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ベーターゼ ン教育学 における心身 問題 の射程

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(1)

ベーターゼ ン教育学 における心身 問題 の射程

‑ イエナ ・プランにみる心 と身体の接点から 一

伊 藤 敏 子

Rangeof

M

i nd‑ BodyProbl e‑ i n Pet erPetersen' SPedagogy

Background ofI nterf acebet ween t hespi ri t ualandt hephysi cali nJena‑ Pl an Toshi koI TO

Abs t r ac t

M ai ns t r eam Chr i s t i ani t yembr acesanant hr opol ogi caldual i s m bet weent hes pi r i t ualandt hephys i cal ,s t r ong ly f avour i ngt hes pi r i t ualatt heexpens eoft hephys i cal :"Forweknow t hatt heLaw i ss pi ri t ual ;butIam f les hl y , s ol dunders i n' scont r ol ;( ". )sot hen,wi t hmymi ndIs er veGod' sLaw,butwi t hmyhumannat ur eIs er vet he pr i nci pl eofs i n}'( Rom7,1 41 23)Thus ,Chr i s t i ansar er equi r edt or epr es st hei rphys i calnat ur eandcul t i vat et hei r s pl r i t ualnat ur eexcl us i vel y.Tr adi t i onal l y,educat i ont endst odi s r egar dconcer nf ort hephys i cal .Yetar oundt he t ur n t ot het went i et h cent ur y,t hephys i cals i deofhuman under wentar e‑ appr ai s alt hatwasepi t omi zed by Fr i edr i chNi et zs che' s Thuss pa k e Z ar at hu s t r a.M os tl eader soft heNew Educat i onM ovementwer eChr i s t i ans ,yet f avor edphys i caleducat i onaswel lasr el i gl OuSeducat i on.Theyv iewedt her el at i ons hi pbet weent hephys i caland t hes pi r i t ualascompl ement ar yr at hert hanant agoni s t i c.Thi sconceptwasal s oembodi edi nJenaPl anpr opos ed byPet erPet er s en.Pet er s en' sJenaPl an,aneducat i onalbl uepr i ntt hatcamet obei mpl ement edunderas ucces s i on ofwi del ydi f f eri ngpol i t i calr egi mes :t heW ei marRepubl i c,NaziGer many,t heSov iet 1 0ccuPi edz one,andt he Feder alRepubl i cofGer many.Ther eas onf ort heJenaPl an' sadapt abi l i t yt ot hes er egi mes ,aswel lasi t sevent ual qui ckdemi s e,l i esi nPet er s en' sappr oacht ot hemi nd‑ bodypr obl em,whi chwascr uci al l ys hapedbyvi t al i s m,a doct r i net hatwaspopul arar oundt het ur nt ot het went i et hcent ur y.

1 . は じめに

1890

年 か ら

1933

年 にか けて 「児童 中心主義」 をスローガ ンとして多様 な展開をみせた教育運動 は教 育史 のなかで一般 に 「新教育運動」 と総称 されて きた1。新教育運動 は しか しなが ら 「新 しい教育」 を 主張す る一方でかた くなに 「古 い教育」 を継承す る側面 を もちあわせていた とい う事実 をわれわれは看 過 してはな らない。 それはた とえば心 の教育の拠 り所 とされて きた 「宗教」 に対す るこだわ りに象徴的 にあ らわれて い る。 新教育運動家 た ちは 「伝統 的 キ リス ト教 の影響 に絡 み取 られ た

」 (B6hm /Grel 1 1995,S. 75)

学校 のあ り方 に不満 を示 しなが らも、 キ リス ト教 その ものか ら離反 しようとす る態度 はい ささか もみせていない。彼 らの教育理念 はあ くまで も宗教的な

( vg l .O el kers1990;Baader2005)

、 とり わけキ リス ト教的な

( vg l .O el kers1996,S.19

1)、 さらに正確 にはプロテスタ ン ト的な色調

( vg l .ebd. ,S.

1

新教育運動 の時代」 とい う時代 区分 につ いては しか しなが ら、 そ もそ もそのような時代 は存在 しなか った

( Oel ker s1 996,S.

7)

と断言す るエルカ‑ス

Ot l r genOel ker s )

の見解や、 その開始点や終息点 の不在 を指摘す る

( Koer r enz/Col l mar1 994,S.1 5)

ケ レンツ

( Ral fKoer r enz)

およびコルマール

( Nober tCol l mar )

の見解 に代表 され るように、 まだ議論 の余地が残 されている。

‑ 167‑

(2)

43)

を帯 びていることに特徴づ け られ る。 しか し、心 と身体 の関係 の捉え方が

1 9

世紀か ら

20

世紀 にか けての世紀転換期 に変容 したことの帰結 として、 キ リス ト教 を基調 とす る教育理論 および教育実践 は新 教育運動 において 「古 い教育」 にはみ られなか った心 の教育 と身体 の教育 との関係づ けのなかで展開 さ れてい く。伝統的なキ リス ト教 の立場か らみた心 と身体 の捉え方 にあ っては、 「わた したちは、律法 は 霊的な ものであると知 っている。 しか し、 わた しは肉につ ける者であ って、罪の下 (もと) に売 られて いるのである。 〔中略〕 わた しの肢体 (したい) は別 の律法があ って、 わた しの心 の法則 に対 して戦 い をい どみ、 そ して、肢体 に存在す る罪 の法則 の中に、 わた しを と りこに して い るのをみ る」 (

又om. 7 , 1 4‑23)

とい う聖書 の記述 に端的 にあ らわれ る 「心の重視 と身体の軽視」 という構 図が支配的であ り、

この構 図は近代 に入 ってデカル ト

( Re ndDes c ar t es ,1 59 6‑1 650)

の心身二元論 とい う新 たな解釈 を経 由 しなが らも大 きな改編 を加え られ ることな く継承 されてきた。 このような心 と身体の捉え方 に風穴を あけることにな ったのは、 1

9

世紀か ら20世紀 にか けての世紀転換期 に生活改革運動家 たちのあいだで バイ ブル として機能 したニーチ ェ

( Fr i e dr i c hW i l he l m Ni e t z s c he ,1 844‑1 900)

の 『ツ ァラ トス トラは か く語 りき

( AI s os pr ac hZar at hus t r a)

(1 883‑1 885)

に示 された、心身 を分割 させ ることな くまるご との生命 として肉体 を把握す る立場 である。 この書 のなかでニーチ ェは、 「わた しはま ったき肉体であ り、 それ以外 のなに もので もない。魂 とは肉体 に属す る ものを言 い表す言葉 にす ぎない」 (

Ni et z s c he 1 968,S.35)

と宣言す ることで、身体 の本質 は心 の本質 を妨害す るもの としてではな く心 を も含む生命 を体現す るものであるとい う新 たな視点か ら心身問題 の見直 しを促 したのである。多 くの生活改革運動 家たちはこの視点 にたつ活動‑ た とえば身体文化運動‑ を展開 してい くことにな るが (伊藤

2006

、参 照)、 この流れはまた教育 の領域 に も顕著 に反映 されて くることにな る。 ドイツにおける新教育運動 を 代表す る ドイツ田園教育舎運動 を例 にあげるな らば、 田園教育合の設立者 たちは知識教育 ・身体教育 ・ 心情教育 に区分 された 日課 を提示 しなが らも、 「心 の発達 は身体 の活動 を ともな っては じめて到達 しう る」 という発想か ら心の教育 と身体の教育 を有機 的に結合 させ る工夫 を随所 に凝 らしている。 こうした 教育構想 においては、 「教育活動 において精神的な要素 を理想的 に発達 させ るために身体 的な要素 を抑 圧す る」 とい う従来 のキ リス ト教的教育観が払拭 され、 「生徒 たちがお こな う身体活動 を して宗教的修 養の前提 とみなす」教育観への鮮やかな反転がみ られ る

( vg l .I t o2007)

本稿では、新教育運動 に位置づ け られ るイエナ ・プラ ン

Oe na‑ pl an)を考案 ・実施 したベーターゼ ン ( pet e rpe t e r s e n,1 884‑1 952)

