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中国における女子高等教育機関の再編と課題に関する研究―1980年代以降の中華女子学院に注目して― [ PDF

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Academic year: 2021

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1 目次 序章 第一節 研究目的と対象 第二節 先行研究 第三節 研究方法 第四節 本論文の構造 第一章 教育とジェンダーをめぐる論争及び世界の変動 第一節 女子教育に関する認識と論争 第二節 アメリカと日本の女子大学の発展と現状 第三節 世界の女子大学からの示唆と経験 第二章 中国における女子高等教育の流れと背景 第一節 女子高等教育の発祥と社会情勢 第二節 中華人民共和国の教育改革と女子大学の消失 第三節 小括 第三章 改革開放以降の女子学院の復校と新しい展開 第一節 改革開放以降の社会変化と女子大学の再開 第二節 男女共学大学における二級女子学院の発展 第三節 二級女子学院の課題 第四章 独立女子学院―中華女子学院 第一節 歴史変遷とカリキュラム 第二節 実践的教学システムの構築と就職状況 第三節 小括 終章 第一節 まとめ 第二節 本研究の成果と課題 2 概要 序章 現在、高等教育において、男女共学は主流として認めら れているが、女性を男性中心の教育システムに入れ、ジェ ンダーという社会的・文化的・心理的な性差(セックスと いう生物学的な性差に対して生後に形成された性差)が無 視されるという女性の成長に対するマイナスという批判が ある。このため、高等教育とジェンダーの関係を再吟味し なければならいと主張され、男女別学の利点も議論される ようになった。中国では、中華人民共和国の建国後、女子 大学の姿が 30 年間消失していたが、1980 年代以降、新し い女子高等教育機関が開かれ、拡大され、学生の入学も急 増するという現象が起きている。そこで、世界において女 子高等教育の誕生、流れと現状、中国の女子大学の発祥と 発展、中国における政治体制の変換とそれに伴う女性観の 変化と、1980 年代以降復活された女子高等教育機関の調査 研究などを通して、中国における女子高等教育の実態変化 と再編を中心に探究する。 先行研究では、中国における女子教育の歴史を整理し、 歴史の視点から、全体的に女子教育の特徴を把握する文献 が多い。これらの発展について、趙(1999)は現在の女子 大学の問題点と課題を見いだし、女子大学の今後の発展と 方向を展望した。比較研究領域に関して、周・張(2014) は異なる時期の中国における女子大学を比較して、差異と 共通をまとめた。趙(2006)は日中女子大学の在学生の自 信レベルに関する比較研究を行い、それぞれの学生像を分 析できた。現代中国の女子大学の特徴的なカリキュラムに ついて、安(2002)は女子大学がジェンダー理論を重視し ている教育はすでに積極的な効果が出たと指摘した。現代 中国の女子教育研究について、陳(2007)は歴史学の研究 に集中しすぎて、歴史学と教育学と有機に結び付ける研究 がほとんどないと指摘した。 以上から、中国における女子高等教育の誕生、発展から 消失、復活までの変化の様子に触れた研究が少ないことが 分かった。さらに、当時の社会背景と大きな変動が女性解 放の理念と女性観を影響することを通じて、女子高等教育 に対してどのような変容をもたらしたのかを研究する文献 も多くないといえる。 女子教育は、教育におけるジェンダー問題を反映してい ると同時に、社会的な広い文脈の中で考えれば、政治体制、 経済状況、女性解放、女性労働、女性観と男女平等理念に も緊密に関わっている。異なる国と文脈の中で考えると大 きな差異があるため、中国の独特な社会変遷を参考しなが ら現代女子大学の変容と課題を探求する必要があると考え ている。

