【同志社大学刑事判例研究会】対面信号機の赤色表 示を認識した時点では交差点手前の停止位置で停止 できない場合において、刑法二〇八条の二第二項後 段(当時)にいう赤色信号を「殊更に無視し」に該当 するとされた事例
著者 田坂 晶
雑誌名 同志社法學
巻 68
号 6
ページ 2129‑2148
発行年 2017‑01‑31
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016892
( ) 対面信号機の赤色表示を認識した時点では交差点手前の停止位置で停止できない場合において、刑法二〇八条の二第二項後段(当時)にいう赤色信号を﹁殊更に無視し﹂に該当するとされた事例 同志社法学 六八巻六号一三五二一二九 ◆同志社大学刑事判例研究会◆
対 面 信 号 機 の 赤 色 表 示 を 認 識 し た 時 点 で は 交 差 点 手 前 の 停 止 位 置 で 停 止 で き な い 場 合 に お い て 、 刑 法 二 〇 八 条 の 二 第 二 項 後 段 ( 当 時 ) に い う 赤 色 信 号 を 「 殊 更 に 無 視 し 」 に 該 当 す る と さ れ た 事 例
東京高裁平成二六年三月二六日判決平成二五年(う)第一七四四号危険運転致死傷被告事件高刑集六七巻一号八頁、判タ一四〇三号三五六頁
田 坂 晶 ( )
( )同志社法学 六八巻六号一三六 対面信号機の赤色表示を認識した時点では交差点手前の停止位置で停止できない場合において、刑法二〇八条の二第二項後段(当時)にいう赤色信号を﹁殊更に無視し﹂に該当するとされた事例 二一三〇
一 事実の概要と訴訟の経過
被告人は、進行方向右側にのみ交差道路が接続し、信号機により交通整理が行われている丁字路交差点(以下、本件交差点)を、大型トラックを運転して直進しようとして交差点に進入した。その際、本件交差点の北側停止線(以下、本件停止線)の手前約四一メートル(本件交差点の出口に設置された横断歩道及び自転車横断帯から約八七・三メートル手前)の地点において、対面信号機が黄色から赤色信号表示になるのを認めた。被告人は黄色信号を認識した時点でいったんアクセルから足を離したが、その直後、止まれないと思い、黄色から赤色表示になるのを認めた時点で、足を一ミリほどアクセルに乗せ、排気ブレーキを解除した状態で、ブレーキを踏むことなく、制限速度四〇キロメートルのところを時速約五九キロメートル前後の速度で本件交差点に進入した。その結果、本件停止線からさらに四六・三メートル先の本件交差点南側出口に設置されている横断歩道上を青色信号に従って横断中の被害者二名(いずれも当時七歳)に自車を衝突させ、そのうち一名を礫過して脳挫傷により死亡させ、もう一名に全治約一週間を要する頭部打撲等の傷害を負わせた。
これによって被告人は、刑法二〇八条の二第二項後段(当時)にいう﹁赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者﹂に当たるとして起訴された。
( ) 対面信号機の赤色表示を認識した時点では交差点手前の停止位置で停止できない場合において、刑法二〇八条の二第二項後段(当時)にいう赤色信号を﹁殊更に無視し﹂に該当するとされた事例 同志社法学 六八巻六号一三七二一三一 二 訴訟の経過 第一審(前橋地判平成二五年九月二〇日)は、自動車の停止距離を約四三・六四メートルと認定し、被告人が赤色信号を認識した時点でブレーキを踏んでも停止線の手前で停止することが十分に可能であったとはいえないとしたが、赤色信号を認識した時点ですぐにブレーキを踏めば、仮に停止位置を越えても安全な位置に停止することが可能であるのにあえて進行する場合も赤色信号の殊更無視に含まれるとして、危険運転致死傷罪の成立を認め、懲役六年の刑を言い渡した。
そこで、弁護人は、被告人が赤色信号を認めた時点でブレーキをかけても停止位置の手前で停止することはできなかったのであるから、赤色信号を﹁殊更に無視し﹂には該当しないと主張して、事実誤認、法令適用の誤りおよび量刑不当を理由として控訴した。
三 判旨
東京高等裁判所は、原判決の事実認定に誤りはないとし、控訴を棄却した )1