に焦点を当て、 ベーターゼ ンが心身問題 に関 して どのような態度 を とっ ていたか、 さらにそ こか ら導 き出された教育構想 を どのように実践 したかを確認す ることによって、世 紀転換期 に心身問題が開いた地平 とその限界 を検証す る。 イエナ ・プラ ンは

1 924

年 にイエ ナ大学 附属 学校で

4

学年

21

名 を対象 に共 同体 の形成 を旗 印 と して実践 に移 された教育構想で ある。 ワイマール共 和国 という新 しい国家体制 のなかで、 とりわけ学校を共 同体 として形成す ることの必要性 を うた ってス ター トしたイエナ ・プラ ンは、間 もな く新教育運動家 の集 う会議 において報告 されたことを機 として広 く世界 に注 目され ることにな る。 1

930

年代 に国家社会主義 が台頭す ると、 イエ ナ ・プラ ンは共 同体概 念 に体制寄 りの解釈 を付与 され ることで再 び一世 を風磨す ることに成功 している2。第二次世界大戦後、

ソビエ ト軍 占領地域 にあ っては、 イエナ ・プラ ンに民主主義 の保障を求め る動 きを連動 させ ることで改 めて興隆をみ、国境 を隔ててアメ リカ軍 ・フラ ンス軍 ・イギ リス軍 占領地域 に誕生 した ドイツ連邦共和 国にあ っては、脱共産主義 ・反 ナチズムを合言葉 に新教育運動 の路線が支持 を受 けるなかでイエナ ・プ ラ ンのブームが起 こ り64にのぼ るイエナ ・プラ ン学校が創設 され る

( vg l .Sc hwan2007 ,S.1 56)

。 しか し、 イエナ ・プラ ンをめ ぐる歴史 はサ クセス ・ス トー リーばか りを奏でているわけではな く、む しろそ

2 1 9 3 3

年か ら

1 9 3 6

年 にイエナ ・プラン運動 は最高潮 に達 している

( vg l . Re t t e r2 0 0 7 ,S. 2 3 5 )

(3)

の主旋律をな しているのは時の政権 による抑圧 との戦 いである。すなわち、 ナチス政権下 におけるイエ ナ ・プラ ンの流行 は

1 9 3 6

年 に帝国教育相がイエナ ・プラ ンの弾圧 に転 じた ことで終止符 を うち、 ソビ エ ト占領地時代 における当初 のイエナ ・プラ ンに対す る政府 の好意 的な態度 は

1 9 48

年 には懐疑的な態 度へ と変 わ り3、 ドイツ民主共和国成立後 の

1 9 5 0

年 にはイエナ ・プラ ンの根拠地であるイエナ大学附属 学校 も 「反動的で、政治的 に非常 に危険な ワイマール共和国の遺物

」 ( Ret t er 2 0 07 ,S. 5 65 )

という熔 印 を押 されて閉鎖 を強 い られ、 国境 をはさんだ ドイツ連邦共和国を圧倒 したイエ ナ ・プラ ン熱 も

1 9 6 0

年 代 には学校 が 「生活の場」か ら 「学習 の場

」 (ebd.

,S.

5 5 5 )

へ と移行す るなかで急速 に冷 めて い く。盛 衰の波 の大 きな海 を漂 うイエナ ・プラ ンの沿革 を概観す るとき、なぜイエナ ・プラ ンが‑ これほどまで に多様 な性質 を もつ‑その時々の政権 か らいずれ も支持 を受 けることがで きたのか、そ してなぜその支 持 は長期的 に持続 しえなか ったのか、 とい う素朴 な疑問が生 じる。 この疑 問 には

、 1 9 8 0

年代 に活性化 された 「ベーターゼ ンと政治の関係」 をめ ぐる一連の研究がある程度 の答 を提供 して くれ る。ベーター ゼ ンがイエナ ・プラ ンの普及を至上 目的 とみな し、政権交代 を常 にイエナ ・プラ ン復活の好機 と捉えて 政権路線への歩 み寄 りを厭 わなか った とい う説明は説得力 を もつ (伊藤

2 0 0 9

、参照)。 しか し、 イエ ナ ・プランに同居す る 「したたか さ」 と 「もろさ」の根幹 は何かを問 うとき、ベーターゼ ンの世界観 ・ 人間観 さらには教育観 を決定づ けている宗教観 を看過す ることはで きない。 「宗教 を抑圧す ると政治へ の逃避が生 じる」 とし 「政治 は宗教 の誤 った代替物」 (

Kl i s s 2 0 0 4 ,S. 2 9 )

にす ぎない と考え るベーター ゼ ンにあっては、政治ではな く宗教が一義的な価値を有す るもの として存在 していた。 イエナ ・プラン を支え る宗教観を世紀転換期の心身問題 との連関か ら解 きほ ぐす ことによって、 イエナ ・プランの もつ

「したたか さ」 と 「もろさ」 の背景 にせ ま りたい。

2.新教育運動 におけるイエナ ・プランの位置づけ

1 9 2 3

8

月 にイエナ大学 に赴任 したベーターゼ ンは翌年 の復活祭 の 日にイエナ大学 附属学校 で新 し い教育実践 に着手す るが、 この実践 は

1 9 27

年 にスイスの ロカル ノで開催 された国際新教育連盟第

4

回 大会 において 「イエナ ・プラ ン」 とい う名称4で紹介 された ことをきっか けに一気 に知名度 を高め るこ とにな る。産業化 ・都市化 とい う時代 の流れのなかで有機的な人間関係を再生す るために学校 を社会的 な共 同体 として機能 させ ようとす るベーターゼ ンの教育構想 はこうして全世界を巻 き込んで展開 された 新教育運動 の一端 を担 うかたちで浸透 してい く。

イエナ ・プラ ンは 「一般的学校」、すなわち 「男女 の区別 な く、 あ らゆ る階層、 あ らゆ る宗派、 あ ら ゆ る素質 の子 どもたちを集 めた

」 (pet ers en 2 0 07 ,S. 2 9 )

学校 において実践 され ることを理想 とす る。

イエナ ・プラ ンを実践す る学校 は さらに

1

0年制であ ることが望 ま しく、 その構成 は、年齢別学年学級 を廃 した うえで、3学年混合 の低学年学級、3学年混合 の中学年学級、2学年混合 の高学年学級、2学年 混合 の青少年学級 の

4

学級か らな る

( vg l .ebd. ,S. 5 2 )

。ベーターゼ ンが

3

学年混合学級を提案す る根拠 は、 この学級では構成員がそれぞれ親方 ・職人 ・弟子 として機能 しうること

( vg l .ebd. ,S. 69 )

、構成員 の

3

分 の 1が毎年入れ替 わ るなかで該 当学級 に留 まった

3

分 の

2

の構成員 によってその学級が もつ特徴

3

民主化の実現はこの時点から新教育運動的な手法ではなくマルクス主義的な手法に求められることになる

( vgl . Re t t e r2007 , S. 5 60 )。

4

「イエナ・プラン」という呼称はベーターゼン自身による発案ではなく、ロカルノでイエナ・プランを紹介することをベー ターゼンに提案したソーパー

( Cl a r eSope r )

とマシューズ・ロンドン

( Dor ot hyMat t e ws ‑ Lo ndon)

によるものである

( vg

l.

pe t e r s e n2 007 ,S.1 3 )

‑ 1 6 9‑

(4)

の継承が円滑 に行 われ ることにある

( vgl .ebd. ,S.7 0)

。 それぞれの学級 は居間 として機能す る教室を拠 点 として活動す るが、そ こには一 当時 としては斬新な一子 どもたちに も移動可能 な机 と椅子が用意 され

ベーターゼ ンはみずか らの考案 したイエナ ・プランを当時展開 されていた教育 をめ ぐる一連の改革運 動の徹底 した成熟 の成果 として位置づ けていた。 イエナ ・プラ ン成立 の土台‑ いまだ徹底 した成熟への 途上‑ とみなされ る改革運動を代表す るもの としてベーターゼ ンがあげるのは、芸術教育運動、ケルシェ ンシュタイナー

( Geor gKe r s c he ns t ei ner ,1 854‑1 932)

やガ ウデ ィヒ

( HugoGaudi g ,1 860‑1 923)

