政策金融の系譜
傳 田
功 歪 政策金融について わが国経済の展開過程において,政府の誘導・介入が,多様な形態で推進さ れてきたことは周知の事実であるが,ここに取り上げる政策金融もまた,政府 介入の重要な手段として活用されてきた。石 弘光氏は政府介入の形態・手段 を,(1)財政的介入,(2>行政的介入,(3)経済的介入に分類し,(!)財政的介入の手 段として,①直接に無償で供給する財・サービス,②間接的な民問助成(a.補 助金,b.税制),③融資(a.出資・利子補給あり, b.出資・利子補給なし),④ 債務保証,保険をあげている。ここにあげられる融資・出資・利子補給・信用 補完(債務保証,保険)などは,いわゆる政策金融の主要な内容をなすもので あり,わが国においてはすでに明治期から,財政政策の一環として位置づけら れ,経済政策とも密接な関係を維持してきている。 わが国においては昭和28年度に財政投融資計画が制度化され,現在に至って いるが,財投においては,財投機構の事業機関を通じ,政府の固定資本形成に 活用されるものと,融資機関を通じ民間部門に対する政府資金の供給にあてら れるものとがあり,一般に後者すなわち,「財政投融資の資金を政府金融機関 わを通じて民間企業に供給する方式の金融」を政策金融と呼ぶことが多い。実際 には財投と無関係に政策金融が行なわれている場合もあるので,ここでは,政 策金融とは国または地方公共団体などが,特定の政策目的を達成するために, 公共的立場から,金利・貸付期間などに優遇的条件をふし,政府金融機関など 1)石弘光「財政の効率化と市場原理」『ESP』1981年12月号所収。 2) 山下邦男『銀行論』117:頁。158 松尾博教授退官記念論文集(第234・235号) を通じて資金供給を行なうことを意味するものとしておきたい。中小企業金融 や農業金融においては,信用保証や信用保険を含む信用補完制度が大きな役割 を果しており,広義の政策金融は,かような業務をも含めて考えることが必要 となろう。 政策金融の機能を主として資金供給にかかわらしめて考えるとしても,財投 原資は郵便貯金や年金資金,簡保資金など,民間の貯蓄資金であり,資金調達 の面においても,民話金融晶晶と競合するところが多い。したがって資金の吸 収から財投機構を経て運用に至るまでの,政府部門による金融仲介システム (一般に公的金融と呼ばれている)は,政策金融と不可分の関係にあり,政策 金融の問題点も公的金融の全体系の中で理解されることが必要となる。 わが国における公的金融あるいは政策金融は,最近の貸出市場において民問 金融との競合を深める反面,資金需要の構造的変化,長期市場金利の低下にと もなう財投原資コストの割高,利ざやの縮小による一般会計からの補給金の増 大など,財投計画を中心に公的金融の抱える矛盾が顕著となってきた。政策金 融はいま金融の自由化,国際化の潮流とも相まって,抜本的な見直し,あるい は改革を要請されるに至っている。 政府金融機関についての制度の改革が,重要な課題であるとすれば,現時点 での公的金融の是非を論議するとともに,その歴史的経過を検討し,より総合 的な視点から制度のあり方を論ずることも必要であると思われる。戦前の大蔵 省預金部,戦後の資金運用部は,巨大な資金をようするために,しばしぼ国営 貯蓄銀行の呼称を与えられてきた。これら公的金融の中枢的機関が,わが国資 本主義経済の展開過程にあって,如何なる役割を果たしてきたのか。そしてそ の歴史的経過の中で,例えば官業による民業の圧迫とは一体何であったのか。 政治や行政システムとどのような関係をもつものであったのかなど,さまざま な側面から,より深く検討される必要があろう。政策金融において常に最大の 原資供給に従ってきた郵便貯金制度もまた,一筋なわではいかない独自の特性 を有している。小論は上述のような視点からの,政策金融の系譜についての素
