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国家的所有権の誕生 (中村和夫先生・古口章先生退 職記念号)

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(1)

職記念号)

著者 大江 泰一郎

雑誌名 静岡法務雑誌

巻 8

ページ 39‑143

発行年 2016‑04‑28

出版者 静岡大学法科大学院

URL http://doi.org/10.14945/00009720

(2)

■ 論 説 ■

国家的所有権の誕生

大     泰一郎

 

は じめに  39

120世 紀社会主義 と国家的所有権  41

■ 民事法律集 と国家的所有権の誕生

 45

Ⅲ 国家的所有権概念の法的構成

 48 1「

法律」の概念

 48

国制 と「民事法律」 51

3「

所有権」の概念

 54

私的所有権 と「国家的所有権」 57

Ⅳ ロシアにおける「国家」の観念

 64

V土

地王有論の成立

 76

ベルニエ  76

モ ンテスキュー

 81

(1)政 治の概念

 84

(2)政 体論の革新

 86

(3)政 治的所有権概念

 87

Ⅵ 国家的所有権概念の消失 と再生

 9o

むすびに代えて

 101

は じめ に

国家 的 ま た は全 人 民 的所 有 制 と名 づ け られ た所 有 制 度 は、 その祖型 か らす れ ば ア ジ ア的専 制 の 国土 王有 制 の所 有 権制 度 に ほか な らな いが、 これ を政治 経 済 構 造 の基 盤 と

して体 制 の正面 に掲 げ る社 会 はなお存 続 して い る。

私 的土 地 所有 と も、 ヨー ロ ッパ の王 直轄 領 や レガ リア と も原理 的 に異 な る、 王 の全

39

(3)

土所有すなわち土地王有制 は、

17世

紀末にイ ンドのムガル帝国で発見 された。発見者 はフランソフ・ ベルニエである。彼 はこの王有制を当時 はまだオスマ ン帝国、ペル シャ および ヒン ドゥスタンの 3か 国にのみ固有 な制度 とみな していた。

18世

紀 になってモ ンテスキューが これを、モ ンゴル帝国起源で、 ロシアを含むユーラシアの広い地域 に 遍在す る土地所有形態 として再把握 し、それに比較法的な彫琢をほどこす。

その後 ロシア帝国において、 ロシア帝国におけるエカチェ リーナ

2世

以来の立法・

法典編纂事業 のなかで、 ロシアをモ ンテスキューの思想 に即 して改革す るという思考 方法

(1770年

「 訓令」)が定着 し、 この方向で

19世

紀前半、法典編纂者 ミハイル・ スペ ランスキーにより、 モ ンテスキュー法理論の自覚的な包括的受容がなされ、実際にス ペ ランスキーの構想により

1832年

、ロシア帝国民事法律集が成立する。この立法 によっ て、「 タタールの くびき」の過程 を通 してロシアに根を下 ろ したモンゴル型王有制、そ のロシア的変形体が、「国家的所有権

Jと

して、史上初めて実定法上の制度へ と成形 さ れ、 ロシアの専制政体の根幹 にすえ られた。

ベルニエの土地王有制を画期的な発見 として積極的に評価 したひとりにマルクスが いる (「経済学批判序言」、『資本論』第

3部

ほか)。 国家的所有権概念 は、本来、 マル クスの想定す る共産主義社会 とは接点を もたない。 マルクスは生産手段のブル ジョア 的生産関係への「専制的」干渉を企てたが、変革 の綱領なかんず く生産手段の国有化

(「共産党宣言」第

2章

)は、国有企業を生み出すにして も、国家的所有権 という法制 度を生み出す ものではない

(わ

が国の国有財産法 にもむろん国家的所有権の概念 は存 在 しない)。 誤解 を生みがちなプログラムではあ ったが、 これ はア ジア的専制 その も の、すなわちデモクラシーの廃上を目標 にしたわけではなか った。だが、十月革命後 のソビエ ト・ ロシアの政権 は、 ロシア専制 の国家的所有権を土地その他の生産手段所 有の所有制度 として事実上そのまま引き継 ぎ、やがて これを社会主義的変革のための 梃子 として利用す るようになる。「 国家的所有権すなわち全人民所有」は

1936年

スター リン憲法

(第

5,6条)において、初めて「社会主義的所有権」制度 として体制のファ サー ドに掲 げ られた。そ こでは、国家 と人民全体 とが等置 されていた(「人民全体 の財 産」

)が

、2つ の概念を結ぶ政治すなわちデモクラシーが整え られていたわけではなか っ

た。 この社会主義体制 はやがて崩壊 に導かれたが、現代の独裁諸体制 はこのオー トク ラシー型所有権概念の正統的相続人 にはか らない。

国家的所有権 ない し全人民所有権 とは、その標識か らすれば、(1)征 服 または同等 の実力によってその地位 についた支配者かつ全土所有者

(ド

ミニオ ンの獲得者)が 12)土 地を贈与条件

(ア

パナージュ)にもとづいて下位者 に分与 し、(3)下位者が これ を容仮 占有

(プ

レカ リウム)の 資格 において保有する、という構造(dol■

i五

on+apanage

+precan―

mを有す る所有関係 にほかな らない。 モ ンテスキューは「裁判役 は法 のこ

とばを発す る国にす ぎないJとのべたことがあるが、所有権を含め、法 はどこで も、

(4)

人々

(治

者 と被治者)の共通諒解、その意味での不可視的な擬制 に根 ざ してお り、役 所や裁判役 という物理的な存在の向 こう側 にある。所有権 の構造を知 るためには、独

自の政治学的な認識通路を経なければな らない。

以上が本稿で検証を試みようとす る仮説である0)。

本稿では、 この仮説を、主 として歴史を遡行するかたちで、部分的には、歴史のあ と先を行 き来する行論を もいとわずに、検討す る。 まず、国家的所有権が現代 ロシア における特異な所有権概念 として再発見 された事情を見 る。次 いで、国家的所有権制 度が ロシア帝国で実定化 される現場その ものに赴 いて、その構想 と実定的法制度の概 要を確認す る。最後 に、 さらに土地王有制発見の意味を、より広 い法思想史・ 政治思 想史の脈絡のなかで考察 しよう。

