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第一章 生活を構成する一要素としての美

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Academic year: 2021

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第 一 章 現 代 社 会 と日 常 的 な美 の経 験 ... 2 Ⅰ−1 日 常 生 活 において経 験 される美 ... 2 ∼ファッションにおける美 の経 験 ∼ ... 3 ∼町 並 みにおける美 の経 験 ∼ ... 6 Ⅰ−2 「至 高 の美 」の経 験 ... 10 ∼ファッションにおける問 題 点 ∼ ... 11 ∼町 並 みにおける問 題 点 ∼ ... 15 ※補 足 ・・・メディア化 された風 景 ... 19 第 二 章 美 の本 質 について ... 22 2−1 美 の概 念 ... 23 2−2 美 と視 覚 ... 27 2−3 自 然 の美 ... 29 それぞれの庭 園 における特 徴 ... 35 2−4 芸 術 ... 37 第 三 章 美 の実 践 としての生 活 文 化 ... 45 3−1 複 製 (大 量 生 産 )と芸 術 (固 有 性 ) ... 45 固 有 性 について ... 48 3−2 生 活 と芸 術 :魯 山 人 とモリス ... 49 北 大 路 魯 山 人 ... 50 ウィリアム・モリス ... 52 終 わりに ∼美 しい生 活 のために∼ ... 56 感 謝 の言 葉 ... 56

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第一章 現代社会と日常的な美の経験

Ⅰ−1 日 常 生 活 において経 験 される美

ファッション・メイク・インテリア・都 市 の景 観 ・建 造 物 ・工 業 製 品 ・メディアなど、今 の私 たちの日 常 生 活 を取 り巻 くものの多 くは、機 能 性 のみならず、同 時 に美 しさをも併 せ持 っ ていなくては人 々の意 識 や記 憶 に残 るものとして成 り立 たない状 況 にある。 それらの中 で最 も分 かりやすい事 例 として、広 告 があげられる。 今 、町 の至 る所 に広 告 は溢 れ返 っており、それを自 らが意 識 して見 た広 告 であっても、 無 意 識 のうちに目 にしていた広 告 だったとしても、広 告 を一 度 たりとも目 にしないという日 は無 いと言 える。広 告 代 理 店 などでは、人 々の注 意 をひきつける、より効 果 的 な広 告 を 打 ち出 すための斬 新 なデザイン・媒 体 ・技 法 などのアイデアを次 々に考 案 し続 けている。 そんな中 、永 遠 に変 わる事 のない定 義 は、美 しいものは人 を惹 きつけると力 を持 つ、 と言 う事 である。 テレビコマーシャルにおいては美 しい映 像 といったものよりは、ユーモラスなものが話 題 に なり、好 まれる傾 向 が見 られるが、紙 媒 体 の広 告 においては、一 番 宣 伝 したい事 柄 につ いて、より効 果 的 に消 費 者 に伝 わっているかということだけでなく、誰 が見 ても美 しいと思 う写 真 やイラストを駆 使 して作 られたもの、つまり機 能 面 と美 しさの二 つが備 わっている ものに人 々の関 心 は集 まるのである。 この事 は読 売 広 告 大 賞 で賞 を受 賞 した作 品 を見 ていただければ一 目 瞭 然 であろう。 読 売 広 告 大 賞 第 2 0 回 受 賞 作 品 金 賞 テ ィ フ ァ ニ ー ・ア ン ド ・カ ン パ ニ ー ・ ジ ャ パ ン ・イ ン ク

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また、美 しさを求 めるのは、ものだけに留 まらず、自 らの身 体 においても美 しさを追 い 求 め続 けている人 は少 なくない。今 アメリカや韓 国 では、美 容 整 形 手 術 を受 けるという事 がかなり日 常 的 なものになっていて、それはまるでご飯 を食 べるのと同 じような感 覚 であ るという。 日 本 でも従 来 のメスのいる手 術 や、化 学 薬 品 を使 ったピーリングなどをせずに安 価 で 短 時 間 でできるプチ整 形 が今 、大 変 な人 気 を博 している。 これらの美 容 整 形 手 術 を受 ける理 由 として、異 性 から良 く見 られたい・テレビに出 ている タレントに憧 れて、といった理 由 の他 に、就 職 活 動 において有 利 になるからという理 由 で 手 術 を受 ける人 も少 なくないという。この事 から、特 に近 年 において美 しいという事 が社 会 的 にも利 得 であるという風 潮 が蔓 延 しているという事 実 が露 呈 されている。 人 々は美 しさに対 して非 常 に敏 感 になり、美 に関 する事 に対 しては高 いコストも厭 わない。 そして今 後 も、人 々の美 に対 する意 識 はさらに貪 欲 になっていく事 であろう。 今 の私 たちの生 活 において、美 しいという事 は、決 してかけ離 す事 のできないものなの である。 私 たちは、生 活 を取 り巻 く様 々な場 面 において美 と触 れ合 う機 会 がある。美 と触 れ合 う事 によって心 が豊 かになり、より生 活 を豊 かに感 じるができる。美 とは、私 たちにとって かけ離 す事 の出 来 ない非 常 に重 要 な生 活 の要 素 となっているのである。 では普 通 の生 活 の中 で出 会 う美 とは、一 体 どういったものがあるのだろうか。 その中 の一 つとしてファッションが挙 げられる。

∼ファッションにおける美 の経 験 ∼

渋 谷 や新 宿 などの繁 華 街 を歩 いていると、実 に様 々なファッションに身 を包 んだ人 が いることに気 づかされる。特 に昨 今 では、一 口 にファッションといっても、モードファッション (上 質 な素 材 によるデザイン性 が強 いファッション)、カジュアルファッション(普 段 着 、着 ていて楽 であるファッション。モードファッションの対 儀 語 )、ロリータファッション(フリルや レースをふんだんに使 用 した、やや過 剰 な装 飾 を特 徴 とする少 女 趣 味 なファッション)等

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その他 にも非 常 に様 々なジャンルのファッションが存 在 する。 特 に日 本 においては個 性 が叫 ばれ始 めてきた80年 代 以 降 から、今 までにない、新 た なファッションがたくさん生 まれてきた。 数 あるファッションの中 から各 人 は、自 分 の個 性 や美 意 識 にあったファッションを選 び出 し、それぞれが思 い思 いのファッションを楽 しんでいる。 この様 に「ファッションにおける美 」に対 する価 値 観 は人 によって異 なるものではあるが、 「ファッションにおける美 の経 験 」はほとんどの人 が持 っている事 であろう。 例 えば、私 にはこの様 な経 験 がある。ショッピングをしに町 へ出 て、何 か洋 服 を買 おう と思 い、初 めて入 るお店 に入 ってみる事 にした。すると淡 いブルーのカーディガンを羽 織 った一 人 の女 性 店 員 がすぐさま私 の視 界 に入 ってきた。彼 女 にはそれがとても良 く似 合 っていて、全 体 的 なコーディネートも彼 女 の雰 囲 気 にとてもよく合 っていた。私 は何 度 も 目 で追 ってしまうほどそのファッションが気 に入 ってしまった。 そして、迷 うことなく彼 女 が着 ていたものと同 じカーディガンを購 入 してしまったのだ。 もともと、青 いカーディガンが欲 しくて探 していたというわけではなく、むしろ普 段 白 や黒 などのベーシックな色 を好 んで着 る私 とっては、お店 で見 かけても目 を見 向 けもしないよ うな服 であるはずなのに、この時 の店 員 があまりにも私 の目 に素 敵 に写 り、どうしても彼 女 のように着 こなしてみたいと思 ったのである。 そしてこの服 を着 ている時 は、自 分 があの店 員 を見 た時 に感 じたように、周 囲 の人 も 私 を見 た時 に素 敵 だと感 じてくれている様 な気 分 になれて、しばらくの間 このカーディガ ンは私 のお気 に入 りの一 枚 となった。 この様 な経 験 はそう頻 繁 にあるものではないが、誰 かのファッションにおいて美 しさを 感 じ、それを模 倣 したという経 験 をした事 があるという人 は少 なくないはずである。 分 かりやすいところで言 うと、テレビに出 ている有 名 人 等 のファッションを美 しいと感 じ、 その人 がしていたファッションを真 似 るという行 為 だ。 この様 な行 為 が社 会 現 象 までになるものもある。記 憶 に新 しいものに、1996 年 に歌 手 の安 室 奈 美 恵 のロングヘアーの茶 髪 に 超 ミニスカートに厚 底 ブーツ(靴 の底 部 分 が 10cm以 上 あるブーツ)というファッションを真 似 する女 性 が女 子 高 生 を中 心 に激 増 し

