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(1)

正岡子規自筆『竹乃里歌』の植物語彙について

─ 詠まれた植物の種類と時期 ─

石 井 翔 子

1.はじめに

 正岡子規自身の短歌がどのように革新されていったのかを植物語彙の変化に注目 し、子規の「用語の拡大」を始めとする歌論や歌風と、子規の生活の変化とを照ら し合わせてみる。

 植物語彙に注目するのは、子規の生涯を通して、特に、彼の写実という一つの文 学理論や生活環境の変化を反映する身近な存在が、「植物」であったと考えられる からである。

 子規の短歌革新で主張されたことの一つに、陳腐な表現の廃止が挙げられる。そ の為の方法の一つとして、子規は「用語の拡大」を提示している。

 しかし革新として発表された歌論に子規の実作が伴っていないところがみられる という指摘

注1

や、革新後も子規の短歌に対する捉え方が変化していることの指摘

注2

があ る。また子規の病気による生活の変化も、子規の歌風に影響を与えているとの指摘 もある

注3

 管見の限り、先行研究では、このような歌風の変化と子規の歌論や生活の変化の 対応についての論はみられる。しかし、具体的な語彙の変化としてそれが現れるの かについての指摘は十分になされていないようである。また、子規の短歌における 用語の研究では、藤井忠治氏の論

注4

のような漢語や洋語、口語についてのものや、岡 井隆氏の論

注5

のような特定の語に焦点を絞られており、語彙総体、特に植物語彙全体 のものはみられない。

2.調査対象

 植物語彙の採録は、以下の4点で行った。

 (1)自筆本「竹乃里歌」の複製本(講談社 出版)

(2)

 (2)講談社版『子規全集 第六巻』収録 「竹乃里歌」と「竹乃里歌」拾遺 (正岡忠三郎編集代表 講談社1977年5月18日発行)

 (3) 『正岡子規全集 第二十巻 研究編著』収録 「たね本」

(正岡忠三郎編集代表 講談社1976年3月18日発行)

 (4) 「正岡子規自筆『竹乃里歌』 『竹乃里歌 拾遺』語彙総索引稿」

(金子彰・石井翔子編 私家版)

(1)蒲地文雄氏によると、自筆稿本「竹乃里歌」とは子規が明治15年から33年の 間の和歌を年毎に書きとめたものであり、「明治三十年以前の部分は、大まかに いって、旧作を整理記録した趣が強いのに対し、三十一年以後は、そのような面 を存しながらも、本歌稿を創作のためのノートとして用いる趣がきわめて強く なっている

注6

」という性質を持っているものである。

(2)講談社版『子規全集 第六巻』収録の「竹乃里歌」とは、自筆稿本「竹乃里 歌」を翻刻したものであり、短歌は1921首収められている。また、「竹乃里歌」

拾遺とは、自筆稿本に収められなかった和歌作品を翻刻したものであり、短歌は 532首収められている。

(3) 「たね本」について、『正岡子規全集 第二十巻 研究編著』の解題によると、

次の特徴がみられる

注7

  「人名」や「女流」など意味別の項目と、「形容詞」や「副詞」など品詞別の項 目の26項目が設けられ、それぞれの項目に該当する語を音数順に配列したもの である。

  また俳諧語辞典としての性質もあるが、語彙収集の面の方が強く見られるもの であり、古典語へ大きく傾斜している。 

(4) 「正岡子規自筆『竹乃里歌』 『竹乃里歌 拾遺』語彙総索引稿」とは、講談社版

『子規全集 第六巻』収録「竹乃里歌」と「竹乃里歌」拾遺を定本として、全歌 に歌番号を附し、自立語・付属語を含め、全語彙を採録したものである。

  また本総索引稿では、例えば「梅の花」を「梅」 「の」 「花」の3語とせず「梅 の花」の1語としたように、複合語をなるべく多く採る方法で採録している。

3.調査方法

 まず、子規が短歌に使用した語彙がどのように増減したのかを調査するため、子

規の作歌期間を、明治30年以前、31年、32年、33年、34年、35年の6つの期間に

(3)

分けた。その理由は以下の通りである。

(1)多くの先行研究で、短歌革新発表前(明治30年以前)と革新後から晩年(明 治31 ~ 33年)、晩年(明治34、35年)の三つに大きく分けている。

(2)短歌革新発表の作品と、晩年の作品では、その歌風が異なっており、年毎に変 化が見られると指摘されている。

  それぞれの期間の作品数は次の通りである。

明治30年以前………576首 明治31年………691首 明治32年………368首 明治33年………645首 明治34年……… 89首 明治35年……… 63首

 先行研究で指摘されている6期間ごとの歌風の特徴を、以下にまとめた。

 明治30年以前の作品について

 「手なぐさみ的に歌を折に触れて楽しんで」作られたものとの指摘がある

注8

。  また「写実」的な作品の存在が認められる一方、歌風、語の選択や並べ方、表記 の面が「『古今集』風」であり、それが最晩年までみられるとの指摘や、明治30年 頃から、そのような『古今集』風の歌風が徐々に写実的なものに変わっていくとの 指摘もある

注9

明治31年の作品について

 明治31年の作品は次のようなカテゴリーに分類されている

注10

 「ロマネスク。物語ある歌」、「反都会への惝憬。反現実の夢」、「『病中』の歌。

『支那』の歌」、「漢詩や画を下敷とした歌」、「時事性のつよい歌」、「初句(または、

その一部分)または結句を一定にした連作。附・「鷹」連作」

 また、「百中十首」の作品が多種多様であることや、子規が「百中十首」の時期 は短歌や自身の才能の可能性、読み手の求めるものを探っていたこと、「百中十首」

の発表が終った後は、主体的に「自己の短歌の有り様」を探っていたとの考察があ る

注11

明治32年の作品について

 前年と比べ大きな変化はないが、これまで拡散気味であった題目や題材がまとま

り始めていると指摘し、「現実的な取材」をされることで「実感、実情」のある抒

(4)

情が、歌にみられるようになるとの指摘がある

注12

 また明治32年、33年では、複数の歌材を並べた作品や狂体の作品が多く見られ るようになったこと、明治32年頃からはがき歌が「続々と」作られていることも 指摘されている

注13

明治33年の作品について

 子規の実際に見た庭の光景や季節の移ろいを「的確に写生して切り取っていく手 法、詠風」がなされ、5月8日「日本」に発表された「庭前即景」で、子規の短歌 の有り様が確立されたとの指摘がある

