[この対照表について]
• 和訳について、『純粋善について』は小村優太、『原因論』は小林剛、『神学綱要』は西村洋平による。
• ただし、訳注は省いてある。テクストの扱いや哲学的解釈も含めた詳しい訳注ついては、それぞれの訳を参照。
• 原文は、底本にしたがう(文献表参照)。なお、アラビア語については、小村がローマ字に音写したものを掲載する。
• 底本と違う読み、あるいは句読点の違い、写本に問題がある箇所などの原文は斜体(イタリック)で表記する。詳しく
は、それぞれの訳者の註を参照。
• プロクロス『神学綱要』の対応個所について、必ずしもすべてが厳密に対応するわけではない。一語ないし文全体のう
ちの一部が対応している場合には、対応すると思われる部分に下線を引いたが、全体が自由にパラフレーズされている 場合は、そのまま下線を引かないである。詳しくは、西村の訳注を参照。
• [ ]内の数字は、『原因論』の節番号に対応している。『純粋善について』については、(底本頁数、行数)を、『神学 綱要』については、命題数(底本頁数、行数)を併記した。
『純粋善について』第 1 章
[1](p. 3, l. 5)
彼は言った:すべての第一原因は、第 二の全体的な原因よりも、その結果に たいして、流出においてより大きい。 qāla: kullu ʻillatin awwaliyyatin fa-hiya aktharu fayḍan ʻalā maʻlūli-hā min al-ʻillati al-kulliyyati al-thāniyyati.
[2](p. 3, ll. 5–7)
そこで第二の全体的な<原因>が事 物からその力を取り除いたとき、第一 の全体的な原因は、それからその力を 取り除かない。
fa-idhā rafaʻat <al-ʻillatu> al-kulliyyatu al-thāniyyatu quwwata-hā ʻan al-shay’i, fa-inna al-ʻillata al-kulliyyata al-ūlā lā tarfaʻu quwwata-hā ʻan-hu,
『原因論』第 1 章
[1]
第一原因はすべて、第二の全体的原因 よりも、結果に、より大きな影響を及 ぼすものである。
Omnis causa primaria plus est influens super causatum suum quam causa universalis secunda.
[2]
だから、第二の全体的原因が自らの力 を事物から取り除くとき、第一の全体 的原因は自らの力を事物から取り除 かない。
Cum ergo removet causa universalis secunda virtutem suam a re, causa universalis prima non aufert virtutem suam ab ea.
『神学綱要』§56, 70 = 第 1 章
[1]≈ prop. 56 (p. 54. 4–6)
第二のものから生み出されたものは すべて、第二のものもそこから生み出 された、より先でより原因的なものか らも、より強大な仕方で生み出される。
Πᾶν τὸ ὑπὸ τῶν δευτέρων παραγόμενον καὶ ἀπὸ τῶν προτέρων καὶ αἰτιωτέρων παράγεται μειζόνως, ἀφ' ὧν καὶ τὰ δεύτερα παρήγετο.
[1]≈ prop. 70 (p. 66. 1)?
原理的なものにおけるより全体的な ものはすべて、分有するものに向かっ て輝き出すのが、個別的なものよりも 前であり[…]。
Πᾶν τὸ ὁλικώτερον ἐν τοῖς ἀρχηγικοῖς καὶ πρὸ τῶν μερικῶν εἰς τὰ μετέχοντα ἐλλάμπει...
[2]≈ prop. 70 (p. 66. 27)
そして、それ〔第二のもの〕が去った あとでも、このもの〔より原因的なも の〕はまだ現前する。
καὶ ἀπολιπόντος ἐκείνου τοῦτο ἔτι πάρεστιν.
[3](p. 3, ll. 7–8)
というのも、第一の全体的な<原因> は第二原因の結果のうちで活動する のだが、それはそれに近接する第二の 全体的な原因がそのうちで活動する 前であるのだから。
wa- dhālika anna <al-ʻillata> al-kulliyyata al-ūlā tafʻalu fī maʻlūli al-ʻillati al-thāniyyati qabla an tafʻala fī-hi al-ʻillatu al-kulliyyatu al-thāniyyatu allatī talī-hi.
