論 説
日 本 中 小 企 業 問 題 研 究 の 基 礎 視 角
ーー理論的フレーム・ワークの構築をめざしてー
大 林 弘 道
序章問題の所在
第一章小宮山塚二氏の﹁中小工業問題性論﹂1戦前・戦中期の中小企業問題の基礎視角i第一節﹁中小工業分析に関する覚書の断片﹂について
第二節小宮山塚二氏の方法的態度について
第三節﹁中小工業問題の問題性﹂の分析(以上本稿)
第二章日本中小企業問題研究の基礎視角(以下次稿)
序 章 問 題 の 所 在
①日本経済の戦後四〇余年を経る過程で︑とりわけ﹁高度成長﹂以来の過程で︑中小企業の存在とそれが担う問
題状況の最も注目すべき特徴は︑中小企業なるものの具体的様相が多様性・多面性・差異性といってよい諸特質を
深化.拡大させてきたという.︑とであろう︒戦前来日本における中小企業は︑その存在の翼質多郵を反映して・
これまでも右の特徴を担ってきているのではあるが︑今日のそれは︑一段と顕著なものに至っているのである︒かか
如
商 経 論 叢 第24巻 第3号
る状況は︑現に︑中小企業の調査・研究においても︑きわめて多様かつ多面的で差異に富んだ課題が取り上げられ︑
(2)究明されてきている事情に反映している︒
それゆえにまた︑かかる中小企業の調査・研究の進展は︑一方で中小企業の存立およびその問題そのものの評価を
(3)巡る個々の議論を活発化し同時にそれらの見解の相違・対立を深刻化してきていることも当然の事実である︒しかし
ながら︑他方で︑中小企業研究の現時点に立つとき︑われわれに負わされた基礎的課題は︑中小企業の個別具体的な
問題の増加・拡散状況を︑いかに統一的な理解︑総体的な把握に導くかというところにあるといってよいであろう︒
したがって︑一方で旺盛に個別的問題を深く追及するとともに︑他方でそれらの個別的諸問題を中小企業問題の総体
のうちに位置づけ︑個別的課題の問題性を中小企業総体の問題性と関連させて理解することが重要になってきている
(4)のである︒そのような努力は︑近年進展を見せる日本の中小企業問題の国際化・国際比較研究に際しても必須の作業
であろう︒
結局︑われわれにとって︑現時点での意義ある課題のひとつは︑中小企業の個別的諸問題を含むことができる総体
(5)的把握の理論的フレーム・ワークをいかに構築するかということにある︒いいかえれば︑中小企業問題総体分析のた
めの基礎視角をいかに獲得するかということである︒本稿の目標はかかる課題に筆者なりに回答することにある︒以
下︑序章では︑中小企業問題の総体的把握をめざしたと考えられるこれまでの研究成果をまずもって検討し︑それら
の問題点を明らかにした上でわれわれの方向を提示することとしたい︒
②さて︑中小企業の総体把握のための理論的フレーム・ワークと呼びうるものとして︑最も早く提起され︑その
(6)後の議論の原型とされたのは︑小宮山琢二氏の﹁存立形態論﹂(﹁存立諸形態の一措定﹂)である︒
小宮山氏は︑中小工業に限定してのことであるが︑中小企業を﹁複雑な構成層﹂と把え︑周知のように︑問題を﹁資
本の成長或は資本と労働の分化の歴史的制約性そのものに懸っている︒十九世紀英国中心にして展開された産業資本
の古典的確立が︑日本の工業生産に負わされた歴史的社会的諸条件のなかで︑どう特殊化され歪曲化されているであ
(7)ろうかLと設定し︑﹁この解答へのひとつの手懸りとして︑日本中小工業が存立するかたちを産業資本確立の視点か
(7)ら﹂措定した︒こうして措定された﹁存立諸形態﹂は︑なおまた周知のことではあるが︑次のごとくである︒
﹁(A)中小工業の独占形態
(B)中小工業の従属形態
(1)支配者が問屋或は商業資本輸出貿易資本百貨店資本等たる場合(問屋制工業)
@下請業者の生産が資本家的生産たらざるもの(旧問屋制工業或は家内工業)
⑤下請業者の生産が一応資本家的生産の内容を備えているもの(新問屋制工業)
( 2 ) 支 配 者 が 杢 業 或 は 工 萎 本 た る 場 合 (下 請 業 苞 7 ﹁
このような小宮山戊の﹁存立形態論﹂の措定に対しては︑当時より藤田敬三氏の批判があり︑そして︑両者の論争
は︑多くの研究者によって引き継がれ︑調査・研究・議論が行われてきた︒それらは︑有意義であったが︑議論の主
たる対象は︑中小企業の区分された個々の形態に集中し︑﹁存立諸形態﹂の措定それ自体については︑後述の研究を
除いては本格的に考察されることは少なかった︒それゆえ︑小宮山氏の﹁存立形態論﹂をめぐる批判・検討は︑後年
(8)藤田.小宮山両氏の下請制に関する論争として位置づけられるように︑中小企業問題をもっぱら﹁下請制﹂に限定す
る傾向を生み出す結果となった︒
㈹ところで︑その後︑中小企業とその問題の総体的把握の視角ないしはフレーム・ワークについての議論は︑山中
篤太郎氏の﹁国民経済構造矛盾としての中小工業﹂という研究方向の提起や小林義雄氏によるいわゆる﹁企業系列﹂
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の羅によって・その端緒が開かれたのであるが︑本格的な検討・議論がなされたのは︑昭和三〇年代に入ってから
である︒中小企業論史︑理論︑実証の各面からかかる研究方向をいち早く打ち出したのは北原勇氏である︒まず︑北
原氏は︑小宮山・藤田の両氏をはじめとする戦時下の中小企業研究の成果を詳細に検討し︑小宮山氏の先の﹁存立形
態論﹂に対して︑次のような評価および批判を加えた︒すなわち︑小宮山氏は︑﹁問題を日本資本主義の発展傾向の
中で位置づけようとされたのであった︒この小宮山氏の問題意識はまことに卓越していた﹂けれども︑﹁﹃産業資本確
立の観点﹄から中小工萎分析するという視角自璽問題である︒なぜなら︑﹁呆の中小工業部面における生産旋
回・産業資本の確立は︑まさに独占資本主義の発展の中で行われているのであるから︑日本独占資本主義における中
小工業の位置づけが行われなけれぽ︑真の発展傾向は決してとらえられないのである︒それゆ︑兄︑日本独占資本主義
の内在的諸矛盾の発展を法則的にとらえる努力の中で︑氏の﹃産業資本確立の観点﹄も生かされるべきであって︑こ れによってはじめて日本中小工業の発展傾向も︑その問題の本質も解明されることになる︒﹂