注14

明治34年の作品について

 明治34年の作品は、「自然の情景、風物の外面的な写生的な形象から、自己の深 処の生命と触れ合った景情」が詠まれるようになったとされている

注15

明治35年の作品について

 子規の「田園回帰」や「故郷回帰」の精神が表れていること指摘されている

注16

 次に、作歌の年の明らかである短歌2432首を対象に、「正岡子規自筆『竹乃里 歌』 『竹乃里歌 拾遺』語彙総索引稿」の中から植物語彙を抽出した。その際、子 規の語彙分類の意識を反映することができるのではないかと考え、植物語彙の認定 の基準に「たね本」の「植物」の項を利用した。

 「たね本」の「植物」の項に挙げられた語を、独自に次の7種類に分類し、右に それぞれの分類に属する植物名を一部挙げた。なお例は短歌に使用されているもの である。

Ⅰ 総称 「木」 「草」

Ⅱ 植物の名前 「紫陽花」 「桜」 「松」等

Ⅲ 植物の部分 「梅枝」 「種」 「花」等

Ⅳ 食料となるもの 「黒茸」 「小松菜」 「枇杷」等

 飲食が目的で収穫されたものでないものに限定した。それは「たね本」の

「植物」の項目に「稻」と「米」が分類されているのに対し、「飮食」の項目で は「稻」は分類されず、子規に「植物」と「飮食」の区別があったと考えたか らである。

Ⅴ 植物の集合体 「要垣」 「桑の田」 「夏野」等

 生きた植物の集合体に限定した。それは「たね本」の「宮室」の項目に

「竹垣」が分類されており、「植物」の項目ではそれは分類されていなかったか

(5)

らである。

Ⅵ 植物によって生まれる空間 「木陰」 「葉隠れ」等

Ⅶ 植物の香り 「梅が香」 「香」 「花の香」 「薔薇の香」

 また、比喩に使用され、植物の特徴が読み取れるものも植物語彙とした。

   紅梅の《莟》に似たる唇に乳を求めてやきや  と泣く  (630・31年)

 さらに、「憂き節」も、上の作品のように植物の特徴は捉えられないものであ るが、竹の節とかけられているものであるので植物語彙とした。

   くれ竹の《うき節》しけきよの中を菅の小笠にかくれてそ行く

(拾遺229・25年)

 以下、各分類に属する歌を抄出してみる。歌例は、ルビを省略し通し番号と作歌 年(元号は省略)を付けたものである。(以降も同様)

Ⅰ 総称

   《木》をひしぎ巖を碎く響きして木曾の深山は雪なたれせり (594・31年)

   ふりつゞくさみだれ時となりにけり《草》長うして葵咲く庭 (1118・32年)

Ⅱ 植物の名前

   《紫陽花》の花咲く山の山の奥に惡魔こめたる窟ありけり (1198・32年)

   隅田川堤の《櫻》さくころよ花のにしきをきて歸るらん (1・15年)

   須磨の浦は砂うつくしく《松》靑し南をうけし潮あみところ (733・31年)

Ⅲ 植物の部分

   年の内になとかはさかぬさけりとも雪にやうつむ庭の《梅か枝》(212・25年)

   いたつきの癒ゆる日知らにさ庭べに秋草花の《種》を蒔かしむ

(拾遺392・34年)

   手習の草紙干すなる寺子屋の庭の紅梅《花》咲きにけり (436・31年)

Ⅳ 食料となるもの

   しばし住むめのとの宿は山近みともしくもあらず茶蕈《黑蕈》 (768・31年)

   音なしの川へに生ひて三年經し《枇杷》の蕾のともしきろかも(1236・32年)

   飼鳥の小鳥の餌にと植ゑおきし庭の《小松菜》花咲きにけり (1585・33年)

Ⅴ 植物の集合体

   亡き友を埋めし墓の《かねめ垣》茂るを見れば我老いにけり (1061・32年)

   《桑の田》は靑海原となりぬべし末の松山波は越えじな (469・31年)

   牛むれて歸る《夏野》の夕はえのかゝやく色をたくみにかきぬ(1506・33年)

〳 〵

(6)

Ⅵ 植物によって生まれる空間

   《木陰》にもしのきかねたるあつさには扇の風も何ならぬかな (20・18年)

   道のへに捨てし刈藻の《葉かくれ》に螢光りて小雨ふるなり (680・31年)

Ⅶ 植物の香り

   いつのよの庭のかたみそ賤か家の垣ねつゝきに匂ふ《梅かゝ》 (245・26年)

   言さへくとつ國種の花菫其《香》を淸み嗅けとあかぬかも(拾遺480・35年)

   《花の香》を若葉にこめてかくはしき櫻の餠家つとにせよ (拾遺56・21年)

   くれなゐのとばり垂れたる窓の内に《薔薇の香》滿ちてひとり寐る少女

(1540・33年)

4.植物語彙について 4-1 植物の種類の認定

 以上の分類基準に従って、植物語彙を抽出した結果、多くの種類の植物が使用さ れていることが明らかになった。

 そこで、短歌作品に使用された植物の種類の期間ごとの植物語彙の変化をみてい く。植物の種類の分類について、 『新装改訂 マイペディア

注17

』、『短歌俳句 植物表 現辞典

注18

』、『古典植物辞典

注19

』を参考にした。

 まず、植物語彙を、次のように植物の種類ごとに挙げた。

 ただし次のような語は省いた。

  総称………「木」 「草」

  植物の一部を表すのみの語………「枝」 「種」等   植物の香りや集合体、空間を表すのみの語……「香」 「森」 「葉陰」等

  種類の特定ができなかった語……… 「唐草」 「寿草」 「柴」 「チンノレ ヤ」 「和草」

(1)同じ植物の種類を表す語を含むもの同士を、一つの種類とした。例えば「蘆」

と「蘆の花」、「蘆間隠」、「葦垣」、「蘆の葉」、「蘆辺」は、「蘆」とした。

   志賀の浦や《あしへ》の宿の涼しきはひらの根おろし秋や立らん(53・18年)

   昨日まてすゝしといひし《あしの葉》の風身にしみて秋やたつらむ

(拾遺68・21年)

   親やしたふ子やしたふらん和歌の浦の《蘆間かくれ》にたづそなくなる

(131・23年)

(7)

   風吹けば《蘆の花》散る難波潟夕汐滿ちて鶴低く飛ぶ (525・31年)

   玉くしけ二子の山を立ちいてゝ雲飛ひわたる《蘆》の水海 (458・31年)

   借りて住む磯の家居は海見えて白帆行くなり《葦垣》の外に (1056・32年)

(2)同じ植物の種類を表す語を含むものが含まれていなくても、同じ種類の植物で あるものも、一つの種類とした。例えば「唐桃」には「杏」という語は含まれて いないが、「杏」や「杏の花」と共に、「杏」とした。

   人住まぬいくさのあとの崩れ家《杏の花》の咲きてけるかな (340・31年)

