授業のイノベーションにおける発達的ワークリサー
チの可能性と課題 ―日本における活動理論研究の
さらなる発展のための方法論的試論―
著者
松本 浩司
雑誌名
名古屋学院大学論集 社会科学篇
巻
49
号
4
ページ
85-96
発行年
2013-03
URL
http://doi.org/10.15012/00000053
はじめに 本稿は,日本における活動理論研究のさらな る発展を企図して,授業のイノベーションにお ける発達的ワークリサーチの可能性と課題につ いて,特にその方法論的側面から試論を展開し ようとするものである。 活動理論は,実践における学習と発達を研 究対象とし(茂呂2012),方法論として行動 (action)と介入(intervention)を重視する (Sannino 2011)が,その理論的立場は多様で あるとも言われている(Cole 1996)。 日本でも活動理論に関する論文は増えてきて おり,2012年12月18日にCiniiで「活動理論」 を検索すると,158件の論文が表示された。ま た,日本においても活動理論研究のコミュニ ティが形成されつつあり,日本における活動理 論研究の先駆者のひとりである,山住勝広関西 大学教授を中心として,2011年に「活動理論 学会」が設立されたり,2012年には日本教育 学会でラウンドテーブル「活動理論と教育のイ ノベーション」が行われたりしている。 さて,日本における活動理論研究の多くは, Yrjö Engeströmの理論に基づくものである(山 住2004;伊藤2007;服部・徳本2007;保坂・ 尾藤2007など)。おそらく,Engeström(1987 =1999)が日本における活動理論の発展の端 緒になったからであろうと推測される。その Engeström(1987)による理論の枠組みは, 拡張的学習とそれを実現するための実践的方法 論である発達的ワークリサーチから成っている。 既に松本(2012:14)が,日本における活 動理論研究の可能性と課題を論じるなかで, 「Engeström(やその三角形モデル)に基づき ながらも,それを越えていく活動理論を構築し ていく方向性も模索していく必要がある」と述 べているように,日本における活動理論研究を 発展させるためには,Engeströmの理論をよ り深めたり,あるいはそれを相対的に捉えたり, 新たな理論的枠組みを築き上げていく必要があ る。 そこで,本稿においては,それらの課題すべ てに満足に応えることは難しいが,そのきっき かけを創るべく,授業のイノベーションにおけ る発達的ワークリサーチの可能性と課題につい て論じたい。そのために,まず,「教師の専門 性」という概念を中心に授業のイノベーショ ンについて活動理論の観点から論じる。次に, Engeströmの活動理論と発達的ワークリサー チのポイントについて筆者なりに要約して示し たうえで,発達的ワークリサーチをめぐる論点 を示す。そして,それらのまとめとして,発達 的ワークリサーチに基づく研究成果を公開する ための方法について論じる。
授業のイノベーションにおける
発達的ワークリサーチの可能性と課題
―日本における活動理論研究のさらなる発展のための方法論的試論1)―松 本 浩 司
1. 授業のイノベーションへの視点―「教 師の専門性」をどのように捉えるのか 活動理論は,方法論として行動と介入を重視 するものであるから,それらに基づき研究対象 となる実践(本稿の対象としては学校教育にお ける授業)にイノベーションをもたらすことを 目指す理論であると言える。 授業の実践において,教師が果たすべき役割 は大きく,そのイノベーションにおいても重要 な役割を果たす。したがって,授業のイノベー ションにおいて,教師の資質や専門性の向上を 目指すことは必要であるが,認知・学習科学の 知見からは,教師の資質あるいは専門性を,教 師個人のなかに閉じた属性として捉えるのでは なく,より幅広い視野で捉えることが提案され ている。 例えば,分散認知の観点からは,教師の専 門性は,「パーソン・プラス」(Perkins 1993 =2004: 120)と捉えられる。知識の「分散と は共有することも意味して」(Salomon 1993= 2004: 147)おり,「知識の蓄えは,人々の活動 の中にある特徴として概念化するとき,より適 切で,より生産的で」(Moll et al 1993=2004: 204)あると考えられている。 