明治期の諷刺雑誌に見る保険
全文
(2) 第57巻. 1は. 第1号. じ. め. に. わ が 国 最 初 の 近 代 的 生 命 保 険 会 社 で あ る明 治 生 命 が 開 業 したの は1881年(明 こ とで あ る。 その 後,1888年. 治14年)の. に は東 京 にて 帝 国 生 命 が,翌 年 に は大 阪 を 本 拠 とす る 日本 生. 命 が 開 業 し,生 命 保 険 業 界 は3社 が 鼎 立 す る時 代 とな っ た。 さ らに類 似 保 険 や 生 命 保 険 の 模 倣 会 社 が 乱 設 され る 中,保 険 思 想 の 普 及 と営 業 拡 大 を 図 る た め に,生 命 保 険 各 社 は一 般 市 民 に 向 けて 生 命 保 険 の 重 要 性 を 宣 伝 す る必 要 が あ っ た。 これ につ いて,稲. 田編(1933). に よ れ ば,「 明 治23年 に 『節 用 集 』 と称 す る50頁 位 の小 冊 子 を作 り之 れ を 世 間 一 般 に 配 付 した。 この 冊 子 は創 立 当時 に発 行 した 『有 限 明 治 生 命 保 険 会 社 規 則 』 の 緒 言 に類 す る もの に所 謂 諸 節 用 を添 へ て 編 輯 され た もの で,恐. ら く我 国 に於 け る最 初 の 生 命 保 険 会 社 宣 伝 広. 告 用 パ ンフ レ ッ トで あ る と思 わ れ る。 これ は その 後4年 間 毎 年 刊 行 され た 。 こ \に明 治23 年 発 行 の 目次 を掲 げ併 せ て 数 年 間 に発 行 され た もの \中の 興 味 あ る部 分 を 採 録 して,当 時 の 保 険 思 想 を窺 知 す る資 料 に供 す る」(1)と 説 明 して い る。 この 「節 用 集 』 の 中 に,生 命 保 険 の 効 用 を 端 的 に表 した 「妻 子 の 為 め保 険 す へ し」 と い う項 目が あ る。. ○ 夫 婦 室 を 同 く して2,3人. の 子 供 を 育 て 夫 は外 に 出て 渡 世 の 営 み を な し婦 は 内 に居 て. 家 事 を納 め終 日閑 暇 な しと錐 も 日暮 れ 燈 を 点 した る後 父 子 夫 婦 対 座 して 飯 を 喫 し茶 を 飲 み 悠 然 と して 談 笑 す る は人 間 第 一 の 楽 に して 之 か 為 め に終 日の 労 を も慰 め渡 世 の 難 難 を も忘 るへ し之 を 家 内の 楽 と云 う然 れ と も一朝 主 人 の 身 に万 一 の 事 あれ は忽 ち此 楽 み を失 ひ子 は飢 に泣 き妻 は寒 を 訴 ふ る人 な く其 悲 況 視 る に忍 ひ さ る もの あ らん 一 念 此 に至 れ は人 の 父 た り夫 た る者 は生 命 保 険 の 一 日 も鉄 くへ か ら さ るを 知 るへ し西 洋 の 婦 人 は保 険 せ さ る人 の 妻 とな るを 嫌 ふ の 風 あ り故 に財 産 多 か ら さ る男 子 は婚 姻 す る に先 ち保 険 の 契 約 を結 ひて 妻 子 の 為 め に死 後 の 備 をな す を常 とす 我 国 の 婦 人 に は夫 の 生 命 を保 険 す るを 忌 む 者 あれ と も夫 の 死 後 子 を 養 育 す る は妻 の 職 務 な れ は必 す 夫 に勧 めて 保 険 せ しむ へ し(2). 夫 は一 家 の 主 と して 生 計 を 立 て,妻. は家 庭 にて 家 事 を こな す こ とが 当 然 と され て いた 時. 代 に,そ の 夫 の 身 に万 が 一一 の こ とが あれ ば,残 され た妻 子 の 生 活 は惨 憺 た る もの で あ る。 だか らこ そ,夫 で あ り父 親 で あ る者 は,そ の 責 任 と して 生 命 保 険 へ 加 入 す る必 要 が あ る。 -16(16)一.
(3) 明治期の調刺雑誌 に見 る保険(稲 葉) ま た,わ が 国 の 婦 人 は夫 に生 命 保 険 をか け るの を嫌 う傾 向 に あ るが,夫 の 死 後 に子 ど もを 養 育 す るの が 妻 の 責 務 で あれ ば,必 ず 夫 に生 命 保 険 へ の 加 入 を 勧 め るべ きで あ る と,生 命 保 険 の 必 要 性 を強 く訴 え て い る。 さ らに,こ の 文 章 の 後 に は2枚 の 挿 絵 が 掲 載 され て い る。. (出 典)稲. 田 編(1933)p.151。 図1生. 図1に. 命 の 保 険 を 為 した る 家 族. は,生 命 保 険 に加 入 し た家 族 の 様 子 が 描 か れ て い る。 ま ず 明 治 生 命 の 建 物 に. 入 って い く男 女 の 後 姿 に始 ま り,立 派 な 墓 の 図,そ. して 最 後 は夫 の 死 亡 後,不. らす 妻 子 の 姿 で 終 わ る。 一 方 ,図2で. は,生 命 保 険 に加 入 しな か っ た家 族 の 様 子 が 対 比 され て い る。. (出 典)稲. 田 編(1933)p.152。 図2生. 命 の 保 険 を 為 さ 、る 家 族. 一17(17)一. 自 由な く暮.