さらに︑北原氏は存立形態の分類についても︑﹁中小工業の存立形態の分類は︑独占資本主義の総構造の発展の中
で位置づけられ︑独占資本による利用︑収奪のさまざまな形態と関連せしめられることによって︑はじめて意味のあ
(12)るものになるのだ﹂と強調した︒
北原氏は︑以上の小宮山氏の所説に対する評価と批判を通じ︑かつまた戦後中小企業の状況を踏ま︑兄︑一方で自ら
のフレーム・ワークを検討しつつ︑他方で︑当時伊東岱吉氏によって提起された﹁資本主義の独占段階における一般
的問墨としての中小企蕎題の追求という課題を︑マルクス経済学の立場からの理論的展開として進めていた︒北 ぬ 原氏は︑理論的研究成果である﹁資本の集積・集中と分裂・分散﹂論を独占資本主義段階に展開し︑さらに︑そこで
の諸法則の日本における展開の仕方を特徴づける諸条件・諸関係を明らかにし︑﹁諸々の産業︑諸々の中小企業分野
におげる資本の集積・集中⁝⁝が︑独占資本の支配のもとで行われており︑独占資本による支配の形態によって︑各
(15)中小企業分野における資本間の競争︑資本の集積・集中の様相も︑そこで発生する問題の性質も大きく規定されるL
(15)とし︑それゆえ︑﹁各種の中小企業分野を︑独占資本との関連の仕方﹂によって類別し︑それぞれにおいて︑資本の
(16)集積.集中の様相を見るという方法を提出した︒ここでは︑北原氏が実証的・具体的に考察した公表論文におけるプ
レーム・ワークを提示しておきたい︒それは︑次のようである︒
﹁@独占的大資本と中小資本とが競争的関係にある分野
⑤独占資本による﹃系列化﹄が進行している中小企業分野
(15)⑥独占資本の支配が間接的である中小企業分野﹂
しかしながら︑かかる北原氏の方法・フレーム・ワークは︑氏自身によって全面的・本格的に日本の中小企業問題
に適用されることはなかった︒それは︑後述の中村秀一郎氏や佐藤芳雄氏によって継承・発展されることになった︒
㈲さて︑北原勇氏の﹁資本の集積・集中と分裂・分散﹂などの理論的成果を吸収しながら︑同氏の総体把握のた
めのフレーム・ワークに全面的に依拠し︑それを援用したのが︑中村秀一郎氏である︒
(17)中村氏は︑かかる研究方向を﹁独占による中小資本支配の構造分析﹂とし︑﹁現段階の資本構造における独占資本
(17)と中小資本との諸矛盾︑いいかえれぽ独占による中小資本支配の内部構造を解明すること﹂︑すなわち︑﹁現代日本資
本主義における中小資本の基本的存立形態分析をつうじて︑資本階層化のメカニズムを現実的にしめすことにほかな
(17)らない﹂と指摘した︒
(17)その際︑中村氏は﹁独占資本主義の資本構造﹂のもつ﹁深刻な矛盾を独占資本主義の蓄積運動とのつながりにおい
て動態的につかむことが必要であり︑そのためには︑独占資本主義が専一的な資本構造としてでなく︑古い資本主義
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の上部構造として生成・発展し︑独占資本の意図とかかわりなく︑後者を排除しえず︑必然的に諸資本の階層化をう
へ18)みだし︑それによって独占と自由競争の同時並存を不可避にすることについて︑明確な理解をもたなけれぽならないL
ことを強調した︒
中村氏は︑﹁では︑今日︑独占資本による中小商業をふくめた中小企業収奪の形態としての存立形態はいかに規定さ
れるの醤と問い・それを・北原氏の中小企業の総体把握のためのフレよ・マクを利用するのである︒すなわち︑
﹁北原勇氏による小宮山理論批判の立場から提起された独占資本と中小企業との関係の仕方の分類にもとついて︑基
礎的な生産関係における8同一部門における独占資本と中小企業との競争的関係︑口異種産業部門間における独占資
本と中小企業の関係ω独占価格による収奪関係︑@下請制による収奪関係︑国中小企業間の過度競争の独占資本に
よる社会的利用の購・および・いわぽ経済的上部構造における・さらに上部構造そのものによる︑四銀行資本と結
合した独占資本としての金融資本による中小企業の収奪関係︑㈲国家独占資本主義・国家権力による体制的な収奪関
係に区分す塑方法である・そして・中村氏は﹁現実の独占資本と中小資本の関係においてこれらの諸形撃立体的
にからみあってあらわれるぽあいの多いこと︑また︑この支配・収奪の程度は多々ありうること︑中小資本内部にお
(18)いても支配・従属の関係がひろく存在すること﹂を付け加えた︒
中村氏が方法的・理論的に全面的依拠した北原氏の場合︑自からの方法を現状分析に適用するに当っては︑既述の
とおり﹁諸々の産業︑諸々の中小企業分野における資本の集積・集中⁝⁝が︑独占資本の支配のもとで行われており︑
独占資本による支配の形態によって︑各中小企業分野における資本間の競争︑資本の集積・集中の様相も︑そこで発
(20)生する問題の性質も大きく規定されている﹂ということを強調し︑﹁独占のもとでの中小企業の発展の主要な類型を
描 く こ 哲 を 課 題 と し た の で あ っ た ・ ξ ﹂ う が 中 村 氏 は ﹁ 独 占 資 歪 よ る 中 小 粟 を 含 め た 中 小 企 護 奪 の 形 態 と し
(18)ての存立形態Lを規定することを一応課題としていたのであるが︑中村氏においては︑﹁中小企業収奪の形態として
(18)の存立形態﹂が関係態としてよりも︑﹁企業形態﹂︑﹁企業類型﹂として把えることに事実上重点が置かれていたため︑(署まもなく︑非独占大企業ー1﹁中堅企業﹂を﹁発見﹂することによって︑中小企業研究の方向を︑企業類型論に特化し︑
﹁中堅企業論﹂︑﹁ベンチャー・ビジネス論﹂などへと移行を繰り返し︑北原氏に全面的に依拠していたフレーム・ワ
ークおよびその理論的立場をも放郷し︑以来中小企業の総体的把握のための努力も停止した︒
(23)なお︑同じ時期に︑巽信晴氏は︑﹃独占段階における中小企業の研究﹄を著わし︑以下のような視角を提出している︒
(24)﹁中小企業問題が︑独占資本主義段階固有な問題であり﹂とくに資本主義の全般的危機の第二段階の諸特徴との関
連で︑国際的な角度からみた日本資本主義(独占資本主義)の構造的把握(再生産構造)のなかにもとめなければなら
