Title
基本的人権規定の私人相互間への適用について
Author(s)
森田, 友喜
Citation
沖大法学論叢 = OKIDAI HOGAKU RONSO, 1(1): 1-32
Issue Date
1975-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/6441
基本的人権規定の私人相互間への適用について
森田友
喜
ONTHEAPPLIcATIoNoFFuNDAMENTALHuMANRIGHTs
BETWEENPRMTEPERSONS
TomokiNoYita もくじ はじ1W/亡………・……・…・…2 1伝統的憲法の基本権観………3 2人権思想の変貌・………・望.…・…・………7 無適用論の凋落 3基本権規定の適用の態様………9 4直接適用説への批判について…・……..………27 おわ''〕に………・……・…・………・…………・…・…………31 ‐ユーはじめに 憲法の保障する人権規定の私人間への適用の有無の問題は,アメリカや西 ドイツでは既決のものとされ,こんにちでは学説・判例はともにその適用の (1)
方法に苦慮している段階にあるといわれている。わが国においても戦後’0
年余経過したころから,ようやく私人相互間の人権侵害にたいして基本権の 適用性が学説上,論議をよびおこす主うになってきたのであるが,判例(と くに最高裁)はこの'問題について,まさしく解答をあたえることはなかった。 その後下級審では,憲法を直接,間接の適用に上り判決したのもみられたのであ(聟が,最高裁判所の第三者効力論は判決にはあらわれなかった.
ところが昨年,2月,いわゆる三菱樹脂事件において,最高裁はこの問題 にたいする態度を表明するにいたり,にわかに憲法法規の社会生活上の機能 の有無おエび法理論的問題と同時に,現実的・実際的・運用的問題として, 学問的.社会的関心事となってきた。さらに本年7月,昭和女子大事件でも, 私人間の人権侵害への憲法規定の導入について,最高裁は前述三菱樹脂事件 の判例を引用してその見解を再確認したのである。 これまでわが国でも,私人相互間への基本権の効力の問題は学説上,多数 論評をみたのであるが,明確な解答はえられず各種の論議を惹起する結果と なっていたおり,最高裁の示した態度を契機に再検討の要もけして無意味と はいえないであろう。なぜなら,最高裁の判決は第三者効力論への終極的解 決をあたえたという必り,むしろ新しい出発点にたちいたったと思われるか らである。最高裁の基本権規定の適用態度の明確化の要求は,現代社会における私人の人権侵害の横行の一端をあらわしているともいえ(三1゜ここに憲法
の保障する基本権規定の存在意義お上びその価値が改めて問いなおされる要 諦が生じてくる。そこで近代憲法規範体系の適用性は20世紀憲法の価値体 系の中において,どのような相違・変還を示してきたかを順次検討してみた いと思うo 註一 (1)たとえば’三並敏克・「基本権の第三者効力(lU(立命館法学96号)・140 -2-頁は.「-面では原理的視角から,他面では現実的・具体的視角からの検討は「私 人」による陛本権」侵害問題にとって不可欠なものであるという意味において, 両国学説および判例がまだ試行錯誤的段階にある」とこの点を指摘する。 (2)憲法の規定を直接適用したと思われるものに,昭和32.7.20束京地判,昭 和33.4.22佐賀地判,間接適用と思われるのに昭和25.9.9福岡地判が ある。 (3)芦部教授はこの点について膓近は公務員の人権侵犯に比し,私人ないし私的団 体による人権侵犯が圧倒的に多く,しかも年々それが増加の傾向にある」と述べて おられる(凧人間における基本的人権の保障」(基本的人権1)・255頁)。 1.伝統的憲法の基本権観 近代憲法の原理の一つは「権力分立」であり,他の一つは「基本的人権の 尊重」である(フランス人権宣言,16条)。人権思想の源泉はマグナカル タ(1215年)にまで遡るが,その後発せられた権利請願(1628年), 人身保護法(1679年)および権利章典(1689年)とともに,人権保 障のシンボルとして人権思想の底流をなしている。しかし,これらが基本的 人権として観念されるためには,人間価値の認識の要求が不可欠ときれた。 やがてそれは近代の人間精神の自由への自覚を促進せしめ,自由にたいずろ 最高の価値の発見は人間社会の価値観の転換を惹起して,自己の自由な表現 の尊重性にみられる主うに,倫理的・道徳的には自由への不干渉こそ最高の 美徳とされ,法的・政治的には国家の自由への侵害は極力排斥されるところ に意義を認めてくる。近代初期の市民社会における人間の自由を国家権力と の関係においてとらえ,いかに法思想の体系に編入せしめるかが近代憲法の 重要な課題の一つであったといえる。ロック(Locke)やルソー(LuBBeu) などにより発展せしめられた自然法思想は,まさしくこの問題解決の処理に メスを入れるものとして高く評価された。たとえば,ロックに主れば「生命 ・自由お主び財産にたいする権利を天賦の人権として主張すると同時に,人 (1) 権獲得の闘争のきっかけとなった信教の自由についても国家は寛容たるべき」 でなければならなかったのである。 憲法の基本権観は対国家観として把握される結果,国家は市民への干渉を -3-
防止し,秩序や防備,治安の維持・確保にその任務が集約され,いわゆる消 極国家ないしは夜警国家が最上の国家観とされるのにたいして,市民社会は 個人の平等性を基盤とする自由活達な理想社会を標傍する。かくて市民社会 の法原理は自由・平等。財産権の不可侵を基礎に形成され,私的自治の精神 を導きだす。この精神にささえられた市民社会は,契約自由の原則が支配す る,いわゆる「私法生活」が一般化することにより,「憲法生活」の必要性 を否定し去ったといえる。市民社会の理想とする自由競争への国家の干渉は 敵視され,人権侵害の主体は国家そのものであり,国家権力の干渉を排斥す ることこそが,人権保障の唯一の方法でありかつまたそれで十分であると考 えられたo との主うに憲法上の基本権の思想を対国家関係において制限的にとらえる 憲法理論は,基本権規定の適用を国家と個人間に限定的ならしめたのである。 したがって,人権保障規定は私人間には効力を有せず,学説上いわゆる無効 力説が唱導され,学説・判例の支持するところとなった。たとえばアンンュ ソ(AnBohdtz)は基本権はその構造上一般的には公権力の侵害にたいし てのみ個人の自由領域を保護し主うとするもので,第三者の権限のない行為 (2) にたいして保護しようとするものではないといっており,マウンツ(Maunz) が国家以外の第三者にたいして個人を保護する必要はあるが,基本権の範囲 をそこ戎五拡張した結果はまだ見極めがつかず,その理論も熟していたいと (3) 述べているのも,人権規定の適用性を公権力との関係でとらえていることに ほかならない。またマンゴールトークライン(Mangold=Kユein)に生 れば,私法的法律関係の内部においてはいかなる公権も存立しえないから, (4) 公権としての基本権の第三者効力は結局否定せざるをえないと指摘するの、 同一趣旨といえる。 かくて,確立された伝統的憲法理論の支持者はわが国でも顕著であった。 たとえば,美濃部博士は「臣民が国家二対シテ有スル権利ヲ臣民ノ公権ト謂
(9)」と述べておられることから無効力の理論が推定される。宮沢教授も原則
