• 検索結果がありません。

智山學報 第56 - 040森 章司「釈尊のサンガは存在したか : 「現前サンガと四方サンガ」序説」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "智山學報 第56 - 040森 章司「釈尊のサンガは存在したか : 「現前サンガと四方サンガ」序説」"

Copied!
23
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

存在

現 前

サ ン ガ

サ ンガ

」序説

一 は じ め に 1 ‘ pahharatゴ 2  具足戒と波 羅 夷 罪 3 破   僧 4  結   集 ま と め

章  

  は じめに  一般にサ ン ガには 「現 前サ ン ガ」 と 「四方サ ン ガ」 とい 二 つ の概 念 が あ る と

え られてい る。 しか しこ の 二 つ が

具体

的に は どの よ

なもの で ある か と な る と、

は はっ き りして い ない 。 そこ で こ の 二 つ の 概

を明

に したい とい

の が、

者の 長い 間の 課 題で あっ た。 そ して、 ご く最 近になっ て よう や く靄が晴れ てすっ き りとして きたの である が、 しか しその 理

の 方 向は 私 が当初 予 想してい た ような もの で はな く、 またなか なか 曰 く言い 難い とこ ろ があっ て 、 た とい そ れ を書か せ てい た だい と して も、大 方にその 意 味が十分 に伝わるだろ うか とい う不 安が頭 をもたげて き た。 そ こ で まずその 序 説にあ たる もの として、 「釈 尊の サ ン ガは存 在 した か 」 とい う問 題 提 起 を させ てい ただ くこ とに し た。  とこ ろ で こ こ に 「釈 尊の サ ン ガ」とい のは、 もう少 しこなれ たこ と ばで

教 団

とい っ て も、

仏教 教

」とい っ て もよい の であるが、 しか しな が ら

通 に

使

わ れ る

原 始仏 教教 団

と か

初 期 仏 教 教 団」 とい

意 味合い で使っ て い るの ではない 。

(2)

智山学 報第五 十 六輯

 

こ こ では その よ

な もの が存 在 した か ど

か とい

こ とをテ ーマ に して い る の で ある か ら、 その よ

な ものが

存在

したか ど

か はわ か らない わけで

る が、 も し

存在

した と

れ ば、 それ は釈 尊 在 世 中におい て は

釈尊

を中心 に、 イン ド各地に散らばっ てい た仏

子た ちをひ とまとま りに した組 織であ り、

釈尊

滅 後は世 界 各 地に散 ら ばっ た仏 教の 出

家者

た ちの 、 組 織 的なまとま りを イメー ジした もの である。

 

もちろ ん そ

うも

のは

観念 的

に は

存在

したに違い い 。 も しそ うで な け ればジャ イナ教とか アー ジ ー ヴィ カ教とい っ た、 他の

教 か ら 「仏教 」 を区 別する

何物

もな くなっ て しま うか らで ある。 そしてそ

もの を イメ ー ジ して

原始仏 教教 団」 とい う言葉 も、 「初 期 仏 教 教 団」とい う言 葉 も使わ れ てい る もの と考

られ る。

 

しか しこ こ で わ ざわ

「教 団

とい

使

わない で、

サ ン ガ

とい

言葉 を使っ たの は、 精神 的 な

帯で結びつ い た

観念

上の

団で は な

、 き ち ん と した組 織 とその 運営 規 則 を持つ を指 し た である。

蔵 」のなかに規 定さ れ る サ ン ガは、

槌 度

が規 定 する とこ ろに よれ ば、 会

種 類 と資格、 会 員の義務と権 利、 会 議の成 立 要件、 議決方法、 罰則 な ど が

め ら れた きわめ て組 織 的 な もの で あっ て、 そ

で の サ ン ガ を

えてい る か らで ある。

 

とこ ろが

律蔵

に その 運

営方法

を規 定さ れたサン ガは、

4

人以上の 比丘 ある い は比丘尼か らなる、 世界

地 に

散在

する 個 々 の

サ ンガ」で あっ て、 釈 尊 を中心にイン ド各 地に散 らばっ てい た仏 弟 子のすべ て を

統合

した教 団とい

もの で は ない 。 そ

もの は想 定さ れて い ない ように見 える の で ある。

 

お そ ら く従 来は、 い ま述べ た

4

人以上の 比 丘 ・比 丘

か らな る

々 の

団 を 「現 前 サン ガ」と理解 し、 地上 に存 在 する仏 教の 出家 者の すべ て を統 括 す る もの が 「四方サ ン ガ」に相 当する とい ふ うに理解 さ れ て き たの で は ない か と思 う。 しか し多 くはこ の 「四方サ ン ガ」は観 念 的 な もの と理 解さ れて き た か ら、 もしそ

であ る とする と私の い う 「釈 尊の サ ン ガ」に はならない こ とに な

、 ま た そうい もの は存 在 しな かっ た とい うこ と に な る。

(3)

釈尊のサ ンガは存在し た か (森)   し か し この ように解 する場 合の 最大の 難点は、 僧 園 な り僧 院 な りが 「四 方 サ ンガ

に寄進 され たけれ ども、 観 念 的 な四方サ ン ガ で は その所 有者 とはな りえない とい

こ とで あ る。 さ ら に ま た、 こ れ か ら述べ る よ

な さ まざま な 問題点が存 し、 こ れ らは こ の よ

の サ ン ガ

存在

し ない と都合 が 悪い こ とになる の で はない か と

え られ る。

 本稿

サ ンガ

サ ンガ

の概 念 を

討 する た めの序 説 とし て 、 「釈

の サ ン ガ」とい う もの が存 在 したの か どうか とい う問題 提 起 を行 うもの であ っ て、 その解 答 を与える予 定はない 。 しか し賢 明 なる読 者 なら、 筆 者の論 調か ら、 これに筆 者が どの よ うな予 想を持っ て い る か を推 測 する こ と は容易 なはずで ある。  

1

  ’

pariharati

 

1

0

]‘

pariharati

’ とい

こ と ば があ り、 これ は sarpgha あ るい は

ga4a

とい

こ と ば と共 に使わ れ るこ とが多い 。 まず、 こ の こ と ば を 通 して、 「釈 尊のサ ン ガとい もの が存 在 し た か どうか を検 討 して みたい 。

 

1

1

]例 え ばLpariharati ’ は 次の ように用 い られ てい る。 こ れ は提 婆達多が 破 僧 し ようと し た とき、釈 尊に 申し入れ たこ と ばである。

    

提 婆 達

は、 王 を含 む大 衆に取 り囲 まれて説 法 さ れて い る釈 尊に、

   「

や世

い 、

年 寄

り、

高齢

とな り、

晩年

し、

えら れ た。

   や気 楽に現 法楽 住を専 ら と して住さ れ、 比 丘 サ ン ガ を自分に付 嘱 して く

  

だ さい (mama  

bhikld

usaipgharp  nissajjatu

旦一

  

し ま し ょ

aharp  

bhikkhusarpgharp

 pariharissami)」 と三度 言 っ た。 世 尊 は

  

