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E ・ ム ー ア の 立 場

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(1)

産業社会準諭に闘する

W

E

j

本稿は昭和=一十年度文部省科学研究助成補助金︵助成研究︶による﹁経営の社会学的研究﹂の一部である︒

(2)

二 ︑

E統学派とその批判並にム

1

7

三 ︑

1︑﹁産業社会学l現状と展望﹂の梗概

2︑その要点と問題点

3︑ドゥピy

1

7

4︑﹁現代における農業社会学の問問点﹂の論旨

5︑産業社会学の性格についてー﹁産業関係と社会秩序・改訂版﹂より

6︑経治社会学について

l﹁終済組織の社会学﹂より︵附・その梗概︶

四︑結

(3)

産業社会学論に関する W• E・ムF アの立場

W

E

・ ム

1

4E Z2 Er

OOB

︶は一九一四年生れの社会学者で︑リンフィールド・カレツヂ︑オレゴ

γ大学を経て四十年ハーバード大学を卒業した︒四十三年以来プリンスty大学人口研究所の研究員︑又四十五年

同大学助教授︑四十八年社会学教授で︑アメリカ社会学会︑アメリカ人口調査協会︑産業関係研究会︑更に国際人

ロ学研究協会︵CE

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彼の研究領域としてはヨーロッパ︵東部及南部︶の経済的︑人口的問題︑南アフリカの人口︑移民問題︑労働問

題︑奴隷問題︑社会階層︑所有権︑経済計画などであり︑以下にとりあげる産業社会学に関する著作のほかにたと

えば﹁東欧及南欧に於ける経済的人口論﹂などがある︒現在︑社会階層や労働体制の比較研究を行いクLあり社会

学に沿ける関心を持ク領域としては彼自身︑︵1

2一般社会学及歴史社会学︵3調4

社会生物学︵5︶犯罪学︵6︶人間生態学をあげている向︒

私はさきに﹁経営における関係論的思惟の問題﹂めにおいてアメリカに治ける産業社会学に関連して︑経営の社

会学的研究はいかなる方法を以て何を対象として行われなければならぬかという乙とを論じた︒その場合︑私見の

主張をなすに急なあまり︑文献の参照は必要な限りにとどめていたのである︒且ク又︑関係文献の中でム1アのも

のに興味を持つに宮本クたし︑少くも産業社会学論に関しては彼の作品をいはばアンジツヒに味読する必要を感じた

ので︑本稿では彼の︑作品について︑主として学論を中心として︑之を紹介しようと恩う︒

(4)

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志 品 目 ︶

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一 一

正統学振とその批判並にムiアの位置

はじめに産業社会学の正統派といわれるものの主張及びその批判の若干にクいて紹介し︑との際あらbれてくる

ムーアの主として形式的位置を抽出しておく︒との場合︑私は我固における斯学の発展にパイオニアとしての輝し

い役割を演じた尾高邦雄博士の述作向を中心として素描を試み度いと思う︒

アメリカにおける産業社会学といわれるものは一九二七年に開始されたシカゴのウエス

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会社のホlソン工場における調査を源とするものであるが︑之が一クの新らしい研究方針として社会学界の注目を

ひくようになクたのは三十年代の後半以後︑更に第二次大戦の開始以後である︒そしてそれは普通ハーバード・グ

ループ又は戸ヨ1学派といわれる開・宮相qpH

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ロ等によクて行わ

れた︒彼らの方針は経営労務の問題を現実の人間関係即ちイシフォーマルな組織乃至人間関係に制約される感情や

(5)