   城中の千戸の《杏》花咲きて關帝廟下人市をなす (442・31年)

   《から桃》の花をいけたるかたはらに玉の小櫛をとりあはせし圖

(1586・33年)

(3)同じ植物の名前が含まれていても異なる植物である場合は一つとしなかった。

例えば「海棠」と「秋海棠」は異なる種類であるのでそれぞれ「海棠」と「秋海 棠」に分類した。

   住みわびし家の様こそたゞならね《海棠》咲ける寒竹の垣 (491・31年)

   口そゝぐねくたれ髪の小傾城《秋海棠》に赤き唾吐きつ (532・31年)

(4)植物の種類を表す総称がある場合、それに当てはまるものを一つの種類とし た。例えば、「瓜」は「ウリ科蔓性植物、その果実の総称

注20

」とあるので、「烏瓜」

「唐茄子」 「冬瓜」といった異なる植物同士も、「瓜」として一つにした。

   神鳴のわつかに鳴れば《唐茄子》の臍とられじと葉隱れて居り(715・31年)

   をさまれる御代のためしに二抱え三抱えもある《冬瓜》なりいでつ

(1238・32年)

   道の邊になる《烏瓜》又の名を玉つさといふときけばゆかしく

(1239・32年)

  ただし、「茅」については例外とした。「茅」とは「茅(ちがや)、刈萱(かる かや)、芒(すすき)、笠菅(かさすげ)などイネ科の草の総称

注21

」とあり、本来は

「蘆」や「稲」、「荻」、「芝」、「薄」、「真菰」もイネ科の草であるので、「茅」の中 に分類される。しかし、子規が「稲」や「荻」などを「茅」として一括りに捉え ていたとは考え難いとし、これらの6語と「茅」は同じ種類としなかった。

   赤羽根の《茅草》の中のつく  し老いほうけゝりはむ人なしに

(拾遺483・34年)

   風そよく隅田の《あし》のふしの間に夏の夜あけて鷄やなくらん

(拾遺63・21年)

〳 〵

(8)

   《稻》の中に立ちましりおふるしこ草のとりすてられて世を送るかな

(846・31年)

   秋の夜は淋しさうたゝまさりけり水邊の《荻》のともすりのこゑ

(拾遺1・15年以前)

   しきしまにさくやこの花さくや姫空に花さく富士の《芝山》 (176・24年)

   草まくら《薄》の本の露しげみ袂の上に蟲そなくなる (202・24年)

   八千歳のをろち栖むてふ古澤の五尺の《眞菰》刈る人もなし (681・31年)

(5) 「花」という語について、特定の種類を示すものについては、歌の題や前後の 作品との関連で種類が明確であるものも、植物の種類の中に含めた。

  例えば下の歌の「花」は題によって「桜」を表していることが明確であるの で、「桜」に分類した。

    櫻花

   さす竹のみ子のみことの大御女をめすらん年と《花》咲きさかゆ

(1638・33年)

  また下の歌のように、前後の同一の内容の歌で、「花」の種類が「桜」だと明 らかであると考えられるものも、「桜」に分類した。

    法師看花

   心なき身にたにかくもをしむらんいかなる《花》の心なれはや(152・24年)

    神主見花

   久方の鏡にうつる《さくら花》これや御神の姿なるらん (153・24年)

  なお次の歌のように「花」の種類が判断できそうなものでも、種類が題や前後 の作品に明記されていないものは、今回の分類から省いた。

   見わたせは霞たなひく隅田川《花》もてらせり月もかほれり (133・23年)

4-2 植物の種類の増やし方

 分類をした結果、126種類の植物がみられた。(資料1)

 期間ごとの植物の種類の変化について調査した。各期間の植物の詠まれた作品数

と植物の種類数を表1に示した。なお表の割合とは、各期間の植物語彙を詠んだ作

品数に対する種類数の割合である。(割合は、少数第2位以下を四捨五入した)

(9)

表1

~明治30年 明治31年 明治32年 明治33年 明治34年 明治35年

作品数 209 331 149 320 59 50

種類数 40 88 58 57 13 12

割合 19.1 26.6 38.9 17.8 22.0 24.0

 以下、各期間の植物の種類と歌例を挙げた。なお、明治31年以降の各期間で初 出の種類はゴシック体にした。歌例は、6つの期間通して使用された植物(「山吹」

のみ)と、各期間で初出の種類またはそれ以降の期間で詠まれなくなった種類を使 用したものを挙げた。なお歌例の挙げ方は、「山吹」、初出の種類、以降の期間で詠 まれなくなった種類の順である。

 明治30年以前の作品における植物の種類は「山吹」 「桜」 「卯の花」など以下の40 種類である。作品数に対する割合は、約19.1%である。

朝顔・蘆・紫陽花・あやめ・卯の花・梅・瓜・荻・楓・杜若・樫・柏・茅・

菊・梔子・河骨・苔・榊・桜・笹・芝・杉・薄・菫・竹・菜・梨・撫子・楢・

萩・蓮・蕗・真菰・松・麦・藻・樅・桃・柳・山吹

   あやにくに枝のみたれて玉河の浪をりかへる岸の《山吹》 (145・24年)

   から山の風すさふなり故さとの隅田の《櫻》今か散るらん (291・28年)

   あるかとそ思へばありと見ゆる也月のひかりにまがふ《卯の花》(97・19年)

 明治31年の作品における植物の種類は「山吹」 「躑躅」 「茸」など以下の88種類 である。作品数に対する割合は、約26.6%である。

葵・青桐・麻・朝顔・蘆・あやめ・杏・稲・茨・芋・梅・瓜・榎・白粉花・苧 環・海棠・楓・杜若・柏・要黐・桔梗・菊・茸・桐・橡・茱萸・栗・桑・鶏 頭・げんげ・ 欅・柑子・河骨・苔・桜・椎・芝・芍薬・薄・秋海棠・ 棕櫚・

しょうぶ・水仙・杉・菫・石竹・芹・竹・橘・覆盆子・蒲公英・樛・蔦・躑 躅・椿・菜・梨・棗・撫子・楢・葱・萩・葉鶏頭・芭蕉・蓮・薔薇・榛・檜・

百日草・昼顔・昼照草・枇杷・藤・木瓜・牡丹・真菰・松・豆・麦・葎・藻・

樅・桃・柳・山吹・蓬・連翹・綿

   軒並ぶ賤が伏家の門川に《山吹》咲いて蛙鳴くなり (514・31年)

   旅人の雉子追ひ行く野は盡きて《つゝじ》花咲く岩の下道 (498・31年)

   奥山に淋しく立てるくれなゐの《木の子》は人の命とるとふ (762・31年)