[4](p. 3, ll. 8–9)
そして結果に近接する第二原因が活 動するとき、その活動は、その上にあ る第一原因を欠くことが出来ない。 fa-idhā faʻalat al-ʻillatu al-thāniyyatu allatī talī al-maʻlūla lam yastaghni fiʻlu-hā ʻan al-ʻillati al-ūlā allatī fawqa-hā.
[3]
というのも、第一の全体的原因が第二 原因の結果に作用するのは、その結果 のすぐ後に来る第二の全体的原因が 結果に作用する前だからである。 Quod est quia causa universalis prima agit in causatum causae secundae, antequam agat in ipsum causa universalis secunda quae sequitur ipsum.
[4]
それゆえ、結果のすぐ後に来る第二原 因が作用するとき、その作用は、第二 原因の上位にある第一原因から逃れ ることはない。
Cum ergo agit causa secunda, quae sequitur causatum, non excusat ipsius actio a causa prima quae est supra ipsam.
[3]≈ prop. 70 (p. 66. 14–16)
というのも、より原因的であるものが 第二のものへの活動を開始するのは、 後続のものよりも前であり、それ〔後 続のもの〕の現前と一緒に現前し、そ れ〔後続のもの〕がもはや活動してい ないとしても、なお現前し活動する。 καὶ γὰρ ἄρχεται πρὸ τοῦ μετ' αὐτὸ τῆς ἐνεργείας τῆς εἰς τὰ δεύτερα, καὶ σὺν τῇ ἐκείνου παρουσίᾳ πάρεστι, καὶ ἐκείνου μηκέτι ἐνεργοῦντος ἔτι πάρεστι καὶ ἐνεργεῖ τὸ αἰτιώτερον·
[4]?
[5](p. 3, ll. 9–10)
しかし第二<原因>が、それに近接す る結果から分離したとき、その上にあ る第一原因はそれから分離しないの である。なぜなら[第一原因は]その原 因にとっての原因なのだから。 wa-idhā fāraqat <al-ʻillatu> al-thāniyyatu al-maʻlūla alladhī yalī-hā lam tufāriq-hu al-ʻillatu al-ūlā allatī fawqa-hā, li-anna-hā ʻillatun li-ʻillati-hā.
[5'](p. 3, ll. 10–11)
つまり、第一原因は、[事物に]近接し ている、それに近い原因(第二原因) よりも、事物にとって強力な原因なの である。
fa-l-ʻillatu al-ūlā idhan ashaddu ʻillatan li-l-shay’i min ʻillati-hi al-qarībati allatī talī-hi.
[5]
第二原因が、そのすぐ後に来る結果か ら離れるとき、第二原因の上位にある 第一原因はその結果から離れない。な ぜなら[第一原因は]第二原因にとって 原因だからである。
Et quando separatur causa secunda a causato, quod sequitur ipsam, non separatur ab eo prima quae est supra ipsam, quoniam est causa ei.
[5']
<…>
[5]?
[6](p. 3, l. 12)
我々はそれを、「存在」と「生物」と
「人間」で例証する。
wa-naḥnu mumaththilūna dhālika bi-l-anniyyati wa-l-ḥayyi wa-l-insāni,
[7](p. 3, ll. 12–13)
というのも、事物はまず「存在」でな ければならず、それから「生物」で< あり>、それから「人間」で<ある> のでなければならないのだから。 wa-dhālika anna-hu yanbaghī an yakūna al-shay’u anniyyatan awwalan thumma
<yakūna> ḥayyan thumma insānan.
