オーストラリア牧畜業の地域構造
一二〇世紀におけるオーストラリアの発展ei
河 地 貫 一
一 はしがき
二 牧畜業の地域構造
肉牛の発達と分布 ㌧
乳牛の発達と分布
羊 の 分布
Aタイプ Bタイプ Cタイプ Dタイプ
三 オーストラリア経済における牧羊業の地位
一 は し が き
オーストラリアの貿易政策を支え︑その計画経済の支柱である牧羊業の︑一九世紀における空間的発展につい ︵1︶ては︑既に述べてきた︒
牧羊業の空間的拡大と︑導車頭数からみると︑この国は︑一九世紀末に一応クライクマッスの時期に入った︒
オーストラリア牧畜業の地域⁝構造 二二七
研究年報 ニ引入
それ以降︑人口の増加と牧羊場および飼羊頭数の変動との間には相関野饗がなくなる︒そして二〇世紀における
オーストラリアの空間的発展を特色づけるものは︑技術的進歩と市場の開拓による農業︑牧牛業︵肉牛の飼育︶
および酪農業の発展である︒これらは多く輸出産業であるが︑特定の限られた市場一1大部分をイギリスに依存 ︵2︶している︒
鉱工業の発展は第一次大戦後の著るしい特色であり︑ことに第二次大戦後︑工業地域のディセントラリゼーシ ︵3︶ヨンが起り︑各州の首都を中心として︑地方工業都市の発展をみた︒ ﹁厳格な意味で︑第一次大戦まで︑この国 ︵4︶には重工業が存在しなかった﹂のが︑第二次大戦後には﹁従来この国にみられなかった工業種目が約四〇〇種も ︵5︶増加した﹂︒しかしながら︽この産業は︑国内自給が主目標であり︑高率の関税政策その他の保護政策のもとに
発展してきたものである︒事実︑工業の生産は︑価格にして︑一九五二/三年度には︑国内総生産額の半ばを超 ︵6︶えた︒しかし工業輸出額の工業生産額に対する比率も︑またそのオーストラリア総輸出額に対する比率も︑殆ん ︵7︶ど増加を示さず︵第二表︶︑工業が自給生産に終始してきたことを示している︒
従来︑総生産額の九〇%以上を輸出する牧羊業にのみ依存してきたこの国の経済にとって︑殆んど自給産業で
ある工業の発展や︑或は︑牧羊業と比較して相対的に自給的傾向の強い︑しかし特定の地域を除いては市場をも ︵8︶ ︵9︶ち得ない農業︑肉牛業︑酪農業などの発展ージョーズのいう﹁多角的発展﹂あるいはハリスのいう﹁国民的理
想である自給的発展﹂とは︑オーストラリアの経済地理にいかなる意義をもつものであるか︒こ㌧で︑オースト
ラリアにおける現実の牧畜業の地域構造の解明を通して明かにしたい︒
展 発
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二 牧畜業の地域構造
オーストラリアの土地利用は︑総面積
の六〇%︵↓九五六/七年度︶に及んで
いるが︑耕地利用はわっか一・二%︵一
九五六/七年度︶にすぎない︵第三表︶︒
すなわち土地利用の九八%までが牧場で
ある︒ この数字が︑すべて粗放な牧羊業︑或
は牧牛︵肉牛︶業に利用されているこど
を示すわけでないが︑その大部分が︑羊
と肉牛によって利用されていることは︑
次の比較的集約的な土地利用の進んでい
るニュウサウスウエールズ州の例︵第四
表︶によっても推定することが出来る︒
他の一層粗放的な諸州は多言を心しない
であろう︒オーストラリアは︑二〇世紀
に入って︑農業︑幣農業の著るしい発展
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赤ーストラリア鯉牧畜業の地域構造 を指摘することが出来るが︑土地利用からみると今日もなおチュウネンのいう放牧圏を形成している︒ 耕地は一八九〇年以降︑急速に拡大し︑一九三〇年
代には耕地の空間的拡大は頂点に達する︒それ以降は波動的であるが︑停滞ないしは減少の傾向を呈し︑人
口の増加と相関々係がなく︑ことに一九五〇年以降の
急激な人口増加にレか\わらず︑耕地はむしろ減少し
ている︵第一図︶︒もちろん飼羊頭数や耕地面積の停
滞が︑そのま㌧牧羊業や農業の停滞を意味するもので
はない︒ さきに述べたように︑飼羊頭数は一八九〇年に極限
に達し︑牧羊場の空間的拡大は早くも一九世紀末には