産業社会学論に関する W••ムーアの立場

非合理的動機に即して理解する乙とである︒乙のグループに対して今一クの研究者グループはシカゴ大学﹁の︵産

業人間関係委員会﹂︶左中心とするものである︒之は巧−Hl

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司 ・ 司 ・

4 5 3 0

等より成クている︒ハーバード・グループが経営体の内部に侃界を限定したのに対して︑2

とのシカゴ・グループはむしる経営体とそれが包まれている地域社会との聞の相互関係に焦点を合せるという立場

をとった︒乙の際︑周知のように

ZO

FE弓宮門丹市即ちベ

EZ oC

々を舞台に調査を行っている︒ところで右の

ようなちがいはあるにしても︑たとえばウオーナーがもとハl1ド犬学の一員であり︑且クメヨIの指導を受け

ているのでもわかるように︑少くも産業社会学の発生期における一クの役割を演じ︑その後の批判の対象になクて

いる点からいえば両者に共通のものがあり︑その点から産業社会学の正統派といわれているのである︒

以上述べた正統学派に対するその後のいくクかの批判は大体三クに分けて考えることが出来る︒第一は産業社会

学の主題に関するもので︑シカゴの社会学者同・回一口自負の批判及び部分的にはム1アが之に属する︒第二はその

イヂオロ1ギ1的背景に関するもので︑之も前記二人によクてとり上げられ︑第三の科学性即ち理論的整備の問題

にクいては特にム1

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司 ・

4

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と共に鋭く批判している︒

1

7

IIと共に︑しかも何れも同じ社会学者として正統派に対する批判の口火をきクた学者である

11が正統派の人額学的立場に依拠する経営体内の人同関係を静的︑固定的に理解する方針に対して︑

労資関係的観点の欠除を取上げ︑既述の第一の﹁主題﹂にクいて批判し︑更に第二のイデオロギー性にも触れると

いう方向をとクたのに対して︑ムーアは第一の問題を一応ブルーマ1と共に取上げるのであるが︑後者の如く問題

を労資関係のみに限定せ十︑しかも勿論正統派の如く経営労務の問題を特に経営者的な立場から理解すべきではな

(6)

いとして︑すなわちとの二つの偏向としての実用主義を批判する乙とによって︑むしろ第三の理論的整備の必要を

調

いはば彼自身産業社会学の中にあクて︑内在的乃至は自己批判的に理論的精練の欠除をつく︒乙の点は

ホマシズと共通したととろがあり︑ムーア批判の特色であろう︒

正統派に対する批判を展開した学者の中でム1アとブルーマーは大休に於いて同じ陣営に属するといわれている

が︑以上の概看でもわかる如く︑か友りのちがいがあるのである︒私は特にムlアの強調点即一ち理論的整備の問題

を重祝するのであるが︑同時に︑ブルーマーとの異同にも注目しクL︑彼の所説を見る乙とが大切と思う︒

との理論的整備の問題についてはム17或はホマシズと共にコ1ネル大学の社会学者

4 2 3 0

も早くか

ら研究を発表している︒彼は周知の如くグンロップ・ホブイf論争に沿いて団体交渉を中心問題に考えるハl

1

n

Aの工場とそれに対応する一定の組合をインテンシブに研究する乙と

の必要を強調し︑斯くするととによってそれを一つの科学にまで高めることが出来るのであり︑そのためにはあく

までも視界の限定が必要であるという︒だからブルーマーとは異なった意味でム1アの見解に近い︒ミラーとブオ

ームもその﹁産業関係に関する知識﹂の系統の中でとのことを認めている︒因みに乙

tA

に掲げられた十一の流れの

中にはグシロップ側といわれているブルーマーは見当らぬ向︒

以上極めて形式的ではあったが正統学派とそれに対する諸批判の概略を述べ︑その中におけるム1アの位置づけ

を治乙なった︒次に私は彼の見解を直接に聴く乙とによってその立場を明らかにしたいと思う︒即ち今まで紹介し

て来た乙との肉付けという仕事である︒焦点は度々述べたように理論的整備即ち科学性の問題であり︑併せてプル

l︑ホワイトとの関連にも触れるととが出来たらと思っている︒

(7)

