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『宗教研究』223号(48巻4輯)

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(1)

――目次――

論文

1,

ヨハネ福音書における「しるし資料」:様式史的考察, 大貫隆, Semeia-Quelleu im

Johannesevangelium: Eine formgeschichtliche Forschung, Takashi

ŌNUKI, pp.1-22.

2,

クリストフ・ブルームハルトにおける「神の国」思想の構造:一宗教思想における

社会への動機づけの研究, 金井新二, Die Struktur des “Reich Gottes” bei Christoph Blumhardt: Soziale

Motivierung seines Gedankens, Shinji KANAI, pp.23-41.

3,

カントの『形而上学講義』における自由論, 小西国夫, Über die Freiheitslehre Kants, Kunio KONISHI,

pp.43-65.

4,

敦煌出土『請二和上答禅策十道』について, 田中良昭, On “Zen Catechism Answered by Two Zen

Masters” from Tun-huang, Ry

ōshō TANAKA, pp.67-93.

書評

5,

武藤一雄著『宗教哲学の新しい可能性』, 金子晴勇, Haruo KANEKO, pp.95-99.

(2)

所属する共同体の手に渡ったときに原始キリス

教の内外におけるより

広汎な奇跡物語伝承の流れの中で占めていた

位置と、担っていた機能とを探ることが本稿の

本論の前に、方法論上の反省を少し加えて

おきたい。周知のように、福音書︵とりわけ

福音書︶に限ってみて

観点からイエス伝承に

にきれた各共観福音書記の

54(

目してもその多様性は全く変りがない。そして、

私の理解するところでは、最近の伝承史的・

武史的研究の赴勢は

資料

それとの関連において、この資料を伝承史的 様式史的に考察し、それ いわゆる﹁しるし資料﹂に福音書記者ヨハネが 加 えた新たな意味と機能とを、また、その必然性 を 彼が置かれていた ︵ リ マ @ 頴に 可能な限り編集史的な視点から接近するこ とを試みた。すな ね ち、イエスの奇跡物語がそこ に 遡ると考えられる

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(3)

遡源してゆくと、伝承の最古の層ではいかなる 意味でも一定の共同体の生に奉仕し得るような 機 能を読み取ることが でづ に

局 各 行

す わ 面 々 早 な 一 共同体が、前者を例え ぱ 復活記念祭の礼拝に おいて、後者をより日常的な パ ネレーゼのために 用いたというよ ことは考えられる。︵ 5 ︶更に、奇跡物語伝承も、それ が 対外的伝道や論争︵ 護教 ︶や説教に仕えるべ き 明確な機能を された後の段階においては、同じ共同体によって 担われたことも考えられる。つまり、多様な 々 エ ス伝承もその に 明白に一定の共同体の生に仕える機能が読み取 られるような場合には、その多様性は担い手た る 共同体の生の が 同様に多様であったことに対応するものとし て 説明され得る。しかし、問題はこの説明が伝承 史の空間の全体 たって妥当するわけではないという点にある。 は ねち、本論において明らかにするとおり、 奇 勘物語伝承、とりわけ癒の奇跡物語伝承を伝承 史 的に可能な限り 式と 機能︵﹁生活の座﹂︶と担い手を、あるいは 離れて、あるいは維持して、新たな様式と機能と 担い手へと不断に翻 訳 きれてゆく場であったのであるから。ケー り ュ グマ伝承と受難・復活物語伝承のように内容的 に 関連し合うイエス 伝承の場合はもとより、受難・復活物語伝承と ことは伝承の場合のように文学的に極めて差の大 きハ イェス伝承も 、 おいて、相異なったイェス伝承が同一の共同体 によって同時的に相異なる複数の﹁生活の座﹂の 中で担われたという ことは当然にあり得ることである。その空間は 、 互いに相異なるイエス伝承が複雑多岐に交錯 し 合い各々が元来の様 という事実がすでに、何よりも雄弁な反証を提 供している。福音書以前の伝承史の空間において もその一定の段階に ことから、異なった複数の担い手を想定すること で 説明する方向へ向かっているように思われる 。勿論、私はそこか ㎎ ) ら 多様なイエス伝承のすべて 各、、、、、、,ミ 力 常に相異なる @ 々の担い手を独立に持っていた筈だと考えるわけ ではない。実際、そ び れら多様なイエス伝承を同じひとりの各福音書 記者が福音書という統一的なまとまりにおいてわ れわれに伝承し得た 伝承におけるイエス像のこの多様性を、同一の 担い手の相異なる複数の﹁生活の座﹂に対応する 現象として説明する

(4)

とへ帰還させる人格として理解されたとすれ

、後考にとっては家族的・血縁的同胞関係を放

して自己に信徒

べきことを求める人格として理解されてい﹂乱る。伝承がいまだ共同体的に組織化・機能 翻

化されていない段階においてすでにイェス理解の る 。これは伝承史的に一般化して云えば次のよう︵ 8

、、、

、この多様性はどのように説明されるべ

きであろうか。この間が、﹁同一の共同体の相

異なる複数の生活の座﹂

%

からは説明不可能なものであることは明らか

であり、まさにこの点に上に述べた説明の仕方

限界があるわけであ

書㈹

。この問はむしろ、

称訃か

心か金幣

説明される他はない。すな

ち、各々の担い手の

に密着した利害状況と

ハ従

価値理念における差違、また、その両者の

て一言で云えば社会層の差違から説明

ネっ

定の社会層によって担われたことが確かめられ

るならば

他の奇跡物語伝承をも含めて以後の様

変化の歴史︵様式

3

できなくなるのである。云わば、伝承としての ﹁生活の座﹂が消失する。︵ 6 ︶この関連で、 G. タイ セン がことは伝承の 最古の層の中にいまだ共同体的に特定の機能を 付与される以前の、伝承がその担い手のなまの 生 により密着していた

定の共同体の生活の 中に特定の座を付与されてゆくことは、共同体 の生の中に組織化され、機能化されてゆくという ことであって、それ は 伝承のそれ以前の担い手から見れば明らかに ひとつの客観化であったに違いない。癒の奇跡 物 語 伝承についてもこ のような機能化・客観化を受ける前に、それがい まだ共同体に組織されてはいない担い手のより なまな生の願望に密 着していた段階を伝承の最古の層に確認するこ とができる。 しかし、癒の奇跡物語伝承とことは伝承は

、各、、

、 々の最初期の担い手の生そのものに密着していた 伝承 層 において、互いに対照的なイエス理解を 内包しているのである。前者にとってイエスは 癒 された者を家族と社

(5)

