﹃
入
阿
見
達
磨
論
﹄
に説かれる四有為相
武
宏
道
田
はじめに
r入阿見it勝論』に説かれる四イit.)相 ﹃人阿見達磨諭﹄は、漢訳によれば情入の著であり、諸法を、有為法については色・受・怨・行・識の五に分 け、無為法は虚空無為・択減無為・非択減無為の三に分けて、八句執を立てて、それに沿って順次、それらを説 明する。しかし、このような諸法の分類は、六足論や﹃発知日論﹄﹃婆沙諭﹄や﹃阿毘曇心論﹄系の論書、および それを踏襲した﹃倶舎論﹄﹃順正理論﹄などには説かれないから、本論と﹃倶舎諭﹄﹃順正理論﹄との成立の先後 を合めて、本論が有部内でどのように枚出づけられるのか、ということについては、判然としない而がある。 全体を通読すると、上巻に説かれる色・受・想と上巻から下巻の初めに説かれる心相応行との説明は、上掲の アビダルマ諸論書の説明の域をでず、説明も簡略で、有部教学の用語説明ないし綱要書的なものであり、特記す べきことが多くあるとは芯われない。しかし、心不相応行については、得・非得がこれまでの心所法などの説明 かなり詳しく説明され、いま取り上げる問有為相も上掲のアピダルマ諸論書とは異なる形の説明が に 比 べ る と 、 されることもある。その理由については、得・非得や四有為相は、有部教学のうえでは要になる法であり、有部 の説く心心所の相応・繋縛や断惑およぴ法有論や三世における諸法の生滅などにふかく関わり、有部教学の特有 の理論をもっ法であるから、著者が布部の教学を理解するうえで大切な項目として、これらを詳説したのではないかと忠われる。 説一切有部では、法体が恒有であると考え、これに基づいて三世にわたる諸法の生滅を説く。この場合、三世 において諸法を生滅させるものは四有為相であり、その三世にわたる生滅の中核になるものは、三世に恒存する 法体である。したがって、法体恒有であることが基になり、それに四有為相がはたらくことによって諸法の生滅 四有為相は、有部の主張する法体恒有に基づく諸法の生滅を支える重要な が可能になる、 という点からすると、 r人阿見達謄論』に説かれる問有為相 柱になっている。 そこで、本稿では、﹃入阿毘達磨論﹄に説かれる四有為相を考察し、﹃婆沙論﹄﹃倶舎論﹄﹃順正理論﹄などの所 説と比較しながら、それらとの共通点や、また﹃入阿昆達磨論﹄の独自な説明などを指摘し、それらを基にして ﹃入附見違謄論﹄の著作の怠凶や位置づけをすこしでも解明できれば、という思いを込めて、以下の論考を進め ② る。なお、﹃婆沙論﹄に説かれる凹相説や諸論書に説かれる凹相の定義については以前に論究したことがある。 ここでは、﹃入阿昆達磨論﹄を軸にして、四相について考察する。 ﹃入阿昆達磨論﹄における四有為相の説明は、まず、四相の各々について例別に説き、 異滅させて有為法たらしめる四相のはたらきを説き、最後に、凶相を有為法たらしめる法としての随相をとりあ げて、本相・随相の関係などについて言及する、という形で進められる。その日次はつぎの通りである。 巳 個 別 の 説 明 ② は チ ベ ッ ト 訳 北 京 版 、 ③ は 玄 突 訳 、 各 々 の 該 当 す る 冒 頭 の 箇 所 を 示 す ついで、有為法を生住 宮 生 相 定 住 相 己 正 叙 ⑤ 台 N E @ 九 八 七 中 広 忠実有一証明⑤色Ng③九八七中NC 己正叙⑤SMg③九八七中Nω 忠 実 有 証 明 ⑤ 白 N Z ③ 九 八 七 中 区 σ ω 昇 、 相 己正叙②品目N弓③九八七中・ミ 忠実有証明⑤色Nミ③九八七中ω∞ 玄滅相 己正叙@2Nσ∞③九八七下N 忠実有証明@白ω包③九八七下血
ω N 有為法を生住異滅させる凶としての問相
E
四相は有為法を生住異滅させて有為法ならしめる ⑤合 ω 丘 ③ 九 八 七 下 印 定三相説への弁明σ
ω
本法と四相とは体が異なる @ 白 ω 匙 ③ 九 八 七 下 吋 ⑤色 ω 忠 ③ 九 八 七 下 呂 ω ω 本相と随相 宮 正 叙⑦
土
ω怠 ③ 九 八 七 下 回 ω r入阿見逮隣論aにm
かれる問有為相σ N
無 窮 の 難 を 遮 す ・ ・ ・ ・ ・ ・ 本 相 と 随 相 と は 相 互 に 他 方 に 対 し て は た ら く 己総説 ⑤合 ω ω 吋③九八七下広 ⑤ 企 ω 見 ③ 九 八 七 下 目。
N 詳説- 3一
⑦ 色ωE@
九 八 七 下 回 申。
ω本法と本相と随相との依存関係 之本相・随相の具体的な作用 ③九八七下包 以-
f
﹂ れ に 沿 っ て ﹁ 生 相 L 、二﹁住相﹂、三﹁異相﹂、四﹁滅相﹂、五コニ相説への弁明﹂、六﹁本法と四 の順で論を進める。なお、本稿で用いる略号などは本文の末に掲げる。 相 と の 同 異 ﹂ 、 七﹁本相と随相﹂生
相 有為法の生じる因には外因と内附とがあることを﹃入阿昆達磨論﹄はつぎのように説く。 と 法の生じる閃(叶m q
c )
は二であり、︹白法のみにはたらく訟hh
︺ 内 支 ( ロg
m
m
主
g z
m )
︹他法にもはたらく匂K E
︺外支(喜三苫ロE
m
)
とである。このなか、内支とは生︹相︺である。外 ︿ チ ベ ッ ト 訳 ﹀支とは︹六︺因(円
m v
己)と︹四︺縁(円W
3
ロ ) と で あ る 。 ( 白N
E
1
印 ) ︿玄英訳﹀謂はく、法の生ずる凶に総じて二種有り。一に内︹凶︺、二に外︹因︺なり。内︹悶︺は諮はく 生相なり。外︹附︺は柑はく六同、或いは四緑の性なり。(九八七中巴1 8
)
このなか、外附すなわち外支は、他法の生起する附にもなり、不特定多数の法に対し疋も川になる共通閃であり、 ③ 具体的にはムハ凶・問縁である。一方、内附すなわち内支は特定の内法に対してのみはたらき、他法に対してはは ④ たらきかけない困であり、 r入阿見遣m
論』に説かれる四有為相 それは生相である。これと同じようなことが、﹃順正理論﹄に、生相が近因となって その場合も、内なる白法の前生の自類因や外縁の助けが必要であ旬、と説かれる。 そして、﹃入阿昆達磨論﹄はこれを踏まえて、生相のはたらきをつぎのように説く。 ︿チベット訳﹀生︹相︺(
ω
S
O
F
首己)は︹五殖のahh
︺法の生じる内支であり、︹法がそれ︺臼らの功 能(
S
ロm
m
山 口g
冨)を得ることの凶である。Z
H
N
E
)
︿玄奨訳﹀︹五菰のahh
︺論法の生ずる時、有る内凶の力が彼︹の諸法︺をして各別の功能を獲得せし む。即ち此の内同を説いて生相と名づく。(九八七中広1 5
)
