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物語「こわたの時雨」ところどころ

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Academic year: 2021

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(1)物語 F﹂わた の時雨﹂と ころど ころ. 序. 実子 いじめ﹂ の話。ま た双生児 の女君 が貴公子と結ば れ、変転 の末、幸 せを つかむ ユニークな作品 である。特 に ﹁. 君 が、 寝 覚 め がち に、 は か な いわ が身 の宿 世 を なげ く書 き 起 こし 。. に な ら った寄 せ木 細 工 的 な 美 文 調 で、 当 然 な がら この起 筆 も 古 歌 の 一節 を踏 ま え て いよう 。 実 母 に忌 み嫌 わ れ た姫. 狭 衣 物 語﹂ の先 樅 十 市 の里 の衣 う つ槌 の音 も   物 語 ﹁こわ た の時 雨﹂ の起 筆 であ る。 平安 後期 物 語 、 た と え ば ﹁. 一. 年代、ま た時代背景 など にかかわる語句を摘出して、 いささか考 え てみよう。. れ るも のがあろう。 ここに現存 三本 のうち、その最善本 たる甲南女子大学蔵 ﹁こわたの時雨﹂ を底本 に、その成立. 出産 シー ンが三度も描 かれ、さら に姉妹すり変 えによ って春宮を欺す場 面など、その物語構成 は多分 に興味を ひか. 物 語 ﹁こわたの時 雨﹂ は、無名草子 ・風葉和歌集など に載 せられ ては いな いが、時雨を機縁とし て、哀れな境遇. 修 槻. 修. 大. (19).

(2) (20) 物語「 こわたの時雨」 ところどころ. V. か. わ. は. 十 市 の里 の衣 う つ槌 の音 も 、朝 の露 に こと な ら ぬ身 を 、 い つま でと か急 ぐ ら んと、. こ・ ふ ろ・ し ヘ 給 ` ふ. ͡ 一 オ. 夜 な夜 な は、 いとど 昔 の御 面 影 の み た ち そ ひ て、 ﹁母上 の御 心 の つら き に つけ ても 、 と く 迎 へと り給 へ﹂ と 、 朝 夕 御 行 ひを し つ つ、 涙 を う け て、. ﹁ 十 市 の里﹂ は歌 枕地 名 と も いう べく 、 ヨ 条 摂 政 御 集﹂ に お き な 、山 と よ り か へり て、 女 のも と にや る く れ ば と く ゆ き てか た ら ん あ ふ こと のと ほち のさ と のす み う か り し を か へし あ ふ こと のと ほち のさ と の ほど へし は き み は よ し のと思 な り け む. す な ら く ん 聞き と所 き `. 大 和 国 十 市 郡 。 なお ﹁ 夫 木 抄 ﹂、 ﹁千 五 百 番 歌 合 ﹂ など 、﹁十 市 の 里﹂ な る語を含 んだ歌 は多 い。 ただ ﹁ 衣 う つ槌 の音 ﹂ を も 含 んだ 和 歌 は案 外 に数少 なく 、. 因    〓 建聞 擦 衣 ね さ め し てき け はも の こ そ か な し け れ と を ち のさ と に衣 う つこゑ. ︵ 長方 集 ︶. 抄 ﹂、 ﹁大 鏡 伊 ヂ伝﹂ にも あ る 。 ﹁と ほ﹂ は ﹁ 遠 ﹂ と 、十市 の ﹁ 十 ﹂ と を 掛 け てお り 、﹁和名 抄 ﹂ 巻 五 に ﹁ 十 市 止保知﹂、. と 贈 答 歌 が あ る。 この歌 は 、 ﹁拾 遺 和 歌 集 ﹂ 巻 十 八雑 賀 に、  詞 書 と贈 歌 に 一部 の異 同 あ って載 せら れ、 ま た ﹁ 拾遺. な い ほをと お は.

