ng] (ゴウ) 、「台」=[yi] (イ) 。 (6) 『古事記』 には 「吾與~」 5例、 「與吾~」 2例、 「我與~」 1例、 「與我」 0 例。 文 章 の 形 態 的 側 面 で あ る 漢 字 表 記 の 表 現 を 論 じ て い る の で 漢 文語法にしたがって 「與吾~」 の 「與」 を介詞と見るべきだろうが、 用 例 が 少 な い こ と も あ り、 裏 に あ る と 考 え ら れ る 和 文 の 語 法 を 考 慮 し、便宜的に「與=と」と見て全て共格とした。 (7) 「 送 我 水 中, 无 吾 也 」『 史 記・ 亀 策 列 伝 』 は『 史 記 』 の 散 逸 し た 部 分 を 西 漢( 前 2 0 2 ― 9) 末 の 人 褚 少 孫 が 補 っ た 文 章 に あ る 用 例 だ が、司馬遷(約前145―前87)とほぼ同時代。 (8) 『 史 記 』 の「 我 」「 吾 」 併 用 例 を 精 査 し た 漆 権( 1 9 8 4) も 王 力 説 を支持するが、 「吾」に対格の用例がないのを指摘するだけで、 「我」 「 吾 」 格 機 能 相 互 補 完 説 を 裏 付 け る 根 拠 に な ら な い。 『 左 伝 』 に お け る「 我 」「 吾 」 を 精 査 し た 何 楽 士( 1 9 8 4) も 王 力 説 を 支 持 し、 格 機 能 に お い て 相 互 補 完 的 だ と す る が、 同 様 に 対 格 に お け る「 我 」 「 吾 」 の 偏 り を 根 拠 と し て い る だ け で あ る。 『 角 川 漢 和 中 辞 典 』( 貝 塚 茂 樹 等 ) は、 古 く は「 我 」 を 所 有 格 に、 「 吾 」 を 主 格 や 対 格 に 用 い た が、 の ち に は そ の 区 別 は 消 滅 し た と し て い る が、 前 半 は 見 直 す べきであろう。 (9) 「 吾 」 の ほ う が 文 語 的 で あ る と い う 牛 島( 1 9 6 7) の 観 察 は 近 年 の通時的調査、 考察からすれば見直すべきであろうが、 『史記』 に限っ て 言 え ば、 外 れ た 読 み で は な い。 こ れ は 目 上 の 人 が 目 下 の 人 に 話 す 時 に 用 い ら れ る 例 が 多 く、 か つ「 温 婉 平 和 」 な 場 合 が 多 数 を 占 め る と す る 胡・ 張( 2 0 1 0) の 読 み と 通 底 す る。 ま た や や 尊 大 な 言 い 方 で あ る と い う 観 察 も 目 上 の 人 が「 吾 」 で 語 る「 温 婉 平 和 」 な 口 調 の裏返しと言えよう。 ( 10) 数字は著者の生卒年。 ( 11) 中華書局出版の『史記』に拠った。 ( 12) 『史記』 小竹文夫 ・ 小竹武夫訳 (ちくま学芸文庫) を参考にされたい。 ( 13) 塚 原 鉄 雄『 国 語 表 現 の 史 的 研 究 』「 万 葉 表 現 の 史 的 座 標 」 新 典 社 (1993) 参考文献 牛島徳次(1967) 『漢語文法論(古代編) 』大修館書店 王力(1980) 『漢語史稿』中華書局1980. 6新版第1刷 何 楽 士( 1 9 8 4) 「『 左 伝 』 的 人 称 代 詞 」『 古 漢 語 研 究 論 文 集( 二 )』 中 国社会科学院語言研究所 胡 偉、 張 玉 金( 2 0 1 0. 3) 「 上 古 第 一 人 称 代 詞 称 数 研 究 」『 北 方 論 叢 』 2010年第2号 胡 偉、 鄒 秋 珍、 楊 林 青、 高 倩( 2 0 1 0. 6) 「 戦 国 至 西 漢 時 期 的 "吾、 我" 之別」 『西華大学学報(哲学社会科学版) 』2010年6月 胡偉、 張玉金(2010. 8) 「上古漢語中第一人称代詞五平面研究」 『広 西社会科学』2010年第8号 洪波 (1996) 「上古漢語第一人称代詞 "余(予) " "我" "朕" 的分別」 『言 語研究』1996年第1号 漆 権( 1 9 8 4) 「『 史 記 』 中 的 人 称 代 詞 」『 語 言 学 論 叢 第 十 二 輯 』 北 京 大学中文科 徐萱春(2008) 「『史記』中的人称代詞」浙江大学修士論文 徐国莉 (2002) 「上古第一人称代詞 "吾" 与 "我"」 『井岡山学院学報 (哲 学社会科学) 』第27巻第5号 鄒 秋 珍、 張 玉 金、 胡 偉( 2 0 1 0. 9) 「 上 古 漢 語 第 一 人 称 代 詞 句 法 功 能 研究」 『寧夏大学学報(人文社会科学版) 』第 32巻第5号 張 玉 金( 2 0 0 4) 「 論 西 周 漢 語 第 一 人 称 代 詞 有 無 謙 敬 功 能 的 問 題 」『 華 南師範大学学報(社会学版) 』2004年第2号 張 玉 金( 2 0 0 8) 「 春 秋 時 代 第 一 人 称 代 詞 研 究 」『 言 語 研 究 』 第 28巻 第 2号 張 循( 2 0 0 5) 「《 史 記 》 所 用 " 我" 字 説 」『 史 学 史 研 究 』 2 0 0 5 年 第 1号 梁 光 華( 1 9 9 1) 「 略 論 屈 原 賦 第 一 人 称 代 詞 的 語 法 特 点 」『 貴 州 師 範 大 学学報(社会科学版) 』1991年第2号
熊 曾 と 出 雲 の 征 伐 を 果 た し て 戻 っ て く る が、 す ぐ に 父 景 行 天 皇 か ら 東 征 す る よ う 頻 り に 促 さ れ 再 び 遠 征 に 出 さ れ て し ま う。 父 に 疎 ま れ る 倭 建 命 は、 父 は 自 分 に 死 ん で ほ し い と 思 っ て い る の ではと伊勢神宮に仕える姨倭比売命にその愁いを訴える。 ○ 天 皇 既 所 以 思 吾 死 乎、 何 撃 遣 西 方 之 惡 人 等 而、 返 參 上 來 之 間、 未經幾時、 不賜軍衆、 今更平遣東方十二道之惡人等。因此思惟、 猶所思看吾既死焉。 こ の 愁 訴 の 言 葉 に も「 思 吾 死 乎 」「 思 看 吾 既 死 焉 」 と「 吾 」 が 使 わ れ て い る。 「 我 」 は、 こ の 愁 訴 の 表 現 に は し っ く り し な い の だろう。取り立てたり強調したりはせず、 普通の場合に使う 「吾」 に よ る 控 え め な 表 現 が 相 応 し い。 最 後 に 三 重 村 に 着 い て、 望 郷 の歌を詠んで「崩御」するが、 その時に次のようなセリフを言っ ている。 ○ 自其地幸、到三重村之時、亦詔之、吾足如三重勾而甚疲。 私 の 足 は 三 重 の よ う に 折 れ て 大 変 に 草 臥 れ て し ま っ た と、 当 代 第 一 の 英 雄 が 言 う。 イ ザ ナ キ が 自 分 の 体 を「 我 身 」、 垂 仁 天 皇 が自身のクビを 「我頚」 と言う用例はあるが、 しかし、 やはり 「我 足」では悲壮感が削がれてしまうだろうか。 5. おわりに 『 古 事 記 』 の 文 章 を 和 化 漢 文、 変 体 漢 文 と 呼 ぶ か、 そ れ と も 変 格 和 文 と 称 す る か、 今 日 で も 議 論 が 絶 え な い。 和 化 漢 文、 変 体 漢 文 と い う 名 称 は 文 章 の 形 態 面 を 重 要 視 し た 命 名 で あ り、 変 格 和 文 は 漢 字 表 記 と 漢 文 語 法 の 裏 に 隠 れ て い る 和 文 を 本 当 の 姿 と 見 る 呼 称 で あ る が、 ど ち ら も そ の 一 側 面 だ け を 捉 え た 見 方 で あ る。 裏 に あ る 和 文 が 何 ら か の 形 で そ の 輪 郭 を 表 し て い る の も 事 実 で あ る が、 漢 字 表 記、 漢 文 語 法 も 文 章 表 現 と し て 機 能 し て い る の も ま た 看 過 で き な い『 古 事 記 』 文 章 表 現 の 工 夫 で あ る と 認 めなければならない。いわば、二重の文章表現が成されている。 漢 文 第 一 人 称 代 名 詞「 我 」 と「 吾 」 の 使 用 は 和 文 の 第 一 人 称 代 名 詞 ア 系・ ワ 系 と 全 く 関 連 づ け が な い と 断 じ る こ と は で き な い が、 が っ ぷ り 四 つ に 組 ん で い る わ け で は な い。 む し ろ、 漢 文 の語法にしたがって巧く使い分けられていると言える。 裏 に あ る 和 文 の 語 形 は 聴 覚 映 像 )(( ( と し て の『 古 事 記 』 の 文 章 表 現 を 構 成 す る が、 漢 字 表 記、 漢 文 語 法 は 視 覚 映 像 と し て の『 古 事 記 』 の 文 章 表 現 を 形 成 し て い る。 「 我 」「 吾 」 の 上 手 な 使 い 分 けは視覚映像としての文章表現に寄与している。 注 (1) 国文学研究資料館の日本古典文学本文データベースを利用した。 (2) 『古事記大成』 「言語文字編」武田祐吉(編)平凡社(1957) (3) ア・ ワ と そ れ に 接 尾 語 レ が 下 接 し た ア レ・ ワ レ と 二 種 類 の 語 形 が あ る が、 接 尾 語 レ が 付 く と 体 言 性 が 強 め ら れ、 用 法 が 広 く な る。 こ こ ではこのことを考慮する必要がない。 (4) 中国語音は「我」=[wo] 、「吾」=[wu] 。 (5) 中国語音は「余/予」=[yu] 、「朕」= [zhen] 、「卬」= [a