[8](p. 3, ll. 13–14)
つまり、「生物」は人間の近い原因で あり、「存在」はその遠い原因である。 ((fa-l-ḥayyu)) huwa ʻillatu al-insāni al-qarībatu, wa ((al-anniyyatu)) hiya ʻillatu-hu al-baʻīdatu:
[6]
我々はこのことを、存在と生物と人間 の例で示す。
Et nos quidem exemplificamus illud per esse et vivum et hominem.
[7]
というのも、事物はまず存在でなけれ ばならず、次に生物、その次に人間で なければならないからである。
Quod est quia oportet ut sit res esse in primis, deinde vivum, postea homo.
[8]
したがって、生物は人間の近い原因で あり、存在は人間の遠い原因である。 Vivum ergo est causa hominis propinqua; et esse, causa eius longinqua.
[6]?
[7]≈ prop. 70 (p. 66. 18–19)
というのは、たとえば、第一に、存在 するもの、次に生きもの、次に人間が 生じるのでなければならないのだか ら。
δεῖ γὰρ (εἰ τύχοι) γενέσθαι πρῶτον ὄν, εἶτα ζῶον, εἶτα ἄνθρωπον.
[8]?
[9](p. 3, ll. 14–15)
つまり、「存在」は人間にとって、「生 物」よりも強力な原因である。なぜな ら[「存在」は]、人間の原因である「生 物」の原因なのだから。
((fa-l-anniyyatu)) ashaddu ʻillatan li-l-insāni min ((al-ḥayyi)), li-anna-hā ʻillatun li-l-((ḥayyi)) alladhī huwa ʻillatun li-l-insāni.
[10](p. 3, ll. 15–16)
それと同じく、あなたが理性を人間の 原因にしてみたとしても、「存在」は 理性よりも人間にとって強力な原因 である。なぜなら[「存在」は]その(人 間の)原因の原因なのだから。 ka-dhālika idhā jaʻalta al-nuṭqa ʻillatan li-l-insāni, kānat al-anniyyatu ashaddu ʻillatan li-l-insāni min al-nuṭqi li-anna-hā ʻillatun li-ʻillati-hi.
[9]
だから、存在は生物よりもより強力に 人間の原因である。なぜなら[存在は]、 人間の原因である生物の原因だから である。
Esse ergo vehementius est causa homini quam vivum, quoniam est causa vivo quod est causa homini.
[10]
同様に、理性は人間の原因であると措 定するとき、存在は理性よりもより強 力に人間の原因である。なぜなら[存在 は]、人間の原因[理性]の原因だからで ある。
Et similiter, quando ponis rationalitatem causam homini, est esse vehementius causa homini quam rationalitas, quoniam est causa causae eius.
[9]?
[10]?
[11](p. 3, l. 16–p. 4, l. 3)
それを示しているのは、もしあなたが
「理性的能力」を人間から取り除くと、 彼はもはや人間でないが、呼吸して感 覚する生物ではあり続ける<という ことである>。またあなたが「生物」 をそこから取り除くと、彼はもはや生 物でないが、「存在」ではあり続ける。 なぜなら「存在」は、人間から消え去 ることがないのだから。一方「生物」 は[人間から]消え去る。なぜなら原因 はその結果の消滅によって消え去る ことはないのだから。よって人間は
「存在」であり続けるのだ。つまり個 体が人間でなくても動物であるし、も し動物でなくても、単なる「存在」で はあるのだ。
[11]
次のことがそれを示している。すなわ ち、人間から理性力を取り除くとき、 [人間は]人間であり続けないが、呼吸 し感覚する生物ではあり続ける。そこ から生物を取り除くとき、生物であり 続けないが、存在ではあり続ける。な ぜなら、それから存在が取り除かれる のではなく、生物が取り除かれるから である。というのも、原因は、結果が 取り除かれても取り除かれず、それゆ え、人間は存在であり続けるからであ る。したがって、個体が人間でないと き、動物であり、もし動物でなくても、 単なる存在ではあるのである。
[11]≈ prop. 70 (p. 66. 19–22)
そして、理知的な力が去ってしまった あとでは、それはもはや人間ではない が、呼吸をし、感覚する生きものであ る。また、今度は生きることが去って しまったあとでは、存在するものがと どまる。というのも、生きていないと きも、<有ること>は現前するのだか ら。そして、すべての場合でも同様で ある。
[11](p. 3, l. 16–p. 4, l. 3)
wa-l-dalīlu ʻalā dhālika <anna-hu> idhā rafaʻta ((al-quwwata al-nāṭiqata)) ʻan al-insāni lam yabqa insānan wa-baqiya ḥayyan mutanaffisan ḥassāsan; wa-idhā rafaʻta ʻan-hu ((al-ḥayya)) lam yabqa ḥayyan wa-yabqā anniyan, li-anna al-anniyyata lā tartafiʻu ʻan-hu, wa-yartafiʻu ((al-ḥayyu)) li-anna al-ʻillata lā tartafiʻu bi-irtifāʻi maʻlūli-hā; fa-yabqā al-insānu anniyyan: fa-idhā lam yakun al-shakhṣu insānan kāna ḥayawānan, wa-in lam yakun ḥayawānan kāna anniyyan faqaṭ.