(25)ない︒L﹁このような基礎的な分析視角から︑中小企業問題一般だけではなく︑さらに中小企業問題の本質的内容をあ
きらかにしようとする場合︑その中心をなすものとして︑独占資本の中小企業にたいする直接的な支配形態による︑
(26)中小企業の階層分化口階層的企業構造の解明が絶対必要となってくるのである︒﹂すなわち﹁中小企業は︑独占資本の
一般的な集中.支配形態との関係で︑まず独占資本の直接的な支配形態(下請化・系列化)のもとに組みいれられてい
るものと︑そうでない残余とに区別される︒そして︑全体としての中小企業にたいする独占資本の支配は︑この直接
的な支配形態のもとにある中小企業の存在形態の分析をつうじて︑はじめて現段階における全体としての中小企業の
(幻)地位と運動を︑独占資本との関係において明確に解明できるのである︒﹂
かくして︑巽氏は︑中小企業問題を独占資本主義の問題とし︑日本資本主義の再生産構造のうちに明らかにしよう
としたのであるが︑解明の方向を︑巽氏が︑中小企業問題の﹁核心的課題﹂とする中小企業の階層分化の問題に集中
し︑﹁直接的な支配形態のもとにある中小企業の存在形態の分析﹂すなわち下請中小企業問題の分析に限定されてし
商 経 論 叢 第24巻 第3号 46
まい︑残念ながら氏自身の﹁全体としての中小企業の地位と運動﹂を︑独占資本との関係において解明するという意
図が充分実現していない︒それゆえ︑われわれの期待する中小企業問題の総体的把握のフレーム・ワーク構成も全面
的には明らかにされず︑限定されたものになっている︒
⑤伊東岱吉氏による﹁資本主義の独占段階における一般的問題﹂としての中小企業問題という分析視角の提起に
始まる理論的把握の展開は︑見てきたように中村玩や巽氏の成果のうちに一応の水準を獲得することになる︒それら
は︑現状分析に携わる研究者に分析のフレーム・ワークとして認められていくのであるが︑そこには︑次のような問
題が伏在していたのである︒
第一は︑中村氏の﹁独占による中小資本支配の構造分析﹂においても︑巽氏の﹁独占資本の中小企業に対する直接
的な支配形態による︑中小企業の階層分化11階層的企業構造の解明﹂においても︑氏らは︑自身の視角が直ちに中小
企業の没落や停滞を意味づけたり︑主張したりしたのではなかったのであるが︑"支配の構造分析"の強調は︑日本
経済の戦後︑とりわけ﹁高度成長﹂期の中小企業の動向の分析に対しては固定的な.一面的な視角を提供する傾向が
強いと理解され︑後述の佐藤芳雄氏の批判と方向を惹起することになった︒実際︑中村氏は︑先述したように︑その
後企業類型論・経営戦略論への傾斜を強めるとともに︑従来の立場を清算してしまった︒また︑巽氏は︑基本的には それまでの立場を維持しながら﹁産業組織論﹂の方法を批判的に検討するなど︑氏自身の方法の修正.発展をめざす
ことになる︒
第二は︑ヨリ基本的に﹁資本主義の独占段階における一般的問題﹂として中小企業問題を把握する分析視角自体に
対する批判である︒たとえば︑尾城太郎丸氏は次のような問題を提起する︒
すなわち︑﹁こうした観点からする中小企業研究が︑独占資本主義の一般論から出発して構造矛盾11問題一般を措
定し︑これを欧米先進諸国の独占に関する具体的な構造分析の媒介なしに︑直ちに日本の中小企業問題に結びつけよ
うとする場合には︑そこにいろいろの欠陥がつ婁とうことになると思われ塑とし・次の二つの蟹点を提出した・
﹁一つは︑措定される問題一般の内容が︑日本の中小企業問題の現実形態によって強く左右されはしないかという問
題︑二つには︑理論が独占段階のみを舞台として展開されるため︑構造矛盾の歴史的・国民経済的特質(日本のみなら
ず︑イギリス︑ドイツ︑アメリカ等︑先進諸国のそれぞれについて考えられる)が必ずしも十分に考慮されなくなる惧れがあ りはしないかという問題である︒﹂
こうした尾城氏の指摘は︑中村氏や巽氏の研究成果が発表されていた当時なお依然として︑中小企業問題は日本資
本主義固有の問題であるという"常識〃が学会および社会一般にあり︑この"常識"と尾城氏が展開する批判の前提にある氏自身の方法との区別が明確に理解されなかったため︑充分注意が払われなかった︒しかも︑﹁一般的問題﹂と
する視角からして当然に︑"経済理論"が中小企業問題に本格的に適用されたことも︑研究者にはかなりの説得力を
持ちえた理由があった︒しかし︑このようなコ般的問題Lとする視角も︑後年︑とくに一九七三年の石油危機の後
の低成長期に︑後述するごとく反省をせまられるとともに︑中小企業研究に新たな努力の方向がもとめられることに
なる︒尾城氏の問題提起の意義も改めて検討されてよい段階を迎えたというべきであろう︒
⑥次に︑中村秀一郎氏や巽信晴氏らの﹁資本主義の独占段階の一般的問題﹂としての中小企業問題とする系譜の
分析視角を継承しながらも﹁高度成長﹂期の中小企業の諸現実・諸問題を踏まえたフレーム・ワークを提出したのが・
佐藤芳雄氏の﹁寡占と中小企業競争の理論構造﹂11﹁競争論的アプローチ﹂である︒
佐藤氏は︑まず︑﹁わが国の中小企業問題の﹃先進国型中小企業懸﹄への発展・移行という認麹を示し・﹁いわ
ぽわが国の三重構造﹄問題を︑あらたに﹃寡占と非寡占の二藩造﹄問題として指定しよ陣と意図した・すなわ
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ち︑﹁基本的に︑現代寡占経済体制の一局面として︑非寡占11中小企業の問題性を位置づけ︑寡占体が競争と支配を通
じて︑非寡占セクターをたえず分解させ︑再編成し︑しかも寡占体の成長・蓄積の有力な源泉として非寡占セクター
(32)
を直接・間接に利用するという諸関係の解明のための︑理論的フレーム.ワーク構築を志向するもの﹂であった︒そ
のためには﹁あくまでもダイナミックな寡占体のビヘイビアへのファソクショナルなアブ胃ーチが必要である︒﹃寡
占体制と中小企業﹄という基本的な問題設定をし︑あえて﹃独占資本主義体制における中小企業﹄といった設定をし
(32)ない理由もそこにある﹂とした︒
さらにまた︑﹁より具体的に︑﹃問題﹄としての中小企業を︑まず第一義的に﹃被支配層﹄と設定することなく︑即