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た。 そして誰 が言 い始 めたかは定 かではないが、このような女 性 たちは「アムラー」と呼 ばれ た。「アムラー」は、同 年 の流 行 語 大 賞 のトップ 10 に入るほど社 会 をにぎわせる、一つの 突 発 的 な社 会 現 象 となった。 安 室 奈 美 恵 http://www.avexnet.or.jp 厚 底 ブ ー ツ また、ファッション雑 誌 などに載 っているファッションを模 倣 するという事 も、これと同 様 である。ファッション雑 誌 は、例 えば 8 月 に刊 行 されるものでも、すでに 9 月 号 であり、実 際 の季 節 は夏 であるのにも関 わらず、すでに秋 号 が刊 行 されているのである。 つまり、実 際 の季 節 よりもワンシーズン程 度 先 に進 んだファッションが掲 載 されている。 そういったメディアから次 の流 行 を先 取 りするという行 為 は、私 たちにとっては、すでに当 たり前 の行 為 となっているのである。 人 のファッションを模 倣 するという行 為 は、特 に日 本 人 によく見 られる傾 向 であり、私 たち の間 では日 常 的 に行 われている。そのため、企 業 などによる作 られた流 行 に踊 らされて しまうという問 題 点 もしばしば見 られる。 また、今 一 番 人 気 のある有 名 人 のファッションを追 っていたら、結 局 みんなと同 じファッシ ョンになってしまっていたという事 も多 く見 られる現 象 であり、模 倣 という行 為 はあまり良 い傾 向 とは言 えないかもしれない。 しかし、自 分 が美 しいと感 じたお気 に入 りのファッションに身 を包 むというという事 によ り、そのファッションのお手 本 にした人 の様 に、素 敵 な自 分 になれるような錯 覚 を起 こし、 心 が躍 動 し、自 然 と自 分 自 身 に対 して自 信 が沸 いてくるという効 能 も見 られるのだ。

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私 たちにとってファッションとは、自 分 の内 面 を表 現 する一 つの手 段 として捉 える事 もで きるのであり、ファッションを通 じて自 己 表 現 や、自 己 像 をメッセージとして発 信 している のである。 この場 合 、誰 かにとってそのファッションを褒 められるということは、その人 のアイデンテ ィティーが認 められたという事 と同 じ意 味 合 いを持 つくらいに重 要 な事 なのであり、例 え ばそれが模 倣 したファッションだとしても、それがその人 をより魅 力 的 に見 せる事 ができ、 アイデンティティーを失 わせる事 がなければ、それは美 しいファッションであると私 は考 え る。

∼町 並 みにおける美 の経 験 ∼

この論 文 を書 くに際 して、美 しい町 並 みにおける美 の経 験 について考 えている時 に、 実 はなかなか思 い浮 かんで来 なかった。そこで私 は今 まで町 並 みに関 して何 と無 関 心 で あったのかという事 を思 い知 らされた。確 かに、今 まで私 はどこかへ出 かけるとしても、美 しい町 並 みを見 るという事 を目 的 にしてどこかへ出 掛 けるという事 がなかったし、世 間 で 美 しいと言 われている町 並 みを見 ても、そこまで感 動 した事 もなかったのである。 しかし、そのような経 験 の中 からも、美 しいと感 じた町 並 みをあげるならば、岡 山 県 の 倉 敷 市 である。 ここは、中 学 1年 生 の時 に家 族 旅 行 で訪 れて以 来 、もう一 度 訪 れたいとずっと思 いなが らも、なかなかその機 会 に恵 まれずにいる場 所 である。 倉 敷 の町 並 みのどの様 な点 に美 を感 じたのかと言 えば、白 壁 の蔵 屋 敷 に川 辺 の柳 並 木 が映 える風 景 が、まるで時 代 劇 の中 に入 ってしまった様 な気 分 にさせられ、幼 心 なり に心 を揺 さぶられたものであった。 倉 敷 市 内 でも特 に、倉 敷 の歴 史 の原 点 であり、町 並 みはほぼ江 戸 時 代 と変 わらない 遺 構 を今 日 に伝 える風 情 のある地 域 、倉 敷 川 畔 特 別 美 観 地 区 の周 辺 は、文 化 庁 から 伝 統 的 建 造 物 群 保 存 地 区 の選 定 を受 けているほど美 しいエリアである。 この美 観 地 区 は、川 面 に柳 の枝 を映 す倉 敷 川 のほとりに白 壁 の蔵 屋 敷 が続 く、古 い町 並 みであり、美 しい町 並 みを象 徴 する倉 敷 のメインストリートである。この美 しい町 並 みを

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見 ようと、年 間 350万 人 以 上 の観 光 客 が訪 れるほど、倉 敷 の町 並 みの美 しさは有 名 な ものである。 そもそも倉 敷 は、江 戸 時 代 に幕 府 の直 轄 地 であり、年 貢 米 を収 める米 蔵 や商 屋 が立 ち並 んでいた。また、物 資 を運 ぶ多 くの船 が往 来 し、備 中 地 方 の物 資 が集 荷 ・搬 出 され る商 業 の中 心 地 として栄 えた町 である。しかし、慶 応 4年 に代 官 所 が廃 止 され、明 治 24 年 以 降 は鉄 道 が開 通 したため、商 業 の中 心 地 が駅 前 へと移 り、一 時 ほどのにぎわいは なくなった。 そのような状 況 の中 で、倉 敷 はもとより、関 西 の経 済 界 に大 きな足 跡 を残 した実 力 者 が 登 場 し、商 人 の町 で知 られた倉 敷 は新 たな経 済 の時 代 を迎 えた。その一 族 は、経 済 活 動 と共 に社 会 事 業 にも尽 力 し、倉 敷 の文 化 の発 展 に大 いに貢 献 した。彼 らの発 案 で倉 敷 川 畔 にも洋 風 建 築 のモダンな美 術 館 や建 物 が建 てられたが、それがまた周 辺 の江 戸 期 以 来 の建 物 や自 然 環 境 などと溶 け合 って、独 特 なムードを作 りだした。 そして彼 ら一 族 の中 に、町 並 み保 存 の重 要 性 に着 目 した人 物 がおり、「倉 敷 をドイツの 歴 史 的 都 市 ローテンブルクのようにしたい」との考 えを抱 いたが、戦 争 を目 前 にして実 行 に移 すことはできなかった。しかし、この思 想 は後 の文 化 人 に多 大 な影 響 を与 え、建 築 や民 芸 といった立 場 での戦 後 の保 存 活 動 へとつながっていった。昭 和 30年 代 後 半 、こ れら有 志 による先 覚 者 主 導 型 の活 動 は、行 政 ・住 民 主 体 の取 り組 みへと移 行 していっ た。昭 和 44年 には保 存 計 画 が告 示 され、先 に述 べた、「倉 敷 川 畔 特 別 美 観 地 区 」が指 定 された。さらに昭 和 54年 に「重 要 伝 統 的 建 造 物 群 保 存 地 区 」(13.5ha その後 平 成 10年 に15ha に拡 大 )として国 の選 定 を受 けるまでになった。 又 、平 成 2年 には全 国 にさきがけ背 景 保 全 条 例 を制 定 するなど、積 極 的 な対 策 が講 じ られている。400年 近 くの歴 史 をもつ町 並 み。天 災 に見 舞 われることも少 なく、戦 災 にも 遭 うことなく今 日 を迎 えた。しかし、それだけではよりよい保 存 は望 めなかったにちがいな い。 今 日 に至 るまでには、町 並 みの文 化 的 な価 値 に目 を向 けた先 覚 者 たちの多 大 な尽 力 と、 地 域 住 民 の町 を愛 する気 持 があったからであろう。