1 20世紀社会主義 と国家的所有権

現代社会主義の政治学的 。法学的省察 は、今 日のロシアではまことに多岐にわたる。

ア リス トテ レスの古典的政治学 も、ルネサ ンスのマキ ァヴエ ッリ政治学 も正面か らの 受容す ることがなか ったこの国では、政治学その もの、あるいは政治概念 にもとづ く 法 システムの把握 自体が、新 しい営為 とな っている。 こうした状況のなかで、 ひとき わ注 目され るのは、旧社会主義体制下 には「法

drOit,Rechtは

存在 しなか った」 とす る 認識が登場 していることである。 この認識 は、

18世

紀 におけるロシア専制把握 の範型 をなす、モ ンテスキューの次の構造的諸命題 と通底す る。「専制国家においては法律 は 存在 しない」

63,lVr 1 163)、

そこには「基本法が存在 しない」(め

514M1139)、

「基本法がまった く存在 しない専制的な国々においては、 〔フランスの高等法院のよう な〕法律の保管所 もまた存在 しない」

(Jb 2 4:IVr1 67)、

「土地に関す る市民法 はほとん ど存在 しない」(あ

61:M1159)、

「商業 に関する法律 もそこではほとんど生 まれない。

法律 は単 なる治安 に限 られる」

(jb 5 1■ 7fr 1 144)、

「そこでは国家奴隷制が何 らかの仕 方で市民的 自由を無 に帰せ しめている」(め 155;M160)な ど、 とモ ンテスキュー

0)

は言 うのである。

考察の出発点 にあたって、 モンテスキューの比較法理論が上掲のようないわば欠如 理論的な様相を呈す ることの意味について

2点

、手短かに確認 しておこう。一つは、

モ ンテスキュー自身が「私 は政治法と市民法 とを分離 しなかった。 というのは、法律 ではな くして、法律の精神を私 は扱 うか らである」3,7Vr 1 49)、 あるいは「私 は 政治法

lo破 poliiquesが

市民法

lo破 civilesと

もつ関係を扱 うが,私は私以前にこの関係 を扱 った人物を知 らない

0」

としているように、視野がつねに法 システムの全体 に及ぶ ために、個 々の部分 についての欠落の指摘が必然的に他の部分の不存在認識につなが り、全体 と して欠如命題の連鎖をなす とい う事情がある。 この意味で、たとえば、所

′ 仕

(5)

有権が存在 しなければ、市民的

(政

治的)自由、ひいては主権 (「国家の命令権 あるい は主権emphにほかな らない自由」)は存在 しないというタイプの立言 (cfEw 26 2 M II.105)は 、ここでは立 ち入れないが、入念な吟味に値 しよう

%も

うひとつ は、モ

ンテスキューは、政治概念を前提 とす る法理論の見地か らロシアの秩序を観察す るの であるが、その前提 に、あれ これの文化圏において社会秩序 は必ず しも「法」 をその 秩序の構造 とす るわけではない、 という認識を もっていることである

(し

たが って、

法の欠如 は、それについての彼の「 自由な国家」観か らの価値評価 は別 として、必ず しも当該社会の後進性 あるいは不完全性を意味するものではない)。社会哲学者ルーマ ンがいうように、西欧では法が「社会の構き5)」 をなすようになったと考え られ るが、

モ ンテスキューはこの構造を、人間理性の普遍に由来する自然法論に即 して、他の社 会秩序 にも敷行す る見地には立 っていない。この立場 を集約的に表 しているのは、『法 の精神』中「一般精神 というもの」の章であって、たとえば「統治の格率 と古来の習 俗 と 〔すなわち慣習公法 と市民法、つまり十二表法〕が ローマにおいて範 をな してい る」のに対 して、中国では「生活様式」

(す

なわち礼の原理)、 日本では「法律」 とい われるもの

(じ

つは非法0)が支配す る  194ハ

711,158)、

とされる。秩序の構造

をなす ものが法ではな くて、「政治」としば しば混同されるところの行政、あるいは宗 教、非法的な秩序原理の意味での習俗、生活様式 などであるような社会が存在す る。

西欧型の法社会 はむ しろ例外 とみて もよい。 ロシアについて ここでわれわれが想到す るのは、「 ロシア法律大全」が成立 したち ょうど翌年

(1833年

)、 文部大臣ウヴァーロ フにより、ロシア的秩序の固有性

sο

お姥

̀を

なすべき基本 3原 理 として唱え られ、

のちに大 きな影響力を もつ ことになった、「正教の信仰、専制、共同体的民衆心性

(ナ

ロー ドノスチ

)」

力りぃ物 α″拗に

ο滋″乃

e肋

みの′

̀と

いう格律であろ う。こ の定式 は、 フランス革命の合言葉「 自由、平等、友愛」を意識 し、それに対抗する動 機 にでたものとされるが、

19世

紀 ロシアの社会秩序の構造、その一端を鮮明に表現 し て もいる。

さて、ここで本題 にもどり、「 法 は無か った」という認識を理論的かつ もっとも鮮明 に打ち出 している、 ロシアの法哲学者 ヴラーディク・ ネルセ シャンツのケースを見て みよう。

社会主義法 とは何であったかが、まず問題である。「 社会主義法」の概念 は、革命後 の社会 において も法 は「死滅」するのではな く存続するという認識を前提 とす るが、

むろんマルクスに由来す るものではな く、 ソビエ ト法 によって開かれる新 しい時代を 記念すべ く開かれた第

1回

ソビエ ト国家 。法学会議

(1938年

)で、当時 ソ連検事総長 で もあったヴィシンスキーの報告 とその後の経緯のなかでは じめて定礎 された もので あった。 この会議の成果 として「 ソビエ ト社会主義法Jの定義が、事後的に確定 され る。「 ソビエ ト法 m。熱 ′″″ は、勤労者たち 〔つまり社会主義社会の支配階級〕の

(6)

意思を表現 し彼 らの権力により立法手続 によって制定 され、 その適用が社会主義国家 の全強制力 によって担保 されるところの、行為諸規則の総体である」、という定式がそ れである0)。 その後少な くとも