(4) 第57巻. 第1号. 幸 せ そ うな 家 族 の 団 樂 か ら始 ま り,泣 き崩 れ る妻 子 の 姿,最 後 は夫 が 保 険 に入 らな か っ た ばか りに,そ の死 後,貧 しい生 活 を余 儀 な く され た家 族 の苦 労 が 図2に は描 か れ て い る。 図1,図2を. 見 れ ば,保 険 加 入 の 有 無 を テー マ に した家 族 の 差 異 は一 目瞭 然 で あ り,一 ・. 般 市 民 に 向 け た生 命 保 険 の 宣 伝 と して は非 常 に効 果 的 だ と いえ る。 この よ う に紙 面 に お け る表 現 の1つ の 手 段 と して 漫 画 を用 い る こ と は,文 章 で 長 々 と説 明 す る よ りも,読 者 の 視 覚 に イ メ ー ジ と して 直 接 的 に訴 え,作 者 の 意 図 す る と こ ろが 瞬 時 に明 確 に伝 わ る と い う利 点 が あ る。 特 に,明 治 期 以 降 に発 行 され た 調 刺 雑 誌 は この 漫 画 を 効 果 的 に用 いて,当 時 の 世 相 や 社 会 的 事 件 等 につ いて ユ ー モ アを 持 って 批 判 し,大 衆 の 人 気 を集 めて い た。 調 刺 の 題 材 とな っ たの は,政 治 や 権 力 批 判 ばか りで はな く,近 代 的 保 険 制 度 の 導 入 に よ りわ が 国 の 生 活 に浸 透 し始 め た保 険 も その 対 象 とな り,さ ま ざ まな 形 で 雑 誌 に登 場 した。 そ こで,本 稿 で は明 治 後 期 に発 行 され た2つ の 雑 誌 『滑 稽 新 聞』 と 『東 京 パ ック』 か ら, 保 険 を テ ー マ に した調 刺 漫 画 を 収 集 し,当 時 の 保 険 業 の 状 況 につ いて 時 代 背 景 を も と に明 らか にす る こ と を 目的 と して い る。. H『. 滑稽新聞』 における調刺. 1901年 に宮 武 外 骨 に よ って刊 行 され た 「滑 稽 新 聞 』 は,「 威 武 に屈 せ ず 富 貴 に淫 せ ず ユ ス リもや らず パ ッタ リもせ ず. 天 下 独 特 の 肝 癩 を 経 と し色 気 を 緯 とす. 過 激 に して 愛 嬌 あ. り」 を モ ッ トー に,最 盛 期 に は部 数8万 部 と い う 当時 と して は驚 異 的 な 売 れ 行 きを 示 す 雑 誌 で あ っ た。 反 骨 精 神 に 富 ん だ外 骨 は,「 滑 稽 新 聞』 の 中 で,官 僚 や 政 治 家,警 察 官 等 の不 正 を 多 数 告 発 す る ほか,イ. ン チ キ広 告 や,恐 喝 取 材 を行 う新 聞 社 等 を 「ユ ス リ記 者 」 と呼 び,激. く批 判 して い る。 例 え ば,1901年3月25日. に発 行 され た 「滑 稽 新 聞 』 第3号. し. に は以 下 の よ. うな 記 事 が 掲 載 され て い る。. 附記. 鉄拳. 前 号 に も掲 げ た通 り,ユ ス リ新 聞 を 筆 諌 す る者 は外 に無 ひ,然 る に編 者 は斯 くの 如 く,思 ひ切 つ た記 事 を 続 載 す るか ら,何 時 悪 漢 無 頼 共 が 編 者 の 肉体 へ 危 害 を 加 へ るや も計 り難 い,ソ コ デ柳 か 遺 族 の 事 を 気 遣 ひ,今 般 帝 国 生 命 保 険 株 式 会 社 の 被 保 人 とな つ た,其 決 心 と勇 気,潔 癖 と過 激 の 程 察 し給 へ,文 士 が 社 会 に蓋 す べ き陽 性 義 務 は斯 一18(18)一.
(5) 明治期の調刺雑誌 に見 る保険(稲 葉) く無 けれ ばな らぬ と信 じて 居 る,編 者 は向 ふ 半 ケ年 か 一 ケ年 の 内 に,大 阪 市 内の ユ ス リ新 聞 を悉 く撃 退 して 其 跡 を 絶 た しめ,幾 分 か 実 業 家 諸 氏 の 為 め に蓋 さん との 斬 新 大 計 画 も あ ります,其 手 段 は追 つ て 報 じませ う, 社 会 一 般 の 腐 敗 と共 に文 明 の 利 器,国 家 の 木 鐸 た るべ き新 聞 記 者 の 堕 落 は,識 者 の 常 に慨 嘆 す る所 で あ るが,只 慨 嘆 す る計 りで は ダ メだ,ル ー テル は宗 教 改 革 の 元 祖, 編 者 は新 聞 の 革 命 者 を 以 て 自 ら任 じや う と思 ふ て 居 るの だ,呆 れ る人 は呆 れ 給 へ(3),. 図3に. は この 記 事 の 挿 絵 が 示 され て い る。. (出 典)赤. 瀬 川 ・吉 野 編(1985a)p.31。 図3献. 身的行動の覚悟. ユ ス リ新 聞 を根 絶 す る た め に大 胆 な 記 事 を 掲 載 し続 け る外 骨 が,そ の 身 の 危 険 に備 え, 家 族 の た め に帝 国 生 命 保 険 会 社 の 生 命 保 険 に加 入 した と い う記 事 で あ る。 保 険 の 内容 が ど の よ うな もの だ っ たの か な ど詳 細 につ いて は不 明 で あ るが,「遺 族 の事 を気 遣 い」と あ る こ とか ら死 亡 保 障 が 目的 の 保 険 で あ る と思 わ れ る。 図3に. お いて は,悪 漢 に襲 わ れ た 外 骨 の. 側 に,帝 国 生 命 保 険 会 社 の 提 灯 を掲 げ た者 が 描 か れ て い る。 図 に添 え られ た 「身 体 の 保 険 者 は あ ります が,精 神 の 保 険 者 は幾 萬 の 愛 読 諸 君 で な けれ ばな らぬ 」 と い う一 文 が,外 骨 ら し く小 気 味 よ い。 しか しな が ら,同 年10月 の 「滑 稽 新 聞 』 第15号 に は,「 本 誌 記 者 対 帝 国 生 命 保 険 会 社 」 と い う記 事 の 中で,帝 国 生 命 保 険 会 社 が 東 京 の ユ ス リ新 聞 社 長 に脅 迫 され て 金 品 を 渡 して い た こ とに言 及 し,「元 来 記 者 が 当 初 同社 の被 保 人 と な り し原 因 は 本 誌 第 三 号 所 記 の 如 く ユ ス リ新 聞 撲 滅 の 為 め一 身 を 犠 牲 に供 す る も厭 ふ 所 な き精 神 上 よ り万 一 を 慮 りて 保 険 契 約 一19(19)一.