ら に よ って推 進 され た労 作 教 育 運 動 、 ライ

( W i l hel m Augus tLay ,1 862‑ 1 926)

や モ イ マ ン

( Er ns t M e umann ,1 862‑1 91 5)

によって確立 された実験教授学、 そ して リーツ

( Her mannLi et z ,1 868‑1 91 9)

によって

1 898

年 に興 された ドイツ田園教育舎運動 とい う四つの系譜であ る

( vgl .Pet er s e n 2007,S.11 3

∫.)。 なかで も、 田園教育合 がイエナ ・プラ ン誕生 に与 えた影響 はきわめて大 きい。 ベーターゼ ンによ れば、 イエ ナ ・プラ ンの構想 には直接 にはみずか らの‑ ンブル ク生活共 同社会学校 の経験 とな らんで

「1 91 2

年秋 のア ンマ‑ゼ‑田園教育舎訪問、 1

922

年 の ドイツ田園教育舎研究

」 ( ebd. ,S. 1 9)

5がその素 地 とな っている。 イエナ ・プラ ンにみ られ る新教育的発想 は したが って、 その基軸 の多 くを ドイツ田園 教育舎運動家 たちに負 っているといえ よう。

ベーターゼ ンが生前 に結んだ交友関係 もまた、 田園教育合がベーターゼ ンに与 えた影響 の大 きさを強 く反映す る もの とな っている。 1

92 6

年、 ヒュグナ ン

( El i s abet hHugueni n ,1 885‑1 970)の フラ ンス語

を原文 とす る 『オーデ ンヴァル ト校

( Di eOde nwal ds c hul e) 』 6

を ドイツで刊行す る手助 けを したベーター ゼ ンは、 この著 に ドイツ田園教育合 の沿革 を描 き出す序文 を寄せている。44ペー ジにわた る長 い序文 か らは、 ドイツ田園教育舎全般 を肯定的 に評価す るベーターゼ ンがオーデ ンヴァル ト校 を とりわけ高 く 評価 していることが うかがえ る。 ドイツ田園教育合を代表す る学校 のひとつであるオーデ ンヴァル ト校 を設立 したゲヘ‑ プ

( paulGe heeb ,1 870‑1 961 )

は、 ベ ーターゼ ンによる と‑ ヴ ィネケ ン

( Gus t av W yne ke n ,1 875‑1 964)

とは対照的 に一寄宿舎理念 と家族原理、 さらに青年文化 と現代文化 とのあいだ

に調和的解決 を見 出 し、 ドイツ田園教育合 の理念 を もっともは っき りと打 ち出す ことに成功 した人物で あ る

( vgl .Pet er s e n 1 926,S. XXX

V

I ) 。 1 922

年 にゲヘ‑ プ と知 り合 ったベ ーターゼ ンは

( vgl .Ret t er 2007,S.1 61

)

、 1 920

年代後半 には学生たちを引率 してみずか らオーデ ンヴァル ト校 を訪問す る一方で、

ゲヘ‑プをイエナ大学 に講演 に招 く

( vg l .Naf2006,S.250)

とい うかたちで双方 向的な学 びを推進 し、

ゲヘ‑プがスイスに亡命 してか ら以 降 も晩年 にいた るまで書簡 による親交 を持続 させて いる7。 これ ら の書簡か らは、 ドイツ田園教育合 の設立者であるゲヘ‑プが人生の困難 に出会 うごとに大学教授である ベーターゼ ンに相談を もちかけていたことが知 られ る。国際新教育連盟の ドイツ支部 を統括 していたロッ テ ン

( El i s abet hRot t e n ,1 882‑1 964)

や ヴィルカ

‑ ( Kar lW i l ker ,1 885‑1 980)

との関係が不和 にな っ たゲヘ‑ プは、 これ とは別 の ドイツ支部 を創設す ることを

1 930

年 にベ ーターゼ ンに もちか けて い る

( vg l .Naf2006,S.338; Ret t e r 2007 ,S.1 7 4) 8

。 ナチス政権下、オーデ ンヴ ァル ト校 が存続 の危機 に陥 っ

5

「ア ンマ‑ゼ‑田園教育舎」 とは、 ローマ ン

Oul i usLo hma nn ,1 9 0 5‑)

がバ イエル ン州 のア ンマ‑ゼ‑湖畔の シ ョー ン ドル フに

1 9 0 5

年 に私財 を投 じて設立 した田園教育舎 である

。1 9 2 9

年 には財 団法人 ラ ン トハ イム ・シ ョー ン ドル フに引き継 がれ今 日にいた っている。

6

この本 は

1 9 6 0

年 にシェープァ

‑ ( Wa l t e rSc ha f e r )

『 1 9

10年 か ら

1 9 6 0

年 までのオーデ ンヴ ァル ト校

( Di eOde nwa l ds c hul e 1 9 1 0bi s 1 9 6 0 )

』 と 『バ ウル ・ゲヘ‑プ.人 間 と して、教 師 と して

( Pa ulGe he e b.Me ns c hundEr z i e he r )

』 を執筆す るまで、

ドイツ語 における唯一 のゲヘ‑プおよびオーデ ンヴァル ト校紹介 として位置づけ られていた。

7

ベーターゼ ンとゲヘ‑プに関 しては

1 9 2 6

年か ら

1 9 5 0

年 までの書簡 が確認 されている

( vg l . Re t t e r 2 0 0 7 ,S. 1 4 9 )

(5)

1 933

年、 ゲヘ‑ プは‑ シュプラ ンガー

( Eduar dSpr ange r ,1 882‑ 1 963)

や‑ル ト

( Phi l i ppHar t h ,

1 885‑ 1 968)

とな らび‑ ベ ー ターゼ ンに も役人 へ の と りな しを求 めて い る

( vgl .Naf2006,S.402;

Ret t e r2007,S.306

ff.)。 オーデ ンヴ ァル ト校 に助手 として務 めて いたイ ン ド人 シャルマ

( Ve nkat es ha Nar ayanShar ma,1 897‑ 1 986)

が行 き場 を失 うと、 ゲヘ‑プの依頼 を受 けたベーターゼ ンはシ ャルマ をイエナに招 き、その博士論文 出版 にも協力 している

( vgl .Naf2006,S.279) 。 9

これ らの出来事か らは、

在野 の立場 にあったゲヘ‑プと公職の立場 にあ ったベーターゼ ンが田園教育合 とい う教育構想への共感 を通奏低音 とす る深 い信頼関係で結 ばれていた ことが確認 され る。

しか しなが ら、ベーターゼ ンは 自らの教育構想 と ドイツ田園教育舎運動 のそれ とのあいだに親和性を み とめなが らも、 さらに ドイツ田園教育舎運動家 たちとのあいだに親密な交流をはか りなが らも、 そこ にはまだ克服すべ き問題 のあることを看取 している。すなわち、真 に新教育的に構想 された実践 は本来

「寄宿舎や‑ いわゆ る好条件 で、実際 には しか し例外的条件で一人里離 れた ところに設立 された田園教 育舎 で はな く、公 的な生活 のなかで

」 ( vgl .Pet e r s e n2007,S.11 7)

10行 われ るべ き ものであ るとい う想 像力 の欠如である。新教育的な実践を公的な空間 に広 げるとい う信念 にもとづいて、ベーターゼ ン自身 はイエナ大学 附属学校 における実践 をまず はイエナ市 内の公立学校 に、 さらに

1 929

年 か らはイエナ市 以外 の公立学校 に も普及 させ ることを試 みている。

3. 心の教育 と身体の教育の関係

ベーターゼ ン教育学 の根幹 をなす 「共 同体

( Ge mei ns c haf t )

」概念 は、戦後 の教育学研究 においては ベーターゼ ンと国家社会主義の関わ りに言及す るさいに しば しば問題視 され るが、ベーターゼ ン自身 は 自らの構想す る共 同体 は国家社会主義 のそれではな く宗教社会主義 のそれで あると認識 していた

