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生産効率と競争概念について
一オーストリア学派・シカゴ学派の問題提起を中心として一明 石 芳 彦
1 はじめに 経済問題の解決をすべて市場に委ねることを主張するオーストリア学派・シ 1)カゴ学派は,第1に「経済効率」とくに生産効率を強調する。「同じ生産量を生 産する場合に,常に他の人々よりも少ない資源量を使用」するという意味で高 い経:肥効率の獲得は,基本的に企業家・経営者の才覚に起因する。「生産方法改 善の誘因はしばしば,最初にそうする人は誰でもそれによって一時的な利潤を 得る,という事実にある。(中略)たとえ,これらの利潤が一時的なものでしか なく,自分がリードしている問だけしか続かない,ということをかれが知って 2)いるとしてもである」(ハイエク[1974−79]訳書10巻102ページ)。第2に,両 学派は「市場の競争の程度(competitiveness)を,−市場構造から演繹すること は,論理的に誤りである」(Demsetz[1989]p.73)と一貫して主張している。 そして,以上の2つの点を結びつけて,「規模の経済性とは独立に,より低い費 用を開拓するような卓越企業」「が高利潤をあげ,その市場シェアを拡大してい る」(Demsetz[1976]p.375)と卓越企業の行動に着目するに至る。企業が高 い効率を達成できる要因は,規模の経済性を「技術的」要因とみなして別にす れば,デムゼッツ[1974](pp.175,177)がいう「卓越効率(superior efficiency)」 生産と見なされている。だが,なぜ「生産効率」が高まり「成果の卓越性」 3) (superior performance)(ibid.p.179)が得られるのか。また,卓越生産効率 1)両学派とも,とりあえず本稿末尾参考文献に挙げた人を指す。 2)ボーク[1978](pp.62,68,179,192−94)でも同様の認識がある。 3)実際,高成長以後の日本企業のコスト競争力は,低水準の賃金や生産技術面での規模の/は市場構造や「競争のあり方や程度」といかなる関係にあるのか。ここに生産 効率に関わる問題がある。 オーストリア学派の別の問題提起は,「発見の手続きとしての競争,または発 見の過程としての競争」(Hayek[1976])という視点に求められる。とくに, 「最:低費用曲線」の発見ほか潜在的利潤機会の発見者としての企業家に着目す る。それは競争の捉え方にとどまらず,市場の機能や市場への信頼の与え方を 左右する。「われわれは理論であたかも費用が『与件』,すなわち与えられた知 識であるかのように論じる習慣をもっているけれども,ある物が生産される場 合,その可能な最低費用は,まさにわれわれが競争に発見してくれるよう求め ているものである。最低費用は必らずしもそれをうまく発見した人以外の人に 知られているわけではない」(ハイエク[1974−79]訳書10巻103ページ)。 これらの見地は,伝統的産業組織論,より正確には通説の価格理論にとって は前提条件により排除され,問題にさえならなかった論点である。だが,理論 体系における「変則事象(anormaly)」にもかかわらず,それらが少なからぬ「現 実味(reality)」を抱かせる点も否めない。とくに検討に値する(要する)と思 われる論点は,生産効率,競争観動態的見地,市場進化などの関係であろう。 そこにはなお企業間競争と内部組織問題の次元の違いや,分析手段としての利 用可能性や予測能力と事後的説明とのギャップを指摘しうる。一方,それらの 論点はすべてシュンペーターの「創造的破壊論」,さらには「日本的産業論」に も共通するものである。そこで,オーストりア学派の見解が単なる「ユニーク な認識」以上のものならば,それが具体的に何かを問い直す点でも,生産効率 と企業間競争の関係を整理することに意味があろう。ただし,本稿ではオース トリア学派の発想を評価しているシカゴ学派の視角を中心に,後者の理論的性 格を浮かび上がちせる目的で検討する。両学派には,経済思想のかなりの近似 \ 経済性ではなく,多品種少量を低コストで維持する柔軟な生産システムや,量産とはいえ 累積生産量に基づくコスト低下(習熟効果)などに求められよう。ちなみにペイン([1968] 10章)は,産業の技術的効率を,産業組織の技術的効率(水平的な事業規模,垂直統合, 長期の設備利用度)と個別企業の内部効率(内部組織や経営の能率など)とに分け,後者 を所与として前者のみを検討している。
