一����� 本 稿 は、 森 鷗 外 訳﹁ 新 世 界 の 浦 島 ﹂ の 初 出 本 文 ( ﹃ 少 年 園 ﹄ 所 載・ 明 治 二 二 年 ) を 紹 介 す る と と も に、 総 索 引 を 付 し て、 近 代 語 の 語 彙・ 語 法 の研究資料にも供しようとするものである。 鷗外は、帰朝直後の明治二二年に言文一致体で何編かの小説の翻訳を 試みているが、 ﹁新世界の浦島﹂もそうした訳業の一つであり、しかも、 少年雑誌への連載ということを考えてか、他とは異なりデスマス体で訳 出されていることも注目される。言文一致の早い時期の試みとして、そ の文章・文体は、相応に考察されてしかるべきものである。 ﹁ 新 世 界 の 浦 島 ﹂ は、 後 に 鷗 外 最 初 の 作 品 集 で あ る 単 行 本﹃ 水 沫 集 ﹄ に 収 め ら れ る に あ た り、 ﹁ 新 浦 島 ﹂ と 改 題 さ れ る が、 単 行 本 所 収 の﹁ 新 浦島﹂本文と初出の﹁新世界の浦島﹂本文とでは、細部においてかなり の相違が見られる。 そこで、本稿では、一般に目にすることが難しい初出の﹁新世界の浦 島﹂本文を掲げ、 あわせて﹃水沫集﹄初版 ( 明治二五年 ) ・ 改訂﹃水沫集﹄ ( 明 治 三 九 年 ) 及 び 鷗 外 生 前 の 最 終 版 で あ る 縮 刷﹃ 水 沫 集 ﹄ ( 大 正 五 年 ) のそれぞれの﹁新浦島﹂本文との校異を付して、本文研究に役立つもの とした。 筆者は、ここ数年鷗外の初期言文一致体翻訳小説に注目し、その本文 改 訂 の あ り 方 か ら 鷗 外 の 言 文 一 致 文 体 に つ い て の 考 え 方 を 探 ろ う と 試 み て き た。 そ の た め に、 ま ず 基 礎 研 究 と し て、 ﹃ 森 鷗 外 訳﹁ 玉 を 懐 い て 罪 あ り ﹂ 本 文 及 び 総 索 引 ﹄ ( 私 家 版、 平 成 一 〇 年 三 月 ) 、﹁ 森 鷗 外 訳﹃ 緑 葉 の 歎 ﹄ 初 出 本 文 及 び 総 索 引 ﹂ ( ﹃ 滋 賀 大 学 教 育 学 部 研 究 紀 要 ﹄ 第 四 八 号、 平 成 一 一 年 ) 、﹁ 森 鷗 外 訳﹃ 洪 水 ﹄ 初 出 本 文 及 び 総 索 引 ﹂ ( ﹃ 滋 賀 大 学 教 育 学 部 研 究 紀 要 ﹄ 第 四 九 号、 平 成 一 二 年 ) を 発 表 し、 初 出 本 文 と 校 異 及 び 総 索 引 を 公 に し て き た ( ま た、 対 照 の た め に、 鷗 外 の 所 謂 文 壇 復 帰 直 後 の 短 編 翻 訳 小 説﹁ 父 ﹂﹁ い つ か 君 は 歸 り ま す ﹂﹁ ソ ク ラ テ エ ス の 死﹂についても、 同様の資料を作成した ( ﹃滋賀大学教育学部研究紀要﹄ 第 五 一 ・ 五 二 ・ 五 三 号、 平 成 一 四 ・ 一 五 ・ 一 六 年 )) 。 こ う し た 資 料 整 備 の う
森
鷗
外訳�新世
界
�浦島�
初出本文及�総
索引
(
上
)
藤
田
保
幸
The Text and Index of the First Edition of "Rip van Winkle
(Shin-Sekai no Urashima)" translated by Mori Ogai (I)
Yasuyuki FUJITA 滋賀大学教育学部紀要 人文科学・社会科学 第五十四号 一 二五 二〇〇四年
えに、これまでの研究成果をこのほど﹁森鷗外初期言文一致体翻訳小説 の本文改訂から見えてくるもの﹂ ( ﹃国語語彙史の研究﹄ 第二四集 ( 平成 一七年 ) ・ 和泉書院 ) と題する論文にまとめた。そして、この論文をまと め る に あ た り、 ﹁ 新 世 界 の 浦 島 ﹂ に つ い て も 本 文 の 校 異 と 総 索 引 を 作 成 した。本稿は、それを公刊するものである。 た だ し、 分 量 が あ る の で、 今 回 は ま ず ( 上 ) と し て 初 出 本 文 と 校 異 の 部 分 を 示 し、 ( 下 ) と し て 本 紀 要 の 次 号 で 総 索 引 の 部 分 を 公 に す る 予 定 である。 二� 本� 文� 編 �本 � 文� 凡� 例 � 一 ﹁ 新 世 界 の 浦 島 ﹂ は、 最 初 に﹃ 少 年 園 ﹄ 第 二 巻 第 十 三 號 (明 治 二 二 年 五 月 三 日 ) ・ 第 十 四 號 ( 同 五 月 十 八 日 ) ・ 第 十 五 號 ( 同 六 月 三 日 ) ・ 第十六號 ( 同六月十八日 ) ・ 第十七號 ( 同七月三日 ) ・ 第十八號 ( 同七 月十八日 ) ・ 第二十號 ( 同八月十八日 ) に、七回にわたって掲載され たものである。本稿では、この初出本文を、紹介しようとするもの で、極力その面目を伝えるよう努めた。 そこで、 ( ※ )( * ) を付して添えられた注や後記的記述の部分もそ のまま添えて示す形とした。 二 ただし、 毎回の冒頭の題名と著訳者名の部分 ( 墨洲、 ワシントン、 アルヴイング著 (初回のみ﹁イルヴイング﹂となっている ) 鷗外漁 史 譯 ) は 削 除 し た。 ま た、 各 回 の 冒 頭 に は 第 二 回 以 降 ( 第 二 稿 )( 第 三稿 ) というような回数表示が付されるが、 これも除いた。さらに、 初回と第二回 ( 第二稿 ) ・ 第六回 ( 第六稿 ) の末尾には ( 未完 ) 、第七回 ( 第七稿 ) の末尾には ( 大尾 ) の語が添えられているが、 いずれも削 除した その他、第二回 ( 第二稿 ) ・ 第五回 ( 第五稿 ) の末尾には次のよう な︵正誤︶が付されている。 ・ 第二稿末尾 ( 正誤、 前誤の ﹁ヴェトネスデイ﹂ ハ﹁ヴェンスデー﹂ 、 是は言ふまでもなく正して読まれたことでせう。 ・ 第二稿末尾 ( 正誤 ) 、前號に横に埋めてあつた﹁三﹂の字は﹁水﹂ の誤。 ここで参考に示して、本文からは除いておく。 三 仮名遣いは、本文・ルビとも歴史的仮名遣いと一致しないものも あるが、そのままとした。ただし、変体の仮名はすべて現行のもの に改め、漢字の異体字も、全く出ないものは若干造字したが、基本 的 に は 原 稿 作 成 に 用 い た ワ ー ド プ ロ セ ッ サ ー ( シ ャ ー プ の﹁ 書 院 ﹂ WD X870) で 変 換 が 可 能 な も の を 出 す 程 度 に と ど め た。 ま た、 段 落分けは、元のままとしたが、一行の字数・行分け・総行数につい ては、 本紀要の様式に合わせて定めたもので、 原文どおりではない。 四 本文の漢字の部分は、 行の左側にルビがいくらか付されているが、 ルビのない部分もある。しかし、索引作成に際して本文の読みを一 応決定しておく必要があるので、もともとルビのある場合はそれを 生 か し、 ル ビ の な い 部 分 に つ い て も、 ﹃ 水 抹 集 ﹄ の そ の 箇 所 に ル ビ がある場合はそれに拠り、また、筆者の判断で、諸資料を勘案して ありうる最も自然な読みと考えられるものを歴史的仮名遣いで付し た。場合によっては、一つの読みに決めがたいような箇所もなくは ないが、一つの読みの試案として受け取っていただきたい。 なお、もともと初出にあったルビには、 ︿ ﹀を付してある。 また、初出本文にはルビがなく﹃水抹集﹄の対応する同語句にル ビがある場合が二箇所あり、それに拠ったが、そのルビには ( ) を付してある。 五 本文は、文末の表示の仕方がやや分かりにくくなっている部分が あるが、基本的にはそのまま示すようにした。すなわち、文末で今 日なら句点であるべきところが読点になっていたり、文末に?や! が用いられてしかも直ぐに次の文頭に続いたり、また、?や!と句 読点が重ねて用いられていたりして、ところによってはいささか不 / 111
体裁な印象さえある。しかし、いずれもそのままとした。 た だ し、 句 読 点 も? や! も な く 一 文 の 文 末 が 直 ち に 次 の 文 頭 に 続 い て い る 部 分 が 四 箇 所 あ る が、 こ れ ら は 一 字 分 空 白 を 入 れ て 文 末 で あ ることを示すようにした。 六 本文では、引用符として、カギカッコではなく、= =のような 符号が用いられているので、それに従った。ただし、長さが一字分 の=と長さが二字分の=とが混用されているが、本稿ではすべて一 字分の=に統一した。 七 本文は、七回に分けて連載されたものであるが、各回掲載分がど れだけか分かるように、一回の掲載分の後は一行あけとした。 八 検 索 の 便 宜 を 考 え、 本 文 の 行 の 上 に 五 行 お き に 行 番 号 を 付 し た。 た だ し、 冒 頭 の カ ア ト ラ イ ト の 詩 の 引 用 部 分 ( 三 行 ) 及 び 第 三 ・ 五 ・ 六 ・ 七 稿 末 の (※ ) ( * ) を 付 し た 注 や 後 記 的 記 述 の 部 分 に つ いては、作品本文とは扱わないので、行番号を付す範囲外とした。 九 校訂に際して、次の箇所は、左記のように処理した。 [冒頭のカアトライトの詩の引用部分の最初] ﹁ヴエンスデー﹂は、 原 文﹁ ヴ エ ド ネ ス デ イ ﹂ と な っ て い た が、 第 二 稿 末 の (正 誤 ) に 従って改めた。 [五一行目] ﹁六つかしい﹂ は、 原文 ﹁六かつしい﹂ となっているが、 誤植と見て改めた。 [七四行目] ﹁得られるもの﹂ は、 原文 ﹁得られるの﹂ となっているが、 誤脱と見て改めた。 [ 八 六 ∼ 八 七 行 目 ]﹁ 何 故 な れ ば ﹂ は、 原 文﹁ 何 故 な れ は ﹂ と な っ ているが、誤植と見て改めた。 [一三六行目] ﹁われ知らず﹂ は、 原文 ﹁われ知らす﹂ となっているが、 誤植と見て改めた。 [一四〇行目] ﹁倒れたのは﹂ は、 原文 ﹁倒れたるは﹂ となっているが、 ﹃水沫集﹄の本文をも参照して改めた。 [一四〇行目] ﹁見渡せば﹂は、原文﹁見渡せは﹂となっているが、 誤植と見て改めた。 [ 一四六∼一四七行目] ﹁罅隙が﹂ は、 原文 ﹁罅隙か﹂ となっているが、 誤植と見て改めた。 [一四九行目] ﹁暮色﹂ のルビは、 原文 ﹁ぼ よく﹂ となっているが、 誤脱ありと見て﹁ぼしよく﹂とした。 [ 一 五 五 行 目 ]﹁ 迷 ひ で あ つ た か ﹂ は、 原 文﹁ 迷 ひ て あ つ た か ﹂ と なっているが、誤植と見て改めた。 [一五六行目] ﹁同じ聲﹂は、原文﹁同し聲﹂となっているが、 ﹃水 沫集﹄の本文をも参照し誤植と見て改めた。 [ 一 五 六 行 目 ]﹁ 呼 ぶ ﹂ は、 原 文﹁ 呼 ふ ﹂ と な っ て い る が、 誤 植 と 見て改めた。 [ 一 六 二 ∼ 一 六 三 行 目 ]﹁ 近 村 の も の で も あ る か ﹂ は、 原 文﹁ 近 村 のもてもあるか﹂となっているが、誤植と見て改めた。 [ 一 八 六 行 目 ]﹁ 演 じ て ﹂ は、 原 文﹁ 演 し て ﹂ と な っ て い る が、 誤 植と見て改めた。 [ 一 八 八 行 目 ]﹁ 佩 き ﹂ は、 原 文﹁ 佩 ぎ ﹂ と な っ て い る が、 誤 植 と 見て改めた。 [一九二行目] ﹁棒砂糖形﹂は、原文﹁捧砂糖形﹂となっているが、 誤植と見て改めた。 [第三稿末の ( ※ ) の項の二行目] ﹁轉がして﹂ は、 原文 ﹁轉かして﹂ となっているが、誤植と見て改めた。 [第三稿末の ( ※ ) の項の末尾] ﹁後の方を讀んで見れば﹂ は、 原文 ﹁後 の方を讀んで見れは﹂となっているが、誤植と見て改めた。 [ 二 〇 五 行 目 ]﹁ 粗 笨 な ﹂ は、 原 文﹁ 粗 笨 を ﹂ と な っ て い る が、 誤 植と見て改めた。 [ 二 三 八 行 目 ]﹁ 不 思 議 な は こ の 溪 間 は ﹂ は、 原 文﹁ 不 思 議 な は の 溪 間 は ﹂ と な っ て い て、 ﹁ 不 思 議 な は ﹂ の あ と の 一 字 が 判 読 不 能で誤脱と見られるが、 ﹃水沫集﹄の本文をも参照して、 ﹁こ﹂を 補った。 森鷗外訳「新世界の浦島」初出本及び総索引(上)
[ 二 四 六 行 目 ]﹁ 下 の 水 ﹂ は、 原 文 で は 一 見﹁ 下 の 川 ﹂ か と 見 え る が、 第五稿末の ( 正誤 ) によって、 ﹁川﹂ではなく﹁三﹂の字が横 に入った誤植であり、正しくは﹁水﹂とあるべきことが分かるの で、それに従った。 [二四六行目] ﹁裹まれて﹂は、原文﹁裏まれて﹂となっているが、 誤植と見て改めた。 [ 二 四 八 行 目 ]﹁ 名 を 喚 ん だ り ﹂ は、 原 文﹁ 名 を 喚 ん た り ﹂ と な っ ているが、誤植と見て改めた。 [ 二 五 一 行 目 ]﹁ 感 じ て ﹂ は、 原 文﹁ 感 し て ﹂ と な っ て い る が、 誤 植と見て改めた。 [ 二 五 四 行 目 ]﹁ 掉 ﹂ の ル ビ は、 原 文﹁ つ ﹂ と な っ て い る が、 誤 植 と見て﹁ふ﹂に改めた。 [ 二 五 九 行 目 ]﹁ 覺 え ず ﹂ は、 原 文﹁ 覺 え す ﹂ と な っ て い る が、 誤 植と見て改めた。 [ 二 六 四 ∼ 二 六 五 行 目 ]﹁ 見 馴 れ た 家 ﹂ は、 原 文﹁ 見 馴 れ 家 ﹂ と な っているが、誤脱と見て改めた。 [ 二 七 七 行 目 ]﹁ 饑 死 を し 掛 つ た ﹂ は、 原 文﹁ 饑 死 な し 掛 つ た ﹂ と なっているが、誤植と見て改めた。 [三一一行目] ﹁足の まで﹂ は、 原文 ﹁足の まて﹂ となっているが、 誤植と見て改めた。 [ 三 一 七 行 目 ]﹁ 出 し ま せ な ん だ ﹂ は、 原 文﹁ 出 し ま せ ん な だ ﹂ と なっているが、誤植と見て改めた。 [ 三 五 〇 行 目 ]﹁ 並 べ て ﹂ は、 原 文﹁ 並 へ て ﹂ と な っ て い る が、 誤 植と見て改めた。 [ 三 七 一 ∼ 三 七 二 行 目 ]﹁ く も の も あ つ た が ﹂ は、 原 文﹁ 先 も の も あ つ た が ﹂ と な っ て い る が、 ﹁ ﹂ の 部 分 に﹁ さ さ や ﹂ と し か ル ビ が な く、 ﹁ 先 ﹂ の 部 分 に﹁ く ﹂ の ル ビ の 誤 脱 が あ る と 見 る のは無理があると感じられる。また、動詞が活用語尾を全く送ら ない形になるのも自然ではない。 そこで誤植と考えたい。 ただし、 ﹃ 水 沫 集 ﹄ の 本 文 を 参 照 す る と、 こ こ は﹁ ぐ ﹂ に な っ て い る。 し か し、 ﹁ ぐ ﹂ と い う 形 は﹃ 水 抹 集 ﹄ の 他 の 言 文 一 致 体 翻 訳 小 説にも見られるが、それらは鷗外が﹃水沫集﹄に収める段階で意 図的に改めたものと見られ、初出本文としてこの形が適切かどう かは疑問と思える。それで、ここでは﹁ く﹂とした。 [ 三 七 八 行 目 ]﹁ 喚 起 し ま し た ﹂ は、 原 文﹁ 喚 起 し し ま た ﹂ と な っ ているが、誤植と見て改めた。 [三八四∼三八五行目] ﹁還りましたが﹂は、原文﹁還りましたか﹂ となっているが、誤植と見て改めた。 [ 三 八 六 行 目 ]﹁ 知 り ま せ ん ﹂ は、 原 文﹁ 知 り ま せ せ ん ﹂ と な っ て いるが、誤植と見て改めた。 [四五二行目] ﹁ヘンドリツク、 ホドソン﹂は、 原文﹁ヘンドリツソ、 ホドソン﹂となっているが、誤植と見て改めた。 �初 � 出 � 本 � 文 � =﹁ヴェンスデー﹂と 水 すい 曜 えう を、 呼 よ ぶは 畏 ︿かしこ﹀ き 索 ︿さく 遜 そん﹀ の、 ヴオダン の 神 かみ に 縁 ︿ちな﹀ み てぞ、その 神 しん 明 めい も 照 せう 覧 らん あれ、 夜 ︿よ﹀ よりも 暗 くら き ◆ ︿つか ◆ あな﹀ に、 降 ︿くだ﹀ り 行 ゆ くまでわが 護 まも る、 寶 たから といふは﹁ 誠 まこと ﹂なり。= カアライト ホドソン に 沿 ︿そ﹀ ふて 登 のぼ つて 行 い つた 事 こと のある 旅 たび 人 びと は、 必 かなら ず ケーツキル 山 さんみやく 脉 を 記 き 憶 おく して 居 ゐ ませう。これは アパラツチエン 山 さん の 幹 ︿みき﹀ から 出 で た 小 こ 枝 えだ で、 遙 はるか に 西 にし に 向 む いて、 仰 あふ いで 見 み れば、 麓 ふもと は 河 かは の 畔 ︿ほとり﹀ に 埀 た れて、 巓 ︿いたゞき﹀ は 空 そら に 聳 ︿そび﹀ え、 自 おの づと 近 きん 隣 りん の 地 ち を 支 し 配 はい して 居 ゐ ます。 四 し 季 き の 更 ︿かは﹀ り、 天 てん 氣 き の 更 かは りは 勿 もち 論 ろん 、 一 いちにち 日 の 内 うち で も、 時 とき 毎 ごと に 不 ふ 思 し 議 ぎ に も 色 いろ と 形 かたち を 更 か へ る の は 此 この 山 やま で す。 そ れ だ か ら こ の 山 やま の 見 み え る 所 ところ に 住 す む 村 そん 婦 ぷ は、 皆 み な こ れ を 晴 せい 雨 う 針 しん に し ま す。 好 よ い 天 てん 氣 き の 續 つづ くときは、 青 あを か 紫 むらさき の 衣 ころも を 着 き て、その 大 だい 膽 たん な 限 げん 界 かい 線 せん を 翳 ︿くもり﹀ のない 夕 ゆふ 空 ぞら に 畫 えが き、 時 とき と し て は、 近 ちか き 傍 ︿あたり﹀ の 森 しん 林 りん に は、 雲 くも も 烟 けむり も 見 み え ぬ に、 そ の 巓 ︿いたゞき﹀ は、 鼠 ねずみいろ 色 の 霧 きり で 環 わ を 掛 か けられ、 西 せい 山 ざん に 這 ︿は 入 い﹀ り 掛 かか つた 夕 ゆふ 日 ひ の、 最 さい 後 ご の 光 くわう 線 せん に 觸 ふ れて、 凱 ︿がい 旋 せん﹀ 者 しや の 戴 いただ く 冠 かんむり の 樣 やう に 光 ひか り 輝 かがや きます。 1 5 10