的にはこの説が妥当であることを次の主うに記しておられる。「人権宣言に おける人権の保障は何上り国家権力に上る人権の侵害を否定ないし排除する-4-趣旨をもっている。人権宣言に含まれる規定は,人権を国家権力に遮る侵害 ・の前に保障すること,言葉をかえると国家権力の人権への侵害を禁止するこ とをその狙いとしている。したがって国家権力と関係のない私人の行動は原 ..(6) 則として,人権宣言の関知するところではないと考えられ(る)」。また阿 部教授その他編書に上れば,「憲法の趣旨はすべての国民が基本権の尊重を (7) 国。公共団体にたいして要請できるということである」とするの、権利・自
由を国家と国民一般との間に適用する基本権の理念としてとらえる。換言す測勇私
人間への適用を否定する古典的憲法思想に由来するものである。これらの諸説で明らかな上うにこの見解は,公法・私法の二元論に立脚し
て憲法の基本権の効力は公的統治作用との関係で意味を有しうるにすぎず,
私人間の権利の保護については効力を否定する。私法領域での個人の権利の
保護は私法独自の分野で処理されるべきで,公法領域を形成する憲法規範と
はおよそ無縁のものといわざるをえない。この説は従来ドイツ憲法学の主流をなすもので,わが国でも通説的見解であったといえ筐'。しかしこんにらで
(9) は,無効力説の主張はほとんど見当らない主うである。 ところで判例の動向はどうか。この問題と関連のあると思われる最高裁の 判例を若干みてみよう。昭和26年4月4日,大法廷判決,民集5巻5号,214頁,「憲法21
条所定の言論・出版・その他一切の表現の自由は,公共の福祉に反し得ない ものであること,憲法12条,13条の規定上明白であるばかりでなく,自 己の自由意思に基づく特別な公法関係上又は私法関係上の職務上にきって制 限を受けることのあるのは己むを得ないところである。されば原決定が「本 件会社従業員である抗告人等の本件行為が相手方会社の職員懲戒規程に該当するときは,右規程に基づく相手法の処分を受けるの巳むを得ない場合もあ
ること当然である」として,憲法21条は右規定の効力に影響を及ぼすもの
と解釈することはできないと判断したのは正当である」。 昭和27年2月22日,第2小法廷判決,民集9巻12号,793頁,「基本的人権も自己の自由意思に基づく特別な公法関係上又は私法関係上の
義務に主って制限を受けるものである。従って上告人がその自由な意思に主-5-り校内で政治活動をしないことを条件として雇傭された場合その特約は有効
であって,憲法又は民法上の公序良俗に違反した無効な契約であるというこ
とはできない」。昭和30年11月22日,民集9巻12号,1793頁,「本件解雇は上
告人が共産党員であること,若しくは上告人が単に共産主義を信奉するとい
うこと自体を理由として行なわれたものではないというべきであるから,本
件解雇については,憲法14条,労基法3条違反の問題はおこり得ない」o
これら初期の判例はいずれも,憲法の権利規定の私人間への効力の有無を
争点として判示したものではないというところから断定はできたいが,おそ
らく無適用説の立場にあると推測される。冒頭で指摘した「三菱樹脂事件」
の大法廷判決の中て,「憲法の右各規定は,同(憲)法第3章とその他の自
由権的基本権の保障規定と同じく,国または公共団体の統治行動に対して個
人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので,もっぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり,私人相互の関係を直接規律す
ることを予定するものではない」と述べている点を考察するかぎりでは無関
係説を採用しているといえる。しかし判決理由の中半でこれを修正するよう
な箇所があるところから,はたして本説を採用しているといえるか学説の分
qcI れるところである。いいかえれば,本判決が基本権規定の適用問題について十分な解答をあたえていない,いわゆる審理不尽の態度をとったのか,それ
とも燗接効力説という考え方の存在理由が問われねばなら当lL」のか後で
さらに検討をくわえてみたいと思う。 註 (1)清水望編・比較憲法講義,24頁o(2)AnBohdtz,DieVer壬aBBungdeBDeutBchenReicheB549、
14Aum1932.,vonMangoユdt=UUein,DaBBonneB GrundgeBetz,2A[正l、1957,s、61. (3)Maunz,DeutBcheBStaatBreclユt8Au、.S、86~88. (4)vonMangoユdtゴ〈ユein,a.,a、0.s、65-66. (5)美濃部達吉・改訂憲法撮要140頁。 (6)宮沢俊義・憲法2E新版](法律学全集)116-7頁6 -6-(7)阿部照哉編・憲法講義100頁o (8)森教授によれば,無効力説はこんにちでも憲法学界の通説だとされる(億法上 の人権と私人間の法律関係」(彦根論叢93~6号240頁)。 (9)作間忠雄・「私人間の基本的人権の保障」(法学セミナー208号)106頁。 なお,中山勲。「人権保障規定の私人間に対する効力」(阪大法学55号)73頁 は,西ドイツで(も)・・-..自由権規定の効力拡張の要請は強くうち出されており, 完全な無効力説は見当らないようであると述べている。 、たとえば,有倉・法学セミナー229号10頁は無効力説o阿部・判例時報724 号7頁,田口・体系憲法判例研究,基本的人権(1)68頁は間接効力説。川井・ 判例時報724号13頁は間接効力ないし無効力説。 ⑪川井・前掲13頁。 2.人権思想の変貌 無適用瞼の凋落一 近代初期の市民社会は単純な憲法体系による統治規範を制定することに遮
り,国家からの侵害の防止に主として考慮を払ったのである。換言すれば,
基本的人権の保障はもっぱら国家権力の干渉を阻止することによって維持さ れるものであり,かつそれで十分だと考えられたからである。ところが初期の資本主義か産業革命の過程を経て高度化するにつれ,今までの単調な社会
も次第に複雑な構造を呈する主うになり,その結果社会的矛盾が現われはじ
めてきた。従来の自由放任経済による富の偏在は有産階級と無産階級の二重構造を構成し,財産権はもとより自由・平等の理念も漸次空文化現象を生み
その影響は国家観の転換をせまることにたった。かつての夜警国家ないしは
消極的自由国家から福祉国家ないしは積極的社会国家への転身が要求される 盤うになると,古典的憲法理論への反省も加えられるようになる。すなわち基 本権態様の価値の変化は自由権とりわけ財産権絶対性の思想の脱落と,それ に反して生存権ないしは社会権の登場を惹起し,人権侵害者の拡大化をもたらし,これまでの国・公共団体とならんで社会的・経済的団体も権力の
輪を広げ,人権侵害の可能性を一層深刻ならしめてきた。社会的権力
(eoziaユeMachte)の所有者に経済企業体,職能団体,政治集団,マ -7-=ミニユケイシ。坐どがあり,国家にも匹敵する権力の行使は,ホップ
ス(T2Hobbe8)のいわゆるルヴァイアサン(Leviathan)」と化する。
これら巨大化した私的団体の人権侵犯の増加は,伝統的憲法の基本権の適用性の多様化を促進せしめる要因となってきたのである。
この動向を背景に憲法体系に明白に第三者効力(DritteWirkung)規
定として設けられたのかワイマール憲法にみる118条上項2節の言論およ