○ 伊邪那岐命語詔之、愛我那迩妹命、吾與汝所作之國、末作竟。 ○ 吾與汝競、欲計族之多少。 ○ 爾 沙 本 毘 古 王 謀 曰、 汝 寔 思 愛 我 者、 將 吾 與 汝 治 天 下 而、 即 作 八鹽折之紐小刀、授其妹曰、 ○爾誂妾曰、吾與汝共、治天下。 ○ 孰神與吾能相作此國耶。 ○ 答言、我與兄易鉤而、失其鉤。 こ れ ら の 用 例 も 話 者 自 身 を 取 り 立 て た り 強 調 し た り す る 必 要 の な い 場 面 だ か ら「 吾 」 が 使 わ れ て い る と 見 て よ い。 掉 尾 の 用 例 は「 我 與 兄 」 と あ り、 僅 か の 1 例 で は あ る が、 「 吾 與 汝 」 と い う 表 現 が 多 い の は 格 に よ る 統 語 的 制 約 の た め で は な く、 内 容 が も た ら し た 偶 然 で あ ろ う と 示 唆 し て く れ る 用 例 と 言 え る。 山 佐 知 毘 古 が 兄 の 海 佐 知 毘 古 に 釣 り 針 を 借 り て 釣 り を し た が、 借 り た 釣 り 針 を 海 に な く し て し ま う。 佩 剣 を つ ぶ し て 五 百 本 の 釣 り 針 を 作 っ て 償 っ て も 承 知 し な い し、 更 に 千 本 作 っ て も 納 得 せ ず、 ど う し て も 元 の 釣 り 針 が ほ し い と 言 わ れ る。 困 り 果 て た 山 佐 知 毘 古 が 海 辺 で 泣 き 憂 え て い る 時、 通 り か か っ た 鹽 椎 神( シ ホ ツ チ ノ カ ミ ) に そ の わ け を 聞 か れ た 説 明 に あ る 用 例 で あ る。 自 分 が な ぜ こ う も 困 っ て い る の か、 実 は、 と そ の 理 不 尽 な 経 緯 を 訴 える。そういう文脈に 「我」 が使われている意図を読み取りたい。 共 格 の「 我 」 1 例 と「 吾 」 6 例 も や は り 強 調 義 と 非 強 調 義 と の 意味的対立の上に立って使い分けられていると考えられる。 4. 7 倭建命の自称代名詞「吾」 「 我 」 と「 吾 」 の 用 例 を 格 ご と に 検 討 し て き た。 論 を 進 め る 上 で の 便 宜 か ら「 我 」 の 強 調 義 の 確 認 を 通 し て「 吾 」 の 非 強 調 義 を 確 認 す る 論 法 が 多 か っ た の で、 そ の 偏 り を 補 う 意 味 も あ っ て、 倭 建 命 の 自 称 代 名 詞 に「 吾 」 が 多 用 さ れ て い る 理 由 を 検 討 し て み た い。 次 の 用 例 は 倭 建 命 が 当 芸 野 の あ た り で、 い よ い よ 体 が 弱って来た時に言った言葉にあるもの。 ○ 吾心恒念自虚翔行。然今吾足不得歩。成當藝當藝斯玖。 こ の「 吾 心 」 の 用 例 と、 須 佐 之 男 命 の 言 葉「 吾 來 此 地、 我 御 心 須 賀 須 賀 斯 而、 其 地 作 宮 坐。 」 と は 表 現 素 材 や、 情 報 構 造 が 非 常 に よ く 似 て い る。 し か し、 須 佐 之 男 命 の セ リ フ は 八 俣 の 大 蛇 を 退 治 し、 妻 を 娶 り、 そ の 妻 と 住 む 宮 を 建 て よ う と、 意 気 揚 々 と 須 賀 と い う 地 に 来 て ス ガ ス ガ し い 気 分 の も と で 吐 か れ た も の。 強 調 義 を 持 つ「 我 」 に 自 敬 の「 御 」、 「 我 御 心 」 は そ の 心 境 を 如 実 に 表 し て い る。 一 方、 遠 征 の 大 業 を 成 し 遂 げ た 英 雄 な の に 故 郷 に 帰 る に も 心 許 な く、 体 も す っ か り 弱 っ て し ま い、 意 気 消 沈 し た 心 情 が こ の「 吾 心 」 に 現 さ れ て い る と 思 わ れ る。 そ の 直 前 の 章 段 で 伊 服 岐 の 神 に 打 ち 惑 わ さ れ る 場 面 を 述 べ る 地 の 文 で は、 「御心」と表現されている。 ○ 還下坐之、到玉倉部之清泉以息坐之時、御心稍寤。 こ の 違 い か ら も「 吾 心 」 と「 我 御 心 」 と で 自 称 代 名 詞 が 意 識 的に使い分けられていると読み取るべきであろう。 無 類 の 強 力 と 武 勇 を 誇 る 一 方、 恐 ろ し い 残 忍 さ を 兼 ね 持 つ 倭 建 命 は 父 景 行 天 皇 に 惶 れ ら れ て い た。 西 方 の 遠 征 に 遣 わ さ れ、
の 使 い 分 け の あ り 方 が 一 層 諒 と さ れ よ う。 推 し 量 れ ば、 そ の 次 の用例 「捕我悉剥我衣服」 に 「我」 が連用されているのも意図あっ てのことと理解される。 「 吾 」 7 例 の う ち、 弱 い 立 場 に あ り 弱 気 な 態 度 の 読 み 取 れ る 用 例が5例ある。 ○ 爾 伊 邪 那 岐 命、 告 其 桃 子、 汝 如 助 吾、 於 葦 原 中 國 所 有、 宇 都 志 伎 青 人 草 之、 落 苦 瀬 而 患 惚 時、 可 助 告。 ( イ ザ ナ ミ が 派 遣 し た追っ手、 八雷神とその率いる千五百の黄泉軍に追われて這々 の 体 で 逃 げ る イ ザ ナ キ。 桃 三 個 を 投 げ て や っ と の こ と で 恐 ろ しい黄泉の追っ手を追い返したイザナキが桃に懇願した言葉) ○ 即 白 其 姨 倭 比 賣 命 者、 天 皇 既 所 以 思 吾 死 乎 …( 西 方 の 遠 征 の 後 息 つ く 間 も な く 東 方 の 遠 征 を 命 じ ら れ た 倭 建 命 が 叔 母 に 言った嘆きの言葉) ○ 因此思惟、猶所思看吾既死焉。 (同右) ○ 其 王 子 答 詔、 然 者 更 無 可 爲。 今 殺 吾。 ( 安 康 天 皇 を 弑 し た 目 弱 王 が ツ ブ ラ オ ホ ミ の 家 に 逃 げ 込 む が、 大 長 谷 王 子( 後 の 雄 略 天 皇 ) に 攻 め ら れ て い よ い よ 敗 れ て 捕 ま り そ う に な っ た 時 に ツ ブ ラ に 頼 ん だ 言 葉。 ツ ブ ラ は 目 弱 王 を 刺 し 殺 し た 後 刎 頸 自 決した。 ) ○ 於 西 方 除 吾 二 人、 無 建 強 人。 ( 熊 曾 建 が 倭 建 命 に 尻 か ら 剣 を 刺 し通され殺される前に言った言葉) 4. 5 位置格の「吾」と「我」 こ の「 に 」 格 に 分 類 し た 例 文 の う ち、 受 け 身、 授 与、 帰 着 な ど が あ り、 必 ず し も 漢 文 の 語 法 と 一 致 し な い が、 こ こ で は 追 求 し な い。 格 に よ る 制 約 を 示 唆 す る よ う な 要 素 も 見 ら れ な い。 用 例 は「 我 」 2 例 と「 吾 」 4 例 の 6 例 し か な く、 意 味 特 徴 を は っ きりと指摘できるような文脈もほとんどない。 ○ 吾云、汝者我見欺言竟、 ○ 於是御子、令白于神云、於我給御食之魚。 ○ 伊邪那美命、言令見辱吾、即遣豫母都志許賣令追。 ○ 爾速須佐之男命、詔其老夫、是汝之女者、奉於吾哉、 ○ 然於大倭國、益吾二人而、建男者坐祁理。 ○ 即 誂 告 建 内 宿 禰 大 臣、 是 自 日 向 喚 上 之 髮 長 比 賣 者、 請 白 天 皇 之大御所而、令賜於吾。 先 頭 の 用 例 だ け「 吾 云 」 と の 比 較 が で き る。 稲 葉 の 素 兎 が、 自分が 「和邇=ワニ」 を騙した話を大国主神に教えた時の言葉で、 「お前たちは俺に騙されたんだぞと私が言った」 という意味。 「吾 云 」 は 大 国 主 神 を 相 手 と す る 発 話、 「 汝 者 我 見 欺 」 は ワ ニ に 言 っ た 言 葉。 前 者 の「 吾 」 は 取 り 立 て や 強 調 な ど を 必 要 と し な い 第 一 人 称 代 名 詞、 後 者 の「 我 」 は 弱 者 で あ る 兎 が 強 者 で あ る ワ ニ を 騙 し 果 せ た 勝 利 の 宣 言 を 得 意 げ に 表 現 し た 強 調 義 の 第 一 人 称 代名詞。 4. 6 共格の「吾」と「我」 共格は計7例しかないうち、 「吾」 6例に 「我」 1例。 「吾與汝」 が5例もあり、慣用的表現とも思われる。 ○ 吾與汝行廻逢是天之御柱而、爲美斗能麻具波比。
