近世日本の社会観と〈障害〉認識 : 石門心学をめ ぐって
高野, 信治
九州大学大学院比較社会文化研究院 : 教授
https://doi.org/10.15017/4772322
出版情報:障害史研究. 3, pp.1-16, 2022-03-25. 九州大学大学院比較社会文化研究院 バージョン:
権利関係:
近世日本の社会観と〈障害〉認識
―
石門心学をめぐって
―Research on the relationship between social views and perceptions of disability in early modern Japan:
On the Study of Sekimonn Shinngaku
(石門心学)
高野 信治
Nobuharu TAKANO. D. Literature
(九州大学)
(Kyushu University)
要 旨
「障害史」を構築し得る史料とその分析可能性を模索する仕事として、前近代とりわけ近世史料への新た なアプローチによる障害認識の析出を筆者は行ってきたが、本稿はその一環として、近世日本において庶 民にも受容された「石門心学」を社会思想と捉える観点から、そこに障害認識が伏在するという見通しの もと、その析出を目的とする。ただし、このような観点からの石門心学へのアプローチは、現在までの研 究史には見当たらず、試論の域を出ないが、障害史の研究にとり必要な方法論の提示と考えたい。
これまで筆者が行ってきた作業を介してみえてくる課題は、「片輪」「不具」「愚昧」など、現代からみれ ば障害と考えられる表現・事象が、前近代の人びとにいかに捉えられていたのか、それが現代における障 害概念とどのように関係するのか、ということである。
障害の定義は、①心身機能の損傷にとどまらず、②社会的文化的に構築された観念も、重要な指標だろ う。①については、心身の機能障害、また②については、ⅰシステム〈事物、制度など。ハード面〉、ⅱ価 値観〈慣行、観念など。ソフト面)という二つの面が内在していよう。
①と②の指標と関連する障害の考え方は、現代の法や条約にもみてとれる。例えば、「障害者基本法」
(1970年5月21日、最終改正2013年6月26日)では、障害を「心身の機能の障害」とし、それが「社会的障 壁」により、日常・社会の生活全般にわたり、「制限を受ける」状態とする。そして社会の障壁とは、「社 会における事物、制度、慣行、観念やその他一切のもの」とされる。前述した①心身機能の損傷が障害だ が、それのみならず、②社会的文化的に構築された観念といえる制度・慣行などにより、「制限」を受けて いる状態そのものが、障害とみられている。
前近代史料にみえる「片輪」「不具」「愚昧」などの表現・事象は、①の心身機能の損傷の状態といえる が、それが当該時代の②社会的文化的に構築された観念、すなわち制度や慣習や観念などのなかで、どの ように捉えられていたのか、そして社会参加の障壁となっていたのか。このようなことは、前近代の障害 認識を析出する上で、考えるべき問題だろう。
とりわけ注目したいのは、①と②の関係性である。前近代における(有り体にいえば不十分な)医学水 準のなか、両者は相互に強い規定関係にあったことが想定される。本稿では、身体観ないし心身観が、宗 教性や道徳性と不可分な関係にあったこと、そのような見方が庶民レベルで浸透、定着し、心身の損傷(前 記の①レベルの障害)が社会文化的な観念のなかで捉えられるようになった(②のレベルの障害)可能性 があることを、「石門心学」(近世日本おいて庶民階層にも受容されたとみられる社会思想の一つ)を対象 に考え、近世日本の障害認識の一端に迫った。
はじめに
―障害概念と課題
―これまで「障害史」を構築し得る史料とその分析 可能性を模索する仕事として、前近代とりわけ近世 史料への新たなアプローチによる障害認識の析出と、
障害概念が成立したとされる近代への接続を目途と に、いささか取り組んできた(1) 。
当面、日本近世における障害認識をめぐり、その 基本が人としての差異化(2) との視角から、政治社会 のなかでの人としての選別(3) 、俚諺集における人の 差異化やその主要な側面としての障害認識(4) 、仏教 説話にみえる障害とその背景(5) 、町方役人が記す地 方史料にみえる障害者の実態(6) 、随筆に載る障害者 の史料事例(7) 、藩儒者の夫婦日記に記される子供へ の障害認識(8) などを介し、対象史料分析の方法論提 起と事例紹介を試みてきた。
かかる作業を介してみえてくる課題は、「片輪」「不 具」「愚昧」など、現代からみれば障害と考えられる 表現・事象が、前近代の人びとにいかに捉えられて いたのか、それが現代における障害概念とどのよう に関係するのか、ということである。
障害の定義は、①心身機能の損傷(disabilities)に とどまらず、 ②社会的文化的に構築された観念
(impairments)も、重要な指標だろう(9) 。①につい ては、心身の機能障害、また②については、ⅰシス テム〈事物、制度など。ハード面〉、ⅱ価値観〈慣 行、観念など。ソフト面)という二つの面が内在し
ていよう。
①と②の指標と関連する障害の考え方は、現代の 法や条約に、次のように表現される。
〇 障害者基本法(1970年5月21日、最終改正2013 年6月26日)・第2条
一 、障害者 身体障害、知的障害、精神障害(発 達障害を含む。)その他の心身の機能の障害
(以下「障害」と総称する。)がある者であつ て、障害及び社会的障壁により継続的に日常 生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態 にあるものをいう。
二 、社会的障壁 障害がある者にとつて日常生 活又は社会生活を営む上で障壁となるような 社会における事物、制度、慣行、観念その他 一切のものをいう。
これは日本の法令だが、障害を「心身の機能の障 害」とし、それが「社会的障壁」により、日常・社 会の生活全般にわたり、「制限を受ける」状態とす る。そして社会の障壁とは、「社会における事物、制 度、慣行、観念やその他一切のもの」とされる。前 述した①心身機能の損傷が、障害だが、それのみな らず、②社会的文化的に構築された観念と目される 制度・慣行などにより、「制限」を受けている状態そ のものが、障害とされる。
もう一つあげよう。
ABSTRACT
There are two aspects to the definition of disability. The first is damage to physical and mental functions, and the second is a socially and culturally constructed idea.
The former is the essence of disability. The former is the essence of disability, but it is not the only one. The state of being restricted by systems and practices is itself seen as a disability.
In this paper, I will show that the conception of the body and mind was inseparable from religion and morality.
In addition, I consider the possibility that physical and mental injuries came to be perceived in the context of sociocultural conceptions. I will examine these points in the context of Skimonn Shinngaku(石門心学. a popularized blend of Buddhist (仏教者) , Shinto (神道者) and Confucian (儒者) ethical teachings) and consider the perception of disability in early modern Japan.
In this paper, I will consider Skimonn Shinngaku as a social thought in early modern Japan. The reason is that it was accepted by the people as well.
〇 Convention on the Rights of Persons with Disabilities
CONVENTION ON THE RIGHTS OF PERSONS WITH DISABILITIES(障害者の権利に関する条 約。2006年12月13日国連総会採択。日本2014年 1月20日批准、同2月19日効力発生)
Article 1
Persons with disabilities include those who have long-term physical, mental, intellectual or sensory impairments which in interaction with various barriers may hinder their full and effec- tive participation in society on an equal basis with others.
