• 検索結果がありません。

佛敎の自然觀 : 『敎理の整理と批判』のための覺書

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "佛敎の自然觀 : 『敎理の整理と批判』のための覺書"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

’ 自然と言ふとき、吾堯は先づ何よりも自然科學の對象としての自然を老へる。然し軍に自然科學の對象を自然と老 へるのみならず、更に人間が融會を構成する場合に於ける自然的なるもの、個人の惑意に災つては如何とも動かすこ との出來ないもの、そう云ったものをも含めて、それを自然と呼んでい&と恩ふ。 だから歴史的祗會を研究する歴史科學の對象の中に見出すことの出来る自然的なものも﹁自然﹂の概念に含めて論 ● を進めて行き度いと恩ふ。克澄して云へぱ、自然科學も膝史科學のうちに解消せしめ得ると云ふ立場から﹁唯一の科 學があるのみだ、そしてそれは歴史が科學である﹂と云ふ意味から、歴史科學の對象を自然と考へてもよい。こう云 ふ瓜に比虚では自然を庚義に捉へることに依って、﹁自然﹂の概念に﹁物質﹂と﹁物質の通勤﹂との雨意を含蓄させ て置き度いと恩ふのである。﹁自然﹂を廣義に解して物質の概念鞍縢臘にしたり、あいまいにしたりしやうとするも のでないことを断って置き度い。さしあたり至極卒直に考へて見て此@自然と言ふ概念のうちには、外界的自然、即 1

佛激の自然捌

11﹃教理の鑿

の ー

教の自然観

た理 あと の枇 判﹄

兇書I

里見泰穏

一 一 一 P 一 一 I 一 〃

(2)

ざ ち所謂自然と、内界的自然即ち身攪性と筵含んでゐる。 佛教も境︵外界的自然︶智︵内界的自然︶なる言葉莚有し、色︵外界的︶心︵内界的︶なる言表な有ってゐる。佛 教が多大の精力を割いて論及した心所の分析の如きも一種の内界的自然の分析研究と見られる。更に佛教が﹁諸行無 常﹄筵説いて萬物︵一切法︶の遜動流郷を考へたが、此の運動流郷は庚義の自然の研究の結果見出された法則である。 此論では、自然註廣義に考へる黙から、か上る流縛の法則も﹁佛教の自然﹂の概念に含めてやはり整理と批判の對象 にする積りである。こう云ふ自然に對して、科學に於て蟹も、常識に於て野も、兎に角人間が知識を渡得し、認識を 深めて行くと言ふことは、自然を支配せんがためである。眞の認識は支配であり力でなければならない。 然し認識は支配であると言っても勝手な圖式を頭脳に描いて、それに依って自然を支配しやうとしたり、その圃式 にあてはめたりしやうとするならば、却って人間は自然から手ひどく反駁され批判されなけれ俵ならない。故に、自 然莚支配することの出來る知識︵認識と云っても同じだ︶は、厳然たる事麓凸しての自然を反映してゐなければなら ない。此虚に人間の知識乃至思想に於て、自然が決定的な最後の力を有する所以がある。故に古今東西のイデオロー グ達が唯物論者と呼ばれるものたると観念論者と呼ばれるものたるとを問はす、すべて何等がの意味で自然を問題に せざるを得なかった。自然を問題にすること無しには、哲學史上に、観念論、唯物論なる名秘の腫別も生ずるには至 らなかったに蓮ひない。 観念論の典型と呼ばれる哲學や形而上學であっても、自然に就いて、恩ひわづらつた結果、始めて成立したもので、 決して簡軍に自然を主槻に歸せしめたものではない。自然と問題とすることなくしては、人間にとって問題となるも ﹄ のは無いからである。

佛教の自然翻

、 一 一 一 一 一 一

(3)