(3) 同    百首歌 たてま つりし時 ふけ にけり山 のはちかく月さえ てとをち の里に衣う つこゑ. C. いり が た の月 の空 さ へひび く ま でと ほぢ のむ ら は衣 う つなり. 式 子内 親 王. 新 古 今 集 、巻 五、 秋 下 、 四 八 五︶ ︵. 入 道前 太 政 大 臣. ︵ 玉葉 集 、巻 五、秋 下 、 七 六 二︶. あ たり が、 物 語 本 文 と の適 応 度 も 一番 高 いか と考 えら れ る。 ﹁長 方 集 ﹂ は 四季 ・恋 ・雑 の部 立 に配 列 さ れ 、 ﹁千 載. 集﹂ 撰 進 の資 料 と し て編 纂 さ れ たも のと いわ れ 、藤 原 長 方 は保 延 五年 ︵一 一二九 ︶ ︱ 建 久 二年 ︵一 一九 一︶ の人 、 ﹁千 載 集﹂ 初 出 の歌 人 と し て知 ら れ る。. 情 あ って披 講 さ れ た のが正 治 二年 ︵一二〇 〇 ︶ 十 一月 二十 二 日と いう 。 ﹁玉葉 集 ﹂ 所載 歌 は 一応 措 く と し て、 国 同. 一方 、 ﹁新 古 今 集 ﹂ の式 子 内 親 王 の歌 は、 詞書 によ ると ﹁ 正 治 二年 初 度 百 首﹂ の詠 。 後 鳥 羽院 の主 催 。 幾 多 の事. 歌 の表 現 を 注 目 し 、 か か る表 現 を 仮 り に ﹁こわ た の時 雨﹂ 本 文 が 吸 収 し たと考 え て、 大 凡十 二世 紀 末 ︱十 三世 紀 初. い か に と り い. て空 り・ に. も. ′ 思覚 し 舌L免 る. 御 台 なども あ る べか しく てま ゐら せ たり。夜 ふけ ぬれ ば 、. 雨 宿 り し た。 風 情 あ る琴 の音 が止 ん で、食 膳 の用意 、 大 殿油 を と ぼす な ど 、 童 女 が出 て接 待 す る条 、 琴 の音 も や み ぬ。. をお か. 雨 夜 の月 に て侍 る身 にし あ れ ば   木 幡 の里 のほと り で、折 か ら の時 雨 に出 逢 って難 渋 し た男 君 は、 と あ る小 家 に. ニ. 頭 と いう 一つの線 が出 てく る の で はな か ろう か。. 槻. 修. 大. (21).

(4) (22) 物語「 こわたの時雨」 ところどころ. し き 童 女 に、 大 殿 油 と ぼし てま ゐ ら せ たり 。 大 学 の助 、 牢 一 ・            た ひ ゐ. ﹁ひた そら な る御 旅 居 は さ の み こそあ れ 、持 ち てま ゐり給 へ﹂ と い へば 、 ﹁ 雨 夜 の月 に て侍 る身 にし あ れ ば ﹂ と て、 出 でや ら ぬも こと わ り に心 にく し。. ︵ 四 オ︶. 当 然 な が ら 童 女 の返 答 は、古 歌 の 一節 を 踏 ま え たも のと 覚 しく、 引 歌 と し て の適 例 を 能 う 限 り検 索 し た結 果 、 か ろ う ち 一首 は 詞書 の中 に含 ま れ る︶ を 掲 げ 得 る。 う じ て次 の 二首 ︵. 三井 でら に侍 り け る童 を 、 京 に いでば か なら ず つげ よ と ち ぎ り て侍 り け るを 、京 へい でたり と は き き け れ ど 同   一. も 、 お と づ れ 侍 ら ざ り け れ ば い ひ つか は じ け る                                          僧 都 覚 雅. かげ み え ぬき み は あ ま よ の月 な れ や いで ても 人 にし ら れざ り け り             ︵ 詞花 集 、 巻 七 、恋 上 、 二〇 六 ︶. 局倉 院 御 時 、 内 にさ ぶら ひけ る が、 さ ま か へて八幡 の御 山 に こも り ぬと き き て刑 部 卿 頼輔 も と よ り 、 君 はさ 同   一. は あ ま 夜 の月 か雲 井 よ り 人 にし ら れ で山 に いり ぬ る、 と申 し お く り て侍 り け る返 事 に            小 侍 従. 玉葉 集 、 巻 十 八、雑 、 二五 〇 〇 ︶ す む か ひも な く て雲 井 にあ り 明 の月 は な にと か いるも し ら れ ん             ︵.   一応 、 室 町未 期 から 現存 最 古 の写 本 と 目 さ れ る甲 南 女 子 大 学 蔵 ﹁こわ た の時 雨﹂ は 、特 徴 あ る書 風 そ の他 から 、. 桃 山 時 代 に かけ て の写 し と考 え ら れ て いる が、 物 語 そ のも の の成 立 年 代 は、大 凡 、 室 町時 代 以前 の成 立 、 す な わ ち.