第1条
障害者には、長期的な身体的、精神的、知的 又は感覚的な機能障害であって、様々な障壁 との相互作用により他の者との平等を基礎と して社会に完全かつ効果的に参加することを 妨げ得るものを有する者を含む(政府訳)
これは日本も批准した国際的な条約だが、やはり 障害について、心身の機能障害と様々な障壁による 平等な社会参加の困難性、という二つ側面が指摘さ れる。
前近代史料にみえる「片輪」「不具」「愚昧」など の表現・事象は、①の心身機能の損傷の状態といえ るが、それが当該時代の②社会的文化的に構築され た観念、すなわち制度や慣習や観念などのなかで、
どのように捉えられていたのか、そして社会参加の 障壁となっていたのか。このようなことは、前近代 の障害認識を析出する上で、考えるべき問題だろう。
とりわけ、ここで注目したいのは、①と②の関係 性である。前近代における(有り体にいえば不十分 な)医学水準のなか、両者は相互に強い規定関係に あったことが想定される。本稿では、身体観ないし 心身観が、宗教性や道徳性と不可分な関係にあった こと、そのような見方が庶民レベルで浸透、定着し、
心身の損傷(前記の①レベルの障害)が社会文化的 な観念のなかで捉えられるようになった(②のレベ ルの障害)可能性があることを、「石門心学」(近世 日本おいて庶民階層にも受容されたとみられる社会
思想の一つ)を対象に考え、近世日本の障害認識の 一端に迫ることを課題とする。
なお、国家社会的な有益性また人権や福祉・教育 などの問題を視野に、障害概念が明確化し、法的対 象ともなるのは近代国家の成立以後と考えられるた め(10) 、以下の前近代をめぐる論述では、〈 〉を付す。
一、近世の社会観と石門心学
1、近世日本の社会観障害が社会文化的に構築された観念(前記②)と いう側面を持つとすれば、前近代の〈障害〉の認識 について、かかる観点からの検証は、「障害史」の研 究に必要な手続きだろう。そこで本稿の課題に即し、
近世日本の社会をめぐる当該期の観念やその背景に ついて、先学の議論を踏まえながら、以下の6点に 整理しておこう(11) 。
第一に平和という時代状況である。具体的には、
戦国期からいわゆる天下統一を経た政治や社会の安 定で、乱世から治世へという動きである。「泰平(太 平)」と称され、そのような社会をもたらした武士階 層への恩(恩頼)の観念もみえた。
第二に世界観と人間観の繋がりである。天(自然)
との関わりでの人の把握がなされるようになる。こ のような考え方は、日本独特のものではなく、また 近世以前から、仏教・儒教などを介し知識人には受 容されていたが、それが庶民階層まで広がった。
第三に所属集団としての家(イエ)(12) の形成であ る。家という社会組織は、公家・武家などの階層には、
古代・中世段階からみられるが、戦国期を経て安定 した時代状況のなか、経済的発展なども背景に、庶 民階層まで家相続の意識と実態がみえるようになる。
第四に道徳の社会化である。帰属集団(家)の一 員として自律的、主体的に生きるための徳目の形成 と社会的な浸透である。重視されたのは、忠孝を中 心に、正直・質素など、没落の危機を常に抱える家 の継続性(相続)に重要と考えられる徳目である。
第五に社会道徳の特質である。それは神道(神国)
と外来思想(仏教・儒教・道教)が拮抗、混融した 道徳観といえる。神国思想のなかで「日本人」との 意識もみられる一方、先祖の考え方や諸徳目は、仏
教・儒教・道教などの思想が混じり形成された。
第六に教育や出版の役割である。公教育制度は不 十分だが、庶民階層では寺子屋など社会教育組織が 展開し、出版活動の隆盛のなか、書籍に触れる機会 が増えていく。講話聴講や識字率向上も背景とする 読書などを通じ、道徳観や規範観念が社会知となっ ていった。
このようにして、「神国」に「天」との繋がりを持 つ「人」として「泰平」のなかで生まれ、諸集団
(家、地縁、職業など)の一人として、社会のなかの 秩序を乱さず、自身に与えられた役目を果たし、安 穏で主体的な生活を全うする。かかる社会観や人と して生きる道徳目が形成され、庶民世界に受容され ていった。
2、石門心学
「心学」とは、人間は生得的に完全という考え方 が、科挙制度のもと中国・南宋時代に誕生し、明代 以降に朱子学・陽明学・禅学などとして隆盛したも のとされる。科挙制度がない日本では、応分の社会 的責任を負いながら人間らしく生きる指針となり、
陽明学派(中江藤樹・山田方谷など)、朱子学派(藤 原惺窩・雲川弘毅など)、禅心学〔不生禅〕(盤珪永 琢)、そして石門心学(石田梅岩・手島堵庵など)等 として展開したと捉えられる(13) 。
このうち、本稿では近世日本に社会思想として、
京都で商人・町人哲学の性格を持ち成立するものの、
門流の広がりで、庶民層にも受容されたという石門 心学を対象にする。研究史を整理すると、以下のよ うな特質が指摘できよう(14) 。
ⅰ、 経済行為を積極的に肯定する思想
ⅱ、 民衆の思想的主体形成ないし通俗的道徳論 としての影響
ⅲ、 神道・儒教・仏教を軸に主体的に取捨選択 し、その上で「天」につながる「性」「心」(梅 岩)「本心」(手島堵庵)により自己規律化
ⅳ、 一元的な全体性(天)のなかでの自身の役 目(人としての役割)
ⅴ、 生活・働きは全体性(「上」「国」を軸に編 成された政治社会)に仕える営み(身分制 度の職分という観点からの捉え返し)
ⅵ、 政治社会体制に関心を持つ社会思想と処世 を軸とした平易な人間学(梅岩の社会認識 と手島堵庵以降の継承者の通俗〔平易、大 衆〕化)
ⅶ、 日常的実践を介した学びと生活に根ざす口 語の道話(生活実態を基盤としない高尚な だけの学者への「文字芸者」との批判、生 活感覚の表出と共鳴)
ここでは、石門心学の祖・石田梅岩(1685~1744)
の主著『都鄙問答』(1739刊)を中心に、とりわけ
〈障害〉認識に繋がると想定されるⅲからⅴをめぐる 点を確認しておきたい。
まず、天や性・理については
性ト云ハ人ヨリ禽獣マデ、天ニ受得テ以テ生ズ ル理(天地人の体也〔〈富岡〉以直〕)ナリ。松 ハ緑ニ桜ハ花、羽アル物ハ空ヲ飛、鱗アル物ハ 水ヲ泳(クヾリ)、日月ノ天ニ懸モ皆一理ナリ
(一理トハ一道ナリ〔以直〕)(15)
という。性は人・禽獣・植物から日・月にいたる万 物にあり、それは天から受けた理とされる。理は門 弟(富岡以直)により「天地人の体」また「道」と も解される。したがって、
性ヲ知ル時ハ、五常五倫ノ道ハ其中ニ備レリ(16)