有部の﹁法﹂の理論のうえからいえば、有為法が生起することは、未来世に在る法が現在世に落謝することであ る。そして、三世法は、未作用の状態の法が未来法、現に作用を起こしている状態の法が現在法、すでに作用を 起こし終えた状態の法が過去法である。したがって、生相が有為法を生起させるということは、未だ作用を起こ ⑥ していない未米法を現在に引き、その法に作用を起こさせることである。そこで﹃入阿昆達磨論﹄は、そのこと を、法がそれ白らの功能を得ることである、とし、そのための困になるものが生相である、と説く。この場合、 ⑦ ﹁臼らの功能を得る﹂とは、例えば、阪識が色境を了別する等、法がれらのはたらきを発抑することである。 こ れ に 対 し て 、 ﹃ 順 正 理 論 ﹄ ﹃ 顕 宗 論 ﹄ は 、 有 為 法 が 生 じ る が 、 つ ぎ の よ う に ・ 説 き む が 少 し 異 な る 。生︹相︺とは、制はく、別︹体︺有る法にして、日疋れ︹消︺行の生ずる伎にて︹諸行の生起を︺附ふるこ と無き勝因なり。︹生相は諸行を︺能く引摂し其れ(諸行)をして生ぜしむるに由るが故なり。 ﹃ 順 正 即 長 川 ﹄ 附
O
五 下 品 l 印 、 ﹃ 顕 宗 論 ﹄ 八O
八 下 印 l 吋 ) そして、﹁引摂﹂についてつぎのように説明する。 ﹁能く引摂す﹂とは、謂はく、彼︹の諸行︺の生ずる時に此の法︹生相︺ ③ 縁の性と為ることなり。(﹃順正理論﹄四O
五 下 町 I 白 、 ﹃ 顕 宗 論 ﹄ 八O
八 下 吋 l ∞ ) が能く彼︹の諸行の生起︺ 。〉 勝 r入Jilr毘連謄諭J,二説かれる四有為相 すなわち、生相は、或る法が生じるときにその法を未来世から引いて現在世に生じさせるから諸法の生じるこ とを妨げないという勝れた閃である。続いて、﹁障ふること無き勝閃﹂について、 諸行の起こることは背な生と名づくることを得といへども、然れども、此の生︹相︺の名は但だ、行の生 ⑨ ずる位にて︹諸行の生起を︺陣ふること無き勝因に依りて、而も立つ。5
-( ﹃ 順 正 明 論 ﹄ 凹O
五 下 ∞ 1 吋 、 ﹃ 顕 宗 論 ﹄ 八O
八 下 ∞ l U ) と説く。すなわち、生相はとくに法の生じる際に、その生起を妨げないという点で勝れた凶であることによって と 説 く 。 生 相 を 立 て る 、 ⑪ この中、勝縁は、﹃安慧釈﹄によれば、主縁の意である。ここには、生相は諸行の生起することに対して中心 的役割を果たす主縁であり、かっ、その役割を果たすだけの力をそなえた勝れた図でもある、と説かれ旬。 このような考え方は﹃婆沙諭﹄にも、例えば、女性が出産するときに、当の女性以外に助産婦などの補助があ といわれるように、法についても、四相以外の諸因縁はただ補助す と説か向、生相を主因と考える説が説かれる。また、勝縁に って子供は生まれるが、母親が子供を産む、 るのみであるから、生相がこの法を生じると言、フ、 ついても、覚天説として、例えば、絵を描くときには絵筆・紙なども必要であるが、描くときの勝れた図は描く当人であるから、彼れを作者とするように、諸法の生じるときには生相が勝れた因になるから、生相が法を生じ ⑬ る、ということが説かれる。 いずれも しかし、法を現在世に落謝させて法が自らの功能を発揮することであるにせよ、勝凶になるにせよ、 生相が有為法の生起の中心的役割を担っていることを認める点では、﹃入阿毘達磨論﹄﹃順正理論﹄も大筋では一 致 す る 。 r入阿昆達磨論』に説かれる四有為相l また、生相が存在しないならば、 と﹃入阿見達磨諭﹄は説く。 つぎのように、有為の生じない過失や無為が生じることになる過失がある、 ︿チベット訳﹀こ︹の生相︺が無いならば、諸々︹の因縁旬、広︺の外支が活動し
(
σ
許 可
o e
︹ 存 在 し 訟﹄﹄︺ても、虚空の︹生じない︺ように、︹有為︺法が生じなくな︹るという、有為不生の過失に陥︺り、 また虚空なども有為︹性︺になるという︹無為可生滅の︺過失に陥るであろう。(合NEES ︿玄奨訳﹀若し生相無くんば、諸有為法は、応に、虚空等の如く、外の因縁を具すといへども、亦た生ず る義無かるべし、或いは、応に虚空等も、亦た可生の義有りて、有為の性を成ずべし。是︹くの如き、有為 不生・無為可生の︺大過失あり。此れに由るが故に、別に生相有ることを知る。(九八七中 . 8 I N ω ) すなわち、生相が存在しないならば、外因を有していても生じることのない虚空のように、有為法も生じないこ と(有為法不生の過失)になる、あるいは、生相無くして有為法が生じるならば、生相の無い慮空も生じること ( 無 為 可 生 の 過 失 ) に な る 。ニ.住 相 住相について﹃入阿昆達磨論﹄は、 ︿ チ ベ ッ ト 訳 ﹀ 住︹相︺は、︹有為法が自体とは︺別な果を引く(ぜぽロ回出)ときに、︹この本法が現在に︺ 住していることの因である。
(
2
8
a
)
r 入戸[毘連騰論』に説かれる四有為~n ︿ 玄 突 訳 ﹀ ︹本法が︺能く別の果を引き、暫時、 ︹本法が︺住する因を、説いて住相と名づく。 九八七中自らと と説く。この所説は、有為法が呆を引くことができるのは法が住しているときである、ということが前提になっ ている。そこで、住相は、有為法が暫く住して果を引くときの図である、と説かれる。そして、このことを次の ように言い換える。- 7一
︿ チ ベ ッ ト 訳 ﹀ すなわち、︹有為︺法は︹現在に︺住しているときには、別な果を引くことが可能になる。 それゆえ、或るものの力によって果を引く本法があるとき、こ︹の或るもの︺ が 住 ︹ 相 ︺( m
g ω
冨 ・
2
喜 一
)
といわれる 0 2 5 g 1 3 ︿ 玄 奨 訳 ﹀ 謂はく、有為法は暫く住する時に於いて、各々 ︹の法︺に有る勢力が ︹ 本 法 を し て ︺ 能 く 別 の 果を引かしめ、暫時、住せしむ。此の、別の呆を引かしむる勢力なる内因を説いて住相と名づく。 ( 九 八 七 中 立t g
)
すなわち、有為法が暫時、住して別の果を引くのは、住相がはたらくからである。 有為法を暫時、住させて、有為法に別の果を引かせるのである。 いいかえれば、住相の勢力が『人削見通l札:命』伝説かれる 11叫ï~j初| 心付為法は}一利郎のあいだ材住して、その間に各自の等流果を引く。その場合、法を現在世に間住させて、法に 果を引かせるはたらきをするものが住相である。例えば、色法は現在に生じ、瞥く印刷住してれの来を取り、心法 は羽在に生じて
W
く間住して、れの所縁を取るように、各々の法には、法を暫住させて法にれの巣を引かせる勢 力がある、この勢力が住初である。これと附意のことが﹃婆沙諭﹄巻三九にも説かれ旬。 したがって、有為法が住している時に果を引く場合、その果を引くことの主たる附、あるいは住することの主 たる凶が住相である。単に住することは消極的な状態であるが、そこに引果のはたらきを付与することによって、 住相のはたらきがより.顕著に示される。このことは﹃顕宗論﹄にも、 別なる法にして、諸行の引果の作川を陣ふること無き近囚に能く為るもの有り。対法諸師は此れを説いて 住︹相︺と為す。(八O
九 上 回 lN 。 ﹃ 順 正 理 論 ﹄ 不 説 ) と明瞭に説かれる。 また、続いて、同様なことが住相の実有を証明する筒所でも、﹃入阿見達磨諭﹄は、 ︿チベット訳﹀それが無いならば、︹有為法が果を︺引かないであろう(ぜF