[11]
Et illius quod dicimus significatio est quod quando tu removes virtutem rationalem ab homine, non remanet homo sed remanet vivum, spirans, sensibile. Et quando removes ab eo vivum, non remanet vivum sed remanet esse, quoniam esse non removetur ab eo, sed removetur vivum; quoniam causa non removetur per remotionem causati sui, remanet ergo homo esse. Cum ergo individuum non est homo, est animal et, si non est animal, est esse tantum.
[11]≈ prop. 70 (p. 66. 19–22)
καὶ ἄνθρωπος οὐκέτι ἔστιν ἀπολιπούσης τῆς λογικῆς δυνάμεως, ζῶον δὲ ἔστιν ἐμπνέον καὶ αἰσθανόμενον· καὶ τοῦ ζῆν πάλιν ἀπολιπόντος μένει τὸ ὄν (καὶ γὰρ ὅταν μὴ ζῇ τὸ εἶναι πάρεστι). καὶ ἐπὶ πάντων ὡσαύτως.
[12](p. 4, l. 4)
よって、遠い第一原因は、より広範に 包括的であり、事物にとって、その近 い原因よりも強力な原因であるとい うことが証明され、明らかになった。 fa-qad bāna wa-waḍaḥa anna al-ʻillata al-ūlā al-baʻīdata aktharu iḥaṭatan wa-ashaddu ʻillatan li-l-shay’i min ʻillati-hi al-qarībati.
[12]
だから、遠い原因である第一原因は、 近い原因よりもより包括的なもので あり、より強力に事物の原因であると いうことは、すでに証明され、明らか である。
Iam igitur manifestum est et planum quod causa prima longinqua est plus comprehendens et vehementius causa rei quam causa propinqua.
[12]≈ prop. 70 (p. 66. 22–24) ?
その理由は、より原因的であるものは、 より影響力をもち、より先に分有する ものへと働きかけるからである。 αἴτιον δέ, ὅτι δραστικώτερον ὑπάρχον τὸ αἰτιώτερον πρότερον εἰς τὸ μετέχον ἐνεργεῖ.
[13](p. 4, ll. 5–7)
そのため、その(第一原因の)活動は、 事物にとって、その近い原因の活動よ りも必然的になった。以上のようにな るのは、ただ事物はまず遠い力の作用 を受け、それから次に、第一のものの 下にある力の作用を受けるからであ る。
min ajli dhālika ṣāra fiʻlu-hā ashadda luzūman li-l-shay’i min fiʻli ʻillati-hi al-qarībati. wa-innamā ṣāra hādhā ʻalā hādhā li-anna al-shay’a innamā yanfaʻilu awwalan min al-quwwati al-baʻīdati, thumma yanfaʻilu thāniyyan min al-quwwati allatī hiya dūna al-ūlā,
[13]
このため、その[遠い原因である第一原 因の]作用は、近い原因の作用よりも、 事物とより強力に結び付く力を有し て生じる。このことがこのようである のはただ、事物が、最初は遠い原因の 力からでなければ作用を受けず、その 後で、第一原因のもとにある力から二 次的に作用を受けるからである。 Et propter illud fit eius operatio vehementioris adhaerentiae cum re quam operatio causae propinquae. Et hoc quidem non fit secundum hoc, nisi quia res in primis non patitur nisi a virtute longinqua; deinde patitur secundo a virtute quae est sub prima.