自然条件の許す極限に達し︑当時の飼糧条件としては ︵10︶たしかに過剰飼羊であった︒今日でも︑牧羊場は︑重
要な牧牛場よりも︑より乾燥した地域にまで及んでい
る︒もちろん羊より一層乾燥にたえる牛は︑砂漠の縁
辺部にまで及んでいるが︒第二次大戦後羊の頭数は再
び急速な増加をみせ︑羊毛の輸出額は︑再び全輸出額
一三二︐
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オーストラリア牧畜業の地域構造 の半ばに達するに至っ・た︵第五表︶︒ 牧畜業のうち︑牧羊関係︵羊毛︑羊皮︑羊肉の生産︶が圧倒的に重要な地位にあるため
に︵第五表︶︑牛の地位
が忘れられがちである
が︑牛は羊よりも乾燥
にも湿潤にも堪えうる
ので︑その分布は︑沙
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からみると牛は羊より
はるかに重要である︒︑ ︵11︶テイラーによると︑牛
は︑羊の約一〇倍の飼
二三三
研 究 年報
糧を必要とし︑両者の分布が一
極めて高くなる︵第二図︶︒ 一〇の比率を示す地域は︑主要牧羊地域に限られ︑ 二三四ことに北部は︑牛の比率が
オーストラリアの主要産業は海外市場によって成立しているわけであるから︑罷業や酪農業の発展は最大の市
場であるが︑極めて遠隔の西ヨーロッパ市場に対して︑時間的︑空間的距離を経済的に克伏する技術的手段の発
展をまたなければならなかった︒従って︑飼牛頭数の急速な増加は一八八○年代以降であった︒牛は︑長期間の
牧草が必要であるから︑その飼育には降雨の多い地域が好適であるが︑オーストラリアでぽ︑そのような地域は ︵12︶密林におうわれ︑除去するには極めて高価であったために︑植民の当初は︑都市近郊に主として飼育されたにす
ぎなかった︒耕作のためと︑皮革︑自給用の肉類︑酪農品の生産が︑主な飼育の目的であった︒
家畜の分布と︑牧畜業の発展の主要な点を列挙してみると︑次のように要約出来る︒
ω 一八九〇年代初期まで︑飼羊頭数は︑急速に増加し︑また牧羊場はほゴ空間的に発展の極限に達し︑いた
るところでオーバーストックがみられた︒
ω この頃以降︑飼羊頭数は波動的であるがむしろ減少傾向を取り︑従って羊毛の輸出も︑相対的重要性が低
下してきた︒しかし︑第二次大戦後再び急速な増加傾向を示してきた︒
㈲ 飼牛頭数の急速な増加は一八八○年代から始まり︑不況時の一時的減少を除いては︑コンスタントな増加
を続けてきた︒肉牛は主として東部海岸と︑北部のサバナ地域に多く分布するのに対して乳牛の分布は︑東
南地域と大都市周辺に多い︒
ω羊の分布は︑南部の湿帯地方に殆んど限られているのに対して︑羊より乾燥と︑長途の輸送にたえうる肉
牛は︑全大陸に互って広く分布し︑ことに北部のサバナ地域の土地利用は全く牧牛場である︒
肉 牛 の 発 達
早くから肉牛は︑主として気温︑雨量︑地形および野犬の害などの関係から︑牧羊場として利用が困難な地域
に飼育が行われてきた︒従って︑土地利用上牧羊場とあまり競合関係に立たなかった︒この傾向は今日も変らな
い︒一八七九年に北部領のカザリン河囚9爵①Hヨ︒に二︑○○○頭の牛と=一︑○○○頭の羊がもたらされたが︑ ︵13︶牧羊は失敗に終った︒南部の温帯地方におくられた肉牛の肥育場は︑河谷の低地に点在し︑それらの牧場は羊の
飼育に全く適しない︒例えば︑ビクトリアの﹁西部地域﹂↓冨零①ω聖旨①∪一跨二9は︑無数の小牧牛場があ
︵14︶る︒これらの牧場は良質の肉の生産を主として︑地方的市場を対象にしている︒しかし最近乳牛や羊の牧場のた ︵15︶めに︑肉牛の肥育地は圧迫されてきている︒
冷凍設備の発明以降︑従来自給産業であった牧牛業は輸出産業として発展し︑空間的には大分水嶺山地および
サバナ地域に肉牛牧場の発展をみた︒更に︑東部海岸のとうもろこし地帯と集落周辺の牧草の栽培に好条件をも
つ地域に発展していった︒
北部サバナ地域は︑主として肉牛の生産地帯で︑約三年聞飼育されて︑東部或は南部に移され︑数百マイルに ︵16︶互って移動する︒牛がよく乾燥と︑また長途の移動にたえるので︑牧牛場は拡大する傾向にあり︑一九三八年に