び出版の自由権に関する,「いかなる労働関係もしくは雇傭関係も,この権利の行使を妨げてはならない。また何人もこの権利の行使にたいして,不利
益をあたえてはならない」,お主び159条の「労働条件お主び経済条件の 維持,ならびに改善のための団結の自由は何人にも,またすべての職業にた いして,これを保障する。この自由を制限しまたは妨害し主うとするすべての約定おさび処置は違法である」の各規定である。これらの規定の思想的背
後に,社会国家ないしは福祉国家の原理が横わっており,18~9世紀の自
由の理念が形式的域をでることがなかったのにたいして,20世紀における
自由の実質化の要請は補充的諸権利の台頭を意味していた。デューリンガー (Duringer)の「基本権の規定は単に国家にたいしてのみ拘束力をお上ぼすにすぎ乏撰」とする古典的基本権観の崩壊を顕著に示すことにたる。
アメリカにおいては,人権規定の適用を国家してたいする制限条項としてと らえ,私人の侵害行為と国家行為との関連性を基礎づけることにさって保護しようとする。この方式には二つのものがある。-つは判例にみられるよう
に,私人間の差別的行為を国家機関たる裁判所が是認し執行すると,私人の 行為は国家の行為とみなされ平等の原理に反し無効になるとする法理の操作 にエリ,被害者の保護をはかる。他の一つは,社会的権力を有する諸団体が 国家と類似の機構を有して,実質的には権力の行使が国家に匹敵すべ〈市民 生活に重大な影響をおよぼすにいたったときは,これら組織体を単なる私的 行為としないで,国家に準ずる行為ないしは国家類似の行為として,直接憲 法の人権規定を適用しようとする。この現象は,いわゆる私的統合(Priva- tegovernment)の理論で構成されγ国家類似説(LookB-Uke governmenttheory)と主ばれる。 -8-このように20世紀における憲法の基本権観の変遷はアメリカとドイツと では異なるが,いずれにせよ私人による自由・権利の侵害を憲法上の問題と して処理する目的にでるものであり,人間尊重の実質的確保を可能ならしめ る憲法理論への展開をよみとることができる。したがって伝統的憲法観への反省 は,人権規定の態様の変化を現出せしめ,優勢をきわめた無適用理論は漸次 凋落の一途をたどり,前にみたように,こんにらでは完全な無効力説の主張 は姿を消したといってよい。冒頭で指摘したように基本権規定の適用の有無 の問題ではなくて,いかに適用するか”wie“のそれだとするのがこんにら の課題といえようo 註 (1)たとえば,沖縄タイムス昭和49.12.10夕刊は,新聞も巨大化すると,一方で は市民の権利を侵害するという面も起きてくる。名誉棄損,あるいはプライバシー の侵害などであり.新聞が心すべきことであると述べている。 (2)W、LeiBner,GrundrechteundPrivatrecht,1960s、239. 3.基本権規定の適用の態様 第三者効力が是認されるか否かという”oげつ問題はすでに解消されてお り,いかなる形で効力がおよぶかという”Wie“の問題が議論の中心課題で
あつ(jt1,大別して二つの方法があげられる。一つは間接適用説ないしは間接
効力説であり,他は直接適用説ないしは直接効力説である。 1.間接適用説ないしは間接効力説(mitteユbax1eDrittwirkung) 間接適用説の主張はデューリッヒ(Durig)によって代表される。彼 は基本権規定を私人間への効力を完全に切断する無効力論を論駁し,第三者 への関連性を意義づけるのであるが,ニソパーダイ(Nipperdey)の提唱 (2) する直接的第三者効力論にたいしてきびしい批判をなげかける。デューリッ ヒによれば公法と私法との関係では明確に異なる法体系を確立するがゆえに 法二元論を構成し,公法の私法への直接介入は性質上認められず,私人には 国家の侵犯老たる帰責のときも許容しうる。基本権はすべて人権の中から私 -9-権を削除した残余とみるから「人権は個人相互間においてすでに,私法秩序 の中で実現されている」。ことばをかえれば「人間の一般的自由から他人の 私権に主る制限をさし引いたのとりの自由が,法的にみとめられた国家志向
的公権」である。また法構造における二元主義は法道徳(RechtBmora1)
の二元主義とは必ずしも一致する§のではないか,私道徳の統一性の要求も 基本権の規定的効力がただちに私法の領域に適用されるのではない。それは憲法それ自体の実定法的命令であるといえるからである。憲法の基本権体系
にたいする私法の独自性(migenBtandigkeit)ないしは自律性(migengeBetz1ichkeit)の推持の必然性を強調し,前記法道徳の全
統一性の主張のもとに,国家権力'てたいする防禦権としての人権という伝統的な観念を維持しながら,私法は基本権の諸原則にしたがうべきであるとい
う人権規定の私法扶序への現実化(AktuaユiBierung)または輻射的効
(3) 力(AuBtrahユungBwirkung)を有することになるからである。 デューリッヒの理論は,連邦労働裁判所の判例理論に痛烈な批難を加え,連邦憲法裁判所によって支持された。事件の概要は私人リュート(LHth)
と映画会社との間の民事上の紛争に端を発し,表現の自由と営業の自由との
基本権の衝突が生じたので裁判所に判断を求めたのが,いわゆる「LKth判
決」である。判決の要旨は,「基本的人権は,まず第一に国家にたいする国
民の防衛権である。ボン基本法の基本的人権規定には客観的価値秩序が具体
化されている。この価値秩序は憲法上の根本的決定として法の全領域に妥当
する。民法には私法規定によって間接的に基本的人権の法内容がもられていそ
る。この法内容はなかんずく強行法規を拘束し,かつ一般条項(Qeneraユー
UauBe1)を通じて裁判官を個別的に拘束する。私法の規定もボン基本法
にいう「一般法律(Genera1geeetz)」であり,したがって表現の自由
に関する基本的人権を制限することができる。一般法律は自由な表現にたい
する基本的人権の特別な意義にてらし自由主義的民主国家の見地に立って解
釈されなければならない。ボン基本法5条の基本的人権は表現の自由自体だけでなく,表現に遮る精神活動をも保障す筐|」と述べて,ハンブルク地裁判
決を破棄し原審にさしもどした・ -ユ0-本判決は要旨に示めされている上うに,基本的人権規定は国家と私人との
関係に錨されるのを本旨とし,私人間に妥当するものではないとする。基
本権規定には価値秩序の体系が包含されており,私法の領域にそれが惨透し, 私法の一般条項に上ってはじめて実現する。私法上の行為規範が憲法[則して解釈をこころみるが,適用法規はあくまでも私法そのものであ皇1゜つまり
この判示は古典的憲法論に立ちながらも私法条項の解釈の操作にエリ基本権 の価値を導きだそうとする間接適用論に立脚するものであって,ドイツにお いて学説・判例の支持するところである。 わが国でも間接効力の主張は優勢で,その支持者の一人である芦部教授は 「人権を原則として国家権力にたいする防禦権としてとらえる伝統的観念を 維持し,かつ国家権力による規制ならば人権侵害として違憲である上うな権利.自由の制限でも,それが当事者相互の自由な意思決定にもとずくもので
あれば,許されるばあいもありうること,国家権力がそういう私人間の契約
ないしその他の法律関係を設定する自由もまた憲法で保障された基本権であ