自的には﹃競争する﹄中小企業として設定し︑それらが今日の大企業体制のもとでいかなる論理.メカニズム.諸局
面を通して﹃被支配﹄状態においこまれるかを解明しようとする方法論である︒これを︑中小企業問題にたいする
(33)﹃独占支配論的アプローチ﹄にたいして︑あえて﹃競争論的アプローチ﹄﹂とした︒
そして︑この﹁この競争論的アプロ:チ﹂を次のように意義づけた︒﹁このアプローチによって︑今日の中小企業
問題のすべての局面をおおうことができるとは考えない︒しかしこの競争論的アプローチによる︑今日の﹃寡占体制﹄
における﹃中小企業﹄の解明と位置づけは︑今日の中小企業問題を総合的に解明するための有力な中枢骨格と︑中枢
(33)神経の大様をしめすことになる︒﹂
具体的には︑佐藤氏は︑産業組織論にもとつく市場類型を基礎に寡占と非寡占11中小企業との関連を︑中村秀一郎
氏の場合と同様に北原勇氏のフレーム・ワークに学んで次のように措定する︒
﹁㈲同一産業部門内における寡占と非寡占との関連
①両者が直接的競争関係にある場合︒(淘汰.駆逐の方向)
②各グループとして両者が相当程度の相互依存(共存)関係にあるばあい︒二時的ないし長期にわたる両グループの協調関係)
③両者が直接的支配・従属関係にあるぽあい︒(﹁包括的下請﹂関係)
㈲異種産業部門における寡占と非寡占との関係
①寡占価格による市場支配・収奪関係︒(﹁原料高﹂問題︑つまり中間市場・消費者としての中小企業が・﹁寡占的高
価格﹂製・器購入を強制される関係であり︑﹁市場﹂として分散的中小企業が購入上の対抗力を行使できない関係)
②下請関係による直接的支配・従属関係︒(社会的分業をふくむ﹁有機的﹂﹁混成的﹂下請諸関係であり・この従属性
は現実的.潜在的な中小企業の激しい競争性を基盤とする)
③過当競争問題をはらむ中小企業独自の部門と他寡占産業・企業との直接・間接の関係︒(商社・問屋・百貨
店.大型スーパー等に典型的な流通支配による購入寡占問題︑および中小企業産業の過当競争性(低価格等)が寡占経済
(胆)全体にはたす機能)﹂
以上に加えて︑
伺 中 小 企 業 の 競 争 の あ り 方 が 労 働 者 の 状 態 に 影 響 を あ た え る 諸 関 璽 ・ お よ び ・
面 現 代 資 奎 葎 制 に お け る 体 制 的 な 中 小 企 業 の 被 収 奪 の 問 題 塵 が 措 定 さ れ る ・
かくして︑佐藤氏の提出した問題意識と︑その間題意識にもとつく中小企業の総体把握のフレーム・ワークの意図
は明確である︒すなわち︑﹁中小企業群を髪る伝統的な三轟造の底辺﹄としてとらえるこ望の不充分性の克服・
﹁﹃反独占﹄運動への支援︑﹃硬直的な﹄﹃独占資歪よる中小企萎配・収奪論﹄に欠けるキメのこまかい分析手晦凶
の提供を目指したのであった︒
商 経 諭 叢 第24巻 第3号 54
かくして︑佐藤氏が日本経済の﹁高度成長﹂期の諸現実・諸問題を踏まえて︑﹁資本主義の独占段階の一般的問題﹂
としての中小企業問題を基底にすえながらも︑ヨリ柔軟に︑ダイナミズムをはらむものとしての意味を込めて︑﹁寡
占体制と中小企業﹂と改めて措定したのは一応説得的であった︒
しかしながら︑同時に︑佐藤氏の方法上の特徴をなす﹁産業組織論﹂や﹁現代寡占論﹂の広汎な利用における﹁独
占と競争﹂の視点の強調では︑それら諸理論の背景となっている独占禁止政策問題一般に中小企業問題を解消させて
しまう懸念が生じてくる︒たとえぽ︑後年の﹁分野調整問題﹂・﹁商業調整問題﹂における独占的大企業の中小企業分
野への進出の是非を問うというような課題に対しては︑独占禁止政策一般からでは充分な理解を用意できないといわ
ざるをえない︒すなわち︑参人イコール競争促進ととらえるから︑参人阻止行動は︑競争抑制的であるとする理解に
よって︑独占的大企業の中小企業分野への進出を是認し︑中小企業者の﹁営業の自由﹂をもとめる進出阻止行動を反
(36)動的行為と見なしてしまうことになる︒
また︑ヨリ本質的に日本の中小企業問題の﹁先進国型中小企業問題への発展.移行という認識﹂を前提としたプレ
ーム・ワークの措定では︑近年の国際間における産業構造︑中小企業問題の重大化する差異性の解明に対しては︑別
の視点・理論を用意し︑それらを先の認識に無媒介的に接木せざるをえないか︑あるいは︑その認識を放棄してまっ
たく別の視点・理論を持ち込むことになるざるをえないのではなかろうか︒
(訂)事実︑佐藤氏は現在新たな模索を続けているように思われる︒
⑦以上に見てきた中小企業の総体的把握のためのフレーム・ワークの構築のこれまでの試みの軌跡は︑日本の中
小企業問題の把握における特殊性の強調から一般性の強調への移行︑中小企業の存立形態論から大企業と中小企業と
の関係論への視点の移動を示していると総括することができるであろう︒
翻って︑冒頭に述ぺた今日の中小企業問題の多様性・多面性・差異性の深化・拡大の状況をいかに統一的に把握す
るかという基本的課題の究明の立場からすれば︑そのためのフレーム・ワークの構築のこれまでの個々の試みおよび
それらの試みの軌跡の延長線上においては︑満足のゆく解決は得られないと考えなければならない︒なぜなら︑先の
尾城氏の批判(四六頁)に加えて︑筆者なり抽象的に述べれば以下のようになろう︒すなわち︑一般性の強調は︑一
般性をある特定の経済理論に基づいて措定し︑その一般性からの乖離ないし相異をもって特殊性とすることになり︑
たヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへ分析された特殊性自体がまたその理論からの漏出ないしは例外となり︑結局特殊性の理論的理解をさまたげることに
なる︒また︑関係論の採用は︑関係類型を典型化して提出し︑そして︑現実の中小企業間題を諸類型に分類して理解
することを可能にする︒たしかに︑この方向は︑多様かつ多面的で差異に富んだ中小企業問題の理解を助けることに
おいて有効であるが︑それはあくまでも中小企業問題の個々の特質の理解を助けることに有効なのであって︑多様か
