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真宗研究56号 003佐波 真「如来興世の正説――「教文類」における『平等覚経』をめぐって――」

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Academic year: 2021

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全文

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}\、

如来興世の正説

||﹁教文類﹂における

高田派

盲 ァ て 問題提起 ﹁顕浄土真実教行証文類﹂︵以下、﹃教行証﹄と略称︶は、その大部分が、題名にある﹁丈類﹂という引証経論と 呼 ぴ 習 わ す 引 用 文 で あ る 。 ︵ l ︶ この﹁丈類﹂について、中井玄道校訂﹃教行信証﹂には、その形態などから、七つに分類する。この分類は﹃教 行証﹂において、経典などを一般的と言われる読み方を変えたり、時には経典の文字を変え、文章を入れ替えるな どしていることに基づくものである。 このような﹁文類﹂の中には、それが意図的なものか、意図せざるものか、容易に判断できないものもあり、従 来から難解とされる所が多くある。 今回取り上げる﹁顕浄土真実教文類﹂︵以下、﹁教丈類﹂︶の﹃平等覚経﹄は、従来から疑問が持たれ、訓読や用 いられた文字を、経典の原文に戻し、理解されることが多くある。

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そこで、まず﹃教行証﹂﹁教丈類﹂における﹃平等覚経﹂ の訓読や文字の相違を確認し、このことに疑問を示し た慧雲の﹁教行信証紗﹄などの解釈を見通し、次に﹁大経﹂と岡本異訳の経典の発起序を対照して確認し、﹁教文 類﹂のそれぞれの経典から類表された箇所と慣興師の﹁述文賛﹄を確かめ、﹁教文類﹂における﹃平等覚経﹄ の 司|| 読や文字が持つ意味を明らかにしたい。

原典と﹁教文類﹂

まず、原典では、次のようになっている。 倒語阿難。如世間優曇鉢樹。但有賓無有華。天下有悌。乃有華出耳。世間有働甚難得値。今我作傍出於天下。 若有大徳聴明善心。珠知例意。若不忘在悌漫侍偽也。若今所問善悪諦聴。 ︵ 傍 線 筆 者 ﹁ 大 正 蔵 ﹂

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では、対校本による異なりはないが、﹃高麗大蔵経﹂︵第六巻九七九頁 C ︶ では、傍線部が﹁妄﹂とな そ し て 、 ﹁ 教 丈 類 ﹂ で は 、 ク ハ ク ニ シ ニ リ テ ミ シ コ ト ニ マ ン マ ス シ ノ ツ ル カ ナ ラ ク ノ ミ ニ マ ン マ セ ド モ タ シ 平 等 質 経 言 偽 告 一 阿 難 一 如 下 世 間 有 一 一 優 曇 鉢 樹 一 但 有 一 一 賓 一 元 三 有 二 華 一 天 下 有 二 悌 乃 華 出 上 耳 世 間 有 二 悌 一 甚 難 三 コ ? マ コ ト ヲ テ ニ タ リ テ ニ シ テ テ ニ ヲ シ ス ハ レ テ ニ ツ カ ヘ タ マ フ ニ シ ヘ ル ク 得 一 一 値 一 今 我 作 悌 一 出 三 於 二 天 下 一 若 有 一 大 徳 一 聴 明 善 心 縁 知 二 偽 意 一 若 不 二 妄 一 在 二 例 謹 一 侍 一 一 悌 一 也 。 若 今 所 一 間 一 普 キ 、 ニ ケ ト 1 6 聴諦聴正 ︵ ﹃ 定 本 ﹄ 一 四 頁 ︶ で あ る 。 この原典との訓読の相違として従来問題となるのは、﹁若﹂の字について、 一般的には﹁ナンヂ﹂と読むのに対 如来興世の正説 九

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如来輿世の正説

して、﹁教文類﹂では、最初の﹁若﹂には、送り仮名がないものの、後の二つには、﹁シ﹂と送り、すべて﹁モシ﹂ と読んでいると考えられる点である。 字句の相違は、原典の﹁悌語阿難﹂が﹁悌告阿難﹂、﹁橡知備意﹂が﹁縁知悌意﹂、﹁若不忘﹂が﹁若不妄﹂、﹁善 聴 ﹂ が ﹁ 普 聴 ﹂ で あ る 。 現在、﹃教行証﹂が原本とした経典は特定されておらず、この字句の相違が、何に基づくのか、断定はできない が、解釈するにあたっては、多くの場合、元の経典に戻して理解される。そこには、いかなる理由があったのであ ろ 、 っ か 。

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﹃平等覚経﹄解釈をめぐって

六 九 一 年 ︶ ﹁教文類﹂の﹃平等覚経﹂に疑問を示した最初のものと思われるのが、高田派の京都本誓寺恵雲︵一六一一一一 j il

の註釈書は﹃六要紗﹂の他 の ﹃ 教 行 信 証 紗 ﹄ ︵ 一 六 八 五 年 著 、 翌 年 刊 行 ︶ で あ る c 出 版 当 時 、 ﹁ 教 行 証 ﹄ にはほとんどない状況の中、多くの学匠によって読まれ、少なからず影響を与えたことは、江戸期の講録などによ っ て 窺 え る 。 まず、﹃教行信証紗﹄が用いた ﹃ 教 行 証 ﹄ の本文について確認しておきたい。なぜなら、当時は今日のように、 真蹟本またはそれに準ずるものを参照できる状況にはなく、主に刊本などを用いるなどの点から、﹃教行証﹂本文 の信頼度が、解釈に影響を与えているとも考えられるからである。 ﹃教行信証紗﹄が用いた﹃教行証﹄の本文について、真岡慶心氏は、鈴木法深氏が、﹁恵雲は本典と六要との会本 を製し﹂とするのに対して、六要会本とはその性格が異なるため、﹁ある一本を底本として、古本、異本を示し六

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要を批判しっ、私解を施している﹂とし、恵雲が当時の ﹃ 教 行 証 ﹄ の刊本、寛永、正保、明暦、寛文の四本を異本 として挙げるものの、底本ではないとする。そして坂東本、西本願寺本、六要会本とも相違するとして、高田系統 の﹃教行証﹂を底本としたであろうと推定する。 さらに同氏は、悪雲が専修寺第十四世嘉秀上人が高田勤行本を製定される際、編集の任を命ぜられたり、本山御 影堂の慶讃法会の表白丈の起草を命ぜられるなど、多くの業績を残していることから、高田の宝庫にあったものを 底本にしているのではないかと推測する。 高田の宝庫︵現在の宝物館︶ で、確認されている﹃教行証﹄には、専修寺本﹃教行証﹄︵真悌上人筆︶のほか、 古写本﹃教行証﹄二本がある。いずれも正応四年刊行の坂東本に基づく古写本で、うち一本が慶長五年の写本であ り、その総題と﹁教文類﹂が嘉秀上人の筆になる。先の真岡氏の見解に従えば、恵雲はこれを見ている可能性はあ る と 考 え ら れ る 。 では、﹁大無量寿経綿一長繍﹂の文の位置について、序と標列の間にあるものを異本とし、 ﹁教文類﹂の題号と本文の聞に置かれるものを古本とする。この記述に拠れば、専修寺本﹁教行証﹂は異本に相当 し、亮秀上人筆の古写本は古本に相当することから、底本とは考えにくい。 また、津市一身田町智恵光院旧蔵の恵雲の自署名がある﹁善信聖人伝絵紗﹄の裏表紙見返しに記された墨跡に ﹁吉本教行信詮ノ奥云:::﹂とあり、この後に記載される奥書は、専修寺本﹁教行証﹂と一致することから、この 奥書では、専修寺本を古本としたことがわかる。この墨跡は恵雲のものか不明であるが、恵雲の墨跡であれば、 ﹃教行信証紗﹄の執筆後、専修寺本を見たのか、あるいは専修寺本の奥書のみを見て本文を見なかったのか、もし し か し 、 ﹃ 教 行 信 証 紗 ﹂ くは専修寺本を時には古本として扱ったり、異本として扱ったのか問題が残る。 '-- -(1) ﹃ 教 行 信 証 紗 ﹂ の底本は、先の真岡氏の論文には、﹁ある一本を底本として﹂とあるが、今日では当時の刊 如来興世の正説