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www.netnice.jp/ newpage6.htm この倉 敷 のように、日 本 独 自 の古 き美 しき伝 統 文 化 を大 切 に守 り続 ける町 並 みがあ る一 方 で、 従 来 の 日 本 の 伝 統 などは まっ たく 取 り入 れずに、 手 塚 治 虫 が描 いた漫 画 、 「鉄 腕 アトム」の舞 台 となっている様 な、未 来 の社 会 をイメージして作 られた、まったく新 し い美 しさを持 つ町 並 みもある。 その様 な町 並 みの代 表 的 なものとして、臨 海 副 都 心 や幕 張 などといった湾 岸 都 市 が挙 げられる。特 に臨 海 副 都 心 の港 区 お台 場 は、90年 代 に入 り新 交 通 網 の整 備 が進 み、9 3年 にはレインボーブリッジが開 通 、95年 には新 交 通 システム「ゆりかもめ」が開 業 し、 お台 場 公 園 一 帯 はホテルや住 宅 地 や商 店 舗 が軒 を連 ねている。また、大 手 放 送 局 のフ ジテレビが移 入 してきたという事 や、人 気 ドラマシリーズの『踊 る大 走 査 線 』の舞 台 になっ たという事 もあり、知 名 度 ・人 気 度 から見 ても他 の湾 岸 都 市 から一 歩 抜 きん出 た存 在 で ある。 そもそもお台 場 とは、臨 海 副 都 心 計 画 に基 づき形 成 された海 上 都 市 である。1980年 代 から東 京 の第 7の副 都 心 として、職 ・住 ・遊 の均 衡 のとれた都 市 を目 指 すし計 画 されてき た。敷 地 面 積 は448haで、その敷 地 内 には国 際 展 示 場 や最 新 通 信 機 能 を備 えるテレ コムセンター、商 業 ビル、マンションなどが複 数 立 ち並 んでいる。 その景 観 は、東 京 都 港 湾 局 による「臨 海 副 都 心 まちづくり推 進 計 画 」で示 す計 画 内 容 に 適 合 した優 良 な開 発 を誘 導 し、良 好 な都 市 景 観 、都 市 環 境 の形 成 とその永 続 的 な担 保 を図 ることを目 的 としたまちづくりガイドラインに沿 って形 成 されている。

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私 が初 めてお台 場 に訪 れた時 、まるで子 供 の頃 に思 い描 いた未 来 都 市 のイメージが、 実 際 にひとつの都 市 として目 の前 に広 がっている様 に感 じた。観 覧 車 やフジテレビの社 屋 やテレコムセンターを始 めとする先 駆 的 なランドマークが非 常 に上 手 く生 かされた都 市 景 観 になっており、ひとつひとつの建 造 物 が近 未 来 的 デザインになっているので全 体 的 にも調 和 が取 れている。それでいて公 園 や緑 地 もしっかりと設 けてあるので、近 未 来 的 でありながら自 然 との共 生 を目 指 した都 市 であるといえる。 また、ゆとりのある土 地 活 用 をしてあり、災 害 時 などに十 分 にオープンスペースが確 保 で きるように作 られており、安 全 面 に対 しても申 し分 のない都 市 である。歴 史 の重 みという 部 分 では引 けを取 ってしまうことは否 めないが、私 はお台 場 が新 しい形 の都 市 の景 観 と しては十 分 に美 しいものであると感 じる。 倉 敷 のような古 くからの伝 統 が今 に残 る町 並 みと、お台 場 のように従 来 の伝 統 に臆 す る事 無 くまったく新 しい形 で築 きあげられた町 並 みは、個 人 によって好 き嫌 いはあるかも しれないが、私 にとってはどちらも非 常 に美 しいと感 じられる町 並 みである。 倉 敷 の町 並 みからは、歴 史 の趣 を感 じられ、懐 かしい気 持 ちに癒 される。一 方 のお台 場 の近 未 来 的 な町 並 みは、どこを見 渡 しても目 新 しく、何 かワクワクしてくるような気 持 ちに なれる。 この様 に、そのスタイルはまったく違 っても、倉 敷 もお台 場 も私 にとっては、「ずっとこの町

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並 み中 を歩 いていたい」と思 わせるような、美 しい町 並 みなのである。

Ⅰ−2 「至 高 の美 」の経 験

Ⅰ−1では、私 自 身 が日 常 の生 活 の中 で経 験 し、感 じた美 の2つのケースについて述 べた。これらの事 例 はファッションに興 味 がない人 や倉 敷 やお台 場 が美 しいと思 わない 人 にとって共 感 できる事 例 ではないかも知 れない。 しかし、いま私 がここで言 いたい事 は、私 たちが日 々暮 らしている中 で経 験 される美 とい うのは、人 によって多 少 の差 は出 てくるが生 活 のあらゆる場 面 において日 常 的 に経 験 さ れるものであるということだ。たとえそれがどんなに些 細 な事 だったとしても。 そして、それらの美 というのは、学 術 的 な意 味 においての美 ではなく、生 活 を構 成 してい る重 要 な要 素 の中 の一 つとしての美 であると考 える。 このように、私 たちは生 活 的 な経 験 における美 については、今 までの人 生 の中 である程 度 の経 験 をしてきた。 しかし、それが本 当 に美 しいかというと、そうではない。 先 にあげた、青 いカーディガンも、購 入 したシーズンには頻 繁 に着 用 していたが、翌 年 には、その年 の流 行 のお気 に入 りの服 ができてしまったので、青 いカーディガンを着 る機 会 はほとんどなかった。 また、倉 敷 やお台 場 にしても、何 らかの理 由 でお台 場 に行 けなかったとして、代 わりに横 浜 へ行 ったとしても、横 浜 も十 分 美 しい町 並 みであるので、満 足 する事 ができてしまう。 絶 対 にお台 場 の町 並 みでなくてはいけないという理 由 は何 一 つないのである。 この様 に、私 たちが生 活 の中 で具 体 的 に接 するものの多 くを、「本 当 に美 しいか」と考 え た時 、その殆 どは、どこかうそっぽく見 え、その本 質 はうすっぺらな感 じがするものばかり である。何 故 ならそれらは、絶 対 的 なものが少 なく、他 のものと変 換 可 能 なものばかりだ からである。 ではなぜ、生 活 を構 成 している要 素 の中 の一 つとしての美 はうそっぽく見 えてしまうのだ

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ろうか。それは、なぜなら、この様 な美 は「至 高 の美 」ではないからである。 「至 高 の美 」とは、誰 が見 ても絶 対 的 に美 しいものであり、他 の何 かとは変 える事 ができ ない唯 一 無 二 の美 しさである。つまり、何 があってもその美 しさが揺 るぐ事 のない、絶 対 的 な美 である。 美 と触 れ合 う機 会 が多 く、美 に対 して非 常 に敏 感 であるとされる生 活 を送 っているはず の私 たちだが、本 当 に美 しい「至 高 の美 」を経 験 しているのだろうか。ざっと今 までの人 生 を振 り返 ってみても、決 してその経 験 は多 いとは言 えない。 では何 故 、「至 高 の美 」の経 験 が少 ないというような事 態 になってしまったのだろうか。 日 常 の中 で「至 高 の美 」を経 験 する事 が難 しくなってしまった事 には、必 ず何 らかの原 因 があるはずである。 この章 では、その原 因 となる問 題 点 はどんな事 なのかについて考 えていく。

∼ファッションにおける問 題 点 ∼

ファッションを考 えていく上 で、流 行 という言 葉 は切 っても切 り離 せない存 在 である。そ もそも流 行 とは、大 辞 林 第 二 版 (三 省 堂 )によると、 「ある現 象 が、一 時 的 に世 間 に広 まること。特 に、ある型 の服 装 ・言 葉 あるいは思 想 ・行 動 様 式 などがもてはやされて、一 時 的 に広 く世 間 で用 い行 われること。はやり。」 である。しかし、一 時 的 な現 象 であるにも関 わらず、最 近 の風 潮 として、流 行 の洋 服 を 着 ている事 が「ファッショナブル」であり、御 洒 落 であるという様 な勘 違 いが蔓 延 してしまっ ているように思 われる。 ファッションに対 して何 のポリシーもなく、ただ「流 行 っているもの=お洒 落 なもの」という 認 識 を捨 てきれないでいると、ファッションは、単 なる自 己 満 足 であり、またその時 代 、そ の一 瞬 の間 だけの楽 しみにしか過 ぎないものになってしまうのだ。 「流 行 ものは廃 りもの」という、流 行 する物 事 は一 時 的 なもので、やがて飽 きられて長 続 きしないものである、ということを示 す言 葉 があるように、ファッションには流 行 があるとい

