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体制面面論争再訪(2)
福 田 敏 浩 は じ め に 互 収敏説一ティンバーゲンのばあい一 H 野州説批判論 〔1〕体制非両立論者の批判論 」 ・ 1.ヘンゼルのばあい 2.東のマルクスr・、レーニン主義者のばあい(以上前号) 〔2〕実証的比較経済体制論者の批判三一タールハイムのばあい一 〔3〕東の改革者の批判論一コルナイのばあい一 皿 多様化と接近化 一 〔2〕実証的比較経済体制論者の批判論一タールハイムのばあい一 先に触れたように,タールハイムは1965年に開かれたドイツ東欧学会の大会 で収敏説に対する自己の見解を披渥した。それは,同大会に同席していたティ ンバーゲンの見解を批判的に吟味しつつ,その当時の現実動向に照らして東西 諸経済体制の変化傾向についてかれなりの意見を述べようとするものであった。 タールハイムが批判の鋒先を向けたのは,ティンバーゲンの66年論文であった。 以下,そのタールハイムの批判論を紹介することにしよう。 (1)タールハイムの批判論の内容に立ち入るに先立って,われわれはまず, 42) かれの経済体制学説を簡単に見ておかねばならない。 タールハイムの学説は,方法論的観点からすると,経済体制形態論をもって 特徴づけられる。すなわち,経済体制問題へのアブm一チの方法として形態論 (Morphologie)が採られているのである。こうして,かれは,この方法をもって 42).S 一ルハイムの学説については拙著『比較経済体制論原理一形態論的アプローチ 一』晃洋書房,.1986年,第5章および第7章を参照。68 彦根論叢第244号 なによりも経済体制の仕組みを解明しようとする。まず,経済体制(wirtsch・ aftSsystem)はそのときどきの経済経過(生産,分配,消費,貯蓄,投資など)を規定 する質的・構造的枠組と捉えられる。タールハイムによれば,この経済体制は 複数の形態から構成される。これらの形態は,経済体制をして経済体制たらし ゆ むるいわば本質的なものと,その他の副次的なものとに区別されている。ター ルハイムは,本質的形態として生産手段の所有秩序を挙げている。その論拠は 「この点に『東』の体制と『西』の体制とのもっとも大きな,かつ決定的な るむ 差異が認められる」ことに求められている。さらに,かれは所有秩序のほかに 管理体制(Lenkungssystem一つまり需給の調整システム)をも本質的形態に含めてい る。ただ,その論拠はまったく示されていない。だが,ともあれ確かなことは, タールハイムにあっては所有と管理(つまり調整)の二つの形態が経済体制を根 本的に特徴づける基本的要素と考えられていることである。このような意味で タールハイム説は,所有と調整の二元論と捉えることができよう。 副次的形態としては次の八つのものが挙示されている。すなわち,経済活動 の目的,価格形成,競争および市場形態,経済生活のイニシアティブの担い手 とその形態,所得分配の種類と形態,貨幣の機能,信用および銀行の機能,対 外経済関係の役割がこれである。 タールハイムにあっては,以上の諸形態は経済体制を構成し,したがってそ の特質を規定するという意味で体制従属変数(systemabhange Variablen)とも呼 ばれている。一方かれは,体制中立変数(systemneutrale Variablen)という用語 をもっていまひとつ別の問題領域に注意を向けている。ここに体制中立変数と は,経済体制の外にあるファクターにほかならない。もっと正確にいうと,そ れは経済体制の違いを超えて遍在しているファクターなのである。ここで注目 すべきは,タールハイムはこの体制中立変数の代表例として技術(Technik)を 挙げていることである。かくて,かれによれば技術は「どの経済体制において 43)本質的および副次的という用語はタールハイム自身のものではなく,かれの説の内 容を取ってわれわれが命名したものである。 44)K. C. Thalheim, Systemtypische Merkmale von Wirtschaftsordnungen, in, H. Arndt(Hrsg.),So2ialwissenschafttiche Untersuchungen, Berlin 1969, S. 330.
体制収敏論争再訪② 69 45) も使用されうる方法」ということになる。 ところで,タールハイムが上のような形態論的装置を構築した背景には現存 の諸経済体制を比較し,個々の体制特質を解明しようとする意図が横たわって いる。つまり,かれはもともと比較経済体制論的意図をもって如上のごとき包 括的な形態論的装置を構築したのである。 さて,われわれは以上のタールハイムの学説を念頭に置きつつ,次にかれに よるティンバーゲン批判を見ていくことにしよう。その論点は以下の三つに集 46) 約しうる。 (2)まず第1の批判は,ティンバーゲンの技術論的な立論方法に向けられ ている。タールハイムによれば,ティンバーゲンは東西における計画技術の類 同化をもって直ちに東西両経済体制の三二を結論づけているが,このような論 法には決定的な難点がある。というのは,計画技術はあくまでも技術であり, したがって体制中立的だからである。これについてかれは,ティンバーゲンが 注目した投入一産出方法を取り上げて次のように述べている。「私見によれば, これは自由市場においても,規制市場経済においても,また集権計画経済にお 47) いても使用することができる」,と。さらに,これと同じことは,やはりティ ンバーゲンが重視した計量経済学的方法やリニア・プログラミングについても 妥当するという。このような批判は,要するにティンバーゲンには経済体制そ れ自体の収敏の証明がないということに帰着する。 (3)第2の批判は,東西の現実動向に関するティンバーゲンの観察結果に 対して向けられている。前述のとおり,ティンバーゲンは現実の観察を通して 東西両体制の相互収敏の結論を導き出していた。これに対し,タールハイムは 同じく現実の観察を行い,相互収敏の事実はないとしている。そのさい,ター ルハイムが目を向けているのはソ連でコスイギン改革が開始されて間もない60 4s) K. C. Thalheim, Bedeuten die Wirtschaftsreforrnen in den Ostblocklandern einen Systemwandel?, in, E. Boettcher (Hrsg.), Wirtsehaftsplanung im Ostblock, Beginn einer Liberalisierung?, Stuttgart Berlin K61n Mainz 1966, S. 56. 46)Vgl. Thalheim, Bedeuten, a. a.0.前掲拙著245−246ページをも参照。 47) Thalheim, Bedeuten, a. a. O., S. 56.