産業社会学論に関する W• E ・ム ~-r の立場

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ー︑﹁産業社会学1

の梗概

はじめにムlアの﹁産業社会学i現状と展望﹂を紹介することによって本論を始め度いと思う︒之は一九四七年

十二月末︑ニューヨークにゐけるアメリカ社会学会における報告で︑﹁アメザカ社会学評論﹂一九四八年八月号に

載ったものである向︒又乙の論文にづいては前出尾高邦雄教授編﹁労働社会学﹂所牧の浜島氏の論文によクて簡単

にその概略が紹介されていると曹とを附記してむく向︒

彼は冒頭に﹁産業の社会学的研究が社会学の諸原理の全体に対して何らかの意義を持っとすればそれは産業的で

ある以前に社会学でなければたらない﹂という我国の学界でもよく注目されている一つの根本態度を表明してい

o乙の一言葉は非常に重要であるし︑之に含まれるすべての意味を残りなく介析検討すれば本論の目的は達成され

たともいえる程のものである︒しかるに我国の之までの学界は之を行クていない︒そとで乙の命題について述ベら

1

7の意味をとりあへや抽出して︑以下随時検討の対象にしよう︒

産業の社会学的研究は今までは︑﹁経験的焦点の領域﹂に過ぎや︑特に社会学の領域からの析出が治となわ

れていない︒との際例へばズナニエキ的危図式が採用されてもいいのである︒

(8)

だから産業社会学は生産方式や産業的生活様式に対して用いられた社会学諸原理の応用又は発展でなければ

かといクて乙の経験的現象が人間行動の他の領域から区別される意味の特殊の原理を持たねというのではな

u

要するとの命題によって彼が一去わんとするととは一定の経験的現象は充分に包括的であるから︑研究の特殊性を

過大に主張するととは︑結果の意味及び予言の効力という点から採り得たい︒にもかかわらや特に経済学的ならざ

る社会学的アプローチを適用しなければなら友いという乙とである︒

次に彼はI産業組織︵古含ω

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E産業関係︵HE25

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5産業労働者とその環境E

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8523W産業体制の社会環境︵ωn

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の範憶により問題の検討を進める︒勿論ζの四分法は一つの便宜にすぎや︑経験の場においては相互に

関連するし︑又経営i組合関係の役割も認識する必要があるという︒ととにおいて私は彼に沿いては研究領域の自

主的特殊性が第一に尊重されているととと︑経営|組合関係という侃点についても配慮がなされているというとと ω

百 円 ︒ ョ

に尚意したいと思う︒

ー︑産業組織について

ととで﹁産業組織﹂といわれるものは﹁産業の社会的情造︵

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々どである︒そして乙の

問題は第一に古典経済学におけるアfミスティックな︑メカニカルな経済関係︵

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第二に経営学者乃至行政学者によって発展せしめられたフォーマルな︑ビュ1ロクヲティックな﹁組織原理﹂に対

(9)

産業社会学論に関する W ・ E ・ム ~J" の立場

する反動としてあらわれ︑現夜までの産業社会学の中心問題となっている︒而して第一の問題はマルクスと共に古

︑ ︑

い問題であり︑第二の問題はウェ11の仕事と結びついている︒後者について産業社会学者はむしろイシフオ1

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しかしそれがどの程度まで協力体制

の本質的部分を友すのか︑フォーマル友組織とくらべて︑それが人間的満足を通じて構造にどの程度えいきょうす

るのか︑更にテクノロジーとの関係などが厳筏にとり上げられていない︒ーテクノロジーとの関連は彼自身︑他の

文献において論じているから後述する︒

1

l︑ヒューズ︑ウオーナー等のとの点にクいての結論の相違からそれらの方法の妥当ならざ

一般に比較研究の重要性を説く︒

そして特に尚意すべきは組合の特にインフォールマルな研究即一ちインフォーマルな勢力構造やその発展にクいて

従来の学者は殆ど無視している︒之は彼れらの経営者的偏向の故であり︑フォーマルなものの研究すら興味の対象

になクていない︒組合は︑にも拘らや︑厳として存在し︑而して生産組織を修正し︑更にそれは生産組織として認

められねばならねものであるから︑たとい情報︑資料の入手に︑より不便ではあっても研究領域にいれなければな

又彼は調査の前提として理論的枠組の必要を言う︒そして直接観察やイ

Y

Fヴュlのみにたよるのは外部の非文

明の研究におけるものであって︑それ丈が真実の社会学的研究法であると考えては友らないという︒

E︑産業関係について

ムーアは﹁産業関係﹂という言葉によクて二つのピユ1l組合間の関係を意味せ

(10)

