21
我が国の音楽教育における読譜の歴史的な変遷について〔II〕
<固定ド>と〈移動ド>の音感と唱法の問題を根底に一 古 田 庄 平*
(昭和62年10月31日受理)
AHistorica1S皿veyofScore−reading
in Japanese Musical Education 〔II〕
一<Fixed−Doh>and<Movable−Doh>for Auditory Sense and Score−reading in Music
Syohei FURUTA
(Received October31,1987)
II 昭和9年代 ①聴音練習と本譜指導
昭和8年9月に「学校音楽」(注1)という雑誌が創刊された。そこで今回は,その雑誌に掲載 されている論文の中から特に読譜(固定ドと移動ドなど音感と唱法)に関するものを検索 しつつ,読譜論を展開したいと思う。
まず,年代的には若干逆昇ることになるが,雑誌「学校音楽」昭和8年の12月号に,北 村久雄が「楽譜生活指導の土台」(注2)と題した論文を掲載している。その中で彼は,「『楽譜 を生活させる』ということは,楽譜の性能を自覚して自分の力によってその楽譜生活を開 拓して行かしめることである。つまりただ音程を記憶したり拍子を記憶するだけでなく,
自分の力で楽譜というものの作用を運用して行くのである。」と述べると共に,「低学年か ら中学年の始め頃においては,『声音関係の学習』を指導することによって,楽譜生活指導 の直接的な基礎準備として是非共課したい」と述べている。更にその「声音関係の学習」
について【1】旋律の階名聴唱【2】旋律の階名呼替【3】旋律の継承【4】三和音を中 心とする簡単な音程という4つの指導方法を提案し,その指導方法について具体的な例を 示している。その具体例の中で彼は,一斉指導の学習形態をとりながら,ドレミによる階 名唱を用いた指導方法をとっているが,123の数字譜によるヒフミ唱法やイロハ音名唱 法あるいは,固定ド唱法などの問題については全く何もふれてはいない。
*長崎大学教育学部音楽科教室
昭和9年1月号には,佐々木秀一が「ド・レ・ミに就いて」(注3)という小論文を掲載してい るが,その中で彼は,ド・レ・ミを階名唱する場合,その階名の中で発音が不明確・不統 一なもの(si=shi,so1=soなど)があることを指摘し,正しい発音で指導すべきだという
ことを提言している。しかし,階名の発音の問題について論じているのみで,階名唱法や 音名唱法などについて何もふれてはいない。
町田等は,昭和9年の2月号から5月号にかけて「聴音指導の実際」(注4)という論文を連載 している。その論文の最初で彼は,「聴音といふ耳を訓練する仕事は『音楽美を直感させる 為め』・の第一階程である」と述べており,「現在まで吾が国の音楽教育と言ふものは,あま りに声帯による発表の研究にのみ究々として耳及びその他の方法による『受け入れる教育』
をやや忘れがちであった」と指摘した上で,これからは「受け入れる為の耳の訓練によっ て『音楽美を直感させる音楽教育』を実現しなければならない」と述べるとともに,その ためには「聴音訓練が絶対に必要である」と強調している。
ところが,彼がこの論文中で取り上げている聴音指導の実際例は,音の強弱・高低・長 短を,異なる二音の違いによって聴分けさせるというものと,「音の数に関する聴音」うま
り,短い旋律を弾いて,「音を何個弾いたか」あるいは「ドの音が何個あったか」などを答 えさせるものから,C音を記憶させ,その他の音を階名にて答えさせるものへと発展させ ること,更に,簡単な短い旋律を聴音させ,それを書き取らせることまで指導すべきであ ること,また,音色とその発音体を当てさせる聴音や,楽曲の形式まで当てさせる聴音訓 練などを提唱しでいる。しかし,それらの聴音をどのような階名や音名で行なうかなどに ついての具体的な方法については何もふれてはいない。
昭和9年10月号から翌年の3月号にかけて草川宣雄は「聴音教育の実際」(注5)という論文 を連載している。その第一節で彼は「音楽的精神を作るに最も肝腎なものの一つはたしか に聴覚的経験である」と述べており,第二節の「聴音教育の目的」においては「音楽教育 は単に聴音教育のみで達成し得るものではなく,聴覚的経験と肉体的運動の経験とその変 化とによって形成せられるものである」と論じている。続く第三節では,聴音練習の実際 例として「旋律の聴音練習」について述べているが,その第一項の「音程の聴音」の練習 例では,前述の町田等と同様に「二音の高低識別」から始め,次に「ハ」音を基音として 二度音程から八度音程までを聴分けさせる方法や,「音の数の聴音」あるいは「旋法・楽式 の聴音」などについて提唱している。特に彼は「和声の聴音練習は和声的教育を始むべき 発端となる大切なものであるから,尋常一年の教育から始むべきである。」と論じ,「強弱
に関する聴音練習」や「速度に関する聴音練習」及び,「音の質(音色)についての聴音練 習」など具体例を示しながら提唱しているが,これらは全て町田等の提案に具体例を提示
したに過ぎないものであり,特に注目すべき問題はなかった。
一方,彼は絶対的能動的聴覚及び絶対的受動的聴覚と相対的聴覚について「音楽の心理 学的及び音楽教育学の見地より,また実際音楽教育上の立場より絶対的聴覚に興味をもつ が(中略)今日においては絶対的聴覚は直接的には必要なものではない,むしろ音楽的事 業においては相対的聴覚に重きを置くのである。」という意見を述べている。これは一見「絶 対音感より相対音感の方を推奨する」といっているかのように受け取れるが,その裏付け
