『白」「闇中問答 j 「歯車」など、 芥川晩年の小説には、 倫理上 . の 罪を犯した人間が、 罪の意敗に黄め苛まれて、 告白し懐悔をす るという形をとったものが多 い。 それ は芥川自身の生への徴悔そ のものであり、 死との対峙にほか ならなかった。「白」のように 懺悔によ って浄化し得ることができるという作品もあるが、 結局、 彼自身は自裁という形でしか決箔をつけることができなかった。 慨悔による功徳など、 もはや見出せぬ ところにあったのであろう。 小論で取り上げる 「疑惑」(大正八年七月一日発行「中央公論」 •第三十四年第七号を初出とする。)は、 人間に潜在する罪を、 「我々人間の心の底に潜んでゐる怪物」として呈示する。明治二 十四年十月二十八日に起きた濃尾の大地笈において、 痰を亡くし た中村玄道という男が、 地梃の際の削末を実践伶理学者である 「私」を前に、 むしろ背後にあ る楊柳観音を像み見ながら告白す るという形態をとってい る。 大地摂という凶変により、 要は梁の
芥川龍之介の
「疑
惑』
下敷きになり身動きできない。懸命に助け出そう とするのである が、 迫る火の手を前に玄道は要を己の手にかけて殺してしまう。 その時点では、 生きながら火に焼かれて死ぬよりはと判断したは ずであった。ところが、 筑災後、 殺す為に殺したのではないかと いう疑惑にかられ、 ついには人生を枠に振ってしま う。 そのよう な玄迫の心理と生き様を描き、 最も凄惨で重い罪を問阻にした作 品と見ることができる。 そこには浄化も自裁もなされない暗い生 が揺曳しているのである。 小論では、 芥川が地策の描写に際し て参考にしたと考えられる 「凪俗画報」の紹介を行い、 この作品のが心想の原点について検討 する。更に、 芥川の内部に存在する罪意識における「疑惑」の位 霞についても考察を加える。 『疑惑」における地震の描写には卓越したものがある。 そのリ アリティの根拠は、 芥川自身が作品の中で示唆しているとおり、見
尾
久美恵
-濃尾の地裟を克明に伝える「風俗画報」に あると考えられる。 「風俗画雑」(東京束陽堂発行) は、 大地震の起きたその年の十 一月三十日(第三十五号)及ぴ十二月十日(第三十六号)発行の ものを「震災記聞」として特集している。「疑惑」の中では、 震 災後一年余りたって玄道の再婚話も纏ったさ中 、 偶 然立ち寄った 本屋で、 玄道自身にその「風俗画 報」を手にさせる。「一家の 老 若が、 落ちて来た梁に打ちひしがれて惨死を遂げる面」、「土地が 二つに裂けて、 足を過った女小供を呑んでゐる画
r
「長良川鉄橋 陥沼の図」、「尾張紡絞会社破壊の図」 、「第三師団兵士屍体発掘の ・ 図 」、「愛知病院負傷者救護の図」 と、 当時の光尿をありあり と伝 える絵 を目の当たりにした玄道は、 再ぴ当時の記憶の中へ引き込 まれてゆく。 そして、 最後に見た一枚が、 黒煙と火の粉がもうも うと箕う中で、「落ちて来 た梁に 腰を打た れて、 一人の女が無惨 にも悶え苦しんでゐる画」で あっ た。 その絵は、 まさしく要の最 期を想起させるものであった。 これによって、 それまで漠然と心 を支配していた事件への悔悟が、「要殺し」という疑惑へと変化 したのである。 住1 二冊の『風俗画報」を見ると、 震災の凌惨さを巧みな絵と記録 文で余 すと ころなく伝え てい る。 巻頭に掲げられた宮岡永洗の 「震害図」 を掲載する。「疑惑」の中で、「表紙をはぐって・・・・・・ま つ先に一家の老若が、 落ちて来た梁に 打ちひしがれて惨死を遂げ る画」と記されたものであろう。 そのまま無惨に死んでいる者、 助けを求めて足掻く者。 そして、 まるで玄道が最後に見た一枚の ように、 梁の 下敷きになって助けを求める 女や、 梁の 下の子供の 手をあらん限りの力で引いている男の姿が描かれている。 この地 獄のような光景に芥川は動かされ、「疑惑」と いう作品を生みだ すきっかけを 得たのではなかろうか。 玄道が本屋の店先で「風俗 面報」を手にした時、「それだ。 それ だ。」