1950年

代半ばまでは、これが不動の公式 として維持 され て きた。 この規範説的、ある意味で法実証主義的な「 ソビエ ト法」の概念規定につい ては、

1950年

代半ばか ら一部の法学者 たち、すなわちケチェキヤ ン、 ピオ ン トコフス キー、 ミコレンコらによって、規範 に法関係

(権

利義務)や法意識 などの要素を追加 して、 旧来の「狭 い法実証主義的」概念を拡張 しようとす る試み、 いわゆる「広い法 概念」

sヵ

ゎゎιFo"ο″″ j′の提唱が始 まる。ネルセシャンツの見地が明 らかにされ るのは、 この「広 い法概念」論批判の文脈 においてである。 ヴィシンスキー規定 にか かわる理論動向を批判 して、

1995年

に上梓 したネルセ シャンツ編著『政治 。法思想史』

において、彼 はこう書いている。

ヴィシンスキーの方法を実証主義 と呼ぶのは不正確だが、 それはこのアプローチが じつ は法実証主義ではな く、逆 に反法的な実証主義 に過 ぎなか ったか らである。じっ さいここで 〔「 ソビエ ト法」という概念その ものにおいて〕「法」′ "であるかのよ

うな もの として前景 に押 しだされているのは、公式の ものでありなが ら非法的で権 力的命令的な規則

(い

わゆ る「 法規範」 なるもの)″″″ ν′Ⅲ ″ ´″ ツIの

"ο

′″肱η

"′靱 滋 ο″ジ にすぎないか らである。 ここで採用されている法実証主義 的であるかのような理論構成 は、本来の意味での法pい。が存在せず、その法が存 在 しえないところにあたか も法があるかのような見せかけをつ くりだす、 という目 的のために利用されたにす ぎない(D。

ネルセ シャンツによれば、「法」P″″ 概念の必要最小限の質的基準は「形式的平等 と個人の自由C91」 にあるが、この基準 の採用 はロシア法・ ソビエ ト法学の歴史上決定的 な転回点 をなすであろう。 というのも、 これによって法学の基礎 に古典的政治学の意 味での政治すなわちデモクラシーの原理が据え られ、命令の意味での法 と権利義務の 意味での「法」との区別がは じめて可能 になるか らである。「平等 と自由」という基準

を欠 く「非法的なソビエ ト法令

"v● ̀sο

0お

be″わゎあr●″οを この国の法的 思考方法の伝統 にそ くしてアプ リオ リに法的なものとして前提す る思考様式の もとで は、 こうした「広い法観念J提示の試みは事態を根本か ら革新するものではあ りえな か った、 とネルセ シャンツはみるのである。 ネルセ シャンツが この国の法思考に もと もと「法律」″物″

,lexと

「法」′″4jusとの区別が存在 しないこと、この区別の不存 在、 したが ってまた本来の「法」概念の欠如が体制の存立 にとって深刻な意味を もつ ことを、すでにソビエ ト時代 に見抜いていた数少ない法哲学者の一人であ ったことか らして も

00、

こうした指摘が体制転換後の後知恵 として吐露 された ものでないことは

43

(7)

確かである。 また彼が「非法的」な権力的命令的な規則 として念頭 においているもの が何 よりもまず

1936年

ソ連憲法

(ス

ター リン憲法)の諸規定 にほかな らないが、

1950

年代 スター リン批判以後の憲法その他の「 ソビエ ト法令」 も「非法的J性格を根本的 に革新す るものにはなってはいないとい う認識を合意することも明 らかであろう。そ の意味で この指摘 はラデ ィカルな性格を有す ることになる。

「 ソビエ ト法令

Jに

ネルセシャンツが欠 けているとする「 法」の本質的契機すなわち

「形式平等 と個人の自由」 のうち、「個人の自由」が欠 けているとす る含意 は歴史 にお ける表現 の自由の実情を想起すれば明 らかであろうが、「形式的平等」の欠如 について は補足を要 しよう。ネルセ シャンツによれば、過去の ものとなった現実社会主義 とポ ス ト社会主義 ロシナにおいて、「法」そのものの前提をなす形式的「平等J不存在の最 大の原因 は、複数競合的に存在す る所有権諸形態 (「所有権の複数種類」)間の不平等、

とりわけ「 ロシアの国家的所有権制度の特異性 ″″励 の′」、すなわち「権力 と所有権 との、あるいは政治 と経済 との、癒着 ッ励わ」、いいかえれば「権力その ものに して即 万物 の始原 をなすスーパ ー所有者」ν

̀′

,お滋ありおη¨ οお姥 ″″溝としての国家、そ して これに起因す る特権階級

(い

わゆるノメ ンクラ トゥーラ)の形成、 ポス ト社会主 義段階にそ くしていえば国家的所有権の部分的解体 。私有化の結果 としての「少数の 所有者 と大多数の非所有者」への分極化、なのであるllll。 この「スーパー所有者」 と い う表現 は、

19世

紀の法典編纂事業のなかでスペ ランスキーがグロティウスの「 ドミ ニウム・ スーペルエ ミネンス」dOmmiuln supenttnens概念か ら借用 して使用 し、 ロシ ア帝国民法集

(1832年 )393条

の用語 ともなった、「優越的所有権J概

(後

)を 頭 にお くものと考えてよいであろう。 この推測が正 しいとすれば、 ネルセ シャンツは ソビエ ト法の所有権概念 にロシア帝国の遺産を見ていることになる。その「優越的所 有権」が作 りだ してきた国制 こそ、 あの

80年

代の流行符丁、「命令的行政的 システム」

の基盤をな して きた社会構造その もの、あるいはそのポス ト社会主義的変容 にほかな らない。ポス ト社会主義 ロシアにおける秩序の状態をネルセ シャンツは、主権概念(「 内主権

J)の

弛緩

(中

央の、ある意味での脱主権化、と連邦構成諸主体のさかんな主権 主張)、 中世 の領主権

dom五

ШQに 特徴的であった権力 と所有権 との融合 といった現象 にそ くして「 ネオ封建制」 とも呼ぶ。 この現状にたい して彼が示す改革の方向は、国 家的所有権の解体 (「社会化」)、 生産手段に対するすべての国民の不可譲の市民的所有 権 に もとづ く「 シヴィリズム」

rs″

'Iis";cMlismの

体制である(10。 ネルセシャンツのい う「形式的平等」の不存在はこうした文脈に繋が っているのである。

本稿の課題を考えるために、 ネルセ シャンツの議論 の合意をもう少 し解 きほぐして いこう。比較法的考察の前提 として も、 ネルセシャンツが「 ロシアの特異性Jと見 な している国家的所有権制度の概念を、多少な りとも説明 してお く必要がある。説明を 要す るとい うのは、 ネルセシャンツの主張における くロシアー国家的所有権 ―法の不