(。東京高等裁判所は、被告人運転のトラックが﹁本件停止線手前で停止することが十分に可能だったとはいえない﹂ことを認めつつ、﹁刑法二〇八条の二第二項にいう﹃赤色信号(中略)を殊更に無視し﹄たと認められるのは、赤色信号であることについて確定的な認識があり、停止位置で停止することが十分可能であるのにこれを無視して進行するのが典型例であるが、これに限らず、赤色信号を認識した時点ですぐにブレーキを踏めば、仮に停止線を越えても安全な位置に停止することが可能であるのにあえて
( )同志社法学 六八巻六号一三八 対面信号機の赤色表示を認識した時点では交差点手前の停止位置で停止できない場合において、刑法二〇八条の二第二項後段(当時)にいう赤色信号を﹁殊更に無視し﹂に該当するとされた事例 二一三二
進行する場合も含む﹂とした原判決の判断を支持したうえで、以下のように結論づけた。
﹂。断た判決の判原にりはない誤 更信号を殊しに無たも赤色う、くなが思意と従に号信色の視評転価定肯を立成の罪傷死致し運あ険べきでするら、危か 除キを解減し、速すレるー識ブ気排てし認を号信色赤もことな進そよお、りあでのたし行赤まの度速の前従てえあくま いられて色るのに、黄禁じとに的対絶がこるせさ行進号信時をル、ののも認し離を足らかたセでク識し点たいったんア 号かが赤色であるッら本件トラクを面信対本差故事突ので点交回件つか、くもを衝避、そもそでらさにりに況状るきあ 、ことがでよこれにすっるき止停で前手の等道歩断横本てで件危なず交は性能可るじ生が険まの事差ど内の点故発生な キー同レブにち直で点地れ、し識認ぞれそを号信か色を本けしで件本の内点差交件もてとれたえ越を線止停件本、ば赤 ﹁点かルトーメ四・七九約ら等前道歩断横件本、は人告手の地八の前手ルトーメ三・七く地じ同、を号信色黄で点被
四 研究
一 危険運転に関する法律の変遷 本件において問題となっている危険運転致死傷の罪は、平成一三(二〇〇一)年の刑法改正によって新設された犯罪類型であり、危険な運転行為を類型化したうえで、それによって人を死傷させた行為について規定している。故意に危険な運転を行い、人を死傷させる行為については、その当罰性が高いことから、新たな犯罪類型が設けられたのである。
その後、平成一九(二〇〇七)年の刑法改正において、﹁四輪以上の自動車﹂とされていた同罪の対象が、二輪自動車も含める趣旨で﹁自動車﹂に改められ、対象が拡張された。さらに、平成二五(二〇一三)年の法改正によって、新
( ) 対面信号機の赤色表示を認識した時点では交差点手前の停止位置で停止できない場合において、刑法二〇八条の二第二項後段(当時)にいう赤色信号を﹁殊更に無視し﹂に該当するとされた事例 同志社法学 六八巻六号一三九二一三三 たに﹁自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律﹂(自動車運転死傷行為処罰法)が成立し )2
(、危険運転致死傷罪は刑法典から同法に移された。本件で問題になっている﹁赤色信号殊更無視﹂類型の危険運転は、刑法典二〇八条の二第二項後段に規定されていたが、自動車運転死傷行為処罰法では二条五号に規定されている。このように本件判決が下された時点では刑法典に規定されていた危険運転致死傷罪は、現在では刑法典から削除されている。また、二〇一三年の改正によって新たに﹁危険運転﹂に付け加えられた類型もあり、文言にも若干の変更が加えられたが、本件において問題になっている赤色信号殊更無視類型については、成立要件と法定刑が変わらない以上、本罪の解釈に変更はないと解される。したがって、現行法上も、本判決について検討をする意義は認められる。
二 立案担当者の見解 本件は、危険運転致死傷罪のうち、刑法二〇八条の二第二項後段(現行﹁自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律﹂二条五号)にいう﹁赤色信号を殊更に無視し﹂の解釈が問題になった事案である。
赤色信号殊更無視類型の危険運転致死傷罪が成立するためには、赤色信号を﹁殊更に無視し﹂たことが必要である。危険運転致死傷罪制定の過程において、本類型が最初に提示された要綱案では﹁赤色信号に従わず・・・﹂とされていた。しかし、危険運転致死傷罪では、より危険性が高く、反社会性のきわめて高い行為に限定して処罰するとの観点から、法制審議会での議論を経て、﹁赤色信号を殊更に無視し﹂と改められた。﹁赤色信号を殊更に無視﹂するとは、﹁故意に赤色信号に従わない行為のうち、およそ赤色信号に従う意思のないもの﹂をいう。したがって、法制審議会の議論において、立案担当者は、信号の変わり際で﹁赤色信号であることについての未必的な認識が認められるにすぎないような﹂場合などは、ここでの処罰対象から除外されるとの理解を示したのである )3
