修士論文
極低温極性分子の
超微細構造に関する研究
指導教員 井上 慎 准教授
平成
23
年2
月提出東京大学大学院 工学系研究科 物理工学専攻
37-096539
大麻浩平i
目 次
第1章 序論 3
1.1 研究の歴史的背景 . . . . 3
1.2 本研究の意義 . . . . 4
1.3 本論文の構成 . . . . 5
第2章 理論的背景 7 2.1 振動と回転 . . . . 7
2.1.1 エネルギースケール . . . . 7
2.1.2 分子の振動状態 . . . . 10
2.1.3 分子の回転状態 . . . . 12
2.1.4 分子の超微細構造 . . . . 15
2.2 誘導ラマン断熱遷移(STIRAP)の理論的背景 . . . . 21
第3章 実験装置 27 3.1 真空系 . . . . 27
3.1.1 実験の全体像 . . . . 27
3.1.2 真空系の全体像 . . . . 28
3.2 光源の準備 . . . . 29
3.2.1 光会合(PA:Photo Association)光源の用意 . . . . 29
3.3 イオン化検出 . . . . 31
3.3.1 イオン化信号 . . . . 31
3.3.2 Resonance-enhanced multi-photon ionizatin(REMPI) . . . . 32
第4章 誘導ラマン断熱遷移にむけたULE Cavityの準備 33 4.1 光源に求められる性能 . . . . 33
4.2 Cavityを利用した光源作成 . . . . 34
4.3 Finesseの測定 . . . . 39
4.4 Zero-expansion Temperature測定の原理 . . . . 43
4.5 ULE Cavity用の真空装置 . . . . 46
4.6 Zero-expansion Temperatureの測定に利用した光学系 . . . . 50
ii
4.7 Zero-expansion Temperatureの測定 . . . . 55
第5章 極低温振動·回転基底分子への 誘導ラマン断熱遷移 61 5.1 典型的な実験のタイムチャート . . . . 62
5.2 2光子共鳴の観測 . . . . 64
5.3 イオン化波長の特定 . . . . 71
5.4 振動·回転基底状態の確認 . . . . 74
5.5 信号の改善 . . . . 76
5.6 STIRAPによる遷移であることの確認 . . . . 79
5.7 遷移双極子モーメント(TDM)の測定 . . . . 82
5.8 コヒーレンスの確認 . . . . 87
5.9 STIRAPを用いた高精度分光 . . . . 90
5.10 状態の分離 . . . . 92
5.11 Rbの核スピンの影響 . . . . 95
5.12 さらなる分光 . . . . 96
第6章 マイクロ波による超微細構造の分光 97 6.1 マイクロ波分光の原理 . . . . 97
6.2 マイクロ波分光にむけた装置の改造 . . . . 99
6.3 マイクロ波分光 . . . . 102
第7章 まとめと今後の展望 105
謝辞 107
参考文献 111
iii
図 目 次
2.1 2つの核の運動 . . . . 7
2.2 2原子分子のモデル . . . . 12
2.3 41K87Rbの振動基底状態(N=0,1)おける分裂([1]より転載) . . . . 16
2.4 回転と電場勾配 . . . . 17
2.5 定性的な超微細構造の理解 . . . . 18
2.6 41K87Rbの振動·回転基底状態おける分裂. . . . 19
2.7 STIRAPを考える3準位系 . . . . 21
2.8 遷移時間を変化させた時のSTIRAPの効率 . . . . 26
3.1 実験の全体像 . . . . 27
3.2 真空槽と光のパス . . . . 28
3.3 PA用光源の概念図 . . . . 29
3.4 PA用光源のPLL回路 . . . . 30
3.5 Offset lockを行った際のBeat信号 . . . . 31
3.6 イオンのTOF信号 . . . . 32
4.1 Cavityを利用したSTIRAP光源: . . . . 33
4.2 Cavityの性質 . . . . 34
4.3 ULEガラスの熱膨張係数とその温度変化 . . . . 37
4.4 Finesse測定のための光学系の略図 . . . . 40
4.5 Finesse測定の信号 . . . . 41
4.6 添付されてきたミラーのcoatingデータ . . . . 42
4.7 Zero-expansion Temperature測定の概念図 . . . . 44
4.8 Zero-expansion Temperature測定系の略図 . . . . 45
4.9 真空装置の概観 . . . . 46
4.10 ULE Cavity用スペーサーの仕様. . . . 48
4.11 ULE Cavity周辺の光学系と防音箱 . . . . 49
4.12 インバー製の台上でAiry pointで支えられた”notched” ULE Cavity . . . . 49
4.13 Zero-expansion Temperature測定用の光学系 . . . . 50
4.14 PDH法によるCavityの微分信号 . . . . 52