(8)

存在〉 という図式が、 じつ はモ ンテスキュー比較法学の中心的命題のひとつである、

専制国家 ―全国土王有制 ―法の不存在〉と図式化で きる認識 とほぼ完全 に重 なるか ら である。 ネルセ シャンツはロシアにおける数少 ないモ ンテスキュー研究者のひとり、

モ ンテスキューの最良の理解者の一人であって、

1883年

の著書『法 と法律―法学説史 をみる』か ら先 にわれわれが参照 した『政治 。法思想史』に至 るまで

t『

法の精神』全 編の祖述 にもくりかえ して手を染め、モ ンテスキュー理論 を自家薬籠中の ものとして いたことが ここであ らためて想起 され る。

 

民事法律集 と国家的所有権の誕生

まず国家的所有権 に直接関係す る諸条文を、ロシア帝国法律大全第

lo巻

第 1部

(1832

年初版制定)、 すなわち「 民事法律集」駒″ ″あ″οッ

″闘爾蘭腸

(以

下「 民法集」 と 略称)、 か ら条文備考 および現行法参照条文の記載を含めて掲 げてお こう。つ。各条文が 依拠 している現行法令 (「会議法典」以降の法令)参照条文 は、『 ロシア帝国法律集成』

所載の法令制定年月 日・ 掲載番号・ 条番号

(会

議法典の場合 は章番号 。条番号)を してお り、原文か ら容易に読み取れるので、翻訳せず原文をそのまま

(た

だ し月名を 英語化 して)転記 してお く

(条

文中のカギ括弧内は原文がイタ リックまたはゲ シュペ ル トであることを示す)。 なお、

19世

紀のロシア法学文献 は民法集の

1857年

版の条番号 を使用 している

(1876年

不完全版 は法律大全第

lo巻

を含 まない)か ら、参照の便宜の ため

1857年

版の条番号を「新〜条」 として併記す ることにす る

(本

稿の以下の行論で

1832年

初版の条番号を基準 とし、

19世

紀後半以降の法学書 における条番号 も便宜の ためあえて初版の番号 に読み替えて記す ことにす る)。

第262条

(新

420条

財産 の原始取得者 は、財産 の私 的帰属 につ き適法 な授権

″鰊″勧 たを得、民事法律の定める手続によって、排他的かつ他人か ら独立に、永 代的かつ世襲的に、それを占有=領 有 ッ賤彦

'し

、使用 し、かつ処分す る権力 Йが' を得 る。 ただ し、 この権力を他人 に譲渡 した者 は、 このかぎりではない。 また、

この権力を原始取得者か ら直接 にまたは間接 に適法の譲渡 によって取得 し、 これ について授権をえた者 は、 この財産 に対 して「所有権」

oosοおル′″″の″を有す る。

*参

照条文

1785 Apr 21(16187)s421,(16188)s■ 4 1820 May 31(28296)

同・ 備考

不動産の所有権 は、現行法 においてはしば しば「伝来地領有権」′″″

"滋

加″ὸ、「農奴主の権利」

(農

奴制

)′

″″ ルηω

"ο

′もしくは「永代的世襲的領 有権」ッο訪″ο′

:′

¨ な ん切″

0′

=歳″た と呼んでいる。 この意味においては、所有 権を有す る者 は領有者 滅滋 ″ぉと呼ぶ。「所有物」sοお能 ″″οお′は、現行法 におい

45

(9)

て は、 所 有 権 にお いて何 者 か に帰 属 して い る財 産 加

"滋

あ¨ と も呼 ん で い る。

*備 考参照条文 υ 7%み

Gム XVII,s142,45 1686 0ct 6(1213)1776 Apr ll(1457)

1786 Ap■

21(16187)s122,23,(16188)sム

88 1801 Nov 26 o0060)1802‐ 、 24

(20244)1816 Ma 23(26207)′

 4 1830 Mar 27(3563)

第263条 (M421条 )  私的所有権 は、 これを国家的所有権 と区別す る。国家的所有 権 は、国有財産 の優越的領有 ″′ 伽

"′

οう :繭 た、すなわち優越 的な使用 および 処分、 に存す る。

*参

照条文記載 な し〕

第302条 (新 513条 )領

=占

有 幌山 た は、同一人格 において所有権 と結合 してい るとき、所有権 その ものの本質 的部分 をな し、恵与状

Kalそ

の他 の適法 な授権行 為 oに おいて確定 しているとき、 これを伝来領有権 または伝来永代領有権 と呼

̀ゞ

*参

照 条 文

o1680 Aug 20(832)p41684ら

″ ″ ″ιみ (1074)′ 1,2,6 1766 VIay 25(12659)Gi XII,Sl 19‑23;G7XVIII,s′ 7:G′

XX,s17 1797 Jun S(17989)1798

Aug 14(18625)s413‑15.o)1697 Feb 21(1578)′ 12 1765 Sep 19(12474)′ 10,11

,15 1766 May 25(18659)Gi V 

,st 3:Gl義

s̀3 1767 Jun 13(12938)′ 51781

Jun 25 o5176)§ 164

305条

。つ

 

単 なる占有 ″″ %′ ν″レ″ は、 占有を設定す る行為が適法な方法 に よってなされたとき、これを適法 とす る。民事法律集第

2部

第 3編 〔

293条

以下〕

参照。

393条 (新 696条 )国

有財産の優越的領有権

,赫

の物 ′οらル

″たは、もっぱ ら「皇 帝陛下 の専制権力」

″ο滋″物ν″α′α

 vras′

´ ″わお●´ 降い に属す る。

*参照条文 1799 Aug 19(19090)1801 Ju1 83(19958)1889M征

12(88195)

395条

C

98条

その他の 〔皇帝の優越的領有および

392条

にいう皇室特有財産

″滋ルοι滋術みοみの物 の領有権を除 く〕財産権 は、法律の定める区別 と限度 に即 し て、以下の ものに属する。

(1)「

皇族」働 ルη ″″″加

"r Dο

″α/(2)宮内省庁 詢α

2oν

ッιηゅ 鯰″滋

(御

料地)/(3)国庫 肋″α、/(4)貴

(士

)dvorianskie、

都市および農村 の団体 obshchestva/(5)正 教主教本部、修道院、教会/(6)信用機関/(7)慈善施設

/

(8)研究施設、教育施設/(9)私人 ο姥磁 ″おα/(10)組合、会社、債権者会議等

(10)