此 この 奇 き 恠 くわい な 山 やま の 麓 ふもと で、 旅 たび 人 びと はある 村 むら から 立 た ち 騰 ︿のぼ﹀ る、 弱 よわ 々 よわ しい 烟 けむり を 見 み まし たらう。 丁 ちやう 度 ど あの 晴 は れた 空 そら の 青 あを ﹁インキ﹂が、 近 ちか い 林 はやし の 緑 みどり 色 いろ に 移 うつ り 行 ゆ く 所 ところ で、 木 こ の 間 ま からちら◆◆と 屋 や 根 ね の 見 み える 村 むら です。この 村 むら は 小 ︿ちいさ﹀ い 古 こ 風 ふう な 村 むら 、それも 尤 もつと も、むかし 和 ︿ヲ 蘭 ラン 陀 ダ﹀ の 移 いぢゆうみん 住民 が、 當 たう 時 じ 善 ぜん 政 せい の 聞 きこ えのあつた ピ ートル、スツユイフサント ―― 渠 かれ は 無 む 窮 きゆう の 平 へい 和 わ に 息 ︿やす﹀ め! の 時 じ 代 だい に 建 た てたのだから。 四 し 五 ご 年 ねん 前 まえ までは、まだ 和 オ 蘭 ラン 陀 ダ から 持 もつ て 來 き た、 小 ちひさ い 黄 き いろ な 煉 れん 化 ぐわ 石 せき で 積 つ み 上 あ げ た、 格 ︿かう 子 し﹀ 窓 まど の 附 つ い た、 屋 や 根 ね の 正 しやう 面 めん に 破 は 風 ふう を 造 つく つ た、 その 上 うへ に 風 かぜ の 嚮 ︿む﹀ きを 知 し らせる 鶏 にはとり が 立 た つて 居 ゐ る 家 いへ が、 澤 たく 山 さん 殘 のこ つて 居 ゐ ました。 丁 ちやう 度 ど こ の 村 むら に、 こ の 家 いへ の 一 ひと つ に、 本 ほん と う を 言 い へ ば、 隨 ずい 分 ぶん 雨 あめ 風 かぜ に 打 う たれた 破 やぶ れ 屋 や に ―― まだ 此 この 邊 あたり が 英 えい 領 りやう であつた 頃 ころ 、 愚 ぐ 直 ちよく な、 氣 き の 好 よ い リツ プ、フアン、ウインクル といふ 人 ひと が 住 す んで 居 ゐ ました。 先 せん 祖 ぞ を 問 と へば、 ピ ートル のまだ 軍 ︿いくさ﹀ の 功 こう 名 みやう を 世 よ に 轟 ︿とゞろ﹀ かさせたとき、 屈 くつ 竟 きやう の 武 ぶ 士 し で、 フオート、 クリスチーナ を 打 ︿とり 圍 ま﹀ いた 一 ひと 人 り の フアン、ヴインクル 氏 し です。 然 しか し 先 せん 祖 ぞ の 勇 ゆう 氣 き は 遺 ゐ 傳 でん し な い こ と か、 私 わたくし が 見 み た 處 ところ で は、 此 この 人 ひと は 愚 ぐ 直 ちよく で、 好 よ い 氣 き で、 隣 となり へは 親 しん 切 せつ で、 女 によう 房 ばう には 上 ︿うは 靴 ぐつ﹀ の 下 した へ 布 ︿し﹀ かれて 居 ゐ ました。 渠 かれ が 喧 けん 嘩 くわ を 好 この ま ず、 兎 と 角 かく 柔 にゆうわ 和 で、 世 せ 間 けん の 人 ひと にすかれたのは、 全 まつた く 右 みぎ の 最 さい 後 ご に 擧 あ げた遭遇 の 結 けつ 果 くわ で せ う。 大 たい 抵 てい 内 うち で 喧 けん 嘩 くわ の 好 す き な 女 によう 房 ばう に 支 し 配 はい せ ら れ て 居 ゐ る 男 をとこ は、 世 せ 間 けん で 平 へい 和 わ を 好 この み、 誰 だれ に で も 服 ふく 從 じゆう し て、 好 よ い 人 ひと だ と 言 い は れ る も の で す。 人 ひと の 性 せい 質 しつ は 家 か 内 ない の 不 ふ 和 わ と い ふ 火 くわ 力 りよく の 強 つよ い 爐 ︿ろ﹀ で 柔 やはらか に、 撓 たわみ み 易 やす く せ ら れ る も の で、 善 ぜん 人 にん になるには、 世 せ 界 かい 中 ぢゆう の 高 かう 僧 そう の 説 せつ 教 けう を 聽 き くより、 女 によう 房 ばう の 窓 ︿まど 帷 かけ﹀ の 下 した の 説 せつ 經 きやう を 聽 き くに 限 かぎ ります。この 説 せつ 經 きやう の 外 ほか に、まあ 何 なに が 柔 にゆう 和 わ と 忍 にん 辱 じよく とを 教 をし へませう?して 見 み ると 矢 ︿や 釜 かま﹀ しい 女 によう 房 ばう を 持 も つた 人 ひと は、 仕 し 合 あは せです。 嗚 あ 呼 あ リ ツプ、フアン、ウインクル の 仕 し 合 あは せもの! また 此 この 人 ひと が 近 きん 隣 りん の 村 そん 婦 ぷ 一 いち 同 どう の 愛 あい 顧 こ を 受 う けたことは 非 ひ 常 じやう です。 總 すべ て 婦 ふ 人 じん は 他 た 家 け の 内 ︿も 訌 め﹀ に 就 つい て、 評 ひやう 議 ぎ を 試 こころ みるときは、 亭 てい 主 しゆ の 黨 たう 派 は に 加 くは はるもので す が、 フ ア ン、 ヴ イ ン ク ル の 家 いへ の 事 こと で は、 殊 こと に 亭 てい 主 しゆ を 賛 さん 成 せい し、 晩 ばん の 會 くわい 議 ぎ で、 罪 つみ の 全 ぜん 體 たい を 負 お ふ の は、 フ ア ン、 ヴ イ ン ク ル 夫 ふ 人 じん に 極 きま つ て 居 ゐ ま し た。 その 外 ほか 、 村 むら 中 ぢゆう の 小 こ 供 ども の 仲 なか 間 ま で、 此 この 人 ひと の 景 けい 氣 き は 盛 さかん なもので、この 人 ひと の 姿 すがた が 近 ちか 寄 よ る 度 たび に、 村 そん 童 どう の 群 ︿むれ﹀ が、 凱 がい 歌 か を 擧 あ げて 迎 むか へました。 渠 かれ 等 ら の 爲 ため めに 玩 ぐわん 具 ぐ を 作 つく つ て 遣 や り、 紙 た 鳶 こ を 飛 と ば せ て 遣 や り、 獨 ︿こ 樂 ま﹀ を 廻 まは し て 遣 や り、 ま た 幽 いう 霊 れい や、 魔 ま 女 ぢよ や、 銅 どうしよく 色 人 じん 種 しゆ の 面 おも 白 しろ い 語 はなし を し て 遣 や る の は、 此 この 人 ひと の 外 ほか に は な い か ら で す。 村 そん 童 どう は 乍 たちま ち に こ の 人 ひと を 圍 ゐ 繞 ねう し て 上 うは 衣 ぎ の 裾 すそ に 縋 ︿すが﹀ り、 脊 せ 中 なか に 攀 よ ぢ 登 のぼ り、 思 おも ひの 儘 まま な 惡 ︿いた 劇 づら﹀ をしても 此 この 人 ひと は 腹 はら を 立 た ちません。 小 こ 供 ども が 馴 な 染 じ む 許 ばか りでは ない、 此 この 人 ひと に 吠 ほえ た 犬 いぬ は、 近 きん 村 そん に 一 いつ 疋 ぴき もありませなんだ。 唯 た だ リツプ が 性 せい 質 しつ の 中 なか で、 一 いち 番 ばん 惡 わる いのは、 利 り 潤 じゆん になる 樣 やう な 業 ︿しごと﹀ を、 一 いつ 切 さい 嫌 きら ふのです。それは 渠 かれ が 耐 たい 忍 にん 力 りよく に 乏 とぼ しい 爲 た めでせうか?韃靼 人 じん の 槍 やり より も 長 なが い 釣 つり 竿 ざを を 握 にぎ つて、 息 いき を 屏 ︿つ﹀ めて 濕 しめ り 勝 がち な 岩 いは の 上 うへ に 坐 すわ り、 一 いち 尾 び の 魚 うを も 取 と らずに、 平 へい 氣 き で 一 いち 日 にち も 居 ゐ るのは、 耐 たい 忍 にん 力 りよく ではありませんか? 鳥 てつ 銃 ぱう を 肩 かた に 掛 か けて、 沼 ぬま を 渡 わた り、 森 もり を 穿 うが ち、 登 のぼ りつ、 降 お りつ、 幾 いく 時 とき となく 彷 ︿さま 徨 よふ﹀ て、 山 やま 鳩 ばと 一 いち 羽 は 、 栗 り 鼠 す 二 に 三 さん 頭 とう を 捕 ︵と︶ つて、 喜 よろこ んで 還 かへ るのは、 耐 たい 忍 にん 力 りよく ではありません か? 隣 となり の 人 ひと の 業 しごと に な ら、 何 ︿ど﹀ ん な 六 む つ か し い こ と に で も、 手 て を 借 か す の は、 此 この 人 ひと です。 祭 まつり の 時 とき に 蜀 ︿もろ 黍 こし﹀ の 莢 ︿さや﹀ を 剥 ︿は﹀ ぎ、 石 いし 垣 がき を 築 きづ くとき、 第 だい 一 いち に 力 ちから を 出 だ す のは、 此 この 人 ひと です。 村 むら 中 ぢゆう の 女 によう 房 ばう が、 亭 てい 主 しゆ の 辭 じ 退 たい する 用 よう は、 皆 み な 此 この 人 ひと に 頼 たの み、 走 はし り 使 づかひ は 皆 み なこの 人 ひと にさせます。 一 ひと 言 こと 以 もつ て 之 これ を 掩 おほ へば、 リツプ は 世 よ にあ り と あ ら ゆ る 人 ひと の、 仕 し 事 ごと を し ま す。 そ の し な い の は、 自 じ 分 ぶん の 仕 し 事 ごと 計 ばか り で す。 自 じ 分 ぶん の 家 いへ を 治 をさ め、 自 じ 分 ぶん の 畑 はたけ を 耕 たがや す こ と は、 渠 かれ に は 所 しよ 詮 せん 出 で 來 き ま せ な ん だ。 實 じつ に 妙 めう な 性 しよう 分 ぶん で す。 然 しか し 其 その 譯 わけ を 問 と ふ と、 何 い 時 つ で も 立 りつ 派 ぱ に 辨 べん 解 かい し ま す。 私 わたし の 田 た を 耕 たがや す 程 ほど 、 世 よ に 損 そん なことはない。