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへしつ多面的で差異に富んだ中小企業の諸問題の総合的理解︑あるいはそれらの背後にある経済構造の理解を保証するも
のではない︒だから︑個々の関係・問題の特質の理解から︑直ちに経済構造の解釈に進む場合には︑恣意的な解釈が
行われる傾向が強く︑それゆえに経済構造の誤った把握を導く可能性も大きいのである︒
ヘヘヘヘヘヘヘヘへさらにいえば︑一般性の主張も問題の想定される一般モデルへの過程を考察するがゆえに︑それまでの関係論の強
調もその考察が一般化されるがゆえに︑総じて中小企業問題の理解において︑抽出された特質を固定的に把握し︑そ
の変質.変化・消滅などの測面を把握しきれていないように思われる︒
したがって︑われわれは︑一般的であるとともに特殊性を含み︑関係論を構造のうちに理解できるようなフレー
ム・ワークを展望しなければならないであろう︒とするならば︑われわれは︑右のような方法的展望をもつオーソド
ックスな方向として︑歴史的・構造的なフレーム・ワークを求めるということになるであろう︒
商 経 論 叢 第24巻 第3号 52
そこでわれわれがまずプレ去・マク構築の手懸りとして提起しようとするのは︑小宮山琢二氏の所説なのであ
る︒われわれがいう小宮山氏の所説とは︑もとより既に検討した﹁存立形態論﹂ではなく︑われわれが行論のうちに
明らかにするように﹁問題性論﹂と名づけたところの所説なのである︒
この﹁問題性論﹂がいかなる所説であり︑なぜ︑いかに中小企業の総体的把握のフレーム・ワーク構築の手懸りを
与えているかは︑章を改めて展開することにしたい︒
(︑)議に中小工業は・同質的一体であるというより糞質的な群であり︑一元的な群であるよりは︑多元的であるのである︒﹂
(山中篤太郎﹃中小工業の本質と展開‑国民経済構造矛盾の一研究i﹄︑一九四九年︑有斐閣︑三〇頁︒)(2)たとえば・大阪讐大学中小企業経営研究所﹃中小企業轟﹄各芝おける﹁中小企蓬関する文献目録﹂を見られたい︒
(3)たとえば・佐奪雄﹁︿学農望﹀"中小企業"研究の新時代二日本経護策学会編﹃科学技術と経済犠(呆経済政
箏会年報図善二九八四年︑動草書房︒)あるいは︑渡辺睦﹁中小企業研究の到達点と新鑑﹂(渡辺睦.前川恭編
﹃現代中小企業研究上巻﹄︹現代資本主義叢書27︺︑一九八四年︑大月書店︒)を参照されたい︒
(4)佐藤芳雄氏は︑たとえば︑﹁日本中小企業問題の到達点と課題﹂と題する論文において︑
﹁①高度成長期から低成長期を経るなかで︑日本中小企業の異質多元性は拡大再生産され︑問題の﹃焦点﹄が多元化してい
ること・②いまや従前の﹃後進資本主義国日本特有の中小企業"問題"論﹄ないしキャッチ.アップ型中小企業問題論から
の脱却が必要であること︑に主張点をおくことになる﹂(目本中小企業学会編﹃中小企蕎題‑現状認識と視点﹄︹日本中小
企輩会論集3︺︑一九八四年︑同友館︑三〜四頁)﹂として︑﹁中小企蕎題の再検討﹂(同上︑四頁)を提唱している︒佐
養の主張点の内容自体には︑なお議論の余地があると筆者には思われるが︑現段階において︑﹁問題の﹃焦点﹄の多元化﹂
と視点の再検討は︑立場を問わず︑いずれの論者にも迫まられている課題であるといわなければならない︒
また︑渡辺睦氏は︑戦後の中小企業研究を統括して次のように述べている︒﹁多くの理論的.実証的研究の成果をあらた
めて読み直して痛感することは︑問題領域がきわめて多岐に分かれ︑膨大な実証的研究が積み重ねられているにもかかわら
ず・それらを明確努法論にもとついて統合化し︑理論的に体系化する試みが意外に少ない.﹂とである︒﹂(渡辺睦.前川恭
一編︑前掲書28頁)︒
さらに︑中山金治氏は︑次のように述べている︒﹁日本資本主義の蓄積構造の高度化と︑中小企業の階層分化の度ムロが︑
余りにも急テソポで推移し︑それに対応して︑政策の重点もたえず変化するために︑その転換の評価にふりまわされてきた
面もあった︒だが︑一貫して科学的批判的な立場から︑戦後中小企業問題を整理してみる重要性はますます高まっていると
思われる︒﹂(中山金治﹃中小企業近代化の理論と政策﹄︑森山書店︑一九八三年︑二頁︒)
もとより︑筆者が︑佐藤.渡辺.中山氏らの問題提起に満足すべき提案をなしうるとは全く考えていない︒筆者がなそう
と考えていることは︑個別的課題の研究に際して筆者自身がこれまで感じてきた方法上の問題意識を投げかけつつ︑筆者な
りの検討と回答を明らかにすることによって︑かかる課題への注意の喚起と議論の活発化の一助となることである︒(5)﹁理論的フレーム.ワーク﹂という用語を︑佐藤芳雄氏の著書(﹃寡占体制と中小企業﹄︑一九七六年︑有斐閣)から借用
した︒佐藤氏は︑それを次のように用いている︒すなわち︑﹁基本的に︑現代寡占経済体制の}局面として︑非寡占11中小企業の問題性を位置づけ︑寡占体が支配と競争を通じて︑非寡占セクターをたえず分解させ︑再編成し︑しかも寡占体の成
長.蓄積の有力な源泉として非寡占セクターを直接・間接に利用するという諸関係の解明のための︑理論的フレーム・ワーク構築を志向するものである︒﹂(同書︑9頁)﹁理論的フレーム・ワーク﹂という用語についての佐藤氏の意義づけは・これ以上明らかにされていないが︑佐藤氏の﹁理論的プレ!ム・ワーク﹂自体については後述のうちに解明する︒
われわれが︑本稿で︑中小企業問題分析の基礎視角あるいは理論的フレーム・ワークという用語を使用して・﹁理論﹂な
いしは﹁経済理論﹂などの語を使用しないことについては︑本来︑研究の方法上の相当な議論を提出しなければならないだ
ろう︒しかし︑われわれが今最重要に必要としていることは︑方法論についての議論を詳細に整理し展開するよりも︑具体
的な目標を明確にした方法を具体的に提示することであると考える︒それゆえに︑ここでは︑次のことを言明するにとどめ
たい︒中小企業問題は︑歴史的具体的問題である︒それは︑いわゆる資本主義の発展段階一般における問題よりもさらに具
体性を帯びた問題である︒だから︑特定の国の特定の時期の中小企業問題を考察する方法については︑われわれは︑歴史
的.具体的な諸条件を考慮し構成した基礎的な視角︑個々の具体的問題を考察してゆく順序・方法を考えなければならな