[13]≈ prop. 70 (p. 66. 24–25)
じっさい、同じものは〔二つの原因か ら影響を受ける場合〕先により力があ るものによって影響を受けるのであ る。
τὸ γὰρ αὐτὸ ὑπὸ τοῦ δυνατωτέρου πάσχει προτέρου·
[14](p. 4, ll. 7–8)
また<第一の>原因は第二の原因を、 その活動にかんして助けることもあ る。なぜならあらゆる原因からの結果 にたいして、第二原因も第一原因も作 用を及ぼすのだから。しかし[第一原因 は]より高次で高度な別のやり方で、そ れに作用を及ぼすのである。
wa-l-ʻillatu <al-ūlā> qad tuʻīnu al-ʻillata al-thāniyyata ʻalā fiʻli-hā, li-anna kulla maʻlūli ʻillatin tafʻalu-hu al-ʻillatu al-thāniyyatu wa-l-ʻillatu al-ūlā ayḍan lākinna-hā tafʻalu-hu bi-nawʻin ākhara aʻlā wa-arfaʻa.
[14]
第一原因は第二原因をその作用にお いて助ける。なぜなら、第二原因がす る作用はすべて第一原因もするから である。とはいえ[第一原因は]この作 用をより高度で高次な別の仕方です る。
Et causa prima adiuvat secundam causam super operationem suam, quoniam omnem operationem quam causa efficit secunda, et prima causa efficit; verumtamen efficit eam per modum alium, altiorem et sublimiorem.
[14]≈ prop. 70 (p. 66. 25-27)
そして、今度は第二のものが働きかけ るとき、かのものも一緒に働きかける。 というのは、第二のものが作り出すよ うなものすべてを、より原因的である ものも、それ〔第二のもの〕と一緒に 産出するのだから。
καὶ τοῦ δευτέρου πάλιν ἐνεργοῦντος κἀκεῖνο συνεργεῖ, διότι πᾶν, ὅπερ ἂν ποιῇ τὸ δεύτερον, συναπογεννᾷ τούτῳ καὶ τὸ αἰτιώτερον·
[15](p. 4, ll. 8–10)
そして第二原因がその結果<から> [その力を]引き上げても、第一原因は それ(結果)から分離しない。なぜな ら第一原因の活動は、その近い原因の 作用よりも、事物にとってより偉大で、 より必然的なのだから。
wa-idhā rafaʻat al-ʻillatu al-thāniyyatu
<ʻan> maʻlūli-hā lam tufāriq-hu al-ʻillatu al-ūlā, li-anna fiʻla al-ʻillati al-ūlā aʻẓamu wa-ashaddu luzūman li-l-shay’i min fiʻli ʻillati-hi al-qarībati.
[16](p. 4, l. 10)
そして第二原因の結果は、第一原因の 力によってのみ定められるのである。 wa-innamā thabata maʻlūlu al-ʻillati al-thāniyyati bi-quwwati al-ʻillati al-ūlā,
[15]
第二原因がその結果から取り除かれ るとき、そこから第一原因は取り除か れない。なぜなら、第一原因は近い原 因よりも、事物とより強力に結びつい ているより大きな力を有しているか らである。
Et quando removetur causa secunda a causato suo, non removetur ab eo causa prima, quoniam causa prima est maioris et vehementioris adhaerentiae cum re quam causa propinqua.
[16]
第二原因の結果は、第一原因の力によ らなければ確立されない。
Et non figitur causatum causae secundae nisi per virtutem causae primae.