史 ︶は単に機能変化︵﹁生活の座﹂の変化︶の 視 点からのみではなく、担い手の社会層上の変化 の 視点からも分析さ ︵ 0 l Ⅰ ︶ れなければならない。とりわけ奇跡物語伝承 こ そは 様々なイェス伝承の中で最も激しく様式変化 ・機能変化を示すも のだからである。 奇跡物語の伝承の歴史は、同時に奇跡物語とい, 従って 、 私は以下の本論において、 先づ 奇跡初五 っ 様式の変化の歴史である。そしてこの奇跡初五 沖 伝承を様式史的に分析して伝承の相異なる幾つ 巾の様式 丈 には、 い かの層と様式に 区 介 しよう。そして、各々の層と様式から構成的 に 抽出される限りでのエートスと最も適合的な社 会 層を、同時代、 あ るいは相前後する時代のユダヤ社会とキリスト 教の中に認められる歴史的類例に照らし合わせつ つ 可能な限りにおい て 探ってみようと思う。 , ︵ 1 t ︶ Ⅹ わゆる様式史的方法によって、とりわけ R. ブ ルトマンと M. ディ ヴェりウス によって抽出され たところの、様式 変

は 、ここでは、当面の課題に関連してくる主要な 四つの法則を確認し ておくことにしよう。 第一に、伝承の若い層に帰属する奇跡物語にお いては、より古い層でのそれに比較して、奇跡付 為におけるイェス の イニシアチブ︵主導性︶が拡大されてゆく。 こ の 法則は、 R. ブルトマンが彼の云う﹁アポ フ テ グマ﹂について 明 ニ つかにしているⅠもので も七の抗 ネ り 、︵ ︶Ⅰ奇跡物語伝承に 3 限ってのみ認められるものではない。新約聖書中 の 奇跡物語でこの 法 則を最も端的に示しているのは、﹁奇跡的 施 食物 語 ﹂であって、マルコ六・三四 z 四四、 ハ ・ 一 t 九 、ヨハネ六・一 で一四の順に 、 特に各々の冒頭における群衆への 施 合の必要性を説明する本文を比較すれば足り るであろう。マルコ ︵Ⅱ︶ 六 ,三五、三六ではイエスは弟子たちによって 群衆が食物を必要としていることを知らされる。 マルコ ハ ・一 f 三で (550) 4

(6)

に対し、その並行本文マタイ

ニ、

ル力

・一二では共に﹁主

﹂︵

hG

も︵

C

が付加されてい

ること、また、それと

同じ現象がマルコ

・三八︵スロ・フェ

-

一キァ

の女の娘の癒︶からマタイ一五・二五の間

生じていることから

書音らかである。また、同じく盲人の癒の奇跡を福甘いのに対して、マルコ

0.

四六

!

五二では

びかけられ、これは更にマタ

における並行本

文二

0.

0

、三一では、﹁主よ、ダビデの子

﹂ ︵ 打

。Ⅰ

ⅠⅠなり

ヒ黛守

㌧ 簿 ︶

5 (551) 用 第二に、とりわけ癒の奇跡物語においては 、イエスが ィニシテチブ を執らず、むしろ、 癒 を 願 う 考の側から呼びか 資

論 的な尊称を含むものは含ま低いものに比較し て 伝承のより若い 層へ帰 ル 属する。この法則は、マルコ一・四 0 ︵ライ 病人への 癒 ︶では、イエスに対する呼びかけに 尊称は含まれていないの っていることもこの法則の視点から注意されるべ きである︵特に二 0. 一 0 、二八・八︶。 白 ︵六節 C ︶である。また、明らかに へ レニズ ム的領域での奇跡物語伝承である使徒行伝 ニ 0. セ ? 一二、二八・三 ! 六に保存されたパウロに関する二つの奇跡物証 呵 ︵ ュ テコ小湊 活と マムシの奇跡︶においても パ ウロの主導性が強ま 足 なえのそれとを同じ視点から比較することが できるかも知れない。後考におけるイエスの 々ヱ シアチ フ の拡大は明 り 出されてきたモデルにすぎない。更に、マル コニ ・ 一 ! 一二申の中風患者の治癒の奇跡物語と ヨハネ五・二 ! 九の ような求めは一切行われず、癒はただ﹁神のみ わ ざが彼の上に現われるため﹂︵三節︶にのみ 行 われ、当の盲人は借 は 両者の立場が逆転している。 コ ルネ六・五、上 ハに 至っっては、イエスのイニシアチブが彼の明 確 なる意図に出るも のであることが挿入夫︵六節︶をもって明言され ている。その他、同様にイェスによる盲人の治 癒の奇跡を報告する マルコ ハ ・二三 で 二六からヨハネ九・一 ? 八へ同 一の法則を確認することが許されよ う 。すなわ ち二 マルコ ハ ・三三 ! 二六ではイェスは癒を求められている。とこ ろが、ヨハネ九・一 ? 八では当の盲人からも彼の 周囲の者からもその

(7)

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(8)

福 土日 お け る し し 資

え よ う 。そして、われわれの問題である﹁しるし 資料﹂における奇跡物語は、この理念型に 、勿 諭 そのすべての様式 上の要件を満足するわけではないが、接近して いることは確実である。ディ ヴヱ リウスが好んで 第四福音書の奇跡 物 ︵ 9 I ︶ 語を取り上げるのは理由なきことではない。 逆に原型は次のような様式上の特徴を備えるこ とになろう。㈲イェスは外部から呼びかけられる 。その呼びかけに キリスト論的尊称は含まれない。㈲奇跡それ 自 休は特に強調されず、癒された者への関心が最後 まで持続する。彼に 7 力

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(9)

次にこの原型に自己を客観化︵対象化︶してい る エートスと、それに最も適合的な社会層が問わ れなくてはならな い 。ここには、奇跡に対してことは伝承が付与し

的な理念が全く欠け れ % は ならない。また、 G. シレが、より歴史 的 視点から、おそらく 北 ガリヤラ地方に遡ると 思 われる最古の奇跡 物 ︵ 23 2 ︶ 語 伝承においてはキリスト論的動機が極めて 乏 し い ことをすでに指摘していることも、私が理念 型的 視点から構成し た 原型の特徴と奇しくも符号するのである。つま り 、この原型は 、 単に論理的な意味においての みではなく、歴史的 意味においても歴史のイエスに最も近づくもの と 云ってよいであろう。 対するイエスによる家族・社会への帰還︵復帰︶ 命令をもって終る。㈱イエスのキリスト論的 偉 大 ・栄光・権威を強 謁 するための、群衆と当事者の歓呼とか、奇跡 が 彼らに及ぼした印象の報告が欠ける。このよ う な原型は、様式的に はすでにそれとしては奇跡物語と呼び難いもので あるかも知れない。それはまた、本質的には、 理念型的構成 物 、 す は ねち、あくまでも方方論的概念であるから、 そ れを早急に歴史的に実体化することはできない 。しかし、それを 有 効な 物差し︵素田手段︶として利用することに より、現実に福音書中に保存された多様な奇跡 物 語の申から、伝承 史 的に最も古い層での最も素朴な様式に比較的に 近いものを取り出すことはできる。マルコ一・四 0! 四四︵ライ病人 の癒 ︶ 、ハ ・三三 ! 二六︵ ベッ サイダの盲人の癒 ︶ 、 及びル力 一セ ・一一 ! 一九︵ 一 0 人の テ ィ 病 人の癒。但し 、一セ、 八節を除外︶︵ 四 ︶がそれである。更に、マルコニ , 一 ! 一二︵中風患者の癒︶を 、六 ! 一 0 節を除 外した形で加えるこ