○ 此之鏡者、專爲我御魂而、如拜吾前、伊都岐奉。 ○ 故、以意富多多泥古而、令祭我御前者、神氣不起、国安平。 ○ 能治我前者、吾能共與相作成。 ○ 爾愁白其母之時、御祖答曰、我御世之事、能許曾神習。 ○ 我那勢命之上來由者、必不善心。欲奪我國耳。 ○ 言誰來我國而、忍忍如此物言。 一 方、 「 吾 」 の 用 例 は 上 掲 用 例 に あ る「 如 拜 吾 前 」 と 次 の 用 例 の2例だけである。 ○ 吾心恒念自虚翔行。然今吾足不得歩。成當藝當藝斯玖。 こ の 用 例 は 倭 建 命 が 三 重 村 に 着 い て い よ い よ 体 が 弱 っ て、 歩 け な く な っ た 時 の 言 葉 で、 体 力 も 気 力 も 喪 失 し た 英 雄 末 路 の 嘆 き で あ る。 後 述 の よ う に こ の「 吾 」 は こ の 場 面 に 相 応 し い 使 い 方と考えられる。 (5)対立、対比の文脈における「我~」とその他 と こ ろ で、 キ・ ミ 両 神 が 国 産 み を す る 場 面 に お け る 1 例 だ け で あ る が、 対 立、 対 比 的 な 文 脈 に お い て「 吾 」 と「 我 」 が 使 い 分けられる用例もある。 ○ 於 是 問 其 妹 伊 邪 那 美 命 曰、 汝 身 者 如 何 成。 答 白 吾 身 者、 成 成 不 成 合 處 一 處 在。 爾 伊 邪 那 岐 命 詔、 我 身 者、 成 成 而 成 餘 處 一 處在。故以此吾身成餘處、 刺塞汝身不成合處而、 以爲生成國土。 生奈何。 最 初 の「 吾 身 」 は イ ザ ナ ミ が イ ザ ナ キ の 問 い へ の 答 え で 他 を 意 識 し た 表 現 で は な い。 次 の「 我 身 」 は イ ザ ナ ミ の 答 え に 対 し て イ ザ ナ キ が 返 し た 言 葉 で、 対 立、 対 比 の 文 脈 を 形 成 し て い る。 そ し て そ の 次 の「 吾 身 」 は イ ザ ナ キ の 言 葉 で あ る が、 そ こ に は 対 立、 対 比 の 文 脈 は な い。 他 に「 吾 」 の 用 例 が 8 例 あ る が、 取 り 立 て た り 強 調 し た り は せ ず、 い わ ゆ る 普 通 一 般 の 表 現 で あ る。 「 我 」 の 用 例 は 他 に 6 例 あ る が、 こ れ と 判 断 す る 文 脈 が な い の で 省略する。 4. 4 対格の「我」と「吾」 対 格 の 用 例 数 は「 我 」「 吾 」 合 わ せ て 11例 と 僅 少 で あ る。 古 代 日 本 人 が 第 一 人 称 を 対 格 に 立 て る 表 現 を 好 ま な い 故 か、 そ れ と も た ま た ま 内 容 の も た ら す 偶 然 の 結 果 な の か、 俄 に 究 明 し が た い。 「 我 」 4 例 の う ち 2 例 が 禁 止 の 命 令 文 に 使 わ れ て い る。 「 吾 」 にない用例である。 ○ 故、欲還、且與黄泉神相論。莫視我。 ○ 建御名方神白、恐、莫殺我。除此地者、不行他處。 後 の 2 例 の う ち 1 例 は 何( 1 9 8 4) が 指 摘 し た「 強 調 義 を 持つ副詞を伴う場合」 の 「我」 の用法に相当するものである (前 述参照) 。 ○ 汝寔思愛我者、將吾與汝治天下、 ○ 即伏最端和迩、捕我悉剥我衣服。 「 汝 寔 思 愛 我 者 」 の「 寔 」 は「 実 」 と ほ ぼ 同 義 で、 「 ま こ と に 」 「 本 当 に 」 の 意。 こ れ は サ ホ ビ コ が そ の 妹 の サ ホ ビ メ に 謀 反 の 幇 助を唆す時に言った言葉である。この条件複文の主節である 「將 吾 與 汝 治 天 下 」 に「 吾 」 が 使 わ れ て い る の を 吟 味 す れ ば、 両 者
7例見られる。 ○ 答白言、我之女者、自本在八稚女。 ○ 其我之女須世理毘賣、爲嫡妻而、 ○ 我 之 女 二 並 立 奉 由 者、 使 石 長 比 賣 者、 天 神 御 子 之 命、 雖 雪 零 風吹、恒如石而、常堅不動坐。 ○ 此者爲在山代國我之庶兄建波迩安王、起邪心之表耳。 ○ 然 其 大 長 谷 天 皇 者、 雖 爲 父 之 怨、 還 爲 我 之 從 父、 亦 治 天 下 之 天皇。 ○ 大物主大神、 顯於御夢曰、 是者我之御心。 故、 以意富多多泥古而、 令祭我御前者、神氣不起、国安平。 ○ 我 之 御 魂、 坐 于 船 上 而、 眞 木 灰 納 瓠、 亦 箸 及 比 羅 傳 多 作、 皆 皆散浮大海以可度。 上 掲 7 例 中「 我 之 女 」 3 例 と「 我 之 庶 兄 」「 我 之 從 父 」 を 合 わ せると、5例が親族関係を表す用例である。 (3) 「我+親族名詞」 属格マーク 「之」 の付かない 「我+親族名詞」 の用例が 12例ある。 うち、 「我御子」4例は全て天孫オシホミミノミコトを指す。 ○ 豐 葦 原 之 千 秋 長 五 百 秋 之 水 穗 國 者、 我 御 子 正 勝 吾 勝 勝 速 日 天 忍穗耳命之所知國、 ○ 汝之宇志波祁流葦原中國者、我御子之所知國、 ○ 此葦原中國者、我御子之所知國、 ○ 葦原中國者、 伊多玖佐夜藝帝阿理那理。我御子等、 不平坐良志。 「我子」は6例、その他は3例。 ○ 此者實我子也。 ○ 我子者不死有祁理。我君者不死坐祁理。 ○ 僕者不得白。我子八重言代主神、是可白。 ○ 亦我子有建御名方神。 ○ 佐久夜毘賣、一宿哉妊。是非我子。 ○ 於 是 父 答 曰、 是 者 天 皇 坐 那 理。 恐 之、 我 子 仕 奉 云 而、 嚴 餝 其 家候待者、明日入坐。 ○ 亦不違我子大國主神之命。 ○ 答白我姉石長比賣在也。 ○ 今旦聞我女之語、云三年雖坐、恒無歎、今夜爲大歎。 親族名詞を修飾する「吾~」の用例は1例のみ。 ○ 吾御子爲天降之道、誰如此而居。 (4)権威ある対象を修飾する「我」 属格マーク 「之」 は付かないが、 大神、 天皇、 王、 御心、 御魂、 (御) 前、 御 世、 国 と い っ た 権 威 あ る も の を「 我 」 で 修 飾 す る 用 例 が 12例見られる。前掲 「我之~」 用例2例と合わせると 14例になる。 ○ 恐我大神、坐其神腹之御子、何子歟。 ○ 天 皇 於 是 惶 畏 而 白、 恐 我 大 神、 有 宇 都 志 意 美 者、 不 覺 白 而、 大御刀及弓矢始而、脱百官人等所服衣服以拜獻。 ○ 我天皇之御子、於伊呂兄王、無及兵。若及兵者、必人咲。 ○ 恐我天皇、猶阿蘇婆勢其大御琴。 ○ 甚麗壯夫也。益我王而甚貴。 ○ 吾來此地、我御心須賀須賀斯而、其地作宮坐。
4. 3 属格の「我」と「吾」 属 格 で は「 我 」 の ほ う が 用 例 の 8 割 を 占 め る。 「 我 」 の 属 格 用 例には「吾」のほうに用例を見ない用法がいくつかある。 (1) 「我那迩妹命」と「我那勢命」 「 我 那 迩 妹 命 = ア ガ ナ ニ モ ノ ミ コ ト 」 は 男 性 が 女 性 を、 「 我 那 勢 命 = ア ガ ナ セ ノ ミ コ ト 」 は 女 性 が 男 性 を 呼 称 す る 言 葉 で あ る が、 愛 情、 敬 意、 賛 美 の 意 を 込 め た、 最 大 限 に 愛 慕 の 感 情 を 表 し た 男 女 間 の 呼 称 と 言 え よ う。 こ の 呼 称 に は「 吾 」 の 用 例 は 見 あたらない。 ○ 愛 我 那 迩 妹 命 乎、 謂 易 子 之 一 木 乎、 乃 匍 - 匐 御 枕 方、 匍 - 匐 御足方而哭…… ○ 於是欲相見其妹伊邪那美命、 追往黄泉國。 爾自殿縢戸出向之時、 伊邪那岐命語詔之、 愛我那迩妹命、 吾與汝所作之國、 末作竟。 故、 可還。 ○ 然愛我那勢命、入來坐之事恐。故、欲還、且與黄泉神相論。 ○ 伊 邪 那 美 命 言、 愛 我 那 勢 命、 爲 如 此 者、 汝 國 之 人 草、 一 日 絞 殺 千 頭。 爾 伊 邪 那 岐 命 詔、 愛 我 那 迩 妹 命、 汝 爲 然 者、 吾 一 日 立千五百産屋。 ○ 我那勢命之上來由者、必不善心。欲奪我國耳。 ○ 登 賀 米 受 而 告、 如 屎、 醉 而 吐 散 登 許 曾、 我 那 勢 之 命、 爲 如 此。 又 離 田 之 阿、 埋 溝 者、 地 矣 阿 多 良 斯 登 許 曾、 我 那 勢 之 命、 爲 如此登詔雖直。 キ・ ミ 二 神 の 用 例 は い ず れ も「 愛 = ウ ツ ク シ キ 」 が 冠 せ ら れ て い る。 そ れ は 面 と 向 か っ て の 会 話 の た め か、 そ れ と も こ の 二 神 の 話 に お け る 固 定 し た 話 法 か、 今 の と こ ろ 知 る す べ が な い。 後 尾 の 2 例 の「 我 那 勢 之 命 」 は 天 照 大 神 が 須 佐 之 男 命 の こ と を 言 う の に 使 わ れ て い る が、 「 愛 」 は 付 い て い な い。 2 例 と も 叙 述 文である。 相 手 を 親 し く 呼 称 す る 用 例 は 他 に も 2 例 あ り、 い ず れ も「 我 」 が使われている。 ○ 我子者不死有祁理。我君者不死坐祁理。 ○ 我夫子之、取佩、於大刀之手上、 先 の 用 例 は、 天 神 に 殺 さ れ た 我 が 子 天 若 日 子 の 死 を 悼 む 阿 遲 志 貴 高 日 子 根 神 を、 我 が 子 と あ ま り に も 容 姿 が よ く 似 て い る た め 我 が 子 と 間 違 え て、 両 親 が 親 し く 呼 び か け る 場 面 の 言 葉 で あ る。 次 の 用 例 の「 我 夫 子 = ア ガ セ コ 」 は 女 性 が 男 性 を 親 し く 呼 称 す る 言 葉 で あ る。 相 手 を 親 し く 呼 ぶ 言 葉 と し て「 吾 ~」 の 用 例は見あたらない。 (2) 「我之~」 日 本 語 の 属 格 は 有 標 で あ る。 古 代 日 本 語 だ と「 の 」「 が 」「 つ 」 の い ず れ か が 使 わ れ る。 漢 文 で は 無 標 と 有 標 の 両 方 が あ る が、 有 標 の マ ー ク「 之 」 が 付 さ れ た 場 合、 排 他 性 が 強 め ら れ る。 現 代 中 国 語 で も、 所 有 格 の マ ー ク「 的 」 が 付 く と 所 有 表 現 の 排 他 的 意 識 が 強 調 さ れ る。 た と え ば「 我 家 ⇔ 我 的 家 」「 我 妹 妹 ⇔ 我 的 妹妹」 では後者は排他を意識した表現となる。 『古事記』 には 「吾」 に 属 格 マ ー ク「 之 」 の 付 さ れ た 用 例 は 見 あ た ら ず、 「 我 」 に の み