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如来興世の正説 本の不備が指摘されるので、それらを含め考えなければならない。またこの問題は、﹃教行証﹄ の本文全体を精査 すべき問題であり、慎重に判断する必要があろう。 今、ここで問題となる﹁教丈類﹂ ニ ノ タ マ ハ ク 平等質経言 ハ タ ニ シ ニ ル カ タ テ ミ シ コ ト ニ マ シ マ ス チ ノ イ テ タ ル ノ ミ ニ マ タ ン コ ト コ ト ヲ マ レ テ シ テ 備 告 一 一 阿 難 如 三 世 間 有 一 一 優 曇 鉢 樹 一 但 有 レ 賓 一 無 レ 有 レ 華 天 下 有 レ 悌 乃 華 出 耳 世 間 有 レ 傍 甚 難 ν得レ値今我作悌 タ リ ニ ナ ン チ テ ニ ン テ レ リ ヲ ナ ン チ ニ ン テ テ ニ ソ カ ヘ ﹁ ル ニ ナ ン チ ロ ヘ ル ク キ 、 ア キ ラ カ ニ キ ケ 1 9 出二於天下若有二大徳一聴明善心縁知一一例意一若不忘在二例違一侍レ悌也。若今所レ問普聴諦聴正 ﹃ 平 等 覚 経 ﹄ に つ い て 見 れ ば 、 ﹃ 教 行 信 証 紗 ﹄ で は 次 の よ う に 示 す 。 ︵ ﹃ 教 行 信 証 紗 ﹄ ﹁ 教 文 類 一 抄 ﹂ ︶ まず﹁若﹂は、坂東本や専修寺本、西本願寺本、当時の刊本四本がいずれも、若には送り仮名が﹁シ﹂とあるの に対し、ここでは、﹁ナンヂ﹂とある。そして註釈では、 若 と は 汝 に 訓 ず 。 ︵ 原 漢 文 ﹃ 教 行 信 証 紗 ﹄ ﹁ 教 丈 類 一 抄 ﹂ ︶ とだけあり、その理由などは一切示さない。この表現と異本、古本あるいは流布の丈類を提示しないことから、汝 と訓じた写本が当時あったというよりも、意味が通じないと判断し、﹁ナンヂ﹂としたと考えてよいのではないか。 次に、﹁縁﹂は、本文では、﹁縁﹂の字を用いるが、訓は付けず、右側に﹁橡イ﹂と記す。そして註釈では、 聡明善心にして務め悌意を知れりとは、諜とは先だってなり。迦識の訳の経に橡と為す、阿難の請聞に称へり。 但し縁の字は本は縁慮の義なり。縁は固なり。能縁の義なり。 ︵ 同 ︶ とあり、﹁珠﹂は経典にあり、阿難の問いに﹁橡﹂があてはまるとしながらも、縁の字義を確かめ、否定はせず、 ﹁ 珠 ﹂ と す る 。 ﹁妄﹂は、本文で﹁不忘にして﹂とし、註釈では、

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ナンヂ 若不忘にして、備漫に在て悌につかへたてまつるなりとは、不忘とは阿難の徳なり。 として、さらに﹃浄名疏﹄を引き、阿難の徳に不忘禅があることを一不すなどして、阿難の徳として﹁不忘﹂であっ ︵ 同 ︶ たからこそ、備に侍したことを明かし、 流布の丈類には不妄に作す。迦識の覚経にも不妄に作す。経本の不同なり。 とする。この﹁不忘にして﹂と読むのは、﹃教行信証紗﹄だけであるが、﹁忘﹂にする根拠として示された事柄は、 その後も踏襲されている場合も多い。 ︵ 同 ︶ 以上が﹁教行信証紗﹄にて問題とされた事柄である。これらを見ていくと、本文と解釈で異なりがあって両方の 意味を読み取ろうとしたり、意味を重視して、訓を意図的に変えていると思われる点が特徴的である。 そ の 後 、 こ の ﹃ 平 等 覚 経 ﹂ の問題は多くの学匠によって、考察されているが、中でも、触れておくべきことにつ い て 、 見 て お き た い 。 ︵ 叩 ︶ ﹁若﹂では、﹁モシ﹂と訓ずれば﹁不定辞﹂とし、汝の訓は、阿難を指すとの指摘がある。これに拠れば、この箇 所は﹁阿難聡明﹂を明かすとし、具一体的には阿難は備の教化を助けると位置づけることから、﹁モシ﹂では、阿難 を聡明とする意味が見えにくくなる。現に聡明であったからこそ問うことができた。それを﹁モシ﹂とするなら、 誰を指すのか定まらず、さらに﹁聡明量宜中心﹂であれば、ということであるなら、意味が通りにくくなるとのことと 考 え ら れ る 。 ﹁珠﹂と﹁縁﹂では、﹁珠﹂であれば、﹃大経﹂﹁我心念言﹂などの文意を指し、﹁縁﹂であれば﹁縁因﹂であると の指摘がある。これは、﹃教行信証紗﹄とほぼ同意であるが、﹃大経﹂と合わせて考えており、この丈をどのように ︵ ロ ︶ 位置づけたかを見ていく上で、注目すべきであると考える。 知来輿世の正説

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如来興世の正説 四 ﹁妄﹂については、まず訓読について見たい。坂東本、専修寺本、西本願寺本の三本は同じで﹁妄﹂に﹁レ﹂と 送る。刊本では、明暦本も同様であるのに対し、寛永、正保本は、﹁忘﹂とする。寛文本は﹁亡主であるが、﹁ミダ リニ﹂である。この﹁ミダリニ﹂の訓では、寛文本によれば、﹁妄りに悌辺にありて備につかへず﹂となっている。 ﹁妄﹂では、﹁忘﹂と意味が通ずるとして、あるいは、﹁妄﹂に﹁ワスレ﹂と振り仮名を付す本によって、﹁忘﹂の 字として解釈し、さらに、﹃大経﹄東方偏︵往観偶︶﹁開法能不忘﹂との関わりで理解するものもある。 また﹁妄﹂は、﹁乱也﹂とその意味を指摘するものがある。これは、﹁乱﹂の意であるため、意味が通じないと判 断 し 、 ﹁ 忘 ﹂ を 用 い る と い う こ と で あ ろ う 。 ﹁妄﹂として解釈する中に、﹁妄﹂は﹁虚妄﹂の意とし、﹁阿難多聞侍悌不虚妄故﹂とその意味を見ているものが ︵ 出 ︶ ある。これは、﹁侍悌﹂に関わる事柄として、注目すべきであると考える。 ︵ 同 ︶ ﹁亡主であっても、﹁妄リニ﹂と﹁妄レ﹂と読む場合とで、意味は異なる。これは ﹃ 平 等 覚 経 ﹄ の丈類をどう位置 づけるかに関わる事柄であり、後に論じる。 原典と﹃教行証﹄との相違で、﹃教行信証紗﹄では触れないのが、経典は﹁善聴﹂、﹁教丈類﹂は﹁普聴﹂とする 箇 所 で あ る 。 そ の 後 の 解 釈 で は 、 特 に 理 由 が 述 、 べ ら れ な い ま ま 、 経 典 に 拠 っ て 、 ﹁ 善 ﹂ に 一 反 さ れ る 場 合 が 多 い 。 ﹁普﹂についての見解では、﹃大経﹂の﹁開化一切諸天人民﹂に拠り、普く聴かしめんがために阿難へ告られたと して、さらに﹃法事讃﹄﹁釈迦如来告身子町是普告苦衆生﹂︵傍点筆者﹃真聖全﹄一|五九六頁︶を根拠として、そ の意味を明らかにしてい