性ヲ知ルハ学問ノ綱領ナリ(略)心ヲ知ルヲ学 問ノ初メト云。然ルヲ心性ノ沙汰ヲ除、外ニ至 極ノ学問有コトヲ知ラズ(17)
のごとく、性を知ることが学問の目的であり、性を 知ることを通し「五常五倫」つまり人として最も重 要な「道」、道徳が備わるとした。なお「心性」との 表現に窺えるように、「心」「性」は同義だが、世人 に応じ梅岩は使い分けたという(18) 。
その「心」は、
万事ハ皆心ヨリナス。心ハ身ノ主ナリ。主ナキ 身トナラバ、山野ニ捨(スツル)死人ニ同ジ(19)
と、身の主であり、それがない身は死人と同じであ る。性の一部で大事な部分が心ともみられるが、身 の主の心がないのは「死人」、つまりもはや人とは言 えないのである。
このように、天から受ける性・理を知ることで道 徳を知り、性の一部といえる心を身体の主とし「生」
を全うする人(「死人」ではない)は、
天より生民を降すなれば、万民はことヾヽく天 の子なり。故(かるがゆへ)に人は一箇の小天 地なり。小天地ゆへ本私欲なきもの也(20)
天から下された「生民」で、「天の子」として一箇の 小天地なのだ。それ故に本来は「私欲」を持つ存在 といえない。のみならず、天下安穏を実現した「上」
(具体的には幕藩領主)の高恩へ報いねばならないと する。
それ天下安穏に治り、有がたく忝事(略)我 家ゝゝに安居して、士農工商をのれゝゝゝが業 に心をいるれば、何の不自由なきやうにとの御 仁政、上は申も恐れあり(略)此御高恩いかん して報じ奉るべきや。明には知ねども、我身を おさめ、上を犯すことなきやうに慎み、父子・
夫婦・親類・縁者、家の小者に至るまで、たが ひに睦じく打和らぎ、吝(しわ)きことなく倹 約を守り、一人の小者、又は出入従ふ者をあは れみ助けたき志なり(21)
天下安穏のなか、家業が不自由なくできる高恩を 自覚しそれに報いなければならない。身を修め、上 を犯さず(幕藩法の遵守)、自身が属する社会集団の なかで相互扶助し合う道徳的な生き方、これこそが 上が実現した天下安穏のなか、家業にいそしめる社 会を実現した「上」(幕藩領主)の恩に報いることな のだ。その意味で
士農工商ハ天下ノ治ル相(タスケ)トナル。四 民カ(欠)ケテハ助ケ無カルベシ。四民ヲ治メ 玉フハ君ノ職ナリ。君ヲ相ルハ四民ノ職分ナリ。
士ハ元来位アル臣ナリ。農人ハ草莽ノ臣ナリ。
商工ハ市井ノ臣ナリ。臣トシテ君ヲ相ルハ臣ノ 道ナリ(22)
天下を治める「君」(「上」と同義、ないし具体的な 幕藩領主を指そう)の「臣」として家業・職分を果 たすことが、四民の道、つまり人としてなすべきこ となのである。
ここには、家業・家職をそれぞれの立場で務める庶 民も含めた「四民」の社会的立場や役割が示される。
3、方法論としての有効性
石門心学を対象にする理由は、かかる庶民レベル での〈障害〉認識のあり方に留意したいためである。
ここで注目する宗教的な世界観(天・性・理など)
と人間観(身・心など)を結びつける思想は、東ア ジア世界では密教にみる胎蔵・金剛両界や儒教にみ る天人合一などの思想として、古くからあったとい えるが(23) 、かかる世界観(自然と人間のあり方)の 庶民レベルでの浸透の実像が、西日本を中心にほぼ 全国に展開した石門心学(24) のテキスト類に見いだせ る。先述した石田梅岩の主著『都鄙問答』が参照し た文献は、日本の書籍(神道書)はむしろ少数で、
儒教・道教さらに仏教書に及び(25) 、その意味で、東 アジア世界に展開してきた宗教と人との関係をめぐ る世界観が、庶民層にも平易に語られるようになる、
そのような近世の時代状況を示していよう。
かかる特色を持つ石門心学に庶民レベルでの〈障 害〉認識を探るのは、意味ある仕事だろう。
しかし、石門心学は京都の商家奉公人(梅岩)が 祖とされることに象徴されるように、そもそもは町 人の哲学であり、都市住民の社会観の形成、という のが本質であろう。また石門心学は近世末期には、
いわゆる報恩思想(二宮尊徳およびその門人)に、
庶民道徳としての役割を変わられたともいえ(26) 、影 響力は衰えたとみられる。
かかる点に留意しつつも、石門心学が先述の特色 を持つが故に、これを介した〈障害〉認識の分析は、
むしろ重要だろう。本稿では、近世中期に成立した 石田梅岩による学問とその展開(その総体が石門心 学)から、民衆の政治社会観・人間観や生活実感を 読み取る可能性を見据え、梅岩から門流(後継者)
への動き(政治社会への関心と社会思想の大衆化を 通じた人の処世)のなかに、近世庶民の日常性や生 活感覚を、その発露の場(講話、問答、道話など)
のなかに探り、〈障害〉認識の析出を試みたい。
ただし、石門心学の研究史に、かかる観点は管見 の限り見あたらない(27) 。心学全般では、不生禅(人 は生まれついたときに仏性を両親から与えられてい る)を説く盤珪永琢(1622~1693)につき、「不学の 人、知識に汚染されていない人ほど、ひいては身体 機能に障害を持つ人はなおのこと、あるがままに不 生の仏心を決定するという」(執着の念が生じない)
との指摘がある(28) 。この盤珪と石門心学との関係に ついては研究史もあるが(29) 、〈障害〉をめぐる言及
はみえない。
すなわち、「心学」研究の一部に〈障害〉認識につ らなる指摘が若干あるものの、石門心学を対象にし た〈障害〉認識の析出やそれへの言及はなされてい ない。とすれば、本稿の試みの有効性、妥当性は不 透明と言わざるを得ないが、冒頭に示した立場から、
方法論提起の意味も込め、以下に進めたい。
二、道徳性と差異化
1、道徳性と〈障害〉
石門心学は社会と人の関係を諸学(神道・儒教・
仏教など)の影響をうけながら論じるが、〈障害〉認 識の析出という立場からすれば、石田梅岩とその高 弟の手島堵庵は、とくに儒学(30) を軸に、社会と人の あり方を問うなかで、性・理や心、それに基づく道・
徳(いわば道徳)との関連で、〈障害〉に繋がる認識 を示していると評価できよう。
石田梅岩(1685~1744)は、丹波出身の京都・商 家奉公人で、石門心学の開祖者とされる。先述した ように、人は「小天地」という立場から、心と体(心 身)の関係を意識した次のような人間観を示す。
根元をいふ時は一つにして二つなし。又別るゝ 時は万物と成て自ら別々也。別々成が故に一つ 成事明也。故に人は小天地也。又人を以て云はゞ 眼耳鼻舌身意有。一身を以て云時は心を以て体 とし、眼耳鼻舌身意を以て用を為す。用を為す 時は森羅万像己の心にあらずといふ事なし。又 人間禽獣と別るゝ事を云はゞ人は天の気を全く 請たる故に天地と云。禽獣は天の変動を受たる 故に、其貌変にして天に背けり。さればこそ心 も同じ。体即心心即体也(31)
