一、緒 言
今日、文学教材(小説、詩など)は、国語教育の現場(教科書および教室)から急速に隅へ と追いやられ、削減されつつある。中学校においてその削減傾向は著しく、たとえばかつて読 解の対象だった漱石の「坊つちやん」や 外の「最後の一句」等、中学生にとってやや長文 (長編)にあたる文学作品は授業内における読解対象ではなくなり、各自がめいめい読み通す 形式での「読み物」教材となっている。だが、そうしたなかでも、高校国語教材として漱石の 『こゝろ』は、芥川龍之介の「羅生門」などとともに、ひとまず文学教材の〈王道〉として最 も安定した地位にあるかのように見える。しかし、近年の文学軽視の風潮のなか、国語教育の 現場における実態はどうなのだろうか。 『こゝろ』は、文庫本(岩波書店)の版組で約二百七十ページに及ぶ長編小説である。当然 のことながら全文は教科書に掲載されていない。『こゝろ』の現行テキストは、〈上・中・下〉 の三部構成であるが(初出は違う……後述)、ほとんどの教科書はそのごく一部を採録してい るにすぎず、それは物語のクライマックスともいえる「下 先生と遺書」の、K の自殺前後の 場面である。それゆえ、物語の全体像を提示するため、各教科書は「上」「中」および「下」 の未掲出部分の〈梗概〉を併記するなど、種々の苦しい工夫を試みている。とはいえ、作品 (小説)の本質や核心を理解するためには、まずは全文を読むことが第一歩になる。このよう なジレンマのもと、教育現場ではいったいどのような対応をしているのだろうか。 一昨年のことになるが、旧知の大学教員が教職免許更新講習「選択必修(国語科)」の講師『こゝろ』のゆくえ
―文学的教材の問題提起的なアクティブ・ラーニングの試み―
中 田 睦 美*
How Should We Let Students Read“KOKORO” ?:
Active Learning for Which Literary Teaching Materials Are Utilized
(NAKATA Mutsumi)
*近畿大学教職教育部准教授 〔キーワード〕 アクティブ・ラーニング、長編文学国語教材、
『こゝろ』、主体的・対話的な深い学び、歴史的 事実
を勤めることになり(二○一五年八月一日、於山口大学)、『こゝろ』について語るとの情報を 得た。折角の機会なので、講習終了後の場をかりて、『こゝろ』をめぐるごく簡単なアンケー トをお願いできないかと相談したところ、快諾を得た。教育現場に立つ教員たちが『こゝろ』 という文学教材をどのように扱っているのか、その実態の一端に触れる好機だと思ったからで、 依頼したのは次のようなアンケートである。
『こ ゝ ろ』をめぐるアンケート
1.あなたは授業の中で夏目淑石の『こゝろ』を採り上げましたか。 a.はい b.いいえ 2.「1.」で〈 a 〉と回答された方、その配当時間は何時間(何校時)ですか。 ( )時間 3.「1.」で〈 b 〉と回答された方、その理由を簡単にお答え下さい。 〔 〕 4.『こゝろ』を夏休み等の課題(作文)として読ませましたか。 a.はい b.いいえ 5.「4.」の課題を出す際、何か特に提言をしましたか? a.はい b.いいえ 6.『こゝろ』や文学教材について思うところがあればお書き下さい。 〔 〕 アンケートへの参加はむろん講習を受講した教員たちの自由で、全53名のうち45名の協力を 得ることができた。繁雑さを避けるため、なるべく簡単なアンケートを心がけ、上掲のような 形をとった。以下、アンケート結果の要点を簡略にまとめておく。 ① 「1.」については、〈 a 〉〈 b 〉の回答がほぼ半ばし、授業の中で『こゝろ』を採り上 げる教員は45名中25名(約55%強)であった。 ② 「2.」については、6 ∼14時間と配当時間に幅があり、最長で16時間という回答もあっ た。付記には、じっくり取り組みたい教材ではあるが、その配当時間を確保するのがなか なか難しいとの悩みもあった。 ③ 「3.」については、長編小説への配当時間の問題や作品の一部だけで語ることの難しさなどが多かった。また、生徒の文学教材(明治の小説)に対する関心の薄さ、文学(小説) 教材自体の扱いにくさ(正解が絞りにくい)などの回答があった。ただし、友情の裏切り や孤独の観点から強く魅かれる生徒も少なくない、との回答もあった。 ④ 「4.」については、「1」で〈 b 〉(いいえ)と回答した教員(20名)のうち15名、す なわち授業で採り上げなかった教員の75%(全体の約33%)が課題として『こゝろ』を読 ませている。