また,状況論の観点からは,教師の専門性 の 発 達 は,「 参 加(participation) と 客 体 化 (raification)」(Wenger 1999)を伴う「正統的 周辺参加」(Lave and Wenger 1991)から「十 全的参加」に至る,複数の実践共同体(教科, 学年,学校など)に属することを通したアイデ ンティティ(専門性)の形成(Wenger 1999) と捉えることができる。 さらに,Engeströmの活動理論からは,授 業における教師の実践を,ルール・共同体・分 業という活動の社会組織的要素に基づいた,道 具に媒介された主体(教師)が対象(子ども) に働きかける営みとして分析することができ る。その社会組織的要素を広く捉えれば,教師 相互の関係だけでなく,教師の営みに影響を与 える様々な要素を組み入れることが可能である。 これらの観点を総合すると,教師の専門性は, 様々な社会組織的要素との関係に基づいた,特 に教師相互の協働に基づいたダイナミックな性 質のものであると捉えることができる。教師の 専門性に関するこのような捉え方の変化は,教 師教育研究におけるパラダイム転換のひとつと して山住(2004)が指摘したものである。 教師の専門性を教師の協働に基づくものと捉 えると,今津(1988:13)が教師教育の「学 校教育改革モデル」として表したように,学校 教育のイノベーションは「教師―生徒関係を中 心とする教師の役割行動を改善することを通し て授業を核とした学校教育(schooling)その ものの質を向上させる」ことを目指すものとな る。 このように,教師の専門性の向上を中核とし た授業のイノベーションを企図するとき,教師 個人のみに注目するのではなく,様々な社会組 織的要素との関係に基づいた教師相互の協働が 埋め込まれる活動システムに注目することが重 要である。例えば,松本(2010)で紹介され た,アメリカ・ジョージア大学の教員養成教育 における「文脈的教授・学習(CTL)」プロジェ クトでは,大学における教員養成教育も教室に おける授業実践もともに変革し続けることを志 向した,「CTLを通して,CTLを大学教員も学 生(将来の教師)もともに学び続ける」教育モ デルを構築していた。この実践事例を活動理論 の観点から解釈すれば,CTLの理論的追究と 実践的開発を志向する大学教員と教師との協働 に基づく,授業のイノベーションを創造する実
践であると分析することができる。このような 実践を創造していくことが,活動理論や発達的 ワークリサーチの課題である。 2. Engestro・・mの活動理論と発達的ワーク リサーチのポイント 先述したように,日本における活動理論研究 のほとんどは,Engeströmの理論に基づいて いるが,そのさらなる発展を目指すためには, Engeströmの理論こそ拡張される必要がある。 ここでは,簡潔にEngeströmの理論のポイン トについて概観しておき,次章でその課題につ いて論じる。 Engeström(1987)は,活動理論の発展に おける世代区分として,第1世代=主体(個人) が対象に働きかけるときの「媒介」=「道具」 の発見,第2世代=主体と共同体との複合的な 相互関係への注目(=活動システムの三角形モ デル),第3世代=2つ以上の活動システムの相 互作用への注目,としている。これを図示した ものが図1である。それぞれの世代間に優劣が あるわけでなく,研究の対象によってそれぞれ の世代の理論を使い分けることになる。 Engeström(1987)は,そのうちの第3世代 理論の展開を目指すとともに,活動が抱える「矛 盾」に注目し,その矛盾を集団的に解決するた めの活動を創造する実践的な理論を構築しよう と試みている。そのうえで,Engeström(1987) は,活動システムにおける矛盾を図2のように 4つのレベルに分類している。そのうち,レベ ル1・2・4は現在の活動における要素間の対立 であり,レベル3は現在の活動と望むべき(進 化した)活動との対立であると捉えることがで きる。このように矛盾を捉えると,活動理論は, ほぼすべての教育の営みを研究対象とすること ができるし,授業のイノベーションを考えるう えでは,レベル3の視点が欠かせない。 そのようなEngeström(1987)の目的を達 成するための概念装置が,「拡張的学習」であり, その方法論としての「発達的ワークリサーチ」 である。 前者の拡張的学習とは,学習理論の核心は 「人々は自らの周りの状況を変えることによっ て,いかに自分たち自身を変えることができる か,という問題」(Engeström 1987=1999: i) であるという前提に立ったうえで,活動に参加 する者自身が変革の主体となり,社会変革をも たらすような学習と定義される。 後者の「発達的ワークリサーチ」は,「行為 者がみずからの実践を分析し,デザインし直す さいに,新しい概念的なツールを利用できるよ (Engeström の整理による。図示は筆者。) 図 1 活動理論の世代間関係図