これは 國 くに 中 ぢゆう で 惡 わる い 田 た だ。いくら 骨 ほね を 折 を つても、 穀 こく 物 もつ が 實 ︿みの﹀ つたことはない。 垣 かき は 誰 だれ も 破 やぶ らぬに 獨 ひと りでに 破 やぶ れる、 牛 うし は 迯 に げて 仕 し 舞 ま ふか 又 また は 菜 さい の 中 なか へ 這 は 入 い る、 無 む 益 えき な 艸 くさ は 外 ほか よりも 早 はや く 延 の びる、 此 この 畑 はたけ へ 仕 し 業 ごと に 出 で ると、 何 い 時 つ でも 意 い 地 ぢ 惡 わる く 雨 あめ が 降 ふ る。 斯 か う 言 い つ て、 打 う ち 棄 す てゝ 置 お く 内 うち に、 先 せん 祖 ぞ から 譲 ゆづ り 受 う けた 田 た は、 年 ねん 々 ねん に 減 ︿へ﹀ つて 仕 し 舞 ま ひ、 今 いま は 唯 た だ 些 すこ し 計 ばか りの、 蜀 もろ 黍 こし と 馬 ば 鈴 れい 藷 しよ を 種 うゑ 付 つ ける 畑 はたけ が 殘 のこ りました。こ の 畑 はたけ さへ 何 い 時 つ 見 み ても、 村 むら 中 ぢゆう で 一 いち 番 ばん 荒 あ れて 居 を りました。 また リツプ の 子 こ 供 ども は、 汚 よご れた 膚 はだ 、 破 やぶ れた 衣 きもの 、 誰 だれ をも 親 おや に 持 も たない 子 こ の 樣 やう です。 父 ちち に酷肖な リツプ といふ 息 むす 子 こ は、 唯 た だ容貌 計 ばかり でなく、 心 こころ まで 父 ちち に 似 に やうといふ、 頼 ︿たの﹀ もしい 望 のぞみ のある 小 こ 僧 ぞう です。 何 い 時 つ も 馬 うま の 子 こ の 樣 やう に、 母 はは 15 20 25 30 35 40 45 50 55 60 65 ︿だつたん﹀ かほかたち ︿いきうつし﹀ ︿さうぐう﹀
の 跟 ︿かゝと﹀ に 附 つ き、 親 おや 父 ぢ の 穿 ︿は﹀ き 古 ふる した、 ぼろ◆◆の 袴 ︿ずぼん﹀ の、 埀 た れて 地 ち を 拂 はら ふのを、 片 かた 手 て で 撮 つま んで 歩 ある くのは、 丸 まる で 天 てん 氣 き の 惡 わる い 時 とき に、 善 よ い 衣 ︿きもの﹀ を 着 き た 女 をんな が、 裾 ︿すそ﹀ を 蹇 ︿かゝ﹀ げるといふ 躰 ︿てい 裁 さい﹀ です。 リツプ、フアン、ヴインクル は 例 れい の 仕 し 合 あは せものゝ、 例 れい の 魯 ろ 直 ちよく な、 放 はう 任 にん な、 世 せ 間 けん を 易 やす く 見 み て、 白 しろ 麺 パ 包 ン でも 黒 くろ 麺 パ 包 ン でも、 心 こころ にせよ 體 からだ にせよ、 成 な る 丈 だけ 少 すこ し 勞 らう して 得 え られるものを 食 く ひ、 一 いち 弗 ドル 贏て 骨 ほね を 折 を るよりは 一 いつ 錢 せん 贏 まうけ て 餓 う え て も よ い と 云 い ふ 人 じん 物 ぶつ の 一 ひと 人 り で し た。 渠 かれ の 安 あん を 妨 さまた げ る も の が な か つ た な ら、 渠 かれ は 口 くち 笛 ぶえ を 吹 ふ き 乍 なが らさぞ 面 おも 白 しろ く 世 よ を 渡 わた つた 事 こと でしやう。 然 しか し 煩 ︿やか ▼ ま﹀ し い 女 によう 房 ばう は 渠 かれ の 懶 らん 惰 だ 、 無 むとんぢやく 頓着 杯 など が 一 いつ 家 か の 破 は 滅 めつ だと 斷 た えず 責 せ めます。 朝 あさ も 晝 ひる も 晩 ばん も 女 によう 房 ばう の 舌 した は 止 や むときなく 運 うん 轉 てん して、 何 なに かこの 男 をとこ が 言 い ふか 又 また は 爲 ︿す﹀ る と 直 ただち に 長 なが 演 えん 説 ぜつ が 始 はじ まる。こんな 演 えん 説 ぜつ に 出 で 逢 あ つた 時 とき の リツプ が 答 たふ 辨 べん は、 唯 た だ 一 ひと つで、この 一 ひと つは 渠 かれ の 習 しふくわん 慣 となりました。 渠 かれ は 肩 かた を 聳 そびや かし 頭 あたま を 掉 ふ り 上 う は 目 め を 使 つか つて 一 ひと 言 こと も 云 い ひません。この 答 たふ 辨 べん に 次 つい で 何 い 時 つ でも 女 によう 房 ばう が 最 も う 一 いつ 遍 ぺん 新に 丸 ︿たま﹀ を 籠 こ めて 發 はつ 砲 ぱう し、 リツプ は 僅 わづか に 身 み を 以 もつ て 免 まぬ かれるといふ 樣 やう な 勢 いきほひ で 兵 へい を 引 ひき 上 あ げ 外 そと へ 出 で て 行 い きます これは 何 ど 處 こ でも 上 うは 靴 ぐつ で 踏 ふ まれて 居 ゐ る 亭 てい 主 しゆ の 唯 ︿ゆい 一 いち﹀ の 迯 にげ 道 みち です。 家 か 内 ない で リツプ に 服 ふく 從 じゆう して 居 ゐ るものと 云 い つては ウオルフ と 名 な の 付 つ いた 渠 かれ の 犬 いぬ 計 ばか りです、そしてこの 犬 いぬ も 矢 や 張 はり 上 うは 靴 ぐつ で 踏 ふ まれて 居 ゐ る 仲 なか 間 ま 、 何 ︿な 故 ぜ﹀ なれ ば 女 によう 房 ばう の 目 め から 見 み れば 此 この 犬 いぬ は 亭 てい 主 しゆ の 懶 らん 惰 だ の 友 とも で、 亭 てい 主 しゆ が 頻 しきり に 失 しつ 策 さく をする のは 渠 かれ の 爲 た めと 見 み えます。だから 女 によう 房 ばう の 目 め は 憎 にく 氣 げ にこの 犬 いぬ を 見 み ます。 全 ぜん 體 たい 犬 いぬ の 徳 とく といふべきものは 皆 み な 備 そな へたこの 犬 いぬ 昔 むかし よりこの 邊 あたり の 蓊 をう 鬱 うつ た る 林 はやし を 穿 うが つた 中 なか で 最 もつと も 大 だい 膽 たん なこの 犬 いぬ ですが、 一 いち 女 ぢよ 子 し の 舌 した の 永 えい 遠 ゑん に 猛 まう 烈 れつ な のには 何 なん 等 ら の 膽 たん 力 りよく か 挫 ざ 折 せつ せずに 居 ゐ られませう? ヴオルフ は 家 いへ へ 這 は 入 い る や 否 いな や、 頭 あたま を 低 た れ 尾 を は 地 ち まで 埀 ︿さ﹀ げて 股 また の 間 あひだ へ 挿 はさ み、 間 ま の 惡 わ るさうな 顏 かほ で 歩 ある き 廻 まは り、 折 をり 々 をり 横 よこ 目 め で 主 しゆ 婦 ふ を 見 み て 居 ゐ ますが、 箒 はうき の 柄 え 、 杓 しやく 子 し の 音 おと が 少 すこ しで もすると 一 いち 目 もく 散 さん に 戸 と 口 ぐち を 駈 か け 出 だ します。 夫 ふ う ふ 婦 になつて 居 ゐ る 歳 とし が 旋 せん 轉 てん し 去 さ るに 從 したが つて、 リツプ の 地 ち 位 ゐ は 段 だん 々 だん に 惡 わる くなつて 來 き ます。 原 げん 來 らい 苛 か 酷 こく の 性 せい 質 しつ は 决 けつ して 年 とし を 經 へ て 寛 くわん 恕 じよ にはならず、 鋭 えい 利 り な 舌 した は 斷 た えず 用 もち ゆるに 連 つ れて 尖 ︿とが﹀ つて 來 く る 刃 は 物 もの です。 既 すで に 久 ひさ しい 間 あひだ 、 リ ツ プ は 家 いへ か ら 逐 おひ 出 だ さ れ る 度 たび に、 村 むら 中 ぢゆう の 學 がく 者 しや 、 儒 じゆ 者 しや こ の 外 ほか の 怠 たい 惰 だ の 徒 と が 開 ひらい て 居 ゐ る 一 いつ 種 しゆ の 常 じやう 設 せつ 議 ぎ く わ い 會 に 臨 のぞ み ま し た。 會 くわい 塲 ぢやう は 戸 と 口 ぐち に ヂ ヨ ー ヂ 第 だい 三 さん 世 せい 陛 へい 下 か の 赤 あか い 樣 やう な 像 ざう が 掛 かか つ て 居 ゐ る 小 ちひさ い 酒 さか 屋 や の 前 まへ の 長 なが 椅 い 子 す で す。 永 なが い 眠 ね む さ う な 夏 なつ の 日 ひ に 渠 かれ 等 ら はこの 日 ひ 蔭 かげ に 腰 こし を 掛 か けて 村 むら 中 ぢゆう の 噂 うはさ や 譯 わけ もない 怠 たい 屈 くつ な永譚を します、 然 しか し 稀 まれ に 旅 たび 人 びと の 手 て から 古 ふる 新 しん 聞 ぶん を 一 いち 枚 まい 貰 ︿もら﹀ つたときこの 仲 なか 間 ま でする 精 せい 細 さい な 議 ぎ 論 ろん を 聞 き く 事 こと が 出 で 來 き たなら 或 あ る 政 せい 治 ぢ 家 か は 隨 ずい 分 ぶん 金 かね を 拂 はら つたかも 知 し れ ません。 