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新葉和歌集と本歌取り

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Academic year: 2021

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( 注 亡巧

-48 -莱

新薬和歌集と本歌取り

はじめに て み る と ' 1 七 ・ 六 パ ー セ ン ト に な る 。 いま'試みに鎌倉時代以後に成立した勅撰集における本歌取りの 南朝北朝大動乱の最中、南朝方で撰ばれた準勅撰集 ﹃新薬和歌 集﹄に関して'書誌'歌風等についてはさまざま叱説かれている が'修辞的技巧(ことに本歌取り)の面においてほ'まだ十分考察 が進められていないよ-である。﹃新薬集﹄の歌の特質は'久姶潜 一博士が'「歌として.の特異な表現とい-よ灯は,その題材や精神 において吉野時代の悲壮な情緒が-たわれた所にある」(﹃和歌史﹄ 第三巻)と説かれているとおりであるが'その「吉野朝の君臣1体 の悲壮なる精神」 (同)がどのよ-に表現されているかを'本歌取 りの調査を通して明らかにしてゆきたいと恩-。 比率を誌してみると'次のよ-になる。(ただLt のや本説取りはこの統計のなかに入れていない。) 漢詩を踏んだも L r L r新案集」の歌数は流布本によれば'1四二〇首であり'この-ち本歌取りの歌は二四九首にのぼり'総歌数に対する百分比を求め

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-49-一 ' T i . オ 1 . T プ . T -ノ L l   ′ レ   J E Z 石 . 山 一 1 プ レ ー ヽ Y , レ 「 イ ー ー ノ   山 肌 r l V J 7 川 」 、 〃 -      1   「 レ ト ー ー ( 1 -. し . -  1 ` 勺 . . ′     . t   ′ し   . ち本歌取りの歌は二四九首にのぼり'総歌数に対する百分比を求め 続     千     載   集 一 六 六 首 七・七三% 風 雅 莱 袷 育 新 葉 集 ということになり'﹃新勅撰集﹄とはぼ洞率になるのみか'南北朝 時代の二条派の手になるどの勅撰集よりもはるかに数値が上回るの である。二条派の歌風の噂矢となった﹃新勅撰集﹄の特色に'多大 の時を隔てて回帰したのが﹃新薬集﹄であり'その意味でも'同集 は特異な集と呼ばれてもしかるべきであり'「ある程度生理的激情 に即した自由さを持っている歌集であり'多少とも因襲にこだわら ない'はつらつとした生気を含んでいる」 (増補新版 ﹃日本文学 史﹄2)ことと通じあ-点がある。 後拾遺寒三首 金葉菜一首 詞花集l首 千載集三首 新古今 集二〇首 新勅撰集六首`伊勢物語l首 大和物語一首 源氏 物語七首 狭衣物語1首 夫木抄一首 で あ る 。 これによると、﹃古今集﹄の歌がもっとも多く本歌に取られてい るが'これは'勅撰集の伝統によるものであり'ありふれた現象だ としても'これを内訳にしてみると' 春 上 -八   春 下 -八   夏 -八   秋 上 -四   秋 下 -四 ( 計 ≡ 二 首 ) 賀 」 二   離 別 -二   寄 旅 -五   物 名 -四 ' ( 計 二 二 首 ) 恋 1 -一 〇   恋 ニ ー 四   恋 三 -九   恋 四 -八   恋 五 -九 ( 計 四 〇 首 ) 哀 傷 -三   雑 上 -一 〇   雑 下 -一 〇   雑 鉢 -七   大 歌 所 御 歌 -八 ( 計 三 八 首 ) 四季の部と恋の部を除いて'他の都立の歌を合計すると、五一首と なり'比較的雑歌を本歌に取る場合が多いよ-であり'これが﹃新 ● 薬集﹄の歌の本質ともっとも深-関連している観がある。 n M 山 [ 削 ハ ﹃新葉集﹄が本歌にしているのほ' 万葉集10首 古今集〓頭首 後撰集1六首 拾遺集九首 それでは、誰の歌が頃繁に本歌に取られているかといえば'六三 名匠のぼる作者の-ち' 読人しらず七三首(四回本歌となるもの1首'三回本歌となる

