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https://dspace.jaist.ac.jp/ Title ローカルな科学のグローバルな奮闘 : 農芸化学のユニ ークネスに関する一考察 Author(s) 上野, 彰 Citation 年次学術大会講演要旨集, 24: 808-811 Issue Date 2009-10-24Type Conference Paper Text version publisher
URL http://hdl.handle.net/10119/8750
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2G12
ローカルな科学のグローバルな奮闘:
農芸化学のユニークネスに関する一考察
上野 彰(文部科学省 科学技術政策研究所) 1.はじめに 筆者は第 22 回年次研究大会、および第 23 回年 次研究大会に於いて、長い歴史を持つラボラトリ ーの組織的知識に関する研究の経過を報告して きた。そこで事例として取り上げた理化学研究所 の抗生物質研究室は 60 年余の歴史を持ち、戦前 の財団法人理化学研究所発足以来の系譜を引く ラボラトリーであった1。 周知の通り理化学研究所の研究室には、その運 営を長たる主任研究員一代限りとする、という原 則がある。それでは何故あるひとつの研究室が、 都合4代 60 年に渡って存続を許されてきたのか、 というのが筆者の最初の問いであった。 この課題に取り組むべく当該研究室の研究史 や研究者の系譜を紐解いていった結果、この研究 室は決して直線的に抗生物質の研究を重ねてき たのではなく、各代の主任研究員が研究室の中心 的な研究課題を変化させてきていること、この変 化は研究室を取り巻く環境の変化、また社会から の要請に即応してきた結果であること、その一方 で、科学の趨勢に棹さす選択をせず、「微生物由 来の生理活性物質に拘り抜く」という研究室発足 以来の研究理念(=研究の背骨)を代々維持して きたこと、等が明らかとなった。また、当該研究 室がその研究を継続するなかで、研究成果(化合 物ライブラリ等)のユニークネスが評価され、関 係領域の研究者から存続を期待されてきた、その 結果として、現在はケミカルバイオロジーという 新しい潮流のセンターとして国内外で認識され るに至った、このような経緯を確認することがで きた。 簡単に纏めると、筆者が調査対象としたラボラ トリーは、独自の研究路線を維持する戦略を採り 続けてきた結果、ケミカルバイオロジーという科1上野彰, 科学技術政策研究所 Discussion Paper No.50 『長い歴史を持つラボラトリーの組織的知識に関する研 究~ラボラトリーの系譜学的検討 事例1』2008 年 11 月. 学研究のバンドワゴン2のほうが期せずして目前 に現れたという事例であった。 2.知の多様性を維持する この事例1の検討から筆者が得た作業仮説の ひとつに、「知の多様性を維持するためには現在 主流でない研究分野や衰退したかに見える研究 分野に対してもこれを維持するための何らかの 方策が必要ではないか」というものがある。 従来の科学技術史の研究は、パラダイム・シフ トの概念、あるいはモード論にしても、主に科学 のメインストリームが如何に進歩し、またブレー クスルーを実現してきたか、を対象としてきた。 しかしながら科学技術の分野の中には、メイン ストリームやホットイシューとは無縁の周縁的 な位置で、細々と地道に続けられてきた研究が少 なくない。 また、そうした非主流の、あるいは路傍の研究の 中から、突然科学の流れを変えるような成果が生 み出された例も少なくない。 あるいは科学技術政策の戦略的展開、という観 点から考えるなら、国家が膨大な資源を重点的に 投入すべき科学の分野は確かにある。ヒト iPS 細 胞研究のケースのように、その研究分野でヘゲモ ニーを握ることが、その後の研究開発に決定的な 競争優位をもたらすと判断される場合である3。