(10)

 明治32年の作品における植物の種類は「山吹」 「百合」 「蕨」など以下の58種類 である。作品数に対する割合は、約38.9%である。

葵・蘆・紫陽花・茨・芋・梅・瓜・白粉花・楓・柿・杜若・要黐・菊・臭木・

桑・鶏頭・げんげ・河骨・苔・桜・山茶花・百日紅・椎・秋海棠・しょうぶ・

杉・薄・菅・菫・芹・竹・茶・躑躅・椿・露草・鐵線・梨・撫子・合歓・萩・

葉鶏頭・繁縷・薔薇・檜扇・檜・昼照草・枇杷・芙蓉・牡丹・松・麦・桃・

柳・山吹・百合・蓬・連翹・蕨

   《山吹》の花の盛りを巣こもりて子をあたゝむるカナリヤあはれ

(拾遺254・32年)

   人も來ぬ奧山路の《百合の花》神や宿らん折らんと思へど (1174・32年)

   しもつけやしめちか原に春暮れて葉廣《さわらひ》人も訪ひ來ず

(1086・32年)

 明治33年の作品における植物の種類は「山吹」 「薊」 (初出の種類は全て以降の 作品に使用されていない)など以下の57種類である。作品数に対する割合は、約 17.8%である。

朝顔・薊・あやめ・杏・銀杏・茨・梅・荻・苧環・海棠・楓・杜若・樫・菊・

梔子・げんげ・桜・桜草・山椒・椎・芍薬・しょうぶ・沈丁花・水仙・杉・

菫・芹・蕎麦・橙・竹・橘・楤・躑躅・椿・木賊・菜・梨・撫子・楢・庭桜・

葱・萩・薔薇・檜・蕗・藤・牡丹・松・豆・禊萩・麦・桃・柳・藪柑子・山 吹・蓬・蕨

   《山吹》は南垣根に菜の花は東堺に咲き向ひけり (1694・33年)

   富士のねに咲ける《薊》を吉備にある親に見せんと君思はずや

(拾遺341・33年)

 明治34年の作品における植物の種類には「山吹」 「鳶尾」 (初出の種類は鳶尾のみ であり、以降の期間の作品に使用されていない)など以下の13種類である。作品 数に対する割合は、約22.0%である。

あやめ・鳶尾・瓜・柏・桜・椎・橘・萩・薔薇・藤・牡丹・松・山吹

   裏口の木戸のかたへの竹垣にたばねられたる《山吹の花》 (拾遺373・34年)

   《いちはつ》の花咲きいでゝ我目には今年ばかりの春行かんとす

(拾遺384・34年)

(11)

 明治35年の作品における植物の種類には「山吹」 「土筆」 (初出の種類は以降の期 間の作品に使用されていない)など以下の12種類である。作品数に対する割合は、

24.0%である。

芋・梅・苧環・茅・げんげ・杉・菫・蓼・土筆・椿・藻・山吹

   赤椿黄色《山吹》紫ニムレテ咲ケルハタテ  ノ花 (拾遺496・35年)

   《つくしこ》はうま人なれや紅に染めたる梅を絹傘にせる (拾遺461・35年)

 表1より、革新後の子規の短歌に詠み込まれた植物の種類が大きく増加している ことが分かる。そして明治32年には植物の種類は減少するが、作品数に対する割 合は高くなっている。また明治33年では種類数は前期間とほぼ同じで、作品数に 対する割合は大きく低くなっている。そして晩年には種類数は減少しているが、作 品数に対する割合は高くなっている。

 この革新後の植物の種類数の増減については、それぞれの期間における植物を詠 み込んだ短歌作品数が大きく関っていると考えられる。また植物の種類の数が、明 治30年以前と31年の間に大きな差があることから、子規が短歌革新の実践として

「葵」など短歌に使用する植物の種類を積極的に増やしたといえるのではないか。

 また、明治31年と32年における、作品数に対する植物の種類数の割合が、30年 以前と33年の場合と比べて高くなっている。これは、特定の植物を複数回用いる 傾向が、明治30年以前と33年の2期間の場合よりも、低いためであると考えられ る。この点に、明治31年と32年の作品における、様々な植物を歌に詠むことの試 行が窺えるのではないだろうか。

 明治33年の作品数に対する植物の種類の割合が、31年と32年の場合よりも低く なっていることについて、次のことが考えられる。

 明治31年の作品にも、「ベースボールの歌」 (九首)などのような、同一の題で複 数の作品を詠んだものは見られるが、33年になって「明かに連作的ともいはるべ き歌を意識的に作り出し」たことが既に指摘されている

注22

。このことから33年の作 品はこれまでよりも同一の題で複数の作品を詠むことが多くなったと考えられ、そ の為に作品数に対する植物の種類の割合が低くなったのではないか。

 明治34年、35年でも「連作的ともいはるべき歌」を多く作ったと考えられるが、

全体の作品数が少なかったことから、作品数に対する植物の種類数の割合が高く なったと考えられる。

〳 〵

(12)

4-3 初出の植物

 ここで、子規の増やした植物の種類がどのようなものかについてみてゆく。

 まず、各期間で初めて詠まれるようになった植物の種類を以下に挙げた。また、

『歌ことば歌枕大辞典

注23

』の見出し語、または見出し語となった植物と同じ種類を表 しているものを、古来頻繁に使用された植物とした。

 明治31年の作品で初めて詠まれるようになった植物の種類(五十音順・以下同様)

 古来頻繁に使用された植物

葵・稲・椎・しょうぶ・芹・橘・樛・躑躅・椿・榛・藤・牡丹・蓬

   古庭に《葵》花咲き床の間に兜を祝ふものゝふの家 (679・31年)

 古来頻繁に使用された植物以外

青桐・麻・杏・茨・芋・榎・白粉花・苧環・海棠・要黐・桔梗・茸・桐・橡・

茱萸・栗・桑・鶏頭・欅・柑子・芍薬・秋海棠・棕櫚・水仙・石竹・蒲公英・

蔦・棗・葱・葉鶏頭・芭蕉・薔薇・檜・百日草・昼顔・昼照草・枇杷・覆盆 子・木瓜・豆・葎・連翹・げんげ・綿

   簾まく軒端の夕日人去て碁盤に動く《靑桐》の影 (535・31年)

 明治31年の作品で初めて詠まれるようになった植物の種類数は57種類であり、

同期間で使用された植物の種類数88種類の内、約64.8%を占めている。またこの 57種類の内、古来頻繁に使用された植物以外のものが44種類である。

 この結果、明治31年の作品では、これまで子規が詠んだことのない植物が積極 的に多く詠まれるようになり、且つ積極的に増やした種類は、古来頻繁に使用され た植物以外のものが大半であることが分かる。これは、子規の歌材の拡大と古来の 題材に囚われない姿勢が強く現れたものであると考えられる。