● かく考へて見ると、思想や哲學は自然に對して直接性を持たなけれ慨ならないと思はれる。自然に對して直接性を 持てば持つほど、その思想は力あるものと考へられる。早くは、自然科學の發逵し始めた近世の始めから、近くは急 自然を思想の生れ場所として吾人は持ってゐるのである。観念的な言語、抽象的な言葉が何れも、自然界の簡軍明 白な事賛に換言出來ることを見ても、人間の思想を表現する言語が自然界の事賀を基礎としてゐるととが考へられる。 概念窟の鴨鴎︶と云ふ潤逵語は握む急の鴨の号眉︶ことであり﹁正﹂は﹁眞正ぐ﹂なことを意味し、﹁不正﹂は﹁曲 れる﹂こと、﹁逮犯﹂は﹃線を越える﹂ことである。﹁頭﹂は﹁學識﹄を表現し﹁胸﹂は感情情緒逓顯はすなど、何 れも物質的外観を借りて、抽象的なことを意味せしめてゐる。如何に吾糞が想像を描いて見ても、自然と云ふ地盤か ら足を離すことは出來ない。天馬を想像したとしても、天馬そのものは、空想の所産であり、存在しないものである が、その部分である所の馬と弱とは自然界に存在するのである。佛典によく出て來る、寶有ならざるものA例、﹁兎 角﹄の如きも同様である。﹁兎角﹄は存在しないが、兎も角も蜜際に存在するのである。此の如く如何に塞想の所産 であってもその想像の素材は、自然に寶際にあるものから仰がなければならないのである。 哲學や形而上學や世界棚等、総て人間の想華は、全く自然の倶臘から、かけはなれた抽象的な産物と見えやうとも 必ず何等かの意味で自然を基礎とする。自然的地盤を踏み外歩したが最後,その思想は、羽産失った鳥のやうに、ぱ ったり地に蕗ちなければならぬ。自然から離れた思想哲學は既に何等思想ではあり得ないであらう。哲學は概念論と 唯物論との一.ろの系統に分類されると云はれるが、それに種盈の多様が見られるのは、その中間に於て、・それらの折 抽の様態に於て種共雑交なものが考︿られるからであるがこの雑多は主槻の自然に對する關係の如何によるものであ る。

佛教の自然籾

一 二 四

(4)

速に識證的な自然科學が發展せる十九世紀以後、自然や物質の地雛から離れる傾向のあった宗教や哲學が、自然科學 の直接的な知識によって、如何にその家蕊骨をゆり動かされたかを考へても、思想が自然に密接に聯關してゐなけれ ば、ほんとうの力を持たないことがわかる。 論理的操作が未だ發逵しなかった時代には、人類は、まともの自然を見た。然し槻念を操ることが多くなり、前時 代の文化の遺産を受け繼ぐことが出来るやうになり、或は叉書いたものから知識を受けとるやうになると、人間は次. 第に自然から、かけ離れて行ったやうに思はれる。或種の哲學や形而上學がそれである。 然し近世以来今日では自然科學が人間に自然に開する直裁な知識を與へる路を開いてくれてゐる。意識的に、無意 識的に、自然科學め知識が今日の垂見の日常生活に灌透せる度合の深さは驚くべきものがある。 現代では技術と祗會的生産とを考へないで、人間の生活を論じても全く無力であり、而も技術が自然科學の知識に 依存してゐるとと遂思へぱ、現今の人間の祗會生活が自然科學を通じて、得られた知識に如何に多くを負ふてゐるか 献會的責践の背後には、ふ たのものであるためには、紬 い。佛教と雌も、筒今日教師 が反省されてよい筈である。 後には、か は容易に首肯せられる。 I

佛教の自然籾

よる意味の科學的知識が生きて働いてゐるのである。故に今日の思想はそれが地上の吾 めには、如何なるものと雌も、自然科學、乃至歴史科箪と何等かの聯關が考へられなければならな 筒今日教脚を持ち、宗教として存減し、教理學と有し世界棚を持ってゐる限り、自然科學との聯關 一 一 、 、 一 五

(5)