(6) 第57巻. 第1号. を行 ひ た る もの な り,然 る に 己が 生 命 の 保 険 を托 す る会 社 に して ユ ス リ新 聞 の 脅 迫 に逢 ひ 金 品 を強 取 せ らる \が 如 き醜 態 を 演 出す る に至 りて は記 者 の 本 領 に矛 盾 す る もの な るが 故 に断 然 解 約 の 処 置 に 出で た る もの な り」㈲ と述 べ て い る。 ユ ス リ新 聞 同様,イ. ン チ キ広 告 に対 して も筆 謙 を 加 え る こ と を モ ッ トー と した外 骨 は. 『滑 稽 新 聞』 第25号 の 中 で,「 利 巧 な 広 告 」 と題 して 次 の よ うな 記 事 を 掲 載 して い る。. 文 明 だ とか 開 化 だ とか 云 う奴 も畢 寛 す る に欲 の 深 ひ奴 等 の 儲 け仕 事 を す る に便 利 な だ けの 事 で,正 直 な 者 に は チ ツ トも便 利 で もな けれ ば有 難 くもな いそ こで 此 広 告 と云 ふ もの も,矢 張 り文 明 開 化 の 産 物 で 如 何 か な して 人 を 感 服 せ しめ,ア ツ ト言 は して や り,そ して 金 を 儲 け た い と云 ふ 事 ばか り考 へ て 居 るの だ が,時. に は風 俗 壊 乱,治 安 妨. 害 的 の もの も少 くな いや うで あ る。 広 告 と云 へ ば先 づ 新 聞 広 告 が 第 一 で,儲. け た い儲 け た いの 奇 体 の 有 造 無 造 ど もが,. 一 行 何 十 銭 と云 ふ 高 い広 告 料 を 出 して 矢 鱈 に広 告 す るの で あ るが そ れ で も未 だ 足 らぬ と見 へ て 頗 る付 き の 変 妙 來 の 広 告 を 発 明 して 風 致 を 害 す る事 も何 に も考 へ ず ヒー ロ ー,ピ ンヘ ッ トな ど,山 の 中腹 へ 大 看 板 を掲 げ る な どは余 り感 服 した事 で は な い が, 金 儲 けの 上 か ら見 れ ば風 致 も何 に も あつ た もの で はな い,就 中最 も怪 しか らん 広 告 は 薬 缶 頭 に毛 が 生 へ たの や 片 髭 の 美 人 で あ る,こ れ 等 は大 イ ン チキ の 詐 欺 広 告 と云 はね ばな らぬ,其. 中で 梢 面 白 いの は例 の 保 険 会 社 の 広 告 で あ る火 事 の 焼 跡 に 「保 険 金 支 払. (出 典)赤. 瀬 川 ・吉 野 編(1985a)p.314。 図4利. 一20(20)一. 巧な広告.
(7) 明治期の調刺雑誌 に見 る保険(稲 葉) 済 」 な ん か と大 き く書 き 出 して 保 険 を付 けな か つ た者 を羨 ま しが らせ る と云 ふ 方 法, それ か ら又 葬 式 の 途 に生 命 保 険 の 広 告 を 出 して,そ れ 見 たか 手 前 等 は保 険 を 付 けな い か ら金 が 貰 へ ま い と云 ふ 当て こす りで ア ツ ト云 はす る趣 向,こ れ 等 は常 道 に外 れ て は 居 るが 巧 い方 法 と云 つ て 可 か らう(5)。. 火 事 の 焼 跡 へ の 火 災 保 険 会 社 の 広 告 につ いて,例 え ば 同和 火 災 編(1995)で. は 「大 阪 北. 区 の 大 火 の あ と,火 災 保 険 会 社 で は 自社 の 宣 伝 を 目的 と して,保 険 金 を 受 け取 った 被 保 険 者 に頼 ん で,「保 険 金 受 領 御 礼 』と書 い た札 を 焼 け跡 に立 て て も ら った 。 も ち ろん 社 名 入 り で あ るが,あ. る地 区 で は神 戸 海 上 の 社 名 が 入 っ た御 礼 札 が 軒 並 み ズ ラ リと並 ん で 立 って い. た。 これ を見 た某 保 険 会 社 の 幹 部 社 員 が,『火 災 保 険 契 約 と い う もの は,こ ん な 具 合 に軒 並 み と る もの で はな い。 これ で は,ア. ンダ ー ラ イ タ ー と して 笑 い もの にな る』 と言 うの を 聞. いて,神 戸 海 上 で は あわ て て 立 札 を撤 去 した」(6)と い う。 『滑 稽 新 聞 』 にお いて 「利 巧 な 広 告 」 と題 され た記 事 は,販 路 拡 大 を 目指 す あ ま りに人 の 不 幸 事 を 自社 の 宣 伝 に利 用 した 火 災 保 険 会 社,生 命 保 険 会 社 に対 す る痛 烈 な 皮 肉 と いえ る。 も っ と も,こ う した 保 険 金 支 払 いの 宣 伝 は,保 険 会 社 の 経 営 の 安 全 性 を 示 す た めの もの で も あ った 。 ま た,当 時,保 険 金 の 受 取 人 が 保 険 金 を受 け取 っ た際 に行 った 「保 険 金 領 収 広 告 」 も新 聞 紙 上 に お いて 頻 繁 に掲 載 され て い た。 図5は1901年2月1日. 付 の 「東 京 朝 日新 聞』に載 っ. た保 険 金 領 収 広 告 で あ る。. (出典)『 東 京 朝 日新 聞 』 第5229号p.8。 図5保. 険金領収広告. 少 し年 代 が 異 な るが,こ れ につ いて 保 険 銀 行 時 報 社 編(1933)で. は 「また 当 時 の 流 行 と. して 保 険 金 領 収 の 広 告 が あ るが,こ れ な ど保 険 金 を 支 払 っ た会 社 が 受 取 人 に無 理 に勧 めて 新 聞 紙 に 出 させ たの が 多 く,明 治 の 阿 部 氏 な ど は斯 様 な 宣 伝 の た めの カ ラ ク リ記 事 を 断 然 一21(21)一.