きう 描であり,今後検討を重ねていく上での傭鰍図に外ならない。 2 第1次大戦後の政策金融 政府による財政活動の一環として,政策金融が大きな意味をもつようになっ たのは,第1次大戦後のことであった。明治期より公的金融の中核をなしてき た大蔵省預金部は,第1次大戦後郵便貯金の増加によりその資力を高め,国家 財政との関連を著しく強めていくこととなった。大正!4年預金部預金法,預金 部特別会計法が制定され,預金部は特定の政策目的のために資金運用を行なう 行政機関としての体制を固め,使命を明確にすることとなった。 日銀統計局編『本邦経済統計』による昭和5年末の金融機関の資力(預金)比 較によれば,「銀行」(全国銀行)が全体の59.5%を占めているのに対し,「預金 部」は14.7%を占め,「保険」10.3%,「信託勘定」6.2%などを上回る資金量を ようし, 「預金部の金融界に占める勢力は,事実上金融市場に於ける有効な統 エラ 側力を有するに至った」のである。預金部資金の運用については,興銀・勧銀 など,特別銀行が経由機関として重要な機能を果たしていたが,昭和6年7月 現在,全国銀行貸出中,普通銀行貸出が61,4%であったのに対し,特別銀行貸 出は34.3%を占めており,(残りは貯銀貸出)高橋亀吉によれぽ:,当時の特銀貸 出の増加は,普銀貸出の収縮を犠牲とするもので,「郵貯の激増を財源とする の預金部の債券応募;に基因するところ甚大」であり,「特銀異常の進出は,預金 の 部進出の一側面と見てよい」と述べられている。第1次大戦後普銀においては 財閥銀行を中心とする大銀行の優位が高められるとともに,中小銀行や地方銀 行は,不況や金融恐慌による信用不安で,預金・貸出の停滞が著しかった。特 別銀行の代表的存在である興銀は,第1次大戦後,不況時の救済金融とともに 3)大蔵省預金部についての,これまでの研究業績を整理し,論点を明確にした論稿に, 迎由理男「大蔵省預金部」(加藤俊彦編『日本金融論の史的研究』1983年,東大出版 会刊,所収)があり,筆者の拙論にもふれ,適切な位置づけがなれており,教示を受 けた。明記して感謝の意を表したい。 1)高橋亀吉『日:本金融論』322頁。 2)3)同上,21頁。
160 松尾博教授退官記念論文集(第234・235号) 中小商工業金融にも進出していたが,その後「財閥系大銀行が手をださない周 辺企業や新興企業に対する金融をうけもち,それにより補完的な金融機関とし 4) ての性格を明らかにしていった」のである。 前述のような昭和初年の状況は,その後の恐慌期においても持続し,中小銀 行・地方銀行の信用不安による零細資金の郵貯への流入,それによる預金部資 金の拡大,恐慌下における農村=地方の窮乏化を救済するための地方資金の運 用増大などにより,政府機関としての預金部の地位は一段と高められることと なった。 大正末年より昭和10年ごろまでの預金部資金の運用状況をみると,資金運用 の構成比において,つねに最大のウエイトを占めていたのは国債証券への運用 の であった。大正14年度に17.2%であった構成比は,昭和5年度に27.6%とな り,高橋財政下の公債発行を機に国債の預金部引受けが増加し,昭和8年度に 38.5%,同10年度に40.0%のシェアを占めるに至っている。 地方資金への運用も大正14年の預金部改造以後増加し,とくに恐慌期にその シェアを高めている。「地方資金」とは地方債の引受けのほか,地方の産業開 発・助成のため,勧銀や農工銀行,あるいは産業組合中央金庫などを通じ(昭 和7年から預金部による直接貸が行なわれている。)地方公共団体や各種組合 に向けて融通された資金の総称であり,昭和10年度には26.4%の割合を占めて いる。 預金部資金の産業資金への運用は,特別銀行等の債券引受け,特殊会社社債 券の引受け,特別銀行会社等貸付金などを通じ行なわれており,大正期から昭 和初年にかけてはかなりのウエイトを占め,昭和5年度には28.3%のシェアと なっていたが,恐慌期においては,地方資金への運用の増加などのため低下, 昭和10年代に入り再びそのシェアを高めていった。 前述の経過からもうかがわれるように,昭和初年から同10年前後にわたる期 4) 志村嘉一編『日本公社債市場史』55頁。 5)戦前期の預金部資金の動向については, (『彦根論叢』第164・5号所収)参照。 拙稿「日本資本主義の展開と政策金融」
