駒澤大學佛敎學部論集 第四十二號 成二十三年十月 一八九 はじめに 道元禅師︵一二五〇︱一二五三、以下禅師とも︶が天童如 浄禅師 ︵一一六三︱一二二八 、以下如浄︶から法を嗣承し 、 本朝において正伝の仏法を展開したことは論を俟たない。そ の法門が通例、 ﹁修証一等﹂や﹁証上の修﹂ 、あるいは﹁本証 妙修﹂等と銘打たれていることは周知の通りである。道元禅 師の仏道修行は比叡山に始まるわけであるが、当時の日本仏 教界において最盛を極めていた思想は日本天台宗の本覚思想 であったと言えよう。これは中古天台本覚法門︵以下本覚法 門︶とか日本天台本覚思想等と呼ばれ、当時の日本天台教学 を象徴する思想体系として広く認められている。 のみならず、 例えば田村芳朗氏︵以下田村氏︶が﹁天台本覚思想概説﹂の 冒頭部分で述べている ように、本覚法門は天台という枠に収 まらず、広く他宗及び社会的にも影響を与えているわけであ るから、 その点を考慮すれば、 この思想は当時の日本仏教界、 乃至は日本思想史上における一大思潮であったと言っても過 言ではないと思われる。 田村氏は同論攷で ﹁本覚法門の研究が注目されるように なったのは最近のこと﹂であると述べているが、 周知の通り、 最初に本覚法門研究の重要性を提起したのは島地大等氏︵以 下島地氏︶である。 島地氏は 、﹁中古天台の学語として見たる本覚の概念 ﹂と いう論文の中で本覚思想自体を俊別し 、更に ﹁日本古天台 研究の必要を論ず ﹂という論考で天台学に広狭の二義を立 て、狭義の天台学を天台大師智顗︵五三八︱五九七、以下智 顗︶によって組織された中国天台学、広義の天台学を智顗教 学を中心とした中国・朝鮮・日本において種々に発展・展開 した思想系統の全般として定めた 。そして 、﹁ 日本天台﹂と いう用語は 、︵一︶種々の意味を含め 、漫然一括的に日本天 台宗を ﹁日本天台﹂と称する場合と 、︵二︶専ら教学的見地 に立ち、日本天台宗の教学的特色を表す便宜上、思想的見地
﹁道元禅師と中古天台本覚法門
︱中国天台教学を通路として︱﹂
清
野
宏
道
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 一九〇 から古代の教学を特称する用語として制限的に用いる場合が あるが、この語は歴史的に捉え、奈良朝以降、日本において 行われた天台学全般を概称するものとして用いるべきであ ると述べ、奈良朝から江戸期の日本天台を古天台、伝教大師 最澄 ︵七六六 ・七六七︱八二二 、以下最澄︶以前を上古天 台、最澄から安楽派以前を中古天台、妙立慈山︵一六三七︱ 一六九〇︶と霊空光謙︵一六五二︱一七三九︶によって確立 された安楽派以降を近古天台として規定したのである 。 そ して、その古天台、特に中古天台の思想的特徴を本覚法門と し、 これを平安朝以降の日本思想史における一大思潮であり、 種々の思想を貫く根幹の思想体系として位置付けた のであ る。殊に島地氏は、日本仏教思想史に関して道元禅師を含む 鎌倉新仏教の興起は、全てこの本覚法門を母体とするもので あると論じている 。中でも日本天台と禅の関係について、そ の交渉の歴史は、ほとんど日本古天台と共に終始するもので あり、両者の根本思想は本覚法門を以て一致すると述べてい る。更に、本覚法門が観心を端的に顕して天真独朗の観法を 立て、一念不生の心地を根拠として古天台の実践原理を設定 するところに祖師禅と古天台の同一性を認めている。 従って、 島地氏の説くところによれば、本覚法門は栄西︵一一四一︱ 一二一五︶や道元禅師の根源に横たわる根本思想ということ になる。換言すれば、道元禅師はもちろんのこと、種々に展 開した日本禅の思想体系は本覚法門の影響を過分に承けたも のであり、 これを淵源として成立しているということである。 島地氏は、上のように本覚法門を位置付け、その研究の端 緒を開いた。