70 彦根論叢嘲第244.号 年代半ば頃の東側の体制動向である。つまり,かれはもっぱら東の動向の観察 をもってティンバーゲン説を批判しようとするのである。 東の経済体制の動向の確定にさいして,タールハイムが立てた判別指標は次 の五つである。すなわち所有制,管理体制,経済体制のイニシアティブの担い 手,経済競争の存在と意義ならびに経済活動の目標がこれである。最初の二つ は経済体制の本質的構成形態であり,残りの三つは副次的構成形態であること は,先のところがら容易に知られるであろう。個々の指標に関するタールハイ ムの判別結果をごく簡単に示しておくと,次のごとくである。 ①所有制。東ではたしかにポーランドやユーゴスラヴィアでの農業の私有化 および集団農場の家庭菜園のような土地の個人的利用などが見られるが,しか しこれらは例外であって,依然として社会的所有が支配的である。 ②管理体制。コスイギン改革以後,東では市場的諸要素の導入が日程に上っ ているが,しかしこれらは指令的計画を補完する経済的テコと位置づけられて いるにすぎず,したがって経済の調整は従来どおり指令的計画によって行われ ている。 ③経済的イニシアティブの担い手。ユーゴを例外として東では党と国家が経 済的イニシアティブを握っている。 ④経済的競争の存在と意義。東ではたとえばチェコスロヴァキアの改革プラ ンにおいて価格競争などが考えられているが,現実にこのような企業倒産の可 能性を含む競争が生じるかどうかは,まだ断定できない。 ⑤経済活動の目標。経済活動の目標は,たとえば個人消費のように東西間に 共通するものがいくつかみられるが,しかし目標の設定主体には決定的な違い があって,東では依然として政治的機関が目標を設定している。 タールハイムは以上をもって東の経済体制は西の経済体制へ接近していない と結論づけている。 (4)第3の批判は,第2の批判と密接に関連するが,東の体制動向に関す るティンバーゲンの認識に向けられている。すなわち,ティンバーゲンは東の 国ぐにの諸体制をひとつの同質的な経済体制として一括しているが,しかし東
体制収敏論争再訪(2) 71 ではむしろ体制の多様化が生じている,という批判がこれである。タールハイ ムによれば,東の国ぐには経済改革の態様からすると三つのグループに区別さ れる。第1は,経済改革に着手していない国(ルーマニア),第2は大胆な体制 改変的改革を行っている国(ユーゴ)または着手しようとしている国(チェコおよ びハンガリー),第3はこれら両者の中間の道をたどりつつある国(ソ連および東 ドイツ)である。かくて,タールハイムはもはや単数型で東の経済体制とはい えないような状況が出現しつつあると結論づけている。 (5)以上,実証的比較経済体制論者の批判論の典型たるタールハイムの説 を見てきたが,われわれの知るかぎりかれの批判論は,ソ連・東欧の現実動向 に視野が限定されているとはいえ,経済体制論的にみて,上述のヘンゼルの批 判論と並んでもっとも体系的な批判論の部類に数えることができる。タールハ イムは,一ヘンゼルと同様一,経済体制に関する確固とした形態論的装置をも って現実の体制動向を確定しようとしているからである。 ところで,西側の実証的比較経済体制論者の中で収敏説に注意を向けたのは タールハイムだけではない。むしろ,ほとんどの論者が収堅物に対して何らか の意志表示をしてきたのである。われわれの知るかぎりかれらのあいだでは批 判論が圧倒的に支配してきた。とりわけ,東方研究家(Ostforscher)のほとんど は,手網説に対して否定的もしくは懐疑的な見解を表明してきた。その中から, 最後に典型的な批判論をもうひとつ紹介しておこう。それはエルマン(M.Ell− man)の説である。イギリス出身で今はオランダにいるこの高名なソ連硬筆家 は,1980年にCαmbridge/ournal of Economics(No.4)誌上に“Against convergence”という論文を発表した。これは,ティンバーゲンおよびその弟 子のファン・デン・デェール(J.van den Doel)の収敏説の批判を目的にしたも のであった。その内容は次の4点である。 ①不正確な観察。収敏説1さことに東の事実観察において誤っている。たとえ ば,コスイギン改革を市場経済志向の改革となしているごときがその典型であ 4s) M. Ellman, Against convergence, in, Cambridge Journal of Economics, 1980, 4, pp, 200−201.