の団体sο働 ,た ′lrs

*参照条文

1797 Apr 5(17906)§

§

27,49i51 Sv"0

の の α劾わパ ′

173

563条 (新 934条 ) 

皇帝陛下が勅令 ル の″′陥οttαおみ

jj滅

″ によ り、不動産を完 全 なまたは制限つ き所有権 に移転す るところの贈与 滋ゎ″ た は、何ぴとへの贈与 であれ、恵与 ″激νttι と呼ばれる。

同・備考

 

勅令 による村落の恵与 については、従前か ら、恵与状

z滋

あッ●物り,『α″οツ を交付す るものとし、 この証明書 は統治元老院において作成 し、陛下 に奉呈 して 親裁を仰 ぐものとして きたところである。恵与状 を未だ受領 していない者 は、新 たに申請をなせば、恵与状 は貴族系譜紋章局 において これを作成 し、所定の手続 により司法大臣の署名

(副

)をそえて陛下 に奉呈 し、親裁を仰 ぐものとす る。

*Zヽ

4鷺 ,そ 1763 Ap■ 24(11800) 1816 Ap■ 17(26232) 1818 Dec 31 o7614)

これ らの諸条文 については、 このあと成立事情 を考察す ることにするが、 ここでさ しあた り、 とくに訳語問題。

'を

意識 しなが ら、必要 な説明を加えておこう。

262条

は、

その条文中にある「財産の私的帰属」 という文言か ら、私的所有権 に即 した所有権一 般の概念規定であることが分かる。いずれの条文 にも見える「 ヴラヂェーニエJ系 の語 ν

ttdο

″れ ν巌 ′

iο

:山

た は、 この条文 において権利

(所

有権)と互換的な「権 力」を意味す る ッω′とは語根vlad̲,‐

blad‐

を共有す るが

(、 bの

子音交代がある)、 配の意味での領有 (メαめ″

mCみ

のぉり、ッめ よ勒 ″め のニュアンスを有 し、 ロシ

ア固有法上 の所有権 の権力性が保持 されている。 これはもともと、 ロシア固有法上の

「所有権」にあたる用語。。なのであるが、外来語つまリフランス語

" か ら

18世

に造語 されたロシア語 のソープス トヴェンノスチ

sあ

"吻″ω′

(所

有権)と 区別す るた め、 ここで はあえて「領有」 ない し「領有権」 と訳 してお こう。 この こととも関連す るが、262条 は所有権一般の概念のようにみえて も条文を厳密 に読 めばわかるように、

権利の対象 としては動産それ自体を含 まず

(農

民 とくに農奴が じつ は土地の従物たる 動産であることについては後述す る)、 土地所有権、しか も領主の土地所有 に限定 され た規定にな っていることに留意す る必要がある。条文備考 その ものにもみえているが、

262条

におけるようにこの領有権概念が、プロイセ ンー般 ラン ト法の所有権概念

(占

有・

使用・処分権の

3要

素的構成 ″′″αδα)から摂取 したものであって

0つ

、ローマ法 におけ る占有

possessioの

ニュアンスを混入せ しめられている場合、つまリロシア固有法上の 所有権 (「ヴラヂェーニエ」)の強権色 御 銀の をあたか も薄めるかのようにこれが挿 入 されている場合 は、「 占有‐領有」あるいは「 占有=領 有権」 としてお こう。

262条

「 占有=領有

J+「

使用 十処分」 という構成 は、 ロシア固有法の権力的な「 占有=領有

J

の意味 と、 ローマ法的・ 仏民法典所有権の「使用十処分」の意味 とを、いわば二重的

47

(11)

に担 うもので あるが、 これ もフランス民法典 の表現 を借 りて ロシア固有法 の所有権概 念

(「

占有

=領

有 J)を 維持す る役割 をはた しているとみ ることがで きる (所 有権概念 の 転換で はな く、 旧来 の所有権概念 にローマ法的 占有 とい う新 しい蓋がかぶせ られ、積 み重 ねがなされ る 08)。 民法集全体 は、婚姻家族 ―財産権 (総 則 および各則 )一 契約 一 訴訟 とい うその部別編成 (人 ・ 物 。行為

)か

ら知 られ るよ うに、形式的にはナポ レオ ン法典 に倣 った法学提要

h並 s式

の編成 を もつが、所有権概念 062条 )と 国家的 所有権 の中核 的な規定 (393条 )と は、あえて遠 く (法 律集 2部 と 3部

)]│き

離 されて

いることが注 目され よ う。 その理 由については後述 しよ う。

Ⅲ   国家的所有権概念 の法的構成

「 国家的所有権」概念へ とわれわれの関心 を絞 り込む ことを予 め意図 しつつ、その前 提 と して検討 を要す るい くつかの項 目を立てて、 この概念 の法的構成 とその成立事情 を考察す ることに しよ う。

1「

法律」 の概念

民法集 は国家的所有権 の概念規定 を与 えていないよ うにみえ るが、393条 の「 国有財 産 の優越的領有

Jの

語 を263条 に即 して「 国家的所有権」へ と置 き換 えれば分か るよ う に、393条 は じつ は国家的所有権概念 の核心 をなす ものであ って、直裁 な国土王有論 の 規定 その ものにほかな らない。 この規定 は じつ は、 モ ンテスキュー『法 の精神』 の専 制国家 に関す る基軸的な命題、 「 あ らゆる専制政体 の中で、君公

Jtteが

、自分 がすべ

ての土地 の所有者 であ り、すべての臣民 の相続人であ ると宣言す る政体 ほど、 自分で 自分 を疲弊 させ るものはない J、 あるいは「 〔ここで は〕土地が君公 に属す るとい うこ とか ら、土地所有権 に関す る市民法 lois dvibsは ほとん ど存在 しないとい う結果 にな る Jと い う立言

 51461;M1138,15メ19)を

受 けた ものであ った (な お後述す る

)。

スペ ランスキーは『法 の精神』全編 の細 目にまで精通 してお り、このモ ンテスキ ュー 作 品を一切 の留保 な く包括的に受容 した人物であ った。

検証 しよ う。法典編纂 の前提 とな るスペ ランスキーの構想 については、彼が まだ法 典編纂主幹 になるまえ、 1802‑04年 に、ロシアの国制や法の基本理念 を 自己内対話的 に 論 じるかたちで作成 した私的覚書類が重要である● 0。 た とえば「 国家基本法 につ いて」