1 1

。 こ こか ら、ベーターゼ ン教育学の本質を理解す るための必須項 目としてベーターゼ ンの宗教観 の精査 が浮 上 して くる。すで に本稿 の冒頭 に述べたように、宗教 をその核 にすえて学校 における教育活動を構想す るとい う点 において多 くの新教育運動家 は伝統的な教育 ときわめて強 い連続性を示 しているが、宗教の 本質 を どこに求め るか とい う見解 においては非連続の側面を強調す るとい う傾向がみ られ る。ベーター ゼ ンにあ って宗教 は 「あ らゆ る文化 の必要不可欠 な構成要素

」 ( pet e r s en 1 91 9,S.233)

と定義 され、宗 教 は 「個人 の ことか ら」で あると同時 に 「共 同体 の ことか ら

」 ( ebd. ,S.236)

であるとい う特性 ゆえ に 学校 で扱われ る必然性が生 じるのであ り、国家 はその条件整備 をす る責任 を担わなければな らない とさ れ る。

8

しか し

1 9 31

年末 にはゲヘ‑プにこの相談 を持 ちかけ られたベーターゼ ン自身が国際新教育連盟の ドイツ支部 における役職 を 失 い、 この組織 のなか における影響力 を低下 させている

( v g l . N a f 2 0 0 6 ,S. 3 4 3 )

9

シャルマはその後

1 9 3 6

年 にイ ン ドに帰国 して教育活動 を展 開 している。

10ベー ターゼ ンは

1 9 2 5

年 に刊行 されたボ ンデ ィ

( Ma xBo n dy,1 8 9 2‑1 9 51 )

の著作 『教育 にお ける新 たな世界像

( Da sn e ue we l t bi l di nde rEr z i e hu ng )

』 か ら ドイツ田園教育舎 の もつ孤 立性 とい う問題 につ いて示 唆をえている

(

V

g l. Pe t e r s e n1 9 2 6 ,S.

XLVI

I)。 ユダヤ人改革教育学者 であるボ ンデ ィは この問題 を考察す る文脈 のなかで 「有機 的な手 ほどき とい う観点か らは改 革学校 と呼ばれ る田園教育舎 よ りも伝統 的な公立学校 の方 によ り大 きな価値が ある

」( e bd. ,S. XLVI I )

と言明 している。ベー ターゼ ンは

1 9 3 6

年 には 「私立学校 はイエナ ・プラ ンか ら何 を学べ るか」 とい う論考 を国家社会主義 の視点か ら発表 している

( v g l . Pe t e r s e n1 9 3 6 )

11

戦後 にな って過去 におけるナチス との関係 を詮索 され ることにな ったベーターゼ ンは

1 9 4 8

1 0月 4

日付 けのデ ップ‑フォ

を強調 している

( v g l . Re t t e r2 0 0 7 ,S. 7 0 )

‑ 1 71‑

(6)

ベーターゼ ンは母親の影響で教会 とい う制度 に縛 られ ることのない宗教性 に子 ども時代か ら親 しみ、

大学 に入学 した直後 は神学関係 の授業 を主 に受講 して いる

1 2( Kl i s s 200 4 ,S.1

0f.)。 ベーターゼ ンの宗 教 観 を検 証 した ク リス

( Ol i ve rKl i s s )

は、 ベ ー タ ーゼ ンには文 化 プ ロテ ス タ ン ト主 義

( Kul t ur ‑ pr ot e s t ant i s mus ) 1 3

の影響 もある程度 み られ るものの

( vgl . Kl i s s 200 4 ,S. 1 4)

、文化 プロテスタ ン ト主義 の代表者であ る トレルチ

( Ems tTr oel t s c h ,1 8 65‑1 9 23)

を嫌悪 していた ことか らもむ しろベーターゼ ンが文化 プロテスタ ン ト主義 か らはあ る程度距離 を置 こうと して いた とみ るほ うが 自然 で あ り

( vg

l.

e bd. ,S. 1 7 )

、 ベーターゼ ンにみ られ る宗教的指向性 は大 き くは 「ルター派」 と分類す ることが適切で

あると して い る

( vgl .e bd. ,S. 7 5)

。 ベーターゼ ン自身 は 自らの宗教観 をあ らわす ことば と して‑ 1

890

年 に生 じた生活改革運動や教養市民 によって結成 された文化 同盟 につなが る‑ 「自由プロテスタ ン ト主 義

」 ( e bd. ,S.2

1) を好んで用 いていた ことが知 られている。

1 909

年 か ら‑ ンブル クで教鞭 を とっていたベーターゼ ンは、 1

911

年 か ら学校改革運動 にたず さわ る ようにな るが、 ここで改革 の主 た る対象 とされたのは宗教 の授業であ った

( Kl i s s 2 00 4 ,S. 1 2)

。 当時の 教員 の意識 としては、多数派が宗教の授業 の実施 を支持 しているものの、 そ こで要請 されているのは従 来型 の宗教 の授業 の維持ではな く、 「良心 ない し信教 に反す ることがない とい う自由、教条主義や宗派 主義 か らの離脱」 (

pe t e r s e

n1919,S.233) とい う 「純粋 に教育的観点 に立つ」 (ebd.,S.232)新 たな宗 教の授業の確立である。教育的観点か ら不適切 とみな され る宗教の授業 とは、神秘説や狂信 とかかわる 授業、教会が行 う授業 ない しは教会 によって監督 された授業、宗派主義の授業、教条主義 の授業であ り、

これ らは学校 か らの排除が求 め られ ることにな る

( vgl .e bd. ,S. 237

f.)。教会か らは距離 をお く新 しい 宗教 の授業 の内容 に関 して とりわけ重視 され ることにな るのは宗教 と倫理 の関係である。学校 の段階に 応 じて 「宗教的体系 の価値が、 その信奉者 の行動 を どのような結果へ と導 くのか、 また個人 の倫理 と共 同体 の倫理 を どの ように決定す るのか

」 ( e bd. ,S. 238)

を推 し量 ることで、倫理学 と新 しい宗教 の授業 を有機 的に合体 させ ることの必要性をベーターゼ ンは提 唱す るのである。宗教の授業の具体的な進 め方 に関 しては、多 くの子 どもたちが宗教 の授業を嫌悪 している実態 にかんがみて、ベーターゼ ンはすでに 子 どもたちの心を捉え ることが調査 によって確かめ られている 「宗教 に関わ る人物 につ いて語 ること」

( ebd. ,S. 2 40)

の導入 を推奨す る。初等 ・中等段階で行 われ るこのような宗教 の授業 に接続す るのは、

科学や歴史 とい った思想形成 に関わ るあ らゆ る教科 と結 びつ くことで 「世界観 の授業

」 ( e bd. ,S. 2 45)

にまで高め られた上級段階の宗教 の授業である。 このように子 どもたちの心理的発達を配慮 しつつ現今 の文化情勢 の要求 に応え ようとす る姿勢 を宗教 の授業 に反映 させ ることによって、宗教 を して独 自の生 き生 きとした文化圏を形成 させ るとい う課題を学校 は果 たす ことがで きるのであ り、 ここにひたす ら心 の内面へ と向けられた信教 の教育 としての宗教 の授業か ら、身体 による活動への結 びつ きを意識 した倫 理 の教育 としての宗教の授業へ と大 きな転換がはか られ ることにな る

1 4。

その宗教観 において生活改革運動家 たちと親和性を有 していたベーターゼ ンは心 と身体 の関係 の理解 において も生活改革運動家 たちに大 きな影響力 を発揮 した人物 に注 目す る。教育科学 と哲学 の連関を重 視す るベーターゼ ンは授業 のなかで心身問題

( Le i b‑ See l e ‑ Zu

s

amme nhang)

を扱 うが、 とりわけクラー

1 2

なお、卒業時の時点におけるベーターゼンの神学への関心は歴史学 ・哲学に続 く3番 目に後退 している

( vgl . Kl i s s2004,S.