人や禽獣も含めた事物は、天より性をうける、とい う意味では一つだが、様々なものに分かれ万物とな る。しかしそれらは別々ではなく、あくまで一つで ある。「小天地」としての人は、眼・耳・鼻・舌・身 そして意に分かれるが、それらは「一身」をなし、
「心」が「体」(本体)で、眼・耳などの諸器官や意 という機能は、「用」(働き)をなす。人の身体各部 の「用」(働き)は「心」によってなされるのであ る。人は「天の気」をうけるので小さな「天地」(小
天地)であり、禽獣は「天の変動」を受けるため、
その「貌」は「変」にて「天」に背くとする。「体」
と「心」の密接な関係が説かれる。
心(骸・体)と身体諸器官(目耳鼻舌身)との具 体的関係はどのように考えられるのか。
凡テ眼耳鼻舌身共ニ己レゝゝガ職分アリ(32)
カヽル所ヘ聖人来テ目ヲ見テ曰(略)眼耳鼻舌 身ヲ凡(スベテ)主(ツカサド)ルユヘニ心ト 云。コノユヘニ心ハ主君ナリ。心ノ為ニ汝等ハ 臣下ナリ、臣ハ四足ノ如シ。君ハ骸(カラダ)
ノ如シ。骸ハ四足ヲ使フハ常ナリ。手足ハ骸ニ 事(ツカヘマ)ツル者ナリ。汝(目)モ己レヲ 敬ミ心ノ令ニ従フ時ハ職分ヲ保テカスミカスム ノ害ヲサケテ一生明カナルベシ。令ニ不従色欲 等ニ溺ルヽ時ハ、日々ニカスミカスンデ万物ヲ 照ス事難カルベシ(33)
まず眼・耳などの諸器官には「職分」があると、人 の社会における職分に引きつけ説く。そして聖人が 目にいうこととして次のように述べる。心が諸器官 を司るので、心が主君で骸(体)、諸器官は臣下で四 足、のようなものだ。器官の一つである目も心の指 示に従えばその機能(職分)は保たれ翳んだりしな いが、指示に従わず色欲に溺れれば、次第に翳み、
万物を識別することが出来なくなる。主君である心
(本体)が臣下で職分を持つ諸器官を統制するという 比喩は、社会観・職分観と身体観を関連させる思考 である。そして道徳性がなければ(色欲への溺れ)、
器官の機能が不自由になるとし(視覚の障害)、道徳 と器官の機能不全である障害(機能障害)が、密接 に関連する構図がみえる。
かかる論法は、欲心を控えさせる道徳性の涵養を 目的とするものといえるが、比喩に止まらない意味 を持っていたことが、次のような論述にみえる。
眼耳鼻ヨリ手足ニ至ル迄、斯ノ如ク自由スル事 ハ、目ニ見ルト謂ヘドモ目ニ見ユル所以ナシ、
口ニ言フト謂ヘドモ口ニ言フ所以ナシ、又足ニ 行ケドモ足ノ歩行スル所以モナシ。然ルニ斯ノ 如ク自在スルハ万徳ニ非ズヤ。此妙用ヲ知ラズ シテ外ニ妙ヲ見ルト思フ迷心ヨリ此身ノ有難キ 事ヲ知ラズ(34)
諸器官が働く(機能する)理由(「所以」)はないと
する。これは医学的知見の不十分さにあるが、重要 な点は身体器官の「自在」が「万徳」に拠る、とい う考え方である。器官の自在性(機能)は、「万徳」
いわば人が具える道徳性が支えるという見方である。
先述した心身の損傷としての障害(①の部分)が、
道徳性との関連(②の部分)で捉えられているのを、
梅岩の思考から読み取れよう。そしてかかる思考は、
門流(石門心学につらなる人びと)にも、各人独自 の思考が重なりながらも継承される。
2、〈障害〉の差異化と比喩
手島堵庵(1718~1786)は京都の商家出身で、梅 岩につき心学を修め、心学布教に専念した人物であ る。堵庵は、〈障害〉を持つ人びととそうではない人 びと(いわば健常者)を、区別、差異化する思考が 存在していたことを記す。次は、人の「片輪」を笑 わないという叙述である。
一 、人のかたわなるを見て笑はぬものにて候。
並に外より人の来りたる時、又帰る時など、
かたかげにて笑はぬものにて候
(小字)むかし和漢ともに、人の見めあしき を笑ひ、ちんば(歩行障害、身体障害者)、
かんだ(かったい。癩病者)をわらひて、
其笑はれたる人怒(はらだち)て、わらひ たる人を害(ころ)し、剰家国まで亡ぼし たる事ためし多き事に候。ちかく前かた我 が存じたる人、湿の病(梅毒)にて鼻をち たるが、人の見て笑ふを甚無念におもひ、
根ぶかく遺恨に思ひたる人あり。誠におそ ろしき事なり(35)
歩行困難な者や癩病(ハンセン病)者、梅毒患者な ど、身体の機能障害や容貌の変化も伴う重篤な病者 への恐怖心と嘲笑の念、認識が前近代にて常態化し ていたことがうかがわれ、〈障害〉を持つ人びとをい わば他者として認識する回路の存在がみえる。
このような差異化される〈障害〉は、梅岩と同じ く、人またそれが持つべき道徳性を介し認識される。
次は人としての有用性をめぐるものである。
性理に背き、気抜け、狂乱、凡夫庸人は、用に立 たず死んでいるようで、「人」ではないという。
人性理に背きはたらく時は、見かけは人のごと
くなれども、人にあらず。然れは人気は死して 少しもなし。それを譬ていはゞ、こゝに気ぬけ のしたる人か、又は大きに狂乱に成たる人あら ば、これ人の用にたつべきか。人として人の用 にたゝざれば、人なきに同じ。木にても見るべ し。立がれの木は、木の用にたゝず。これ木の 理つき去るが故なり。悪人もそれにひとし。故 に性理去りつくる時は活(いき)ながら人物有 ことなし。凡夫庸人は、活きたるがごとくに見 ゆれども、道を知る目より見れば、死物なる事 あきらかなり(36)
「性理」が尽き去り、「用」に立たない状態は、「道を 知る目」(事象の本質を知る人)からみれば「活」き ながらも「死物」同然とする。「性理」に応じる有用 性で人としての資質が判断され、「気ぬけ」「狂乱」
「凡夫庸人」は、「気」を失った「死物」と同じで、
もはやそれは「用」をなしえず「人」とはいえない。
性理に背くことが不道徳なあり方であり、ここでも
〈障害〉(精神、知的障害が想定)の認識をみてとれ よう。枯れ木同様に「気」がない者として「悪人」
呼称をすることも留意される。
身体性が〈障害〉認識と結びつく可能性について は、『中庸』にある教え(天の命が性、性に従うのが 道、道を修めるのが学問)を引き合いにし、「根元の 性にしたがひはたらきて、此身の勝手人欲のなき所 を本心といふ」(37) との主意のもと、
人の身を脩るをたとへは、聖人の性に順ひ給ひ たる姿は頭手足全体ゆがみなく直(まんろく)
なるがごとし。諸人は頭手足悉く色々に捻れゐ るがごとし。こゝを以てその聖人のまんろくを 手本にし、見聞習ひて諸人が性に違ひたる曲み を直すが、即性に順ひやうを為習(しなら)ふ といふもの也。これが誠の学問のしやうなり。