[15]≈ prop. 70 (p. 66. 27-29)
そして、それ〔第二のもの〕が去った あとでも、このもの〔より原因的なも の〕はまだ現前する。というのは、よ り力があるものによる分与は、より強 大な仕方で影響を及ぼし、〔第二のも のによる分与に比べて〕より後になっ て分有したものを去るのだから。 καὶ ἀπολιπόντος ἐκείνου τοῦτο ἔτι πάρεστιν (ἡ γὰρ τοῦ δυνατωτέρου μετάδοσις, δρῶσα μειζόνως, ὑστέρα τὸ μετασχὸν ἀπολείπει·
[16]?
[17](p. 4, ll. 11–12)
というのも、第二原因がなんらかの事 物に作用を及ぼすと、その上にある第 一原因が、<その事物の上にそれ(第 二原因)の力を通じて流出し、[第一原 因は]それに>強力に結びつき、それを 保持するのだから。
wa-dhālika anna al-ʻillata al-thāniyyata idhā faʻalat shay’an afāḍat al-ʻillatu al-ūlā allatī fawqa-hā <ʻalā dhālika al-shay’i min quwwati-hā, fa-talzamu-hu> luzūman shadīdan wa-taḥfaẓu-hu.
[17]
というのも、第二原因が事物を生み出 すとき、第二原因の上位にある第一原 因が自らの力によってこの事物に流 入するからである。だから[第一原因 は]、強力に結び付く力によってその事 物と結び付き、その事物を保持する。 Quod est quia causa secunda quando facit rem, influit causa prima quae est supra eam super illam rem de virtute sua, quare adhaeret ei adhaerentia vehementi et servat eam.
[17]≈ prop. 70 (p. 66. 29-30) ?
じっさい、〔より力があるものによる 分与は〕、第二のものによる分与を通 じて、自らの輝きを強力にしたのだか ら。
καὶ γὰρ διὰ τῆς τοῦ δευτέρου μεταδόσεως τὴν ἑαυτῆς ἔλλαμψιν ἐδυνάμωσεν.
[18](p. 4, ll. 13–15)
よって、第一原因は、[事物に]近接し ている、それに近い原因(第二原因) よりも、事物にとって強力な原因であ るということが証明され、明らかにな った。そして[第一原因が]力を事物の 上に流出させ、それを保持すること[が 証明され、明らかになった]。そして 我々が証明し、明らかにしたところに よると、その近い原因の分離のように は[第一原因]は事物から分離せず、む しろそのうちに留まり、それに強力に 結びつくのだ。
fa-qad bāna wa-waḍaḥa anna al-ʻillata al-ūlā hiya ashaddu ʻillatan li-l-shay’i min ʻillati-hi al-qarībati allatī talī-hi, wa-anna-hā tufīḍu quwwata-hā ʻalay-hi wa-taḥfaẓu-hu, wa-lā tufāriqu-hu mufāraqata ʻillati-hi al-qarībati, bal tabqā fī-hi wa-talzamu-hu luzūman shadīdan ʻalā mā bayyannā wa-awḍaḥnā.
[18]
それゆえ、次のことはすでに証明され、 明らかである。すなわち、遠い原因は、 事物のすぐ後に来る近い原因よりも、 事物のより強力な原因であり、遠い原 因は自らの力を事物に流入させ、事物 を保持する。そして、私たちが説明し、 明らかにしたところに従えば、[遠い原 因は]その近い原因が離れても、事物か ら離れることはなく、むしろ事物のう ちに留まり、結び付く強力な力によっ て事物と結び付く。
Iam ergo manifestum est et planum quod causa longinqua est vehementius causa rei quam causa propinqua quae sequitur eam, et quod ipsa influit virtutem suam super eam et servat eam, et non separatur ab ea separatione suae causae propinquae, immo remanet in ea et adhaeret ei adhaerentia vehementi, secundum quod ostendimus et exposuimus.
[18]?