し かし一方では、世界的な科学技術の潮流とは別の ユニークさを持つ、そのような分野を存続させる 政策にも、研究の多様性を維持する(長期的な観 点からは、その多様性保存の政策が利益をもたら す)という意義があると考えられる。 では、この作業仮説をさらに歩を進めて展開、 検討するために最も適した研究分野の条件とは 2 その時代の科学のホットイシューに取り組み、研究開発 競争の最前線にに参入すること。経済学でLeibenstein が 提唱したバンドワゴン効果の概念を、科学人類学者 J.Fujimura がサイエンス・スタディーズ(調査対象はが ん研究のラボラトリー)の分野に応用した。 3 米国の対応をみるまでもなく、将に一時の躊躇も許され ない例である。
何だろうか。それは科学技術史の中で、決してメ インストリームではなく、むしろ傍流に甘んじて きたかに見える分野であろう。またその分野のい くつかの領域、いくつかのラボラトリーでは、嘗 て日本の社会に必要な研究成果を生み出してき た歴史を持ち、大学や公的研究機関に関連研究部 門があり、現在はしかし、その多くが学科名や機 関名を変えてしまった4ような分野であろう。この 条件に合致する分野としては、農芸化学が最適で あると考えられる。筆者が系譜学的検討の対象と した抗生物質研究も、農芸化学の一領域に数えら れる。そこで次節では、農芸化学という分野の特 徴と歴史的な側面とを概観し、この分野が如何な る必要性により生み出され、何故に傍流として位 置付けられてきたのか、その背景を検討する。 3.ユニークな科学としての農芸化学 農芸化学は日本で創出された独自の科学技術 分野であり、ユニークな、また local な分野であ ると評されてきた5。このような評価が定着した背 景には、米国や欧州諸国の大学の農学部・農学研 究科に、農芸化学に相当する学科が存在しない、 という状況がある。実際、日本の農芸化学は、農 学部の一学科として位置付けられるものであり ながら、実際には伝統的な農学(植物学、微生物 学、応用昆虫学、土壌学など)の研究領域を超え た多くの領域が含まれている6。 それでは、農芸化学は日本独自の local science なのだろうか。 文化人類学で定義するlocal science とは、普遍 性を持つ近代科学global science に対して、ある 地域、ある社会の風土的環境、宗教的・文化的・ 歴史的・社会的・制度的環境の中で体系化された 知識であり、括弧付きの「科学」である7。換言す れば、local science とは、ある地域の統合的な文 脈の中でのみ有効な整合性と体系を持つ限定的 な「科学」であり、地域の文脈から切り離されて は科学として成立し難いものである。 他方、日本の農芸化学は、global science の一 端を担う近代科学の一分野であるから、厳密に言 4 分子生物学やバイオテクノロジーに関連する名称に変 えられる例が多く、最近ではケミカルバイオロジーもその 候補に挙げられるようになった。 5 社団法人日本農芸化学会編、『農芸化学会の歴史』、1987. また農芸化学出身の研究者へのインタビューによる。 6 鈴木昭憲/荒井綜一編『農芸化学の事典』朝倉書店、 2003 年では、農芸化学のサブ・カテゴリーは「生命科学」 「有機化学」「食品科学」「微生物科学」「バイオテクノロ ジー」「環境科学」の6つに分けられている。
7 Sillitoe, P.(ed), LOCAL SCIENCE vs. GLOBAL
SCIENCE, 2007.他。また C. Geertz のローカル・ナレッ ジ概念など参照。 えば人類学で定義するところの local science と は異なる。それが証拠に農芸化学はその 100 年余 の歴史の中で、世界的に評価される科学的な成果 を度々生み出してきた。具体的な研究成果として は、鈴木梅太郎によるビタミン B2 の発見と作用 機序の研究、藪田貞治郎によるジベレリンの抽出 と結晶化研究、高橋禎造から田中学造に至るメバ ロン酸研究、を挙げることができる8。 一方で、農芸化学は、その黎明期から日本の風 土、環境、社会、制度と強い結びつきを以て発展 展開してきた。前述の如く欧米の農学には、日本 の農芸化学に相当する領域が無いことからも、農 芸化学のユニークネスを理解することができる。 