生産効率と競争概念について 113 を認められても,使用する分析概念では対立関係にさえあるのである。 II 生産効率の概念と意義 1 生産効率と配分効率 ボークは,ナイト[1933]に従い,経済効率を配分効率(allocative efficiency) と生産効率(productive efficiency)に分けた上で,「生産効率を損なうことな く配分効率を改善しようとすること」が反トラスト政策の仕事だと述べている (Bork[1978]p.91)。彼は生産効率を「特定企業による資源の有効な利用」と いい,配分効率を「経済全体への資源の配置(placement)」という。前者の有 効な利用の意味は「単に技術的効率やプラントレベルでの効率にとどまらない」 (iろid. p.91)ものである。ここで技術的効率(technical efficiency)とは,一 定の技術知識のもとでの,所与の投入について産出量最大化(または所与の産 出率について生産費最小化)という意味で,最適な投入・産出活動(optimaI input combination)を行うことを指す。 生産効率とは広く,単位生産費または平均費用の水準によって示されるだろ う。だがそれはあくまで競争企業間の相対的概念であり,生産性または技術的 4) 効率を指標(産出/投入比率)として定義可能なのと対照できる。それは,生 産が青写真(設計図)通りスムーズに行えるわけでなく,ましてやそれだけで 生産性を高められるわけではないことを重視した視点である。つまり,生産(資 源利用)の効率は,知識の不完全さに由来するともいえるのである。そして生 産効率は,企業組織効率(人材・設備等の利用効率)と技術的効率からなり, 前者はとくに企業経営のあり方に規定されるものである。 さて,市場経済分析の視点は,完全競争概念の成立過程に並行して,経済全 体の資源配分に関わる効率性の検討を中心とし,その最適状態を保証する条件 の追求にもっぱら力点が置かれてきた。これに対し,シカゴ=オーストリア学 4)産出/投入比率を生産性の定義と同時に,効率の定義とみる見解もある(Knight [1923])。また,デムゼッツも卓越効率を,comparative efficiency of finns([1974]p. 166)と見ている。
派より,とくに卓越効率との関連で,生産効率を重視する見解が提出されてい た。ナイトなど個別経済主体の目的追求行為をもっとも尊重する立場からは, 資源配分の効率性を評価し政府介入の必要を論じることには「社会」的規範が 含まれており,受け入れられない。そこで,個々の経済単位の個別的「効率」 (その典型が生産効率)を努力の結果として評価し,効率の卓越さによって独 5) 占という状態さえも容認する見解に至るのである。 ハイエクの「卓越経営一生産効率仮説」は,市場対抗関係(market rivalry) の捉え方において,きわめて重要な示唆を持つ。ハイエクが「完全知識」の仮 定を否定する際,現場の知識に精通した労働者,経営者の行動がしばしばとり あげられる。ハイエクの基本的視座は,「われわれが利用しなければならない諸 事情の知識が,集中された,あるいは統合された形態においてはけっして存在 せず,ただ,すべての別々の個人が所有する不完全でしばしば互いに矛盾する 知識の,分散され,た諸断片としてだけ存在する」(Hayek[1945]訳書53ページ) というものである。そして「工場の装備はつねに歴史的偶然によって大きく規 定されている」(do.[1948]訳書92ページ)としたうえで,たとえ「同じ技術的 装備でも,実にさまざまな費用で生産することが可能であることは,実業経験 の常識に属する」(do.[1945]訳書61ページ)とみる。したがって「ある所与の 物品を最低の費用で製造することができるのは,どの瞬間においても通例,た だひとりの生産者だけであり」(do.[1948]訳書93ページ)「優越した効率を基 礎とする独占は,誰か他のものか,消費者に満足を与えることにおいて,いっ そう効率的になればすぐに消滅することが保証されているかぎり,比較的無害 6) である」(同上,訳書98ページ)という論理にまでつながる。 ハイエクのいう卓越経営効率では,生産に関する知識と運営(operation)の 両方が重視されている。生産技術の知識は,技術的効率について,高品質で精 5)Williamson[1968], Bork[1978](4,5章)らは,経済効率の判断に,生産効率と資 源配分効率の比較勘案を主張している。 6)生産効率の卓越1生に基づくレソトとしての超過利潤を上位企業が得るという論理が,プ ライス・リーダーシップゆえの利潤獲得にすり替えられている点については,明石[1991] を参照。