ることをみとめ,私的自治を尊重したがら,しかも全法秩序の法道徳(Re- chtBmora工)の統一性を確保する方向で法的構成をこころみるのが望ましいと私は考える。したがって,一定の私法関係が,その法律関係の性質お主
び目的に合理的な関連性のない不当な人権の制約を内容とするばあいには,それに直接憲法の人権規定を適用しないで,人権規定に上って意味内容を充
填された私法の一般条項(ことに民法90条)を媒介として,つまり間接的
に人権規定を適用して右の不当な人権侵犯を規制するのがもっとも妥当な解
決だといえよ'艶と述べておられる。
また,小林(直)教授は「たしかに公法と私法の二元的構造を前提とした
近代法秩序においては,第三者効力をストレートに引き出すことは法技術的
にみてかなり困難がある」と直接効力説を懸念して,【')人格の尊厳を前提
とした人権保障の原理は,社会の中に広く実現されることが必要であり,(2)
しかも現に私人間に放置しえない人権無視がかなりおこなわれている事実に
かんがみるならば,法理上できうるかぎり,私人間にも人権規定を適用する ように計るべきである。しかし,(3)人権規定の歴史的意味や私的自治の原則 -ユユーは軽視されてはならないし,(4)憲法の私人間への直接適用によって生じうる マイナスを考慮するならば,明らかに直接適用を前提としていると考えられ る条項を除いては,民法90条の規定するような公序良俗に反する性格のも
のに限定して,人権規定の適用を認めてゆくという方式が望震れるである'31」
と論じておられることからも本説支持は明らかである。間接適用説はこんにちわが国の通説といえるだる'21。
ところでわが国の最高裁の判例を再度検討してみよう。先にあげた三菱樹 脂事件の判決理由において,「もっぱら国または公共団体と個人との関係を 規律するものであり,私人相互の関係を直接規律することを予定するもので はない」と一見無効力論を思わせる論理を展開したあとで,「私人間の関係 においては,各人の有する自由と平等の権利自体が具体的場合に相互に矛盾 対立する可能性があり,この主うな場合におけるその対立の調整は近代自由 社会においては,原則として私的自治に委ねられ(る)。……憲法上の基本 権保障規定をそのまま私人相互間の関係についても適用ないしは類推適用す べきものとすることは,決して当をえた解釈ということはできないのである。 ……私的支配関係においては,個人の基本的な自由や平等に対する具体的な 侵害雀たはそのおそれがあり,その態様・程度が社会的に許容しうる限度を 超えるときは,これに対する立i:t岨置に主って是正を図ることが可能である し,また,場合によっては,私的自治に対する一般的制限規定である民法1 条,90条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用に主って,-面で私的 自治の原則を尊重したがら,他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し, 基本的な自由や平等の利益を保護し,その間の適切な調整を図ろ方途も存す るのである。そしてこの場合,個人の基本的自由や平等を極めて重要な法益 として尊重すべきことは当然であるが,これを絶対視することも許されず, 統治行動の場合と同一の基準や観念によって,これを律することができない ことは,論をま虎ないところである」と述べている。 判示の前半ではすでに指摘したごとく,いずれの説を採用しているのか明 らかではないが,後半にいたり個人関係においても自由・平等の具体的侵害 の態様程度が社会通念上,是認しえ左いばあいには「立法措置」を行ずるこ -12-とにエリ解決するか,私法の「一般的制限規定である民法1条,90条や不 法行為の諸規定」などにより,これをチェックする態度を明言していること から間接適用の立場に立脚したものといえよう。判示の前半でも間接効力を 予定していると,文言上読める箇所がないでもない。すなわち「私人相互の関 係を直接規律することを予定するものではない」とする点で,ことばをかえ てみると,私人相互間も間接には規律性をもたせることができる趣旨だと推 定しうる。 またこれに関連して,私人間の社会的力関係の問題に言及して,社会的権 力の所有者たる大企業やその他の団体,結社と個人との力の強弱による事実 上の支配関係から生ずる人権侵害については,権力構造上法的背景を有しな い「単なる社会的事実としての力の優劣の関係」にすぎないものとして憲法 規定の適用を否定しHアメリカの私的政府論もしくは国家類似行為論をとり えないことを明らかにしている○ 本判決はさらに,昭和49年7月19日最高裁第3小法廷判決の,いわゆ る昭和女子大退学処分事件にも踏襲され,上告人が「被上告人大学の原判示 の生活要録6の6の規定は憲法15条,16条,21条に違反するものであ り,また,学生が学校当局の許可を受けずに学外の団体に加入することを禁 止した同要録8の13の規定は憲法19条,21条,23条,26条に違反 する」と主張したのにたいして,「右生活要録の規定は,その文言に徴して も,被上告人大学の学生の選挙権若しくは請願権の行使又はその教育を受け る権利と直接かかわりのないものであるから,所論のうち右規定が憲法15 条,16条及び26条に違反する旨の主張は,その前提において既に失当で ある。また,憲法19条,21条,23条等のいわゆる自由権的基本権の保
障規定は,国又は公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を
保障することを目的とした規定であって,専ら国又は公共団体と個人との関
係を規律するものであり,私人相互間の関係について当然に適用ないし類推
適用されるものではないことは,当裁判所大法廷判例の示すところである。
したがって,その趣旨に徴すれば,私立学校である被上告人大学の学則の細
則としての性質をもつ前記生活要録の規定について直接憲法の右基本権保障
-ユ3-規定に違反するかどうかを論ずろ余地はないものというべきである。所論違 憲の主張は,採用することができない」と述べて,三菱樹脂事件判決同様, 間接効力説支持の態度を表明していることから,こんにらでは最高裁の態度 (9) は,ほぼこの説に定着したといえるのではあるまいか。 この主うに通説,判例は間接的第三者効力におちついたようであるが,問 題がないわけではない。概活的に次のものが弱点として指摘される。 (1)まずこの説は公法,私法の別個の法原理を構成するところから,私人 間の人権侵害にはもっぱら私法が適用されるが,法律行為の解釈にさいして 私法の一般制限条項が検討されるばあい,この規定の把握が問題となる。 たとえば,民法90条の公序良俗の概念・内容をいかにとらえるかにより, まったく異なった結論に達する。これには二つのものがあって,一つは法二 元主義のたてまえ,公序良俗の内容を私法独自のものとしてとらえ,憲法秩 序の法体系の価値とはいっさい遮断するところから,結論的には無効力説と 同一の帰結をみちびく。他は基本権規定の法的価値を私法一般条項ないしは 公序良俗の内容となし,私人の権利侵犯の効果的抑制にあたらしめるのであ るが,外形上,公法,私法の二元論を推持し,法体系の安全の確保につとめ る技巧的法理の操作は評価しえ主うけれども,実質的には憲法規定の直接適
用化現象にすぎない。したがって,効力上は直接効力論に無限に接近す!:1.
