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戦 国 時 代 の 経 済 紛 争

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Academic year: 2022

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(1)戦国時代の経済紛争. 久 保 健一郎. 体的追究を欠いたまま'前提としてしまったところに問題があった からである。. 経済紛争というとう たとえば国家間のそれのような、たいへん規. れは'ほかならぬ貸借紛争という検討対象そのものについてである。. ‑組みたいと考えたのだが、ここで若干の修正をしておきたい。そ. はじめに. 模の大きなものを想定される向きもあるかもしれないが、本稿で検. どういうことかといえば、この紛争は、実際には売買・譲渡等と複. こうした認識から、まず貸借紛争の実態を明らかにすることに取. 討するのは'多‑は個人間のレヴエルである。こうした問題を取‑. 雑に絡み合いながら現れるものであ‑、貸借紛争と狭‑括るよ‑は'. じた。そこでは、「あらゆる階層にわたる困窮」を議論の前提とし、. 経済的な活動・問題に関わる紛争を経済紛争と呼び、検討の対象に. 考えたわけである。そこで本稿では、貸借紛争を中心としつつも、. これらと併せ検討することによって、よ‑有益な論点を得られると. 上げるのは何故か。 筆者はかつて兵根を中心に戦国時代における戦争経済について論. その困窮が引き起こす貸借紛争がしばしば「自力救済の作法」をも. 据える。これらはまた幅広い階層が多‑は個々の間で展開するもの. (1). 逸脱して深刻な社会問題となったと考えたのである。. ていたのか。あるいは何が問題となっていたのか。何よりもこうし. である。戦国時代の経済紛争の現場では、どのようなことが行われ. ているが'この前提部分についてはtと‑に追究不足を自認せざる. た実態を広‑検証したい。そのうえで、それらは他の時代と比べて. 筆者の戦争経済論は全体としても未完であ‑、多くの課題を残し. をえない。たとえば'困窮の実態はいかなるものであったのか、貸. 異なるところがあるか否か、あるとすればそれはどのような位置づ こ二. 借紛争はいつの時代でも存在するのではないか等の疑問がただちに. けが可能かを見通したい。. 三. 突きつけられる。それは'困窮にせよ'貸借紛争にせよ、筆者が具 戦国時化の経済紛争.

(2) なお、本稿でのフィールドは京都周辺とする。これは 「引付」と. おいて経済がもっとも発展ないしは「膨張」した地域であ‑'それ. いう恰好の検討素材があること、またいうまでもな‑当時の列島に. 賢興なる人物が名主職を本所に没収されてしまったことが訴えられ. いることが述べられている。ここでは年貢の「無沙汰」によ‑大弐. 荘園年貢が「乱世」によって百姓等に「無沙汰」されてしまって. (3). ゆえに多‑の経済問題を抱えるであろうこと、さらには筆者自身の. ているわけであるから、「乱世」は紛争の直接原因ではないし、この. (4). これまでの作業は東国の大名領国が中心であ‑'地域的差異はもち. (5). 三条室町東北頬在所事'就一乱捨置之処'今度焼失了'稚然土. ︻史料3︼ 飯加州 一御小者春若十二廿一. 和田蔵人借物詞堂銭十五貫六百文、錐令催促'寄事於一乱'難 (10) 渋云々、. ︻史料2︼ 松九左 一真宝軒雑掌同日. 事例を次に掲げよう。. (9) が'文明九年頃からは、「一乱」という文言が目立って‑る。同年の. このほか、「御敵」「討死」「敵国」等が文明八年にかけて見られる. 場合そもそも紛争とするのが適当かということもあるが'「乱世」を. 「一乱」. ろん、権力のあ‑方からいっても比較検討すべき興味深い論点が存. 一. 重大な関連事項として訴訟が引き起こされていることは確認できる。. エロm. ︻史料‑︼ 飯加 一大弐賢興. ︻史料4︼ iEI' ‑'蝣a 一中興新左衛門尉家俊同日. (3) 倉相残之問'可知行之処、号買得、畠山中務少輔殿被押置云々、. 被勘落之、就歎申之、任買得之旨、被成奉書之処、重而本所被. っけ置料足三百貫文事、就一乱私宅焼失之勉、被奪之段無其隠. 近衛西洞院南頬居住之時、赤松伊豆殿被官河間豊後守方よ‑あ. 合 松九左 文明七 九 五. (8). 掠給奉書、任巳前御下知之旨、可預御成敗云々'. 本所久我殿へ致沙汰年貢、依乱世'百姓等令無沙汰、偽自本所. 播州石造庄内恒行・久利両名々主職事'買得相伝当知行之処、. 同日. には応仁の乱であることは当然であるが、まずその初見を掲げてお. 争に関わる文言が姿を見せ始める。時期からいって、戦争が具体的. ra. 午(一五七八) から紛争の原因もし‑は重大な関連事項として、戦. 室町幕府が関与した経済紛争を引付によって概観すると、文明六. (6). 在すると考えること、等による。. 匹Ⅰ.