①の授業内で採り上げた教師でも、さらに「課題」として作文を課している 教員は10名おり、全体の25名すなわち約55%が感想文を課している。 ⑤ 「5.」については、作品を読んでその感想を提出するようにと指示し、特に提言はしな かったとの回答〈 b 〉が38名中の35名であった。一方、少数ではあるが、「学習の手引き」 などを参考に留意点を指示した例もあった。 ⑥ 「6.」については、回答時間が短いせいもあってほとんど回答を得られなかったが、唯 一、今時の生徒の関心が薄い文学教材にどうすれば興味をもたせられるのか、その悩みを 訴える回答があった。 以上がアンケートに対する回答の概要であるが、ここにはさまざまな問題がかいま見える。ま ずは長編の文学教材を扱うには時間的な制約があること、次に一昔前まではだれもが知る国民文 学『こゝろ』も、まずは明治という日本の近代化の時期に頂点に立った作家夏目淑石という存在 の概説から始めなければ現代の生徒の興味を引けないということ、また、教師の側にも文学教材 を取り扱うことを苦手とする傾向があること、さらに、配当時間の多い教材だが受験にあまり直 結せず、目前の成果を求める生徒たちからの関心が薄いこと、等々である。しかし、教科書に採 録された国民的作家の代表作にまったく触れないというのも国語科教師としてはやや淋しい思い が残るのだろう。そのため〈次善の策〉として採られるのが、長期休暇などを利用して「課題」 として『こゝろ』を読ませ、その感想文を書かせる、という手段なのである。現に今回のアン ケートでも全体の70%にあたる教員が実際に「課題」として『こゝろ』を読ませている。とすれ ば、最大公約数的な当面の現状をひとまず受け入れ、その「課題」(の出し方)を工夫すること によって〈次善の策〉を活用し、長編文学教材を扱う国語教育の壁に風穴をあけることはできな いか、と考えたのである。それは、ひいては、新学習指導要領の柱の一つである「主体的・対話 的で深い学びの充実」を生徒に体得させ育ませる試みとなれば、とも考えた。 長編文学教材の『こゝろ』を学習するにあたり、教材と「主体的」かつ「対話的」に向き合 う姿勢を涵養するために、まずは、下記のプリントを配布、それについて、班単位で語り合い、
それをまとめた発表結果と『こゝろ』読書後の感想をたたき台とし、相互に語り合うアクティ ブ・ラーニングによって「深い学びの充実」を図ることはできないものだろうか。そうした観 点に立って、ひとまず以下のような提言をしてみたい。 つまり、「課題」を提示する際、ただ漫然と『こゝろ』を読むように勧めるのではなく、あ る種の〈刺激〉となり得る問題提起的な材料を提供して問いかけを試みる。しかし、それは従 来の〈教科書的〉(「学習の手引き」的)な材料や問いではなく、むしろ『こゝろ』自体に付随 する、より専門的な情報をあえて投げかけることで、生徒たちを「国語」的学習パターンを超 えた未知の領域へと導き、『こゝろ』(ひいては「文学」)に対する新たな関心や知的〈刺激〉 を喚起しうる問いとしたい。以下に掲げるのは、上記の意図に基づく実験的な試みとして生徒 に配る五種類の【配布プリント】の掲示である。
二、配布プリント
―『こゝろ』の生成過程を中心に
【 配布プリント1 】 考えてみると、『こゝろ』は不思議な小説です。ストーリイをごく簡略に述べると、「先 生」と呼ばれる人物が遺書を残して自殺する、ただそれだけの話です。この陰惨な自殺者 の物語がなぜ多くの読者によって長く愛読されて、教科書にまで採録され、今日に至って いるのか、実に不思議です。そうした疑問の出発点として、『こゝろ』の成立過程を見て みましょう。まずは、『こゝろ』の「予告」が載った新聞〔資料1〕〔資料2〕と、その予 告文を含む漱石の書簡〔資料3〕を紹介しておこう。 〔資料1〕 「予告」の「東京朝日新聞」(大3・4・16)(注1) 大 正 3 年 4 月 日 ︵ 東 京 朝 日 新 聞 ︶ 16〔資料2〕 「東京朝日新聞」(大3・4・17)(注2) 〔資料3〕 大 正 3 年 4 月 日 ︵ 東 京 朝 日 新 聞 ︶ 17
