幼児の造形活動における教授行為とその受容について
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(2) もくじ. 序章 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… ・1 第1節. 幼児の造形活動のあり方 ・・・・・・・・・・・・・・… ’齢 ・ 1. 第2節. 3 「呼一応」の関係における教師のあり方・・・・・・・・・・・…. 本論文の概要 ・…. 第1章. 8 。・・・・・・・・・・・・・… 。・… 。…. 幼児の造形活動をどう捉えるか ・・・・・・・・・・・・・…. 10. 第1節. 「幼児期にふさわしい」生活とは・・・・・・・・・・・・・・… 10. 第2節. 「よりよい教育環境」とは ・・・・・・… の・・・・・・… 14. 第3節. 遊びを通しての学び ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 16. 第2章. 「幼児期にふさわしい」保育活動のあり方 ・・・・・・・・・… 18. 第1節. 教師の役割 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 18. 第2節 第3節. 第3章. 教材観について一’●’. ’”∵. ’.28. 受容する存在としての幼児 ・・・・・・・・・・・・・・・・… 32. 「幼児期にふさわしい」保育活動の検証 ・・・・・・・・・・…. 39. 第1節. 保育分析 ・・●●●●’●’.’.。●’。’。●●’’”●●●39. 第2節. 考察 ・・・・・・・… 。。… 。・・・・… 。・・… 56. 終章・・・・・・…. 。。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 。77. 注記・・・・・・・・・・・…. ∂の・・・・・・… ρ… の・・・… 81.
(3) 序章. 第1節 幼児の造形活動のあり方. (1)造形活動における学びの「楽しさ」とは. 保育現場において、幼児が活動に意欲的に取り組み、その結果、達成感や満足感を 得ていると感じられる場面がどれほどあるだろうか。教師が活動を提示すると、適当 に描いてすぐ「はい出来た、これでいい?」と持ってくる幼児の姿が多々見られる。. このような幼児の姿を見ると、幼児にとって造形活動が楽しいものとはなっていない のではないかという現実を突きつけられる。. 単元における活動への目的意識が明確でないと、「上手い絵を描かせたい」という 一点にだけ教師の気持ちが先行して、いわゆる教師主導型で結果重視の保育活動にな る傾向が強い。. このような教師主導型で結果重:視の問題点は、幼児の造形活動の実態を踏まえたね. らいからはずれて、教師がイメージする作品作りを無理矢理幼児に押しつけることに なり、その結果「やりたくない」「できない」と言う点や、幼児が取り組んできた過 程が軽視され作晶の出来、不出来で評価されてしまうことが多く見受けられることで ある。この場合の出来、不出来は教師の意図する方向に達したかどうかという評価で あり、幼児がその活動に取り組んだことによって何を学び、得たのかということへの 評価をみることではない。他方、領域「表現」に記されているねらいから大きくはず れて、幼児が活動に必要だとされるものをすべて用意しておき、自由につくるという ことのみの活動になってしまうことも保育現場ではしばしばみられるのである。. 一1一.
(4) 幼稚園教育要領には、表現領域のねらいとして、「(2)感じたことや考えたこと を自分なりに表現して楽しむ。(3)生活の中でイメージを豊かにし、様々な表現を 楽しむ」ユ〉が掲げられているが、この場合の「楽しむ」とは「表現」の内容にあるfイ メージを豊かにする」2)や「工夫して遊ぶ」3>といった教育的内容を含んだ「楽しむ」. であると考える。教育要領の「楽しむ」とは、幼児が自主的に活動に取り組む中で、. 試行錯誤しながらも物事を解決していき、その活動を終えた時には幼児の中で達成感 が生まれていることだと解釈する。. つまり、活動の中で幼児自身が「こんなのを作りたい」と目的意識を持って取り組 んでいくことでの「楽しむ」でなくてはならない。そして、その「楽しむ」を作って いくのは教師の役割であるといえる。 その点についてデューイは、『民主主義と教 育』で、「生徒がそれ相当の時期に自分の遂行能力の不十分なことに気付き、そのた めに自分の能力を熟達させるような練習をやろうという刺激を受けることがないとす れば、それは教師の落ち度である」4)と述べていることにも合致する。以上の理由か. ら、幼稚園教育要領を再度吟味し、教育的意味合いを含んだ「楽しい」の内容を捉え 直す必要がある。. 一2一.
(5) 第2節. 「呼一応の関係」における教師のあり方. (1)保育活動の組み立てについて. 「呼一応の関係」を成立させるために、教師はどのようなことに配慮しながら幼児 をねらいまで導いていけばよいのだろうか。幼稚園教育要領には、計画的に指導を行 うために次の2点が挙げられている5>。. (1)発達の見通しや活動の予想に基づいて環境を構成すること (2)幼児一人一人の発達を見通して援助すること. これは教師が用意した「しかけ」の中に幼児を導き、投げかけた発問によって幼児 それぞれの思考が拡散し、取り組んでいく過程において教師がそれを集約し、また拡 散させていくことを繰り返しながらねらいまで導いていくという道筋をつけていくこ とだと考える。. しかし、実際の保育現場では教師主導で運んでいくために、幼児がなかなかスムー ズに教師のしかけの中に入ってきてくれず、教師が「今目はこの間、動物園に行った から動物の絵を描くよ」と提示すると、幼児からは「え一、いやや」「描きたくない」. という反応が返ってきたり、教師が一通りの説明をし、「じゃあ、描いていいよ」と 言うとすぐ「できない」という幼児がいたりする。このように教師が今日やるべきこ とを幼児に提示するまでに幼児のモチベーションが下がってしまっていることがわか る。活動に入ってからも、「先生、出来た」と幼児が持って来た絵に対し、「すごい ね、でも、ここもう少しこうしたら?」とか「みんな見て、○○ちゃんはこうしてる よ」などの上手な絵を描かせるためのアドバイスになりがちで、幼児のそれぞれ違う 考え方を認めながらねらいまで導いていこうという教師の思いがいつの間にかぶれて しまっているのである。. 一3一.
(6) 教師は幼児の思いにできるだけ添いながら保育を進めていきたいという考えは持っ ているものの、「添い方」がわからず、教師の発した一一つの言葉によって幼児の意欲. がなくなってしまったりする。ここに教師が発する言葉の重みが実感されるところで ある。また、教師が保育をどのように考え、幼児に対応していくことが幼児に寄り添 いながらも、幼児が自ら考え取り組んでいこうとする活動に結びついていくのかとい うことも考えなければならないことである。. 出来上がった幼児の絵を見てみると、同じような絵が並んでいることが多々見られ る。そんな絵を見ていると、教師が活動中にどんな言葉をかけたのか、その時の様子 が浮かんでくるようである。例えば、あるクラスではほとんどの幼児がゾウを描いて いた。しかも、ゾウの周りには丸い茶色いものがどの絵にも描かれてある。下のコメ ントを見てみると、どの幼児も「ゾウの周りにはウンチが落ちていたよ」というコメ ントであった。おそらく教師は、幼児が描いている最中に「○○ちゃんはウンチを描 いているね、そうだね、ゾウの周りにはウンチがたくさん落ちていたよね、よく見て たね」と言葉を投げかけたことが考えられる。教師のその言葉を聞いた瞬間、自分の 描いている絵にウンチを描き加えるのである。. このように幼児は、描いている最中でも教師が投げかける言葉に敏感に反応するの である。ここで教師が考えなければならないことは、特定の幼児の作品を取り上げ、. 幼児にこんな作品を作って欲しいのよと提示することではなく、まず幼児が「やって みよう」という意欲を持ち、実際にやってみることで、「これでいいのだろうか、他 にいい方法はないか」といった刺激から、これをやり遂げたいという気持ちを持ち、. やがて「こうやればいいんだ」と自分なりの方法を見つけ出していくことへと繋げて いくことができるように様々な考え方や答えをつくり出していく教師の導き方が重要 であると考える。よって教師の保育活動の組み立て方に注目する必要がある。. 一4一.