い︒それをわれわれは︑基礎視角︑理論的フレーム・ワークと呼んだのである︒われわれが︑ここで︑よく使用される分析
視角でなく︑基礎視角を採用したのは︑一般にいう理論そのものよりも広い視角を得たいためであり︑また︑フレーム・ワークにあ︑兄て"理論的"と付け加えたのは︑フレーム・ワークの構築自体およびフレーム・ワークの内部の個々の展開について"理論的"であろうとしたからである︒
(6)小宮山琢二﹃日本中小工業研究﹄︑一九四一年︑中央公論社︑6頁︒以下︑本書からの引用文は︑漢字︑かなつかいとも
商 経 論 叢 第24巻 第3号 54
すべて現代表記に改めてある︒
(7)小宮山琢二︑前掲書︑7頁︒
(8)戦時下についての中小企業研究・下請制研究に関する︑伊東岱吉・尾城太郎丸.北原勇.佐藤芳雄﹁中小企業問題研究史﹂(慶応義塾大学経済学会編﹃日本における経済学の百年下巻﹄︑一九五九年)の﹁第二章戦時経済下の中小工業論﹂(北
原勇氏執筆)を参照されたい︒
(9)山中篤太郎︑前掲書︒
(10)小林義雄編﹃企業系列の実態﹄︑一九五八年︑東洋経済新報社︒
(11)北原勇︑前掲書︑謝頁︒
(12)北原勇︑前掲書︑瓢頁︒
(13)伊東岱吉﹁中小工業問題の本質﹂(藤田敬三・伊東岱吉﹃中小工業の本質︹中小企業叢書V︺﹄一九五四年︑有斐閣)︑30頁︒
(14)北原勇﹁資本の集積・集中と分裂・分散‑中小工業論序説I﹂(﹁三田学会雑誌﹂︑五〇巻七号︑一九五七年七月)︑同﹁集
積・集中と独占﹂(コニ田学会雑誌L︑五]巻五号︑一九五八年五月)︒
(15)北原勇﹁資本蓄積運動における中小企業﹂(﹃講座中小企業第皿巻独占資本と中小企業﹄︑一九六〇年︑有斐閣︑第二
章所収)︑㎜頁︒
(16)北原勇氏の提案した方法・フレーム・ワークは︑後述のうちに明らかなように︑後年︑中村秀一郎氏と佐藤芳雄氏とによ
つて全面的に依拠され︑利用されてゆくのであるが︑北原氏の方法・フレーム・ワーク自体を詳細かつ厳密に論述した論稿
は︑未発表の論文である︒一般には︑中村︑佐藤両氏の論文によってのみ参照可能である︒筆者は︑本稿では︑公平の原則
から一般的立場に立って︑公表されている論稿を通じてのみ検討することにする︒中村氏の著書から知られる︑北原氏の提
案は次のようである︒
﹁北原氏による独占資本と中小企業の関係の仕方の分類は︑まず︑この関係を﹃産業資本としての独占資本と中小企業と
の関係﹄とそれ以外に大別され︑後者を﹃銀行資本と結合した独占資本たる金融資本﹄と中小企業との関係︑および﹃国家
権力を媒介とした独占資本による中小企業の収奪関係﹄とに分けられる︒それは前者の関係を﹃補完するもの﹄とされる︒
前者は一部門内における独占資本と中小企業の関係(ω競争関係にある場合︑②﹃競争が排除され︑独占資本と中小企業と
の間に支配従属関係が成立する場合﹄)と異部門間における独占資本と中小企業との関係(ω独占価格による収奪11いわゆ
る原料高.製品安︑②下請関係による収奪︑㈹独占中小企業の過度競争の間接的利用)とに分けられる(同氏の大学院修士
論文﹃中小企業問題ー本質把握への一試論﹄(昭和三〇年‑未発表︑二四四1二五二ページによる)﹂(中村秀一郎﹃日本の
中小企業聞題﹄︑一九六一年︑合同出版︑㎜頁)︒
(17)中村秀一郎前掲書︑蹴頁︒
(18)中村秀一郎︑前掲書︑㎜頁︒
(19)﹁中小資本によって生産された剰余価値が社会的に独占に帰属し︑独占利潤の増大を保証する﹂関係(中村秀一郎︑前掲
書︑漏頁︒)
(20)北原勇︑前掲書︑柵頁︒
(21)北原勇︑前掲書︑鵬頁︒
(22)中村秀一郎﹃中堅企業論﹄(初版)︑一九六四年︑東洋経済新報社︒
(23)巽信晴﹃独占段階における中小企業の研究﹄︑一九六〇年︑三一書房︒
(24)巽信晴︑前掲書︑盟頁︒
(25)巽信晴︑前掲書︑11頁︒
(26)巽信晴︑前掲書︑鵬頁︒
(27)巽信晴︑前掲書︑㎜頁︒
(28)たとえば︑巽信晴﹁産業組織と中小企業﹂(藤田敬三・竹内正巳編﹃中小企業論︹新版︺︑一九六八年︑有斐閣)参照︒
(29)屋城太郎丸﹁中小企業問題認識の国際的・歴史的・構造的視角‑山中篤太郎編﹃経済成長と中小企業﹄(﹁日本経済の現状
と課題﹂第三集)によせてー﹂︑﹁三田学会雑誌﹂︑五六巻五号︑一九六三年五月)︑43頁︒
(30)佐藤芳雄﹃寡占体制と中小企業﹄︑一九七六年︑有斐閣︑42頁︒
(31)佐藤芳雄︑前掲書︑17頁︒
(32)佐藤芳雄︑前掲書︑9頁︒
(33)佐藤芳雄︑前掲書︑16頁︒
(34)佐藤芳雄︑前掲書︑32133頁︒
(35)佐藤芳雄︑前掲書︑10頁︒
(36)﹁分野調整問題﹂等をめぐる問題の理解については︑拙稿﹁﹃分野法﹄と︽競争促進︾政策(上)・(下)﹂(﹁商経論叢﹂一
商 経 論 叢 第24巻 第3号 56
三巻三号・四号︑一九七八年三月)参照︒
(37)注㈹︑ωなどに掲げた佐藤芳雄氏の諸論編を参照︒
第 一 章 小 宮 山 琢 二 氏 の ﹁中 小 工 業 問 題 性 論 ﹂
1 戦 前 ・ 戦 中 期 の 中 小 企 業 問 題 の 基 礎 視 角 i
第一節﹁中小工業分析に関する覚書の断片﹂について
戦前・戦中期の中小企業問題について最も優れた研究を残したひとりとして小宮由琢二氏の名を挙げることに異論
はないであろう︒主著﹃日本中小工業研究﹄で展開された小宮山氏の所説は︑戦前来繰り返し検討を加えられてきた︒
しかし︑その際︑主として検討対象となったのは︑既述のように﹁存立形態論﹂およびそれにもとつく﹁下請制論﹂
に関わるものであった︒いま︑われわれがここで取り上げようとする﹁中小工業問題性論﹂(以下﹁問題性論﹂と略称
する)としてではなかった︒
では︑われわれがいう﹁問題性論﹂とは一体どういうものか︒
﹃日本中小工業研究﹄の巻末には︑﹁附論中小工業分析に関する覚書の断片﹂(以下︑﹁断片﹂と略称する)がある︒
われわれはそれを︑山崎広明氏のように︑﹁巻末の﹃中小工業分析に関する覚書の断片﹄は︑まさに﹃複雑な構成層﹄
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへからなる中小工業をトータルに把握する前提としての中小工業のタイプ分けについての示唆をわれわれに与えてくれ