(3) ( 2 ). 之処'詰責迷惑之由中之'. ( S ). 場合や雑兵によって奪取された場合、また ︻史料4︼ のようにそれ. らが複合的に組み合わさっている場合等、さまざまだったであろう。. ょって被害や混乱が生じ、その結果紛争が起きるのは当然で、取‑. だが、予想される反応として次のようなことがあろう。戦争に. して返済を難渋しているとの銭主による訴えである。︻史料3︼は. 立てて問題とすることはないではないか、と。たしかにそのような. ︻史料2︼は両堂銭を借‑た和田蔵人なる人物が「一乱」を理由と. 「一乱」によって捨て置いた在所が焼失してしまい、残った土倉を知. 評価はありうる。しかし、ここでは 「一乱」 でか‑も大きな被害が. ︻史料2︼ の大意は先に示したが、訴人の主張によれば、「一乱」. 行しょうとしたところ、すでに買得したものだとして押さえられた. ︻史料3︼では'「1乱」は紛争の遠因といえようが、︻史料2︼︻史. による被害は借主の返済逃れのための虚偽であるというのである。. あって紛争に繋がったことのみを述べたいのではない。むしろ、「一. 料4︼ はよ‑直接的に「一乱」が原因となって紛争が起きている。. 「事を一乱に寄せ」との文言はそれを端的に示している.このように. との訴えである。︻史料4︼は預けられた銭が「一乱」による私宅焼. それぞれ問題となっているのは「借物」「預物」である。こうした直. 「一乱」被害の虚偽を訴えた事例は他にもあるが、考えてみれば、紛. 乱」と経済紛争との関係を考えるときには'︻史料2︼のような場合. 接的に「1乱」を原因とする紛争はこの後いよいよ際だってい‑。. 争の一方当事者が「一乱」 による被害を申し立てれば'他方はそれ. 失の際奪われてしまったのに返済を強‑迫られ困っているとの訴え. ︻史料4︼ では「預物」は銭であったが、「1乱」中に証文を預けて. を虚偽と反駁することは大いにあ‑うるから'先に見た銭や証文の. をより深‑追究しなければならない。. いたところ'やはりその 「一乱」と関わると見られる「破却」 で紛. 紛失等の 「1乱」被害と「l乱」虚偽の訴えは、盾の両面であると. である。. 失してしまった場合もある。おそら‑は自宅が戦火に遭うことを想. いえるo「一乱」被害の主張は少なからず虚偽を含んでいると考えな. 偽であったか否かとか、「一乱」被害の事例のうちいかほどが虚偽で. しかし、ここで問題としたいのは、ある 「一乱」被害の事例が虚. ( S ). 定して他所に「預物」していたにもかかわらず、「預物」先が戦禍に. ければならないのである。. ( 3 ). 遭ってしまったということであろう。また、これは持ち込むわけで はないのでいわゆる「預物」とは異凍るが'家を預けていたところ 「一乱」 で焼失してしまった場合もある。「預物」 ではな‑ても、証. あったかということではない。重要なのは、「一乱」被害が支払い猶. ( 3 ). 文が「一乱」で紛失することはしばしばある。これら紛失の原因は. 予等の理由として虚偽をも含めて多‑持ち出されることそれ自体で. 五. 明記されていないこともあるが、具体的には戦火によって類焼した 戦国時代の経済紛争.

(4) それが支払い猶予等の理由としてかな‑の程度正当性をもって、社. ち出すだけ無駄であるからで、「一乱」被害が多‑持ち出されるのは'. が低ければ'そもそも虚偽としてもう否'虚偽であればいっそう持. ある。なぜならば'「一乱」被害を主張しても受け入れられる可能性. 影響の大きさは、推して知るべきであろう。. 与えた衝撃の大きさはもちろんのこと'経済紛争の世界にも与えた. して「応仁一乱」が記憶されているわけであり'それが実際経済に. 経過してなお、証文を紛失しても当然である'やむを得ない事態と. の被害強調からもうかがわれよう。応仁の乱終結から七十年近‑を. 六. 会的に受け止められていたからと考えられるのである。. なった。そしてそのことは、強‑人びとの意識に刻み込まれたので. されているQ過去の「1乱」の記憶ばか‑でな‑'新たな「一乱」. さらに、天文年間に関しては'いわゆる天文法華の乱も重要であ (1 8) る。これによっても、「先年一乱証文等令紛失」等の主張が数多‑な. こうして、「一乱」は事実・虚偽が入り交じり経済紛争の原因と. ある。. が新たな紛争を招いているのである。. 以上、戟争と経済紛争との関係について検討してきた。戦争が人. ︻史料5︼ 酒屋中二モ龍安寺殿御教書等致頂戴之由、雄承及之'応仁一乱. 間生活のあらゆる局面に大きな影響を与えるのは当然であるが'そ. ( S ). 出されてお‑'その点では 「応仁一乱」 の記憶が特に際だつという. 以前のところで応仁よ‑も遡る文安元年(一四四四) の事件が持ち. 「自力」の横行というのが、そこでの見通しであったが、多‑の点で. (搾取)」「好取」という行為について言及した。幕府の信用の失墜と. 筆者は、先に十五世紀後半から十六世紀にかけて横行する 「誘取. 二 「誘取」「好取」. ないと考える。. 影響を与えていることは'重要な問題として留意されなければなら. れがいわば社会意識の問題と関わって'経済紛争に複雑かつ重大な. こ、土倉・酒屋三百余千所断絶之間'引失之欺、. これは'天文十四年(1五四五) に上下京酒屋土倉中が洛中麹室 の権益をめぐって訴え出た申状の一部である。酒屋中は、彼らの権 益を保証した「龍安寺殿御教書」(龍安寺殿=細川勝元が奉じた室町 幕府御教書か)を有していたが'「応仁一乱」で土倉・酒屋が三百余. ことではない。しかし'ここではやは‑真偽は別として、「応仁一. 不十分なままであったので、重複をおそれずあらためて論じたい。. か所断絶した混乱の中'紛失してしまったと述べている。引用部分. 乱」における証文紛失主張に、現実的効果が期待されていることが. まず、これも現在では周知だが、行論上「誘取」「好取」とは何か. ( S ). 重要である。その期待の大きさは 「土倉・酒屋三百余千所断絶」と.