 明治32年の作品で初めて詠まれるようになった植物の種類  古来頻繁に使用された植物

菅・百合・蕨

   《菅原》や伊久米伊理毘古伊理毘古の陵こめて立つ霞かも (1033・32年)

 古来頻繁に使用された植物以外

柿・臭木・鐵線・山茶花・百日紅・茶・露草・合歓・繁縷・檜扇・芙蓉

   《柿》を守る吝き法師が庭にいでゝほう  といひて鴉追ひけり(1257・32年)

〳 〵

(13)

 明治32年の作品で初めて詠まれるようになった植物の種類数は14種類であり、

同期間で使用された植物の種類数58種類の内、約24.1%を占めている。またこの 14種類の内、古来頻繁に使用された植物以外のものが11種類である。

 この結果、明治32年の作品では、前期間までに詠まれていた植物の種類を多く 引き継いでいることが分かる。この点が明治31年の場合と異なっている。しかし 明治32年に増やした植物の種類の大半が、古来頻繁に使用された植物以外のもの であるという点で、31年の場合と共通している。これは、前年までの歌材を引き 継ぎつつも古来のものに囚われない子規の姿勢が現れていると考えられる。

 明治33年の作品で初めて詠まれるようになった植物の種類  古来頻繁に使用された植物

無し 

 古来頻繁に使用された植物以外 

薊・銀杏・桜草・山椒・沈丁花・蕎麦・橙・楤・木賊・庭桜・禊萩・藪柑子    富士のねに咲ける《薊》を吉備にある親に見せんと君思はずや

(拾遺341・33年)

 明治33年の作品で初めて詠まれるようになった植物の種類数は12種類であり、

同期間で使用された植物の種類数57種類の内、約21.1%を占めている。またこの 12種類全てが、古来頻繁に使用された植物以外のものである。

 この結果、明治33年の作品も、前期間までに詠まれていた植物の種類を多く引 き継いでいるが、増やした植物の種類は古来頻繁に使用された植物以外のもので あった。これも明治32年と同様に、前年までの歌材を引き継ぎつつも古来のもの に囚われない子規の姿勢が現れていると考えられる。

 明治34年の作品で初めて詠まれるようになった植物の種類  古来頻繁に使用された植物

無し

 古来頻繁に使用された植物以外 鳶尾

   《いちはつ》の花咲きいでゝ我目には今年ばかりの春行かんとす

(拾遺384・34年)

(14)

 明治34年の作品で初めて詠まれるようになった植物の種類数は1種類であり、

同期間で使用された植物の種類数13種類の内、約7.7%を占めている。またこの1 種類は古来頻繁に使用された植物以外のものである。

 この結果、明治34年の作品では前期間までからの植物の種類の引き継ぎが他の 期間の場合と比べ多いことが分かる。しかし、増やした植物の種類が古来頻繁に使 用されたもの以外であるという点で、他の期間と共通する。ただし、明治34年の 場合は初出の植物の種類が1例と極めて少ないため、当期間の初出の植物の特徴を 現時点で考察することはできない。

 明治35年の作品で初めて詠まれるようになった植物の種類  古来頻繁に使用された植物

蓼  赤椿黄色山吹紫ニムレテ咲ケルハ《タテ  ノ花》 (拾遺496・35年)

 古来頻繁に使用された植物以外

土筆 《つくしこ》はうま人なれや紅に染めたる梅を絹傘にせる

(拾遺461・35年)

 明治35年の作品で初めて詠まれるようになった植物の種類数は2種類であり、

同期間で使用された植物の種類数12種類の内、約16.7%を占めている。またこの 2種類の内、古来頻繁に使用された植物以外のものが1種類である。

 この結果、明治35年の作品も、前期間までに詠まれていた植物の種類を多く引 き継いでいる。しかし前期間よりも植物の種類の引継ぎは少なくなっている。ただ し、明治35年の場合も初出の植物の種類が4例と少ないため、その特徴を現時点 で考察することはできない。

 以上のように、明治32年と33年の2つの期間はこれまで子規が詠んだことのな い種類を詠むことに消極的であったと考えられる結果がみられた。後年であるほど 前期間までに使用された植物の種類の引継ぎは多くなることが考えられるため、こ の結果は、31年に歌材の拡大を大きく進めたことで、それ以上に歌材を拡大する ことが難しくなったためによるものではないかと考えられる。

 その一方で、明治31年から33年までの各期間での初めて使用する植物の種類の 大半は、古来頻繁に使用された植物ではなかった。これは、古来のものに囚われ ず、新しい題材を求めた子規の姿勢が現れたものであると考えられる。

〳 〵

(15)

 明治31年では、古来のものに囚われない新しい題材の拡大を積極的に行い、32 年では、新しい題材を広げつつ前期間までに使用された題材を引き継いだと考えら れる。また33年では32年と同様であるが、一つの植物を連作の題材にすることが 出来る程までに、題材の用法が多角的になったと考えられるのではないか。

 次に、各期間の初出の植物の種類を、庭に植えられていた植物と対応させてみ る。なお庭に植えられていた植物の種類について、子規庵で配付された「子規庵 配置図」 (松山市立子規記念館発行の冊子より転載されたもの)と、子規遺品展

(2009年9月1日から9月30日、子規庵)での協賛展示「子規庵小園の変遷」 (服部 勉、古山道太監修・東京農業大学)を参考にした。

 明治31年に初出の植物のうち、31年には庭にあったとされる植物は次の9種類 である。

白粉花・桔梗・鶏頭・椎(病室からは視覚範囲外)・秋海棠(病室からは視覚 範囲外、33年以降は視覚範囲内)・葉鶏頭・薔薇・覆盆子・牡丹

 また庭にある植物で、いつから植えられているのか分からないものは次のもので ある。

水仙(病室からは視界範囲外か)・百日草・木瓜(病室からは視界範囲外か)

 明治32年、33年の初出の植物のうち、庭にあったとされる種類はみられない。

 明治34年の初出の植物のうち、33年には庭にあったとされる植物は次の種類で ある。

鳶尾(病室からは視界範囲外、しかし作品は視覚範囲外であることを窺わせな いものである)

   《いちはつ》の花咲きいでゝ我目には今年ばかりの春行かんとす

(拾遺384・34年)

 明治35年の初出の植物のうち、庭にあったとされる種類はみられない。

 なお明治30年以前から詠まれた植物の種類のうち、明治29年には子規庵の庭に あった植物は次の7種類である。

朝顔・梅・薄・撫子・萩・松・山吹

 また、いつから植えられているのか分からないものは次の3種類である。なお

「桃」も盆栽として庭にあったとされるが、その時期は明治33年以降である。

瓜(夕顔のこと)・菊・菜(小松菜のこと、病室からは視界範囲外か)