中国における女子高等教育機関の再編と課題に関する研究

―1980 年代以降の中華女子学院に注目して―

キーワード: 女子高等教育 中国 ジェンダー 中華女子学院 教育システム専攻 賈 春暉

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研究意義について、改革開放後、国際社会と国内情勢の 変動に伴い、中国の女子大学は国内外の社会から多くの支 援を得、急速的に発展している。しかし、現在社会の知名 度と女子大学への認識はまだ高いと言えないだろう。女子 大学の存在について、男女共学が主流の社会では女子教育 の役割と内容は一体どのように変化してきたのであろうか。 30 年間の消失と改革開放後の復活の背後には、どのような 原因と社会状況があるだろうか。将来の発展方向について、 特色を見つけなければならないが、現在の特色はどのよう なニーズに基づくものだろうか。女子大学の発展のスピー ドが緩やかになっている現在、この教育現象を実践と合わ せて分析すべき時期であると考える。 中国における女子高等教育機関は三つのタイプに分け られているが、二級女子学院、女子学院、独立女子大学を 明確に区別されないまま使用されている場合が多い。本論 文では女性を教育主体とした独立設置の女子学院を主な研 究対象として、男女共学大学の下で設置された二級女子学 院を参考しながら考察したいと考えている。 本研究は世界の女子高等教育の歴史を参考にしながら、 中国の二級女子学院との比較を念頭におきつつ、1980 年代 以降の独立設置の女子学院に注目して、女子高等教育機関 がどのように再編されてきたのか、そして、婦女連合会を はじめとする社会「主流」の女性観と男女平等観を見直そ うとするものである。また、その歴史的な発展を概観した 上で、国家や社会状況に影響されている女子高等教育の変 遷と、女性の労働や社会進出度及び社会地位と女子高等教 育の関連性について明らかにしたい。さらに、現在の独立 設置の女子学院は女性自身の能力育成とエンパワーメント に与えることができないのか、婦女連合会の役割及び女子 学院と関係がどのように変化しているのかについて分析し たいと考えている。女子高等教育機関の再編と課題を整理 するために、どのような教育理念と教育実践がおこなわれ ていて、そこで現れてきた課題を明らかにするため、中華 女子学院の研究を中軸に分析することを目的とした。 本論では研究方法として、主に文献研究を行った。加え て、北京市における中華女子学院のキャンパスと女性図書 館を現地訪問し、どのように授業や講座とイベントを実施 されているのかを体験・観察し、関係者への半構造インタ ビューを行った。まず、世界の女子教育の発祥と当時の時 代背景や女子高等教育に対する諸論争、またフェミニズム と男女共学の理論と海外の女子大学の発展から、中国の女 子高等教育に影響する箇所を文献で分析した。