となる具体的な理論展開がなされていないので断言はできない。
同じ昭和9年の10月号には,小田切正衛が「児童用読譜練習盤に依る読譜練習の実際」(注6)
我が国の音楽教育における読譜の歴史的な変遷にっいて〔II〕 23
と題した小論文を掲載しているが,その中で彼は「小学校に於てはどうしても本譜は之を 幾多の要素に分解して,入学当初から夫々の時期に適合するもののみを与へ,順次之を展 開して四五年になった際完全に纏めて取り扱ふやうにしなければならぬ」と,小学校の入 学当初から本譜の読譜練習の必要性を強調していることは注目に値する。・
彼は,本譜の要素(1)高さの関係(音程練習による),(2)長さの関係(リズム練習 による),(3)位置の関係(読譜練習による)という3つの項目に分析し,(3)の項目に 対して「読譜練習盤使用の実際」を詳しく述べている。その中で彼は「かうして絶えず主 音の位置をかへて読譜する事は非常に有益なものである。過去十余年の拙い私の経験から して,ハ調を基調として譜を課された生徒に漸次他の音調を授けた場合,ハ調の音位にの み拘泥して他の調子を読む為に何程の難儀をしたか,今思って見ても不快で堪らない」と いっているように,彼は移動ド唱法の有益さを認めながらも,すでに教育現場においては
「階名読み替えによる煩雑さ」という問題が,教師や児童・生徒を相当困らせていたとい う事実を伺い知ることができる。
更に彼は「此処で私の取扱ふ譜を読むと云ふ意味は読方に於ける素読で有り而も極めて 初期の拾い読みを指すのである。」として,この「読譜練習盤に依る素読の習熟と音階図に 依るピッチ観念の把握と,リズム練習に依る音譜歴時の習熟の三位が一体となり得た時こ そ,一瞬にして歌曲の全幅を把握し得る奥諦を鍛錬し得たと云ひ得のである」と述べてお り,彼は階名唱の音程は階名素読の後に別個に音階図によって指導することを提唱してい るが,この階名素読唱の方法は,低学年の読譜学習の段階性と順序性をよく考慮した指導 方法として評価され,多くの学校で用いられたようであるが,今日では階名とその音程の 結び付きをかえって遅延させるという理由などにより用いられなくなってしまった。
次に,昭和9年11月25日に長野市で開催された第二回学校音楽座談会(注7)で「本譜視唱法 の良方策」について討論が行なわれている。当時東京高師附属小学校の井上武士は,「譜を 読むといふことは大事なことである。やはり本譜教授が徹底して居らんといふことは欠陥 の一つですね。つまり本譜教授が不徹底である。それは取りも直さず日本の音楽教育の本 譜教授の方法に欠陥があ畜と思ふ。」と述べており,また長野市芹田小学校の市川幸雄は「尋 常一年の二学期の後半から四分音符を五線の上でなくても書いて,四拍子なら四拍子の頭 だけ大きくして手を打たせてリズムをならはせる。さうして「ドレミファ」位歌はせてみ ると尋常一年からやって行った時の方が苦労なく喜んで覚える。高学年でやると特別な子 供はいかが大部分は失敗する。特にさういう方面のリズムなり,音程練習,譜をみること の準備なく始めると失敗する。」といっている。一方,東京市日本橋区城東小学校の小出浩 平は「例へば東京ならば東京の中で日本橋区だけの細案は出来る訳である。それで結局ド イツ風にやるとか,フランス風にやるとか,イタリー風にやるとか,大体の細案が出来て,
それを学校々々によって生かすことになりはしないかと思ふ。この頃東京でも或る人が音 楽教育に系統案はいらんといふことで云って居るけれども,やって居る仕事そのものに既 に系統案がある。(中略)自分では系統案がないといっているが,曲を覚える場合に階名に 翻訳すること,「ド」,「ミ」と覚えると「ド」,「ミ」は何度か,どんな風にといふやうにピッ クアップしてちゃんと系統をつけて居る。」といっているように,読譜指導(当時は本譜教 授ともいっていた)は極めて重要な問題であるのでもっと徹底して指導すべきであるとい いながらも,当時の東京でさえもまだ読譜指導の系統案は確立されてはいなかったようで
ある。また,この文章から,本譜教授には「ドレミ」による階名唱(移動ド唱法)を用い ていたということが察知できる。
②ジェダルジュ式耳の教育と固定ド唱法
次に,当時成城学園幼稚部主事であった小林宗作は,昭和9年の11月号から昭和10年の 12月号にかけて「欧米音楽教育界の相」(注8)と題した海外視察論文を連載している。それは彼 が,昭和5年5月にパリ女子高等師範学校の附属小学校を参観した際に初めて接した「ジェ ダルジュ式耳の教育」なるものについて紹介したもので,パリ高等音楽院の教授であった ジェダルジュ教授が音楽の基本的教育法の研究を組織化したものを,直接継承するパリ音 楽師範学校の教授法の教授であるペツリー女史が昭和5年7月に行なった研究発表を彼が 参観記録としてまとめたものである。 i
その中の音階を歌わせるところで,彼は「此処ではト調でも変ロ調でも何調でもドレミ の位置が変らないことに注意せねばならない,(日本では調の変る毎にドレミの位置が変る のであるが)」といっており(注9),また,「欧州では五線表上のドレミの位置は絶対なのであ る,何調になってもハ音がドなのである」といっている(注10)。従って,これらのことから明 らかなように,常時フランスの殆どの学校で用いられていたといわれているジェダルジュ 式耳の教育における「唱法」は,今日我が国の音楽教育界において多く用いられるように なってきている「固定ド唱法」によく似た唱法を用いていたようである。しかし,当時,
我国の音楽教育界では,殆ど「移動ド唱法」のみを指導していたようである。