愛 の 妻 で あ る。 神 産 み の 最 後 に 火 の 神 ヒ ノ カ グ ツ チ を 生 む 時 焼 か れ て イ ザ ナ ミ は 亡 く な る。 妻 の 死 を 悼 ん で、 イ ザ ナ キ は 妻 の 枕 元 に 這 い 回 り、 足 下 に 這 い 回 り し て 慟 哭。 悲 し さ の あ ま り に と う と う 佩 剣 を 抜 き 息 子 の ヒ ノ カ グ ツ チ の 頸 を 斬 っ て し ま う。 そ れ で も 亡 妻 を 取 り 返 そ う と 黄 泉 の 国 ま で 追 っ て 連 れ 帰 ろ う と す る。 外 で 待 っ て い る よ う に と 言 わ れ た が、 待 ち き れ ず に 入 っ て み た ら、 妻 の 亡 骸 の 醜 い 姿 を 見 て し ま っ た。 恥 を か か せ た と 言 っ て 妻 の イ ザ ナ ミ が 追 っ て く る。 こ の よ う な 話 の 経 過 を 辿 っ て み る と、 私 は 一 日 に 千 五 百 の 産 屋 を 建 て て、 一 日 に 千 人 の 人 が 殺 さ れ て も、 一 日 に 千 五 百 人 は 生 ま れ る よ と 言 っ た の を、 敵 対 心 を 燃 や す 宣 戦 布 告 と 理 解 す る の は 不 当 に 思 わ れ る。 む し ろ、 愛 妻 を な だ め、 そ の 荒 れ 狂 う 心 を 静 め る た め の 言 葉 と 読 む の が 順 当 で あ ろ う。 そ の 後 キ・ ミ 両 神 の 間 に 戦 い は な か っ た。 黄 泉 の 国 か ら 戻 っ た キ 神 は 黄 泉 の 国 の 穢 れ を 落 と す た め に 禊 ぎ を し た と こ ろ、 多 く の 神 を 生 成 し、 最 後 に 天 照 大 神、 月 読 神、 須 佐 之男命の「三貴子」を得たのである。 一 方、 「 我 」 は、 次 の 用 例 の よ う に、 相 手 や 他 者 と の 対 立、 対 比 の 関 係 に お い て で な く て も、 話 者 自 身 を 強 調 す る 文 脈 で あ れ ば、使われるようである。 ○ 天 皇 初 爲 將 所 知 天 津 日 繼 之 時、 天 皇 辭 而 詔 之、 我 者 有 一 長 病。 不得所知日繼。不得所知日繼。然大后始而、 諸卿等、 因堅奏而、 乃治天下。 ○ 於 是 阿 遲 志 貴 高 日 子 根 神、 大 怒 曰、 我 者 愛 友 故 弔 來 耳。 何 吾 比穢死人云而、拔所御佩之十掬劒、切伏其喪屋、以足蹶離遣。 先 の 用 例 は 允 恭 天 皇 が 長 い 間 病 を 患 っ て き た こ と を 理 由 に、 自 分 は 皇 位 継 承 の 適 任 者 で な い と、 皇 位 に 就 く の を 堅 辞 す る 場 面 で 言 っ た 言 葉 で あ る。 後 の 用 例 は 葦 原 中 国 の 平 定 に 派 遣 さ れ な が ら 不 忠 に よ り 天 神 に 殺 さ れ た 天 若 日 子 の 死 を、 阿 遲 志 貴 高 日 子 根 神 が 悼 ん で い る と こ ろ に 来 合 わ せ た 天 若 日 子 の 両 親 に 自 分 の こ と を 息 子 が 死 な ず に 生 き て い た と 間 違 え ら れ た 時 に 激 怒 し て 言 っ た 言 葉 で あ る。 私 は 親 友 だ か ら こ そ、 弔 い に 来 た だ け な の だ、 い っ た い ど う い う 訳 で 自 分 を 穢 ら わ し い 死 人 と 見 た て る の か と 言 っ て、 喪 屋 を 切 り 倒 し て、 更 に 足 で 蹴 り 飛 ば し て し ま う と い う 憤 慨 ぶ り。 次 の 用 例 は 皇 位 争 奪 の た め に 父 皇 子 が 無 惨 に 殺 害 さ れ た 袁 富 祁 と 袁 祁 の 二 王 子 が 難 を 遁 れ よ う と 逃 走 す る途中で食糧を奪われる場面での言葉である。 ○ 爾其二王言、不惜粮。然汝者誰人、答曰、我者山代之猪甘也。 食 糧 は 取 ら せ る が、 誰 人 か 名 前 は 教 え ろ と 名 乗 ら せ た と こ ろ、 悪 び れ も せ ず、 「 我 は、 山 代 の 猪 甘 ぞ 」 と 名 乗 っ た 名 乗 り の セ リ フ。 こ の 三 例 と も 話 者 自 身 の こ と を 強 く 言 い 立 て る 表 現 に「 我 」 が使われている。 こ の よ う に 第 一 人 称 主 格 用 例 61例 中 49例( 8 割 ) が「 吾 」、 僅 か 12例( 2 割 ) が「 我 」 と い う 偏 り は、 「 吾 」 は 一 般 的 な 第 一 人 称 代 名 詞 で、 「 我 」 は 取 り 立 て や 強 調 の 意 を 表 す 第 一 人 称 代 名 詞 と い う 意 味 上 の 違 い に よ る 使 い 分 け の 反 映 と 見 て 大 過 な さ そ う である。
○ 其女人言、凡吾者、非應爲汝妻之女。將行吾祖之國。 ○ 故、其兄謂其弟、吾雖乞伊豆志袁登賣、不得婚。 ○ 爾白其兄曰、吾者得伊豆志袁登賣。 ○ 如此奏時、天皇詔、然者吾思奇異。故、欲見行。 ○ 吾爲汝命之妻。即相婚。是以速總別王不復奏。 ○ 爾天皇令詔、吾疑汝命若與墨江中王同心乎。 ○ 然者今還下而、殺墨江中王而上來。彼時吾必相言。 ○ 若汝從吾言者、吾爲天皇、汝作大臣、治天下那何。 次 の 2 例 に お け る「 我 」 は 相 手 と の 対 比、 対 立 関 係 の 中 で 使 わ れ て い る。 こ の 2 例 を 参 照 す る と、 前 掲 用 例 に 見 ら れ る 非 強 調義、無標性はより一層とはっきり見取される。 ○ 爾 伊 邪 那 岐 命 詔、 然 者 吾 與 汝 行 廻 逢 是 天 之 御 柱 而、 爲 美 斗 能 麻具波比。如此之期、乃詔、汝者自右廻逢、我者自左廻逢。 ○ 爾 速 須 佐 之 男 命、 白 于 天 照 大 御 神、 我 心 清 明。 故、 我 所 生 子、 得 手 弱 女。 因 此 言 者、 自 我 勝 云 而、 於 勝 佐 備、 離 天 照 大 御 神 之營田之阿、 先 の 用 例 は イ ザ ナ キ と イ ザ ナ ミ と の 国 産 み 神 話 に お け る イ ザ ナ キ の 言 葉 で、 イ ザ ナ ミ に 右 か ら 回 れ と 求 め た の に 対 し、 自 分 は 左 か ら 回 る と い う 対 比 表 現。 後 の 用 例 は ス サ ノ オ が 天 照 大 神 の 統 治 す る 高 天 の 原 に 上 っ た 時 悪 し き 心 の な い こ と を 証 明 す る た め に 両 神 が ウ ケ ヒ を 行 い、 そ の 結 果 ス サ ノ オ が 勝 っ て 悪 し き 心 の な い こ と を 証 明 で き た 後 の、 ス サ ノ オ の 言 葉。 こ の 三 つ の 主格 「我」 も天照大神との対立、 対比の関係の中で使われている。 こ の 2 例 と 似 た よ う な 文 脈 に「 吾 」 の 使 わ れ て い る 用 例 が 数 例ある。たとえば、次の用例。 ○ 吾 雖 兄 猶 汝 命 先 治 天 下 而、 堅 讓。 故、 不 得 辭 而、 袁 祁 命 先 治 天下也。 「 吾 雖 兄 猶 汝 命 先 治 天 下 」 は 兄 の 袁 富 祁( 後 の 仁 賢 天 皇 ) が 弟 の 袁 祁( 後 の 顕 宗 天 皇 ) に 皇 位 を 譲 る 話 に お け る 兄 の 言 葉 で あ る。 この兄の言葉は、 兄弟が針間国で奴僕に身をやつしていた時、 弟 が 中 央 か ら 来 た 役 人 に 機 を 逃 さ ず う ま く 身 分 を 明 か し た お か げで、 兄弟が日継ぎの皇子と認められたことを踏まえている。 「吾 雖兄猶汝命先治天下」 の意味構造からすれば 「吾」 と「汝」 は対立、 対 比 の 関 係 に あ る が、 し か し、 「 吾 = 兄 」 は「 汝 = 弟 」 に 対 し て 対 等 の 関 係 に 立 っ て 主 張 し て い る の で は な い。 一 歩 引 い た 謙 譲 な 態 度 で あ る。 こ の 用 例 に お け る「 吾 」 は 対 立、 対 比 の 関 係 の 中で使われていると見るべきではない。次の用例も同じである。 ○ 爾 神 八 井 耳 命、 讓 弟 建 沼 河 耳 命 曰、 吾 者 不 能 殺 仇。 汝 命 既 得 殺仇。故、吾雖兄不宜爲上。 次 の 用 例 は 黄 泉 の 国 に い る イ ザ ナ ミ の 醜 い 姿 を 見 て し ま っ た イ ザ ナ キ を 追 っ て き た イ ザ ナ ミ が あ な た の 国 の 人 を 一 日 に 千 人 殺 す と 言 っ た の に 対 し て、 イ ザ ナ キ が 返 し た 対 決 の セ リ フ で あ る。こういう場面では 「我」 が使われても良さそうに思われるが、 「吾」が使われている。 ○ 伊 邪 那 美 命 言、 愛 我 那 勢 命、 爲 如 此 者、 汝 國 之 人 草、 一 日 絞 - 殺 千 頭。 爾 伊 邪 那 岐 命 詔、 愛 我 那 迩 妹 命、 汝 爲 然 者、 吾 一 日立千五百産屋。是以一日必千人死、一日必千五百人生也。 イ ザ ナ キ に と っ て イ ザ ナ ミ は と も に 国 産 み・ 神 産 み を し た 最