ウインダム芝春雪国日 ︵西オーストラリア北海岸︶に肉工場が出来るまで︑北部では︑屠殺場におくられる牛
の%は大体二五〇マイルの移動を行っている︒肉工場は一三あり︑うち︑三が内陸の大分水嶺山地にある︒他は
すべて海岸に立地している︒これらの工場で︑約一四〇百万ポンド︵榜︶の生産がある︒北のアラフラ海に面す ︵17︶ ︵18︶る二つの工場は︑季節的に開かれるのみで︑第二次大戦申は閉鎖され︑北部領の肉牛は︑すべて他に移動した︒ ︵19︶ ︵20︶ 北部地域の牧牛場は四つの地域︑バークレー台地 切所巴楓↓鋤三十働巳ビクトリア河地方 ↓ゴΦ <一99冨
オーストラリア牧畜業の地域構造 二三五
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二三六
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る︒このうち︑始めの三地域は︑
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労働力に依存し︑肉牛価格の騰
貴した戦時中さえも︑殆んど白 ︵23︶人の移住をみなかった︒サバナ ︵42︶地域の牧場は極めて大きい︒そ
の他の地域は何れも土壌が貧弱
で︑病害も多く︑乾燥期には飼
糧が欠乏する︒カーペンタリア
湾O包hohO9︒6①昌↓窪㌶沿岸
はその好例で︑湖や沼地の周辺
に牧場が点在するのみである︒
北部地方はクインズランド州
の海岸地方を除いては︑ ﹁肉牛
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︵25︶業であり﹂︑主として輸出肉の生産と︑他の温帯地方に
生牛︵主として三才牛︶を供給する生産地帯である︒要
するに北部の地理は冷凍設備の発明によって︑始めて生
産に参加した︒温帯の内陸に点在する肉牛は︑北部から
供給されて肥育され︑地方的な市場を対象とし︑高級の
肉類の生産を主としている︒従って︑クインズランド州
は︑肉牛の飼育では全オーストラリアのそれの五〇%を
︵第七表︶︑輸出牛肉類では八○%を占めている︵第六
表︶︒ 肉類の最大の市場はイギリスである︒最大の競争国は
アルゼンチンであるが︑ことに初期には︑アルゼンチン
は低温冷却の状態でイギリス市場に肉を輸送し得たが︑
オーストラリアは強い冷凍状態でなければ輸送が不可能
で︑政府の補助金にもか〜わらず︑常に不利な立場にあ
った︒技術的な進歩で︑一九三四年に始めて冷却低温の
状態で︑イギリスに輸送が可能となり︑オッタワ会議が
イギリス市場にアルゼンチンを圧倒した︒しかし︑オー
オーストラリア牧畜業の地域構造 ﹇
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研究年報 二三入
ストラリア牛肉の総輸出の四〇%を占めていたイギリス以外の市場を失って八%に減少し︑全肉類を合すると︑ ︵26︶イギリス市場は︑オーストラリア総輸出量の九二%を占めるに至った︒オッタワ会議は︑オーストラリアの牧牛
業を安定せしめたが︑半面︑その発展に大きい限界を課したことになる︒
乳 牛 の 分 希 一:論 早くから乳牛は自給用に︑
都市周辺と各農家に飼育され
てきたが︑一八二〇年には︑
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齒宦・処ゥ地方︵ω且ロ①気南
方四〇マイル︶に始めて酪農
移民が行われ後︑地価の安い
北方の多雨地方に拡大してい
った︒ビクトリアではO首bω
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一八七五〜九〇年に酪農業の
基礎がおかれ︑今日でも同州
の中心的な酪農地帯となって
いる︒この地方は︑比較的多