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う事 が、「至 高 の美 」を日 常 的 に感 じとる事 を困 難 にしている大 きな原 因 なのではないだ ろうか。 以 上 のことから、流 行 とは一 体 何 かについて考 えていく必 要 がある。まずは、流 行 とは 一 体 どの様 にして世 間 に広 まっていくのかについて考 えていく。 流 行 を考 えるに当 たって、まず、ファッション自 体 を二 つのカテゴリーに分 けて考 えてみる。 一 つは巷 のファッション、つまり私 たちが普 段 着 て来 る様 な既 製 服 と、もう一 つはコレクシ ョンなどで有 名 デザイナーによって発 表 される洋 服 である。 コレクションとは、広 義 には発 表 会 ・展 示 会 。狭 義 には、オート・クチュール(高 級 オー ダーメイド服 )やプレタ・ポルテ(既 製 服 )のメーカーがシーズンに先 がけて発 表 する作 品 や発 表 会 のことで、代 表 的 なものにはパリ・コレクションやミラノ・コレクションなどがある。 もとは、パリのオート・クチュール・メゾンの作 品 発 表 会 (1月 と7月 に開 催 )に由 来 。 デザイナーが発 表 する作 品 自 体 をさすか、作 品 を揃 える意 をもつ。モード界 でいうコレク ションは顧 客 によって大 きく二 つに大 別 される。 (1)パリのオート・クチュール・コレクションや、ミラノやローマのアルタ・モーダなどに代 表 される、特 定 の顧 客 を対 象 としたコレクション。 (2)世 界 のファッション都 市 で定 期 的 に開 催 されるプレタ・ポルテのコレクション。後 者 は パリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨーク、東 京 、マドリードなどで開 催 され、ファッション団 体 や デザイナー・グループによって組 織 される。 (Mode21.com より抜 粋) 一 部 の上 流 階 級 の人 やアパレル業 界 関 係 者 を除 いては、普 段 私 たちが洋 服 を買 お うとした時 に、コレクションで発 表 されたものを意 識 して購 入 する洋 服 を選 択 する、という 事 は殆 ど無 い。むしろこういったコレクションがいつ行 われているのかさえ知 り得 ていない 場 合 が多 い。ファッションに関 して関 心 が無 い人 であれば尚 の事 である。 しかし、ルイ・ヴィトンやシャネルやクリスチャン・ディオールなどのいわゆる一 流 ブラン ドと称 されるブランドのコレクションで発 表 されたものは、たちまち巷 のファッションにも大 きな影 響 を及 ぼす事 になるのである。例 えば、今 年 の秋 冬 シーズンのコレクションの中 で 多 くのブランドが毛 皮 を用 いていたとする。すると、秋 頃 には多 くの洋 服 店 の店 頭 に毛 皮

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を使 った商 品 が溢 れ返 るといった具 合 である。 この事 から、「私 は一 流 ブランドなんて興 味 がない」と思 っていたとしても、巷 のファッショ ンの流 行 と一 流 ブランドのコレクションで発 表 されたものには実 は非 常 に密 接 な関 係 が あるのだ。 この様 に、巷 のファッションの流 行 には、少 なからずコレクションで発 表 された作 品 の 傾 向 と関 係 してくるという事 は理 解 できただろう。 では、流 行 とは、コレクションで作 品 を発 表 するようなデザイナー達 が影 で操 っていると いう事 になるのだろうか。 実 は、そういう事 ではなく、各 デザイナーはその時 代 の世 相 や雰 囲 気 を読 み取 り、今 の 人 々はどういったものを求 めているのかを考 える。そして自 分 なりに解 釈 したものを作 品 に表 現 しているだけなのである。 例 えば、2001年 9月 11日 に米 国 で起 きた同 時 多 発 テロの以 後 のコレクションには、 『リラックス感 』をトレンドのキーワードにした傾 向 がどんどん強 くなってきた。 やわらかい素 材 やデザイン、体 を無 理 に締 めつけないフェミニンな洋 服 に代 表 されるよう な、リラックスウエアが主 流 を占 めているのだ。これは、世 界 中 がとてつもなく大 きなショッ クを受 けた、実 に悲 惨 な事 件 の後 で人 々の凝 り固 まった心 を解 かしてくれるような『リラッ クス』を感 じる事 のできるファッションを人 々は求 めるであろう事 をデザイナーが読 み取 っ たからである。 このようにデザイナーは『時 代 の気 分 』をすくい上 げ、それをファッションにおいて芸 術 的 かつ実 用 的 なものとして、私 たちに今 までにないまったく新 しい形 で提 供 していかなく てはならないのだ。 以 上 にあるようにデザイナーとは、『時 代 の気 分 』をすくい上 げたものを、新 しい形 とし て表 現 していくわけであるが、もちろんファッションにおいて定 番 がないわけではない。 100年 近 く人 々に親 しまれ、愛 用 されてきたもののひとつにトレンチコートがある。 トレンチコートとは、防 水 素 材 製 の肩 章 つきダブル前 のベルトつきコートのことを言 う。 イギリスの バーバリー と アクアスキュータム という2つのブランドの製 品 がその元 祖 と言

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われている。そもそもトレンチコートは、第 一 次 世 界 大 戦 にアクアスキュータムが兵 士 の 為 に開 発 したもので、1951年 には123ものパターンを持 つ体 型 別 システムを開 発 し、 そのシステムをもとに製 作 された製 品 は今 も世 界 中 に輸 出 されている。

Burberry

社 製 ト レ ン チ コ ー ト 日 本 での流 行 のきっかけを作 ったのは、映 画 「カサブランカ(Casablanca 1942 年 )」 で当 時 の大 人 気 俳 優 、ハンフリー・ボガート Humphrey Bogart(1899∼1957)が、 アクアスキュータム社 製 のトレンチコートを着 用 していた事 からではあるが、映 画 が公 開 されてから50年 以 上 経 つが、今 もその人 気 が続 いており、その人 気 は衰 えること知 らな い。 この事 から考 えると、トレンチコートが愛 され続 けている理 由 は当 時 の人 気 俳 優 が着 ていたからという理 由 だけではないことは一 目 瞭 然 であろう。 トレンチコートが定 番 のファッションになったように、すべてのデザイナーは人 々に長 く愛 さ れ続 ける定 番 を作 りあげる事 を目 標 にし、常 に新 しいアイデアを提 供 している。 しかし、たくさんのデザイナーが定 番 になるような服 を作 ろうとして、アイデアを出 しすぎて しまい、この世 に数 え切 れないほどの既 成 服 が生 まれてきてしまったのである。そしてフ ァッションは一 大 産 業 になっていったのである。 こうして、ファッションにおける流 行 が生 まれ、次 々と新 しいものが出 来 ていった結 果 、 ファッションにおける「至 高 の美 」を感 じる事 が難 しい事 になっていってしまったのである。 今 回 、流 行 について色 々考 えてきたが、誰 かが意 図 的 に流 行 らそうとして仕 掛 ける、『作

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られた流 行 』というものも存 在 する。 これは企 業 が、人 気 のあるタレントや俳 優 などと契 約 し、マスコミに登 場 する時 などに、 流 行 らせたいものを常 に身 に付 けさせるなどといった方 法 である。 自 分 の好 きな芸 能 人 に少 しでも近 づきたいと思 っている人 ならば、挙 ってそういったも のを追 いかけてしまう。これも一 つの流 行 であると言 えない事 はないかもしれないが、し かし、これはあからさまに仕 掛 けがある流 行 であり、いわばやらせとも言 えるので、ここで は流 行 の対 象 として扱 わない事 とする。

∼町 並 みにおける問 題 点 ∼

先 にも述 べているが、倉 敷 やお台 場 は確 かに美 しい町 並 みであると言 えるが、江 戸 時 代 の街 並 みを見 たいのであれば、島 根 県 の松 江 市 に行 っても見 られる。また、お台 場 の ような近 未 来 都 市 を見 たいのであれば、幕 張 でも十 分 に満 足 できてしまうのである。 つまり、「そこの町 並 みじゃなければいけない」という何 かがなければ、その町 並 みは 「至 高 の美 」にはならないのである。 町 並 みにおける「至 高 の美 」の経 験 がある人 はそう多 くいないのは、ほとんどの町 並 みに「この町 並 みじゃなければいけない」と人 々に思 わせる要 素 がないからである。 この事 は特 に、自 らが住 む町 並 みにおいて言 えることである。 では、一 体 どんな事 が原 因 で人 々はこの様 に感 じるようになってしまったのだろうか。 今 私 たちは情 報 社 会 の中 で生 きている。情 報 社 会 とは、コンピュータによる迅 速 な情 報 処 理 と、多 様 な通 信 メディアによる広 範 な情 報 伝 達 によって、大 量 の情 報 が不 断 に生 産 、蓄 積 、伝 播 されている社 会 の事 を指 す。通 信 技 術 とコンピュータの飛 躍 的 な発 達 を 背 景 として、1960年 代 後 半 ころから日 常 的 に広 く用 いられるようになった。物 質 やエネ ルギーの変 形 ・処 理 を主 要 な産 業 とする工 業 社 会 の後 に到 来 する社 会 という意 味 での 脱 工 業 社 会 とい う言 い 方 も ある 。つ まり、 情 報 操 作 によっ て付 加 価 値 を 生 産 する 産 業 (知 識 産 業 や情 報 産 業 )が主 流 となる社 会 である。 また、人 々の日 常 生 活 のなかで、情 報 に対 する要 求 が強 まり、情 報 メディアに接 触 す