そして、中 国における女子高等教育の歴史変遷と社会的背景を捉える ことで、異なる時代に存在していた各種類の女子大学を分 類し、建校精神、教育理念、教育内容、特徴などの角度か ら、報告書や青書などを整理して、現代中国の女子高等教 育機関の実態を明らかにした。最後に、1980 年代以降成立 された独立設置の女子学院において、どのような編成が生 じ、変化してきたか、現在どのような作用を果たしている かを明らかにするため、中華女子学院の人材育成計画や就 職状況を参考することを通じて、歴史変遷、学科設置とカ リキュラム、実践性システム、卒業生の就職能力への評価、 婦女連合会の影響などの方面から検討している。また、前 述した歴史的な社会変動や女性進出などを合わせながら、 独立設置の女子学院で調査訪問したデータを分析し、女子 高等教育機関がどのように再編されてきたのか、そして婦 女連合会とどのような関係を保っているのか、女性のため のエンパワーメントを与えることができたのかを見直そう としている。 第一章 教育とジェンダーをめぐる論争及び世界の変動 第一章では、教育とジェンダー、性別について歴史と理 論の流れを整理した。教育機会均等を目標とした制度的平 等を実現でき、平等的な教育権利を獲得できる男女共学を 認めるような過程について議論している。また、教育とジ ェンダーについて論じて、高等教育における男女差別を解 消したと思われる制度的平等の男女共学への賛否と女子大 学の歴史をまとめた。 教育は社会に入る前に受けるべき知識を伝達する形式 の一つとして、社会労働と常に関連している。そのため、 伝統的な性別役割分業に束縛され、女性は家庭範囲に限ら れがちで、社会に進出することが難しく、女子高等教育の 必要性も疑われていた。工業化が進み、女性労働者のニー ズの高まりに伴い、女子高等教育の需要も認められてきた。 女子のみの高等教育機関は最初女性に高等教育を提供し始 めたが、男女共学が先進的な形式と思われるようになった 後、女子大学などは性差別の産物として批判されてきた。 ところが、男女共学が主流になった後に、女性は形式的な 平等しか得ることができなかったことが意識され、従来男 性中心の高等教育に「隠れたところで」無視され、抑圧さ れるようになった。このような女子高等教育に関する議論 は、中国に大きく影響したアメリカと日本の女子大学を例 として具体的に女子大学の発展と変遷を明確にした。 こうした女子高等教育の流れを見ると、教育におけるジ ェンダー問題は、特に見えないところや無意識の中から生 じる性差別であることが次第に重視されるようになること が明らかである。フェミニズムとジェンダー理論の発展に 伴って、女子高等教育は発祥、発展、衰退、復興という四 つの大きな変動が起こったと整理することができ、現在の 復興は、学校教育のジェンダー・バイアスを解消するため、 ジェンダーフリーやジェンダー・センシティブなどの男女