と何物かが囁 き、 更に、 玄道に「では何故お前は要を殺した事を口外する事が出来なかつ たのだ。」と問い詰めてくる。 これこそ、 芥川の原罪意識に、「 風 俗画報」の絵が訴えかけてきたことではなかろうか。 掲戟の図は白黒の縮小nビーである。実物はB5版の見開きに 描かれた縦21.5cm横31. 5cmの絵で、 緑や朱の色彩が施されて いる 。 あまりに生々しく写実的な絵には述いないが、 黒煙・火 焔・瓦などを吹き散らすことで、 一枚の絵の中 に、 左上の光原の ような別の楊を描く ことが可能になってい る。 左上の足首と男が 子供の手を引いている部分は、 臨場感と切実さを伝える。 この一 枚は、 地震によ る悲劇を象徴したようなところがある。 次に、 地震の描写にあたり、 参考にした かと思われる記事を掲 げる 。 尾張名古屋の発展の時刻は午前六時三十八分五十秒にして・・・ (中略)・・・その轡き恰も千山万様の一時に崩れたる如く凄じき 響きして見る/\家浪れて瓦雨の如く飛ぴ散り砕け浴たる壁は 煙の風に靡くが如く暫時は物色をも弁ぜざりし程なれば遠近に老幼の悲しみ号ぴ泣き哭する声四方に起りて親は子を救ふの暇 なく夫は要を助くるの隙あらざれば我勝に先を争ひ逸れ出で、 却て瓦に頭を砕く者あり座して生を全ふする者あり忽ちにして 市内に百八十一名の死者と八百一名の負侶者 を出し家屋の倒泊 (ママー せるも半、 全渋にして四千四百余戸に及ぷ初震欽まるも時々 震動欧まざるより十六万の市民は周章狼狽為す所を知らず街頭 に小屋を掛け: .... (以下略) (第三十五号十頁「名古屋震災 J) この震災は、 何らの徴候もなく` 瞬時にして8喘を破壊し、 人 命を奪うものであったようだ。 この地擬が、 午前七時前という、 -8の始まりの時間に、 人々の日常を急襲したことも見逃せない。 この「風俗画報」の記録文にも、 朝食の前後に地震が起こったこ とを述ぺてい る被災者の声が随所に見られる。 これが、「疑惑 j では次のように描写されている。 十月の二十八日、 彼是午前七時頃でございませうか。 私が井戸 制で楊子を使ってゐると、 要は台所で釜の飯を移してゐる。ー その上へ家がつぶれました。 それ がほんのご一分の間の事で、 まるで大 風のやうな凄まじい地嗚りが襲ひかかったと思ひます かし と、 忽めきめきと家が傾い で、 後 は唯瓦の飛ぷのが見えたばか りでございます。私はあっと云ふ暇もなく、・・・(中略)・・・目の 前にあるのは私の家の屋根 で、 しかも瓦の間に草の生へたのが、 そつくり地の上にひしやげて居りました。 瓦の間に草が生えたままの状態で地上に落ちた屋根という表現は、 均質化した日常生活の隣時の崩壊 を、 極めて単純化しながら痛烈 な形で描写している。 そして、 梁の下敷きになって悶え苦 しむ要 と、 餌に いながら何もなす術のない錯乱状態の夫という急場が設 定される。 これは、 この「風俗画報」から箔想を得たものと考え られるのである。 濃尾の大地擬の際、 人々は、 密て安政年間に起こった江戸の大 地霞を想起している。 その規模と被害は、 安政二年+月二8以来 の大地誕であり、 折しも三十七回(三十六年目)に相当する。新 聞等でも二つの地庭の規模を比較した記事が 見られた。「風俗画 報」では、 参考として花兄虐士の「安政江戸地擬記事」を戟せて いる。 そこには、 地震という凶変なくしては起こり得ない異常な 逸話が語られている。 その一部を次に抜粋してみる。 ぅ,"” *● ".` , ...... 述後れたる人々は梁 に圧れ棟に繋たれ死する者数を知