「舎 利 弗 ・目連にす ら 比 丘 サ ン ガを付 嘱 し ない Sariputtamoggallati珈arp pi

  。

ahaip

 

Devadatta

 

bhikkhusarpgha

、p na nissajjeyyarp )。 い わんや唾 を 食 う

chavassa ・

khela

 akassa ) に お て を や

と拒

さ れ た

。 

Vinaya

「破 僧

 

腱 度 」(vol』

p

.188)

こ こで下 線を施 した部分に相 当する漢 訳 は、 次の よ

に なっ て い る。

(4)

智山報 第五 十六 輯

  

目連。

況汝

癡 人

唾 之 身豈 可 付

囑」 『

四分

律』 「

僧残 10

」 (大 正 22p .592    中)

   

「我今

自當領

衆僧」「

利弗 目連 猶 尚不 能領 我徒 衆。 況

愚癡 食涎唾

  

乎 」 「五分 律 』 「僧 残

10

」(大 正 22p .18中)

   

「可以衆 僧付 我。

佛但

獨受現 法 樂。 令 僧 屬 我。 我 當 將

」 「

利 弗目連

  

有 大 智 慧

通。

佛 尚

不 以

衆僧付

之。

況汝暾

人 死 人而

」 『十誦

  

律』 「

調

」 (大正

23p

,258 上)

   

「爲 諸四衆 芯 芻

芯芻

尼 烏区波索 迦

波斯 迦教

授 勞倦

可以

諸大衆付囑

  

我。

我教 授 我 當秉 執 」 「汝之癡 人。

如舍

利 子 大目連 我 尚不 以 芯 芻僧

  

伽 而 見

付 囑

。 況汝 癡 人食 人 洟 唾 而 相 付 囑 」 『根 本 有 部 律 』 「僧伽 伐尸 沙

  

10

」(大正 23p .701 下)

   

「爲四

法勞苦

。 世

不 如與 我 徒 衆。 我 自教示 而爲 説 法 」「如 我 舍 利

  

弗大 目腱 連

子 中

尊聰

行 神 通證 羅 漢 果。 我 今 尚

不以芯

芻僧伽

  

而 見

付囑

可 況

汝無智癡

者乎」『

根本有部律 』

「破 僧 事」(大 正 24

  P

169

中)

 

提 婆 達多 は釈 尊にサ ン ガ を

分 に譲 れ、 自分が

pariharati

しよ うと要 求 し た わけであるが、 その 時のサ ン ガ が どの よ

現さ れてい る か とい

こ と と、

譲れ」 とい

ことば、 そ して ‘

pariharati

’に相 当する こ と ば を対 照 させ て み ると

の よ

に な る。

Vinaya

「四分律 』 「五分律 』

十 誦

律』

「僧 伽 伐 尸 沙

10」

「破 僧

事」

bhikkhusa

gha

衆 僧、徒 衆

衆僧

、 諸大

芯芻僧

伽 四

、 芯

芻僧伽

nissajj  atu 付 嘱 領 付、 属 付

與、

付囑

 これ に よ る か ぎ りで は、 提 婆 達 多が譲れ と要 求 した サ ン ガが、 サ ン ガであっ た か は 必

しも

明瞭

で はない 。 二つ の 『根 本有 部律

の文献は

四衆 」と して在 家 信 者の 優 婆塞 ・優 婆 夷まで

ま せて い る が そ れ は教 授 と

pariharissltni

將 護 領理 將

秉 執 教 示 説 法

 

どの よ

(5)

釈尊のサ ンガは存在 し た か 森 ) か 説 法の 対 象であ り、 付 嘱の 対

は 「

芯芻

僧 伽

になっ て い る。

Vinaya

も ‘

bhikkhusarpgha

’ とする が、 『四分律 』 『五分 律 』 『十 誦律 』 など は 「僧 」 と か 「

とい の みで 明 瞭で は ない 。 しか し比 丘尼を含ま しめ るならそれ が 明示 されるはずで あるか ら、 これ は 「比 丘サ ン ガ」 をさす と見て よい であろ

 

次に‘nissajjati’の 部分は漢 訳で は

く 「付 嘱 」 とい

こ とばが

使

われて お り、

実態

のある

組織

的 な もの を

分に任せ て くれ とい う意 味に解 釈で き る。 パ ー リ語の ‘ nissajjati ’ は ‘ ni’‘ s

の 合 成 語であっ て 、 ‘ ni’ は 「下 に」 を 意 味 する接 頭 辞、 ‘ srj’ は 「放つ 」 「て る」 「遣 わす 」 を意 味す る動詞 で あっ て、 辞 書で は ‘ nissajjati ’ に 「捨て る」 「抛棄 する」とい

な意 味が

えら れて い る。 必ずしも 「付嘱」とい

意味は ない か ら、 こ れ は漢訳 者の意訳 とい っ て もよい であろ

 

そ して‘

pariharati

’ の

部分

は、

將護」 「

」 「

導」 「

秉執 」

など と訳 さ れ て い る。 こ れ も実態のある組 織 的 な もの を 「指導 する」 とい うニ ュ ア ン ス を もっ て翻訳 さ れ たもの で あろ う。 もちろ ん 「説法 」 とい う訳 語に はその よう なニ ュ ア ン ス は ない 。 パ ー リ語の ‘

pariharati

pari

と〜厂

h

ぞの合 成 語であっ て 、

pari

は 「完全 に」 「あ まね く」を意 味 する接 頭 辞、 

fh

τ は

運ぶ」

持 ち来 る」 「持 ち去 る」 を意 味 する動 詞である か ら、 辞 書に は

注 意

」 「

話す

」 「

」 「

する

などの

味 が

与 え

られて い る。

 

以上の よ うに必 ず しも明

で は ない が、 もしこの ‘

pariharati

’ とい

こと ば が、 「付 嘱」 するこ とがで きる ような もの を 、「領理」 「秉 執 」 する とい

よ うな意味を もつ もの とする な ら、 提

が釈

に要 求 した サ ン ガは実態の ある組 織 体であっ た か も知れ ない 。 しか もその実 態のある組 織 体と して の サ ン ガ は、 釈

が 「領 理 」 「秉 執 」 する サン ガで ある と したな ら、

4

人 以上の 比 丘か ら

成さ れ る、 日

常的

に どこ に で も

存在す

る 一

の一つ で はな く、 厂

釈尊

の サ ン ガ

べ る よ

な もの であっ たであ ろ

。 また少 な くとも漢訳 文 献の

くか らは、 その ようなサン ガであっ た印象を

け る。

(6)

智 山学報 第五 十 六

 

しか しなが ら釈 尊は、 なぜ かその理

らか に さ れない けれ ど も、 これ を提 婆 達 多は愚か、

・目連にすら 「付 嘱」し、 ‘

pariharati

’ する こ と を

せ ない と

明 されてい るわけである。

 

1

2]

さ ら にパ ー リ聖 典の 中に、 こ の こ と ばの他の用 例 を調 査 してみ る と、 次の よ

な ものが

い だ され る。

 