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こ の 指 摘 に 拠 れ ば 、 ﹁ 並 日 ﹂ だ け で な く 、 経 典 で は 、 ﹁ 倒 語 阿 難 ﹂ ﹁ 善 聴 諦 聴 ﹂ と あ る の に対し、﹁教丈類﹂が、﹁悌告阿難﹂﹁普聴諦聴﹂とあることの意図を読み取ることができるであろう。 ここまで、﹃平等覚経﹄の訓や文字に対する見解を見てきたが、そこには、経典の丈言に戻して解釈する場合と、

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﹁教文類﹂の訓、文字を尊重して解釈する場合の両論あるが、この箇所を丈類する意図を、阿難を讃ずるためとす ることには変わりがないと思われる。 その意図からすれば、﹁教文類﹂の訓、文字のままでは、意味が通りにくいため、汝と訓じ、経典の文言に一民す ︵刊日︶ などして理解する見解と、あくまでも﹁教文類﹂の訓、文字を尊重し、忠実に読もうとする見解とに分かれる c その際、どちらを重視するか、そのポイントを見ると、﹁教丈類﹂に示されたように読む場合は、﹁祖意﹂として 一方経典に一民す方では、﹁教丈類﹂の訓点と経典を念頭に置いた訓点を比較し、意味 親驚聖人の読みを重視する。 が通りやすいと判断した上で、経典の文脈を念頭に置いた訓点を重視するように見受けられる。 ここに、従来の﹁教丈類﹂の﹃平等覚経﹄解釈を読み解く鍵があるように考えられる。 そこで次に、﹃大経﹄と岡本異訳の経典が、発起序で何を問題としているかを、見ていくこととする。 原典の

﹁大経﹄と岡本異訳における発起序

﹁大経﹄と異訳の経典の発起序を見ていくにあたり、従来、浄影土寸慧遠﹃無量寿経義疏﹂や慣興師﹃無量寿経連 義述丈賛﹄に拠り、﹁大経﹂発起序を大きく一一一段、さらに六段に分けることが多い。今内容把握のために、それに 従 い 一 不 す な ら 、 ︷ 一 ︼ 如 来 の 相 。 一 一 ︼ 阿 難 の 問 い 。 ︻ 一 二 ︼ 釈 尊 、 聞 い の 所 以 を 問 、 っ 。 ︻ 四 ︸ 阿 難 、 問 い の 所 以 を 答 う 。 如来輿世の正説 五

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如来輿世の正説 ム ノ、 ︻ 五 ︼ 釈 尊 、 阿 難 の 問 い に 答 う 。 什、阿難の問いを讃嘆し、問いの意義を明かす。 口、改めて如来の徳を明かす。 川如来の智慧 凶如来の姿 日、釈尊、阿難の問いを承け説法するを聴くよう命ず。 ︻ 六 ︸ 阿 難 、 釈 尊 の 意 を 承 け 、 聴 く こ と を 示 す 。 で あ る 。 この構成は、﹃大経﹄と同じ﹁後期無量寿経﹂の﹃如来会﹄はほぼ同じであるが、︻一︸がない。﹁初期無量寿経﹂ では、少し異なり、︻四︼と︷五︼の一部が詳しいが、︻六︼はない。 まず全体的に見ると、﹃大経﹄で﹁未曾暗親殊妙如今﹂とある箇所が、﹁初期無量寿経﹂では、﹁我侍悌巳来。未 曾見﹂として少し詳しいことが注目される。それに関連し︻四︸の阿難の問いの所以を答える所が詳しい。 次に、それぞれについて、ポイントを見ると、一一︼は、阿難の問いに先立ち、﹃大経﹄に﹁阿難承例聖旨﹂とあ るが、他にはない。﹁如来会﹄では、阿難が座より立つ所から説かれる。阿難の問いは、﹁初期無量寿経﹂では姿を 中心とするが、﹁後期無量寿経﹂では如来の姿を通じて、その意義を確かめる。 ︻ 四 ︼ は 、 ﹁ 初 期 無 量 寿 経 ﹂ が 詳 し い が 、 ﹁ 後 期 無 量 寿 経 ﹂ は 簡 潔 で あ る 。 ︻五︼は、﹁初期無量寿経﹂は、前半の聞いの意義について、利益を受ける者の記述が具体的で、優曇鉢樹の記述 が詳しい。﹁後期無量寿経﹂は、前半の阿難の聞いの意義を明かす所が具体的で、霊一瑞華は意義を具体的に記す。 口は﹁後期無量寿経﹂にのみ見られる箇所である。従来の解釈に拠れば、阿難の所見である五徳現瑞を、釈尊が改

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めて確認するとされる。ここは、特に釈尊が阿難の聞いをもとに、教説を説くにあたり、﹁阿難首知﹂として、改 めて如来の徳を示す。また臼も、﹁後期無量寿経﹂にのみ見られる。 次に、﹁教丈類﹂に丈類される箇所で問題となる ﹃ 平 等 覚 経 ﹄ の﹁悌音色について見ていく。これは﹁我悌侍巳 来。未曾見﹂に関連すると考えられる。︻四︼には阿難の言葉として、 ノ ン ハ ル リ ル ニ ス ニ ス チ ル ヲ 毎 F悌坐起、若行出入、有中所て主到 1 所 レ 首 二 作 矯 、 所 ら 回 二 教 救 ι 我親知二悌意。︵﹃真聖全﹄ とある。これは、阿難は釈尊が為すべきことがあるに、忽ちに悌意を知ったということであるが、注目すべきはこ 一 ー 七 四 頁 ︶ の 後 阿 難 が 、 リ ニ シ テ ヒ 下 フ ナ ル ニ ム ル ヲ ン テ シ ク ナ ラ ノ 今悌濁首二展轄相思 ι 故 使 一 一 面 色 光 明 、 乃 如 v 此 耳 。 ︵ 同 ︶ と述べる。少し意味がわかりにくいが、ここを同じ﹁初期無量寿経﹂の﹁大阿弥陀経﹄を見ると、 リ ニ ン ノ ノ ノ ノ ン ハ ノ ノ ヲ リ シ テ ン 下 フ ナ ル ニ ノ 今備濁嘗下念ニ諸己過去悌、諸首来悌、若他方偽園今現在悌 J 濁展轄相思念 M 故 悌 面 色 光 明 、 シ ル 乃 爾 耳 。 ︵ ﹁ 真 聖 全 ﹄ 一 ー ー 一 三 四 頁 ︶ とある。これは、﹁今は、備︵釈尊︶が独り、諸々の過去未来の悌と他方偽土の今現在の仰と相念じているのであ りましょう。その故に備が光輝いている﹂との意味である。ここでは、特に﹁濁﹂と﹁耳﹂とに依って、これまで は﹁我統知悌意﹂であったが、今は悌働相念により光輝いていることのみが知れることで、悌悌相念の意を問うの で あ る 。 ﹃ 平 等 覚 経 ﹂ では、先に見たように、この部分が簡略化され、その一部が、︻二︼ の阿難の問いの所に移った形に な っ て お り 、 ズ ニ ズ ナ ル ノ ン ハ ノ ノ ヲ 曾嘗レ念て諸過去・首来、若他方傍園今現在悌サ ︵ 同 ︶ と あ る 。 ﹃ 大 阿 弥 陀 経 ﹄ では、逆にこの阿難の問いにある同じ箇所が簡略である。確認しておくと、 如来輿世の正説 七