(7) (2)幼児と教師の関係. 保育活動が成立するための基本的要素は、幼児と教材と教師である。保育活動は、. 教師が普段の幼児の姿を捉えることでそれに適した教材を準備し、それを用いて教師 から幼児へまた、幼児から幼児への言語・非言語的コミュニケーションを申心に、ね らいを目指して行われる相互作用である。教師は必ず教材を使って幼児に働きかける. のだが、その教材を準備するのも教師であることから、まず前提として教師と幼児の 関係が求められる。保育活動が「呼一応の関係」の上に成り立つものであると捉えた とき、教師の働きかけは常に幼児の様子を見ながら幼児が今、どんなことを学ぼうと. しているのかを捉えながらかかわっていくことで、活動は進展していくのである。つ まり、保育活動における教師の働きかけは一方的なものではなく、幼児の様子(反応) によって臨機応変に対応していくことが重要なのである。. 生きた人間と向き合っていくことでっくられるものが保育活動だといえる。では、. 教師は幼児とどのように向き合い、どのような関係がつくられていくことが「呼一応 の関係」を成立させることになるのだろうか。そのことを考えさせる教師と幼児のや りとりがある。. この保育活動は、「かなへびくんの赤いながぐつ」という絵本を基に、教師が想像し たことを絵に表してみるというねらいをたて、絵本の中で印象に残ったことを一人ず つ発表させながら絵画活動を行ったものである。このやりとりはその中の一部分の光 景である。. 「そしたら今日はね、ポスターカラーで絵を描いてもらうんだけどね、この聞○○ くんだったかな、あそこの裏の所で何か見つけたよね。『か』がっくもの」と教師が 幼児に呼びかけるところがら今段の造形活動はスタートする。幼児の中から一人が「か. い?」と反応を返すと教師はギかい?」と返す。すると、今度は「カニ?jと違う意. 一5,.
(8) 見が出てきた。教師は「カニ?」と言って首をかしげ、「庭で見つけたのよ」と投げ かける。すると、fかだん」と幼児が反応し、その言葉に教師は「花壇で何見つけた?」 と聞くと、「かなへび」と幼児から教師の求めている答えが返ってきて教師は「あっ、. そうやな」とその答えを認めた。教師の導入は進み、「じゃあ、そしたらね、目を閉 じて今からどんなことがお話の中でおもしろかったか思い出して下さい。どんな所が 好きかな、頭の申でどんなこと描こうかな」と教師は幼児に目を閉じて考えるように 促している。しかし、幼児の反応はギ浮かんできた」、「何にも思い出さない」とい う幼児など様々であった。教師が「私ね、画用紙を用意してきました」というと、幼 児からは口々にヂいやや、描きたくない」「描きたくないよね」とお互いの意志を確 認し合う場面も見られた。申には「描きたい」という幼児もいて、教師はその幼児の 言葉を拾い、「描きたいな」と呼びかける。すると、ある幼児からは「描きたくない、 難しい」という言葉が返ってきた。. 教師はこの時もう一度幼児に絵本を読まなかったのは、幼児に頭の中で想像して描 いて欲しいというねらいがあったからである。この教師には幼児に考えさせたいとい う意図があったと推察できる。だからこそ絵本の中での話でおもしろかった場面を一 人ずつ発表させ、目を閉じて頭の中でイメージする時間を与えたのである。しかしな がら、教師の導入の場面で正答を求めるような運び方が見られた。この時のやりとり から教師と幼児との関係は明らかに教師主導で、「教える→教えられる」関係であっ たと考えられる。そして、教師が画用紙を出してくると「描きたくない」と幼児から ストレートな反応が返ってきていることから、この時点で幼児が「やってみたい」と いう意欲がわかない提示だったといえる。. 例えば、導入の場面で提示の仕方や運び方を工夫していたらどうだろうか。このよ うに考えると、教師は活動に入る前の段階においても工夫する必要があるのかもしれ ない。この事例は決して特別な事例ではない。少なからずとも、教師であればここに. 一6一.
(9) おける教師の思いを他人事として片づけることができないだろうと推察するからであ る。. 教師のねらいなしには保育活動は存在しないものであることはもちろんであるが、. そのねらいを活動の最後まで明確に持ち続けるということは非常に難しいことであ る。その中でも「幼稚園の保育は、実に対象本位に、実に対象本位に計画されていく べきもの」6)で、普段の幼児の姿をどのように捉え、保育活動を運んでいくのかが大 きく関係してくる。. この事例では、教師が幼児はかなへびが好きである。だからかなへびの絵本を読ん で、その絵を描くといった捉え方から教材を持ってきている。しかし、幼児にはかな へびくんの絵本を見たことからかなへびくんの絵を猫くことが繋がっていない。また、. 教師が立てた想像して絵を描くというねらいも、幼児には「難しい」という思いを抱 かせてしまっている。このことからも、ねらいの立て方、教材の選び方などがあいま いであることがわかる。. 本研究において、保育現場における教師と幼児のf呼一応の関係」を教育観と幼児 と教師の関係の両面から捉え直し、再度提示することが保育現場において意義あるこ とと考えた。. 一7一.
(10) 本論文の概要. 本論文は、保育分析を通して「呼一応の関係」が成立するための教師の役割につい て検討するものである。幼児教育での「呼一応の関係」が成立するということは、教 師の呼びかけに幼児が応じることであるが、教師の「わかった人手を挙げて」の言葉 に幼児が「ハーイ」と手を挙げるような反射的なものではない。応じる(応答)とは、. 幼児が自分で考え、発言したり、行動に移したりすることである。つまり、教師の呼 びかけは幼児に自分で考えさせ、試してみようといった意欲を沸き立てるものでなく てはならないといえる。また、幼児の応答の受け止め方によってもその後返ってくる 幼児の応答が左右され、保育活動が変容してしまうことにもなりかねない。保育活動 を組み立て、「呼一応の関係」を成立させていくためには、保育活動における「教師 のあり方」を整理することが必要であると考える。さらに併せて、そこでの教師の働 きかけについても具体的にしていく必要がある。. 本論文では、保育活動の中に「教脊的視点」を明確に位置づけ、教師と幼児の問に 「呼一応の関係」を成立させるために、教師の保育観、ねらい、教材解釈、教授方法、. 評価の視点を保育分析を通して明らかにすることで教師の役割を検討する。具体的な 論文の概要は以下の通りである。. 第1章では、デューイの教育的示唆から、造形活動における望ましい子ども像を導 き出し、教育的環境を整えていくためにはどうすればよいのか、また普段の生活の中 で教師がどのような配慮をすべきなのかを検討する。. 第2章では、倉橋惣三、吉本 均の教育的示唆から教師と幼児とのかかわりがどの ような関係にあるのか。また、実際の保育活動において「呼一応の関係」を成立させ るための教師の働きかけはどうあるべきかを考察する。. 第1章、第2章を受けて第3章では、「呼一応の関係」についてさらに具体的に明. 一8一.