「 帝国の国家体制 につ いての省察」 (と もに1802年

)で

彼 は『 法 の精神』を念頭 にお き、

自己の関心か らとくに法律 の概念 と政体 との関係 に関す るモ ンテスキューの議論 をな

ぞ りなが ら考察 して、要点を

7つ

にま とめ、これを次 のオマー ジュで結ぶ。 「 さて以上

について は、偉大 な人物 の偉大 な真理、 『貴族 な くして君主政 InclllarcLleな し OD』 の名

言で締 め くくり、以下、ロシアの全般的考察 に進 もう

Jと

42,cfEψ  2 4M1640。

(12)

次いで このまとめに即応 して ロシアの法 と国制の特質を も

7点

あげ、 自己内対話 のか たちで以下のようにいう

(ヶ

で始 まる文章 はむろん「人 は誰で も ̲」 の不定人称文 であるが、「 スペ ランスキーよ、汝 は …

 

」に読み替えるべ きであろう)。「汝 夕は 〔ロ

シアにおいては〕法律 ″わ〃 が堅固さと恒常性 とを有するという考え方を放棄すべき である。 とい うの もこの政体 〔ロシア〕 には法律 は存在 しないか らであるJ、「汝 は人 民の富が 目に見えて増大す るという見方を捨てるべ きである。 というの も富の一の基 礎 は不可譲 の所有権であるが、〔ロシアのような専制国家においては〕法律 というもの ィあり が無いので所有権 も存在 しないか らである」 0フ

49,63)と

。 これはモ ンテス キューヘのほとんど手放 しの臣従告 白にはかな らない。『法の精神』はエカチェ リーナ

2世

が公布 した「訓令」このかた

(後

)、 ロシア改造のか くれた公式的手引書であり、

それに反抗す ることは許 されないというのが政府高官 の不文律だ ったか らである。

「専制国家 においては、法律 は存在 しない」とい うのはモ ンテスキュー固有の基本命

6■

MA163 C■MA67 147)であるが、 スペ ランスキーはむろん この総括的 命題をそのまま鵜呑みに したわけではなか った。「 ロシアでは人民の権利 はその存在を 推定す る他 はないが、それ というのも、恵与状

g″

α″ο夕や詔勅 ″

/asク

にはさかんに

″″ο″ 記 されているとはいえ、事実 として権利 は現存 してはいないか らである。専制 政体においては民法典 は存在 しえないが、それは権利が存在 しないところでは人民内 部 に恒常的関係が存在 しないか らである。 こうした政体 において法典 とか法律 と称 さ れるものは、それとは異 なった、何か当局の恣意的決定の ごときものであって、専制 的意思が これを別様 に制限す るまで当分のあいだ市民たちの相互的義務を定 めている ものにほかな らない」Gヮ 21),と スペ ランスキーは考える。モ ンテスキューヘの傾倒 は専制認識 の レア リズムに支え られているわけである。 そこか ら、スペ ランスキーは こう自問す る。「すべての国有財産、すべての土地、すべての財産、そ して所有権 は専 制的意思 に帰属 しているのではないか

ここで 〔所有権のよ うな〕権利 とはその 〔 制的意思の〕許容範囲にす ぎず、領有者 力 ″′ιッ とされ るのは借地人あるいは用益権 者 ″α物 ″滋

(us価

ders)に

す ぎないのではないか

?」

と の 43)。 この疑間は、専制 国家における臣下の土地保有が土地「所有」ではな く、君主によって随時回収

(法

に拘束 されない領地没収)が可能 な、その意味で不安定 な、容仮 占有=プ レカ リウ (22)p

calre,precarlumに

ほかな らない

(Eッ 514ノ

1139)、

というモ ンテスキュー所 有権論のデ ィテールに、 スペ ランスキーが ロシアの現実をみる見地か らきわめて忠実 かつ敏感 に反応 している証拠で もあろう。

「 恵与状や詔勅 にはさかんに記 されている」 というスペ ランスキーの記述 には、断 片的な規定 は多数あるが法律 の体をな していないとい う、 ロシアにおける所有権の実 態 と堆積す る法令 との距離感が端的に表明されている。「 恵与状や詔勅」か ら想起 され るべ きは、むろん、何 よりもまずエカチェ リーナ

2世

の発 した「新法典案起草委員会

(13)

への訓令 痰歳 ■

(1770年

)と「貴族への恵与状」多励 ″α力♂物ο″ルο″

̀膠

"(1785

)である。 スペ ランスキーにとって自分が これか らの法律編纂作業 において直面 し ている具体的な課題が、そこに呈示 されている。というの も、「訓令Jには、その本文

526カ

条が完結 したあと、エカチェ リーナ自身

11よ

り福祉行政″ ″ぉ滋cOL→ 等に

関す る多数の項 目が本編か らの通番で追加 され、就中「 補則」第

22章

626項

では、文 脈上やや唐突なが ら立法構想の内容 に立 ち入 ったかたちで、「国家収入」につ き次の条 文が追加 されていた。「 皇帝の財産

bagars̀″ Gas″

″切 には

2種

あり、一方 は単なる

いわば私法上の〕領有物 ッ滋〃勧 賤 であつて、あれ これ周知の土地や物 は私人たる 領主″ み湯諸ない し農奴主 ″″ο滋″としての皇帝に帰属するが、他は 〔国家権力主 体 としての〕専制君主 の財産であって、君主 は人民全体の金庫 ο聴鳳 認物滋滋