(。
( )同志社法学 六八巻六号一四〇 対面信号機の赤色表示を認識した時点では交差点手前の停止位置で停止できない場合において、刑法二〇八条の二第二項後段(当時)にいう赤色信号を﹁殊更に無視し﹂に該当するとされた事例 二一三四
三 問題の所在 上述した立案担当者の見解を前提とすれば、赤色信号を﹁殊更に無視﹂するとは、①赤色信号であることの確定的な認識があり、停止位置で停止することが十分可能であるにもかかわらず、これを無視して進行する行為や、②信号の規制自体を無視し、およそ赤色信号であるか否かについては一切意に介することなく、赤色信号の規制に違反して進行する行為がこれにあたる
)4
(。逆に、赤色信号であることの﹁確定的な認識﹂があっても、その時点での急ブレーキ操作によっては停止位置で安全に停止することができない場合には、本類型の罪は成立しないこととなろう )5
(。従来の裁判例をみても、赤色信号を認識した時点で直ちに制動措置をとっていれば停止位置で停止することが可能であったにもかかわらず制動措置を講じなかったことを指摘したうえで本罪の成立を認めてきた )6
(。
本件事案においても、停止距離に言及されているが、本件事案は、被告人が赤色信号を現認した時点で制動措置を講じても停止線の手前で停止することが十分可能であるとは認められず、この典型例には該当しない。そこで、本件のように、赤色信号を認識した時点で制動措置を講じても停止位置で停止することができなかったような場合にも危険運転致死傷罪にいう赤色信号を﹁殊更に無視し﹂たといえるのかどうかがさらに問題になる。
道路交通法七条によれば、車両等は﹁信号機の表示する信号又は警察官等の手信号等(中略)に従わなければならない﹂とされている。さらに、道路交通法施行令二条一項では、﹁赤色の灯火﹂は﹁車両等は、停止位置を越えて進行してはならない﹂とされている。ここで、﹁停止位置を越えてはならない﹂とは、①停止線を越えて進行してはならないということを意味していることは当然であるが、これのみならず、②すでに停止位置を越えて交差点内に進入した車両は、それ以上進行してはならないことも意味していると解するべきなのであろうか。もしそうであるならば、たとえ停止位置を越えたとしても、交差点内での事故発生などの危険が生じないような地点で停止することが可能なのであれば、
( ) 対面信号機の赤色表示を認識した時点では交差点手前の停止位置で停止できない場合において、刑法二〇八条の二第二項後段(当時)にいう赤色信号を﹁殊更に無視し﹂に該当するとされた事例 同志社法学 六八巻六号一四一二一三五 そのことを認識しながら赤色信号を無視して減速しないで進行する場合は、赤色信号無視について積極的な意思が認められ、﹁殊更に無視し﹂に該当すると認められる余地がある )7
(。
四 裁判例
(1)宮崎地判平成一四年一二月二六日 停止線の手前での停止可能性と危険運転致死傷罪の成否について判示したものとして、宮崎地判平成一四年一二月二六日がある )8
(。本件は、運転者が交差点入り口の停止線の約三六・八メートル手前で赤色信号を認め、直ちに制動措置を講じていれば、停止線の手前、あるいは長くても停止線を約二・三メートル越えた地点で停止することが可能であった。裁判所は、こうした客観的な停止位置の認定に加えて、被告人自身もその旨確定的に認識していたにもかかわらず、先を急ぐあまり、横断歩行者の有無については全く考慮を払わず、時速約六五~七〇キロメートルに加速して交差点に進入し、交差点出口の横断歩道を青色信号に従って横断中の歩行者を跳ね飛ばして死亡させたと認定した。そのうえで、このような事情からは、信号に従って通行する自動車や横断歩行者など他者の生命・身体の安全を顧慮する態度を全く見てとることはできず、被告人にはおよそ赤色信号に従う意思が欠けていたといわざるを得ないとして、赤色信号殊更無視類型の危険運転致死傷罪の成立を認めている。(2)高松高判平成一八年一〇月二四日 また、高松高判平成一八年一〇月二四日でも、同様の点につき判断が示された )9