(1)る︒実際︑中小工業が即自的には異質多様でありながらもそれをトータルに把握すべきことを彼は課題﹂(傍点筆者)
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑(2)としたというだけではなく︑伊東岱吉氏のいうように﹁独占資本主義における総構造的理解のプラソを示す﹂(傍点筆
者)とする立場から主として取り上げようとするのである︒
﹁断片﹂の概要は︑次のように構成されている︒
﹁1中小工業問題の問題性
皿中小工業の歴史的形成過程
皿中小工業の存立形態
ーー経営組織論的分析︒西欧諸家によるいわゆる発展段階説の修正
A中小工業の独立形態
B中小工業の従属形態
W中小工業の存立の様相
A中小工業の編成的特質
B支配・従属関係の横秤
V中小工業発展の基本的傾向
W中小工業の組織⁝形態
(3)㎎研究に対する若干の具体的手続﹂
この﹁断片﹂について小宮山氏自身は次のように追記している︒
﹁この覚書は︑私が研究上の自分の手がかりとして昭和十三年中に書いたもの︒研究が進むにつれて︑私は順次
これに手を加えるつもりだったが︑そう出来なかったので︑粗略な諸点はそのまエになっているし︑元来︑発表
を予期しなかったために文章も体をなしていない︒それを敢えて本書に収めたのは︑これが読者の参考に少しで
(4)も役立つことをのぞむ微意からにほかならない︒﹂
商 経 論 叢 第24巻 第3号 58
われわれは︑この﹁断片﹂が︑学ぶべき豊富な内容と検討に値する諸点を持っていることを直ちに理解できる︒そ
して︑小宮山氏自身にとっての﹁研究上の自分の手がかり﹂であり︑研究が進むにつれて﹁順次これに手を加・兇るつ
もりだった﹂ことを確認するならぽ︑﹁I﹂から﹁皿﹂へと展開するものとして︑まず︑﹁1中小工業問題の問題性﹂
に注目することになるが︑しかし︑それ以上に︑行論のうちに明らかなようにわれわれの課題からして︑この﹁I﹂
に考察の中心を置く意義があると考えている︒
第二節小宮山琢二氏の方法的態度について
いま︑われわれは﹁1中小工業問題の問題性﹂について詳細に検討しようと考えるのであるが︑その前に小宮山
氏の中小工業研究についての方法的態度について留意しておきたい︒それは︑今日なおわれわれにとって多くの示唆
を与えるからである︒
ら 小宮山琢二氏の研究は︑﹁実態調査を踏まえた最初の中小工業についての本格的実証研究﹂であると位置づけられ
ているのであるが︑小宮山氏はどのように研究してきたであろうか︒大学入学以来﹁日本の中小産業︑或は前資本主
義経済に関嘩を持ちつづけてきた小宮山氏は︑その後の研究方向を次のように述べた︒
﹁学校を出てからはとりわけ︑中央官庁に関係のあったことが︑実地調査の利便を容易にしたので︑私は屡々大
都会のスラムに︑輸出港の背地に︑大工業地区の周辺に︑連なり群がる中小工場を︑或は農村漁村の零細工場仕
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへ事場を︑何か覚める旅人のように訪ねて歩いた︒そして自分の眼で観察したところに何等か理論的な見透しを与
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑・・・・・・⁝(6)え︑経験的事実を概念化することを執念していた⁝⁝﹂(傍点筆者)
(7)このような努力は︑小宮山氏にとって﹁理論を日本の現実のなかで具体的に獲得すること﹂であり︑それは﹁日本
(7)人の立場から身につけた西欧的思惟の成果﹂となるものであった︒
では︑小宮山氏にとって中小企業研究とはどういう意味を持ちどのように研究を進めたか︒次のようにいう︒
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへ﹁筆者はここかなりの間日本産業の構成的性質を賜らかにする手続のひとつとして︑日本の中小工業の問題をと
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへりあげ︑個別産業での計冨の蒐集につとめて来た︒︒我々は今事実的な報告や推算でなく︑それ等を
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑(7)基礎としていわゆる中小工業と呼ばれるものそれ自体の歴史的角度を見極める⁝⁝﹂(傍点筆者)
あるいは︑
ヘヘヘヘヘヘへ﹁⁝⁝例へぽ作業性質の不均一な修繕業とか︑需要が特殊的個別的な奢修品生産とかにいわゆる小経営の経済的
ヘヘヘヘヘヘヘへ残存を︑また抽象的に﹃人口過剰失業者の圧迫で機械と肉弾的に競争するもの﹄(高橋亀吉氏)として産業的低地
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへでのその病的残存を︑区々に指摘することは我々にとってはあまり役立たない︒なぜなら︑我々は中小工業一般
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへではなく日本の工業生産のなかで大工業として確立していない工業経営の社会的経済的内容と発展傾向を明らか
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑(8)にし︑その複雑な構成層に歴史的角度を与えようとしているのだから﹂(傍点筆者)
では︑ここにいう﹁中小工業と呼ばれるものそれ自体の歴史的角度を見極める﹂︑﹁複雑な構成層に歴史的角度を与
えようとしている﹂とは︑どういうことか︒
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへ﹁日本の中小工業はそれが国の工業生産そのものの問題である点に国際的特異性とも言うぺきものを持っている︒
勿論一口に中小工業と言うものの︑その歴史的内容は極めて多元的異質的であるから︑その中にかつて英国や独
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへ逸で多く問題された大工業からの排外の問題︑或はいわゆる過剰人口の前期的諸経営による編成の問題1が広汎