iv
4.15 PDH法による飽和吸収信号とその微分信号 . . . . 53
4.16 飽和吸収分光の微分信号:EOMの周波数依存性を取り入れた場合 . . . . 53
4.17 EOMの温調 . . . . 54
4.18 EOMの内部 . . . . 54
4.19 参照用光源の温調:前から . . . . 54
4.20 参照用光源の温調:後ろから . . . . 54
4.21 Zero-expansion Temperatureをまたいだドリフトの様子. . . . 55
4.22 Zero-expansion Temperature測定の概念図 . . . . 56
4.23 典型的なZero-expansion Temperature測定の結果 . . . . 57
4.24 Zero-expansion Temperature測定の結果とTzeroの決定 . . . . 58
4.25 ULE Cavityの長期安定度測定 . . . . 59
4.26 SpIDRによる線幅の細い遷移の分光から得られたULEのドリフト。 . . . 60
5.1 分光の状況 . . . . 61
5.2 典型的な実験の様子 . . . . 62
5.3 Depletion分光による信号 . . . . 65
5.4 SpIDRの概念図 . . . . 66
5.5 SpIDRに用いるイオン化波長 . . . . 67
5.6 Depletion及びSpIDRによる中間状態の分光の比較 . . . . 68
5.7 SpIDRによる中間状態の詳細な分光 . . . . 68
5.8 SpIDRによる2光子共鳴の分光手法 . . . . 69
5.9 SpIDRによるDark-resonanceの観測 . . . . 70
5.10 SpIDRによるEITの観測 . . . . 70
5.11 KRb分子のポテンシャル(抜粋) . . . . 71
5.12 15500cm−1付近での光会合分子に対するイオン化スペクトル . . . . 72
5.13 振動基底状態をイオン化する波長の決定 . . . . 73
5.14 振動基底·回転第2励起状態への遷移 . . . . 75
5.15 励起状態の構造と1光子離調をつけた際の振動·回転基底状態の分子数 . . 76
5.16 PAとSTIRAPのタイムチャート . . . . 76
5.17 RF漏れを改善するために挿入したRF Switch . . . . 77
5.18 STIRAPの一光子離調依存性(RF Switch挿入後) . . . . 77
5.19 改善された信号(下段)と改善前の信号の比較(上段) . . . . 78
5.20 STIRAPで実際に用いる3準位系 . . . . 79
5.21 STIRAPにおける光強度の変化 . . . . 80
5.22 STIRAPにおける占有比の変化 . . . . 80
5.23 光強度を変化させたときの振動·回転基底状態の信号 . . . . 81
v
5.24 遷移双極子モーメント(dt21)の測定 . . . . 85
5.25 遷移L1のDark-resonanceの幅と光強度の関係 . . . . 86
5.26 遷移L1のDark-resonanceの幅と光強度の関係 . . . . 86
5.27 遷移時間を変化させたときの信号強度 . . . . 88
5.28 光強度と遷移時間を変化させたときの信号強度. . . . 88
5.29 ラビ周波数とデコヒーレンス . . . . 89
5.30 サイドバンドを落とした光源でのSTIRAPの信号 . . . . 90
5.31 STIRAPによる始状態の転写 . . . . 91
5.32 振動基底·回転第2励起状態の構造 . . . . 92
5.33 基底状態Σ+, N = 2の超微細構造(核4重極モーメントが支配的な場合) . . 93
5.34 観測されたN”=2の分裂と計算値との比較 . . . . 94
5.35 中間状態による選択則 . . . . 94
5.36 励起状態Σ+, N = 1の超微細構造(核4重極モーメントが支配的な場合) . . 95
6.1 マイクロ波分光の手順 . . . . 97
6.2 マイクロ波分光によって得られる信号 . . . . 98
6.3 熱による分子の拡散 . . . . 98
6.4 チャンバーの改造 . . . . 99
6.5 改造後の真空槽の側面図 . . . . 100
6.6 改造後の真空槽の図(上から見た図) . . . . 101
6.7 マイクロ波分光による信号(1) . . . . 102
6.8 マイクロ波分光による信号(2) . . . . 103
6.9 マイクロ波分光による信号(3) . . . . 104
1
表 目 次
2.1 41K87Rbにおける核の性質及び結合定数[2] . . . . 16 4.1 650nmでのFinesseの測定 . . . . 40 4.2 900nmでのFinesseの測定 . . . . 42 5.1 v=91,N=0,X1Σ+状態の精密分光と理論値の比較(F=0を基準としている) 91
3
第
1
章 序論1.1