ここで筆者は、農芸化学を、日本社会という文 脈から切り離しても科学として成立する普遍性 を有する一方で、日本社会の伝統や歴史や社会や 制度、すなわち広い意味での文化的 context に相 当程度依存する形で成立、発展してきた科学、す なわち「context dependency な科学」として捉え ることはできないかと考える。さらに言えば、非 主流、傍流科学を維持することの重要性を、この 「context dependency な科学」という概念装置に よって説明することが可能ではないか、と考える。 こ の 発 想 の 原 点 に は 、「 経 路 依 存 性 path dependency」がある。経路依存性とは、経営学に 於いて企業などの研究開発戦略を研究する概念 のひとつである。簡潔に説明するなら、企業は過 去の経験や知識によって現在の戦略を選択する、 という考え方である。経路依存性を制約する要件 としては、技術や生産設備などの物質的な制約と、 経験やノウハウなどの(暗黙的な)知識による制 約の2つがあるとされる。 この経路依存性という概念に対して、筆者の想 定する概念装置「context dependency な科学」に おいては、ある科学技術分野の発展過程における 歴史・伝統の影響や研究者の人的系譜、組織間関 係を新たに制約の要件に加えて考えることと仮 定している。農芸化学の持つユニークネスを、こ の「context dependency な科学」という概念装置 によって検討、把握することが本研究の第1のス テップであり、ここから展開して、科学の多様性 維 持 を 提 唱 し て い く た め に 、 さ ら に 多 く の 「context dependency な科学」の事例を見出して 検討することが本研究の第2ステップとなる予 定である。 それでは、農芸化学を日本独自の、ユニークネ スの高い分野として発展させた context とは何だ 8他に抗生物質ポリオキシンやカスガマイシンの発見、実 用製品化等、農芸化学の研究成果が実用化された例は相当 数にのぼる。前出DP No.50 参照。
ろうか。時間と枚数が限られていることでもあり、 本稿では context の要件の中でも、農芸化学の歴 史的展開を取り上げ試行的に検討する。 4.発酵生理学の歴史的展開検討(部分) 農芸化学の発足を何年とすべきかについては いくつかの選択肢がある9。本稿では便宜上、農芸 化学の誕生年に拘ることなく、農芸化学の展開史 を①農芸化学以前、②お雇い外国人黎明期、③19 世紀末萌芽期、④大正・昭和初期成長期、⑤太平 洋戦争停滞期、⑥戦後復興期、⑦転換期、⑧現在 と区分する。 上記③にあたる農芸化学科の成立当時、農芸化 学は農産製造学、土壌肥料学、生物科学、発酵生 理学(醸造学)という各領域から成っていた(な お、農学部は土壌学、植物学、農芸化学の3学科 であった)。このうち、当時の帝国大学農科大学 の中心と位置付けられていたのが発酵生理学で ある10。また、その後の農芸化学の発展経緯をみ ると、醸造学・発酵生理学の研究者(の系譜)が 常にこの分野をリードしてきたことが明らかで ある。従って、ここでは農芸化学の典型的な研究 領域として特に醸造・発酵生理学に焦点を当て、 上記①~⑤の期間について限定的な検討を行う。 ①農芸化学以前: 発酵生理学(醸造学)は、農芸化学として近代 科学の体系に組み込まれる以前から、伝統的、ま た実践的な醸造技術として、日本の食文化と極め て密接な関係を保ってきた。特に清酒醸造に関し ては、室町期までに平行複発酵という他国に類を みない複雑かつ合理的な技術体系を生み出した。 さらに江戸中期には、この技術体系を専門に実践 し、かつ伝承していく職人集団(杜氏集団)を日 本各地に成立させていた。また、味噌、醤油等の 醸造調味料の製造技術もまた、生産地伝統の技術、 知識として成立していた。また、より単純な技術 で製造できる伝統的な(地域性の高い)発酵食品 としては、納豆やなれ鮨が存在していた。 ②お雇い外人期黎明: 英国人のロバート・アトキンソンが東京開成学 校(帝国大学の前身)の化学教師として来日した 9帝国大学農科大学(農学部)に農芸化学科が設置された のは1893 年(明治 26 年)である。