 以上をまとめると次のようになる。

(16)

(1) 子規庵には計24種類の植物があったとされ、その内の「鶏頭」などの12種類 が明治31年に詠まれた。そのため、32年までには「鳶尾」以外の23種類の植 物が詠まれることになったこと。

(2) 明治30年以前に詠まれた、「梅」など子規庵の庭にある植物は、古来頻繁に 使用された植物であること。それに対し、明治31年に詠まれた庭にあったとさ れる12種類の植物のうち、古来頻繁に使用されたものは「椎」と「牡丹」の2 種類のみであること。

 以上のことより、明治31年の植物の古来のものに囚われない歌材の拡大には、

子規自身の知識だけでなく、庭の植物もそれに関わったと考えられる。

 また前に、明治32年と33年で歌材の拡大よりも前期間に詠まれた歌材の引継ぎ が多かった理由を前年に歌材の拡大を大きく進めた為としたが、庭の植物を歌材に する様子にも明治31年の歌材の拡大の急進さが表れているのではないか。

4-4 各植物の詠まれる時期

 ここでは、各植物の詠まれる期間を挙げ、次の期間以降に詠まれなくなった植物 にはどのようなものがあるのかを考察する。

 まず、各植物が詠まれる期間を以下に挙げる。なお途中詠まれない期間があるも のは、植物の種類名の後ろに( )内に詠まれない期間を挙げた。例えば「梅」は 明治30年以前から35年まで詠まれるが、34年は詠まれていないので、「明治30年 以前から35年まで詠まれるもの」の項目で、「梅(34)」と表記した。

 明治30年以前から35年まで詠まれるもの……… 6種類

梅(34)・茅(31、32、33、34)・杉(34)・菫(34)・山吹・藻(32、33、34)

 明治30年以前から34年まで詠まれるもの……… 6種類 あやめ(32)・瓜(33)・柏(32、33)・桜・萩・松

 明治30年以前から33年まで詠まれるもの……… 16種類

朝顔(32)・荻(31、32)・楓・杜若・樫(31、32)・菊・梔子(31、32)・竹・

菜(32)・梨・撫子・楢(32)・蕗(31、32)・麦・桃・柳  明治30年以前から32年まで詠まれるもの……… 5種類

蘆・紫陽花(31)・苔・河骨・薄

 明治30年以前と31年で詠まれるもの……… 4種類

(17)

芝・蓮・真菰・樅

 明治30年以前のみに詠まれるもの……… 3種類 卯の花・榊・笹

 明治31年から35年まで詠まれるもの……… 4種類 芋(33、34)・苧環(32、34)・げんげ(34)・椿(34)

 明治31年から34年まで詠まれるもの……… 5種類 椎・橘(32)・薔薇・藤(32)・牡丹

 明治31年から33年まで詠まれるもの……… 12種類

杏(32)・茨・海棠(32)・芍薬(32)・しょうぶ・水仙(32)・芹・躑躅・葱

(32)・檜・豆(32)・蓬

 明治31年から32年まで詠まれるもの……… 10種類 葵・白粉花・要黐・桑・鶏頭・秋海棠・昼照草・枇杷・葉鶏頭・連翹  明治31年のみに詠まれるもの……… 26種類

青桐・麻・稲・榎・桔梗・茸・桐・橡・栗・欅・柑子・茱萸・棕櫚・石竹・

樛・蔦・棗・芭蕉・百日草・榛・昼顔・覆盆子・木瓜・蒲公英・葎・綿  明治32年から35年まで詠まれるもの……… なし

 明治32年から34年まで詠まれるもの……… なし  明治32年から33年まで詠まれるもの……… 1種類

 明治32年のみに詠まれるもの……… 13種類

柿・臭木・山茶花・菅・百日紅・茶・露草・鐵線・合歓・繁縷・檜扇・芙蓉・

百合

 明治33年から35年まで詠まれるもの……… なし  明治33年と34年に詠まれるもの……… なし  明治33年のみに詠まれるもの……… 12種類

薊・銀杏・桜草・山椒・沈丁花・蕎麦・橙・楤・木賊・庭桜・禊萩・藪柑子  明治34年と35年で詠まれるもの……… なし

 明治34年のみに詠まれるもの……… 1種類 鳶尾

 明治35年のみに詠まれるもの……… 2種類

蓼・土筆

(18)

 このように各植物の詠まれる期間についてまとめたところ、次のことが考えられる。

(1)明治30年以前に詠まれた植物は、明治31年以降にも詠まれることが大半で あった。明治30年以前の作品のみに使用された植物が3種類であるのに対し、

それ以降の期間の作品に使用されたものは37種類であった。これは、明治31年 に題材の拡大を行ったのと同時に、これまで使用した題材も引き継いでいたこと を表している。

  また資料1より、明治30年以前に詠まれた植物のほとんどが古来頻繁に使用 されたものであることより、子規には古来頻繁に使用された題材を避けることは しなかったと考えられる。子規は『古今集』の「糟粕を嘗めて居る」ことによっ て趣向が陳腐なものになることに対して批判していることから、革新以降に古来 頻繁に使用された題材を使用する際は、その題材を表現する方法を変化させて いると考えられる。例えば下に短歌革新前と革新後の作品を1首ずつ挙げた。革 新前の「梅か枝に」の歌における「梅」は鶯と組み合わされており、古典的な表 現技法が用いられている。それが革新後の作品である「門口に」の歌における

「梅」は、景物の一つとして表現されている。

   《梅か枝》に始めてきなく鶯の春をしらする法の一聲 (拾遺3・15年以前)

   門口に《梅》散り背戸に椿咲く里のけしきは見れとあかぬかも(600・31年)

(2)明治31年では、庭の植物など多くの種類の植物が新に詠まれたが、晩年まで 使用されないものが大半であった。明治31年で初めて詠まれた植物は57種類で あるのに対し、その中から34年以降に詠まれるものは9種類であった。

  明治32年、33年の作品で初めて使用された植物は、それぞれの期間のみの使 用である場合がほとんどであったことを踏まえると、明治31年から33年までの 期間で多様な植物を詠むことの試行が行われたと考えられる。

  また「桔梗」や「覆盆子」など晩年の庭には無い植物、「百日草」や「椎」な ど庭にあっても病室で寝た状態で見るのは困難だと思われる植物が、晩年に詠ま れなくなった植物の中に入っていることから、子規の置かれた環境の変化も、明 治31年から33年で初めて詠まれた植物が晩年に詠まれなくなったことに影響を 与えた可能性があるといえる。