を構成するすべてのものを、神授の称号 によって支配 ″場

dttrl・

7ar7す

るものである」、

(滋

″α

, sorは

ふつ う国庫 と邦訳す るが、 ここでは「国家」概念そのものが問題だ か ら、その語 はまだ避 けてお こう)。

「 人民全体の金庫」に注 目しよう。この語 は、のちのスター リン憲法 6条 の用語法 を彿彿 させ るところがあるが、

18世

紀後半のロシア語彙 としてはまった く異質である

(金

庫 物%ら 励

jの

語 は単なる「金庫」「金庫の」の形でな ら頻出 し、君主の財産 を含意 していた)。 この語 は当時の露語翻訳書などでは、

aeranm populi Romaru(ロ

マ国民の金庫

124)の

訳語 として使用 されることもあったが、異質性を説明す るにはそ の細 い線をたどるだけでは不十分であろう。上記項文 に後続す る「訓令」補遺第

628項

は、「 君主 に帰属す る収入 も

2種

あって、一つはいわば私的領有者 として 滋力c・滋働ヴ

attjッ:滋ルおの君主の収入、他 は国の統治者 として 腸λ″ ″η

j′

″ν

7rerの

君主の収

入である」としているか らである。そ こでは、「人民全体の金庫」は、ふたたび「統治 者の財産」と等置されことになる。 ここでわれわれはあえて踏み込んで、「訓令」の 5年 後 に出る「貴族への恵与状」の用語法を含めて、「 人民全体の金庫Jの意味を考えてみ よう。恵与状では、皇帝か ら領地を恵与 された貴族を「原始取得者

J″

oら

″″た′

(22項

)と呼び、売却 。遺贈などの権利を「 原始取得者の権利」

(同

・ 項文見出 し)と

命名 している。 ちなみに、貴族の領有権を「 原始」取得権 とするのは、むろん、今 日 の法学がふつ うこの用語で念頭 にお く無主物先 占

occupatloの

含意か らではない。民法 集では、たとえば、原始取得権クの り″

cみ ar%′

′″″ οぅ動 滋 によつて獲得 された無 主物

(例

として征服 によって獲得 される無主の シベ リア地など)は 、「国有財産」であっ

(248,251条

)、 それに対する優越的領有権 は皇帝権力 に属するとされる

(393条

)か

ら、 ここか ら論理的に推論す るかぎり、 まず皇帝が無主物先 占の主体の意味での原始 取得者=所有者 とな り、次 いで皇帝か らの恵与=授権 ¨ れ たによって、ここでいう 意味での貴族の「原始取得」が生ずる、 という複線的あるいは複層的な構成になるは ずである。

(14)

もう少 し視野を広 げ、「君主の

(私

)領有権J、「人民全体の金庫」、貴族の「

(私

)

所有権」、恵与か ら生ず る貴族の「 原始取得」の 4つ をまとまった一組の概念装置 とし て捉えなければな らない

(こ

の うち「金庫」 は、その語源問題を別 とすれば、 ローマ 法の概念 iscを ロシア語 kaznaで 表 した ものと考え られる)。 この概念装置 とそこにお ける「君主の領有権Jと「人民全体の金庫」 とをひとつに統合す る視点 は、のちにス ペ ランスキーが採用 した解法

(彼

が作成 した「説明書Jに示 される典拠)からも示唆 されるよ うに、 グロティウス『戦争 と平和の法の』中の、戦争による領土取得

(無

物先 占)の法的構成を参照す ることにより、初めて理解可能 になる。 グロティウスは そこで、次のようにいう。「人民 またはその首長による原始取得 primaacquisHoは 、次 のようになされる。すなわち、物 に対す る優越的権利

jus emlnensを

含むところの命令

(な

い し主権)impejumだけでな く、完全な私的所有権 p歯amm plenumque donlmin が、

=、つ う初めは人民またはその首長によって獲得 され、そのあとそれが部分 ごとに 私人 たちの間に分配 される、というように」ω

̀ル

23192p217)。

原始取得 におけ るこの「人民の私的所有権」だけを取 り出 してみれば、それが グロティウスのいう「人

(全

体)の 所有権」

prOp‖ uln pOpl1li,prop五 etas populiに

ほかな らない (ctDり″″ 2212, 13p■95)。

エカチェ リーナ訓令の基調は、広 く知 られているように、モンテスキューとベ ッカ リーアか らのかな り自由な借用、 もっとはっきりいえば瓢窃か らなるとされる。 エカ チェ リーナは、ロシアを トルコやモ ンゴルと同一視す るモ ンテスキューの、「君公がす べての土地の所有者である」 という命題を強 く意識 しなが ら、それを否定はできず、

かといって この王有制を解体す ることはもとよりで きない。 そこに何 らかの折 り合 い をつけて窮地か ら脱 しなければな らない。 そこか らの出路を暗示 しているかに見える のが、グロテ ィウスである。尋‖令 には、よ く知 られているモ ンテスキューとベ ッカ リー アに加えて、第 3の 、 グロティウスという源泉があることになる。 これがスペ ランス キーによって引 き継がれるのである。

国制 と「 民事法律」

「事実 としての権利」の確定、法律編纂、 とくに「民法集Jの制定 とい う事業 は、

ピョー トル以来の欧化政策、エカチェリーナ

2世

による上か らの啓蒙 という歴史過程 においては、その実際の内容や制定の条件 とは直接 には関係な く、初めか ら既定の先 行与件であ った。エカチェ リーナ訓令 によれば、「 市民社会 ″ あぉあιοお″磁ω

"は

すべての事物がそ うであるように、一定の秩序を必要 とす る。 ここでは統治 し命令す るのは一方 の者たちであり、他の者たちはこれに従 う

J(250項

)のであって、「すべて の市民の平等 とは、同一の法律に従 うという点 に存す るJ(34項)。「 善 き秩序や福利」

は皇帝権力が展開するポ リツァイ ′οJrrs滋 すなわち行政の目標 にほか らなない

(527,

員 υ

(15)

528,561項

)。そこに民法を構想すべ き空間がある。「 いかなる国家 も国家の制定 になる、

領地の領有 に関す る法律 ″わ〃 ο桃畿 ″″″ ′ね″

Jが

ある。 したが って領有 は、父祖 の名 において、また法律の定めに従 ってなされなければな らない」01令

18章

「 相続 について」第

411項

)というのである。

平等なき社会、市民なき社会における市民法 。「民事法律」の創出という課題 に、ス ペ ランスキーもふたたび直面する。 ロシア社会に対する省察において彼が指針 とせざ るをえなか ったのは、 ここで もやはリモ ンテスキューの奴隷制論であった。 スペ ラン スキーは