これが教といふものなり(38)
人の心身は捻ているようなもので、性に従う教によ り真っ直ぐにすると言う。心身の「捻」が人として の「捻」(「性」に従わず「人欲」から去れない状態)
に例えられる。「人欲」を離れない不道徳性が身体の
「捻れ」として比喩化されており、それを同一視する 文脈とみるのも可能だろう。いずれにしても、道徳 性が〈障害〉を介して教諭される構図がみてとれる。
身体の諸器官をめぐる論述は梅岩もしたが、堵庵 は器官のレベルまで道徳性の見方を持ち込む。道徳 性のなかで重視された五倫と身体の関係について、
身体の器官の我意が、身体の和合を壊すと述べる。
抑人の五倫の大略をいはヾ、顔は主親のごとし。
背は妻のごとし。両手は兄弟のごとし。子や家 来は惣じて手足の働きのごとし。親類朋友諸人 は全体の如し。具には推して知るべし。されば 惣身少しも不和合にてはしばらくも安楽ならず。
此不和合何より発るといへば、目は我なくば見 る事なるまじと己を奢り、足は我なくバいかで 行歩の用を達せんと気まゝをし、手は本より何 がありても我なくばめしもたかれまじ食れまじ、
商売諸職もできまじと、臂を張て互に我を驕り 他をいやしめ、目は気随きまゝに色にそみ、鼻 はありたきまゝに香にめでゝ、耳の声、口の味、
身の栄曜にいたるまで、皆ありたひ我意より出 来る事なり(39)
五倫が諸器官(の機能)として例えられ、各器官の 勝手な「我意」の思い(奢り)が身体不和合(病気、
障害)の原因、という見方が示され、人間社会にお ける五倫道徳の不全が、その関係性を壊すことの比 喩とされるのである(40) 。
堵庵にあっても、梅岩と同じく道徳性と結びつい た〈障害〉認識が指摘できるが、〈障害〉を差異化す る認識はより明確となり、それを学問を修めず「性」
「道」などを知らない人びとに対する教えとして、比喩 化する思考もあった。というより、道徳性の欠如と 心身の〈障害〉を同一視していた可能性さえみえる。
道徳性との関連で〈障害〉認識を持ったといえる 梅岩、堵庵の見方は、その後の石門心学の門流に継 承された。そして、石門心学が諸学混融の性格を持 ち、また近世中後期の社会動向とも相まって、その 後、多様に〈障害〉認識が展開する様相がうかがえる。
三、〈障害〉認識の展開
1、政治社会と天罰観
京都西陣機織業に出自するも、日蓮宗徒を経て手 島堵庵に学び、江戸下向後に心学布教に携わった中 沢道二(1725~1803)は、当該期の政治社会観と天
の観念の繋がりのなかで、欲(金銭)に対する天罰 を想定し、その中の一つとして、難病、業病、癩を 挙げる。
天、何をかもの云はざるゆゑに、御上に命ぜら れて、天下の万民を預け給ふ。則ち御上が、天 の御名代なれば、直に天じや。人は、御上のも のにして、此身は、御上よりの預りものじや(41)
合点の悪い人は、我家や我入れものにある金は、
やつぱり我ものゝやうに、染来沈込(しみらし つこ)う思ひ詰めてゐるものじや。けれど、元 来御上のものなれば、何時召上げらるゝという ても、仕やうはない。夫でも、天道は、大慈大 悲のあまり、四民というて、役々をわけ士は不 義不道を糺す臣、百姓は農業の臣、商人(あき うど)、職人は市井の臣というて、夫々の家業の 上に、御定めありて、利益を下さる。夫を天禄 として、今日を送る(42)
金がなければ、どうもならぬと、人の難儀もか まはずハアスウヽヽヽヽ。夫の道を失ひ、欠落、
分散、狐つき、心中、身投、首縊(くびくゝり)、
さもなくば、愁ひ、災難、困窮にくるしみ、妻 子を失ひ、難病、業病、癩(かつたい)とまで に成りて、身を腐らす。いずれ天の御刑罰。遁 るゝ事はならぬ(43)
「御上」すなわち幕藩領主を「天」の名代とし、「人」
は御上のものなので、家の資産は御上に召し上げら れても仕方ない。家業は天道より与えられた役でそ の利益は「天禄」だからである。このように当該期 の政治社会の秩序や収受関係を是認する。しかし、
金銭欲にまみれ人の難儀もかまわない生き方をすれ ば、「道」を失い、欠落、心中、身投げなどが強いら れ、災難・困窮に苦しみ、「難病・業病・癩」にまで なって「身を腐らす」という。つまり政治社会で定 まった「分限」を人欲によって過ぎれば、「天地の咎 人」(44) になるとする。
金銭欲、分限過ぎに対する天罰、という考え方は、
厳格な身分制社会であり貨幣経済が隆盛をみた近世 的な捉え方といえよう。また、〈障害〉認識の論点と して注目したいのは、仏教と業病という関係(45) が、
天からあづかった御上が布く社会規範を軸に、天・
幕藩領主と業病という関係に変質していることであ
る。分限をこえた欲は、天とその名代で天禄を認め る幕藩領主に対する悪罪、という認識である。〈障 害〉認識が、天(自然の理)と人(人欲)と政治社 会(御上・家業)の関係性のなかに見えている。
2、天命と道徳
道二はかかる天罰観とともに、「天命」観で〈障 害〉を捉える思考も示す。人と天命の関係のなか、
「片輪」(障害)も天命とする。
此骸(からだ)は、どうしてできたものじやぞ。
一滴の水が母の胎内十月の間に、鼻が出来、目 が出来、耳が出来、口が出来、手足が出来て、
とうとう建立成つた此宝塔じや。是は、誰れが 立たのじや。親の細工ばかりじやない。是が親 の細工ばかりで出来るものなら、世界中に片輪 者は一人も出来ぬはずじや。(略)こしらへる時 は、両方互に無心境界、少しでも手細工は叶は ぬ。天命じや。天命に違ひない(略)皆天命な る事を能うあきらめ(明らかにし、自覚し)、自 身一人前の願ひ望みをさつぱり捨てゝ、たゞ今 日から一日ぐらし、御先祖の御影で、先づ雨露 にも濡れず、一日ひもじいめ、寒いめしらず、
三度々々の御飯いたゞいて、畳の上に寝起する 事は、扨も々々有難い事と、一つ々々味はうて 見たがよい。何が不足なぞ。大体果報な身の上 じやないぞえ。あんまり結構過るゆゑホンヽヽ、
向ふばつかり見て、肝心の我乗てゐる蓮華を踏 はづして、落つるものが多い(46)
人は両親の力のみでは生まれず天命が関わる。人の 人間としてのあり方の違いはその天命により、「片 輪」も天命がなすものという。しかし天命は人のあ ずかり知らないものとは考えられていないようだ。
日頃生きるうえで願いを捨て、諸々のことが有難い と自覚すれば、不足ないはずである。しかし、さら に他の良い境遇へと目を奪われると自身の「蓮華」
(生活の基本)を踏み外してしまう。したがって、天 命と道徳的な生き方は、別物ではない。