しめている︒とのこっの集団は︑先づ互いにラシク・アシド・ファイルのレベルに共通の成員を持っているが故に

更に相互の交渉や決定が相応するハイアラキlのどのレベルでも生じうるが故に﹁相互穆透﹂している︒特に組合

は生産組織の﹁内部﹂構造の一部になっているが故にとの領域を産業社会学者が見失うならばブルーマ1の批判の

一部分を蒙る可能性があると警告する︒

しかし彼は産業社会学の領域をブルーマーやグシロップのようにかかる団休関係にのみ限定する乙とは正しくな

o生産組織はとの団体関係を通じてより広ろい領域に拡がり︑かくて逆に前者を修正する領域︑ひいては

全体としての経済及社会の長期趨勢の会野がある︒ムーアが﹁産業社会学を批判するブルーマ1の立場には概して

好意をもつが︑彼が経営l労働関係の令野に限定しているのは受容出来ぬ﹂とその﹁産業関係の社会学理論﹂を批

判しているのはとの点である市︒

更に研究法についてであるが︑プル1マが従来の研究は静的︑固定的であるが︑産業関係の実際はグイナミツク

友相互作用をなす各要素の同時的分析を要求していると一一一日夕ているのに対してムlアは異なった方法を主張する︒

即ち産業関係及び産業上の争いが新らしいものであり︑急速に変化してゆくものであクても︑それを何らかの出発

点から研究し始めるととは可能であり︑現象の範囲が理論的研究に伺いする以上︑完全な知識ではなくともかかる

研究を止めるべきでは友いという︒との場合︑彼は構造的・機能的方針をとるのであるが︑更にダイナミックな分

析においては動的均衡のシェーマによクてそれは効果的に補完されるのであり︑かくて社会学も体制の変化の研究

と決して矛盾したいという︒乙の方法は相互作用における単佼の構造の研究から︵1﹀相互作用による構造の受ける

︶新らしい構造をつくる型の設定︵32︶漸増しゅく相互依存を通じてのとの型の可能的標準化等を含む︒

(11)

産業社会学論に関するw・E ・ムーアの立場

之を要するにム17はプル11と共に研究領域を広︿し︑しかも後者の如く経営l組合関係に固執せ守︑更に

研究方法については現象の無限の複雑さにもかかわらや構造的・機能的方針及勤的均衡という社会学的概念図式の

有意義性を信じ之を守ろうとする︒

直︑産業労働者とその環境について

との場合の﹁環境﹂というのは労働者の生理挙的次元におけるものから介業組織更に広ろく社会的枠組によるも

のへと発展して来たというととを先づ説︿︒従来の社会科挙者のいうのによればそれは社会関係す︒

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とか人間的動機・という工ろ友微細な︵

8 2 2 ω

ものでは友︿資本主義そのものが問題であるというが︑むしろそ

れは産業的生活様式乃至﹁庫業主義﹂というものであると見る︒との主うな犬きた問題は今までの産業社会学者に

との領域も法則化は可能である︒ただ研究の方法としては産業主義が既

存の社会休制やノルムと衝突しかくて産業構造は可変的であるが故に個人の関心や価値観念︑個人動機の理論をと

りあげて︑産業構造の可能な型を見出さねばならないと主張する︒︵因みに彼は日本に治ける産業主義の導入のも

たらした例外的現象をとり上げている︒︶協力の技能の発見や産業構造への救済的態度に専念すべきではないと︒

1アは産業労働者の環境として巨視的問題をとり上げる方向にあると同時に︑との問題をダイナミック

に令析するためにいはば微況的方法を採用し産業構造の可能な在り方に対して客観的に対決しようとする態度を示

町︑産業体制の社会環境について

と乙でいう﹁社会環境﹂は少︿も研究領域の拡大の可否を論者yるという点でいえば前項Eにおけるものと同じで

(12)