(5) 修. 槻 大. (23). 鎌 倉 後 期 に属 す るも のと 推 定 す る のが現在 の大 方 の立場 であ る。. さ て僧 都 覚 雅 は、 寛 治 四年 ︵一〇九 〇 ︶ ︱ 久 安 二年 ︵一 一四六 ︶、 五十 七 歳 没 。 東 大 寺 の僧 、 久安 百 首 の作 者 に. 詞花 和 歌 集 ﹂ は仁 平 元 年 ︵一 一五 こ 中 に第 選 ば れ た が、 詠 進 を 果 た さず 没 し たと いう 。 ﹁金 葉 集﹂ 初 出 。 ま た ﹁. 初 度 本 ︶ を 完 成 奏 覧 、 さ ら に崇 徳 院 の命 に依 って第 二次本 ︵三度 本 ・精 撰 本 ︶ が奏 上 嘉 納 さ れ た と いう 。 一次 本 ︵. ︱ 三年 ︵一 一五  久 寿 二年 ︵一 一五 五︶ 後 葉 和歌 集 ﹂、 巻 十 二 、 恋 三 にも 取 ら れ て いる が 、 な お 覚 雅 の こ の歌 は 、 ﹁ 六 ︶ 頃 の成 立 と 目 さ れ る。.  仮 り に ﹁こわ た の時 雨 ﹂ の本 文 が、 国 覚 雅 の歌 を 踏 ま え て いると す れ ば 、 大 凡十 二世 紀 半 ば 以上 の こと か ら 、 ︱︱ 悪 左 府 頼 長 の活 躍 を 中 心 にし た近衛 o後 白 河朝 の頃 以後 と いう こと に な ろ う か。. す む か ひも ︱﹂ の詞書 に、 刑 部 卿 頼輔 の歌 と し て、 つぎ に資 料 国 。 ﹁玉葉 和 歌 集﹂ に収 め ら れ た小 侍 従 の歌 ﹁. は さ は あ ま 夜 の月 か︱﹂ と ぁ る。 頼輔 は天 永 三年 ︵一 一 一三︶ ︱ 文 治 二年 ︵一 一八六 ︶、 七 十 五歳 没。 家 集 に 部 卿 頼 輔 集﹂ が あ り 、 詞書 を. 大 宮 小 侍 従 内 にま いり て候 ほと に、 道 心 お こし て、 あ き になり て や は た の御 山 にま いり こ□ り ぬと き ゝて、. 基 盤 にす る と十 四世 紀 初 め に大 き く降 る こと にな る。. 以 上 の こと か ら 、 仮 り に物 語本 文 が同 頼 輔 の歌 を 踏 ま え たと し て、 大 凡 十 二世 紀 後 半 、 ただ ﹁玉葉 集﹂ 成 立 時 を. 三︶ 二 月 の成 立 。.  な お ﹁玉葉 和 歌 集﹂ は 正和 元年 ︵一三 一 頼 輔 集﹂ の成 立 は寿 永 元 年 ︵一 一八 二︶ 六 月 。 と し て収 め ら れ て いる 。 ﹁. かく とも つけ ぬよ し な と申 し て、 お く にかき て つか は せ る. 君. 刑.

(6) (24) 物語「 こわたの時雨」 ところどころ. いま 資 料 同 国 か ら 、 覚 雅 ・頼 輔 の歌 意 を 物 語 本 文 と 照 応 さ せ る に、 と も に引 歌 と し て適 応 す る面 を持 って いる。. 物 語 ﹁こわ た の時 雨﹂ が 作 ら れ た頃 、  人 前 に姿 を 見 せ た く な い断 り状 と し て、 ﹁ 雨夜 の月 に て侍 る身﹂ と い った言. い回 し が慣 用 語 句 化 し てお り 、 それ が 、 覚 雅 ・頼 輔 ら によ って歌 語 の中 に組 み入 れ ら れも し た、 と仮 り に考 え た場 合 、 大 凡十 二世 紀 半 ば か ら 後 半 と いう 目 途 は 、   一応 こ こ に注 目 し ておき た い。 三. 空 ・        たひ ゐ                          も          ひ. ひ た そら   な お 引 用 本 文 中 に、大 学 の助 の言 葉 と し て、 ﹁ひ た そら な る御 旅 居 は さ のみ こ そあ れ 、 持 ち てま ゐ り 給 へ﹂. ︵ 米 沢本 沙 石 集 ︶. な る 一節 があ る 。 ﹁ひ た す ら﹂ ︵只管 。 一向 ︶ な る用 例 は ﹁源 氏 物 語 ﹂、 ﹁ 増 鏡 ﹂、 ﹁徒 然 草﹂ な ど にみら れ る が、 そ の. 転 、 ﹁ひ た そら﹂ の用 例 は ﹁ 沙 石 集 ﹂ を 数 え る のみ であ る。 よ ほど特 異 な 用語 な の であ ろう 。. ・ひ た そ ら の山 が つに て侍 る. 四. ︵五 ウ ︶. ま れ 人  雨 宿 り の男 君 は 、 関 心も て室 内 を のぞき 見 る。 折 か ら在 五中 将の 絵 な ど 広 げ て女 房 たち の声 々。 尼 君 が. ﹁いま は大 殿 籠 れ 。 か か る雨 夜 はむ つか しき も のぞ。 ま た廊 にお はす る客 人 も ぞ のぞき 給 ふ﹂.

