日
向
長
善
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一 日 向 長 善 寺 版 の 聚 分 韻 略 は、 南 九 州 の 一 角 日 向 の 國 西 諸 縣 郡 飯 野 村 原 田、 曹 洞 宗 の 長 善 寺 ( 現 慶 刹、 今 の 宮 崎 縣 西 諸 縣 郡 ( 1) 飯 野 町 小 字 中 島 の 地 ) に お い て 室 町 末 期 に 開 版 さ れ た も の で あ る。 我 が 古 印 刷 文 化 史 の 上 に お い て は 唐 様 版 の ジ ャ ン ル に 屡 し、 一 に 五 山 版 と も 稻 せ ら れ、 具 さ に は 日 向 長 善 寺 版 或 は 日 ま さ ぎ の い ん 向 眞 幸 院 版 と 竜 い い、 略 し て 長 善 寺 版、 眞 幸 院 版 と い い、 地 理 的 に 匠 分 す る 時 は 箪 に 口 向 版 と 稻 し、 ま た 開 版 年 紀 に 基 き 享 豫 版 と も 稻 し て い る。 こ の 中 日 向 長 善 寺 版 と い う の が 最 も 正 ( 2) 確 な 呼 構 で あ る と 思 う。 抑 も 聚 分 韻 略 ( 五 巻 ) は、 鎌 倉 末 期 帥 ち 嘉 元 四 年 ( 一 三 〇 六 ) か の 元 亨 繹 書 の 著 者 と し て 有 名 な 虎 關 ( 3) 師 錬 ( 臨 濟 宗 の 學 曾、 束 幅 寺。 南 輝 寺 な ど に 歴 住 す、 三 二 七 八 -一 三 四 六 ) が 編 纂 し た 韻 書 で、 漢 字 を 韻 に よ つ て 分 ち、 各 韻 ど と に 更 に 乾 坤 ・ 時 候 ・ 氣 形 等 の 十 二 部 門 に 分 類 し、 割 註 に 片 假 名 で 字 音 ・ 和 訓 を 施 し、 漢 文 で 簡 輩 な 解 繹 を 示 し、 か つ 熟 語 を も 學 げ て あ る。 い わ ゆ る 通 俗 漢 字 辞 書 で あ つ て、 漢 詩 文 の 創 作 者 に 必 携 の 書 と し て 用 い ら れ た も の で あ る。 さ れ ば 本 書 の 編 纂 ・ 刊 行 は、 日 本 漢 字 學 史 の 上 に 重 大 な る 意 義 を 有 し て い る の み な ら ず、 我 が 僻 典 史 上 に お い て も ま た 注 目 す べ き 事 柄 で あ る。 殊 に 室 町 時 代 五 山 文 學 の 隆 盛 に 俘 い、 五 山 灘 林 に 屡 す る 灘 櫓 を 初 め、 こ れ に 關 心 を も つ 一 般 灘 信 及 び 武 入 等 に 察廣 く 需 用 ぜ ら れ た か ら、 室 町 期 を 通 じ 各 地 に お い て 開 版 さ ( 4) れ、 慶 長 以 前 の 版 本 は 十 種 類 飴 も 現 存 し て い る。 こ の 中 殆 ん ど が 臨 濟 宗 の 寺 院 で 刊 行 さ れ た も の で あ つ て、 長 善 寺 版 の 本 書 の 如 く 曹 洞 宗 の 寺 院 で 開 版 さ れ た こ と は、 極 め て 珍 し い。 從 つ て 聚 分 韻 略 と し て は、 長 善 寺 版 の み が 曹 洞 系 に 屡 す る 唯 一 の 古 版 本 で あ る と い わ ね ば な ら ぬ。 本 版 は 現 在、 宮 内 聴 書 ( 5) 陵 部、 東 京 岩 崎 文 庫、 名 古 屋 眞 福 寺 文 庫、 京 都 谷 村 一 太 郎 氏 等 に 襲 藏 さ れ て い る。 鼓 に は 私 の 閲 覧 し た 眞 幅 寺 文 庫 本 を 申 心 と し て、 そ の 書 誌 學 的 研 究 の 成 果 に つ い て 叙 述 し た い と 思 う。 日 向 長 善 寺 版 の ﹃ 聚 分 韻 略 ﹄ に つ い て ( 田 島 ) 四 五-356-日 向 長 善 寺 版 の ﹃ 聚 分 韻 略 ﹄ に つ い て ( 田 島 )、 四 六 本 版 の 書 冊 形 式 は、 一 冊、 袋 綴 本、 寸 法 は 縦 九 寸 一 分、 横 六 寸 一 分 で あ る。 形 歌 を 他 の 版 本 と 比 較 す る に、 周 防 眞 樂 軒 版 が 最 も 大 型 本 で あ る に 封 し、 駿 河 善 得 寺 版 は 携 帯 用 の 便 を は か り 最 も 小 型 本 で、 い わ ゆ る 袖 珍 本 で あ る が、 本 版 は こ の 爾 版 の 中 間 に 位 し た 中 型 本 で あ る。 輪 郭 は 四 周 輩 邊、 界 線 を 用 い、 行 数 は 片 面 十 一 行 十 八 字 詰、 版 心 の 上 方 及 び 中 央 に 魚 尾 形 が あ り、 下 方 に 各 丁 歎 が 算 用 藪 字 で 印 刻 し て あ る。 紙 藪 は 七 十 六 枚 ( 内 最 終 の 一 枚 が 白 紙 ) で、 巻 首 に 師 錬 の 序、 巻 末 に 三 山 一 寧 の 蹟 が あ る。 