(11) らかにする。特に、教師と幼児のやりとりに注目した観察を行い、具体的に幼児がど の場面でモチベーションが上がってきたのかや、反対にどこの場面で幼児と教師の距 離が離れてしまったのかを明らかにすることで、教師が今後どのような点を改善して いくべきかを考察し、「呼一応の関係」が成立するために必要な教師のあり方を検討 する。. 特に、教師と幼児のやりとりに注目した観察を行い、具体的に幼児がどの場面でモ チベーションが上がってきたのか、反対にどこの場面で幼児と教師の距離が離れてし まったのかをフランダースの分析を用いて明らかにすることで、教師が今後どのよう な点を改善していくべきかを考察し、「呼一応の関係」が成立するために必要な教師 のあり方を検討する。. 一9一.
(12) 第1章 幼児の造形活動をどう捉えるか. 第1節. 「幼児期にふさわしい3生活とは. 幼稚園教育要領総則(1>には、「幼児は安定した情緒の下で自己を十分に発揮する. ことにより発達に必要な体験を得ていくものであることを考慮して、幼児の主体的な 活動を促し、幼児期にふさわしい生活が展開されるようにすること」7>とある。では、 幼児期にふさわしい生活とはどのような生活のことを指すのだろうか。私たち教師は、. 幼児にどんな園生活を送ってもらいたいと願っているのだろう。それは、次の2点か ら考えることができる。. (1)ルールを守って生活すること (2)周りの環境に自らかかわっていく中で気付き、発見すること. この2点から考えると、幼児期にふさわしい生活へ導いていくための教師の役割は、 幼児に生活の中でのルールを教え、自ら環境にかかわっていくことで、色々な気付き や発見があるような環境をつくり出すことにある。つまりこれは、保育者と幼児との 信頼関係が十分に築けていることによって幼児が自己を十分に発揮することができる ということ、そして幼児の主体的な活動を促すように保育者が働きかけていき、幼児 をふさわしい生活へと導くことだと解釈できる。. ここである疑問がわいてくる。それは、幼児に「ふさわしい生活」はもともとある ものなのか、それとも教師がさせるものなのかということである。幼児にとっての「ふ. さわしい生活」とは、幼児自らが園生活での遊びを面白く、楽しくしていくことだと いえる。では、どうずれば幼児にとって「ふさわしい生活」になるのだろうか。幼児 が「おもしろかった」「よかった」と思えばそれが「ふさわしい生活」になるのだろ うか。また、遊びが長く続いていくことが「ふさわしい生活」になるのだろうか。「ふ. 一10一.
(13) さわしい生活」にさせるためには、幼児が「楽しい」と感じる教材の提示があり、そ れに取り組むことによって身につくもので、幼児の欲求を満たす中身が大切なのであ る。「ふさわしい生活」に1ま、幼児が「楽しい」と感じる活動は欠かせないのである。. 遊びは途切れても、その中で自分が「これはあの時やったことと似ているな」とか、 「これはこうだったのか」と感じたり新しく発見したことの方が大切なのである。つ. まり、活動の内容が質的に、内容的に高まっているかどうかが重要な点になるのであ る。幼児にとって「ふさわしい生活」とは、やって終わりではなくその中で幼児が「や りたい」「やってみたい」と自らが価値を目指すことで、経験を広げることができ、 興味と欲求を刺激するものが含まれていなければならない。. このことから幼児期にふさわしい生活とは次の3点から考えることができる。 (1)押しつけられているものではないこと。. これは、幼児が「やらされている」と感じるのではなく、反対に「やってみたい」 と思い、自分から主体的に環境にかかわっていくことであり、そうすることによって 「楽しい」が生まれるのである。. (2>生活経験の中に組み込まれているもの。. これは、総則(1)の申で「発達に必要な体験を得ていくもの」8>の言葉にあるよ うに、幼児が普段生活している中での身近なことからそれをもとに考えていくことが できるという意味である。言い換えると、ザラザラの画用紙を触った時に、「このザ ラザラした感じは、カメを触った時の感触とよく似ているな」と、生活の申でカメを 触った経験を基に考えることである。 (3)幼児が興味を持っているものであること。. これは、総則(1)の中の言葉で「発達に必要な体験を得ていくものであることを 考慮して」9)の「考慮して」の言葉から読みとれるように、教師が普段の生活におい て幼児の姿をよく観察することで、幼児が今どんなことに興味を持ち、何を学ぼうと しているのかを捉え、次の保育活動ではどのようなねらいをもって活動を進めていく. 一11一.
(14) のかといった幼児の姿の先をあらかじめ予想しておくことによって、幼児期にふさわ しい生活の展開を可能にするということである。例えば、夏になると幼児があみを持 って木の所に集まってセミを採っている姿がよく見られる。近くへ寄っていくと、セ ミを採るとすぐ、籠の申に入れてみんなでセミをまじまじと眺めている。ここで教師 が「この子たちは本当にセミが好きなんだな」と思うだけで、その晴のやりとりの光 景を見過ごしてしまってはならない。幼児はセミが好きなんだなと感じ、すぐにそれ を絵に描いてみようと運んでいくことは、「発達に必要な体験を得ていくものである. ことを考慮」凹していることにはならない。この時の幼児の姿をどう捉えるかが重 要なのである。まじまじと眺めていたということは、セミの種類や生態に興味を持っ ているのだろうかと教師が考えたのであれば、次の臼には外へ持って行けるような小 さい図鑑を置いておくことで、幼児はそれを持って園庭に出ていき、気付いたこと、. 発見して驚いたことなどを教師に教えてくれたりするものである。ここで教師は、幼 児がセミを採って観察することで、何を学び得たのかを感じ取るのである。そして、. このような経験を後の造形活動に活かすためにはどんな教材を用意しようかと考える のである。. つまり、幼児をふさわしい生活に導くためにはその間の過程において、幼児が活動 にどれだけ夢中になって取り組めたかどうかが問題なのである。そのために教師が目 的意識を明確に持ち、その目的に向かって幼児を導いていくことが保育活動において 重要なことだと考える。. しかし、目的意識が明確でない場合には教師の中で「上手い絵を描かせたい」とい う気持ちが先行して、教師主導型で結果重視の保育活動になる傾向が強い。. 教師主導型で結果重視である場合の問題点は、教師の設定する目的を無理矢理押し つけようとしている為に幼児に無理強いを行い、その結果「やりたくない」「できな い」と言う点や、幼児が取り組んできた過程が軽視され三三の出来、不出来で評価さ れてしまうことが多く見受けられる。この場合の出来、不出来は保育者の期待する方. 一12一.
(15) 向に達したかどうかという評価であり、幼児がその活動に取り組んだことによって何 を学び得たのかということへの評価ではない。他方、領域「表現」に記されているね らいから大きくはずれて幼児が活動に必要だとされるものをすべて用意しておいて、 自由につくるということのみの活動になってしまうことも多い。. 従来の保育は、教師が頭の中で考えた保育内容を外から押しつけていたために、幼 児の自発的な活動を重視して、生活の中の遊びを中心とした保育を展開していこうと いう風潮になってはいるが、言葉一つ一つの中に含まれている意味をよく吟味せずに、. うわべだけの理解での取り組みになってしまっていることがわかる。一つの言葉にど のような意味が込められてあり、このことから幼児の姿をどのように想定しているの かを読みとっていく必要がある。. 一13一.