(7) 来客﹂ ﹁ま ろ う ど﹂ の意 だ が 、 ﹁ 徒 然草 ﹂、 ﹁謡 曲 竹生島 ・狸々 ・枕慈土 置 など に用 と た し な め る 一節 。 ﹁ ま れ 人﹂ は ﹁. ま れ う ど﹂ と し ては ﹁ 貫 例 を 見 る 以 外 、 いわ ゆ る王 朝 物 語類 には ﹁あ さ ぢ が露 ﹂ の例 のほか は出 て こな い。 た だ ﹁. 、 ﹁源 氏 物 語 ﹂、 ﹁日葡 辞 書 ﹂ など に見 え る 。 ﹁こわ た の時 雨﹂ 本 文 は ﹁ まれ 土 佐 日記 ﹂ 之 集 ﹂、 ﹁ま ら う ど﹂ の例 は ﹁. ︵ 徒 然草 ︶. ︵ あ さぢ が露 ︶. 人﹂ と表 記 さ れ てお り 、音 便 の問 題を残 す が、 他 の数 多 い特 殊 な語 の用例 か らも 総 合 判 断 し て、中 世 的 な語法 の 一 例 と考 え ても よ ろ し いか と 思 わ れ る。. これ にま れ 人 のお はす る ま れ 人 の饗 応 な ども 、 つい でをか しき やう に と り なし た るも. 五. ︵ 廿 一ウ︶. お のづ か ら. 扶持す る ある 日、院 の御前 で、左大臣 の中 君を始 めとす る四美女を形容 し て、院 、内侍、中納言 の君などが歌 を詠む条 で、 さ ても 奈 良 の兵 部 卿 の右 衛 門 頭 の中 君 は、 いろ いろ め でたき 憂 曇華 を 、 扶 持 す る 人 も なき ま ま に、 倒 れ ふしたら ん と に や︱ ︱. 太 平 記 ﹂、 ﹁古 今 著聞 集 ﹂ に散 見 す る が、 宮 廷女流 文 学 の系 列 作 品 には 絶 え て見 る こと が でき な は ﹁ 平 家 物 語 ﹂、 ﹁. 扶 持 米﹂ を 給 付 し て臣 下 とす る意 など 、 そ の用例 助 力 す る﹂ 意 で、 ひ い ては ﹁ 扶 助﹂ は ﹁ 助 け る こと﹂ ﹁ とあ る 。 ﹁. 主E な無 き・ 宿: に 植う ゑ わ た し て. 修. 槻 大. (25).

(8) (26) 物語「 こわたの時雨」 ところどころ. い。主 と し て戦 記 文 学 に属 す る作 品群 に用 いら れ が ち な 語 が 、 こう し て王朝 物 語 の系 列 作 品 に混 入 し てゆく時 代 背. 太 平記︶ ︵. 景 を考 え さ せら れ る。. ・ 一族 若 党 等 共 を も 扶 持 し置 き. ︵ 徒 然草 ︶. ︵ 古今 著 聞 集︶. ・こ の信 濃 入 道 を 扶 持 し給 け り ・前 後 に あ ひ従 ひ て扶 持 し た り け り. ニ ハ. は て は朽 ち葉 に  時 雨 は れ ゆ き 、男 君 が立 ち 去 った直 後 に、 姫 君 の母 が病 い の由 、 急 ぎ桜 井 に赴 く。 再 訪 し た男. 君 は、無 人 の家 に驚 い て、 姫 君 の行 方 を探 し 、 や っと桜 井 に文 を 送 る が、姫 君 を 憎 む 母 は、 内 緒 で、 男 君 を そ の妹. に結 び付 け てし ま う 。 ﹁ 姉 君 は未 だ 独身 で、 実 は 母 から 嫌 わ れ 、  ね泣 き がち の日 々﹂ と 、  間 わず 語 り す る新妻 によ って、   一部 始 終 を 察 知 し た男 君 は 、 過去 のす べてを 語 り 、 姫 君 の今 の所在を 尋 ね る が、 母 親 の手 前 も あ って、妹 君 は教 え よ う と し な い。. ﹁⋮ ⋮御 身 づ か ら にも 文 を いま 一度 み せ 奉 ら ま ほし き﹂ と あ り し かば 、顔 う ち あ か め て、 母 君 の の給 ひ し こと 思 し い で て、 いとほし け れ ど 、 ﹁いか な る 人 か と り け ん、 田舎 の方 へと 聞 き し は﹂ とば か り 、 言 葉 す く な に答 へ給 へば 、 さ て は あ り し こ そか ぎ り な ら めと思 し て、.