そ の 蹟 文 の 最 絡 の 行 帥 ち 七 十 四 丁 裏 面 八 行 目 の 下 方 に 本 文 と 同 じ 大 き さ の 字 に て ﹁ 作 者 宥 圓 ﹂ ど あ り、 九 行 目 の 下 方 に ﹁ 筆 者 秀 篤 ﹂ と あ り、 十 ・ 十 一 行 目 の 上 方 に は 横 線 を 用 い、 本 文 よ り や や 大 き く 且 つ 太 字 に て ﹁ 亨 豫 蕨 刻 梓 日 陽 眞 幸 院 ﹂ と の 刊 記 が 存 す る。 こ の 眞 幅 寺 文 庫 本 は、 表 紙 は 室 色 で 相 當 に 傷 ん で お り、 右 下 方 に 露 損 が あ り、 當 時 の ま ま で 修 補 さ れ て い な い。 た だ 題 籏 の み は、 開 版 當 初 に 貼 付 け て あ つ た 用 紙 が 剥 落 し た も の と み え、 表 紙 へ 直 に ﹁ 聚 分 韻 略 ﹂ と 墨 書 さ れ て い る。 ま た 右 の 下 方 に 江 戸 末 期 文 政 四 年 ( 一 八 二 一 ) 尾 州 藩 が 寺 杜 奉 行 を し て 眞 幅 寺 文 庫 を 調 査 整 理 の 際、 分 類 し て 箱 に 納 め た 合 の 番 號 が ﹁ 第 六 十 七 合 ﹂ と 墨 書 し て あ る。 題 籏 の 文 字 は こ の 合 の 番 號 と 同 じ 書 髄 で あ る か ら、 恐 ら く こ の 時 に 書 入 れ た も の と 思 わ れ る。 次 に 巻 首 の 序 文 の 右 上 方 に は ﹁ 尾 張 國 大 須 費 生 院 経 藏 圖 書 寺 肚 官 府 黙 検 之 印 ﹂ の 朱 方 印 ( 方 一 寸 五 分 五 厘 ) 及 び ﹁ 寺 杜 官 府 再 黙 検 印 ﹂ の 朱 圓 印 ( 径 一 寸 ) が 押 捺 し て あ る。 本 文 は 各 丁 と も 諸 盧 に 露 損 が 相 當 に 認 め ら れ る。 な お 眞 幅 寺 文 庫 は 鎌 倉 の 末 葉、 同 寺 の 開 租 能 信 夫 が 裂 し た も の で、 壽 末 期 に は 鼻 (筆 五 世 族 丈 七 年 八 月 二 日 寂 ) 二 茄 舜 ( 第 十 六 世 ・ 天 丈 廿 三 年 十 一 月 廿 一 日 寂 ) 等 が 各 佳 持 し て い る が、 文 庫 本 は 既 に こ の 當 時 に 襲 藏 さ れ て 今 日 に 傳 わ つ た も の と 思 わ れ る。 文 庫 本 は か よ う に 傳 承 系 統 の 確 か な 版 本 で あ つ て、 正 に 當 時 の 原 版 本 と 見 ら る べ き も の で、 そ の 歴 史 的 債 値 の 高 き を 知 る こ と が で き る。 二 以 上 本 版 の 書 冊 形 式 に つ い て 考 察 し た の で あ る が、 こ の 中 先 ず 刊 記 の ﹁ 作 者 宥 圓 ﹂ に つ い て 述 べ る こ と と し よ う。 宥 圓 そ の 入 に つ い て は、 凡 ゆ る 史 料 を 調 査 し て き た の で あ る が、 今 日 に 至 る も 何 等 微 誰 す る 文 献 が 嚢 見 さ れ な い の で、 如 何 な る 入 物 で あ る か 全 く 不 明 で あ る。 名 構 の 上 よ り 想 像 す る に 恐 ら く 信 侶 で あ つ て、 天 毫 ・ 眞 言 系 統 の 學 匠 の よ う に 遇 推 察 さ れ る が、 し か し 前 後 の 事 情 等 か ら し て 或 は 長 善 寺 に 掛 錫 し て い た 潭 信 で は な い か と 考 え ら れ る。 蝕 に 注 意 す べ き は、 宥 圓 分 名 前 の 上 に ﹁ 作 者 ﹂ と 記 し て い る こ と で あ る。 聚 分 韻 略 は 叙 上 の 如 く 既 に 虎 關 師 錬 に よ つ て 編 著 し た も の で あ る に も 拘 ら ず、 特 に 宥 圓 を 以 て 作 者 と 稽 し た の は 如 何 な る 理 由 に よ る
の で あ ろ う か。 按 ず る に 聚 分 韻 略 の 上 梓 は、 虎 關 寂 後 六 十 七 年 を 経 て 鷹 永 十 九 年 ( 一 四 一 二 ) に 京 都 東 幅 寺 塔 頭 露 源 庵 に ( 7) お い て 行 わ れ た の が 最 初 の よ う で あ 右 が、 宥 圓 は た ま た ま こ の 版 本 を 使 用 す る 中、 詩 作 上 容 易 に 所 要 の 韻 を 検 索 す る こ と が 出 來 に く い 不 便 が あ つ た の で、 途 に 上 三牛 ・ 上 聲 ・ 去 聲 の 一三 韻 の 配 列 を 三 段 に 重 ね、 ( 入 聲 の 韻 は 別 に 末 尾 に 附 す ) 同 音 異 聲 の も の を 同 虎 に 集 め た い わ ゆ る 三 重 韻 の 様 式 に 改 作 し、 一 暦 唱 詩 作 の 便 を は か つ た も の と 思 わ れ る。 故 に ﹁ 作 者 ﹂ と 冠 記 し た の で あ つ て、 作 者 と は 改 作 者 と い う 意 味 で あ る と 思 う。 