南琉球方言のハ行p音
著者
内間 早俊
雑誌名
言語科学論集
巻
17
ページ
23-34
発行年
2013-12-01
URL
http://hdl.handle.net/10097/57263
南琉球方言のハ行 p 音
内問早俊
キーワード :p 音、南琉球方言、与那国方言、音声変化 要旨 南琉球方言のハ行p音は・中>p の変化によって生じた新しい音韻という可能性を 指摘した。すなわち、宮古・八重山方言では母音変化にともなって w>bの変化とパ ラレルに市>pが引き起こされるが、与那国においては母音変化以前に生じていた 無声子音イ・ウ段音の拍縮約が喉頭化音の増加をもたらしており、それは結呆とし てハ行子音の破裂化を食い止め喉頭音hへと向かわせたものと解される。この与那 国方言のあり方はハ行子音の古形を・+と仮定することでより説明可能であり、か っ当地域の音韻変化を「破裂化」として一元的に説明できる。 o. はじめに 従来、琉球方言における種々の音韻については数多くの議論がなされてきた。その 中には各音韻の成立過程や中央語音韻の新古に関わるものまで多く含まれている。 例えば、南琉球方言ω の音韻について、平山・中本 (1961)は南琉球方言に広く見られ るワ行b音が日本祖語に通じる古形であるとの説を唱え、名嘉真 (1996) は宮古方言の 内的再構によってその論証を試みている。その一方で、村山(198 1)は中央語における ワ行音の古形は現代と同じく wであり南琉球方言ではw>b という変化が起きたこと を主張し、内問 (2004) は音声学的観点から w>b という変化を説明した。現在ではワ行 音の古形についてはw と考えるのが優勢な見方だろう。 また、ワ行音と類似した音韻特徴をもっヤ行音にはj>d という変化が与那国方言で 見られ、これについての議論も多少見られるが、この変化は当該方言にのみ観察され るものだからであろうか、ワ行音に比べると十分に議論されているとは言えずその 成立過程についてなお研究の余地がある。 さて、南琉球方言の音韻はその独自性と多様性からさまざまな研究が行われてき たが、今、その理由の一つに当該方言における中央語ハ行子音市の残存がある。中央 語における文献以前のハ行子音の姿が市で、あることを示した上田(1 898) に端を発24 南琉球方言のハ行p 音 し、琉球各地に観察される p音も伊波 (1907) 、服部 (1959) などの研究で古音の残存と して論じられ、中本 (1976) によってその残存要因が音韻体系的な観点から説かれ、学 界で、は琉球方言ハ行p音の古音残存説はほぼ定説化していると言ってよい。しかし、 近年琉球方言のハ行p音が古代中央語由来ではなく新たに発生した音韻であるとい う指摘をした中本 (2008) 、 (2009) 、 (2011) の研究が出され、筆者自身も日本語学会で そのような報告をおこなった(内聞 (2010) )。もちろんこの見方についてはかりまた (20ω) などの反論もありなお検討する余地があるだろう。 さしあたって本稿では、南琉球方言の音韻の在り方について従来の説に従いその 成立過程を検討し、そこから推定されるハ行子音の新古について明らかにすること を目的とする。 1.先行研究に見る南琉球方言のハ行 p 音
1
-1.ハ行 p 音残存の要因 従来の研究は伊波 (1907) を最初として琉球方言に現れる p音を中央語市の残存と して捉えてきた。中央語において文献以前には衰退したとされる p音が琉球地域で 今なお残存しているというのはどういうわけであろうか。これについて中本 (1976) 、 (1990) などでは次のように述べている。 高母音化によって音素分割をもたらしたハ行子音の構造pÎ/p (奄美・沖縄)またはpS.Up