(9) 大 槻. (27). の ち の 春 宮 に 当 る 方 だ が. ﹁は ては朽 ち 葉 に﹂. れ 局 い 式 部 卿 親 王 は. とば かり 回す さ み て立 ち給 ふ。. 誉. 。 いま ﹁は ては朽 ち 葉 に﹂ を 含 ん だ古 歌 を検 索 し た と ころ 、 次 の 一例 を 数 え る のみ であ る. 人 御 子 で 好 色 の. ︵二 三 オ ︶. 中 納 言 親 宗集. ﹁ 寿 永 百首. そ の紹 介 文 。. ふ 基 蚤 号 簑 2塞 う 該 の 人 元 つ は 一 当 中 が 年 と 平 つ す の 多 ͡ し 親 て 宗 の る 一 く `一 一 lの 線 歌 首 だ を を 時 六 養 家 和 集 六 O° け 検 踏 に V を 索 ま 親 示 す え 宗 五 寿 福 し べ て も 月 永 原 て き 物 従 ¬ の 遷 お で 語 五 太 頃 都 き あ ¬ 位 皇 ͡ の た る こ 下 太 一 治 い が` わ 蔵 后 一 承 ° た 人 宮 八 四 現 の 兵 亮 一 年 状 時 部 経 t͡ か 雨 権 盛 一 一 L少 歌 一 一 ら 推 の 輔 合 L四八 八 し 一 の V V〇 て 節 二 に ` が 十 お に 六 仮 生 三 け な 月 り ま 歳 る つ 以 に れ で 和 た 降 こ た あ 歌 自 の の と つ 作 撰 成 ` た 者 家 立 歌 い を と は` 集 と と 目 適 き い 応 な う 主 考 さ ° さ り 催 え れ せ 速 こ 者 ら る た 断 の の れ が` と す よ 経 て じ る う 盛 い い て` こ な を る わ ° ゆ と 特 初 る 大 は 殊 め 凡 慎 の と 十 む 歌 し 二 べ 合 て 世 き ま 歌 紀 で た 合. 経 盛卿 家 歌 合 、 恋 心 を. 時 の 帝 の. 家 ¬ た 集 親 L宗 だ. く れ な ゐ の こ ひ の涙 の いか な れば は てはく ち は に袖 を なす ら ん. の あ は 史 後 り ` 自 上 撰 初 半. 修.

(10) (28) 物語「 こわたの時雨」 ところどころ. ︵二四 ウ︶. ま こと や こ の ころ 式 部 卿 親 王 と申 す は 、当 帝 の ひ と り 御 子 に て、 中 納 言 の御 姉 、后 の官 の御 腹 に、 た だ 一所も の し 給 ふ が、.       、   ミ ︶ ︵       〃. ︵      〃      、 巻 五︶. ︵ 浜 松 中 納 言 物 語 、巻 一︶. 一般 に ﹁ 式 部 卿 宮 ﹂ と いう表 記 は多 いが 、 ﹁ 親 王﹂ と 記 す 例 は 王 朝 物 語 の系 列作 品 に見 ら れ な い。 た だ ﹁ 浜松 中 納 言 物 語﹂ に記 さ れ た 三例 は珍 ら し いと いえ よ う 。 ・秦 の親 王 と い へる 人 あ り け り 。 ・唐 の親 王此 の世 の事 を ・第 二 の親 王 東 宮 に ゐ さ せ給 ひ ぬ。. ヽ. 斗 ・  ・ ・ つ            う. いかば か り 憂 き 身 に は 憂 じ と  石 山 で淋 し い毎 日が続 く 姫 君 は、時 の春 宮 と思 わ ぬ 一夜 の契 り を 結 。 ぶ あ と姫 君 の居 宅 焼 亡 の こと も あ って東 宮 と の縁 も 切 れ た が、 や が て春 宮 の胤 、 それも 双児 の男 子 を 出 生 。生 み の母 た る 姫君 は 、 赤 子 を 見 つめ な が ら 、自 分 の将 来 を 歎 く条 に、. ﹁か か る折 さ へ つれ なき 命 ま た な が ら へて、 いか が な り ゆ く べき 身 にかあら ん﹂. と つ つま し な が ら 、 宮 たち のう つく し げ に てさ し な ら び給 へるを 見 奉 るも あ はれ に、 ﹁いか にな り は て給 は ん御 行 末 にか﹂ と 心苦 し 。.