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発展の一つの典型的な地方で︑密林におうわれたこの丘陵地方を開くのは︑極めて高価であり︑今日でも︑立木 ︵27︶のま〜焼却されたものが︑多く残存している︵第四図︶︒灰の上で牧草はよく生育したが︑野犬の害が多く︑近
傍に大市場もなく︑酪農業の発展は︑殆んど望めなかった︒しかし一八八○年以降︑酪農業の発展に劃期的な技
術の進歩があり︑この産業は急速に発展した︒そして︑遂には今日乳牛は︑﹁熱帯地方にまで広がり北緯一六度 ︵28︶のOoo吋8≦昌近傍︐のU⇔ぎ霞①Φ河谷にまで到達した﹂︒
密林を除去するのは︑今日でもなお︑重機械をもってしても高価な作業であり︑除去された牧場の維持も高 ︐ ︵29︶価につく︒ O甘bω雲立傷地方では︑三世代目にして︑ようやく成功するといわれ︑起伏の大き︑い地方ほど牧場の ︵30︶放棄が進み︑再び森林化の傾向にあることは︑一九三〇年の聯邦酪農調査委員会によって報告されている︒
酪農業の発展の時期を劃するものは︑一八八○年代に相ついで起った技術革新であった︒すなわち︑第一には
冷凍機であり︑第二には分離機であり︑第三にはバブコック検査機である︒この結果︑ ω#NΦ一①o江地方の景観
は一変した︒一八九二年には︑バター工場が℃oo芝8σqに︑ついでじdo口9ピ①oひq鋤昏ρにも設立された︒
一八九一年に開通された鉄道が︑この地方を港に結びつけ︑酪農業は堅実に発展をつ誘けた︒その結果︑この
地方の地価が高騰した︒一八八一年には︑住宅つき一五〇エーカーの一ブロックで︑一工1ヵ1当り二・一〇ポ ︵31︶ンドであっためが︑ 一九五六年には︑六〇〜八○ポンドになっている︒ ・
最大の市場であるヨーロッパの生産が低下する時︵九1一一月︶に︑こ\に輸送しうるという利点があり︑ま
た第一次大戦後︑高価格にめぐまれて︑灌概と牧草の改良運働によって︑一九二〇年代以降︑生産性の向上が著
るしく︑一九三〇〜四年の経済恐慌には︑却って小麦農民の乳牛の飼育が増加した︒降雨にめぐまれたビクトリ
ア州での発達は︑特にめぎましかった︒
オーストラリア牧畜業の地域構造 二三九
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⁝⁝ 鋤 W 二四〇 乳牛は︑東部の海岸地域に集中し︑次いで各州の首都周辺の比較的多雨地域に多い︵第五図︶︒従って︑クインズランド︑ニユウサウスウエールズおよびビクトリアの東部三州に︑乳牛の九〇%が飼育されている︵第七表︶︒此等の地域は多く灌概を行っており︑特にビクトリア州は盛である︒ 灌概設備をもたない内陸の越冬のための牧草の充分でない地域に分布するものは︑一般に農業および牧羊業と関連して行われ︑主として自給用および近接の市場を対象としている︒東部の主要二州の小麦農場に飼育されている乳牛の率が他の二州より低率であるこ
とは︑これらの地方の専門化の進行と
降雨の多い河岸地域に乳牛の集中して
いることを示している︵第八表︶︒
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二四一 クインズランドは︑大分水嶺山系が東河岸にせまり︑降雨量が海岸を去るに従って急速に減少するので︑酪農業は殆んど海岸地域にのみ発達しているが︑但しU輿一貯αqUO白昌は例外である︒一般的にいって︑専門化した酪農々場は海岸から内陸に進むに従って︑また南海岸から北海岸に進むに従って減少する︒
研究年報 二四ニ
クインズランド州には五つの酪農地域−北部の海岸から︾下翼8昌台地︑ 勺︒暮9#qω地方︑ ミ崔Φ湾 ︵32︶ ︵32︶地方︑ 寓︒お8p湾地方および内陸のU錠一ヨoeUo≦昌︒・地方がある︒ ︾芽巽8昌台地と寓自①8昌湾地方と ︵33︶は専門化しているが︑ 剛︒暮9無償ω地方と≦置①湾地方は混合農業を基礎にしているものが卓越し︑U弩生口σq ︵34︶U9︒≦昌地方は完全に専門化したものは少く︑肉牛の飼育を多くかねている︒
ニユウサウスウェールズでは︑︐黒雨の北部地方に︑この州の約半数が集中し︑少.くともO雷津︒昌と=ω目自①
附近に五︒%以上が響されて融そして・クインズランドと同じように・多雨の羅蕃に集中︵州の全乳