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大 正 3 年 4 月 日 ︵ 東 京 朝 日 新 聞 ︶ 19〔資料3〕の「明日より掲載」の原文書簡 今度は短篇をいくつか書いて見たいと思ひます、其一つ一つには違つた名をつけて 行く積りですが予告の必要上全体の題が御入用かとも存じます故それを「心と致して 置きます(朝日新聞編集部山本松之助宛漱石書簡〔大正3年3月30日〕)(注3) 〔資料4〕 『こゝろ』初出・第一回分「東京朝日新聞」(注4) 上記〔資料4〕初出の「朝日新聞」で短編群の「全体の題」を『心』とした漱石は、最 初の短編を「先生の遺書」と題しましたが〔資料3〕、「いくつか書」かれるはずの後続の 短編は書かれませんでした。結局は「先生の遺書」というタイトルがそのまま最終回まで 続き、それを単行本にする際、『こゝろ』という題名を活かし、内容はそのままで〈上・ 中・下〉の三部構成とし、「上 先生と私」「中 両親と私」「下 先生と遺書」と改めま した。漱石自身、その過程を単行本『こゝろ』の「序」〔資料4〕で述べています。 大 正 3 年 4 月 日 ︵ 東 京 朝 日 新 聞 ︶ 20
〔資料5〕 単行本『こゝろ』序(大3・9 岩波書店) ―〔資料5〕単行本「序」の文字起こし― 『心』は大正三年四月から八月にわたつて東京大阪 兩 朝日へ同時に掲載された小説であ りょう る。昔時の 豫 告には 數 種の短篇を 合 してそれに『心』といふ標題を冠らせる 積 だと 讀 者に よ すう あわ つもり どく 斷 つたのであるが、其短篇の第一に 當 たる『先生の遺書』を書き込んで行くうちに、 豫 想 ことわ あ よ そう 通り早く片が付かない事を 發 見 したので、とう はっ けん その一篇だけを単行本に 纏 めて公けにまと する方針に模様がへをした。 然 し 此 『先生の遺書』も 自 から 獨 立したやうな又関係の深いやうな三 箇 の姉妹篇から組 しか この みず どく こ み立てられてゐる以上、私はそれを『先生と私』『兩親と私』『先生と遺書』とに区別して、 全體に『心』といふ見出しを付けても差し支えないやうに思つたので、題は元の 儘 にしてまま 置いた。たゞ中味を上中下に仕切つた丈が、新聞に出た時との相違である。(以下略)(単 行本『こゝろ』大3・9、岩波書店、「序」)(注5)(ルビに関しては、引用者により、新仮名 遣いを付す。) ★以上のような『こゝろ』の成立過程から何か気づいたことや考えられることがあります か。たとえば、なぜ「先生の遺書」を作品名にしなかったのか、なぜ三部構成に改めたの かなど、『こゝろ』をじっくり読んで考えてみましょう。
三、配布プリント
―『こゝろ』の主題としての自殺
【 配布プリント 2 】 『こゝろ』は、奇妙な小説です。初出は何編か続ける予定の最初の短編として「先生の 遺書」という題で連載を開始しましたが、物語はそれだけで終了しました(【学習プリン ト1】の〔資料3〕参照)。ですから現在の『こゝろ』は、本当は「先生の遺書」という だったわけです。「遺書」と題されるからには、「先生の自殺ありき」を出発点とする、あ るいは〈死への欲望=タナトス〉を起点とする物語だったと考えられます。事実、有名な 評論家の柄谷行人は次のように述べています〔資料6〕。(以下、ルビは引用者による。) 〔資料6〕 『こゝろ』の隠された主題は自殺であり、友人への裏切り、乃木将軍の殉死 などの理由立ては、ともかく自殺が前提となった上で導入されたのである。(注6) この「隠された主題」である自殺に関連して、当時の漱石の心境をうかがわせる資料も あります。たとえば、『こゝろ』連載後ほどなく、弟子の一人岡田(林原)耕三に宛てた 書簡〔資料7〕や随筆「硝子戸の中」〔資料8〕の中の発言です。 〔資料7〕 私が生よりも死を 択 ぶといふのを二度もつゞけて聞かせる 積 ではなかつたけえら つもり れどもつい時の 拍 ひょう 子 であんな事を云つたのです 然 しそれは嘘でも し しか 笑 しょう 談 でもない死ん だん だら皆に 枢 の前で万歳を唱へてもらひたいと本気で思つてゐる(中略)本来の自分に ひつぎ は死んで始めて 還 れるのだと考へてゐる私は今の所自殺を好まない(中略)無理に生かえ から死に移る甚しき苦痛を嫌ふ、だから自殺はやり 度 ない 夫 から私の死を択ぶのは悲たく それ 観ではない厭世観なのである(岡田耕三宛漱石書簡〔大3・11・14〕)(注7) 〔資料8〕 不愉快に 充 ちた人生をとぼ み 辿 りつつある私は、自分の何時か一度到達したど なければならない死といふ境地に 就 いて常に考へてゐる。さうして其死といふものをつ 生より楽なものだとばかり信じてゐる。ある時はそれを人間として達し得る最上至高 の状態だと思ふ事もある。/「死は生よりも尊い」/ 斯 ういふ言葉が近頃では絶えず こ 私の胸を往来するようになつた。