生産効率と競争概念について 115 巧な製品という技術水準の高さよりも,最小費用での生産を取り上げる。その とき,知識の不完全さ以外に,運営の効率も考慮され,後者は労働モチベーシ ョン,分業の仕方など企業組織のあり方に関連している。 生産技術の伝播状況が労働のあり方,または組織形態を決める(そこでは各 生産技術への慣れ,習熟,経験の有無なども関係する)。さらに,生産事業レベ ルでは,需要の大きさと生産効率の上昇(たとえば,同一の生産技術下での低 費用生産,もしくは生産性の高さ)が相互に関連してくる。 2 生産効率と「X効率」 ライベンシュタイン[1968]の「X効率仮説」も,類似の問題提起をしてい 7︶ る。彼は,「あらゆる企業がすべての投入物を『効率的に』購入し使用している」 という仮定(そこからは,価格・数量の歪み=配分効率しか議論できない)へ の疑義を示すと同時に,モチベーション効率を提唱している。すなわち,イノ ベーションや新規投資などがなくても費用削減が生じているといい,そのよう な新知識の生産と伝播のメカニズムを明らかにする必要を示唆している。また, 「同一単位の投入物について,さまざまな成果がある」点で,「投入・産出関係 の不安定性」に注目し,その規定因を以下に求めた。a)労働契約の不完全さ, b)すべての投入物を市場取引(調達)できるわけでない(仮に市場取引でき ても,取引条件が企業により異なる),c)生産関数を完全には特定できず既知 でない,d)不確実性などのために,企業が協調することがある,以上である。 そして,単位費用を削減する,もしくは企業組織の効率を改善するには,1) 競争圧力(他企業や「逆境」からの競争圧力),2)モチベーション要因(それ は努力の度合を規定)が重要とみている。 こうして,ライベンシュタインが提起した生産関数(もしくは費用関数)の 問題は,ハイエクのそれと重複する。つまり,1)ともに画一的生産関数もし くは「最小費用結合(minimum cost combination)の選択」という仮定を放 棄し,費用格差の存在を競争と結びつけて理解しようとする。2)卓越効率は 7)ライベンシュタイン自身の目的は,成長残差の解剖や発展途上国の経済発展における人 的資源,とくに経営者能力の役割を分析することである。
内部組織の効率的な運営のあり方を問うが,組織形態は分業の仕方(それは生 産技術の水準や組織運営の効率性による)や仕事のモチベーションと関係する。 いずれにしても費用最小化を目指すものではあり,その意味で,企業間競争が 重要な圧力となる。3)だが,X(非)効率は従来どちらかといえばある生産 関数(費用関数)に対応する静学概念として捉えられていたと思われるが,生 産効率はむしろ動学(時間の経過,制度変革のなかでの競争という点で,正確 には動態)概念である。 卓越経営効率仮説では,不効率な企業経営は他にとって替わられ長期にわた り持続できないとみる。そこで重要なのは,不効率企業の存在が特異でなく普 遍的に観察される点,その原因が多様である点を議論の前提に据えることであ ろう。それは,従来の見解である「個別企業の効率的な生産を前提として,経 済全体の資源配分の効率性を検討する」という方法論を唯一としないのである。 こうして,生産効率は「ある企業がその競争者と比較して資源をいかにうま く使うか」(High[1984−85]p.23),すなわち資源の利用効率を問い,「より低 い費用となる生産方法を発見し実行する(implement)こと」(High, ibid.)が 重要であり,それは「発見の手続きとしての競争」(Hayek[1976]),「市場対 8) 抗関係の成果」(High, ibid.)と見なされうるのである。 III競争の経済理論と市場構造・企業行動,効率 1 競争と効率 配分効率・生産効率と歯学・動学の関係をハイ[1984−85]にしたがってまと 9) めると,次のようになる。 8)市場対抗関係としての競争観と市場対抗関係モデルが対象とする市場行動は次元が異な る。後者では,製法革新など絶えざる「与件の変化」や現実または潜在的なライバルの各 種の行動や働きかけに対する企業の反応行動の分析が中心である。そこで,ライバルを「出 し抜く」には行為の時間的先行だけが問題とされ,ゲームの(連鎖の)木はもっぱら五塵 的因果関係に従う。その意味で,革新的な製法の発見と実行についての具体的考察ではな く,時間要素の導入に伴う企業間対抗関係のモデル化・反応関数の導入という分析道具の 操作に関心をもつ。 9)この表で用いられているstatic, dynamicという用語法は,新古典派理論のものであり, オーストリア学派は前者(static)を否定している。