牛の七五%︶じ︑南に進むほど減少する︒弓国三①冨a地方は︑乳牛に取って起伏が大きすぎ︑土壌も貧弱であ
る︒南の海岸地方は多雨であるが︑ポドソール土壌が多く︑牧草略貧弱である︒海岸地域の乳牛は殆んど牧草に
依存し︑約一〇〇万エーカーの耕地に牧草が栽培されている︒秣○話①昌司︒注①円が副次的に栽培されているが ︵36︶南に進むほどこの傾向は大きい︒ ︵37︶ 海岸地帯は︑降雨の年次的偏差が大きいが︑灌瀧設備が︑漸次この欠点を改良してきている︒
ビクトリア州は︑最も乳牛の飼育が多く︑またこの国の酪農業に対する先駆的な役割を果してきた℃今日この
州の牛の五〇%が乳牛であり︑その︑%はやはり︑海岸地帯に集中し︑殆んどすべての都市︑村落にバター工場が ︵38︶ある︒
ビクトリア州はバター生産の最も多い州であり︑また単位頭数当りのミルクの生産も︑タスマニア州とともに
最大である︒工場以外の農場で生産されるバターやチーズは︑戦後急速に減少してきている︵第九表︶︒バター
やチーズの生産は月別の変動が大きく︑一〇〜一月に最大の生産をあげている︒これが輸出に大きく利益してい
る︒
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オーストラリア牧畜業の地域構造
●
雛 駒
Y 13
画
ルボルン市竃Φぎ︒霞口Φ︵ビクトウアの首都人口 過土壌にあっても︑牧草の改良が進んでいる︒メ ド ている︒土壌は河川の沖積地が最良であるが︑濡 の降雨をもつ蜜鋒ヰ⇔あ巴Φの灌概地域に集中し O甘℃ω冨口自地方の酪農場は三〇〜四〇インチ Uδ三三けの三つである︒ ︒ヨ U冨霞ざけおよび西部地方 ↓げ①ミΦω冨円旨 げたO甘bω冨巳U一ω自ざ↓北部地方目げ①20暮げ ビクトリア州の酪農業の中心地域は︑さきにあ一六七万人︶に大市場をもって︑市周辺の寡雨地
帯にも︑秣O目︒①p岡︒注oHを購入して酪農業が
発達している︒海岸の西部地方目げ①零Φω審旨
U寸寸一9の乳牛の分布は雨の多い地方と一致し︑
火山灰と河川の沖積地に酪農場が立地し︑ムーレ
ー河寓葺欝鴇谷の灌概地域は︑水も安く︑地方.
的消費が少いので︑輸出用バターの生産が大き
い︒第二次大戦後︑北部地方円げ①乞自昏震口
Uδ菖陣9 に︑帰還兵中心の新しい酪農移民が送
二四三
研究 年報 ご四四
︵39︶られた︒一農場に平均五〇頭の乳牛飼育が可能であり︑その灌概が適切に行われ〜ば︑この地方は酪農業開拓の
新しいモデルケースとなるであろう︒
︵40︶ ︵41︶ ︵42︶ 南オーストラリア︑西オスートラリアおよびタスアニアは︑酪農業は未発達で︑首都周辺に乳牛の飼育が多い
程度であり︑ことに西オーストラリアでは︑他の州からバターは移入している︒ ︵43︶ 酪農業は︑既に一九〇四年に保護政策が立てられた︒コプランドU・Ud・Oob一9︒口αのいう保護産業の曲剛堅であ ︵44︶って︑農場の規模も小さく︵特にクインズランドにおいてそうである︶︑労働の生産性も牧畜業の約%にすぎな
い︒従って酪農々民は多く貧因である︒土地利用の集約化と︑各産業の﹁均衡的発展﹂のためにはv保護政策は ︵45︶まことに欠くことの出来ないものであった︒しかもバター︑チーズの市場は︑今日も殆んどイギリスに限られて
いるために︑牧畜業︵特に牧羊業︶や工業の発展の著るしいのに比して︑全く停滞している︒
羊 の 分布
オーストラリアにおける羊の分布は︑強く自然地理の影響をうけている︒その分布を阻む要因として︑ ω地
形の起伏の大きいこと︑ ②水の不足︑㈲高温︑ω過度の雨量の四つを ≦9︒らげ⇔旨 と零oo傷はあげてい︵46︶ ︵好︶ ︵48︶る︒しかし現実には乾燥内陸や︑北の半年聞耳んど降雨をもたないサバナ地域にまで︑牧羊場が進出している︒
もちろん︑北のサバナ地域の飼羊は︑肉牛の飼育からみると︑副次的であり︑温帯の乾燥した内陸地域でも肉牛
の飼育をかねているのが多い︒ ︵49︶ 国一ヨび①二Φ楼地方の若干の例を除いては︑乾燥地帯における牧羊業に関する調査は充分に行われていないが︑ ︐ ︵50︶これらの地域における牧羊業は不安定な産業であり︑近年牧牛に変る傾向にあり︑また一方︑牧牛業のように遊