(5) ( 8 ). 十五世紀半ば以降多‑見られる銭主の徳政対策。利子がつかな. る、という。幕府(政所) の判断は、礼明して借状であるのが明ら. (利子つきの)借状であるのに(借主に)売券を作成させることがあ. 部分を見る。借状を売券に「好取」ることがある'すなわち本来は. い貸借は徳政令の対象とならないゆえに、利子付きの貸借であ. かならば、たとえ(売券と認めた)決定が先にされていても売券お. ということを、先学の成果に拠りつつ明らかにしておくと、. るにもかかわらず、銭主が借主に対して強要し、借書ではなく、. よびその決定をともに破棄し'今後は借状を売券に「桁取」ること. は1切禁止するというものであったo謀書作成に等しい行為に対す. 預状や売券を書かせるもの。 ということになろう。留意してお‑べき点は'これはいわば謀書作. る、至極まっとうな判断であり、当然といえば当然といえよう。. た判断にもかかわらず'むしろこの後「誘取」「好取」の事例は大き. しかし、この幕府の明応五年(一四九六)段階における厳然とし. 成に等しいが'徳政、さらには幕府の裁定を否定するものではなく' むしろそれを前提としているところである。 では、幕府はこの 「誘取」「好取」 にどう対応したか。. 3 砺 E. ‑増加する。「引付」から窺われるだけでもそうなのであるから、実. 際に行われていたそれが如何ほどのものか、容易に想像できよう。. では、「誘取」「好取」は何故減らぬどころか逆に大きく増加したの か。さらに、幕府の対応を見よう。. ︻史料6︼ 明応五 十二 十七内談 此子細、白頭人依承之'談合也、 一俵銭主所望、書道借状於売券事、 此儀'兼日御法難被相定之、依彼状文言等、毎々可有批判之子. ︻史料7︼. 但御加判七月廿八日出、即廿九執事代へ渡之'使者井口'. 細也、為借状無躍跡於売券者、以口状、兎角錐差中之、不可被. 売券、或調置預状云々、雑然就加利平'分壱進済之条、任法被. 一鴨御祖大神首領城州静原郷百姓等借用要脚弐拾貫文事'或遣. 有御成敗、次好取借状於売券事在之、然御礼明之処、借状之段. 棄破之詰、彼百姓存知其段、可相触銭主田中藤左衛門男之由、. 許容之段、御法在之上者、可為不運之条、任証文、売券之段可. 為分明者、被号帯 公験、被打置之者'不可有尽期之間、縦雄. 所被仰下也、櫓下知 永正弐年五月廿三日. 備中寺平. 朝臣. / ; , 1 ). 散 位三善朝臣. 帯御下知'売券彼御下知共以可被棄破之'然間、向後借状於売 ( S ). 券掃取之事、1切可被停止之欺'. この史料は幕府の政所における協議'判断を示したものである。 前半にも重要な論点があるが後述するとして'ここでは後半の傍線 戦国時代の経済紛争. 七.

(6) いるので、というのが裁定の理由として重なっているが、事実とし. 見た判断に沿っており'まった‑問題ない。ただ、分一銭を納めて. ても利子を加えているのが明らかだから、というのは︻史料6︼ で. 法に任せて貸借を棄破する、というものである。売券や預状があっ. が、利子を加えているのが明らかであ‑、分一銭を納めているので'. ついては、売券を遣わした‑、預状を調え置いた‑しているという. これは、もっともわか‑やすい幕府の裁定である。問題の借銭に. ︻史料9︼. を見ていこう。. 入ればどうでもよかったということになるのである。もう少し事例. とっては「誘取」「好取」をしていようがいまいが、分一銭さえ手に. し‑述べていることはたんなる装飾句ということになる。幕府に. があっても利子を加えているのが明らかだから'などともっともら. えに「分l銭を納めていること」であって'︻史料7︼で売券や預状. ち貸借関係は維持するとしている。してみれば'裁定の理由はひと. 「\ ノ. て分一銭を納めていることが書き添えられただけであり、異とする. !. 一室所々秘計銭弐拾一貫九百文余事、任今度徳政法、拾分壱進. .. ほどではないともいえる。何よ‑も、幕府の政所沙汰は十六世紀に. '. 納之条'不可有改動之上者、早守活券・預状・借状等之旨、本. :. 入ると分一徳政に関する案件が激増するのであるから'分一銭が見 蝣. 利共以可加催促之由、所被仰下也'偽執達如件、. (. 大永六年十二月廿六日. (27). 平朝臣. えてもそれだけでは珍し‑もない。 では'これはどうか。 ︻史料8︼. (8) 橋本藤左衛門尉殿. 1 岩蔵地下人等秘計米拾弐石九斗井料足弐貫参百文脈紋催事、雄 好取預状'任今度徳政法'令進納拾分壱之上者'不可有改動之. ︻史料10︼. 天文十六年二月十二日. 左衛門尉神. 宜園部四郎左衡門尉存知由、所被仰下也、偽下知如件、. 細在之間、任今度徳政法、十分一進納之上者'不可有改動之旨、. 一対竹田宮内倍達要脚都合十五貫七百文事、雄為預状、契約子. 由'所被仰下也、偽執達如件、 大永六年十二月十九日. ( 8 ). 天生弥三郎殿. 問題は明らかである。預状を「好取」 ってはいるけれども'徳政 の法に任せて分一銭を進納した上は、「改動あるべからず」、すなわ. 伊.