8
3
吋 ヨ 一
. m
可R
g
)
。 ( 白8
3
⑮ ︿玄奨訳﹀若し住相無くんば、諸有為法は暫く住する時に於いて、応に、更に別なる果を引施すること能 はず。此れに巾るが故に、別なる住相有ることを知る。(九八七中8
1
N
吋 ) と説く。すなわち、住相が存悲しな、いならば、有為法が暫住するとき、後の等流果を引き与えることがなくなる であろう。そうすると、因果の連鎖によって相続していく心心所などが相続しなくなるであろう。 ﹃順正理論﹄﹃顕宗論﹄にも、﹃入阿見達磨諭﹄の所説と同意のことが、つぎのように説かれる。 住︹相︺とは、謂はく、別法にして、是れ己に生じて未だ壊せざる諸行にある、' H
果を引くことを陣ふる ⑬ こと無き勝困なり。(﹃順正理論﹄四O
五 下 吋 l 由 、 ﹃ 顕 宗 論 ﹄ 八O
八 下 N H t N N )このなか、﹁巳に生じて未だ壊せざる諸行﹂とは、過去に落謝しないで住している諸行ということである。
一
.
異
本
目
異相について ﹃入阿見達磨論﹄はつぎのように説く。 『入阿昆述構論』に説かれる四fi為-1'11 老 ︹ 相 ︺ ( 己m
m
)
g
)
は ( 間 口 。 仏 ℃ 巴 お ヨ 乙 で あ る 。 ( h H 8 3 ︿ 玄 突 訳 v 老とは、謂はく、︹別の︺果を引く︹本法の︺功能を哀損して、其︹の本法︺をして重ねて別の ︿ チ ベ ッ ト 訳 ﹀ ︹さらに︺第二の果を引く功能(ぜy
g
ロ ロ ω 司釦)を衰損する因 果を引くこと能はざらしむるものなり。(九八七中ミ lN ∞ ) すなわち、老相すなわち異相は、住相にある引果の功能を衰えさせて、法がさらに別な果を引くことができない ようにする法である。なお、﹃入阿毘達磨諭﹄玄奨訳の﹁老﹂あるいは﹁異相﹂はチベット訳では己m m
j a
g
で あ るが、﹃入論広註﹄では吋哲σ
ω
で あ り 、 ﹃ 倶 畠 口 論 ﹄ で も 円 悶 釦σ
P
U
B
-玄奨訳﹁異﹂、真諦訳﹁老﹂であ旬。 このはたらきは、続いて異相の実有を証明するなかにつぎのように詳しく説かれる。 ︿チベット訳﹀もし或る法が果を引く功能のある場合、そ︹の功能︺を表損する困が無いならば、この法 は︹第二・第三などの︺多くの果を引くことができることになるであろ、 7 09
-このようであるならば ︹第二の果なども引いて多利郎に住して、有為法は︺利那減 ( ω } 内 包 問 。 一m
E
)
で ないことになるであろう。(色与ア∞) 認はく、有為法は、若し功能を衰損する異相無くんば(若無異相衰損功能)、何に縁りてか、別 ⑬ の果を引き巳りて更に亦た重ねて ︿ 玄 奨 訳 ﹀ ︹果を︺引くこと能はざらん。r入阿見違1ff31命J,..:説かれるI'q{i為相 ︹本法が別の山本を︺引きて而も復た︹重ねて第二等の果を︺引かば、応に無窮と成るべし。若し.爾らば、
X
た、応に︹法は︺利郎性に非ざるべし。此れに山るが故に、別に異相有ることを知る。(九八七中 ω∞
1 下 N ) すなわち、果を引くことを衰えさせる異相がないならば、住相が更に第二・第三などの果を引いて、無窮に果が 生じていくことになる。また、無窮に果を引けば、有為法は現在にあって果を引き続けていくから、有為法が利 郎減であることに反する。それゆえ、異相があって、何度も何度も果を引くことを不可能にする。 これに対して、﹃順正埋論﹄﹃顕宗論﹄は、 異︹相︺とは、部はく、別なる法にして、是れ︹一切の⑮︺行の︹白類の⑮︺相続において後︹の行︺を ⑬ 前︹の行︺と異ならしむる附なり。(﹃順正理論﹄四O
五 下 旬 、 ﹃ 顕 宗 論 ﹄ 八O
九 上 N t ω ) と説き、また、続いて﹃顕宗論﹄ば、有為法が前後において異なるのは異相によるからである、と説旬。ここに は、同類凶等流果の因果の連鎖によって相続していくなかで、前のものが後のものを引くとき、両者を異ならせ るものは異相である、としか説かれず、はたらきについて具体的には説かれない。しかし、後には、白果を引く 作川を哀出するものであることが説かれ旬。 @ ﹃婆沙論﹄では、罪、相は有為法を破壊させるのか、あるいは、転変させるのか、という問いに対して、両者い ずれでもない、とし、異相についてつぎのように説く。 然るに、︹異相は︺諸行の作用をして損敗せしめ、作用をして朽ちしむるが故に、作用は巌弱し、作用は 衰庫し、作用は慢緩す。故に異相と名づく。(二O
一 下 立 I N a ) ここでは、作川を衰えさせる等のはたらきをするのが、昇、相であるとしか説かれず。この作用がいかなるはたら きをするのか という具体的なことは説かれない。四 j
威
相 滅相について﹃入阿見達機論﹄はつぎのように説︿。 r入阿毘達磨論』に説かれる四布為相l 滅 ︹ 相 ︺(
B
目 立ω
阿 古ω
ロ三島)は︹引山本の功能を︺哀損させる︹異相の︺功能︹をもっ呪在 法︺を過去︹世︺に落謝させる肉(戸g
-u
R
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克 己3
4
認可ロ)である。或る法が︹有為法を︺現在から遷移 ( ω 唱 。 ω ロ ω ω ) 過去に格謝させるときのこの法が、まさしくこの滅︹相︺である。(色N g
l t
U H
)
︿ チ ベ ッ ト 訳 ﹀ させて ︿ 玄 突 訳 ﹀ 無常とは、請はく、︹引果の︺功能の損し己れる現在法をして過去に入れしむる困なり。謂はく、 @ ︹此の困なる︺有る別なる法を名づけて滅相と為し、︹此れは、本法をして︺現在より過去世に堕せしむ。 -11一
( 九 八 七 下 ? と すなわち、異相によって引果の功能の衰えている現在法を、減して過去に落謝させるはたらきをもっ法、これが 滅相である。なお、﹃入阿昆達磨論﹄玄突訳はヨご・g
m
古山口三己を﹁無常﹂と訳すが、﹃倶舎論﹄玄奨訳は @m
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4
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一 円g
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ミ正を﹁滅﹂と訳し、真諦訳は﹁無常﹂と訳す。そして、﹃入阿毘達磨論﹄は、 ︿ チ ベ ッ ト 訳 ﹀ こ ︹ の 滅 相 ︺ そ し て 、 が無いならば ︹有為︺法は滅すること がないことになり (以一向℃何回) 虚空など︹の無為法︺も滅することになるであろう。(色 ω巳
)
︿ 玄 笑 訳 ﹀ 此︹の滅相︺若し無くんば、 ︹有為︺法は応に減せざるべし。或いは、虚空等にも亦た滅する義 有 る べ し 。 ( 九 八 七 下Tg