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る時 間 量 が増 大 し、意 思 決 定 や適 応 行 動 にとって情 報 の重 要 性 がより大 きくなるなど、 一 般 的 に情 報 への依 存 度 がきわめて高 い社 会 のことである。 情 報 社 会 では、常 にものすごい数 の情 報 が私 たちを取 り巻 いている。これにはインター ネットの急 激 な発 達 が一 役 買 っている。テレビや雑 誌 などは自 分 が必 要 な情 報 以 外 の 情 報 も一 方 的 に入 ってきてしまうのに対 し、インターネットは自 分 が欲 しい情 報 だけを知 ることができ、さらに情 報 を送 る側 と情 報 を受 ける側 の相 互 的 なやり取 りもできる非 常 に 便 利 で画 期 的 なツールであるからだ。 2003年 の国 内 のインターネット利 用 者 は7,730 万 人 に上 った。これは人 口 普 及 率 の 60%を超 える。それほどに現 在 の私 たちの生 活 には情 報 の必 要 性 が高 まっているので ある。 この様 な急 激 なメディアの発 達 の中 で、私 たちの「至 高 の美 」の経 験 は大 きく揺 るがさ れている。 これはどういう事 かといえば、例 えばテレビなどで、自 分 がまだ訪 れたことのない場 所 の 美 しい町 並 みが放 送 されるという事 はよくある事 である。毎 日 のように知 らない町 並 みが 画 面 に映 し出 され、美 しいと思 う町 並 みもあれば、決 して美 しいとは言 えないような町 並 みもブラウン管 を通 じて見 ることができる。 この事 は非 常 に便 利 な事 ではあるのだが、自 分 が実 際 に美 しい町 並 みを見 るという経 験 をする前 に、メディアによる、情 報 としての美 の経 験 が先 行 してしまうという問 題 が起 き てしまうのである。 美 の経 験 をメディアによって先 行 してしまうと、これによって、メディアから流 される美 し い町 並 みを見 たという事 が、無 意 識 のうちにそれが自 らの美 の経 験 として置 き換 えられ てしまうのである。そして、実 際 に日 常 で自 分 が生 きられている町 並 みに関 しては、非 常 に鈍 感 になってしまうのである。 この様 な事 が続 くと、逆 にメディアに登 場 する町 並 みに関 しては「この前 見 た番 組 で出 て きた町 並 みの方 が美 しかった」というように、非 常 に敏 感 になって来 るのに対 して、自 ら の住 む町 並 みに関 してはますます鈍 感 で無 関 心 になってしまうのだ。 つまり、テレビという二 次 元 の世 界 の美 に対 しては鋭 敏 でありながら、現 実 世 界 に見 える

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町 並 みに関 しては鈍 感 であるという問 題 が起 きているのである。この事 が町 並 みにおけ る「至 高 の美 」の経 験 を浅 くしている原 因 であるといえる。 確 かに、日 本 において私 たちが暮 らしている町 並 みは、観 光 地 や昔 の建 物 が並 ぶ、風 情 のある町 並 みを除 いたその大 半 は、お世 辞 にも「美 しい」と思 える町 並 みではない。 その原 因 としては、土 地 が狭 いので建 物 と建 物 の間 が狭 い、建 物 の高 さがちぐはぐ、違 った様 式 の建 物 が乱 立 している、派 手 な宣 伝 広 告 がそこらじゅうに掲 げられている等 、 その他 にもここで書 ききれないほどその要 因 はある。しかし、先 に書 いた倉 敷 の町 並 み のように、そもそも日 本 の江 戸 時 代 の頃 などは、長 屋 がきれいに整 列 されており、大 変 美 しい町 並 みであった。 では何 故 、現 在 の日 本 の町 並 みはこうも美 しくなくなってしまったのだろうか。 現 在 でも美 しい町 並 みが残 るヨーロッパの町 並 みと、日 本 の町 並 みを比 較 し、考 えて いくとする。 ヨーロッパでは、自 国 が築 き上 げてきた伝 統 や文 化 を非 常 に重 んじ、多 くの人 たちが それらを誇 りと思 っているために、社 会 が発 展 し近 代 化 に向 かいつつも「文 化 」が中 心 と なって開 発 が進 められている。 しかし日 本 では、ヨーロッパとは逆 に、過 去 の文 化 に対 する誇 りを持 っていたとしても、よ り新 しいものを望 もうとしているために開 発 が中 心 になってしまい、「文 化 」はその開 発 過 程 の中 で保 護 されているにすぎないのである。 文 化 財 に対 する制 度 の制 定 についても、ヨーロッパでは、産 業 革 命 のあと産 業 が発 展 す るとともに、早 くから伝 統 文 化 の破 壊 を恐 れ、文 化 を保 護 する制 度 が整 えられている。 しかし一 方 の日 本 では、文 化 が危 機 的 状 況 に陥 ったときになって、初 めて保 護 しようとす る動 きがあるため、文 化 を保 護 する制 度 が生 まれてくるのが遅 いのである。 このように、ヨーロッパと日 本 では自 国 の文 化 に対 する国 民 の思 い入 れがまったく違 う という事 がその大 きな原 因 となっていると考 えられる。 では、なぜ日 本 国 民 は日 本 の文 化 をもっと重 んじる事 ができなかったのか。

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まず考 えられる事 は、町 並 みの主 体 である建 造 物 の構 成 物 質 が日 本 とヨーロッパで はまったく異 なるという事 である。ヨーロッパでは、石 造 建 造 物 が非 常 に多 く、これらは半 永 久 的 に残 存 する事 ができる。これによって過 去 の文 化 について認 識 することが容 易 で あるため、過 去 の文 化 に対 して強 い誇 りを持 たれ易 かった。 一 方 、日 本 では、木 造 建 造 物 が多 く、それらは腐 敗 、風 化 しやすく耐 久 年 数 が短 いため 残 存 しにくい。 関 東 大 震 災 や第 二 次 世 界 大 戦 などでは、この様 な建 造 物 が幾 つも倒 壊 した。 当 然 、倒 壊 した建 造 物 を建 て直 す際 に、「もっと丈 夫 なものを建 てよう」と考 える。こうして 人 々は、木 より丈 夫 な建 材 を求 めていった。このようにして、日 本 は段 々と過 去 の文 化 に 対 する認 知 度 を低 くしていったのである。 もう一 つ考 えられる事 といえば、日 本 が西 欧 化 をあまりにも急 ぎすぎたという点 である。 1858年 に徳 川 幕 府 が開 国 して以 来 、それまでオランダを通 じて日 本 に僅 かに流 入 して いた西 欧 文 化 が米 、英 、仏 など各 国 から直 接 伝 わるようになった。 そして1868年 の明 治 維 新 後 、政 府 の政 策 により一 気 に西 欧 化 が進 んだ。この事 によっ て、侍 は姿 を消 し、着 物 は洋 装 に取 って代 わり、髷 頭 は散 切 り頭 になった。こうして日 本 のナショナリズムは失 われていったのである。 また、第 二 次 世 界 大 戦 の敗 戦 により、日 本 のナショナリズムはより一 層 失 われていった。 これは、勝 者 側 (特 にアメリカ)の華 やかな文 化 に強 い憧 れを持 ってしまった為 である。そ して、過 去 の文 化 に対 して劣 等 感 を持 ち始 めてしまったである。 そもそも、日 本 においても、開 国 や明 治 維 新 が行 われる前 の19世 紀 には自 国 の文 化 に は強 い誇 りと自 信 を持 っていた。 しかし開 国 してから100年 足 らずの間 に、日 本 全 体 が西 欧 文 化 に多 大 なる幻 想 を抱 き、 自 らの築 き上 げてきた文 化 をいとも簡 単 に捨 てたのである。 しかし、相 変 わらず西 欧 文 化 を追 いかける動 きは見 られるが、反 対 に、日 本 独 自 の文 化 を大 切 にしようとする運 動 も顕 著 に見 られるようになってきた。 そのひとつとして、先 に述 べた倉 敷 市 の様 に、行 政 から選 定 を受 けるなどといった町 並 み保 存 の事 業 があげられる。