江 戸 幕 府 の 書 物 奉 行 青 木 昆 陽 の 昆 陽 漫 縁録 に は 左 の 如 く 見 え て い る。 三 重 韻 に 虎 關 の 序 あ れ ど も 虎 關 の 時 は 聚 分 韻 略 と 名 づ け て 韻 を 三 段 に 重 ね ず。 天 野 氏 の 藏 す る 所 の 古 板 の 聚 分 韻 略 を 見 れ ば 十 二 門 を 立 て て 五 巻 と な し、 虎 關 自 筆 の 序、 寧 一 山 自 筆 の 蹟 あ り。 同 人 の 藏 む る 享 緑 庚 寅 の 年 刊 す る 聚 分 韻 略 は 三 重 韻 の 如 く 韻 を 重 ね て ( 8) 践 に 作 者 宥 園 筆 者 秀 篤 と あ り、 是 簡 便 に と り て 宥 園 始 め て 聚 分 韻 略 の 韻 を 三 重 に 重 ね た る に よ り て 作 者 宥 園 と 記 し た り と 見 え た り。 こ れ を も つ て み る に、 聚 分 韻 略 を 一 名 ま た ﹁ 三 重 韻 ﹂ と も 呼 ぶ よ う に な つ た の は、 恐 ら く こ の 宥 圓 が 改 作 し、 こ れ が 開 版 さ れ て 以 後 か ら の こ と で は な い か と 推 測 さ れ る。 後 世 却 つ て こ の ﹁ 三 重 韻 ﹂ の 名 の 方 が 通 じ よ く な り、 書 名 さ え ﹁ 三 重 韻 ﹂ と 改 題 さ れ る に 至 つ た。 東 に 昆 陽 漫 録 に は ﹁ 同 入 の 藏 毒 る 朝 鮮 本 の 韻 略 と い ふ 一 冊 の 書 を 見 れ ば、 一三 重 韻 の 如 く 韻 を 重 ね て 十 二 門 を 立 て ず。 宥 園 韻 略 に よ り て 聚 分 韻 の 韻 を 重 ね た り と 見 え た り ﹂ と 記 載 し て い る が、 果 し て 宥 圓 が 朝 鮮 本 の 韻 略 に 倣 つ て 三 一重 韻 に 改 修 し た も の か ど う か こ の 黙 は 疑 わ (9 ) し い。 次 い で 畢 募 篤 ﹂ と あ る か ら、 當 時 秀 篤 が 宥 圓 師 の 口 授 ま た は 指 導 を 受 け て、 こ れ を 筆 録 澤 書 し た も の で あ ろ う。 こ の 秀 篤 と い う の は、 後 に 述 べ る が 如 く 本 版 の 筆 ・蹟 の 上 か ら 到 定 す る に、 か の 鷹 永 年 間 ( 鷹 永 五 年 八 月 以 降 か ら 同 十 八 年 頃 ま で の 聞 と 推 定 ) に 長 善 寺 に お い て 碧 巖 集 を 上 梓 し た 秀 篤 和 爾 と は 同 一 入 と 思 考 さ れ る。 碧 巖 集 の 梓 行 者 秀 篤 和 術 に つ い て は、 昨 年 度 の 本 學 會 誌 上 に 拙 稿 ﹁ 日 向 長 善 寺 版 の 碧 巖 集 に つ い て ﹂ ( 印 度 學 佛 教 學 研 究 第 五 巻 第 一 號 所 牧 ) 論 述 し た 際、 詳 記 し て お い た か ら 省 略 に 付 し て 置 く。 た だ し 鼓 に は 秀 篤 和 爾 と 關 係 の 深 い 宥 圓 師 に つ い て 述 べ て お か ね ば な ら ぬ。 し か し 前 述 の 如 く 師 の 入 物 閲 歴 に つ い て は 全 く 不 明 で あ る か ら、 秀 篤 和 術 の 事 歴 や 或 は 當 時 の 輝 僧 杜 會 の 動 向 等 を 基 盤 と し て、 そ の 性 格 の ア ウ ト ・ ラ イ ン を 想 察 す る こ と と し よ う。 思 う に 慈 永 年 間 か ら 約 七 十 年 間 は、 殊 に 五 山 灘 林 の 詩 文 は 大 い に 榮 え 困 偶 頚 の も つ 宗 教 性 を 次 第 に 揮 獲 せ し め て 純 詩 文 化 し た 時 期 で あ る と 云 わ れ、 い わ ゆ る 純 粋 な 詩 文 と し て の 五 山 文 學 の 黄 金 時 代 と 構 せ ら れ て い る。 そ し て 暉 曾 と 呼 ぶ よ り は 詩 僧 と 呼 ぶ 日 向 長 善 寺 版 の ﹃ 聚 分 韻 略 ﹄ に つ い て ( 田 島 ) 四 七