(宮古・八重山)は、それぞれ統合をさける方向へはたらくのであって、単純にp 音のh音化という同一音素へ流れ込む変化は起こりにくい。(中略)ハ行子音の pS.Up の構造の中に、新しく発生した唇歯摩擦音fがあるために、これと対立関係にある p音 が、 f ときわめて近似している両唇摩擦音争の方向へ変化することをきわめて困難に している。したがって、 pS ・ Up の構造そのものがp音を維持するはたらきをしている と認められる。 すなわち、琉球方言では母音体系の変遷によってもたらされた子音変化がp を固定 するように働いたと説明する。中本 (1976) 、 (1990) で示される種々の音韻変化は、特 に各地の母音体系変化と関連づけて説明される点で有益な見方であると言えよう。 それゆえに、琉球方言ハ行p音の存在は中央語祖形の残存として注目されてきたので ある。 ところが近年中本 (2008) 、 (2009) 、 (2011) の一連の研究によって琉球方言ハ行p音 が新たに生成された音韻であるという説が出された。1-2. ハ行 p 音再帰説 中本 (2008) 、 (2009) 、 (2011) の一連の研究では、次のようにハ行p音が中央語祖形の 残存ではなく近年の音韻変化の結果生じたものとして説明される。 喉頭化による音韻的区別を持たない宮古、八重山方言ではもっとも呼気が強い。 /w/>/b/の変化は強い呼気によるものと解される。この理論に従えば、パラレルに考 えて /hw/>/p/の変イヒも可能で、ある。音声変化の一般規則に従えば、 p>や>h と考える べきだが、強い呼気を考慮すればφ>p もあり得る。 ここでは中本 (2008) における南琉球に関する記述を引用したが、南琉球方言にお ける呼気の問題と、さらに w>b というワ行子音の破裂化という音声変化のあり方に 照らして争 >pの可能性を示している。 筆者は南琉球方言のハ行p音について、中本 (2008) 以降の一連の研究で示される通 り、近代になって生じた新たな音韻であるという立場を支持する。但し、中本 (2008) 、 (2009) 、 (2011) は南琉球の全体的傾向として論じたもので、例外的な事象については 深く立ち入っていない。そのため、かりまた (2009) のような疑問が出されている。 半母音の破裂音化'w>b、‘j>dがもっとも進行し、狭母音化も完了している与那国 島方言でや>pがおきず、 hであらわれるのは何故なのか。 これはハ行子音が可 >p のように変化したということを説明する時に問題となる重 要な指摘であり、可>p という破裂化の傾向をハ行子音に認めるのであれば、与那国方 言におけるハ行h音のあり方についても説明しなければならない。 本稿ではこれらの指摘を踏まえつつ、琉球方言のうち特に南琉球方言の成立過程 においていかにハ行p音が形成されたかを論じていく。 2. 南琉球方言における音韻実態 2- 1.南琉球方言のハ行 p 音の実態とその通時的変遷 南琉球方言におけるハ行子音の振る舞いについて、特に中央語との対応という観 点から整理すると次ページの表 1 の通りである。 宮古・石垣については、ウ段にfや hが現れる他はp音が確認され、与那国においては およそ h音化を完了させ、イ段にのみ破擦音が現れていることがうかがえる。これら の体系は宮古>石垣>与那国の順で変化したと考えて良いだろう。 これらの方言のうち、与那国方言の体系についてハ行子音が全段中央語祖形の 'p に由来するという従来の説に従うとその体系成立は次のように説明される。
26 南琉球方言のハ行 p 音 表 1 .中央語と南琉球各方言とのハ行対応関係部 中央語| ヒ j へ j ハ j ホ j フ
宮古 LJ)~____~ が i
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石垣 pïp