と説く。すなわち、滅相が存在しないならば、有為法が過去に務謝しないことになる。あるいは、滅相無くして 有為法が滅するならば、滅相の無い虚空でも滅することになる。一方、﹃順正理論﹄はつぎのように説く。 減︹相︺とは、謂はく、別なる法にして、是れ倶生せる行の @ き @ ︺ 勝 因 な り 。 ( ﹃ 順 正 理 論 ﹄ 四
O
五 下 由1
5
。 ﹃ 顕 宗 論 ﹄ に も 略 々 同 文 が 説 か れ る 八O
九 上 吋l
g
︹念念に⑮︺滅壊する︹ことを磁ふること無 また、﹃婆沙論﹄には次のように説かれる。 ︹有為法の︺体が是れ無常法なりといへども若し無常相と合すること無くんば、則ち減す可からず。故に、 彼︹の有為法︺の滅する時は、無常︹相︺と合するに出るといふべし。無常︹相︺は口疋れ彼︹の有為法︺が r入11可処述情論』に説かれる四有為相 滅する勝因なるが故なり。可生法の生肉が能生︹の生相︺なるが如く、此れ(鉱山常相)も亦た是くの如し。 ( 二O
三 上
エ ー
ロ )
このように、﹃順正理論﹄﹃婆沙諭﹄には、諸行は異相がはたらくことによって滅する、と説かれる。 五 .三相説への弁明
上記のように、有部では凹相が有為法を生住異減させると説く。しかし、経には、有為相について、 ︿チベット訳﹀諸比丘よ、これら三は諸有為︹法︺の有為相である、すなわち、有為︹法︺において生 @ ( ω -q o σ ω ) ・ 滅 ( ] 一 閃 匂 釦 ) ・ 住 異 ( 伺 ロ ω ω宮
関
与
自
己
c
.
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当 弓 σ ω ) も明らかである。(色 ω ω N I ω ) 三の、有為︹法︺の有為相有り。有為の起も亦た了知す可し。 M A 、 と 及 ぴ 住 胤 ハ も 亦 た 了 知 す 可 し 。 ︿ 玄 焚 訳 ﹀ ( 九 八 七 下 吋 l∞ )
と説かれ、住相を除く三和も説かれている。そこで、この三相しか説かれない川町山について、﹃入阿見迷・肘諭恒 は つ ぎ の よ う に 説 く 。住はこ︹の耽︺において︹有怖を︺教化するために @ ︹有備が︺生に貧者しないために(ヨ
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芝、世尊が、士 H 祥 女 ( 品 目)
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︿ チ ベ ッ ト 訳 ﹀ ( 戸 己σ
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一 喜 三 ﹃ ) 、 す な わ ちs
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とを合わせて︹吉祥里山耳女と説くの︺と同様に、住( m
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唱. 0 m ω
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と を 合 わ せ て 、 一 つ に ま と め て 、 ︹ 経 中 に ︺ ﹁ 住 異 ( 関 口 州 訪 問) ω
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出 口 仏 ロ. m
可 己 一 ﹁σ
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ごと説かれた025&
ー と ︿玄奨訳﹀所化の︹衆︺生が有為︹法︺を厭はんが為の故に、黒耳と吉祥とを倶︹に A 口 ︺ し て と︺示すが如く、住・異のニ相を合して、説いて一と為す。是の故に、定んで聞の有為相有り。 ︹ 黒 耳 吉 祥 r入阿見述If1誼J,ょ説かれる四有為相 ( 九 八 七 下 ∞1 5
)
すなわち、ここに説かれる﹁住異﹂は、住すなわち異であり、異相の異名であるから、ここには住相は説かれな い。その開山はつぎの通りである。有情は、住相が存在すると聞けば、その所住法も存在すると考えて、所住法 である有為法に安住し食持する。しかし、有為法は還流する法であり、厭うべきものである。それゆえ、有為法 に食著しないように、住川刊を単独にしないで、住異と説かれた。それは、読を為す六祥女と、般を為す旧日山.品女の 二天人は姉妹であり、品者は六祥K
を 愛 す る か ら 、 士 日 祥K
を版わせるために古作k
m
お 耳 女 と 合 説 し て 、 士 け 作 女 へ @ の愛を起こらせないようにするがごときである。この例は﹃婆沙論﹄巻三九にも説かれる。 ﹃倶舎論﹄では、無常である有為法を怖畏させるために、経に三の有為相が説かれる、と説き、﹃入阿見達・暦 @ 論﹄のように、有為法を厭わせるために住異を合わせて説く、という説は有余師説として説かれる。また、﹃順 @ でもこの経に説かれる三相説を全通しているが、﹃入阿毘達磨諭﹄のような所説は無い。 - 13ー 正 理 論 ﹄-' -ノ、
本法と四相との同異
@ 有為法は、川相によって生住界、滅させられるもの、すなわち所相であり、本法といわれる。そして、四相は生 『人 ~flr児連/ß;li命』に説かれる IILJ{.f ぬ制| 住異滅させるもの、すなわち能相である。なお、両者の党語およぴ諸訳は、﹃倶合論﹄では、E
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所 相 、E
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ロミ向島能相である。両者の同異について、﹃入阿昆達磨論﹄は、 これら︹凹有為相︺は︹色などのぬ区h
本︺法の体( n
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開 口 三 己 ) と な る の で は ︿ チ ベ ッ ト 訳 ﹀ なく︹本法とは別佃なものであるω
虫 ﹄ ︺ 。s u
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︿玄突訳﹀︹是れ四有為相は︺即ち所相なる有為法の体に非ず。(九八七下呂) と説き、両者は別個なものであるとする。そして、両者が同体であるならば、 ︿チベット訳﹀もし︹四相が本法の︺体となるならば、このことによって︹色などという︺所相(
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と諸々の能相とが別個でないように、同様に、諸︹能︺相︹の一一︺も相互に別でないこと になるであろう。(白 ω忠