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- 50-もの四首、二回本歌となるもの〓一首) 在原業平1五首(三回本歌となるもの二首) 壬生思考七首(二回本歌となるもの二首) 伊勢六首 素性法師五首(二回本歌となるもの三首) 小野小町四首(二回本歌となるもの一首) 紀貫之三首 平定文三首 紀友則三首 柿本人麿三首 清原深養父二首(三回本歌となるもの一首) 天智天皇二首(二回本歌となるもの二首) 藤原敏行二首 凡河内窮恒二首 藤原顕輔二首 ( 以 下 省 略 ) ﹃詞花集﹄の撰者顕輔の歌を本歌とするものもあるが'それはさ ておいて'﹃新菓集﹄においても'在原業平の歌がもっとも好まれ ており'それについで'﹃古今集﹄の撰者時代の歌が愛好されてい る。その点'﹃新案集﹄も'代々の勅撰集と軌を1にしているとい えるが'問題はこれらの作者の歌を如何,d利用しているかに存する であろう。 [ 叫 ≠ ︼ ﹃新葉集﹄には'恋の歌に本歌取りの作が多い.二条京極両派の 対立期以降に編まれた勅撰集に含まれる恋の歌の百分比を求めてみ ると'次のとおりである。 この調査表でみると' ﹃ 続 後 拾 遺 集 ﹄ の比率が一番高-'﹃新葉 集﹄がこれにつぐが'﹃新拾遺集﹄を除けば、﹃続千載集﹄が﹃新 葉菜﹄にもっとも近い。﹃和歌文学大辞典﹄がいっているように、 ﹃新葉集﹄は﹃続後拾遺集﹄をつぐものであり'かつ都立は﹃続千 \ ヽ     ヽ / ヽ . し

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 51 -載集﹄にもっとも似ているところから'これらの勅撰集の体制を宗 良親王が意識して踏襲したものであろ-。このことは'﹃新葉菜﹄ が「固定的和歌的視野の範囲内で平淡な詠じ方をした二条家風であ る」(﹃和歌文学大辞典﹄)との評を蒙る1因ともなっていよ-。 企 U ここで'視点を転じて'どのよ-な歌が多-本歌に取られている かを見てゆ-ことにしよ-.(括弧内の数字は本歌取りの回数であ る 。 ) (四)尋ねてもわれこそ訪はめ道もな-ふかき蓬のもとの心を (﹃源氏物語﹄ 蓬生) (≡)人やりの遺ならなくにおはかたはいき-しといひていざ かへりなむ(﹃古今集﹄ 源実) (≡)名にしおほほいざこととはむ宮こどりわが思ふ人はあり やなしやと(﹃古今集﹄ 在原業平) (≡)人しれぬ思ひやなぞAJぁし垣のまちかけれどもあふよし のなき(﹃古今集﹄ 読人しらず) (≡)すまのあまの塩やき衣をさをあらみまどはにあれや君が きまきぬ(﹃古今集﹄ 読人しらず) (≡)月やあらぬ春やむかしの春ならぬわが身ひとつはもとの 身にして(﹃古今集﹄ 在原業平) (≡)世の中はなにかつねなるあすか河昨日のふちぞけふほせ r R ヰ ト フ ﹄   払 い . . 8 1 、 ( . I V   司 . , l t q /       u 一 諌 H l E l T t l . マ ノ J u t ノ つ 7 ト . . < ノ ﹄   T < 1 、   .   J J . ノ   .   、 〃 V ﹃新薬集﹄は﹃続後拾遺集﹄をつぐものであり, ′かつ都立は﹃続千 になる(﹃古今芽﹄ 読人しらず) (≡)ひかりなき谷には春もよそなればさきてと-散る物思ひ もなし(﹃古今集﹄ 清原深養父) (≡)もがみ河のぼれば-だるいな船の小なにはあらずこの月 ばかり(﹃古今集﹄ 東歌) (二)木の間よりもり-る月の影見れば心づ-しの秋は来佐け り(﹃古今集﹄ 読人しらず) (二)今こんといひしばかりに長月のありあけの月をまちいで つるかな(﹃古今兼﹄ 素性法師) (二)わが庵は三輪の山本こひし-ほとぶらひ泉ませ杉立てる 門(﹃古今集﹄ 読人しらず) (二)君をおきてあだし心をわがもたば末の桧山狼もこえなむ (﹃古今集﹄ 東歌) (二)忘るなよほどは雲居になりぬとも空行-月のめぐりあふ まで(﹃拾遺葉﹄ 橘忠常) ところが'﹃新古今集﹄でもっとも娯繁に本歌に取られている、 五月まつ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする(﹃古今 集﹄ 読人しらず) が一回のみ' さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫(﹃古今 集﹄ 読人しらず) は一回も本歌に取られず'かつ'﹃新勅撰集﹄やその他の勅撰集で もっとも親衆されている'