日 向 長 善 寺 版 め ﹃ 聚 分 韻 略 ﹄ に つ い て ( 田 島 ) 四 八 に 相 鷹 し い 人 が 多 く な つ て き た こ と が そ の 特 色 の 一 に 墨 げ ら ( 10) れ て い る が 一 こ れ よ り 察 す る に 宥 圓 は 秀 篤 和 術 と は 長 善 寺 の 佳 持 明 窓 妙 光 師 の 會 下 に お け る 同 参 の 宗 侶 で、 い ず れ 漢 文 學 に 精 通 し 或 は 五 山 詩 櫓 と も 親 交 を 結 び、 特 に 詩 文 に 秀 で た 人 で 輝 櫓 と 呼 ぶ よ り ほ 詩 櫓 ま た は 墨 僑 旧 と 呼 ぶ に 相 慮 し い 風 格 の 人 柄 で、 秀 篤 を 指 導 し 筆 録 ぜ し め た 程 で あ る か ら、 當 時 既 に 相 當 の 年 輩 に 達 し て い た も の と 推 測 さ れ る。 か く の 如 き 飴 程 の 詩 才 の 櫓 で な け れ ば、 か か る 韻 書 を 改 作 す る こ と は 容 易 に 出 來 る も の で は な い。 當 時 の 灘 僧 杜 會 或 は 武 入 杜 會 の 一 部 に お け る 詩 文 熱 昂 揚 に 件 い、 韻 書 へ の 要 求 が 塘 大 し た こ と は 當 然 で、 純 然 た る 信 仰 或 は 墨 問 的 要 求 か ら と い う よ り は、 む し ろ 輝 曾 自 ら が 法 語 ・ 疏 ・ 偶 頚 ・ 詩 文 の 創 作 な い じ、 中 國 文 學 の 理 解 と 鑑 賞 と い う 云 わ ば 文 學 的 要 求 か ら 開 版 す る こ と が 必 要 だ つ た か ら で あ ろ う。 こ の 要 求 に 慮 じ て 宥 圓 ・ 秀 篤 爾 師 が 協 力 の も と に、 實 際 上 の 活 用 を 主 と し た 引 き ょ く、 わ か り よ い 譜 書 と し て の 三 重 韻 に 改 作 し た こ と は、 洵 に 時 宜 を 得 た も の と 云 わ ね ば な ら ぬ。 次 い で か か る 詩 作 者 の ハ ン ド ・ ブ ッ ク と し て 一 暦 そ の 便 を は か つ た 韻 書 が 開 版 さ れ た の で、 地 理 的 に 極 め て 廣 範 園 に 流 布 し 愛 用 さ れ る に 至 つ た か ら、 そ の 最 初 の 刊 本 を 範 型 と し た 類 型 本 が 各 地 に 版 行 さ れ て、 途 に 室 町 期 に お け る ベ ス ト ・ セ ラ ー と な り、 僧 俗 の 間 に 大 い に 稗 盆 し た も の で あ る。 も つ て 改 作 者 と し て の 宥 圓 ・ 秀 篤 爾 師 の 功 勲 は、 創 作 者 虎 關 と 共 に 十 分 に 高 く 評 贋 さ れ ね ば な ら ぬ。 三 次 に 開 版 年 代 の 亨 豫 庚 刀 で あ る が、 こ の 中 刀 の 字 は 弓 ( て う ) を 刀 ( と う ) と 誤 つ て 印 刻 し た も の で あ ろ う。 弓 と は 銅 螺 ( ど ら ) の こ と で あ る が、 寅 と 護 方 が 似 て い る の で、 そ れ を 當 ( 11) 字 に し た も の と 考 え ら れ る。 亨 緑 庚 寅 の 年 は 享 緑 三 一年 ( 一 五 三 〇 ) に 該 當 す る。 普 通 に は 寅 の 字 を 書 き 誤 つ た 如 く 見 ら れ る が、 し か し 享 を 亨 の 字 に 書 き、 緑 を 禄 の 字 に 書 い て あ る 黙 よ り し て 弓 を 刀 と 誤 つ て 印 刻 し た も の と 見 る の が 愛 當 で あ ろ う。 享 豫 三 年 は、 先 に 長 善 寺 で 碧 巖 集 が 上 梓 さ れ て 既 に 百 十 飴 年 後 の こ と で あ る か ら、 碧 巖 集 の 梓 行 者 秀 篤 和 倫 と、 こ の 聚 分 韻 略 の 筆 者 秀 篤 と は 一 慮 同 名 異 入 で あ る 如 く 思 惟 さ れ る。 し か し 當 時 の 困 餐 な 開 版 事 業 が 偶 然 に も 同 名 の 異 人 に ょ つ て 途 行 さ れ た と は 全 く 考 え ら れ な い。 私 は 次 の 如 く 筆 蹟 鑑 定 の 上 か ら し て 同 一 入 と 推 定 す る も の で あ る。 帥 ち 爾 書 の 版 本 の 文 字 を 精 細 に 比 較 繋 照 し て 見 る と、 爾 者 に は 書 き 癖 の 一 致 し て い る 文 字 が 極 め て 多 い こ と で あ る。 鼓 に は そ の 顯 著 な る も の を 若 干 學 げ る こ と と す る。 先 ず 是 の 字 の 第 六 甕 ( 縦 線 ) が 右 に よ り 過 ぎ て い る こ と、 次 に 然 の 字 の 第 四 叢 と 第 五 書 と が 蓮 綾 し て い る こ と、 或 は 山 の 字 の 第 四 書 ( 縦 線 ) が 曲 線 と な つ て 下 が 跳 ね 上 つ て い る こ と、 更 に 刊 記 の ﹁ 秀 篤 ﹂ の 署 名 の 筆 勢