(16) 第2節. 「よりよい教育環境」とは. 幼稚園教育要領第1章総則1幼稚園教育の基本には、「教師は幼児と,の信頼関係を 十分に築き、幼児と共によりよい教育環境を創造するように努めるものとする」11> また、「その際、幼児の主体的な活動沸確保されるよう幼児一人一人の行動の理解と 予想に基づき、計画的に環境を構成しなければならない」12>とある。. この中に使われている環境とは、教師が幼児に直接与えられるものではない。教師 が整えた環境に、幼児が入っていくことによって、環境とのかかわりをもちながら、. 経験を積んでいき、自分で「楽しさ」を生み出していくことである。教師が設定する 環境とは、物を設定するだけの環境設定ではないことがわかる。 私が現場で勤務していた頃、このことを考えされられる事例がある。. 私は幼児が遊んでいる問に設定の時間に行う絵画活動のために、絵の具を溶いてい た。すると、幼児が何人か寄ってきて、私に尋ねた。「先生、何してるの?」私は「何. してると思う?」と幼児に言葉を返した。すると、幼児は溶いている絵の具をまじま. じと見つめながら「この色、きれいだね」「OOちゃんはどんな色が好き?」と幼児 同士で会話している。そうしているうちに、私の周りには幼児でいっぱいになった。 「何するのかな」「私はこの色が妊き」「私はこの色」「この色、前お花屋さんで見た. ことある。お母さんと行った時に見た」と口々に幼児は話している。私は、これだけ 興味を持ってくれているのだから、きっと絵画活動も喜んでやってくれるに違いない と心の中で思った。しかし、「はい、今目は絵を描くよ」今日の活動を提示してみる と「え一また絵を描くの?」「やりたくない」と想像していたようなよい反応が返っ てこないのである。. しかし、ある先生を見ていると私の展開とは全く違う幼児の反応をみることができ. 一14一.
(17) た。. T先生は、落ち葉を拾ってきてそれを畑に運んでいた。始めは先生が一人でせっせ と運んでいたが、そこに幼児が一人、二人と寄って来てT先生に何か話しかけている。. それでも、T先生は手を止めないでせっせと落ち葉を運んでいる。すると、それを見 ていた幼児が、「T先生、手伝ってあげようか?」と言葉を投げかけた。T先生は、 「ありがとう、手伝ってくれるのね、うれしいわ」と言って、幼児と一緒に落ち葉を. 運び続けた。それを周りで見ていた幼児が大勢寄って来て、T先生の落ち葉運びを手 伝い始めたのである。落ち葉運びは驚くほど早く終わり、T先生は手伝ってくれた幼 児に「ありがとう、助かったわ、これでおいしい野菜をみんなで食べましょうね」と 言うと、うれしそうに照れた幼児の姿があった。その顔は何だか得意気にも見えた。. そこには私が見たことがない幼児の姿があった。私とT先生の違いは、幼児の内面 を動かし、それをどう運んでいくかといった環境設定が考えられていたかどうかであ る。つまり、先生がせっせと動いていることに幼児が興味を持ったり、また教師と幼 児とのかかわりの中で興味を示すこと、これらを全部ひっくるめたものが環境なので ある。. このようなことから考えると、環境設定には教師の2つの役割がある。 (1)教師の二丁したしかけ(環境設定)の中に、どう入って来させるか (2)しかけ(環境設定)の中に入ってきた幼児をどのように方向づけるか つまり、教師の刺激の与え方、働きかけ方を環境設定するのである。. 嘱15..
(18) 第3節 遊びを通しての学び. (1)経験と思考. 幼稚園はあくまでも教育する所であり、自由放任翼的に遊ばせておくだけの施設で はない。そうであるならば、教師は教育者として幼児を育てて教育していく必要があ る。. 19世紀の終わりから20世紀のはじめにかけて、ヨーロッパやアメリカなどで旧 教育の教育課程の見直しと新しい教育方法の開発が進められた。それまでの教師中心 の画一的で幼児の関心、興味を無視した教育ではなく、幼児の毎日の生活経験から教 育を考えていくことの重要性が提唱されたのである。幼児は毎日様々な経験をしてい る。だからこそ毎臼の生活における経験を意味ある経験に変えていく必要があり、そ れには教師のカになるところが大きいといえる。この点についてデューイは「経験か ら学ぶ」13)ことの重要性として次の様に指摘している。これは、「我々が事物に対 してなすこと、その結果として我々が:事物を楽しんだり、事物からの苦しみを受けと. ることの間の前後の関係を明らかにする」14)ことである。人は何かを試みた時、そ こから何かを感じ取る。しかし、幼児の毎日の生活経験の中から教師が今、幼児はど んなことに興味を持ち、学ぼうとしているのかを察知し、それをもとに保育活動を組 み立てていくのである。つまり、虫を触って感じたことや、先生や友達、家族といっ た周りの人から聞いたことなど、その子にとって貴重な経験として心の中に残ってい くものを増やしていく。これらのことが今後の活動において、「イメージを豊かにす る」ことや、「工夫して遊ぶ」ことにつながっていくのである。そして、貴重な経験 として心の申に残っているものと、その時感じ取ったものが結びついた時、次の行動 を起こさせるのである。つまりデューイは、経験とは単なる行為ではなく、試みるこ. 一16一.
(19) とから受けとることの間の思考の過程であると考えていたことがわかる。「思考とい う要素をともなわなければ意味のある経験はあり得ない」15}ということは、「試み ることと受けとることの2っの面の結びつきが経験の実りの豊かさ、価値を判断する 尺度となる」16>ということであり、「経験」というものをどのように保育者が捉え ているのかによって、幼児が得るものが違ってくるということである。. 保育現場では、教師が幼児に様々なことを経験させようとしている。しかし、それ は経験させているだけで、その中に幼児自身が驚いたり発見したりすることはない。. それはただの体験である。幼児の本当の意味での「経験」とは、活動の中での驚きや 発見が後の活動に生きてくることなのである。この観点から見てみると、体験を経験 にしていくことの難しさを感じるとともに、経験の少なさを実感する場面が多く見ら れる。それは、教師が体験を幼児に一方的に与えるだけで、幼児の普段の活動を体験 から経験にしていくという考えがなされていないからだと考えられる。このように、 保育現場では教師が様々な活動を考えながらも幼児に教師の言う通りに従わせたり、. やらされているという傾向が見られ、幼児が主体的に活動に取り組んでいる姿は少な い。つまり、幼児が意欲的に取り組めるように、どのように活動に乗せていくかが闇 題になるのである。幼児の造形活動で求められることは次の点にある。 ①幼児主体であること ②自主的に取り組み、自分で考えること ③過程重視であること. 幼児の造形活動とは、幼児が自ら活動に入り、試行錯誤しながら解決の道筋を見つ けて、自己を表回していくζとなのである。これらの造形活動を実現させるためには、. 教師が幼児の気持ちに寄り添いながら幼児を主体とする活動のあり方、それにおいて の教師のあり方を検討する必要がある。. 一17一.
(20) 第2章. 「幼児期にふさわしい」保育活動のあり方. 第1節 教師の役割. (1)幼児教育の基本として. 1章では、体験を意味ある経験にしていくことの重要性について述べた。この項で は倉橋惣三(以下「倉橋」という)の述べる「生活へ教育を」17>から教師の役割に ついて考えてみる。「生活へ教育を」とは、普段幼児が生活している経験の中に教師 が教育的な目的を入れ込んでいくことで、幼児は気づかないうちに教師のねらいの中 に入って活動しながら目的を達成しようとするという意味を持っている。倉橋の保育 を視る視点は、従来の教師中心の保育の有様から幼児中心の保育の有様に変換させた 点に独自性がある。. では、なぜ:倉橋は「生活へ教育を」という言葉を提唱したのだろうか。それは、明. 治初期の保育内容や方法は、フレーベルの恩義が中心で、小学校の一斉授業のような 形で恩物心というものを並べ、そこで∼斉に保育を受けていた。しかし、倉橋はこの ような小学校式の一斉保育の形に、幼児の主体性を重んじた生活中心の賦しい保育の 考え方を吹き込んだのである。. 倉橋は、幼稚園に於ける教師の役割について『幼稚園真諦』の中で「幼児の生活に 対して常に気が利いているということ、これが先生の役目である」18>と述べている。. 気が利いているということは、教師が持っている目的を幼児に与えようとする方法を 模索することではない。これでは教師の意図が表に出てしまっていて、幼児は教師の 言われたとおりに従っているという感じがぬぐいされない。. 教師が表に出るというよりはむしろ、「先生の存在は、幼児の後ろにいて極めて目立 たないものでなければなりません」19)というのである。これは、所謂主体的な保育. 一18一.