生産効率と競争概念について 117 static(完全競争)model “dynamic”model 生産効率 最:小費用生産の方法を使用(前提) 左の方法の発見と実行 配分効率 P=MCとなる資源配分 より高い価値での使用へ フ資源割当 完全競争と経済効率の関係は,上の表の左半分に示されている。すなわち, 完全競争では,価格が限界費用に等しい(P=MC)条件での生産となる。そこ では,少なくとも2つの完全知識(完全予見)が前提されている。1つは市場 価格(需要面)についてであり,生産者は価格・需要関係(=需要曲線)を知 っていることを意味する。もう1つは限界費用(供給面)に関するもので,生 産者にとりもつとも効率的な生産方法(=最小費用)での生産(best practice technique)が既知であることを意味する。こうした状況下で,知識を不完全に する要因は,新しい製品・製法,組織,技術などの登場である。 オーストリア学派・シカゴ学派でいう「動態的」競争と経済効率の関係は, 表の右半分に示されている。上述のとおり,各企業はひたすち生産効率の向上 を追求し,結果として「資源をより高い価値の使用先(つまり,消費者がより 多く支払ってもよいと考える使用先)に向けること」(High[1984−85]p.27) になるとみている。 強いてステレオ・タイプにいえば,配分効率分析では,1)外生的で不連続 な技術進歩(それは主に与件の変化として扱われる),2)完全競争基準を特徴 とする一方,生産効率分析では,1)日常的活動または競争の手段としての連 続的技術革新(および持続的改良としての習熟効果),2)発見の過程としての 競争(非価格面も含めた競争),という視点と対比的に要約される。後者には, 分析に時間要素を導入するにとどまらず,生産システムなど「制度要因」の変 化までを含んでいる。そこで,「競争を費用削減の追求とかgood management に関連づけることが重要」(McNulty[1968]pp.650−51)となる。それはダイ ナミックな意味での企業行動としての競争を指し,それこそが生産効率の向上 に関わるとみなされ,オーストリア学派が企業家精神の発揮を経済ダイナミズ ムの源泉とみる点を反映する。
ところで,競争にも産業内競争(市場構造面および企業行動面からの分析) と産業間競争という2つの次元がある。生産効率は,主に産業内競争(当該産 業の国際競争を含む)と関連が強いと見なされる。それは国内・国際の両産業 に開放されたシステムである。一方,配分効率は,通常,生産効率を万全と想 定して,パレート最適基準などから産業間競争による結果の効率性を問う。そ れは多くの場合,一国内の産業間競争を前提とし,経済全体におよぶ市場間均 衡状態の経済成果を評価する視点を持つ。だが,それは理論上面学であり,閉 じたシステムともいえる(自由で完全な市場を想定したケースでは,生産費比 較による資源の国際移動など,国際的な資源配分の効率を考慮しているが)。こ うして,配分効率の関心はいわば産業面断的比較であり,産業相互間の比較に よって,また個人間の状態をベターオフする余地がないことにより規定される。 一方,生産効率はいわば特定産業内の企業間比較という横の関係,そして特定 企業の時系列的特徴や産業の歴史に関わるものである。 オーストリア学派は,経済全体の効率を「規範」の昂揚かち論じることを否 定する。一方,ハーバード学派・シカゴ学派(の多く)は,一国経済の資源が 各産業に効率的に配分されることを望ましいとみる。資源の配分効率と同程度 に,配分された資源の利用効率を問うことも「政策」の観点からは重要となり うる。民訴企業は自己責任でそれを監視するから,問題は政府部門が中心であ る。規制緩和や国有企業の民営化により,経済全体の資源配分の効率化を期待 すると同時に,おそらくはそれ以上に,公企業の内部組織効率の促進を期待し ているのである。組織効率または生産資源利用上の効率を静学的な生産関数か らの乖離の次元でみるのではなく,持続的な組織改変と人的資源の滋養の面か ら捉えるならば,動態的な競争という文脈の中で,生産効率(生産組織の編成 や労働モチベーションのあり方など)を理解し直すべきという点が強調されよ う。 2 完全競争概念の台頭・支配と問題 (1)スミス以来の競争概念と完全競争概念 「競争の利点はそれが『完全』であることに依存しない」。競争は「与件にお