72 彦根論叢 第244号 る。 ②東西諸体制間の差異の過小評価。労働の配分や所得分配の態様は東西間で 異なること,また社会主義は供給被制約の体制,資本主義は需要被制約の体制 であることなどが,収敏説では過小に評価されている。 ③発散(divergence)の無視。社会主義の初期の段階は資本主義と類似のもの を有していたが,時間の経過とともに両体制は相互接近ではなくむしろ発散の 傾向を示してきた。収敏説はこの事実を無視している。「両体制は,55年前の ネップの期間中よりも今日のほうがはるかに掛け離れていることを証明する例 を見出すことは簡単である。その当時ソ連には大規模な私的セクターがあった し,失業があったし,価格=市場関係が経済において中心的な役割を演じてい たし,集権的経済計画は存在していなかったのである。同様に,イギリスとア メリカを比較すると,それらの経済体制は第2次大戦中はまったく似通ってい る たが,それ以後はだんだんと異なってきたことが容易に知られる」。 ④社会主義の多様化の無視。近年では第3世界の国ぐにがソ押型国家社会主 義(state socialism)を導入したり,ソ連圏ではハンガリーで急進的な改革が実施 されたりしたことによって社会主義は多様化しつつあるが,収敏説はこの事実 を無視している。この批判は,先のタールハイムと同様であるが,これはまた ボーンステイン(M,Bornstein)やラォターバッハ(A。 Rauterbach)らの東方研究 家によっても展開されている。 49)Jbid., p,201,これと同様なことはクニルシュも指摘している。次の箇所参照。 P.Knirsch, Neuere Beitr2ge zur Konvergenztheorie, in, E. Boettcher(Hrsg.), Beitrdige 2uM Vergleich der V’Vrirtschaftssptsteme, Berlin 1970, S,90.ちなみに,止 ルマンのこのような見解に対してはコーツとトンプストーンの批判がある。その要点 は,ネップおよび第2次大戦中は例外的な時代であって,これらの時期の両体制の類 似性を指摘してもあまり意味がないというものであった。これに対し,エルマンは一 第2次大戦には触れてはいないが一ネップは必ずしも例外的時代ではないと応酬し ている。これらについては次の論文参照。A. W. Coats, S。 Thompstone, Against ‘Against convergence’, in, Cambridge∫ournat of Economics,1981,5, p.386, M. Ellman, Reply to‘Against‘‘Against convergence’”, in, Cambridge Journal of Economics,1981,5, p,388. 50) M.Bornstein, East European Reforms and the Convergence of Economic Systems, in,∫ahrbuch der Wirtschaft Osteuropas, Bd.2,1971, p.262. A. Lauter. bach, The℃onvergence’Cotroversy Revisited, in, Kyklos, vol.29,1976, p.749.
体制収戯論争再訪② 73 〔3〕東の改革者の批判論一コルナイのばあい一 ハンガリーは,1968年に従来のソ二型管理社会主義から市場社会主義への全 51) 面的体制改変に乗り出した。その改革構想は,市場メカニズムの導入,企業の 自立化,経済的規制用具による国民経済の間接的制御を柱としていた。ハンガ リーではこの構想のもとにほぼ20年にわたって体制変革が実施されてきたが, しかしその道程は決して平坦であったわけではない。途中で改革理念に逆行し た措置が採られたり,改革そのものが後退したことがあったのである。ことに, 石油ショックから77年頃にかけて改革は大きく後退したが,だが,80年代に入 る前後から改革は再び前進を見せ始め,当初の改革理念の徹底化一市場の拡大 および競争市場の実現,企業の自立化の促進(コルナィの用語を使えば企業の予算 制約のハード化),企業の直接的国家規制の縮小緩和一の方向での諸施策が講じ られるようになった。こうして80年代のハンガリーは本格的に市場社会主義の 実現をめざしてきたといえる。 (1)さて,コルナイは,かれみずからが言明しているように「改革理念の ヨの 確固とした支持者」である。したがって,かれは現在のハンガリー社会主義労 働者党の改革路線の支持者ということになるが,しかし依然としてミクロ経済 への国家干渉の温存されている現状を肯定しているのではない。むしろかれは1 市場メカニズムの拡大・強化の方向での「改革過程が進展することを望んでい り る」のである。われわれがコルナイを改革者と呼ぶゆえんである。コルナィは 西側では「不足経済」の理論家,すなわち財や労働力などの不足が大量現象化 している伝統的社会主義体制における不足の再生産の仕組みおよびそこでの均 51)ハンガリーの経済改革については前掲拙著第8章および拙稿「ハンガリー社会主義 労働者党の党内情勢と経済改革」梅津和郎,福田敏浩編『現代ソ連・東欧の政治と経 済』芙蓉書房 1985年を参照。 52) コルナイは近年の諸著作の中でこの用語を多用している。たとえば次の箇所参照。 」.コルナイ「経済改革の現状と展望」盛田常夫学問『経済改革の可能性一ハンガリー の経験と展望一』岩波書店 1986年。 53) J.コルナイ「経済改革の教訓一中国の改革者への助言一」盛田二二前掲書所収,2 ページ。 54)J.コルナイ「収敏理論と歴史的現実一ティンバーゲン論文から21年teって一」盛田 編訳前掲書,233ページ。
