比較宗教学概論Ⅰ 幸せの探求
宗教学方法論Ⅲ 0613 宗教哲学
( R. オットー 1869-1937 )
20170613 @2時間目
九州大学箱崎キャンパス 301 教室 飯嶋秀治
[email protected]
授業計画と Q&R
進度・内容・行動目標等 講義
1 0411自己・世界・講義の趣旨説明 ○
2 0418言語・生態・経済の説明 ○
3 0425国家・メディア・学校の説明 ○
4 0509国際学会発表のためビデオ視聴 ○
5 0516「幸せ」の釈義 ○
6 0523幸
/不幸・幸い
/災い・祝い
/呪い ○
7 0530宗教学方法論Ⅰ宗教心理学(
W.ジェ
イムス
1842-1910) ○
8 0606
宗教学方法論Ⅱ宗教社会学(
E.デュ
ルケム
1854-1917) ○
9 0613
宗教学方法論Ⅲ宗教哲学(
R.オッ
トー
1869-1937) ○
10 0620
宗教学方法論Ⅳ宗教民族学(
A.ファ
ン・ヘネップ
1873-1957) ○
11 0627宗教学方法論Ⅴ比較宗教学(
M.エリ
アーデ
1907-1986) ○
12 0704
宗教学方法論Ⅵ宗教人類学(
H.コッ
クス
1929⁻) ○
13 0711
宗教学方法論Ⅶ宗教民俗学(関一
敏
1949⁻)○
14 0718
試験(小論文) ○
15 0725
講評 ○
先週の授業で関心を持ったので、『宗教的経験の諸相』を読みました。W.ジェイムズも冒頭で個人的宗教の一部に範囲を限定 しているので、全ての宗教をカバーできていないというのは事実なのですが、ジェイムズもそれについて自覚的です。ジェイム ズが宗教のうち語る範囲を限定したことは、”宗教の定義付けをした”ということとは異なります。最初の質問に対する答えは、
「そもそも宗教と名のつく全てについて語られているわけではない」ということになりそうです。
冒頭のダーウィンとニュートンの「発見したことに対する位置づけの違い」に関してですが、カトリックがタブーとしている中絶や 同性婚もニュートンのように「実はこれも本来的に神が祝福した、神によって創造されたものなんだ」と解釈を変えることは(今と なっては)難しいのでしょうか。
現代日本に生きる私の感覚からするとエアーズロックを「芋虫」ととらえ、今でもそこに精霊がいると考えるのは新鮮でした。そ の芋虫は、永久的に生きているということですかね?日本でも、山の形を観音様など何かに例える事例はありますが、そこにそ の精霊が宿っているというのは聞いたことありません。/トーテムの大部分は動植物であるが、morning-starなどもある話が出 てきましたが、物(実体あるもの)ではなくて概念や思想がトーテムになることはありますか?/ 今日の講義の中で、ロッキー ヒルという山が、イモムシとイモムシの頭がぶつかっている様子であると信じていた人たちは、成人男性で特別な時しか 通って はいけないということでした。このことで、最近話題となった沖ノ島のことを思い出しました。神聖な場所は女人禁制であること、
これは結構よ く耳にする気がします。何故女性はいけないのでしょうか。この二つの場所以外でももっと同じ例はあるとも思う のですが、世界的に見られるのなら ば、なぜ共通しているのかとても不思議です。また、逆に男子禁制といった例はないので しょうか。
イスラム教のラマダン月の断食は、「食べてはいけない」というように行動様式を禁じている点では消極的礼拝ですが、普段は 食べてもいいのにその月だけ食べてはいけないというのは消極的礼拝に反しており、むしろ「断食をする」という積極的礼拝で あるようにも感じられます。消極的礼拝と積極的礼拝は両立できるものなのですか。/要はデュルケムの考える社会の進化と は、「個人的自発性にのみ服していた」社会→「宗教生活」→国民国家、というような段階を経ている、という認識でいいのでしょ うか。この過程だと、宗教を得た状態から宗教を一度手放すことになりますが、明確な「宗教国家」でなくとも、その社会的なつ ながりは宗教に根差したものであるといえますか?
最初にあった「昔は×と言われていたが、今(本当は)○である」というの所の「今」イコール「本当」にどうして繋がるのか、理解 できない。今は、「そう考えられている」、「そう見えている」、というのは、決して「真実」にはなりえないと思う。/「昔は×と言わ れていたが今(本当)は〇である」という表現は疑わしい部分があるとのことだったので、いろいろ例を考えてみて、「たしかに疑 わしいな」と思う例もあった。しかし、「昔は冥王星は惑星と言われていたが、今は惑星ではないとみなされている」という例を思 いついたとき、このような例についてまでも「本当に惑星じゃないのかな?」と疑うべきなのかどうなのか、よくわからなかったの で、先生がどう考えるのか聞きたいです。
宗教の起源に関する議論を聞き、無神論者も宗教の一種だろう、宗教を持たないと言っている日本人の多くも宗教と言えるだ ろうと考えていた(ある宗教を信じているという集合があるとするとそこに含まれない人々もある種の宗教であるように見える)と 勝手に考えていた自分は違和感を感じました。
言語と生態
自己中心主義から脱中心化へ
自文化中心主義から文化相対主義へ 狩猟採集漁労民・農耕/牧畜民から市
場経済・国民国家へ
幸いと災い、祝いと呪い
• Arrernda:(-θvb.)feel happy, be pleased, enjoy yourself, be cheerful, have a good time.,
(
n.)