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ともに対して理想な教育の提出と関わっている。女子大学 は男女間に客観的に存在している差異を認めて、新たな女 子教育の形式と内容を探究していて、ある程度に教育にお けるジェンダー問題を解決できると認められている。自国 の分析の前提として、世界の変動を把握した後に、中国の 女子高等教育はどのような変容があったかのか、独自の特 徴を次の章でまとめた。 第二章 中国における女子高等教育の流れと背景 第二章では、中国における女子高等教育の起源から改革 開放直前の歴史までを整理し、中国の社会政治文化の変化 と独自の思想、ジェンダー観点の下で、どのような女子高 等教育が生まれたのかということと女子高等教育機関の変 遷、種類や特徴を分析してみた。 民国時代の女子大学の特徴や教育目的と教育理念を当 時の社会背景と合わせながら議論したことで、中国の女子 高等教育の特別さが見られる。欧米において女性自覚から 女子教育が発祥したことと異なり、中国の女子高等教育は 最初から社会政治と関連して、男性主導の反帝国主義と愛 国主義の土壌から生まれてきた。その意味で、当時女子高 等教育のカリキュラムや特徴などから、国家つまり男性の 国家のために奉仕することが明らかである。 また、内戦時中国共産党による女子大学の設立から共学 化までに変化されたこととマルクス主義的男女平等観の理 解に関する変容を分析したことによって、中華人民共和国 の建国後の女性解放の理念と女子大学の共学化が導かれた ことを明確にした。さらに文化大革命期の「男性化」や女 性の社会労働の参加などは女性の社会進出と男女平等を促 進したが、女性労働を強調しすぎて、女性自身の特性と発 達が無視されていた。これにより、学校教育において、男 女共学のデメリットと女性への抑圧を暗示した。 その時代の激変の中で、国家の第一要求が反植民地反帝 国主義から、階級革命に、さらに経済発展まで変化されて いく中で、中国の女子高等教育は独特のフェミニズム理論 と男女平等観念と絡みながら形作られた。中国の女子高等 教育機関はあらゆる角度から社会変換と関わり、社会政治 から生まれ、社会政治によって消されたと言えよう。さて、 1980 年代以降に、女子大学はどのような影響を受けて、復 活されたについて次の章で論述した。 第三章 改革開放以降の女子学院の復校と新しい展開 第三章では 1980 年代の改革開放後の中国における政治、 経済、教育などの側面で起こった大きな社会変動及び女子 高等教育の発展を整理して、新しく創設された女子高等教 育機関の種類と特徴をまとめた。 1980 年代に文化大革命時代への大きな批判の波と市場 経済の発展の下で、男女同様の教育形式が批判されてきた ことで、中国の女子大学をはじめとする女性のみの教育機 関が復活された。女子高等教育機関の再開について、以上 の社会的・観念的な理由のほかに、市場経済化の影響とい う現実的な理由もある。経済体制の変化により、女性の社 会労働の形と内容が非常に変わったことで、女子高等教育 に新たな要求が提出され、女子高等教育機関の教育目的や 内容を左右したことが分かった。文化大革命に対して、男 女平等観念への反省と新たな女性学が提唱したことが女子 高等教育に促進的な影響をもたらしたということと、婦女 連合会が女性解放や女子高等教育に主導的な役割を果たし たということを具体的な例を挙げながら論述した。 次に、1980 年代以降、形式的に創新的な男女共学内で設 立された二級女子学院の事例を教育目的やカリキュラムや 管理方法などの面から分析し、二級女子学院の特徴やメリ ットと限界をまとめた。また、1980 年代以降に再び出現し てきた女子高等教育機関は民国時代の教育内容と中華人民 共和国における女性解放運動と女性観や女性社会進出から 影響を受けていることが明らかにした。そして、二級女子 学院の独立性がないことや資源と経費の不足などの限界が あることから、独立女子学院の必要性が生じた。 第四章 独立女子学院―中華女子学院 第四章では、中華女子学院を対象として、歴史変遷と教 育理念やカリキュラム、学部設置、特色な学科、実践的教 学システム、卒業生の就職能力と貧困学生への支援の側面 から、女性に対する理想的な教育像を探求している様子を 分析した。 一旦共学化された女子高等教育機関は 1980 年代から中 国高等教育の大衆化と多様化発展の背景で復活し、数とレ ベルが徐々に上っていく。現在、全国では独立設置の女子 学院は三校があり、本科レベルの高等教育機関であるため、 四年制の学部教育を完全に実施でき、独立に高等教育レベ ルの人材を育成できる。その三校の中で、中華女子学院は 最初に本科教育を展開していた。 中華女子学院の歴史変遷と教育理念を分析することを 通じて、全国婦女連合会との関係が互いに有利であること が明らかになった。中華女子学院の教授は婦女連合会の代 表として、各級の人民代表大会と政治協商会議、常務委員 会に参加している。婦女連合会は中華女子学院の学術成果 や研究能力を用いて、中華女子学院学報などのプラットフ ォームで呼びかけ、新しい法律を提案できる。このような 体制の下、婦女連合会は中華女子学院と連携して、政治の 面と研究の面で女性と子供に関連する領域で立法過程に深 く関与している。従って、婦女連合会は中華女子学院と政 府の間に橋を架けているといえよう。 また、中華女子学院のカリキュラム設置や特色学科など