74 彦根論叢 第244号 衡状態などを理論的に解明してきたユニークな学者として夙に知られたところ である。しかもかれは,近年の著作に徴するかぎり,マルクス経済学の方法や 用語をまったくといってよいほど使用していない。むしろ,コルナィは,いわ ゆる近代経済学一ことに数理経済学一の方法や用語をもって伝統的社会主義の 一般理論の定立にあたってきたのである。コルナイにとって,西側起源の経済 学はもはやブルジョア経済学ではなくなっているように思われる。この意味で もかれは東ではまだまだ希有な存在であるといえよう。 このような経済理論家としてのコルナィは,他方ではかねてより経済体制問 題にも関心を示してきた。伝統的なソ連型の社会主義のもとでは企業の予算制 約はソフトにならざるをえない(つまり企業行動はその収益・売上によって制約され ない)が,それは国家と企業との温情主義的な関係(企業が業績不振に陥っても国 家がその損失を補助金や免税や減税や信用償還の延期などによってカバーする)から生 じてくる,というのがコルナイの基本的認識であった。つまり,かれは温情主 義(paternaiism)を内蔵する官僚的調整iシステムを伝統的社会主義の体制特質と 捉えてきたのである。そこにあるのは国家と個別経済との関係という基本視角 である。コルナィはまた,この視角をもってハンガリーにおける経済改革後の 体制変化の分析を試み,従来の直接的な官僚的調整は排除されたものの,官僚 的調整は依然として存続しでおり(間接的な官僚的調整),したがって企業の予算 制約は今もってソフトなままであるという結論を導き出している。 (2)このように,経済体制論的に見てもコルナイの見解にはみるべきもの があったのだが,かれは近年さらに体制論的視野を広げ,東西の諸経済体制の 比較にも手を染めつつあるように思われる。これを象徴するのがここに取り上 げるかれの論文‘‘Convergence Theory and Historical Reality:21 Years after Tinbergen’s Article”である。これは1983年に法政大学で行った講演の 55) このような認識についてはたとえば次の論文参照。J.コルナイ「温情主義一国家と 企業一」盛田常夫編訳『「不足」の政治経済学』岩波書店 1984年。J. Kornai,“Hard” and ‘’Soft” Budget Constraint, in his Contra dictions and Dilemmas, Studies on the Socia list Economy and Society, London 1985. 56) コルナイ「経済改革の現状と展望」を参照。
体制収敏論争再訪(2) 75 マニュスクリプトである。これは,タイトルにあるようにティンバーゲンの収 図説(61年論文)が世に問われてから以後の21年間に事態はティンバーゲソの予 言どおりに展開したかを東西の体制動向を踏まネて判定しようとしたものであ る。結果を先取りすると,現実に徴するかぎり,東西諸体制の相互収敏は確認 でぎないというのがコルナイの結論である。したがって,.この論文にティ公一 ゲン批判の形を取っている。以下,これについて見ていくことにしょう。 (3)コルナイはデ牙ンバーゲン流の収旧説の批判にさいして,まず自己の 立場を明らかにしている。すなわち,政治的見地からではなく,あくまでも学 5?)間的な見地から収敏問題を扱うという.のがこれである。しかも,かれは経験的 な観察をもってティンバーゲンの仮説を現実と比較対照せしめ,その妥当性を 検証するという立場を取って,いる。われわれの理解によれば,この.ような実証 的立場は基本において先に見たタールハイムやエルマ’ンらの実証的比較経済体 制論者と同様である。コルナイは東側の入間ではあるが,この点でもイデオロ ギー的に激しく収敏説を攻め立てた東のマルクス=レーニン主義者とは一線を 画しているといえよう。また,コルナイは以下に見るように複数の基準を立て て東西の体制動向を客観的に確定しようとしている。この態度も,東西の体制 比較にさいして社会主義に有利になるような事実ばかりを強調してきた東のマ ルクス=レーニン主義者の態度とはまったく異なっている。この点もタールハ イムやエルマンらと同様である。かくてこれらからして,コルナイは東の実証 的比較経済体制論者と位置づけることができようδ (4)コルナィによれば,ティンバーゲンの61年論文の主旨は「市場にもと つく資本主義経済と中央計画にもとつく社会主義経済が相互に収敏す.る,つま り前者において計画化の役割が増大し,他方後者において市場の役割が増大す 59) る」ということにあった。現実はこのように動いてきたか。コルナイはこれを 検証しよ・うとするのである。 57) コルナイ「収敏理論と歴史的現実」208ページ。 58) 同上,209ページ。 59) 同上,208ページ。
76 彦根論叢 第244号 そのさいコルナィは,五つの指標を立てている。すなわち,所有形態比率, 政治権力の集中度,計画化,官僚制対市場,再分配がこれである。かれによれ うば,これらの指標は本質的体制特質を表現している。ただ,われわれの知るか ぎり,コルナイには先に見たヘンゼルやタールハイムに匹敵するような体系的 な経済体制論はない。したがって,どのような理由からこれら五つを本質的体 62) 制特質となしたかは定かではない。 さて,各指標についてのコルナイの検証結果をごく簡単に示しておくと,次 63) のごとくである。 ①所有形態比率。東では21年前は国家的所有および集団的所有が支配的であ り,すでにその当時存在していた家庭農園や第2経済の私的セクターのGDP に占める割合は数パーセントでしがなかった。現在でもこのような「所有形態 64) 比率に根本的なシフトは生じていない」。西ではこの21年間に国有セクターの 割合が高まったが,しかしそれは所有形態比率に質的飛躍をもたらしたとはい えない。現在も私的セクターが依然として支配的である。 ②政治権力の集中度。東では21年前と同様現在も政治権力は完全に共産党に 集中されている。西でも本質的な変化は何ら生じていない。 ③計画化。ここに計画化(planning)とは,政府による経済活動の事前の調整 (中央計画)を意味する。東では21年前から現在に至るまで中央計画の役割に変 化は生じなかった。西では,21年前には中央計画を遂行していた国(フランス, オランダ,スカンジナヴィア諸国)もあれば,そうでない国(アメリカ)もあった。 「それ以後の21年間に事態はほとんど変化しなかった」。 ④官僚制対市場。ここに官僚制とは中央集権的配分システム(または垂直的意 60) 同上,217−232ページ。 61)同上,215ページ。 62) これらのほかにも本質的なものがいくつかあることが示唆されている。同上,215 ページ。なお,われわれの知るかぎりでは,コルナイには経済体制そのものに関する 明確な定義はない。 63)同上,217−232ページ。 64)同上,218ページ。 65)同上,225ペーージ。