(7) 淵三左. 銭 を 進 納 し て 幕 府 の 裁 定 を 受 け た の か 。 こ れ こ そ が 「 契 約 子 細 」 の 内 容 と 関 わ る で あ ろ う 。 つ ま ‑ 「 契 約 子 細 」 と は 利 子 を 付 け た こ と そ の も の で あ っ た と 考 え ら れ る 。 で あ る か ら こ そ う 銭 主 は 分 一 進 納. ︻史料11︼ 諏孫三. 右子細者'去年以来所々江秘計料足都合拾貫六百文事'指値雄 を す る 必 要 が あ っ た の で あ る 。. 一黒川与次郎新五郎申状 天文十五 十二 二. 為売券井預状'利平之儀申合之条'今度任徳政御法'十分一進. ︻ 史 料 1 1 ︼ を 見 れ ば 、 そ れ は 露 骨 に 裏 づ け ら れ る 。 す な わ ち 、 売 券 や 預 状 が あ る け れ ど も 、 「 利 平 之 儀 」 を 申 し 合 わ せ て い る の だ か ら 、 分 一 銭 を 進 納 し て い る 上 は 、 本 利 と も 相 違 が な い よ う に 、 と い う 。. で あ る 。 な ぜ な ら ば ' 借 状 が 利 子 に つ い て 記 載 し て い る の は 当 然 で. も に 」 催 促 を 加 え よ 、 と い う の は ま さ し ‑ 語 る に 落 ち た と い う べ き. 何 の 問 題 も な い よ う だ が ' 活 券 ・ 預 状 ・ 借 状 等 の 旨 を 守 ‑ 「 本 利 と. あ る べ か ら ず 」 と い い 、 そ の か ぎ ‑ で は 銭 主 側 の 勝 訴 と し た だ け で. ︻ 史 料 9 ︼ で は 分 一 銭 を 進 納 し た の で 、 貸 借 関 係 に つ い て は 「 改 動. こ と に な る で あ ろ う 。 ︻ 史 料 1. が 何 に よ っ て 裁 定 す る か と い え ば 、 そ れ は 結 局 分 一 銭 進 納 に か か る. る は ず は な い 。 銭 主 ・ 借 主 い ず れ の 主 張 が 認 め ら れ る に せ よ 、 幕 府. の 具 体 的 内 容 と い え る で あ ろ う 。 も っ と も 借 主 が そ れ を 容 易 に 認 め. の 文 面 に 表 れ な い 申 し 合 わ せ こ そ 、 ︻ 史 料 1 0 ︼ に お け る 「 契 約 子 細 」. 当 事 者 間 で 申 し 合 わ せ て あ れ ば よ い こ と に な る 。 こ の 「 利 平 之 儀 」. 日. 納之上者'本利不可有相違之旨'被成下御下知者、恭可存云々' 天文十五年十二月 ( 8 ). あ り 、 そ れ を 認 め る の も 分 1 徳 政 禁 制 で は 当 然 だ が 、 活 券 = 売 券 や. 取 」 の 公 認 に 等 し い 。 ど の よ う な 理 屈 を つ け て も 「 契 約 子 細 」 で 言. (下略). 預 状 は 本 来 利 子 の 記 載 な ど あ る は ず が な い の で あ っ て 、 そ れ が あ る. い 抜 け 、 「 利 平 之 儀 」 申 し 合 わ せ を 優 先 さ せ て し ま う の で あ れ ば 、. こ れ で は 証 文 の 文 面 が 何 で あ っ て も 関 係 が な い 。 利 子 を 取 る こ と が. と す れ ば 「 誘 取 」 「 好 取 」 に は か な ら な い 。 し た が っ て 、 活 券 ・ 預 状. 主 の 主 張 の い ず れ が 正 し い か な ど に は ま っ た く 無 頓 着 な 幕 府 の 姿 勢. 「 何 で も あ り 」 と 言 っ て い る の と 同 じ こ と で あ る 。. ︻ 史 料 1. で あ る 。 も っ と も 、 分 7 徳 政 ・ 分 7 徳 政 禁 制 と は 所 詮 そ の よ う な も. の 旨 を 守 っ て 「 本 利 と も に 」 催 促 を 加 え よ 、 と い う の は 「 誘 取 」 「 好. わ ち 「 こ の 場 合 は 個 別 の 契 約 の 事 情 が あ る の だ か ら 」 と し 、 分 7 銭. の で あ ‑ ' 今 さ ら 声 高 に 主 張 す る ほ ど で な い と の 見 方 も あ ろ う 。 し. ︻ 史 料 0 0 ‑ m ︼ か ら 明 ら か な の は 、 分 一 銭 さ え 手 に 入 れ ば 銭 主 ・ 借. を 進 納 し て い る 上 は t と し て 貸 借 関 係 維 持 が さ れ て い る 。 一 見 何 の. か し 問 題 は ' 「 一 切 停 止 」 と い っ た ん は 厳 格 な 姿 勢 を 示 し た 「 誘 取 」. 取 」 の 公 認 と 同 じ こ と と い わ ざ る を 得 な い の で あ る 。. 変 哲 も な い が 、 で は 真 実 預 け た だ け の こ と な ら ば 、 何 故 銭 主 は 分 一. 九. 0 ︼ で は 預 状 が あ る け れ ど も 「 契 約 子 細 」 が あ る か ら 、 す な. 戦 国 時 代 の 経 済 紛 争 .. 0 ︼ ︻ 史 料 u ︼ は 、 ま さ に 「 誘 取 」 「 好.