1

大般 涅 槃 経 』

が病

を さ れ る

場面

である。 そ こで は次の よ

に記 さ れて い る。

   

世 尊は竹林 村で雨

居に入 られ た と き、 恐ろ しい病 を得、 死に近い 激

  

が生 じた。 しか し世 尊は病に耐 え、

寿命

め られ た。 その とき阿難

  

は 「世

にか か られた とき目の 前が真っ 暗に な りま した が、 しか し

  

世尊

が比 丘サ ン ガに関 して何 か を語 られ ない は般

涅槃

さ れ る こと は な

  

い だ ろ

えて、 心 安 ら か にな りました (na tfiva bhagava 

parinibbayissati

  

na 

yava

 

bhagava

 

bhikkhusarpghaip

 hrabbha 

ki

 cid eva udaharati)

っ た。 これ

  

を聞か れ た釈 尊は、 「阿 難 よ、 比 丘 サ ン ガは私 に何 を期 待 して い るの か

  

kiip

 pan・ 

Ananda

 

bhiklchusarpgh

。 mayi  

paccasarpsati

)。 私は内

の 区 別 な く法

  

を説い た。 阿難 よ

如来

に は

る もの を

子に隠

な教 師の握 り

  

こ ぶ し は ない 。 実に阿 難 よ、

ahaili

  

bhikl

husarpgham

 

pariharissami

)」 とか 、 あるい は

比 丘 サ ン ガ は わ た し に

  

頼 っ てい る (mam  uddesiko  bhikkhusarpgh。)」とか 思 っ て い るな ら ば、 比 丘

  

サ ン ガ に関して何 らか を語る で あろ う。 しか し如 来は、

私が サ ン ガ を

 

pg11

t

gpt1Lg

t 

LSo

i

−」 とか 、 あ るい は 「比 丘サ ン ガ はわ た しに頼っ て い

  

る」 とこ の よ

に思

こ と は ない 。 だか ら、

らを

と し、 自 らを拠 り

  

とし、 他 人 を拠 り所 とせ ず、 法 を島とし、 法 を拠 り所 として、

を拠

  

り所 と しない で住せ よ

と説か れ た。 (部分的 に 趣意。 以 下 同 じ)

D1

>,

Ol6

  

躍 融 αr’ηゴ肋 励 α一s . (大 般 涅 槃 経

 

vol .

ll

 p .

098

)、 

SN

047

009

(voL  

V

  P

.152 )

 

こ こに 下線 を

した部 分 を、 漢訳 とサ ンス ク リッ トの

涅槃経 』

の よ

して い る。

(7)

釈尊のサ ン ガ は存 在 した か 森)

 

僧 於 我 有

須耶。 若 有 自言我 持 衆僧 我 攝 衆 僧。 斯 人於 衆應 有 教

。 如 來 不 言 我 持 於 衆 我 攝 於 衆。 豈 當 於 衆 有 教 令 乎。 長 阿 含

2

「遊 行 経 」 (大正 lp .15 上)

 

我已右 經 戒。 若曹 但

當案

經 戒

行 之。 我 亦在比 匠僧 中。 比 丘僧 皆 已 知

佛所教勅

事 師法皆

付 諸弟

子。

但當持行熟學

。 白

祖 訳 「仏 般 泥 沮経 」(大正 lp .164 下)   忍 中正要 者。 阿難我 所 説 法。 中外 備 悉。 佛 爲 法 師。 無所 遺 忘。 所 當施 行。 自足可知。 失訳 「般 泥 沮経 」(大 正 lp .180上)

 

も し も私が

サ ン ガは私の もの で ある (mamasti  

bhiksusarpghah

)」 と か、

「私は サ ンガ を導 くであろ う (aharp 

bhiksusarpgharp

 

pariharisyarpj

とか 思

  

な らば、 [私 はサン ガ に関 して何 事 か を語る で あろ

]。 しか し私は

  

ン ガは 私の もの で あ る」 とか、 「私はサ ン ガを導 くであろ う」 とか思

  

こと は ない 。 ル勉肋ραr∫η∫押 跏 α一satra (

Rinsen

 

Buddhist

 

Text

 

Series

 

Va

 p .

196

、 中

  

村元 『遊行経 』上

 

大蔵 出版

p

.286 )

 

この

部分

に おい て もパ ー リ は サ ン ガ を‘

bhikkhusarpgha

と し てお り、 白法祖 訳 も

比 丘

僧」

、 サ ン ス ク リッ トも ‘

bhikSusarpgha

’ と してい 「遊 行 経 」

もおそら

比 丘

指す

の で

が、

失訳

に は は っ き

とは

さ れてい ない 。 またパ ー リの ‘

pariharati

’に相 当する 部 分は、 サ ン ス ク リッ トで も‘

parihari

§

yati

’ で あ るが、 漢訳 で は不 明 確で、 「我 持 衆 僧 我 攝 衆 僧 」 「我 亦 在 比 丘僧 中

が こ れ に相

するの で は ない か と思 わ れ る。

 

先の提 婆 達多の要 求 した サ ンガ と同様に 、 こ こで言 及さ れ てい る 阿難が考 えてい た サ ン ガ も、 一 特 定 の サ ン ガ とい

もの で は な く、 「釈 尊の サ ン ガ」 とい うべ き もの であっ たであろ う。 しか し何

か は わ か ら ない が こ こ で も、 釈 尊 は そ れ を 「 ‘

pariharati

’ してい る

、 自分が それ を 「持 し、 摂 する」 と も考えてい ない 、 と

明 さ れて い る わけで ある。

 

要 する に こ こで も、 「

釈尊

の サ ン ガ

はあ

で もあ り、 な さ そ

で も あ

、 はっ き りしなV 

(8)

智 山学報 第五十六輯

 

1

3

しか し

に は

が サ ン ガ を明

に‘

pariharati

’ して い ると

現 す る用 例 も存する。

   

人寿が

8

万 歳の 時、 弥 勒 (Metteyya) と名づ ける如 来が現れ、 初め も

  

よ く、中 もよ く、

りもよい

を説 くで あろ

私が

め も よ

、 中

  

もよ

終 り

もよい

い てい る よ

に。

は また数

の比 丘 サン ガ

  ー

 

(so a皿eka −sahassa

bhikkhusanlgham

 pariharissati)o

  

今 私が数 百の

些垂一

(seyyatha  

pi

 ’haiP eta一

  

rahi aneka −sata

bhikkhusamgham

 parihar互mi )。 

DN

 .