体制収敏論争再訪(2) 77 思決定構造)にほかならない。東では,21年前にはユーゴを例外として官僚制 が支配的であった。その後,ハンガリーで分権的改革が行われ,市場の役割が 拡大しているが,しかしこの国でも官僚制は温存されており,他の諸国での官 僚制の支配を考え合わせると,この21年間に根本的な質的変化が生じたとはい えない。西では21年間に官僚的決定や官僚的管理が強まり,この方面で社会主 義への接近が見られるが,しかしその程度はわずかなものであり,依然として 市場的調整が優位を占めている。 ⑤再分配。東では,全所得に占める再分配の比率は非常に高く,この面では 本質的な変化は生じていない。西では21年間に再分配の比率は上昇傾向を示し ており,この面では社会主義への接近が見られる。 コルナイは,以上をもって所有形態比率,官僚制および再分配の面でわずか ながら資本主義が社会主義へ接近しつつあるが,しかし両体制が相互に接近し つつあるような状況は出現していないと結論づけている。 66) コルナイは,以上のほか東西双方での多様化傾向にも言及している。かれに よれば,収敏説は,東と西のそれぞれにおける変化が同質的な仕方で,一度に, 一様に生じることを暗黙のうちに想定している。しかし,歴史的経験は両陣営 における諸国間の相違が大きいことを示している。要するに双方の内部で多様 化が生じているというのである。このような指摘は,タールハイムやエルマン らの西の実証的比較経済体制論者の批判に通じることは先のところがら明らか であろう。 皿 多様化と接近化 われわれは,これまでティンバーゲン流の収敏説ならびにさまざまの収敏説 批判論に検討を加えてきたが,最後に以上を踏まえて収敏説に対するわれわれ の見解を提示することにしよう。それは,取りも直さず東西の体制動向につい てわれわれがどう考えているかを提示することでもある。 (1)この問題に立ち入るに先立って,われわれはまず,経済体制に関する 66) 同上,214ベージ。
78 彦根論叢i第244号 われわれの基本的な考えを述べておかねばならない。しかし,これについては、 別の機会に細説したので,ここではそのエッセンスをごく簡単に紹介しておく 6?) に留めたい。 ①経済体制問題に対するわれわれのアブU一チの方法は,形態論である,、こ の限りでは,先に見たヘンゼルおよびタールハイムと同様である。 ②経済体制は,日々の経済の流れたる経済経過(生産,交換,分配,消費,貯蓄, 投資など)を規定する枠組である。経済経過が量の世界であるのに対し,経済 体制は質の世界である。経済経過が川の流れだとすると,経済体制は川床にあ たる。 ③このような経済体制は,さまざまの形態から構成されるが,われわれはこ れを二つのグループに区別する。基本的構成要素と副次的構成要素がそれであ る。前者はいわば経済体制をして経済体制たらしむる根本的な構成要素であり, したがってそのときどきの諸経済体制の比較の主要基準となるものである。後 者は重要性の点で前者の下方に位置し,したがって諸経済体制の比較にさいし て副次的役割を演じるものである。 ④われわれの考えでは,基本的構成要素には二つのものがある。生産手段の 所有方式と総体経済の調整方式である。調整方式は相互調整方式と上下調整方 式に区別される。前者は個別経済(企業と家計)相互間の需給のいわば水平的調 整の方式の謂であり,後者は国家と個別経済とのあいだの垂直的調整方式を意 味する。 ⑤歴史的に実現された所有方式は,大きく私有と共有に二分される。同じく 歴史的に実現された相互調整方式は,市場経済と中央管理経済に大別される。 一方,上下調整方式の現実型の確定にさいしてわれわれが着目するρは,国家 の経済学施策の投下点一それらが個別経済活動のどの点に投下されるか一であ る。この投下点をもって上下調整方式を類型化すると,自由放任方式,指令方 式および誘導方式を区別しうる。第1は個別経済活動への国家の非干渉をもっ て,第2は個別経済の活動内容(生産や消費など)への直接的国家干渉をもって, 67)拙著『比較経済体制論原理』第6章参照。
体制収敏論争再訪(2》 79 第3は個別経済を取り巻く環境諸条件(つまり個別経済的与件)の国家的操作すな わち国家による個別経済活動の間接的誘導をもって特徴づけられる。 ⑥副次的構成要素としては多種多様のものが考えられるが,われわれはこ:れ らを経済経過の個々の局面を規定する形態という角度から分類する。すなわち, 副次的構成要素は個々の局面に応じて分類できるのである。経済経過の局面は, 生産,交換,分配,貯蓄・投資,消費に区別される。これらの局面を規定する 主要な形態は次のごとくである。生産…企業形態,経営管理形態,企業内成果計算 形態,交換…市場形態,価格形成形態,通貨制度,分配…所得分配原則,所得形成形態, 貯蓄・投資…金融機関,投資資金調達形態,消費…消費財供給形熊職場選択形態。 ⑦以上から明らかなごとくそのときどきの経済の全体は,経済経過と経済体 制から成る。われわれはこの経済の全体を経済秩序と呼ぶ。経済秩序は現実に は経済の外にある多種多様の要因によって支えられたり,規定されたりしてい る。われわれは,経済の四周にあるこれらの非経済的要因を環境条件(総体経 済的与件)と名づける。環境条件は国別または地域別の比較経済研究にとって 不可欠の考察項目である。というのは,特定の国または地域の経済の個性を描 き出すにはその経済体制の仕組みや経済経過の特質を解明するばかりでなく, 非経済的諸要因をも考慮しなければならないからである。このような環境条件 は自然的条件(経済空間,生活環境),人的条件(人口の量と質)および文化的条件 (政治体制,社会体制,社会規範精神,科学・技術)の三つに大別しうる。 (2)東西の体制動向についてわれわれ自身の考えを述べる前にもうひとつ だけ触れておかねばならぬことがある。それは体制比較にさいしてのわれわれ の立場にかかわる。結論を一口でいうと,われわれの立場は基本においてター ルハイム,エルマンおよびコルナイらの実証的比較経済体制論者の立場と同様 である。この立場は,経済体制を特色づける複数の要素または形態を比較の指 標として,現実の諸経済体制の特質や体制変化の方向などをできる限り客観的 に確定しようとするものである。 東のマルクス=レーニン主義者やヘンゼルやティンバーゲンは,あらかじめ 理想的な体制を:措定しておいて,あるいは各自がベストと考える体制観をもつ