02 四四とルカ 一セ ・一二 | 一九は R. ブルト マンも指摘するとお り、 ︵ 弗 ︶ラ イ 病人が病 い 回復して社会に復帰するた めには祭司による認定を必要とするというレビ 記 一 三、一四章の規定 を 所有したパレスチナユダヤ教の地盤でのみ て 解 可能な内容を含む︵マルコ一・四四とル力一セ ・一四︶。すな む ち 、 これら二つの奇跡物語はそれらが前提している 歴 史的条件に即して見られても非常に古い伝承の 層 に属すると考える こ れ 7 8

(10)

に対する態度は徹底的に否定的だからである。︵四︶

こには固有な意味での癒の奇跡物語は存在せず

、ラビ的な意味での

9

落 甜然

いずれにしてもこの社会層はラビ

なのである。

とは

的に異なる。何故なら、ラビ文献から見る限

ラビ層の癒の奇跡行為

(555)

書は

会層によって担われたとすれば、われわれの

原型にあらゆる統一的な神学理念、価値理念が

欠けてくるのはむしろ

ける「しるし 資料」 われる。生の全域を規定するように統一的な価 値 理念を構成し得るためには、人はその理念がそ こから反省的に構築 されてくるための一定の質を維持した持続的な社 全的生活体験を必要とする。社会と家庭とから 儀礼的に遮断される

ことによって、社会的生活体験が断片化されると ころでは統一的な価 値 理念の 、 従って統一的、有機的なエートスの 構成は難しい。癒の奇跡物語伝承がその最初期に おいてそのような 社 0 日常的同胞関係の外側へ呼び出す人格ではない 。癒されようと欲する者は癒という明確なる 御 利益を 、 求めて 々ェ ス のもとへ赴き、癒さ た 後は家族と社会へ復帰す る 。そこには価値観の断絶は生じない。従って 、この原型全体を支 える エートスは明らかに功利的、御利益宗教的な それである。その担い手としては、社会復帰 と 家族関係の回復が最 大の願望︵価値︶であるような社会層、すなわ ち、 ラ イ 病患者に典型的に象徴されるような家庭 と 社会とから儀礼的 に 遮断されているか、常にそのような遮断の対象 となりかれない危険に不安定に曝された社会的 最下層を考えなけれ は ならないであろう。これは当時のユダヤ社会 において﹁収税人や罪人﹂という標語で代表され た ﹁地の民﹂と一致 する。勿論、この層が彼らの功利的・御利益 宗 教 的な願望をどこまで統一的、有機的なエートス として育て得たかど うかは、従って彼らをどこまで厳密に社会学的 な 意味で固有な社会層と看 徴 し得るか否かは問題 私には、統一的、有機的なエートスが十分には 見出されないということこそまさにこの層に特徴 的なことのように 思

ている。イェスはここでは、

に人々に価値観の統一的、根源的な変革を

迫って、家族・社会

(11)

吋 ㍗。 , 癒の奇跡物語がこの新たな段階において付与さ れた新しい﹁生活の座﹂の うぢ 主要のもののひと つは、共同体の説 ︵ー︶ いるのである。 な組織化と機能化を免れて個々別々に伝承され 共同体における特定の﹁生活の座﹂を想定する このような段階と根本的に区別されなければ れていたこれらの奇跡物語が、その伝承の進展 同体の生の中へ云わ ぱ ﹁教会化﹂される段階で 語の伝承史を分析する場合には決定的に重要な ことは不可能である。むしろこの段階の奇跡 物旺 輻 はあらゆる共同体的 ていたであろう。 ならないのは、キリスト教と直接に関連のない 形で個々別々に伝承さ の 過程においてやがてキリスト教内部へ取り込ま れてゆき、一定の共 ある。この二つの段階を可能な限り明確に区別 してゆくことが奇跡 物 のであって、われわれはこの認識を E. トロ クメ と田川建三に負って ﹁信仰﹂、すな ね ち、律法の遵守を勧める一種の アポ フテグマヘ 変形された形での自然奇跡物語が 僅かに認められるに ︵ 鴇 ︶ すぎない。つまり、自然奇跡は当事者の﹁信仰 ﹂︵律法遵守︶の自然大の有効証明と看 徴 される 。勿論、ラビ文献が 歴史的にどの時点にまで遡り得るのかは、他で も 常にそうであるよ う にここでもまた問題となろ ぅ 。だが、﹁信仰﹂ と 自然奇跡とのこのような意味内容における 理 解は 、﹁山を移すほどの信仰﹂という標語におい てすでにパウロ︵ コ リント前書 一 三・二︶に知られていたものであ るから、歴史的には相当に早くから、将来ラビ 層 へとつながってゆく こととなる社会層︵パ リサィ 派︶の中に定着して いたに違いないのである。 われわれの原型に類似するパターンはイエスを ﹁聖者﹂や﹁ 聖所 ﹂の何某に置き換えれば時間と 空間を越えて様々 な道域 こ発見されるようこ思われる。唱一 @ , ︵ 9 2 ︶ つまり、 そ れ 自体ひとつの類型なのである。ここでは、 共 通の願望が自己を客

のである。イェスの癒の奇跡物語の場合には、 こ の 原型はその担い手 ︵ 拠 ︶ 0 社会層がそれによって歴史のイエスを捕えた 理 解の フィルターであった。とすれば、この原型 に キリスト教内外の (556) 10

(12)

