インフルエンザウィルス感染症におけるエピジェネティック制御
慶應義塾大学医学部呼吸器内科
助教 石井 誠
(共同研究者)
慶應義塾大学医学部呼吸器内科 助教 溝口 孝輔
はじめに インフルエンザウィルス感染症は、2009 年に新型インフルエンザウィルス(H1N1)が流行するなど 現在でも社会的な脅威であり、重症化した場合の致命率は高く、その病態のさらなる解明と適切な治 療法の確立が急務である。 遺伝子発現のエピジェネティクス(epigenetics)とは、一般に DNA の塩基配列の変化を伴わない 遺伝子発現・情報を調節する機構をいう。エピジェネティクスによる主な修飾として、種々のヒスト ン修飾(例えば、ヒストンのアセチル化、メチル化、リン酸化、ユビキチン化など)や DNA のメチル 化があり、さらにマイクロ RNA による修飾などがある。一方、DNA の一次構造である塩基配列(遺伝 子情報)の変化はジェネティックな変化に相当する。 このエピジェネティクスによる遺伝子発現の制御は、もともと腫瘍医学や発生医学において研究が 進められていたが、近年では免疫学の分野においてもその重要性は認識されている(1)。例えば、敗血 症かかわる免疫制御機構に関しては、免疫担当細胞である樹状細胞(2)、制御性 T 細胞(3)、ヘルパー T細胞(4)が、エピジェネティックな遺伝子発現制御を受けることが報告されている。また、ウィル ス感染においても、いわゆる腫瘍ウィルスによる発がん機構にエピジェネティクスが関与することが 報告されており(5)、またヒト免疫不全ウィルス Human immunodeficiency virus (HIV)感染においても、その潜伏感染の持続や再活性化の機序にエピジェネティクスが関与することが報告されている(6, 7)。
我々は、インフルエンザウィルス感染症においてもエピジェネティックな遺伝子発現制御が存在 し、重要な役割を果たしていると仮定し、本研究では遺伝子発現の転写活性を上昇させるとされてい るヒストンのアセチル化に注目し、ヒストン脱アセチル化酵素の阻害薬(HDAC inhibitor: histone deacetylase inhibitor)を用いて 以下の検討を行った。 方 法 [1] 7-10 週 齢 雄 性 CL57/B6 マ ウ ス に 対 し、 マ ウ ス 馴 化 イ ン フ ル エ ン ザ ウ ィ ル ス (A/PR8; H1N1) 3,000pfu の経鼻投与を行い、インフルエンザ肺炎を惹起させた。インフルエンザウィルス肺炎におけ るヒストンアセチル化の役割を検討するため、ヒストン脱アセチル化酵素阻害薬(HDAC inhibitor) であるトリコスタチン A(Trichostatin A、TSA)をインフルエンザウィルス投与前日より連日腹腔内 投与を行い、体重推移をコントロール群と比較検討した。またインフルエンザウィルス感染3日後と
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6日後にマウスを安楽死させた後、肺を採取し、肺内のサイトカインの mRNA 発現量を定量的リアル タイム PCR 法にて定量し、コントロール群と比較検討した。
[2] また、in vitro の研究として、CL57/B6 マウスの大腿骨と頸骨から骨髄細胞を採取し、in vitro で分化させた骨髄由来マクロファージに、あらかじめ TSA を前投与の後、インフルエンザウィルスを 投与し、各細胞におけるサイトカインの発現を両群で比較検討した。また、上記マクロファージにお いて、各種脱アセチル化酵素(HDAC)の mRNA の発現を検討した。
結 果
1.インフルエンザウィルス感染後のマウスの体重推移は、一般的にその重症度と相関することが報 告されている。本研究では、HDAC 阻害薬である TSA を連日投与した TSA 群において、対照群(DMSO 群) に比べて、その体重減少が抑制されており、TSA 投与がインフルエンザウィルス肺炎において保護的 な作用を有する可能性が示唆され た(図1)。 2.また、インフルエンザウィル ス感染後、3日目、6日目に、マ ウスを安楽死させて肺を採取し、 肺内サイトカイン mRNA の発現を 検討した。IL-6、IL-10、IFN- α、 TNF- α の mRNA の 発 現 は、TSA 群 と対照群で有意な差は認められな かった(図2)。
3.骨髄由来マクロファージを in vitro で各種 TLR リガンドおよびインフルエンザ A ウィルスにて 刺激し、サイトカインの産生を定量的リアルタイム PCR 法にて検討した。マクロファージにおいて、 TSA 前投与によりインフルエンザ投与による炎症性サイトカイン(TNF- αや IL-6 や IL-12p40)の mRNA が著明に低下していた。