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あ" らず猶も哀れなるは壊れ落ちたる木材に身を挟まれて逸る、こ あた し ピ ',td ゎC へ あ た す ちからた いか .. と能はず栽族其傍に在りて援け出さんとすれど力足らで如何 か“し ぇ A( 2 "1 つ" み み e, せまじと 悲 む程に炎姪地を巻き来り迫りて遂に看す/\猛 いと" v. 人 よ そ そ で ぬ 火に焚死さる最惨然なる有様余所の袖さへ澱れぬべし・・・・・・(以 下略) (第三十五号 二十六頁) 大筵ほど瞬時に日常を崩壊し、 人間の無力さを痛感させる天災も なかろう。 ここには、 落ちてきた木材に挟まれて、 生きながら焼 -279-かれる肉親を目の当たりにせざるを得ないという惨状が語られて いる 。 9つは" みしつ" ・・・・・・山口秀平てふ湘士は柑来る 梁の下に右の 腕を圧苅られ わ こ 人 か r て引抽く可き様も無ければ人々下り合ひ助けて たべと戸の限り 呼はれども皆周章惑ひて誰有りて聞付くる者も無く火は煩て我 しょせん 身の傍へ燃近づきにければ所詮焼死ぬより外なしと思定めし "勺9 た 所に長男馳来りて大いに驚き上に掩ひ瓜なりし木ども取除けん とするを秀平は止めて事既に急なり我を救はんとせば共に焼死 うで ●りず uんで9 やい“ なん早く腕 を切捨て よと言へば何條父の身に刃を当られ候ペ きとて猶予ふ程に火益々迫りければ秀平は怒りて汝腕を切ら ずは父を焼殺すなり疾</\切れと急がしける故に今は是非も たす (ん 焦しとて思断りて腕切裕とし父を火中に援け出しにけり此事君 侯に問えて仮令父の身に刀を当つるとも一命を救ふ事道理なり 、f とて米二人口を加増されけりとなん (第三十六号 二十頁) 父親の一命を救うために、親に刀を向けざるを得なかった息子の 行為は、善行として扱われ、増倅が図られるのである。 さんじょ( こ人“人 か"0と そう"人 "ょゎ 又産褐の困難なりしは屯戸町に亀田宗軒といへる前医あり其 ・人 のぞ わ に ぐ 娑 と 洟が分娩に臨みたる時の地縦なれば負はれて述る事も
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はず兎 角する程に近隣に火起り煙室に洪ちければ装が首ふ到底逃延 ヒ"た2 eっ しす•J ん事思ひも寄らず早く八歳の男子を連れ我を弄て、迩給へと申 か“ し た せ す べ な(/\ つ せば宗軒は悲みに堪へねども為ん術なくて泣々男子を巡れて 込れ出傍近き巷に踏躇て我家の焼くるを見つヽ弱卒の炭椛る USしの ゃ こ ·ら とと ” . h g し つ i 武祓野の焼くる心地して我にもあらぬ所に隣の人来て汝の要 0 た す は火中を出て用水桶 の水を飲居たり早く往きて助けよ一耳ふ宗軒 いか しん S 耽つ 書 は争でさる事あるぺきとて信せざれば然らばー連れ来たらんと て板て背に負ひて来たるを見れば疑ひも撫き我 要なりけ りコ 二とし うん約と ムし 9 とに ハ不思 議なり何とし て出 でけ るよと雪へば小児は産落したれど り ず ぺ ?辻み e"9 .-n2 で 為ん便なくて火中に残し身は焼濶れながらに是迄来たりける も "e,v.,
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L よと国ひけり其後治根して火癒も愈にけりとそ (第三十六号二十一頁) この逃げ後れて焼かれたはずの要が、子を産み洛として難を逃れ、 九死に一生を得たという話は、「疑惑 j の中に生かされている。 玄迫は、「風俗画報 j を手にすることで誘発され た「洪殺し」の 猛惑に沢め苛まれていた。それを、「あの場合要を殺さなかった にしても、表は 必 火事の為に焼け死んだのに相迩ない 。 さうすれ ば何も要を殺したのが、特に自分の罪悪だとは云はれ な い筈だ。」 と考えることだけ で自分をごまかす事ができていた。しかし、梁 の下敷きになり身動きできなかった女が、火事によって梁が焼け 折れたため、抜け出すことができて助かったという話を同僚から 開かされた時、そのわずか一条の血路さえも封じ込められてしま うのであった。 このように読んでくると、大地従と いう状況下では、どのよう な 事 態 でも起 こ り 得 るのが 必 定 で し し し し し , ' . .と思える話でも、 必ずしも異常な逸話とは言えなくなる。 日常が 突然崩壊した時、 異常性こそがその状況におけ る常識と化すので ある。 そして、 激しい愛ゃ憎しみ、 痛烈な悲しみや苦しみ、 不安 などが人々を製い、 日常生活の中でつけている仮面を剥ぎ取って しまう。