26

 

Cakkavattisihana

da

s。

  

(轉輪聖 王師子 吼経

 

voL 皿

 

p.76)

 

こ れに相 当する漢訳は 『長 阿含 』

6

「転 輪聖 王修 行 経」 (大正 lp .42 上)で あっ て、 この 部分 は

彼衆弟

有無

數 千

子數 百

とするの み で ある。

 

こ の場合 の 、 釈

が ‘

pariharati

’ して い る サ ン ガ は数百の比 丘 か ら な るサ ン ガ と さ れてい る か ら、 こ れ を 「

釈尊

の サ ン ガ

の よ

な もの と理解 する に は 少々 が少ない と言わ なけれ ば な ら ない で あろ

。 釈 尊は常 に

500

人 と か

1250

人の 丘 と と もにおられ る の であるか ら、 この 場 合の 「比丘サ ンガ」 は、 この よ

存在す

々 の レヴェ ル のサ ン ガ をさ

のか

しれ ない 。 と

こ れ は、

まで に

紹介

した

文意

と は 正反対の

内容

となっ て い るわけで ある1)

  

D

 

Milindapafiha  p

59

もこの 矛盾 を取 り上 げて い 。 ナーガ セ ーナ はこれ を

   

勝義 (

pararnattha

) と世俗 (sammuti )の 立場の 違い で ある と解 説 し てい る が、       必ずしも納得で きる解 釈で は ない 。 中村 元 ・早 島鏡正訳 『ミ リン ダ王の 問

   

2 

平 凡 社

 

和 39年3 月

 

p ,102

  [

1

4

おそ ら

く次

用例

じ よ

意味合

い を

つ の で

   世尊

が チ ャ ー トマ ー catUma )の ア ーマ にお られた とき、 舎     利 弗 ・目連 を上首とする

500

人の比丘 た ちが釈 尊に会 うた め に や っ て来    て、 旧住比 丘 と挨 拶 を交わ し、 騒が しかっ た。 そ こ で釈 尊は叱っ て 去ら     し め た。 チ ャ ー トマ ーの 釈 迦 族や梵天 が これ を留めて、 もしこの ま ま去

(9)

釈尊の サンガは存在し た か 森 ) ら しめ れ ば異 心 ・変 心が

こ るか も知れ ない と世

をな だ め た。 世

は 心 を和らげ、

と 目連 に次の よ

に問 うた。 「自分が比 丘サ ン ガ を 去ら し め た と き、 あな た た ち は どの よ うに

えたか

と。

は今静かに現 法 楽 住に住さ れ るの であろ

。 我

今静

か に現

法楽

住 に

しよ

と考 え ま した」 と答 えた。 世 尊は 「

て、 その よ

な心 を再 び起こ してはならない

と叱 られ た。 目

静 かに現 法 楽 住 に住 さ れ るの で あ ろ

は私と

利 弗が

些丘

(ahaii ca dani fiyasma ca Sariputto bhikkhusaipghaip pariharissama) と

えま し

た」 と答 えた。 世 尊は 「善 哉、 善哉、 実に、 私 か あ るい は

利 弗と 目連

カミ

 

(aha耳1 vE 

hi

 

bhikkhusa

gh

即 pari一

  

hareyya皿 Sariputta−Mo99allan訌va)」と説 か れ た。 

M

?〉.

67

 

C

δ鰡 2α一s, (車頭聚

   

落経 vol.

Ip

.459 )

 

こ れに

対応す

訳経 典である 『増一阿含 』

45

2

(大 正

2p

770

下) に は、 目連の こ と ば に相 当する

分は

宜還

收集

不 分散 」 と さ れ、 その後 の

の こ とば は 「衆 中之標 首。 唯吾 與 汝二 人

。 自

當教誨諸

後學比 丘。 使 長 夜 之 中永 處 安 隱 之

。 無

令 中

退 堕

生死

と さ れてい る。

に相 当 漢 訳の

詳訳 『

舎利 弗摩訶

連遊

四衢

経 』

(大正 2p .

860

上) がある が、 こ こ に は上

相 当す

文章

は見い だ さ れ ない 。  お そ らくこ の 比 丘 サ ン ガ」は、 舎 利 弗 ・目連が指 導 し て い た

500

人の 比 丘 た ち と、 そ れ に

釈 尊

が指

さ れて い た 旧住比 丘 たちを併せ たサ ン ガを指 す の で あっ て、 全 仏教の出家 者 を統 合 する よ うな意 味 あい の 「釈 尊の サ ン ガ」 で は ない であろ

。 そ れ

か、 こ こ で は

項 と同 じよ

に、

釈尊

は この サ ン ガ を 自分か、 舎 利 弗 か、 目連 が ‘

pariharati

’すべ である と教 え られ て い る わ けで ある。

 

1

5

pariharati

’ は、 ア ー ラー ラ ・カ ー ラーマ とウ ッ ダカ ・ラーマ プ ッ タ や、 サ ン ジャ ヤ ・ヴェ ー ラ ッテ ィ プ ッ タか らその

団を 一

し よ

誘われ た ときに も使わ れてい る。 前 者は次の ような文章で ある。

    

が成 道 前にその もとで修 行 したアーラー ラ ・カ ーラーマ は菩 薩に、

(10)

智山学 報第五 十 六

  

我等

二 人は この

(ubho  va sant 田 malp

  

nam  parih訂ama)

い 、 ウ ッ ダカ ・ラ

タ は あ な た が

 

_

(tvam  imarp 

ganaip

 parihara)

っ た。 

MN

26

y

α

p

σr∫−

 

yesana

−s. (聖求経

 

voL

 

I

 

pp .

165

166

)、 

Ml

>.

085

β04h ’吻 盈翩 伽α一s.

  

(菩提王子経

 

voL

 

H

 

p

93

、 

MN

100

 

Sahga

’ rava −s. (傷歌 邏 経

 

voL

 

H

  

P212 )

 

こ の

部 分

相当漢

章 を紹 介 する と次の ように なる。

   

(阿羅羅 伽羅 摩 も欝 陀羅羅 摩子も)

者。 汝 來 共 領此 衆 」。 『中阿

経 』

204

  

摩経」

(大正 1p .776 中)

   

阿藍迦 藍は 「寧 可 共 知 僧 事 耶 」、 欝 頭藍子は

可共 知僧 事 」。 『四分

  

律 』

(大 正

22

 p.

780

中)  また後 者は

   

サン ジ ャヤの 弟 子で あっ た

と 目

が アッ サ ジ に会っ て法 眼 浄 を

  

釈尊

の も とに去ろ

とした とき、 サン ジャ ヤ は

止め よ、

行 く

こ と

  

な か れ、 我

三人が並ん で この

(sabb 。va tayo 

imarp

  

ganaip pariharissiima)」 と言っ た。 

Vinaya

「大 腱 度」(vol . 

I

  p .