80 彦根論叢ee 244号 て現実に接近し,現実はその理想的体制へ動きつつあるという結論を導き出そ うとしている。東のマルクス=レーニン主義者の理想とする体制はいうまでも なく共産主義である。新自由主義者ヘンゼルがベストと考えるのは,有効競争 の絶えず行われる市場経済一オイケンの用語をもってすれば競争秩序(Wett・ bewerbsordnung)一である。東のマルクス=レーニン主義者は資本主義の没落傾 向を強調するのに対し,へγゼルは中央管理経済の非効率や不自由を力説し, 69) 東の自由化傾向を市場経済への接近・吸収と捉えようとする。両者は方向こそ 違え,東西の一方の体制の崩壊と他方の体制への吸収を主張する。両者が水没 論(submergence theory)とも呼ばれるゆえんである。一方,ティンバーゲンは その最適体制(optimum regime)を理想とすることは既述のとおりである。かれ の収敏の主張の背後には東西両体制がこの最適体制へ相互接近してほしいとい う願望がある。エルマンによれば,ティンバーゲンの門門説は社会民主主義一 70) より具体的にはオランダ労働党一のイデオロギーなのである。 われわれの立場は上記三者とは根本的に異る。われわれは一切の価値判断や 予断や希望的観測を排除する。あくまでも実証の立場を貫こうとするものであ る。 (3)さて,われわれはいよいよティンバーゲンの収敏説を問題にすること にしよう。 経済体制論の分野におけるティンバーゲン説の貢献は,二つの経済体制の相 互接近と第3の体制への収束という形での体制変動論一その当否は別にして一 を初めて体系的に展開したことにある。ドィッ語圏では古くはドイツ歴史学派 やマルクス,今世紀に入るとゾムバルト(W.Sombart)やシュンペーター(J. A. 68) W. Eucken, Grundsdt2e der Wirtschaftspolitik, 4. unveranderte Auflage, Ttibingen Zurich 1968, S. 245ff. 69) Vgl. K. P. Hensel, Strukturgegensatze oder Angleichungstendenzen der Wirt− schafts一一und Cesellschaftssysteme von Ost und West?, in, ORDO, Bd. XII, 1960/ 61, S. 328. K. P. Hensel, Grundformen der PVirtschaftsordnung : Marktwirtschaft− Zentralverwaltungswirtschaft, Munchen 1972, Kap. 3. 70)Ellman, Against convergence, op. cit., P.208.エルマンによれば,ティンバーゲ ンおよびプロンクはオランダ労働党の有力な党員であり,後者は閣僚を経験している。
体制収敏論争再訪(2) 81 て Schumpeter)やりッチュル(H. Ritschl)らが体制変動論を展開したが,それぞれ 内容に違いはあるにしても,それらはある経済体制が徐々に衰退または没落し, やがて新しい経済体制へ移行する,または移行せざるをえないと主張した限り では共通していた。これらの説は,要するにある体制から他のより高次の,か つよりベーターな体制への移行を主張する移行論の性格を持っていた。厳密に 考えると,ティンバーゲン説も移行論の性格を有している。現存の東西両体制 がよりベターな第3の最適体制へ収束すると考えられているからである。先行 の諸移行論と同様,ティンバーゲン説の背後には歴史の進行とともに経済社会 は進歩していく,つまりよりベターな方向に向かっていくという啓蒙的楽観主 義がある。むろん,ティンバーゲン説は,先行の移行論とは次の一点をもって 区別される。すなわち,後者においてはひとつの体制がいわば直線的に他のも うひとつの体制へ移行すると考えられているのに対し,ティンバーゲン説では 二つの体制が第3の体制へ相互収束する一2点から1点への収束一と考えられ ているのである。この意味でティンバーゲン説は文字どおり二二説と特徴づけ るほかはないであろう。 今世紀の20年代から30年代にかけて戦わされた計画経済論争から60年代前半 までの経済体制論の分野では,一ことにドイツ語圏では一体三二両立論が支配 的であった。この説は資本主義(市場経済)と社会主義(中央管理経済)の体制的 v3) 異質性を強調するものであった。エルマンが指摘するように,このような状況 の中で両体制の類似性や共通点を強調したティンバーゲンの功績は特筆に値す るといわねばならない。また,ティンバーゲン説は経済体制の動態的比較にひ とつの範型を置いたこと,東のマルキストが国際的体制論争に参加する契機の ひとつとなったことは先に指摘したとおりである。 (4)一方,われわれの経済体制論の立場からするとティンバーゲン説はい くつかの難点を含んでいる。 71) ゾムバルトおよびリッチュルの学説については前掲拙著第3章参照。 72) エルマンは収敏説を進歩的ドクトリンと捉えている。Ibid., p. 208. 73) lbid., p.199.