= 一

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ある︒勿論ととでは産業体制を中心にして取上げている︒ムーアの所説は︑たとえば︑グシロップ1ホワイ干論争

に沿いてもいわれている内部関係︑外部関係に関連していえば︑内部関係即ち産業体制︵古島5E

ω u E g B

中心を置とうとしている︒近代社会は︑原始社会や農村社会の複数機能の組織︵呂旦広

1 1 2 5 z o

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とちがって専問的結社m

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を有し︑従ってそとに沿いては結社の自律性︵曲目︒門広

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がある︒従って種々の機能的側面に即して別個の研究が可能であり︑叉正当怠るを思はせる︒即ち複

数機能の組織の研究上りも抽象を少︿たらしめるからである︒之に反し外部関係にはかかる令析の対象としての独

向性が友い︒ウオーナーやロ1の行った工ろに領域を広めてゆくと少︿も社会学特有の貢献がなくなり︑

らもむしろ帝国主義的となるであろうという︒

しかし訟がら更に注意すべきととはム17は右の主ろに社会学的研究領域の限界を守ると同時に︑他の関係学問

−例へば制度準派!の業績についても関心をもち社会学的研究の科学的意義を高めなければならないといクている

点である︒繰返していへば彼は主として産業体制の機能的自律性の故に社会学特有の領域を内部関係に一応限定す

ると同時に︑社会学の挙問的意義たとえば予言の効果という点から関係学問にも考慮を払う必要を説きしかも術後

者をも吸牧するというクラブT−ユニオニズムを排斥するのである︒

最後にム17は産業社会学は現在若さから︿る無邪気と血気の故の欠点を持っているが将来特に実用主義の誘惑

を斥けて慎重に研究を進めなければ混乱を生やるであろうという︒

2︑その要点と問題点

以上﹁産業社会学﹂の梗概を述べて来たのであるが︑ム17の産業社会学の立場についてはとの論文に沿いて充

(13)

産業社会学論に関するW•ム ~7 の立場

分エクステシシプに尽くされている︒私の観点から章一要と思われる箇所は既に紹介の途中︑傍点を附して指摘して

尾高教授は定統派の廃業社会学に対する批判点として︵1︶庫業社会学の主題︑対象領域︑もしくはそれの視界

の範閏︵2︶イヂオロギ1的背景︵3﹀科学伎の三点を挙げられる肉︒私の関心はその理論的整備にあるととは既

述の如︿であるが︑とれば右の=一点に共に関係しているし一言にしていえば廃業社会学の性格の問題である︒

らの観点から次にややイγテシシプに研究し工ろと思うので以下の文献を参照する場合の指標として若干の問題点

をあげておき度い︒

−﹁経験的焦点の領域﹂にづいて

E﹁産業組織﹂について

E﹁微細ゑ人間的動機﹂について

町﹁社会学左経済学の関係﹂について

S

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︶﹂は他の文献には見当らねのであるが︑之は彼のいう﹁生産方

式や声業的生活様式﹂であり︑今までの産業の社会学的研究の対象であク党︒更にそれは﹁経済社会﹂であると見

との領域は充八すに包括的であり︑叉独自の特性を持っているし︑理論的研究に値いするという︒

それは今まで主として経済学が取扱って来売︒しかし社会当も真正面から之を取扱うととが出来る︒そうしても勿

論︑完全ゑ知識にはたちたいが社会挙者が之を取上げ分析するととが必要でちる︒社会学の対象として規定すれば

︹−E

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OE︶﹂といわれる︒換言すれば産業の社会的構造であり︑時には﹁生産組織﹂

(14)