問の預金部の資金運用にみられる大きな特徴は,地方資金への配分が著しく高 められ,国債発行による公共事業投資と相まって,預金部低利資金の供給が失 業対策事業の推進,農家の負債整理など,多面にわたる農村=地:方の救済事業 資金として利用されていたことである。預金部資金・簡保資金などによる地方 資金供給は,わが国資本主義の動揺,諸矛盾の激化を緩和するためのものであ り,その意味で財閥系企業を軸とする民業とも抵触するところは少なかった。 しかし地方資金供給増大の過程で,資金仲介機関としての,産業組合の丈競拡 大が急速な進展を示すこととなり,業務の面で競合するところが多かった,地 方銀行など,地方中小金融機関の存立は,これがため一層窮地に追いこまれる こととなった。 昭和12年日中戦争開始を機に,わが国経済は戦時統制色を強めることとな り,預金部の機能も急激な転換をみることとなった。戦時体制への移行後,政 府による大規模な国民貯蓄増強運動の推進により,郵貯の増勢は顕著となり, これに特別会計の新設による預託金の増加などが加わり,預金部資金は増大 し,昭和16年末に}: 100億円の大台をこえて110億4,600万円となり,全国銀行 預金残高の3割近くを占めることとなった。一方,その運用面においては,戦 費調達を目的とする国債証券の運用が圧倒的に高いウエイトを占めるようにな り,昭和12年度末50. 9%,18年度末72.5%の高率を占めている。残余の資金も 特殊銀行などの事業資金の運用に向けられ,とくに興銀債券の預金部引受けに よる生産力の拡充や,大陸重化学工業開発への融資に充当されることとなっ た。この過程において圧縮されてきたのが地方資金への運用であった。それは ゆ「預金部資金の地方還元という伝統的な原則とは,まったく違ったもの」であ るのみか,むしろ政府は「地方還元どころか,地方の遊資の吸収とそれの戦争 ア への動員」のために,郵貯や預金部を,そして民間金融機関を全面的に活用す ることとなったのである。 6)7)大蔵省昭和財政史編集室編『昭和財政史』(第!2巻)399頁。
162 松尾博教授退官記念論文集(第234・235号) 3 大蔵省預金部に対する批判 前節で取り上げたように,大正末年より戦時;期に至るまで,郵貯を主要原資 とする預金部資金は拡大を続け,一般の財政資金を補完するとともに,資金の 調達・運用を通じ,金融市場に対しても大きな影響を及ぼす存在となっていっ、 た。かような公的金融の肥大化が,当時においても大きな問題として意識され さまざまな批判が提起されることとなった。政策金融をめぐる当時の若干の論 議をあげておきたい。 周知のように『東洋経済新報』は,自由主義的立場から,わが国経済の動向 や政策運営に論評を加えてきていたが,石橋堪山が同誌大正14年2月28号社説 に寄せた「低利資金供給策」も,預金部あるいは日銀など,公的機関による, 金融市場に対する人為的介入を批判するものであった。彼における低利資金供 給とは,上記政府機関が,一般の金融機関を通じては,高利の資金しか流入せ ぬ産業または事業に対し,人為的に低利の資金を供給することを意味してい る。石橋は諸外国でも,「金融組織の改変に依り以て金利の低下を図らんとす る努力は盛んであるけれども,未だ我国に於けるが如く,単に政府や中央銀行 の金を安く供給する策を取れるものあるを見ない。」とし,横浜正金銀行に対 する日銀からの低利の為替資金の融通,当時構想中の輸出組合への低利融資な どに言及し,さらにアメリカの農業金融の改善事例を紹介している。彼の念頭 にあったのは,当時急速に整備・確立さ、れてきた政府主導型の金融施設,それ による低利資金供給の強化に対する批判であった。石橋によれば,低利資金供 ただ おそ 給の方法は,「蕾に全国的に見て資本の能率を低減する慮れあるのみならず, 又其目標とする産業又事業に取っても,真に低利の資本を豊富に吸収する途で う はない」とされる。資本は自然の流動に委ねれば,その能率を最もよく発揮し うるところへ,すなわち,効率性の高い部門へ資金は流れる。政府が人為的に 低利資金を配分しようとする分野は恐らく利用能率の低いところであろうか 1)∼6)石橋湛山「低利資金供給策」(『東洋経済新報』大正14年2月28H号所収)。