うにすることで,活動の矛盾を目に見えるもの とし,その解消をもたらすこと」(Engeström 1987=1999: 15),つまり実践に拡張的学習を 生成させることを目指す介入の方法論である。 発達的ワークリサーチのおおよその手順は, Engeström(1987=1999: 333)に示された方 法論的サイクル(図3)と,Engeström(1987 =1999: 16)に示された一般的デザイン(図4) とを踏まえると,下記の通りに要約することが できる。ただし,実際の作業は,直線的にでは なく,段階間を往復することも必要である。 手順1:対象となる活動を観察・記録し,記 述する。これは,対象となる活動を特定し,そ こで活動に参加する者が抱える矛盾を把握する ことを目標に行う。 手順2:手順1で得たデータを分析する。こ の作業は,手順1で把握された活動に参加する 者が抱える矛盾が,活動におけるどの要素間の 矛盾によって引き起こされているのかを特定す ることを目標に行う。この際に三角形モデルを 用いることは有用であるが,もし第1世代の視 点のみで研究を展開できるのであれば,必ず使 わなければならないということはない。また, 第3世代の視点を考慮するのであれば,他の活 動システムとの相互作用の可能性も考慮しつつ 分析することが望ましいと思われる。さらに, 三角形モデルでは表現しにくい,経時的変化に ついても把握・分析するように努める。 手順3:以上で明らかになった矛盾の解決の ために,新しい道具を開発する。その際,新し い道具を用いると,活動がどのように変化する のかを予測するために,手順1・2で用いた方 法や枠組みを活用することは有用である。 手順4:開発された道具を実際の活動に適用 し,変化後の活動を観察・記述する。この際, 多くの場合で手順1で用いた手法を繰り返し用 (出典)Engeström(1987=1999: 92)。 図 2 Engeström による活動システムにおける矛盾の分類
いることになると思われる。 手順5:介入の成果を検証し,さらなるイノ ベーションにつなげる。 このような手順で進められる発達的ワークリ サーチのポイント(特徴)は,次のようにまと められる。まず,①矛盾を止揚すること,すな わち,人間および活動が成長するために,矛盾 に直面させ,それを乗り越えさせること,②新 しいツールを創出すること,である。特に,② については,Engeström(1987=1999: 17)が 「介入は,(中略)新たなツールを導入しそれを 協同で用いていくことにもとづいている」と述 べているから,どんな新しいツールが開発され たのか,そのプロセスとツールの特長が明らか にされなければならない。 また,先に引用した拡張的学習と発達的ワー クリサーチの定義から,発達的ワークリサーチ は,拡張的学習の中核的な特徴である,③実践 者の主体性(エージェンシティ)を促進するも のでなくてはならない。よって,上記の手順は, (出典)Engeström(1987=1999: 333)。 図 3 発達的ワークリサーチの方法論的サイクル (出典)Engeström(1987=1999: 16)。 図 4 発達的ワークリサーチの一般的デザイン
研究者(介入者)から見た手順を示しているが, 実際には実践者が主体的にこれらの手順に参加 する仕組みや工夫が求められる。 さらに,方法論的特徴として,④事例研究(質 的研究)に徹することが挙げられる。事例研究 を徹底することは,他の事例への応用可能性と トレードオフの関係になることに注意が必要で あるが,教育学研究(とりわけ,教育実践研 究)の範疇で言えば,すべての授業に適用可能 な教授法など存在しない(Bransford et al eds 2000)のであるから,教育学研究自体が個別 性に向かっているのであろうし,それは望まし いことである。 3. 発達的ワークリサーチをめぐる課題・ 論点 これまで,Engeströmによる活動理論に基 づく発達的ワークリサーチの特徴を論じてき た。