ともいう︒ム

1

は之を更にかの古典的表現たる箇別経済ーと綜合経済の社会的対応物に7

44

けて考える態度をとる︒

S

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﹈ 巳 ﹄

02

Oω︶として現わせば産業社会学研究にクいて論争さ

れている文脈に接触するわけで︑との両者が産業社会学の対拍車と友る︒しかしム1アの場合内的関係に重点がおか

れる︒!とのとみ︶については後述︒それは彼の方法論的立場の故であるが︑少くも外的関係への眺望を持つ︒従ク

11流の労資関係もム

1

7の領域の中に包摂される︒ムーアにおいてはそれは﹁産業関係

︵ 同 ロ 内 田 ロ

ω −耳目 白 −

河 命 ﹈ 担

民 ︒

ω︶﹂と規定されている︒唯ブルーマーが之を労資粉争の問題として把握せんとする態度については︑第一

に右に述べたム

1

7の枠組の広さと較べて狭き忙過ぎる故に︑第二にその利害関係的方法の故に抵抗している︒ム

1

7は﹁アタリカに治ける法的︑政治的︑道徳的な方面に沿ける支酎的潮流が︑少くも最近までは資本家︑経営者

の立場に犬いに好意的であったから︑廃業関係の−客観的評価は反労働的という主りむしろプロレイパーである向﹂

というととを認めつつも︑しかもかかる実用主義を︑正統派のプロマネジメントと共に採らないという︒

﹁産業組織﹂がム

1

7の対象であり︑而もそれがいわゆる綜合経済に関する社会の領域更にその動態的理解にまで

及ぶ以上︑ム1アの視野の中には最近いわれる意味の巨沼地約友問題︵色︒ぜ包

22

﹀例へば2

Z 丘 吋 E EZ B

が当然入っている︒しかも研究の方法としてはいはば微促的方法|正しい意味のそれを採用する市︒具体的にいえ

ば﹁微細な人間的動機﹂の介析上り出発する︒との詳細についても後で述べるが︑ム

1

7がとのようた方法により

右に述ぺた問題を令析する自らの立場を﹁特定の倫理体系﹂や﹁利害集団﹂への奉仕に非らざる﹁体系的理論﹂の

﹁闘争者では友︿報告者としての行動﹂といってそのアカデミック友立場を誓うのであるがめ︑それではと

の領域を今まで殆

HY

﹂独占的に取扱クて来た経済学との関係はどうなるのであろうか︒との点についても後で取上げ

(15)

産業社会学論に関するWE・ムF アの立場

る筈であるが︑ととでは次の点を指摘しておとう︒

ム17は科学に対して弾力性ある立場をとっている︒体系の整備というととを勿論云うけれども︑と同時に公共

的使命乃至予言的効用左いうととが常に念頭にある工ろである︒従って社会学が所調社会問題のみを研究対象とせ

ゃ︑従来主として経済学が取扱クて来年ん領域を正商から取上げる場合に社会学は一方イシピアリアリズム乃至クラ

アト・ユニオニズムを警戒せよといろと同時に︑他方関係科学の成果についても深い配慮を一示す︒それは﹁社会学

的研究の科挙的意義はその研究が解零すぺき理論的問題に注意を向けるととによって高められる﹂からである︒彼

は叉社会坐の自主性をも︑前述の工ろに唱へるけれEも︑とのととについての全面的な解明を行わんとする私にとっ

ては彼のいろ社会挙とは何であるのかという問題に注目せざるを得たい︒他の産業社会挙者に司おいても同じである

E

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ロ 円 Z

0.必と考へている上ろであり︑との問題は同・ロEmの立場と関連があるの

ではないだろうかo更吃﹁人間性︵

VE

B

EZ

Z

π一析を強く主張するム17は﹁一つの構成休の

外面的な組織の枠を貫いて人々の背後にある内面的危組織にまで遡及し︑かくてそれによって制約されている人A

の行動や態度を内面的に︑主体的に理解し上うとする産業社会学にかぎらや社会学一般の研究方針の特色﹂を説か

れる尾高博士仰の学説との関連についても取上げられるであろうし︑叉ム17の社会学の立場もとの辺りから明ら

かにすぺきであろろ︒

3

︑ドゥピ

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1ア批判

シカゴ大学のドゥピY

︵ 河

GE2

γロップ・ホワイT論争のグシロップ側に立つ学者であるが︑ム−

アの﹁産業社会学﹂についてプル1l流の巨規約立場から図書1問題の重要性を述べてム1アを批判している向︒

(16)