10f.)。

1 3

文化プロテスタント主義は、福音主義的キリス ト教思想 と近代文化を結合 させることを主張 し、前者が後者の原動力 となるとみな す。

14宗教の授業の担当者はこのような要請に応えるためにも、 国家によって試験 され採用 された、該 当の学校 レベルを全般的に構成す るあらゆる教科を有機的に結びつけながら教育学 ・心理学 ・科学 という観点から学問的に養成 された者

(

V

g l. pe t e r s e n 1 91 9,S.246)

であるべきとベーターゼンは考える。

(7)

ゲス

(Ludwi gK l ages ,1 87 2‑1 95 6)

15の解釈 に依拠 している。 イエナ大学 の上級ゼ ミナールを受講 した デ ィー トリッヒ

( Theo Di et ri ch ,1 91 7‑2003)

は、 クラーゲスの宇宙論やエ ンテ レヒ‑概念

1 6

、世界 に お け る人 間 の位 置 につ いて語 るベ ー ターゼ ンが水 を得 た魚 の よ うで あ った と回想 して い る

( vg

l.

Di et ri ch 1 9 8 6 ,S. 1 4)

。 クラーゲスは当時の身体文化運動家 や新教育運動家 にその生 の哲学 で もって大

きな影響 を与 えた ことで知 られ るが (伊藤

20 0 6

参照)、 ベーターゼ ンもまた これ に共感す る同時代 人のひ とりであった。

ベーターゼ ンは、共同体生活および表現陶冶 に関達 し授業 に先立 って必要 とされ る教育 として 「身体 教育、交際 と倫理、言語 と唱歌、手先 および感覚 の陶冶、 内面性 (感性)」 の五分野 を、授業 の枠組 の なかで行われ る教育 としては 「基礎的知識、社会的あるいは統制的ない し能力的知識、人格的知識」の 三分野 を念頭 において いるが

( vgl .Pet ers en 20 07 ,S. 1 02)

、 この うち授業 に先立つ項 目とされ る 「身体 教育」 には 「遊戯、徒歩旅行、体操、 スポーツ

」 (ebd. ,S. 1 0 4)

が想定 されて いた。 「生命への畏敬」

( sai l er 1 935 ,S. 403)

による授業 を実践す る学校 は 「第一 の価値 を健康 な生徒 にお き、 <学校 の 日常 >

を健康 に し、民族力 を増強 しよ うと努 め る

」 ( Pet ers en 20 07 ,S. 5 6)

べ きで あると考 えたベーターゼ ン は、上記の身体教育 の内容 に加えて、 クラーゲスの生気論 に依拠 した生活改革運動家たちに も浸透 をみ た 「水浴、 日光浴、空気浴

」 (ebd.)

の実践 を推奨 している。 自然療法 と称 され るこれ らの実践 の背景 には、心身 を分割 させ ることな くまるごとの生命 として把握 しようとす る

1 9

世紀か ら

20

世紀 にか けて の世紀転換期 に特徴的な心身問題 との取組が横 たわ っている。

4 . イエナ ・プランにみられる心 と身体の接点

イエナ ・プラ ンの第一 原則 を 「生命への畏敬」 にお き、生命力

( vi t al i t at )

を保護 ・育成す るため にあ らゆ る方策 を とることを唱え るベーターゼ ンは、 「‑生徒 の身体 の基盤が確立 していないな らば、

すべての授業 は中断 されなけれ ばな らな

い 」 (Sai l er 1 93 5 ,S. 403)

とし、特定 の学科 においてではな く 学校生活全体 における身体の教育を重視す る。イエナでは学校生活 における運動不足を解消す るために、

椅子 ・机 を移動可能 な体裁の もの とし、教室を動 きやすい居間形態 とし

、40

分か ら45分 とい う枠で設 け られた休憩 にヤー ン

(Fri edri ch Ludwi gJahn ,1 77 8‑1 85 2) 1 7

式 の

20

分運動一跳箱、平均台、鉄棒、

球技、競走‑が 日替 わ りで実施 されたほか、キ ャンプや徒歩旅行 も効果的 に取 り入れ られた。

1 5

クラーゲスは、近代文 明を批判す る立場か ら文化の内的な 自然 への回帰 を提唱 し、生気論派 の心理学を主導す る。 クラーゲ スが シュー ラ‑ (

Al f r e dSc hul e r ,1 8 65‑1 923 )

、 ゲオルゲ

( St e f a nGe or ge ,1 8 68‑1 933 )

、 ヴォル フスケール

( Ka r lW

o

l f s ke hl , 1 8 69‑1 94 8)

とともに ドイツ ・ミュ ンヘ ンの シュヴ ァ‑ ビングに立 ち上 げた 「宇宙論 サー クル

( Kos mi s c heRunde )

」 は、 ワ ンダーフォーゲルを母胎 とす る自由青年運動 の理論的支柱 とな るが、精神 と魂 を調停す る役割を身体 に付す る生気論的主張 は、

国家社会主義 のイデオ ロギーに回収 されてい くあや うさを もあわせ もつ。

1 6

エ ンテ レヒ‑ (

Ent e l e c hi e )

はア リス トテ レス

( Ar i s t o t e l e s ,3 81‑322B. C. )

の 「完全硯実体」 を意 味す るエ ンテ レケイ ア

( e nt e l e c hei a)

に遡 る概念 であるが、 ベーターゼ ンの時代 には ドリー シュ

( Ha nsDr i e s c h,1 8 67‑1 9 41 )によって唱え られた新

生気論 の文脈 であ らためて注 目されて いた。 イエナ大学 に学 ん だ ドリー シュは当初、 ダー ウィ ン

( Char l e sRobe r tDar wi n ,

1 8 09‑1 882 )

、 ラマル ク

Oe an‑ Bapt i s t edeMo ne tLamar c k,1 7 44‑1 82 9)

、 ゲーテ

Oo hannWol f ga ngvonGo e t he,1 7 49‑1 832 )

1 91 9)

の影響 を受 けていたが、 ウニ卵 を材料 と して実験発生学 を研究す るなかで調和等能性を発見 し、 これを因果性 を超 えた 生物 の生命原理すなわちエ ンテ レヒ‑を根幹概念 として用 いて説明 した。『生気論 の歴史

( Ge s c hi c ht ede sVi t a l i s mus )』 ( 1 905 )

『身体 と精神

( Le i bundSe e l e )』 (1 91 6 )

、『超心理学

( pa r aps yc hol o gi e )』 ( 1 93 2 )

な ど一連 の影響力 のある著作 を発表 し、生誕

80

年 となる

1 947

年 には レ‑ゲ ンスブル クに ドリー シュ協会 が設立 されている。 なお、 ドリー シュはナチス政権下 にあ っては その妥協 的態度 によって知 られ る。

‑ 1 7 3‑

(8)

しか し、 このような強 い関心 に もかかわ らず、ベーターゼ ンは身体 の教育が 「本質的な もの とな らぬ よう

」 (Pet ers en 1934,S.247)

警告す る。 この観点か らベーターゼ ンがイエナ大学 附属学校 の身体 の敬 育 に関 して と りわ け評価 して いた と推測 され るの は、 「ローエ ラ ン ト体操

(Lohel and‑ Gymnas t i k) 」

( Sai l er 1935,S.406) 1 8

、 ダル ク ローズ

( Em i l eJaques ‑ Dal croze,1865‑1950)

の リ トミック、 ラパ ン

( Rudol fvon Laban,1879‑1858)

の体操 であ る

1 9

。 ベーターゼ ンが発行す る 『テ ユー リンゲ ン州立 イエ ナ大学教育科学研究所通信』 は

1 926

年 に 「リ トミックとリズム体操」 を特集 し、 その理論編 としては、

「精神的な閃 きのない機械的な

」 (FredeJena 1 926,S.3)

従来 の体操 に対置 され る リズム体操 が健康へ の配慮 にとどま らず 「心身の創造力を開花 させ」 もっとも実 り豊かに 「教育の全体を有機 的に構築す る」

( ebd. ,S.4)

もの と して紹介 され る。 リズム体操 において身体 は 「心 の罪深 い同行者」や 「自覚的意志 に隷属す る物質 的部分」 で はな く 「現世 にお ける人 間存在 の原基盤

」 (ebd.)