ら,資本の乏しいわが国にとっては,「資本は愈々乏しきを加え,其価格の騰 ヨ 心するは当然」である。特定の産業あるいは事業に向けての,特別銀行などを 通ずる資金供給策は, 「自然の流れの注入せざる池に人力を以て,水を汲み込 の む」ようなもので,「自然の流れの注入する池の水の,豊富にして澗渇する憂 うラなきに及ばない。」とする。彼によれば,英米両国の方法は,「其の自然の流れ おう を誘導して,水の不足せる池に注がんとする」ものであり,わが国において も,それぞれの産業の事情に応じ,資本を容易かつ安価に流入しうるように, 金融組織の改良をはかり,資本の利用能率の低下をきたさないよう工夫すべき であるとする。非営利機関が決める金利は,市場の実勢を反映するものではな い。したがって,金融機関の整備により,市場メカニズムによる資金供給を行 なうべきことを主張しているのである。 石橋の経済論には,アダム・スミス以来の古典派経済論の自由主義の思想が 色濃く投影されており,金利の資源配分機能の重親や,生産者におけ’る自立心 の の重要性を主張する論調にもそれが端的に示されている。しかし現実の資本主 義経済はもはや旧い型の自由主義の理念では維持できなくなっており,1930年 代の恐慌期には,資本主義国家においては管理通貨制度を背景とした,財政金 融政策による国家の経済過程への介入が一般化し,わが国においても不況対策 として財政金融政策のかかわるところ大きく,低利資金供給もまた,歳入を補 完し,公共事業投資を促進せしめるためにも活用されているのである。 預金部資金の増大による日銀の金融市場に対する統制力の低下もまた,当時 の公的金融をめぐる大きな問題の一つであった。高橋亀吉は『日本金融論』(昭 和6年刊)において,預金部に対する日銀関係者や金融業者らの意向を新聞記 事などにより紹介し,「預金部は,いまや,政府の財政運用機関として,及び 財界救済機関並に,金融調節機関として,日本銀行以外に於て,日本銀行自ら の役目を,少からぬ程度にまで遂行している。殊に注目すべきは,日本銀行の それは,社会批判の焦点になって,それだけ社会の監視が厳重だが,預金部の 7)石橋湛山全集編纂委員会編『石橋湛山全集』(第5巻)318頁参照。
ユ64 松尾博教授退官記念論文集(第234・235号) それは,社会の批判の外に立って,ヨリ有効に,以上の如き政策が,政府の思 ふまsce,容易に出来ると云ふことである。」と批判している。高橋は預金部 資金や簡保資金が,社会的要求の名のもとに政府の裁量により,市場メカニズ や日銀による統制といった歯止めのないままに強化・拡大されていくことに強 い疑問を寄せていたのであり,その後の戦時体制下において,預金部が財政・ 金融面を通ずる,総力戦体制の重要な一環として位置づけられたことを思うと の 高橋の所見は文字通り卓見というべきであった。 4 第2次大戦後の政策金融 第2次大戦後,政策金融にかかわる制度について大きな変革が行なわれた。 昭和26年3月,資金運用部資金法および資金運用部特別会計法が制定され,大 蔵省預金部は資金運用部に転換した。戦前の特別銀行の改廃により,興銀は長 ;期信用銀行法に基づく長期金融機関となり,勧銀,北海道拓殖などは普通銀行 に転じた。さらに戦前の特銀などが果たしてきた,民間金融機関でカバーしえ ない分野の金融のため,昭和20年忌後半に,政府出資による各種政府金融機関 が相ついで設立されている。