l 印 ) 若し︹四有為相が︺即ち所相なる有為︹法︺の体ならば、所相の体と能相︹の体︺との一なる が如く、能相︹の一々の相︺も亦た、応に展転して異なること無かるべし。(九八七ドロム N ) という過失があると説く。すなわち、もし所相に即して問相があり、両者の体が別でないならば、所相と能相と ︿ 玄 焚 訳 ﹀ が一であるように、能相も一になり、 四相のおのおのが別々なものでないことになる。そして、 四相のおのおの が別例なものでないならば ︿ チ ベ ッ ト 訳 ﹀ そのようであるならば これがそのまま(含口三巴滅することになり、 ま た 生じること滅すること、これがそのまま生じることになるであろうし、そして、法はまったく生じないものになるであ ろ う ( ヨ 一
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山 、 ロ 吋 吋 O ) 。 ( 色 ω払 ふ ) 若し爾らば、消法の滅する時に応に生ずべし、︹或いは︺生ずる時に応に減すべし。或いは、 ︿ 玄 奨 訳 ﹀ 全 く生ぜざるなり。(九八七下ロム ω ) という過失があると説く。すなわち、 四相の体がそれぞれ別個でないならば、諸法の生じるときに滅することに なったり、あるいは、滅するときに生じることになったり、あるいは、諸法の生じることがなくなる等、 の結果 『入阿昆達l各論』に説かれる固有為相 ﹃ 顕 宗 論 ﹄ 巻 八 に も 、 所相︹法︺を離れて別に生等︹の相︺有りといへども、所相法と倶時にして而も起こりて、 一法が一時に を招くであろう。また、 ﹂のことについて 即ち生じ即ち住し即ち異なり即ち滅する過失無し。体の不同なるが如く、用に別有るが故なり。 F 同 υ ( 八O
九 下 回 a, ロ )
と説かれ旬。また、﹃順正理論﹄巻十三にも同様なことが説かれ旬。 ﹃婆沙論﹄巻三九は、本法と四相との同異について説き、両者は異なると説くが、 に説かれるようなことは説かれな刊。 そこには、﹃入阿昆達磨論﹄七.本相と随相
随相について、﹃入阿昆達磨論﹄は、 ︿ チ ベ ッ ト 訳 ﹀ ︹四本︺相についての随相(ユ22EPSB
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ロ 可 一 色 ) に も 四 が あ り 、 生 生 ︹ 相 ︺( ω }
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などといわれる、 と知るべきである 025 怠 1 3︿ 玄 焚 訳 ﹀ 此の四本相は、日疋れ有為なるが故に、所相︹なる本︺法︹に四本相︺
。
3 ︹ 有 る が ︺ 如 く 、 ︹ 各 々 に︺四随相有り。謂はく、生生︹相︺、 乃至、減滅︹相︺と名づくる︹随相︺なり。(九八七下ローに) と説く。すなわち、有為法を生住異滅させるのは四相であり、その四相も有為法であるから生住異滅する。この r入阿見j主購諭』に説かれる凹有為相 生相を生じさせるのは生生相である、等、本相を生住異滅させるのは、生生相・住住相・異臭相・滅滅相 の随相である。生住異滅させられる有為法は本法(吋門g
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根本法)、生住異滅させる四相 は 本 相 公g
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根本相)、本相を生住異減させるものは随相(ユ225Fg
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包宮)といわれる。 そして、随相を生じる等のために随相が必要になる等、無限にそれらを生じる等の凶が必要になり、無窮の過 ということについて、﹃入阿毘達磨論﹄は、 場 合 、 失に陥らないか、 これによって︹生生相にさらに生生生相がある等の︺無窮(
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になること はない。なぜならば、諸々の根本相(
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は八法に対してはたらき(ざ也、諸随相は各 ︿ チ ベ ッ ト 訳 ﹀ ︹自の本相の乙に対して︹はたらくから︺である。(台 ω見 ) た す ︿玄奨訳﹀然れども、無窮に非ず。四本相は各々、八法を相け、随相は唯だ能く各︹れの本相︺ た す の一を相 くるを以つての放なり。(九八七ド広1 5
)
と説き、さらに具体的につぎのように説明する。 ︿ チ ベ ッ ト 訳 ﹀ そのなか、生︹相︺は、自体を除いた八法の内支であり、 ︹八法各々が︺自らの能力を得る (生じる)附(包括包ロ5
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句
C ) である。すなわち、︹生相は︺似本法(同g
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と ︹住・老・無常性の︺三︹本︺相と四随相とに対して︹はたらくの︺である。ないし、無常性に至るまで、 同様に説かれる。すなわち︹無常性は︺自体を除いた八法の滅する凶守口何回目匂旬以日間吉凶認可ロ) で あ る 。生生︹相︺は生相
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口三円山)︹が功能を得ること︺について︹の凶︺であり、ないし、無常性無常性 ( ヨ 一 吋g m
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一 口 三 己 } 内 三 ヨ ごg
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宮口三己)も無常性︹相が功能を得ること)について︹の凶︺である。(品目 ω巳
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一{ 調はく、法の生ずる時、立ハの自体を井せて、九法が倶起す。︹即ち本法の︺自体を一と為すと、 ︹問本︺相と︹附︺随相との八なり。本相の中の止し︹相︺は、其の' H
体を除き、余の八法を生じ、随相の小 ︿ 玄 笑 訳 ﹀ 『入阿見遣購i治』に説かれる [JQ 有為~'11 の生︹相︺のみを生ず。︹随相は︺勢力の劣るが故なり。 住︹相︺・異︹相︺・滅相も応に、亦た.繭り、と知るべし。(九八七下5
1
5
)
すなわち、本相は八法に対して法の作用、すなわち引果の功能があり、随相は一法に対して功能がある。すなわ ち、或る法が生じる時、本相である生相は法と臼体を除いた住・異・滅の三相と四随相との計八法を生じ、随初 である生生相は生相の一法のみを生じ、これら九法が一利那に倶起する。他の住・異・減の本相、及ぴ、随相に ついても同様である。したがって、随相を生じるために、復た、随々相といわれるものが必要となるのではない - 17-の午一︹生相︺は、九法の内に於いて唯だ本︹相︺ か、という無窮の難は成立しない。 こ の こ と は 、 @ ヲ 匂 。 ﹃婆沙諭﹄巻三九では昆婆沙師説として説かれ、﹃倶合論﹄﹃順正理論﹄でも同様なことが説かれ そして、本法と本相と随相との依存関係について、﹃入阿毘達磨論﹄は、 ︿ 玄 突 訳 ﹀ 諸︹本︺相は根本法に依住( m