表(5) 格の名称 主格 属格 対格 位置格 共格 計 我 12 50 4 2 1 69 吾 49 13 7 4 6 79 計 61 63 11 6 7 148 「 我 」 の 用 例 は 計 69例 、 全 用 例 数 の 約 47%、 「 吾 」 は 計 79例、 全 用 例 数 の 約 53%。 用 例 数 に は 大 差 が な い。 格 ご と に 見 る と、 主 格 で は「 我 」 と「 吾 」 の 用 例 数 を 合 わ せ る と 61例、 全 用 例 数 1 4 9 例 に 対 し 約 41% を 占 め る。 属 格 で は「 我 」 と「 吾 」 の 合 計 が 63例、 全 用 例 数 の 約 43% を 占 め る。 残 り の 16% は、 対 格 が 約 7 %、 位 置 格 が 4 %、 共 格 が 約 5 %。 三 者 の 間 に 大 差 は な い。 主 格 と 属 格 は 互 角 の 割 合 で、 全 体 の 8 割 を 占 め る 圧 倒 的 多 数 で ある。残りの対格、位置格、共格は僅か 16%。 格 ご と の 内 訳 で 見 る と、 「 我 」 と「 吾 」 の 間 で は、 顕 著 な 偏 り が見られる。主格全用例数 61例のうち 「吾」 の 49例は全体の 80%、 「 我 」 の 12例 は 20%。 属 格 で は 逆 に「 我 」 の 50例 が 全 用 例 数 63例 の 79. 4%、 「吾」 の 13例が 20.6%。対格では 「吾」 が 64%で 「我」 が 36%、 位置格では「吾」が 67%で「我」が 33%、 共格では「吾」 が 86%で 「我」 が 14%。いずれもどちらかに大きく傾斜している。 4. 2 主格の「吾」と「我」 主格 「吾」 の用例を多めに挙げた。これらの用例を通して 「吾」 は 対 立、 対 比 や 強 調 義 の な い 普 通 一 般 の 主 格 を 担 っ て い る こ と が 看 取 さ れ よ う。 無 標 の 第 一 人 称 代 名 詞 と も 言 え る。 「 吾 」 の 用 例 が 第 一 人 称 の 主 格 の 用 例 の 8 割 を 占 め て い る の を 考 え 合 わ せ れば首肯できる見方であろう。 ○ 吾 者 到 於 伊 那 志 許 米 上 志 許 米 岐 穢 國 而 在 祁 理。 故、 吾 者 爲 御 身之禊而、到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐原而、禊祓也。 ○ 吾者生生子而、於生終得三貴子、 ○ 於是天照大御神、 以爲怪、 細開天石屋戸而、 内告者、 因吾隱坐而、 以爲天原自闇、亦葦原中國皆闇矣、 ○ 吾來此地、我御心須賀須賀斯而、其地作宮坐。 ○ 爾詔、吾欲目合汝奈何。答白僕不得白。 ○ 爾答白、吾妊之子、若國神之子者、産不幸。 ○ 爲然者、吾掌水故、三年之間、必其兄貧窮。 ○ 故爾詔、吾者爲日神之御子、向日而戰不良。 ○ 爾少女答曰、吾勿言。唯爲詠歌耳。即不見其所如而忽失。 ○ 爾 天 皇 詔 之、 吾、 殆 見 欺 乎、 乃 興 軍 撃 沙 本 毘 古 王 之 時、 其 王 作稻城以待戰。 ○ 爾 詔、 吾 者 坐 纒 向 之 日 代 宮、 所 知 大 八 嶋 國、 大 帶 日 子 淤 斯 呂 和氣天皇之御子、名倭男具那王者也。 ○ 西 方 有 國。 金 銀 爲 本、 目 之 炎 耀、 種 種 珍 寶、 多 在 其 國、 吾 今 歸賜其國。 ○ 天皇即詔其孃子、吾明日還幸之時、入坐汝家。 ○ 傳聞山有忿怒之大猪。吾欲取其猪。 ○ 其人答曰、吾非殺牛。唯送田人之食耳。
於 山 中, 使 人 子 胥 曰 : "子 之 , 其 以 甚 乎! 吾 ① 之, 人 者 天, 天定亦能破人。今子故平王之臣, 北面而事之, 今 至 於 僇 死 人, 此 其 无 天 道 之 极 乎! " 伍 子 胥 曰 : " 我 ③ 申包胥曰,吾②日莫途 ,吾③故倒行而逆施之。 " 用 例( 4) の「 吾 」 ① は 前 述 何( 1 9 8 4) の 指 摘 す る と お り だ が、 こ の 場 合 の 主 語 は 重 要 で は な い。 日 本 語 で 言 う と「 聞 く と こ ろ に よ る と 」 と か、 伝 聞 の「 そ う だ 」 に 相 当 す る も の で あ る。 現 代 中 国 語 で も「 聴 説 」「 拠 説 」 と 言 う。 伝 聞 を 表 す 慣 用 的表現と言える。 ( 4) 「 吾 」 ② ③ の 使 い 方、 そ し て( 4) 「 我 」 ③ と の 使 い 分 け は 興 味 深 い 用 例 で あ る。 呉 が 楚 を 破 っ て そ の 都 に 入 っ た 時、 伍 子 胥 は 父 と 兄 を 楚 の 平 王 に 殺 害 さ れ た 仇 を 取 ろ う と そ の 子 の 昭 王 を 探 し た が、 見 つ か ら ず 父 平 王 の 墓 を 掘 り 起 こ し、 屍 を 三 百 回 鞭 打 っ た。 そ の 非 道 な や り 方 を 咎 め た 友 人 申 包 胥 の 言 葉 を 伝 え に 来 た 使 者 に 返 事 を 頼 ん だ 伍 子 胥 の 言 葉 に「 我 」 ③、 「 吾 」 ② ③と第一人称代名詞が使い分けられている。伍子胥が 「 我 申 包 胥 曰 」 と 使 者 に 伝 言 を 頼 む 言 葉 に「 我 」 が 使 わ れ て い る。 こ こ の「 謝 」 は 弁 解 し て 理 解 し て も ら う と い う 意 で あ る。 「 こ の 私 の 為 に よ く よ く 申 包 胥 様 に ご 説 明 願 い た い 」 と 使 者 に 懇 願 す る 光 景 を イ メ ー ジ さ れ た い。 国 政 を 輔 け る ほ ど の 名 士 で 鳴 ら し て い る こ の 伍 子 胥 が な ぜ 人 道 に 背 く、 か く も 惨 た ら し い こ と を す る の か、 そ の わ け を 伝 え て ほ し い。 そ う い う 必 死 の 頼 み に「 我 」 が 使 わ れ て い る。 一 方 そ の 弁 解 の 言 葉 は 極 め て 低 姿 勢 で 弱 気 な も の で あ る。 曰 く、 寵 臣 の 讒 言 で 父、 兄 を 殺 害 さ れ た そ の 仇 を 取りたいというこのわたくし― ―「吾」の素志を遂げるには時間 が あ ま り に も な く、 そ の 道 は 険 難 に 満 ち て い る。 だ か ら わ た く し― ―「吾」は人道に背き惨いことしたのだ、と。涙ながらの弁 解 で あ る。 古 代 中 国 人 が 最 も 恐 れ た の は 歴 史 に 汚 名 を 残 す こ と。 果 た し て 司 馬 遷 の 史 書 に 記 さ れ る と こ ろ と な っ た。 こ の 用 例 は、 悲 劇 の 英 雄 と し て『 古 事 記 』 に 記 さ れ た 倭 建 命 の 末 路 を 描 い た くだりの「吾」とよく似ている。特筆したゆえである。 「 我 」 と「 吾 」 の 用 例 数 の 違 い は 統 語 論 的 要 素 と 全 く 無 関 係 と は 言 い 切 れ な い か も 知 れ な い。 だ が、 使 用 の 実 態 を 見 れ ば、 そ の 使 い 分 け は 意 味 論 的 要 素、 語 用 論 的 意 図 に よ る と こ ろ が 大 き いように思えてならない。 4 『古事記』の「我」と「吾」 古 代 中 国 語 に お け る「 我 」「 吾 」 の 使 い 分 け を 探 る の に 多 く の 紙 幅 を 割 い て し ま っ た。 い よ い よ 本 題 に 入 ら な け れ ば な ら な い。 用 例 の 多 寡 と 格 機 能 と の 関 連 づ け に 疑 念 を 挟 む 議 論 を 展 開 し て き た 手 前、 忸 怩 た る 思 い を 禁 じ 得 な い が、 以 下 に 進 め る 議 論 も、 便宜上の都合から格ごとに見ていくことにする。 4. 1 格ごとの用例の分布 まず、格ごとの用例数の分布は次表の示すとおりである。
3. 3 『史記』の用例 紙 幅 の 関 係 で 挙 例 は 数 例 に 止 め ざ る を 得 な い が、 『 史 記 』「 伍 子 胥 列 伝 )(( ( 」 に あ る 用 例 を 分 析 し、 「 我 」「 吾 」 の 使 用 実 態 の 確 認 に資したい。 次 の 用 例( 1) は 伍 子 胥( 子 胥 は 字、 員 は 名 ) 一 家 が 楚 の 国 に い た 時、 父 の 奢 と 兄 の 尚 と 員 自 身 が 寵 臣 の 讒 言 で 楚 の 平 王 に 殺されそうになった時の記事。 (1) 王不听, 使人召二子曰 : "来, 吾生汝父;不来, 今 奢也。 " 伍尚欲往, 曰 : "楚之召我①兄弟, 非欲以生我②父也, 恐 有 脱 者 后 生 患, 故 以 父 , 召 二 子。 二 子 到, 父 子 俱 死。 何 益 父 之 死? 往 而 令 不 得 耳。 不 如 奔 他 国, 借 力 以 雪父之耻, 俱 , 无 也。 " 伍尚曰 : "我③知往 不能全父命。 然 恨 父 召 我 ④ 以 求 生 而 不 往, 后 不 能 雪 耻, 天 下 笑 耳。 " : "可去矣!汝能 父之 ,我⑤将 死。 " 奢 を 捉 え た 平 王 は 禍 根 を 残 す ま い と 奢 の 二 子 も 連 れ て 来 さ せ 、 殺 そ う と 使 者 を 遣 わ す 。「 来 , 吾 生 汝 父 ; 不 来 , 今 奢 也 。」 は 使 者 の 伝 え た 平 王 の 言 葉 ― ― 来 れ ば 、 私 は 君 た ち の 父 を 生 か す 。 来 な け れ ば 、 今 す ぐ 奢 を 殺 す か ら ね 。 