以降、この問題は、硲慈弘氏や田村氏に受け継 がれ、様々に研究が進められたことは広く知られるところで あろう 。近年では花野充道氏︵以下花野氏︶等が本覚思想に 関する研究成果を多数提示している。 島地氏の提言以来、本覚法門は種々の仏教思想、あるいは 個人の思想と重ねて考察されるようになったが、殊に道元禅 師と本覚法門の関係については、その多くが修証一等や本証 妙修等、禅師の宗旨とされる修行論・成仏論との関連性にお いて論じられてきたといえる。すなわち、禅師の宗旨が本覚 法門の継承であるか否かを明らかにすることを課題として研 究が進められてきたのである。仮に、島地氏や田村氏の論説 に従えば、禅師の宗旨は本覚法門の延長上にある思想体系と して位置付けられる 。 逆 に 、 その見解に異を唱えれば 、 禅師の 宗旨は本覚法門と隔絶して構築されたものといえるであろう。 この問題については 、今まで多くの研究者が論を提示し 、 上梓してはいるが、その視座や解釈も多岐に渡るため、依然 として確固とした定説はないように思われる 。従って、ここ に一試論を呈するわけであるが、本考察では、特に道元禅師 が智顗や荊渓湛然︵七一一︱七八二、以下湛然︶縁の中国天
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 一九一 台教学を盛んに用いている点を考慮しつつ、加えて禅師自身 が﹁本証妙修﹂という成句を用いていないことにも注意しな がら 、﹃ 辦道話﹄を中心として禅師と本覚法門の関係を考察 したい。なお、本考察は、本覚思想に対する花野氏の諸説を 承けたものであることを先に一言しておく。 本覚法門の論理構造 では、そうした本覚法門とは、どういった思想なのであろ うか。 道元禅師と本覚法門の関連性を論じるのであれば、 始め に本覚法門自体を精査し、 明確にしておく必要があるという 。 そもそも 、仏教思想史上 、﹁ 本覚﹂という語が初めて表れ るのは、 周知の通り﹃大乗起信論﹄ ︵以下﹃起信論﹄ ︶である。 しかし、 ﹃起信論﹄ が説く ﹁本覚﹂ と本覚法門における ﹁本覚﹂ とでは、その性質に異同がある。確かに﹃起信論﹄は、 所 レ 言覚義者 。謂 二 心体離 一レ 念。 離 レ 念相者等 二 虚空界無 一レ 所 レ 不 レ 遍 。 法界一相即是如来平等法身 。依 二 此法身 一 説名 二 本覚 一 。何以故 。 本覚義者 。対 二 始覚義 一 説。 以 三 始覚者即同 二 本覚 一 。始覚義者 。依 二 本覚 一 故而有 二 不覚 一 。依 二 不覚 一 故説 レ 有 二 始覚 一 。又以 レ 覚 二 心源 一 故名 二 究竟覚 一 。不 レ 覚 二 心源 一 故非 二 究竟覚 一 。 ﹃起信論﹄ ︵﹃大正﹄三二、五七六中︶ と 、本覚を説くのであるが 、 そもそもこの一段は ﹃起信論﹄ の解釈分において︵一︶顕示正義、 ︵二︶対治邪執、 ︵三︶分 別発趣道相を説く中、第一の顕示正義に心真如門・心生滅門 の二門を立て、後者において覚・不覚の義を設け、如来蔵に よる生滅︵妄︶の心は、不生不滅︵真︶と生滅︵妄︶が和合 して非一非異なる阿梨耶識︵真妄和合識︶であることを説く 部分の記述である。しかも、ここでいう本覚は、文頭に﹁所 レ 言覚義者﹂とあるように覚の義を明かすために用いられて いる語であり 、不覚を前提とした始覚に対して説かれてい ることに注意しなければならない 。また 、文に ﹁ 依 二 此法身 一 説名 二 本覚 一 ﹂とあることから 、ここでは本覚が法身と同義 のものとして扱われていることが解る。従って﹃起信論﹄で は、そもそもの如来蔵や仏性、換言すれば衆生に内在する法 身として本覚を位置付けていると言えるのである。 通例、 ﹃起信論﹄ は ﹁一心二門三大四信五行﹂ と言われるが、 重要なのは最初の﹁一心二門﹂をどのように位置付けるかと いうことである。池田魯参氏 ︵以下池田氏︶ によれば ﹃起信論﹄ の性格上 、﹁ 一心﹂は ﹁衆生心﹂として理解しなければなら ないとされる 。その衆生心について立つのが ﹁心真如門﹂ と﹁ 心 生滅門﹂の二門であるが、この二門は﹁一心︵衆生心︶から 起こる﹂のではなく、 ﹁一心︵衆生心︶における真実と迷妄﹂ という二種の様相を示しているに過ぎないのである 。﹃起信 論﹄の詳細な考察は論旨から外れるためここでは控えるが 、