つまり、〈障害〉は道徳性と天命という二つの次元 で捉える思考があったことが想定されるものの、道 徳性は天命の実践でありその意味で別ではない。不 道徳性や欲は、生き方についての自己責任との考え
方といえ、それが〈障害〉認識とも結びつく。
〈障害〉認識における天命と道徳性の関係を考える 時、布施松翁(矩道、伴右衛門。1725~1784)の話 し(47) は注目される。松翁は京都呉服商出身で、手島 堵庵・富岡以直について石門心学を修め、京都周辺 で布教した。彼は道徳性・天命と〈障害〉を次のよ うに例える。万物を造化する「本心」には、弟子の
「私心」がいる。本心は私心がまだ「愚痴」(未熟)
として、私心による造化の希望を認めない。しかし 私心はその命令に背き、自分も造化が自由に出来る ようになったとして人間を造化した。
天窓(あたま)が大きうて、骸(からだ)の小 さい目大きにして耳の小い、鼻は獅々舞鼻で、
口はとがり、手が大きうて臂細く、足小うして 膝大きく、脊骨有りて腹なく、言ふにいはれぬ 不器用なもの出来(でか)した。私心もあきれ て、コリヤどうぢや。本心の教の通り、少しも 違はぬ様に造化したが、どうして此やうな、変 物が出来たぞ。本心曰く、汝我教を請けるとい へども、其教を請たる所に過不及あり。夫ゆゑ に、斯の如き不具成ものを造化する、是汝が自 業自得にして造化の私にあらずというた(48)
その結果、人間として「不器用なもの」「不具成も の」ができた。私心は本心の教え通り造化したとい うが、本心からみれば、教えのうけかたに過不及が あるための「自業自得」と評する。そして
片輪にしては取返しがならぬ、大事の事ぢや。
どなたも能う心得て居ておくれなされ。此様に 生きてゐるは、天命で生きてゐるゆゑ、自由が 出来る。此自由を、我才覚ですると思ふゆゑ、
我まゝをする、此我まゝと天命と、混乱(まぜこ ぜ)にするゆゑ、色々様々の化ものが出来る(49)
と、「天命」と「自由」の関係を述べる。人が生きる のは天命であり、それを自覚することで自由が出来 る。しかし、この自由を自身の才覚でなしえるもの と考え、「天命」と「我まま」を混乱させるので、私 心による造化のように、「取返し」ができない「片 輪」「化もの」が生じるという。
ところで、松翁に限らず、石門心学を説く人びと が〈障害〉に触れる際は、道徳性の教諭として比喩 化されることが多い。〈障害〉を引き合いにして、人
としての生き方を喚起させるのである。松翁は上記 の話し(道話)の続きとして次のように言う。
正直は正直といふ説法、瘖(おし)聾で盲目の なへは、六根不具という、さんげの説法、皆天 地の御直説法ぢや。若其やうな片輪ものに成つ て御らうじませ。夫も天命なれば、是非もなけ れど、大体難義なものぢやない。今日此やうに どこに一つ申分のない骸に生れたは、有難い事 ぢや。二親の御影、此身の仕合、大体御礼申さ にやならぬはずぢや。夫を何とも思はずに居る ゆゑ、皆手細工の瘖聾、目くらに成つて暮しま す。かなしい事ぢや(50)
「瘖聾で盲目のなへ」(聴覚・視覚・身体障害)は「六 根不具」で「天命」としてのがれられないが、「難 儀」なものではない。むしろ、申し分ない体に生ま れた人びと(いわば健常者)は、両親や自身の健常 な体に感謝し、有難いと思わなければならない。そ うでなければ、言うべきことを言えない、聞くべき ことが聞こえない、見るべきものが見えない、その ような〈障害〉を持つ身として暮らすことになる、
とする。
〈障害〉(「片輪」)を「天命」とするもののそれは 不道徳・私心と繋がり、またそれを人びとに戒める 比喩として、語られるのである。
3、神仏と先祖
近世の庶民世界に、天・性理と人の関係を浸透さ せる役割を果たしたとの評価が石門心学にはできる が(先述)、先祖意識も含む神仏を介した〈障害〉認 識を、より直裁に示す門流もいた。神道ないし神仏 習合の見方が強いといえようか。紀州有田(在田)
郡湯浅町の醤油業出身だが、没落後に京都に出てき た鎌田一窓(1721~1804。虚白斎)は医業を営みつ つ、人力を相対化し、神への不信心による感覚消失 につき述べる。
一面の神国なれば、神の宿り給はざる處やある、
目に見、耳に聞、口に味を知る迄も、神の宿り 給ふにあらずして誰(たそ)、但し人の力にて、
見たり聞たり味を知るとする歟、其神を神と知 らず、皺くた神にするときは、視れども不見、
聴ども不聞、食へども其味を不知に至る(51)
目・耳・口の感覚(視覚・聴覚・味覚)は神により 支えられるが、人力と思ってそのことを知らないと 機能しないとし、様々な身体的な感覚が神との関係 で捉えられている。いわば感覚障害は神の信心につ らなる事象との見方だが、「神国」という帰属意識と の結びつきは、考慮すべきだろう。
健常な身体を与えた先祖(二親)への感謝には、
布施松翁も言及していたが、一窓も両親・先祖は、
〈障害〉をのぞく健康の生仏として、次のような例え を話す。
様々な障害を直す地蔵尊が掘り出された(52) が、
扨また爰に霊験無双の生き仏おはします。本よ り兀(はげ)に毛をはやし、耳も元来(もとよ り)よく聞かせ、目も明らかに、膝行(ゐざり)
も立せ、見聞覚知起居動作、何にも不足無きや うに、産付給ひし御仏あり、人々是を知らざる 歟、但しはいまだ掘り出さぬか。地蔵菩薩を信 仰して、朝夕合せて拝む手も、毎日歩を運ぶ足 も、かくのごとくいふも、聞くも、皆生仏の御 蔭ならずや、此有りがたさ、尊さは、いづれも 如何思召ぞ。誰が育てゝ誰が養うて生て居るぞ と本さがしや。誠に一両年は諸方米穀高直にて、
国により處によりては、餓死の沙汰も粗(ほぼ)
聞え、世上には困窮する人数多有りしに、幸な るかな、一日喰はずに居た日もなく、一夜さ着 ずに寝た夜もなく、ぬくゝゝと暮せし事、是皆 父母先祖の御蔭なり、有りがたき事ならずや(53)
飢餓にあわず、〈障害〉も持たず健康に暮らせている のも父母・先祖のおかげという。ここでは天命では なく、仏神にも準えられる先祖・親に留意しており、
自由な身体性を、「父母先祖の御蔭」といわば身近な 存在と関連付ける。
4、〈障害〉認識の二重性
布施松翁は健常な体やそれを与えてくれた両親へ の感謝がなければ、人として不道徳な生き方を強い られるとし、〈障害〉に例え、人としての生き方を喚 起させた。このように、石門心学には、〈障害〉を不 道徳性と結びつけ、〈障害〉を持つ起因とする見方と
〈障害〉者と同質視し比喩化する見方、この二重の認 識が指摘できる。手島堵庵や布施松翁に学ぶも、神