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まず宮古、石垣方言の例からうかがえるように、ハ行音のうちもっとも早く pが失 われたのはウ段である。中本 (1976) で述べられるように、これはオ段「ホ」の高母音化 によって「ホ」がpu となることで、もとのウ段音「フ J*puが同音衝突を避け弁別を保つ ように子音を p>f>h と変化させた結果であると説明できる。すなわち、宮古ではウ段 音がp>f となることでウーオ段に flp という対立が生じ、それによってオ段との区別 を保持することで体系的均衡を保持し、さらにウ段のfは石垣方言の体系へと変化す る中でf>hの変化を遂げたものと解されるのである。このようにウーオ段における flp の対立構造が生じることによってハ行p音は今日まで化石的に固定されてきたの である。その一方で、与那国方言ではハ行がhに変化 Lp音を失っている。これについ て中本 (1卯0) では、 かつては宮古のように、ハ行音の構造がぜ・ f/pであったものが、イ・ウ段の脱落に よってO/pの構造になった。この構造から、対立音素を失ったpが、いっきょにh音化し ていったと推察される。 と述べ、与那国方言における h音化は変化のあり方として、イ・ウ段の脱落によるも のと指摘する。中本 (1990) がいう、イ・ウ段の脱落とは与那国方言の次のような語例 を指している。 k'uN(弾く)、t'ai(額)、ピuru(袋)、t'a(蓋)など。 中本 (19卯)の説明原理は構造的な観点に立ったもので説明力もあるが、気をつけ なければならないのはハ行音の構造がO/pの構造になるのは音環境が限られた場合 だということである。すなわち、与那国方言では上記語例からもわかる通り、[ハ行子 音+狭母音+無声破裂音一]という音連続の時に第一音節と第二音節が互いに統合 する拍縮約を引き起こしている。中本(1990) はこのような語例が多いと指摘するが、 それでもその音環境にないハ行イ・ウ段音は脱落することなく c'iやhuの形で現れて おり、これらの成立についても考慮しなければならないだろう。 いずれにしても、これまでの研究でハ行p音残存の要因は母音体系変化にともなう音節統合を避ける音韻体系上の要請に従ったものであるとされているのである。 しかし中本 (2008) 以降の研究では、可>p の変化を起こしたという見方を唱えてお り、筆者もその可能性を支持している。それは次のような音韻変化を根拠にしてい る。 2-2. 南琉球方雷のワ・ヤ行音の実態とその通時的変遷 ハ行音がや>p という変化を起こしたと考える大きな理由として、当該地域におけ るワ行・ヤ行の変化があげられる。その変化についてハ行と同様に中央語との対応関 係という観点でそのあり方を示す。なお、各方言の典型的な対応関係を示すために、 当該音素の語頭における対応関係を示す。 表 2. 中央語と南疏球各方言とのワ行対応関係 中央語| ヰ
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ヱ j ヮ;
ヲ 宮古 1b
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石垣 1b
: b
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与那国 bib
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bu
与那国方言の語例を示すと次の通りである。例)亥 [bi]、酔う [bi:ruN] (古語ではゑふ)、若い [bagaN] 、忘れる [batfiruN] 、 甥 [b凶加]、斧 [bunu] など。 すでに述べたように、これは南琉球方言を特酸付ける音韻変化の一つである。こ のw>b という変化は南琉球全域でほぼ例外なく観察される変化であり、これを音声 的な側面から特徴づけると w[両唇軟口蓋接近音]がb[両唇破裂音]に変化する「破裂 化J であると言えるだろう。この破裂化と平行して捉えられるのがや>p だろうと考え られるのである。 続けてヤ行音のあり方を表3 に示す。ワ行音とはやや現れ方を異にしており、南琉 表 3. 中央語と甫琉球各方言とのヤ行対応関係 中央語| ヨ
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ユ 宮古 juj
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十ー一一一一ナ F 一一一一一一一一一 ..1 例)欲[dugu]、夜[duru]、野菜[d踊ai],山 [dama]、 石垣 juj