生産効率と競争概念について 119 ける連続的な変化を含む過程」である(Hayek[1974−79]訳書10巻95ページ; do.[1948]訳書98ページ)。 ハイエクは完全知識(完全予見)の否定から,費用に関する知識の追求とい う競争に着目する。つまり市場における知識の不完全性を前提とし,発見の過 程・手続きとしての競争を強調した。何を発見するか。潜在的利潤機会の発見 であり,たとえば生産面では新しい製品・製法または生産コストの削減策など を,販売面では消費者ニーズや新販路(需要関数の情報)などをさす。また, 発見の過程としての競争メカニズムについては,個々バラバラで市場に分散し た断片的な情報が,市場参加者のラーニングと試行錯誤の過程を通じて調整さ 10) れる点に注目する。これは上述した資源利用の効率性や投入・産出関係の安定 性を検討することに等しい。不完全な知識を前提とすれば,費用最小結合を反 映した生産関数(費用関数)を初めから想定することに疑念が生じるのである。 ステイダラー[1957]らによれば,スミス以来の競争概念と完全競争概念と 11) の関係は次のようになる。まず,スミスでは,競争とはrivalry in a raceであ り,新勢力へ反応する過程であり,(長期において)新均衡へ到達する方法であ った。それは市場価格と「自然」価格の均等化過程でもある。そして競争の成 立条件として,ライバルの独立性,ライバルが多数,十分な知識,自由な行為 (排他的特権がない),十分な時間の経過などを挙げていた。 ところが,クールノー([1838]5章)は,価格をP,生産量をqとして,「競 争」をqにしたがってPが変化しない状況(そこでは企業の直面する需要曲線 が水平的となる)と捉え,数学による定式化を行った。この業績を受ける形で, マーシャルは,競争の対概念として,「独占」を右下がりの需要曲線を持つ企業 と定義した。この定義・用語法では「独占企業と競争企業との差は,需要曲線 だけにある」(McNulty[1968]p.651)ことになる。すべての企業が水平的な 10)Hayek[1948][1976],Kirzner[1973],Schumpeter[1950]は,裁定利潤,革新利潤の 追求としての競り合いを検討している。裁定利潤の追求は,配分効率とだけ関連するかも しれない。明石[1990a]参照。 11)以下,Stigler[1957], McNulty[1967][1968]により整理した。
需要曲線(需要の価格弾力性が無限大)に直面するという捉え方は,それほど 企業が多数であり,企業数が多いほど競争的とみることになる。技術的には 12> 「dp/dqi=or≠0」がすべてである。ことに「企業数が多ければ競争的」と いう見方は,競争の程度が市場構造によって決まることを意味する。そこで, 市場構造が類似(たとえば企業数が同一)でも競争の水準は異なりうること(と くに潜在的競争者の存在を巡る議論)がその反証として提出された。 そして,完全競争の完全な定式化はナイト[1921]によってなされ,そこで は完全競争の定義に必要な条件は,企業数の多さと行動の独立性,知識の完全 性,十分な時間(参入・退出の自由),自由な行為(政府からの自由),財の同 質性などであり,そのなかで完全知識の想定が決め手とされている。 かくして,「競争とは市場に独占力がないこと」となり,「競争=市場競争」 (Stigler[1957])という限定された用語法となった。それは競争が(完全)市 場の補助的な位置づけであることを示す。また,この市場競争はチェンバリン のいう純粋競争(独占要素のない競争)に一致する。それゆえ,「competitiveと いう言葉を,atomisticに置き換えたほうが適切である」とか,完全競争概念は 競争という「用語が本来,持っていた意味の本質である企業対抗心(emulation) や市場活動の観念を伝えることができない」(ともにKnight[1946]p.102)。 さらに「完全競争理論が仮定する様態が存在するならば,それは『競う』とい う動詞が意味するすべての活動を消し去るだけでなく,そうした活動を事実上, 不可能とするだろう」(Hayek[1948]p.96)という見解を引き出すことにな る。 (2)市場構造・企業活動と競争 マクナルティ([1968]p.642)がいうように,問題は競争の維持か競争者の 維持かである。そして,区別すべき点は,市場構造としての競争と企業活動と 12)この競争概念の対としての独占概念は,企業数が1または少数で「あたかも独占のよう にふるまう」という見解と微妙に異なり,個別需要曲線を持つことを意味する(需要の価 格弾力性が小さいが1よりは大。定式化すれば,dp/dqi<0)。また,オーストリア=シカ ゴ学派が問題とする独占は,政府付与特権(government−granted privilege)の保有によ り,競争を抑制するケースである。