82 彦根論叢 第244号 まず第1に指摘しなければならないことは,ティンバーゲン説における経済 体制概念にかかわる問題である。かれの説では前述のように経済体制は「その 経済の秩序または制度」であって,これは「行為」と「組織」から成る。われ われの用語法をもってすれば,前者は経済経過に,後者は経済体制にあたるで あろう。もとよりこのような用語法それ自体に問題があるというのではない。 むしろ問題は,67年論文との関連である。この論文は,先に紹介したように, 経済政策学的観点から経済体制を捉えるという形をとっている。そこで問題と なるのは,目的が経済体制に含まれるかどうか,つまり経済体制の内にあるの か,それとも外にあるのか,という点である。これについては,ティンバーゲ ン自身が明言しているわけではないので断定はできないが,かれのその他の諸 著作をも考慮に入れると,目的はどうやら経済体制の外に置かれているようで ある。とすれば,手段の領域がほぼかれのいう経済体制ということになるだろ う。量的手段が「行為」を,質的手段が「制度」を対象にする手段といえよう か。 われわれの解釈によれば,ティンバーゲンは東西において経済政策的目的が 同一になれば両体制(手段の領域)は類同化すると考えている。67年論文はまさ にこのことを論証しようとするものであった。そのさいこの論文では東西の基 本的目的の内容的同一化が強調されている。東西いずれにおいても高消費と分 配の平等を柱とする福祉が基本的目的になりつつあるというのである。果たし てそうであろうか。先進資本主義諸国についてはほぼそうだといえるかもしれ ない。東側諸国についてはたしかに分配の平等が政策の主要目標のひとつに数 えられてきたが,しかし高消費についてはどうであろうか。東の後進国たるア ルバニアやブルガリアでは20年前はむろん今でも成長のほうが優先されている のではないだろうか。 また,67年論文では基本的目的のほか,複数の派生的目的および複数の質的・ 量的手段の接近化が両体制の最適体制への収敏の根拠とされているが,この点 x にも問題がある。論理的に突き詰めていくと,ティンバーゲンには同一の基本 的目的の達成は,同一の派生的目的,同一の質的・量:的手段を必要とするとい
体制収敏論争再訪(2) 83 う考えがある。言い換えると,福祉という基本的目的が設定されると,必ずひ とつの経済体制(−最適体制)が選択されると考えられている。これを論証する には少なくとも東西の主要な目的・手段一したがって67年論文に挙げられた目 的・手段一のすべての接近化を現実に即して証明する必要があろう。だが,67 年論文はこれを行っていない。むしろ逆に,たとえば質的手段たる所有権や市 場の活用の面でも東西間に違いがあることを指摘さえしているのである。かく て,前にも指摘したとおり,ティンバーゲンにあっては両体制の最適体制への 収敏の必然性は論証されないままに終わっているといわざるをえない。 ティンバーゲン説のもうひとつの問題点は,その現実認識にかかわる。すな わち,ティンバーゲンは東の国ぐにの経済体制も,西の国ぐにのそれも同質的 であるとみなしている。たしかにかれ自らはこのことを明言しているわけでは 74) ないが,しかし別の機会に指摘しておいたように,かれの説を論理的に突き詰 めていくと,かれは東と西についてそれぞれ一種類の経済体制しか存在しない と捉えていることが分かる。しかし,現実は果たしてこのとおりであろうか。 われわれの観察によれば,むしろ東側諸国の経済体制も,西側諸国のそれも多 様化しつつある。われわれの見解が正しいとすれば,ティンバーゲン流の収敏 説は成立しえなくなる。そこで以下,ティンバーゲン説を論駁するために東西 の体制動向に関するわれわれの見解をくわしく述べていくことにしよう。 (5)われわれは,ティンバーゲンと同様に,第2次大戦後の西側先進資本 主義諸国(欧米,日本など)とソ連・東欧の社会主義諸国に考察対象を限定した い。これらの対象地域における体制動向の確定にさいして用いられるのは,い うまでもなくわれわれの形態論的装置である。だが,そのさいわれわれは,そ の一部だけを活用するに留めたい。というのは,ここでの課題は各国の経済体 制の特徴描写ではなく,東西における経済体制の変化傾向を大きく捉えること にあるからである。したがって,この課題を果たすには,経済体制の三つの基 本的構成要素を基準にするだけで十分頃あろう。以下で用いられる経済体制と いう用語は,先に定義したわれわれの経済体制であることはいうまでもない。 74)前掲拙著245−246ページ。
84 彦根論叢 第244号 ①西の資本主義はほぼ200年の歴史をもつが,今世紀の30年代の大恐慌を境 目にして質的に変化した。所有方式,相互調整方式および上下調整方式を基準 にすると,資本主義の変化は上下調整方式の面に典型的に表れている。大恐慌 以前の古典的資本主義は,私有,市場経済および自由放任方式を根幹とする自 由資本主義であった。ところが,前世紀の70年代ごろから社会問題が深刻化し, 経済への国家干渉が強まる。今世紀の20年代まで,国家の事後的・局所的干渉 をもって特徴づけられる千渉主義の時代が続くが,大恐慌を契機に国家干渉は 事前的(計画的)・総合的干渉へと転換し,やがて誘導方式が制度化されるよう になった。これをもって資本主義は,私有,市場経済および誘導方式から成る 75) 誘導資本主義へ移行する。 ②第2次大戦後の西側諸国では誘導資本主義が広く定着するようになり,経 済への国家干渉はいっそう組織的,計画的かつ総合的となった。ただし,それ は原則として個別経済の環境条件に限定されるものであることに注意しなけれ ばならない。誘導資本主義の態様は各国各様だが,上下調整方式に着目すると, 二つのヴァリアントに大別できる。すなわち短期的総需要管理タイプの国家千 渉を制度化した誘導資本主義と,中・長期の経済計画(ナショナル・プラン)をも ってする国家干渉を制度化した誘導資本主義である。前者を代表するのはアメ リカ,西ドイツであり,後者に属するのはフランス,日本,イタリア,イギリ ス,オランダ,スウェーデン,ノルウェーおよびベルギーである。後者の諸国 で制度化された経済計画の態様は日ごとにさまざまではあるが,指示的計画と 76) いう点では共通している。 ③一方,社会主義建設の歴史は70年であるが,しかしその変化は資本主義に 比して急速かつ劇的である。ソ連において共有(国有,集団所有),中央管理経済 および指令方式から成る管理社会主義の建設が基本的に完了したのは1930年代 後半である。戦後この体制は東欧諸国に輸出され,かくて50年代半ばごろまで にはどの国でもソ連型の管理社会主義が建設された。 75)前掲拙著第1章,第6章参照。 76)細目については前掲拙著第6章参照。