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへに含まれていること拒むべくもないが︑日本の場合にはその面を公式的に強調するだけでは何とも片手落のよう
ヘヘへである︒
商 経 論 叢 第24巻 第3号 so
筆者の見解によれば︑日本の場合には︑中小工業の無産者性とともに︑その有産者性がかなりに評価されてよ
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへい事情がある︒けだし︑そうした前期的諸経営が近代的条件によって著しく変質しているぼかりか︑一応機械制
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへと賃労働の上に立ち︑しかも大工業として確立し得ない諸経営が︑大工業と並存或は従属の関係で発展し︑この
・⁝︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑(9)両者が全工業の中に構造的に織込まれているからだL(傍点筆者)
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑(10)小宮山氏は︑以上のように述べて︑かかる観点を﹁中小工業を日本再生産の歴史的制約性のひとつと考える立場﹂
(傍点筆者)といっている︒先の﹁歴史的角度﹂を﹁見極め﹂・﹁与える﹂とは︑そのような立場に立つことにほかなら
ないのである︒では︑﹁日本再生産の歴史的制約性﹂を中小工業のうちに︑いかに︑どのような手続きで明らかにしう
るのか︒それこそが︑われわれが先に指摘した﹁中小工業分析に関する覚書の断片﹂のうちの﹁1中小工業問題の
問題性﹂である︒
(11)第三節﹁中小工業問題の問題性﹂の分析
ω﹁1中小工業問題の問題性﹂とは次のような記述となっている︒
﹁1中小工業問題の問題性
1
5432
日本経済発展の不均等の現実形態として
日本工業の生産及び資本集中における立遅れの現実形態として
その立遅れの独占大工業による体系的制度的利用形態として
独占大工業の発展に制約されての中小工業の地位及び機構の歴史的変動
3︑4は同時に独占大工業そのものの発展を規定し︑中小工業問題は日本産業構成の問題として現われる
1ー日本産業組織・産業統制への制約条件
64︑5は工業における旧来的小ブル及び近代的小ブル存立の物質的基底並に該基底変動を規定するー日
本 社 会 組 織 ・ 政 治 過 程 へ の 制 約 条 件
分 析 の 基 点 当 面 中 小 工 業 問 題 の 問 題 性 を 5 に 限 定 す ︒ 従 っ て 中 小 工 業 を 現 実 に 支 え る そ の 労 力 機 構 並 に 労
力 機 構 を 制 約 す る 社 会 的 経 済 的 諸 条 件 そ の も の の ︑ 特 に 前 期 的 零 細 耕 作 農 業 と の 相 関 の 分 析 は 研 究 の 順 序 の 上 か
(12)らこの場合一応放置されるL
われわれは︑以上の﹁中小工業問題の問題性﹂の展開を︑戦前・戦中期中小工業問題の基礎視角として有効である
のみならず︑修正.発展させることによって︑戦後および現在の中小企業問題の基礎視角として活用しうると考えた
わけである︒そのような考えから︑まずわれわれがとった手続きは︑﹁中小工業問題の問題性﹂の簡潔な表現に対して︑
具体的内容を与えることであり︑そのために︑著書﹃日本中小工業研究﹄の全体に渉って︑﹁中小工業問題の問題性﹂
の各項に該当する文章を見い出し︑それを手懸りに具体的内容をつかみとろうとしたのである︒﹁分析の基点﹂とし
て︑﹁5﹂に限定されていることから︑各項について十分な指摘があるわけではない︒本節では︑可能なかぎりで︑
上述の手続きに即して︑内容理解に努め︑戦後および現在の中小企業分析の基準となるべく小宮山氏の所説の基礎視
角としての有効性を明らかにすれぽ充分なのである︒
以下︑﹁中小工業問題の問題性﹂の﹁1﹂から﹁6﹂まで順次上述の手続きにしたがって検討を加えることにした
い︒
②﹁1﹂の﹁日本経済発展の不均等の現実形態として﹂については︑最初に次のことを指摘して置かなければな
らない︒すなわち︑﹁日本経済発展の不均等の現実形態として﹂の文言自体の意味には︑当然﹁2﹂の﹁日本工業の生
商 経 論 叢 第24巻 第3号 62
産及び資本集中における立遅れの現実形態としてLも含まれている︒したがって︑﹁1﹂の意味は︑﹁2﹂に相当する
内容を含むとともに区別されることになると理解しなければならない︒その上で﹁1﹂に相当する文章を捜し求める
ヘへのであるが︑それに直接該当する文章は見つけ出せない︒しかしながら︑﹁日本経済の不均等の現実形態﹂を一般的
ではなく︑文字どおり当時の具体的事情において理解しようとするならば︑われわれは︑﹁1﹂における以下のよう
な含意を獲得できるであろう︒
われわれは︑まず﹁附論中小工業分析に関する覚書の断片﹂の﹁皿中小工業の歴史的形成過程﹂を参照しよう︒
それは次のようである︒
﹁此拠に歴史的形成とは︑中小工業の編年史的経歴に非ずして︑中小工業を存続せしめる工業諸部門における︽産
業革命︾1生産旋回‑産業資本確立の程度を様相ー資本と労働の分化の程度と様相ー該視点はそれぞれ部門にお
ける中小工業の存立形態を規定し︑調査研究上の基本線をなす
その際時限として画すべきものとして
1欧洲大戦を契機とする日本工業の発展ー生産の機械化・近代化︑大戦中及び大戦後から世界経済恐慌の過程
をも含めて︑金輸出再禁止(昭和六年)までの一応の生産旋回︒地方的生産の国民的生産への推転
2金輸出再礎止(昭和六年)から支那事変勃発(昭和十二年)までの日本商品の海外進出︒輸出工業生産への発
展︒国内向工業への推転による産業資本的確立化︒国民的生産の世界的生産への指向
3支那事変勃発(昭和十二年)進展に伴う国民経済並に工業の戦時的再編成︒その過程での中小工業の構成的
(13)変化﹂
以上の引用からわかるように︑小宮山氏は︑周知のように﹁産業資本確立﹂・﹁資本と労働の分化﹂の程度と様相の