が 鈍 く か つ 細 字 で あ る こ と 等 最 も 共 通 し て い る 筆 法 で あ る。 た だ そ の 漂 書 せ ら れ た 年 代 に 違 い が あ る の で、 全 禮 的 に 筆 力 の 上 に 多 少 緩 急 の 差 の あ る こ と が 認 め ら れ る。 碧 巖 集 の 方 に は 張 堅 な 筆 力 が 見 ら れ、 聚 分 韻 略 に は 弱 い 筆 致 が 認 め ら れ る。 從 つ て 前 者 は 慮 永 開 版 當 時 の 浮 書 で あ る か ら 年 令 的 に 年 若 い 頃 の 筆 致 で あ り、 後 者 は 碧 巖 集 刊 行 以 後 の 漂 書 で あ る か ら 年 歯 を 重 ね て か ら の 筆 蹟 で あ る こ と が 自 ら 首 肯 さ れ る。 か よ う ( 12) に 筆 蹟 鑑 定 か ら 云 つ て、 爾 書 ば 同 一 人 の 秀 篤 和 術 と 見 な し て 疑 い の な い も の で あ る こ と を 確 認 し て 揮 ら な い。 さ れ ば 長 善 寺 の 秀 篤 和 伺 は 慮 永 年 間 に 碧 巖 集 の 開 版 後、 引 綾 い て 宥 圓 の 指 導 に ょ る 薪 様 式 の 聚 分 韻 略 ( 三 重 韻 ) を 上 梓 す る 豫 定 で 浮 書 し た が、 そ の 目 的 を 果 ざ ず し て 入 寂 し た の で、 爾 來 そ の ま ま 同 寺 に 保 存 さ れ て い た も の を 享 緑 三 年 に 至 り、 初 め て 上 梓 さ れ た も の と 一 慮 推 断 さ れ る。 然 る に 鼓 に 注 目 す べ き こ と は、 享 豫 開 版 よ り 四 十 九 年 前 帥 ち 文 明 十 三 年 ( 一 四 八 一 ) に は 薩 摩 版 の 聚 分 韻 略 が 既 に 一三 重 韻 の 様 式 に よ つ て 公 刊 さ れ て い る と い う こ と で あ る。 更 に そ れ よ り 以 後、 享 線 開 版 に 至 る 聞、 明 慮 二 年 ( 一 四 九 三 ) に 周 防 眞 樂 軒 版、 永 正 元 年 ( 一 五 〇 四 ) に 京 ( 13) 都 春 雲 軒 版 が い ず れ も こ の 様 式 を 踏 襲 し 刊 行 さ れ て い る。 故 に 從 來 の 定 読 で は、 三 重 韻 本 に 改 作 さ れ た の は 文 明 の 年 で あ ( 14) つ て、 薩 摩 版 が そ の 最 初 で あ る と 云 わ れ て い る。 さ れ ば こ こ に 作 者 宥 圓 ・ 筆 者 秀 篤 の 名 を 無 視 し、 開 版 年 代 の み を 中 心 と し て 老 え れ ば、 本 版 は 薩 摩 版 ・ 周 防 眞 樂 軒 版 ・ 京 都 春 雲 軒 版 の 中 の い ず れ か を 底 本 ど し て 刊 行 し た の だ と 云 え ば 一 鷹 首 肯 出 來 な い こ と は な い が。 然 し 享 緑 版 が 薩 摩 版 等 に 倣 つ て 開 版 し た な ら ば、 敢 え て 作 者 宥 圓 ・ 筆 者 秀 篤 と 記 載 す る 必 要 を 認 蟹 め な い。 と こ ろ が 岡 井 愼 吾 博 士 は、 本 版 の 蹟 後 に た と い 作 者 宥 圓 と 署 名 し て あ つ て も 最 初 に 三 重 韻 に 改 作 し た の は 薩 摩 版 か ( 15) ら で あ る と 張 硬 に 主 張 し、 帥 ち 文 明 改 作 読 を 力 読 さ れ て い る。 薩 摩 版 が 本 版 に 先 行 し て い る と こ ろ よ り し て、 作 者 宥 圓 ・ 筆 者 秀 篤 の 入 物 を 全 然 究 め ず し て、 軍 に 開 版 年 代 の み を 以 て 三 重 韻 本 の 改 作 成 立 年 代 を 定 む る こ と は、 甚 だ 愛 當 を 歓 い た 態 度 と い わ ね ば な ら ぬ。 私 は 前 陳 の 如 く 本 版 の 歴 史 的 書 誌 學 的 考 査 を 試 み、 宥 圓 ・ 秀 篤 爾 師 の 人 間 像 を 探 究 し た 結 果、 秀 篤 和 術 は 慮 永 年 間 に 碧 巖 集 を 刊 行 後、 更 に 聚 分 韻 略 を 宥 圓 の 指 導 に よ り 三 重 韻 の 様 式 に 改 作 浮 書 し、 同 時 に 開 版 し た も の と 推 断 し、 鼓 に 新 し く 鷹 永 改 作 開 版 読 を 圭 張 す る も の で あ る。 故 に 本 版 は 既 に 秀 篤 和 伺 の 手 に よ つ て 磨 永 年 間 に 上 梓 さ れ た の で は な い か と 考 え る。 殊 に 享 法緑 版 の 刊 記 ﹁ 亨 緑 蕨 刻 梓 日 陽 眞 幸 院 ﹂ と 薩 摩 版 の 刊 記 ﹁ 文 明 辞 刻 梓 薩 陽 和 泉 荘 ﹂ と を 比 較 す る に、 年 號 ・ 干 支 ・ 上 梓 ・ 國 名 ・ 地 名 の 記 載 形 式 が 爾 者 完 全 に 一 致 し て い る こ と は、 爾 版 が 共 に 慮 永 刊 本 の 版 式 そ の ま ま を 流 用 し た も の と 推 察 せ ら れ る。 そ れ に よ つ て 慮 永 版 の あ つ た こ と が 想 像 さ れ、 而 し て 享 豫 版 は 恐 ら く そ れ を 版 下 日 向 長 善 寺 版 の ﹃ 聚 分 韻 略 ﹄ に つ い て ( 田 島 ) 四 九