(8) 第57巻. 第1号. 斥 け た。(こ の 領 収 広 告 は 夙 に明 治 十 四,五 年 の類 似 保 険 た とへ ば 共 済 一 銭 社 な どが イ ン チ キの 手 本 を示 した もの だ)」(7)と指 摘 して い る。 宮 武 外 骨 は 『滑 稽 新 聞 』 創 刊 以 前 の1889年 に 『頓 智 協 会 雑 誌 』 を 発 行 して い るが,そ の 中で,大. 日本 帝 国 憲 法 発 布 を パ ロ デ ィ化 した 「頓 智 憲 法 」 を 掲 載 して い る。 これ に よ り外. 骨 は不 敬 罪 に問 わ れ,約3年. 間 入 獄 したの で あ る。 著 名 な 作 品 を 真 似 な が ら,滑 稽 さを 感. じさせ る作 品 に作 りか え るパ ロ デ ィ は外 骨 の 得 意 とす る手 法 で あ り,『滑 稽 新 聞』にお いて も多 数 の パ ロ デ ィ広 告 を 生 み 出 して い る。 図6は1902年. の 『滑 稽 新 聞 』 第25号 に掲 載 され たパ ロ デ ィ広 告 で あ る。. この 「日本 家 妻 保 険 株 式 会 社 」 の 広 告 で は,梯 子 の 上 で 男 が 徳 利 と杯 を 持 って,酒 を 飲 ん で い る絵 と と も に 「亭 主 が 梯 子 酒 を 呑 ん で 居 て は女 房 も 自堕 落 にな りて 姦 通 す る こ と請 合 な りと保 険 す 」 と記 され て い る。 この パ ロ デ ィの 元 にな っ た広 告 が,図7に. あ る 日本 火. 災 保 険 株 式 会 社 の 広 告 で あ る。 日本 火 災 保 険 会 社 の 広 告 で は,梯 子 の 上 で 男 が 梯 子 乗 りを 披 露 して い る。 男 の 胸 に あ る マ ー ク は 日本 火 災 の 社 章 で あ る。 明 治 創 業 期 の 火 災 保 険 会 社 は独 自の 私 設 消 防 組 や 火 災 現 場 駆 付 けが 組 織 され て お り,保 険 が 付 保 され た家 屋 で 火 災 が あれ ば,す. ぐに現 場 へ 駆 けつ. け た。 現 在 で も 出初 め式 な どで 見 られ る梯 子 乗 りの 様 子 が 広 告 で 使 用 され た 理 由の 一 因 で あ ろ う。 「日本 火 災 」 と 「日本 家 妻 」,梯 子 乗 りと梯 子 酒 を か けて,保 険 の 広 告 を 巧 み に茶 化 した,図6は. (出 典)赤. ま さ に典 型 的 な パ ロ デ ィ広 告 と いえ る。. (出典)『 東 京 朝 日新 聞」 第4931号p.8。. 図6日. 瀬 川 ・吉 野 編(1985a)p.318。. 図7日. 本家妻保険株式会社. 一22(22)一. 本火災保険株式会社.
(9) 明 治 期 の 調 刺 雑 誌 に見 る保 険(稲 葉) ま た,1904年. に 発 行 さ れ た 『滑 稽 新 聞 』 第67号. に は,次. の よ うな 調 刺 広 告 が 掲 載 され て. い る。. (出 典)赤 瀬 川 ・吉 野 編(1985b)p.90。 図8露. 1904年2月. 国生命危険株式会社. に勃 発 した 日露 戦 争 と生 命 保 険 会 社 を 引 っか けて 作 られ た この 「露 国 生 命 危. 険 株 式 会 社 」 の 広 告 は,ロ シ ア帝 国 海 軍 の 軍 艦 旗 を 社 章 に見 立 て,本 社 を 当 時 の ロ シ アの 首 都 サ ンク トペ テル ブル ク,支 社 を ウ ラ ジオ ス トック と旅 順 に して い る。 社 長 は ロ シ ア帝 国 皇 帝 ニ コ ラ スII世,支. 配 人 は満 州 軍 最 高 司 令 官 ア レクセ イ ・ク ロバ トキ ン将 軍 で あ る。. 日露 戦 争 を題 材 に した 同様 の 調 刺 広 告 は 『団 団 珍 聞 』 で も採 り上 げ られ て い る(8)。. 皿. 『東 京 パ ッ ク 』 に お け る 謁 刺. 福 沢 諭 吉 が 主 催 す る 『時 事 新 報 』 日曜 特 集 で 「時 事 漫 画 」 を掲 載 して いた 北 沢 楽 天 は, 1905年 に有 楽 社 か ら漫 画 雑 誌 「東 京 パ ック』 を 創 刊 した。 日本 初 の フル カ ラー 雑 誌 で あ っ た 『東 京 パ ック』 は人 々の 話 題 を呼 び,楽 天 は職 業 漫 画 家 の 第1号. とな った 。 当 時 の 調 刺. 画 は 「お ど け絵 」 ま た は 「ポ ン チ絵 」 と呼 ばれ て その 評 価 は低 か った が,名 付 け親 で あ る 楽 天 の 活 躍 に よ り,「漫 画 」 とい う言 葉 が人 々 の 間 に広 ま った。 楽 天 は 「東 京 パ ッ ク』の 中 で政 治 や世 相 な どを題 材 に した多 数 の調 刺 漫 画 を描 い て お り, 「東 京 パ ッ ク』 第1巻 第9号. に は次 の よ うな保 険 に 関す る漫 画 が掲 載 さ れ て い る。 -23(23)一.