•
漢字:幸、福(
⁻100A.D.)
• English
:(
adj.)
Senses relating principally to good fortune.→ Of a person:favoured by good fortune;lucky, fortunate →(
n.)
With the and pl. concord:happy people as aclass.→A happy person or thing. Also: a happy state, event, etc.
(
⁻1550A.D.)
•
日本語: 【幸】(「さきわい」の変化した形)🈩
〘名〙 ①<形動>神仏など他が与えてく れたと考えられる、自分にとって非常に望 ましく、またしあわせに考えられる状態。
(
⁻794⁻)
→しあわせ【仕合・幸】〘名〙(「しあ わす(為合)」の連用形の名詞化)①めぐり 合わせ。(
⁻1549⁻)
→こうふく【幸福】〘名〙
(形動)恵まれた状態にあって不平を感じな いこと。(
1808)
• Arrernda:n.bad,morally wrong,evil.
•
漢字:災(
⁻100A.D.)
• English:
(
adj.)
→Of persons (oranimals):Causing misfortune or trouble(to oneself or others); objectionable or
miserable on this account.(a1400A.D.)
•
日本語
:わざわい【禍・災・殃】〘名〙
(「わざ」は神のしわざの意、「わい」は「さ きわい(幸)」などの「わい」と同じ。悪い 結果をもたらす神のしわざの意から)① 悪い結果をもたらすような種々の事柄、
気配。また、その悪い結果。身にふりか かる傷害、病気、天災、難儀など。災難。
災厄。禍南。凶事。曲事。不幸。
(-720- )→?
→ふこう【不幸】?
宗教学方法論
• 宗教の心理学
「宗教とは、個々の人間が孤独の 状態にあって、いかなるものであれ 神的な存在と考えられるものと自分 が関係していることを悟る場合だけ に生ずる感情、行為、経験である … 私たちの解するような意味の宗教 から、いろいろな神学や哲学や教 会組織が第二次的に育ってくるで あろうことは、明らかである」 [ ジェイ ムズ 1982a(1901-1902) : 52]
• 宗教の社会学
「宗教とは、神聖すなわち分離され 禁止された事物と関連する信念と 行事との連帯的な体系、教会と呼 ばれる同じ道徳的共同体に、これに 帰依するすべての者を結合させる 信念と行事である」 [ デュルケム
1991a(1912):86-87] 「あらゆる形態 のもとで、宗教生活は、人を自己を こえて高め、人が自らの個人的自 発性にのみ服していたら営んでいた であろう生活よりも、高級な生活を 営ませることを目的としている」
[ デュルケム 1991b(1912):317-1318]
宗教哲学
時代背景
[
上山
1989;クレー
1961(1957);高橋
1986;中沢
1991]• エレナ・ブラバッキー (1831-1891 年 )
1871
神智学協会創設
• ジャン・シャルコー (1825-1893 年 )
1887
頃~ヒステリー
→催眠術研究
• ルドルフ・シュタイナー (1861-1925 年 )
1912
人智学協会創設
• パウル・クレー (1879-1940 年 )
1899
年
12月末の日記
• ルドルフ・オットー (1869-1937 年 )
『聖なるもの』 (1917 年 )
Das Heilige
•
序文
•
第1章 合理性と非合理性
•
第2章 ヌミノーゼ
•
第3章 被造者感覚
―自己感情におけるヌミノーゼ的客体感情の反 映(ヌミノーゼの諸要素、第1)
•
第4章 戦慄すべき秘義(ヌミノーゼの諸要素、第2)
•
第5章 ヌミノーゼ賛歌(ヌミノーゼの諸要素、第3)
•
第6章 「魅するもの」(ヌミノーゼの諸要素、第4)
•
第7章 巨怪なるもの(ヌミノーゼの諸要素、第5)
•
第8章 類比
•
第9章 ヌウメン的価値としての「神聖」、「崇高なるもの」(ヌミノーゼ の諸要素、第6)
•
第
10章 非合理性とは何か
•
第
11章 ヌミノーゼの表出方法
•
第
12章 旧約聖書におけるヌノミーゼ
•
第
13章 新約聖書におけるヌミノーゼ
•
第
14章 ルターにおけるヌミノーゼ
•
第
15章 その発展
•
第
16章 アプリオリな範疇としての「聖なるもの」
―第1
•
第
17章 その歴史における発現
•
第
18章 「なまなましいもの」の要素
•
第
19章 アプリオリな篇中としての「聖なるもの」
―第2
•
第
20章 「聖なるもの」の出現
•
第
21章 原始キリスト教における預覚
•
第
22章 現代のキリスト教における預覚
•
第
23章 宗教的アプリオリと歴史
•
付属論文
主題と方法
• 主題
「すべての有神論における神観念一般にとって、