日 向 長 善 寺 版 の ﹃ 聚 分 韻 略 ﹄ に つ い て ( 田 島 ) 五 〇 ( 16) に し て 再 刊 し た も の で あ ろ う と 思 わ れ る。 か く し て 先 の 慮 永 版 が 流 布 す る や、 日 向 の 隣 國 薩 摩 に お い て は、 文 明 十 三 年 に こ れ を 底 本 と し て 刊 行 し、 そ の 際 作 者 宥 圓 と 筆 者 秀 篤 ② 名 を 創 除 し、 こ れ に 代 え る に 刊 行 者 ﹁ 宗 藝 ﹂ の 名 を 挿 入 し た も の で あ ろ う。 次 い で 周 防 眞 樂 軒 版、 京 都 春 雲 軒 版 は 鷹 永 版 ・ 薩 摩 版 の い ず れ か の 版 本 に 倣 つ て 印 行 し た の で は な い か と 推 定 ( 17) す る も の で あ る。 な お ﹁ 日 陽 眞 幸 院 ﹂ と 地 名 の み が 印 刻 さ れ て い て、 開 版 の 揚 所 ・ 梓 行 者 を 詳 に し 餐 い が、 以 上 の 諸 黙 を 綜 合 す る に、 本 版 は 憲 永 版 と 同 様 に 恐 ら く 長 善 寺 で 開 版 さ れ、 ( 18) 當 寺 の 佳 持 ( 同 寺 六 世 ・ 宗 江 院 開 山 の 梵 芳 永 紹 と 推 定 さ れ る ) ま た は 掛 塔 櫓 の 何 入 か に よ つ て 梓 行 さ れ た も の で は な い か と 推 察 さ れ る。 ま た 助 縁 者 の 名 も 逸 し て い る が、 察 す る に 同 寺 の 寺 檀 關 係 の 武 士 ま た は 灘 林 文 學 に 傾 倒 せ る 在 地 有 力 武 士 の パ ト ロ ン に よ つ て 資 財 が 寄 捨 さ れ た の で は な い か と 想 像 す る。 こ の 事 は か の 薩 摩 版 (宗 藝 刊 ) 及 び 周 防 大 内 版 (義 隆 刊 ) 等 の 聚 分 韻 略 が 地 方 の 有 力 武 士 に ょ つ て 開 版 さ れ て お る 黙 や、 能 登 総 ( 19) 持 寺 版 の 碧 巖 集 及 び 日 向 長 善 寺 版 の 碧 巖 集 が 地 方 の 洞 門 灘 侶 と 在 地 有 力 武 士 と の 結 合 に ょ る 師 檀 ・ 寺 檀 の 入 格 的、 経 濟 的 依 存 の 關 係 を 媒 介 と し て 開 版 さ れ て い る 事 情 等 か ら し て 左 檬 に 首 肯 さ れ る。 然 る に か く の 如 き 有 意 義 な る 文 化 的 聖 業 を 完 途 し な が ら も、 そ れ ぞ れ の 名 が 表 面 に 顯 わ さ れ て い な い た め に、 そ の 業 績 を 讃 揚 す る こ と の 出 來 な い の は 甚 だ 遺 憾 で あ る。 四 と も か く 以 上. の 考 誰 に よ つ て、 本 版 が 室 町 末 期 邸 ち 十 六 世 紀 の 初 頭 に 洞 門 灘 侶 に よ つ て 上 梓 さ れ た こ と が 到 る。 實 に 本 版 は 曹 洞 宗 に お け る 現 存 古 版 本 中、 長 善 寺 版 碧 巖 集 及 び 総 持 寺 版 碧 巖 集 に 次 い で そ の 古 き こ と が ・確 謹 さ れ る。 宗 門 申 期 殊 に 職 國 箏 臨 の 中 に あ つ て 外 典 た る 漢 字 僻 書 の 開 版 事 業 が、 日 向 地 方 の 一 角 に お い て 宗 侶 に よ り 敢 行 さ れ た と い う こ と は 洵 に 驚 嘆 す べ き 事 柄 で あ り、 我 國 の 漢 文 學 史 上 正 に 大 き な 業 績 と 云 わ ね ば な ら ぬ。 さ れ ど か く の 如 く 洞 門 灘 侶 が、 五 山 文 學 の 流 行 に 俘 い 詩 文 の 創 作 に 耽 溺 し、 か か る 外 典 を 刊 行 す る が ご と き は、 異 に 定示 組 道 元 暉 師 に よ つ て ﹁ 墨 ∴道 の 入、 教 家 の 書 籍 を よ み、 外 典 等 を 學 す べ か ら ず。 ﹂ ﹁ 近 代 の 灘 櫓 頒 を 作 り、 法 語 を 書 か ん が た め に、 文 筆 等 を こ の む、 是 れ 便 ち 非 な り。 ﹂ ( 正 法 眼 藏 随 聞 記 第 二 ) 等 と 口 を 極 め て 警 読 さ れ た 通 り、 繹 宗 の 宗 教 的 本 質 の 揚 か ら 云 え ば、 末 梢 に 走 り 遙 か に 堕 落 し た も の で あ つ て、 出 家 者 と し て の 猫 自 の. 精 神 の 喪 失 の 過 程 に 外 な ら な い。 し か し 他 面 文 化 の 廣 揚 よ り 見 れ ば、 却 つ て 曹 洞 宗 教 團 が 地 方 的 に 飛 躍 的 伸 展 を 途 げ る と 同 時 に 文 化 史 的 の 要 素 を 多 分 に 有 す る に 至 り、 地 方 文 化 の 開 展 に 貢 獄 し た そ の 功 績 を 認 ( 20) め ね ば な ら ぬ。 惟 う に 本 版 が 外 典 で あ る た め に、 曹 洞 宗 門 に と つ て 左 程 重 要 硯 さ れ な い か も 知 ら ぬ が、 し か し か よ う に 室