(注8)これらの発言を見ると、この時期の漱石にとって「死」や「自殺」がきわめて親しい 「主題」だったことは確かです。が、奇妙なことに、『こゝろ』は「初めに自殺ありきの物 語でありながら、肝心の自殺の理由に関する「説明」が作品中にありません。たとえば小 説の末尾近く「下 五十六」に先生の次のような言葉〔資料9〕があります。 〔資料9〕 それから二三目して、私はとう 自殺する決心をしたのです。私に乃木さ んの死んだ理由が 能 く解らないやうに貴方にも私の自殺する訳が明らかに呑み込めな よ いかも知れませんが、もし 左 右 だとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だ そ う から仕方がありません。 或 は個人の有つて生れた性格の相違と云つた方が確かも知れあるい ません。私は私の出来る限り 此 不思議な私といふものを、貴方に解らせるやうに、今この 迄の叙述で 己 れを尽した 積 です。(下 五十六)おの つもり (注9) 先生のこの発言は、自殺の「理由」の説明になっていないばかりか、むしろ「説明」を 拒むものといえます。先生は「時勢の推移」や「性格」の「相違」など、いかにもありき たりの原因をあげるだけで「私(先生)の自殺する訳」が(私=青年に)「呑み込めない」 としても「仕方がありません」と突き放しています。まるで自身の「死んだ理由」を他者 に「解ら」せるのは困難だと言わぬばかりです。 先の柄谷氏も、前の〔資料6〕の引用に続けて次のように述べています〔資料10〕。 〔資料10〕 『こゝろ』の先生がなぜ死ななければならないのかということは、おそらく 作品そのものからは理解できないはずだ。先生の心理はこれまでの作品の図式性に比 べると無理なく丹念に追われているのだが、自殺だけはやや不可解な短絡反応といわ ざるをえないのである。(注10) また、小説を読む名手である小説家の大岡昇平も次のように述べています〔資料11〕。 〔資料11〕 先生が自殺してしまうのは唐突に見える、しかも明治の精神に殉じるなんて それまでの小説の進行から見て、意外な口実が出て来るんですが、人間の自殺なんて そんなものかも知れない。(注11)
★先生の自殺は「作品そのものからは理解できない」「不可解な短絡反応」で「唐突に見 える」といいながら、柄谷氏は『こゝろ』が「均斉がとれ爽雑物の少ない佳作」だと言い、 大岡氏も「きっちりまとまっていて、必要なことだけしか書いていない」「均整のとれた 印象が残」ると評価しています。『こゝろ』本文内では「主題」である先生の「自殺」の 理由が説明されません。先生の自殺も『こゝろ』を論ずる人々より「不可解」や「唐突」 とされながら、同時に作品の評価は高いという奇妙で不可思議な評価がなされます。この 点に念頭に置きながら、『こゝろ』をじっくり読んで考えてみよう。
四、配布プリント
―『こゝろ』のさまざまな解釈
【 配布プリント3 】 『こゝろ』は読み方が大きく分かれている小説です。しばらく前のことになりますが 『こゝろ』をめぐる大きな論争がありました。そのきっかけとなったのは、小森陽一氏の 「『こころ』を生成する『心臓(ハート)』」(「成城国文学」1、昭60・3)(注12)という論文 と石原千秋氏の「『こゝろ』のオイディプス―反転する語り」(同上)(注13)という論文で す。小森論の要旨を簡単に述べると、〈青年の「私」は先生から遺書だけでなく、先生の 奥さん(静)も受け取り、二人の間にはすでに子供も居る〉という、それまでにない衝撃 的な『こゝろ』の解釈でした。オイディプス(エディプス)神話を基盤とする石原論も結 論的には小森氏の理論と同方向のものです。(本文傍線部は、引用者による。) ここで小森論の論拠となる『こゝろ』本文を二箇所だけ引用してみよう〔資料12、13〕 〔資料12〕 私は 其 人 を常に先生と呼んでゐた。だから 此 所 でもたゞ先生と書く 丈 で本名 その ひと こ こ だけ は打ち明けない。(中略)私は其人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」と 云 ひた い くなる。筆を 執 つてもと 心 こころ 持 は同じ事である。 余 所 々 々 しいもち よ そ よ そ 頭 かしら 文 字 杯 はとても使ふ気も じ など にならない。(上 一)(注14) 〔資料13〕 「子供でもあると好いんですがね」と奥さんは私の方を向いて云つた。私は 「 左 右 ですな」と答へた。 然 し私の心には何の同情も起らなかつた。