(21) をみつめる視点を指した言葉であり、この点について倉橋の述べる点を具体的に挙げ てみることにする。. 倉橋は、幼稚園教育の原則として「自発的なるべし」「相互的なるべし」「具体的 なるべし」「習慣的なるべし」の4原則を挙げている。2。〉. 自発的とは、教師から提示されたものを機械的にこなしていくことでも、「やらね ばならない」と思うものでもない。「幼稚園に於ける幼児の生活は、他から強いられ. るものでなくして、幼児自らの心から発するものでなければならない」2Pと倉橋が 指摘しているように、自発的とは幼児自らが活動自体に興味を持って、しかけの中に 入ってきてそこで満足感を得ることなのである。. しかし、この満足感を得ることは容易ではない。教師がエンターテナーになって幼 児を喜ばせることや、ただおもむくがままに放任しておくことで幼児に満足感を与え ていると考えるのは教師の勘違いである。ただなんとなく「楽しい」だと、先ほど述 べた与え方でいいのかもしれないが、これは幼児が求めている満足感ではない。問題 なのは、教師の満足感の与え方である。正当な満足を与えられるように教師は保育を 工夫しなければならないのである。幼児に満足感を与えるためにはまず、幼児に教師 が活動の濤的を与え、そして教えるという上からの目線ではなく、幼児と共に学んで いくというあくまで対等な関係を築くことである。. 倉橋は『育ての心』の中で、「教育はお互いである」と述べ22>、また「幼稚園では 与えることより触れ合うことが多い。しかも、あの純粋善良な幼児と触れるのである。. こっちの与えられる方が多いとも思わなければならぬ」23}とも述べている。確かに 教師は幼児に知識を教える存在である。しかし、触れ合うことの多い幼稚園において は、知識を与えるだけが教師の役割ではないはずである。大人が思っている以上に幼 児は考えている。そのことにまた考えさせられ、教師も幼児と共に学んでいくのであ る。幼児と教師が互いに相互作用しながら関係を築いていく間にはもちろん教師が幼 児の心を受容することが含まれている。受容なしには幼児と教師の関係は成立しない. 一19一.
(22) といってよいだろう。. つまり、幼児にとって教師はどんな存在であるのか、そしてどのような役割を果た すべきなのかが問われているのである。また、倉橋は教師の存在について、「心もち を汲んでくれる人、その心もちに触れてくれる人だけが、幼児にとって、有り難い人、 うれしい人である」24)という。教師が「はい、どうぞ描いて下さい」と言うと、「描. けない」という幼児がいる。「どうして?こんなに説明したのに」と心の中で思う。. 幼児が「描けない」と言った気持ちを考えてあげることはない。心もちを汲んでくれ る人とは、幼児と一緒に寄り添ってくれる人であり、流れの中で目的を追うことばか りを考えている教師には見えない部分なのかもしれない。. 倉橋は、「かすかにして短き心もちを見落とさない人だけが、幼児といる人であ る」25>という。結果ばかりを気にして、その時の一瞬を見落としているのである。 いや、見えてはいるが、結果を急いで見ないようにしているのかもしれない。. しかし、この一瞬を見落とすことで、教師と幼児との距離がさらにひらいてしまっ たことを実感するのである。「先生、ここをこうしたい」と作品を持ってきてくれた 幼児がいる。「先生」と言ってきてくれた時に、「今、○○ちゃんと話してるからち ょっと待っててね」という。そのことを忘れていても、幼児は教師に侮も言ってこな いが、今度からその幼児は来なくなる。倉橋においても、「幼児が飛びついてきた。. あっと思う間にもう何処かへ駆けていってしまった。その子の親しみを気のついた時 には、もう向こうを向いている。私は果たしてあの飛びついてきた瞬間の心を、その 時ぴったりと受け止めてやったであろうか。それに相当する親しみで応じてやったろ うか」26)と、一瞬を捉えることの難しさを述べている。. これらは、毎霞の生活の共にかかわっていく申で、つくられていくものだといえる。. 毎霞の生活の中でっくられきた信頼関係があって、はじめて指導が生きてくる。. しかし、保育の意図が幼児に見えるような強い指導ではない。幼児には教師の意図 は見えないが、教:師の意図に導いている指導である。このような指導を、栞原昭徳は、. 一2◎一.
(23) 「隠れた指導をすること」という言葉で表している27)。「隠れた指導」をするために. 重要なこととして、指さしが挙げられる。この指さしがぶれると、必然的に教師のね らいも達成できない。ここで考えなければならないのは、何のために絵を描くのかと. いう目的意識である。少しでも、立派な作品をと、5歳児の幼児が小学生並みの絵を 描くことが目的になったりはしていないだろうか。幼児はこうした教師の思いを敏感 に感じ取っているに違いない。幼児は正直である。少しでも教師が強引に運んでいる と感じると、一瞬にして、意欲がなくなってしまうのである。. 倉橋は、保育の流れの加減について「決して流れを止めるのでなく、ときとして淀 ませてみたり、溢れさせてみたり、そのときの条件に従って(こちらの都合ではあり ません)流れていく水にいろいろの変化あらしめていくのであります」28)と述べて いる。これは、活動の中での幼児の様子を見ながら、その流れ方によってわざとらし くならないように、様々な工夫をしなければならないということなのである。. このように、倉橋のいう教師の役割とはまず、「はい、今からは幼稚園に来たのだ から先生の言うことを聞きましょう」と上から言う保育ではなく、幼児と一緒に考え、. つくっていく保育を目指すこと。その申で、幼児の心を受容し、心もちを汲みながら 信頼関係をつくっていく。そして、築いてきた信頼関係を基に、よい加減の指導をし ながら導いていくことだといえる。そこにはもちろん一人一人違う幼児の特性をより 広げていくための教師の努力が欠かせないのである。. (2)幼児期の教育と教師の関係. 保育を成立させる教師のあり方について倉橋の教育観を基に述べてきたが、問題点 が一つある。それは、保育評価がないことである。教師は幼児が主体的に活動できる ような保育を与え、幼児に働きかける。幼児はそれに対して反応を返してくれるはず である。それは良い反応ばかりではない。反応がない揚合や予想していたこととは三. 一21一.