學 がく 校 かう 教 けう 師 し デリツク、フアン、ブムメル がぽつ◆◆と 讀 よ む 文 もん 句 く を 渠 かれ 等 ら はまあどんなにか 眞 ま 面 じ 目 め に 聞 きい て 居 ゐ ましたらう、 讀 よ むものは 字 じ 書 しよ 中 ちゆう の どんな 難 なん 字 じ に 遭 あ つても 駭 おどろ かない 敏 びん 捷 せふ な 賢 かしこ い 小 こ 男 をとこ です、 聽 き く 人 ひと は 紙 し 上 じやう の 政 せい 治 ぢ 上 じやう の 問 もん 題 だい に 就 つい てまあどんなに 賢 かしこ く 議 ぎ 論 ろん をしましたらう、この 既 すで に 二 に 三 さん 月 つき 前 まへ に 濟 す んだ 問 もん 題 だい に 就 つい て! この 會 くわい 議 ぎ の 首 ︿しゆ 座 ざ﹀ でその 意 い 見 けん を 支 し 配 はい して 居 ゐ たのは、 村 むら の 故 こ 老 らう で 旅 やど 屋 や の 主 しゆ 人 じん ニコラウス、ベツダー です。この 人 ひと は 家 いへ の 前 まへ の 大 たい 木 ぼく の 蔭 かげ に 何 い 時 つ も 座 すわ つ て 居 ゐ て 毎 まい 日 にち 丁 ちやうど 度 、 日 につ 光 くわう を 避 さ けられる 丈 だけ 體 からだ を 動 うご かします、ですから 近 きん 所 じよ の 人 ひと は こ の 人 ひと の 座 ざ を 見 み て 時 じ 刻 こく を 知 し る こ と は 恰 あたか も 沙 ︿すな 漏 ど 刻 けい﹀ と 同 おな じ こ と で す。 こ の 人 ひと は 多 おほ く 議 ぎ 論 ろん は 致 いた しませんが 烟 た ば こ 草 はその 代 かは りに 絶 た えず 喫 ︿の﹀ みます。 渠 かれ の 黨 たう 世 よ の 英 えいゆう 雄 には 屹 きつ 度 と その 黨 たう があります はそれでも 善 よ く 渠 かれ の 意 い を 解 かい します、 渠 かれ の 向 かう 背 はい を 探 さぐ ります。 人 ひと の 讀 よ むことか 言 い ふことが 氣 き に 入 い らぬ ときには 渠 かれ は 劇 はげ しく 烟 た ば こ 草 を 吸 すひ 込 こ みまた 頻 しきり に 短 みじか い 怒 おこ つた 樣 やう な 烟 けむり の 吹 ふ き 方 かた を する、 若 も し 又 ま た 氣 き に 入 い れば 烟 た ば こ 草 を 閑 ︿しづか﹀ に 緩 ︿ゆつ﹀ くり 吸 すひ 込 こ み 輕 かる い 穩 おだやか な 雲 くも を 吹 ふ き 出 だ し、 時 とき としては 烟 き せ る 管 を 口 くち から 引 ひき 出 だ し 匂 にほ ひの 善 よ い 烟 けむり に 鼻 はな の 周 まは りで 環 わ を 作 つく ら せ 勿 ︿もつたい﹀ 體 らしく 頷 ︿うなづ﹀ いてその 腹 はら からの 大 だいさんせい 賛成 を 表 あらは します。 不 ふ 憫 びん な リツプ は、 此 この 砦 ︿とりで﹀ からさへ 彼 かの 喧 けん 嘩 くわ 好 ず きの 女 によう 房 ばう に 逐 お はれました。 彼 かの 女 によう 房 ばう は こ の 平 へい 和 わ な 集 しふ 會 くわい へ 突 とつ 然 ぜん 駈 かけ 込 こ ん で 誰 だれかれ 彼 の 嫌 きらひ な く 會 くわい 員 ゐん 一 いちどう 同 を 益 ︿やく﹀ に 立 た た ずと 罵 ののし り、 例 れい の 至 し 尊 そん なる ニコラウス、ベツダー の 一 いつしん 身 さへこの 恐 おそ ろしい 變 ︿へんせうなんし﹀ 生男子 の 大 だいたん 膽 な 舌 した で 傷 きずつけ られました。 女 によう 房 ばう は 覿 ︿てき﹀ 面 めん に 渠 かれ に 向 むか つて 自 じ 分 ぶん の 夫 おつと を 懶 らん 惰 だ にすると 責 せ めました。 遂 つひ には 不 ふ 憫 びん な リツプ も 偪 �ひつぱく� 迫 に 堪 たへ ぬ 樣 やう になりました、 農 のう 家 か の 力 りきさく 作 と 女 によう 房 ばう 70 75 80 85 90 95 100 105 110 115 120 125 ながばなし ︿まうけ﹀ あらた をつと
の 喧 け ん く わ 嘩 と を 迯 のが れ る 最 さい 後 ご の 策 さく は 鳥 て つ ぱ う 銃 を 手 て に 把 と つ て 山 やま 深 ふか く 這 は 入 い る こ と で す。 さて 山 やま の 中 なか では 折 をりをり 々 木 き の 根 ね に 腰 こし を 掛 か けて 嚢 なう 中 ちゆう の 物 もの を ヴオルフ に 頒 ︿わ﹀ けてや ります、この 同 おな じ 危 き 難 なん に 遭 あ つて 居 ゐ る 同 どうびやう 病 相 あひ 憐 あはれ む 獵 れふけん 犬 の ヴオルフ に。こん な 時 とき には リツプ は 犬 いぬ に 向 むか つて 言 い ひます= 不 ふ 憫 びん な ヴオルフ 、 汝 なんぢ の 主 しゆ 婦 ふ は 犬 いぬ 同 どうやう 樣 に 汝 なんぢ を 扱 あつかつ て 居 ゐ る 然 しか し 苦 く 勞 らう にするな、 吾 わが 兒 こ よ、おれが 生 い きて 居 ゐ る 間 あひだ は 汝 なんぢ の 力 ちから になる 友 ともだち 達 が 一 ひと 人 り はあるといふものだ= ヴオルフ は 大 たいてい 抵 尾 を を 掉 ふ つてもの 思 おも はし 氣 げ に 主 しゆじん 人 の 顏 かほ を 見 み ます 嗚 あ 呼 あ 犬 いぬ が 不 ふ 憫 びん といふことを 知 し る ものなら ヴオルフ がこんな 時 とき に 心 こころ の 底 そこ から 主 しゆじん 人 と 相 あひ 憐 あはれ むのは 疑 うたが ひもない ことでせう。 ある 秋 あき の 晴 は れ 渡 わた つた 日 ひ に リツプ、フアン、ヴインクル は 例 れい の 通 とほ り ケー ツキル の 山 やま に 這 は 入 い つて、 われ 知 し らずこの 山 やま の 絶 ぜつ 頂 ちやう に 近 ちか い 處 ところ まで 來 き ました。 渠 かれ は 栗 ︿りすがり﹀ 鼠狩 といふ 道 どうらく 樂 に 引 ひ かれて 來 き たので、 渠 かれ の 放 はな つた 鳥 ︿てつぽう﹀ 銃 の 音 おと に 反 はんしや 射 する 谺 ︿こだま﹀ 響 は、また 一 ひと たびこの 無 ︿むじんきやう﹀ 人境 の 寂 ︿せきばく﹀ 寞 を 破 やぶ りました。 渠 かれ が 疲 つか れ 果 は て 喘 ︿あい﹀ ぎつゝ、 崖 がけ の 縁 ふち を 冠 かんむり の 樣 やう に 飾 かざ つて 居 ゐ る、 山 やまごけ 苔 で 裹 つつ まれた 緑 みどり の 丘 をか の 上 うへ に 倒 たふ れたのは 午 ご 後 ご 遅 おそ くでした。 木 き 々 ぎ の 隙 すき 間 ま から 見 み 渡 わた せば、 丘 をか の 下 した の 數 すう 哩 り に 亘 わた つた 森 もり が 見 み えます。 少 すこ し 隔 へだ たつた 處 ところ を 遙 はるか にずつと 遙 はるか に 見 ︿みおろ﹀ 下 せば 美 うつく し い、 靜 しづか な、 然 しか し 尊 そんげん 嚴 な ホトソン の 流 なが れが 帶 おび の 樣 やう に 見 み えて、 紫 むらさき の 雲 くも か 又 ま た 此 こ 處 こ 彼 かし 處 こ にその 水 すい 晶 しやう の 胸 むね の 上 うへ で 假 ︿うたゝね﹀ 寐 をして 居 ゐ る 樣 やう な 徐 そろそろ 々 とすべ つて 行 い く 小 こ 舟 ぶね の 帆 ほ が 影 かげ を 冩 うつ し、その 末 すゑ は 青 あを う 見 み える 高 かうげん 原 で 恍 ︿ぼんやり﹀ 惚 と 知 し れな くなつて 居 ゐ ます。 外 そと の 側 ︿そば﹀ を 見 み 下 おろ せば 淋 さび しく 荒 あ れた 深 ふか い 谿 たに で、その 底 そこ の 岩 いは には 許 あ ま た 多 の 罅 ︿われめ﹀ 隙 が 這 は 入 い つて 居 ゐ て、 所 ところどころ 々 には 崖 がけ から 飛 とび 出 だ した 石 いし もあり、 夕 ゆふ 陽 ひ の 光 くわう 線 せん の 屈 くつせつ 折 反 はんしや 射 した 末 すゑ が 僅 わづか にこれを 照 て らして 居 ゐ ます。 リツプ はこの 景 け 色 しき に 對 たい して 暫 しばら くは 思 おも ひ 沈 しづ んで 居 ゐ ました、 蒼 ︿そうぜん﹀ 然 たる 暮 ︿ぼしよく﹀ 色 は 段 だんだん 々 に 迫 せま つて 來 ︿く﹀ る、 山 やまやま 々 は 長 なが い 青 あをいろ 色 の 影 かげ を 谷 たに へ 落 お とし 初 はじ める、 渠 かれ はこの 樣 やう 子 す では 村 むら へ 歸 かへ り 付 つ くより 餘 よ つ 程 ぽど 早 はや く 日 ひ が 暮 く れて 仕 し 舞 ま はふと 考 かんが へ、 還 かへ り 付 つ いた 時 とき に 女 によう 房 ばう の 怒 いかり は 何 なに 程 ほど か と 心 しんぱい 配 して 覺 おぼ えず 太 ふと い 息 いき を 吐 つ きました。 リツプ が 奮 ふんぱつ 發 して 歸 かへ らうとし 掛 かか つた 折 をり に 遠 とほ くから= リツプ ! リツプ ! =と 呼 よ ぶ 聲 こゑ がします。 