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町 並 み保 存 とは、文 化 的 にも価 値 があり、自 分 たちが愛 する美 しい町 並 みを、どうにか 後 世 にまでに残 していきたいと考 える人 々の活 動 である。 倉 敷 市 の他 にも町 並 み保 存 の事 業 を掲 げている町 が存 在 する。しかしその数 は徐 々に 増 えていってはいるが、まだその数 は決 して多 いとはいえない。 西 欧 文 化 に押 され、価 値 のある日 本 文 化 はどんどんとその姿 を消 していってしまった。 過 去 に日 本 が犯 してしまった過 ちは今 さら取 り戻 すことができない。しかし、こうした町 並 み保 存 の事 業 が推 進 され、ひとつでも多 くの美 しい町 並 みを残 していく事 によって私 たち の「至 高 の美 」の経 験 は豊 かになっていくのである。

※補 足 ・・・メディア化 された風 景

昨 今 の情 報 化 社 会 の急 激 な進 展 に伴 い、数 年 前 では考 え付 かないような様 々な問 題 が現 在 あらゆる場 面 において生 じてきている。例 えば、コンピュータで扱 う情 報 につい て、最 近 では相 次 いでセキュリティの問 題 が出 てきて、個 人 情 報 の大 量 流 失 が続 々と起 きるという深 刻 な事 態 に陥 っている。この問 題 は将 来 もつきまとう問 題 だろう。何 故 なら、 情 報 というのはコンピュータの中 に閉 じ込 めて永 久 に鍵 をかけておくことができないもの だからである。 情 報 を扱 う人 は、必 ずその内 容 を見 ることができるため、その人 が情 報 を漏 らしてしまえ ば漏 洩 を防 ぎようがない。これは人 為 的 な問 題 であり、結 局 は管 理 が不 十 分 だったとい うことであり、リテラシーの在 り方 などが問 われることになる。 また、コンピュータの情 報 については、これを盗 んでも必 ずしも窃 盗 罪 が適 用 できるとは 限 らない。例 えば、自 分 の買 ったフロッピーディスクに会 社 の情 報 緒 をコピーして盗 んだ としたら、窃 盗 罪 の適 用 は大 変 難 しいと考 えられている。これは窃 盗 罪 が物 に対 する窃 盗 として法 制 度 が作 られているからである。 以 上 のことが、今 一 般 的 に問 われている情 報 化 社 会 における問 題 点 である。 しかし、一 般 的 にはあまり知 られていないが、これ以 外 にも情 報 化 社 会 が併 発 する問 題 がある。それは「至 高 の美 」の経 験 に非 常 に関 わってくる問 題 である。 その問 題 とは、自 分 が実 際 に体 験 した美 の経 験 が、情 報 としての美 の経 験 に負 けてし

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まうという事 である。 これはどういうことなのかというと、例 えばどこかへ旅 行 に行 こうという計 画 があって、どこ へ行 くかを決 める時 に、人 や雑 誌 などからの情 報 が決 め手 となる場 合 は少 なくない。 特 に旅 の情 報 誌 や広 告 などでは、気 候 や状 態 が一 番 良 い時 の写 真 を使 用 しているの で、その様 な掲 載 写 真 に心 惹 かれて行 き先 を決 定 したという経 験 はないだろうか。少 なく とも私 にはその様 な経 験 がある。 しかし、大 抵 の場 合 、写 真 で見 たものより実 際 で見 たものの方 が美 しかったという事 はないものである。写 真 で見 ていて、頭 の中 で想 像 していたものを実 際 に目 の前 にした 時 に、想 像 と現 実 にあまりにギャップがありすぎてガッカリした事 があるという人 は多 いは ずだ。 私 が一 番 最 近 でその様 な経 験 をしたのは、友 達 と盛 岡 に温 泉 旅 行 に行 った時 のこと だ。代 理 店 でもらったパンフレットの中 から私 たちの条 件 に一 番 合 ったプランを探 し出 し、 申 し込 みをした。私 たちの条 件 は温 泉 と部 屋 が綺 麗 な旅 館 だったので、いくつかあるパ ンフレットの中 から写 真 を何 回 も見 比 べ検 討 していた。しかし、実 際 に訪 れたみたところ、 写 真 ほどに綺 麗 な事 はなく、写 真 で見 たときに想 像 していたものよりかなり粗 末 なところ だったのである。こういった事 は日 常 生 活 の中 でもしばしば見 られるが、特 に観 光 旅 行 へ 行 った時 によく感 じるものである。 その理 由 の一 つとして、旅 行 の広 告 やポスターなどはほとんどにおいてその場 所 の一 番 売 りになる場 所 、つまり観 光 客 が好 み集 まる場 所 、美 しい景 色 ・有 名 な建 築 物 などの 写 真 を一 面 に載 せる手 法 が使 われているという事 が挙 げられる。 この様 な広 告 写 真 は、大 抵 がプロのカメラマンが撮 った写 真 であり、先 にも書 いたがその 場 所 が一 番 美 しく見 える時 期 に撮 られたものであるので、広 告 写 真 に使 われた写 真 より 実 際 のものの方 が美 しいという事 が起 こらないのは当 然 の事 なのかもしれない。 もちろん写 真 を使 う事 を全 否 定 しているわけではない。大 体 その場 所 がどんな場 所 であ るか知 るには、写 真 を見 るという事 が一 番 分 かりやすいものであるからだ。 そして私 たちはその写 真 を見 て、数 ある観 光 地 の中 から自 分 の好 みにあった場 所 を選 定 していく事 ができるのである。

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しかしこの事 が、美 しい写 真 を見 て感 動 し、実 際 に自 分 が見 に行 った時 に、その写 真 を見 た時 の感 動 の方 が実 物 を目 の当 たりにした時 よりも大 きいという矛 盾 した現 象 を起 こしてしまう大 きな要 因 となっているのである。

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第二章 美の本質について

第 一 章 では現 代 社 会 における日 常 的 な美 の経 験 について私 自 身 の経 験 を踏 まえた 上 で論 じてきた。 しかし、それらの日 常 的 な美 の経 験 は「至 高 の美 」の経 験 であるかという事 について 考 えた時 、本 当 に美 しいものとは言 えないものがほとんどであった。そして何 故 、日 常 生 活 において、「至 高 の美 」を経 験 する事 がほとんどないという事 態 になってしまったのかに ついても考 えてきた。 では、ここまでで当 然 のごとく「美 」という言 葉 を使 ってきたが、そもそも「美 」とは一 体 ど ういったことなのであろうか。 美 の概 念 について話 をする前 に、美 を感 じ理 解 する心 の働 きである、美 意 識 について少 し話 をしておく。 美 意 識 とは、人 によって異 なるものであり、例 えばコンパスで書 いたような形 の整 った 丸 とフリーハンドで書 いたような歪 んだ丸 があった時 、ほとんどの人 は形 の整 ったほうの 丸 を選 ぶものである。しかし、歪 んだ丸 の方 を選 ぶ人 は誰 もいないという事 もないのであ る 。 青 色 が 好 き な 人 がい れ ば、 赤 色 の 方 が 好 き と いう 人 がいる 様 に、 美 意 識 とは 実 に 様 々なものであるのだ。 また美 意 識 とは文 化 や時 代 によっても大 きく異 なるもので、例 えば昔 の中 国 では女 性 が幼 い時 の小 さい足 をそのままの大 きさで保 つため、包 帯 できつく足 を縛 り成 長 を止 め る纏 足 という習 慣 があった。纏 足 の足 は小 さければ小 さいほど美 しいと言 われていた。 纏 足 は3、4歳 の時 に始 めるのだが、最 初 は木 綿 などの包 帯 で足 を横 巻 にして足 を細 長 くし、次 に指 を裏 側 に丸 め縦 巻 にし足 を先 の尖 った形 にする。5、6歳 頃 には足 が纏 足 の 形 になり、以 後 布 は巻 かずに纏 足 用 の靴 を着 用 する。幼 い頃 はまだしも年 齢 も大 きくな ると無 理 にきつく縛 った足 が炎 症 をおこしたり化 膿 したりし、かなりの苦 痛 と不 自 由 さを 受 け入 れなくてはならなかった。 それでも纏 足 をしないと嫁 入 りも出 来 ず男 性 から相 手 にもされなかった。またこの習 慣 は長 い年 月 の間 美 醜 の感 覚 と深 く結 びついていた為 、この奇 習 は宋 代 以 降 に始 まって から以 後 約 600年 間 も続 いたのである。 今 の時 代 ではまったく考 えもつかないような習 慣 だが、実 際 に行 われていた習 慣 であ