分布
々切
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衆
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オーストラリア牧畜業の地諭構⁝造 牧型式を取ることが考えられている︒しかし羊は牛のように長途の輸送に堪え得ないので︑牧草の改良以外に︑乾燥地方における斯業の効果的な発展策 ・ ︵51︶は考えられないとされている︒湿潤地帯は︑降雨にめぐまれ︑気候的には牧羊に好適な地域でも︑土壌が貧弱なためと︑森林を除去する高費用の ︵52︶ために︑放棄されているものが多い︒南オーストラリアの囚鎚口ひq鋤目oo島は ︵53︶このよい例である︒ 要するに︑乾燥地域の牧羊業の発展は︑不健実な傾向を取り︑湿潤地帯においては︑生産コストを低下させる新しい技術が御発見されない限り︑その発展に強い限界がある︒ 羊は飼育の目的で毛羊種と肉羊種があり︑毛羊種は主としてメリノ種であ
ご四五
研究年報 二四六
るが種々改良されているし︑肉七種もメリノと混血したものが多い︒オーストラリアでは︑飼育の目的によって
次のA・B・C・Dの四タイプに分つことが出来︑地図︵第六図︶に示されているほどシャープではないが︑そ
れぞれのタイプが地域的に分化し︑内陸から雨量の多い河岸に向って︵順次A・C・D︵Bタイプは点在するの
み︶と移行し︑経営も集約化する︒
Aタイプはメリノ種の生産地帯で︑内陸の乾燥地域に亘って広く分布し︑牧場は広大である︒生産されたメリ
ノ種はB・Cの地域に送られる︒肉羊種︵メリノと混血︶も混在するが︑乾燥の限界に進むに従ってその比率が
小さくなる︒
Bタイプは︑主として地形の起伏が大きいため︑仔羊の飼育が困難で︑Aタイプ地域から送られたメリノ種の
育生が主で︑羊毛の生産を主とする︒仔羊の生産は殆んど行わない︒Cタイプ地域は沸この国の小麦地帯と一致
し︑いわゆる羊i小麦地域で羊毛︑羊肉の生産が主である︒
Dタイ︒フは小麦生産を殆んど伴わず︑羊毛種とともに肉二種の肥育が多い︒河岸に近い降雨の信頼性の大きい
地域に分布する︒
Aタイプ地域 内陸の乾燥地域に広く分布するAタイプは経営が粗放的で︑耕作は殆んど行われていない︒牧
草や飼糧の貯蔵もまれであるから︑自然生の草が維持しうる頭数が︑結局飼羊頭数の限界となっている︒それと
同時に︑乾燥期における草の量が︑更にこの限界を制限している︒ ︑ ・ ︵54︶ 牧場は︑平均一人の従業員が約三︑○○○頭の羊を管理している︒乾燥期にすべての労働を飼糧の貯蔵に集
中しても︑三︑COO頭の羊の約三週問の飼糧をうるにすぎず︑長びいた乾燥期は牧羊業に訣定的な打撃を与.λ
︵55︶る︒草以外は購入飼糧によるわけであるが︑長期間の購入は経済的に成り立たない︒また︑三韓ーカー当り一頭
の羊︵一平方マイル約二〇〇頭︶しか飼育し得ない土地の改良は容易に進まない︒ ︵56︶ 一九〇〇年以降魚牧場を細分する新しい土地法が制定されて︑大借地牧場が王領に電撃されて細分後︑新しい
入植者に貸与され︑例えばニユウサウスウエールズ州で︑一八九一年に︑一〇万頭以上の飼羊牧場二〇が︑一九 ︵57︶二〇年にはわっか一牧場に減少している︒しかし大きい資本をもたない新しい入植者が︑入植後長びいた乾燥期 ︵58︶に遭遇すると︑その経営が困難となり︑三︑○○○頭の飼羊では経営が成り立たなくなる︒
Aタイプ地域は広大な地域を占め︑その位置︑雨量および気温の差によって︑すなわち縁辺部とより多雨地帯
とによって経営の方式に大きい差異がある︒
クインズランド州の牧羊業は︑殆んどAタイプのしかも縁辺部に属する︒こ㌧は雨量は一六〜三〇インチに達
するが︑年間の配分が夏期に偏しているので︑飼羊頭数が制限され︑一方マイル一〇〇頭以下にすぎない︒ニユ
ウサウスゥエールズの西部地方弓プ①毒︒ω8ヨUδ什ユ9はAタイプの限界で︑U母一言σq河の西方で終る︒こ
㌧の牧羊業はクインズランドのそれよりも安定性が大である︒