また,このジェダルジュ式耳の教育におけるシステム,特に固定ド唱法を陶冶するため の読譜指導の方法は,彼の報告記録を見れば分かるように,実に緻密な系統性と段階性が 考慮されており,今日の我が国の音楽教育における「固定ド唱法」の指導方法に大いに参 考にすべき点があるように思われる。
皿 昭和10年代
①読譜のためのリズム指導
次に,昭和10年の1月号に北村久雄は「たのしい楽譜指導の実際」(注u)という論文を掲載 している。その中で彼は「楽譜の指導に於ては,何よりも先づ児童をして『楽譜と云ふも のは面白いナ』『楽譜を習ふのがたのしみだ』と云ふ気持を抱かせなければ駄目である」と いい,それが「一時的な好奇心の満足では駄目である。その興昧を永続性を持ったもので なければならない」といっている。これは,今日の我が国の音楽教育においてもいえるこ とであり,読譜指導における最も大切な条件の一つであるといえよう。そこで彼は「どう したらば児童は楽譜を学ぶことに興味を持って来,又その興味を発展して行くか」という 課題に対して「これには二つの根本原理が必要である」といい,「その一つは『主観的な条 件』即ち児童の立場に於ける条件であり,今一つは『客観的な条件』即ち学ぶ対象つまり 楽譜そのものの内容に於ける条件である」といっている。そして彼は既に昭和9年の9月 号に「我校児童楽譜生活の実際状況」(注12)というタイトルで,楽譜学習に対する児童の感想 文を掲載しており,それを理由に「楽譜(学習)の一斉教授は駄目だ」という論と「発展 的な楽譜課題を与へよ」という論を展開しているが,残念ながら「固定ドと移動ドの音感
と唱法の問題」などについては何もふれていない。
更に彼は,昭和10年の4月号から9月号にかけて「リズム指導の改革」(注13)という論文を
我が国の音楽教育における読譜の歴史的な変遷にっいて〔II〕 25
連載しているが,その序論において彼は,「児童の楽譜視唱に於ける理解の状態を観察する と『階名』『音程』『リズム』『発想』の四つのはたらきの中で児童にとって始め困難を感ず るものは,『階名』即ち五線上の音符を認識することであるが,併しこれは馴れて来れば一 種の『感覚的学習感』『感覚的動作』となって左程に骨の折れる仕事ではなくなる。」といっ ており,「次に児童が困難を感ずるのは,音程を視唱することである。併し断片的に切れ離 された『音程』(中略)だけをうたはせるのでなくて,(中略)旋律の流れといてうたはせ て行く場合は,習っていない音程でも想像に依って,その音程の高さを理解して行くこと が出来る。」したがって,「児童の楽譜視唱に於て『音程』を視唱すると云ふことも左程に 困難な仕事ではないと云ふことになる。」といっている。読譜視唱にお,ける音程の把握は,
「旋律の流れ」として音程を想像させれば簡単に把握することができるとしている点,興 味深い意見として注目するに価するが,それに対する具体的な説明がなされていないので,
その有効性についてよく理解できないのが残念である。
また彼は,「児童の楽譜視唱にとって一番困難を感ずるものは『リズム』である。」と断 言しており,その理由として「リズムは『読譜』の様に『感覚的作用』に訴へることが容 易ではないし,又リズムは『音程』の様に『想像』に訴へることが出来ないからである。」
と述べている。そして彼は,従来からのリズム記号を否定し,彼独自のリズム記号を考案 するとともに,それを用いたリズム指導の実際例を展開しているが,その両者のリズム記 号を比較検討してみると,視覚的な認識方法という点からは両者共あまり大差のないもの であるということがいえるようである。
②読譜指導としての移動ド唱法
昭和10年2月10日,第4回学校音楽座談会(注14)が大阪市の久宝小学校で開催され,その席 上において和歌山県女子師範附属小学校の打垣内正は「一番困っているのは調号の問題で す。これはやはり近頃色々問題が出て居りますから誰しも困難な問題だと思って居ります が,その点実際今の子供が沢山ある調子の中か.ら,或調子丈を選択して教へたらどうかと いふやうな意見が有って居るんです。それについて一つお教へを願ひたいと思ひます。楽 譜の上に於て音程の力を或先生は系統的に音程練習をやって居られる,処が,その楽譜に 必要な音程の観念を養ふことを留守にして居るといふような場合もあるんですが,特別に さういふ練習をするといふことは私としては用ひて居りませぬが先生の御意見は」という 質問を行なっている。
それに対して,当時東京高師附属小学校の井上武士は「私は音楽学校の児童楽団でやっ て居る様な固定ドといふ様な方法は用ひませぬ。子供には無理だと思ひます。貴方がただっ てへ調ホ調のものをハ調でやれといったら無論ですよ。どうも私は歌はせるにはドレミ ファを歌の中にすっかり打込んでやった方が楽なやうに思ひますので,私はやって居りま せぬ。今のお話の調号の問題は尋常六年迄でイ調と変ホ調までしか取扱って居りませぬ。
さうして尋常二年はハ調ばかり,四年になって第一学期は大部分ハ調,二学期の中頃まで ト調,それからへ調といふように,一年から四年までかかってハ調ト調へ調としかやらな いです。例へば四年の『水車』なんか変ロ調子ですが,『牧場の歌』なんかも皆聴唱性でやっ て居ります。五年でも変ホ調など出て来ますが,これは六年になって教へて居ります。そ れだけで以て種類を限って,而も順序相当に考へて教へて居ります。」 と答えている。
この打垣内の質問と井上の解答の中には,当時の小学校における読譜指導の状況や,そ
の読譜指導に対する問題点,あるいは教師の考え方などが明確に表われている。
即ち,当時の小学校の指導者達は,読譜指導を行なう場合に,音程を正確に取る力を養 うことが先決だと理解しながらも,それを,どのような系統性をもって指導すればよいか が分からなかったようである。