(8) 「好取」を、なかば公然と認めてしまったところにある。. 一〇. 題はなかったであろう。幕府の裁定に依存はしているのだし、分一. 対処するよ‑はこの方が賢いようにすら見える。しかし'一方での. ヽヽ. 銭の収入もあるのだから。日々惹起する複雑な経済紛争にまともに. て‑るのは、想像に難‑ない。事実'幕府に対する銭主・借主双方. ますますの依存とともに、他方では別の動きがあった。証文に書か. これによ‑幕府への分一銭進網にますます依存する人びとが現れ. の訴えは、あれこれ理屈を述べてはみるものの、結局、分一銭を進. れていることが何であっても関係ないということは'証文そのもの. というものになる。一応正当. 納しますのでよろし‑お願いしますう. に対する信用を失わせることにもなったからである。. 大永八年五月. 日. ( ァ ). 存'若此旨偽申使者、可預御罪科者也、偽云々. ︻史料14︼. 塚本. 進納十分一上着'被棄破之託、鹿谷庄・同散在竜口地下人等可. 或不及借書中合之云々、既加利平之段分明之条'任今度徳政法、. l 対方々輩米銭麦以下借用破脈確事'或誘堅冗券状状・預状、. (ママ). 徳政之御法、拾分壱進納之上者、被成下棄破御下知者、可恭異. 用者也、殊以借状一通も不遣之、以口状申談候、然者住ま々年. 右対案川東'大永六年三月、料足六貰文、加三文子利平、令借. ︻ 史 料3 1︼ 松孫右 1宮野太郎四郎宗久申状大永八五三. ような方策をもって自らの権利を守ろうとしたのであろうか。. 証文に信が置けないとなれば、人びとは、経済活動においてどの. 三 「私法度」. 性を主張しはするが、幕府の姿勢を考えれば'分一銭進納のことさ えしっか‑と確認しておけばよい、となるのは当然のことであった。 それどころか'次のような訴えすら出てくることになる。 ︻史料12︼ 紙」‑H. 一大森与左衛門尉長政申状 天文十五 十二 九. 右子細者、所々江令秘計米銭都合弐拾壱貫八百文事、鎧催或売 券、或雄誘取預状、利平之儀申合之条、任徳政御法、拾分一進. 日. 納之上着、不可有改動之旨、被成下御下知者'恭可奉存云々 天文十五年十二月 ( 8 ). (下略). 売券や預状を「誘取」ってはおりますが、「利平之儀」を申し合わ せてお‑ますので'分一銭を進納したからには貸借関係に改動あり ませんように、という。もはや訴える側がぬけぬけと'自分は「誘 取」をしていますが、と述べている。ここに至って、︻史料6︼は まったく空洞化したといえよう。 もっとも、幕府にとって、こういう人びとのみであれば、特に問.

(9) 存知之由、所被仰下也、偽下知如件、 天文十五年十二月二日. ︻史料15︼ 飯中大. あ る 。. が 相 並 ん で 問 題 に さ れ て い る 。 後 者 が ︻ 史 料 1 3 ︼ と 同 様 に ' 証 文 を. ︻ 史 料 1 4 ︼ で は 売 券 ・ 預 状 の 「 誘 取 」 と 借 書 に 及 ぼ ざ る 「 申 合 」 と. 散 位三善朝臣. こ に は ' 経 済 紛 争 の 起 因 と な る 二 つ の 方 向 、 幕 府 裁 定 に 依 存 し な が. 作 成 し な い 口 頭 で の 約 束 で あ る こ と は 説 明 の 要 が な い で あ ろ う 。 こ. ‑. (31). 前丹後寺平朝臣 伊. ら 証 文 を 偽 造 し て い ‑ 方 向 と 、 証 文 に 信 を 置 か ず 幕 府 裁 定 を 期 待 し. 右借物米麦銭共以員数十五貫六百文、或売券状'或預り状'只. 幕 府 は ' ︻ 史 料 6 ︼ の 段 階 で は 次 の よ う に 述 べ て い た 。 「 ( 儒 状 を 売. 券 ・ 預 状 と 「 只 借 り 」 と い う の も 、 同 様 の あ り 方 で あ ろ う 。. な い 方 向 が ' と も に 示 さ れ て い る と い え よ う 。 ︻ 史 料 t f j ︼ に お け る 売. 借り等事、交名目録別紙在之'加利平証跡分明之上者、任徳政. 券 に し て し ま う こ と に つ い て は ) そ の 状 の 文 言 等 か ら つ ね づ ね 判 断. 一鹿谷庄井龍口村地下人借主各申状 天文十五 十二 二. 之御法'十分1御倉へ可約中間、被成下棄破御下知者、可奉恭. す る こ と に な っ て い る 。 実 際 は 借 状 で あ る と い う 証 拠 が な い 売 券 に. 云 々 」 と 。 す な わ ち ' 「 誘 取 」 「 好 取 」 の よ う な 場 合 に は そ れ を 示 唆. つ い て は ' 口 先 で い ろ い ろ 主 張 し て も 認 め ら れ な い と い う 法 が あ る. 存候、若此旨偽申者、任御法可預御成敗者也'偽言上如件' 天文十五年十一月 日 ( S ). (下略). 頭 で の 約 束 が 占 め る 比 重 が 大 き か っ た と 思 わ れ る が 、 そ れ は 「 誘 取 」. い る わ け で あ る 。 ま た 、 先 に 見 た 「 契 約 子 細 」 な ど も お そ ら ‑ は 口. で あ っ た が 、 こ こ で は 証 文 自 体 を 作 成 せ ず に 口 頭 で の 約 束 と な っ て. え が さ れ て い る 。 「 誘 取 」 「 好 取 」 は ' ま だ し も 証 文 を 偽 造 す る 行 為. こ の よ う な な か 、 当 事 者 自 ら の 工 夫 と 実 力 に よ っ て 経 済 紛 争 を 切. け で な ‑ 、 そ れ に 依 存 し て い る は ず の 幕 府 裁 定 の 信 用 が 下 落 し た 現 o れ と 考 え ら れ る の で あ る 。. い 貸 借 ・ 貸 借 契 約 等 の 経 済 活 動 は 、 証 文 の 信 用 の 失 墜 と い う こ と だ. 断 す る 、 そ れ が な け れ ば 認 め ら れ な い 、 と い う わ け で ' 徹 底 し て 文 ( S ) 書 内 容 か ら 裁 定 す る 姿 勢 が 見 ら れ る 。 し て み れ ば 、 文 書 に 依 存 し な. す る 文 言 が 必 ず 文 書 中 に 含 ま れ て い る で あ ろ う か ら そ れ に よ っ て 判. 「 好 取 」 と セ ッ ‑ に な っ て 行 わ れ て い る わ け で あ ‑ ' 証 文 が l 通 も な. り 抜 け よ う と す る 動 向 が 、 垣 間 見 ら れ る 。. 3 ︼ で は 「 口 状 」 で 貸 借 契 約 が さ れ ' 証 文 が 一 通 も な い と 訴. い 事 態 と は お よ そ 趣 を 異 に す る 。 こ こ で ' 幕 府 の 裁 定 が は じ め か ら. ︻ 史 料 1 6 ︼. ︻ 史 料 1. 期 待 さ れ な い 事 態 に 至 っ て い る 点 は 、 重 視 し な け れ ば な ら な い の で 戦 国 時 代 の 経 済 紛 争. 一 一.