南オーストラリアのムレー・マレー地方↓げ①書巻巨峯冨龍Φ①Uδ#客けには約五・二万方マイルの広大な
Aタイプ地域があるが︑若千の灌概地域や︑小麦農場を除くと︑多くは貧弱な土壌地域で︑全くAタイ︒フの牧羊
場である︒
他の南オーストラリアおよび西オーストラリアの東︑北のAタイプ地域は︑降雨も一〇イシチ以下が多く︑飼
羊密度も極めてひくい︵第七図︶︒西オーストラリアのキンバーレー地方囚巨び霞一Φ団は︑早くからの飼牛地 ︵59︶であるが︑西部には大きい牧羊場がある︒近年こ㌧の羊は牛におきかえられる傾向にある︒
オーストラリア牧畜業の地域構造 − 二四七
研 究年報 二四八
これら縁辺部の牧羊業は︑殆んど自然生の草に依存し︑従って牧羊業は不安定な産業であるが︑より多雨地域
に及ぶと︑単位面積の飼羊密度も高く︑且つ︑牧草栽培が増加し︑肉牛︑肉置および︑乳牛の飼育さえ伴ってく
る︒ ニユウサウスウエールズの西部斜面から︑北東ビクトリアにかけた地域は降雨︵年一五〜二〇インチ︶も比較
的安定し︑限界地の含量 ︵コニ・九インチ︶はしばbば不安定であるが︑東のUqげび︒︵一=・九インチ︶に
及ぶと安定度は大きい︒飼線密度も一方マイル三〇〇頭を超え︑一方飼牛数も大である︒しかも怪態頭数はこの
一〇年間拳々に増加しているが︑これは主として︑小麦農場の拡大︑灌瀧地域の発達および肥料を使用する牧草
の栽培に負うている︒
ビクトリアの西部地方 ↓冨芝①珍鶏口U一2二9︐にAタイプが分布しているが︑こ〜は︑二〇〜三〇インチ
の降雨をもつ玄武岩の平担地が多く︑主として草原である︒早くから牧羊地として開かれ︑今日一方マイル五一
〇頭の羊の密度をもっている︒しかし大抵の牧羊場は牛を飼育︵特に乳牛が多い︶している︒牛の密度は一方マ
イル四四頭に及んでいる︒この地方は初期には羊毛生産が中心であったが︑牧草の改良によって仔羊の生産を行
い︑羊毛も良質なものを生産し︑牧草の改良によって︑牧場が小規模化している︒また土壌のよい地域では一Φ嘱 ︐︵60︶農業発達の傾向を生じ︑農場の飼羊能力を増大してきた︒
この地域から西に及ぶと︑南オーストラリアの東南地方弓げΦωo葺げ・国Φ鋤ω藍子Uぞ一巴︒口は玄武岩の平原か
らなる叢林地帯が多い︒河岸の大きい砂丘のために︑雨期の排水が大きい問題である︒従来のAタイプから︑近
年肉羊の飼育がのびてきている︒
極めて粗放的な牧畜経営を行っているAタイプ地域の牧場改良は決して一般的でなく︑ことに︑乾燥地域にお
いては殆んど行われていないσAタイプの多雨地域のそれも極く最近のことであるが︑とにかく︑北はアルファ
ルファ草︑南ではクローバーが主な牧草である︒
Bタイ︒フ地域 この地域は︑黒く地域的に限定されている︒北のニユウサウスウエールズの台地は冬低温で︑
雨は夏に多い︒起伏が大きく︑牧草に乏しい︒幼い羊の飼育は危険で︑羊の非生産地域であり︑主としてAタイ
プ地域から購入して︑羊毛の生産を主としている︒ニユウサウスウエールズの南の台地も同様で︑飼羊密度︑は一
方マイル三〇〇頭を超えている︒
更に︑南オーストラリアの東南地方目げ①ωoq史話器昏Φ≡U臨く一ω一8の海岸︑囚きσq碧oo島︑団︒時︒半島
の尖端等に︑\過去︑羊の生産︵Aタイプ︶に失敗した地域が分布している︒これらの地域は冬雨が多いが︑主な
要因は︑鉱物質の欠如による牧草の貧弱さによっている︒最近の科学が︑これを克伏して︑羊の生産ばかりでな
く︑肉羊の肥育さえ可能なことを証明してきている︒ ︐
Cタイプ地域︵小麦i羊毛地域︶ 小麦農場が急速に拡大して行った時期に︑土地の整備が進んだが︑割り当
てられた耕地が狭く︑現金牧入が困難であったのと︑休閑時の土地利用として羊を飼育してきた︒
小麦は旱越やその市況の不況の時には︑乾草として羊の飼糧になり︑また羊は早冬における小麦の徒長を除ぐ
ためにも利用される︒休閑農地の利用︑土壌や地形の関係から耕地として利用出来ない土地の利用法として︑羊
の飼育は極めて重要視されている︒軽土壌でば︑単に小麦生産のみに利用される耕地よりも︑放牧をかねる方が