で あ り、 その鍵 とな る

「不断 に波 うち流 れ る」 リズム (律動) の重要性が一 タク ト (拍子) との対照 のなかで‑ クラーゲスの 理論 に もとづ いて提示 され る。実践編 としては、 イエナ大学 において教員養成教育 および附属学校教育 に従事 す るブ レンス ドル フ父娘 によ って リ トミック実践 の留意 点が解説 され る。 父 ブ レンス ドル フ

( ot t oBl ens dorf ,1871‑1947) 2 0

はダル クローズの リ トミック師範 を獲得 した最初 の ドイツ人 であるが、

音楽 を媒介 と して 身体で体感 され る韻律 を集 中力 ・意思形成 ・自己創造へ と高め る リ トミック教育 を 心理学 ・解剖学 ・体操学 ・音楽 ・体育学 の知見 に もとづ いて適切な成長期 に施す ことを教員養成教育の 視点か ら説 く

21

。一方、娘 ブ レンス ドル フ

(Charl ot t eBl ens dor f ,1901‑ 99)

22は幼稚園教育 における リ ト

ミック教育 の実際を具体的な例示 とともに詳述す る

(Ch.Bl ens dorf1926,S.9

ff.)。

「生命への畏敬」 をその根底 に もつ教育 は、 キ リス ト教的理解 にたつ とその延長線上 に必然的 に神 と

1 7 1 88 0

年代 か ら

1 8 90

年代 にはヤー ンの トゥルネ ンをめ ぐって一 つ の大 きな うね りとな った大衆運動 が生 じて いた (釜 崎

2 0 07 、5 4

参照) ことか ら、 ヤー ンの身体教育 につ いてはベーターゼ ンばか りではな く多 くの新教育運動家 も関心を もって いた ことが推測 され る。宗教 的雰 囲気 のなかで祝祭 とい う手法 を用 いて共同体体験 を積む ことを主眼 とす るヤー ンの身体教育 は しか しなが ら、 とりわけベーターゼ ンのそれ と親和性を もつ もの と推測 され る。 ベーターゼ ンの理解 では、身体 の教育 は、

た っているが、 とりわけ 「ドイツ体操の父

( Tur nva t e r )

」 と呼ばれ るヤー ンの興 した大衆的な運動‑ 「元気 に走 りまわる若者」

の教育‑ を学校 に導入す ることの意義 は大 きい。 ベーターゼ ンは、学校外で身体 の教育 を実践 しているヒ トラー青年 団 (HJ) や突撃隊

( sA)か ら学校 が多 くを学んでいるとみ とめる一方で ( vgl . Pe t e r s e n1 93 4,S. 2 47 )

、 これ らは身体 の教育 の全体 を配 慮 していないことを根拠 として学校教育 における身体 の教育 の重要性 を説 く

(

V

g l. Sai l e r1 935,S. 4 06)

1 8

ローエ ラ ン ト体 操 は人 智学 の知 見 に もとづ いて ラ ングガル ト

( Loui s eLa ngga ar d,1 8 83 ‑ 1 97 4)

とロー デ ン

( He dwi gvon Ro hde n,1 890 ‑ 1 987 )

によって

1 91 9

年 に考案 された。

1 9

ダル クローズの リ トミックは後述 のブ レンス ドル フ父 娘 によ って、 ラパ ンの体 操 は 『万人 の舞踊.体操 か ら共 同体舞踊 へ

( Tanzf t l ral l e.Vonde rGymna s t i kz um Ge me i ns c ha f t s t anz )』 (1 92 8 )で知 られ るグライスナ‑ ( Mar t i n Gl ei s ne r ,1 897 ‑ 1 983 )

によって担 われた。 イエナ大学 においては、夏 には聖霊 降臨祭 の休暇 にはダル クローズのヘ レラウ学校 を継承す るオース トリ ア ・ラクセ ンブル クの訪問や、娘 ブ レンス ドル フの参加 の もとに夏至祭が開催 されていた。

2 0

オ ッ トーは

1 9 06

年か らダル クローズの もとで学 び、 1

9

10年 にはヴ ッパ ータール ・エルバ ー フェル トに身体教育 と音楽教育 を核 とす るブ レンス ドル フ学校 を設立 し

、 1 923

年か らは リ トミック教員 の養成 に も着手 し

、1 92 5

年か ら

1 92 7

年 にかけてはベー ターゼ ンが教育実践 を展開す るイエナへ、 さらにバー ト・ゴーデスベル クへ と活動の拠点を移 している。

21

律動的韻律的形成物 は、オ ッ トーによれば、歌 ・言葉 ・身振 りと結 びついて生 み出され る

(

V

g l. 0. Bl e ns do r f1 92 6,S.1 3 )

ターゼ ンのイエナ大学 附属学校 で教育 にたず さわ ることで新教育運動か らの影響 を受 ける。 1

93 2

年 にはパ リ近郊 に国際学校

(1 922 )

を運営す るアメ リカ人 マ ックジャネ ッ ト

( Dona l dRos sMa c Ja nne t ,1 894 ‑ )

と結婚 し、 ともに教育活動 に専心す る。

(9)

の出会 いを想定 した働 きか けを志 向す ることにな る。学校生活のなかで最高の事実である神 との出会 い を求 め ることを考 え るとき、本質 的な ものは宗教 的な ものか ら引 き出 され ることが期待 され る

( vg

l.

Koer r enz 1 9 97 ,S. 48 8 ; Koer renz 2 0 0 3 ,S.1 49 ; Kl i s s 2 0 01 ,S.7 6 )

。宗教 を 「美術 ・文学 ・習俗 ・言語 とな

らぶ民族文化 の一領域

」 ( vgl .Pet er s en 1 9 3 4 ,S. 2 49 )

とみな したベーターゼ ンは、作業 ・生活共 同体学 校 として機能す る世俗的学校 のイメー ジの もと融和統合 された授業 を実現す るため、独立 した授業科 目 としての宗教 は設定 していない。宗教 の授業 は 「イエナ ・プラ ンによる学校生活および学校作業 の一週 間の リズム」 (参照 図) に記 された、 きわめて総合的な傾 向を もつ授業 を通 じて行 われ る。 た とえば、

イエナ ・プラ ンにおいては文化 という枠組か ら取 り上 げたテーマを扱 う

2

時間 1コマの授業時間 に宗教 か ら影響 された美術 ・文学 ・民族史 ・宗教生活の英雄 ・殉教者 を取 り上 げることで宗教 の授業が実質的 に行 われた23。神 との出会 いを援助す るために、学校 では談話 ・遊戯 ・作業 ・祭典 とい う活動 を循環 さ せなが ら授業を実施す るが、遊戯 の領域

2 4

としては聖史劇 ・祭式劇の上演、作業 の領域では一 田畑の耕 作 とい った一 自然への働 きかけ、隣人 ・被造物 ・人間世界への奉仕 を実施す ることで、身体 の教育 を有 機的 に心の教育 に結合す るかたちの宗教 の授業が ここで も実践 され る。 さらに祭典 の領域、談話 の領域 では歌や祈 りや対話 を介 して神 との出会 いに向けた環境が用意 され る。

学校生活のなかで とりわけ重視 されたのは、一週間の始 ま りと一週間の終 わ りに 「宗教 ・祭典 ・自由 作業 ・円座」をその内容 として行われ る 「共同体形式

」 ( vgl .Pet ers en 1 9 3 5 ,S. 1 2

f.)の活動である。 レッ

‑ ( Hei n Ret t er)

1 9 9 0

年代 にイエ ナ ・プラ ンに関わ った人 の証言 を集 めて い るが、 このなかで

1 9 41

年 か ら

1 9 4 4

年 まで生徒 と してイエナ大学 附属学校 に通 った ヴ ェ‑バ ー

Ot i r gen W eber )

お よび

1 9 41

年か ら

1 9 45

年 まで教員 とい う立場でイエナ大学 附属学校 に関わ った ビュクセル

( Ber t aBt i chs el )

による証言 を再構成す ると以下 のようにな る。月 曜 日の朝の祭典 は最長で

5 0

分 にわたる行事で、「国旗 掲揚、国歌斉 唱、ベーターゼ ンの ことば

」 ( Ret t er 2 0 07 ,S. 47 2 )

