リ て挙 示 され るので あ る。 カ ン トにおいて は対 象 は経 験 を通 な認識 が原則 と し′ して我 々に与 え られ ると考 え られ て い る。 そ して「 我 々の す べ ての認識 はす べ ての可能 な経 験 と言 う全体 の 内 に存 してお り, この す べ ての認識 に一 般 的 に 関わ ることによ って 先験 的真 理 が成立す る。 この真 理 はす べ ての経 験 的認 識 に先行 し,そ のす べ てを 可能 にす る」 (A146,B185)と 語 る。 カ ン トは. ,. 自然 科学者達 によ って与 え られ た,物 体 の本質 的規定 の先取 的認識 が物体 の 経験 的認識 を可 能 にす ると言 う制約的連 関を哲学的 に反 省 し,今 や先 験 的真 理 が経 験的認識 を可 能 にす ると語 る。 ここで は単 に 自然 科学 的 な物体 の経験 的認識 とその可 能性 の制約が問題 に されて い るのではな く,物 体 を 含 めて あ らゆ る経 験 の対 象 (現 象 )の 経験 的認識 と,そ れ に一 般 的 に関わ りそれを可能.

(26) ゴイ8. カ ン トの コペルニ クス的転回につ いて. にす る先験 的真 理 とが問題 に されて い る。 この 先験 的真 理 はア ・プ リオ リな 総合 的判 断 で あ り,経 験 一 般 の形 式 を ア ・プ リオ リに表象す るが,こ の総合 的判 断 は対象 につ いてのア・ プ リオ リな認識 と して 同時 に 自然 一 般 を ア ・ プ リオ リに可 能 にす るよ うな法則 とも言われ る。そ うす ると,カ ン トが形 而上 学 において語 る「置 き入 れ」 の方法 は,我 々の 認識能力 に基 づ いて 可能 にな った ア ・ プ リオ リな総合 的判 断 (先 験 的真 理 )が 経験 一 般 の形 式 を ア ・ プ リ オ リに表象 し,そ の経 験 一 般 の形 式 の 先取 的認識 を通 して 同時 に経験 にお け る対象一般 の形式 (対 象 の対象性 )を 確定す ると言 う ことの 内 に求 めなけれ ・ ばな らな い 。 「 我 々は 自 ら物 の 内 に置 き入れ た もののみを, 物 につ いて ア プ リオ リに認識 す る」 (BXVIII)と は,先 験 的真 理 がす べ ての経験的認識 に 先行 し,す べ ての経験 的認識 を可能 にす ることによ って ,同 時 に経験 の対象 を可能 にす ることを意 味 してお り ,「 我 々が 自ら物 の 内 に置 き入 れ た もの」 とは,経 験 において我 々が物 (対 象 )に 出会 うに先 き立 って ,そ の 出会 ひの 形 式 を決定す るよ うな経験 一 般 の形式 (先 験 的真 理 )で あ り,「 我 々が物 に つ いて ア ・ プ リオ リに認識 す るもの」 とは,そ の 出会 ひの形式が 同時 に我 々 が 出会 う対象 の形式 を決定す るの で ,我 々が経験 において 出会 う対象一般 の 形 式 (先 験 的真 理 )に 他 な らな い 。 カ ン トの コペル ニ クス的転 回 の本質 は こ の よ うな先 験的真 理 と経 験的 認識 の制 約連 関 の洞察 に存す るの で あ る。 カ ン トの コペ ル ニ クス 的転 回 の本質 が 上記 のよ うな もので あ と して , 数 学 ,物 理学 ,形 而上学 のそれぞれ の方法が「置 き入 れ」 の方法 と して共 に特 徴付 け られ ,類 比 を以 って語 られ るが,そ の類比 は いかな ると ころ に成 り立 つ ので あろ うか。 カ ン トは数学 にお け る公理 を「直接 に確実 で あ る限 りのア ・ プ リオ リな総 合 的原則」 (A732,B760)と 解 して い る。 つ ま り, 我 々は純粋直観 におけ る数学 的 な構成 を通 して数学 的 な対象 につ いての ア ・ プ リオ リな総合的認識 を持 ち得 るの で あ る。 しか し,公 理 において この よ うな ア ・ プ リオ リな総合. 1)経 験 の可能性 を め ぐる議論 につ いて は前掲 の拙 稿を参看 されたい。 2)Vglo M.Heidegger(2);a.a。. 0。. ,S.26..

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