(10) 第57巻. 第1号. (出 典)「 東 京 パ ッ ク」 第1巻 第9号p.11。 図9保. この6コ. 険の勧誘に関する漫画. マの 漫 画 は,い ず れ も保 険 の 勧 誘 員 を 追 い払 う方 法 を 描 いた もの で あ る。 当 時. の 生 命 保 険 会 社 各 社 に お いて は,代 理 店 に よ る募 集 以 外 の 販 売 チ ャネ ル と して 外 務 員 制 度 の 導 入 が 行 わ れ て お り,佐 藤(1996)に. よれ ば,特 に1902年 ドイ ツの ゴー ダ生 命 を 範 と し. て 設 立 され た第 一 生 命 が 創 業 当初 か ら代 理 店 制 度 を 採 用 せ ず,専 業 外 務 員 の 育 成 に力 を 入 れ た こ とが 各 社 の 動 き に拍 車 を か け た と い う(9)。 -24(24)一.
(11) 明 治 期 の 調 刺 雑 誌 に見 る保 険(稲 葉) 楽 天 の 漫 画 に お い て も,保. 険 の 勧 誘 員 は あ る 時 は 無 言 で 応 対 さ れ た り,ま. 居 留 守 を 使 わ れ た り し て い る 。 矢 野 編(1957)に. た あ る時 に は. よ れ ば,「 当 時 の 保 険 外 務 員 に は き わ め. て 悪 質 の 者 が 多 か っ た 。 広 島 県 で 実 際 に あ っ た 話 だ と い う が,『 物 貰 い,保 険 屋 入 る べ か ら ず 』 と 制 札 を 立 て た と こ ろ が あ っ た と い う 話 だ 」(1① とあ る。 も っ と も,こ. の よ う な 張 り紙 は 日 本 だ け の こ と で は な か っ た 。 田 村(1995)に. 例 え ば ア メ リ カ に お い て も 「行 商 人,勧 識 が1900年 図9に. 険 工 一 ジ ェ ン ト入 る べ か ら ず 」 と い う 標. に な っ て も 事 務 所 ロ ビー で 見 受 け られ た と い う(ll)。 は 保 険 の 勧 誘 員 を 追 い 払 う た め の 最 終 手 段 が 描 か れ て い る が,右. 勧 誘 員 に 対 して,妻. ,1907年. 図 下 段 で は保 険. が 主 人 は昨 夜 急 病 にて 死 ん だ と偽 って い る。 また 左 図 下 段 で は門 に張. り紙 が 貼 られ て お り,保 一方. 誘 員,保. よ る と,. 険 勧 誘 員 が 敷 地 内 へ 入 っ て く る こ と を 禁 じて い る 。. の 「東 京 パ ッ ク 』 第3巻. 第25号. に は 「喧 嘩 保 険 」 と 題 さ れ た 記 事 が 掲 載 さ. れ て い る。. 函 館 の 大 火 は近 来 の 災 厄 に して,罹 災 者 の 不 幸 は実 に 同情 に堪 へ ざ る庭 な るが,其 火 災 の 傍 杖 を 食 ひて,類 焼 同様 の 苦 境 に陥 れ る は火 災 保 険 に して,中. に は致 命 傷 を 受. け た る もの あ り 折 角 保 険 を 掛 けて も,小 火 の 時 は損 害 調 査 の,保 険 歩 合 の とサ ツサ ト支 払 は る \事 は稀 に して,何 だ か 掛 け る時 か ら気 持 が 悪 く,大 火 とな れ ば会 社 の 損 害 が 多 く して 致 命 傷 と あつ て は,同. じ く支 払 は る \か 否 や が 気 遣 は る,何 に して も火 災 は厄 介 な る は. 論 な し,然 し火 災 に も夫 々原 因 あ り,丁 稚 が 誤 て ラ ン プを 落 し,小 使 の 煙 草 盆 の 仕 舞 が 疎 漏 な り し為 め起 す 杯 は妙 に大 火 に至 らず して 済 む が,今 度 の 函 館 の 大 火 は夫 婦 喧 嘩 が 原 因 な りと は一 寸 珍 ら し,喧 嘩 の 火 の 手 杯 いふ 事 あれ ば喧 嘩 の 果 が 火 事 と為 る は 当然 な らん,唯 今 後 こん な 喧 嘩 さへ な い様 にな らば,大 火 も 自 ら無 くな る勘 定 ゆへ, 先 づ 其 根 本 を 防 ぐ主 意 にて 火 災 保 険 会 社 は喧 嘩 保 険 を 契 約 す る事 とせ ば,第 一 大 火 の 起 らぬ は勿 論,警 官 の 世 話 も減 り,又 延 いて 監 獄 署 も閑 と為 る訳 ゆへ,喧 嘩 保 険 杯 は 誠 に公 益 の 為 めな れ ば政 府 も進 て 許 可 す べ し殊 に夫 婦 喧 嘩 保 険 は媒 酌 人 が 自腹 を 切 て 内証 で 申込 もの 非 常 に多 か るべ し⑫. この 記 事 で は,1907年8月25日. に函 館 で 起 き た大 火 につ いて,そ の 火 事 の 原 因 が 夫 婦 喧. 嘩 で あ る と した上 で,火 災 保 険 会 社 は まず 喧 嘩 保 険 を 契 約 す るべ きだ と主 張 して い る。 喧 嘩 保 険 に よ り喧 嘩 が 無 くな れ ば大 火 も起 きず,ま 一25(25)一. た警 官 や 監 獄 所 な ど も暇 にな る。 何 よ り.