ってよいと恩ふ。

少・

時代を維過するにつれて、その数理には、確かにある意味で發展が見受けられ”進歩の跡が存するのであるがゞ教 理のエレメントになるやうな概念や術語に至っては多く此の時代に作られたものであ・り、此の成果の上に、あるもの を加へつ上、教理史が形成せられて行ったのであるから、佛教思想が論ぜられる場合、少くとも此の時代まで遡ると かう云ふ黙から佛教盈理を詳細にしやうとすれば、先づ部派佛教時代から、その素材を得一﹂来ることが便利である 此の時代は佛教成立以來、始めて教理の組織化が問題となった期間であるからである。 殊に自然を見ると云ふ黙から云ぶと、後の發展佛教は、此の時代の知識を継承じ、此の時代の教理鵠系から學んだ のであって、最早それ以上に、それに對して、直接自然から學んだものを加へると云ふことは、殆んど無かったと言 とは必要である。 その教理の中に於て最も根本的なエレメントである﹁自然﹄に關しては、どうしても、此の時代に素材を求めなけ ればならぬ。それは此の時代の教理鵠系が、鵠系として原始的なものであるからである。 原始思想は自然に對する反省が弧いものである。佛教は、時と共に發展したのではあるが、その發展の意味は、自 然的なるもの、對象的底るものを如何にして、心識に旙入せしめるかの鮎に、思索力を消凌したことであり、その鮎 で稀兵形而上學的な方向をとり﹁三界唯心﹂的に世界遂解灘し、鵲系的鵲裁を整備しやうとしたことなのである。 此の事は、阿毘達磨の時代から佛敷に於ける愛相諭、縁起論の最後の開展である天台や華厳の教理に至るまでの ﹁心識﹄の發達展開の経路を顧みれば寒易に肯けることである。故に、華嚴經の三一界性心﹂や天台の.念三千﹂な る言葉を取って見ても、その三界、三千は對象を意味するものではあるけれども、それ等はそれぞれ、唯心の中に縦

佛激の自然籾

、 、 一 一 一 一 ︿

(6)

』 かくて、此の三千、三界を對象的なろものとして考へるとしてもかの原始人が、まともに見た自然や、虚心な嬰兒 の眼に映じた自然lが典る根本的なものからは遊だ速いものと考へねばならない。もう一歩進めて言ふならば、感 畳によって受取られ、霞験の操作によって確證せられ心ところの自然科學の自然からは隔絶したものであり、はるか な霧の彼方に押込められたものである。 日本に来た佛救は、普通﹁賛践的﹂と云ふ黙で、印度、支那の佛教か啄随別されるでもあらうが、然し教理そのも のから見れば、やはり多く、華嚴,天台の範園から出るものではない。勿論日本佛教が、日本の歴史の上で、貧賎的 の に作用せる場合に﹁歴史的意義﹂に導かれ、霞践的に日本の歴史的發展に何かを典へたと云ふ鮎で、その背後に、自 然的なるものが存在したことは老へられる。然し此の自然的なるものは、歴史的佛教の背後に動いたものではあって も、佛教持理外的なもののやうである。かう云ふ反自然的性格は、佛教教理に最初からあるものであらう。 一一一 j 在せしめられた三界であり、一念のうちに包蹄された三千であって、既に形而上學的な操作の結果生じたところの所噺 産である。 あった。此の學派が賞在論的鐸 る機織をなすのである。有部垂 文献であるかと云はれてゐる。 仙教に於て、自然とか、對象とか言ふものL方向に、深い關心を寄せた簸初の學派は、部派佛数中の論一切有部で つた。此の學派が賞在論的な形而上學遼主張したと云ふことが、佛教の自然棚を明にする場合に、先づ願りみられ 機縁をなすのである。有部が、蜜在論的な形而狸學と主張するに至る妓初の萠芽は、提婆設躍の﹁識身曇哩なる

佛教の自然観

= 七

(7)