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十一一一 γ 一一一 γ 一 '.:-....1 湯[du]、夕べ[dubi]など。 与那国 1d
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28 南琉球方言のハ行 p 音 球方言のうち、宮古、石垣におけるヤ行子音は中央語と同じく j で現れるが、与那国で は中央語のヤ行に dが対応して現れる。ヤ行のこのような音韻変化は琉球方言の中で も与那国方言に独特のものであるが、 j>d を音声的側面から考えると[硬口蓋接近音] >【歯音歯茎破裂音】という変化であり、やはり接近音が「破裂化」するという点では w>b とパラレルな変化だと言えるだろう。 これらの変化が引き起こされた要因ついて、内聞 (2004) では当地域における五母 音>三母音という母音体系の変化にあると説明する。ところがその説明原理は中本 (1976) 、 (1990) で示されるような構造的な観点ではなく、狭母音化にともなって生じ る具体的な音声変化の観点から説明している点で注目される。母音変化にともなっ て生じる音声変化とはすなわち強い呼気の生成であり、強い呼気とワ行、ヤ行の変化 を次のように関連づけて説明している。 宮古・八重山方言では、狭母音化とそれに伴う強い呼気で発音される [w] は[
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を経て、さらにより安定した明瞭な子音[b]へと変化したものと解される。これ が摩擦音の破裂音、すなわち [w]>[b] の変化である。(中略)与那国方言では、(中 略)ヤ行子音は [d] となるが、これも狭母音化とそれに伴う強い呼気で発音され る日]が [d3] を経て、さらに [d] となり、同じく摩擦音の破裂音化、すなわち田>[d] の変化を来したものと解される。 このように、当地域で生じ戸狭母音化が強い呼気を招来し、強い呼気で発音された wや]がより安定した発音である bやd に変化したと考えるのである。 では変化の時期という観点からワ行、ヤ行の変化を考えてみよう。これらの変化は 母音体系の変化以後に生じたものであり、 w>b という南琉球全域に通じる音韻変化 は、南琉球全域で共通して観察されることから与那国方言が八重山方言や宮古方言 と分岐する以前に始まっていた変化であると考えられ、一方でj>d という与那国独特 の変化は他地域との分岐後または分岐しつつある時期に与那国方言独自の変化とし て進行していったと考えられる。このワ行とヤ行の変化が同時期ではなく、時期をず らして進行していたというのは次のような語例からもうかがえる。 蘭草(奈良中央語では「ゐ J) :与那国[di:]、宮古・石垣など[bZï:] 与那国方言の音韻体系上、「蘭草」という語が[di:] となるためにはwi>ji>diの変化を 辿るしかなく、 wi>bi>di という過程は与那国方言の音韻法則と矛盾するため成立し ない。一方、他の南琉球方言では例にあげた通り w>b という音韻法則に従い [bZi:] とい う語形となっている。この「蘭草」の例は与那国方言の中でワ行音がw>b という変化を完了する以前に w>j という変化が生じ、その後のj>d という体系的変化を受けて成 立したことを物語っている。 2-3. ハ行子音 *φ>p 変化過程を考える根拠 ここまで、ハ行、ワ・ヤ行の各子音の実態について取り上げ、その変化過程と変化要 因について整理をおこなった。従来、ハ行音については母音体系変化と弁別保持とい う体系的な観点から p音残存要因が説かれ、ワ・ヤ行については母音体系変化とそれ にともなって生じる音声的変化に理由を求めてその変化要因が説かれてきたことが わかる。 近年指摘された可>pの捉え方はw>b、 j>d との関係から位置づけられることから わかる通り、ハ行p音も狭母音化にともなう音声変化を受けて生じた変化と考えるわ けである。換言すると、中本(1976) 、(1990) によるハ行p音の構造的残存という見方 にやや不明な点があるわけだが、中本 (2008) 以降の一連の研究はその点について具 体的な言及をおこなっていない。筆者が可>pの考え方を支持するのは中本 (1976) 、 (1990) に次のような疑問を持つからである。