更にその前に下ゥピシは一九四六年十一月の﹁米国社会学雑誌﹂に沿いて︑同年第一版が出版されたム1アの﹁産

業関係と社会秩序﹂の書評として﹁労働組合主義の勢力は企業が経営されるグ1ムのルールを根本的忙かえつつあ

る﹂ので﹁経営者の側に基づく社会学的観察即ち企業の社会的性質とか﹃人間的要素﹄の令析に徒らに耽けるととな

︿︑社会学者の名に沿いて組合主義の問題及それが経営機能に対して持つ重要性の問題を真正面から取扱わねばな

らぬ﹂としてム1アの労働組織を取扱ろ第五篇がとの本の最大の弱点であると指摘している

do

γの四八年の批判の対象に反った﹁摩業社会学﹂の内容については既に紹介したが︑四六年の批判の対象

となった﹁産業関係と社会秩序﹂は五一年に改訂版が出ているので︑之にづいては後で紹介するととにして︑その

間即ち四七年︑ム1アはドずピンの書評に対する反批判を書いている︒そして前にその梗概を紹介した﹁産業社会

l現状と展望﹂はその夜年の四八年に書かれているのであるから︑乙の内容を更に土く理解し且クドゥピシの批

判をどの土ろに受けとったかについてのム

1

の所説を検討する意味で次に四七年の﹁現代に於ける産業社会学の7

問題点﹂を簡単に紹介し上う︒

4

︑﹁現代における産業社会学の問題点﹂の論旨例

1

7は問題を三つにわけて説く︒

ー︑研究方法の問題について

従来の研究は文化人頭学的であり︑従ってイシグヴューを主んじたが︑彼は構造的・機能的方法を主張し︑更に

イシフォーマル訟ものの介析をも可能にするため﹁個人がその一部である構造の連鎖

︵ ロ 2

4

O

O

︶ ﹂

を令析し友ければ友らぬという︒換言すれば第一に今までの記述的方法に代うるに介析的方法を︑第二にガ1

(17)

産業社会学論に関するWE・ムーアの立場

ω0

2

γフォーマルな社会構造の令析の1シカゴ学派︶の如き単なる構造的アプローチに非らざるイ

必要をとく︒要するに個人の性格︑動機︑願望︑忠誠の土うた微視的観点から会社会構造の令析を行うのが彼の社

更に彼は従来の診断家乃至臨球家と令析出戒を混同する実用主義の立場に対して冷静放科学的理論の立場

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VO白血|を守り︑ヌヨーは科学と技術の区別を知らぬと批判する倒︒且っとのよう念研究が前者に劣るという先天的

理由はないという厳然たる態度をとる︒しかも﹁従来の経営学や人事管理の研究は人聞を仕事に適合せしめるとと

のみを考えて︑仕事を入閣に適合せしめるととを考え友かクた﹂とか﹁社会学は個人に対するイγフォーマル・グ

ループの機能や︑虎業の人類への貢献の程度を評価してもいいのではたいか﹂と説くととによって︑決しで無味乾

燥の空理をもてあそぶのではないといういはば﹃三宅

RS E2 3

の信念をも吐露する︒

E︑価値の問題にづいて

前項で述べたム

1

の﹁科学者﹂としての立場は更にととで利害乃至価値の問題との関連において繰返し強調さ7

Wにおいて説かれた結社の自律性及び更に社会均衡

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1︶にクいてであるが︑之とそ社会学の対品端であり︑しかも決して産業的ピユB

ーの︑その他の集団や結社に対してもつ持株会社としての自然的乃至戦略的上位を考えるものではない︒

一般に誤解されていると︒経営や組合の要求が何であろうと︑それからの距離を保ち︑

るものがいなくなるではないか﹂と価値や利害からの超越を唱う︒

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) 点 政、は

﹁そうで怠ければ利害を超えて研究す

一 一 一 七

(18)