、 ネ 福音書に おけ 料 ﹂ 資 し る し 教 、あるいは 護 教的論争である。それに対応し て 新しく形成された様式が、 R. ブルトマンの 云 う ﹁アポ フテ グマ 的 奇跡物語︵ らや 0 菩 まぬ ヨ at ∼のの 汗 ミロ コ汁 Ⅱ幅の沼江 臼 ︵の︶﹂であると考えることができる。この様式 に 属する本文として は 、マルコニ・ 一 ? 艮一、三・一 z 五 、二二 ? 一 二 0 、 セ ・二四 ! 三 0 、マタ イハ ・ 五 ? 一二︵ ルヵセ ・ 一 ! 一 0 ︶ 、 マタイ一二・二 三 ︵四五︵ル力一一・一四 ? 一二 ハ ︶ 、 ル力 一 三・一 0? 一セ 、一四・一 2% ハ、一 セ ・一一 ! 一九を挙 げることができよう。このうちマルコニ・ 一 ! 一二とル力一セ・一一 f 一九の下にはわれわれの 云う原型に比較的に 近い癒の奇跡物語が想定されるべきことはすで に 述べたとおりである。前者は六 2 一 0 節の 、後 者は 一セ 、一八節の イエスのことばの付加によってはじめて、全休 としてアポ フテグマ に様式変化を遂げた。マタ イ 八・五 f 一 三の下に 想定される奇跡物語と一一、一二節の付加との 関係も同様である。この意味で、これらの﹁アポ フテ グマ 的 奇跡物語﹂ は 荒井献の適切な表現を借りると奇跡物語の このようなアポ フテ グマ 化 、あるいは﹁ロゴス 化﹂は、いわゆる自然奇跡物語についても確か められる。すなわ ち 、マルコ四・三五 2 四一の嵐の制圧の奇跡 物五 曲は 、三九節の風と海に対するイェスの沈黙命令 の中に、伝承のより 古い層での民間説話的な アヱ ミズム 的 自然 観を 田川建三と共に認めるとして転、奇跡を﹁信仰﹂︵ 3 ︶ と 関連付けて、前者 をもって後者の自然大の有効証明と考える現在 の形においては、明らかにキリスト教化された ア ホブテグマ である。 ﹁信仰﹂の自然大の有効証明という奇跡理解を更 に 徹底したのがマタイである。このことは、 マ タ イハ ・二六︵﹁ な ぜこわ がるのか、信仰の薄い者たちよ ヒ をその 並行 旬 マルコ四・四 0 に、また、マタイ一四・ 一一一一Ⅰ,、二一一二︵特に二一 一節、﹁信仰の薄い者たちよ、なぜ疑ったのか﹂︶ を マルコにおける並行本文六・四五 ! 五二に比 校 すれば端的に明白 である。 Q 伝承もまた、同一の理解をマタイ 一セ ・ 二 0 ︵ル力 一セ ・ 六 、マタイ 三 一・二 一も参 照 ︶において示して ︵竹井︶ いる。自然奇跡に対する全く同種の意味付けはす でに述べたように、コリント前書一 二 ・ ニのパ 9 ロ か, b ラビ文献 へ 11 ( 持 7)

(13)

ヨハネ福音書の﹁しるし資料﹂はその結びに 次 のような自己証言を保持している。﹁イェスは こ か り書に重目かれて・ い ないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で 行われた。しかし、これらのことが書かれたのは 、あなたがたが ィェ ス は神の子キリストであると信じるためである。 ﹂この自己証言に従 う なら ぱ 、この資料は数多 ハ イエスの奇跡物語 の中から 撰択 的に採録された奇跡物語の集録で あったと考えられる。それが本来いくつの奇跡 物 語 ないかなる枠組の 中で含んでいたのかはもはや知ることができな い 。また、ヨハネによって取り上げられて現在 彼 の 福音書中に採録さ れている 人 ︵または セ ︶ つめ 奇跡物語の各々に ついて、それらがこの資料へ採録される以前に そこで生きていた 場 所 、あるいは﹁生活の座﹂を確定することも 厳 密 には不可能である。しかし、この資料が奇跡 物 語 をそこに取材した 領域は、原則的には、いまだキリスト教化され ず 一定の共同体の一定の機能に仕えるべく組織さ れてはおらず、おそ らく民間に個別に伝承されていた奇跡物語と、 す でに キリスト教化され共同体的に一定の機能を 付与されていた奇跡 におけるのとは全く逆に 、 常に﹁弟子﹂たちで あるという事実が、自然奇跡物語伝承の方がより 早い時期に教会化さ れたが、あるいは初めから教会的関心によって 導かれていたことを示すよ う に思われるからであ る父 O ︶ 教化と教会化に責任を負ったのも、従っ ぞ、ラ ビ層 、あるいはそれに近い社会層であったと考え られなければならな いであろう。しかし、自然奇跡物語伝承はこの キリスト教化と教会化以前の段階において、 癒 の 奇跡物語伝承と比 駁 した場合、歴史のイエスに向かって伝承史的 に 遡源 し 得る段階は全体として若い 層 と考えられ ね ば ならない。何故 なら、福音書中に現在保存されているすべての 自然奇跡物語において、その主要かつ積極的関与 者が 、 癒の奇跡物語 Q 伝承の担い手はまさしくこの連続した線の途 上に立っているのである。この点以外にも、マタ イと Q 伝承の担い手 が 社会層としてはいずにしても う ラビ層に近づ 物語伝承のキリスト (558) と 連続している。この意味付けに 基く 自然奇跡 物語のアポ フテ グマ化はそのラビ層に固有なもの であった。マタイ と

(14)

崔が

同様の結びをもって終っていることであ る ︵九・三 三 ? 三五、三六 z 四二、一四・八 !

セ ︵

0 等 ︶。ふたりは、 D. ゲオルギの研究によ って明らかにされた限りでの 策 二 コリン卜書におけるパウロ の 論敵である。

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八に採録されしきない。 糊

られる。五・二 f 九と 九・一 ! た 二つの癒の奇跡物語も本来同様な結びを所持 していた可能性は否定で る ﹁ 観呼 ﹂や﹁入信報告﹂をもって閉じるこの新し い 様式は 、 同じ資料に帰属する二・一 ? 一一、 一一・四五にも認め あろう。 ﹁しるし資料﹂はこれら取材された奇跡物語に一 つめ 統一的な様式を付与した。例えば、﹁奇跡的 施 食物語﹂︵エハ・ 一 ! 一 三︶を採録するにあたって、この資料は物 語の末尾一四節に、﹁世に来たるべき預言者﹂ という明白なキリス ト論的 称号︵尊称︶を含む群衆の﹁歓呼﹂を 付 如 した。これと共に六・一 ! 一四の本文は全休と して共観福音書のそ れとは異なる一つな新たな様式を獲得すること になった。また、﹁ カペ ナウ ム の役人の子の癒﹂︵ 四・四六 ? 五三︶を 、 Q 伝承に帰属すると思われる﹁ ヵペナ ゥムの 百 卒 長の僕の癒﹂︵マタ 4 ハ・ 五 ? 一 三、ルカセ 一で一 0 ︶と比較す ることが許されれば、前者はその末尾に後者に はない当事者の﹁入信報告﹂を所持している。 奇跡物語を当事者の

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(15)