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-52 -ありあげのつれなく争えし別れよりあかつきばかりうき物はな し(ヨロ今集﹄ 壬生思考) もまったく利用せられていない。 これを通観すると'もとより﹃新薬集﹄独自の本歌取りの手法も 認められるけれども'比較的新古今的な方向に傾いており,新勅撰 撰的な智巧的な手法も見られな-ほないにしても,新薬歌人は感傷 的な要素の強い本歌を好んで取り上げる傾向にあるといえる。 ﹃新薬集﹄が雑の歌を多-本歌に取っていることも,「離別・帝 旅・哀傷・雑には悲壮な歴史がまざまざと書き現され」 (西下経一 ﹃和歌史論﹄)ていることの裏付けになるかと思われる。換言すれ ば'﹃新薬集﹄の本歌の取り方は'二条派の規範たる覇勅撰集﹄ 的な取り方ではなくかえって'﹃新古今襲﹄のそれに近いという ことができ'単に平換美を追求しているのではないといえよう。 コ 劃 H いとど猶もとこし人や訪ほざらん木の葉ふりし-蓬生の宿(前 大納言光任女) 人ほほや通ひ絶えにし蓬生のもとの心に松虫の鳴-(右兵衛督 成 直 ) 尋ねても訪ほれし事は昔にて露のみ探き蓬生の宿(関白左大 臣 ) 蓬生のもとこし道は変らぬにいかにかれゆ-契りなるらん(前 大納言実為) この四首は'﹃源氏物語﹄蓬生の巻の「尋ねてもわれこそ訪はめ 道もな-ふかき蓬のもとの心を」からの本歌取りであるが,本歌の 詞を裁ち入れて情緒を複雑化せしめ、物語的な浪漫性を湛えるのに 成功している。こ-なると'もはや平板な二条家風とはいいがたい ものであって'新吉今風を思わせるものである。﹃新葉集﹄の恋の 歌がすべてこのよ-であるとい-のではなく平淡美の歌が中枢を 占めている観があるけれども'かかる物語的性格の歌が詠まれ得た のは'結局'本歌の取り方如何によるものであって,量的にははな はだ少ないが'新古今的な取月方が回復されているというべきであ ろ六ノ。 当時'冷泉派に近い歌風を打ちたてていたといわれる花山院長親 の次のような本歌取りの作品にも' 春来ても川風さむしみかの原たつやかすみの衣かせ山 はのかなる闇の-つつの三戸は夢にま㌢らぬ時鳥かな 待ち出づる月は夜寒の有明望De)しばかりと打つ衣かな それが窺われる。 I I ﹃和歌史論﹄の著者は'「新案集には風雅の常道を地盤として悲 壮がよまれてゐる」と説いているが'「風雅の常道を地盤」とする ことを本歌取りと考えるならば'その手法によって,いかなる悲壮 感があらわれるに至るのであろ-か。有名な' 気分醸成に参与して複雑な物語的情趣を形成している」(﹃和歌文学

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-53-蓬生のもとこし道は変らぬにいかにかれゆく契りなるらん(前  ことを本歌取りと考えるならば'その手法によっ√て'いかなる悲壮