四 ︿あたり﹀ 邊 を 見 み 廻 ま はすに、 頭 あたま の 上 うへ を 飛 と んで 行 い く 一 いち 羽 は の 鴉 からす の 外 ほか に 目 め に 遮 さへぎ るものもない。 渠 かれ は 心 こころ の 迷 まよ ひであつたかと、 又 ま た 行 い かふと すると 同 おな じ 聲 こゑ で= リツプ ! リツプ !=と 呼 よ ぶ、この 聲 こゑ が 靜 しづか な 日 ひ 暮 ぐれ の 空 くう 氣 き に 響 ひび き 渡 わた ると 一 ︿いちどき﹀ 時 に、 連 つ れて 居 ゐ る 獵 れふ 犬 けん ウオルフ の 毛 け が 立 たつ て 來 き て、 犬 いぬ は 靜 しづか に 鼻 はな を 鳴 な らし 乍 なが ら、 リツプ に 擦 す り 寄 よ つて、 物 もの に 畏 おそ れる 樣 やう な 風 ふう で 谷 たに の 底 そこ を 覗 のぞ きます。 リツプ も 何 なん となく 薄 うす 氣 き 味 み が 惡 わる くなつたか、ふと 犬 いぬ の 見 み 詰 つ めて 居 ゐ る 方 はうがく 角 を 見 み ると、 岩 いは を 踏 ふん で 登 のぼ つて 來 く る 怪 あや しい 人 ひと の 姿 すがた が 見 み える、 渠 かれ は 脊 せ に 負 お ふて 居 ゐ る 重 おも 荷 に の 爲 た めか 腰 こし を 曲 かが めて 歩 ある く 樣 やう 子 す です。この 浮 うき 世 よ を 離 はな れた 塲 ば 所 しよ で 邂 ︿であ﹀ 逅 ふた 人 ひと の 姿 すがた には リツプ も 少 すこ し 驚 おどろ いたが、また 近 きんそん 村 のものでも あるかと 思 おも つたから、 彼 かれ の 重 おも さうな 荷 に を 負 お ふのを 少 すこ し 扶 たす けて 遣 やら ふと 急 いそ い で 崖 がけ を 下 ︿お﹀ りました。 近 ちか くなればなる 程 ほど 不 ふ 思 し 議 ぎ なのは 異 い 人 じん の 摸 も 樣 やう です。 丈 ︿たけ﹀ は 低 ひく く 力 ちから のありさ うな 老 らうじん 人 、 頭 とうはつ 髪 は 濃 こ くて 箒 はうき の 樣 やう になり 髯 ひげ は 灰 はひいろ 色 です。 打 ︿いでたち﹀ 扮 は 和 オ 蘭 ラン 陀 ダ の 古 こ 代 だい の 風 ふうぞく 俗 帶 おび で 腰 こし を 約 やく した 木 も 綿 めん 衣 ぎ 袴 ずぼん は 幾 いく 重 へ も 穿 ︿は﹀ き、 外 ︿そと﹀ の 分 ぶん は 濶 ひろ く て、 兩 りやう 側 がは は 各 かくいちれつ 一列 の 鈕 ︿ぼたん﹀ で 留 と めてある、 膝 ひざ の 處 ところ は 紐 ひも が 附 つ いて 居 ゐ る。 肩 かた に 載 の せて 居 ゐ るのは 重 おも い 桶 をけ で、その 中 なか にあるものは 藥 ︿りきよーる﹀ 酒 と 見 み える。 異 い 人 じん は 手 て 眞 ま 似 ね で リツプ を 呼 よ んで、 少 すこ し 荷 に を 支 ︿す﹀ けて 呉 く れと 頼 たの む 樣 やう 子 す です。 リツプ は 少 すこ し こ の 新 しん 知 ち 己 き に 對 たい し て 嫌 けん 疑 ぎ の 心 こころ を 懷 いだ き は し た が、 例 れい の 氣 き の 好 よ い 所 ところ か ら、 手 て を 借 か してやりました。 異 い 人 じん と リツプ とは 代 かは り◆◆に 荷 に を 負 お つて、 谷 たに 間 ま を 登 のぼ つて 行 い きました。この 谷 たに 間 ま は 古 こ 代 だい に 山 やまがは 川 の 流 なが れた 痕 あと と 見 み える。 攀 ︿よ﹀ ぢ 登 のぼ つて 行 い く 中 うち に、 折 をりをり 々 遠 ゑんぱう 方 の 雷 かみなり の 樣 やう な 音 おと が 耳 みみ に 達 たつ します、この 音 おと は 登 のぼ つ て 行 い く 道 みち の 窮 きは まる 所 ところ に 見 み える 岩 いは の 裂 さ け 目 め から 出 で る 樣 やう です。 リツプ は 初 はじ め こ の 音 おと を 聞 き い た 時 とき 、 立 た ち ど ま 留 つ て 耳 みみ を 澄 す ま し た が、 深 し ん ざ ん 山 で 折 を り を り 々 逢 あ ふ 一 いち 時 じ の、 通 とほ り 過 す ぎの 雷 かみなり かと 思 おも つたから、 又 ま た 疑 うたが はずに 進 すす んで 行 い きました。 扨 さ て 例 れい の 岩 いは の 裂 さ け 目 め を 通 とほ り 越 こ して 見 み ると、こゝは 一 ひと つの 岩 ︿いはむろ﹀ 窟 です。 窟 むろ の 形 かたち は 劇 げき 塲 ぢやう の 棧 さ 敷 じき に 似 に て 居 ゐ て、その 周 ︿まはり﹀ 匝 は 急 きふ な 崖 がけ 、この 崖 がけ の 上 うへ には 老 らうじゆ 樹 が 枝 えだ を 交 まじ へて 唯 ただ だ 上 うへ の 方 はう を 透 す かして 藍 あゐ の 樣 やう に 青 あを い 空 そら と、 光 ひかり のある 夕 ゆふ ベの 雲 くも が 見 み え るのみです。 リツプ はこの 異 い 人 じん と 一 いつしよ 所 に 登 のぼ つて 往 い く 間 あひだ 、始 し 終 じゆう 無 む 言 ごん でした。 何 な 故 ぜ この 山 やまおく 奥 へ 藥 リキヨール 酒 を 一 ひとをけ 桶 負 お ふて 這 は 入 い るか、 譯 わけ は 解 わか りませんが、この 異 い 130 135 140 145 150 155 160 165 170 175 180 ゝ
人 じん の 姿 すがた には 何 なん となく 馴 な れ 難 がた い、 敬 けい せねばならない 所 ところ があつて、 何 ど うも 話 はなし が 仕 し 掛 か けられませなんだ。 岩 いはむろ 窟 へ 這 は 入 い るとまた 驚 おどろ くべきものが 目 め に 觸 ふ れました。 窟 むろ の 中 ちゆう 央 あう の 窪 ︿くぼ﹀ ん だ 處 ところ に 謟 �お ど� 謔 け た 人 じ ん ぶ つ 物 が 寄 よ つ て 尖 せ ん ち ゆ う ぎ 柱 戯 (※ ) を 演 えん じ て 居 ゐ る。 そ の 人 じ ん ぶ つ 物 の 衣 い 裳 しやう は 可 を 笑 か し い 外 ぐわい 國 こく 風 ふう の 製 ︿したて﹀ 作 で す。 あ る も の は 短 たんぱう 袍 を 衣 き て 外 ほか の 連 つ れ は 半 はん 臂 ぴ に 長 ちやう 劍 けん を 佩 ︿は﹀ き、 大 た いてい 抵 皆 み な 彼 か の 荷 に を 負 お ふ て 來 き た 人 ひと の 穿 ︿は﹀ い て 居 ゐ る 通 とほ り な 無 む 暗 やみ に 寛 ひろ い 袴 ずぼん の 中 なか へ 嵌 ︿は﹀ ま り 込 こ ん で 居 ゐ ま す。 そ れ に そ の 人 ひと びと 々 の 顏 かほ は 皆 み な 妙 めう です、 一 ひと 人 り は 頭 あたま が 大 おほ きく 額 ひたひ が 廣 ひろ くつて 目 め は 豕 ゐのこ の 樣 やう に 狹 せま い、 外 ほか の 一 ひと 人 り の 顏 かほ は 丸 まる で 鼻 はな 計 ばか りで 出 で 來 き て 居 ゐ る 樣 やう で、その 上 うへ から 赤 あか い 鳥 とり の 羽 はね で 飾 かざ つた 白 しろ い 棒 ばう 砂 ざ 糖 たう 形 がた の 帽 ばう 子 し が 被 ︿か﹀ ぶさり 掛 かか つて 居 ゐ ます。どれも 色 いろいろ 々 な 形 かたち の、 色 いろいろ 々 な 色 いろ の 髯 ひげ を 生 ︿は﹀ やして 居 ゐ ます。 中 なか で 一 ひと 人 り は 頭 かしら と 見 み える、 此 このひと 人 は 日 ひ に 燒 や けた 顏 かほ で 力 ちから の 強 つよ さうな 老 らうじん 人 です、 渠 かれ は 紐 ひも で 飾 かざ つた 袍 はう を 着 き て 廣 ひろ い 帶 おび に 劍 けん を 懸 か け 羽 はね 附 つき きの 高 たか く 尖 とが つた 帽 ばう を 戴 いただ き 赤 あか い 襪 ︿たび﹀ に 踵 ︿かゝと﹀ の 高 たか い 花 はな 飾 かざ りの 附 つ いた 靴 くつ を 穿 は いて 居 ゐ ま す。 リ ツ プ は 此 この 仲 なか 間 ま を 見 み て 村 むら の 牧 ぼく 師 し シ エ ー ク さ ん の 部 へ 屋 や に あ る 和 オラ 蘭 ンダ 人 じん の 移 い 住 ぢゆう の 時 とき に 來 き た フランドルス の 古 こ 圖 づ を 想 おも ひ 出 だ しました。 殊 こと に リツプ の 目 め に 可 を 笑 か しく 見 み えたのは、 此 このひとびと 人々 が 眞 しん から 樂 たのし んで 居 ゐ るに 違 ちが ひはないのに 皆 み な 眞 ︿ま じ め﹀ 面目 な 顏 かほ をしてさも 秘 ひ 密 みつ らしく 黙 だま つて 居 ゐ ることで す。ですから リツプ が 今 いままで 迄 見 み た 内 うち でこれが 一 いちばん 番 沈 しづ んだ 會 くわい でした。