(24) う反応が返ってくる場合もある。. しかし、反応が悪かったからといって保育を振り返って反省することなく、「今日 は幼児の乗りが悪かったのだ」と保育が成立しなかった原因を幼児に押しつけるので はなく、なぜ反応が悪かったのか幼児が動いてくれなかったのかを考え、改善策を立 てることが必要なのである。つまり、倉嬌には保育が成立しなかった時にこの次どう するのかといった具体的な記述はされていない。. どうずれば幼児が幼稚園が「楽しい所」だと言ってくれるのだろうと考えた時、幼 稚園に来ると自分の居場所があり、教師の温かいまなざしを感じながら好奇心に満ち. あふれて「こんなのを作りたい」f明目はあんなものを作ろう」と毎臼達成感を感じ させる場を作ることである。. しかし、実際の保育の現場に入ると「描きたくない」「できない」という幼児や、 話を聞かずに騒ぐ幼児もいる。このことについて吉本均(以下「吉本」という)は「ど. んなものの中にも『二人の自分』がいる」29)と述べている。これは、「描きたくな い」「できない」という幼児や騒ぐ幼児にも「描きたい」「できるようになりたい」「騒. ぎたくない」と思う㌧もう一人の別の自分が存在しているということであろう。このも う一人の自分と向き合う幼児をどのように見ていくかが教師の役割の本質であろう。. そのためには、教師が幼児をどのように見て、どのように感じて、どのように対応し ていくのかという働きかける技術(アート)を磨いていくことが教師の重要な役割だ といえる。. 吉本は「教師は、毎日、幼児と『まなざし』で向かい合い、かれらの身(心)に働. きかけるプロ」3ωだと述べている。そして、具体的なプロとしての働きかけの技術 (アート)として次の5つを挙げている31)。. 1、まなざしで向かい合う 2、語りかける 3、ねうちづける. 一22一.
(25) 4、指さしつづける 5、問いかける 例えば、絵本を読んで感じたことを絵に描かせたいとする。ギこの間、○○の絵本 読んだよ:ね、その中でおもしろかったのはどんなことかな」と幼児に尋ねてみる。し. かし、幼児からの反応が返って来ない。それどころか話を聞かずにザワザワしていて 保育にならない。この二合、毎日の生活の中で教師が幼児にまなざしをかけ、信頼関 係を築くことができていないところに語りかけているからであると考えられる。. 吉本は「幼児は毎日、教師によってまなざしをかけられることによって、自分をそ こに見つける」32>という。まなざしは、温かい時もあり、時には厳しいまなざしで あったりもする。例えば、作品をつくる時に少し不安そうな幼児がいる。そんな幼児 に教師が温かい微笑みのまなざしをかけることによって教師と幼児との関係が成立し たといえるだろう。. このように、温かいまなざし、厳しいまなざし、明るいまなざしも含めてのまなざ しを教師からかけられることによって、幼児は成長していくのである。また、吉本は 語りかけについて「『語り』には、何かある重たい内容を持っていて、ぜひそれを伝 えたいというものが存在している」33)と述べている。教師は、これをぜひ幼児に伝 えたい、わかってほしいという思いを持って語りかけているだろうか。例えば、幼児 が「この本読んで」と教師の所に本を持ってくる。何度も何度もせがんでくるので読 み始めると、数分もたたないうちに幼児がザワつき始めた。あんなに読んで欲しいと 言っていた本なのに、なぜ聞かないのだろうと思いがちであるが、これは教師の話が 単なるおしゃべりで幼児の心に響くものが感じられなかったのだといえる。. つまり、語りかけとは「一方的にしゃべるという「話」ではなくて、幼児の応答を 呼び起こし、幼児からの反応を見届けながらそれに応えていく」34>ことであり、そ れには語りかけが幼児の身(心)に響くものでなければならないのである。 教師は、造形活動においても「できる」「できない」、「上手」「下手」などのレッ. 一23一.
(26) テルを貼る評価をしてしまいがちである。幼児が「先生、できた」と持ってくる。そ して持ってきた作品に対して「上手に描けたね」と教師は言葉をかける。ねうちづけ とは、幼児が取り組んだ過程においてその度、幼児の様子を見ながらねうちづけして いくものである。幼児は、教師の少しの心遣いでやる気になったり乗ってきたりする が、喜んでいても指さしがぶれたり、ねうちづけがなかったりすることで描こうとす る意欲がなくなってしまうものである。例えば、絵を描く時の道具がどこにあるかわ からないでうろうろしている幼児がいる。友達がその子の手を取り、ここにあるから これを持って行って描くんだよと教えてあげている。この時に教師は「○○くん、教 えてくれたのね、ありがとう」とこの友達がした行動に対してねうちづけをするべき なのである。. このようなねうちづけを積み重ねていき、最後に幼児が達成感、満足感を感じさせる ことが教師の最大の目標だといえる。. 「教えるという行為は、一点の指さしである」35>という。それは、ギ対象をつか んで与えるものでもなく、自然のまま放っておくことでもない、対象を正確に指すこ と」36>なのである。例えば、良い作品をつくらせることがねらいだとする。すると、. 教師はfこういう作品をつくらせたい」という理想があるために、それに沿った正答 を導き出すような問いかけにもなり、語りかけにもなる。しかし、幼児が思考するこ とをねらいとした時、同じ語りかけ、問いかけでも教:師のねらいによって違ってくる. はずである。教師は活動に入ると、ついねらいが何であったかを忘れ、違うねらいに 傾きがちであるが、これを忘れてしまうと幼児が「やらされている」と感じ、活動が 成立しなくなる。この指さしが活動の最後までぶれないことが幼児をねらいに導き、. 達成感、満足感を与えるために不可欠なことなのである。この時、留意する点は指令. された対象からは一点の距離を保ち遠く離れた地点から対象を相手に示すことにあ る。つまり、指さしは強すぎても弱すぎても幼児は動かない。ちょうどよい加減で幼 児が自らそこに引き寄せられるような指さしが必要なのである。 教師の問いかけに. 一24一.
(27) 対して、幼児の反応がない時がある。反応がなく沈黙している場合、教師はその反応 がよい反応であるのか、よくない反応であるのかを、瞬時に判断しなければならない。. 本来「問いかけ」は「一つの正答を求めるのではなく、多様な解決や対立した理解を 引き畠すこと(一問多答)を目指さなければならない」37)のである。しかし、保育 現揚において教師がお目当ての答えが鵡るまで「他にないかな」と尋ね、お目当ての 答えが出ると「そうだね、○○だね」と正しい答えを言うのである。だからこそ教師 が知っていることを幼児に問うという問いかけではなく、この問いには間違いがない と思わせるような問いかけが必要なのである。. このように、どの答えにも間違いがないと感じ、幼児から多様な答えが出ることで 能動的な活動が成立するための旧いとは、「問いの内容が幼児に届くもの」「思考せ ざるをえないようにする問い」の2点に留意して考えられなければならない。. 幼児の造形活動は、一つの答えを与えたり、教えたりするものではない。また、一 つの答えを出すことでもない。むしろ、教師の伝えたいものが幼児の知りたいと思う こと、やってみたいと思うことへ転化され、広がっていくことが造形活動において重 要なことなのである。以上のように、幼児の身にかかるようにするためには、教師の ねらいにおける活動の組立ての工夫がされていなければならないのである。幼児の身 にかかるとは、幼児自身の目で見て、体で感じたい、そしてその自分を認めて欲しい と思う気持ちを、どれだけ教師が汲んであげることができたのかということであろう。. そこには教師と幼児との信頼関係がある。それは、本気でぶつかってくる幼児に対し て、その場しのぎの適当な言葉であったり、思い通りにならないことへの苛立ちがあ るような保育である限り存在し得ないものである。ここに教師の教育観が問われてい るともいえるだろう。. 一25一.