(12) 第57巻. 第1号. も夫 婦 喧 嘩 保 険 は媒 酌 人 が 自腹 を切 って で も,内 緒 で 申 し込 む 者 が 非 常 に多 いだ ろ う と結 ん で い る。 未 曾 有 の 大 火 とな っ た函 館 の 火 災 につ いて,当 時 の 『東 京 朝 日新 聞 』 で は火 元 の 原 因 を 次 の よ う に記 録 して い る。. 火 元 は東 川 町 二 百 十 七 番 地 石 鹸 製 造 業 塚 田佐 一一 郎 方 にて 佐 一 郎 は多 数 の 職 工 を 使 役 して 夜 業 を為 し居 り し二 十 五 日午 後 十 時 二 十 分 頃 釜 よ り火 漏 れ て 工 場 一 棟 を 焼 き次 い で 職 工 の 寄 宿 舎 長 屋 二 棟 に延 焼 し夫 よ り火 は裏 手 鋳 物 商 有 江 金 太 郎 方 の 亜 鉛 塀 を 回 り て 隣 家 松 井 栄 次 郎 方 を 半 焼 し一 直 線 に 同町 よ り西 川 町 に延 焼 して 終 に未 曾 有 の 大 火 と な り しもの な り同地 は前 日来 非 常 の 強 風 にて 殊 に月 余 に亙 りて 一・ 滴 の 雨 な く全 市 乾 き 切 つ た る折 柄 とて 火 焔 は大 森 濱 よ り吹 き込 む 風 に煽 られ て 沖 天 に渦 を 巻 き見 る も恐 ろ しき光 景 と はな りぬ ⑱. 釜 か ら火 が 漏 れ た原 因 が 夫 婦 喧 嘩 に よ る もの か ど うか は不 明 で あ るが,焼 失 地 域 が 全 函 館 の8割,焼. 失 戸 数1万2,390戸,損. 害 額3,500万 円 に達 した この大 火 は,火 災 保 険 業 界 は じ. ま って 以 来 の 大 惨 禍 で あ っ た。 保 険 会 社 各 社 の 支 払 保 険 金 は,東 京 火 災95万 円,明 治 火 災 53万 円,日 本 火 災47万 円,大 阪 火 災14万 円,共 同火 災12万 円,内 外 火 災11万 円な ど10社 合 計 で約300万 円 で あ っ た が,当 時 の わ が 国 火 災 保 険 会 社 の 総 保 険 料 収 入 は624万2,000円 に 過 ぎず,こ の 函 館 大 火 の 影 響 は甚 大 で あ っ た⑭。 保 険 会 社 の 広 告 と して は,1908年. に 「東 京 パ ック』 第4巻 第26号 に掲 載 され た 有 隣 生 命. の 広 告 が ユ ー モ ラ スで あ る。 同年 に 「東 京 朝 日新 聞 』 に掲 載 され た有 隣 生 命 の 広 告 と比 較 す る と,そ の 斬 新 さが 際 立 つ 。 『東 京 パ ック』 の広 告 で は,亀 甲 の 顔 に,有 隣生 命 の 社 章 を3つ 繋 げ た 蝶 ネ クタ イ を した紳 士 が,コ. ミカル に描 か れ て い る。 当時,新 聞 等 に掲 載 され た 保 険 会 社 の 広 告 の 多 く. が,『 東 京 朝 日新 聞』 に あ る よ うな 体 裁 で あ った こ と を考 え れ ば,図10は. か な り特 殊 な 広. 告 で あ る と いえ る。 広 告 を 載 せ る媒 体 の 傾 向 に よ って,広 告 の デ ザ イ ンを 変 更 して いた と す れ ば実 に興 味 深 い 内容 で あ る。 ま た,1913年. に発 行 され た 「東 京 パ ック』 第9巻 第6号. に掲 載 され た 日本 傷 害 保 険 株 式. 会 社 の 保 険 付 広 告 も特 殊 で あ る。 日本 唯一 傷 害 保 険 と題 され た この 広 告 は,「 東 京 パ ッ ク』 の読 者 の 特 権 と して,旅 行 傷 害 保 険 切 符 を雑 誌 に添 付 した もの で あ る。 内容 は,『東 京 パ ック』を 携 帯 して い る満10歳 以 一26(26)一.
(13) 明 治 期 の 颯 刺 雑 誌 に見 る保 険(稲 葉). (出 典)『 東 京 パ ッ ク 」 第4巻 図10有. 第26号p.12。. 隣 生 命(『 東 京 パ ッ ク 』). (出典)『 東 京 朝 日新 聞」 第8017号p.5。 図11有. 隣 生 命(『 東 京 朝 日新 聞 』). 上70歳 以 下 の 者 が 鉄 道 事 故 に よ り傷 害 を 被 っ た場 合,基 準 に応 じた 保 険 金(満 額 は100円) を支 払 う と い う もの で あ っ た。 読 者 は,旅 行 傷 害 保 険 切 符 の 欄 内 に氏 名 を 記 入 し,事 故 の 際 に は鉄 道 吏 員 の 証 明 を も ら って,保 険 会 社 に保 険 金 を 請 求 す る こ と にな る。 これ につ いて,日 本 傷 害 保 険 株 式 会 社 の 後 身 で あ る 日産 火 災 の 社 史 に よれ ば,日 本 傷 害 保 険 は 「粟 津 社 長 の 深 く豊 か な 保 険 知 識 が 生 か され,当 社 の 創 業 初 期 か ら,さ ま ざ まな 新. (出 典)「 東 京 パ ッ ク 』 第9巻. 第6号p,13。 図12日. 本唯一傷害保険.