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如来興世の正説 ; , 、 濁 首 レ 有 レ 意 。 ハ ク ハ フ カ ン ト ヲ 願欲レ聞 ν 之 。 ︵ ﹃ 真 聖 全 ﹄ 一 一 一 二 三 頁 ︶ と な っ て お り 、 やはり﹁濁﹂とあり、釈尊独り知る意を阿難が問うている。即ち悌悌相念の意を問、っていることが わ か る 。 こ の 偽 偽 相 念 を 問 う こ と は 、 ﹃ 如 来 会 ﹄ で は 、 リ テ ニ ジ ノ ヲ ク ン テ ク シ ノ ヲ 世等、今者入二大寂定一行如来行一皆悉閏満。善能建一立大丈夫行 J 斯 念 一 耶 。 ン ト フ ノ ヲ 思一惟去・来・現在諸悌イ 世 隼 、 何ガ 故ゾ 住ン ︵ ﹃ 真 聖 全 ﹂ 一 ー 一 八 六 頁 ︶ とあり、﹁世尊何故性斯念耶﹂と諸併を念じていることに対し、問いを発しており、諸傍を念じる傍意について問 でも悌悌相念について、﹁得無今偽念諸例耶﹂と﹁耶﹂の字で結ぼれており、従来より、諸悌 う の で あ る 。 ﹃ 大 経 ﹄ を 念 じ る 事 を 問 、 つ こ と が 、 阿 難 の 聞 い の 要 と 指 摘 さ れ る 。 釈尊に侍えていた阿難が、未だ曾て拝見したことがないお姿が、備側相念によるものと知り得たけれど、その意 義までは知り得なかったが故に、偽備相念の意義を問うのである。そこに阿難が知るべきこと、すなわち課題があ ︵ 問 ︶ る と 考 え ら れ る 。 これを承け、︻五︼に釈尊が問いの意義を讃え、さらに、仰の出現を優曇鉢樹に聡える。﹁橡知悌意﹂によって、 ﹁ 働 側 相 念 ﹂ の 意 義 を 問 、 つ こ と が で き た 。 そ れ は 、 ﹁ 不 妄 在 悌 遺 侍 悌 也 ﹂ だ か ら で あ っ た 。 つまり、これまで予め悌 意を知ることができたことによって、今までとは異なる姿であると知れたというのが、この﹁珠知悌意﹂ ︵ 山 ︶ 味 で あ る 。 の 持 つ 意 そして、最後の﹁若今所問善聴諦聴﹂は、 ﹃ 平 等 覚 経 ﹄ に の み に あ り 重 要 な 意 味 を 持 つ 。 ここまで見たように、﹃大経﹂と岡本異訳の経典は、それぞれ同じ事柄であっても、焦点や表現が異なる。

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したがって、これらの経典によって、顕かにすることとは、それぞれの経典に説かれる事柄を通じて、教説の意 味を豊かに読み取っていくことであると考えられる。 次に﹁教丈類﹂における﹃大経﹄と岡本異訳の経典の位置を見ていく。

﹁教文類﹂における位置

﹁ 教 文 類 ﹂ で は 、 ﹁ 何 以 出 世 大 事 得 知 ﹂ と し て 、 ﹁ 大 経 ﹄ 、 ﹁ 如 来 会 ﹄ 、 ﹃ 平 等 覚 経 ﹄ 、 慣 興 師 の 従来、﹃大経﹂と岡本異訳の経典を類集するについて、一ニつの義があるとされるが、特に、経典を互いに補って、 意味を尽くすことに主眼があると考えられる。 ﹃ 述 文 賛 ﹄ を 類 緊 す る 。 この三つの経典が、互いに教説の意を明かす。即ち﹁顕真実教の明証﹂として類緊される。従って、経典の文脈 だけでなく、その箇所がどのように響き合っているかを見なければならない。 従来これを﹃大経﹄を正顕、異訳の経を助顕などと位置づけ、﹃大経﹄を中心として、それぞれの文類が、﹃大 経﹂のどの箇所に該当するかという観点から解釈している。 そこで、まず前節に示した発起序の段分けに従い見ていくが、特に﹃平等覚経﹄は、﹃大経﹄のどの箇所に該当 するかについて、見解の相違があるため、文類の意図の見方が異なる。よって、細かく見ることにする。 ま ず 、 ﹁ 大 経 ﹄ の 丈 類 は 、 ︻ 二 ︸ 1 ︻ 五 ︼ 口 川 ま で で あ る 。 ここでは、釈尊の﹁未曾暗観﹂の姿を通じて、阿難はその意味を五徳現瑞として一不し、悌悌相念の意味を問うの であるが、その問いの所以を釈尊から問われ、自らの所見によるものであることを明かす。釈尊は、その問いを讃 ぇ、知来出世の意義を明かし、値い難きこと、見難きことを霊瑞華に聡え、聞いの意義を示す。さらに、この間い 如来興世の正説 九