こ の 発 話 で 平王 は 特 に 自 身 の こ と を 強 調す る 必 要 は な い だ ろう 。 危 険 を 感 じ て 逃 げ ら れ て も い け な い の で穏 や か な 口 吻 と も 読 み 取れ る 。 こ こ の 「 吾 」 は 自 分 を 取 り 立 て て 強 調 し な い 、 平 常 の 第 一 人 称 代 名 詞 の 役 柄 で あ ろ う 。 使 者 の 伝 え る 王 の 言 葉 を 聞 い て 事 の 真 相 を 察 し た 兄 弟 は、 生 死を決める相談をする。 意味の説明は省略するが )(( ( 、ことが緊迫し、 感情が高ぶり、 兄弟のどっちが死に、 どっちが逃げるかを決める、 せ っ ぱ 詰 ま っ て の 激 し い 議 論 で あ る こ と は 誰 の 目 に も 明 ら か で あ る。 こ の 二 人 の 会 話 に 出 て く る 第 一 人 称 は 全 て「 我 」 が 担 っ て い る。 「 我 」 ① ~「 我 」 ⑤ の う ち、 ど れ を「 吾 」 に 置 き 換 え て み て も し っ く り と し な い。 自 分 の 意 見、 主 張 を 最 大 限 に ア ピ ー ル し、 伝 え よ う と す る 気 持 ち の せ し め る と こ ろ と 言 え よ う。 員 は逃げたが、兄尚は平王の許へ赴き父とともに殺害された。 こ こ で も う 一 つ 注 意 し た い こ と が あ る。 そ れ は、 「 我 」 ① ~ ⑤ は同じ格に立っていないということだ。 ①②は属格、 ③⑤は主格、 ④ は 対 格 で あ る。 「 我 」 と「 吾 」 の 用 例 数 の 多 寡 や、 そ の 使 用 を 格 機 能 と ど う 関 係 づ け、 統 語 論 的 観 点 か ら 意 味 づ け る べ き も の なのか、検討の余地が十分あるように思われる。 用例(2)の「我」①は介詞の対格、 ②は主格。 (3)の「我」 ① は 属 格、 ② は 主 格。 ( 4) の「 我 」 ① ② と も 主 格。 い ず れ も ま ず は 意 味 の 側 面 か ら そ の 使 い 分 け の 意 図 を 読 み 取 る べ き も の で あろう。 (2) 伍 胥 既 至 宋, 宋 有 氏 之 乱, 乃 与 太 子 建 俱 奔 於 。 人 甚 善 之。 太 子 建 又 適 晋, 晋 公 曰 : "太 子 既 善 , 信 太 子。 太 子能 我①内 ,而我②攻其外, 必矣。 而封太子。 " (3) 昭 王 出 亡, 入 云 梦 ; 盗 王, 王 走 。 公 弟 曰 : "平 王 我①父,我② 其子,不亦可乎! " (4) 始伍 与申包胥 交, 之亡也, 包胥曰 : "我①必覆楚。 " 包胥曰 : " 我②必存之。 " 及吴兵入郢,伍子胥求昭王。既不 得, 乃 掘 楚 平 王 墓, 出 其 尸, 鞭 之 三 百, 然 后 已。 申 包 胥 亡
い る も の と 見 る べ き で は な い。 強 調 的 と さ れ る「 我 」 に 相 対 し て 非 強 調 的 で あ る の が「 吾 」 の 具 有 す る 意 味 特 徴 と 見 る べ き で あ ろ う。 諸 説 が 指 摘 す る 様 々 な 意 味 は 時 と 場 合 に よ っ て 生 ま れ る も の で、 語 用 論 的 観 点 か ら 捉 え る べ き も の で あ る。 何 ( 1 9 8 4) が 規 定 し た「 吾 」 の 意 味 特 徴 も 特 定 の 場 面 で の 使 用 に現れた「吾」の意味にすぎない。 そ の よ う な 事 例 は 日 本 語 に も よ く 見 ら れ る。 例 え ば「 ワ タ ク シ 」「 ワ タ ク シ ド モ 」 は 極 め て 丁 寧 な 言 葉 と 目 さ れ る が、 時 と 場 合 に よ っ て 憤 慨、 激 怒 の 表 現 に も 使 わ れ、 か え っ て 話 者 の 気 持 ち を 皮 肉 に も よ く 表 す ヒ ニ ク な 用 例 は い く ら で も そ こ い ら 中 に 転がっていよう。 次 表 は 徐 萱 春( 2 0 0 8) の デ ー タ ー を 加 工 し た も の で あ る。 史 書、 論 述 書、 説 話 集 と 文 体 は 一 様 で は な い。 時 代 も 1 0 0 か ら 2 0 0 年 ず つ の 隔 た り が あ る。 精 緻 な デ ー タ ー を 踏 ま え て の 精 査 は で き な い が、 お お よ そ の 使 用 状 況 を 知 る の に は さ ほ ど 不 足 は な い。 『 世 説 新 語 』 を 除 け ば、 主 格 と 属 格 に お け る「 吾 」 の 優 勢 は 明 ら か で あ る。 そ の こ と は つ ま り「 吾 」 の ほ う が よ り 普 通 一 般 の 第 一 人 称 と し て 使 わ れ る 一 人 称 代 名 詞 で、 「 吾 」 を ベ ー ス に し て「 我 」 が 相 対 的 に 強 調 義 を 持 つ 第 一 人 称 代 名 詞 と し て 使 わ れ て い た こ と を 示 し て い る の で は な い だ ろ う か。 主 格、 属 格 と 違 っ て、 第 一 人 称 が 対 格 に 立 つ の は 比 較 的 に 特 別、 特 殊 な 場合と考えられる。意味と統語機能には連続する一面もある。 表(4) 書名 左伝 前502―前422 )(( ( 韓非子 前281―前233年 史記 前135―前 87 論衡 27― 97 三国志 233―297 世説新語 420―581 主格 我 242 36% 58 45% 144 38% 36 37% 79 40% 81 51% 吾 365 61% 131 69% 382 70% 107 75% 227 61% 43 75% 属格 我 130 20% 8 6% 33 9% 14 14% 60 30% 46 29% 吾 215 36% 59 31% 155 29% 34 24% 108 29% 10 18% 対格 我 262 40% 62 49% 191 51% 43 44% 53 27% 28 17% 吾 10 2% 0 0% 6 1% 1 1% 25 7% 3 5% その他 我 30 4% 0 0% 10 2% 5 5% 7 3% 5 3% 吾 7 1% 0 0% 0 0% 0 0% 14 3% 1 2%
(3)会話で相手の尊称「子」と併用される謙称の「吾」 ○ 佚之狐言于 伯曰 : "国危矣,若使 之武 秦君, 必退 。" 公従之。辞曰 : " 臣之壮也,犹不如人,今老矣,无能 也已。 " 公 曰 : "吾 不 能 早 用 子, 今 急 而 求 子, 是 寡 人 之 也。 然 亡, 子亦有不利焉 。"「僖公三十年」 ○ 首于宣子曰 : "先君奉此子也而属 子,曰 :'此子也才,吾 受子之 ;不才, 吾唯子之怨。 ‘今君虽 , 言犹在耳, 而弃之, 若何? "「文公七年」 ○ 王 叔向曰 : "吾 子 !"「襄公二十一年」 ( 4) 自 分 側 に つ い て の 悲 観 的 な 推 測、 不 満 や 嘆 き を 表 す「 吾 ……矣(也) 」 ○ (子 ) 曰 : "…… 吾 不 可 以 立 于 人 之 朝 矣。 " 身 不 仕。 「 襄 公 二十七年」 ○ 吾亡无日矣。 「成公七年」 ○ 我之有罪, 吾将死矣!若 不辜, 将失其民, 欲安, 得乎?「成 公十七年」 ○ 公 囚 大 子。 大 子 曰 : "唯 佐 也 能 免 我。 " 召 而 使 , 曰 : "日 中 不来,吾知死矣。 " 「襄公二十六年」 ○ 宣子出,曰 : "吾浅之 丈夫也。 "「襄公十九年」 以 上 の 4 パ タ ー ン の 用 例 を 通 し て「 吾 」 に 謙 譲 の 意 あ り と 結 論 づ け る の は や や 早 計 か も 知 れ な い。 と い う の は、 謙 譲 の 意 を 持 っ て 使 わ れ て い る と 認 め ら れ な い「 吾 」 の 用 例 の ほ う が 遙 か に 多 い か ら で あ る。 こ の こ と は あ る 程 度「 我 」 の 強 調 義 に つ い て も 言 え る と 思 う。 「 我 」 の 場 合 も そ れ ほ ど 顕 著 に 強 調 義 を 看 取 で き な い 用 例 の ほ う が 多 い に 違 い な い。 つ ま り「 我 」 と「 吾 」 の 間 に は 上 掲 パ タ ー ン に 見 ら れ る よ う な 端 的 な 文 脈 や 文 構 成 に よ っ て そ の 微 妙 な 違 い が 遺 憾 な く 発 揮 さ れ る 場 合 を 両 者 の 対 立 す る 両 極 と す れ ば、 そ の 両 極 の 間 に は 限 り な く 連 続 的 な 部 分 が 存 在 す る は ず で あ る。 つ ま り ど ち ら を 使 っ て も さ ほ ど 違 い の な い用例がいくらでもあり得ると予想される。 胡・ 鄒・ 楊・ 高( 2 0 1 0) は「 我 」 と「 吾 」 の 意 味 の 違 い に つ い て、 時 代 的 な 変 化 は あ る が、 「 吾 」 は 非 強 調 的 で、 「 我 」 は 強 調 す る 意 味 が 認 め ら れ る と す る 一 方、 「 我 」 も「 吾 」 も 地 位 の 高 低 や 身 分 の 貴 賤 尊 卑 の 区 別 な く 用 い ら れ て い る の で、 「 吾 」 に は 謙 譲 的 表 現 と し て の 用 法 は な い と す る。 胡・ 張( 2 0 1 0) も「 我 」 は 強 調 的 で、 「 吾 」 は 非 強 調 的 で あ る と 認 め つ つ も、 話 者 が 憤 慨、 激 怒 し て い る 場 面 で も「 吾 」 が 用 い ら れ る 例 が あ る こ と か ら、 「 吾 」 の 謙 譲 義 を 否 定 す る。 ま た、 「 吾 」 は 教 師 が 学 生 に、 君 主 が 臣 民 に、 妻 が 妾 に と い っ た 目 上 の 人 が 目 下 の 人 に 話 す 時 に 用 い ら れ る 例 が 多 く、 か つ「 温 婉 平 和 」 な 場 合 が 多 数 を 占 め る と も 胡・ 張( 2 0 1 0) は 指 摘 す る。 ま た、 「 我 」 に 比 べ て、 「 吾 」 の ほ う が や や 文 語 的 で あ り、 ま た、 や や 尊 大 な 言 い 方 で あ る と す る、 『 史 記 』 の 用 例 を 考 察 し た 牛 島( 1 9 6 7) の 説もある ( 9 ) 。 ど の 説 も あ る 特 定 の 場 面 で の 使 用 に 現 れ て い る 意 味 を 読 み 取っていてその限りでは間違いではない。しかし、 何 (1984) の 指 摘 す る「 吾 」 の 謙 譲 義 は「 吾 」 が 無 条 件 に 本 来 的 に 備 え て