(28) (3)造形活動における「指導」とは. 幼児の「描画活動」は、幼児の想いを最大限に表現させることが目的であるとする ならば、教師の意図通りに描かせようとする教師主導の指導観を改め、幼児主体の描 画活動の手立てを工夫しなければならないことになる。. 幼稚園教育要領解説には、「幼稚園生活を通して、個々の幼児が幼稚園教育の目標 を達成していくためには、まず、それぞれの発達の時期にどのような経験が必要かな どを見通して、指導の内容や方法について予想して指導計画を立てることが必要であ る」38)とある。. このことから幼児の描画活動の基本は、自分の生活体験をもとに、自己主張、自己 表現をさせることにあるといえる。この観点から「指導」とは①指さし導くこと②教 え導くこと、をどのように幼児達に体感させるかが留意点であり、「指さし」とは、. どこを指し示しているかが問題となる。幼児の描画活動の場合、この脂さし」は「心 象表現」を示しているといって良いと思うが、無意識のうちに作品の出来映えに意識 が向いてしまい、制作過程での幼児の気持ちは無視しがちな傾向にあったといえるだ ろう。この点について、現職の教師の意見は「絵の指導は、出来上がった作品の結果 ばかりに目を奪われ、そのような作品を完成させるために大きく描く、細部まできち んと描く、筆使いを丁寧に、雑な線を描かない、人の真似をしない、空白の場所を埋 めるといったようなことを、幼児達に要求していた。絵に込められている筈の幼児の 気持ちに対しては、あまり省みなかったように思う」というものであった。そこでは、. 幼児達が絵を描きあげ、教師に提出する時、教師がその出来上がった絵を通して、幼 児達の気持ちを受け入れることを第一義とするよりも、教師の描画活動への取り組み の証としての評価が前面に出過ぎていたと思える保育を行っていたとの述懐になって いるようである。この反省から「指導」を考えるならば、幼児が活動することの出発 点は、心身の健全な発育と学ぶ楽しさを知り、自ら学ぶ態度を育てることにあろう。. 一26一.
(29) 学ぶ楽しさを幼児に知らせようとする指導に教師の細やかな気配りがなされなければ ならないのである。即ち教師は幼児達を指導するために、「手段と指導」を問いかけ ていくことが、幼児を「指導」することになるのであろう。このように指導とは、「さ. まざまな可能性のうちから、いずれか一方を自ら選び取るように、呼びかけることで ある。他者からの「呼びかけ」に「自ら選びとること」で「応える」内面のドラマを 喚起せねばならないものなのである。教師の外からの「呼びかけ」に幼児が「応える」、. そうしたのっぴきならない緊張関係「呼応のドラマにおいて、指導は機能する」ので ある。. 一27一.
(30) 第2節 教材観について. 幼稚園内における幼児の活動を分けると、幼児が主体になって行う自発活動と教師 が選んだ課題を中心に行う課題活動に分けてみることが出来る。「教師の指導計画に よる課題活動」から表題に掲げた教師の援助のあり方について考えてみると、造形活 動のねらいを効果的にするためには、保育観、ねらい、教材解釈、教師の教授方法が 大きく左右しているといえる。. 保育観とは、教師が幼児に幼稚園での生活を通してどのように育って欲しいのかと いう願いである。クラスの担任をもつ時に教師は、このクラスを「こんなクラスにし たい」という願いをもつはずである。. 例えば、一人一人がやさしい心をもつクラスに育てたいと担任が願いをもったとす る。このやさしい心を担任が、友達と仲良くしたり、おもちゃを貸してあげたりする ことのやさしさと捉えるのか、花を見て「きれいだな」と感じたり、友達の様子がお かしいと感じたら、「大丈夫?」と声を掛けたりと、やさしい心を広く捉えた場合で は、教師の幼児を見る目も違ってくると同時に、かかわり方も違ってくるのである。. 造形活動においても「やさしい心を育てたい」という教師の願いは同じである。教師 の保育観は、あらゆる場面においても反映されるものなのである。. 幼児が幼稚園に登園してくる途中に、花を見て「きれいだな」と感じ、それを摘ん で持ってきてくれた時、その子が花を見て「きれいだな」と感じた心を大切にするこ とが、その子にとって意味ある経験になり、この経験がやがて造形活動に結びつく時 がくると考えるのである。幼児は園生活の中で、感動したり、驚いたり、悲しんだり する。やさしい心をもつということは、園生活の中で様々な経験を積んでいくことで 生まれる心であり、そのベースは教師が保育観を持ち続けるという大きな土台がある ことを忘れてはならない。. 一28一.
(31) ねらいとは、保育活動を行うにあたって教師が幼児に「こんなカを身につけさせた い」「こんなことを学ばせたい」という目標のことである。この目標は、普段の幼児 の姿から「この子たちは今、こんなことに興味を持っているのだな」そして、その遊 びでこんなことを「不思議だな」と感じたり、驚いたりしているのだなと捉え、であ るならば次は「こんなことを目標にして活動を組み立てよう」とすることである。 例えば、幼児の姿を最近は身の回りの現象や嵐来事に敏感に反応するようになり、. 感じる心が育ってきていると教節が捉えたとする。であれば、次の活動では日常での 経験を活かして様々なことを考えられる幼児になって欲しいと設定するのである。こ の時、教師が気をつけなければならないことは、ねらいはあくまでも幼児の普段の姿 を捉えることから始まるものであり、教師が幼児の実態を無視して設定するねらいは、 教師主導がすでにそこから始まっているといえる。. 教材解釈とは、この教材にはどんな遊び方(使い方)があり、どんな展開をしてい けるのか、そして、この教材に取り組むことによってどんなことに気付き、考え、学 ばせることができるか、このような要素をたくさん含んだものといえる。まず、教材 を決める時に一番大切なことは、その教材が幼児の生活に身近なものであるかどうか ということである。もし、教師が幼児の経験とは全くかけ離れたものを提示してしま うと、幼児の反応が返ってこなかったり、「やりたくない」という反応になってしま ったりする。. この子たちはこの絵本がとても好きだから絵本を読んだ後に、絵を描かせたりする が、よく似た絵だったり、全く違う絵を描いていたりする。しかし、考えてみるとそ もそも幼児がこの絵本を好きだから描かせたいと思い、教材にもってきたことはその 教材を解釈したといえるのだろうか。この点についてデューイは、「未成熟者の現在. の経験のなかに含まれている意味の実現を助長するための教材の機能とは切り離し て、教材をただそれだけで何か価値あるものとして持ち出してくる傾向がある」39) と述べている。. 一29..
(32) 教材とは、「幼児がその活動に興味をもって、能動的な活動ができるようになる役 割を果たしている」4ωのである。つまり、教材の中には幼児が取り組んでいく中で 自分がやっているものをもっと発展させたい、知りたいと思える要素が含まれている のかを幼児の普段の姿から考えていくことが教材解釈なのである。. 教師の教授方法は、「この教材を提示した時にはこの子はこう考えるな」と幼児の 先の姿を予想し、「こんな発問を投げかけてみよう」と、与える教材を幼児にいかに わかりやすくったえることができるかを探ることである。. 例えば、「運動会」を今日の保育活動の教材とした時、教:師は幼児に「今日は運動. 会の絵を描くよ」と提示したとする。これは、教師が教材を幼児にストレートに与え てしまっている。教材をストレートに与えると、返ってくる幼児の反応は様々である。. 教師としては、この教材を提示した時に「おもしろそう」「やってみたい」という反 応が返ってきて欲しいと期待するものである。そのためには、この「運動会」という 教材を幼児にわかりやすく提示することを考えなければならない。例えば、「運動会 って何する日かな?」と教材の提示の仕方を少し工夫することで、幼児からは様々な 答えが返ってくる。. ・薪しい靴を履く日. ・みんなでお重のお弁当を食べる日 ・おじいちゃん、おばあちゃんに会える日. など、もちろん玉入れや綱引きをする巳と考える幼児もいるだろう。. 教師の教授方法とは、教材をいかに幼児にわかりやすく伝え、「やってみたい」と 思わせるような運び方を考えることである。. この点に配慮していない造形活動では保育効果をあげることは期待できないといえ る。. 一般的に課題活動では教師がこの単元で達成させたいねらいを幼児に伝えること (導入)から始まるが、その抽出によってその後の造形活動の効果が大きく変容する. 一30一.