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)
し、諸随相は諸︹本︺相に依住する。(合 ω g t N ) @ 本相は︹本︺法に依り、随相は︹本︺相に依り、︹本︺法は︹本︺相に因るが故に、作拘有るこ ︿ チ ベ ッ ト 訳 ﹀ とを得、︹本︺相は随相に困って作用有ることを得。(九八七下 ZINC) と説く。すなわち、本相は本法に依住し、随相は本相に依住するから、本法は本相に依って有為法としての作用を生じて果を引く。本相は随相に依って有為法としての作用を生じて、生住異滅する。 そして、本相の具体的な作用について、﹃入阿見達磨諭﹄はつぎのように説く。なお、以下の所掲は、チベッ ト訳には説かれず、玄英訳のみに説かれる。これは、法体相有の立場に立って有為法の生住異滅を説明するため に玄撲が補ったのであろう。 ︿ 玄 焚 訳 ﹀ 作川とは、何ん。謂はく、所生等︹の本法︺を生じ住し異ならしめ滅する者なり。制はく、︹ u 疋 『入阿毘途磨論』に説かれる四有為相 れ︺引果の功能なり。(九八七下 N C 1 N H ) すなわち、四相は本法に対して作用があり、本法は四相の力を藷りて引果の作用を起こす。﹃倶合論﹄巻五でも @ 同様なことが説かれる。そして、 故に、有為法の体は恒有なりといへども、而も用は非常なり。蕊の四相を仮りて内・外の因の @ 力の︹作︺用は成ずることを得るが故なり。(九八七下 N H I N ω ) それゆえ、有為法の体は三世に恒有であるが、作用は生滅し無常であるから、三世法に分かれる。この場合、作 用は内因である四相と外附である六因・四縁とによって起こる。 これらの所説は有部の法体恒有説を強く意識しており、逆にいえば、法体恒有説に対する批判に対する反論に もなっている、と言える。その点は、﹃順正理論﹄に通じる点でもある。 ︿ 玄 笑 訳 ﹀
八.結
ぴ ﹃入阿見達磨論﹄に説かれる四相の説明は、﹃婆沙論﹄﹃倶舎諭﹄﹃順正理論﹄などと同じ部分と異なる部分と があることが判明した。それらのことから窺えることは、﹃入阿毘達磨論﹄は、有部の法体恒有説を強く意識しν
ニ-¥..!, J A)平.J4Qt{il O ~~二~' ~早話 Q 誕併 .!l ~1 小崎語字 3己主主語県三~-.!、手 .J\J 二時リム j ど~~稽 ~.w_)~ ご布二。 ~~棺斑.!lやニド...,.p 'J~ 吋'Î'北骨造と事 *i るJ_) ドニ士当'‘ ti 心~.!l、早 J銀嬉_)-\..!'rt<
室岡剣;盤縄.JI ~トユ J~: ミ P 穂 緯判 Eモトゃな起~歪や士~~鎧.!l布崎千 J 略的小。*~事~~~組長 1 ~戦平.J4Qt{ìl。 雲市対健 EAm £条 SJ-*~喜平.Jt!f二時,削指苦r:~~や~~.lJ ~=--p 時時。哲也隠穏纏制I!l~寝室!1_}.\..!~小 o 'J ~指令, 1 1祁会 J~ ま掛炉時ふ〈醤当:歪 悼会 J 醤 1 白人 J_} い選 E 炉t>Q I J. 人地 )1 悔い。時 .I_} い' 可ト Y トム需妥当キ~,民運 w Sfニ時。-tt(, .\..!'捜索妥 S 国 g~ 挺 E京モ;布令 e ⑪@お ~~~tI~..:!主将困+<糧話 t~ ..,.J) ~1 みJ詰 H If争時。指~' 1<ト判長経梨~lI!迫嚇駐在者 e 縄制 JI~ 1<同-K趣草;~封。鋪 w~~ 恥略。-tt(, .\..!'右 E OÞ<~指令 p' ~や.\..!滑~~;Ç.lJ!1 r ⑧」よ j 炉ゅ e23rE 軍報特』己.J...6時軍手 .I;C =,'ミ SSAA ミ.lJ令時~~ r~ 茎 E迫剣遅延纏 J ~柑髭 ~SSAA. !l 吋やν
軍や.¥..! I J .lJ会 Jl 時令。 PAA. r~OCa 迫剣盤縛 J rab tu byerd pa chos mngon pa la 'jug pa zhes bya pa (Prakara l) a Abhidharmavatara nama) 土手帳廷判~4I=議 No. J.!:I同 440 σ3 F 吋 ﹃掴噌整制吋記亙 JP SSAA. r~ 穂 ~i 正』 chos mngon pa la 'jug pa rgya cher 'grel pa snying po kun las btus pa zhes bya ba (Sarasamuccya nama Abhidharmavataratika) #偏重《冷=議 No. 阿ト 44 く。 Abhidharmako Sa bhieya 01 Vasubandhu , ed. by P.Pradhan. Patna , 1967. め hufarlha Abhidharmako~at ぅ lãkhyã 付 Y aS omitra. ed. by U.Wogihara , Tokyo. 1971 (.$ 遥 1936 叶) . chos mngon pa mdsod kyi bshad pa'i rgya cher・
grel pa don gyi de kho na nyid ces bya ba (Abhidharmako~abhã$yatikã Tattvartha nama) by Sthiramat i.キ手帳蛍1<~{l:m~営 No. :.q<-¥J同。 chos mngon pa mdsod kyi 'grel bshad mtshan nyid kyi rjes su 'brang ba shes bya ba (Abhidharmakosatika LaksaQanusariQi nama) by PurQavardhana #1 話題-K持rmm
語 No. 同同~5J。 AK. rE;主~:l~む AKV. r;fi=判員五』 AKTA. rも担割奇麗』 AKLA. r 獲!IIi
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叶 ・ r入阿昆連勝諭』に鋭かれる問有為相 註 ①﹃アビダルマディ l パ﹄に︹八︺旬義(司包凶 2 F ω ) の語が説かれる(﹃ディ l パ﹄三頁十行日)。このことや作者や アビダルマ諸論書のなかでの位置づけなどについては、桜部建﹁﹃人阿毘達磨諭﹄(チベット文よりの和訳)﹂(﹃仏教 語の研究﹄文栄堂書倍、昭和五O
年七月、所収)が従来の説を引きながら詳説する。 ②拙稿﹁有為の四相の定義﹂(﹃印度学仏教学研究﹄第四O