とりわけキリスト教的神観念にとって重要なこと は、それが精神、理性、意志、善なる意志、全 能、本質的統一者、意識者などとの賓
[ひん
]辞 と結びついて、神を明確に捉え、言い表わすこ とであり、したがってまた神は同時に、人間が 自分自身のうちに不十分な限られた形で認知 する人格的、理性的なものからの類比によって 思惟されることである」
[オット
―1992(
1917)
:9]→「合理的」宗教
「しかしながら、たとい合理的な諸賓辞が前景に 現れるのが普通だとしても、それらが神観念を 汲みつくしているものでないことは、それらの賓 辞がまさしく非合理なものに関しているからであ る。それらは本質的な賓辞ではあるが、しかし 本来主語のうちに包含されていない、すなわち 綜合的に本質的な賓辞である」オット
―1992(
1917):
10-11]• 方法
「私たちはここで、『聖なるもの』
(das Heilige)とい う特異な範疇について、以上のことを研究しよ う。ある事柄を『聖なるもの』と認め承認するこ とは、まずそのようには、ただ宗教の領域だけ に現われてくる特異な価値判断である」
[オット
―1992
(
1917):
14]。
「この目的のために私は、まずヌミノーゼ
(dasNuminöse)
なる語を作って見た。
…そして私は、
特異なヌウメン的な解明と価値判断との範疇 について語り、さらにこの範疇が適用されると ころ、すなわちある対象がヌウメン的と考えら れるところで常に引き起こされるヌウメン的な、
心情の調子について語るであろう」
[オット
―1992
(
1917):
16]考察
• 要素第1:被造者感情
「私は塵と灰とですが、私の主にあえて申し上げます」
[創
18:
27]• 要素第2:戦慄すべき秘儀
①戦慄すべき:「神ここにいましたもう。わが内なるものはいっ さいもだせ。み前にかしこみ、ひれ伏せ」
[テルスェゲン、
オット
―1992(
1917)
:30より
]②優越:「その時、いと高き主が私にその秘密を現わし、私の うちにそのあらゆる栄光を啓示された」
[ボスタミ、オット
―1992
(
1917)
:37]③力あるもの:「人間の心を動かし、『情熱』を起こさせ、異常 な緊張と活力とみ満たさせる」
[オット
―1992(
1917)
:41]④秘儀:「理解される神は、神ではない」
[テルスェゲン、オット
―1992
(
1917)
:43より
]• 要素第3:賛美
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光 は全地に満つ」
[イザ
6:3]• 要素第4:魅するもの
「私たちは畏れをもって聖所を拝すると同時に、そこから逃れ ようとしないで、さらに近づこうとする」
[ルター、オット
―1992(
1917)
:59より
]→「儀式的行為」「献身」と「魔法
[シャーマン
]的手段」
• 要素第5:巨怪なるもの
「不幸なる者よ、わたしはなお力を回復していない。ある全く 予期しないことに出会うとき、ある巨怪なるものを見るとき、
私の魂はしばらく立ち留まって、それに較べるものは他に 一つもないと思う」
[ゲーテ、オット
―1992(
1917)
:77-78より
]• 要素第6:神聖、崇高なるもの
「私は汚れた唇の者で、汚れた国民の中から出ています」
[イ ザヤ
6:4]「主よ、私から離れて下さい。私は罪人です」
[ペテロ、オット
―1992
(
1917)
:92より
]結論
• 「非合理性」
「私たちは、神観念における『合理的なもの』を、
その観念について、私たちの理解力が明らか にし得る範囲内のもの、すなわち熟知し、定義 し得る範囲の概念に属するものを意味した。そ して次に、この明らかに理解し得る範域のまわ りに、暗い深淵がよこたわっていて、私たちの 感情にではなく、概念的な思惟には到達しない のであり、その限りにおいて、それを『非合理な もの』と呼ぼうとするのである」
[オットー
1992(
1917)
:104]• ヌミノーゼの表出方法
①直接方法
②間接方法
③芸術におけるヌノノーゼの表出
• アプリオリな範疇としての「聖なる もの」と歴史
①刺戟と素質との交互作用の間に行われる人間精神 の歴史的発展の中において、素質そのものが、そ の作用により、実現され、形成され、かつ決定される
②素質そのものにより、歴史の一定の部分は、聖なる ものの出現として感知しつつ認められ、そしてこの 認識が第一に述べた素質の持つ体験の種類と程度 とに変化を来らせる
③第一と第二の要素の上に、認識と心情と意志とのう ちにおいて、聖なるものとの協同が生じる
[オットー
1992(
1917)
: 265-266]→
①一般的素養(芸術家)、②預言者、③御子
宗教哲学の現在
• 宗教哲学
井筒俊彦
1984『意識と本質
―精神的東洋を索 めて』岩波書店
津田眞一
1987『反密教学』リブロポート
五十嵐一
1989『神秘主義のエクリチュール』法 蔵館
• エラノス会議
http://www.eranosfoundation.org/