生産効率と競争概念について 121 しての競争かもしれない。「市場構造としての競争」では,高い集中度が成立す ると,独立した企業行動ではなく企業間協調が導かれる点に着目する。一方, 「企業活動としての競争」では,企業間の対抗関係が重視される。この点はお そらくハイエク[1948]が最初に問題を提起したが,類似の問題をメイソン [1959]も異なる立場から論じている。 たとえばハイエクは,反トラスト「法は状態を禁止することにおいて効果的 ではありえず,ある種の行為を禁止できるにすぎない。それが経済政策にとっ て重要なものとなるならば,『競う』という用語ともっとも結びつくであろう企 業行動のパターンと経済競争の概念を関連づけなければならない」(Hayek [1960]pp.265−66,第一文のみ訳書7巻20ページ)という。ちなみに,シャーマ ン法(とくに2条)も「行動に関するルール」を無視しているわけではない。 競争を制限することや独占すること(to monopolize)が禁止されていても,状 態としての独占(monopoly)については何も述べられていないからである。こ の状態と行動の関連という点で,メイソン[1959]は,特定の市場状況におけ る企業行動パターンに着目しており,それは「市場支配力プラス行動の基準」 13) とでもよぶべきものである。 3 対抗関係としての競争 競争の意味は,対抗関係として捉えることが適切な面もある。とくに,知識 の不完全性に着目すれば,「効率的な生産方法」が未知であり発見の対象となる から,生産の効率化をめざした競争を「対抗競争」の一環として捉えられる点 でも,合理的な説明となる。クラーク[1961]も,競争の本質的な機能の1つ に,「競争・が効率的生産に対する拍車として機能すること」を挙げている(Clark 13)メイソン([1959]pp. xviii−xx,訳書xvii−xxページ)は市場構造の研究もいまだ十分 野とはいえず,それは(1)市場構造と企業行動の関係,(2)市場構造の規定因でもある成長ト レンドや循環的変動に対する市場構造の感応度(それは静学モデルとの乖離の発生を予想 させる)を明確にしなければならない。また,市場支配力をめぐっても,上述の市場構造 と企業行動の関係にとどまらず,(3)市場構造と企業行動の関係,ならびに,それらと競争 の「水準」または市場支配力の程度との関係,(4)競争の「水準」と資源配分の効率性との 関係,を明らかにする必要があると述べている。
[1961]訳書72ページ)。とくに,経営の日常的効率化活動として「本質的に同 様の方法を用いる場合の効率の改善」や費用の削減の余地を残す場合をさし, 革新行為と区別する。そして「競争は,技術的過程の能率,生産物の選択とデ ザイン,販売努力ならびに価格決定」または部材・部品の調達に依存しており (同上,訳書92ページ),「競争は,それに伴う諸過程一革新,販売の拡張,模 倣,陳腐化一がすべて時間がかかる」(同上,訳書74ページ)とみている。 ここで,メイソン[1959]のいう「市場構造の特徴に応じた競争パターンの 出現」の蓋然性に再び注目したい。すなわち,対抗関係としての競争観を前向 きに受けとめるとしても,それを市場構造(とくに企業数,企業規模分布を反 映する集中度)と独立した行動とはみないのである。たしかに,完全知識を前 提とし,生産財を別として消費財について「同質的」製品を至上のものと位置 づける経済観は,いくぶん「特異」である。この結果,単純な価格分析のみで は説明できない分野が生じる(情報提供という点から広告活動を通常の競争活 動と評価するシカゴ学派は,そのかぎりで,自らが信奉する純粋な意味での価 格理論体系と矛盾する)。しかも,理論上は独占をもっぱら右下がりの需要曲線 の発生とみる視点も分析力の限界となりうるだろう。 結局,シュンペーター([1950]6−8章)が描いたような多元的な競争世界 にたどり着くのだろうか。