また,人権規定の価値体系が抓法体系の異なる私法の一般規定たる公序良 俗の内容となるのは,いかなる理由にもとづくのか,ライスナーは次のよう に批難する。彼に上れば,一般条項は他の規範の内容を導入する白紙委任規 定であったのではなく,基本的には明文化ならしめることが不可能であった ものを一般的に概括した規定である。それは将来の立法への留保というもの では遍く,まして,善良の風俗の条項については,人権によって確実な解釈 をあたえようという意図が立法者にあったのではない。新しい健全な国民感 情の表現として一括的に法律で制定することは法感情にあわない。人権は憲 法制定者の政治的な意思決定であって,一般の倫理観とただちに一致するも のではないoとの倫理感を人権の中に確定されている超強固な画一性とまっ たく同一視しても主いものだろうか。善良の風俗・信義則.取引倫理などの -14-概念は,通常,人権とは区別されるものであり,本質的には法規によってでは
なく,ただ法的社会にある健全なる常識および慣習を直接探究することによ
ってのみその意味が充足されるとして難点を指摘す乳
(2)つぎに指摘されるのは位法措置」の欠如のばあいである。最高裁は,
「これCIM間QbD人権侵害)に対する立法措置によって是正」しうると主張
するが,もし立法部の怠慢により適切な立法措置がなされていないときは,
憲法の保障する意図が法律を通じて私人間に効力がお主ばないことになり, 適用不能として私法上の侵害が成立せず,したがって,救済の途は絶たれる ⑫ ことになろうoまた,判例のいう「その(侵害の)態様。程度が社会的に許容しうる限度
を超え(ない)」ときは,本人の精神的。身体的苦痛があるばあいにも一方
的に黙認せざるをえない。国家の個人にたいする関係においては,個人の自
由意思の有無にかかわらず,侵害の態様は許されないのにたいして,私法関
係では本人の不同意にもかかわらず適法性が仮装され,法の支配(ruユe
oゼユaw)の危機感,さらには基本的人権の空洞化の危'倶の念さえいだかしめる。たとえば,昭和女子大事件にみる最高裁は「生活要録の規定は……
選挙権若しくは請願権の行使又はその教育を受ける権利と直接かかわりのな
いもの」として棄却しているが,大学制定の規則は選挙権や請願権を保障し
た憲法とは無縁のものであろうか。「「投票」の代表的なものは選挙権行使
におけるものであって,まさに直接かかわりのあるものである。「署名運動」
も単なる署名と一応区別されるとしても,本件の上うに請願署名が主たるも
のであることを思えば,直接かかわりがないとはいえ左唄」のである。憲法
の規定を雀つまでもなく,最高法規に反する法令,規則,処分はいっさいの効力を否定され,チェックされる(98条,81条)のであるから,大学の
規則が憲法の枠外ですべて自由に機能しうるものなら,憲法の最高法規性の
権威は失墜するのではあるまいか。憲法上の基本権の保障をたちきって,私
法上の次元でのみ問題視することの弊害をみとめざるをえない。(3)さらに,問題になるのは事実行為である。たとえば,酷使虐待,私的
制裁,人身の自由の侵犯,村八分,差別待遇などは間接効力の理論では憲法
-15-問題として処理しえない事件となり,憲法的抑制の範囲外におかれるがゆえ
にその理論的限界が指摘され製
(4)その他間接適用説に遊せられる批難は,(イ)国家が市民法秩序の創定者
・維持者であるという独断,(ロ)立法者の怠慢(2)で指摘した「立法措置」の
欠如)や不作為の容認,(ハ)理論的説得力の脆弱性,(二濾法の最高法規性の無
旧 視(2)で指摘)などがあげられる。 川2,直接適用説ないしは直接効力説(unmitteユbareDrittwirkung)
この説は憲法上の基本権が私法の領域においても直接適用され,公権と同
様私人間でも効力をおよぼすとする説で,これは人間の尊厳,社会国家,国
民主権の諸原理の具体化が,個人の私権を根拠づける基本理念は国民の全体
の生活上の客観的価値秩序であって,公法,私法関係において尊重されるべ きであるとする憲法観によるものである。本説はニッパーダイ(Nipper-dey)やライスナー(LeiBner)などに上り主張されてきた。ニソハーダイは直接効力説の積極的論拠として,20世紀憲法の人権の基本概念が市
川 民革命後に制定された憲法とは内容を異にすることをあげて説明する。まず,ボン基本法についてみればその拘束力は強化され,たとえば,立法
権をも拘束する(1条3項)がゆえに,その内容は公法領域のみならず一般
的な法原理を構成する。基本法20条,28条の意図する「社会的法治国」
の性格から,人権規定の私法への効力が推測される。現在各国の憲法には国 家権力からの自由にかぎらず私人相互間,とくに社会的権力にたいして個人 を保障する必要性などからみて,基本権規定のすべての効力を公法の分野に のみ限定するのは狭きに失するといえる。基本法1条1項および2項の人間の尊厳の不可侵の規定,同2条1項の人格の自由な発展たる権利の保障,同
5条の表現の自由,同6条の婚姻お主び家族制度,同14条2項にいう所有
権の義務性と公共の福祉の理念などの諸規定は,個人の社会的地位を強化な
らしめ,かつ保障する意味を有しうるとの理由に上り,直接の適用をみとめ
うるとする。しかし,ニッパーダイは人権規定の第三者効力論について,人 権規定全体を歴史的・古典的な人権概念から一律に断定することはさけるべきで,具体的規定についてその内容・本質o機能から判断すべきであるとす
-ェ6-る。 つぎに,ライスナーは人権規定を発生史的に検討し,それは法秩序全体を総 旧 括するのだから,その効力は公法,私法の双方に適用されるとして要述する。 第1に,人権の歴史を全体的にみれば,その根底には何人にも侵されない 自由というあらゆる法律関係に妥当する理念が横たわっているのであって, 自由権は国家権力ヘの志向性を意図するという考え方はむしろ19世紀に固 有の独断的なものである。その後ワイマール時代には,帝政時代の旧弊を打 破し,ふたたび国民生活すべての面を人権を中核として再編成しエうという 気運が支配したのであり,ことにボン基本法の制定以来,「人間の価値 (MenBchenwUrde)」の至上性,そのあらゆる分野での保障について認 識が強まっているo 第2に,私法ととに労働法の分野で,憲法上の自由権と類似した自由の理 念が成長しており,これを完全に保障するために,憲法の人権規定をお上ぼ す「必要性」たいし「要求」が存在する。 第3に,ドイツ法は公法,私法の体系の別を維持しているが,現実におい ては国家が経済活動の主体・給付のにないてとなることによって,国家と私 人との関係も私人相互の関係と様相を同じくする面が多くなってきている。 公法,私法の双方の領域は次第に接近しているのであるoそして,ひとしい 法原理が適用されるべきであると主張する。