042

と さ れてい る。

 

こ こ で はサンガで はな くガ ナ とい

が 用 い ら れて い る。 アー ラー ラ ・ カー ラーマ と ウ ッ ダカ ・ラ ーマ プ ッ タ のガ ナ が どの よ

団であ っ たの か は示さ れてい れ ども、 サ ン ジャ ヤの ガナ は

250

人か ら構 成されて い た。 い れに して も

釈尊

のサ ン ガ

の よ

な広が りの る もの で は な く、 現 実 的 な 目の に存 在 する集 団で あっ たであろ

。 こ の よ

団 をア ー ラー ラ ・カー ラーマ た ちは釈

に一緒に

指導

し よ

提案

したの である。

 

1

6

]以上の ように‘

pariharati

’ とい う言 葉が、 サ ン ガない し は ガ ナ とい

言葉

と と

使

われ る ケース を調 査 してみ る と、 「釈 尊のサ ン ガ」の よう な もの を 「指 導 する」 とい

意 味合い で

使

わ れ る場

と、 現

に 目の

存在

する

団 を

指導す

る」とい

意 味合い で使わ れ る場合の両 方がある こ とが わ かる。 しか し

後者

合は その サ ン ガ は実態の ある サ ン ガ と して確 認 する

(11)

釈 尊の サ ン ガ は存 在し た か (森) こ とが で るけれ ど

前者

場合

釈尊

はそ れを

め よ

と され てい ない とい う傾 向 もあっ て、 は っ き りと 「釈

の サ ン ガ

の よ

な もの が

存在

して い た と確 言す るこ と はで きない 。

 

要 するに‘

pahharati

’ とい

使

わ れ る サ ン ガか ら は、 「釈 尊の サ ンガ」 なる もの の

存在

が 想

さ れ

る けれ ども、 その実態 を確 認 するこ と は難 しい とい

こ とに なる。

 

2

 

具足

と波

羅夷罪                        

t

 

2

0

コ具 足 戒は 『岩 波 仏 教辞 典』(lg8g 年 12 月)には、 「比 丘 ・比 丘尼 す わち 出家 した男 女が、 教団内で守るべ き戒律 を総 称 して い

」 と し た

えで、 「出家 して教 団 に入 る た め に は、 一 手 続 きを 踏 う えで こ の具 足 戒

けるもの と さ れ、 そ の

儀式

ウパ サ ン パ ダ ー

(p : upasarppada ) とい い 、 受 け終わっ て出家 として入 団を許可 され るこ と を

ウパ サ ン パ ンナ

(p :upas. ampanna ) とい う」と解 説 さ れ てい る。 こ こ に も下

を施 し た よ

に 「教 団

とい

こ と ば が

使

わ れてい る。 この 言葉は 「サ ン ガ」の 訳 語 と して

使

わ れて い る の で あろ

が 、 こ の

執筆者

が これ をどの レヴェ ル の 「サ ン ガ」と捉 えて い るか、 気に か か る とこ ろ で ある。

 

ま た

波羅夷

は これ も 『岩 波 仏 教 辞 典 』に よれ ば 、「戒律の 重 罪で 教 団追 放の罪

解説

さ れて い る。 この 「教 団 」 もサン ガの 訳 語 と して用い ら れて い る の であろ

が、 こ れ も どの レヴェ ル の サン ガ として イメ ー ジ さ れて い る の か不 明で ある。   しか し具足 戒は こ れ に よっ て比 丘 ・比 丘尼と して の 資格を付 与 さ れ るの で あ り、波羅 夷はい っ た ん こ の 罪 を犯せ ば、 比丘あるい は比 丘尼 と して の

格 を失

の で あるか ら、 これ ら は普遍 性を

っ てい な け ればな らず、 閉じ られ 、 限

され た一つ 一つ の サ ン ガ内の 措 置に止 まる もの で ない とすれ ば、 や は

「釈

のサ ン ガ

を意 味 するもの で なけれ ばならない で あろ

 

こ こ で はこ の具 足

と波 羅

を通 して、 「

釈尊

のサ ン ガ

とい

もの が 存 在 してい た か どうか とい こ と を

討してみたい 。

(12)

智山学 報 第五十六輯

  [

2

1]律 蔵

規定す

正規

足戒

十 衆 白

羯 磨

足 戒」

、 そ れ までの

前史

する。

 

釈 尊が 成 道 されて布 教を開始 さ れ た当座 は、 出家

望者に対 して

釈尊

が じ か に、「来れ 比 丘 よ、 法は よ く説か れ た 、 正 し く苦を滅 尽せ んが た めに梵 行 を

ぜ よ

として 出

されて い た。

なわち

善来

比丘

足 戒

であっ て、 こ

して比 丘 に なっ た

は、 まさ し

く釈尊

か らその

子に な るこ とが

され、 その

とで

修行

する の であるか ら、

釈尊

のサ ン ガ

の 一

になっ た とい

こ とがで きる。 この よ

な具 足 戒は釈 尊の み に許された

特権

であっ て、 釈

は 入滅さ れ る まで こ の よ

な 形で具足 戒 を与え られてい た。

 

しか しこ の よ

な形 で 弟 子になっ た者た ちは、 釈尊が じか に指

さ れ たの で あ る か ら、 けっ して普遍 的 な 意味の釈

の弟子で は な く、 い わ ば釈

が じ か に

指導

される目の

存在

する個々 のサンガを形 成 したの で あろう。 先の ‘

pariharati

’ の 用 例で い え ば、

1

3

1

4

の サン ガ に

相 当 す

る。 した が っ て

釈尊

の サ ン ガ

にも 「個 別 的な

釈 尊

の サ ン ガ

と 「

遍的な

釈尊

の サ ンガ

2

類があ り

る こ とになる。   しか し仏 教がひ ろ ま り、 釈 尊の 弟子たちが諸 国に出て布 教 する ようになる と、 それ ぞ れの 出

で仏 ・

の 三

帰依す

と に よ っ て、 具

足戒

授 け

る こ とが

さ れる こ と に なっ た。 い わ ゆる

帰依具

足 戒

で ある。 お そらくこ れ が 目の

にある個々 の サ ン ガの 淵 源 となっ た。   しか しこれで は あ ま りに恣意 的にな りす ぎ、 教団の 規律 も保て ない こと に な っ て 、 そ こ で 最

的 に は

10

人 も し くは

10

人 を

える 集 団に よ っ て

dasavaggena

 va atirekadasavaggena  va gapena )、 白四

羯磨

に よっ て 授 ける 「十衆

四羯 磨具足 戒」が 正式の 具 足戒と なっ た。 こ の と きに

蔵の い

正式なサ ン ガが成 立 した とい

こ とが で きる。

 

こ の 下 線 を施 した部 分 を他の 漢 訳

は次

表現

して い

   

聽 滿 十人

授 具足 戒。

四 分

律』

(大 正 22p .7gg 下)

   

十 衆 授具 足 戒。 『五分律 』(大正 22 

p

.111 中)

   

聽 十 僧 現前。 『十誦律

(大正

23p

.亘

48

中)

(13)

釈尊のサンガ は存在し た か 森)

   

卜衆 和 合。

僧 祇

律 』

(大正 22p .413 上)

 

この よ

に こ こ で は

10

人以 上 の

集団

を ガ ナ と呼び 、 サ ン ガ と は

してい ない が、 出家 授 戒 も羯 磨と して

わ れ るか ぎ

、 こ れ を行

の はサ ン ガ とい うこ とに な る。 ガナ と して サ ン ガ とい わ ない の は、 サ ン ガの

成メ ン バ ーの 中には、 こ のい わ ば 出家に 関する資 格 審査 を行 う会 議に は参 加 する こ とがで きない 出家 して ]