仏儒批判で一時破門され、死没前年に梅岩門人簿に 登録された脇坂義堂(?~1818)は、「二種の聾」を いう。
おもふに、耳の通ぜざるに、二種あり。一つは 天然の聾(つんぼ)、二つは自作の聾なり。彼の 天然の聾といふは、あるひは、生れながらにし て聾(みゝ)しひ、あるひは、病に犯されて、
聾(みゝ)しひとなる類、是なり。これらは、
不自由なりといへども、書いて見せしかたすれ ば、通ずるなれば、憂ふるにたらず。只憂ふべ きは、自作の聾なり。人、諫むるに、嘉言、善 行をもつてすれども、これをはゞみて、きかず。
あるひは、主君、父母、用事ありて、召せども 唯諾(へんじ)せず。その外、我勝手あしけれ ば、其命(そのいひつけ)給ふところ、厳しと いへども、かぶりをふりて、聞かぬなり。これ らは、薬師の御手にも、などか及ばんや。然る に、此疾(やまひ)ある人、是を憂ふる事をし らずして、偶(たまゝゝ)逆昇などして、少し 耳遠くなればはや、不自由なりとて、あるひは 服薬し、あるひは薬師に願をかけなどす。形の 不自由なる事をしれども、心の不自由成る事を しらぬこそ愚なれと、いふべし(54)
「天然の聾」は生来ないし病による「不自由」な状態 だが、筆談(障害補助の考え方)などでなんとかな り「憂ふるにたらず」とする。「瘖聾で盲目のなへ」
(聴覚・視覚・身体障害)は天命でのがれられないも のの「難儀」ではないとする、布施松翁の見方にも 通じるが、義堂の場合に留意すべきは、〈障害〉の補 助思想が背景にあることだろう。
松翁が〈障害〉を「難儀」と考えない背景は、「手 細工の瘖(おし)聾、目くら」つまり人として不誠 実、不道徳な生き方により、「言えず、聞こえず、見 えず」の〈障害〉を自ら負う(「手細工」)状態とな る人びとの存在が、より深刻と考えたからである。
義堂も同じく、「自作の聾」を想定し、諫められて も聞かず、主君・父母よりの用事に諾の返事をせず、
そのほかの言いつけも聞こうとしない。このような 人に限って、少し耳が聞こえづらくなると服薬、願 掛けなどをする。つまり実際に耳が遠くなる「形の 不自由」には敏感で心労するが、自身にとり不都合
なことは聞こうとしない「心の不自由」には気づか ない、とするのである。
このように、実質的な心身の損傷であるとともに、
人としての生き方に問題がある場合を仮託する装置 としての〈障害〉、このような二重の〈障害〉認識が あったことが、指摘できる。これらは、「はじめに」
で言及した障害指標に照らせば、前者が①レベル(心 身の損傷)、後者が②レベル(社会文化的な観念)に 相当するといえよう。
5、障壁と自活
ただし改めて確認したいのは、実質的な障害であ る心身の損傷が、「大体難義なものぢやない」(布施 松翁)、「憂ふるにたらず」(脇坂義堂)としても、そ れは相対的な見方であり、「片輪にしては取返しがな らぬ」(布施松翁)というのが、庶民の大方の意識で あろう。そこには、様々な思惑が想定される。
〈障害〉を持つことが生業を営むうえで困難な状態 と一般的に考えられていたのは、鎌田一窓の次の逸 話に窺える。
某男子三人もつ、惣領は先ヅ十人並み、是には 迹を続す積り、二番目は利発者、何商売でも仕 かねぬやつ(どんな商売でもし損なわない)、只 苦になるは三之助、百姓も出来ぬ鈍物、夫故出 家の思ひ付、渡世の為には、何宗が性に合ハん、
御考下さるべし、翁の曰、剃髪して仏道に入る 者は、財宝を捨て家を出て、日中一食樹下一宿 とて、同じ木の下にも、重ねては寝ぬといふに、
渡世のために出家させ、仏を売て喰などとは、
浅ましき親心、其元のやうな親があるゆへ、出 家のうちにも、出家にあらぬ出家もあるげな、
是はその出家の科ではない、(略。出家は楽とし て子どものうちからやるも、成長するにつけ外の 世界に目覚めいやになり堕落する)、見過ばかり の事ならば、出家にせずとも、心易き相応の家 職あらん、子が生れば乳が添ふ、鈍な者は鈍な り、片輪な者は片輪なり、喰分はあるものぞ(55)
兄弟のなかで、三男の「鈍物」(知的障害と想定)は 生業(百姓)が出来ぬゆえ、親にとっては「苦」と される。これは現代にも通有する親心のあり方だろ う。ただし、一窓はそのような親心には否定的で、
安易な出家がその堕落を招くとし、「鈍な者は鈍な り、片輪な者は片輪なり、喰分はあるものぞ」と、
〈障害〉者の自活を促そうとする。先述した脇坂義堂 の障害補助に通底する障害者の自活の考え方は、こ れも現代に繋がろう。
「片輪」は取り返しがつかないという思惑のうち、
重要なものの一つとして、人と違うという点で「恥」
の観念も想定される。京都江戸飛脚本番宰領家出身 でのち講談家などを経験したが、45歳で失明したと いう柴田鳩翁(1783~1839)は、薬指について、「無 用」でも「人なみ」でないのは「恥」であり、故に 治療する、という逸話を紹介する。
(指)皆それぞれに用があれども、無名指(注、
薬指)ばかりは無用のゆび、あつて邪魔になら ず、なくて事はかけませぬ。一身のうちにて、
軽ひものじや。其指が屈(かがん)でのびぬ。
勿論いたみもかゆみもない。故(かるがゆゑ)
に疾痛事に害あらずと申てある。畢竟なくても 苦しからぬ指なれば、まがつて有ても、いたみ さへなくば捨ておいて能い筈なれども、もしこ れを、よく信(のば)してくれる医者どのがあ ると聞たら、道の遠いもいとはず、さだめて療 治をうけにゆくであろう。それは何ゆゑ、指が 世間の人と少し違ふてあるゆゑ、恥かしうおぼ えて療治をうけまするのじや。(略)是其指の人 なみにないをいやがるから参ります(56)
「無用」の存在という見方があるにもかかわらず、そ れさえも「人並」(常態)でなければ「恥」なのでど うしても直そうとする。身体の用益性より常態性が 重要視されているのが理解されよう。「人並」ではな い身体性(あるいは心身性といえるか)は、差異化、
忌避される対象である。ここにも、①と②のレベル の〈障害〉認識の関係がみえる。
おわりに
―総括と問題
―1、石門心学からみえるもの
近世日本の社会思想である石門心学を対象として、
庶民層の政治社会観やそれとの関わりでの人間観の なかに〈障害〉認識が伏在するという見通しのもと、
その析出を心がけた。先述のごとくこれまでの研究
史にみえないアプローチのため、本稿に示した視角 の有効性は叱正を期したい。石門心学の門流が西日 本を中心に全国に広がったとしても、京都商人・都 市社会に生まれたとの地域性も免れない。