本章では,主に授業のイノベーションにお いて発達的ワークリサーチを実践する際に問題 となるであろう課題・論点について,筆者が思 いつく限り挙げておきたい。 (1)活動システムの重層性をめぐる問題 加登本(2012)は,小学校体育科での授業 実践における子どもたちの球技活動を活動理論 で分析するなかで,「高技能児のみが活躍する」 という,クラスを越えた「競技スポーツの論理」 が浸透していたことを発見している。この知見 が示しているのは,主体・道具・対象が子ども・ 球技・その結果である子どもたちの球技活動と いう活動システムと,その活動システムを越え た,それら主体・道具・対象を同一とする「競 技スポーツの論理」が支配する,より大きな活 動システムが存在しているということであり, 子どもたちの球技活動はより大きな活動システ ムの社会組織的要素に影響を受けているという ことである。このような活動システムのあり方 を,ここでは「活動システムの重層性」と呼ん でおきたい(図5)。「重層性」というからには, その層は3層以上にわたる場合も当然ありうる。 「活動システムの重層性」から考えると,発 達的ワークリサーチを実践する際の問題は,分 析の枠組みとしてどの層に焦点化すべきなの か,あるいはそれができるのか,といった問題 が生じる。授業実践は,活動システムを構成 していると考えうるものだけを挙げるとして も,学習集団,クラス,学年,学校,学校を越 えた多様な社会的な集団など,重層的な営みで ある。そのどれに焦点化するかをアプリオリに Engeströmの理論から導き出すことはおそら く不可能だろう。すると,発達的ワークリサー チを進める際には,特に第3世代の視点から分 析するのであれば,まず,対象とする活動が活 動システムとして分析しうるシステム性を有し ているのかについて論証することが必要になる と考えられる。 図 5 活動システムの重層性(イメージ)
(2)ツール開発の限界をめぐる問題 Engeström(1996)は,発達的ワークリサー チの要となる,新しいツールの開発の困難に関 して,①道具の拡張的潜在力が失われること, ②活動の社会組織的要素の変革をもたらさない こと,の2点を挙げている。 前者に関しては,2つの解釈が可能である。 ひとつは,活動システム外の要素との関係で理 解するなら,発達的ワークリサーチが志向する 研究の事例性に照らして,活動システム外への 影響に関しては特に考慮する必要はない。もう ひとつは,活動の経時的変化との関係で理解す るなら,それはやむを得ないものであり,新し いツールの導入によって理論的に予測された変 化をもたらさない場合もあることも考えれば, この困難は容易に解決しない問題である。 むしろ,より大きな問題は後者である。個人 の行為から集団の実践へと視点を拡張してきた 活動理論に基づく発達的ワークリサーチにとっ て,社会組織的要素を変革するためのツールを 開発することは重要な目標のひとつである。も し,主体と対象との媒介に変化をもたらすの みに終わるのであれば,第1世代までの活動理 論で説明しうる範囲でしか発達的ワークリサー チは展開できないということになる。この困難 が生じる要因のひとつは,活動システムの重層 性によるものと考えられる。おそらく,より大 きな活動システムから意図せざる影響を受ける からではないか。だとすれば,私たちが発達的 ワークリサーチを行うときには,活動システム の重層性を含めて活動システム外の要素を考慮 して,介入を展開していかざるを得ず,それは 大きな困難になりうる。 (3)協働意識をめぐるジレンマをめぐる問題 Engeströmの活動理論や発達的ワークリ サーチが目指す,矛盾の集団的な超越を実現す るためには,まず,その活動に参加する人々が 共通してその超越を目指そうとする協働意識が 欠かせないと筆者は考えている。協働のない活 動では,個人の矛盾が断片化され周縁化される。 つまり,本来その活動を拡張する契機となるは ずの矛盾を強く感じている個人ほど,その活動 において断片化・周縁化され,その個人が活動 から離脱する,という結果になるという問題で ある。この場合,結果としては,その活動は変 化せずに持続するということになるが,それで よいのだろうか。 筆者は,ここに発達的ワークリサーチのジレ ンマが存在すると考えている。つまり,協働意 識のない組織こそが最も介入が必要であるが, 介入できるのは協働意識のもともとある組織で あるという問題である。この問題は,授業のイ ノベーションにおいて,いわゆる「学級王国」 と言われる学校の閉鎖性に象徴されるものであ る。 