シュンペーターは,競争の優劣を決定する要因とし て,費用または品質上の確固とした優位性を挙げている。すなわち,価格を支 配的地位におく競争ではなく,「新商品,新技術,新供給源泉,新組織型(たと えば支配単位の巨大規模化)からくる競争」は「費用や品質の点における決定 的な優位を占めるものであり,かつまた現存企業の利潤や生産量の多少をゆる がすという程度のものではなく,その基礎や生存自体をゆるがすものである」 (ibid. p.84,訳書153ページ)とみている。 さらにマクナルティによれば,競争概念は,企業内部の生産技術や企業の組 織形態と体系的に関連づけられていない。従来の競争概念は産業内効率,分業 のあり方の変化との関連でなく,もっぱら価格の変化とみなされている。かつ て個別企業の操作変数であった価格は,もはや単なるパラメータとなった。そ
生産効率と競争概念について 123 の意味で競争は,市場過程(市場内部事情)ではなく,もっぱら市場構造を反 映する。競争を単に交換関係として捉えるのではなく,交換と生産の次元から 別々に捉えることが再び必要かもしれない(McNulty[1968]pp.648−49)。 以上,一見すると斬新な主張をしているようであっても,オーストリア学派 の競争・市場観の多くが,クラークなど1960年前後に興隆した「新しい競争」 理論としてすでに提出されていたことは,特筆に値する。それでも残る差異は, 経済思想に関わるものが中心である。ただ,「薪しい競争」理論においては,競 争の手段や形態が「あまりにも」多元的であって,「標準理論」や「政策基準」 には結実できなかった点が,その影響力の限界になったと考えられる。 4 競争の条件と機会の均等 ナイト[1923]によれば,効率とは,財の最大数量を生産し達成された結果 の分量に関わることである。一方,倫理とは動機の特徴であり,動機は行為を, よって結果を規定する。競争秩序と倫理(またはモラル)の関係について,「競 争」とは個人の創意の結果でもあり,獲得成果の市場価値の帰着と個人責任と いう2つの要素が,市場経済の全体的秩序を形成する。 いまビジネスの動機は対抗関係により規定され,「競争での成功(勝利)」と いう点で,ビジネスを競争ゲームと同列に見なせば,競争の倫理とはゲーム自 体の道徳1生を意味しよう。市場ゲームの結果は非人格的な市場競争の結果であ 14) り,運・不運は予見できないものである。このとき「良いゲーム」とは,スポ ーツでのハンディ付与の原則に従うものであり,能力,努力,運の三要素のも っともらしい案分を満たすものをいう(Knight[1923]p.608)。だが,現実の 市場競争は「力の論理」に従う。つまり,富,文化,教育面の強み(advan− tage),経済機会の相続など,機会の不平等が一般的である(ibid. p.590)。そ れは人的・物的生産能力の遍在(相続,運,努力について)と言い換えてもよ い。そこで,経済力,機会,権威の配分における不平等は,製品入手上の不平 等よりも問題が大きいともいえる(ibid. p. 604)。一方,ゲームには運の要素が 14)ハイエク[1974−79](訳書9巻101−03,161−67ページ)でも類似の見解が,臨監ラクシ 一・ゲームとして述べられている。
つきものであり,運(機会)はある意味では平等に配分される。だが,ゲーム のハンディ付与原則はあるべき1つの見解であっても,実際のビジネスには, 競争への参加者の能力に応じたクラス分けやハンディ付与など存在しない。し かも,運についてさえ不平等は生じる。それは初期時点に偶然に成功した人に ついて累積しうるからである。リスク負tg能力の違いという点で「逆ハンディ」 さえある。結局ナイトは,競争ゲームで平等性を理想として語ることはバカげ 15) ていると結論づけている(ibid. p.604)。 IV 結びに代えて メイソン[1959]は,競争の「水準」(および市場支配力の水準)と市場構 造,企業行動,生産効率との関係をそれぞれ整理する必要があるという。本稿 では,オーストリア学派の中心的見解(発見過程としての動態的競争観とその 主体としての企業家,1つの典型事例である生産効率の追求)をシカゴ学派の 用語法に置き換える形で,それと通説との関連を検討した。とくに,生産効率 の善し悪しとそれを規定する競争の捉え方・モチベーションの関係,ならびに 資源配分の効率性(企業移動の動因)と資源利用の効率性(企業経営効率)を 競争の水準と結びつけて検討する意味を論じた。 