西ドイツの連邦労働裁判所は1954年12月3日の判決で,「すべての
基本権ではないが,一連の重要な基本権は国家権力からの自由権のみを保障
するのではなく,社会生活にとっての秩序原則として,そこから引きだされ
る具体的効果の範囲内で私人間にも直接的意義をも巴」として,言論の自由
について第三者効力をみとめ,その他人間の尊厳,市民の平等,精神的自由
という社会秩序における基本的価値をふくむ基本権について同様の意義をあ
たえているoこの判決はニッパーダイの見解に強く影響されたものといえる。彼に上れ
ば,基本的人権は国家にたいずろのみならず,構成員にたいし規則制定権を
もつ団体にたいしてもみとめられたければならない。ボン基本法3条2項の
一ユ7-男女平等の規定は労働協約,すなわち雇傭契約・賃金協定に直接適用される
剛 のである。 例翌1955年,同じく連邦労働裁判所で同趣旨の三つの判決がなされた。
一つは1月’5日の判決で,時間給で椅子製造工場で材木堆積作業に従事
する女子補助労働者'てたいする労働協約上の女子労働者の賃金の一律削減条
項の適用をめぐる問題に関して,基本法3条2項および3項は一般的平等原
則を具体化したものであり,有効かつ真正な法規範であってたんなるプログ
ラム規定ではない。二つは3月20日の判決であるが,女子販売員の賃金に関し,女子販売員
がその者の義務とされ,かつ報酬の基準ときれる時間を働いたときは,彼女
は男子販売員が同じ時間におこなったのと同一労働をもたらすことになる。
原告の労働は典型的な女子労働ではない。このように,男子販売員と同一労
働をおこなったにもかかわらず,女子販売員は協定賃金額の90パーセント
のみをうける旨定める労働協約の規定は基本法3条2項および3項に違反し
無効であるo三つは4月6日の判決において,労働裁判所に勤務する掃除婦の労働協約
における賃金条項の無効確認請求について,原告は男子と同じ賃金グループ
(単純労働)に該当する同一の仕事をおこなった。したがって賃金も同様に
支払うべきである。減額条項は基本法3条2項に違反して無効である。
このように連邦労働裁判所では男女の同一労働にたいしては,同一賃金が
支払われるべきであるという法的根拠をいずれも基本法にもとめ,直接に効
力をひきだしている。ちなみにこれより以前にだされた州の労働裁判所をみ
てみると,Hammer州労働裁判所は1951年6月15日,男女同一給付
同一賃金を傍論として肯定,FrankmrtanMain州労裁は翌年4月
10日,同一労働同一給付の下でのみ男子労働者の給与および賃金が女子労働者にも支払われるべき賃金協定は平等原則に反したいと判決し,4月13
日DKBBendor至州労裁は倉庫労働に従事する女子に同じ仕事をする男子と
同じ賃金をみとめ,8月29日賃金協定における女子賃金10パーセント削減条項を同権違反とした。さらに,Frankrurt州地裁は女子労働を排他
-18-的をそれと典型的なそれとどちらでもないのにわかち,典型的な女子労働に
も同権原則の適用ありとし,この同権の実現のために女子用の機械に女子労
働者のみが従事しているにすぎないときも,同じ仕事が男子によっておこな 剛 われるときと同じ賃金を支払うべきであると判決している。ところで,わが国では基本権規定の直接適用の主張者に稲田教授がおられ
る。教授は西ドイツの基本法について言及し,西独基本法のばあい,ライス
ナー,ガイガーのするごとく1条の理念に立脚する解釈に上って,その本質 ・内容が具体的に明らかにされるであろうから,ほとんどの基本権につき直 鯛 接的効力は可能であろうといわれる。 また,作間教授によれば,さきにその一端を示した最近のわが国の諸判決を概観しただけでも,私法関係における人権の適用・保障がなされなければ
しかも実際に直接適用にふみこんでなされなければ真の人権保障が実現しな い最悪の状況を物語っていると論じ,さらに,国民の基本的人権は実質的に は形骸化した人権,とくに自由権への幻想をすてて,いかなる法領域においても憲法から直接かつ実効的に保障されたければならないと力説され製
判例の多くは間接効力説によっていることすでにみたとおりであるが,最
高裁は「全逓中郵事件」において,「労働基本権は私企業の労働者……に保障される」と判示しているのは,労働基本権の適用が個人対私企業間にお主
ぶことを明白にしているといえるけれども,他の基本権すべてに類推適用し
うるかは疑わしい。しかし,他の判決(昭和4M.4.2,第2小法廷,労働
法律旬報708号4頁)で,「労働組合は憲法28条による労働者の団結権
保障の効果として,その目的を達成するために必要であり,かつ,合理的な
範囲内においては,その組合員に対する統制権を有するが,他方,公職の選
挙に立候補する自由は憲法15条1項の保障する重要な基本的人権の一つと
解すべきであって,労働組合が地方議会の選挙にあたり,いわゆる統一候補
を決定し,組合を挙げて選挙運動を推進している場合に,統一候補の選にも
れた組合員が組合の方針に反して立候補しようとするときは,これを断念す
るよう勧告または説得することは許されるが,その域を超えて立候補を取り
やめることを要求し,これに従わないことを理由に統制違反者として処分す
一ユ9-ることは,組合の統制権の限界を超えるものとして許されないと解すべきこ と,当裁判所の判例とするところであ(る)」と述べており,判決文中に引 用された判例(昭和43.12.4,大法廷判決,刑集22巻13号1425 頁)によれば,「憲法15条1項には被選挙権者,特にその立候補の自由に ついて直接には規定していないが,これも又同条同項の保障する重要な基本 的人権の一つと解すべきである。………公職選挙における立候補の自由は憲 法の保障する重要な権利であるから,これに対する制約は特に慎重でなけれ ばならず,組合の団結を維持するための統制権の行使に基づく制約であって も,その必要性と立候補の自由の重要性とを比較衡量してその許否を決すべ
きである」とする点から考察すれば,立候補の自由は憲法15条の基本権的
参政権であって,この保障は労働組合の決議によっても完全に封ずることは できないとしていることから,立候補する個人と私的団体たる労働組合との 私人相互間にこの参政権規定が効力を発揮しうるとと是認したものだといえる。見方を変えれば,アメリカにおける私的統治理論の適用を暗にみとめた
判決だともいえなくもない。 最高裁も当初の段階ではすでに検討したとおり,無関係説支持の立場にあったが,昭和40年代には基本権の一部ではあるにしろ,直接効力説への足
鯛跡をしめしはじめたようにも思われる。こうした見地から,さきの三菱樹脂
事件お主び昭和女子大事件の判決文中に述べられた第三者効力論は,判例方
向とは逆コースをたどり,はるか後退したものだといわざるをえない。
西ドイツの第三者効力論にたいして,アメリカでは一貫して公法理念の適用