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如来興世の正説

を通じて、阿難に知るべき事を明らかにするのである。 次 に 、 ﹁ 如 来 会 ﹄ の 文 類 は 、 ︷ 四 ︼ j ︻ 五 ︼ で あ る 。 る 中 で 、 ﹁ 大 経 ﹂ ここでは、阿難の聞いが﹁如来光瑞希有﹂を見たからであるとする所から始められる。釈尊が阿難の聞いに答え では、﹁真妙の詩才﹂が阿難の事であったが、ここでは、﹁微妙の辞才﹂が釈尊の事として訓まれ る。これは、如来の智慧を観察して阿難が問、ったことを示そうとされたからと考えられる。 この文類で、重要とされるのは、 ニ ヒ シ テ ニ セ ム カ ヲ ク シ テ ノ ナ ル カ シ タ マ ヘ リ ニ マ ツ ル 汝 矯 F 一 切 如 来 嬢 正 等 畳 及 安 斗 住 大 悲 一 利 ゆ 盆 群 生 と 如 下 有 曇 華 希 有 上 大 士 出 1 現世間一故問一斯義一 ︵ ﹁ 定 本 ﹄ 一 一 一 一 頁 ︶ とあり、この訓読、特に﹁及﹂によって、阿難の問いが、﹁一切如来麿正等覚﹂の為と﹁大悲に安住して群生を利 益﹂の為に大土が出現したと指摘される。ここに阿難の問いにあった備悌相念の意味が、その問いによって顕かに な る こ と を 一 不 さ れ る 。 さらに、この間いが、釈尊、諸併によって、願われた﹁魚哀感利築諸衆生故﹂の意義を持つことを明かす。 ﹁平等覚経﹂の丈類は、︻五︸に該当するとされる。前節で述べたように、﹁初期無量寿経﹂と﹁後期無量寿経﹂ で、構成が異なるため、従来この丈章を﹃大経﹂のどの部分に位置づけるかが、この箇所を読む鍵となっている。 従来の解釈では、この箇所は、大きく二段、更にそれぞれ二段に分け考えられる。前半は、﹃大経﹂ の﹁難値難 見 ﹂ ﹁ 霊 瑞 華 ﹂ を 助 顕 す る と し 、 ﹃ 大 経 ﹄ に は あ ま り 詳 し く 一 不 さ れ な い 事 を 顕 か に す る 。 問題となる後半は、﹃大経﹄の﹁阿難諦聴。今矯汝説。﹂に対応すると見るか、﹁猶霊瑞華時時乃出﹂の後にある ﹁今所問者多所鏡益。開化一切諸天人民。﹂に対応するとして見るかに分かれる。 し か し 、 いずれにしても、阿難の徳を讃ずることによって ﹁大経﹄を助顕するとされる。即ち、阿難が問い、教

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えが聞かれ、伝えていく所に、﹁開化一切諸天人民﹂があると見ている。 確かに、この阿難の聞いがなければ、﹁如来興世の正説﹂が開顕されなかったのであるから、この間いの持つ意 義は大きい。阿難の問いは、阿難が備に侍え、今日の姿に気づき、観察したことによって、聞かれたものであった。 しかしここまで確認してきたように、聞いを通じて明らかになり、ここから説き始められる事柄は、阿難自身、聴 くべき事柄であった。 今 二 度 、 ﹁教文類﹂の﹃平等覚経﹂の訓読を見れば、 ハ タ ニ シ ニ リ テ ミ シ コ ト ニ マ シ マ ス ン ノ ツ ル 力 ナ ラ ク ノ ミ ニ マ シ マ セ ド モ タ ン 平等畳経言悌告一阿難如下世間有二優曇鉢樹一但有−賓一元三有二華一天下有二偽乃華出上耳世間有一悌一甚難ニ コ ト マ コ ト ヲ テ ニ タ リ テ ニ シ テ テ ニ ヲ シ ス ハ レ テ ニ ソ カ ヘ タ マ フ ニ ン ヘ ル 得 二 値 一 今 我 作 例 一 出 三 於 二 天 下 一 若 有 二 大 徳 聴 明 善 心 縁 三 知 一 悌 意 一 若 不 一 一 妄 在 二 例 遺 一 侍 二 悌 一 也 、 若 今 所 二 問 一 ク キ 、 ニ ケ ト l , 普聴諦聴丘 ︵ ﹃ 定 本 ﹄ 一 四 頁 ︶ で あ る 。 従来の指摘によれば、﹁汝﹂であれば、阿難を指すことがわかやすい。﹁橡﹂であれば、﹁泊旅知悌意﹂によって問 うた阿難は、﹁妄りに悌辺に在って併に侍えていたわけではなかった﹂となる。 し か し 、 ﹁ 教 文 類 ﹂ で は 、 ﹁ 若 ﹂ を ﹁ モ シ ﹂ L 乙訓じ、阿難だけを指すわけではない。それこそが、この阿難の問い によって、聞かれる教説によって、阿難だけでなく、﹁大経﹂ の ﹁ 開 化 一 切 諸 天 人 民 ﹂ 、 と 一 不 さ れ た 一 切 諸 天 人 民 、 ﹃ 如 来 会 ﹄ の﹁震哀感利梁諸衆生故﹂と示された諸衆生に呼びかけられた言葉としての意味を持つ。 さらに、縁は﹁縁因﹂であるとの指摘があったように、﹁知悌意﹂を因として、﹁不妄﹂であれば、﹁在偽漫侍悌﹂ と な る 。 まず﹁侍﹂の訓は、坂東本、専修寺本、西本願寺本では異なる。訓の改訂をそれぞれの成立の次第によって見る ならば、まず専修寺本では﹁侍へタテマツラムト﹂である。﹁タテマツル﹂は、謙譲・受け手尊敬の補助動詞とし 如来興世の正説

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如来輿世の正説 て、﹁侍﹂する事の対象となる釈尊を敬う意を表す。さらにこの未然形﹁タテマツラ﹂に助動詞﹁ム﹂が接続し、 ﹁タテマツル﹂者の意志を示す。このことから、この丈章全体は、釈尊の言葉であるが、釈尊の言葉を承け、侍す るものの言葉遣いであると考えられる。ここだけが、侍する者の言葉であることは、 一 見 矛 盾 す る よ う で あ る が 、 言葉遣いからするならば、釈尊の言葉を承けての表現と考えられる。 それに対し、坂東本では﹁侍へタマフ﹂である。﹁タマフ﹂は補助動詞として、動作者に対して敬意を表す。こ のことから﹁侍﹂するものに対して、敬意を去すことになる。﹁侍﹂する対象である悌︵釈尊︶に﹁知倒意﹂に縁 って、﹁不妄﹂ならば﹁在偽遁﹂し、悌に侍えることとなると、言わば釈尊より﹁印可﹂されることを示したと考 え ら れ る 。 西本願寺本では、﹁侍へタマフ﹂と訓じ、さらに左訓に﹁侍へタテマツルラムト﹂とし、坂東本、専修寺本の訓 を両方記す。釈尊の言と侍するものの応答を表記していると考えられる。この西本願寺本の両訓併記によって、専 修寺本、坂東本、それぞれの訓点の意図が明確になるように思われ日。 そして、﹁妄﹂には、先に述べたが﹁虚妄﹂の意味を読み取った解釈がある。それは、阿難の徳としての解釈で はあるが、備に侍するについて示されるものとして、重要な指摘であると考える。 で は 、 一切諸天人民にとって、虚妄ならざる﹁不妄﹂という事が、 いかなる意味を持つのであろうか。 ﹃平等覚経﹄にある﹁天下有悌﹂の文言は、流通分にある言葉と、響き合う。 ハ ク ニ セ ド モ ダ シ フ コ ト ヲ ル ス ル コ ト ノ ヲ キ コ ト ハ シ フ コ ト ヲ ン ハ リ テ シ ハ 偽 言 。 天 下 有 レ 偽 者 甚 難 レ 得 レ 値 。 人 有 F信一一受師法経語一深 t 者、亦難レ得レ値。若有一沙門若師、 ヲ ニ モ ダ ン フ コ ︸ ヲ 悌 経 一 者 、 甚 難 レ 得 レ 値 。 矯 レ 人 説 ︵ ﹁ 真 聖 全 ﹄ 一 ー 五 九 頁 ︶ これは、経典を説き終わるに当たり、聞名利益、特留止経の後に説かれる事柄である。