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' ' . . _ _ " . 。 ∵ . I . . I . . . . , i . , . . . . , . . . , . . . . ︰ = ⋮ 一 、 ,   = , . ︰ . , I . . . 1 " I . . . . l ⋮ , . , , . . I . . . . . . . . I . , , . , . . . . . , . . . . , . . , . h . . . . . . . 三 . ⋮ , , l をさまらぬ世の人ごとのしげければ桜かざしてくらす日もなし ( 長 慶 天 皇 ) これは'「ももしぎの大宮人はいとまあれや桜かざして今日もく らしっ」(﹃新古今集﹄ 山部赤人)に拠っているのである.本歌が 「時間的な回顧的な詠嘆のなかに新古今的な浪漫性」 (安田章生博 士﹃新古今秀歌﹄)を漂わせているのに対し'長慶天皇は,本歌の第 四・五旬を逆に取ることによって'平穏無事な日々を送ることの不 可能な動乱時代の天子の感懐を打ち出しているのである。もとは り'題詠ではあるが'題詠とい-枠をつきぬけた'「生活体験に ぅちづけられた素直な行情が見られる」(﹃和歌文学大辞典﹄)のであ る。同じ帝王の身で'同じ本歌に発想を求めて'伏見院の詠じた, さくら花はやさかりなりももしぎの大宮人ほいまかざすらし ( ﹃ 続 千 載 集 ﹄ ) とは'異った詠み方をしているところにも'それは,窺えよう。 霞めただ春や昔の形見とて見れば涙の古里の月(権中納言経 高 ) この歌が「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身 にして」を本歌にしていることほい-までもあるまいが,かの﹃伊 勢物語﹄の妖艶を極めた舞台は消えさって'跡に残るのは,ただ古 壁(京都)を偲ぶ涙である。これと﹃新古今集﹄の俊成卿女の歌, 面影のかすめる月ぞやどりける春や昔の袖の涙に と比較してみるに、ともに題詠であるが'後者は,「本歌が1首の 大辞典﹄)'「妖艶の美のたちこめる中に,.物語的浪癌性がある」 (覇古今秀歌﹄)のに対し'後者は,気分醸成に参与するよりもむし ろ'懐旧の気分が逆に本歌を利用しているよ-に田芸れる。したが って'単なる机上の作ではなく作者の実情実感,京都を遠-離れ た地に暮らしているだけに'「切実なる真実感」(﹃和歌史論﹄)を含 んでいるといえる。このとき'本歌取りは一首に悲壮感を盛るべき 媒材となっているのである。こ-い-手法は﹃新薬集﹄独自のもの ■ であって'数こそ少なけれ、特色ある作品が生み出されるに至って い る 。 我宿とたのまずながら吉野山花になれぬる春もい-とせ(長慶 天 皇 ) さらば身のうき瀬も変る飛鳥川涙加はる五月雨の頃(尊良親 王 ) 伊勢の海に沈まは沈め身のほてよつりの-けなるさまもうらめ し(宗良親王) これらは'「二条派よりも寧ろ京極派の人々が詠みさうに思われ る」 (大野木克豊 岩波講座日本文学﹃新薬和歌集﹄)歌であるが, 本歌取りの作品であって'元弘の変以後の感懐が雄勤な調べのうち に沈潜している。 . '甘 いn