生産効率の意義は改めていうまでもなく,その生産効率が一国内や国際的な レベルでの競争の程度に依存するとともに,ある産業の国際的な競争構造(国 際産業組織,国際競争力)を規定するのである。通説は,主として配分効率の 善し悪しと市場の機能を重視する。オーストリア学派と一部のシカゴ学派は, 資源配分効率の追求を政府の目標から放棄する観点に立ち,生産効率追求の意 味に着目し,とくに生産効率の向上を規定するであろう競争の意味と内容を重 視する。競争の意味の再検討によって,外国からの競争圧力など潜在競争を, 理論上の応用(閉鎖体系から開放体系への応用)に伴う市場外圧力の発生では 15)ナイト([1923]p.606)は相矛盾する倫理的理想として,次の3つを挙げる。(i)努力 に応じた分配,(ii)それを使える人に道具を。これ(適材適所?)は効率の必要条件でも ある。(iii)ゲームの公正性。
生産効率と競争概念について 125 なく,通常競争の一環として強調したのである。 SCPパラダイムとの関連でいえば,企業数でみて市場構造上は競争的な産業 でも,企業規模に偏りがあり,実際上,市場集中度が見かけ以上に高くて競争 の程度が低いこともありうる。市場構造を重視する立場は,集中度に反映され る企業の数と状態が競争の程度を決定するとみる。だが,市場過程を重視する 立場では,企業家の働きかけ・機敏さの程度が競争の程度を規定し,競争過程 を知識の伝達機構(価格のシグナル機能)と捉える。この点で残された問題は, メイソンが指摘したように,「高集中度産業においてしばしば競争の程度が減じ られる蓋然性が高い」という意味の解釈に帰着しそうである。 参 考 文 献 明石芳彦[1990a]「オーストりア学派の産業組織論」小西唯雄編『産業組織論の新展開』名古 屋大学出版会,所収。 [1990b]「オーストリア学派の方法論」角村正博編著『経済学の方法論と基礎概念』 日本経済評論社,所収。 [1991]「市場支配力と動態的競争一シカゴ学派・オーストリア学派の問題提起を中 心として一」西田稔・片山誠一編『現代産業組織論』有i斐閣,所収。 Bain, J. S. [1968] Jndustrial Organization, 2nd ed., John Willey & Sons. Bork, R. H. [1978] The Antitrast Paradox, Basic Books. Clark, J. M.[1961]Competition asα功露α癬。 P劉oo6∫∫, The Brookings Institution(岸本 誠二郎監修・瀬地山敏ほか訳『有効競争の理論』日本生産性本部,1970年)、 Cournot, A. [1838] Recherches sur les Pn’nciPes mathe’matiques de la the’orie des n’chesses, L.Hachette(中山伊知郎訳『富の理論の数学的原理に関する研究』日本経済評論社,1984 年). Demsetz, H. [1974] “Two Systems of Belief about Monopoly,” in lndblsim’al Concentra− tion : The New Leaming, Little, Brown and Company, edited by H. J. Goldschmid, H. M. Mann and J. F. Weston. [1976]“Economics as a Guide to Antitrust Regulation,”ノburnal of Law and Economics, Vol. 19, No. 2, Aug. pp. 371−84. [1989] Efficiency, ComPetition, and Poliay, Basil Blackwell. 越後和典[1988]「経済的効率性の概念」『彦根論叢』253・254号,12月. Hayek, F. A. v. [1945] “The Use of Knowledge in Society,” Amen’can Economic Review, Vo1.35, No.4, Sep.(ハイエク[1986]所収). [1948] “The Meaning of Competition,” in do., lndividualism and Economic Order, University of Chicago Press(ハイエク[1986]所収).
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