子供を持つた事そ う しかのない 其 時 の私は、子供をたゞその とき 蒼蝿 う る さいものゝ様に考へてゐた。/「一人 貰 つて 遣 らうもら や か」と先生が云つた。「貰ツ子ぢや、ねえあなた」と奥さんは 又 私の方を向いた。(上 また 八)(注15) 小森氏は、〔資料12〕小説「上 一」の冒頭部分(下線部)から『こゝろ』が青年「私」 の手記であること、先生の遺書はその手記に引用されたものであることを指摘し、また、 「余所々々しい頭文字杯はとても使ふ気にならない」という「私」の発言と、「私はその友 達の名を 此 所 にKと呼んでおきます」(下 十九)という「余所々々しい頭文字」を用い こ こ る先生の言葉との差異に注目し、「私」が先生とは別次元の新たな人間関係を結ぶ(その 具体例が奥さんとの関係)存在であると論じています。 さらに小森氏は、〔資料13〕の場面にも注目します。「其時の私」が「子供を持つた事の ない」と語ったのは、逆に〈今の私〉には子供があることを連想させ、また、子供をめぐ る話題で奥さんが「私」に向かって二度も語りかけるのは、「私」と奥さんの間に子供が あることを暗示させる、というふうに受けとめた(読んだ)のです。冒頭に掲げた小森氏 の衝撃的な〈解釈〉は、こうした部分の読みを数多く積み重ねて成り立っているわけです。 もちろん、小森論や石原論のようなスリリングな読みには反論も出ました。その先頭に立っ たのは三好行雄氏(「ワトソンは背信者か―『こゝろ』再説―」『文学』岩波書店、昭63・ 5)で、たとえば『こゝろ』本文(〔資料14〕)の描写などを論拠に小森論に反論しました。 〔資料14〕 先生は美しい恋愛の裏に、恐ろしい悲劇を持つてゐた。さうして其悲劇の何 んなに先生に取つて見惨なものであるかば相手の奥さんに丸で知れてゐなかつた。奥 さんは今でもそれを知らずにゐる。先生はそれを奥さんに隠して死んだ。先生は奥さ んの幸福を破壊する前に、先づ自分の生命を破壊して仕舞つた。(上 十二)(注16) 三好氏は、奥さんが「今でもそれを知らずにゐる」という事実を重視し、その「悲劇」 を秘密にしたまま「私」と奥さんが新たな家庭を築き、子供をもうけるなどということは、 「私」が最も尊敬する先生に対する背信(「先生はそれを奥さんに隠して死んだ」のだから) になるので疑問だと論じました(注17)。むろんこのほかにも賛否両方の立場で、多くの学者 や小説家なども論争に参加しましたが、ここでは略します。
★小森論の大胆な〈解釈〉やこれに反論した三好論などについて、あなたはどのように思 いますか。『こゝろ』をじっくり読んで自分の考えを述べて下さい。
五、配布プリント
―『こゝろ』というテキストの揺れ
【 配布プリント4 】 『こゝろ』は、そのテキスト(本文)が矛盾やズレに満ちた(?)小説です。たとえば、 次の〔資料15〕と〔資料16〕を読みくらべて下さい。いずれも自殺した友人Kの墓を話題 とする場面です。(本文傍線部は、引用者による。) 〔資料15〕 「ぢや御墓参りでも好いから 一所 に 伴 れて行つて下さい。私も 御 墓 参 りをし いっしょ つ お はか まい ますから」/実際私には 墓 参 と散歩との区別が 殆 んど無意味のやうに思はれたのであぼ さん ほと る。すると先生の眉がちよつと曇つた。眼のうちにも異様の光が出た。それは迷惑と も嫌悪とも畏怖とも片付けられない 微 かな不安らしいものであつた。私は 忽 ち 雑 司 ケ かす たちま ぞう し が 谷 で「先生」と呼び掛けた時の記憶を強く思ひ起した。二つの表情は全く同じだつた や のである。/「私は」と先生が云つた。「私はあなたに話す事の出来ないある理由が あつて、 他 と一所にあすこへ墓参りには行きたくないのです。自分の妻さへまだ伴れほか て行つた事がないのです」(上 六)(注18) 〔資料16〕 私は妻の望通り二人連れ立つて雑司ケ谷へ行きました。私は新らしいKの墓 へ水をかけて洗つて遣りました。妻は 其 前 へ線香と花を立てました。二人は頭を下げその まえ て、合掌しました。妻は 定 めて私と一所になった 顛 末 を述べてKに喜 こ んで貰ふ積で さだ てん まつ ママ したらう。私は腹の中で、たゞ自分が悪かつたと繰り返す丈でした。/其時妻はKの 墓を撫でゝ見て立派だと評してゐました。(下 五十一)(注19) 説明するまでもなく、〔資料15〕と〔資料16〕の描写には明白な〈矛盾〉があります。 「ある理由があつて、他と一所にあすこへ墓参りには行きたくないのです。