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)母音変化が生じる 12C -15C まで果たして語頭、音が保たれたか。 (ü) 語中ハ行転呼音の実態と語頭ハ行音はどのような関係にあったか。 (泌)与那国方言におけるハ行子音体系はどのように成立したのか。 中本(1976) 、 (1990) ではp音残存要因を母音体系変化という構造的観点から説明 するが、そもそも母音体系変化が12C -15C頃に生じたとする従来の説注3 に従うなら ば、その頃までは自律的に p音が残存していたと考えなければならず、文献時代以前 にp音を失ったとされる中央語との年代的議離に疑問が生じる。また、中央語では語 中のハ行子音は早いもので万葉集頃からハ行転呼現象を起こした用例が見られ、鎌 倉時代には一般化しワ行音への変化を遂げているとされる。しかし、琉球方言のハ行 転呼現象は中央語のそれよりかなり進んでおり、長母音化したり脱落したりするも のも少なくない。このように語中でかなり進んでいる唇音退化と語頭p音のあり方 はどのように説明されるのか、疑問である。また、先述の通り与那国方言におけるハ 行子音体系の成立過程を中本 (1990) に従って見てきたが、ハ行イ段音/c'i/がどのよ うに生成され、ハ行子音体系の中でどのように位置付くかが明らかにされていない。(
i
)についてはおそらく現在の研究では前提化されたものであり、そうであったと も、そうでなかったとも断言することは難しいだろう。30 南琉球方言のハ行 p 音 そこで、筆者は (ii) (iii) について考察を加える。 3. ハ行子音体系成立に関わる諸問題 3- 1.ハ行転呼音現象 2 節に示したハ行音韻の実態は特に語頭における音韻の振る舞いについて検討し た。しかし、今指摘したように琉球方言のハ行子音は特に語中において、中央語より も進んだ変化を見せている。すなわち中央語史上のハ行転呼の現象と関わる問題で ある。そこで語頭以外での実態もあわせて考えていくことにする。中央語と南琉球方 言のハ行子音体系を考えるのに重要なのは特にハ行、ワ行の振る舞いである。まず、 語頭以外におけるハ行音の例を挙げる。用例はすべて与那国方言のものである。
皮 [ka] (かは)、固い [kwaN] (こはし)、腕 [kanna] (かひな)、返し [kaifi] (かへし)、 氷 [kuri] (こほり)、直す [nuN] (なほす)、潮 [usu] (うしほ)など。
語頭以外におけるハ行子音はハ行転呼がさらに進んで脱落する例なども多く、も とのハ行子音の形式市をほとんど留めていない。但し、語例は少ないが、次のように もとのハ行子音に由来すると思われる音韻を含む語もある。 代わり [kabai] (かはり)、吸う[puruN](すふ)、アヒル[abira]、大声[ubuk凶] (おほこえ) など。 このような現象は与那国に限らず南琉球、ひいては琉球方言全体に見られる傾向 でもある。続いてワ行音について見てみよう。
粟 [a]、乾く [karaguN]、瓦 [kara]、俵 [tara]、弱い [dwaN]、地震 [nai]( なゐ)
やはりワ行音についても語頭以外ではほぼ脱落して φ 形式になっている。但し、語 頭での振る舞いと平行してw>b となる語もあるが、その用例は多くない。 植える[bir凶.J]、心配[fib必J](せわ) 今、与那国方言を例に挙げて語中ハ行・ワ行音の振る舞いを示したが、これは南琉 球全体にも通じる実態である。つまり南琉球全域で中央語のハ行転呼よりもかなり 進んだ変化をしていることから、南琉球方言が中央語と分岐する頃にはすでに中央 語の方よりもハ行転呼は進んでいたのではないだろうか。 語頭と語頭以外における同一音素の振る舞いが閉じでないというのは、たしかに そうであるが、琉球方言の進んだハ行転呼音のあり方は語頭において唇音退化が生 じずにpのままであったということの理解を苦しめるのである。