  さらに、明治31年から33年で初めて使用された「栗」や「百日紅」など庭に

無い植物が晩年使用されなくなる傾向と、明治30年以前に使用された植物の内、

(19)

「松」や「梅」など庭にある植物が晩年にもより多く使用される傾向がみられる のは、子規の晩年の歌風が「自己の深処の生命と触れ合った景情」を表すように 変化したことが影響しているのではないか。「自己の深処の生命」と重ねる対象 としての自然は身近なものの方が、詠みやすかったのではないだろうか。

(3)明治35年に詠まれている植物は、34年に詠まれている植物とほとんど共通し ていなかった。明治35年に詠まれた植物は12種類あるが、34年と共通している のは「山吹」だけであった。また、明治35年で使用されている植物と子規の関 係と、34年で使用されている植物と子規の関係も、次のように異なる傾向が現 れた。

  まず、明治34年で多く詠まれていた植物には、「牡丹」 「藤」 「山吹」が挙げら れる。下の例のように「牡丹」と「山吹」は庭に植えられている植物であり、病 室の子規にとっては遠景である。その一方「藤」のように室内の植物は、子規に とって近景である。

  そして明治34年は、庭の植物という子規にとって遠いものを対象とする方が 多い傾向がみられた。

   雨ふると《牡丹》の上に蔽ひたる小傘かくれに赤き花見ゆ(拾遺435・34年)

   瓶にさす《藤》の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり

(拾遺363・34年)

   裏口の木戸のかたへの竹垣にたばねられたる《山吹の花》 (拾遺373・34年)

  一方、明治35年で多く詠まれていた植物、「梅」 「菫」 「土筆」では、庭にある 植物を対象とするものもみられるが、下の「梅」 「菫」の歌例のように室内の植 物を対象とすることが以前よりも多いという傾向がみられた。また「土筆」の例 のように想像(回想も含む)の中の植物も多く詠まれるという傾向がみられた。

   鉢植の《梅》はいやしもしかれとも病の床に見らく飽かなく

(拾遺464・35年)

   玉透のガラスうつはの水淸み香ひ《菫》の花よみかへる (拾遺474・35年)

   《つく    し》故鄕の野につみし事を思ひいてけり異國にして

(拾遺493・35年)

  このような明治35年における34年との違いは、子規の視界が遠景よりも近景 を観察する方に適するようになったことと、子規自身は田園風景を見ることが不

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(20)

可能になっても、35年の歌風が「田園回帰」へ変化したことによるものではな いだろうか。

5.おわりに

 これまで、植物の種類の変化と短歌革新による子規自身の歌風の変化を照らし合 わせてみてきた。まず、子規が短歌革新の実践として短歌に使用する植物の種類を 積極的に増やした様子が、明治30年以前の作品における植物の種類数と31年の作 品における植物の種類数の差に現れていた。さらに、明治31年では、古来のもの に囚われない新しい題材の拡大を積極的に行ったこと、古来頻繁に使用された題材 を使用する際は、その題材を表現する方法を変化させて陳腐な趣向にならないよう にした可能性があることも分かった。

 明治32年と33年では、31年の急進的な題材の拡大の影響もあってか、新しい題 材を広げつつ前期間までに使用された題材を引き継ぐ傾向が強いという点で共通し ていた。しかし、明治32年と33年には、33年の作品では、題材の用法が多角的に なったと考えられるといった違いもみられた。

 このように、明治31年から33年の三つの期間の作品における植物語彙の変化に、

子規の短歌に対する試行錯誤が窺えたが、同時にそれぞれの期間の違いもみられ た。

 明治31年から33年の間に新しく詠み込んだ植物のうち、庭にないものなどが晩 年にはほとんど使用されなくなったということも明らかになった。これは、子規 の歌風が「自己の深処の生命と触れ合った景情」を表すように変化したことによっ て、「自己の深処の生命」と重ねる対象としては、身近な植物の方が適していたの ではないかと考えられる。

 また、明治35年における34年との違いもみられた。明治34年では、子規の視界 が遠景よりも近景を観察する方に適するようになった為か、庭の植物よりも枕元の 植物を多く詠む傾向がみられた。さらに、35年の歌風が「田園回帰」へ変化した ことによって、想像上で植物を詠む傾向もみられた。

 以上のように、子規の歌風の変化による使用された植物の種類の変化をみてき

た。しかし今回の考察は種類数といった数値の変化によるものであり、264ページ

の「梅」の例のような詠み方の変化を考慮にいれていない。今後の課題として、ま

(21)

ず子規の植物の用い方の変化も考察に入れることが挙げられる。

 注

注1 今西幹一氏による『正岡子規の短歌の世界─『竹乃里歌』の成立と本質─ 』(有精堂出版 1990年1月10日発行)では、明治三十一年の「百中十首」の碧梧桐選歌についての論の 中で、次のように述べられている。

(96ページより抜粋 また( )内は補足したものである。)

 この碧梧桐選歌は、辟頭の「洛陽の市に花売る(翁にぞ昔の春は問ふべかりける)」以 下、比較的「人事」的興味に出る歌が多いように見受けられる。…(中略)…叙景的な写 生歌は「衣干す庭にぞ來つる(鶯の紅梅に鳴かず竹竿に鳴く)」「おも柁の船は南に(進む らん月は左になりにけるかな)」の二首だが、いずれも趣向の勝った歌である。「紅梅」歌

「衣干す」は、梅に鶯という既成の意匠化された自然観を脱しようという意識が露わであ る。下句に新味が認められもするが、一面子規の排した「理屈」の歌でもある。……

注2 今西幹一「子規・左千夫・節」(『近代の和歌』和歌文学講座第九巻(有吉保・稲村耕二・

他編 勉誠社 1994年1月20日発行)収録 201ページより抜粋

 左千夫と節が入門した明治三十三年は、子規が短歌の分野において新たな境地を切り開 き、短歌性の認識も新たになり、また短歌界に自己と根岸短歌会を押し出そうとした年で あった。……歌は俳句の延長と考えていた歌俳同一論的短歌観から、歌が俳句よりも主観 を自在に詠め、時間を含む趣向に適するとの認識を改めている。

注3 今西氏による『正岡子規の短歌の世界─『竹乃里歌』の成立と本質─ 』(169ページ)にお いて、岡麓氏の『正岡子規』より次の文章が、挙げられている。

 病床にあって、年に数次の、それも大変な介添えと労苦を伴う外出しか叶わなかった子 規にとって、実際に獲られる題材の範囲は、庭前、病牀六尺に限られてくるのは当然の帰 趨と言える。

注4 『正岡子規』明治文学研究2 (藤川忠治 山海堂出版 1933年9月8日発行)