で構成 され、二重 ない し三重 の馬蹄型 に椅子 を並べた形態で開催 された。ベーターゼ ンの話題 はグーテ ンベル ク、バ ッ‑、ゲーテ、ルター と いった ドイツの重要 な人物 を引 き合 いに出す英雄譜が多か った。火 曜 日以降の 日課 は短 い共 同の祭典で は じま り、 この祭典 のなかでは民謡が歌 われ ドイツの詩人の ことばが読 み上 げ られ るが、一週間の しめ くくりである土曜 日には長 めのキ リス ト教 による学校祭典が挙行 された。低学年学級 には副牧師が来校 して福音 をわか りやす く話 し、 中 ・高学年学級 で は 「週末 の祈 り

( W ochens

ch

l uβandacht )

」 と して

「賛美歌 と聖書 の ことばにつ いての話」がな された。 当初 は ミ‑スケス

( HansM i es kes ,1 91 5‑2 0 0 6)

25 によって担 われ、後 にはベーターゼ ンみずか らが担 うことにな った この祭典では、歌が歌 われ、聖書が 読 まれ、祈 りによ って締 め くくられた (

vgl .Ret t er 2 0 07 ,S. 47 3 )

26。生徒 たちはすすんで この祭典で歌 われ る賛美歌や聖歌 を暗唱 した という。 この 「共 同体形式」 の授業 は保護者 の参加 も促 して行われ るべ きであるというベーターゼ ンの提案か ら、学校 の四大年間行事 27とされ る 「入学式、卒業式、 キ リス ト 降誕祭、教育 のふ りかえ り」 28には保護者 も招かれ、校歌の斉 唱 とともに盛大 に執 り行われた。

23

ベ ーターゼ ンは発達 心理 学 の知 見 を もとに、 宗教 に関 わ る人物 の英雄葦 を用 いることの有効性 を強調 して いる

( vg l . Kl i s s 2 0 04,S.1 9 )

2 4

遊戯 の領域 と しては他 に 「リズム的体操的遊戯、体操、スポーツ、休憩遊戯、スカウテ ィングゲーム

」( Pe t e r s e n 2 007 ,S. 1 00 )

とい った活動 も含 まれ る。

25

ミ‑スケスはデ ップ‑フォアヴァル ト

( He i nr i c hDo pp‑ Vo r wa l d ,1 9 02‑1 977 )

と肩をな らべるベーターゼ ンの弟子であるが、の ちにそれぞれギーセンとミュンスターを拠点 としてベーターゼ ン研究 に関 してライバル関係 となる

( vg l . Sc hwa n 2 007 ,S. 1 5 0)

26

ヴェ‑バ ーはカ トリックを信仰す る

3

人 の生徒 は これに参加せず に帰宅 した と記憶 している。

27 1 93 6

年 の論文 では、保護者 を招 いて挙行す る学校 ミサ聖祭 の機会 と して 「始業式 ・終業式 ・母 の 日 ・収穫感謝祭 ・待降祭 ・ 学校創立記念 日

」( Kl i s s 2 00 4 ,S. 46)の 6

つの行事が あげ られている。

‑ 1 7 5‑

(10)

5 . おわ りに

ベーターゼ ンにおける宗教の授業を考察 した ク リスは、ベーターゼ ンにみ られ る宗教性 を特徴づ け、

「合理主義や理念主義か らではな く、心情か らの信仰」、 「神秘や狂信 によるのではな く、理性 による信 仰

」( Kl i s s2 0 0 4,S. 7 5 )

と総括 している。神秘 に回収 され ることのない心情、合理主義 に回収 され るこ とのない理性 とい う、一見 われわれを戸惑 わせ るこの宗教性 は、同時代を生 きた生活改革運動家や新教 育運動家 に影響を与 え、 またベーターゼ ンも傾倒 した クラーゲスの人間観 ・生命観 に立 ち戻 ることで説 明が容易 とな る。 そ して、 クラーゲスの生気論 を想起す ることによって、 イエナ ・プラ ンで提示 され る

「一週間の リズム」が教科単位でな く活動領域単位で構成 されている理 由 もおのず と明 らかになる。個 々 に独立 した教科 とい う枠組 をあえて設 けないことによってベーターゼ ンが実現 しようとしたのは、心身 を分割す ることな くまるごとの生命 として子 どもたちを躍動 させ る共 同体 の形成であった。ベーターゼ ンが学校教育 の核心 をなす とみなす宗教 の授業 もその例外 とはされずその独立 した枠組 を放棄す るが、

これ によって宗教 の授業 は心の教育 と身体 の教育 の有機 的に結合す る談話 ・遊戯 ・作業 ・祭典 とい う活 動領域のなかで展開 され ることにな ったのである。 しか し、教育 における有機的結合の重視 は‑イエナ ・

プラ ンの旗 印である 「共 同体」概念の もつ響 きと相侯 って一国家社会主義 あるいは共産主義 とい ったイ デオ ロギー と簡単 に手を結ぶ とい う側面 を もちあわせている。相対立す るイデオ ロギーを等 しく充足す る教育実践 を提供 しうるというイエナ ・プランの持 ち前 の 「したたか さ」 は同時 に、そのイデオ ロギー が尖鋭化す る時代 にはその 日和見主義的性格のため警戒心を呼び起 こす とい う 「もろさ」 を露呈す る。

時の政権 による厚遇 と冷遇 の両極 を往還す るイエナ ・プランの歴史 はそのまま、心身二元論 の否定 の上 に生 の全‑性 を となえ ることでその汎用 の射程 を一気 に拡 げた クラーゲスの人間観 ・生命観 の受容史の 興衰 と軌を一 に している。

ベーターゼ ンのイエ ナ ・プラ ンは

、2 0

世紀 の ドイツにおいて は

3

度 の興隆をみている。 その最初 は ヴェス トフ ァー レンに広 くイエ ナ ・プラ ンに基づ く地方学校 プロジェク トが展開 された

1 9 3 3

( vg

l.

Sc hwa n2 0 0 7 . ,S. 4 45 )

、 それ に続 いて‑ ドイツ連邦共和 国 における新教育運動再評価 の波 に乗 って

「イエ ナ ・プラ ン校」 を うた う学校 が多数設立 された

1 9 5 0

年代半 ば

( vgl . e bd. ,S.1 5 6)

、最後 にオルタ ナテ ィヴ ・スクールを模索す る思潮 に乗 ってイエナ ・プランの教育構想の影響を受 けたノル トライ ンヴェ ス トファー レン州 の小学校指導要領

( 1 9 8

1

) ( vgl . e bd. ,S. 3 3 9 )

の公布やベーターゼ ン関連 の組織

2 9

の 再結成が促 された

1 9 8 0

年代である

。21

世紀 に入 った今、 イエナ ・プラ ンは 「ベーターゼ ンのイエナ ・

プラ ン」 と大上段 に振 りか ざす ことな くご く自然 に学校教育 のなか に根づ いて い る様 が うかがえ る。

2 0 07

年、 ノル トライ ンヴェス トフ ァー レン州 ケ トヴ ィッヒの小学校 を訪問 した とき、学校 関係者 のあ いだでイエナ ・プラ ンの教育構想がきわめて 日常的で身近 な存在であることを繰 り返 し認識 させ られた。

円座で行われ る授業、学年混合 の学級編成 とい うベーターゼ ンがその著作で語 っていた風景 を現実 に目 の前 に しなが らも、 イエナ ・プラ ン運動 は歴史的現象であ り今 日はその名 を冠す る特定 の学校 に継承 さ れているにす ぎないのではないか とい う疑念が澱 のように横 たわ っていたが、これは学校 関係者 との対

2 8

キ リス ト降誕祭 にはキ リス ト降誕劇 が催 され、 この祭典前 の

2‑3

週間 は学校全体 が準備 にかか りき りにな る。教育 のふ り かえ りには、過去

1

年 間の作 品や ノー トが展示 され、訪れた保護者 の閲覧 に供 され る

( vgl .Ret t er2007.S. 47 4)

29 1 980

年 には 「イエナ ・プラン研究職

Oe na‑

p

l an‑ For s c hungs s t e l l e;JPF)

」 がギーセ ン大学 に設 け られ、翌

1 981

年 には 「ベー ター ・ベーターゼ ン遺稿協会

( pe t e r ‑ pe t e r s e n‑ Nac hl as s ge s e l l s chaf t ;PPNG)