研究の歴史的背景20世紀の初頭には古典力学と電磁気学にだけにより自然を捉えようという試みには綻 びが生じ始めていた。そのような状況の中でミクロな世界を記述する量子力学は産声を上 げ、瞬く間に我々の自然への理解を深めた。同時に、我々がマクロなスケールに囲まれた 日常生活の中で自˙ 然˙ に形成する自然観は訂正なくしてミクロな世界では通用しないこと˙ も分かった1。
しかし、抽象的な波動関数を軸にすえた量子力学でなければ理解されない現象も多数存 在する。定性的に考えるならば、波動関数の広がりが重なってくると粒子の統計性が姿を 現し始める。その端的な例が、ボースの着想[3]を受けアインシュタインによる予言がな されたBose-Einstein凝縮である[4, 5]。このBose-Einstein凝縮の実現は、予言がなされ てから約70年後の1995年に希薄な中性原子気体においてなされた[6, 7]。これは、ただ ちにノーベル賞を与えられたことからも大きなインパクトを世にもたらしたことが知ら れる2。
また、他の物理分野で理論的に予言されていながら[9]、冷却原子系で発見された現象 としてFeshbach共鳴[10]やEfimov状態などが挙げられるように, 冷却原子系は理論的予 言の検証と整合性いう点に非常に秀でている。
この背景として忘れてはならないのが、レーザーによる原子の操作性の高さである。冷 却原子の研究は、そのほとんどがレーザー冷却[11]と磁気光学トラップ(MOT)[12] を用 いている。レーザーによって原子の外部状態(並進)、内部状態を制御することが可能とな りBose-Einstein凝縮の実現へとつながっていったのである。
現在では、系の次元[13]、相互作用の強さまでも制御可能[14, 15]となり、更にこれら のパラメータは連続的に変化可能である。これらの高い操作性が、超流動Mott絶縁体転 移[16]、BEC-BCSクロスオーバー[17]、ユニタリー極限[18] に代表されるような冷却原 子系の急速な発展を生み出した。そして、このような操作性の高さは他の物理系に類を見 ない。
レーザーで自在に原子を操れることからも分かるように、原子とレーザーの相性の良
1とは言っても、量子力学から得られる結果を古典力学に対応させて理解しようと試ることも多々ある。
これは、我々がイメージし易い事が日常生活で体験できることであるからであろう。
2もうひとつの粒子であるフェルミオンにおいても1999年にフェルミ縮退が達成された[8]。
4 第1章 序論
さは非常に素晴らしい。量子力学誕生の大きなきっかけとなったスペクトルという概念か らも分かるように、原子のエネルギーは離散的である。そこで、理想的な単色光源である レーザーを用いることにより特定の構造だけが”狙い撃ち”可能となったのである。
この発想は原子の構造を理解するのにレーザーが非常に有用であることも意味し、レー ザーの誕生は分光の分野にも大きな発展をもたらした。特に冷却することにより熱運動に よるドップラーシフトを抑制することが可能であり、精密な分光が可能となる。このよう な精密分光への応用のひとつの集大成として光格子時計が挙げられる[19, 20]。
これまでに述べてきたように冷却原子系は非常に多くの成果を生み出しており、これか らもさらなる発展が期待される。しかし、我々の研究室では分子に着目してきた。これ は、極性分子の示す異方的な相互作用と分子の豊富な自由度がもたらす新たな物理系に 期待してのことである[21]。分子の豊富な自由度は時に構造の複雑さとして牙をむきレー ザー冷却による直接冷却を困難にする([22]のような提案もあるが実現されてはいない)が、
Feschbach共鳴とSTIRAPを組み合わせた間接的な手法[23]により、2008年にJILAのグ ループが量子縮退近くまで冷却された振動·回転基底状態のフェルミオン分子(40K87Rb) を生成した[24]。また、STIRAPの過程でレーザーにより分子の内部状態を操る技術が必 要なので、この手法によって冷却分子が生成された際には、分子の内部状態を操る技術が 確立しているとも言える。本研究室においても、この手法を用いて振動·回転基底状態の ボゾン分子(41K87Rb)を生成しようと試みている[25, 26]。
分子を用いた実験には様々な提案がなされており[21]、固体のシュミレーションや超固 体相の確認などの実験を行うには縮退領域の分子が必要になる場合もあるが、精密分光を 行うには必ずしも必要ない。むしろ、分光を行うには解き明かしたい状態まで早く到達す ることが重要となる場面が多い。そこで、非常に早いレートで振動·回転基底状態の分子 を生成できる手法を確立し、さらにこの構造を精密に測定しようというのが本研究の目的 である。
1.2
本研究の意義先ほど述べたように、本研究は2つのことを狙っている。1つは、高いレートで振動· 回転基底状態の分子を生成できる手法の確立であり、もう1つが分子の精密分光の実現で ある。
手法の確立としては、光会合とSTIRAPを組み合わせることとした。光会合を用いた 理由としては、Feschbach共鳴によって分子を生成するのにかかる時間を省略できる利点 が挙げられる。光会合により生成された浅く束縛された分子を振動·回転基底状態まで遷 移させる手法として用いたのがSTIRAPであり、これは高効率でありながら短時間(us程 度)で状態を変えられるという特徴がある。また、第5章で述べるようにSTIRAPは分光 の手法としても用いることが可能である。さらに、本研究で確立したSTIRAPの技術は、
1.3. 本論文の構成 5