3-2. 与那国方言のハ行子音体系 与那国方言のハ行子音体系については概略述べているが、イ段音/c'i/の成立につ いては従来の研究でも具体的に示されていない。また、当地域のハ行子音体系のあり 方はかりまたは009) が指摘するように、市>p を説明する際に問題となる体系である。 そこでまずは当地域のハ行イ段音/c'i/の成立について考えてみたい。 与那国方言のハ行イ段音c\ を考えるとき、音声学的には宮古・石垣のplから与那国 のぜi に直接変化したと考えることは難しいので、その聞の具体的な変化過程を推定 しなければならない。そこで、与那国方言の子音体系全体に視野を広げると、次に示 すようにシ、スの音節も c'i となって現れることがわかる。 島[tf'ima]、肉 [tf'itfi]、砂[tf'inaN]、煤[tf'itfi] など。(中本(1976) よりヲ l 用) つまり、ハ行イ段音がc'i となる以前にこのようなシ、スなどの摩擦音に変化をして いたと考えれば良い。すなわち、与那国方言のハ行イ段子音は、 .p を祖形と仮定して 考えると次のような変化を辿ったものと推定される。 市(原南琉球)
=
p(宮古・八重山)>金三位企tl>tf' (与那国)直二E
宮古・八重山方言における pからいくつかの形を経て最終的にはげになったものと 解されるが、その過程には必ず摩擦音が推定されることから、少なくとも与那国方言 におけるハ行子音にはやの時期があったと考えなければならない。問題はその時期が いつかということである。中本(1990) などに従えば、おそらくその時期を p>hの変化 と同じ時期と考えなければならず、母音体系の変化とあわせて構造的に説明できな ければならない。すなわち、エ段との統合を避けるために子音が変化したと考えると 次のような時期的関係が想定される。 ヒブpi>pï>争ï>çï>fi>tfi>げ?I ヘブpe>pi>çi ハ行イ段音は果たしてこのような慌ただしい変化を経たのであろうか。また、摩擦 音から破擦音の変化はどのような要因で引き起こされたのであろうか。筆者は与那 国方言のハ行子音体系のあり方について、市を祖形として考えるよりもハ行可を想 定するのが良いと考えている。 4. ハ行子音 *φ>p による問題解決 筆者は従来説かれてきたハ行p音残存説自体に問題があるとは考えておらず、音32 南琉球方言のハ行 p 音 韻体系上の張り合い関係によってpが固定されるという考え方は今後も支持される だろうし、その他の音韻事象にも積極的に適用される観点であると考えている。しか しながら、一方で、は古音市があらゆる時代において存在していたという見方につい てこれまで示した通りいくつかの疑問を抱いているのである。そこで、中本 (2008) 、 (2009) 、 (2011) に示された可>pの考え方を適用して、ハ行p音に関する修正案を提示 する。 まず、ハ行転呼に関するいくつかの間題はハ行子音がその古形に可を持つと推定 することで、中央語よりも進んだ、ハ行転呼現象についても説明可能である。 原南琉球方言のハ行子音体系が語頭、語中・尾で涼と措定すると、母音体系変化に ともないw>bが生じたように、特に語頭における破裂音化、すなわち可>pが引き起 こされる。これは内問 (2004) に従えば、三母音化にともなう「強い呼気の招来」が音声 的要因として関わったと解される。強い呼気が語頭で接近音や摩擦音を破裂音化さ せるということは、音声生理学的には肺から調音点まで(ここでは肺から両唇までの 声道すべて)の気圧を高めたのち一気に閉鎖を開放するために、その後に続く発音は 気圧の下がった状態で発音されることになる。すなわち、破裂音化という音声変化は 語頭で気圧を高め、その後は一気に気圧を下げることに他ならない。このような変化 がワ行やヤ行またハ行にまで生じることで南琉球の発音は総体的に語頭の発音が強 くなり、その結果、語中・尾においては通常の経済化をはるかに超えて調音弱化が生 じうると解されるのである。