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 一九二 ここで説かれている本覚が不生不滅と生滅の相が和合した阿 梨耶識︵真妄和合識︶の衆生心を示すことを目的としている 点は銘記すべきであろう。 ところが 、先の文に ﹁本覚義者 。対 二 始覚義 一 説﹂と 、本 覚が始覚に対して説かれていることから、敷衍して修行によ る成仏を始覚思想、本来的に仏であるとする立場を本覚思想 というようになった。言うならば、始覚は修行による証果の 獲得、本覚は本来的な成仏を意味していることになる。だか らこそ始覚は従因向果の法門、本覚は従果向因の法門とも理 解されるのであるが、両者は修行の始めをどこに置くかとい う点が決定的に異なる。すなわち、始覚は修行の出発点を凡 夫の位に置いて精進努力による証果の獲得を意味するが、本 覚は修行の出発点を仏の位に置いて現在の自己の行為を全て 仏行として位置付けるのである。しかし、先述の通り﹃起信 論﹄では不生不滅・生滅の心が和合して非一非異である阿梨 耶識を主張するために覚・不覚の義を立てて本覚を説くので あり、 文に ﹁以 三 始覚者即同 二 本覚 一 ﹂ とあることを踏まえれば、 本来、始覚 ・ 本覚と分けることは一応の区別であると言える。 従って、 そのどちらに力点を置くか、 その置き所の違いによっ て両者が分別され、各々が展開していったと考えられるので ある。 では 、﹃ 起信論﹄が説く本覚の論理は 、日本天台に到って いかに発展したのであろうか。池田氏の言葉を借りれば、本 覚法門とは﹁天台学の伝統である法華教学と天台止観の教観 組織の中に、密教学と華厳学とをとり入れ、再編成、再統合 する方向で成立する 、日本天台の一種の教理思想の展開と して形成されたもの 10 ﹂であり 、﹁心生の本覚真如の理を一念 に信解するならたちどころに成仏する 11 ﹂という教理に基づい た一種の成仏論と言える。更に言えば、智顗が説く円教の教 理 12 を基礎としながら、そこに﹃起信論﹄の本覚の論理を重ね 合わせて天真独朗の観心を先鋭的に打ち出した一念覚知の速 疾成仏論と言えるのである。 さて、日本天台における本覚法門の成立時期については諸 説あるが、 花野氏によれば、 その形成は五大院安然︵八四一? ︱九一五?、以下安然︶の頃とされる。例えば、安然の﹃胎 蔵金剛菩提心義略問答抄﹄ ︵以下﹃菩提心義抄﹄ ︶には先述し た﹃起信論﹄の﹁以三始覚者即同二本覚一﹂という文の解釈 として、 貪体即覚体名 二 本覚理 一 也。 非 二 昔覚 一 故名 二 本覚 一 也 。若覚 二 貪即菩提 一 名 二 始覚 一 也。此始覚貪与 二 本覚貪 一 一体無二名 二 還同本覚 一 。 ﹃菩提心義抄﹄巻一︵ ﹃大正﹄七五、四五四中︶ という記事があるという 13 。ここで安然は、天台教学の円教の 教理に基づいて貪体と覚を即で結び、 これを本覚理と名づけ、 更に 、﹃ 起信論﹄の本覚の理論を用いて 、そうした貪体即覚