従って、 命からがら生き延ぴた人々の心の中に は、 黙し て語る事の出来ない惨状が、 深い條として残っているに述いない。 .玄道は肉体的に欠陥のある要を内心悧んでいた。芥川は「我々の 心の底に潜む怪物 J を暴露する ために、 公にはされることのな かった忌わしい体験を玄道に背負わせたのである。 そして、 それ が日常生活の中で、 徐々に露見して行く過程を描く。 「風俗画報一は、 地震の描写にリアリティを与える根拠であっ ただけではない。 そこには、 地震という非日常的な極限状況の中 での人間の生き様そのものが記録されていた。 このような記事の 掲載されているr風俗面報 j を芥川が手にした時、 彼自身にとっ て諏要なテーマの一っをそこに見出したとしても不思談ではない。 芥川においては、「精神上の敗残者」の心理を様々な時代や状況 の中で描き出していく事が、 重要なテーマであった。「疑惑 j は、 「風俗画報 j に出会った芥川が、 一切の社会的束縛が地上から姿 を消す地展という状況を借りて、 このテーマを定滸させた作品と 考え られるのである。「疑惑 j の前年に発表された「開化の殺人 j‘ そして K 奉教人の死 j から、 晩年の作品群に至る「粕神上の敗残 者」をテーマとした流れの中に、「疑惑 j を位骰付ける事が出来 るのである。 「疑惑 j 執第から四年後の大正十二 年、 芥川自身も関東大祖災 に遭遇する。 その際、 大綬災に関する一連の手祀を残している。 その中の一っ が次に掲げる「大煤雑記」である。 これは夙にクライストが「地祖」の中に描いた現象である。 いや、 クライストはその上に地裳後の異布が静まるが早いか、 もう一度平生の恩怨が除ろに目ざめて来る恐しささへ描いた。 するとポプラア供楽部の芝生に難を避けてゐた人 人もい つ何時 隣の肺病忠者を躯逐しようと試みたり、 或は又向うの奥さんの 私行を吹聴して歩かうとするかも知れない。それは僕でも心得 てゐる。 「平生の恩怨が除ろに目ざめて来る恐しさ」について、 I 疑惑 j の中で玄逍をして「(我々人間の心の底に潜んで ゐる)怪物が居 ります限り、 今日私を狂人と嘲笑つてゐる述中さへ、 明日は又私 と同様な狂人になら ないものでもござい ません。」と語らせてい た。 罰の伴わない罪を重ねている人間の本心を、「怪物」と呼ん でいたのであった。 しかし、「大冥雑記」の統く文中に、 また、 自分がそのような多勢の一人であること に、 いつにない親しさの 涌くのを、 美しく忘れがた い光飛とも表現している。 また、「大展に寄せる感想」では、 日称の肌戦を悲設的に見る 281
-のではなく、逆に、そ のよう な状況における確固たる人間の樹立 について説いている。それは被害を受けた人にあてて咎かれた文 章であり、扇動的な要紫が強く現れたものと考えられる が、芥川 .の生への強い執滸を院みとる事ができる。多くの罪のために脚に 傷を負い なが ら生きる輩であれ善良な市民であれ 、プルジョア ジーであれプロレクリアートであれ、天災は人を分かたず火の手 を上げる。地震の際、要子を顧みず、屋外に飛ぴ出していた芥川 ( 「 大裳雑記」より)は、己のエゴイズムやエゴイストとしての 人間を、冷笑しつつ も甘受していくのである。 また、「或阿呆の「生 j の中では、 「 三十一 大地震」と姐した 一節の中に次のような文章がある。 殊に彼を動かした のは十二三歳の子供の死骸だった。彼はこの 足悶烹‘犀 か 酎 e ま しさ に ilU いものを 盆じ た。 「第パ に 如 せらるる ものは夭折す」ーかう云ふ言葉なども思ひ出した。彼 いばてい うら " か h あ a の姉や異母弟はいづれも家を焼かれてゐた。 しかし彼の姉の g と 9 し よ 9¢ い をか ため し つ召いうよ
t