しかし、一定の試論提示の意味も込め、以下に若 干の整理と残された問題を記すことを許されたい。
石門心学の著作・講話・問答集・道話類に、庶民 の日常的な感覚のなかの〈障害〉認識を指摘できる とすれば、その前提として「天理」(自然の理)に拠 る「人」の「性」「心」に基づく心身、心と体(器 官)の調和的な関係がある。しかし不道徳的動機
(欲、孝心亡失など)は、「人」の「道」から外れた 状態を生み出し、これによる心身(機能)の損傷と なる。やがて、それは幕藩領主権力と結びつけられ る。石門心学門流には、道徳性(いわば自己責任)
ではなく「天命」、また「天理」「性」「心」ではなく
「御上」(領主権力)と結びつけた業病観や神仏習合 的な認識もみえる。
かかる様々な見方から析出されるものは、自身や 常態を基準とした他者認識であり、それは、「恥」の 意識として立ち現れることもある。総じて言えば、
社会的有用性を持ち生活する「人」としての資質・
姿態から離れた状態が、近世日本における〈障害〉
認識のいわば核心といえるのではないのか。
〈障害〉は差異化されたものとしての比喩の側面を 持つ。道徳性の教諭、教化普及のなか、「人」からの 差異化の比喩の〈障害〉が、石門心学の庶民向けの 講話・道学などで語られる。しかし一方で、〈障害〉
を持つ人への補助や自活という考え方も形成されて おり、これは現代の障害観に繋がるものとして、追 求すべきだろう(57) 。
一概の要約は難しいが、石門心学を介した近世日 本の〈障害〉認識は、人としての資質の具備、この ように提起しておきたい。
これまでの近世日本をめぐる筆者のトレースによ れば、〈障害者〉への救済、補助の必要性の考え方が あるものの、仏教的な罪障観や家筋意識、社会的有 用性などを背景とした差別意識も併存していた(58) 。 石門心学を介してみれば、儒教の社会化のなか、
秩序を支えるものとしての道徳観、規範観念による
「人」のイメージが形成(「天理」につながる「性」
「心」を具える、本来的な「人」)、それとうらはらに 人の多様性(一律ではない様々な身体特性や能力、
性格、情緒性などを持つ人)に対する社会的許容の 減退が、近世段階の〈障害〉認識形成の背景の一つ ではなかろうか。
2、考慮すべき問題
近世日本における「人」の資質・道徳性を語るな かで差異化の眼差しが大きくなり、それに繋がる〈障 害〉の認識が明確化してくるとなれば、例えば、
α、 「人」としての資質のなかに、罪障観や有用 性、さらに共同体(家)構成者としての適 正などの価値観が伏在してゆくか。
β、 石門心学のテキスト類での〈障害〉の比喩 化は、日常的に身近な存在という感覚が背 景にあるとみえ、それは〈障害〉を題材化 した文芸創作との関連がみえるか。
のごとき問題も浮かび上がる。
このような点は、「はじめに」で触れ、また本稿の 分析視角とも考える障害の二つの指標、すなわち心 身の損傷と社会文化的な観念が、とりわけ前近代に おいて、相互に関連し合い、様々に立ち現れる様相 の解明につながろう。本稿において、心身の損傷が、
人として持つべき道徳観との関係で、いくつかの局 面(心身機能の道徳的な捉え方、道徳性欠如の障害 への仮託など)をみせたのは、その一端だろう。
以上のように、近世日本の〈障害〉認識を、人と しての資質の具備を前提に人の多様性に対する社会 的許容の減退、このような事柄として捉えるとすれ ば、この前後の時代、すなわち、古代・中世や近代 との関係での位置づけや評価は、いわば〈障害〉認 識の歴史的形成や展開という観点から必要と考える。
この点は、今後の課題としなければならないが、強 引な試論を述べれば、とくに、心身の損傷(狭義の 障害)を社会文化的観点からみた規定的価値観につ いて、
ⅰ、古代・中世=神仏との距離
ⅱ、近世=人としての資質の具備
ⅲ、近代=公益への貢献
と、考える。ⅰに関しては、人に対する正負の価値 観を付与する神道・仏教・陰陽道などの宗教が、〈障
害〉認識形成のベースと捉える(59) 。ⅲは、経済的自 立、優生思想、国家への負担義務などの「国家」的 価値が格段に重視される社会形成のなか、障害認識 は確立すると考える(60) 。
かかる見方の成否は暫くおくとして、心身の損傷
(狭義の障害)が、各時代の社会文化の価値観のなか で様々に捉えられ、障害の認識が歴史的に形成され る可能性を、改めて記しておきたい(61) 。
注
( 1 ) 障害認識の歴史的観点からの析出は、筆者を代表者と する科研基盤研究(A)「障害の歴史性に関する学際統 合研究 ―比較史的な日本観察―」(19H00540。
2019~2023年度)の一つの柱である。
( 2 ) 拙稿「〈障害者〉への眼差し」荒武賢一朗他編『日本 史学のフロンティア2』法政大学出版局、2015年。
( 3 ) 拙稿「「民」の選別と救済:近世領主の権力基盤」『歴 史学研究』977、2018年、同「近世日本の国家・社会 と〈障害者〉」『歴史評論』842、2020年。
( 4 ) 拙稿「近世辞書『俚言集覧』にみえる〈障害〉表現」
『九州文化史研究所紀要』60、2017年。
( 5 ) 拙稿「近世仏教説話にみる〈障害〉」『九州文化史研 究所紀要』61、2018年。
( 6 ) 拙稿「〈障害者〉とその行方:地方(じかた)記録に よる実態研究の試み」『障害史研究』1、2020年。
( 7 ) 拙稿「障害関連のデータ集〔1〕:「耳嚢」記事から の採録」『障害史研究』1、2020年
( 8 ) 拙稿「武家夫婦の日記と病気記録:広島藩儒者頼春 水・静子の〈障害〉認識を考える」『障害史研究』2、
2021年
( 9 ) 拙稿「『障害史研究』刊行にあたって」『障害史研究』
1、2020年。
(10) 山下麻衣編『歴史のなかの障害者』法政大学出版局、
2014年、李義昭『日本の近代化と障害者』晃洋書房、
2013年、山田明『通史日本の障害者:明治・大正・
昭和』明石書店、2013年、中村満紀男編『優生学と 障害者』明石書店、2004年、松延秀一『近代日本と 聴覚障害者・ 序説: 軍と聾唖学校と 』 松延秀一、
2014年、藤井渉『障害とは何か:戦力ならざる者の 戦争と福祉』法律文化社、2017年、中村満紀男編『日 本障害児教育史 戦前編』明石書店、2018年、森田 昭二『盲人福祉の歴史:近代日本の先覚者たちの思 想と源流』明石書店、2015年など参照。
(11) 安丸良夫『日本近代化と民衆思想』青木書店、1974 年、辻本雅史『近世教育思想史の研究』思文閣出版、
1990年、黒住真『近世日本社会と儒教』ぺりかん社、