0

年 未 満の 比 丘 が 含 まれてい て、 これ を除外 しなけれ ば な ら ない の で、 サ ン ガ とは称 しえない か ら で あろ う。 その ため に通常の 界で は ない 、 一 般に は戒壇と

ば れ る小 界に おい て この 会 議 を行

の で あっ て、 こ の小

におい て行 わ れる会 議は ま さ し くサ ン ガ が

行 う

の で ある。

 

こ の よ うに

10

人以 上 のサ ン ガに よっ て 具足 戒は与 えられ、 正式の 比丘 が 誕 生する こ とに なる が、 しか しこ れ は個々 の サ ン ガ に よっ て 行わ れ る の で あっ て、 決 して 「釈 尊の サ ン ガ」 と して 行わ れる の で は ない 。 しか しこの 個々 のサ ン ガ によ っ て具足 戒を受 けて比 丘 と なっ た者は、 どこ に行っ て も比 丘 と して認め られ なけれ ば な ら ない A の サ ンガ で具 足 戒を受 けた 比 丘 は、

B

の サ ン ガ で も、

C

のサ ン ガで も比 丘として 認め られな けれ ば、 出家 授 戒の 意

は ない わ けである。

 

要 するに

釈尊

は三

帰依

具足 戒と十 衆 白四羯 磨 具足 戒を許した こと に よっ て、

の個々 のサ ン ガ を認め たこ と に な るが、 しか し その背 後に は 「釈 尊の サ ン ガ」の ような ものが なけれ ば な らない わ けで ある。 し か しなが らそ れ が

組織 的

なもの で あっ たの か どうかとい

こ とが問題で

っ て 、 もしそ れが組 織 的 な もの で なけれ ば、 仏教に おい て出家 した比丘 で あ り比 丘

であるこ と が、 どの よ うな形で保 証さ れる のか が不明

で ある とい うこ とに なる。 出

各機

関 に おい て社 員を現 地採 用 するこ とを認め た と して、 問題はその

出先

機 関を

統括

する会 社 組織その が存 在 した か ど

か とい

こ とで ある。 も しこの 統 括 する○ ○

会社

存在

しない と、 出先機 関で採用さ れ た社 員が ○ ○

会社

の 社

と称 する こ と は許され ない で あろ う。

 

2

2

] 波 羅

夷第

1

「不 浄

戒」

る が

パ ー 律 』 れ は

ような条 文で ある。

(14)

智 山学報 第五十六輯

   

の比丘 と雖 も、 比丘 の 学 ・ 戒 を

け (sikkh 巨一sfijiva−sarnapann 。)、     戒 を捨てず、 戒よわ きを告示 しない で、 不 浄法 を行 えば、 た とい 畜 生 と

  

なすと雖 も波 羅 夷に して 、 共 住すべ か ら

(asamvas ・)。

 

そ して律 蔵

身が 「『共住 すべ か ら

と は 『共住

と は 同

説 戒

に し て 、

習 す る もの (samvas 。  nama   ekakamrriam   ekuddes

samasikkhata )、 これ を

共住 』

る。

はこれ と

に しない (so tena sad−

dhirp n’tthi)、 この

すべ か ら

』 とい わ れる」(”naya  vol . 

M

 

p

.28 ) と

解説

してい る。

 

こ の 部分漢訳 律解 説 を紹 介 す ると次の よ

に な る。

』に は これ に相 当する部 分 は見い だ さ れ ない 。

   

云何 名 不 共 住。 有二 共住。 同一羯 磨同一説 戒。 不

得於

是二

中住 故

  

不共 住。 『四分 律

(大正 22p .571 下)

   

不 共 住 者。 如 先

衣 時。 不 得與 比 丘 共一

學等學不等學不餘學

。 不 與比

  

丘 共一

羯磨等羯磨不等羯磨

餘羯磨

。 不

比丘

説戒等

  

。 是

不 共住。 「五分 律 』(大正 22p .4 下)       不 共 住 者。 不 得 共作比 丘法。 所 謂 白羯磨 白二 羯 磨 白四羯 磨 布 薩 自恣。

  

不 得 入 十四人數。 是 名波 羅 夷不 共 住。 「十 誦 律

(大正

23p

2

下)

   

共住 者。

此 犯 人不

諸芯芻而作共住

若褒

灑 陀

随 意

。 若

  單

白 白二

羯磨

若衆有事應

差 十二

人。 此罪

限。 若 法 若 食不 共

  

用。

是應擯棄

名爲

共住。 『

本 有 部律 』(大正

23p

630

下)

 

この よ

に波 羅 夷 罪は 厂共 住 すべ か らず 」 と

う罰

で あ る が、 その 「共 住 」は、 羯 磨 を共に し、 布 薩 (説 戒) を 共に し、 共 に生活 する個々 の サ ン ガ を意味してい るの で ある 。 「十 誦

律 』

は こ れ を

十 四 人

本 有 部 律

十二

と して い る が 、平 川彰 博士 は こ れを 「サ ン ガ の

知事

比 丘 を ま と めて示した もの」 と解 釈 されて い 1)。

 

した がっ て これ による か ぎり、

罪は共に生活 し て い る 目の 前に あ る 個々 の サ ン ガか ら追放 さ れ るの で あっ て、 「釈 尊の サ ン ガ」か らの 追放 を意

してい ない とい

こ とになる。 しか しもしそ うな ら、

A

の サ ン ガに属す る

(15)

釈尊の サン ガ は存在 し た か (森) 比丘 が不 浄罪を犯 して波 羅

罪に処せ られ、 サ ン ガ を追 放さ れ た と して も、

B

C

の サ ンガに行 けば比 丘 と して認め られ る とい

こ と に なる の で あろ う か。 けっ してそ

で は な か っ たは

で、 この 場 合に も

背後

釈 尊

の サ ン ガ」の ような もの が

存在

したであろ

こ とは

想 像

くない 。 そ して こ の 「釈 尊のサ ン ガ

が実態 を持っ てい たの で な けれ ば、 「教 団追放

は実効性の ない もの に なるわ けであ る が、 しか し波羅 夷の 定 義か らはその よ

な もの の

存在

を推 測で ない 、 とい うとこ ろ に問題 が あ る わ けで ある。    

1

) 『二 五十戒の研究』

1

  平川彰著作 集 第 14 巻 春 秋 社 1993 年 2 月      

P

、193

 

2

3

以 ヒ て サ ン ガ に入 団 す る場 合 も、

波羅夷

罪 に処せ られてサ ン ガ を追放さ れ る場 合 も、 現実に は個々 のサ ン ガの

羯磨

とし て行わ れた。 しか しなが らこ れ ら は 、「釈

の サ ン ガ」 とい うよ うな ものが

後に な けれ ば意 味を な さ ない 。 入 団 も追放 も、 仏教の 出家 者全体の組織へ の 入 団、 仏教の 出家 者全体の 組 織か らの 追放で な けれ ばならない はずである けれ ど も、 しか る にそ れ を行