まさに大変革ともいうべき経過であった。 昭和28年度に財政投融資計画が制度化され,財投原資は,郵貯や年金積立金 を中心とする資金運用部資金,簡保資金,産業投資特別会計,政府保証債・政 府保証借入金など4種類により構成されることとなった。とくに重要なのは, 上記原資中最も重要な地位を占める資金運用部資金について,戦前の預金部資 金の預入根拠が,各資金の側においてそれぞれ別個に政令等により定められて いたのに対し,資金運用部資金法では,一括強制預託等の規定を設け,政府資 金を資金運用部に統合し,一元的運用を図るたてまえを明確にしたことであっ た。 8)高橋亀吉『日本金融論』323頁。 9)昭和10年代に入り,預金部の短期金融市場への介入が行なわれるようはなり,日銀 は預金部資金をようする大蔵省のもとに従属せしめられることとなった。この点につ いては,迎由理男前掲論文および吉野俊彦『我国金融制度の田租』第3回目政府資金 の研究」を参照されたい。
昭和28年度より同50年度にかけての,財政投融資の規模をはじめ,財投関係 の各種指標をみると,いずれも顕著な拡大傾向を示している。とくに高度成長 期における財投伸び率は大きかった。昭和35年度には財政投融資(実績)6,251 億円,一般会計(決算)に対する比率35.9%であったが,50年度には財投実績 10兆5,610億円,一般会計に対する比率50.6%を占め,文字通り第2の予算と してその地位を高めてきた。財投原資に占める資金運用部資金の割合も一貫し て高められ,昭和35年度に56,3%であったのが,50年度には84.4%に上昇して いる。財投対象機関のみは,昭和40年代はじめまで増加を続けたが,50年代に おいては50機関前後で安定している。 戦前の公的金融に比し,戦後のそれは,公企業の新設や財投計画の発足によ り,量的にも質的にも強化されてきたことは明らかである。朝倉孝吉氏はこの 点に関連して, 「政府金融機関や公社,公団など,政府の直営事業が戦前より はるかに大きくなっていることと,それらの原資が財政投融資によりまかなわ れていることが,戦前と異なる主要な点である。金融機関にしても,政府系金 融機関のウエイトは戦前の特別銀行の比ではない一事をみても,政府事業の機 能の大きさが推察されよう。それだけ実物資本形成に果す政府の役割も大きい う というべきである。」と述べている。 第2次大戦後の政策金融の資金運用のあり方や国民経済に及ぼす影響は,経 済の発展段階やわが国経済をとりまく環境条件の変化にともない,大きな変貌 を示してきた。現在の政策金融の体系が形成されてきた,昭和20年代後半から 30年代前半にかけては,電力・鉄鋼・海運・石炭産業など,当時の重点産業に 対する開銀を中心とする産業開発金融が最大のウエイトを占め,昭和28年度の 財投対象融資機関融資額のうち,41.3%を占めていた。開銀は民間金融機関の 1)第2次大戦後の財政投融資あるいは政策金融の展開過程については,福島量一・山 口光秀・石川周共編『財政投融資』,石川周・行当豊雄編『財政投融資』,『図説・財 政投融資』各年度版を参照した。 2)朝倉孝吉「資本一資金調達と工業化の促進一」(中山伊知郎・篠原三代平編『講座・ 日本の将来4』所収)139頁。
166 松尾博教授退官記念論文集(第234・235号) 融資を量的に補完し,とりわけ設備資金供給の上で大きな役割を果たしてい た。昭和30年代の半ばごろまでは,主として政府が政府資金を動員して金融の 担い手として登場していたのであり,民間設備投資に占める政府による産業資 金供給の割合は,昭和24年当時は9.O%であったが,29年には30.2%に高めら れ,その後その比率は漸減していくが,35年当時においてもなお16,2%に達し ヨう ていたQ 昭和30年代,40年代における財投融資機関の,目的別融資規模の構成比の動 向をみると,中小企業金融がその比率を高め,昭和45年度には39.7%を占め, ついで貿易等海外金融がシェアを高め,同じく45年度には18.2%に達してい た。