、 従って、 である。 這理に應ぜず﹂と反駁して、三世篭有を主張したのがそれである。 在と無爲とは有薩,﹂との二世無の論に對して、此の論主が忍去無し皇至は道理に懸ぜずl未來無しといふは .即ち此の書物の第一巻から第二巻喚かけての﹁目乾連慈﹂に於て沙門目連なるものA﹁過去ふ未來とは無なり。規 宿部は此の三世愛有説を主張することに依って、常時の佛教諸派の間に於ける特異な一存在として大いに異彩を放 ったのである。當時の諸部派は総じて、大衆部系は勿論、上座部系のものであっても有部以外の諸派は、多く、三世 資有読には反對の立場に立ってゐた。勿論、総ての部派が、大衆部と同じ立場や主張を持つ・てゐたと言ふのではなく 説假部︵眞諦の分別説部︶は世法にも出世法にも、假賞あることを主張したと云ふし、飲光部の如きは、有部の賛在 論に近い論を有してゐた。然し徹底的に資在論を主張したのは、有部に限ってゐる。 大衆部等が一切の有爲法は死次に過ぎずといふやうな立場から、解脱の理想としての浬盤を中心として、四諦の中 では、減道諦を中心にして、凡てを解羅せんとしたのに對して、現實を見つめること深く、苦諦集諦に重きを置いて 現麓の存在︵人間をも含めて︶の様態を諭明することに力を傾注して來たことが、此の部派が佛教中に於て、自然的 なるものに對する顧慮の多い所以があり、叉自然的なるものに對して比較的忠賓なる所以があったのである。これ、 大衆部等が直接大乗佛教への發展の門であったのに對して有部が大乗から縁遠い理由もあるのであるが、そこに却っ て、玉男は興味を寄せるのである。 1 簡単に現賞を死次の如きものとして、直に浬梁の如き理想地へ逃避して了ふならば、そこには問題は少いのであり 從って、現賞との聯關が乏しいと云ふ鮎で、ほんとうの意味での思想性も、そこには少いと言はなければならないの

佛敦の自然籾

一 二二 八 一 P

(8)

有部の思想鰐系が阿頼耶識思想もさうであるが現賞の自然的なるものと.かなり忠蛮に受取った結果、それを解決 する際に如何に苦心してゐるか、更にそれからの離脱と言ふことに就いて、如何に、多くのエネルギーを喪消せるか を見ても、そこに多くの問題を持つてゐることが知られる。 有部が現黄の存在からの完全なる離脱︵無餘浬梁︶を死によってのみ達せられるものとした如きはよく此の間の消 息を傳へてゐると恩ふ。是等のことは、その罷系が動揺させられたことを意味するものであるが、此の動揺は、自然 的なるものが是等の佛教艘系を根本からゆり動かしてゐるのであって、そこに吾為は自然的厳るものの力が示されて ゐるのを見るのである。然し垂昊は、此の動揺のうちにこそ、却て、思想性の豊富さを見て取らうとするのである。 從って、中論の如き否定的な論法や後の發展佛致の教理に於ける﹁煩悩即菩提﹂﹁生死即浬梁﹂といふやうな﹁即﹂ の文字の使用による問題からの逃避には、一抹の思想的な脆弱性を感ずるのである。故に佛数の自然槻を見る場合に られることである。 有部以外の諸部派も、亦後の發展佛教も、共に、有部の如き﹁自然﹂への關心の弧い諸派の教理を批判しつ上も、 それから思想性を職承したものと思ふ。今日他の部派の典籍が、殆んど徳はらない中にあって、有部のものが、かく も多数に存在してゐると云ふことは偶然ではない。多くの人が、それに開心を懐いて、それを取扱ふととが屡交であ った結果でもあぢう。即ち有部の教理を地盤として、それをある黙で批判しつ上、ある黙では受容しつ上、換言すれ ば揚楽しつ上、發展したところの後世の佛教交理は、その思想性と有部等の如き、直接自然的なるものに開心した職 系から受取ったと言ふべきである。 j 大乗佛教の瓶と言はれた龍樹の中論が如何に執鋤に、有部の教理を批判してゐるかを見ても、此の間の消息は考へ

婁数の自然籾

~ −− 二 九

(9)