(33) ことが多い。この点について現場の教師に聞いてみると、多くの場合、教師の発問、 指示によって幼児が誘発され、動く場合が多いという意見が大多数を占める。もし、. 教師が活動を誘発する時、幼児に理解不可能な言葉、言い方であったとしたら、教師 のねらう活動目標の達成は出来ないという意見も多い。. 教師が幼児に伝えることは通常教師の設問(発問、指示)によるが、発問と指示は 「幼児に情報として示す機能」を有している。その意味するところは異なっていると 考えられる。即ち、発問と指示は次のように定義できる。 ・発問一 幼児の考えるべき内容を示す ・指示一 幼児が考える形態を示す. 何を経験したらいいのかを示す どう経験したらいいのかを示す. また、発問というのは一つには授業で取り扱う内容から規制されてくる。もう一つ には対象にする幼児の実態からも翻約を受ける(その生活経験、先行経験、既有知識、 探求や発見によって学ぶ学び方、前提となる基本的学習機能など)。. この二つの規定因をからませながら、教師が活動目標を実現していくための具体的 な手だて、それが発問であるとするならば、発問とは教師の働きかけの仕組みであり、. 教師の問いかけによって幼児がどのように動き、考え、表現するかの構想を含んでい るものといえる。. 言い換えると、発問という具体的な核が入らないと教師の期待する活動展開へとつ ながらないという見方が出来る。. 一31一.
(34) 第3節 受容する存在としての幼児. 保育活動の中で、幼児という存在は教師の働きかけに反応を返してきてくれる存在 である。その反応は、教師が働きかける内容によって「反応」になったり「応答にな ったりするものである。. 「反応」とは、「こんなふうにするんだよ、わかりましたか?」の教師の言葉に幼 児が「は一い」と返事をするような反射的なものである。保育活動の過程で、教師の 投げかけた言葉に対して「反応」を返していると考えられる場面を取り上げてみるこ とにする。. 研究の方法 実施園. 公立Y保育所. 日時. 平成19年6月11(月)10時∼11時. 対象児. 5歳児12名. アーマ. 時間. 17”34. 「かなへびくんの赤いながぐつ」のお話を描こう. 教師の言葉がけ. 幼児の反応. そしたらね、今臼はね、シート敷いて 画板も出ました。ポスターカラーでね 絵を描いてもらうんだけどね。. (反応あまりなし)。. この間、○○くんだったかな、あそこ の裏の所で何か見つけたよね。. 一32一.
(35) 「か」がっくもの。. かい?. 18”03. かい?. カニ?. カニ?(首をかしげる)庭で見つけた. かだん。. ”05. ”10. のよ。. 花壇で何か見つけた?. かなへび。 特14. あっ、そうやな。. ○○くんが見つけて僕が取ったん。. あっ、そうか。. かなへびくんが出てく.るお話でこの聞 遊んだよね。. うん。. 梅ていうお話やつたっけ?. かなへびくんの赤いながぐつ。. 18唇141. あっ、よく覚えてるね。. かなへびくんの赤いおうち。. お家やった? ながぐつ。. そうやね、赤いながぐつやね、よく覚 えてたね。. ながぐつやった。. 一33一.
(36) 18,璽45. じゃあね、かなへびくんの赤いながぐ つでホールとか部屋で遊んだときにね どんなことがおもしろかったか、ちょ っと教えてくれる? じゃあ、教えてくれる人。 (手を挙げる)。. 玉9壁奮07. 19秤11. じゃあ、○○くん立ってくれる?どん なことがおもしろかったかな?. みんなが、何か歩くところがおもし. 19”22. ろかった。 肇璽25. (うなずく)何になって? かえる。. 鱒28. かえる(うなずく)。. かえるとか… 響管34. 。. じゃあ、他に。 (手を挙げる)。. ”38. (指をさす)。. 隣りにいる○○君を手でなだめる。. 何か、遊ぶのが楽しかった。. 槻39. どんなことして? あの…. 。. 聞こえへん。. まず、教師の最初の「ポスターカラーで絵を描いてもらうんだけどね」の提示に、. 一34一.
(37) 幼児の反応が少ない。そこで教師は「この間、○○くんだったかな、あそこの裏の所 で何か見つけたよね」「『か』がっくもの」と今日描いてもらう絵のヒントを投げか けた。すると、幼児が「かい?」と反応し、教師が「かい?」と返すと「カニ?」「カ ニ?庭で見つけたのよ」「花壇で何か見つけた?」「かなへび」「あっ、そうやな」と. 教師が出したクイズに答え、正答を当てるようなやりとりになっている。 また、教師の「どんなことがおもしろかったか教えてくれる?」の問いかけに、「み. んなが歩くところがおもしろかった」と幼児が答えた。その答えに対して教師は「何 になって?」ともっと具体的に答えるように促している。その質問に幼児は「かえる」. とだけ答えた。その後に発表した幼児も、「何か遊ぶのが楽しかった」の答えに教師 が「どんなことして?」とさらに具体的な内容を教えてくれるよう言葉を投げかけて いる。この例からいえることは、教師の投げかけた言葉に対して幼児の反応は教師か ら投げかけられた質問に答えるのみの反応になっていることである。一見教師と幼児 とのやりとりが成立してそうに見えるが、教師の投げかけに刺激を受けた幼児の姿が 見られない。. 次に教師の投げかけた言葉に対して幼児が応答を返していると考えられる場面を取 り上げてみることにする。. 研究の方法 実施園. 公立Y保育所. 日時. 平成19年8月7日(火). 対象児. 5歳児12名. アーマ. かみなりさんに会いに行くためにはどうしたらいいかな. 時間. 幼児の反応. 教師の言葉がけ. 一35。.
(38) 131124. どうしてもプールに行きたいから、. かみなりさんの所まで行ってお願い しに行こうかと思うの。でも、どう. やったらこの雲の上まで行ったらい 13,畢27. いかわからないんだけど。. 飛行機。. 飛行機で飛ぶ、それかロケット。. 興31 聖響33. 飛行機?. 聖壁33. ロケット?. “37. おなら?おならで飛ぶ?. 噂璽39. ブーツて?(笑). 璽,42. 何?何?風船持って?. 榊43. 風船持ってお空まで?. 1趣54. ○○くんのちょっと聞いてあげて。. ロケットか、それかおならして飛ぶ。. 風船持ってビューって。 (一斉に言っている)。. そんなことよりなあ。. 10個持っていったら?. 鱈57. 10個持って行ったら1個割れても 互4縣06. 飛んでいけるもんな。. なあ、じゃあカラスに割られたら? 全部カラスに割られたらどうするの?. じゃあ、100個持っとったらええん ”16. 100個!?. ちゃうん。. 鱒17. 無量大数もつとったらええやん。. 鱒25. ユーフォー一乗って行ったらええや. 聾2フ. ユーフォー!?. ん。. このやりとりの中からわかることは、教師の投げかけた「雲の上まで行くにはどう. 一36一.
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