農林漁業金融は昭和40年度に10.6%を占めていたが,その後構成比は低下 し,かわって住宅金融や生活環境整備あるいは,厚生福祉施設などへの融資を 含む社会開発金融が増加してきている。とくに住宅金融は昭和40年当時13,2% であったが,45年度に14.1%,50年度に20.5%に比率を高めている。政策金融 の機能も,民間金融に期待しえず,しかも政策的に重要な分野への融資,すな わち質的補完を目的とするものが多くなってきていることがうかがわれる。 戦後の政策金融の歴史のなかで,政策金融の機能はとくに高度成長期に強化 された。政策金融は産業政策の手段として活用され,資源配分機能を通じ,産 業の高度化に寄与するところが大きかった。上野裕也氏は昭和30年度から45年 度にわたる産業構造の変化と政府金融機関の産業別貸出額との関係を実証的に 検討し,以下の点を指摘している。①政府金融機関が供給する産業設備資金は, 全体の所要資金量の10分の1以下にすぎなかったが,政府資金の選択的投下 は,民間金融機間に対し重要産業の指定と保証を与え,これら産業に対する民 間金融機関の積極的融資の引き金となった。②政府金融機関の融資は民間金融 機関の融資に比し,はるかに低利で貸出され, (市中金融機関の実効貸出金利 は政府金融機関の通常金利に比べて3∼4%ポイント高かったと推察されてい る。)政策金融は低利融資の形で,戦略産業に対し実質的な補助金を与えてい 3)伊藤善市「公共事業と財政投融資」 所収102頁参照。 (小泉明・篠原三代平編『日本の財政・金融』
の たことをあげている。 高度成長期においては,民間企業による積極的な設備投資活動が持続し,法 人企業の資金需要は大きく,恒常的な超過需要がみられた。かような状況下に あって,公的金融による資金供給は,民間金融の補完という視点から重要な意 味があり,その必要性も大きかった。またこの過程で,政策金融が相対的に長 期・低利の資金を供給しえたことも,補完機能を果たす上で大きな力となって いた。わが国においては昭和40年代診ぼまで,資金コスト抑制のための低金利 政策が推進され,預金金利の低金利規制の甲で,郵貯の資金運用部への預託金 利も低水準に維持されてきた。郵貯金利と民間預金金利とは別の:方式で規制さ れており,預託金利すなわち財投金利は,実際の推移において,長期の市場金 利より低いケースが多く,利付金融債利回りよりも,昭和20年代後半の5年間 平均で年1.4%余,さらに30年代後半でも同0.8%も低い状態が続いており,政 らう 策金融による信用補完が可能とされたのである。大企業への融資を中心とする 産業金融は,経済成長への寄与という基準からすれば,高い経済効率を実現さ せていたのであり,政策金融の役割も,それを補完し,誘導するという意味で 大きな意義を有していた。 5 政策金融に対する批判 石油ショック以降わが国の金融構造にも大きな変化が生じ,政策金融に対し ても多様な形で影響を及ぼすこととなった。政府関係金融機関と民間金融機関 の国内向け貸出残高(構成比)をみると,昭和50年代に入ってからも,前者の 占める割合が上昇してきており,58年度には,政府関係金融機関14.7%,民 間金融機関85.3%の比率となっていた。住宅公庫,公営公庫のシェア上昇がこ の比率を高めてきた要因とはいえ,政府系金融機関の拡大は,民間金融機関を 潮激し,官業による民業の圧迫として批判されることとなった。これより先昭 和50年代半ばに至るまでの,郵貯の肥大化や,それに伴う公的金融の拡大に対 4)上野裕也『日本の経済制度』33∼35頁。 5)松田修「公的金融の抜本改革急げ」(『日本経済薪聞』昭和60年4月12日)参照。