(11) ﹁いかば かり 憂 き 身 には 憂 じ と思 ひと る べき さ へあ はれ な る ぞ か し。 いか なれば 母 上 の、 我 を ば あ な が ち に憎 み給 ふら ん﹂. 八 オ︶ と いと 心 憂 し。                                                                              T 一. 実伊.  能 う 限 り の検 索 を 経 て、 適 応 し易 い次 の 一首 を掲 げ てみ る 。﹁明 題 和 歌 全 と あ る。 や は り歌 語 的 な表 現 と覚 しく 、 永 徳 御 百 首 ﹂ か ら と し て、 集 ﹂、 雑 一、 述 懐 に、 ﹁. う き み にはう き を う し とも え そ いは ぬ有 にも あ ら は有 世 と 思 へは. ヂ と そ の子 孫 の作 が 目 立 つ ﹁ 菊 葉 和歌 集 ﹂ も 、応 永 五年 ︵一二 九 八︶ ご ろ編 集 を 逐 げ て いた と いう 。 いま 仮 り に こ. と あ る が、 散 供 し た ﹁ 永 徳 御 百 首 ﹂ の歌 を 収 め る続 現存 六 帖 は永 享 十 一年 ︵一四 二九 ︶ 以降 の撰 であ り 、今 出 川実. の歌 を 対 象 と し て考 え る と 、   一四世紀 末 から 一五世 紀 半 ば 、 と ﹁こわ た の時 雨 ﹂ への影 響 年 代 は大 き く 下 降 し 、 い ま し ば ら く 適 応 し易 い他 の歌 の収 拾 に つと め た い。 九. く ろ みす ぎ ぬる  入 水 自 殺 の寸 前 を 救 わ れ た中 の君 は 、改 め て大 納 言 と結 ば れ 、 かわ り に二 の君 が った中 の君 そ の人 と の再 会 を 夢 み て いた だ け に、春 宮 の喜 び は大 き い。. 、 妃 と な る べく 工作 す る。 内 実 を 知 ら ぬ春 宮 から喜 び の文 。 実 は 、 石 山 寺 参 詣 の折 に時 雨 の中 でか いま み   一夜 を契. 、 時 の春 宮 の. 槻. 修. 大. (29).

(12) (30) 物語「 こわたの時雨」 ところどころ. く ろ き す ぎ ぬ る御 言 葉 いと 多 く て 知 ら せ ば や 別 れ し 空 も そ のま ま にま た か き く ら す 雲 井 な り と も また. あ ふ こ と を 知 ら ぬ命 の な が ら へて う れ し き 瀬 にも 袖 は ぬ れ け り いと あ は れ に か た じ け な う. ︵ 五七 ウ︶. ︵ と はず 語 り 、  こ. ﹁く ろ み す ぎ ぬる﹂ の意 は 、 紙 面 が真 っ黒 にな る ほど文 字 が こま ご ま と書 かれ て いる こと で、 用 例 と し ては、 ・御 返 事 も く ろ みす ぎ し や ら む. ・思 ふ心 を つく す ほど の言 の葉 、 いか にく ろ み つく す と も                               ︵ 秋 の夜 の長 物 語 ︶. な ど を 数 え る にす ぎず 、 ﹁源 氏 物 語﹂ な ど で は、  人 々が揃 って喪 服 を着 る場 面 ︵ 薄 雲︶ で ﹁ く ろ み わ た り て﹂ と あ. り 、文 面 の書 か れ方 に対 す る形 容 と し て の記 述 は認 めら れ な い。 や はり 中世 語 に属 す る の であ ろ う 。. ︵ 未完 ︶.

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