(。本件の事実の概要は以下のとおりである。被告人は、自動車を時速約六〇キロメートルで運転し、交差点に接近したが、交差点の対面信号機を見ることなく、その先の交差点の対面信号機を見ながら進行していた。被告人は、交差点手前の停止線から約三一・四メートルの地点で対面信号機の赤色表示に気付き、この時点で急ブレーキをかければ停止線をタイヤ一個分越えた位置で停止できるであろうと考えたが、交差道路を進行する車両や歩行者がいないように見
( )同志社法学 六八巻六号一四二 対面信号機の赤色表示を認識した時点では交差点手前の停止位置で停止できない場合において、刑法二〇八条の二第二項後段(当時)にいう赤色信号を﹁殊更に無視し﹂に該当するとされた事例 二一三六
えたことや、先を急いでいたことなどから、時速約六〇キロメートルを維持したまま本件交差点に進入し、道路上を横断している自転車に衝突させ、被害者に全治約一〇日間を要する顔面挫創等の傷害を負わせた。ところが、本件の車の停止距離を算出すると、約三六・九一メートルで、被告人が信号機の赤色表示に気付いたのが停止線の手前約三一・四メートルの地点であったから、この地点で急ブレーキをかけても、停止線の手前で停止できない可能性があり )₁₀
(、赤色信号殊更無視類型の危険運転致死傷罪の成否が争われた。高松高等裁判所は、道路交通法施行令二条一項を﹁停止線を越えることのみを禁ずるのだとすると、本件の場合、被告人が、赤色信号に気付いた時点で、直ちに急ブレーキをかけたとしても、停止線を越えざるを得なかったのであるから、被告人運転車両が停止線を越えたことのみをもって、直ちに、被告人が、故意に赤色信号に従わなかったものと評価することはできない。しかしながら、上記法令の趣旨に照らすと、少なくとも、被告人運転車両のような直進車両に対する赤色信号の意味は、停止線を越えた後も、なお、その進行を禁ずるものであると解するのが相当である。したがって、本件赤色信号に気付いて急ブレーキをかけることにより停止可能な位置を越えて自動車を進行させた被告人の行為は、故意に赤色信号に従わずに自動車を運転したものと評価することができる﹂と判示し、被告人が故意に赤色信号を無視したと認定した。そのうえで、次に、これが﹁殊更に﹂なされたものであるかどうかを検討している。この点については、①被告人が信号を見た際にはすでに赤色信号であり、赤色信号に従う必要性が高い状況にあったこと、②被告人は急ブレーキをかければ停止線ぎりぎりかそれをやや越える位置で停止できると考えており、また、停止することで他の交通を阻害するなどの事態を招きかねないとも考えておらず、赤色信号に従うことについて心理的な障害となるべきものはなかったこと、③被告人は止まるのが面倒だった、早く目的地に着きたかったという動機から赤色信号を無視したこと、④他者への危険について配慮を全く欠いた態様で自動車を運転していたと認められることなどを指摘し、こうした被告人の行為はおよそ赤色信号に従う意思のないものにあた
( ) 対面信号機の赤色表示を認識した時点では交差点手前の停止位置で停止できない場合において、刑法二〇八条の二第二項後段(当時)にいう赤色信号を﹁殊更に無視し﹂に該当するとされた事例 同志社法学 六八巻六号一四三二一三七 ると解するのが相当であるとして、赤色信号﹁殊更無視﹂類型の危険運転致死傷罪の成立を肯定した )₁₁
(。裁判所は、赤色信号を認識し、客観的にみて交差道路を走行する車両の通行を妨害し、危険を生じさせるような状況にない位置に止まることが可能であるにもかかわらず、そのまま直進することは、﹁仕方がない﹂レベルにあるとはいえず、それ自体が、﹁およそ赤色信号に従う意思のないもの﹂といえ、赤色信号を﹁殊更に無視し﹂にあたると判断しており、実質的な観点から、あえて赤色信号を無視したといえるような積極的な要素があるかどうかを判断したものと解される )₁₂
(。つまり、裁判所は、形式的に停止線で停止することが十分可能であるかどうかだけで判断しているわけではないことが分かる。
(3)最決平成一八年三月一四日 なお、事故を起こした地点が停止線を越えていたかどうかが実況見分調書からも不明であり、被告人車両が停止線相当位置 )₁₃