神学的にはこの資料には、 コ つの明確なるキリ スト論が認められなければならない。すな ね ち、 奇跡の中に﹁神の 子 ﹂イェスの栄光を見るいわゆる﹁栄光のキリ スト論﹂︵目の﹁∼︶ wn 甘汀 の 円 ︵のの ゴ ︵ レの do ︶ om ガ ︶である。 これは確かに、 E. 取り出したものに本質的に近づくものではある。 しかし、そこから G. ぶ ゲルン士刀 ム のように ケ 1. ゼ マンの 三 Ⅰの上士リス 仁 Ⅱ 払 珊を福音書記者にではなく、むしろ﹁しるし資料 ﹂に帰属させるべき 定 することはできないが、それをこの論敵の社 会 層への類比において考えること れにせよ、この資料がヨハネの手に渡ったとき に、 少なくともそこに含まれてい いてのみならず、その担い手の社会層においても 伝承の最古層における原型に近 っていたことは疑いを容れない。 そして、この資料が伝えた対外的伝道はやはり この資料自体の同じ自己証言 ﹁神の子キリスト﹂であるという明確なるキ リス ト論的 イデーによって支えられ な 奇跡物語からの取材に際しての選択の規準で あったに違いない。伝承の最古層 を 含まずに、個別に伝承されていた癒の奇跡 物且 咀と 多様なキリスト論的動機に分 も、︵ 4 巴 今やこの資料においては、他の奇跡物語と土 ︵に、この理念によって 、 云わ ぱ ﹁第一のしるし︵二・一一︶﹁第二のしるし﹂︵ 四 ・五四︶という番号付与に象徴 る 。この資料は様式的には様々な奇跡物語の集 録 であったが、それは同時に組織 は 許されるのではなかろうか。いず た 癒の奇跡物語は単にその様式にお い 奇跡物語のそれから遊離してしま ︵ 二 0. 三一︶に従えばハイエスは ていた。 こ の理念こそが数多い多様 において特別にキリスト論的な動機 敬 して伝承されていた﹁民間説話し 外側から統一的に意味付けられ、 されるよ う に、組織化されたのであ 的な集録であっただろう。 資料の場合には、その担い手の社会層を、パウ ロの 論敵の場合のように本文に保存された 彼, ら め 自己証言に基 い て 確

一・二二︶として表示したとすれば、われわれの

﹁しるし資料﹂にもⅠ災禍の神議論﹂︵五・一四

ニ、

三︶

的に現われているようなユダヤ教的特徴が認

められる。︵

︶この符合は単に偶然的なものとは思わ

れない。勿論、

この ㏄ ) に典 4

(16)

ハネ福音書における「しるし

資料」 預言者﹂という尊称が問題になろう。ここには、 いわぬ る ﹁モーセのような預言者﹂に対する 終 大論 的 待望との関連

し 、全体としてこの資料においては、 Q 伝承にお けるような、イェス の 奇跡に対する終末論的意味付け、すな ね ち、 奇 跡 を今まさに到来しっ っ ある神の支配の証明と して理解させる意味 付けは支配的なものではなく、むしろこの資料 は 奇跡を神の子のそれとして、すな ね ち、神性 顕 現の奇跡として理解 させようとしている︵ 二 0. 三一︶。 Ⅹ 最後にこの資料が ョハ、ネ 福音書において与える れている新たな様式と機能を瞥見しておきたい。 結論から先に云え ,は 、この資料の奇跡物語はここではアポ フテグ て に、より厳密には﹁拡大されたアポ フテ グマ﹂ に 様式変化を遂げて いる。勿論、すべての奇跡物語がこの様式変化を 被ったわけではない。﹁カナのブドウ酒の奇跡 ﹂は根本的な様式上 - 人 4 v ︶ の 修正を加えられずに採用されたものと 若 えられ るべきであろう。﹁ カペ ナウ ム の役人の子の癒し ︵四・四六二五四︶ でもヨハネの修正の筆跡はそれほど大きいもので はない。しかし、四八節 と五 O 節 b が、読者に 対して﹁しるしと 奇 15 (561) @4 4 丹 乍 ︶ 0 対外的伝道にあったとすれば教会論が欠けるの は 当然である。ただ終末論については六・一四 の ﹁世に来たるべき ︵ 2 ︶ だと主張することはできないであろう。ケー ゼ マンが 子 という表象はこの資料には確認できないし、 ま 4 *@% ハ 枠組も、この資料に帰属すべき部分には現われ ず、む こそ現われるからである。従って、 G, ベッカ | が正 へう 4 丹 0- 欠けていたと考えられれ は ならない。 G. ベッカーは更に、この資料には教会論 と終 末論 ヨハネのキリスト論の不可欠の、構成契機と看 倣す 、 先 在の神の その先在の神の子の地上への下降と、 先在 の 天 への回帰という しろ、典型的にヨハネ的な長大なイエスの説話 ︵ オの & の ︶の中に しく指摘するようにこの資料にはキリスト論の神 詰論 的 枠組は が 欠けていたと推定している 0 この資料の機能 が 一定の共同体

(17)

柱 ︵Ⅰ︶前者の基本的な解釈視座は﹁ロゴスの受肉﹂︵ 一 ・ - 四 a ︶であるのに対し、後者のそれは﹁ 先 在の神 の子の栄光﹂︵ 一 ・ 一四 c ︶である。 わ ・ 援 E- ︵︵∼︶ pS 二し 榎 Ⅱ 寺い ぉ心 隠ぎ きも 雨め キっ 甘皮Ⅹ さ雨タのひド 曲目めのコトの つ ㏄︶。・㍉ 討壷っ Ⅱ っ憶 円ぃ も Ⅰ りナ ヨ色 ヰ憶ミ づぃ め ∼Ⅰ きいお涛 , 円山 サぎぬ の ロト の う弔, Ⅱ・ ホ 援の呂 りコ n,% め ゑ ∼ 雨 ∼ め ∼ 雨 ﹁ 薫 ∼∼∼ め ⅡⅩ JoQ 目寮 Ⅹ ミの田ブづ由 宮下心の コ目め ⅡⅠ ︵ 2 ︶拙稿 汐ヨのざち En--0 店 5 Ⅰ し Ep 年の ヨ括 ∼ ヨ ︶ 0 ダ銭コ es づがコ ゆの目ロ ヨ ロロ本の神学 b 第一三号、 ぬ頁 以下。 ︵ 3 ︶私はこのようなものとして﹁編集史的視点﹂を 理 解する。 ミ ・音耳 お お タむ ミ田 珪俺 Ⅰ 穏 ∼∼ め ∼ 寒 ミぎ タ つめ 円 ゑコ め 0 目 ト の印の N. ︵㏄ る 。 ︵ ガ ︶ 跡 ﹂によ,ってではなく﹁言葉﹂によって信じる べきことを勧める意図からの、ヨハネによる付加 てあるとすれば、 Q 6 伝承中の﹁ カペ ナウ ム の百年長の僕の癒﹂︵ マタ 4 ハ・ 五 ? 一 三、ルカセ・ 一 ! 一 0 ︶と全く同 様 、やはり全体とし て アポ フテグマ の機能を果すことになる。 五 、上 九 、一一章では、各々の冒頭に置かれた﹁ ベテス ダ の池の癒﹂・の ﹁奇跡的 施食 ﹂、﹁盲人の癒﹂、﹁ラザロの復活﹂の 奇跡物語は、それらに続くイエスの長大な説話 ︵牙音︶を導き出す べく働き、逆に後者によって敷桁される。このよ うな﹁拡大されたアポ フテグで しと呼ばれるべ き 様式は 、 再び Q 伝 承 中の﹁ベル ゼ ブル論争﹂︵マタイ一二・二 三 z 三 0 、ルカ一一・一四 ! 二三︶にも認められる ものである。そして、 ﹁しるし資料﹂からヨハネ福音書への奇跡物語の このような様式変化には確実にその機能変化が 随伴している。すな ね ち、これらの﹁拡大されたアポ フテ グマ﹂は 、 もはやこの資料においてのように対外的伝道に 仕えるのではなく、 Q 伝承の﹁ベル ゼ ブル論争﹂が確実にそうであ るように、ユダヤ教に対する激しい論争、あるい は護 教に仕えるか、 そのような情況下に置かれた共同体の内部での 説教に仕える。︵ め ︶このことは、奇跡物語伝承が 、そ の 原初的な担い手 なった共同体の間で、また、相異 ︵社会層︶の手を離れて、共同体の生の内部に取 なった﹁生活の座﹂の間で不断に様式変化と機能 り込まれ、組織化され、機能化された後の段階 変化を繰り返したことを示してい においてさえ、相異