の本旨にしたがい,伝統的憲法論の立場からこれを処理しとうとしてい雪。
この点から外見的には無効力論の立場に立っているといえるが,実質上は憲
法規定を郡人間に適用することに〃,人間尊重の精神を発揮しようとする
意図がうかがえるoとの理論には二つあり,一つは国家類似行為説
(LookB-Ukegovernmenttheory)であり,他の一つは国家行
:為説(Stateactiontheory)である。
国家類似説によれば近代社会における各種の組織団体の権限の行使は,形
式的には私的行使にすぎないが,人権侵害の内部結果は実質上国家権力の行
-20-使によるばあいと何ら変るところかたく,その実態に着目し,かかる私的団 体を国家に類似したものとして,基本権の規定をストレートにみとめようと するものであって,いわゆる私的統治の理論である。この理論はまだ学説の 域をでないか,パーリー(Ber1e)をはじめ,フリードマン(Fried- em mann)ミラー(MiユユeOなど多くの法律学者の強い関心をひいているo 一方,国家行為論は私人の侵害行為が公権力の関与もしくは規制的権力の 不行使によって肯定的に確認ざれ支持されたとみなされるときには,その行 為はもはやたんなる私的行為ではたく公的行為とみなされ,いわゆるState Actionが成立するとの理論構成により,私人の侵犯も国家権力に上る侵 害と同質として,憲法問題の導入をはかる。この理論をアメリカではじめて 主張したのはへ-ル(Ha1e)であって,彼によれば,たとえ私人間の契約 のばあいでも,これを裁判所が執行するとか,あるいは私人が他の私人を排 斥する行為,たとえば劇場主が黒人の入場を拒否する行為を裁判所が有効と
みとめるとい“うなときには'それは結局,国が積極艀差別を是認した
ことになり,憲法の禁止規定に抵触することにたるとする。 かくて,アメリカの連邦最高裁判所はStateActionの理論を判決の中 に展開させたoいわゆる“Sheユユyv・Kraemer”においててある。この 事件はミズリ州セントルイス市の一部の地域で土地所有者は,ニグロをたは モンゴリアンに50年間土地の売却・賃貸をおこなわない旨のいわゆる制限 約款(ReBtrictiveconvenant)を締結したが,1945年右約款 の当事者である土地所有者の-人がシェーリーに土地を売却したため,他の 所有者クレーマーがシェーリーの土地の占有を禁止し,その権限を直接の譲 渡者または裁判所の命ずる他の人に返還させる判決を求めて出訴したのであ る。州のCircuitCourtはこの請求を棄却したのである力洲のSupremeOourt はこの請求を容認した。そこで原告シェリーは約款の司法的執行(Judiciaユ enごorcement)は連邦憲法修正14条に違反するとして連邦最高裁に上 告した。その判決の要旨は次のとおりである。 「修正条項(14条)は単なる私的行為であれば,いかに差別的または不 正であっても,それにたいして何ら防禦物をたてるものではない。したかつ -2ユー~」
て,制限協定それ自体は修正14条が原告に保障する権利を侵害するものと
みなすことはできない。………(ところが)本件は協定の目的が州裁判所に
よる協定の制限条件の司法的執行のみによって確保された事件である。もし
州裁判所が州の権力の完全な甲冑にささえられて,積極的な干渉をしなかっ
たならば,原告が問題の財産を制約なしに占有することは自由であっただろ
う。したがって,本件は州が原告がすすんで入手しようとし,かつ財政的に
もそれが可能であり,また譲渡者がすすんで売ろうとした土地の財産的権利
の享受を,人種と体色にもとづいて原告に否定するよう完全に,強制的な統
治権力を私人(クレーマー)に利用させた事件である。かような意味で本件
における制限協定の司法的執行を許すことによって,州は原告に法律の平等
保護を否定したと考える」(芦部信喜・ジュリスト英米判例百選116頁)。
本判決によれば,私人間の契約は自由であって,たとえそれが他方の自由
を制限するものであっても有効であり,修正条項14条1項違反にはならな
いが,本件のごとく州裁判所が人種偏見にもとづく差別的制限協定の是認は
私人間の差別行為にたいする州の公権力の介入となり,その行為は連邦憲法
とのかかわりをもっととになって,憲法規定の適用がみとめられることにな
る。したがって,憲法修正14条1項はかかる州の行為に違反の責を問うこ
29とになるという結論がみちびかれる。本件にみる私人の人権侵犯をチェック
する法理のたくみな操作により適用したStateActionの理論は,その
リーディング・ケースとして判例上特異性を有しているといえよう。
前記事件と相前後して,1944年に《,Smitlユv6AユユWright"の判決
がなされた。本件は州の法律で公職候補者の予備選挙のおこないかたを政党
に一任したところ,ある政党が党員資格を白人に限定し,したがって黒人の
投票を禁じた事件であって,州法にしたがうことを要求される政党は州の機
関としての性格を有するがゆえに,政党が黒人にたいする差別をすることに
ついての政党の行為は修正15条の意味内でのStateActionとなり,
BOI憲法に違反するとの判旨であった。
さらには’946年の“MarBhV.△ユabama”の,いわゆる会社町事件
である。この事件は会社がその所有地に会社町(CompanytoWn)を建
-22-設し,その町内での無断活動が禁止されていた。原告マーンュが町の許可な
しに街頭で宗教活動(宣伝)をおこなったというのである。州裁判所ではい
ずれも原告の敗訴となり連邦最高裁に上告。その判決によれば,所有者が自
己の利益のために,その財産を一般公衆の利用に供すれば供するほど,ます
ます彼の権利は利用者たちの法律上・憲法上の権利によって制約されるよう
になる。公衆に開放された施設は主として公衆を益するために建設され運営
され,その運営は本質的に公的機能(Puユユicfuntion)であるから州
の規制に服する。会社または自治体が町を所有しているにしろ,いないにし
ろ,いずれのばあいも公衆はコミュニケインョンの手段が相変らず自由であ
るさうに,当核共同体が機能することにたいして同一の禾11益をもっている。
本件の町はその他のいかなる町とも異なる運営がなされているのではない。
………会社に主って任命された町の支配人(ManagerB)は町に居住し,
そこを通過する人びとの出版・信教の自由を憲法上の保障の目的と矛盾なし
には制限できないoそうした制限を宗教的文書を配布しようとする人を処罰
することによって強いる州法は明らかに憲法修正1条と14条とを侵害する
としたのである(芦部・前掲118頁)。本件の判例もStateActionに
6m 関する代表例としてあげられる。わが国でもStateActionの理論の導入を主張されるのが宮沢教授で