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心.,, iコ -54-/ ノ ー ー \ 思ひきや手も触れざりし梓弓起き伏し我身慣れむものとは(宗 良 親 王 ) これは'﹃新菓集﹄の詞書によれば'「あづまの方に久し-侍り てひたすらもののふの道にのみたづさはりつつ征東将軍の宣旨など も恩ひの外なるや-におぼえて」よんだ歌であるから'′もとより題 詠ではなく典型的な機会詩である。だが,・その場合でさへ,この 歌は'証歌のある語句が用いられているのである。﹃古今集﹄の紀 貫之の「手もふれで月日経にけるしらま弓おきふし夜ほいこそ寝ら れね」が本歌になっている。後者は,恋の歌であり,手馴れた技巧 的な歌であるが'前者は'本歌の詞を裁ち入れながら,雄々しく悲 壮な調べの歌となっている。それはともかく重要な点は,かよう な機会詩に本歌を利用することが,宗良親王の,引いてほ,新薬歌 人の本歌取りの特色ではないかと思われることである。新葉歌人が 「古歌に罷り'本歌取を事とする」ことは,すでに大野木氏が前掲 の書で述べておられるが'新薬歌人は寧詠のみならず,機会詩まで も本歌取りの手法を拡大したのだといえよう。 右近大将長親いとけなき子にお-れて侍りし頃しをれたる 撫 子 に つ け て つ か ほ し 侍 り し               宗 良 親 王 よそへつつ恩ひやるこそ悲しけれかくやしをれし撫子の花 撫子につけて歌を送るので'﹃後撰集﹄の読人しらずり「我宿の 垣根に-ゑしなでしこは花に咲かなむよそへつつ見む」が,おのず から念頭に浮かんで'この歌から1首の想がなったものであろう・ 想はやや平凡であるが'哀愁味の勝った作品になっている。大野木 氏の説かれるごと-、「表現を巧にすること」は二条派の流れを汲 む南朝の人々のよ-するところであるが'機会詩に本歌が用いられ るとするとへ本歌取りは'その本来の機能1情緒を複雑にするこ と'超現実的な世界を構成すること を喪失して単なる表現美を 荷-手法に堕して行かざるを得ぬ。 をばすて山ちか-住み侍りし比夜ふ-るまで月を見て思ひ っ づ け 侍 り L I                           宗 良 親 王 これにます都のつとは無きものをいざといはばや姑嚢の月 本歌が﹃古今集﹄の東歌の「をぐろさきみつのこじまの人ならば 宮このつとにいざといはましを」であることはい-までもない。姑 棄山の月をみながら、これを都の竃にしたいとい-のは'その地に 住みついている者でなければ容易に表出しがたいものであろ-.著 想がおもしろく好個の機会詩になっている-え'本歌の詞も巧み に斡旋されているo 前大納言為定身まかり侍りし頃かの遺跡によみてつかほし 侍 り し 哀 傷 五 十 首 歌 中 に                     宗 良 親 王 さばかりにつらき渡りを三瀬河かほと見ながらなど帰り来ぬ 思ふ人無しとは聞きつ都鳥今は何てふ事か問ふべき 本歌は略すが'表現が巧みなわりには迫って来るところが少な -'古歌に経っている程度のものである.これも機会詩に本歌が利 用されているところに'宗良親王の本歌取りの特質を見ることがで きる。 こしの国に侍りし頃蒔中百首歌よみて都なる人のもとへつ ヽ ヽ   一 分 j :