(18)

ヨハネ

福音書

における「しるし 資料 ︵ 4 ︶本稿は 、 私が日本聖書 学 研究所一九 セ 四年六月例 ド Ao. やコヨい ︶。 会 で行った発表﹁奇跡物語伝承の担い手の社会 月 に関 する試論こと ﹁文学社会学﹂というひとつの理論を前提している。 私はこの対応の ば 伝承との比較における﹂の一部である。ことは 伝承に関する部分は、荒井 献 ㍉ イヱス とその時代 ヒ 岩 油田 居 、一九 セ 四年︶九六頁以下に取り上げられているので参照さ れたい。 ︵ 5 ︶例えばⅡ・の 0 プ毛 0 ざの r. 持めⅠめの 下 ﹁Ⅰ め ∼Ⅹタ目む コリブ の ミヰぃヨ まおおき。 , 押にの︵・はその意見である。 ︵ 6 ︶荒井 献 、前掲吉二 0 頁の意見に賛成する。 ︵ 7 ︶の・ 円オ の日の コ ・ ミ a コ % ∼ 尽宙 弄り由の ヨ括 ・い つ 苗木目・ ド ト ㏄ , Ⅱ つ Ⅱ い,の ・ い 肚の皿 @ い つト ︵ 8 ︶荒井 献 、前掲 書 九四頁以下、一 0 二頁参照。 ︵ 9 ︶﹁密着﹂という表現は批判を招くかも知れない。 生の願望と価値理念はそのまま生の現実に直接﹁対応 ﹂するものではな く 、その間には﹁屈折﹂がある筈であると。それが 知 識 社会学︵イデオロギー批判︶の初歩的常識に属する 命題であること は 私もよく知っている。しかし、﹁屈折﹂もまた﹁密着 ﹂の 苦 しげなひとつの形態なのである 0 ﹁屈折﹂して はいても、価値 理念と生の現実的利害状況とを噛みムコわせる持続的な 方向が認められるところでは、ひとつのエートスを 語 ることがで き る 。それを知識社会学的に批判してゆく作業は、そこ から始まるまた新たな別の作業なのであって、両者を 混同すべぎでは い 。 ︵ 騰 ︶私はこの認識を、荒井献の数年間にわたる演習 での再三の指摘に負っている。 ︵Ⅱ︶構成的に取り出さたたエートスに最も適ムロ的な社 会 層を探す作業は、根本的にはエートスと社会層の 対 応 に関するひとつ 肘金型の カズイ スティークとして、 嵩銭 名手 の ﹁・ 宙ミ 咄 0 コ %0%p0-o め @o, つせ い つ の コ ︵の -@ め @ 轄ののⅠ イ Ⅰの弓杖 ゅヨゅぎおゴぃ 下田 臣息 ・ @ コ - ヨペ ﹁∼。 め cha. ト ∼ ミ お曲ら。 め馬 ∼∼ め 0%ak ダ : 2 かの、 / 、のめ ト ︵の︵ Ud@ の, aU のの ぃ 汀 - つ むまさい 0 コ お S ︶のとりわけ第七節に学びたいと 思っている。 勿 論 、これはそのままの形で以下の論述に適用可能であ るわけではない。そこに、同時代の歴史的類例を探し 、それを参考 し なければならなくなる理由がある。しかし、このこと は 、以下の論述が全体として本質的には歴史性より 理 論 ︵類型︶性を 志向するものであるという基本性格を少しも変えるも のではない。編集史的方法が各福音書記者の生と思想 を 個性化的に 抽 出する歴史的方法であることに 較 らべれば、伝承史的 ・様式史的方法が当初から類型的方法であること、 ま た 、そうであら ざるを得ないことは当然である。しかし、特定の伝承 を 伝承史的・様式史的に分析すると一口に云っても、 その伝承を同時 17 ( ㏄ 3)

(19)

(564) 18

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(20)