(5)対格「我」の前置 ○ 急子至,曰 :"我之求也。此何罪? 我乎! "「桓公十六年」 ( 急 子 が 駆 け つ け て 言 っ た。 「 私 を こ そ 求 め て い る の だ( あ な た た ち が 求 め て い る の は こ の 私 だ )。 こ れ( 彼 女 ) に 何 の 罪 が ある?私を殺せ。 」) ○ 《 》曰 :'欲 度, 礼。 ‘我之 矣。 「昭公十年」 (『 尚 書 』 に 曰 く、 「 欲 望 は 法 度 を 乱 し、 放 縦 は 礼 儀 を 乱 す。 」 私をこそ謂っているのだ。 ) 何( 1 9 8 4) の 用 例 分 析 は『 左 伝 』 に あ る「 我 」 の 用 例 を 全 て 網 羅 し て い る わ け で は な い が、 「 我 」 に あ っ て「 吾 」 に な い もの、 特徴的な構文における 「我」 の使用を観察し分析するのは、 そ れ 特 有 の 意 味 を 抽 出 す る の に 有 効 な 方 法 で あ る。 抽 出 さ れ た 上掲の意味特徴は説得力のある、首肯できるものと言えよう。 と こ ろ で、 一 例 だ け だ が、 ( 1) の パ タ ー ン の 例 外 と し て 何 (1984)は次の「吾」の用例を挙げている。 ○ 我敝邑, 迩在晋国, 譬 草木, 吾, 臭味也, 而何敢差池?「襄 公二十二年」 (我が小国 (魯) は晋国の近くにあり、 晋国は草木のようで、 我々 は そ の 草 木 の 出 す 匂 い の よ う な も の だ と 思 っ て い る。 晋 国 に 違うようなことなどどうしてできよう。 ) 何( 1 9 8 4) は こ の 例 外 を 指 摘 す る だ け で、 そ の 理 由 に つ い て は 言 及 が な い。 こ の 用 例 は「 我 」 の 諸 例 と 違 っ て、 外 交 の 場 で の 会 話 で、 節 度 あ る 謙 譲 な 態 度 が 要 求 さ れ る 場 面 で あ る。 相 手 は 強 国、 大 国 の 楚 で あ る と い う こ と を 考 え 合 わ せ れ ば な お さ ら で あ ろ う。 引 き 合 い に 出 さ れ て い る 晋 に 対 し て も 魯 は 依 付 す る 立 場 で あ る。 こ の よ う な「 吾 」 の 用 法 は 以 下 に 述 べ る「 吾 」 に関する何(1984)の考察と符合するものである。 「 吾 」 に つ い て 何( 1 9 8 4) は、 「 吾 」 が 主 語 の 場 合、 「 我 」 と 対 蹠 を 成 す こ と が あ る と し、 第 一 人 称 を 強 調 し、 語 気 を 強 め る「 我 」 に 対 し、 「 吾 」 は 礼 儀 を 示 し、 謙 虚 な 態 度 を 表 す 場 合 に 用 い ら れ、 礼 儀 を 示 す「 吾 」 の 用 例 は 常 に フ ォ ー マ ル な 場 面 に 現れる、と述べている。4種類のパターンが列挙されている。 (1)外交辞令やフォーマルな談話によく現れる「吾聞(之) 」 ○ 叔 向 曰 :"子 叔 子 知 礼 哉! 吾 之 曰 :' 忠 信, 礼 之 器 也。 卑 , 礼 之 宗 也。 ‘ 辞 不 忘 国, 忠 信 也。 先 国 后 己, 卑 也。 「 昭 公 二年」 ○ 季 戮 臾 , 臾 之 人 欲 尽 氏 以 焉。 臾 曰 :"不 可。 吾 《 前 志 》 有 之 曰 :' 惠 怨, 不 在 后 嗣‘ , 忠 之 道 也。 夫 子 礼于 季,我以其 私怨,无乃不可乎?「文公六年」 ○ 服曰 :"吾 国家之立也,本大而末小,是以能固 ……。 (2)会話における謙虚な態度 ○ 及 其 戎 也, 侯 又 妻 之, 固 辞。 人 其 故, 大 子 曰 :"无 事 于 , 吾 犹 不 敢。 今 以 君 命 奔 之 急, 而 受 室 以 , 是 以 昏 也。民其 我何? " 遂辞 伯。 「桓公六年」 ○ 他 日, 公 享 之。 子 犯 曰 :"吾 不 如 衰 之 文 也。 使 衰 従。 "「 僖 公 二十三年」
3. 2 強調説 発 生・ 発 達 史 的 に は「 我 」 と「 吾 」 の 間 に 部 分 的 な 統 語 的 補 完 関 係 が 認 め ら れ る 時 期 は あ っ た が、 秦( 前 2 2 1 ― 前 2 0 7) 、 漢( 前 2 0 2 ― 2 2 0) の 時 代 に な る と、 「 吾 」 の 対 格 使 用 の 制 約 が 徐 々 に 消 失 へ と 向 か っ た。 戦 国 期( 前 4 7 5 年 ― 前 2 2 1 年 ) か ら 主 格 と 属 格 で の「 我・ 吾 」 併 用 が 始 ま っ て い た と い う 事 実 を 考 え て も、 対 格 は 別 と し て も 統 語 的 機 能 の 観 点から「我」と「吾」の使い分けを考究するのには限界がある。 「 我 」 と 「 吾 」 の 意 味 の 違 い を 認 め 、 意 味 論 的 な 観 点 か ら 考 察 し た 論 考 と し て 何 ( 1 9 8 4 ) を 挙 げ な け れ ば な ら な い 。 何 ( 1 9 8 4 ) は 『 左 伝 』 の 用 例 を 調 査 し 、「 我 」 は 常 に 自 身を強 調 す る 時 や 、 語 気 を 強 め る 時 に 用 い ら れ 、 主 観 的 な 意 味 合 い を 強 く 帯 び て い る と し て い る 。 5 種 類 の パ タ ー ン が 挙 げ ら れ て い る 。 (1)判断文における主語で話者自身を強調 ○ 吾 君 子 知 大 者 者, 小 人 知 小 者 近 者 ; 我, 小 人 也。 「 襄 公三十一年」 ○ 初, 公 登 城 以 望, 戎 州。 之, 以 告。 公 曰 :"我, 姬 姓 也, 何戎之有焉? "「哀公十七年」 ○ 既 , 子 曰 :"吾 伏 弢 呕 血, 鼓 音 不 衰。 今 日 我, 上 也。 " 大 子 曰 :"吾 救 主 於 , 退 於 下。 我, 右 之 上 也。 " 良 曰 :"我 两 将 ,吾能止之。我,御之上也。 "「哀公二年」 (2) 強調義を持つ副詞を伴う場合 ○ 唯我知女。 「僖公七年」 ○ 楚 一 言 而 定 三 国, 我 一 言 而 亡 之。 我 无 礼, 何 以 战 乎?「 僖 公二十八年」 ○ 子能复之,我必能兴之。 「定公四年」 ○ 与其害於民,宁我独死。 「定公十三年」 ○ 我 不能,民何罪?「文公十年」 ○ 人不忘 仇,我反忘之!「庄公二十八年」 (3) 対比的並列 ○畴昔之羊,子 政;今日之事,我 政。 「宣公二年」 ○我无尔 ,尔无我虞。 「宣公十五年」 ○我以不 宝,尔以玉 宝。 「襄公十五年」 ○尔死,我必得志。 「哀公十一年」 (4) 敵方との対照的比較 ○ 彼徒我卑,惧其侵 我也。 「隠公九年」 ○ 彼竭我盈,故克之。 「庄公十年」 ○ 彼 我寡,及其未既 也, 之。 「僖公二十二年」 ○ 彼 我怒,而后可克。 「文公十六年」 ○ 晋楚无信,我焉得有信?「宣公十一年」 ○ 人 有国,我何 焉?「僖公九年」