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 一九三 を覚ることを始覚としながら始覚と本覚が一体無二であるこ とを還同本覚と説いている 14 。 こうした安然の本覚思想は、時代を経て本覚法門として体 系的に確立してゆく。では、その思想はどのようなものであ るのか。田村氏や花野氏によれば本覚思想自体、年代によっ て分別されると言う 15 が、道元禅師との関連性を考察するに当 たり 、ここでは特に禅師と同時代の書である ﹃真如観﹄と ﹃三十四箇事書 16 ﹄に注目したい 。なぜならば 、禅師がこれら の典籍を実際に読んでいたかは不明であるが、比叡山での修 学等において、その思想に触れていたことが推測されるから である。 ﹃真如観﹄は心を主体として 、全ての世界は心が創ると主 張している。例えば以下のような記述がある。 花厳経云 、若人欲 レ 了 二 知三世一切仏 一 、応 三 常如 レ 是観心造 二 諸如来 一 ト 。此文ノ心ハ 、三世十方諸仏ハ 、心ガ造ナリト 、イヘリ 。花 厳 経云 、心如 二 工画師 一 、造 二 種種五陰 一 。一切世界中無 二 法而不 一レ 造ト 云ヘリ 。此文ノ心ハ 、人ノ諸如来ヲ造ノミニ非ズ 、凡万法ハ悉ク 心ガ造レル也ト説也 。実ニ万法ハ 、亦心ガ所作也 。所謂煩悩即菩 提ナリト思ヘバ則菩提也 。生死即涅槃ト思ヘバ則涅槃也 。サレバ 万法ハ、亦心ガ造レバ也。 ﹃真如観﹄ ︵﹃天台本覚論﹄日本思想大系九、 一四〇頁︶ ここでは﹃大方広仏華厳経﹄の教説に基づいて、世界が自 心の所産であることを主張している。こうした立場はこの箇 所に限るものではなく 、﹃真如観﹄に一貫する基本的な土台 である。本覚法門が智顗の円教教理を基礎としながら観心を 強調した一念覚知の速疾成仏論であることは先に一言した が、それはこうした考え方が基礎となっていることが推察さ れる 。その成仏論について見ると 、﹃真如観﹄に以下のよう な記述がある。 疾ク仏ニ成ラント思ヒ 、必ズ極楽ニ生ント思ハヾ 、我心即真如ノ 理也ト思ベシ 。法界ニ遍ズル真如我体ト思ハヾ 、即我法界ニテ 、 此外ニコトモノト思ベカラズ 。悟レバ十方法界ノ諸仏 、一切ノ菩 モ 、皆我ガ身ノ中ニ 、マシマス 。我身ヲ離レテ 、外ニ 、別ノ仏 ヲ求メムハ、我身即真如也ト知ザル時ノ事也。 ﹃真如観﹄ ︵﹃天台本覚論﹄日本思想大系九、一二〇頁︶ ここでは 、成仏を願い極楽に生まれることを願えば 、﹁ 我 心即真如﹂の道理によって、速やかに成仏することができる と説いている。このような記述は他にも見られる。 故而ニ真如ヲ観ズレバ、成難キ仏ニダニモ、トク成。 ﹃真如観﹄ ︵﹃天台本覚論﹄日本思想大系九、 一二一頁︶ この文では、真如を観じれば速やかに成仏すると明示して いる。また、他にも 我等ハ 、カヽル無量劫ノ苦行ヲモセズ 、六度ヲモ修行セズシテ 、 只且クノ間、我身ノ真如ナリト思計ノ一念ノ心ニ依テ、仏ニ成リ、
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 一九四 極楽二生ズル道ヲ知ル。返々世ノ中ニ有ガタキ希有ナル事也。 ﹃真如観﹄ ︵﹃天台本覚論﹄日本思想大系九、一二三頁︶ とある。すなわち無量劫の苦行も六度の修行もせずとも我が 身そのままが真如であることを一念心に知れば成仏するとい うのである。このような記述は枚挙に暇がない。 本覚法門は 、こうした一念覚知速疾成仏の教理を確立し 、 現世における我が身の成仏を主張したといえるが、この教理 が極まった末に生じたのが天真独朗観であり、修行不要の成 仏論であったといえる。例えば、同書には、 今日ヨリ後ハ 、我心コソ真如ナリトシリ 、悪業煩悩モ障ナラズ 、 名聞利養 、返テ仏果菩提ノ資粮トナリツレバ 、只破戒無慙ナリ 、 懈怠嬾惰ナリ共、常ニ真如ヲ観ジテ、ワスルヽ事無バ、悪業煩悩、 往生極楽ノ障ト思事ナカレ 。略シテ往生極楽 ・頓証菩提ノ道ヲシ ラシメ畢ヌ。 ﹃真如観﹄ ︵﹃天台本覚論﹄日本思想大系九、一二〇頁︶ とある。文によれば、我心が真如であることを明確に知覚す れば、悪業や煩悩も仏道の障害とならず、名聞利養も、返っ て成仏の糧となり、破戒や懈怠等も真如を観じて忘れなけれ ば極楽往生の障りとはならないと言う。