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﹃教行証﹄﹃大経﹄のこの部分を﹁化身土丈類﹂に、 ニ ハ ク ク マ ウ ア ヒ ン マ ソ リ ノ ク ン ノ コ ト コ ヲ シ ヒ ニ キ 、 ヲ ク ス ル コ ト 大本言如来興世難二値難見一諸例経遁難得−難一間菩薩勝法諸波羅蜜・得一間亦難週一善知識聞法能行此亦 ス シ ト ν テ ノ ヲ ス ル コ ノ ケ ム テ ニ ハ ノ ニ ク ノ シ キ ク ノ ク ク ノ ン フ ン ト ニ ン テ ク ノ ス 清一難一若聞一斯経一信楽受持難中難元四過此難ニ是故我法・如是一作如是一説如是一教磨 F 信 順 如 法 一 修 行 上 巳 ト L と 、 丈 類 し て い る 。 で は 、 ︵ ﹃ 定 本 ﹄ 一 二

O

二 頁 ︶ ﹂ こ で は 五 難 に よ っ て 一 不 し 、 次 の ﹁ 浬 繋 経 ﹄ の中、聞信不具足として信の問題を展開していく。そこに、邪見、 僑 慢 の 問 題 が 一 不 さ れ る 。 そ の 中 で 、 シ テ テ ヲ ニ ノ ス ル ノ ヲ ノ ハ メ イ ス ル ナ リ ヲ 若有二衆生一栄二諸有一矯一有一造二作善悪業是人迷一失浬繋道 マ ト ヒ とあり、教言によって、備道を歩みながらも、浬繋道を迷失すると一不されている。﹁正信偏﹂では、この五難を承 ︵ ﹃ 定 本 ﹄ 二 一

O

四 頁 ︶ け 、 ﹁ 邪 見 惰 慢 悪 衆 生 信 楽 受 持 甚 以 難 ﹂ ︵ ﹃ 定 本 ﹄ 八七頁︶とある。これらのことから、﹁不妄﹂は信心における課 題として考えることができよう。 こ こ ま で 見 た よ う に 、 ﹃ 平 等 覚 経 ﹄ では、阿難が﹁我侍悌巳来未曾見﹂であった備の意味を説くのがこの経典で あり、阿難自身、悌に侍することが、課題となって、改めて問われたのであった。とすれば、阿難自身もまたこの ︵ お ︶ 経典を聴き、悌意を知るによって、妄れずば、偽辺に在って悌に侍することとなるのである。 の当面の意味からすれば、阿難が聞いを起こした事に対しての言葉であったものが、﹃大経﹄、﹃如来 会﹂それぞれの原典の流れを踏まえた上で、﹁教文類﹂での位置、訓読などによって、この経典全体を聴くことが、 ﹃ 平 等 覚 経 ﹂ どのような意味を持っかを顕かにする丈として読まれたのである。﹁大経﹂ では﹁今矯汝説﹂として、直接的には、 阿難の為に説かれるこの経に、釈迦諸仰の大悲によって、見据えられた﹁一切諸天人民﹂がこの経典を聴く事の利 如来輿世の正説

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如来輿世の正説 四 益、教えがどのように働くかを具体的に顕かにされたのが、﹃平等覚経﹂ の 丈 類 で あ る と 考 え る 。 次 の ﹃ 述 文 賛 ﹄ は 、 ﹃ 大 経 ﹄ の言葉を確かめる形で、経典の言葉に対して、その意味を示す。﹃教行証﹄ の 中 で 、 ﹃述文賛﹄は、この他﹁行文類﹂﹁真偽土文類﹂﹁化身土丈類﹂に文類されるが、経典の文言に対し、割註を施す形 式を取って文類されるのは、﹁行文類﹂の一部、﹁真偽土文類﹂である。特に﹁真偽土文類﹂では、それまでに説か れたことを改めて、経文の文言を一不し、ポイントとなる事柄を、明かすものと考えることができる。 ﹁教文類﹂では、﹁大経﹂で特に重要な事柄である阿難が問いを起こした備悌相念は示していない。これは、﹃述 文賛﹄に先んじて、﹃大経﹄と岡本異訳の経典に拠って顕かにされた事柄で明瞭にされた事柄である。 こ の ﹃ 述 丈 賛 ﹄ の 丈 類 で は 、 五徳現瑞と﹁阿難晶画知如来正畳﹂﹁慧見元専﹂﹁元能遁絶﹂について示している。経 典の阿難が見た備の姿、五徳現瑞を通じて、阿難が当に知るべき事として、﹁阿難嘗知﹂という言葉を含めて﹁如 来正覚﹂の意味を確かめている。 五徳現瑞は、阿難の慧見によって顕かにされた事柄であるが﹁阿難嘗知﹂以降は、悌によって、示された事柄で ある。この﹁阿難首知﹂という言葉を付けた上で、﹁如来正覚﹂のことを示す意味について論ぜられることは、管 見する限り、あまりないようであるが、これを阿難に対する教誠と阿難に告げることは、一切に告げることである ︵ 幻 ︶ との解釈がある。阿難の問いを通じて、釈尊が改めて阿難に知るべき事を示しているのが、この﹁阿難首知﹂以下 の事柄であり、またそのことが一切衆生に対して告げることになることを意味している。 先 の ﹃ 大 経 ﹄ の所でも述べたが、問いを通じて、改めて阿難及、ぴ一切衆生に知るべき事を一不すのが、この﹁阿難 首知﹂以下の事柄である。阿難の所見である五徳現瑞と、﹁阿難首知如来正覚﹂﹁慧見元尋﹂﹁元能逼絶﹂を、普く 聴 く 所 に 、 一 切 衆 生 の 課 題 が あ る 。 ﹃ 平 等 覚 経 ﹂ の最後にある﹁若今所間普聴諦聴﹂を確かめていくポイントとして示されるのが、﹃述文賛﹂ の 文 類

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であると考える。阿難の所見を含め、﹁阿難首知﹂を示すことによって、如来興世において、確かめられた如来を、 例滅後の一切衆生に、改めて示す意味があると考えられる。 結びにかえて ﹁如来興世﹂が特に問題となるのは、経典自ら示すように、悌在世、そして悌滅後である。﹁教丈類﹂では、﹃大 経﹂と岡本異訳の経典に拠り、阿難により聞かれた﹁如来興世の正説﹂が、経典の言葉を通して、﹁群生﹂﹁一切諸 天人民﹂﹁諸衆生﹂と呼びかけられたわれらにとっての﹁大事﹂を﹃平等覚経﹄ の 丈 類 に よ り 一 不 さ れ た と 考 え ら れ る ﹃平等覚経﹄の文類を経典と同じ意味で読み解こうとすれば、当然経典の読みが意が通りやすく思われる。しか しながら、﹁教文類﹂では、経典を踏まえた上で、阿難を讃ずることよりも、阿難を含めての﹁一切諸天人民﹂に 対する教言として読み取ったのであった。 ﹁ 教 行 証 ﹄ の文類部分を読むには、原典とその文脈を把握することは非常に大切な事である。類緊するについて は、元の文脈を見た上で、類策していると考えられるため、原典の文脈をどのように考えているかを見極めなけれ ば な ら な い 。 従来、その指標として、﹁文類﹂の位置づけを行い、様々な意味を持つ﹁文類﹂の意味を見極めようとしてきた。 そして、多様な﹁丈類﹂の意味を読み取っていく目安としてきた。 今回取り上げた﹃平等覚経﹂ のように、原典と異なった訓点や文字を用いる文類は多い。それらを考える際に、 原典での位置を踏まえることは、大切な事であるが、さらに﹃教行証﹄ の一つの﹁文類﹂として、その前後が何を 如来興世の正説 五