(14) 第57巻 しい手 法 を保 険 の 発 売 や 宣 伝 ・PR等. 第1号. に採 り入 れ,保 険 業 界 に新 風 を 送 った 。 そ の 大 きな. 一 つ に は,旅 行 傷 害 保 険 切 符 の 発 売 が あ る。 粟 津 社 長 の 訪 欧 時 の 旅 行 奇 災 保 険 体 験 に ヒ ン トを得 て,明 治44年8月8日,東. 京 の 新 橋 駅 構 内売 店 に委 託 し,旅 行 傷 害 保 険 切 符 を 発 売. した。 この 切 符 は汽 車 に よ る旅 行 者 を 対 象 と し,保 険金 額 が1,000円,種 類 は有 効 期 間2日 か ら1年 の 各 種 の もの が あ っ た。 大 衆 娯 楽 と いえ ば芝 居 く らい しか 存 在 しな か った 当 時 の こ とで,今. 日の よ う に旅 行 代 理 店 や プ レイ ガ イ ドが あ るわ けで な い。 こ う した 「切 符 販 売. 代 行 所 』 に よ る切 符 販 売 は,お そ ら く日本 に例 が な か っ たの で はな か ろ うか 。 旅 行 傷 害 保 険 切 符 は,鉄 道 事 故 が 多 か った こ と と,購 入 が簡 便 で あ った こ とか ら大 変 な 人 気 を 呼 ん だ」⑮ とい う。 さ らに,「 宣 伝 やPRも,非. 常 に 革 新 的 で モ ダ ン な側 面 が あ っ た。 街 頭 で. マ ッチや チ ラ シな どを 配 っ たの は も と よ りの こ と,新 聞 ・雑 誌 等 の 広 告 内容 で も ひ と工 夫 した もの が 数 々 あ っ た。 イ ラ ス ト入 りの もの さえ あ っ た。 営 業 開 始 の 直 後 に 出 した と思 わ れ る営 業 案 内広 告 に,桃 太 郎 が 日本 一 と書 い た ノ ボ リを背 に した 漫 画 風 の イ ラ ス ト入 りの も の が あ り,コ ピー は何 と 「日本 一 」 を も じ って,「 日本 唯 一 ∼傷 害 保 険 ∼ 文 明事 業 』 と あ る。 新 聞 や 雑 誌 と特 約 提 携 して 傷 害 保 険 の 普 及 に努 め た こ と も あ った 。 大 正 元 年11月, 「東 京 パ ッ ク』 とい う雑 誌 に,保 険金 額100円 ・期 間10∼12日 の 旅 行 傷 害 保 険 切 符 を 無 料 添 付 したの が その 最 初 で あ る」⑯ と指 摘 して い る。 社 史 に お いて 紹 介 され て い る広 告 は大 正 元 年11月 の もの で あ るが,内 容 的 に はお そ ら く 図12の1913(大. 正2)年2月. の 広 告 と大 差 な い の で は な い か と思 わ れ る。 「東 京 パ ッ ク』. ら し く,「東 京 パ ック を 持 た ぬ 人 」 と 「東 京 パ ッ クを 持 っ た人 」 の違 い を 漫 画 で表 現 して い るの が,非 常 にわ か りや す い広 告 とな って い る。. び. Iv結. 宮 武 外 骨 に よ る 「滑 稽 新 聞 』 は,1908年. に 当局 か らの 発 行 禁 止 令 に先 立 って,同 年 の 第. 173号 を も って 「自殺 号 」 と し,自 ら発 刊 を停 止 した⑰。 ま た,北 沢 楽 天 に よ る 『東 京 パ ッ ク』 は1912年 に楽 天 が 有 楽 社 を 退 職 した こ と に よ り第1次 の 刊 行 を 終 え る。 こ う した調 刺 雑 誌 は,権 力 や 官 僚 批 判 に始 ま り,汚 職. 世 相 や 風 俗 に至 る まで,痛 快 で. 小 気 味 よ い文 章 と,ユ ー モ ア に あふ れ た漫 画 で,文 明 開 化 か ら言 論 統 制 が 厳 しさを 増 す ま で の 間,大 衆 の 人 気 を 集 め,当 時 と して は異 例 の 売 り上 げを 誇 った 。 調 刺 雑 誌 に登 場 す る保 険 は,時 局 に絡 め たパ ロ デ ィや,勧 誘 方 法 な どを 皮 肉 った もの が 多 い が,「 滑 稽 新 聞』 や 『東 京 パ ック』 に掲 載 さ れ た 例 を見 る と,保 険 会 社 の方 もた だ 調 一28(28)一.