ある。教授は会社や銀行などが特定の階層や信者のみを差別あつかいするこ
との不当性を例にあげて,「この問題に関しては,アメリカの最高裁判所の
考え方が非常に参考になる。この裁判所は私人の行動であっても,それが公
権力によって裏書されるかぎり,そこに国家行動(StateAction)の
要素が含まれると見るべきであり,そうした行動に上って人権の侵害がある場合は,国家権力による侵害がある場合と同じに扱うべきであるという考え
B2をしだいに育てつつあるようである」と述べてStateActionの理論を
支持される。また鵜飼教授もこの理論を支持する立場から,「本条(14条)が国家の
みを義務づけるもので,一般私人はなんら義務づけられないという解釈は裁判所のとるところである(例えば昭和25.9.9,福岡地裁小倉支部判決)
-23-この判例によれば,使用者が政治的信条を理由として被傭者に対して差別的
待遇を与えても,それは直接に本条に抵触するところとはならないというの
である。けれども,もしこのような産別待遇に基づいて訴訟を起すことがで
き,判決の理由どして裁判所がこのような産別待遇を是認するならば,それ
は憲法14条に違反する行為であり,そのような行為は効力をもつことがで
きな損」と主張されるのは,StateAction理論の正当性を意義づけられ
ようとされることにほかならない。しかし,この理論にも問題がないわけではない。私人の生活への国家の介
入が増大している現在,国家行為と純粋な私的行為を区別すること自体が困
難である。また,公的機関の介入はさまざまの形でおこなわれるから,私的
(34)行為の国家行為への還元を定式化することもifずかしいとの批判があること
も明記すべきだろう。 註 (1)LeiBner,GrundrechteundPrivatrecht,S、293,s、339 s、352.Mangoユ。=kユeinDaBBonnerGrundgeBetz, S,62.Maunz=Ddrig,GrundgeBetz,kommentarLS、10.(2)DHrig,GrundrechteundZivi1rechteprechung、in
HeBtBchri召t脳rHanBNaviaBky,S、165. (3)三木敏克・陛本権の第三者効力(1)」(立命館法学96号)164-166頁。 田口精一・「私人相互の関係における人権の保障」(公法研究26号)63頁。 芦部信喜・「人権保障規定の私人間における効力」(公法研究26号)29頁。 Darig,a・a、0.s、157,159,176 (4)川北洋太郎・ドイツ判例百選側冊ジュリスト23号)50頁。Maunz, DeutBcheBStaatBrechtll・Auどユ.Sb90・Going,Ehren- echKterundPreBBerechtSl2. (5)阿部照哉・公法研究26号70頁。 (6)芦部信喜・niL人間における基本的人権の保障」(基本的人権1)267頁。 (7)小林直樹・憲法講義上291,293~4頁 (8)森順次。「憲法上の人権と私人間の法律関係」(彦根論叢93~96合併号)-24-240頁。田口精一・凧人相互間の法律関係と人間規定」(体系憲法判例研究2 基本的人権(1))67頁,72頁。作間忠雄・凧人間の基本的人権の保障」(法学 セミナー208号)106頁。 (9)下級審でもこの説により判決したものが多数みられる。たとえば,大阪地判昭和 46.12.10判時654号29頁。東京地判昭和44.7.1労民集17巻6 号1407頁。名古屋高判昭和49.9.30・朝日新聞。金沢地判昭和31.2 ・24労民集7巻1号58頁。大阪地判昭和43.5.23判例時報537号82 頁。東京高判昭和44.3.3労民集20巻2号227頁。東京地判昭和44.7 .l労民集20巻4号669頁。東京地判昭和45.5.29判時609号91頁。 東京地判昭和45.1.30労民集21巻1号127頁。盛岡地判昭和46.3. 18労民集22巻2号291頁.判時626号99頁。 uOこの点に着目して川井教授は間接効力説と直接効力説との論争の実益のないこと を指摘され,「憲法違反はすべて公序違反と評価されうるのであって憲法の条文の 適用であれ,公序の適用であれ,判断内容の基準につき差異を生じない」のである とされ,訴訟制度上差異が生ずるのではないかとの疑問にたいして億法違反を理 由とする公序良俗違反のときには間接的ではあれ,憲法判断がなされるので大法廷 の審理が必要と考えられ,その他の訴訟制度上の問題についても,どの説によるか により結果的に差異が生じない」と述べておられる(判例時報724号12頁)・ その他,深瀬・憲法判例百選儲3版)27頁はいったい憲法上の人権保障が私 人間に適用されるか否かにつき,一般的・抽象的に「無効力」「間接適用」を論ず ることにあまり実益はないと指摘する。 01)Leisner,a・a、0.s、365fど,S、370f丑.中山勲。「人 権保障規定の私人間に対する効力」(阪大法学55号)78頁。 ⑰間接適用論者である田口教授もこの弱点をみとめ,「現実に私人関係を規律すべ き法律がすべての分野にわたってつねに完備されているというわけではない。その ために間接効力説ではむしろ人権保障の間隙を充たして人権保護を確実にすること ができないことになる」と難じておられる(前掲書67頁)。 (13有倉遼吉・「昭和女子大事件と基本的人権」(法学セミナー229号)10頁。 M芦部信喜・前掲書276頁。同教授はこの種の人権侵害にはアメリカのいわゆる StateActionに関する法理を導入するこどにより,憲法上の保護をあたえ ることが不可能ではないと主張される。なお三並・前掲145頁。 051作間・前掲107頁は思想および良心の自由,学問の自由,環境権の維持などの 問題を考えたばあい.「市民社会関係における(人権の)保障は市民法秩序の創説 者・維持者としての国家が立法の手段によってこれをなすべきである」などという 考え方は…・・・驚くべき時代錯誤の憲法論というほかはあるまい。 その他マンゴルトークラインの批判によれば,そもそも間接効力説は人権の第三 者効力説について論及しているとはいえないときめつけている(a,a,OSβ6)。 旧直接効力説にも憲法上の人権保障をすべて私人間に導入することにより絶対的効力
-25-をみとめようとする絶対的直接効力説と,特定の人権規定に限ってその効力を是認 しようとする限定的直接効力説とがある。 07)Nipperdey,DieWKrdedeBMenBchenindie Grundrechte2S、18~35迂・中山・前掲79~80頁。 U8LeiBner・a、a,0.s、387,370.中山・前掲82頁。 UClSchnorr,DieRechtBprechungdeBBundeBarbeitB- gerichtBzumGrundgeBetz,S、l79rr,芦部・前掲69頁。