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りごく少 数 だが纏 足 をしている70∼80歳 の女 性 はまだ存 在 するのである。 この事 からも分 かる様 に、美 意 識 とは人 や文 化 や時 代 によって異 なるものであり、当 然 美 の概 念 についても一 概 には何 とも説 明 のつかないものなのだ。 私 たちは美 に対 して過 剰 に反 応 する世 代 のはずであるのに、美 の概 念 について実 は何 も分 かっていないという現 象 が起 こっている。 ここで改 めて、そもそも美 の概 念 とは何 かという事 について考 える必 要 があるのではな いか。 次 の章 では美 とは何 かについて、過 去 の偉 大 な哲 学 者 が説 いた古 典 的 な概 念 を探 りそ の本 質 について考 えていく。

2−1 美 の概 念

例 えば、「山 」といっても、山 には富 士 山 のように高 いもの、地 図 にものらないような小 さいもの、禿 山 などいろいろな種 類 の山 があるにも関 わらず、私 たちは、今 までに見 たこ とがない初 めて見 る山 でも、疑 いようもなくそれが山 だと理 解 する事 ができるのである。 これは、一 体 どうしてなのだろう、という疑 問 について論 理 的 に考 えた哲 学 者 がプラトン Platon(427B.C.−347B.C.)である。そして、彼 がこの疑 問 について考 え出 した結 果 、 「イデア」と呼 ばれる概 念 が生 まれた。 イデアとは、個 々の事 物 をそのものたらしめている根 拠 である真 の実 在 であり、それは永 遠 に変 わることがなく、絶 対 的 なものであり、普 遍 的 なものである。そして、イデアが存 在 しているのがイデア界 である。 そして、常 にイデア界 からの影 響 を与 えられているのが、われわれ人 間 が存 在 する現 象 世 界 である。現 象 世 界 では、「命 あるものはいつか必 ず死 ぬ」というように、生 成 変 化 が 起 こりうる世 界 であり、すべてにおいて完 全 なものがない、有 限 な世 界 である。 現 象 世 界 におけるすべての物 事 は、人 間 の感 覚 的 能 力 によって認 識 される。しかし、人 間 の感 覚 的 能 力 は完 全 ではないため、もし人 間 がイデアに向 かってアプローチをしようと

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するには、概 念 的 に思 考 する能 力 =理 性 しかないのである。 この事 を図 で表 すと以 下 のようになる

イデア界

理 性 による認 識

(永 遠 不 変 ・絶 対 的 ・普 遍 的 ) (※エロース)

現 象 世 界 感 覚 による認 識

(日 常 的 ・生 成 変 化 ・有 限 )

(※プラトンの考 えによれば、先 の例 で言 えば、人 間 が初 めて見 る山 でも、それが山 で あるという事 を知 りえているのは、もともと人 間 は現 象 世 界 に生 き、現 象 世 界 において死 んでいくという繰 り返 しをしているのではなく、その魂 はイデア界 に存 在 していたからだと 言 う。現 象 世 界 という不 完 全 な世 界 において、かつて自 分 のいた世 界 を恋 い慕 い、自 ら に欠 けているものを求 める魂 のはたらきがエロースである。) プラトンのこの考 えによると、たくさんの山 がある中 で、なぜ、初 めて見 るはずの山 を、 それが山 だと分 かりえるのかといえば、イデア界 において山 のイデアがあるからであると いう。つまり、現 象 世 界 において山 が山 でありえるのは、イデア界 において、山 のイデア が実 在 するからなのである。 ま た 例 え ば 、 現 象 世 界 に お い て 人 間 が 、 花 を 見 て 「 美 し い 」 と 感 じ る の は 、 イ デ ア 界 に 「美 」のイデアが実 在 するからであり、個 別 の花 は「美 」のイデアが分 有 されている事 によ って、私 たちにとって美 しいものとして存 在 できるである。 美 のイデアとは次 のようなものである。 「『それはまず第 一 に、永 遠 に存 在 して生 成 も消 滅 もせず、増 大 も減 少 もしないのです。 次 に、ある面 では美 しいが他 の面 では醜 いというものではなく、ある時 には美 しいが他 の 時 には醜 いというものでも、ある関 係 では美 しいが他 の関 係 では醜 いというのでもなく、

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またある人 々にとっては美 しいが他 の人 々にとっては醜 いというように、ある所 では美 し いが他 の所 では醜 い、というものではないのです。さらにまた、その美 は見 る者 に、何 か 顔 のような恰 好 をして現 れるものでなく、また手 やそのほか身 体 に属 するいかなる部 分 の形 をとって現 れることもないでしょう。それに、何 かある言 論 や知 識 の形 で現 れることも なく、またどこかのはかの何 かのうちに、例 えば動 物 とか大 地 とか天 空 とか、その他 何 も のかのうちにあるものとして現 れることもないでしょう。かえってそれ自 身 、それ自 身 だけ で、それ自 身 とともに、単 一 な形 相 をもつものとして永 遠 にあるのです。 ところがそれ以 外 の美 しいものはすべて、今 述 べたあの至 上 の美 を次 のようなある仕 方 で分 かち持 って(分 有 、metechein)いるのです。すなわち、これらはかの美 しいものが生 成 し消 滅 しても、かの美 は決 して大 きくなったり小 さくなったりせず、いかなる影 響 も外 か ら受 けないという仕 方 です。したがって、人 が自 分 の正 しい愛 のおかげで、この地 上 のも ろもろの美 から上 昇 して行 って、かの美 を感 じ始 める時 には、その者 はほとんど究 極 最 奥 のものに達 したことになるでしょう。なぜならば、じつにそれが、自 分 で進 むなり他 人 に 導 かれるなりして、恋 の道 を進 む正 しい進 み方 だからです。 つまり、地 上 のもろもろの美 しいものから出 発 して、絶 えずかの美 しいものを目 的 として 上 昇 して行 くのですが、その場 合 ちょうど階 段 を使 うように、一 つの美 しい肉 体 から二 つ の美 しい肉 体 へ、二 つの美 しい肉 体 からすべての美 しい肉 体 へ、そして美 しい肉 体 から 美 しい数 々の人 間 の営 みへ、人 間 の営 みからもろもろの美 しい学 問 へと登 って行 き、最 終 的 にはそのもろもろの学 問 から、他 ならぬかの美 そのものを対 象 とするところのかの学 問 に行 き着 いて、まさに美 であるそのものを遂 に知 るに至 るというわけなのです。』とこの マンティネイアから来 ている異 国 の婦 人 は語 るのだった。 『親 愛 なソクラテス、いやしくも人 生 のどこかにあるとするならば、まさに此 処 においてこそ、 その生 活 が人 間 にとって生 きるに価 するものとなるのです。なぜなら、その者 は美 そのも のを観 ているからです。ひとたびあなたがこの美 を見 るならば、それは黄 金 や衣 裳 の比 で はなく、世 の美 少 年 美 青 年 の比 でもないと思 われるでしょう。現 在 のあなたは、その青 少 年 たちを見 て有 頂 天 となり、またあなただけでなく他 の多 くの人 々も、もし自 分 の愛 する 少 年 を見 ながら絶 えずその者 と一 緒 にいるのであるならば、飲 食 も何 とかできるものなら