(を越えていたかどうかが明らかにされなかったことから、﹁赤色信号殊更無視﹂類型の危険運転致死傷罪の成否が争われたものとして、最決平成一八年三月一四日がある )₁₄
(。本件は、被告人が乗用車を運転して交差点に差し掛かり、右折車線に入って先行車両二台に続いて赤色信号に従って停止したが、この交差点は変則的な五叉路であるため赤色信号表示時間が長く、そのことを知っていた被告人が青色になるのを待ちきれずに、右折するべく対向車線に入った。そこに、青色信号に従って左折してきた車と衝突して停止し、相手車の運転者・同乗者に加療八日間の傷害を負わせたというものである。仮に、被告人車両が停止線相当位置を越えておらず、交差点に進入していないのであれば、赤色信号の提示する﹁停止線を越えて進行してはならない﹂という規範に違反する事態は実現されていない。したがって、被告人の実現した交通違反は逆走だけであって、信号無視は既遂に達していないため、道路交通法上の赤色信号無視罪は成立せず、危険運転致死傷罪にいう危険運転という基本行為が存在しないとも考えられる )₁₅
(。上告趣意において弁護人は、本件の事案で、たとえば、先行停止車両がなく、対向車線に進出することなく自車線上を進行していたならば、本件のような左折対向進行車との衝突事故は起きなかったのであるから、本件事故は反対車
( )同志社法学 六八巻六号一四四 対面信号機の赤色表示を認識した時点では交差点手前の停止位置で停止できない場合において、刑法二〇八条の二第二項後段(当時)にいう赤色信号を﹁殊更に無視し﹂に該当するとされた事例 二一三八
線逆走の結果生じたものであって、赤色信号殊更無視との因果関係がないと主張した。
この上告を受けた最高裁判所は、衝突場所について、第一審・控訴審判決では見られなかった﹁同交差点入口手前の停止線相当付近において﹂という文言を付加した。これは、道路交通法(以下、道交法)上の赤色信号無視罪が既遂に近い段階に達していたことを示唆したものといえよう。つまり、道交法上の赤色信号無視罪には未遂罰則がないので本件においては赤色信号無視罪としての可罰性はないものの、赤色信号殊更無視という要素の充足に十分な客観的危険は存在すると認め )₁₆
(、そのうえで、﹁対面信号機の赤色表示に構わず、対向車線に進出して本件交差点に進入しようとしたことが、それ自体赤色信号を殊更に無視した危険運転行為﹂であるとの結論に達したものと思われる。このように、最高裁判所は、仮に停止線相当位置を越えておらず道交法上の赤色信号無視罪が既遂に達していなかったとしても、本罪の危険運転行為にはあてはまり、そこから死傷結果が生じた場合には、危険運転致死傷罪が成立すると解しているのである )₁₇
(。(4)裁判所の姿勢 以上の考察も踏まえたうえで、赤色信号殊更無視類型の事案をめぐるこれまでの裁判例をまとめてみたい。信号機が赤色表示であれば、停止線の手前で停止しなければならないのが原則である。しかし、いったん停止線を越えてしまえば対面信号機の赤色表示に関わらず進行してもよいとしているわけではなく、道路交通の安全、秩序の維持という道交法の趣旨に照らせば、赤色信号の意味は、停止線を越えた後も、なお、その進行を禁ずるものであると解するのが相当である )₁₈
(。それゆえ、たとえ赤色信号を認識した時点で急制動措置を講じても停止線の手前では止まることができない場合であっても、停止線を越えた位置で停止することが特段の危険を生じさせず、運転者自身も交通の安全性に支障なく止まることができると認識している場合には停止措置を講じなければならない。それにもかかわらず、赤色信号に従わず停止措置を講じないで進行した場合には、赤色信号を﹁殊更に﹂無視したと評価される )₁₉
(。つま
( ) 対面信号機の赤色表示を認識した時点では交差点手前の停止位置で停止できない場合において、刑法二〇八条の二第二項後段(当時)にいう赤色信号を﹁殊更に無視し﹂に該当するとされた事例 同志社法学 六八巻六号一四五二一三九 り、裁判所は、﹁赤色信号殊更無視﹂に該当するかどうかを判断する際に、停止線の手前で停止することに重要な意味を見出していないのである。換言すれば、停止線の手前で停止しなかったことや交差点に進入したことは、この類型の危険運転致死傷罪が成立するための必須条件とはされていないのである。たしかに、裁判例で赤色信号の殊更無視類型の犯罪事実として、対面信号機が赤色を表示しているのを交差点の停止線手前で認め、停止線の手前で停止することができたにもかかわらず、これを殊更に無視し、交差点内に侵入した点が記載されている例は少なくないが、こうした記載は、﹁殊更に﹂無視したことを明らかにすることを意識したものであるとの見方もある )₂₀