一方,音楽学校の児童楽園では固定ド唱法を用いていたが,それは一般の子供達には無 理であり,指導者達でさえも(入調ホ調のものをハ調でやれといったら無論)無理だと思 い込んでいたので, もっぱら移動ド唱法を用いることが最善であるかのように考えられて いたようである。
③音階図と略譜指導
北村久雄は昭和11年の2月号に「音階図の改造を主張して其の学習的効果を実謹す
(2)」(注15)という論文を掲載している。その中で,彼は特に「読譜を合理的に導く為に音階図 と譜表との有機的な関係を,児童に最も容易に会得させるように工夫した」として,次の ような音階図と譜表との関係を図解にて示し,「児童の心理から見て最も合理的な這入り方 はへ調である」と述べている(注⑥。
(1)讃譜練 習
口
臼 □
口 口
口 口
(2)、へ調基礎音
(3)へ 調1音 階
更に,「へ調から這入るのが合理的である理由」として,
〔イ)音階図と譜表との関係を有機的ならしめるために,「へ調」が最も児童の心理に適っ て居る。
〔ロ〕 音程練習は調子を変へて行ふ事が効果である。へ調は調子を上げ下げするのに融通 の利く位置にあるから「へ調」がよい。
〔ハ〕楽譜視唱の応用練習には低学年用の歌曲がよい。低学年用の調子は「へ調」から這 入ったものが多い。つまり練習歌曲との連絡と歌い易いために「へ調」がよい。
と論じているが,これらのことから推察するに,当時の学校の音楽教育における読譜指導
我が国の音楽教育における読譜の歴史的な変遷について〔II〕 27
といえば,移動ド唱法を指導することしか考えられていなかったようである。
一方,幾尾純は昭和ll年の8月号に「略譜は唱歌教授の生命である」(注17)という論文を掲 載し,その中で彼は,「一時『略譜か本譜か』の問題について随分論ぜられて居たが,いつ の間にか『本譜本譜』と誰もが本譜一本調子で行かねばならぬ如くに,考へる様になうた」
と指摘すると共に,「単に略譜をもって時代錯誤的に視し,その性能の検討と利用法の考究 をせず,無碍に一蹴した人達が略譜排撃の無意味なる事を知る事が,刻下の教育音楽界に 課せられた一急務である」と述べ,本譜指導に偏りつつある読譜指導の傾向に対して,数 字を用いた「略譜」なるものを再考してみるべきであることを促している。
ところで,彼がここで提唱している略譜唱法というものは,数字の1をド,2をレ,3 をミというように読ませる(これは明治時代の「ヒフミ唱法」とは異なる)もので,彼は 1「略譜は最後まで略譜で終るのではない」と述べていることからも明らかなように,この 略譜唱法はあくまでも本譜唱法への前段階として用いるものであるとして考えていたよう である。
更に彼は,昭和10年の9月に出版した「唱歌力の陶冶・私の基本練習」(梓18)という本の中 で「楽譜は今日では単に楽曲を視唱するためのものではなくて,それは実に楽曲個有の美 的価値をっかむ上に必要鉄くべからざるものとなって居る。」したがって,「楽譜の学習は 鑑賞の学習や作曲の学習及び演奏の学習にまで発展しなければならない」と論じている が(注19》,これは,「読譜の学習」というものを「楽譜の学習」という角度に拡大発展させた 捉え方で,それまで,ともすると「視覚的な階名読み」と「聴覚的な音程把握」にのみ目 標をおいていた「読譜」という学習を,視覚的な学習要素を加味することによって,その 楽譜からその音楽の鑑賞や演奏及び作曲の学習まで発展させようとするもので,当時とし
ては実にユニークな学習方法であり注目に価するものであったといえよう。
柴田知常は「如何にすれば児童の読譜力を啓培し得るか」(注20)という論文の中で,「音の高 低に対する認識と,音符並びに休符の時長の表示とは,階名素読を開始する余程以前から 準備して置かなければならない」とし,「之等を読譜の準備的指導と称し」ている。そし て,この指導の開始はr早ければ早い程よいのであるが,先づ尋常科一学年の中頃,又は 二学年の頭初から徐々に開始すればよい」といっている。更に,彼は音の高低に対する認 識を確立させる訓練として,「視唱的の取扱」と「聴音的の取扱」による指導の方法を提示 しているが,その両方法共「移動ド唱法」を用いて指導することを考えていたようである。
IV 昭和12年代 ①絶対音感の問題
昭和12年の1月号に「昭和12年を語る座談会」(注21》という記事が掲載されているが,その 中で,「絶対音による音楽教育,それをどんな風にお考へですか。(中略)私は大正12年頃 に絶対音でやって見ようと思ってやったことがあった。(中略)しかし結局は小学校に必要 がないやうに感じたので,一際やめてしまった。今又それが旺んになって,絶対音でなけ ればならない様な理論が行はれて居るが,その点について御意見を承はり,たい」という小 出浩平の質問に対して,牛山充は「将来音楽者にする上野の児童音楽園,ああいふところ ならいいだらうけれども,一般小学校でやるべきぢゃないと思ふ」と答えており,塩入亀 輔は「小学校教育では,絶対音でもって専門家を作る様なやり方をする必要はないと思ふ」
といっでいる。更に,堀内敬三は「音楽の境地と音の知覚とは異った問題です。絶対音は,
音の知覚に対してはっきりした判断を与へる。音の知覚をはっきり整理するといふ意味に なる。で音楽といふ意味とは違って来る,音楽は音の綜合関係です」と述べており,三者 共絶対音(注22)の教育については反対の意見である。
昭和12年の12月号に静岡県榛原郡藤川小学校で行なわれた第13回学校音楽座談会(注23)で,