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ば摂 らずに、ただただ彼 を眺 め、彼 と一 緒 にいたいものだという有 様 ですけれどもね。』 『それでは』と彼 女 は続 けた。『一 体 どういう事 になると私 たちは考 えるでしょうか−もし誰 かが美 そのものを純 粋 清 浄 で混 ざりもののない姿 で見 て、それを人 間 の肉 や色 や、その 他 数 多 くの死 滅 すべきつまらぬものにまみれた姿 においてではなく、かえってその神 的 な 美 そのものを単 一 の形 相 をもった姿 に老 い観 るということが、誰 かに起 こる場 合 には。 人 がかの美 の方 を眺 めやり、用 いるべき本 来 の器 官 をもってかの美 を観 、それと共 にい る時 、そもそものその生 活 がつまらぬものになると思 いますか。それともあなたは考 えて みないのですか』と彼 女 は続 けた『ここにおいてのみ、すなわち、かの美 を見 るに必 要 な 器 官 をもってそれを見 ているこの時 にのみ、次 のような事 が起 こるであろうという事 を。そ れは、彼 の手 に触 れているものが徳 の幻 像 ではなくて真 の徳 を生 みそれを育 てるがゆえ に、神 に愛 される者 となり、またいやしくも人 間 のうち誰 が不 死 となることができるならば、 まさにその者 こそ不 死 の者 となりうるのだということを』」 (『饗 宴 』211A-212A) ここで重 要 なポイントとしておさえておかなければいけない事 は、美 のイデアの分 有 につ いてである。この事 については、プラトンの著 書 である『パイドン』(100−101)の中 で詳 しく書 かれてある。 「純 粋 な美 そのもの、善 そのもの、大 そのもの、その他 、すべてそのようなものがあるとい う前 提 だ・・・・・ぼくの考 えでは、(1)もし美 そのもの以 外 になにか美 しいものがあるとす れば、それが美 しいのは、かの美 にあずかるからであって、ほかのいかなる原 因 によるの でもない・・・・・すなわち、ものを美 しくしているのは、ほかでもない、かの、美 の臨 在 という か、共 有 というか、その他 その関 係 はどのようなものであっても構 わない。その点 は、い まのところ、なんとも確 言 しないが、・・・・・ただ、ぼくの断 言 するのは、(2)すべての美 し いものは美 によって美 しいということだ。」 ここでは、アンダーラインが入 っている部 分 が特 に重 要 であるのだが、日 本 語 に訳 する と、どうしても分 かりにくい部 分 が出 てきてしまうので、補 足 を入 れたものを付 加 えておく。

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(1)もし美 そのもの(=美 のイデア)以 外 になにか美 しいもの(=現 象 世 界 における美 し いもの)があるとすれば、それが美 しいのは、かの美 (=美 のイデア)に預 かるからであっ て、ほかのいかなる原 因 によるのでもない。 (2)すべての美 しいもの(=現 象 世 界 における美 しいもの)は、美 (=美 のイデア)によっ て美 しい(=人 間 の感 覚 で捉 える美 ) つまり、私 たちが日 常 生 活 の中 で、何 か感 覚 で捉 えるものにおいて美 しいと感 じるのは、 そのものに美 のイデアの共 有 があってこそであると、プラトンは考 えたのだ。 今 まで書 いてきたプラトンの考 えを総 じると、人 間 が何 かを美 しいと感 じるのは、イデア界 において美 のイデアが実 在 し、もし人 間 がそれに向 かってアプローチするには、理 性 によ るものしかない。 そして常 にそのイデア界 から影 響 を受 けているのが、私 たちが存 在 する現 象 世 界 である。 現 象 世 界 において、私 たちが美 しいと感 じるすべてのものは、美 のイデアを共 有 されたも のであり、それは人 間 の感 覚 において認 識 されるものである。 本 稿 では、以 上 に書 いてある、「イデア界 と現 象 世 界 を分 ける」というプラトンの考 えを基 本 にして、「何 故 、私 たちは至 高 の美 の中 で生 きていく事 ができないのか」という問 題 に ついて考 えていく。

2−2 美 と視 覚

前 章 でも述 べているが、現 象 世 界 において、何 らかのものを美 しいと感 じるのは、人 間 の感 覚 による認 識 である。それは例 えば、このような事 である。 私 は、2004年 の9月 にゼミ合 宿 で、長 野 県 の蓼 科 高 原 に訪 れた。そこの辺 りは民 家 がなく、街 灯 もないので、夜 になると本 当 に真 っ暗 になってしまうような場 所 であった。 そして、夕 飯 を食 べに外 に出 た時 に、ふと見 上 げた夜 空 には、満 天 の星 空 が広 がってい た。それは、今 にもこぼれ落 ちてきそうなほどの星 の数 であり、今 まで生 きてきた中 で、間 違 いなく一 番 美 しい星 空 だった。 この事 柄 のように、美 しさを感 じる人 間 の感 覚 による認 識 の中 でも、特 に、視 覚 を通 じ

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て美 しいと感 じる事 がもっとも頻 繁 に経 験 されるものであるが、視 覚 以 外 にも、美 しい音 楽 や、美 しい香 りなど、聴 覚 や嗅 覚 を通 じて、美 しいと感 じるものもあるのだ。 つまり人 間 は、視 覚 以 外 にも、聴 覚 や嗅 覚 を通 じて美 の価 値 概 念 を理 解 する事 もできる のである。 しかし、視 覚 を通 じて実 際 に目 で見 る事 ができるというのは、美 の価 値 概 念 だけが持 つ特 性 なのである。 例 えば、美 以 外 の愛 や正 義 や友 情 などの価 値 概 念 は、誰 かに愛 や正 義 を形 で表 し て見 せるという事 は、そのもの自 体 を形 としてその姿 を表 象 することができない為 に、不 可 能 なことである。しかし美 の価 値 概 念 だけは、美 しいものを形 にして誰 かに見 せるとい うができるのである。 ところが、形 にできるという事 によって、視 覚 に頼 りすぎてしまい、美 の価 値 概 念 は他 のも のと比 べ、非 常 に容 易 なものであると思 い込 んでしまっている人 が多 いのである。 この事 については、人 間 にとって基 本 的 な価 値 概 念 である真 善 美 を例 に挙 げて考 えて みるとわかりやすくなる。 真 と善 については、その価 値 概 念 を他 人 に伝 えようとする時 、感 覚 的 な認 識 では理 解 を 得 る事 ができない。つまり、そのイデアについて、理 性 によって近 づく事 が必 要 である。 しかし、美 の価 値 概 念 を他 人 に伝 えようとする時 には、感 覚 を通 じてある程 度 理 解 でき てしまうという事 から、理 性 によるアプローチをする事 なく、その価 値 概 念 を他 人 と共 感 す ることができてしまうのである。 この事 から、美 の価 値 概 念 は感 覚 的 なもので分 かると思 い込 んでしまう者 が多 いのであ るが、これこそが、至 高 の美 の中 で生 きていく事 ができない原 因 の一 つでもあるのだ。 美 の価 値 概 念 は他 の価 値 概 念 と同 様 に、非 常 に難 解 なものであり、それについてきち んとした理 解 を得 るためには、理 性 によるアプローチが必 要 であるという事 を理 解 してい かなければならないのである。

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2−3 自 然 の美

『新 約 聖 書 』の「マタイ伝 」の第 6章 29節 には次 の様 なキリストの教 訓 がある。 「なにゆえに衣 のことを思 いわずらうや。 野 のユリはいかにして育 つかを思 え、労 めず、紡 がざるなり。ソロモン王 の栄 華 の極 みの 時 だにも、その装 い、この花 の一 つに及 かざりき」 ソロモン王 とは、ダビデ王 の息 子 にして古 代 イスラエル第 三 代 の王 であり、エルサレム神 殿 の建 造 者 である。在 位 は、紀 元 前 973年 ∼933年 ごろと言 われている。 人 間 の精 神 的 ・物 質 的 繁 栄 の頂 点 をきわめた人 物 であり、当 時 の文 化 はソロモン王 の 知 恵 や金 銀 宝 石 等 の富 を湯 水 のように用 いて発 展 していった。それは人 間 が手 にする 繁 栄 ・栄 華 の極 致 として、人 々を驚 嘆 させた。 この様 にソロモン王 とは、人 生 において最 高 の成 功 をおさめた真 に優 秀 な人 間 であり、 その栄 華 は過 去 何 千 年 と語 り継 がれているほどの人 物 なのである。 しかしキリスト教 の教 説 によると、ソロモン王 ほどに輝 かしい栄 華 を極 めた人 物 であろうと も、野 の花 の美 しさには及 ばないものである。なぜなら神 が創 造 した野 の花 は、人 間 技 ではとても及 ばない美 しさを持 っており、どんなに巨 万 の富 を得 たものだとしても、人 間 の 技 が神 の技 を超 えることは決 してないと説 いてある。それは世 界 を創 造 した神 からの私 たちへの愛 なのだと。 私 はキリスト教 を信 仰 しているわけではない。しかしこの節 を読 み、何 か私 にとっても響 いてくるものがあった。捉 え方 は少 し変 わってしまうが、私 は以 下 の様 に解 釈 をした。 野 の花 は、たとえ今 どんなに美 しく咲 いていたとしても、ほんのわずかな時 間 で枯 れてし まい、枯 れれば集 めて焼 かれてしまうような存 在 である。しかし、そんな野 の花 でもじっく りと見 れば実 に見 事 に細 かい所 までよく出 来 ていて、人 間 にはとても作 り出 せない精 巧 さを持 ち、調 和 を持 ち、美 しさを持 っているのである。 つまり、どんなに科 学 が発 達 しようとも、自 然 の美 しさを作 ろうとする事 は人 間 業 では

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