Feshbach分子を振動·回転基底状態へと遷移させる際にも利用できる。
また、もう一方の狙いである分子の精密分光の実現は、eEDM測定[27]、対称性の破れ
[28, 29]や物理定数の時間変化[30, 31]の検出といった用途への応用へと繋がることも期
待される。
本研究において具体的に行ったことは、
1. STRIAPに用いる光源を作成する際に用いたULE Cavityの準備 2. 光会合された分子をSTIRAPにより振動·回転基底状態へと遷移
3. STIRAPを用いた高精度な分光
4. マイクロ波分光による分子の超微細構造の観測
である。このうち、1、4については井上研究室助教の小林淳氏との共同実験であり。2、
3、4については井上研究室博士課程3年の相川清隆氏との共同研究である。また、2を 達成する過程で励起状態の分光を高精度に行う必要があり
• 分子の励起状態を高精度で分光する手法の開発 も本研究の一環として挙げられる。
1.3
本論文の構成本論文は以下のように構成される。
第1章「序論」
本研究の歴史的背景と、意義についてまとめ論文の構成について述べる。
第2章「分子の構造」
本研究の対象となる分子のエネルギー構造についてまとめる。2原子分子は原子が2つ 合わさっただけであるが、原子と比較して非常に複雑な構造を有する。第2章では、2原 子分子に重点を置いて解説を行う。また、本研究で利用する実験手法の1つである誘導ラ マン断熱遷移(STIRAP)についても、基本となる考えやモデルから導出できる定量的結 果をまとめる。
6 第1章 序論
第3章「実験装置」
本研究を行った実験系について述べる。本研究の第5,6章のデータは全てイオン化検出 を用いて得ており、この装置の特徴を中心にまとめておく。装置の改造をまたいで実験を 行ったっために多少の変更があるが、第3章では本論文の第5章のデータを得た際の実験 系について述べることとする。改造後の装置については第6章で触れたい。
第4章「誘導ラマン断熱遷移にむけたULE Cavityの準備」
光会合された浅く束縛された分子を振動·回転基底状態にまでSTIRAPを用いて遷移 させる際には、光源を準備する必要がある。光源には、短期安定度と長期安定度がどちら も求められる。そこで、第4章では特に長期安定度に着目してどのような準備を行ったの か述べたい。
第5章「極低温分子の振動・回転基底分子への誘導ラマン断熱遷移」
第4章で準備したULE Cavityを利用して安定化した光源を用いて行った実験について 述べる。本研究の意義で述べた光会合とSTIRAPを組み合わせた手法により、磁気光学 トラップ中(MOT)の原子から全光学的に極低温振動・回転基底分子を選択的に生成する こと目指し、これに成功した[32]。第5章では、いかにして振動・回転基底状態の分子に 遷移した信号を得たのか述べた後に、STRIAPを特徴付けるパラメータの分光を行った のでこれらの結果について紹介する。また、STIRAPの線幅を細くすることで分子の超 微細構造が観測され、用いる中間状態によって出現する構造が変化するという結果につい ても述べる。
第6章「マイクロ波による超微細構造の分光」
第5章ではSTIRAPによって超微細構造の分光を行ったが、より細かな構造を分光す
るには他の分光手法が必要となる。そこで、我々はマイクロ波による分光を計画し実行し た。第6章では、マイクロ波分光の原理、分光を行うための真空系の改造、そして得られ た結果について述べる。
第7章「まとめと今後の展望」
本研究で得られた成果のまとめと、今後の展望について述べる。
7
第
2
章 理論的背景2.1
振動と回転本節では、2原子分子の構造について解説する。2原子分子は、原子が2つ合わさった だけであるが、原子と比較して非常に複雑な構造を有する。これは、分子のスペクトルが 複雑になることを意味しており、分子の構造を把握することは得られるスペクトルを正確 に理解する上でも重要となる。分子一般の解説としては、[33, 34, 35, 36]を挙げておく。
分子が原子と最も異なるのは核が複数あることである。本章で扱う2原子分子において も核が2つある。まず、この2つの核によって、どのような構造が出現するのかを考えた い。2つの核の運動は、図2.1 のように振動と回転の二つの自由度に分離される。分子の 構造は、原子にも存在した電子状態に加えて、この新たな二つの自由度に由来する状態が 出現するために複雑となるのである。
図 2.1: 2つの核の運動:回転と振動の自由度に分離される
2.1.1
エネルギースケールここでは、大雑把にエネルギーのスケールを見積もってみることとする。電子状態につ いては、電子を核間距離a程度に閉じ込めるから、不確定性原理により運動量は、p∼ ~a で与えられ、エネルギーは
Ee= ~2p2 2me
∼ ~2
2mea2 (2.1)
程度と見積もれる。(ただし、me は電子質量)
8 第2章 理論的背景
次に、振動については調和振動子を仮定して進める1。調和振動の角振動数をωN 、核 の質量をMNとする。電子状態を変化させる手法として核を引き離すことを考えると、電 子の広がり程度まで分子間距離を平衡位置から引き離せばよいと考えられる。このときの 調和ポテンシャルの増加は MNω2N2a2 と与えられ、これは電子状態の変化と同程度のエネ ルギー変化を与えると考えられるので、
1
2kNa2 ∼ 1
2MNωN2a2 ∼ ~2