上長尾小学校の萩原禮吉が「絶対音感といふことについてそれは必然的に音楽的才能に関 するものである。堂々たる音楽者であっても絶対音感を敏いている人があります。総膿的
(相対的…筆者)に聴覚を練習することにつれて段々絶対音感といふものが……絶対的の 音を感じなくなるといふことから考へてみまして,絶対音感が可能であるかどうかといふ ことが考へられる」と発言したのに対して.,井上武士は「それは東京で大分問題になって いる。(中略)絶対音感の教育を信じている人はそれでなければ音楽教育は出来ない,吾々 のやっている教育(相対音感教育…筆者)は音楽教育ではないといふ様なことを言って居
られるけれども,簡単に速断することは出来ない」といっている。
更に,昭和12年の12月に名古屋市で開催された第14回学校音楽座談会(注24)でも,この絶対 音感の問題が取り上げられており,「絶対音感の問題ですが,東京の現状はどうですか」と いう質問に対して,井上武士は「東京では視学さんが,あれが一番良い教育法だといふ様 に言はれて居る様だから何ですが,(中略)やってみて行詰って居る人はある様です」と答 えている。また,久我勝は「現在東京でやって居るのは所謂絶対と言ひきれないと思って 居る。話を聞いて見ても,本を読んで見ても,実際に参観された様子を聞いても,或る試 験をする時には大抵の方があるトニックを出して来る,それから出して絶対音を試験する といふから,トニックを出さなければいいが,出したならば関係音感になるので所謂絶対 音感にならん」といっている。更に,小出浩平は「東京市における絶対音感教育はどうい ふ結果かといふと,従来よりも和音に重きをおくことは勿論であるが,今はどういふ風に なって居るかといふと,大体ドイツ読み,ドイツのアルファベットで旋律を視唱するとい ふ程度ではないかと思ふ」いっている。
一方,小出浩平は「昭和12年度音楽界に於ける音楽教育に関する事項(1)」(注25)の「絶対音 感教育」の項で「11年の暮に『12年を語る』会に於て問題となった絶対音感教育の空気は 佐藤謙三氏が視学に御栄転になってより『絶対音感教育が音楽教育上最高な方法であって 従来の移動ドによっての音楽教育方法は新時代に適・さない』との御意見を発表された為大 東京市は俄然問題となり,同じく市に奉職している上田視学と正反対な意見の対立を招来 し都下五百校の音楽教師はその就去に迷っている」と述べ,更に「文部省令を見ると,唱 歌教育の方法については何の規定もしていない。されば教師は各自独特の方法によって指 導する自由を与へられている。従って教師は各自の最もいいと信ずる方法によって唱歌教 育を進めて行けばよいのである」と絶対音感教育についてはあまり積極的ではない意見を 述べている。
②固定ドと移動ドの問題
以上のように,当時,東京のある特定の学校においては「絶対音感教育」が行なわれて いたようであるが,その取り扱いなどについては議論百出のようであった。まだ一般的に は「移動ド唱法jが支配的であり,僅かに上野の児童音楽園のみが「固定ド唱法」を早く から用いていたようである。
我が国の音楽教育における読譜の歴史的な変遷について〔II〕 29
ところが,北村久雄が昭和12年の3月号に掲載した「小学校唱歌教授資料集成四冊を精 読したる私の印象と感想」(注26)という論文の中の「固定ド」と「移動ド」の問題の項で「こ の問題はもう倦きた。(中略)「固定ド」が都合が悪いからと云ふので「移動ド」を考へ出 された歴史的事実をどう見ているのか。「移動ド」に依る指導に於て,どれ程の合理的な研 究をしたか。私は「固定ド」を普通教育に於ける音楽教育に採り入れ様と考へて居る凡て の人々に以上の如く問ふてみ度い」と述べると共に,「児童の感覚運動的学習の効果を知ら ない楽譜指導者に一言す」という項目で,「五線上の階名を呼ぶことのはたらきが,全く児 童の機械的記憶に依るものであると考へて居る人々が,「固定ド」は「移動ド」よりも容易 であると考へて居るらしい。併し五線上の階名を呼ぶはたらきと云ふものは,単なる機械 的記憶に依るものと考へることが既にまちがって居るのである。これは児童の感覚的運動 に依るはたらきなのである。この黒占に着眼すれば読譜に於ける合理的な有機的な指導法が 発見されて来る筈である。眼のつけ所がちがって居る限り,方法が展けて行かないのは当 然である。「固定ド」の禮讃者に敢て一言を呈する次第である」と痛烈に「固定ド」の指導 を非難している。
V 昭和13年代 ①音名唱と階名唱
昭和13年1月に盛岡市で開催された第15回学校音楽座談会(注27)でも絶対音感の問題が取 り上げられている。その席上,井上武士は「絶対音感も一つの方法であって,それで以て 終ってはいかん。それが常に吾々の目指している音楽教育の目的を貫くための一つの手段 でなくてはならん,手段とすればそれにはいろいろある,だから必ずしもあの方法でなく てはならんといふことはない」というように,聴音や本譜視唱法と同様に,絶対音感も一 つの読譜のための一つの手段であるといっている。
また,「絶対音感の教育に関聯があるが,音名唱法と階名唱法,固定ドと移動ドの問題で すが,全国的にはどういふ趨勢にありますか」という箕問に対して,井上武士は「階名唱 法が絶対に多い,フランスとロシアとイタリーは音名唱法だといふことです」と答えてお り,更に「固定ドと移動ドの問題ですが,是も固定ドでなくてはならんなどと考へると危 険です。実際において小学校の子供には固定ドでやらせることは無理です。(中略)或ると
ころで固定ドの授業を見ました,読むだけ固定ドで音程は先生が出してやっている。だか らピアノで弾いてやらなければ歌えない,かういふ固定ドが多い,是は名前だけ固定ドで 実はさうではない」といっている。