自分の妻さへ まだ伴れて行つた事がないのです」と先生は語っていますが、かつては奥さんと一緒に雑司ケ谷に出向き、その際、奥さんは「Kの墓を撫でゝ見て立派だと評してゐ」ます。 この〈矛盾〉は、たとえば、①先生の記憶違い、②先生が嘘をついている、③先生が精 神に変調を来している、④漱石のケアレス・ミス、などが考えられますが、単純明解な解 答を出すことは困難かもしれません。それでもさらに何かほかの解釈や別の理由が考えら れるでしょうか。 また、たとえば次の〔資料17〕と〔資料18〕を見て下さい。 〔資料17〕 先生は時々奥さんを伴れて、音楽会や芝居だのに行つた。夫から夫婦づれで 一週間以内の旅行をした事も、私の記憶によると、二三度以上あつた。私は箱根から 貰つた絵端書をまだ持つてゐる。日光へ行つた時は紅葉を一枚封じ込めた郵便も貰つ た。(上 九)(注20) 〔資料18〕 先生の返事(私の両親が送った椎茸への礼状)が来た時、私は 一寸 驚ろかさちょっと れた。(中略)その簡単な一本の手紙が私には 大 層 な喜びになつた。 尤 も 是 は私が先たい そう もっと これ 生から受取つた第一の手紙には 相 違 なかつたが。/第一といふと私と先生との間に書 そう い 信の往復がたび あつたやうに思はれるが、事実は決してさうでない事を一寸 断 つ ことわ て置きたい。私は先生の生前にたつた二通の手紙しか貰つてゐない。其一通は今いふ 此簡単な返書で、あとの一通は先生の死ぬ前とくに 私 わたくし 宛 で書いた大変長いものでああて る。(上 二十二)(注21) 「私」が貰った「たつた二通の手紙」とは椎茸の簡単な礼状と先生の遺書を指しますが、 ほかにも「私」は箱根からの「絵端書」や日光旅行の「紅葉を一枚封じ込めた郵便」を 貰っています。むろん前者は「絵端書」であって「手紙」ではないと言えますし、後者の 「紅葉を一枚封じ込めた」「郵便」は女性らしい趣味なので奥さんからの「手紙」とも考え られますが、当時は親しい男性同士でも「紅葉」などを封じ込める習慣があったとされま す。また、「端書」も「郵便」も「手紙」の一種に違いなく、椎茸の礼状である「簡単な 一本の手紙」が「端書」だった可能性もあり、それなら箱根からの「絵端書」も「手紙」 とみなせます。そうなると「たつた二通」という「私」の限定も怪しくなります。 こうした『こゝろ』テクスト中の不整合(ズレ)の類に早く注目したのは、西垣勤氏の
「『こゝろ』覚之書」(「日本文学」昭46・6)(注22)や浅田隆氏の「漱石『こゝろ』私解」(「奈 良大学紀要」昭54・12)、「漱石『こゝろ』論・素描」(「枯野」平5・6)(注23)ですが、先 の石原氏は「テクストはまちがわない」(「漱石研究」6、翰林書房、平8・5)(注24)とい う一文で、テキストをそのままを受けとめるべきだと述べました。浅田隆氏は『「テクス トはまちがわない」か』(「漱石研究」7、翰林書房、平8・12)(注25)で反論するなど、問 題の明確な決着はついていません。 ★以上のような矛盾やズレをあなたはどう思いますか。また、そんな矛盾やズレをはらむ 『こゝろ』という作品をどのように考えますか。『こゝろ』をじっくり読んで自分の考えを まとめてみましょう。
六、配布プリント
―歴史的事実と『こゝろ』
【配布プリント 5 】 これまでの例はテキスト(本文)内の〈矛盾〉や〈ズレ〉でしたが、次のような例もあ ります。つまり、テキストの記述とその背景にある歴史的事実との差異です。以下の小説 本文〔資料19、20〕と新聞記事〔資料21、22、23〕を読みくらべて下さい。 〔資料19〕 其 日 取 (故郷=田舎での私の卒業祝いの日…引用者注)のまだ来ないうちに、 その ひ どり ある大きな事が起つた。それは明治天皇の御病気の報知であつた。(中略)/「まあ 御遠慮申した方が 可 からう」/眼鏡を掛けて新聞を見てゐた父は 斯 う云つた。(中略)よ こ 私はつい 此 この 間 あいだ の卒業式に例年の通り大学へ行幸になつた陛下を 憶 ひ出したりした。 おも (中 三)(注26) 〔資料20〕 私が帰つた(帰省した…引用者注)のは七月の五六日で、父や母が私の卒業 を祝ふために客を呼ばうと云ひだしたのは、それから一週間後であつた。さうして 愈 いよ 々 と極めた日はそれから又一週間の 余 も先になつてゐた。(中略)/崩御の報知が伝 いよ あまり へられた時、父は新聞を手にして、「あゝ、あゝ」と云つた。/「あゝ、あゝ、天子様もとう 御 かくれになる。 己 も……」/父はその後を云はなかつた。お おのれ (中 五)(注27) 〔資料21〕「御不例」の新聞記事「東京朝日」と「大阪朝日」(注28) 明 治 四 五 ・ 大 正 元 年 7 月 日 ︵ 大 阪 朝 日 新 聞 ︶ 21 明 治 四 五 ・ 大 正 元 年 7 月 日 21 ︵ 東 京 朝 日 新 聞 ︶