注5 『正岡子規』近代日本詩人選3  (岡井隆 筑摩書房 1982年4月25日発行)

 岡井隆氏は、「桜花」の詠まれ方の変化と、子規のナショナリズムを考察されている。

注6 『子規全集 第六巻 短歌歌會稿』727 ~ 728ページより抜粋。

注7 『正岡子規全集 第二十巻 研究編著』の解題は、蒲地文雄氏と白方勝氏によるものであ る。

注8 今西幹一氏の『正岡子規の短歌の世界─『竹乃里歌』の成立と本質─』より 注9 大岡信氏の『正岡子規─五つの入口』岩波セミナーブックス56より 注10 岡井隆氏の『正岡子規』近代日本詩人選3より

注11 今西幹一氏の『正岡子規の短歌の世界─『竹乃里歌』の成立と本質─』より 注12 今西幹一氏の『正岡子規の短歌の世界─『竹乃里歌』の成立と本質─』より 注13 大岡信氏の『正岡子規─五つの入口』岩波セミナーブックス56より 注14 今西幹一氏の『正岡子規の短歌の世界─『竹乃里歌』の成立と本質─』より

(22)

注15 今西幹一氏の『正岡子規の短歌の世界─『竹乃里歌』の成立と本質─』より 注16 今西幹一氏の『正岡子規の短歌の世界─『竹乃里歌』の成立と本質─』より 注17『新装改訂 マイペディア』(平凡社 1995年8月25日発行)

注18『短歌俳句 植物表現辞典』(大岡信監修 遊子館 2002年4月22日発行)

注19『古典植物辞典』(松田修 講談社 2009年8月10日発行)

注20『短歌俳句植物表現辞典』164頁より 注21『短歌俳句植物表現辞典』364頁より

注22 藤川忠治氏が明治文学研究2『正岡子規』において指摘されている。

抜粋箇所は『正岡子規』522頁より

注23『歌ことば歌枕大辞典』(久保田淳、馬場あき子編 角川書店 1999年発行)

(いしい しょうこ 2010年修士課程修了)

(23)

資料1 植物の種類の期間ごとの変化

30年以前 31年 32年 33年 34年 35年 計

古来頻繁 に使用されたもの

子規庵の植物の

変遷のパネル 子規庵 配置図 桜  20  19   4  33   1  77 ○

松  18  13  12  32   4  79 ○ M27 ~ 35 ある 梅  14  32   6  33  21 106 ○ M29 ~ 35 ある

薄  12   7   1  20 M27 ~ 35 ある

竹  10   9   3   9  31 ○

山吹   6   3   1   6  12   1  29 ○ M29 ~ 35 ある

卯の花   6   6 ○

萩   6   8   5   2   1  22 ○ M27 ~ 35 ある 撫子   5   4   1   1  11 ○ M29 ~ 32 ある

蘆   4   4   1   9

朝顔   2   3   1   6 ○ M27 ~ 35 ある

荻   2   1   3

苔   2   2   1   5 ○

芝   2   1   3

蓮   2   4   6 ○

麦   2  12   1   3  18

藻   2   1   1   4 ○

桃   2  15   3   2  22 ○ M33 ~ 35(盆栽)

菜   2   7  10  19 ○ 視界外か

(小松菜)

紫陽花   1   1   2

あやめ   1   3   1   1   6 ○ 楓   1   1   3   1   6 杜若   1   2   1   1   5 ○

樫   1   2   3

柏   1   1   5   7 ○

茅   1   1   2 ○

菊   1   9   5  13  28 ○ ある

梔子   1   1   2 ○

河骨   1   2   1   4

榊   1   1 ○

笹   1   1 ○

杉   1  17   6  14   1  39 ○ 菫   1   4   2   2  14  23 ○ 梨   1   1   1   1   4 ○

(24)

真菰   1   1   2

樅   1   2   3

柳   1  15   7   6  29 ○

瓜   1   5   2 2  10 ○ ある(夕顔)

楢   1   1   3   5 ○

蕗   1   1   2 ○

茸   9   9

稲   6   6 ○

躑躅   6   1   1   8 ○

椿   6   4   5   1  16 ○

桑   5   3   8

椎   4   1   2   1   8 ○ (M27 ~ 35視覚外) 視界外

蔦   4   4

薔薇   4   2   8   1  15 ある

(M27 ~か)

橘   3   3   1   7 ○

榛   3   3 ○

海棠   3   1   4

芹   2   1   1   4 ○

藤   2  28  15  45 ○

牡丹   2   8  18  16  44 ○ M29 ~ 32

(松葉牡丹) ある

蓬   2   2   3   7 ○

麻   2   2

杏   2   1   3

榎   2   2

桔梗   2   2 M29 ~ 32

棕櫚   2   2

蒲公英   2   2

芭蕉   2   2

げんげ   2   1   1   1   5

葉鶏頭   2   2   4 M29 ~ 32 ある

葵   1   1   2 ○

しょうぶ   1   1   1   3 ○

樛   1   1 ○

茨   1   1   1   3

鶏頭   1   2   3 M29 ~ 35 ある

青桐   1   1

覆盆子   1   1 M29 ~ 32 ある

(25)

芋   1   2   1   4

白粉花   1   1   2 M29 ~ 32 ある

苧環   1   1   1   3

要   1   1   2

桐   1   1

橡   1   1

栗   1   1

欅   1   1

柑子   1   1

芍薬   1   1   2

秋海棠   1   2   3 (視覚外M29 ~

32)M33 ~ 35 視界外

水仙   1   3   4 視界外か

唐撫子   1   1

棗   1   1

葱   1   2   3

檜   1   1   1   3

百日草   1   1 ある

昼顔   1   1

昼照草   1   1   2

枇杷   1   1   2

木瓜   1   1 視界外か

豆   1   2   3

葎   1   1

連翹   1   1   2

綿   1   1

茱萸   1   1

百合   8   8 ○

山茶花   3   3

柿   2   2

蕨   2   2   4 ○

臭木   1   1

鐵線   1   1

百日紅   1   1

菅   1   1 ○

茶   1   1

露草   1   1

合歓   1   1

(26)

繁縷   1   1

檜扇   1   1

芙蓉   1   1

薊   1   1

銀杏   1   1

桜草   1   1

山椒   1   1

沈丁花   1   1

蕎麦   1   1

橙   1   1

楤   1   1

木賊   1   1

庭桜   1   1

禊萩   1   1

藪柑子   1   1

鳶尾   1   1 視界外

土筆  13  13

蓼   1   1 ○

(27)
(28)

参照

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 338       立命館経済学(第47巻 ・第2 ・3 ・4号) とあるように

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