昭和13年の5月号の「林幸光氏の帰朝を聴く会」(注28)という対談文の中の「階名唱法と音 名唱法」の項で,林は「ドイツは従来のドレミファを止めて……昨年あたりからベルリン 市の小学校の先生に講習を始めて徹底を期して来た様です。(中略)結局高さが違って読方 が違ふといふことは不合理だといふ,そのことで五十年間研究した,さうしてこの高さに はこの言葉が最も適したものだといふことを科学的にも実験し得たのです」と話したのに 対して,井上武士は「音名唱法だ」といっている。
更に林が「従来のドレミファをやめてそれを使ふことになっています,従来のドレミだ と半音あがっても下がってもファならファとしてとなへていたのが,それによるとファが 半音あがった時の唱へ方はかうで,変記号でさがった時はかう発音するといふ様に違いが
あるのです」といったのに対して,井上は「階名唱法ならば,調子が替る毎にトニックの 位置が変って行く」といづたが,林は「それがない」と答えている。「それならば音名では ありませんか」と井上が質問したのに対して,林は「要するにドレミファの代りです。と にかぐドイツではきたないから駄目だと言って居る。カールアイツのトーンボルトはその 貼大変発音が綺麗です」と述べ,更に,「アメリカのコロンビアの附属小学校ではワン,
ツー,スリー,フォアーとやっていた」と話している。
そして,林幸光は,昭和13年の8月号に「ドレミ唱法にかはるカールアイツ博士の『音 の言葉』について」(注29)という論文を掲載している。それは彼が,1938年の1月にベルリン の小学校を参観した際,その小学校の音楽主任のローレンツ氏から説明されたカールアイ ツのトーンボルトという唱法についての話しである。
その中で彼は,下記のような表を掲載して,それを説明し紹介している。
II I
(1)は従来のドイツ音名唱法であり,(II)は,カール・アイツ氏の,それにかは 音名唱法なのである。
o) h・s c・s・s dis・seis f・sis 印s・s a・s・s h・s
ゆ)c臨・奮eε無9号l a響h c
0) deses cses fes geses 、ases heses ces deses
α) bo tu ga sa le fi no bo
6)bi罫?ω器罰㎝器h器艶梶面 b董
0) be t・ 9・ s・ lu fa ne be
これを,従来の日本のハ調音階の各音にあてはめてみると次の様になる。
Bi To Gu Su La Fe Ni Bi
ビイ トオ グウ ズウ ラア フエ ニイ ビイ
前の(1)(II)の比韓表によると,本位音,それから嬰音,変音重嬰音重変音 すべてで三十四の言葉を,覚へなければならない様に考へられるかも知れない魁 際は次の諸音だけを覚へたら,普通の楽譜の唱法には充分であることがわかってい だけることと思ふ。即ち次の十八語である。
曹 ,
}
i u … 母 …u
i To Gu Su La Fe Ni Bi Bo Mu Pa De Ki Ke Da Pu Mo Ri
ロー ムー パー デー キー ケー ダー プー モー リー
更に彼は,9月号の「ベルリン・低学年の音楽授業を観る」(注30)と,10月号の「ベルリン 小学校音楽授業の一時問」(注31)の中で,当時ドイツ全土の小学校で行われることになった
「カール・アイツの音の言葉」による読譜指導の実際について詳しく報告している。
我が国の音楽教育における読譜の歴史的な変遷について〔II〕
31
VI.昭和14年代
①固定ドと移動ド
昭和14年の.1月号の「指名質疑応答欄」(注32)で,台湾の原いづみが井上武士に「移動ドと 固定ドとはどんなことでせうか」と質問したのに対して,井上武士は「移動ドといふのは ハ調,ト調,二調…といふ様に調子が変る毎に,「ド」の位置を移して下第一線,第二線,
下第一間…とそれぞれその調子の主音のところを「ド」として「レミファソ…」と読んで 行く歌い方です。之は長音階なら長音階を十分に歌の中へ入れて置けば音程を歌ひ出すの はらくのわけですが,調子の変る度にrドレミブァ…」(階名)の位置が変るので読む上に 煩雑といふことがあります。固定ドといふのは下第一線を「ド」と定め,何調でも,全部,
下第一間を「レ」第一線を「ミ」といふ様に読むので,単に譜を読むといふ上からいへば 大変らくなわけですが,しかし音程を自分の頭でつくり上げるといふことはなかなかむづ かしくなります。同じ「ドーミ」と歌ふ時でも或時は長三度になり,又或時は短三度にな るといふわけでむづかしくなるわけです。」と答えている。
昭和14年5月14日愛知県安城第一尋常高等小学校において第18回学校音楽座談会(注33)が 開催されており,その時「固定ドと移動ド」が問題になり,井上武士は「私は移動ドでやっ て居る,それは固定ドより移動ドの方が子供にはやさしいからです」と述べており,更に,
「世問には固定ドでやって居ると称してとんでもないことをやって居る人がある。こんな ものを出して(中略)それをピアノで弾いたり先生が歌って真似さして居る,それで固定 ドだと言ってるがそんなことはやらん方がいい」といっている。
また,「東京市で固定ドでやっている学校がありますか」という質問に対して,小出浩平 は「2校か3校ですね」と答えているところから察するに,固定ドを指導している学校は まだ極く僅かしか無かったようである。
WI昭和15年代
①固定ド唱法と移動ド唱法