ハネ福音書におけ る 「しるし資料」 つまり伝承の比較的に若い層において初めて行われて くるものであることを確認しておくことが重要である ︵ け ︶この法則との関連でわ・ロ目︵ ヨヰ 二戸 Q.a.O こダ ㏄ 肚 Ⅰ 、およびそこに引用された 由 ㌧ め ︵の︵ 貫ノ田 Ⅰ㎏馬市 0 Ⅱ ,のぴキ 曲目 斡 の二円つい ウ 臼こ 何を参照せよ。 ︵ M ︶この修正的補完の正当さほついては後詰 を ︵㏄︶ 参 臆 せよ。 ︵㎎︶ ニ ・ し 子の岳屈 め , Q.Q.0..908, め ㏄ P 彼の云う ,之 0 セ の = の寺が、また、 R. プルトマンの, 毛仁コ 宙の﹁㏄㏄のり プ ざア富ミ もそのまま の 理念型的な形においては現実に見出されないのは 当 然 なのであって、それを指摘しても︵例えば、 木 ハハハ イ @@@q ︵ @@ ミ 由 り 、も b@@@ ヨ ハ % Ⅹも 雨 Ⅰ 日駄め悪 Ⅰ きキハ ⅠⅠ 討悪吃壷史 Ⅰ㌢ 帽 0 缶 ミ き " 審 立コ。 牡 0 コ ト の き ・の・主で 駐 ︶、様式史的方法を批判したことにはなら ︵㏄︶後述二三頁参照。 ︵ ね ︶ 上註 ㈲に言及した例会での佐竹明に よ る指摘 で ある 0 ただ、この本文の場合には一二節 b の存在が問 頭 になる。田川 建 三 、同マルコ福音書上巻目新教出版社、一九七二年刊、 一 三四頁以下参照。しかし、 旨 ・ し ぎの二口 ゅ ・ Q.Q.0 :の おりに注意 せ よ 。 ︵ 花 ︶ わ ・け田︵日当 タ Q.a.O :の・ い頷 ・但し 、 彼はル力 一 七・一一 f 一九にマルコ一・四 0? 四五が下敷になって い ると 看敵 す。 私 はこれを説得的だと思わない。祭司のもとでの治癒 証 明 という共通の動機は、パレスチナ ユ ダ々教における 実際の歴史的矢 件を各々独立に反映するものとして十分に説明可能で ある。その他、田川建三、前掲 書と耳宙お 二 % 釜ミめ ∼ 際憶ざ馬づ Ⅰ 悪 Ⅰ∼ Ⅱ お日岸 ﹁ 帳こ Ⅱつの見解に対する批判は、荒井 献 、前 掲書 八五 ! 九 0 頁を参照せよ。 ︵ 為 ︶の・㏄ % 安 PQ.n.O ::︶㏄ 日 逆に木・Ⅹ 浅活俺タ " ト 0 :ダトきが、奇跡物語伝承にとってはキリスト 払 琳的 関心が当初から 構成的関心であったと主張するのは、全く当を得ない ︵ 笏 ︶マタイ一一・二六イルカセ・一八 ? 二三 0 ここで は 、奇跡は終末論から解釈される。碑の。 汀俺 ・ Q. むむ い も ぺ 悪 い 苛令父帝 目い も へド い va 鍵笘 漱ぎさ・い な ﹁ @c 甘 おお・ s. ぎ 日参照。最近、 の 円 オゑ め の コ ・ トト ⅠもさⅠ へ侮 まへ 色オいヨ 悪さも 宙ベ め心切り討 へ 0 む 叩 ㏄ さ ・の 曲 円のⅠ 匹 0 ゴト のⅡ ト ・の・ い Ⅱ㏄ @ お い は、奇跡の終末論的黙示文学的理解がイェス そ の人のものであったと考え、あらゆる終末論的要素が 欠ける多くの 奇 酢物語伝承は、イェス自らそのような奇跡理解と、 そ れを伝えることは伝承の大衆化として位置付けている 。荒井 献 、前 掲 言は単に奇跡物語伝承についてのみならず、 害話伝 率に ついても、終末論的意味付け一般をこ は よる二次的な解釈 と看徴 す︵ 一 0 一 、一二四︵一嵩 セ頁 ︶。更に後詰㈹参照。 ︵ 10 ︶これは、 上註 ㈲の 例ム 二での八木誠一による指摘で ある。その際、私は同時に、この原型に認められる 御 利益宗教的パターⅠ 9

(21)

ンは 、特定の社会層の ヱ ートスをというより、﹁ 人 問の 舵ぎ笘ぎコ ﹂を映すものと考える ぺ ぎではないかとの 指摘を受けた。 第一の指摘については以下の論述で答えようと思う。 第二のそれについては、とりわけ ラピ 層の癒の奇跡 付 為に対する否定 2 的 応答︵後述︶を考慮すると き 、やはり﹁人間の臼︵ け目ざ ニ へと一般化するのには賛成できない。奇跡 物 語 伝承が社会唐櫛︵ 上の拘束を受けた伝承であるとの G. タイセンの主張 ︵ Q.Q.0 :の・ ミべ ! い簗 ︶は正当と思われる。 ︵ uv ︶とりわけライ病人の儀礼的遮断についてば ま ・﹁・の ︵Ⅰが。 岸 l づ・ 巾宙 -e Ⅱ ヴの 0 岸 , 糠ハ 0 ま さ寅ざ叩い Ⅱ ぃ悪き毛矢な Q さ Ⅰも 句ト Ⅰ ま矢ま叶 Q 悪の円 卑も Ⅰ ま ヘ円 悪お 目や ミ もⅩⅠ め 0%. ン ミむ 臣 。 ゴ 0 コト のいの,口口・Ⅰ・の鼻のⅠダウト の ︵・ め ︶ ミニ吋田か蕊 s. べ 鼻の 1 つ む 参照。 ︵ 四 ︶ ナ ・Ⅰ・の 宙 pn 下 ㌧・めぎ め ﹁ ヴの nF. ド 90 : け &.P. の・ りウ Ⅰ 、 のの・ づ ・ づ宙ヴ碇 ・Ⅰ ぼへ Ⅰ㏄ 0 ミぃ き コミ さ も。Ⅰめ志 侮ぃ笘 洋才 ヰ馬 Ⅹもい印Ⅰ 0% トへめヰ Ⅰ ま ㏄ 求笘 @ 色 寸心Ⅹ いめ ∼∼Ⅰ∼∼ め ﹁ め,円 む む @ コ 内の コ Pg ︶ 拝ア ト つ ︵・参照。 ︵ 00 ︶ 由 ・Ⅰ・の 帝 おヰ。㌧・ 田 二の﹁ ヴ毬ガ ・ ド Ⅰ Q :㌢りき・ オ ・㏄ 三 ︵ 日 レコ ミ Q. やペ ソ: ダい りヰ ダワ弓ピ ㏄ま り a.Q. ヘ リ : P ㏄ 卜 参照。 ︵四︶例えば、の・ No の 幅ダ 0 Ⅰ∼Ⅰぎめ % め︵ っも ∼も悪き︵ っ ㌧ 悪 no ドミきま Ⅰさまめも ド @ や 叶っⅠ悪き 由ミ Ⅰ ドさ ノ % だ切 馬も㏄ 0 つ %@ もさっべ い ∼ ドト Ⅰ ド 晦ぬ憶 い寅 つもいさ㌔ まド " ㌧ 0 日ト㏄ ト Ⅰ︵之のトネ 巨 0 ガ ロ の もぃ 売卜の っ の︶に収録された 断 片 三三八 C ︵ 毛 ・ づヨ - 木っ ㌧∼ @ め ぃ下 e の﹁ a まきⅠ 蔑 タト ぃち Ⅱ @ ㎏日のⅡ つ -, の ・いのⅠ に 収録︶参照。 ︵㏄︶原型がそれ自体すでにひとつの類型てあったとす れば、それは歴史のイェスの生を直接伝えるものでは あり得ない。 イェ