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-55-か ほ し 侍 り し 中 に 初 冬 を                     宗 良 親 王 都にも時雨やすらむこしぢには雪こそ冬の始めなりけれ 蒔中百首とあるから'まず題詠であろ-が、﹃後撰集﹄の読人し らずの「神無月降りみふらずみ定めなきしぐれぞ冬のはじめなりけ る」を踏まえながら'越の国に住んでいるところから'時雨を雪に 置き換えたのである。そこには作者の実情が.色濃-投影されてい る。こうした本歌取りの手法は、﹃新古今集﹄にはごく僅かしか見 られないものであった。かように宗良親王は、古歌を自己の実感に 引きつけて取るというところに'その資質を発揮しているのでみ る 。 かざせども老ほか-さで梅の花いとどかしらの雪と見えつつ 宗良親王 かへずとも人な呑めそ翁さび今年ばかりの花染の袖 同 これらは天授千首の歌であり'宗良親王晩年の作であるが,自己 の現実体験を本歌に槌って形象化するとい-態度は'若年より老齢 に至るまで一貫しているといえる. H W 且 1 宗良親王のかよ-な本歌取りの手法は'突如して出現したのでは ない。先縦があるのであって'それは西行法師である。西行の本歌 取りについては ﹃大阪樟蔭女子大学論集﹄ 第五号(昭和四十二年 刊)に述べてお・いた。﹃山家集﹄(日本古典全書本)によれば,西行 の本歌取りの作品は'約五十首見出され、綾歌数二千八十八首に対 する比率を求めると'約二・四%とい-数値が得られる。この数値 は'宗良親王のおもてむきの﹃新薬集﹄入集歌九十九首中'約三十 首(比率三〇%)までが本歌取りであるのに比してへはなはだしい 径庭が認められるが'これらの歌を題詠(機会詩)とに分けて考察 することにする 宗良親王 題   詠   三 九 ・ 1 二 四 ・ 一 二 七 二 四 四 ・ 二 四 七 ・ 三 1 七 ・ 四 〇 九 ・ 四 七 八 ・ 五 l 〇 ・ 五 二 四 ・ 五 六 〇 ・ 七 1 〇 ・ 七 八 九 ・ 八 五 四 ・ 九 七 四 二 〇 五 六 ・ 1 〇 七 三 ・ 二 四 八 ・ 1 二 六 九 ( 計 1 九 首 ・ ) 非 題 詠   三 二 九 ・ 三 三 一 ・ 五 二 二 ・ 五 二 六 ・ 二 一 〇 〇 ・ 二 三 二 二 二 二 〇 ・ 二 二 二 二 一 三 二 四 二 三 八 二 二 三 八 六 ( 計 十一首) ちなみに'﹃新薬集﹄では読人しらずとしながら﹃李花集﹄に見 えている作品の番号をも示しておく題詠・非題詠の区別は﹃李花 集﹄の詞書によった。 題 詠 四五五・六四三・六四七・六九八・七二七・七六七・七六 九・七七三・八六九・九二二・九三九・九六〇(計十二 首 ) 灘 題 詠   1 八 二 ・ 二 七 三 ・ 四 八 三 ・ 七 三 1 ・ 七 六 八 ・ 七 七 二 ・ 二 1 1九・一二二二(計八首) 西行法師

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- 56 -題   詠   二 〇 九 ・ 二 一 四 ・ 三 〇 六 ・ 三 一 五 ・ 六 1 八 ・ 六 三 1 ・ 六 三 二・六六六・六七九・七一四・七三九・七六四・七七七・ 九 八 一 ・ 九 九 二 ・ 二 二 〇 六 ・ 一 三 三 二 ・ 二 二 三 八 ・ 二 二 八 〇 ・ 1 三 八 六 ・ 一 四 二 七 二 五 九 二 ・ 一 五 九 三 ・ 1 六 九 〇 ・ 1 七 〇 七 ・ 1 九 四 八 ・ 二 〇 二 二 ・ 二 〇 二 七 ・ 二 〇 九 八 ・ 二1二七・二一五七(計三十1首) 非 題 詠   〓 四 ・ 三 七 五 ・ 四 四 八 ・ 四 五 〇 ・ 五 八 二 ・ 八 1 六 ・ 八 1 七 ・ 八 四 三 ・ 八 九 〇 ・ 九 九 六 ・ 二 三 三 ( 重 出 -一 九 二 五 ) ・ 二 三 四 ・ 二 六 七 ・ 二 八 三 ・ 1 二 〇 一 二 二 1 四 二 二 一 五 ・ 二 二 〇 八 ・ 二 二 四 ( 計 一 九 ) これによると'宗良親王の本歌取りは'題詠と非題詠との間にさ ほどいちじるしい懸隔が存しないことは西行法師と同様である。西 行法師の題詠には生活体験に即した独自の歌が少な-ないが,宗良 親王の場合も'大野木氏の説かれるごと-,「元弘以来の事変に遭 遇して或は戦場に馳駆したる如き」悲痛な体験が色濃-影を落とし ている。非題詠の場合にあってほなおさらのことである。 1 r -それでは'西行法師の非題詠における本歌取りはいかなるもので あるかというに' 「雨のふりけるに'花のしたにて車たててながめける人に」とい ぅ詞書のもとに' ぬるともとかげをたのみておもひけむ人のあとふむけふにもあ るかな という歌がある。これは﹃拾遺集﹄の読人しらずの歌「桜がり雨は ふりきぬおなじ-ほぬるとも花の蔭にか-れむ」に拠るものである が'西行の歌と制作事情とが深くかかわりあっていをことが注目さ れる.つまり'西行は'その場の雰囲気にふさわしい歌を引いて挨 拶としたのであって'本歌を取ることによって'別の詩的世界を創 造しょ-と意企したものではなく'発想の地盤は'あ-までも実情 主義的なのである.さらに'興味を引-のは'西行の非題詠におけ る本歌取りの作品の大半は蒔旅の歌であることである。 ∼ 粉河・吹上遊覧(八一六・八1七)-能因法師(﹃金葉集﹄-六 六 五 ) 大峰入(九九九・l二〇l)-僧正行尊(﹃金葉菜﹄-五六八・ 五 五 六 ) 初度陸奥の旅(一二一四・二二五)-能因法師(﹃後拾遺集﹄ 五叫八) 橘季通(﹃後拾遺集﹄-1〇四二) 天王寺参詣(二八三)-在原業平(﹃古今集﹄-四1八) 住吉社参詣(二二〇八)-源経信(﹃後拾遺集﹄-一〇六四) 春日社参詣(四四八)-安部仲麻呂(﹃古今集﹄-四〇六) 良遣旧居参観(二三三'重出二九二五)1良遅法師(﹃詞花 集﹄1三六六) 閑院殿参観(二三四)-赤染衛門(﹃後拾遺集﹄-1〇五九) 伊勢閑居(二二四)-喜撰法師﹃古今集﹄1九八三) ▲ 7 一 ・ I ■ ■ . . r ・ . . .     ; . . -、 . 1 ■ 1 . . ・   . .