2mea2 (2.2)
が得られる。
よって、振動によるエネルギーEv は Ev ∼~ωN ∼
rme
MNEe (2.3)
で与えられ、me とMN の比を考慮すれば、エネルギースケールとして振動遷移¿電子 遷移であることが分かる2。
また、回転のエネルギーErotについても古典的な長さaの物体の回転と考えれば、
Erot= L2
2I (2.4)
¡L≡Iω, I =MNa2¢
となり、角運動量Lの大きさを~程度であると考えれば、回転のエネルギーErotについて Erot ∼ ~2
2MNa2 ∼ me
MNEe (2.5)
Erot ∼ rme
MNEv ¡
式(2.5)を用いた ¢
(2.6) が得られる3。式(2.5,2.6)を用いると、MNはmeの1800×A(A:質量数)倍程度なので、
各状態間のエネルギースケールの比は回転状態¿振動状態¿電子状態であることが分か る。よって、分子ポテンシャルは電子の状態ごとに大きく分裂しており、このそれぞれの 中に振動状態があり、さらに細かな回転状態が存在するのである。
典型的な比としてq
me
MN ∼ 3001 を用いれば、電子遷移は光学遷移の領域なので∆Ee〜 h·300THzとして、∆Ev〜h·THz、∆Erot〜h·GHzであることが見積もられる。温度Tでは これらの状態をどのように占有するのかを考えると、1mkは周波数に換算すると約21MHz
1実際の分子ポテンシャルにおいても、振動状態が低いときには、平衡位置からの変位が小さいため非調 和項の影響が少なくこの仮定が良く成立する
2これは、重い核の反応は電子よりも遅いというBorn-Oppenheimer近似を正当化する結果でもある
3式(2.1)と同様に重さMN の物体がa程度に閉じ込められたと考えても同様の結果が得られる。この視
点にたてば、核の回転は質量が重い分量子効果が小さいとも言える。
2.1. 振動と回転 9
だから室温(〜300K)は、周波数に直すとh·6THz 程度となり、いくつかの振動状態状態 と多数の回転状態励起状態にまで分布していることが分かる。
また、エネルギースケールの違いの他にも、回転には角運動量(N)が付随するが、振 動には角運動量が存在しないことが挙げられる。
以下では、エネルギースケールの大きな方から順に個別に見ていくこととする。
10 第2章 理論的背景
2.1.2
分子の振動状態ポテンシャルのどこに振動によるエネルギー固有状態(振動状態)が現れるのかは、当然 のことながらポテンシャルの形に依存する。1番単純なのは、調和ポテンシャルである。
しかし、現実の分子ポテンシャルは原子間距離(R)が近くなるとクーロン反発によりポテ ンシャルは急激に立ち上がり、R → ∞の原子に乖離した極限では一定のエネルギーに漸 近していくので非対称である。さらに、R→ ∞の原子に乖離した極限では一定のエネル ギーに漸近していくことは、R Àaeqのところでは次第にポテンシャルの傾きが緩くなっ ていくことを示している。(ただし、aeqは平衡状態での核間距離である。)
これらの事実は非調和項の重要性を示唆しているが、調和ポテンシャルの意義を否定し ているわけではない。
例えば、分子ポテンシャル中の高いエネルギー状態(いわゆる”浅く”束縛された状態) で振動準位の間隔が小さくなるのは、高いエネルギー状態では非調和性によりポテンシャ ルの傾きが緩やかになり実効的に”ばね定数”が小さくなったものとして理解される。
∆Ev =~ s
k
µ (2.7)
V(R)∼ 1
2k(R)R2
(非調和項によりR Àaeqではk(R)が大きくなる) ここでは、µを有効質量として定義している。
また、調和ポテンシャルでの近似はR ∼ aeqの周辺(つまり、低い振動状態)特に、今 回のような振動·回転基底状態では、良く成立していると考えられる。
しかし、励起状態について考えると調和ポテンシャルには励起状態(分子ポテンシャル においては振動励起状態)の上限が無いという調和ポテンシャルでの近似が破綻する決定 的な事実がある。そこで、分子のポテンシャルとして
U =U0¡
e−2R−Ra 0 −2eR−Ra 0¢
(2.8) という経験的なMorseポテンシャルが用いられることがある。このポテンシャルがR=R0 で極小値をもち、R→ ∞で0に漸近するのは直ちに確認される。Morseポテンシャルに は、U0, R0, aを実験に合うように決めることで、非調和性を取り入れながら解析的にも扱 えるという特性がある。
このMorseポテンシャルを断熱ポテンシャルとするとき、ポテンシャルには球対称性が
あるので処方箋にしたがって解いていく。波動関数は2原子核間の相対距離Rの関数と して、球面調和関数YM(N)(θ, ϕ)を用いて
¡−~2
2µ+U(R)¢
uN(R)YM(N)(θ, ϕ) =EuN(R)YM(N)(θ, ϕ) (2.9)
2.1. 振動と回転 11
を満たすから、
uN(R) = 1
RχN(R) (2.10)
とおいて変形すると
−~2 2µ
d2χN
dR2 + ~2N(N + 1)
2µR2 χN + (U −E)χN = 0 (2.11) となる。ここで、実効的なポテンシャルは
W =U +~2N(N+ 1)
2µR2 (2.12)
である。このUにMorseポテンシャルを代入し、調和近似を用いて解く事を考えてWを 最小点の周りで展開すると
W =W0+µω2