要するに、一念に真 如を知れば仏であるから、いかに悪業を生じ、名聞利養に執 着し、修行を怠ろうとも、全ては仏法・仏道における真実の 境界であると主張しているのである。 こうした修行不要論は、 円教を前提としながらも、始覚を重視した智顗の立場 17 と相反 するものであることが知られよう。 次に﹃三十四箇事書﹄の記事を見てみたい。この書は、題 の通り三十四の項目より成るが、その第五に﹁生死即涅槃の 事﹂がある。そこでは、生死即涅槃を世間相常住の法門に重 ねて、 世間相常住と云ふは 、堅固不動なるを常住と云ふにはあらず 。世 間とは 、無常の義なり 、差別の義なり 。無常は無常ながら 、常住 にして失せず、差別は差別ながら、常住にして失せず。 ﹃三十四箇事書﹄ ︵﹃天台本覚論﹄日本思想大系九、一五七頁︶ と説いている。ここでは、無常は無常なりに、差別は差別な りに常住であることを明らかにしている。すなわち、理念と して捉えられがちな涅槃の義と現実の生死を常住の教理で結 び、生死は生死ながらに涅槃の境涯であると示しているので ある。こうしたところに、現実そのままの在り方を徹底肯定 していく姿勢が見受けられる。 また、第六﹁妙覚成道の事﹂では、妙覚成道を唱えること について、 妙覚成道とは 、理即の一念の心において 、これを唱ふるなり 。そ の故は 、理即の体は 、本より如来蔵なり 。如故即空 ・蔵故即仮 ・ 理故即中の故なり 。平等法界 、本来常住にして改めざるを 、 妙覚 と云ひ、 寂光と云ふ。故に理即已上不同ありといへども、 ただこれ、
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 一九五 理即の内の徳を無尽に沙汰するなり 。故に善も悪も 、ただ理即一 念の体なり。 これを知らざる日は、 ただ如来は自身の外にこれあり、 これを知る日は、これ一切自身なり。 ﹃三十四箇事書﹄ ︵﹃天台本覚論﹄日本思想大系九、一五八頁︶ と説いている 。ここでは 、理即の体を如来蔵として位置付 け、妙覚の成道はその理即の位に立って一念の心において唱 えよ、と示している。そして、妙覚を本来常住にしてそのま まである在り方とし、それ故に善も悪もただ理即一念の体で ある、と言うのである。 こうした記述は他にもある。例えば、第二十八﹁煩悩即菩 提の事﹂では煩悩について述べる中、先ず一般的な考え方と して、 譬へば 、極闇の時 、燈分ちて光明あるも 、日中の時 、光明少きが ごとし 。また極寒時には 、氷厚く 、小寒の時には 、氷薄きがごと し。 寒は煩悩のごとく、 氷は菩提のごとし。 煩悩の熾盛なるを以て、 菩提熾盛なるを知るなり。故に煩悩増する時、菩提増するなり。 ﹃三十四箇事書﹄ ︵﹃天台本覚論﹄日本思想大系九、一七八頁︶ と示した後、 全く煩悩を改めて菩提と云ふにはあらず 。ただこの煩悩の体を直 さず 。その体を尋ぬるに 、般若甚深の妙理なり 。煩悩の体即ち法 界なるが故に。 ﹃三十四箇事書﹄ ︵﹃天台本覚論﹄日本思想大系九、 一五八頁︶ と説いている。即ち、 煩悩の体は般若甚深の妙理であるから、 それそのままを菩提として位置付け、法界に他ならないとい うのである。また、第三十﹁一念成仏の事﹂では、一念にお ける成仏の有り方について、 名字即の位において 、知識に遇ひ 、頓極の教法を聞き 、当座に即 ち自身即仏と知つて、 実に余求なきは、 即ち平等大恵に住す。即解 ・ 即行・即証にして、一念の頃に証を取ること、掌を反すがごとし。 ﹃三十四箇事書﹄ ︵﹃天台本覚論﹄日本思想大系九、一七八頁︶ と示した後、更に、 円頓教の意は 、聞思修の行と証とはただ一時なり 。一位より一位 に移らず 。教に遇ふ時 、即ち証なり 。万行 ・万善は 、果後の方便 なり 。故に一家の意は 、教に遇ふを以て証となし 、教のごとく知 つて 、偏好の心を息めしめる上は 、なんの惑をか断ぜん 。故に教 のごとく知るを、仏と名づくと云ふ。 ﹃三十四箇事書﹄ ︵﹃天台本覚論﹄日本思想大系九、一七八頁︶ と述べ、現実の位における教との邂逅を証とし、それそのま ま有り様を成仏の姿として認めるのである。 ﹃三十四箇事書﹄のこうした論理は 、田村氏や花野氏の言 葉を借りれば﹁事常住﹂の思想と言えよう。つまり、常住の 理念の下に、智顗の円教の教理をそのまま現実に当て嵌めた 思想と考えられるのである。換言すれば、円教教理・諸法実 相論の徹底的な現実的展開と言えよう。