(10) uS. AS. AS. AS. 一宰相申状. 諏神左. 申状 *y. u. as. 淳盛源二郎加々女両三人謹言上 天文十五 十1 十七. 右対抽屋三郎左衛門尉借銭讐葬',都合十八貰文事、任今度徳 政御法'十疋進納上者、被成下棄破御下知者、可奉恭存、於借 書者'依銭主之望預状二調遣候託'雑然毎々利平過分こ挙来段、 使証人在之、於菟角申子細者、借主井請人相対可申明者也、若. ( S ). 叉至御不審者'銭主二被成下間状御下知'可預御礼明歎'偽言 上如件、 天文十五年十1月十l日. 二一. 返済の使者を依頼し、万1の場合はその第三者に利子付き貸借を証. 明してもらうわけであろう。もちろんこれは、まだ幕府による裁定. の場での証明'したがって幕府の裁定を前提としている。してみれ. ば'分一銭進網がされてしまえば、あるいはしてしまえば、いずれ. にせよ効果はあまりなかったのではないかとも思われるが'証文の. 有効性を疑問視し、独自の方策が生み出されている点が注目される のである。. ︻史料17︼は洞堂銭の質物について'詞堂銭の借主が銭主に対して. 預状を要求し、徳政に際して「常式質物」のごとく違乱に及んだ、. として訴えられたものである。預状は通常では銭主が「誘取」るも. のであるが、ここでは借主が質物の預状を銭主に強要して書かせ、. 遣之、借主之一行ヲモ預状二調来之間、不能是非給置之処、就今. 子一給置之依託'為大事維子之間'預状ヲ所望之由中之条、認. したたかな借主の姿を示している。銭主はもちろん借主たちにも独. 前提しているところであろうが、︻史料1 6︼︻史料17︼ともに、実に. (補註‑) る」行為、それのもたらす複雑さを示す興味深い事例である。 (K) 「いつも弱い立場にあった借主達」というのは、筆者も含め漠然と. あげ‑に徳政に際して質物取‑戻しに用いている。「預かる」「預け. 度徳政、如常式質物及違乱之段、一向無其謂次第也、既当院洞. 自の動向は確実に存在していたと見るべきであろう。これを象徴す. ︻史料17︼ 桧対 建仁寺常光院内 一宗祥首座申状 天文十六 二 十一. 堂銭尊者、帯去大永六年厳重御下知、殊先度被成頭人尊札上着、. る史料をもう一つ挙げておこう。. 右対下京沢村新兵衛尉、去年五月、為嗣堂銭廿二貫文質物、維. 一切不可有改動之由預御成敗者'可恭存、若猶至御不審者'以. 楯撃針,任今度徳政御法之旨、可渡付由申達処'以私法度菟角. 右吉田郷内寺家井地下衆所々置之質物代物都合拾四貫八百文事、. 一東山十郷内脚銅。同銅調子聖覆地下人申状. ︻ 史 料 18 ︼. 日. ( S ). 問状御下知可被遂御礼明歎、偽言上如件' 天文十六年十二月. ︻ 史 料6 1︼ に は 「 便 証 人 」 な る も の が 見 え る 。 借 主 が 第 三 者 に 利 子.

(11) 令拘情、一向不能承引者也'所詮'速可令棄破之旨'被成下御. 傾かないあ‑方を、どう考えるべきなのかが問題である。ここにこ. ような火種のつきない経済紛争のあり方、大きな動向へスムースに. 年'以下久保A論文とする)。「戦国社会の戦争経済と支出」 (﹃早稲田大学. (‑) 拙稿「戦国社会の戦争経済と収取」 (﹃歴史学研究﹄七五五号、二〇〇1. ・王 ina. があると考えるが'すべて後日の課題としてひとまず筆を摺‑。. や「私法度」 の問題'また借りる側にすら忌避されて‑る徳政に鍵. そ戦国時代の経済紛争の特質がか‑されている。本稿で述べた戦争. 下知者、可奉恭存云々、 I J C ‑ ,. 天文十五年十一月 日. ︻史料1 8︼では'徳政によって質物取‑戻しを目指した東山十郷内 地下人が、銭主(「所々置之質物」とあるから複数であろう)の「拘 惜」に遭って業を煮やし'幕府に訴え出ている。問題は「拘惜」の 論拠で、それは「私法度」をもってtとされているのである。ここ でその具体的内容を知ることはできないLtたんなる比倫に過ぎな. 字化したものであ‑、久保B論文はこれに対する批判に応え'また若干の. A論文は、二〇〇1年五月二七日の歴史学研究会大会中世史部会報告を活. 大学院文学研究科紀要﹄四八㌧二〇〇三年'以下久保B論文とする)。久保. 補足を試みたものである。. いかもしれないが'自らの実力によって経済紛争を切り抜けようと する動向があるとすれば'「私法度」とはまさにそれにふさわしい比. 二二. (5) 現在'戦国時代の権力をめぐる議論は混沌ないしは停滞している。代表. 重複するところもある。. (4) 久保A論文では、若干貸借紛争に言及した。後述するが'本稿はそれと. 参照。. 九七六年、のち佐藤﹃日本中世史論集﹄'岩波書店'一九九〇年'所収)を. び佐藤進一「中世史料論」 (﹃岩波講座日本歴史﹄25別巻2㌧岩波書店'一. 稿では裁判記録の意で用いる。なお'桑山浩然「解題」(﹃集成﹄上)、およ. 「引付」は中世ではもともと多様な史料に用いられていた名称であるが、本. 集成﹄ (以下'﹃集成﹄と略記) 上・下(近藤出版社) による (1部校訂)。. (3) 本稿で引用する引付史料は、基本的に桑山浩然校訂﹃室町幕府引付史料. ずその展開として経済紛争を論じていきたい。. だしも貸借紛争には言及してきているという経緯があるので、ここではま. (2) 当然、困窮はどうなのかtということになるが、筆者自身の作業が'ま. (補註2) 倫といえるのではないだろうか。. むすぴにかえて. あらためてまとめることはしないが、本稿で述べた経済紛争のあ ‑さまを結ぶ糸=戦国時代における特質はあるのだろうか。近年、 戦国時代の金融や徳政の研究では債権者の権利が保護される方向へ 社会全体が動いてい‑という指摘や'突発的な徳政1漢や徳政の主 張は経済秩序を乱すものとして望まれな‑なってい‑という指摘が ( g ). されている。これらの説に対して、今のところ筆者は肯定も否定も できないがt かりに大きな動向がそうであったとして'本稿で見た 戦国時代の経済紛争.