からだ 夫は偽証罪を犯した為に執{猶予中の体だつたo たれ 介れ し よ ・ 「 誰も彼も 死んでしまへぱ善い」 介れ e あと に・ず 彼は焼け跡に件 んだま ま、しみじみかう思は ずにはゐられ なかった。 ここでは、己を束縛する者の死を望み、己を拘束する世界の崩壊 を願ヽり気持ちを吐露している。そこに芥川の精神の孤立、あるい は周囲との断絶を垣間見る事ができる。しかし、それによってし 「疑惑 j は、楊柳観音を背後にした実践倫理学者である「私」 か自ら の生を保ち得ないのなら ば、また 、それがかなえられない 願認ならば、自らが死を選ぶより他はない のではあるまいか。 の前で、玄道が告白し、懐悔を行うという形になっていた。ここ で、芥川の憐悔観から見た「疑惑」 みたい。 芥川は晩年の作品において、懐悔ということについて、以下の ように述べている。 の手法について考察を加えて 四十六 拙 か h かれ サいし人て・ 11. ,6 介ん か" あく 彼は彼の精神的破産に冷笑に近いものを感じながら 、(彼の悪 即ゃ耐虹巳ダ組 ら ず餌 には わ かつてゐた。)和饂如いろ い ろ "ん よ L い 09 て● 9 そ の本を続みつゞけた。しかしルッソウの懐悔録さへ英雄的な紐 に充ち滸ちてゐた。殊に「 新生」に至ってはー彼は「新生」の ヽ"人しや であ 主人公ほど老拾な偽普者に出会ったことはなかった。 ( E 或阿呆の一生 j) 懐 悔 古人は神の前に伐悔した。今人は社会の前に徴悔してゐる。 すると、阿呆や悪党を除けば、何ぴとも 何かに懐悔せずには娑 婆苦に堪へることは出来ないのかも知れない。四
七 しかしどちらの懐悔にしても、 どの位信用出来るか と云うこ とはおのづから又別問題である。 トルストイ ピュルコフのトルストイ伝を読めば、 トルストイの「わが伐 悔」や「わが宗教」の維だったことは明らかである。 しかしこ の維を話しつづけたトルストイの心ほど倍ましいもの はない。 彼の謡は余人の巽実よりもはるか に紅血を滴してゐる。 (以上「保紺の言薬」) 悔 わたしたち はあらゆる懐悔 にわ たしたちの心を動か すであらう。 が、 あらゆる悛悔の形式は、「わ たしの したことをしないやう に。 わたし の言ふことをするやうに」である。 (「+本の針」) 懐悔の形式の虚偽を見 透かした上で、 懺悔することの杓神的な意 味を認 めようとしている 。芥川に とっては、 ルッソウの「懐悔 録 j も、 島崎藤村の「新生」も、 虚像であり偽善的である。 しか し、 懺悔に精神的な救済を求める多くの人々の心や、 懐悔に心を 動かされる人々、 懐悔の嘘を知りつつ語り萩けたトルストイの心 痛そのものは、 容認している。 このような心痛や精神的な救済の 中に こそ懐悔の意味があると考えているのである。 「要殺し」という罪が、 自らの心の中で徐々に露呈されてくる 又 慨 過程において、 玄道の心は大きく揺らぎ続け、 救いの手をさしの ぺる余地もないほどであった。玄辺の意識している罪は、 他人か ら糾弾される性質のものではな く、 むしろ、 どんなに正当化しよ うとしても正当化できない、 人間であるが故に持っている罪であ る。 それ故に、 読者も黙然と座っ ているよ りほか はなか っ た 「私」と同じ境地に囮かれるのである。 芥川が「老招な偽普者」と烙印を押した「新生 j と比較してみ ると、 主人公も説者も、 全く逆の結末に浮か れて行く。 藤村の 『新生」は、 前店が大正七年五月一日から十月五日ま で、 後屈が 大正八年八月五日 から十二月二十八日まで、「東京 朝日新聞」 に 迎戟された。 一方、芥川の「疑惑 j は、 大正八年七月に発表され ている。 また、「大正八年度の文芸界」(大正八年十二月五日発行、 大阪毎日新間社・束京日日新聞社編纂「毎日年鑑 j 掲戟)におい て、 芥川は H 新生 j を取り上げ、「叔姪の恋愛と云ふ如き大問題 であ りながら、「新生 j の主人公の自己批判は、 余りに容易なる 憾がある。従ってこ れを肯定しようとする主人公の心もちも余り に虫が好すぎる観なきを得ない。」と酷評を下す。 このような経 緯から、 周囲の保守的な体制に救われて自己の追求が十分に行わ れない B 新生 j へのアンチテーゼとして、「疑惑」が魯かれたと 見ることが可能になる。 藤村の「新生」については、「島崎藤村 氏の懐悔として観 た「新生」合評」(大正九年一月発行「婦人公 論」第五年第一号)が掲栽されるな ど、 文坦に与えた影咽は少な -