このように考えれば,発達的ワークリサーチ において,まず問題にすべきは,協働意識をど う構築するかということではないか。個人の意 識に注目することは,主体と対象との媒介に注 目する活動理論(特に三角形モデル)において, 主体内部のダイナミクスを把握しづらいという 弱点に突き当たることになるかもしれないが, 論究すべき問題である。 この協働意識のジレンマとの関連で問題とな るのは,集団的な矛盾と個人の矛盾とはいかな る関係なのかという問題である。集団に矛盾が 存在することはできるが,その矛盾を感じたり 解決したりすることは主体(個人)にしかでき ない。だとすれば,個人が感じる矛盾を解決し ても,自ずと活動システムの矛盾が解決された とは言えないこともある。あるいは,逆に集団
に存在する矛盾を解決すれば,個人の矛盾が解 決されるともやはり言い切れない。これは,発 達的ワークリサーチの特徴である矛盾の止揚と はいかなる方法で可能なのか,またそれをどの ように記述するのかという問題である。 (4) 研究者の介入と実践者の主体性との対立を めぐる問題 Engeströmの活動理論が,実践者の主体性 を促進することを目指すものであるとすれば, 研究者の介入と実践者の主体性とは,時に対立 する概念である。実験計画法において無視され てきたとEngeström(2011)が指摘している, 介入に対する実践者自身の側からの「抵抗」と いう現象はまさにその証左である。 おそらく,現実的な解決策のひとつは,実践 者の主体性の増大に伴って,介入を減らしてい くということになるだろう。もうひとつの解決 策としては,そもそも,主体性は,自律性とは 異なる概念であり,協働的でありつつも主体的 であるという「協働的な主体性」というもの が成り立つことを理論的に追究することであ る。あるいは,別の解決策として,研究者が介 入しない,実践者のみで展開する発達的ワーク リサーチは可能であるのかについて追究するこ ともできる。実践者の主体性が望ましいのであ れば,実践者のみで展開できる発達的ワークリ サーチもあってもよいと言える。その場合,活 動理論の特徴である介入主義を捨てることにな るが,それでもよいかどうかは検討しなければ ならない。 (5) 拡張的学習が生成されたときの集団的・個 人的変化に関する問題 拡張的学習は,活動システムが拡張すること であるとEngeströmは考えているが,特に研 究を実践するというレベルで,活動システムが 拡張したとはいったいどんな現象を指している のかについては明確になっているとは言えな い。発達的ワークリサーチによって矛盾が止揚 されれば,ただちに活動システムが拡張したと 言ってもよいのだろうか。あるいは,拡張的学 習が生成されたときの集団的・個人的変化を示 す何か特徴的な現象はあるのだろうか。それは, 発達的ワークリサーチの過程を記録するとき, 何を記録すれば目的が達成されたと言えるのか という問題でもある。 もちろん,私たちは,発達的ワークリサーチ の目標として,そもそも拡張的学習を目指すべ きかどうかということについても追究すること はできる。つまり,活動理論は,学習の理論で あるのだから,矛盾が止揚された結果として何 らかの学習が起こっていれば,Engeströmが 言う拡張的学習は起こっていなくてもよいと考 えることもできる。これは,発達的ワークリサー チと拡張的学習とを切り離して理論化できるか という問題でもある。 (6)活動理論の用法をめぐる問題 先述したように,活動理論は介入と行為を重 視するのであるから,研究者の介入という行為 を伴うものが活動理論研究であり,発達的ワー クリサーチであると一応は定義づけられる。 だとすれば,活動を三角形モデルで分析する だけ,あるいは拡張的学習を起こったことを傍 観者的に記述するような研究は,活動理論研究 としては不十分・不適切なのだろうか。(これ と似た問題が,先述した実践者のみで行われる 発達的ワークリサーチは成り立ちうるかという 問題である。) 筆者は,そのような研究でも先の(5)で論 じた課題の解決に関わる知見が生まれるのであ