(。なるほど、危険運転行為は、あくまで交通取締法違反それ自体としてではなく、人の死傷の結果を発生させる実質的危険性を有するものとして類型化されたものであることにかんがみれば、道交法違反の罪の成否が危険運転致死傷罪の成否を画する必然性はないであろう )₂₁
(。むしろ、これまでの裁判例を見てみると、裁判所が、危険運転致死傷罪の成否を判断するにあたっては、﹁被告人車両の停止地点における交通の危険の有無を重要な判断要素として )₂₂
(﹂きたことがうかがえる。
五 本件事案の検討
本件において被告人は、停止線の約四一メートル手前の地点で信号機が黄色から赤色に変わるのを現認している。それにもかかわらず何ら停止措置を講じることなく進行しているのであるから、被告人は、少なくとも赤色信号を故意に無視したということには争いはない。それでは、被告人の赤色信号無視が﹁殊更に﹂なされたものであるといえるのであろうか。
本件控訴趣意において、弁護人は、被告人が赤色信号を認識した時点で急ブレーキをかけたとしても、停止位置の手
( )同志社法学 六八巻六号一四六 対面信号機の赤色表示を認識した時点では交差点手前の停止位置で停止できない場合において、刑法二〇八条の二第二項後段(当時)にいう赤色信号を﹁殊更に無視し﹂に該当するとされた事例 二一四〇
前で停止することはできなかったから、赤色信号を﹁殊更に無視し﹂たとはいえないと主張しているが、東京高裁は、これを排斥し、以下のように判示した。そもそも、停止位置で停止する可能性が問題とされるのは、道交法施行令二条一項において、赤色信号の意味として車両等が停止位置を越えて進行してはならない旨定められているからである。しかし、﹁停止位置で停止できず、それを越えて進行する車両に対し、赤色信号が何も規制しないということではなく、停止位置を越えて進行することを禁じる赤色信号の意味は、単に停止位置を越えることを禁じるのみならず、停止位置を越えた場合にもなお進行を禁じ、その停止を義務付けるものである﹂。刑法上の危険運転致死傷罪における﹁殊更無視﹂の解釈にあたっては、﹁停止線で停止できたか否かが決定的な意味を持つものではなく、本件停止線で停止できないことから直ちに赤色信号の﹃殊更無視﹄が否定されるものではない﹂という姿勢を示したのである。これは、上述した従来の裁判例の姿勢を踏襲したものであるといえよう。
そのうえで、裁判所は、①被告人が遅まきながらも停止措置を講じていれば、当該トラックは停止線を越えたとしても、本件交差点内の横断歩道等の手前で停止することが可能であること、②交差点内の停車については危険を防止するため一時停止する場合は禁止の例外とされているが、本件事故当時、本件交差点内で停止することになってもほかの車両の通行を妨げるおそれはなく安全に停止することができ、﹁これによって本件交差点内での事故発生などの危険が生じる可能性はまずなく、かつ本件交差点での衝突事故を回避できる状況にあ﹂ったこともあわせて指摘している。
もし仮に、赤色信号を認識してからブレーキを最大限踏んだとしても、もはや事故が回避できなかったのであれば、結果回避可能性がないとして、死傷結果との因果関係ないしは危険運転類型該当性が否定される余地がある )₂₃
(。また、本件被告人が停止線を越えて交差点内にとどまった場合、かえって、青色信号に従って進行する車両や歩行者の妨げとなる状況にあったのであれば、対面信号の赤色表示にもかかわらず、さらに当該交差点内を進行しても、場合によっては
( ) 対面信号機の赤色表示を認識した時点では交差点手前の停止位置で停止できない場合において、刑法二〇八条の二第二項後段(当時)にいう赤色信号を﹁殊更に無視し﹂に該当するとされた事例 同志社法学 六八巻六号一四七二一四一 本類型の罪の基礎をなす道交法上の赤色信号無視の罪の違法性ないし責任が阻却される可能性もあろう )₂₄
(。しかし、本件はこのいずれにも該当しないことが明示されているのである。このことは、すなわち、本類型の﹁殊更に﹂を肯定することと同義であり、本類型の構成要件該当性が認められることを示唆しているといえよう。