283-. く ない。芥川は晩年において、「染たして 『新生」はあったであ らうか?」( H 保脩の言葉 j 「「新生」読後」)と疑問を 投じている が、 後篤発表を前にして、「新生』に 抗していたのではなかろう 力 往二 芥川の『新生」批判について、 山田晃氏論文に「「人として」 の失敗を「芸術家として」の成功で贖うという芥川の拶想を大き <衷切るものを持った作品だ。のみならず、 それは、 芸術家とし ての権能を利して、 新たな罪悪が韮ねられ、 その 上に人としての 0 ママ) 再生がはかられているとい う姻疑を受ける に十分なものを持て ・いる。」として、 藤村の創作営為、 あるいはそれを支える人格へ It-『一 のい らだちを指摘されている。 また、 菊地弘氏は、「実生活を切 り拾てて虚構にテーマを託す芥川龍之介の小説方法は、 私小説が 育んだ告白形式に対立する姿勢を打ち立てたことになる」とされ、 自然主義者たちのあり方、 なかでも「藤村の芸術 への態度と方法 とは臭次元のものである」と 見ておられる。 そし て芥川の「新 生』評については、 芸術家を主人公にした「戯作三昧』(大正六 年十一月完 ) 、「地獄変 j' (大正七年五月)、『枯野抄」(同年十月) を挙げ、「芸術と倫理、 芸術家とエゴイズムを作品を造 型する中 で追尋した。」という視点で考察さ れている。 更にここで、 芥川の指摘した「主人公の自己批判」に注目する と、「新生」は、 芥川の悛悔観と対立したが故に、「疑惑」を執築 することで自らの懺悔観を呈示しようとす る動機付けのーつに なったという感は 強い。芥川は、 自己 を拘束するあらゆる状況や 社会的規範、 そして自分自身をも含めた人間の中に潜む生の虚偽 性を看過できなかったのである。 生へのこだわりが強ければ強い ほど、 他者や自己の虚偽性を明確化させることになる。玄道は周 囲の人から狂人呼ばわりされ、 自らも「精神上の敗残者」になる よりほかない生を余儀なくされる。芥川にとっ て、 トルストイの 懺悔が「余人の爽実よりもはるかに紅血を滴し」た雑であったよ うに、 徹底的に自己批判を行うことにこそ、 懺悔の意味はあった のであろう。 「疑惑 j は、 大地従のような時空の裂け目と も曾える中か ら造 型されてくる世界を描いた作品であった。玄道が逍過する事件の ―っーつは、 写英的なものでなければならず、 そのため「風俗画 報」という実録をも とに構成されたのである。部分部分の写実を 枝み煎ねることで、 非日常的非合理的な世界が開かれるのである。 芥川はそのような批界の造型にこそ、 実在の空間は描かれるもの と考えたのであろう。理由を作って自己弁設することもできた玄 道の仮而がことごとく刺されていくのも、 部分部分の写実に基づ いている。「疑惑 l は、芥川の罪意識や悛悔観が形成される過程 において、 重要な位僅を占めるものであると同時に、 芥川の小説 の手法を考察する上にも意義深いものである。 芥川自身は、「疑惑」発表直後の大正八年七月八日付佐々木茂 索宛菜音の中で、「悪作脱む可らず」とむいている。芥川がなぜ
※ (昭 和 六+ 腐 IlJ 大学 大学 院ti 了) が、「風俗固報 j は、 今 で は 知 る由 も ない こ の よ う に 判 断 し た か う 事 実 に頼 り す ぎ たが 故 に、 彼 自 身 と い う 衰 科 と 汲 尾 大 地 撰と い e 、うことかもしれな 、ない面が多い と > の 中で 十 分 に昇 部 しき れ て し の 告 白 を 通 じ て 人 間 の 原 罪 に 迫 、。 し か し、「精神上の敗残者」 > もの であ る。 その 中 で、 芥 川 の 手 法 そ の る 方 法は 、 ま ぎ れ もな く よる 評 価 は と も かく た 本 作 品 は、 芥 川 自 身 に 特 に 懐 悔 観 を 追 求 し ぐ り 出 し た作 品で ある と言 え ょう 。 として 、 芥 川の 内 面 を 深 く え