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を分析すると、独立女子学院の機能は女子人材を養成する 重要な場所であることだけではなく、女性学生の成長規律 を研究する最前線と性別問題を緩和する役割も担うもので あると明らかにした。独立設置の女子学院は女性を中心に して女子高等教育の規律の要求と女子人材の養成に力を入 れる特色大学であり、女性の特色教育システムを通して、 女子人材の育成、科学研究、社会奉仕、文化伝達に関する 実践活動を従事して、全体性、独立性と自主性を示してい る。中華女子学院の卒業生の就職能力などについて分析し てみると、就職率が高く、勤務先に評価されていることか ら、人材の育成目標はほぼ達成できたといえる。それに対 して、勤務先に評価されていない卒業生の就職能力もある ことから、全面的に発展することについてまだ進歩の余地 が大きく残されていることが分かった。 現在の中華女子学院は女性自身の発展を重視して、女性 をエンパワーメントしようとしているが、女性の経済的自 立を目指して市場指向を強調しすぎる傾向がある。さらに、 効率性を求める市場経済の下で、男女の間にある収入と機 会の差別が拡大している事実から、男性が依然としてより 大きな権利を持っていることが分かった。それの影響で、 市場に主導される女子高等教育の内容も伝統的な「女性向 け」の範囲に限られがちである。従って、これを避けるた めに、今後はジェンダー視点を意識しながら、一般的な知 識を伝達することが必要であると思われる。そして、婦女 連合会との関係及び政府との関連性を保ちながら、学術的 な独立性と自由性も注意しなければならないと考える。 終章 女子高等教育の先駆者としての欧米では、産業化と大工 場における労働の進行の影響で、女性の自覚とジェンダー 知識の更新がなされ、それが女子高等教育の発展を左右す る。それに対して、中国の女子高等教育は国と社会政治と の関係は常に緊密である。 民国時代の教会女子大学は植民地主義と帝国主義のツ ールとして設立されたが、当時社会の愛国主義と中国文化 に同化されて、国に貢献するため理系分野へ積極的に進出 していた女子学生を多く育成した。女子師範大学は日本の 良妻賢母主義と男性中心の影響を受けて、短い期間しか存 在していなかったが、「教育救国」の一部として自分なりの 貢献をした。中華人民共和国の建国後、1949 年から 1979 年の間に女子高等教育機関は存在していなかったが、政府 は国家政策と保障制度を通じて、女性を社会生活に参加さ せる側面から女性解放と男女平等の可能性を探索していた。 その時期に生まれた独自の男女平等観と女性の就労状態は 1980 年代以降の女子教育の復活には影響を与えた。当時公 領域における性別差異の抹殺という「実質平等」を通じて、 私領域におけるジェンダー秩序の改革を促していた。 1980 年代になると、全ての女子大学が共学化され、30 年後、女子高等教育機関は政府の許可で再び建てられてき た。しかし、その復活された女子高等教育機関は教育理念、 教育内容、教育目標において、全く違う基準で再編された。 第四章の中華女子学院の分析からは、1980 年代以降は、経 済収入により女性の自己向上を推進し、市場経済の法則で 男女平等の空間を広げるようになり、社会化の重要性を強 調することから女性のエンパワーメントの重要性の強調へ と変容したところで、女子教育特に高等教育の重要性示さ れることが明らかになった。しかし、このような共産党の 指導で展開された女子高等教育は結局市場の原点に回帰す る可能性が高い。市場経済の強力な介入で形式的に政府に 指導されているが、実際には市場経済の体制に従順という 状態になる。 以上のように、中国の女子高等教育の歴史を見ると、民 国時代の反帝国半植民地主義から、社会主義の男女平等、 現在市場経済に従う教育理念まで、中国における女子高等 教育は常に国家、すなわち男性中心の政権の主導の下で行 われている。現代では、女子学院は政府と関連している機 関と連携することによって、国家の女性に関する政策を影 響できるようになったが、全体的に見れば、社会政権から の影響力が非常に大きい。中国において、女子高等教育の 一番根本的な目的意図は女性のためのエンパワーメントと いうよりは、男性が構築している社会への貢献であるとも いえそうである。経済と政治体制の変化によって、女子高 等教育は再編されたが、教育目的から見ると、女性自身へ の配慮はまだ不十分ではないではないのかと考えている。 3 主要参考文献 亀田温子・舘かおる「学校をジェンダーフリーに」明石書 店 2000 香川せつ子 河村貞枝「女性と高等教育―機会拡張と社会的 相克」昭和堂 2008 趙叶珠「21 世纪我国女性接受高等教育展望」建材高教理论 与実践 1999 年第 4 期 趙叶珠「美日中三国女子高等教育比較」厦门大学出版社 2007 周延勇・張蘭「中国女子高等教育」中国传媒大学出版社 2014 安樹芬「中国女性高等教育の歴史と現状に関する研究」高 等教育出版 2002 陳暁芳「1980 年以来の中国近代女子教育研究総述」安徽广 播電視大学学報 2007 年第 1 期 董麗敏「『性別』の生産及び政治的危機―新時期中国女性研 究への反省」開放時代 2013 年 2 月

参照

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