168 松尾博教授退官記念論画集(第234・235号) し,厳しい批判が提示され,いわゆる郵貯論争が重ねられてきていたが,近年 改めて公的金融システム全体を通ずる問題として取り上げられることとなっ た。ここ・では「見直し迫られる政府金融」(r日本経済新聞』昭和59年6月22日) および「公的金融の抜本改革急げ」 (同紙,昭和60年4月12日)と題される2 論稿(いずれも筆者は松田修氏)を通じその批判の論点をとり上げておきた い。 松田氏は,高度成長期に政策金融が産業構造の高度化や企業の輸出競争力の 強化,社会資本の充実などに向けて大きな政策誘導効果を発揮したことを認め るとともに,最:近の政府金融が,金融・資本市場の自由化や,財政再建の課題 など,環境条件の変貌とともに,その抱える矛盾が次第に目立つようになてき たことを指摘する。例えば金融部門における金利競争が激化し,長・中・短金 利は構造的に接近しはじめてきた。かつて政策金融は,民間よりも相対的に低 い金利で長期の資金を調達し,それによる低利融資により,質的補完を行ない えた。しかし昭和52年ごろを境に,資金運用部への郵貯の預託金利,すなわち 政府金融機関にとっての調達コストと,長期金利との利ざや縮小が進み,政策 金融の低金利といううま味がうすれ,政策金融よる質的補完の余地を狭めるこ ととなった。このため企業は民間銀行や資本市場から,より低利の資金調達を はかり,政府金融機関の使い残りが目立つようになってきたことが指摘されて いる。 さらに原資の調達コストが割高になったにもかかわらず,政府は制度変更を 避けるため,割高な郵貯や年金資金を使って財投機関の運営を続けており,そ のため政府金融機関の経営悪化がもたらされ,これら機関のいくつかは経営維 持のため,一般会計などからの出資や補助金支出に依存する傾向を強めてきて いることが指摘され,松田氏によれば,危険な小型国鉄への道が懸念されるこ とになるのである。 松田氏はさらに公的金融の改革案にもふれ,政府金融機関は資金面で郵貯や 簡保,あるいは公的年金に依存することをやめ,債券発行などによる民間資金 の活用に踏み切ること,また資金運用部による政府部門余裕資金の一元的運用
体制を放棄し,郵貯や年金勘定などに,公共債に限った自由運用を認めること を提案している。さらに政府金融機関についても,資金調達力を備えた開銀は 別格として,他の機関については融資活動そのものはなるべく民事金融機関に まかせ,自らはプロジェクトの審査や信用保証,あるいは利子補給金の配分な どに特化すべきであるとされている。上述の所見は,最:近の公的金融批判に見 られる論点を端的に提示しているものといえよう。
6 政策金融の課題 一むすびにかえて一
政策金融は補助金や租税特別措置などと同様に,特定の政策目的を達成する ための手段として活用され,わが国経済の動向と深くかかわるとともに,日本 型市場経済の特質を反映するものであった。わが国においては殖産興業政策の 伝統を受け継ぐ,後発国型キャッチ・アップの思想が,明治以来長く底流とし て存続し,財政投融資や政策金融もまたかような背景のもとに育成され,特定 分野への資金の配分を通じ,民間金融に対する補完・誘導の機能を果たしてき たのである。 財政的介入の一手段としての政策金融の特質は,権力的な経済規制行政とは 異なって,金融という民間的な非権力的な介入の手段である点に求められる。 政府の直営事業のような経済的介入と異なり,私的経済計画を,金融的な側面 から,特定の目標に誘導するための制度・手段であった。このことがわが国の ような,「協調と競争の混在する市場経済」のもとで,政策金融を定着化させ る大きな理由となってきた。 明治期以来,迂回曲折はあっても,私的経済計画が日本経済の発展に主導的 役割を果たしてきたことは客観的な事実であり,政府と民間との協調型の経済 体制のもとで,政策金融のもつ補完・誘導の機能が期待され,その機能を発揮 1)手島孝氏は,法律的側面から財投の意義を取り上げ,財投は財政の金融機能を通じ て特定の国家目的の実現を追求する行政活動の現代的一形態であり,権力的な経済規 制行政とは異なり,金融(信用の供与)という民間的な非高権的作用を手段としてお り,法的には私法ベースの行為に外ならないとされている。