● 勿論有部と云っても、そか数理は次第に渡達して来たものである。六足論や發智論を経て、大毘婆娑論となり更に 倶舎論.順正理論に至って、最高潮に達したといふべきであらう。今腫それらの發逵のことは問題にしない。倶舍論 によると﹁識は二縁によりて生歩﹂といって、認識論的に二元論の立場をとってゐる。 q 即ち精祁現象は感蝿器官たる根と圃認識の對象たる境とを俟って始めて成立するものとするのである。根塊は能起 であり、識は所起の闘係にあるとするのである。此の黙から見ても︽有部系の思想が二元論的ではあるが職いかに認 識論的に對象を重覗してゐるかを伺ふことが出來る。 有部系の諭書に於て、諸法は種鳧に分類苔れたのであるが、途に世友がその著﹁品類足論辨五事品﹂に於て、五位 に分って以来.此の分類が一般に用ひられて居り、更に、晋光の倶舎論記に至って七十五法と確定せられ、五位七十 五法の名周が成立するやうになった此の五位の中・色法十一が第一位に置かれて五根、五境、無表色に分類せられて ゐるが眼、耳、鼻.舌&身の五根、色、難薗香瞳味、渦の五境の名目も一見してわかる様に、自然や物質を分類する のに生理的要素を標準として、何庭までも擬人的に取扱ってゐる。 と鰹は原始的な思想が自然筵取扱ふ時の常規であるやうであるが有部系の此の思想も是れを脱しでゐない。然し、 此の有部の自然槻に於ても、五根、五翰等の物理現象の、種変なる多様を統一的な侭系に、若しくは唯一の範式に総 括することが老へられてゐる。地水火風の凹大を考へて︲物質筵﹁四大種所造﹄と呼んでゐるが如き、叉極微駐誘い は先づ有部のそれ塗見て性格づければ、佛教全攪の自然槻の性格方向は規定することが出來るやうに思ふ。

佛敷の筒然獺

四 一 三 ○ 〆

(10)

夕 て、分子の如き浬 念がそれである。 分子の如きも 此の三つの範式のうち、極微論は、最も自然科學的な考へ方に近く、﹁有﹂の概念は最も形而上學的な性格を有し 凹大の考へはその中間に位するものであらう。そして極微と囚大とは物質にのみ開係してゐるものであるが、﹃有﹂ の概念は、物理的現象は勿論、心理的現象も、乃至理想たる無爲法をまでも總括せんとする範式であると云ふととが 出來る。極微や凶大の思想は、有部が常時の印度思想の影靭を受けて、その學読を取り入れたものであるが、﹁有﹄ ◆ の概念は有部の猫創的見解のやうである。 此の極微や凶大の様な唯物論的な當時の思想の影響を受けたことが、佛教内にあって、有部が賓在論的傾向の形而 上學を形成した一因があったことも想像出來る。極微や凶大の思想は、物質の分析の結果︵それが近代の如く、蜜験 の操作を経たものでなくとも︶物理的世界像を統一せんとしたものであり、その鮎唯物論的であり、自然科學的なも のであって、人間の感蝿を基礎にしたものである。勿論、極微等は香味等の物質現象に比較すれば、はるかに個人的 感覺から遠ざかってゐるものではあるが、此の種の感蝿からの隔離は、近代の自然科學にも存するのであって︵分子 や原子、電子を老へればよい︶此のために、これを非科學的とするは當らない。 然るに、三世資有説に於ける、﹁有﹂の概念は純粋思辨の所産であり、頭脳的抽象の結果願はれて來つたものであ ることは明かであるc﹁有﹄の概念が、一切法の﹁資艘﹂︵順正理論は屡交蜜艘の言を凧辨てゐる︶と考へられてゐ る黙から見て、此のことは首肯されることである。而して佛教では、此の﹃有﹂の概念は後世發達せしめられ︵阿頼 凸 耶識思想に於ける名言種子の考へは是れの發展に外ならぬ︶てゐるのであるが、極微や四大の思想は、その本來の唯 のを毒へてゐるとと、叉更に、此の部派の最も著るしい特綴である三世質有説に於ける﹁有﹂の概

佛教の自然糎

〆 一一一一一 一 ー

(11)