う機

関は

々 の サ ン ガ で

っ て、 「釈 尊の サ ン ガ」で はない か ら、

観念 的

釈尊

の サンガ」は想像 され

るけれ ど も、

の あ る

釈 尊の サ ン ガ」は見い だ しが たい とい

こ と に な る。 要 する に 「釈 尊のサ ン ガ

な る もの は、 な さ そ うで あっ て しか も あ りそ

で あ り、 ま たあ りそ

で あっ て しかもまた な さ そ うなの で ある。  

3

 破  僧

 

3

0

破 僧 破 僧 法 )

輪」

破羯

磨 僧 」

2

がある と さ れ る。 こ の

2 種

破僧

を対 照 させ る と

の よ

になる。   破 僧 (法)輪 (cakra −

bheda

 

逆罪偸蘭

可懺

 

入 阿

罪一劫

 

下 至九人

 

一人 自称 作 仏 破 羯 磨僧 (karma −

bheda

) 犯 非 逆罪 可懺 偸 蘭 遮 不 堕阿鼻獄 下至八 人 不

自称作

(16)

智 山学 報 第五十 六輯

   

 

界 外一切 盡破

        

別作羯磨

    

             

人二

倶能破

    

俗諦僧                  

俗 諦僧 第一義 諦僧二 倶 能破

     但破 閻浮提       

通三天 下

 

これにつ い て はすで に論 じたこ とが あ るの で

細は雀 略 するが1) 、 「破 僧 輪」は 提

の釈

反逆 が イー ジ さ れ た も

破 羯磨僧」

は 日常 茶飯

に起こ り うる個々 の サ ン ガの

れ が イメ ー ジ さ れ た の で あるか ら、

前者

は まさ し

く 「

釈尊

の サ ン ガ

る こ と とい

こ とが で きる。 そ して こ れ は

る、 分 裂す るとい

か ぎ り、 そ こ に は

らかの

実態

の あるも の が予想 さ れてい なけれ ばな らない はずである。

 

そ こ で

提婆

の 破 僧の一端を調 査 する こ とに よっ て、 「釈

の サ ン ガ

なる もの が存 在 したか どうか かを検

し て み たい 。

  

1

 

「初期 仏教教 団の運営理 念と実 際』国書刊行会

 

平 成

12

12

 

p.

309

以       下、 「提婆達多の研 究」 「原 始仏 教聖典 資料に よ る釈 尊伝の研究』第

11

   

中央 学術 研 究所

 

2006 年 10 月 刊行予 定

 

p

。89以下

 

3

2

]提 婆 達 多は釈 尊に代 わっ て 自分が仏に なろ

とし た とさ れ る。 こ れ が

味 するの か よ くわ か らない 提 婆達

の 破

僧事件

える文

は 、 こ の場 面を次の よ うに記してい る。

   

提 婆 達 多は 阿闍世 王の

っ て 、 「王子よ、 昔は 人々 は長

で あっ

  

た が 、今は短 命である。 汝王子で さえ等 し く

命終

わ るこ とが あ る とい

  

のは理 りで ある。 王

よだ か ら、

は父 を殺 して 王 となれ、 私は世 尊 を

  

殺 して仏 とな ろ

(tvarp kumhra 

pitararp

 

hantva

 raj5 

h

hi

,。

ha

、n 

bhagavantarp

 

hatVa

  

buddho

bhavissami

と言

。 

Vinaya

「破 僧鍵度 」 (vol』 p.lgO)

   

提婆達

は阿 闍 世の所 に行っ て、 「王以 正

得長壽。 汝父死 後乃 得

  

作王、

已老 耄 不得 久在五欲 中而 自娯 樂。 汝可殺父我

殺 佛、於 摩竭 國

  

界 有 新王新 佛、 治 國教化 不 亦

樂耶」

と言 っ た。

四分 律

「僧

残 10」

(大

  

正 22p592 中)

(17)

釈尊の サンガ は存在 し た か (森 )

  

難保 何必長

剋 此 王位。

可圖之早

四海。 我 當

代爲

法 主。 新王新

  

佛 於 摩 竭 國 共 弘 道化 不 亦 善 乎 」 と言 っ た。

五 分

律 』「

僧 残 ]

0

」 (大 正

22

  

P .

19

上 )

   

調 達は阿 闍世 太 子の とこ ろ に

っ て、

汝殺

。 汝

摩 竭 國作

  

王我 當 作佛。 此 摩 竭 國便 有新王新佛 不 亦 快 乎 」 と言っ た。

十 誦

律 』「

調

  

事」

(大正 23p ,260 上)

   

は羅 閲城迦

園 に お られ た。 その とき提 婆 達 兜が婆 羅

留支

  

子の所に行 き、 「

者 民氓

壽命極

長。 如

不過 百 年。 王子 當 知。 人

  

命 無 常 備不 登 位。 中命終 者不 亦 痛 哉。 王子。 時可

父 王

統 領 國人。 我

  

今 當

殺 沙 門

曇 作 無上至

等正覺。 於 摩 竭 國 界 新王新 佛 不 亦

快 哉

」 と

  

言っ た。 「増 一

17

11

(大正

2p

586

下)

   

提 婆 達 兜は 「我 要 取 沙 門瞿

曇殺

之。

三界

作佛獨尊

無侶 」 と考 えて阿

  

闍世王 の とこ ろ に行 き、 「古 昔 諸人壽 命 極 長如 今 遂 短。 備王 太子 一

  終

者 則 唐 生 於世 間。 何 不 取 父王害之 紹 聖王位。 我 當 取如 來 害之當 得作 佛。

  

新王新 佛不 亦快

哉」

と言っ た。

含』

49

9

(大正

2p

803

中)

 

この ように 自分が 釈 尊に取っ て代 っ て仏と な ろ

と し たの であるか ら、 提

婆達多

の サ ン ガ」 を奪いろ うとした とい

こ とが い えるであろ

。 そ れ は本

稿

1

の [

1

1

]で ふ れた、 提 婆 達

に よ るサ ン ガの

嘱の

求が発 端 となっ た もの で ある か ら、 当然 とい えば当然で ある。

 

3

3

]とこ ろ で こ の 提 婆

の 破僧 は、 この 後 に釈 尊が提 婆達 多 を 「顕 示

磨 」に か ける場 面が続 く。 「顕 示 羯 磨

と は

提婆

の なす 行 為は もは や

で ない とい

こ とを世 間に示すた めの サ ン ガの 決の こ と で あ る が、 『パ ー 律 』 よ れ ば

な され た い る。

   

は 「サ ン ガは提 婆 達 多の た め に 王舎 城 におい て 顕示

磨 を なせ

  

(・a・

pgh

・ Devad・ttassa Raj・9・

h

・ P・

ka

・aniyak ・m ・n・・

p

 

kar

・t・)・ 提 婆 達多の以

  

本 性 と今の本 性は異な る。

提婆

が身 ・語に よっ てなすとこ ろ の もの

  