昭和15年の3月号の中の「音楽展望」で,林幸光は「階名唱法戦国時代」(注34)と題して当 時の学校における階名唱法についてふれている。そこで彼は「従来,ζ階名はドレミで歌は れて来た。それが最近は色々と変って来ている。曰く,ドイツ音名の,C,D,Eで歌は れるもの,日本音名の,イロハ,で唱はれるもの,カール・アイツ博士の『音の言葉』で やられるもの,新発明のもの等々…正に音名の戦国時代である」と嘆きながら,「なんと か,当局に於てもこの音名,階名唱法の統一に,乗り出していただけないものであろうか」
と述べている。
昭和15年5月9日に東京市で行われた「新人推薦唱歌研究授業」(注35)の後の座談会の席 で,野村藤枝が「私も音名や階名で悩んで居りまして,今ドイツ音名で全部教へて,さう
して固定ド式にやって居ます。棒読みに音名を読む時には読みますが歌ふときには困りま す。この方法はあとで楽器を習ふ時大変都合が宜いと思ひますが,如何でせうか」と質問 したのに対して,小出浩平は「ドイツ音名でやるのはどうですか」と難色を示し,井上武 士は「子供は出来ますか」と疑問をもつが,野村は「歌はせる時は全部固定ド式で,ドイ ツ語でやったらどうかと思ふのです」と答えている。
一方,小林つやえは「私の学校の高等科の生徒の中に絶対音で,ドイツ音名でやって居 らっしゃる学校の生徒が居ります。高等科は各小学校の卒業生もおりますが,歌へないん です。それで結局私の学校はドレミで以てやるのですから,もう一遍初めから教へ直して 居りますが。音程が附かないので,ぎごちないのですが,矢張り今試験時代だからでせう か」という疑問を投げ掛けたのに対して,上田友亀は「それは固定ドでも同じことだと思 ふが,音名唱法,固定ド唱法と云ふことを,私は音が出て来ないのが当然だと思ひますね,
頭の中に音を作って行くのはどうしても移動ドでなければ出て来ないのが当然と思ひま す」という意見を述べている。
また,小池将揮は「どの方法を採るべきか非常に迷ったのですが,今固定ド唱法です。
まだその効果は挙がって居りませんけれども,私の考では自分の理論をずっと辿って行っ て,固定ドが宜いぢゃないかと云ふ結論を附けたのです」といったのに対して,小出浩平 は「固定ドでやると歌詞で歌ふ時又聴唱法によらなければならないやうになりませんか」
という意見を述べているが,小池は「まだ其処まで行かないのです。私が和音の教育をし なければならないと云うことを考へて,それには移動ドでは和音の教育がむづかしいと考 へたのです」と答えている。これに対して井上武士は「よく田舎へ行きますと『私は固定 ドでやって居ります』といふ人がある。授業を見ると成程読み方は固定ドなんだけれども 視唱ではない読み方だけ固定ドで聴唱法なんです」という意見を述べている。これは一見 小池に対する皮肉のようにも受け取れるが,そうではなく,当時の地方の教育現場でおこ なっていたといわれる固定ド唱法は音程の伴わない,いわゆる「ハ調読みの階名素読のよ うなものだ」と云っていると考えられもするのである。
また,上田友亀は「どうして移動ドがいけないと云ふか,その論拠がさっぱりはっきり しないね」といい,関川みよ子も「私も固定ドでやりましたが,止めてしまいました。今 は移動ドです」といっているように,固定ドについての研究がまだ浅く,したがって,一 般的には移動ドが支配的であったようである。
②国民学校の音名視唱と聴覚訓練
昭和15年の11月号に,東京音楽学校で10月9日から16日まで開催された文部省主催全国 師範学樫音楽科教員講習会に於て,小松耕輔が「国民学校の音名視唱」(注36)という講演をし たその講演記録が掲載されている。その中に「音高の記憶の方法」として,
1.1音1音名とすること。
2.音名にはイロハニホヘトを用いること。
3.全学年を通じて音名唱法を採用し,初等科四学年より階名唱法ドレミを併用し得る こと。
4.音名に嬰変の附されたる場合,唱謡に不便なる時,又は速度の早き音符を歌ふ場合 には嬰変こ文字を省略して幹音名によって唱謡せしむること。
が決定されたということが話されている。
このことは,昭和16年の4月からスタートするはずの「国民学校芸能科音楽」における
「唱法」を「イロハ音名唱法」として,すでにその頃文部省は決定していたということを 物語っている。
更に彼は「本譜視唱法によって初等科六年までに二嬰二変を有する調号までに属する歌 曲を教授し,他は聴唱法による」ということまで決められたことも話している。そしてま
我が国の音楽教育における読譜の歴史的な変遷について〔II〕 33
た,「和音の識別訓練は音高の記憶とも大なる関聯があり,これ「ら種々の方法によって追々 児童を絶対音高の記憶にまで導くのであります」とまで述べている。
このような絶対音高をつけるための「聴音訓練」や「イロハ音名唱法」の問題は,「絶対 音感教育」の問題などと共に,其の後の我が国の音楽教育界に多くの誤解や混乱を巻き起
しながら,昭和20年の終戦まで続けられて行ったのである。
次に,同じ講習会で井上武士が「国民学校の聴覚訓練」(注37)について講演をしているが,
その中で彼は「国民学校に於ける『聴音』は(中略)従来の小学校に於けるものとは大変 意味が違ふ。どこが違ふかといふと,国民学校に於ける『聴音』は単なる音楽教育上の意 見として行われるものではなく,国家の要求として行われるのである」と述べている。
そして更に彼は「国民学校の実施に於ては聴覚訓練中,特にこの音高記憶と和音訓練と が研究されなければならない」と述べ,それらについての実際の訓練方法について具体的 に述べているが,聴音の手段としての唱法や音感については何も述べてはいない。