掲書 、九 Of 九四、一 0 三頁によれば、イニスは そ のような理解に 即応する仕方﹂で﹁振舞﹂ったのである。 ︵ れ ︶ E. トロ クメ については私は目下、次の文献を挙 げる準備しかない。 由円 ﹁ on ヨ 押 / 悪弍 めき圭もめⅠ﹁ ぬ ∼ 下 ・之の屈りす ゆお - ドの Ⅱ こ やトト ト @ トト ト ? トぎ ・田川建三については、前掲書の他に 、 コ原始キリスト教 史 の 一 断面 L 動 草書房、一九六八 年刊︵特に三 0 一 、三一一頁以下︶等。 以下の論述で私は奇跡物語伝承がキリスト教化された 段階で付与される新しい機能のうち主要な二つとして 、説教︵ 護教 ︶ と 対外的伝道を取り上げ、それに対応する様式上の変 化を確かめるのであるが、この段階と癒の奇跡物語の 原型に代表され る 伝承の最古層との間には、なお解明されるべ き 伝承 段階が横たわる︵ 上註 ㈹の例会での佐竹明の指摘で あるⅠ本稿で 殆 んど取り扱われない類型である悪霊祓いの奇跡物語 0 位置付けをも含めて、現在の私にはこの点での十分 な 準備がない。 しかし、私は E. トロ クメと 田川建三の云う﹁民間 説 詰 ﹂をこの段階で考えたいと思っている 0 ﹁民間説話 ﹂への道は原型 から見れば、少なくとも口伝文学化の道であったろ う 。私はキリスト論化を含めてその理念型化を推進せし めた主要かつ 組

(22)

ハネ福音 重目 ナつ る 「しるし資料」

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︵ 佃

︶あるいは逆に、教会論の欠落がこの資料の機能が

対外的伝道にあったことを示唆するであろう。

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︶とりわけ、ヨち・

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︶ヨハネ福音書がその構成前に各々独立的にまとま

っていたいくつかの説教を採用しているという見解が

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(568) 22

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(24)

クリストフ・プルームハルト @C お ける 「神の国」 強く 、 深い。彼の生涯と思想を調べてゆくにつ ね 、一定の伝統的宗教信仰に徹すると同時に 、ま たそれをある意味で 突き抜けてゆくといった興味深い一個の宗教者 像 が現われてくる。彼は父祖から受け継いだ信仰 にあくまで忠実であ ろ う としたが、それはある意味では排他的な態 度 でもあり、その結果として、彼の世界は驚く程 狭小であったといえ る 。現に彼は個人的には隠者的なあり方を願って すらいた。それだけにこの突き抜けは極めて 純 度の高い宗教的論理 の自己展開を感じさせるのである。︵ 2 ︶ このような純一な思想の一貫性に由来する深さと 狭さとは、しかしながら、彼の思想が豊かでな かったことをいみ する訳ではない。強く彼の思想の刻印を受けた 人々のうち、ある者は彼にゼールゾルガー︵ 牧 会者︶の理想像をみ ︵トゥルナイゼン︶、ある者は一九世紀神学を乗 り こえる決定的な鍵を彼から受けとった︵バルト ︶。また別の人々は 広汎な大衆離反の状況下に宗教の危機が叫ばれ る二 0 世紀初頭のヨーロッパにおいて、体制的自 己 満足的な教会の体 23 (569) 思想の構造 @C い

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意 定 面

し た で た

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る と で こ を あ と つ る は け 。 い

加 た

ぅ え だ ま て 、 で お こ も

/

|| 質を根本的に転換し、マルクシズムからむしろ 摂取しつつ﹁労働大衆の側に立つキリスト教しと いう展望を持ちつつ 4 あった時、他ならぬブルームハルトをその根本 的姿勢において見倣ったのであった︵ クッ ター、 ラガツり 。これらの 事実は 、 彼の内包の豊かさを遺憾なく物語るも のといえよう。こうして彼は意図せずして、弁証 法 神学︵ 前 二者︶の ぴ 土壌となり、またスイス宗教社会主義︵後二者︶ ここでは、このような彼の思想 | それは一口でい うなら﹁神の国 し 思想であるが1 0 全貌を描く ことが目的ではな い 。その思想が社会思想的性格を帯びつつ最も尖 鈍化した一時期︵一八九六 | 一九 00 年 ︶を と らえて、そこでの 思 想 構造を明かにしてみたい。︵ 4 ︶その時期は 、 彼は 次第に政治社会への関心を深め、遂には社会民主 党員となり、また ヴ ュ ルテンベルグ 州 議員となる。ピエティスト・ 牧 師から社会主義者・政治家に変身するのである 。周囲は彼に抗議 し 、宗務当局は彼を牧師職から追放した。しか しそこには彼なりの信仰思想の 、 先にのべたよう な一貫性があった と 思われる。否、むしろ彼は神に従った結果とし て| ただそれだけのために 。 そ う せざるをえなか った 、と語るのであ ︵ 6@

をこのような行為へと促した動機づけの構造とし て担 えてみたい。 無

(26)

ノン ム ハルト

@

おける れは、真に神がいますなら、具体的な人間の悲 惨 ︵病苦︶を見逃される筈はない、ということで あり、神の支配はを れるの悲惨を排除しっ っ 、地上に実現される。 即 ち 、﹁神の国しは必ずや受肉しなければならな い、という確信であ る 。従ってこれは、世界に対する神の、絶対的 また現実的な主権の主張で

︶,

ああ Ot 0 このいわば古色 豊かな信仰が 、 新し いカ を伴って、また、彼岸的﹁神の国﹂︵天国︶ に 傾くある種の信仰者たちとの鋭い対立のうち に、両 フルームハル 25 (571) の

文 園

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一八四

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年春、彼の父が牧会する

南独

メットリノ

ゲンの教会で、

少女が﹁悪霊つき﹂となった

。常識では説明示

可能なミステリーが次々と少女の身に起り、

会は一種のパニック状態に陥りかけていた。当時

、父

ブルームハルト

教会の沈滞に悩んでおり、この事件は彼には

サタンの最終的挑戦と感ぜられた。そこで彼は

歩もひ

けぬ

とばかり

これを受けて立った。彼はこの少女が解放される

ことに、彼自身と彼の教会の解放をかけたので

ある。そして、二年

にわたる困難極まりない戦いの

、遂に勝利

訪れる。﹁イエスは勝利者

﹂という絶叫を残

して悪霊は少女を去

り、

神の支配︵

H

﹁神の国﹂︶が出現したのであ

"

これに続いて同様の奇蹟的治癒が次々と行わ

、ヨーロッパ各地

から人々がおしよせて、メットリンゲン︵後に

バート・ボル︶を信仰復興の地として有名にす

るのである。

「神の国」, 鼠 想の構造 験 とは、俗にい 口 信仰治癒︵いやし︶の体験で あり、それを彼は﹁神の国の受肉﹂として理解し ている。︵ 7

﹁神の国﹂は一九世紀の所謂文化的プロテスタン ト 0 合言葉であった。しかしブルームハルトに おいては、この 言 葉は、 彼の父に始まる特異な﹁神の国﹂の体験 に 根ざす、強烈な現実感を伴 う 独自の意味内容を 持っている。その 体

参照

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