本件は、赤色信号を認識した地点で急制動の措置を講じていれば、停止線を少し越えたとしても横断歩道の手前で停止することができたし、後続車が追尾していたなど、停止可能な位置で停止することの妨げとなる事情も認められないにもかかわらず、停止措置を講じることなく、赤色信号を確定的に認識しながら、制限速度を約二〇キロ超過する速度で交差点に進入したものである。こうした被告人の行為について、裁判所は、赤色信号殊更無視の解釈において、停止線で停止することが可能か否かが決定的な意味を持つものではないと示したうえで、﹁赤色信号殊更無視﹂に該当するとの結論を下した。本件被告人の運転は、カーチェイスなどの典型的な無謀運転ではないが、赤信号﹁殊更無視﹂に該当すると判断した裁判所の判断はこれまでの裁判所の姿勢に沿うものであり、妥当であると思われる )₂₅
(。
六 「
殊更に」の意味の再検討
赤色信号を﹁殊更に無視し﹂とはどのようなケースを指すのか。これまでの裁判例を踏まえて再度検討してみたい。 前述したように、立案担当者は、本罪の処罰の対象になるのは、故意の赤色信号無視のうち、赤色信号について確定的認識があるにもかかわらず、無視して進行する場合をいい、未必的な認識が認められるに過ぎない場合などを除外する趣旨で、﹁赤色信号に従わず﹂とされていた原案を改めたと説明している )₂₆
(。
しかし、この点については、本罪の制定当初から、主観的要件による処罰範囲の限定が機能しうるのか、という問題
( )同志社法学 六八巻六号一四八 対面信号機の赤色表示を認識した時点では交差点手前の停止位置で停止できない場合において、刑法二〇八条の二第二項後段(当時)にいう赤色信号を﹁殊更に無視し﹂に該当するとされた事例 二一四二
が指摘されていた )₂₇
(。つまり、行為者の主観が未必的認識である場合は処罰の対象から除き、確定的認識がある場合のみを処罰の対象とするという立案担当者の趣旨は、﹁殊更に﹂という要件によって果たされるのか、という指摘である )₂₈
(。
前述したように、﹁殊更に﹂という要件は、単なる﹁信号無視﹂では処罰範囲が広すぎるため、きわめて悪質かつ危険な運転行為に限定する趣旨で付け加えられたものである。したがって、﹁交差点の直前で信号が赤に変わったことを認識したが、そのまま漫然と自車を進行させた、というような場合 )₂₉
(﹂や、﹁赤色信号であることの﹃確定的な認識﹄があっても、その時点での急ブレーキ操作によっては安全に停止することが不可能な場合 )₃₀
(﹂には、赤色信号について確定的認識があるが、処罰対象から除外すると解するのが立案担当者の趣旨に沿った理解であろう )₃₁
(。
他方、赤色信号について未必的な認識しかない場合でも、本罪の処罰対象とすべきケースもありうる。上述した立案担当者の説明によれば、信号の規制自体を無視し、およそ赤色信号であるか否かについては一切意に介することなく、赤色信号の規制に違反して進行する行為も、処罰の対象とするとの見解を示している )₃₂
(。交差点に差し掛かって信号機があることを把握すれば、通常は、それが赤色信号を含めたおよそどれかの色を表示していることの認識、言い換えれば﹁赤色かもしれないことの未必的な認識﹂があるはずである。したがって、﹁赤だろうが黄色だろうが青だろうが、何しろ突っ走る、まったく信号など見ない )₃₃
(﹂という時でも未必的認識が認定される余地はあろう。このケースでは、行為者の主観は未必的な認識であるが、信号表示を一切意に介することなく、全く信号に従う意思がなければ、交差する道路を通行する自動車や歩行者等に対し危害を加える可能性が非常に高い。赤色信号を確定的に認識して交差点に進入する行為と比較しても、悪質性、危険性が少ないとはいえず、むしろ、それ以上に危険だということもできる )₃₄
(。この点については、裁判所も同様の姿勢を示している。交差点の停止線の手前約一七〇メートルの地点で、対面信号機が黄色を示していたのは確認したが、その後信号機の表示を確認しないまま交差点に進入した行為につき、交差点の手前で黄色表