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∩ 「 - 57--遍口座㌦濠師 このように、名所・旧跡における詠歌は,西行にあってほ,先行 作品が廃想の契楓となっている場合が多いのである。 もとより'宗良親王は'西行と時代も境遇もまったく達-が,た だ'親王が特殊な環境に置かれていたことは確かで,西行と重なり 令-点もあり'百年その感懐においても特殊なものとなるのほ当 然のことである。その意味で,宗良親王の本歌の取り方を西行型と 称しても差支なかろ-と思-。西行よりもはるかに事情が深刻では ぁるけれども'東国と南山との間を往還したとい-点で、宗良親王 も旅の詩人であった。蒔旅百首のごとき作をものしているのも,こ のことを裏付けよ-0 信濃国にても又年月をお-り侍りしに行宮の御しぎもおぼ. っかなく恩ひ給欝かばあからさまによし野にまゐりてや がて下り侍らむとせし時内裡にて人々百番歌合し侍りしに 旅 の 心 を                         宗 良 親 王 老の浪叉たちわかれいな舟ののぼれば-だる旅の苦しさ この歌は題詠であるが,長い詞書を読むとき,この歌ほおのづか ら非題詠的な様相を帯びる。機会詩とさえいってもよかろう。 本歌は冒今集﹄の東歌の「もがみ川のぼれば-だるいなふねの いなにはあらずこの月ばかり」であるけれども,実情が吐露されて いて'およそ他の本歌取りとは趣を異にしている。このよ-に宗良 親王の本歌取りは,痛切なる実感に依拠している点において独自の ものがある。先必西行型とした所以である。﹃新薬集﹄ゐ本歌取り の手法がすべてか-のどときものであるとはいえないが,少くとも 興味を惹-のは,古歌に槌りながら,その底にふかぶかと実感を湛 ぇたものである。ここに、新古今的本歌取り,新勅撰的本歌取り, 玉葉風雅的本歌取りと並んで,新葉的本歌取畑も、また、1つの位 置を占めると思-のである。 ︻ ≠ 引 V 1 先にも述べたとおり・﹃新薬集﹄は本歌取り覧田んでいるoこれ は'宗良親王および南朝の歌人が二条派の流れを汲んでいることに も原因はあろうが'宗良親王自身が極めて本歌取りに熟達していた ためである.親王の家集﹃李花集﹄には,親王自身の作八九九首が 収 め ら れ て お り ' -題 詠 四 七 六 , 非 題 詠 四 二 三 七 な る が ー そ の 内約二百首ほどが本歌取りの歌で'総歌数との比率を求めると,約 二十二%になるのである。 本歌取りのもっとも盛んであった新古今歌人たちの比率について いえば'俊成卿女三十三%'藤原家隆二十四%,後鳥羽院二〇%, 藤原定家二〇%以上(石望口貞博士﹃藤原定家の研究﹄参照),儀 原良経十五%'宮内卿九・二%、藤原秀能八・四%・源通光七・三 %のごとくであるから'宗良親王の比率はかなり高いといえるであ ろちノ。