2 (R−R1)2+· · · (2.13) となる。ただし、最小点のR1は
R1 =R0+ a2 2U0
~2N(N + 1)
µR03 (2.14)
である。つまり、Nが大きい(これは、次節で見るように回転が速いことを意味する)ほ どR1がポテンシャルの最小値R0から回転による実効的なポテンシャルを受けて大きく なることを意味している。また、W0, µω2については
W0 =−U0+~2N(N + 1)
2µR02 − ~4N2(N + 1)2a2
4µ2R06U0 (2.15) µω2 = 2U0
a2 − 3~2N(N + 1)
µR03a + 3~2N(N + 1)
µR04 (2.16)
となるので、回転が速くなるとN(N+1)に比例する回転エネルギーに補正が必要になる ことも分かる。
χnについて解くべき方程式は、Wを式(2.13)のように展開したことで
¡−~2 2µ
d2
dR2 + µω2
2 (R−R1)2+W0¢
χN =EχN (2.17)
という調和振動子型になっているので、エネルギー固有値は Eν =W0+~ω¡
ν+1 2
¢ (2.18)
となる。また、固有関数χN,ν(R−R1)はHνをエルミート多項式として
χN,ν(R−R1) =NνHν(R−R1)e−2µω~ (R−R1)2χN spin (2.19) と表される。ここでは、Nνは規格化定数であり、χN spinは原子核のスピンの波動関数を示 している。このχN,ν(R−R1)を用いれば、全体の波動関数は電子の波動関数ϕe(R,r1,r2) との積として、
φ=ϕe(R,r1,r2)χN,ν(R−R1)YM(N)(θ, ϕ) (2.20) となる。
12 第2章 理論的背景
2.1.3
分子の回転状態回転のエネルギー
先ほどのMorseポテンシャルの部分で回転のエネルギーは導入してしまったが、本節
では回転する分子の模型を考えることにより改めて2原子分子の回転運動について見て いきたい。
古典的な回転により2原子分子を表現することを考えよう。ここでは、分子のモデルと
して図2.2(a)のように長さがrの棒の両端に質量の異なる原子が固定されているような分
子を考える。
(a) (b)
図 2.2: 2原子分子のモデル:重心周りの半径rの回転(a)は、換算質量を用いれば(b)の ように簡単に記述される。
図2.2(a)のような回転は、数学的に図2.2(b)のような換算質量µ= mm1m2
1+m2 のひとつの 物体の回転と等価である。このような回転運動は角速度で記述すると便利で、
ω= dφ dt = 1
r ds dt = v
r (2.21)
と書ける。ここで、物体の回転は一定の速度であることを仮定している。よって、運動エ ネルギー 12mv2は一定でありこれを角速度で書き換えれば
Erot= 1
2µr2ω2 (2.22)
となる。µr2は慣性モーメントIとして知られており、回転運動においてこの慣性モーメ ントIと角速度ωは、それぞれ直線運動の質量mと速度vに対応する。
そこで、回転運動のエネルギーが直線運動の運動エネルギー 2mp2 のアナロジーとして得 られることを見据えて運動量pに対応する角運動量Lを下のように定義しよう。
L=Iω (2.23)
ただし、ここでも速度が一般にベクトルなのに対応して、角速度もベクトルにした。
2.1. 振動と回転 13
すると、先ほどの運動エネルギー 2mp2 とのアナロジーから回転のエネルギーは Erot= L2
2I (2.24)
となる。
量子力学に移行するためには、式(2.24)で角運動量Lと位置rを演算子に修正して、
Hrot= Nˆ2
2µˆr2 (2.25)
のエネルギー固有状態を求めればよい。(ただし、ここでは慣例にしたがって角運動量L を回˙ 転の角運動量˙ Nと修正した。)
このハミルトニアンの固有状態は、回転の角運動量Nˆ の固有状態| N, mn >であり、
回転のエネルギーは
Erot=BvN(N + 1) N = 0,1,2,3,· · · (2.26) Bv =< ψ(r)| ~2
2µˆr2 |ψ(r)> (2.27) として与えられる。ここで定義されたBvは回転定数と呼ばれており定義から分かるよう に分子の大きさを反映した量となる。また、各回転エネルギー状態Nには(2N+1)重の縮 重度があることも分かる。
先ほど、室温では多数の回転エネルギー状態を占有すると述べたが、熱分布としてボ ルツマン分布を仮定し、角運動量Nの回転状態には2N+ 1の状態が縮退しているとすれ ば、熱平衡状態では
(2N + 1) exp¡
−BvN(N + 1) kBT
¢ (2.28)
のような分布が形成され、これは
N = rkbT
2Bv
− 1
2 (2.29)
にピークを持っている。
実際には、式(2.15)から分かるように式(2.25)には高次の項も存在し
Hrot =BvN2−DvN2N2+· · · (2.30) と与えられる。第1項は導入したモデルで類推される回転のエネルギーを表し、第2項が 回転による”歪み”を表している。
Dvは式(2.15)からも分かるように
Dv =< ψ(r)| ~4
2kµ2rˆ6 |ψ(r)> (2.31)
14 第2章 理論的背景
で与えられる。ここで、式(2.16)より得られる近似的な関係 k =µω2 ∼ 2U0
a2 (2.32)
を用いた。
2.1. 振動と回転 15
2.1.4