1802年

の覚書のひとつに、

F法

の精神』か ら原文のまま要点のパ ッセージを書 きとめ、 そこか ら苦渋 にみちた省察を開始す る。彼がモ ンテスキューか ら引用す るの は次の箇所である

(原

文 とは異同があるが、む しろスペ ランスキー自身の文章のニュ ア ンスを ここでは生かす ことに しよう)。「国家の うちに国家奴隷制

esclavage poLtlque

が確立 されると、民間奴隷制

esclavage c市

■はほとんど感 じな くなる。自由人 と呼ばれ る人 々 も、実際にはこの名を もたない人々以上 に自由だ というのではない。 自由人の 地位 と奴隷の地位 は、 ここでは非常 に同一化 しているの 」 の

84C■

Eッ1513;M

1671)。

スペ ランスキーはモ ンテスキューの国家奴隷制をロシアの貴族、皇帝 とのそ の関係 に、そ してまた民間奴隷制を農奴制 に重ね合わせ、モ ンテスキューの命題 をそ のまま受容す る0つ。だが、 ここか ら民法 (「民事法律」)を構想することはほとんど不 可能 に見え ることになる。そこには「市民」ない し民事法関係を担 う主体 としての「人」

ersona,personlle)と

いう範疇が存在 しないか らである。

この点 について、スペ ランスキーは上掲

1802年

の覚書で次のように書 く。「誰か、農 民の地主への従属 と領主の陛下への従属 との違 いを、解明 して くれないものだろうか。

貴族 に対 して君主が有するすべての権利が、農民 に対 して貴族が有す る権利 と同 じだ ということを明 らかに して くれないものだろうか。 いずれに して も、 自由なロシア人 民が貴族、商人その他の自由な諸階級に区分 されているとい う美 しい光景の代わ りに、

私が 日に しているのは、 ロシアには君主の奴隷 と領主の奴隷 という2つ の身分がある という図である。君主の奴隷すなわち貴族が自由であるのは貴族の奴隷すなわち農奴 との関係 においてだけであり、 ロシアで実際に自由なのは乞食 と哲学者だけだか らで ある。」

CPr 43)

だが、それにもかかわ らず「民事法律」は必要である。どうす るのか。「 民間奴隷制」

すなわち農奴を丸 ごと民法世界か ら放逐す るほかはない。前掲、

395条

条文の財産権の 主体一覧表を想起すればよい。「貴族や商人その他」さえ、そ こでは単なる「人

Jpersollne

ではな く慎 ま しやかに「私人」

の妙 θ胎 ´ 〈「私的」 とあえて形容詞を付 した うえで の人)と して登場す るにす ぎない。 この私人がのちに見 る「私的所有権」の担 い手 な のであ って、「私的な もの」はここでは公的

(公

共的)なものの対語ではな く、圧倒的 な権力で屹立す る君主の「官」 に従属する限 りでの「私」 にほかな らないであろ う。

(16)

農民 はどこに行 ったのか

民法集 は結論 として、農民を土地のいわば従物、その意 味での動産 として位置づ ける。

246条

は「農奴 ル″ 妙 ο′

'″

沈 は、土地 と別 して、動産 に属す る」 と規定することになったのである。 この条文 に付 された

3件

の参照法令、

1814 Jan 14(25516)1815 Jan 30(25775)1816Mェ 20(26202)は 、 いずれ もピョー トル 改革期の元老院控訴審判決で、土地な し農民や家内農奴を、領主の所有 に属す る「動 産」ル物 ο

 ttο

″滋 とみなす ものである。

スペ ランスキーが指針 として従 っているのは、ここで も、専制ではな く、「貴族なけ れば君主政な し」 というモ ンテスキューの君主政 の精神のほうなのであるが、 このた てまえはロシアにおいては、西欧の制限君主政への接近の道を示す ものではない。 ス ペ ランスキーはそれをはっきりと認識 している。承知のうえで決断するのである。同 じ覚書 に彼 は次 のように記す。「 このように して構成 された国家 は、どのような外見的 憲法を もとうが、貴族への自由恵与状や都市への自由恵与状を発 しようが、元老院や 議会 といったその内部諸要素 をどう相互 に配置 しようが、〔モ ンテスキューのいう〕君 主政国家

gas″ rs物

0′

″腸たな あιにはな らず、 あ くまで も専制国家 花Ψο″οみoわ

̀

にとどまる」 αレ

45)、

と。スペ ランスキーはみずか らの改革の限界を認識 しつつ、

決断す るのである。

「人」概念の不存在 について、もうひとつ付言 してお こう。民法集 には「人」を表題 とす る編 はない。物 の法に先立 ってロシア帝国法律大全第

10巻

第 1部 の冒頭におかれ ているのは、婚姻家族法の諸規定である。「 人の法」に該当す るはずの諸規定 は先行す る大全第

9巻

に配置 されて もよいはずであった。だが、実際にはその第 9巻 「国家 に おける身分制度の法律集」

Sッ

リグ″わ″οッοЮ蒟 力″′

j″

gい

s″夕は、第 1部「諸 身分および身分が取得する権利」 と第 2部 「身分行為」 とに分かれるが、諸身分を貫 通す る「人」概念 は設定 されず、貴族、聖職者、都市住民、農村住民の

4身

分 ごと

(さ

らに農村住民 も、国有農民

gas″

s″ο″形 ″

j屁

´ο″″′ 力♂″

̀、 皇室農民 ″″′り´ 地主領有農民 〈農奴)vi議J7●力ぃわο、郷士 ο″

"物

rrsyな

どの区分 ごと)の規定が置か れることになる。人 口構成上圧倒的な比重を占める農奴が領主のいわば「物」

(土

地の 従物 と しての「動産」)と して位置づけられることとも関連 して、それ らすべてを貫通 する「人」概念が成立 しえない事情があるわけである。また、「人」概念が成立 しない

ことのいわば平行現象 として、「物」νωλあ午

res,ChOSeの

概念 も成立 しえない

0り

。 ロシ アにおいてほぼ今 日に至 るまで、それに代位 しているのは「財産」″ぉ力ο乃のんり,「商品」

o″

,「

対象

J畔

魏 α などの用語である。法学提要式構成、 とい うより「民事法律」

の基盤全般 の、破綻がそこにみえていよう。のちのソビエ ト時代、

1922年

のロシア共 和国民法典 の編名 にはとん ど偶然 というべ き事情 によ り現れた「物権法」ッのみ湯″οθ

′″″οの用語がやがて消滅 した事情。

9は

、私的所有権 の実質的廃止や国家的所有権制 度その ものの変質 とも絡むが、 ロシアにおけるローマ法受容の深度に関わる伝統 とし

53

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