E︑研究領域について

ととの論述はドザピンの批判に直接関係している︒ムーアは豆統派がその経営者的偏向の故に組合の機能を無視

していると止を先づ認め︑現代の産業構造は経営と組合というこっのピュ1ロクラシーを共に包含するものであり

との領域が﹁現代社会に沿ける社会挙的問題﹂に怒る左積極的にいう︒詳言すれば一づの社会構造一の研究は他のも

のの存在及それからの変客を考へねぼ友らねのであり︑産業上の闘争も社会の解休︑産業社会に治ける機能積介の

問題に関して把えられるという︒しかも重要友ととは社会当者たるものは闘争の救済という点からでは友︿︑経営

の範開主性格を再定義してゆ︿立場則一ち制度的︑結社的友立場から問題を取扱う独特の機能を果すのであると︒

以上三点について論ビた後︑ムーアは最後を︑前述﹁産業社会学﹂の冒頭にh

専問的科挙党ろろ曹とすれば︑それは先づ社会学でなければならぬ﹂という命題を以て給ぶ︒そして之は産業の研究

を粧会学で独占し工ろとするのではもι︿︑理論念き犬ざっぱ友研究︑観点−なき観察に陥る危険を避けんとする意図

止任意味する左附言している︒前に私がとの命題を解釈したものと併せ一一言にしていへば広大ゑ産業上の問題を社会

準的立場か九八T析すると止の必要を力説するのがム

1

7の根本立場である︒だかち産業社会学は社会学原理の応用

叉は発展と怒るが︑とのととは裏からいえば一般的原理︵のg

E a

u o︶は具体的な特殊問題に関するときに

のみ用いうる仰というととである︒

以上によってム

1

7は組合の存在を決して無視しないのみならや︑むしろ積極的に之を包括した領域を社会学の

領域としで取上げるととを主張してドウピシに答へる︒既述したととであるが︑との立場はブルーマ1の云う労資

関係をも包括しているわけで︑むしろブルーマ1の労務関係への狭い限局を受客出来ねと註記している例︒

(19)

産業社会学論に関ずるwE・ムF アの立場

乙のあとにム17は産業社会学の現状と展望をまとめているが︑とのドウピンの批判の後に彼は﹁産業関係と社

会秩序﹂の改訂版に沿いて特に産業社会学の性格を説いている︒次に之を紹介し度い︒

5

﹁産業関係と社会秩序﹂の初版は一九四六年に出されたが︑︵原稿は四四年に出来ている︶その後の斯学の発展を参

照して書き改められ︑との改訂版は五一年に出されている︒その後彼は勤学的なものについての箸作川を出しては

いるが︑目下の観点から見るとき本書が最新のものといえるようである︒初版と異なる点の一つは組合組織と労資

関係とを共に包括して社会学分析の対象にするために旧箸の内容を改め︑社会学的分析の新らしい焦点を提示した

そのため他の修正と共に第一章を広範に書き改めたというが︑と乙に彼が産業社会学の

性格について到達した立場が明確に一不されている︒

産業社会学の﹁範囲︵

ω8

1 ︶﹂は産業の社会的側面︵

g a

であり︑それは社会組織としての産業体

5Eω百件︒自︶及び産業的生活様式のこを含む︒しかしとの領域は非常に広大であるから先づ第一に﹁観

o d

匂﹀﹂を決めなければならね︒その場合︑実際家の立場から観るととも有用であるが︑我々は利害

にとらわれね観察者乃至報告者の立場をとる︒第二に﹁応用社会学﹂の立場から観察する︒しかしこの応用社会学

というのは普通の見解とは異なり﹁社会学的︵乃至社会科学的︶原理を具体的な社会関係に応用すること﹂を意味

する︒との乙とはまた﹁一般的原理﹂は特殊の領域にかかわるときにのみ採り入れられるので︑いかなる科学にお

いても理論と観察は同時に進められねば怒らねのである︒応用の過程にむいて新らしい原理が形成されるとともあ

りうるという乙とを意味する︒

参照

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