この 塲 ば 所 しよ の 靜 しづ かなのを 時 ときどき 々 破 やぶ るものは 丸 ︿たま﹀ の 音 おとばか 計 りです、 抛 な げ 出 だ される 度 たび に 山 やま 傳 づた ひに 谺 こ だ ま 響 を 喚 よびおこ 起 す 鳴 なりわた 渡 る 雷 かみなり の 樣 やう な 丸 たま の 音 おとばか 計 りです。 ︵ ※ ︶ 尖 せ ん ち ゆ う ぎ 柱 戯 と い ふ の は 尖 せん 柱 ちゆう な り の 木 き を い く つ も 立 た て ゝ 置 お い て、 木 き の 丸 たま を 轉 ころ がして 遣 や つて 打 う ち 倒 たふ し、その 倒 たふ れやうと 倒 たふ れた 木 き の 種 しゆるい 類 と 數 かず と で 勝 しよう 負 ぶ を 决 けつ する 戯 あそび です。 此 このいちだん 一段 は 玉 たま 手 て 箱 ばこ よりは 寧 むし ろ 爛 らん 柯 か の 故 こ 事 じ に 似 に て 居 ゐ ますが、 後 あと の 方 はう を 讀 よ んで 見 み ればまた 浦 うらしま 島 に 近 ちか い 所 ところ もありませう。 桶 をけ を 擔 にな ふた 人 ひと に 連 つ れられて リツプ がこの 異 い 人 じん の 群 むれ に 近 ちか 寄 よ つた 時 とき に、 渠 かれ 等 ら は 俄 にはか に 遊 あそ びを 廢 ︿や﹀ めて 此 ︿こちら﹀ 方 を 見 み ました。その 氣 き 拔 ぬ けのした、そしてむか し 一 ひと 目 め で 人 ひと を 殺 ころ したといふ 龍 りゆう の﹃バジリスク﹄の 樣 やう な 目 め と、 粗 ︿そほん﹀ 笨 な 光 ︿つや﹀ 澤 のない 顏 かほ 附 つ きを 見 み た リツプ は 心 ︿しん﹀ の 臓 ざう が 胸 むね の 中 なか で顛倒へつて、 膝 ひざ は 緊 ︿しま﹀ りが なくなりました。 一 いつしよ 所 に 來 き た 男 をとこ は 桶 をけ の 藥 リキヨール 酒 を 大 おほ きな 瓶 びん へ 分 わ けて 入 い れまし たが、 入 い れ 仕 し 舞 ま ふと リツプ を 喚 よ んで 異 い 人 じん 達 たち に 酌 ︿しやく﹀ をさせました。 渠 かれ は 怖 ︿こは﹀ が つて 慄 ふる へ 乍 なが ら 酒 さけ を 注 ︿つ﹀ いで 出 だ すと 異 い 人 じん は 黙 だま つて 飮 の み 乾 ほ しまた 遊 あそ びの 方 はう へ 顏 かほ を 向 む けて 四 ︿あたり﹀ 邊 には 搆 かま ひませなんだ。 リ ツ プ は 段 だん だん 々 に 怖 こは い と 羞 はづ か し い と を 忘 わす れ て、 渠 かれ 等 ら の 見 み な い を 僥 ︿さいはひ﹀ 倖 に 藥 酒 を 試 た め し て 見 み る と 上 じやう 等 とう の 杜 ︿とせうししゆ﹀ 松 子 酒 の 樣 やう な 味 あぢ が し ま し た 。此 この 男 をとこ は 元 ぐわん 來 らい 咽 ︿のど﹀ の 乾 かは く 性 ︿たち﹀ ですから 一 いち 度 ど この 味 あぢ を 占 し めると、また 一 ひとくち 口 飮 の みたく 成 な る、つい 二 に 度 ど 三 さん 度 ど と 瓶 びん へのお 見 み 舞 まひ を 重 かさ ねる 内 うち に、 段 だん 々 だん に 氣 き が 遠 とほ くなつて 目 め がちら つき、 渠 かれ の 頭 あたま は 何 い 時 つ ともなく 項 ︿うなだれ﹀ 埀 て 來 く る、 渠 かれ は 眠 ねむ つて 仕 し 舞 まひ ました。 目 め が 覺 さ めて 視 み れば、また 原 もと の 緑 みどり の 岡 をか の 上 うへ に 居 ゐ ました、 丁 ちやう 度 ど あの 異 あや しい 桶 をけ を 擔 にな ふた 男 をとこ を 始 はじ めて 見 み た 所 ところ に。 目 め を 摩 ︿こす﹀ つて 見 み れば 夜 よ は 明 あ け 離 はな れて、 旭 あさひ が 麗 ︿うらゝ﹀ かに 照 て つて 居 ゐ ます。 木 き の 間 ま には 枝 えだ から 枝 えだ に 渡 わた つて 鳴 な く 小 こ 鳥 とり 、 清 きよ き 山 やま 風 かぜ に 抗 ︿さから﹀ つて 高 たか く 舞 ま ふ 青 あを 空 ぞら の 鷲 わし 。=はてな、 一 ひと 晩 ばん 是 ︿こ 處 ゝ﹀ であかして 仕 し 舞 ま つ たか 知 し らん?=といふのが、 リップ の 第 だい 一 いち の 考 かんがへ でした。 渠 かれ は 寐 ︿ね つ﹀ 附 いた 迄 まで の 事 ︿ことがら﹀ 蹟 を 繰 くり 返 か へして 思 おも ふに、 桶 をけ を 負 お ふた 異 い 人 じん との 邂 ︿で あ﹀ 逅 ひ 岩 いは 窟 むろ 物 もの 凄 すさま しい 岩 ︿いは 陰 かげ﹀ 陰 いん 氣 き な 尖 せんちゆうぎ 柱戯 の 遊 あそ び 仲 なか 間 ま 瓶 びん 。= 嗚 あ 呼 あ その 瓶 びん だ、この 因 いん 果 ぐわ な 瓶 びん だ!まあ 何 なん と 女 によう 房 ばう に 言 いひ 譯 わけ をしやう? 扨 さて ◆◆ 困 こま つた= 渠 かれ は 鳥 てつ 銃 ぱう が 四 ︿あたり﹀ 邊 にあるかと 見 み 廻 まは しました。 何 ︿ど﹀ うしたことか 傍 ︿そば﹀ にあるの は 持 も ち 慣 な れた 磨 みがき 立 た つた、 好 よ く 油 あぶら を 引 ひ いた 鳥 てつ 銃 ぱう ではなくつて、 古 ふる い、銃身 には 一 いち 面 めん に 鏽 �さび� の 附 つ いた、 撥 ︿はじき﹀ 條 の 落 お ちた、 柄 ︿え﹀ を 蟲 むし の 喰 く つた 鳥 てつ 銃 ぱう です。 渠 かれ の 考 かんがへ では、あの 眞 ︿ま 面 じ 目 め 腐 くさ﹀ つた 生 ︿なま 醉 ゑひ﹀ の 山 やま 男 をとこ がおれに 一 いつ 杯 ぱい 喰 く はせて、 醉 ゑ ひ 倒 たふ れ た の を 幸 さいはひ に 鳥 てつ 銃 ぱう を 盗 ぬす ん だ こ と か と 思 おも ひ ま し た。 ヴ オ ル フ も 見 み え な い が、 これは 栗 ︿り す﹀ 鼠 か 鳥 とり を 追 おつ 掛 かけ て 徃 い つたかも 知 し れません。 渠 かれ は 口 くち 笛 ぶえ を 吹 ふい て 見 み たり、 名 な を 呼 よ んで 見 み たりしても、 口 くち 笛 ぶえ と 犬 いぬ の 名 な を 呼 よび 戻 もど す 谺 ︿こだま﹀ 響 は 聞 きこ えて、 犬 いぬ の 姿 すがた は 見 み えませなんだ。 渠 かれ は 昨 ︿きのふ﹀ 日 の 怪 あやし い 目 め に 逢 あ つた 處 ところ へ 往 い つて 見 み やうと 思 おも ひ 定 さだ めました、 若 も し 尖 せんちゆうぎ 柱戯 仲 なか 間 ま の 一 ひと 人 り に 出 で 逢 あ つたら 鳥 てつ 銃 ぱう と 犬 いぬ も 戻 もど るかも 知 し れぬから。 扨 さ て 斯 ︿か﹀ う 思 おも つて 立 た ちあがるとき、 何 なん となく 關 ︿ふし 節 ぶし﹀ の 運 ︿はた 動 らき﹀ が 不 ︿ふによい﹀ 如意 なのに 氣 き が 附 つ き ました。= 何 ︿ど﹀ うも 石 いし の 上 うへ なんぞに 寝 ね ると 體 からだ をだいなしにする、 若 もし これが 185 190 195 200 205 210 215 220 225 230 235 、 ︿ひつくりか﹀ ール ︿じうしん﹀ リキヨ
こうじて 僂 ︿れうまちす﹀ 麻質 にでもなつたら、さぞ 女 によう 房 ばう に、 矢 や 釜 かま しく 云 い はれることだ らう=と 獨 ひとり 言 ごと を 云 い ひ 乍 なが ら、 漸 やう ◆◆の 思 おも ひで 溪 たに 間 ま へ 降 お りて、 昨 ︿きのふ﹀ 日 異 い 人 じん と 連 つれ 立 だ つて 歩 ある いた 道 みち の 處 ところ へ 來 き ました。 然 しか し 不 ふ 思 し 議 ぎ なはこの 溪 たに 間 ま は 山 ︿やま 河 がは﹀ になつ て、 岩 いは から 岩 いは へと 跳 はね る 水 みづ は、 聒 ︿やか﹀ ましい 小 こ 言 ごと で 此 この 無 む 人 じん の 境 きやう を 充 み たして 居 ゐ ま す。 骨 ほね を 折 を つて 河 かは の 岸 きし に 生 おひ 茂 しげ つた 樺 ︿かば﹀ や 榛 ︿はしばみ﹀ や﹃サツサフラス﹄の 小 こ 枝 えだ を 押 おし 分 わけ け 乍 なが ら、 岸 きし に 沿 そ ふて 登 のぼ つて 行 い くに、 樹 き 々 ぎ の 枝 えだ へ 蔓 つる を 渡 わた して 往 ︿ゆくて﹀ 方 の 途 みち に 網 あみ を 張 は つた 野 ︿やせい﹀ 生 の 葡 ︿ぶどう﹀ 萄 が 折 をり 々 をり 足 あし に 搦 ︿から﹀ んでその 困 こん 難 なん 、 實 じつ に 昨 ︿きのふ﹀ 日 の 比 ︿たぐひ﹀ ではあ りませなんだ。 漸 やう ◆ ◆ 岩 いは 窟 むろ の 入 いり 口 くち ま で 來 き て 見 み れ ば、 今 け 日 ふ は 穴 あな も 何 なに も あ り ま せ ん。 