更にこの問題は逆上って,昭和15年9月29日に三重県亀山町の三重県女子師範学校で行 われた第20回学校音楽座談会(注38)の席上でも早々話題になり,井上武士は「其の問題は文部 省としてはもうはっきり決まって居るのです。けれども私が今此処で発表する訳には行き ませんが,来月の9日全国の師範学校の音楽の先生と,附属小学校の先生の講習が8日間 音楽学校で開かれます。其の時にこの音名唱法はどう云う風なものをどの程度に採り入れ るかと云ふことがはっきり発表される訳でありますが(中略)私が関係して居りますので お話しできないのです」と断りながらも,前述の小松とほぼ同様の話をしている。
林幸光は,昭和16年3月号の「音楽展望」1注39)で「イロハ(音名)問題」について,「国民 学校のイロハ音名唱法が,大分問題になっているやうである。文部当局に於ては,これは 暫定的であって今後の研究にまち善処するとのことであった。(中略)研究の結果『イロハ』
がいいなら,イロハがいいと不退転の意志をハッキリと表示し,拙いなら拙いで,これに 変へると,このことの決断の一日も早からんことを祈るものである」といっている。
以上のような成り行きによって「イロハ音名唱法」はスタートすることになったのであ るが,丁度,昭和16年3月号,第9巻,第3号でこの「学校音楽」という雑誌が廃刊になっ てしまったので,「イロハ音名唱法」についてのその後のいきさつは,次回に譲ることにし
た。
〈注と引用及び参考文献〉
注1)雑誌「学校音楽」は,その発刊のことばにもあるように,「カード楽譜」を長兄とし「新刊ニュー ス」を次兄として,当時,音楽図書出版を専業としていた共益商社書店から,昭和8年9月に創刊 号が発行され,昭和16年3月号,第9巻,第3号を最終号として廃刊となった。
注2)北村久雄「楽譜生活指導の土台」「学校音楽」昭和8年12月号,p.2〜7 注3)佐々木秀一「ド・レ・ミに就いて」「学校音楽」昭和9年1月号,p.9〜10
注4)町田等「聴音指導の実際」(1)「学校音楽」昭和9年2月号,p.22〜24,(2)3月号p,27〜28,(3)4 月号p.85〜86,(4)5月号p.31〜32
注5)草川宣雄「聴音教育の実際」(1)昭和9年10月号p,9〜13,(2)12月号p.5〜8,(3)昭和10年1月 号p,6〜11,(4〉2月号p,7〜12,(5)3月号p.8〜11
注6)小田切正衛「児童用読譜練習盤に依る読譜練習の実際」昭和9年10月号p.123〜125 注7)「第2回学校音楽座談会記録」昭和10年2月号p.23〜44
注8)小林宗作「欧米音楽教育の相」(1)昭和9年11月号p.15〜20,(2)12月号p.9〜19,(3)昭和10年1 月号p.12〜21,(4)2月号p.13〜19,(5)3月号p.12〜17,(6)5月号p.24〜29,(7)7月号p.15〜26,
(8)9月号p.16〜23,(9)10月号p.7〜13,(1①11月号p.7〜11,(1D12月号p.7〜12 注9)同上論文(3)昭和10年1月号p。19
注10)同上論文(6)昭和10年5月号p.26
注11)北村久雄「たのしい楽譜指導の実際」昭和10年1月号p.44〜49 注12)北村久雄「我校児童楽譜生活の実際状況」昭和9年9月号p、27〜30
注13)北村久雄「リズム指導の改革」(1)昭和10年4月号p.33〜41,(2)5月号p.30〜40,(3)7月号p.54〜62 注14)「第4回学校音楽座談会記録」昭和10年4月号p。11〜37
注15)北村久雄「音階図の改造を主張して其の学習効果を実証す(2)」昭和11年2月号p.22〜27 注16)同上論文p.25〜26
注17)幾尾純r略譜は唱歌教授の生命である」昭和11年8月号p.2〜12
注18)幾尾純「唱法力の陶冶・私の基本練習」昭和10年9月発行,東洋図書株式合資会社 注19)同上書p.19
注20)柴田知常「如何にすれ1ま児童の読譜力を啓培し得るか」昭和11年8月号p,13〜17 注21)「昭和12年を語る座談会」昭和12年1月号p.9〜37
注22)ここでいう「絶対音」という言葉は,今日われわれが用いている「絶対音感」という言葉と同意 語であろうと思われるが,ここでは誤解を招かぬようにあえて「絶対音」という言葉のまま用いる ことにした。
注23)「第13回学校音楽座談会」・昭和12年12月号p.25〜48 注24)「第14回学校音楽座談会」昭和13年2月号p.16〜34
注25)小出浩平「昭和12年度音楽界に於ける音楽教育に関する事項」(1)昭和13年1月号p。28〜32 注26)北村久雄「小学校唱歌教授資料集成四冊を精読したる私の印象と感想」昭和12年3月号p.30(p.
10〜13)81
注27)「第15回学校音楽座談会」昭和13年3月号p.21〜39 注28)「林幸光氏の帰朝を聴く会」昭和13年5月号p.6〜16』
注29)林幸光「ドレミ唱法にかはるカールアイツ博士の『音の言葉』について」昭和13年8月号p.51〜55 注30)林幸光「ベルリン・低学年の音楽授業を観る」昭和13年9月号p.7〜8
注31)林幸光「ベルリン小学音楽授業の一時間」昭和13年10月号p.6〜9 注32)「指名質疑応答欄」昭和14年1月号p.124〜126
注33)「第18回学校音楽座談会」昭和14年8月号p.13〜20
注34)林幸光「音楽展望」(階名唱法戦国時代)昭和15年3月号p.32〜33 注35)「新人推携唱歌研究授業」昭和15年7月号p.17〜41
注36)小林耕輔「国民学校の音名唱法」昭和15年11月号P。2〜9 注37)井上武士「国民学校の聴覚訓練」昭和15年11月号p.10〜15 注38)「第20回学校音楽座談会」昭和15年12月号p.14〜35 注39)林幸光「音楽展望」(イロハ問題)昭和16年3月号p.22〜23