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如 来 興 世 の 正 説 ム ノ、 顕かにし、展開し、文字を変更し訓点が施されているかを見極めなければならないであろう。 出典略記 註 ︵ 1 ︶ ﹁ 大 正 蔵 ﹂ ・ : 大 正 新 修 大 蔵 経 ﹁真聖全﹂真宗聖教全書 ﹁定親全﹂定本親驚聖人全集 ﹁ 定 本 ﹂ : : : 定 本 教 行 信 詮 ﹁ 真 全 ﹂ : : : 真 宗 全 書 ﹁ 真 叢 ﹂ : ; 真 宗 叢 書 ﹁ 真 大 ﹂ ・ : 真 宗 大 系 ﹁ 続 真 大 ﹂ : ・ 続 真 宗 大 系 引用に関しては、可能な限り旧字体を用いた。 2 中 井 玄 道 篇 ﹃ 教 行 信 証 付 録 ﹄ ︵ 一 二 二 三 l 二 六 O 頁 ︶ o この分類に拠れば﹁教文類﹂の﹃平等覚経﹄は、﹁更改例﹂、 即ち﹁字句を更改せるもの﹂に当てはまると考えられるが、従来の解釈、刊本などにより、字句を変更したりし て 、 ﹁ 更 改 例 ﹂ と は 扱 っ て い な い 。 大田利生編﹁時一齢制対照無量寿経﹄︵一八頁︶では、﹁忘﹂を﹁妄﹂に改めている。﹁大正蔵﹄の底本である高 麗版が﹁妄﹂であるため、誤植と思われる箇所として扱い、﹁妄﹂と改めるのであろう。 したがって、﹁教文類﹂に﹁不妄﹂とあるのは、高麗版などの経典に基づくとも考えられるが、従来、経典で は﹁不忘﹂であるとして、﹁教文類﹂の﹁不妄﹂を﹁不忘﹂に改め、解釈されてきたことを踏まえ、原典との相 違 箇 所 と し て 扱 う 。 真岡慶心稿﹁高田派に於ける教行信証の講述について﹂︵﹃高田学報﹄第五 O 輯昭和三七年︶ o この中で、底本 を高田系統のものであることを推定した同氏の論文が﹃高田研究﹄第二号に掲載した旨、記されるが、今回参照 3

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4 で き な か っ た 。 二本の書写本については、平松令三稿﹁高田宝庫より発見せられた新資料の一、二について﹂︵﹃高田学報﹄第四 O 輯昭和三二年、後に補記を追加し﹁真宗史論孜﹄昭和六三年刊に収録︶参照。 生桑完明稿﹁高田伝来の﹃教行証﹄真本について﹂︵﹃真宗研究﹄第二輯昭和三一年、後に﹃親驚聖人撰述の研 究﹄昭和四五年刊に収録︶には、高田の宝庫に専修寺本の他に、﹁祖親筆﹂一本があったと記す史料より、親驚 聖人真筆本の存在を推測する。恵雲より時代が下がる史料であるが興味深い。 しかし、推定された本文は、﹃教行信証紗﹄の本文とは異なり、底本には該当しないと考えられる。さらに、 推定に用いられたものは奥書などを詳しく検討すると、﹁祖親本﹂を元にしたとは考えにくい。念のため、提示 メ ル ニ ヲ チ サ レ ハ ナ リ ミ ダ リ ニ テ ニ ヘ ニ された﹁教文類﹂の﹃平等覚経﹄箇所を掲げると、﹁予知二悌意一若不下妄在二仏辺一侍上仏一也﹂とある。 現在は、高田短期大学仏教文化センター所蔵。 この﹃善信聖人伝絵紗﹄にある奥書については、﹁真宗史料集成﹄第七巻伝記・系図︵昭和五 O 年 刊 ︶ ﹁ 解 題 ﹂ ︵平松令三稿︶では、この筆跡については、恵雲ではないと思われるとされ、この本を授与された真海の筆であ ろうかとされた︵二八 1 九 頁 ︶ 0 その後、平松令三稿﹁高田専修寺本﹃教行証﹄の特色とその背景﹂では、恵雲と推測されるものの、筆跡が明 確でないとする︵影印高田本﹃顕浄土真実教行誼丈類﹄解説昭和六一年刊、後に補記を追加し﹃親驚真蹟の研 究 ﹄ 昭 和 六 三 年 刊 に 収 録 ︶ 0 刊本の中で、寛文本にだけ﹁殻イ﹂とある。 ﹁教行信証紗﹄では、﹁真偽土文類﹂の﹃平等覚経﹄に﹁吊延訳﹂とあり、﹃浄土源流章﹄に吊延訳を存本とする ことと合わせた上で﹁教行証﹄の﹃平等覚経﹄を﹁吊延訳﹂とし、﹁迦識訳﹂とは別として扱う。他の箇所には ﹁ 迦 識 の 覚 経 ﹂ と あ る 。 芳 英 ﹁ 教 行 信 証 集 成 記 ﹄ 巻 四 ︵ ﹁ 真 全 ﹄ 一 一 一 一 一

l

七 一 頁 ︶ 0 知選﹁教行信証文類樹心録﹄巻一に﹁大経﹄の﹁我心念言﹂等に当たると指摘︵﹃真全﹄三ハ|一七頁︶、それに 対し興隆﹁顕浄土真実教行証丈類徴決﹄が、﹁縁﹂を縁因として、﹁橡﹂を用いる事を﹁非祖意﹂とする︵﹁真 全 ﹄ 一 一 一 一 | 七 五 頁 ︶ 。 他に慧琳﹃教行信証文類六要紗補﹄巻一には、﹁縁﹂について﹁恐是形誤﹂とする︵﹃真全﹄三七一一六頁︶。 5 7 6 ︵ 8 ︶ ︵9 ︶ ︵ 叩 ︶︵日︶ 如 来 興 世 の 正 説 七

