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21 世紀前半期の日本の教育における学校図書館の可能性

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Academic year: 2021

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21 世紀前半期の日本の教育における学校図書館の可能性

「学校経営と学校図書館」小レポート

齋藤 あずさ(文学部教育学科3年)

戦前の日本における学校図書館は児童の教養を育成する場として存在していた。しかし,

敗戦後はアメリカが主導権を握った教育改革が進められることになる。ここで指摘しておき たいのは,日本は民主主義を掲げつつも結局全ての決定は政府にあった,ということである。

日本の頂点が決める時には必ず地方や庶民の視点が欠け,例えば指導要領などの量的なもの が生産されがちである。一方アメリカなどでは各地域が決定するものも多く,日本と比べて 質的な傾向がうかがえる。となれば自然と結果も変わってくるのは明白だ。つまり,教育内 容を例にとれば,政府が「望ましい」と思った内容を指導要領に載せても時代と地域によっ てその「望ましい」ものは異なり,結果として教育を受ける者と教育内容にズレが生じてく るのである。このズレとは学校知と生活知の不一致であったり,学習者が本当に学びたいこ とと教育内容との違いであったりする。

また,近年ではリテラシー教育という言葉が多義化し,その語訳の扱い方が複雑になって いる。たとえば,リテラシー教育が政治的,経済的な価値観や考え方を共有する,国の手助 けとなるような体系を生み出すのか,それとも批判的視点を育むものなのか,という論点が ある。そしてこのあたりから,学校図書館が教育内容(過程)に沿うものか,それとも本や あらゆる資料を通じて得られる教養に沿うものかの二極化の構造が生まれているように思わ れる。つまりは先述したズレが起きているのである。

これらのズレを解消しないといつまでたっても児童生徒の学習意欲は高まらず,近年話題 の読書離れ,活字離れもなくならない。このような時,この現状を打破できるのは学校図書 館しかないと私は考える。特に,学習意欲が低下し,学校知と生活知の結びつきが緩くなっ ていることに対して図書館の存在はとても大きいのではないだろうか。図書館の資料を介し て,その日その時自分が知りえた知識や経験をさらに具体化・拡張し,さらには発展的で自 主的な姿勢を育成する。そして学校で学んだ内容は生活にどのように生き,また生活の中で 得た知識はどうしたら学校の勉強に役に立つのかを考えた時,この学校と生活(家)を往復 するのではなく,その間にある学校図書館に寄り道してみてはどうだろうか。この行いをす ることで,今まで持っていた知識が“生きた知識”となり,退屈でつまらないと思っていた 授業がいきいきとする。ただ放課後に行くだけでなく,毎日の授業の中で教師が積極的に使 用することも好ましく,教科書には載っていない+αの内容や具体物との出会いが図書館に はあるだろう。そしてそこでは知識だけでなく,ものの見方,つまりは批判的視点も培われ る。この視点を小学生から育て始めることで,大人になってからも情報を丸ごと鵜呑みしな い,批判的な視点や態度が身に付くであろう。

従って,豊かで情報が錯綜する現代において,学校図書館が知識の集合と発信の場となり,

学習者の学校と生活の往復の中間地点として学校と生活を面白くさせ,かつ批判的視点を育 む中立的な存在となりえると私は考える。

参照

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