体制収敏論争再訪(2) 85 ④しかし,ソ連圏の一枚岩的結束は長続きはせず,1948年には早くもユーゴ がソ連.圏から離脱し,50年代に入ると管理社会主義から市場社会主義への体制 変革に乗り出した。こうしてユーゴでは,社会的所有(労働者自主管理),市場経 済および誘導方式から成る独特の市場社会主義が制度化されることとなった。 ⑤60年代に入ると,東の経済体制はますます多様化するようになった。その 直接の引き金となったのは,経済的難局の乗り切りのために実施された経済改 革であった。この経済改革のタイプは,体制保持的改革と体制改変的改革に大 別される。前者は管理社会主義の基本を保持しつつその部分の改革をめざすこ とをもって,後者は管理社会主義の全面改革を通して市場社会主義の実現をめ ざすことをもって特徴づけられる。ソ連,東ドイツ,ポーランド,ルーマニア, ブルガリアは前者の道を選択した。これらの国ぐにに共通する改革は,上下調 整方式の部分的改革であった。すなわち,中間管理機関への権限委譲,義務的 指標数の削減,総生産高指標の廃止と利潤・利潤率・売上高指標の導入がその 柱をなしていた。そのさい指令方式それ自体が廃止されたのではなく,その枠 内での改革であったことに注意しておかねばならない。また所有方式と相互調 整方式の改革は初めから日程に上らなかったことにも注意しておく必要がある。 近年,これらの国ぐにでも私有や市場経済の導入が試みられているが,しかし これらは例外的措置でしかなく,したがって依然として管理社会主義が支配し ているといわねばならない。 一方,体制改変的改革を選択したのはハンガリーとチェコスロヴァキアであ ったが,周知のようにチェコの改革はソ連の干渉に会って挫折した。ハンガリ ーは1968年から市場社会主義の建設に乗り出したが,その構想では国有,市場 経済および誘導方式が柱となっていた。現実には,構想どおりに事態が進行し たのではなかったが,しかし現在のところ一官僚的統制が依然として温存され ているとはいえ一ハンガリーは市場社会主義の実現に遭進していることは確か である。近年,この国ではことにサーヴィス分野で私有方式の導入が試みられ, 77) 前掲拙著第6章参照。
86 彦根論叢 第244号 7S) 国際的注目を集めているが,しかし,コルナイが注意しているように,この措 置は国有方式の廃止を狙ったものではなく,これを補完するものであり,した がって党指導部では国有方式の原則堅持が確認されている。以上を要約すると, 東には二つの社会主義がある。管理社会主義と市場社会主義である。後者はユ ーゴ型とハンガリー型に区別される。両者を分かつのは所有方式である。すな わち,ユーゴの所有方式が社会的所有であるのに対し,ハンガリーのそれは国 79) 有なのである。 (6)ティンバーゲン説を論駁するには以上の多様化の証明で十分であろう。 そこで最後にわれわれは,東西の体制変動の方向に関するわれわれ自身の見解 を提示しておくことにしたい。われわれの見解は,一口でいうと,東と西はそ れぞれ多様化の道をたどりながらも接近しつつある,というものである。多様 化については上述のとおりである。この限りでは,われわれの見解はタールハ イムやエルマンやコルナイらと同様である。しかし,東と西の諸体制のあいだ の変化方向についてはこれら実証的比較経済体制論者の見解とわれわれの見解 は決定的に異なる。かれらの見解は並進論である。たしかにかれらは東西間に 広義の技術(生産技術,計画技術,経営管理など)の類同化が生じていることは認 めているが,しかし経済体制それ自体の接近化については否定的である。かれ らは,一コルナィが資本主義の社会主義へのわずかな接近を主張しているもの の一いずれも東と西の諸体制は体制的レベルでは接近しているのではなく,む しろ並進しているという見方をしている。 これに対し,われわれは体制的レベルでも東と西は接近しつつある,という 見解をとる。ただそのさい,われわれは東の社会主義の全体と西の資本主義の 全体が接近しつつあると考えているのではないことに注意を促しておく。つま り,われわれは東の市場社会主義と,西の経済計画を制度化した誘導資本主義 とのあいだにのみ接近化が生じていると考えているのである。たとえばユーゴ とフランスを例に取ると,細目の点では違いがあるにしても,相互調整方式と 78) コルナイ「収敏理論と歴史的現実」,219ページ。 79) くわしくは前掲拙著第6章参照。
体制収赦論争再訪(2) 87 上下調整方式の面では両国の経済体制は共通するのである。つまり,両国とも に市場経済と誘導方式を制度化している。しかも後者についていうと,ユーゴ の中・長期経済計画は指示的計画化しており,この意味でフランスに接近化し ているといえよう。またハンガリーの経済体制も,ユーゴほどではないにして も,相互調整方式と上下調整方式の面では西の経済計画をビルト・インした誘 導資本主義に接近しつつあるといえよう。 一方,体制保持的改革の道をたどっている国については資本主義への接近を 確認することはできない。そこでは共有,中央管理経済および指令方式の体制 原則が今なお堅持されているからである。かくて東西間の接近化の様子を図式 的に要約すると,一方の極にソ連型の管理社会主義があり,他方の極にアメリ カ型の誘導資本主義があり,そのあいだにハンガリー型市場社会主義,ユーゴ 型市場社会主義,経済計画を制度化した誘導資本主義があるといえるだろう。 このように見てくると,東西諸体制の接近といっても相互接近ではなく,む しろユーゴやハンガリー揮経済計画を制度化した誘導資本主義へ接近しつつあ ることが分かる。しかしながら,われわれは両国が資本主義化してしまうだろ うと考えているのでは決してない。市場社会主義と誘導資本主義のあいだには 所有方式の面で決定的な差異があるからである。前者は共有なのであり,後者 は私有なのである。この事実は東西の諸体制の比較にさいして忘れてはならな so) い最重要事項である。かくてわれわれの結論は,正確には市場社会主義の,経 済計画を制度化した誘導資本主義への部分的接近ということになる。 (完) 一1987・4・21一 80)東の諸経済体制と西の諸経済体制とを決定的に分かっているのはこの所有方式であ る。われわれの見解によれば,このような意味で東と西の区別は依然として有効で ある。この限りでわれわれはタールハイムと同様の見解である。VgL Thalheim, Systemtypische, a. a. O., S. 330.