町 期 曹 洞 宗 が 地 方 的 ・ 文 化 的 教 團 像 を 形 成 し、 日 本 文 化 の 進 展 に 寄 與 し た 一 端 を 物 語 る 遺 寳 文 化 財 と し て、 洵 に 貴 重 な 古 版 本 で あ る と 云 わ ね ば な ら ぬ。 さ れ ば 本 版 は 曹 洞 宗 教 團 史 の 上 に 重 き を な し て い る の み な ら ず、 我 國 文 化 史 上 に お い て も ま た 没 す べ か ら ざ る も の で あ る。 1 禧 永 勝 美 博 土 飯 野 郷 土 史 2 拙 稿 目 向 長 善 寺 版 の ﹃ 碧 巖 集 ﹄ に つ い て ( 印 度 學 佛 教 學 研 究 第 五 巻 第 一 號 ) 参 照。 3 繭 島 俊 翁 氏 虎 關 ( 潭 哲 叢 書 ) 参 照。 4 慶 長 以 前 の 版 本 で 現 存 し て い る 竜 の は 次 の 如 く で あ る。 △ 印 は 三 重 韻 の 様 式 で な い 刊 本。 △京 都 東 幅 寺 璽 源 庵 版 (鷹 永 十 九 年 刊 )、 薩 摩 版 ( 丈 明 十 三 年 刊 ) △美 濃 版 ( 丈 明 十 八 年 刊 )、 周 防 眞 樂 軒 版 ( 明 磨 二 年 刊 )、 京 都 春 雲 軒 版 ( 永 正 元 年 刊 )、 日 向 長 善 寺 版 ( 享 緑 三 年 刊 )、 周 防 大 内 版 ( 天 丈 八 年 刊 )、 駿 河 善 得 寺 版 ( 天 丈 廿 三 年 刊 )、 周 防 香 積 寺 版 ( 永 緑 十 年 刊 )、 讐 徳 堂 版 ( 慶 長 十 一 年 刊 )、 慶 長 十 七 年 版 ( 慶 長 十 七 年 刊 )。 こ の 他 に 版 式 か ら 考 え て 麿 檬 版 と 思 わ れ る 無 刊 記 本 が 現 存 し、 △東 京 岩 崎 文 庫、 同 ・大 東 急 記 念 丈 点庫 等 に 襲 藏 さ れ て い る。 5 木 宮 泰 彦 氏 日 本 古 印 刷 丈 化 史、 吉 澤 義 則 博 土 目 本 古 刊 書 目、 黒 板 勝 美 博 士 眞 幅 寺 善 本 目 録、 川 瀬 一 馬 博 土 古 活 字 版 の 研 究、 白 石 芳 留 氏 輝 宗 編 年 吏 第 三 巻 稿 ( 未 刊 ) 参 照。 な お 白 石 氏 の ﹁ 綾 輝 宗 編 年 史 ﹂ に は 京 都 東 幅 寺 塔 頭 雨 足 院 に も 襲 藏 さ れ で い る こ と を 記 し て あ る が、 私 は 同 院 に 赴 き 調 査 し た る も 所 藏 さ れ て い な い こ と が 剣 明 し た。 こ れ は 何 か の 間 違 い で あ ろ う。 6 黒 板 勝 美 博 土 眞 幅 寺 善 奉 目 録 綾 輯 ﹁ 眞 幅 寺 佳 持 歴 代 表 ﹂ 7 璽 源 庵 は も と 天 護 庵 と 稔 し た。 白 石 芳 留 氏 東 幅 寺 誌 滲 照。 こ の 版 本 の 刊 記 は 朝 倉 亀 三 氏 の 目 本 古 刻 書 史 に 所 載 さ れ て い る。 な お 岡 井 愼 吾 博 土 の 日 本 漢 字 學 史 の 第 二 篇 中 世 篇 ﹁ 聚 分 韻 略 ﹂ 解 説 の 一損 及 び 就鳥 尾 順 敬 描 断 土 の ﹁ 聚 一分 韻 略 ﹂ 解 説 の 項 ( 新 湘 朋祉 版 日 本 丈 學 大 僻 典 巻 三 ) に は、 虎 關 の 編 著 し た 聚 分 韻 略 に 徳 治 二 年 ( 一 三 〇 七 ) の 一 山 一 寧 の 蹟 が 付 せ ら れ て い て、 當 時 開 版 さ れ て 世 に ﹁ 徳 治 版 ﹂ と 稻 す る こ と が 述 べ ら れ て い る。 し か し か か る 践 が 見 え て い る か ら と て、 果 し て 當 時 刊 行 せ ら れ た か ど う か 甚 だ 疑 問 で あ る。 こ の 践 に つ い て、 白 石 芳 留 氏 は 輝 宗 編 年 史 に ﹁ こ れ 恐 く は 後 人 の 手 書 な ら ん ﹂ と 記 さ れ て い る。 徳 治 版 は 現 存 し て い な い の で、 本 書 の 現 存 版 本 中、 こ の 璽 源 庵 版 ぶ 最 竜 古 く、 恐 ら く こ れ が 最 初 の 開 版 で は な い か と 思 わ れ る。 若 一、 徳 治 版 が 開 版 さ れ て い た こ と が 事 實 と し た な ら ば、 霧 源 庵 版 は こ れ に 次 ぐ こ と に な る。 ど ち ら に し て も 璽 源 庵 版 が 本 書 の 室 町 時 代 に お け る 最 初 の 刊 本 で あ る こ と に は 間 違 い な い。 8 昆 陽 漫 録 の 中 に 見 え て い る ﹁ 宥 園 ﹂ の 園 は い ず れ 竜 圓 の 誤 り で あ る。 