それより先、1881 年 (明治14 年)には、駒場農学校(農科大学の前身)に農 学教育のお雇い外国人としてドイツ人農学者のオスカ ー・ケルネル博士が来日し、第2陣として1891 年(明治 24 年)、同じくドイツから農学者オスカー・ロエブ博士が 来日して、農芸科学者の嚆矢たる古在由直らを教育薫陶し た。 10 農科大学で日本人最初の助教授となった古在由直の専 門は発酵生理学であった。 のは1881 年(明治 14 年)である。アトキンソン は農学ではなく化学の研究者であり、日本の清酒 や味噌、醤油など醸造・発酵食品の製造プロセス と技術体系を化学の観点から解明した。アトキン ソンが伝統的な醸造技術に関する経験的知識の 合理性、科学性に驚き、これを西洋に紹介した事 から、日本の醸造学・発酵生理学は始まっている 11。 ③19 世紀末萌芽期: 駒場農学校における農学教育は、主にケルネル らドイツからのお雇い外人が担当した。彼らの薫 陶を受けながらも、日本の農芸化学がその黎明期 から欧米の農学の単なる翻訳に留まらなかった、 あるいは留まることが許されなかった最大の原 因として、欧米の醸造・発酵食品生産(酵母およ び乳酸菌)にはない「カビ」若しくは「麹」の存 在が指摘されている12。日本人として初代の農芸 学者、古在由直13から、次世代の高橋禎造へと至 る時期の日本の醸造学は、麹の研究とともに発展 したと行っても過言ではない。さらに言えば、欧 米にはない麹やカビの利用という技術伝統の存 在こそが、日本の醸造学、ひいては農芸化学を、 ユニークかつ地域性の高い科学として発展させ た要因のひとつであると考えられる。他方で、こ の時期に確立した医・理・工・農という帝国大学 学部の縦割りが、日本の大学農学部、殊に農芸化 学科の有り様を外側から規定した、という側面も 無視することはできない。 ④大正・昭和初期成長期: この時期になると、農芸化学の研究および実用 開発を担う機関が設置される。1904 年(明治 37 年)には大蔵省醸造試験場が設置され、東京帝国 大学農学部との強い人的紐帯の下で実践的な研 究開発が行われた。1917 年(大正 6 年)には理 化学研究所が設置され、古在の弟子である鈴木梅 太郎が研究室を主宰している。京都帝国大学、東 北帝国大学等の農学部にも農芸化学科が設置さ れ、それら研究室、研究者のネットワークとして 日本農芸化学会が設立されたのは 1924 年(大正 13 年)である。この時期、古在から醸造学講座を
11 Atkinson, R.W., The Chemistry of SAKE Brewing.
Published by Tokyo Daigaku, 1881.(1885,『日本酒造篇』, 東京大学) 12 坂口謹一郎、「麹菌研究の想い出」、『醸造協会誌』第 77 巻第 11 号、1982 年。ほかに前出の『農芸化学会の歴 史』などにも同様の指摘がある。 13 古在は1895 年より 5 年間、ドイツのベルリン醸造試 験場などに留学し、当地で最新の科学知識を吸収して帰国 した。帰国後日本人初の農科大学助教授に就任すると直ぐ に発酵生理学の研究を開始している。坂口謹一郎、「古在 由直先生」、『化学』第19 巻第 7 号、1964 年。
引き継いだ高橋禎造は、麹菌、火落ち菌の研究な どで大きな成果を挙げた後、研究の対象をより拡 大した発酵生理学へとシフトしていった。さらに 高橋は、生化学的手法を導入し、後の応用微生物 学への道筋を作るとともに、農芸化学の「お家芸」 ともいえる天然化合物の研究を開始した。高橋の とったこの方針が、その後の農芸化学の展開と、 ひいてはユニークネスを決定づけたといえよう。 その後東京帝国大学の農芸化学講座で高橋の後 輩にあたる藪田貞治郎は、生理活性物質ジベレリ ン14の単離と結晶化に成功し、高橋の引いた研究 路線をより堅固なものとしていった。 ⑤太平洋戦争停滞期: 大正、昭和初期に農芸化学はピークを迎えてい る。例えば理化学研究所の鈴木梅太郎研究室は、 最盛時には100 人を超える研究者を抱え、各帝大 農芸化学出身の若手を育成していた。