分子の超微細構造本章の始めに述べたように、分子には電子状態、振動状態、回転状態が存在する。特定 の電子状態のある振動状態に話を限定すれば、回転状態によるエネルギーが残る。ここか らは、この回転状態とさらに細かな構造に注目していきたい。回転よりも細かな構造とし て分子の超微細構造が存在し、本論文の目的は冷却分子の特長を活かした高精度分光によ りこのような構造を明らかにしていくことである。そこで、本節では分子の超微細構造に ついて解説する。
核スピンを有する分子には超微細構造が存在し、既に[37]では振動·回転基底状態の超 微細構造間のRF遷移を行っている。また、このような分子の超微細構造に関する理論計 算も行われており、アルカリ2原子からなる分子では、等核分子については[38]が異核分 子については[39, 2, 1]が参考になる。特に[2, 1] は我々が用いている41K87Rbについて も計算している。
分子のハミルトニアン
通常分子には多数の角運動量が存在し、これらの合成を相互作用の大きさを考慮しな がら行わなければならない(フントの結合規則)。しかし、軌道角運動量L = 0かつスピ ン角運動量S = 0である1Σ状態の2原子分子においては、前節で述べた回転の角運動量 N と核スピンI1,I2という3つの異なる角運動量のみを考慮すればよい。そこで、1Σ状 態の特定の振動状態にある分子が、外場のもとにあるときのハミルトニアンは
H =Hrot+Hhf +HS+HZ (2.33) と記述される。ここで、Hrot, Hhf, Hs, HZはそれぞれ回転、hyperfine、Stark、Zeemanに よる効果を示しており、それぞれ
Hrot =BvN2−DvN2N2 (2.34) Hhf =
X2
i=1
Vi·Qi+ X2
i=1
ciNi·Ii+c3I1·T ·I2+c4I1·I2 (2.35)
HS =−µ·E (2.36)
HZ =−grµNN ·B− X2
i=1
giIi ·B(1−σi) (2.37) と与えられる。ただし、ここで用いたVi,Qi,E,Bはそれぞれ、核の位置での電場勾配、
核電気4重極モーメント、電場、磁場を表し、テンソルT は、スピン同士の直接の相互 作用の角度依存性と間接的な相互作用の異方性を表している[40]。[2]によれば、各パラ メータの値は表2.1のようになる。
16 第2章 理論的背景
IK 32
IRb 32
gK 0.143
gRb 1.834 Bv (GHz) 1.096 (eQq)K (MHz) -0.298 (eQq)Rb (MHz) -1.520 σK (ppm) 1321 σRb (ppm) 3469 cK (Hz) 10.4 cRb (Hz) 413.1
c3 (Hz) 21.3 c4 (Hz) 896.2
gr 0.0138
µ (D) 0.76
表 2.1: 41K87Rbにおける核の性質及び結合定数[2]
分子の超微細構造
本研究で注目するのは、式(2.33)の第2項であるHhf で表される超微細構造である。
この項は、Stark効果やZeeman効果が小さな時には支配的な項となる。実際にこの項を
41K87Rbの振動基底状態分子において計算したものが、図2.3のようになることが[1]よ り分かる。
図 2.3: 41K87Rbの振動基底状態(N=0,1)おける分裂([1]より転載)
2.1. 振動と回転 17
超微細構造の理解:電気4重極相互作用が存在する場合(N 6= 0)
表2.1からHhfのうちで最も大きな寄与をするのは、式(2.35)の第1項で表される核の 電気4重極モーメントと電子に起因する電場勾配との電気4重極相互作用である事が分 かる。この核電気4重極モーメントによる分裂が存在するのは、電場勾配と核電気4重極 モーメントが共に存在する時である。電子による電場勾配は電子の配置に異方性が生じる ために生じるので、N 6= 0の時に電場勾配が生じる(図2.4)。
(a) (b)
図 2.4: 分子が回転すると回転により電子の分布が偏平し電場に偏りが生じる。
また、核電気4重極モーメントについてもI = 0の時には無くなることが直ちに分か る。さらに、I = 1/2においても核電気4重極モーメントがなくなることが知られている [41]。よって、N 6= 0、かつI 6= 0,1/2の時に電気4重極相互作用が存在し支配的である ことが分かる。
さて、このように電気4重極相互作用が支配的な場合の超微細構造をどのように理解す ればよいのか考えてみたい。表2.1からRbの核電気4重極モーメントの大きさは、Kの 核電気4重極モーメントの大きさの約5倍であることが分かる。そこで、超微細構造がま ずRbの核電気4重極モーメントによって分裂を起こして、その後Kの核電気4重極モー メントによって細かく分裂すると理解できないか考えたい。もしこのように理解できれ ば、全角運動量F 以外にも良い量子数FRb =IRb+N があることを示唆しており構造の 理解の助けとなることが期待される。
図2.3は、Hhf を全てまじめに計算した場合の結果である。よって、このN=1の構造 が上で述べたような分裂の様子によって説明可能かどうか調べてみることとする。1つの
18 第2章 理論的背景
核による分裂のみを考慮すればよい時、電気4重極相互作用のハミルトニアンは HEQ = (eQq)3(I·N)2+ 32I·N −I2N2
2I(2I−1)(2N −1)(2N + 3) (2.38) で与えられる[42]。ただし、(eQq)は電気4重極子結合定数である。ここでは、(eQq)Rbの みを考慮するとすればよいので