9 亀 井 孝 氏 下 學 集 解 題 ( 岩 波 丈 庫 本 ) 10 芳 賀 幸 四 郎 博 土 中 世 繹 林 の 學 問 お よ び 丈 學 に 關 す る 研 究 酒 玉 村 竹 二 氏 五 山 文 學 ( 日 本 歴 史 薪 書 )、 安 良 岡 康 作 氏 ﹁ 漢 丈 學 ﹂ の 項 ( 至 丈 堂 版 日 本 丈 學 吏 ﹁ 中 世 ﹂ ) 及 び ﹁ 五 山 丈 學 ﹂ の 項 ( 圖 読 日 本 丈 化 史 大 系 巻 七 ﹁ 室 町 時 代 ﹂ ) 塗 照。 11 古 丈 書、 版 本 に は こ う し た 例 が 見 受 け ら れ る が、 明 暦 三 年 版 の 諸 同 向 清 規 式 ( 五 巻 ) の 奉 丈 の 終 に 著 者 の 奥 書 ﹁ 永 緑 太 歳 日 向 長 善 寺 版 の ﹃ 聚 分 韻 略 ﹄ に つ い て ( 田 島 ) 五 三
日 向 長 暮 寺 版 の ﹃ 聚 分 韻 略 ﹄ に つ い て ( 田 島 ) 五 二 胴 三 月 吉 辰 永 源 遠 孫 現 住 天 倫 比 丘 楓 隠 ﹂ と あ る が 如 き は、 室 宵 期 に お け る そ の 一 例 で あ る。 丙 刀 と は 丙 刀 ( 丙 寅 ) の こ と で、 永 緑 丙 寅 は 永 緑 九 年 ( 一 五 六 六 ) に 該 當 す る。 有 坂 秀 世 博 士 の 國 瓠些 晋 韻 史 の 研 一究 滲 一熊。 12 長 善 寺 の 末 寺 で あ る 宗 江 院 の 住 持 に 太 宗 秀 篤 な る 人 ボ あ つ て、 こ の 和 爪何 が 長 善 寺 に い た 當 時 に 碧 巖 集 及 び 聚 分 韻 略 を 開 版 し た と い う 設 ( 白 石 芳 留 氏 綾 輝 宗 編 年 史 ) が 存 す る。 し か し こ れ に つ い て は 種 々 考 謹 の 結 果、 既 に 拙 稿 ﹁ 日 向 長 善 寺 版 の 碧 巖 集 に つ い て ﹂ の 中 に お い て 指 摘 し た ご と く、 年 代 的 に 観 察 し て 全 然 無 關 係 で あ り、 同 名 異 人 で あ る。 13 京 都 ﹁春 曇 智 軒 版 の 判判 記 に ﹁ 聚 分 韻 略 啓 二 童 蒙 二 之 書 也。 ﹂然 丞 上 去 入、 餐 二 卒 分 之、 或 列 二 四 聲 一以 備 二 一 目 噛蓋 偉 三 人 易 p 解 也。 ﹂ 云 々 と 見 え て い る と こ ろ よ り、 三 重 韻 に 改 作 し た の は、 こ の 版 本 か ら で あ る と 稻 し、 永 正 改 作 説 が 存 し た よ う で あ る が、 こ れ は 何 等 論 ず る 便 値 の な い 読 で あ る。 14 岡 井 愼 吾 博 土 日 本 漢 字 學 史 ﹁ 聚 分 韻 略 ﹂ 解 読 の 項、 鷲 尾 順 敬 博 土 ﹁ 聚 分 韻 略 ﹂ 解 説 の 項 ( 日 本 丈 學 大 僻 典 巻 三 ) 参 照。 な お 丈 明 十 八 年 ( 一 四 八 六 ) に 美 濃 版 ( 南 方 大 成 刊 ) が 刊 行 さ れ て い る が、 こ れ は 三 重 韻 の 様 式 を 踏 襲 し て い な い。 15 岡 井 愼 吾 博 土 日 本 漢 字 學 史 ﹁ 聚 分 韻 略 ﹂ 解 説 の 項 参 照。 16 慮 永 版 は、 當 時 刊 行 部 敷 の 少 か つ た こ と と、 度 重 な る 職 魁 の た め に 散 逸 し、 今 日 に 傳 承 さ れ な か つ た の で は な い か と 思 う。 そ の 上 長 善 寺 は 丈 緑 三 年 ・ 慶 長 十 七 年 と の 火 災 に よ つ て 堂 舎 及 び 古 記 録 等 壼 く 茨 儘 に 露 し た と 云 わ れ て い る か ら、 慮 永 版 享 緑 版 の 版 木 竜 こ の 時 焼 失 し た 竜 の と 想 像 せ ら れ、 現 存 し て い な い こ と は、 甚 だ 遣 憾 に 堪 え な い。 17 眞 幸 院 の 地 名 に つ い て は、 拙 稿 ﹁ 日 向 長 善 寺 版 の 碧 巖 集 に つ い て ﹂ の 中 に 詳 述 し て お い た か ら 参 照 さ れ た い。 18 三 國 名 勝 圖 會、 飯 野 古 事 記、 曹 洞 宗 大 系 譜 ( 大 久 保 道 舟 博 斗 編 ) 19 拙 稿 総 持 寺 版 碧 巖 集 に つ い て ( 跳 龍 第 六 巻 第 九 號 ) 滲 照。 20 拙 著 曹 洞 宗 尼 僧 史 ﹁ 室 町 時 代 ﹂ 滲 照。 ︹附 記 ︺ こ の 研 究 に つ い て 貴 重 な る 費 料 閲 覧 の 便 を 與 え ら れ 渉 名 古 屋 眞 幅 寺 丈 庫、 東 京 大 東 急 記 念 丈 庫、 京 都 爾 足 院 佳 持 伊 藤 東 愼 師、 故 白 石 芳 留 師、 岐 阜 大 學 教 授 小 出 保 治 氏 等 の 御 厚 意 に 封 し 甚 深 の 謝 意 を 表 す る。