しかし、農 芸化学の隆盛は戦時色が強まるとともに暗転し 停滞していく。太平洋戦争開戦の後は、欧米の学 術雑誌などの情報が国内では全く入手すること ができなくなり、また研究のための物資が極端に 窮乏していく。何より、研究活動そのものが戦争 遂行に貢献できるものに限られた。発酵学、農芸 化学の研究者も例外なく、戦時体制に組み込まれ た。この時期の研究活動として着目すべきは、 1943 年(昭和 18 年)に開始された「碧素研究会」、 すなわちペニシリンの生産研究である。傷病兵の 治療に青カビ由来の抗生物質ペニシリンが抜群 の効果を発揮することに着目した帝国陸軍は、微 生物医学や農芸化学の名だたる研究者たち、藪田 貞治郎、梅澤浜夫、住木諭介、坂口謹一郎らを招 集し、日本独自にペニシリンを生産するための研 究を依頼した。この研究会では、より多くのペニ シリンを得るために強い菌株を分離培養し、有効 活性物質を抽出、単離するという農芸化学の研究 方法がとられた。激しさを増す空襲や物資不足な どの影響で、欧米のような大規模製造プラントは 望むべくもなく、期待された大増産こそできなか ったものの、発酵学の培養法を応用したペニシリ ンの製造は一応の成功を収めた。 以上、農芸化学の中でも発酵生理学を取り上げ、 その前史から太平洋戦争期までの展開史を概観 した。この結果、醸造・発酵生理学のユニークネ スを際だたせた context として、次のような要因 を指摘することができる。 第一に日本では、近代科学と邂逅する以前の段 階で、醸造・発酵に関する経験知識と技術とを類
14 前出Discussion Paper No.50 参照。イネ馬鹿苗病の原
因となるカビが生産する生理活性物質で、現在は種無しブ ドウの生産に用いられている。 い希な高レベルで体系化することに成功してい た。農芸化学は、この伝統的技術のプロセスを科 学的解明することから出発したのである。 第二に、欧米とは異なる日本の風土植生が、欧 米の科学教科書の直訳ではない知識を要求した。 こ の こ と は 逆 に 、19 世 紀 末 当 時 の 欧 米 の agriculture や fermentation が、ある程度彼の地 の環境に制約されたものであった可能性をも示 唆する。 第三に、伝統的生産技術の研究から始まった醸 造・発酵学は、必然的に実学指向であり、また実 際に産業側からの協力要請も少なくなかった15。 他の科学分野が程度の差こそあれ、なべて基礎研 究重視傾向にあったのに対し、農芸化学は産業へ の応用を最大の理念としていた。 これと関連するが、第四に日本では近年まで 医・理・工・農の分野間の垣根が相当高かった。 加えて、産業寄り、実用指向の農芸化学は「純粋 科学」より一段低く見られる傾向にもあった16。 このことは後に、農芸化学が主流ではない科学や 研究者を次々に併呑し、多様化していく誘因とも なる。 発酵生理学のユニークネスを際だたせた要件 として、ここに示した四つの指摘は、あくまで太 平洋戦争停滞期までの試行的な検討の結果導き 出されたものである。従ってその妥当性について は、今後さらに、戦後復興期以降、現在に至るま での展開史を検討することで明らかにしたい。 5.結びにかえて 本稿はまず、長い歴史と系譜を持つラボラトリ ーの調査結果から導き出された、科学研究の多様 性保存の必要性という作業仮説から出発し、これ を検討する際の事例として、日本の農芸化学、特 に発酵生理学を取り上げた。次に、発酵生理学の 展開史を(限定的ではあるが)検討することで、 傍流とされる科学分野の、傍流故のユニークネス と、このユニークネスをもたらした可能性のある 要件とを指摘した。加えて、科学分野のユニーク ネスを読み解く鍵として、「context dependency な科学」という概念装置を導入することの可能性 を論じた。 本報告においては、これらの検討の更なる進捗 結果を提示する予定である。 【参考文献】(報告資料にて提示) 15 典型的な例としては、醸造試験場による日本酒の腐造 防止技術指導など。 16 脚気の原因究明と治癒法研究をめぐる鈴木梅太郎と帝 大医学部との確執エピソードに明らかである。