(15) 明 治 期 の 調 刺 雑 誌 に見 る保 険(稲 葉) 刺 さ れ る だ け で は な く,そ れ を 利 用 した 広 告 やPRを. 行 っ て い る こ と が よ くわ か る 。 異 例. の 発 行 部 数 を誇 る雑 誌 に,自 社 の宣 伝 を 掲 載 す る こ とは,保 険 を販 売 す る 際 に大 い に 役 立 っ た こ とで あ ろ う。. 北 沢 楽 天 の 言 葉 に 「漫 画 で風 刺 す る の は百 篇 の文 字 よ り千 万 語 の言 語 よ り も力 が あ る」(18) と い う名 文 が あ る。 現 代 の 保 険 会 社 の パ ン フ レ ッ トや ホ ー ム ペ ー ジ を 見 て も,挿. 絵 や 漫 画 が 多 用 さ れ,自. 社. の 保 険 につ いて 消 費 者 にわ か りや す く伝 え よ う とす る意 図 が は っ き りと読 み 取 れ る。 これ は明 治 期 の 保 険 業 界 に お いて も,保 険 の 仕 組 み や 契 約 内容,ま. たそ の 効 用 等 につ いて 説 明. す る場 合,文 字 を 徒 に並 べ る よ りも,視 覚 的 に も楽 し く瞬 時 に理 解 しや す い漫 画 を 利 用 す る こ と は,大. 変 効 果 的 な 手 段 で あ っ た と いえ よ う。. 注. (1)稲. 田 編(1933)p。140。. (2)稲. 田 編(1933)p。150Q. (3)赤. 瀬 川 ・吉 野 編(1985a)p.31。. (4)赤. 瀬 川 ・吉 野 編(1985a)p。181。. (5)赤. 瀬 川 ・吉 野 編(1985a)p。314Q. (6)同. 和 火 災 編(1995)p.58。. (7)保. 険 銀 行 時 報 社 編(1933)補. (8)詳. 細 に つ い て は,稲. (9)佐. 藤(1996)pp.91-92を. ⑩ qD田. 論p.42。. 葉(2009)を. 参照。. 参照。. 矢 野 編(1957)p。57。 村(1995)pp.164-165を. 参照。. ⑰. 『東 京 パ ッ ク 」 第3巻. 第25号p.11。. ⑬. 『東 京 朝 日 新 聞 』 第7556号p.3。. ω. 武 田(1997)p.6を. ⑮. 日 産 火 災 編(1991)pp.37-38。. 参照。. ⑯. 日 産 火 災 編(1991)p。38。. ⑰. 『滑 稽 新 聞 』 と 宮 武 外 骨 に 関 す る 記 載 に つ い て は, http://www.cc.matsuyama-u.ac.jpズtamura/miyatakegaikotu.htmな. ど を参 照 。. (18)『 東 京 パ ッ ク 」 と 北 沢 楽 天 に 関 す る 記 載 に つ い て は, http://www.city.saitama.jp/www/contents/1204700574347/index.htmlな. 参. 考. 文. ど を参 照 。. 献. 赤 瀬 川 原 平 ・吉 野 孝 雄 編(1985a)『. 宮 武 外 骨 ・滑 稽 新 聞 第 壼 冊(第1号. ∼ 第30号)』 筑 摩 書 房. 赤 瀬 川 原 平 ・吉 野 孝 雄 編(1985b)『. 宮 武 外 骨 ・滑 稽 新 聞第 参 冊(第61号. ∼ 第89号)」 筑 摩 書 房. 同 和 火 災 海 上 保 険 株 式 会 社 社 史編 纂 委 員 会 編(1995)『. 一29(29)一. 同和 火 災50年 史 ・通 史 』 同 和 火 災 海 上 保 険 株.
(16) 第57巻. 第1号. 式会社 保 険 銀 行 時 報 社 編(1933)「 稲 葉 浩 幸(2009)「. 本邦生命保険業史』保険銀行時報社. 調 刺 漫 画 と保 険 一 『団 団珍 聞』 を 中心 に して一 」 『大 阪 商 業 大 学 商 業 史 博 物 館 紀 要 」. 第10号 大 阪 商 業 大 学 商 業 史 博 物 館 稲 田勤 編(1933)『. 明治生命五十年史』明治生命保険株式会社. 印 南 博 吉 編(1966)『. 現 代 日本 産 業 発 達 史XXV皿. 保 険 」 現 代 日本 産 業 発 達 史 研 究 会. 日本 経 営 史 研 究 所 ・住 友 海 上 火 災 保 険株 式 会 社 社 史 編 集 室 編(1995)「. 住友 海上火災保険株式 会社百. 年史』住友海上火災保険株式会社 日産 火 災 海 上 保 険 株 式 会 社 社 史 編 纂 室 編(1991)『. 飛 翔 へ の軌 跡. 日産 火 災80年 史. 本 史』 日産 火 災. 海上保険株式会社 佐 藤 保 久(1996)『 清 水 勲(2005)『. 資 本 主 義 と生 命 保 険 マ ー ケ テ ィ ン グ」 千 倉 書 房 漫 画 が 語 る明 治 」 講 談 社. 武 田晴 人(1997)「. 火 災 保 険 業 にお け る料 率 協 定 の 成 立 過 程 」 『経 済 学 論 集 」 第63巻 第1号 東 京 大 学 経. 済学会 田村 祐 一 郎(1995)「. 『生 の 保 険 』 と 「死 の 保 険 』. 日本 人 の 死 生 観 と生 命 保 険 ・第1部. 編 『保 険 文 化 一 リス ク と 日本 人 一 」 千 倉 書 房 矢 野 恒 太 記 念 会 編(1957)「. 矢野恒太傳」矢野恒太記念会. 米 山高 生(2008)『. 物 語 で 読 み 解 く リス ク と保 険 入 門 」 日本 経 済 新 聞 出 版 社. 湯 本 豪 一(1996)『. 図説明治事物起源事典』柏書房. 」水島一也.
(17)
関連したドキュメント
中国では漢方の流布とは別に,古くから各地域でそれぞれ固有の生薬を開発し利用してきた.なかでも現在の四川
How- ever, several countries that produce large amounts of exhaust (the U.S.A., China and India) are not par- ticipating in these initiatives. The failure of these countries to
16)a)最内コルク層の径と根の径は各横切面で最大径とそれに直交する径の平均値を示す.また最内コルク層輪の
第四。政治上の民本主義。自己が自己を統治することは、すべての人の権利である
The only thing left to observe that (−) ∨ is a functor from the ordinary category of cartesian (respectively, cocartesian) fibrations to the ordinary category of cocartesian
The main problem upon which most of the geometric topology is based is that of classifying and comparing the various supplementary structures that can be imposed on a
In the existing works on the combination of rough sets and matroids, Zhu and Wang 32 constructed a matroid by defining the concepts of upper approximation number in rough sets..
三七七明治法典論争期における延期派の軌跡(中川) セサル所以ナリ