〔資料22〕「明治天皇、大学へ臨幸」の新聞記事(注29) 〔資料23〕「明治天皇崩御」の新聞記事(注30) 明 治 四 五 ・ 大 正 元 年 7 月 日 11 ︵ 東 京 朝 日 新 聞 ︶ 明 治 四 五 ・ 大 正 元 年 7 月 日 ︵ 東 京 朝 日 新 聞 ︶ 31
作品〔資料19〕本文中の「明治天皇の御病気の報知」とは、事実でいえば明治四十五年 七月二十一日の「御不例」の報知〔資料21〕のことです。また、「つい此間の卒業式に例 年の通り大学へ僥倖になつた陛下」とあるのは、それに先立つ七月十日の東京帝国大学の 卒業式に明治天皇が臨行した事実〔資料22〕をさしています。しかし、「私が帰つたのは 七月の五六日」とあることからすれば、「私」が七月十日の卒業式に臨んだ明治天皇の姿 を見られたはずはなく、それを「憶ひ出」すことも不可能です。『こゝろ』はむろん小説 (フィクション)ですから、その記述が歴史的事実と違っていても何の不思議もない、と 一応はいえます。しかし、当時の新聞読者にとって、約二年前の明治天皇崩御〔資料23〕 の衝撃の深さはまだ生々しい記憶であり、その〈日付〉も明瞭な記憶として残っていたは ずです。現に『こゝろ』の先生も「夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。共時私 は明治の精神が天皇に始まつて天皇に終つたやうな気がしました」(下 五十五)と述べ、 さらに「明治の精神に殉死する積だ」(下 五十六)と語っており、天皇崩御の事実は当 時の読者に鮮明な記憶として残っていたはずです。にもかかわらず、漱石はなぜ「私」の 帰省の〈日付〉をあえて歴史的事実と異なる日付に設定したのでしょうか。これもまた、 『こゝろ』というテクストの謎のひとつであり、読者を惑わせる要素といってよいでしょ う。(注31) ★このような〈小説〉(フィクション)と〈事実〉(歴史・出来事)の間の「差異」をあな たはどのように思いますか。『こゝろ』をじっくり読んで自分の考えをまとめてみましょ う。
七、結 語
『こゝろ』は、随所にさまざまな〈矛盾〉や〈ズレ〉をはらんだ〈謎〉の多い作品である。 人は〈謎〉に出会うとそれを解決しようとして知的な〈刺戟〉を喚起される。ここに示した 【配布プリント】は相当に専門的な問いかけであり、高校生にはいささか難しすぎる難問だと いえよう。しかし、〈謎=(問い)〉の形そのものは具体的でわかりやすく、それなのに解答の 方はきわめて難しい、そうしたジレンマの中でこそ知的な〈刺戟〉が得られるのではないかと 考えた。ただし、これらの〈謎〉に対する予定調和的な〈正解〉は筆者にも用意されていない。率直にいえば、これらの問いに対する「正解」は筆者自身が最も獲得したいものでもある。し たがって、これらの【配布プリント】に対する解答は、生徒と教師によるアクティブ・ラーニ ングとして、あるいは、各プリントから一つを選び、生徒同士での班学習や調べ学習(グルー プワーク)のアクティブ・ラーニングとして、討議に委ねられるとひとまずいってよい。ただ し、それは単に各々の考えによる恣意的な「解」を導くといったていのものではない。【配布 プリント】には必ず〔資料〕として作品本文(その他)を掲げており、それは生徒各自の考え を裏づける論拠としての材料でもあるので、それらと『こゝろ』全体の読書行為をリンクさせ るなかで説得力のある〈考え〉をまとめなければならない。再三にわたり「『こゝろ』をじっ くりと読んで」と述べたのもそうした意味である。各配布プリントの章題に、その意図(狙い) を明示したつもりだが、念のため、ここで改めて整理しておく。 配布プリントは、『こゝろ』の生成過程を中心に視点を置き、配布プリントは、『こゝろ』 の主題としての自殺を視座に据え、配布プリントは、『こゝろ』のさまざまな解釈をめぐっ て、配布プリントは、『こゝろ』というテキストの揺れがはらむ振り幅まで視野に入れ、配 布プリントは、歴史的事実と『こゝろ』という小説と事実との差異について等、種々のス テージから『こゝろ』という長編文学教材を深く考察する手掛りになればと考えた。 