HEQ = (eQq)Rb3(IRb·N)2+32IRb·N −IRb2N2
2IRb(2IRb−1)(2N −1)(2N + 3) (2.39) となり、このRbの核スピンのみを考慮した簡単な構造はこの式を用いて計算可能であ る4。
図 2.5: 定性的な超微細構造の理解:Rbの核スピンによってFRbに分裂をした後にKの 核スピンでF に分裂する。この構造は図2.3を再現するので、FRbも良い量子数であると 考えられる。
4Kの核による電気4重極相互作用を取り込むには(eQq)Kを用い、NをIRb+N を合成したものに変 更した上でもう一度式(2.39)を用いれば良いように思われるが、実際にはそうではないことに注意が必要 である。このようにして求めた結果は定量的にずれるだけでなく、定性的にも出現するFの順序が誤った 結果となる。
2.1. 振動と回転 19
実際に、式(2.39)を用いてRbによる分裂を計算すると、図2.5のようにFRb =IRb+N ごとに大きく3つに分裂すること、その時のFRbの順序が分かる。各FRb=IRb+Nは更に Kの核スピンにより分裂しているので、各FRbの値から出現する全角運動量F =FRb+IK の値も定性的に求められる。
図2.3と図2.5を比較すると、Rbの核スピンによる大きな分裂があってそれぞれにK の核スピンによる分裂が存在するという様子、さらにそれぞれの分裂に現れる全角運動量 F の値が定性的に一致することが分かる。これよりFRbが良い量子数であることが示唆 され、本論文では電気4重極相互作用が存在する場合(N 6= 0)には、全角運動量F の他 にFRbを用いて状態を指定することとする。
超微細構造の理解:電気4重極相互作用が存在しない場合(N=0)
これまでは電気4重極相互作用が存在する場合(N 6= 0)についての超微細構造を考え てきたが、回転基底状態(N = 0)の分子の電子軌道は球対称なので電場勾配が存在せず、
電気4重極相互作用は起こらない。
そこで例えば本論文で扱う振動・回転基底状態(v = 0, N = 0)においては、式(2.35)の 第4項で表される核スピン同士の磁気双極子相互作用が支配的となる。よって、外場が無 い時の回転基底状態の分裂は結合定数c4を用いて
< N = 0(IKIRb)IMI|c4IK·IRb|N = 0(IKIRb)IMI > (2.40)
= 1
2c4[I(I+ 1)−IRb(IRb+ 1)−IK(IK + 1)] (2.41) のように表されるので、実験的にN=0の分裂を測ることで定数c4が求められる。この分 裂の大きさは、表2.1の値を用いると図2.6のように数kHz程度なる。これは、電気4重 極相互作用による分裂と比較して約1/100程度とはるかに小さな大きさである。
図 2.6: 41K87Rbの振動·回転基底状態おける分裂
20 第2章 理論的背景
振動・回転基底状態の分子の核スピン同士の磁気双極子相互作用によって生じる超微細 構造のスケールは1kHz程度と、基底状態の原子の超微細構造の数GHz(典型値)と比較 して6桁も小さい。一つの要因は、原子の超微細構造が電子スピンと核スピンによって生 じるのに対して、ここで考えている分子の超微細構造が核スピン同士によって生じている ことである。これで、おおよそ3桁分の差異が説明可能である。しかし、さらに3桁程度 小さな理由が存在するはずであり、これは相互作用の仕方によっていると考えられる。原 子のように電子と核の相互作用の場合には電子の軌道が核の位置にも存在する。一方で、
核スピン同士の磁気双極子相互作用においては2つの核同士は離れた位置に存在してい る為に相互作用が小さくなっていると考えられる。
このように、核スピン同士の磁気双極子相互作用という非常に弱い相互作用に起因する 細かな構造を分光することも本論文の目的である。
2.2. 誘導ラマン断熱遷移(STIRAP)の理論的背景 21
2.2
誘導ラマン断熱遷移(STIRAP)
の理論的背景この節では、誘導ラマン断熱遷移(STIRAP: STImulated Raman Adiabatic Passage)の 理論的背景について述べたい。まず、3準位系のハミルトニアンを導出し励起状態を含ま ないDark-stateがその固有状態として存在することを確かめる。さらに、Dark-stateを巧 みに利用することでSTIRAPによる遷移が可能であることを確認し、3準位モデルから 得られる定量的結果をまとめる。
3準位系のハミルトニアン
図 2.7: STIRAPを考える3準位系
STIRAPを考えるにあたって、図2.7のような3準位原子と2本のレーザーからなる系
を考える5。以下の議論はさらに多くの準位にも容易に拡張可能である。この3準位系の 時間に依存したSchr¨odinger方程式
i~d
dtΨ(t) = (H~ atom−d ~~E(t))Ψ(t)~ (2.42) を解きたい。Ψ(t)は3次元のベクトルで、その成分が3つの準位を表しており、Hatomは 3×3の行列である。Hatomは原子系の情報を含んでおり、時間に依存しないSchr¨odinger 方程式Hatom,nn | n >=En | n >(n=1,2,3)を満たす。ここで、Enはレーザー光の無い場
5実際には原子である必要は無いが仮にそのようにしておく。