、 物論的な性格遂失って、有部やその他の佛激の思想艘系に残存して來たに留まってゐる。 ● 此の事賞は佛教思想の方向や性格から規定されたのでもあり、それに依って佛教思想の性絡を知る●ことも出來る。 勿論、三世賞有の﹁有﹂の概念が生ずるに至った動機は、個人倫理的な、道徳的修道的なものにあったと老へられる。 識身足論が﹁二世無﹂の訟を反駁するのに、己槻、今槻、鴬棚することが出來るのは、三世が有る所以であり、若 し三世が無ければ己観、今槻、當観することが出來す、従って、己厭、今厭う當厭することが出來す、従って亦已般 浬梁、今般浬桑、営般浬梁することが出來ないと論じてゐることから見ても、此の﹁有﹄の概念が主張される根底に は修道的倫理的なものが存してゐるととが老へられる。 叉毘婆沙論巻二十二に﹃問ふ、遜去、未來の随眠は亦随増するや否や。答ふ。彼は亦随均す﹂とあるによっても、 趾の﹁有﹂の概念は修遁的な問題を契機として來たものである事が判る。倶舍論巻二十の例の三世資有の證明の數證 の中にも同様のことがある。即ち、﹁過去の色の是鯉有なるを以ての故に應に多聞の聖弟子衆は過去の色に於て厭捻 を勤修すべし﹂と云ってゐる。未來の色に就ても同様のことが説かれてゐる。 鋤 是等に依って見ても、個人的修道を重んじた結果﹁有﹂の概念が生じて來た§のであることが考へられる。佛教の 意圖が、最初から此虚にあったと言ふことが、極微思想の如き科學的なるものを離れて、形而上學的な思想たる﹃有﹂ の概念を發展せしめ、この性格が發展佛教に蔵れぱなる程続共甚だしくなったと云ってよいと思ふ。 個人の﹁畳﹂と云ふ貧践的地盤の上に震生した世界観の持つ自然観が、自然の客観的な法則に倣ふととから離れや うとする傾向が生ずるのは常然である、自然は寧ろ個人的な主柵の投影でなければならないとの傾向に此の私の世界 槻は向って行くからである。

佛教の自然狐、三三

(12)

1 佛教の賛賎的地盤は何虚までも個人的であって、就會的ではない故に人間の煩悩︵人間に於ける自然的なるもの︶ の分析は煩鎖を極める程であるのに、肚會的なものへの厭慰は全くないのである。僧侶の制度はあっても、それは、 只個人的に修適するものが、便宜的に集合してゐるに遜ぎないもので未だ祇會の性質を帯びたものでは蔵い。殊に、重 要なことは僧侶そのものは、布施によって生活してゐるのであって、僧侶と云ふ祗會には生産が厳いと云ふことであ る。僧侶そのものが一般の如何なる生産的祗會に依存してゐるかは問題になることであるが、僧侶が佛教内に於ける 祗會的なものであると云ふことは大して意味がないと思ふ。 かく就會的地盤を、その思想艘系のうちに取込んでゐない佛教粂理からは風の意味の歴史性は老へられず、叉對象、 を支配する勢働や技術が問題となるとともない。紬ては個人的修遁にかょはつてゐるのみである。個人的髭を中心に して、個人的行爲の説明のために、對象の自然的なるものが、結局に於て歪められ、宗教的質践の資用のために有利 なやうに理解せられて、そこに一つの世界観を、つくり上げられてゐるのが佛教の世界観のやうである。 佛教にも、全然歴史が問題にならないではない。三時槻や五箇の五百歳説溌ある。然しそれもやはり慾︲佛教的性格 を荷ったものであることをまぬがれないのであるから、そこからは直には、藤史性は受取られないのである。歴史の 基底には時間の概念が横はってゐるが、此の時間に對しても佛教の態度は、やはり非歴史的である。佛教の時間に就 いては曾て詳細にして見たことがあり、その梗概を發表したこともあるが、佛教史観に就いても︵これは厘盈論じら も れた問題ではあるが︶論ずる機會を得たいと思ってゐる。

佛敦の自然翻

0 一 一 一 一 一 一 一

参照

関連したドキュメント

7.自助グループ

   遠くに住んでいる、家に入られることに抵抗感があるなどの 療養中の子どもへの直接支援の難しさを、 IT という手段を使えば

歴史的にはニュージーランドの災害対応は自然災害から軍事目的のための Civil Defence 要素を含めたものに転換され、さらに自然災害対策に再度転換がなされるといった背景が

層の積年の思いがここに表出しているようにも思われる︒日本の東アジア大国コンサート構想は︑

本判決が不合理だとした事実関係の︱つに原因となった暴行を裏づける診断書ないし患部写真の欠落がある︒この

行ない難いことを当然予想している制度であり︑

ぎり︑第三文の効力について疑問を唱えるものは見当たらないのは︑実質的には右のような理由によるものと思われ

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から