竹内昭夫他編『現代の経 済構造と法』633頁参照。170 松尾博教授退官記念論文集(第234・235号) してきたのである。 第2二大戦後わが国においても,公社・公庫・事業団など,いわゆる公企業 の設立・増加がみられたが,西欧諸国の公企業が,直接的な生産活動に従事し, しばしぼ対抗力政策の手段として活用されてきたのに対し,わが国の公企業の 場合は,資金供給という金融的機能,あるいは運輸・通信・道路・住宅など, ラ社会的間接資本形成機能が中心をなしており,とくに金融的公企業のウエイト が高く,民間企業の事業活動の資金調達を容易にするといった目的のために役 立てられてきたことも,前述のような経済体制の特徴を反映するものであっ た。政策金融を論ずる場合には,かような側面をより深く検討していく必要が あろうと考えられる。 財政投融資あるいは政策金融が,産業政策的機能,景気調整的機能,社会政 策的機能,あるいは社会資本蓄積の機能など, 「その本来の多面的で高度な経 おう 済政策的役割を総合的に発揮するようになった」のは第2次大戦後のことであ った。日本経済の復興期,高度成長の初期段階における戦略産業への長期・低 利の資金供給は,わが国企業の資本蓄積に役立てられ,その後の中小企業や農 業部門への融資は,とくに政策金融の質的補完を通じ,構造的調整の手段とし て活用されてきた。昭和40年代以後には社会資本形成へのかかわりも大きかっ た。とくに言及しなければならないことは,戦後わが国においては,長期にわ たり均衡財政主義が求められてきたが,この間財投の存在は一般会計予算をふ くらませずに経済の安定成長を維持していくために重要であり,とくに景気調 整機能の面で,財投の果たす役割が大きかったことである。財投の存在はある 意味では,小さな政府を維持していく上で重要な役割を果たしてきたものとい えよう。 しかし財投をめぐる環境は大きく変化してきた。前述のように,最近のわが 国においては,財投や政策金融をめぐる論議が高まり,さまざまな改革案が提 示されてきた。わが国経済の現況や,国際的な経済摩擦をひき起している状況 2)赤沢昭三『序説経済政策』172∼175頁参照。 3) 竹内昭夫他編・前掲書,633頁。
を考慮するならば;とくに産業政策といった加速装置の必要性は喪失し,従来 の政策金融の融資対象についても,民間金融機関の充実により,これら機関だ けで十分にカバーしうる分野が多くなり,政策金融の必要性が低下してきてい る。公的金融の拡大が民問経済の活性化を抑制するという論議もまた正当であ ると思われる。これまでの歴史的経過のなかで,政策金融による民業の補完が 有用であったことは否定しえないが,わが国経済の現状においては,官業によ る資金供給は,資源配分臨むしろその機会費用を増大させるような作用をもた らすに至っている。 今後の政策金融のあり方については,歴史的経過をふまえ,公的金融全体の 観点から論議を重ね,改革構想が具体化されていかねばならないが,当面の方 向としては,わが国の重要な政策的課題とも関連して,政策金融の重点を,こ れまで主として開銀によって推進されてきた,大型の都市再開発事業や,民間 資金でカバーしえない,基礎的な技術開発の分野などに移行させていくことが 必要であり,民間金融機関と競合しやすい分野においてぱ,直接融資によるよ りも民間資金を活用する債務保証や保険など,信用補完に重点をおきかえてい くことが望ましいと思われる。 長い歴史をもち,日本型市場経済体制のなかで活用され,国民生活のうちに も定着してきた公的金融に,制度的変更を加えることは,いずれにしても大き な摩擦をひき起すことは必至である。政策金融のあり方を論ずることは,わが 国の今後における公的部門のあり方や市場経済体制の展望とも深くかかわるも のであり,この意味で長期的な展望に立った改革が進められることが必要であ ろう。