巻第一号、平成三年十二月)、﹁﹃婆沙論﹄における有為相 の 研 究 ﹂ ( ﹃ 龍 谷 大 学 論 集 ﹄ 第 四 四 二 号 、 平 成 五 年 六 月 ) 。 ③﹃入論広釈﹄.﹁諸々の因と縁﹂とは、閃になる(吋問ヨ己仏口問。 ω ℃ 。 ) ( 1 ) 外支である。これら︹六閃・四縁︺は色 ︹菰︺など︹の諸法︺の生起に対する共通凶(
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仏 何 回 削 ロ ω ) ︹ 因 ︺ で は な い 。 ( ω 芯 σ N ) ( l ) ( 2 ) に該当する語の、﹃倶合論﹄での党一語などはつぎの通りである。 ( 1 ) ﹁ 凶 に な る ﹂} M
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﹄ 同 ・ 8 M ) ・ 認 可 己 凶 含 mB332N) 唱 玄 奨 訳 ﹁ 得 為 凶 ﹂ ( ω c m N 印 ) 、 真 諦 訳 ﹁ 成 随 造 同 ﹂ (H ∞ ∞ E H ) ( 2 ) ﹁ 共 通 困 ﹂ 畠B
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ロ 阿 佐 認 可 ロ ロ M L仏 ( H C 印 包 ) ・ 玄 突 訳 ﹁ 為 通 困 ﹂ ( ω N己 寸
lH ∞ ) 、 真諦訳﹁通困 L ( 5 0 克 也 ) ④﹃入論広釈﹄.︹他法に︺共通する困ではないので﹁内支﹂である。 ( ω 忍E )
⑤﹃順正理論﹄巻十四.生相は倶起する近因と作りて能く所生︹法︺を生ずといへども、諸有為法︹の生ずる︺は而 も必ず応に、前︹生︺の白類悶及ぴ余の外縁の和合し摂助することを待つべし。積・地等の差別(様々)の凶縁が、 芽等の生ずるを助けて、芽等を生ぜしむるが如し。(四一一上呂 l H ω ) ﹃ 顕 宗 論 ﹄ 巻 八 、 八 一O
中 お lNm も 同 文 。 ⑥﹃入論広釈﹄.﹁生じる﹂とは、未来︹法︺が生じるものとして現前することであるお芯 ω 色 。 ⑦﹃人論広釈﹄.﹁自らの功能を得ること﹂とは、︹法が︺各自の功能を獲ることである。そ︹の功能を獲ること︺の 困が﹁自らの功能を得る悶﹂である。すなわち、未来法が現在に住するように引く闘である、という意味である。( ω 吋 山 v m 同 吋 t ∞ ) ⑨ これと類似することが、﹃安慧釈﹄につぎのように説かれる。 こ︹の勝れた因︺によって引摂された(ちロ
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岡 山 ) 諸 々 の 事 体 ( 含m
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句。) が生起するからである。このなか、引摂された事体を生起させる︹こととは︺、或るものが法の事体の︹生起する︺ 主 縁 ( ﹁}
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)
になることである c ( N 目 見 l ∞ ) ﹃満増釈﹄にも同じようなことが説かれるが、一部は説かれない ( N H N 怠当て これとはぽ同じことが、﹃安慧釈﹄につぎのように説かれる。 ﹃安慧釈﹄.﹁このなか、生︹相︺はこの法を生じさせる﹂ということについては、すべての有為︹法︺の生じるこ とを生じることと説き、︹有為法の生じる︺このことに対しては︹生相は、有為法の︺生じることを磁げない勝れた 岡(
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間宮﹂嘉吉g
向 。 想 ヨ 包E a
ご岡山辺乙であることによって︹有為法を︺生じさせる、と認許される。 ( N 吋印 ω∞
l 斗)- 2
1
一
⑧ 『入阿見述俗論』に説かれる四有為相 ⑬前の註⑧所掲の﹃安慧釈﹄参照。 ⑪﹃入論広釈﹄でも、外支は主凶ではない、と説明し、間接的に問相が主因であることを説くG
3
5
、註③、所掲 文 、 参 照 ) 。 ⑫以下の﹃婆沙論﹄巻三九の所掲文は、諸行の生じるときには、多くの法が凶紘となってはたらいて法が生じるのに、 なぜ﹁生相が法を生じる﹂と説くのか、という問に対する答えである。 諸行の起こる時、生︹相︺が正しく能く︹法を︺生じ、余は他だ佐助するのみなるが故に、但だ、生︹利︺が能く 此法を生ず、とのみ説く。︹轍へば︺女が︹子を︺産む時、諸 ' K 有りて而も佐助と為るといへども、母のみが正しく ︹子を︺生むが故に、組り産者と名づくるが如し。(二O
一 上 白 1 5 ⑬﹃婆沙諭﹄巻三九.大徳は説いてけはく。生相の勝るるが故に、生︹相︺は能く︹法を︺生ずと説く。制はく、法 の起こる時は余の縁有りといへども、生︹相︺が最勝なり。︹除へば︺伎・書・同・染衣する等の時、余総有りとい へども、勝るる者を説いて︹作者と為す︺が如し。(一一O
一 上5
1
5
)
⑬﹃婆沙論﹄巻三九.住相の力に山りて、諸行は生じ己りて、能く自巣を取り、能く所縁を取る。異︹相︺・滅︹相︺ の力に由りて一利那の後には復た作用無きも、若し住相無くんぱ、諸行には応に同果の相続無かるべく、心心所法に『人阿見途附論』に説かれるl国有為相 は応に所縁無かるべけん。故に必ず住︹相︺有り。(二
O
一 下5
1
5
)
⑬﹁施﹂とするのは、﹃入阿昆達磨論顕宗記﹄﹃入阿見達磨論通解﹄﹃冠註入阿毘達磨諭﹄舟橋水哉述﹃入阿昆達磨論講 義﹄であり、大正大蔵経は﹁引於﹂とする。このなかの﹁施﹂は与、与える、の意。 ⑬﹃安慧釈﹄﹃満増釈﹄に同意のことが説かれる。 寸住︹相︺は︹法を︺住させる﹂とは︹法の︺生起していることを擬げず、果を引くことを磁げないで住させるこ と で あ る 。 ( k 山 内 叫 3 K A ・ N 吋 切 釦 一 ∞ 一 込 同 町 ト h ・ N H N mむ ) ⑪﹃入論広註﹄ω 芯σ
∞ な ど 。 ﹀ H p a ・5
・チベット訳出冨・玄英訳二七上広。真諦訳一入五中出。 ⑬﹁亦﹂とするのは、﹃入阿昆達磨論顕宗記﹄﹃冠註入阿毘達磨論﹄であり、﹃入阿見達磨論通解﹄、大正大蔵経は﹁不﹂ と す る 。 ⑬﹃安慧釈﹄.軌範師衆賢は、動じている諸行の相続において後々︹の品類︺を前の品類( B
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日目出)とは異ならせ るもの︹が異相︺である、と言う。 (NaSHIN) ⑫﹃顕宗論﹄.間無くして自然に︹前後が︺異なること有る可からず。同一の識の相が前後に相続して転変するに因 の無きこと、理として成ぜざるが放なり。無色界に生ずる︹者の︺受等の相続は念念に変易す。此れが︹異相の︺用 の最も顕︹著なるもの︺なり。無色界に異︹相︺の勝れた︹功︺能の有ることを見る。余も比度す可し。応に、亦た ︹ 異 相 ︺ 有 り 、 と 知 る べ し 。 ( 八O