『こゝろ』が長く読みつがれ、多くの読者を獲得する魅力のひとつは、その矛盾やズレをは らむ〈謎〉が、読みようによっていろんな形に変化し、また、読み返すたびに新しい顔をみせ る〈奥行き〉の深さや〈陰影〉の濃淡として機能するからではなかろうか。高校生にはそうし た〈謎〉の一端に触れてもらい、〈刺激〉をうけ、思考を粘り強く深める文学教材との出会い になることを期待したいと思う。 周知のごとく、漱石は単行本『こゝろ』が売り出される際の新聞広告の宣伝文(コピー)に 自ら筆を取った。それは次のようなものだった。 自己の心を 捕 へんと 欲 する人々に、人間の心を 捕 へ 得 たる 此 の 作 物 を 奨 む。とら ほっ とら え こ さく もつ すす (注32) この一文には、『こゝろ』のメイン・ストーリイとして、「人間の心」とは弱く、「いざとい うまぎわ」には人の心と態度が〈変わる〉という「事実」に深いメスを入れ得た「作物」だと の強い自負がうかがえる。そして、そんな「作物」を「自己の心」の弱さに悩む多くの人々に 「奨(すす)」め、その〈弱さ〉への直視こそが「生きる力」の始まりだというエールが手向け られている。これは生きにくい現代に日々を送るなかで自身をもてあまし、「自分とはなにも のか」に悩みがちな高校生への時代を超えた人間の営みに共通する普遍的なメッセージとして
も充分に機能する有効な文学教材であるだろう。 〔資料24〕単行本『こゝろ』発行に際し漱石自身が作成した広告文 【注および参考文献】 (注1)(注2)「『こゝろ』連載予告」記事(『東京朝日新聞』大3・4・16・17) (注3)朝日新聞編集部山本松之助宛漱石書簡(大3・3・30) (注4)第一回掲載分「『こゝろ』」記事(『東京朝日新聞』大3・4・20) (注5)夏目漱石(単行本)『こゝろ』序(岩波書店、大3・9) (注6)柄谷行人(新装版)『意識と自然』(冬樹木、昭54・4) (注7)岡田耕三宛漱石書簡(大3・11・14) (注8)夏目漱石(単行本)『硝子戸の中』(第8章より)大4・3。尚、初出は「東京朝日新 聞」「大阪朝日新聞」二紙上、大正四年一月十三日∼二月二十三日にわたる全三十九章の連 載である。 (注9)夏目漱石(単行本)『こゝろ』「下」五十六章より(岩波書店、大3・9) (注10)同上、(注6) (注11)大岡昇平『小説家 夏目漱石』(ちくま書房、昭63・5) (注12)小森陽一「『こゝろ』を生成する『心臓(ハート)』」(「成城国文学」1、昭60・3) 大 正 3 年 9 月 日 ︵ 東 京 朝 日 新 聞 ︶ 21
(注13)石原千秋「『こゝろ』のオイディプス―反転する語り」(同上、注11) (注14)(単行本)『こゝろ』「上」一より(岩波書店、大3・9) (注15)(単行本)『こゝろ』「上」八より(岩波書店、大3・9) (注16)(単行本)『こゝろ』「上」十二より(岩波書店、大3・9) (注17)三好行雄「ワトソンは背信者か―『こゝろ』再説―」(『文学』岩波書店、昭63・5) (注18)(単行本)『こゝろ』「上」六より(岩波書店、大3・9) (注19)(単行本)『こゝろ』「下」五十一より(岩波書店、大3・9) (注20)(単行本)『こゝろ』「上」九より(岩波書店、大3・9) (注21)(単行本)『こゝろ』「上」二十二より(岩波書店、大3・9) (注22)西垣勤「『こゝろ』覚之書」(「日本文学」、昭46・6) (注23)浅田隆「漱石『こゝろ』私解」(「奈良大学紀要」昭54・12)、「漱石『こゝろ』論・素 描」(「枯野」平5・6) (注24)石原千秋「テクストはまちがわない」(「漱石研究」6、翰林書房、平8・5) (注25)浅田隆「テクストはまちがわない」か?(「漱石研究」7、翰林書房、平8・12) (注26)(単行本)『こゝろ』「中」三より(岩波書店、大3・9) (注27)(単行本)『こゝろ』「中」五より(岩波書店、大3・9) (注28)「明治天皇御不例」記事(『東京朝日新聞』明45・7・21) (注29)「明治天皇行幸、帝国大学卒業式」記事(『東京朝日新聞』明45・7・11) (注30)「明治天皇崩御」記事一部抜粋(『東京朝日新聞』明45・7・31) (注31)参考までに〔資料20∼22〕までの改元までの時系列を掲げておく。 (注32)単行本『こゝろ』発行に際する漱石手づから作成した広告文(『東京朝日新聞』大3・ 9・21) 一九一二(明治45=大正元)年 7月10日 明治天皇、東京帝大の卒業式臨幸 18日 不例(重態)の報知 29日 病勢の昂進、昏睡 30日 午前0時34分崩御、「大正」と改元 8月27日 「明治天皇」と追号 9月13日 青山葬祭場で大葬、乃木夫妻殉死