削 けづり 立 た つ た 岩 いは は 罅 ︿すきま﹀ 隙 の な い 壁 かべ の 樣 やう で、 し か も そ の 上 うへ か ら 爆 ︿ た き ﹀ 布 が 泡 あは を 飛 と ば し て 墜 お ちて 來 き て 直 す ぐ 下 した の 水 みづ へ 這 は 入 い ります。 周 ︿まはり﹀ 圍 の 森 もり の 影 かげ に 裹 つつ まれて 眞 まつ 黑 くろ な 淵 ふち へ。 可 か は い 愛 さ う に リ ツ プ は こ れ か ら 先 さき へ 一 ひと 足 あし も 行 い か れ ま せ ん。 渠 かれ は 又 ま た 口 くち 笛 ぶえ を 吹 ふ い た り ヴ オ ル フ の 名 な を 喚 よ ん だ り し て 見 み て も、 應 ︿こた﹀ へ る も の は 遙 はるか に 高 たか い 枯 かれ 木 き の 周 ︿まはり﹀ 匝 を 飛 と ん で 居 ゐ る 惰 ︿なまけ 鴉 がらす﹀ の 一 いち 群 ぐん で す。 渠 かれ 等 ら は 高 たか い 處 ところ か ら、 こ の 氣 き を 揉 も んで 居 ゐ る 人 にん 間 げん を 見 み 卸 おろ して 馬 ば 鹿 か にする 樣 やう に 見 み えます。はて 何 ︿ど﹀ うしませう? 日 ︿ひかげ﹀ 景 は 段 だん 々 だん 移 うつ つて 來 く る、 朝 あさ 飯 めし を 食 く はない リツプ は 追 おひ ◆◆ 飢 ︿うゑ﹀ を 感 かん じて 來 き ま し た。 犬 いぬ と 鳥 てつ 銃 ぱう と は な く し て 仕 し 舞 ま つ て 腹 はら は 立 た ち ま す、 家 いへ へ 歸 かへ ら う に は、 女 にようばう 房 が 何 ︿ど﹀ ん な に か 叱 ︿しか﹀ る だ ら う と 氣 き に 成 な る、 然 しか し 山 やま の 中 なか で 饑 うゑ 死 じに を す る 譯 わけ に も 行 い きません。 渠 かれ は 首 ︿くび﹀ を 掉 ︿ふ﹀ つて 古 ふる 鳥 てつ 銃 ぱう を 肩 かた に 掛 か け、 心 しん 配 ぱい を 胸 むね に 歸 き 途 と に 掛 かか りました。 村 むら に 近 ちか くなつて 來 く ると 一 いち 群 ぐん の 人 ひと が 行 い き 交 ︿ちが﹀ ひましたが、 一 ひと 人 り も 知 し つた 顏 かほ でありません。 渠 かれ は 村 むら 中 ぢゆう に 知 し らない 顏 かほ はなかつたものを。それに 邂 ︿で 逅 あ﹀ ふ た 人 ひと の 衣 ︿きもの﹀ 類 が 皆 み んな 見 み 慣 な れない 剪 ︿したて﹀ 裁 です。 渠 かれ 等 ら は 皆 み な リツプ を 見 み て 驚 おどろ く 樣 やう 子 す で、また 言 い ひ 合 あは せた 樣 やう に 頤 ︿あご﹀ を 摩 ︿さす﹀ ります。 リツプ は 覺 おぼ えず 自 じ 分 ぶん の 頤 あご を 摩 さす つて 見 み て 駭 ︿びつ 然 くり﹀ しました、 髯 ひげ が 一 いつ 尺 しやく も 長 なが く 伸 の びて 居 ゐ たから。 リツプ が 村 むらざかひ 境 へ 這 は 入 い ると、 認 み 識 し らない 小 こ 供 ども の 一 いち 群 ぐん が 跡 あと から 跟 ︿つ 隨 い﹀ て 來 き て、 白 しろ い 鬚 ひげ に 指 ゆび を さ し て 笑 わら ひ、 ま た 聲 こゑ を 立 た て ゝ 叫 さけ び ま す。 犬 いぬ の 居 ゐ る 前 まへ を 通 よ 過 こ ぎ る 度 たび 毎 ごと に 吠 ほ へ ら れ る か ら、 氣 き を 付 つ け て 見 み れ ば、 皆 み な 認 み 識 し ら な い 顏 かほ の 犬 いぬ 仲 なか 間 ま で す。 村 むら も 變 かは つ て、 大 おほ き く な り、 ま た 人 ひと も 殖 ︿ふ﹀ え て 居 ゐ ま す。 見 み 馴 な れ た 家 いへ は 痕 あと も な く な つ た か と 思 おも へ ば、 昨 き の ふ 日 ま で 家 いへ の な か つ た 所 ところ に 檐 のき を 連 つら ね た 街 まち が 出 で 來 き て、 家 いへ 々 いへ の 入 いり 口 くち に は 知 し ら な い 名 な が 書 か い て あ り、 窓 まど か ら は 知 し ら な い 人 ひと が 顏 かほ を 出 だ し て 何 ︿なに﹀ も 彼 ︿か﹀ も 知 し ら な い も の 計 ばか り で す。 渠 かれ の 胸 むね に は 心 しん 配 ぱい が 起 おこ つ て 來 き て、 自 じ 分 ぶん も 周 ︿まはり﹀ 圍 の 世 せ 界 かい も、 一 いつ 所 しよ に 化 ば か さ れ て 仕 し 舞 ま ひ は せ ぬ か と 思 おも ひました。これが 我 わが 村 むら に 違 ちが ひはないものを、 昨 き の ふ 日 出 で て 行 い つた 我 わが 村 むら に 。 ケーツキル 山 さん は 彼 ︿あそこ﹀ 處 に 聳 そび えて ホドソン の 清 きよ い 流 ながれ は 此 ︿こゝ﹀ 處 に 流 なが れて 丘 をか も 谷 たに も 何 ︿いつ﹀ 時 もの 通 とほり です、 リツプ の 心 こころ は 千 ち 々 ぢ に 迷 まよ ふて、 何 なん となく 悲 かな し く 成 な つ て 來 き ま し た。 = あ ゝ 夕 ゆふ ベ の 瓶 びん の 酒 さけ さ へ 飮 の ま な か つ た ら、 こ ん な 氣 ︿きちが﹀ 違 ひにはならなかつたらうに!=と 渠 かれ は 歎 たん 息 そく しました。 漸 やう ◆◆の 思 おも ひで 渠 かれ は 我 わが 家 や を 探 ︿さが﹀ し 當 あ てゝ 怖 こは ◆◆に 近 ちか 寄 よ りました、 女 によう 房 ばう の 耳 みみ に 立 た つ 聲 こゑ が 今 いま するか◆◆と 思 おも ふから。 見 み れば 哀 あは れな 家 いへ の 有 あり 樣 さま です 盖 ︿やね﹀ 屋 は 落 おち 込 こ み、 窓 まど は 破 やぶ れ、 戸 と は 蝶 てふ 番 つがひ からはづれて 居 ゐ ます。 何 ど 處 こ か ヴヲル フ に 似 に たやうな、 饑 ︿うゑじに﹀ 死 をし 掛 かか つた 犬 いぬ が 一 いつ 匹 ぴき 、 家 いへ の 周 ︿まはり﹀ 圍 を 彷 ︿ぶらつ﹀ 徨 いて 居 ゐ るか ら、 名 な を 呼 よ んで 見 み ると、 廝 ︿きやつ﹀ 奴 は 齒 は を 露 ︿むきだ﹀ 出 して 噢 �うな� 咻 つて 迯 に げて 仕 し 舞 ま ひまし た。 隨 ずい 分 ぶん これは 面 おも 白 しろ くない 待 まち 受 う けといふものでせう。 =おれの 飼 かひ 狗 いぬ まで、 お れ を 見 み 忘 わす れ て 仕 し 舞 ま つ た か? = と リ ツ プ は 大 ︿ためいき﹀ 息 を 吐 つ き 乍 なが ら 云 い ひ ま し た。 渠 かれ は 家 いへ の 閾 しきゐ を 跨 また ぎました。 原 も と リツプ の 女 によう 房 ばう は 矢 や 釜 かま しい 丈 だけ 、 家 いへ の 掃 さう 除 ぢ はよくして 居 ゐ たが、 今 いま 見 み れば 荒 あ れ 果 は てゝ 人 ひと 影 かげ もない 樣 やう です。この 景 ︿ありさま﹀ 况 を 見 み て、 女 によう 房 ばう の 怖 こは さも 忘 わす れて 仕 し 舞 ま つた リツプ は、 女 によう 房 ばう と 小 こ 供 ども の 名 な を 高 たか く 呼 よ びました。この 聲 こゑ は 虚 ︿から﹀ になつて 居 ゐ る 部 へ 屋 や ◆◆へ 響 ひび いたが、それつきりに 又 ま た 靜 しづ かになりました 。 落 ︿がつかり﹀ 膽 して 家 いへ を 出 で て、 急 ︿はやあし﹀ 足 で 何 い 時 つ もの 酒 さか 屋 や へ 往 い つて 見 み れば、これも 何 ︿ど﹀ う したか 消 き えて 仕 し 舞 ま つて、その 代 かは りに 大 おほ きな、 古 ふる びた、 木 き 造 づく りの 家 いへ があり ました。 破 やぶ れ 掛 かか つた 處 ところ を 襤 ︿ぼろ﹀ 褸 や古帽で 埋 う めた 窓 まど が 廣 ひろ く 開 あ けてあつて、 戸 と の 上 うへ に は = ジ ヨ ン ナ タ ン、 ヅ ウ リ ツ ト ル の 聯 れんぱうきやくしや 邦 客 舎 = と 塗 ぬり 字 じ で 書 か い て あ ります。 昔 むか し 酒 さか 店 みせ の 檐 のき 端 ば を 掩 おほ ふて 居 ゐ た 古 ふる 木 き はなくなつて、その 代 かは りに太 い 裸 ︿はだか﹀ な 棒 ばう が 一 いつ 本 ぽん 、 立 た つて 居 ゐ て、その 尖 ︿さき﹀ には 寐 ね る 時 とき に 被 か ぶる 赤 あか 帽 ばう 子 し の 樣 やう な も の が 附 つ い て 居 ゐ る、 そ の 處 ところ か ら 旗 はた が 一 ひと 流 なが れ 懸 かか つ て 居 ゐ る の を 善 よ く 見 み れ ば、 240 245 250 255 260 265 270 275 280 285 290 ! ︿ふるしやつぽ﹀ ︿ふと﹀ 104