九 上 ω 1 3 @﹃順正理論﹄巻十四.正生位に異︹相︺有りとの名を立つるに非ず。作間は爾の時、未だ衰損せざるが故なり。即 ち此の理に山りて︹正減位に︺住︹相︺・異︹相︺の名を立つ。此︹の異相︺は︹白⑩︺呆を引く用を能く衰損する が故なり。法︹の引自果︺の作用の衰掛せらるる時、方に自果を引くに山る。閃の捌せらるるに山りて後果は生ずる 伏にて漸々に前倒より劣る。故に、果の漸々に劣ることは凶に異︹相︺有ることに山る。此の果は利郎において、復 た倶起せる異相が縁と為りて︹引臼果の作用を︺哀損せしむるに山るが故に、︹興、相は︺復た能く後果の漸々に劣る 縁 と 為 る 。 ( 四 一O
中立 1N 也) ﹃顕宗論﹄巻八.如何が異相なるか。即ち住時に於いて白果を能く引く作川を哀附加するものなり。︹界、相は︺彼の 作用を鍋ひ、後果をして生ずる︹位︺に前閃より劣らしむ、是れ異相の力なり υ 後 山 本 の 漸 々 に 劣 る は 、 同 に 罪 、 ︹ 相 ︺ 有るに由りてなり。此の果は復た倶起せる異相を縁と為すに山りて︹能く自果を引く作用を︺哀損し、能く後果をしr入阿見述!持論』に鋭かれる阿fj為相 て更に前︹凶︺よりも劣らしむ。(八一
O
中 守 ∞ ) ︿ 以 下 は ﹃ 順 正 理 論 ﹄ ﹃ 顕 宗 論 ﹄ 同 文 ﹀ 是くの知く、一切の有為︹法︺は、相続して剥那剃那に後後︹の法︺をして異ならしむるが故に、前前の念と異な る義有ることが成ず。(﹃順正理論﹄四一O
中立 1 N C 、 ﹃ 顕 宗 論 ﹄ 八 一O
中 ∞ I H H ) ⑫﹃婆沙論﹄巻三九.問ふて日はく。異相と言ふは、減壊を為すが故に名づけて異相と為すか、転変を為すが故に異 相と名づくるか。設し爾らぱ、何の失か有る。若し滅壊させるが故に異相と名づけば、有為相は但だ三種のみ有るべ けん。異︹相︺は即ち減︹相︺なるが故なり。若し転変させるが故に異相と名づけば、応に転変外道の所宗と同じか る べ け ん 。 ( 二O
一 下 呂 l N ω ) ⑫﹁訓有別法名為滅相﹂とするのは、大正大蔵経、慈光述﹃人阿昆達磨論顕宗記﹄四O
右、大内青轡編輯﹃冠註入阿 昆達磨論﹄巻下十八右)であり、小山憲栄講述・小山秀桂編輯﹃入阿昆達磨論通解﹄末三十右、舟橋水故述﹃入阿昆 達磨論講義﹄一三四頁は﹁名為滅相謂有別法﹂とする。 @ ﹄ 同- a
・5
・チベット訳旨豆、玄奨訳二七上呂、真諦訳一八五中 NN 。 @﹃安慧釈﹄﹃満増釈﹄にも同様のことがつぎのように説かれる。 ﹁無常︹相︺は︹法を︺消滅させる﹂ということについては、有為︹法︺が滅する時に、倶生している︹法が破滅 することを礎げない、︺殊勝な(寄志向日吉ご古ぜg
想 宮 k A 同 ・ 三 位ω g
・1
r
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)
闘が無常︹相︺である。 (k 由 民 同 区 ・ N 吋印σ
ω
一
-h h h h ・ NHNE) ﹃順正理論﹄では四一二上自以下にも、有為法が滅するには無常相(滅相)を必要とすることが、滅相非存在論者 などとの問答を通して説かれる。 ⑫ ﹀Z - - - z
・ 吋 ・ ﹃ 増 一 阿 合 経 ﹄ 巻 十 二 、 大 正 二 ・ 六O
七 下 エ 。 @北京版・デルゲ版の呉克己(生起させる?)の意味がよく理解できないので、﹄同- r
包 開 削 耳 目g
・ 5 ω ♀ 向 指 ω 宮 ﹁σ
苫 宮 町 一 色 。 コ 門 吉 ( k 由 民- a h
)
を参照してω s
a
を ヨω
n
g
開ω
に訂正する。註①所掲の桜部建﹁﹃入阿毘達磨論﹄(チベット 訳よりの和訳)﹂二ハ八頁註④、指摘。 ⑫﹃婆沙論﹄巻三九.住︹相︺と異︹相︺とを合して︹住異と︺立つるが故に、但だ三のみを説く。︹即ち︺世尊は、 ︹有情をして︺有為法を厭はしめ、寂滅を欣求せしめんと欲するが故に、彼の経に於いて住︹相︺と異︹相︺とを合 - 23一
『入 ~pH巴違Iffill命』にdJI.かれる凹イj.l~キ11 して︹住興と︺説きたまふ。︹轍へば︺室利と黒耳と倶に︹合︺して︹室利黒耳と︺示すが如く、諸有情をして、住 ︹相︺と興︹相︺とを倶に︹ A H ︺ し て ︹ 住 罪 、 と 説 き 、 有 為 法 を ︺ 捨 て し め ん と ︹ 欲 ︺ す 。 ( 一 一
O
一 中 N O l N ω ) ⑫﹃似合論﹄巻五、二七上 NU 以 下 。 @﹃順正理論﹄巻十三、問O
五 下 呂 以 下 。 @﹃似合論﹄玄柴訳の二八中口 (k 由 民 ・ 芯 N ) ・ 三0 .
ト N H ( ﹄ 同 ・ ∞ PE) で は 島 百 円 ヨω
を ﹁ 本 法 ﹂ と 釈 す 。 @ ﹄ 同 -a h i m -チベット訳定包 lN 。玄奨訳二八上E
1
5
。真諦訳一八六中広。 @これに統いて、﹃顕宗論﹄ではつぎのように説かれる。 ︿世親説を叙して破す﹀所相︹法︺の外に別に生等︹の相︺無く、一一の剃那に四相有り、と執する者の斯くの 如き過失は、救療す可からず。一法に一時に功能の差別(相違)のある理は成ぜざるが故なり。 ︿正義を説く﹀︹然れども︺所相︹法︺の外に別に生等︹の相︺有りと許すは、斯の過失無し。︹生等の︺相は︹所 相法の︺体と不同にして、助縁に差別(相違)ありて、時分にはたらく功能が理として異なること有るが故なり。 ( 八O
九下5 1
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ここに説かれる世親説は、﹃倶合論﹄玄奨訳二八上自、党文 k 由 民 ・ 吋 ∞ ・5
以下に説かれる。次註所掲の経主説も川じ。 @この筒所は、﹃順正理論﹄と﹃顕宗論﹄とは、内容的には大差が無いが、説き方が若干、異なる。﹃順正理論﹄巻十 三はつぎの通りである。 ︿世親説を叙して破す﹀又た、経主は、︹見婆沙師が︺若し有為の色等の自性を離れて生等の︹実︺物有らば︹復 た何の非理か有ると、言はば込同・︺、一法に一時に応に即ち生じ住せしめ衰異せしめ壊滅せしむべきものが、倶有な りと許すが故︹に非理︺なり、と説き、有為︹法︺を離れて別なる生等無し、と執すれば、︹一法が一時に生・住・ 異・滅する︺斯くの如き過失は、救療す可からず。一法に一時に功能の差別(相違)のある理は、成ぜざるが故なり。 ︿正義を説く﹀︹然れども︺有為︹法︺を離れて別なる生等︹の相︺有りと許すは、斯の過失無し。体の不同なる が如く、用に︹差︺別(相違)有るが故なり。内外の諸々の掲刺藍や諸々の種子等を現見するに、︹四相以外の︺余 の縁は、︹掲刺藍などが自果を生ずることを︺摂助して︹掲刺藍などが︺白果を生ずることに於いて勝功能有り。 ( 四O
九 上 NIS @ ﹃婆沙論﹄巻三九、二O
二 上 申 以 下 。@﹁本法﹂﹁本相﹂のチベット訳は次掲の﹃入阿毘達隣論﹄のチベット訳、参照。 @﹃婆沙論﹄巻三八、二