こ の 二 つ の 表 を 比 較 し て 見 る と、 い く つ か の こ と が 見 て 取 れ る。 「 吾 」 の 出 現 が「 我 」 に 大 き く 後 れ て い る こ と、 用 例 の 分 布 も「 我 」 よ り 狭 小 で あ る こ と、 特 に「 吾 」 の 対 格 用 例 が 僅 少 で あ る こ と が 目 を 引 く。 戦 国 期( 前 4 7 5 ― 前 2 2 1) で は 「 吾 」 の 用 例 計 2 2 0 2 例 中 主 格 1 5 0 8 例、 属 格 6 5 8 例 に 対 し、 対格は41例。秦(前221年―前207)~西漢前期(前 2 0 2 年 ― 前 1 4 1 年 ) で は 計 5 7 2 例 中 主 格 3 7 8 例、 属 格 1 7 0 例 に 対 し、 対 格 は 1 4 例。 パ ー セ ン テ ー ジ で 言 う と 対 格 は 僅 か 4 % と 2. 5 % し か な い。 こ の 調 査 結 果 は、 如 何 な る 状 況 に お い て も「 吾 」 は 動 詞 に 後 続 す る 直 接 対 格 に 用 い ら れ る こ と は な い と す る 王 ( 1 9 8 0) の 説 を お お か た 支 持 す る も の と み て よ い だ ろ う。 だ が、 主 格 と 属 格 に お い て「 我 」 と「 吾 」 は 同 様 の 統 語 機 能 を 担 っ て い る と 見 な け れ ば な ら な い。 「 吾 」 は 主 格 と 属 格 に 用 い ら れ、 「 我 」 は 主 格 と 対 格 に 用 い ら れ る と す る 王 ( 1 9 8 0) の 説 は こ の 調 査 結 果 に 支 持 さ れ る も の で は な い。 王 ( 1 9 8 0) は、 例 外 は あ る も の の、 「 我 」 が 対 格 に 用 い ら れ て い る 時、 「 吾 」 は 主 格 に 用 い ら れ、 「 吾 」 が 属 格 に 用 い ら れ て い る 時 は「 我 」 は 主 格 に 用 い ら れ る と し、 両 者 は 統 語 機 能 の 上 で 相互補完的関係にあると認めるのであるが、 鄒 ・ 張 ・ 胡 (2010) は 「我」 と 「吾」 が併用されている 『史記』 の用例を分析し、 「我」 が 対 格 だ と「 吾 」 が 主 格 の 用 例 が 多 く、 パ ー セ ン テ ー ジ も 高 い と し な が ら も、 「 我 」 が 対 格 だ と「 吾 」 が 主 格、 「 吾 」 が 属 格 だ と「我」 が主格という法則が存すると認めることはできないとし、 「「 吾 」 と「 我 」 は 相 互 補 完 的 な 一 人 称 代 名 詞 で は な い 」 と 結 論 づけている。この論考は首肯できるものと考える。 「吾」 の対格用例が極めて僅少であるのはなぜだろうか。 鄒 ・ 張 ・ 胡( 2 0 1 0) は「 吾 」 の 対 格 で の 使 用 は 段 階 的 発 達 を 経 て い る と す る 考 察 を 展 開 し て い る。 「 吾 」 の 用 例 が 多 く 見 ら れ る よ う に な っ た の は 戦 国 期( 前 4 7 5 ― 前 2 2 1) で あ る が、 こ の 時 期では対格での使用はまだ十分に発達せず、 用例は 「否定の対格」 ( 言 仁 而 不 吾 也。 『 墨 子 』「 公 孟 」) や「 介 詞 の 対 格 」( 夫 子 与 ( 6 ) 吾 言 于 楚, 必 是 故 也。 『 左 伝 』「 成 公 十 六 年 」) ま た は「 間 接 対 格(与格) 」( 吾 以天下, 吾滋不从也。 『左伝』 「昭公二十六年」 ) が あ る く ら い だ っ た が、 秦 ~ 漢 前 期( 前 2 2 1 ― 前 1 4 1) に な る と 普 通 の 対 格 の 用 例( 汉 王 召 让 平 曰 :"先 生 事 魏 不 中, 遂 事 楚 而 去, 今 又 从 吾 游, 信 者 固 多 心 乎。 "『 史 記 』「 陳 丞 相 世 家 」) が 現 れ、 「 否 定 の 対 格 」 も「 不 吾 」 の よ う に「 吾 」 が 動 詞 の 前 に 置 か れ ず、 「 送 我 水 中, 无 吾 也 」『 史 記 』「 亀 策 列 伝 」 の よ う に動詞の後に置かれる用例も現れた ( 7 ) 。 表( 2) ( 3) に も 顕 著 に 現 れ て い る が、 発 生 史 的 に「 我 」 に 後 れ て 登 場 し た「 吾 」 は 時 代 が 下 る に し た が っ て「 我 」 と の 併 用 傾 向 を 強 め、 秦( 前 2 2 1 ― 前 2 0 7) 、 漢( 前 2 0 2 ― 2 2 0) の 時 代 に は「 我 」 と ほ ぼ 同 様 の 統 語 機 能 を 持 つ に 至 り、 対 格 に お け る 使 用 だ け が 発 達 史 的 な 段 階 と し て 統 語 論 的 な 制 約 を あ る 程 度 残 し て い た、 と 見 る の が 順 当 で あ ろ う ( 8 ) 。 こ の 見 方 に 近い趣旨の論考を展開しているものに胡 ・ 張 (2010) がある。
表(2) 我 主格 対格 属格 兼語 同位語 述語 殷商(前1675―前1029) ○ ○ ○ 西周(前1029―前771) ○ ○ ○ ○ 春秋(前770―前476) ○ ○ ○ ○ ○ 戦国(前475―前221) ○ ○ ○ ○ ○ 秦(前221―前207) ― 西漢前期(前202―前141) ○ ○ ○ ○ ○ 西漢中期(前141―前48) ―後期(前48―9) ○ ○ ○ ○ ○ 表(3) 吾 主格 対格 属格 兼語 同位語 述語 殷商(前1675―前1029) 西周(前1029―前771) ○ 春秋(前770―前476) ○ ○ 戦国(前475―前221) ○ 1508例 ○ 41例 ○ 658例 秦(前221―前207) ― 西漢前期(前202―前141) ○ 378 ○ 14 ○ 170 西漢中期(前141―前48) ―後期(前48―9) ○ ○ ○ ○
互 角 を 除 け ば、 そ の 他 は ア 系 が 圧 倒 的 優 勢 を 見 せ て い る。 標 本 調 査 の も た ら す 偶 然 性 を 考 量 す る 余 地 は あ る が、 「 我 」「 吾 」 の 別 な く 訓 み は ア 系 語 形 の ほ う へ 著 し く 傾 斜 し て い る。 第 一 人 称 の 表 記 に「 我 」「 吾 」 と い う 二 種 の 漢 字 が 使 わ れ て い る 事 実 に つ い て、 そ れ は 意 図 的 な 表 記 で、 統 語 的、 も し く は 意 味 的 な 違 い に よ っ て 使 い 分 け ら れ て い る と『 古 事 記 』 研 究 の 専 門 家 の 間 で は認められていないと結論づけて大過なさそうである ( 3 ) 。 3 古代中国語における「我」 「吾」の用法 で は、 古 代 中 国 語 に お い て「 我 」 と「 吾 (4) 」 は ど の よ う に 使 い 分 け ら れ て い る の だ ろ う か。 古 代 中 国 語 に は「 我 」「 吾 」 の ほ か に「 余 / 予 」「 朕 」「 卬 」「 台 ( 5 ) 」 と い く つ も の 一 人 称 代 名 詞 が あ っ た。 う ち、 「 卬 」 と「 台 」 は 春 秋 時 代( 前 7 7 0 年 ― 前 4 7 6 年 ) 以 降 の 現 存 文 献 に 現 れ な く な り、 「 朕 」 は 秦( 前 2 2 1 年 ― 前206) より以降皇帝専用の自称となった。 「我」 「吾」 と 「余 / 予 」 は 後 代 ま で 用 い ら れ た が、 こ の 三 語 が ど の よ う に 使 い 分 け ら れ て い た の か、 古 く か ら 関 心 が 持 た れ て い た。 た だ、 「 我 」 「吾」 と 「余/予」 の間に一線を画すことができるとされている。 『 古 事 記 』 に は「 余 / 予 」 の 用 例 が 見 ら れ な い の で、 こ こ で は こ れ以上の言及はしない。 3. 1 格機能説 「 我 」 と「 吾 」 が ど の よ う に 使 い 分 け ら れ て い る の か、 長 い 間 議 論 が 重 ね ら れ、 多 く の 論 考 が 発 表 さ れ て い る。 議 論 の 主 流 を 見 る と、 格 機 能 に よ っ て 使 い 分 け ら れ て い る と す る 説、 強 調 す る 意 味 合 い が あ る か 否 か と い う 意 味 論 的 な 違 い に よ っ て 使 い 分 け ら れ て い る と す る 説、 こ の 二 つ に 集 約 す る こ と が で き る が、 この両方とも認める論考も多い。 格機能説の代表的な議論は王 (1980) である。次のように 述べている。 「吾」 と 「我」 の区別は、 大多数の状況から見てこうであろう。 「 吾 」 は 主 格 と 属 格 に 用 い ら れ、 「 我 」 は 主 格 と 対 格 に 用 い ら れ る。 「 我 」 が 対 格 に 用 い ら れ て い る 時、 「 吾 」 は 主 格 に 用 い ら れ て い る 場 合 が 多 い。 「 吾 」 が 属 格 に 用 い ら れ て い る 時、 「 我 」 は 主 格 に 用 い ら れ て い る こ と が 多 い。 如 何 な る 状 況 に お い て も、 「 吾 」 は 動 詞 に 後 続 す る 対 格 に 用 い ら れ る こ とはない。 「 我 」 が 属 格 に 用 い ら れ る か ど う か に つ い て の 言 及 は な い が、 「 我 」 は 上 古 の 昔 か ら 属 格 に も 用 い ら れ て い た。 そ の 用 例 は 対 格 と 主 格 に 次 ぐ 3 番 目 に 多 い。 統 語 論 的 観 点 に 立 つ 王( 1 9 8 0) の 論 考 は 明 快 で、 そ の 後 の 多 数 の 研 究 に 支 持 さ れ て い る が、 実 証 的 に「 我 」 と「 吾 」 の 格 機 能 相 互 補 完 を 考 察 し た 論 考 を 管 見 にして見たことがない。 鄒 ・ 張 ・ 胡 (2010) は殷商期 (前1675年―前1029年) か ら 西 漢 後 期( 前 4 8 年 ― 9 年 ) ま で の 上 古 文 献 に お け る「 我 」 「 吾 」 の 使 用 状 況 を 調 べ て い る。 そ れ を 次 表( 2) と( 3) に ま とめてみた。