は仏 ・

・ 僧 と見 られるべ きでは ない

提婆

が 自身によっ てなした

(18)

智山学 報 第五十六輯

  磨

に よっ て

決定す

べ きこ とを

指示

さ れ、

舎利 弗

な た が

提婆達多

  

城におい て顕 示せ よ

じられた。

利 弗は 「以

、 私は提 婆 達

  多

して王

舎城

に おい てゴ ー タ は

威力

持 ち主 だ

  

讃歎

しま した。 私は どの よ

に提 婆 達

のた めに顕示 し ま しょ うか」    と質 問した。 そこで 世尊は白二 羯 磨によっ て舎 利 弗を選ぶ こ とを指 示さ     れ た。

 

こ の よ

に、 こ の

場面

をはっ き りと

羯 磨

とする の は、

四分

律 』

「僧 残

10

」(大正 22 

p

593

上) と 「五 分 律 』 「僧残

10

」 (大正

22p

19

上)で あっ て、

誦律 』

は その

識が

い よ

で あ り、

僧祇律 』

』に は こ の 顕 示の 記 事 す ら存 在 し ない 。 しか し記 述 の あ る もの に従 えば、 提 婆 達

が釈

えに反

し、

釈尊

のサ ン ガ

とするこ とへ の 対 抗 措 置 とし てな された

顕示 羯

磨」

は、 実 は 目の 前にある個 々 の サン ガとい

べ き王

城の サ ンガ に よっ てなされ た こ と に な る。

 

3

4

ま た提

破 僧

が な さ れ たのは、 「提 婆 達

の研 究 」1>で 詳 述 し た よ

に 、

提 婆

の主張 する五

に賛 同する

500

人の比丘 たちが、 王 舎 城のその他の比 丘 たちと は別に布 薩 を な したこ とに よ る、 と さ れる。

要す

る に提 婆達

の破 僧 も

の サ ン ガ

っ たの で は な

、 目の

にある 王

城の サ ン ガを

っ た とい

こ とに な る。

 

そ れ

その は

で、 提

の破 僧 を因縁 と して制 定 さ れ た僧 残 罪

10

条の、 破 和 合僧 の 「和 合 僧 (samagga  sarpgha)」は次の よ

に定

され てい る の である。

   

『パ ー

 

合 僧 とは 同一住 (sarnal、asamvdsako )、 同一界に立つ こ

  

と (s  …血aslm 証ya 典

ito

)で ある。 vol .皿

p

173

   『

四分

 

和 合 者 同一羯 磨 同一説 戒。 僧 者四比 丘 若五若 十 乃 至 無 數。

  

(大 正

22

 

p

595

上)

   

『四分 律

 

和 合

布薩

自恣 羯

常 所 行

。 僧 者 從四人 已上。 (大正

  22p20

下 )

   『

僧祇律』

  不 別衆

比 丘

雖復 鬪諍更相導

説。

一 界一

一處 住、

(19)

      釈 尊のサ ンガ は存 在し た か 森)

  

薩 自恣 故 名

和 合 僧。 (大 正

22p

282

下)

 

こ の よ

に、

提 婆

破僧

もけっ して

釈尊

の サ ンガ

る こ とで は な く、 もともと 一 の 中で布 薩や 自恣 などの 行 事 を共にする、 個々 の サ ンガを破る こ とで ある と さ れてい るこ と に な る。 た だ し

』の み は 、 「言和 合 者 謂 是一味。 僧伽 者 謂 是 如 來 聲 聞 之

」 (大 正 23p .

704

中)と し てい る か

ンガ

の よ

なものをイメー ジ してい た と 理解で きるか も知れない 。 しか しこ の よ

に理

で き た と して もこ れ は

特殊

な 理解で あっ て、 因縁譚その もの は 他 の律 と変 わ る もの で は ない 。

 

この よ

に提

破僧

は、

念 的には そ

で な かっ た と して も、 現 実 に は 王

城のサ ン ガ を破っ たの で あっ て、 「釈 尊の サ ン ガ」 を破 っ たの で は ない とい わ なけれ ばな らない 。

  

1

 

原始 仏教聖典 資料に よ る釈尊 伝の 研 究 』第 ll 巻

 

p

87

  [

3

5]確

輪」

常 識 的考 えれ ば 、 釈 尊へ の 反 逆 を伴 う 「釈

の サ ン ガ

を破 る こ とを意味 する と理解さ れ るべ きで あ ろ

。 そ れ ゆえに 堕 地獄の ともさ れ るの で あ る が、 しか し

念的 な こ と を別にすれ ば、 現 実 的 に は、 提 婆 達

は 王 舎 城 の サ ン ガ を破っ たの で あっ て 、 釈 尊 も その対 抗 措 置 として王

城の サ ン ガ に おい て顕示 羯

を行っ たの で ある。 こ の ように破 僧 とい

場 面におい て も、 「釈 尊のサン ガ」 が ある ようでい て、 現 実に はそ の よ

な もの を見い だ しが たい とい

こと になる。

 

4

  匸

4

0

] 第結 集釈 尊 遺 教 を まめ る た め に か ら 、 まさ しく仏 教 を上

て の 、

釈尊

の サ ン ガ

と しての

行事

っ た もの と

えられ る。 次にこれ が どの よ

に行わ れ た か とい

こ と を通 して、 「釈 尊の サ ン ガ

存在

したの か を

討 して み たい 。   [

4

1

] 「摩 訶 迦 葉の 研 究」1)考 察 し た よ 、 『パ ー 律 』れ ば 、 結

は次の よ

な状況の 下 に な さ れ た。

 

摩 訶迦葉は 比 丘 ら (bhikkha ) に 、

釈尊

が 入 滅 さ れ た と きの ス バ ッ ダ (Sub 一

参照

関連したドキュメント

 中国では漢方の流布とは別に,古くから各地域でそれぞれ固有の生薬を開発し利用してきた.なかでも現在の四川

第四章では、APNP による OATP2B1 発現抑制における、高分子の関与を示す事を目 的とした。APNP による OATP2B1 発現抑制は OATP2B1 遺伝子の 3’UTR

第一章 ブッダの涅槃と葬儀 第二章 舎利八分伝説の検証 第三章 仏塔の原語 第四章 仏塔の起源 第五章 仏塔の構造と供養法 第六章 仏舎利塔以前の仏塔 第二部

行った. [地球温暖化ガス削減]

2005 Study of the design method of an ankle-foot orthosis, Abstracts of the XVIIth conference on Postural and Gait Reserch, Marseille, France, Chapter13, Biomechanics and

第3章では 、誘導集電装置の 熱解析について述べている。誘導集電装置では、 原理的 に車 上で 消費 する 電力 と同 等の 発熱 が集 電コイル 及び

本論文の構成は、第 1 章から第 3 章で本論文の背景と問題の所在について考察し、第 4

第五章 研究手法 第一節 初期仮説まとめ 本節では、第四章で導出してきた初期仮説のまとめを行う。