」、 さ らに翌

1 982

年 に これ ら

2組織 と ドイツ連邦

共和 国内のイエナ ・プラン学校

4

校 (ハ ノーバー、 フランクフル ト、ケル ン、 ウルムバ ッハ) を含 むかたちで 「ベーター ・ベー ターゼ ン ・ワーキ ング ・サー クル

( Ar bei t s kr ei s e sPe t e rPe t er s e n;AKPP)

」 が誕生 し

、 1 987

年以 降 「イエナ ・プラ ン教育学読

(11)

話 のなかでたちまち氷解す る

「本校 もイエナ ・プラ ン方式 に則 って学年混合学級で運営を してい る」

とい うフレーズ、 その学年混合学級の実態 につ いて 「理想 は本来のイエナ ・プラ ンで うたわれたように

3

学年混合学級 だが、今 日の保護者 の理解 をえなが ら学年混合学級 を推進す るには現実的路線 として

2

学年混合学級で妥協せ ざるをえない」 とい った嘆 きは多 くの学校 で共有 され るものであ った。 「親方 ・ 職人 ・弟子」 とい う三者関係の成立の要件 として、 あるいは学級の雰囲気 を継承す るための構成員 の過 半数の維持 の要件 として、2学年混合学級 は確か にイエナ ・プラ ンの意 図 した形態か らは逸脱す る。 そ れで も一知育 に強 くこだわ る保護者の願望 とは離 れた ところで一現在 の学校教育関係者 のあいだで 1世 紀近 く前 に考案 された

3

学年混合学級が今 もって理想 として支持 されている現実 は注視 に値す る。活動 領 域 に配 慮 した教 育 実 践 につ いて も、現 在 にお け る有 効 性 を裏 づ け る報 告 が な され て い る

( vg

l.

Ei c he l be r ge r / Wi l he l m 2 0 0 0 ) 。

興味深いことに、ベーターゼ ンの母国である ドイツ以上 にイエナ ・プラ ンの受容 に取 り組んで きたの はオ ラ ンダである。今 日 「オ ラ ンダ ・イエナ ・プラ ン運動 の母」 と称 され るフロイデ ンタール

( Sus a n Fr e ude nt ha l ‑ Lut t e r ,1 9 0 8 ‑ 8 6)

1 9 6 2

年 のオラ ンダにおける最初 のイエナ ・プラ ン校 を設立 し、 さらに オ ラ ンダ ・イエ ナ ・プラ ン協会 の設立

( 1 9 68

年) に尽力 した ことを追 い風 として

、1 9 60

年代、 オ ラ ン ダにはイエナ ・プラ ンのブームが生 じる

( vgl . Sc hwa n2 0 07 ,S.1 8 3 ;S.1 9 2 )

30。 オ ラ ンダ版 イエ ナ ・プ ランは、本家 イエナ ・プラ ンにおける談話 ・遊戯 ・作業 ・祭典 とい う

4

領域 の基本活動 の循環的実践を 忠実 に継承 しなが らも、本家イエナ ・プラ ンにみ られた 「文化 に関す る子 どもたちのグループ学習」お よび 「自然 に関す る子 どもたちのグループ学習」 を 「ワール ドオ リエ ンテー シ ョン」 とい う総合学習へ と改編 して実践 している3

1 。2 0 07

年、 日本 にはオ ラ ンダ版 のイエナ ・プラ ンがオ ラ ンダ在住 の リヒテル ズ直子 によって紹介 され、 日本 イエナ ・プラン協会 もこのオ ラ ンダ版 イエナ ・プラ ンを基礎 に創設 され た32

。1 9

世紀か ら

2 0

世紀 にか けての世紀転換期 にベーターゼ ンが向き合 った心身 問題、 そ してそれを 反映 させた心 の教育 と身体 の教育 の有機 的結合 の意 図が

21

世紀 の改訂版 イエナ ・プラ ンの浸透 のなか で どのように岨曝 されているか については、稿 を改めて考察 したい。

*本稿 は平成

21

年度科研基盤研究(C)課題番号

21 5 3 07 97

の研究成果の一部である。

30

リヒテル ズ

2 0 04、 69貢

参 照。 フ ロイデ ンタール らは国際新 教育 連 盟 のオ ラ ンダ支 部 で あ る養育 ・教育 刷新 研 究会

( wvo)

のサブグループ として

1 95 9

年 にイエナ ・プラ ン教育 の勉強会 を立 ち上 げ、 1

964

年 に

WV

O の全国総会 でイエナ ・プ ラ ンを全 国に周知 させ、 1

969

年 には

WV

O か ら独立 してイエナ ・プラン教育財 団

( S JP)を設立 した。 1 964

年 には

3

校 に過 ぎ なか ったイエナ ・プラン校 は現在

2 2 0

を数 えている (同書

1 60‑1 7 0

参照)。 フロイデ ンタール は

1 966

年 にオ ランダにお けるイエナ ・プラン実施 の土台 とな る8項 目の ミニマム条件 を提示 している (同書

1 85

参照)。

31

リヒテルズ

2 00 6、 11 3

参照。 ワール ドオ リエ ンテー シ ョンでは、 オ ランダ ・イエナ ・プラ ン教育協会 と国立 カ リキ ュ ラム開発研究所 が共同開発 したカ リキ ュラムの

7

つの経験領域‑ コ ミュニケー シ ョン、共 に生 きる、私 の人生、技術、作 るこ とと使 うこと、環境 と地形、巡 る 1年‑ のなかか ら順番 に、年間では通算で

8

つ程度 のテーマに学校全体 のテーマ と してそれ ぞれの年齢 に応 じた方法 で取 り組む という形態を とる (同書

1 2 0

および

1 2 4

参照)。

3 2

リヒテルズ直子 は

2 0 06

年 に 『オ ランダの個別教育 はなぜ成功 したのか‑ イエナプラン教育 に学ぶ‑』 を上梓す るが、 これ に

しては、森昭 による 「ベーター ・ベーターゼ ンとイエナ ・プラ ン学校」 (1

953 )

、三枝孝弘 による 「イエナ ・プラ ンの研究‑ ド イツにおける学校 の協 同体的 自主管理 に関す る思想 および運動 の序論 的考察

」 (1 965 )

、伊藤暢彦 による 「イエナ ・プラ ンにお ける教育学的 リア リズム」 (

1 991 )

、助川晃洋 による 「ベーターゼ ンの 『小 イエナ ・プラン』 における<教育 的状況 >の概念」

( 2 008 )

と極 めて寡少 である。 なお、 ベーターゼ ンをタイ トルに含 む論文 を含 め ると、三枝孝弘 による 「ペテルゼ ン教育科学 に おける信仰 の位置 について」 (1

95 8 )

、伊藤利男 による 「ベーターゼ ン夫妻の敬虞主義」 (

1 97 8)

、対馬達雄 による 「ベーターゼ ンにおけるゲマイ ンシャフ トの理念 と学校共同体 の形成」 (

1 9 87 )

、船尾 日出志 による 「バ ウル ・エス トライ ヒのベーター ・ベー

ク学校改革運動 における学校共同体 の様相‑ベーターゼ ン校長時代 の リヒ トヴァル ク校 を中心 に」 (

2 006 )が これに加 わる。

‑ 1 77‑

(12)

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参照図】

イエナ ・プランによる学校生活および学校作業の一週間のリズム

月 曜 日 火曜 日 水 曜 日 木曜 日 金曜 日 土 曜 日

7:00‑8:00 8:00‑9:40 9:4 0‑1 0:1 5 1 0: 1 5‑1 2:0 0

1 5:0 0‑1 7:0 0

基礎学習 基礎学習 基礎学習 基礎学習 基礎学習

共 同体形 式

グルー プ活動 グループ活動 グルー プ活動 グループ活動 選択 の学習 (文化世界) (文化世界) (文化世界) (自然)

校 内で休憩 校 内で休憩 校 内で休憩 校 内で休憩 校 内で休憩 校 内で休憩 グループ (文化)グループ (文化)グループ (文化)グループ (自然)

造形 共 同体形 式

訓練 .練習 訓練 .練習 訓練 .練習

(

V

g l.pe t e r s e n 2 0 0 7 ,S. 93 )

1 7 9

参照

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