(12) の対極にあるのは幕府‑守護体制論である。前者で最も研究が先鋭化して. 「政所賦銘引付」五1九号(﹃集成﹄上、三九六頁).. うである」として、い‑つかの事例を挙げている。. 一四. 店、二〇〇〇年、のち藤木﹃飢餓と戦争の戟国を行‑﹄'朝日新聞社、二〇. の乱の底流に生きる」 (﹃ものがた‑日本列島に生きた人たち﹄ 4、岩波書. 藤木久志﹃雑兵たちの戦場﹄(朝日新聞社、一九九五年)および同「応仁. その影響が最後まで及んだ京都さらには畿内近国であるわけだが、両者の. 「政所賦銘引付」一五六号(﹃集成﹄上'三〇二頁)等.なお、「政所賦銘. 〇一年、所収)等を参照。. 研究はほとんど交わることな‑進められている。. いるのが北条氏およびその領国であ‑'後者の中核にあるのが幕府および. 的なものの1万を大名領国利論ないしは戦国大名権力論とするならば'そ. ( S ). 引付」二t三号(﹃集成﹄上、三1六頁) では'事を 乱」に寄せた押領. が大半である。﹃集成﹄では'およそ五分の四以上を政所沙汰関係の引付が. (6) もってまわった表現となったが、こうした問題はいわゆる「政所沙汰」. 占める(残‑は御前沙汰)。なお、戦国時代の政所沙汰については'山田康. 久保A論文。なお'そこでも引用しているが、これについては、すでに. 「賦引付井徳政方」六七号(﹃集成﹄下、四一六頁). 「別本賦引付二一二号(﹃集成﹄上、四三四頁). が訴えられてお‑、これは「一乱」加害の虚偽を訴えたものといえる。. 〇〇年、所収)を'室町幕府政所沙汰全般の研究については、桑山浩然註. 弘「戦国期の政所沙汰」 (同﹃戦国期室町幕府と将軍﹄、吉川弘文館、二〇. (3) 「解題」および山田前掲論文を参照。. 古‑は戦前に中田薫「法制史漫筆」 (﹃法制史論集﹄三下、岩波書店、一九. (7) もっとも、﹃集成﹄では文明以前の史料はけっして多‑ない。御前沙汰関 係では永享年間の「御前落去記録」「御前落去奉書」、政所沙汰関係では「政. 四三年、所収)が言及Lt戦後も蜜月圭吾①「預状についての一考察」(﹃白. 註(2)論文では'天文七年に浅井亮政が近江北都にあてて発令した徳政. 禁止していない点'︻史料6︼とは意味合いが異なるであろう。なお'藤木. ぼ同文)。これらも「誘取」「好取」を聾肘するものではあろうが'明確に. 書熔川家文書﹄ 二一五二二七二・三七三号、なお三七二号と三七三号はほ. 川親元書状や永正元年(一五〇四)の徳政条々を挙げている(﹃大日本古文. 断が示されているものとして、賓月註(2)①論文では'文明十七年の蛤. 利平を取っている形跡があったならば徳政の適用を受けるという幕府の判. 「誘取」「好取」等の文言に触れていないながら、預状・活券(売券) に. 「幕府政所内談記録」 (﹃大日本古文苦味川家文書﹄二二五号). 中田・賓月前註論文参照。. と徳政﹄、所収) で分析が行われている。. 文化財研究所研究紀要﹄三、一九八1年、のち賓月前掲﹃中世日本の売券. 館、1九九九年、所収)、②「醍醐寺行樹院澄恵売券とその背景」(﹃醍醐寺. 山史学﹄一四、1九六八年、のち賓月﹃中世日本の売券と徳政﹄'吉川弘文. 所方書」 の一部(永享年間)と寛正年間の「政所内談記録」‑らいである。 (8) 「政所賦銘引付」五四号(﹃集成﹄上、二七五頁)。なお「同日」とあるの は、十二月十八日である。 (9) 「政所賦銘引付」六八・七三・八九・九六・九七号(いずれも﹃集成﹄上、 順に二八〇二一八一・二八五二一八七・同前頁)等。. のは、十二月八日である。. (2) 「政所賦銘引付」一四八号(﹃集成﹄上、三〇〇頁)。なお「同日」とある. (3) 「政所賦銘引付」 1五〇号(﹃集成﹄上、三〇l頁)O (1) 「政所賦銘引付」 1五四号(﹃集成﹄上'三〇l頁)。なお同日とあるのは、 十二月二十七日である。. いては、藤木久志「村の隠物・預物」 (﹃ことばの文化史﹄中世上平凡社、. (2) 「政所賦銘引付」四一八号(﹃集成﹄上、三六七頁)。なお、「預物」につ. 1九八八年、のち「村の隠物」と改題して藤木﹃村と領主の戦国世界﹄、東 京大学出版会、1九九七年、所収)を参照。藤木氏は「村にかぎらなけれ ば、証文などを安全のためよそに預ける習わしそのものは'かなり古いよ. 21 20 22.