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この宗良親王の按になる﹃新菓集﹄に本歌取りが多いのは当然だ ともいえる。その取り方もさまざまであるが'古歌に縫って実感を 述べるとい-手法が主流を占めていることは'まづ動かないところ であろ-。﹃新薬集﹄における本歌取りと﹃李花集﹄のそれを比較 することも興味ある問題であるが'このたびは'﹃新薬集﹄におけ る本歌取りの実態を報告するだけで筆を摘-ことにする。 (注)小島吉雄博士の御調査に拠る(本歌取りと新古今和歌集) ′ 本歌取り一覧 ぺと咲-や木の花一〇二二 万   葉   集 一 五 五 1 六 四 七 五 八 七 一 四 一 三 1 五 〇 〇 二 二 七 〇 二 五 四 二 三五二三 九 九 ・ 一 一 七 六 四三〇・五〇五 六 六 一 1〇一八 1二二七 六六二 七〇四 九四九 八 四 三 二 九 七 古 今   集 浪速津に咲-や木の花冬ごもり今は春 二 一 一 八 三 六 五 〇 五 三 六 一 六 三 六 八 六 九 七 一 七 四 七 六 七 七 九 三 九 九 1   1 三 二 二 六 ≡ 二 1 七 三 九 四 七 八 1 一 一 ・ 一 二 五 一二四 一 四 四 一 五 二 二 八 五 一三三一 二 二 五 四二九・九六〇 二四三 三 九 二 二 七 三 六 七 一三五九 二 二 七 二 二 九 一四1 1 五 二 一 五 六 1 五 九 一 六 六 一 七 七 一 八 四 一 九 四 二 〇 四 二 七 三 二 七 九 二 八 三 二 九 因 三 四 四 三 四 九 三 八 六 一 八 五 二一九 一 〇 六 〇 一九七・7〇六三 1 0 七 五 一 九 ≡

二八〇

二 一 二 三 一 四 ・ 一 〇 九 八 三 九 一

二四七

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後拾遺集

二 1 九   七 1 〇 六二六 九六二 1〇四二 七七九・七八〇 金   葉   集 四五三 三四四 詞   花   集 二六九 九五六 拾 遺   集 撰   集 四 五 一 四七〇 六四六 七九七 六九八 二 二 ・ 五 二 八 五 二 〇 1 八 二 千   載   集 七三三 七八六 ヽ ヽ T { T f

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新古今集

新動揺集

1〇四 1〇二九 四五九 四四一 四九八 八八六 六五四 六六三 四五六 二1九三・二1九五 七 二 二 七 五 七 八四八 八 五 〇 九 〇 三 九九〇 九九七 二 二 六 八 一 四 〇 八 一四三二 1 五 八 九 1六1四 一 六 四 八 二ハ八七 八 四 一 二 九 四 二一二二 二二三〇・二二五九 六五六 七六・三二七 七 三 四 二一六 九八六 八〇七・九七四 六 〇 二 二 六 一 〇 九 七 一二〇四 四九九 六三七 七 二 九 七 三 六 九四四

伊勢物語

八〇 八八八

大和物語

四 八 一   二 一 四

源氏物語

七六五 二二八二 八 二 一 八 七 五 八九三 九1四 九 九 一 九 二 五 1 〇 二 八   九 1 七 ・ 九 五 二 ・ 九 八 五 ・ 九 八 七 1O七八 四六二 二二八三 九二三

狭衣物語

一六四五 二五八 夫   木   抄 みちのくのとふのすがども七ふには君 を寝させて吾三ふに寝む 八三八 ( 本 学 教 授 )

参照

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