れば,活動理論研究として意義があると考えて いる。ただし,その場合は,そのような研究が 介入と行為を重視する活動理論研究にどのよう に貢献するものであるのかをいっそう明確に説 明する必要がある。 4. 発達的ワークリサーチに基づく研究成 果を公開するために 上記のような未解決の問題は残されている が,発達的ワークリサーチにはフィンランド・ エスポー(Espoo)市の医療センターにおける 医療活動の再組織化に関する研究(Engeström 1993)のような成功事例も報告されており, 授業のイノベーションにおいても,問題が解決 するまで何もしないということではなく,実際 に研究を展開していく中で,それらの問題が追 究されていくことが望ましい。 したがって,活動理論の今後の発展のために は,発達的ワークリサーチに関する良質の実践 研究報告が欠かせない。ここでは,その報告の 際に筆者が重要と考えるポイントを整理してお きたい。 まず,先述した発達的ワークリサーチの4つ のポイントについては,必ず論証される必要が ある。そのうえで,特に活動システムを研究対 象とするのであれば,その活動がシステムを構 成していると判断する根拠もあわせて示されな ければならない。その際,活動システムの重層 性についても考慮し,対象とする活動に影響を 与える他の社会組織的要素があるのであれば, それも説明することが望ましい。 これらを論証する際のデータの収集と解釈に おいては,秋田(2005)がアクション・リサー チの方法として述べたデータ・理論の「トライ アンギュレーション」が参考になる。つまり, 異なる時間や空間,人を含むデータを,複数の 理論的観点から収集し,解釈するということで ある。 また,特に第3世代理論の観点から,複数の 活動システムによる生成を分析対象とするので あれば,その生成物だけでなく,活動システム 自身の変化も記述する必要がある。このとき, Engeström(2001: 136)で示された,2つの活 動システムが相互作用する図がよく使われる が,発達的ワークリサーチが目指す拡張的学習 は活動システムそのものが拡張することである のだから,新たな生成物だけでなく,むしろそ の結果として活動システムがどのように変化し たのかを示すことが重要である。そのような意 味で,筆者はその図の修正案を図6に示す。 (生成物だけではなく,活動システム自身の変化にも注目する) 図 6 2 つの活動システムの相互作用モデル(筆者の修正案)
5.まとめ 本稿は,日本における活動理論研究のさらな る発展を企図して,授業のイノベーションにお ける発達的ワークリサーチの可能性と課題につ いて,特にその方法論的側面から試論を展開し ようと試みた。 授業におけるイノベーションにおける発達的 ワークリサーチは,協働に根ざした専門性に基 づく教師集団の活動システムの拡張と教師個人 の学習を促進することを目指しているが,その 際,学校の閉鎖性などの協働意識に関わる障害 をどう克服するかが問題になるだろう。 また,本稿では,発達的ワークリサーチをめ ぐる論点を示した。それらの課題が示している のは,Engeströmの拡張的学習や発達的ワー クリサーチの理論は,現時点では成熟したもの ではなく,それらの実践的な追究を通して,よ り強固な理論化を目指していかなくてはならな いということである。そのように,Engeström の理論を相対的に眺め,実践における学習と発 達を研究対象とするという活動理論の原点に立 ち返って,Engeströmの理論を検討すること で,活動理論研究はさらに発展するだろうと筆 者は考えている。 特に発達的ワークリサーチの課題としては, アクションリサーチとの違いはあるのかについ ても検討する必要がある。アクションリサーチ は,介入者の存在は必須ではないが,行為する ことを重視する点や問題の実践的な解決を志向 している点は,発達的ワークリサーチと共通し ている。筆者は,その違いを意識して,本稿の ように発達的ワークリサーチの特徴をまとめて みたが,同じく本稿に示した論点を追究すると, その境界があいまいになることもありうると筆 者は考えている。 最後に,本稿はあくまで試論であるから,こ れをたたき台にしていただき,日本における活 動理論研究が発展していくことを祈念したい。 注 1) 本稿は,日本教育学会第71回大会(2012年8月) ラウンドテーブル「活動理論と教育のイノベー ション」における提案「授業改革における発達 的ワークリサーチの課題と可能性」に加筆修正 したものである。 引用文献 秋田喜代美,2005,「学校でのアクション・リサー チ―学校との協働生成的研究」秋田喜代美・恒 吉僚子・佐藤学編『教育研究のメソドロジー― 学校参加型マインドへのいざない』東京大学出 版会:163 ― 89.
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