(13) みなして、徳政を適用する、というのである。明らかに「利息なしの預物」. 条々の1箇条を引き、「たとえ「預‑状」でも、もし利息付きなら'借状と. (col 「銭主賦引付」四号(﹃集成﹄下'二三八頁). lev 「徳政御下知頭人加判引付」八三号(﹃集成﹄下、四五五頁). ¥C<l) 「頭人御加判引付二」七四号(﹃集成﹄下'二〇八頁). れていたことは疑問の余地がない」とする。預物の習俗の広が‑にはまっ. Kco) 「徳政賦引付」六四号(﹃集成﹄下、≡≡頁). (ォ) 「徳政御下知頭人加判引付」四四号(﹃集成﹄下、四四〇頁). (8) 「賦引付三」 1四四号(﹃集成﹄下、三二頁). 「銭主賦引付」一九号(﹃集成﹄下'二四八頁)。同様の事例は数多い。. の習俗を前提にした立法であ‑'その背後に'借米借銭や質草とはっき‑. た‑同感であるし、「預ける」「預かる」という行為は 肋縄でいかない問. 区別される、利子をつけない米銭や道具の預物が、中世の村々に広‑行わ. 題を含んでいると思う(この点、若干後述)。ただへ浅井氏の問題の箇条が. で触れた永正元年の徳政条々では'「文章に依るべからず」と規. 定してお‑'1見︻史料6︼と矛盾しているが'これも註(2) で言及し. 註. た蛤川親元書状では'「雄為少分'以利平喜加預状候者、不依文章'可准借. 直接前提としたのは'賓月氏の引‑幕府の判断ではないだろうか。とすれ. たことの傍証となろう.また'阿部浩1氏は藤木註(2)論文を引き'「「預. ば'「中世の村々に」というよ‑は、まさに「中世社会に」広‑行われてい. ているわけだから'これに続‑「文章に依らず」というのは'利子記載以. 外の文章に依らず、と解釈すべきである。永正元年の徳政条々についても、. 書候哉」とある。少しでも利子のことが預状に記載されていればtと述べ. 「利平」云々は前の部分にないが'同様であろう。. ‑状」=無利子の貸借というだけではなお不十分」として'「預‑状とは徳. るのではないだろうか」とする (阿部「戦国時代の菅浦と代官支配」、﹃歴. 政回避の手段として生み出されたものとした方がよ‑正確な理解につなが. 史学研究﹄六七1号'1九九五年t のち同﹃戦国期の徳政と地域社会﹄、吉. の特質についても、「徳政、それも幸徳徳政との接触によって'はじめて賦. 注) が姿をあらわしているのは事実」 であるとし'預状における無利子性. 論文では、「少な‑とも南北朝時代には、この文書(預状のこと‑⁚久保. としての「誘取」「好取」であったと見てよいと考えるが、蜜月註(S)①. しなければならないと考えるが、大名領国の経済紛争と併せて考える別稿. 業における慣習と秩序」と改題して同前掲著書'所収)等との関連で検討. おける慣習と秩序」'﹃人民の歴史学﹄九四号、一九八七年、のち「中世商. 九九六年)'それと関連する公権力の裁判能力の問題(同「日本中世商業に. 退潮」(桜井「中世の経済思想」'同﹃日本中世の経済構造﹄、岩波書店、一. (34) この点、桜井英治氏が述べた「中世と近世のはざまに訪れた文書主義の. 与されたものではな‑、それ以前から'預状が本来的に具備していた性格. に譲‑たい。. 川弘文館、二〇〇一年、所収)。浅井氏が直面した問題は'まさに徳政回避. であった」 ことは明らかtとしている。預状の発達や特質については、や は‑中世社会の預物の習俗や「預ける」「預かる」行為の意味との関わ‑で. (¥&¥ 一三号(﹃集成﹄ 下、二九七頁) ¥ c o ) 「 徳 政 賦 引 付 」 下、二七三頁) (^¥賓月註(S). と戦国大名﹄ (講談社'二〇〇1年). 一五. 生活世界﹄、山川出版社、一九九六年)、久留島典子﹃日本の歴史13一挺. Ken) 中島圭一「中世後期における土倉債権の安定性」(勝俣鋲夫編﹃中世人の. ㌔‑f''%て. 七二号(﹃集成﹄ 下ー三三〇頁) ¥co)「徳政賦引付」. 五六号(﹃集成﹄ ¥co)「銭主賦引付」. (8) 「頭人御加判引付二八四号(﹃集成﹄下、1七1頁). 広‑検証してい‑必要があるのではないだろうか。. (2) 分1徳政については、桑山浩然「室町時代の徳政」(稲垣泰彦・,水原慶二 編﹃中世の社会と経済﹄、東京大学出版会、一九六二年、所収)を参照。 ﹃集成﹄下に収められているのは、ほぼ分一徳政についての引付である。 tcsiJ 「頭人御加判引付二」五〇号(﹃集成﹄下'一九八頁) 戦国時代の経済紛争.

(14) (補註‑) ここでの預状はいわば「質札」なのか等、興味深い論点があるが' 別に検討の機会を得たい。. 題として考えている。. (補註2) 今のところ「自力救済の作法」から逸脱する、まさに「実力」 の問. ご教示をいただいた。記して感謝する。. ︹追記︺ 本稿作成にあたって、糟谷幸裕・菊池浩幸・則竹雄一の三氏に貴重な.

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