( ) 対面信号機の赤色表示を認識した時点では交差点手前の停止位置で停止できない場合において、刑法二〇八条の二第二項後段(当時)にいう赤色信号を﹁殊更に無視し﹂に該当するとされた事例 同志社法学 六八巻六号一四九二一四三 示を確認しているのであるから、その後まもなく赤色に変わることを認識したというべきであり、それにもかかわらず、黄色表示を確認した後、数十秒もの間信号の表示を全く確認しないまま交差点に進入した被告人は、交差点に進入する際には対面信号機は赤色を表示していることを認識しながら、これを意に介さず、たとえ信号機が赤色を示していたとしても、これに従わずに進行したものであるから、被告人の行為は赤色信号殊更無視に該当するとしている )₃₅
(。また、平成二〇年の最高裁判所決定も、﹁赤色信号殊更無視﹂に赤色信号であることの確定的認識は不要とし、未必的認識しかなくても本罪の成立を肯定している。すなわち、信号が何色であろうと、信号の表示自体に従う意思がなければ、赤色であるということを確定的に認識していなくても赤色信号を﹁殊更に無視し﹂に該当すると判示し )₃₆
(、立案当局と同様の見解をとることを明示している )₃₇
(。
こうしてみると、確定的認識があったとしても本罪の処罰対象から除外されるケースや、反対に、未必的認識しかなくても処罰すべき場合もあり、﹁殊更に﹂の解釈として、確定的認識か未必的認識かという主観的要件を、赤色信号殊更無視類型の該当性を判断する際の限定要素として理解することには限界があるように思われる。
そこで、赤色信号殊更無視類型の危険運転致死傷罪の成否を検討するにあたっては、実際には﹁確定的認識か未必的認識か﹂という二者択一的な基準を立てるのではなく、前提となっている客観的な走行態様(たとえば、いわゆる無謀運転であったか否か)や、行為の前段階を含めた周囲の状況(たとえば、逃走や競争を続けていたか否か)こそが重要であるとの指摘や )₃₈
(、﹁殊更﹂の文言に、赤色信号無視に関する確定的故意に加え、客観的限定要素を読み込むことで処罰範囲を適正化すべきであるとの指摘もある )₃₉
(。これらの客観的な事情を判断基準とすることによって、事実を裏づける客観的な証拠が集積されることになる。具体的には、赤色信号殊更無視類型の危険運転致死傷罪の捜査では、実況見分において、現場道路の状況、立会人の指示説明による地点の特定、現場の痕跡、運転車両の状況などが確認され、取調
( )同志社法学 六八巻六号一五〇 対面信号機の赤色表示を認識した時点では交差点手前の停止位置で停止できない場合において、刑法二〇八条の二第二項後段(当時)にいう赤色信号を﹁殊更に無視し﹂に該当するとされた事例 二一四四
べにおいて、前科・前歴・行政処分歴、運転免許・運転経験、事故発生日時・場所・天候、運転目的・経路、事故前の心身状況、事故発生時の状況、被害状況、事故原因、事故後の措置、示談関係などが調べられ、速度鑑定による事故時の速度の特定や、目撃者などの参考人の事情聴取と立会による事故現場の実況見分などが行われる )₄₀
(。もちろん、取調べにおいて、行為者の赤色信号についての認識も問われるが、それは、前述したような捜査結果による客観的な裏づけがあってのことであろう )₄₁
(。
七 本決定の射程範囲
最後に、本決定の射程範囲について検討しておきたい。赤色信号を認識した時点で急制動措置を講じても停止線の手前で停止することができないケースについて争われた裁判例では、本件を含め、裁判所は、停止可能位置で停止することによって交通の危険を生じなかったという点も加味したうえで、赤色信号殊更無視類型の危険運転致死傷罪の成立を肯定している。したがって、この危険性があると認定されるケースにおける本罪の成否については、別途検討が必要になるものと思われる。たとえば、交差点の直前で赤色信号を認識したが、高速度で運転しているため、その時点で急制動措置を講じても停止線の手前あるいは停止線を少し越えた地点で﹁安全に﹂停止することができなかったのでそのまま高速度で進行したようなケースである。このような場合には、赤色信号を認識した時点で急制動措置を講じても﹁安全に﹂止まることができないので、赤色信号﹁殊更無視﹂には該当しないことになるのであろうか。そうであれば、停止線の手前あるいは停止線を少し越えた地点で﹁安全に﹂止まることができる速度で走行していて、赤色表示にしたがわずに進行した場合には﹁殊更無視﹂類型に該当するのに対して、﹁安全に﹂止まることができないような高速度で運