それが当地域におけるハ行転呼音という唇音退化をよ り進行させたと説明できる。結果として、ハ行子音やワ行、ヤ行子音は語頭において 調音強化の方向へ、語中・尾においては調音弱化というこ方向への変化を示したと考 えられるのである。 続いて与那国方言におけるハ行子音体系の成立についても次のように説明するこ とができる。 まず、母音体系の変化が引き起こされるまで、は全段で句だったと推定する。すなわ ち、ヒヘハホフはそれぞ、れ/市i、和、相、やo、やu/ だ、ったと推定する。この段階で/cvc-/ (c=無声破裂子音、 v=狭母音)の構造を持っていた語については、拍縮約がおこなわ れ、イ・ウ段の拍が後続子音に取り込まれ喉頭化音として実現されるようになる。こ れは与那国島だけに生じた変化である。一方、語頭以外のハ行子音はハ行転呼を引き 起こしワ行音と合流するか、早いものでは脱落していたものもあるだろう。その後 12 世紀 ~15世紀ごろに生じた母音体系変化にともない、ウーオ段の音節統合を避ける
ためにウ段音子音が姿を変え、・/やi、やi、相、やu、白/の体系ができあがる。同時にこの母 音変化は内聞 (2004) で示されたように強い呼気を引き起こすこととなり、結果とし てハ行の語頭において可>p という破裂化を生じさせ、 /pï、 pi、 pa、 pu、 fu/ という体系 に向かうことになったのである。実際に宮古・八重山方言ではその体系が完成した。 ところが、与那国方言においては母音変化以前に生じた無声子音と狭母音イ・ウ段音 の拍縮約によって増加した大量の喉頭化音が、ハ行子音を両唇破裂化きせずに可>h へと喉頭摩擦化させていくのである。言い換えると、与那国方言のハ行子音は/pï、 pi、 pa、 pu、負11の体系にたどり着くことなく、調音点をずらしてh化していったと考え られるのである。ここにおいて、南琉球方言はハ行音が破裂化する宮古・八重山方言 と、与那国方言に大きく分割され、ハ行音が破裂化しえなかった与那国方言では強く なった呼気を弱めることなくヤ行音を破裂させるように変化したのである。 5. まとめと今後の展望 今回、ハ行子音p について可>p という考え方を導入して南琉球方言のハ行子音体 系を捉え直した。特に南琉球方言の中でp音を持たない与那国方言の実態を踏まえる ことで可 >pの可能性を検証した。その結果、ハ行p音を古形として考えるよりも可の 方がより南琉球全体の体系を説明できることを示した。また、ハ行子音を可>p と考え ることによって、 w>b やj>dのような当該地域の破裂音化の傾向をより一元的に説明 することができる。 ところで、琉球方言の中で北琉球に位置する奄美・沖縄方言にもハ行p音が確認さ れる。内間 (2010) では南北琉球にそれぞれ見られる p音は異なる出自であることを指 摘したが、その検証はまだ十分ではない。今後は北琉球のp音のあり方も含めて、琉球 方言全体の変化を検討していく必要がある。 注 l 南琉球方言とは琉球方言のうち、宮古、八重山、与那国地方で話き れる方言群を指す。簡単にその区画を示すと右の通りである。 2 表内の与那国方言における Cl の具体音声は筆者の資料では多く が [tfi) であったが、平山・中本(1961)には喉頭化音 [t'3i) と記されて いるためこちらを採用して掲載している。喉頭化の消失は経年的 な音声変化によるもので、喉頭化音がより有意なものと考える。 輔輔酎岨
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」「斗し
「JlL
3 外閑 (2∞0)1方言化への傾斜を始めた十二世紀頃から母音変化の様相を脹胎していいたかどうか、あかし のたてょうがないが、私は、文献時代(十五世紀末以後)に入る直前頃にはかなりな程度まで三母音化現象34 南琉球方言のハ行 P 音 が進んでいたに違いないと考えている。」 司書考文献 池間苗 (2∞3H与那国語辞典』私家版 伊波普猷 (1907)lp 音考Jr古琉球j (1911 年所収) 上回万年(1898)