4.骨髄由来マクロファージを in vitro で各種 TLR リガンドおよびインフルエンザ A ウィルスにて 刺激し、各種脱アセチル化酵素(HDAC)の mRNA の発現を検討した。マクロファージにおいて、TSA 投 与により特に HDAC1 や HDAC6 の mRNA が上昇しており、TSA の作用は HDAC1 や HDAC6 が関与する可能性 が示唆された。
— 56 — 考 察 1.マウスのインフルエンザウィルス肺炎において、HDAC 阻害薬である TSA の投与により、マウスの 体重減少が抑制され、TSA の保護的効果が示唆された。今後生存率や肺内ウィルス量に関しても検討 を進めていく。 2.感染3日後と6日後の肺内のサイトカイン mRNA 発現には有意な差が見られていないが、今後蛋 白レベルでの検討や、経時的推移の詳細な検討を行う予定である。 3.マウスマクロファージのインフルエンザウィルス感染や TLR7/8 リガンド刺激において、TSA はサ イトカイン発現の抑制効果を示した。HDAC1 と HDAC6 が TSA の投与により上昇しており、TSA が HDAC1 と HDAC6 の発現を上昇させて、サイトカイン遺伝子発現に関与している可能性が考えられる。今後、 特にサイトカイン発現の抑制因子(例えば SOCS など)の遺伝子発現が TSA のターゲットとして上昇 しているという仮説の下、ターゲットとなる遺伝子のアセチル化を ChIP アッセイ法にても検討し機 序の検討を行いたい。 要約 ・ 結論 本研究では、インフルエンザウィルス感染(肺炎)における HDAC inhibitor の投与効果を検討した。 in vivo 及び in vitro の検討においてインフルエンザウィルス感染においてヒストンアセチル化を 通じたエピジェネティクスの関与が示唆された。今後更にその機序に関して検討を続けていきたい。 最後に、今回助成金により本研究遂行の機会をいただき、様々な御配慮をいただきました大和証券 ヘルス財団の関係者の皆様に改めまして深謝申し上げます。 文 献
1. Ansel KM, Djuretic I, Tanasa B, and Rao A. Regulation of Th2 differentiation and Il4 locus accessibility. Annu Rev Immunol. 24:607-656, 2006.
2. Wen H, Dou Y, Hogaboam CM, Kunkel SL. Epigenetic regulation of dendritic cell-derived interleukin-12 facilitates immunosuppression after a severe innate immune response. Blood. 111:1797-804, 2008.
3. Cavassani KA, Carson WF 4th, Moreira AP, Wen H, Schaller MA, Ishii M, Lindell DM, Dou Y, Lukacs NW, Keshamouni VG, Hogaboam CM, Kunkel SL. The post sepsis-induced expansion and enhanced function of regulatory T cells create an environment to potentiate tumor growth. Blood. 115:4403-11, 2010.
4. Carson WF 4th, Cavassani KA, Ito T, Schaller M, Ishii M, Dou Y, Kunkel SL. Impaired CD4+ T-cell proliferation and effector function correlates with repressive histone methylation events in a mouse model of severe sepsis. Eur J Immunol. 40:998-1010, 2010.
5. Li HP, Leu YW, Chang YS. Epigenetic changes in virus-associated human cancers. Cell Res.15:262-271, 2005.
6. Coiras M, Lopez-Huertas MR, Alcami J. HIV-1 latency and eradication of long-term viral reservoirs. Discov Med 9:185-191, 2010.
7. Blazkova J, Trejbalova K, Gondois-Rey F, et al. CpG methylation controls reactivation of HIV from latency. PLoS Pathog. 5:e1000554, 2009.