小麦の生産は高い︒また︑土壌や地形の関係から耕地と心て利用出来ない土地でも︑数年間は自然生の草で放牧 ︵61︶に堪えるのである︒かくして︑ ﹁羊をもたない小麦生産は︑愚かなことである﹂と考えられており︑事実全小麦
農場の八○%が牧羊をかね︑全オーストラリアの羊の%以上が︑小麦農場で飼育されている︒しかも最近の羊毛
オτストラリア牧畜業の地域構造 ﹂ 二四九
ゆ恥 剛 住要
羊数
る 飼
おけ
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疲農
劃 4
傷10
研究年差に比数る羊め全占
場数農
小羊 麦
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つ P9@ で 市場の好況によって漸増の傾向が強く 二五〇
︵第一〇表︶︑今日では小麦地帯にお
ける農場の小麦生産は︑むしろ副業的 ︵62︶である︒
レー農法が進んで︑自然生の草の価
値が認識されているが︑やはりローテ
ーションの必要から︑地域に適した牧
草栽培も進んでいる︒それは特に自然
生の草にのみ依存出来ない寡雨地帯に
おいてそうである︒多くはオートが︑
冬雨の信頼出来る地域では豆類が︑西
オーストラリアの小麦地帯では︑ルビ
必スが利用されている︒
一般に小麦地帯の羊は肉三種が多い
が︑市場への輸送条件の悪い地域では
羊毛生産が圧倒的である︒
Dタイプ地域︵肉羊地域︶ 牧草の
改良以前には︑肉羊種の肥育は︑羊毛
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地域より多雨で︑かつ年間の配
﹂分のよい地方の土壌の良好な地域に限られていた︒交通機関が
発達して︑小麦農場に多く肉羊
種が肥育されるに至った︒しか
し乾燥と飼糧との関係から市場
への供給は春に限られる︒また
灌概設備の発達した地域も同様
肉羊の肥育を行っている︒最後
に雨量が多いが︑貧弱な土壌や
起伏の大きい地形の地方でも牧
場の改良で肉羊種の肥育が進ん
できている︒
肉羊地域の農民は第一に出来
るだけ牧草を利用しようとし︑
作物は草が充分に成長しないシ
ーズン期間だけの飼糧に用意さ
れる︒オート︑大麦︑スーダン
ニ五一
研究 年報 ご五二
草︑アワ︑カブ︑ナタネ等が主要な栽培作物である︒
このDタイ︒フ地域の拡大は︑オーストラリアの土地利用の集約化への一時期を劃するものであり︒今後も大き
く発展するものと思われるが︑問題は生産物の市場であり︑ことに羊毛と羊肉との相対的な価格の問題である︒
四 オーストラリア経済における牧羊業の意義
一八九〇年代に︑オーストラリアは地理と歴史の転換期に直面した︒オーストラリア連邦の成立︑白濠政策の︵63︶ ︵64︶確立︑基準賃金制度の制定︑各種産業の保護政策の樹立等は︑この転換の具体的な表現とみてよい︒
今までオーストラリアは︑牧羊業一辺倒の発達をつゴけ︑その経済は全く牧羊業からの生産物−主として羊毛一
にのみ依存してきたのであるが︑一九世紀末は︑空間的にいうと︑チユウネンの放牧圏としてのこの国が︑経済
的破局に塗した時期であり︑その結果︑新しい経済空間の建設に向う転換期なのである︒且ハ体的には牧羊業空間
から︑酪農業︑農業および工業空間の建設への転換期であった︒しかも︑これらが均衡的に発展することが要請 ︵65︶ ︵66︶されたわけである︒そして労働集約的な工業︑酪農業︑一部の農業.の如き︑保護することによって始めて﹁均衡 ︵67︶ ︵68︶ ︵69︶的発展﹂の可能な産業を含くんでいた︒此等の産業は︑生産奨励金或は輸出補助金︑保護関税等の諸施策によっ
て︑計画的に生産の伸張がはかられた︒酪農業の保護政策は早くも一九〇四年に取られている︒一九世紀末の転
換期はだから︑また従来の自由経済から計画経済への転換期ででもあった︒
このような経済の計画化は︑もちろん急速に取られたのではない︒コプランドは︑一九二九年からの不況の善 ︵70︶後策として︑ ﹁統制経済﹂を執ったと述べ︑一九三九年の戦争勃発前の下で︑濠洲経済制度はある点において﹁