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如 来 興 世 の 正 説 j八 12 13 ﹁珠知偽意﹂については、もう一つ注目すべき説があるが、これについては、次節において、 で 触 れ る 。 註 ︵ 却 ︶ 参 照 。 善譲﹃顕浄土真実教行証文類敬信記﹄巻二︵﹃真全﹄三 O l 一 O 九 頁 ︶ 他 。 こ の 東 方 偏 ︵ 往 親 偶 ︶ の 文 は 、 ﹁ 行 文 類 ﹂ ︵ ﹁ 平 等 覚 経 ﹄ ︶ 、 ﹁ 信 文 類 ﹂ ︵ ﹃ 定 本 ﹄ 九 八 、 一 四 五 頁 ︶ 、 な ど に 見 ら れ る。今、﹁行文類﹂の箇所を前後を含めて示せば、﹁悌在世甚難値有信慧不可致若聞見精進求問是法而不忘 便見敬得大慶﹂とある︵﹁定本﹄二二頁︶。この備でも、﹁悌在世甚難値﹂に関わっての言葉であることは、注意 す べ き で あ る と 考 え る 。 なお、専修寺本﹁教行証﹄では、﹁教文類﹂の﹁妄﹂に﹁レ﹂と振っている。左側に﹁ワスレ﹂とあり、レの 上に擦消しのような跡が見られる︵昭和六十一年刊行のカラ l 複製本での筆者所見︶ 0 ﹁ 行 文 類 ﹂ の ﹁ 平 等 覚 経 ﹄ ﹁忘﹂が﹁妄﹂となっており、﹁ワスレ﹂と訓がある。しかしながら、この﹁教文類﹂にある左側の﹁ワスレ﹂は 文字が薄く、異筆と指摘されることもある︵重見一行著﹁教行信証の研究﹄︶ 0 ﹁行文類﹂の訓は本文と同筆と考 え ら れ る 。 慧 琳 ﹃ 六 要 補 ﹄ 巻 一 ︵ ﹃ 真 全 ﹄ 三 七 | 一 一 六 頁 ︶ o なお、﹁妄乱也﹂は﹁説文解字﹄に拠ると考えられる。 芳英﹁集成記﹄巻四︵﹁真全﹄三二七一頁︶ o 他 に 、 高 田 派 彰 見 土 寸 並 日 門 ︵ 一 六 三 六 1 一 六 九 二 年 ︶ ﹁ 教 行 信 証 師 資 発 覆 紗 ﹂ 第 三 十 末 。 ﹁ミダリニ﹂という訓に対し、興隆﹁徴決﹄巻二は﹁非二祖意一﹂とする︵﹃真全﹄二二七六頁︶ 0 ﹁ 妄 ﹂ に つ い て 、 ﹁ ミ ダ リ 一 こ で あ れ ば 、 ﹁ い た ず ら に ﹂ ﹁ で た ら め に ﹂ の 意 で あ る ︵ ﹁ 新 字 源 ﹄ な ど ︶ 。 し か し な がら、坂東本、専修寺本、西本願寺本﹁教文類﹂では、﹁妄れず﹂とあり、動詞としている。ちなみに直弟であ シ テ セ る顕智上人書写﹁大阿弥陀経﹄では、﹁平等覚経﹄との同一箇所に﹁不レ妄﹂︵モウセズシテ︶と読みは異なるが、 ﹁ 教 文 類 ﹂ と 同 じ よ う に 動 詞 と し て い る ︵ ﹃ 影 印 高 田 古 典 ﹄ 第 四 巻 顕 知 日 上 人 集 下 一 一 一 一 頁 ︶ 。 僧 銘 ﹃ 本 血 二 補 録 ﹄ ︵ ﹃ 真 叢 ﹄ 八 | 三 八 頁 ︶ 。 他 に は 、 興 隆 ﹃ 徴 決 ﹄ に ﹁ 意 顕 一 一 一 告 一 切 告 義 ﹂ ︵ ﹁ 真 全 ﹂ 一 一 一 一 l l 七六頁︶とあり、同意であると恩われる。 興隆﹃徴決﹄は﹁非三祖意 4 ﹂ と し て 、 訓 や 字 を 経 典 に 一 民 し 釈 す る こ と に つ い て 異 議 を 唱 え て い る ︵ ﹁ 真 全 ﹄ 一 一 一 一 | 七 五 頁 な ど ︶ 0 また、僧銘﹁本血二消録﹄も﹁教文類﹂本来の訓や字に従って、釈することが多い 原典を確認した上 15 14 16 17 ︵ 日 ︶ ︵ ﹁ 真 叢 ﹂ 八 | 三 八 頁 ︶ 0

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19 阿難については、幡谷明稿﹁仏弟子阿難について﹂﹁親驚教学﹄第七号︵昭和四 O 年 ︶ 難の問題について、他の経典などによりながら、その課題について詳細に論じている。 ﹁珠知悌意﹂について、宣明﹁広文類聞誌﹄には、先の経文を踏まえ、﹁次上の経文に、阿難が問ふとき、私は 常々悌の安住や起立の相を能く見て居るゆゑに併意を知る。然るに今の様子をみるに、諸仰の出世本懐たること を念じ給へばこそか、る相好を拝見す。恐らくは出世本懐ならんかと尋ねるなり﹂︵﹁続真大﹄五|四三頁︶との 解釈があるが、経文を見る限り、阿難の問いの背景として、そこまで踏み込んで読み取ることは、困難であると 考 え る 。 深励﹁教行信証講義﹄には、﹁出世本懐の問いをあぐるゆへに﹂とする︵﹃偽教大系﹂四六教行信証一|一一一七 八

1

三 七 九 頁 ︶ o これは一見、先の解釈と同様のようにも思えるが、これは、出世本懐を説き出す縁となったこ とを結果によって述べるものであって、趣が異なるようである。 知選一﹁樹心録﹄巻一。その三つとは、付文類を集めるが放に、口代々翻伝意同を一不すが故に、日互いに未童文義 を補、つが故に、である︵﹁真全﹄一二六一四頁︶。この中で特に白を重視する見解もある o 例 え ば 、 深 励 ﹁ 講 義 ﹄ ︵﹁悌教大系﹄四六教行信証一三六六頁︶など。 及について、興隆﹁徴決﹄、慧琳﹁六要補﹄他が、その意味を考察している。さらに一楽真稿﹁顕真実教の明証﹂ ︵﹃大谷学報﹄第七五巻第三号平成八年︶参照。 ﹃ 古 語 大 辞 典 ﹂ な ど 参 照 。 尚、﹃定本﹄一四頁註③では、西本願寺本の左訓が﹁ヘリテマツラムト﹂となっているが、﹁ヘタテマツラム ト ﹂ の 誤 り で あ る 。 如来興世は、﹃浄土和讃﹄﹁大経意﹂に、一一つの和讃によって一不され、展開される。一つは発起序、もう一つは、 流通分である︵﹁定親全﹄三和讃篇三五、四二頁︶ 0 ﹁浬般市経﹄の一連の文は、﹁化身土文類﹂では、経典の前後を入れ替えている。﹁信文類﹂では、この間信不具足 の一部を、信楽釈、信一念釈に文類する︵﹁定本﹄一二三頁、二二七頁︶。 この﹃平等覚経﹄で他に問題となるのは、﹁大徳﹂﹁聡明善心﹂である。従来阿難の徳として、﹁大徳﹂を﹁大経﹄ ﹁衆成就﹂の結びによって、﹁普賢の徳﹂とする見解や、如来二種の廻向によって利益されたものとの見解がある。 ﹁大徳﹂は、﹁如来会﹄では、発起序に﹁大徳世尊﹂とあり、また﹁知日度論﹄巻三に﹁大徳迦葉﹂とあることなど に、浄土経典における阿 20 21 22 23 24 25 26 如 来 輿 世 の 正 説 九

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如来輿世の正説 四 0 に拠って、例及び弟子との見解︵普門﹁教行信証師資発覆紗﹄第三十末︶がある。ここでは倒弟子として考える ことができると思われるが、更に様々な点から考察する必要があろう。 ﹁聡明善心﹂は、﹁大経﹄﹁如来会﹄の文類を読み解けば、併の姿を問、つことを指していると考えることができ る 。 ﹁阿難嘗知﹂に対し、興隆﹃徴決﹄が、﹁対告教誠。亦是一告一切告也 o ﹂ と 指 摘 す る ︵ ﹃ 真 全 ﹄ 一 一 一 一 | 七 七 頁 ︶ 0 27

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