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 一九六 もともとは四重興廃説を立てるなどして諸教を判釈し、 教 ・ 観の関連性を押さえた上で観心の優位を主張した日本天台で あったが、後には厳密な修行論によって構築された天台本来 の観心法から逸脱し、一念・一心における本覚・真如の覚知 による成仏を強調し、円頓や常住の理念の下に徹底的な現実 肯定を押し進めた観心至上主義の思想体系として展開して いったといえよう。こうした理論を用いて現実の徹底肯定に 特化したのが本覚法門の特徴であると考える。 円頓止観の教理体系 では、そうした本覚法門の母体となる智顗の円教教理はど のようなものであるのか 。それを 、﹃ 摩訶止観﹄の円頓章を 中心に見てゆきたい 。﹃ 摩訶止観﹄が智顗晩年の著述で 、五 略十広より成ることは周知の通りであるが、その別序に以下 の文がある。 円頓者 。初縁 二 実相 一 造 レ 境即中無 レ 不 二 真実 一 。繋 二 縁法界 一 一 二 念法界 一 。一色一香無 レ 非 二 中道 一 。己界及仏界衆生界亦然 。陰入皆如無 二 苦 可 一レ 捨 。無明塵労即是菩提無 二 集可 一レ 断 。辺邪皆中正無 二 道可 一レ 修。 生死即涅槃無 二 滅可 一レ 証。 無 レ 苦無 レ 集故無 二 世間 一 。無 レ 道無 レ 滅故無 二 出世間 一 。純一実相 。実相外更無 二 別法 一 。法性寂然名 レ 止 。寂而常 照名 レ 観。雖 レ 言 二 初後 一 無 レ 二無 レ 別。是名 二 円頓止観 一 。 巻第一上︵ ﹃大正﹄四六、一頁、下︶ この円頓章は智顗の諸法実相論を端的に示した一段、言う ならば 、天台学における究竟の境地を明示したものと言え る。円頓止観では、諸法と実相が不二であるために一切諸法 は全て真実法、凡仏不二であるために一切衆生は悉く法身と なる。さらに、依正の二報も不二であるために﹁一色一香無 レ 非 二 中道 一 ﹂となり 、従って 、煩悩即菩提 ・生死即涅槃とな るのである。 この文のみを見れば、智顗は徹底した本覚門に立脚して教 理を展開していたと見ることもできる。しかし、これは円教 の教理においてそうなのであって、実際には理 ・ 名 字 ・ 観 行 ・ 相似・分真・究竟の六即義を立てて現実の修行を重んじてい るわけであるから、伝統的な天台止観は決して修行不要論で はない。むしろ修行勧奨論と言える。しかも、 ﹃摩訶止観﹄ で、 始自 二 初品 一 終至 二 初住 一 。一生可 レ 修一生可 レ 証 巻第六下︵ ﹃大正﹄四六、八三上︶ と述べているように、智顗は今生における極果を初住位まで と規定し、それ以上の証果は今生での得果の範疇を超えると した。要するに、不二融即・諸法実相の境涯を理念として据 えながらも、現実には始覚門の立場に立ったのである。こう した智顗の立場は特に銘記すべきである。 ところで、本覚法門が智顗の円教教理と﹃起信論﹄におけ
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 一九七 る本覚論の双方を具える理論であることは先述の通りである が、そもそも両者は異なる構造の思想体系である点に注意し なければならない。 なぜならば、 前者が ﹃妙法蓮華経﹄ ︵以下 ﹃法 華経﹄ ︶を基礎としながら龍樹の空思想に基づいた諸法実相 論であるのに対し、後者は基本的に如来蔵思想を基礎として いるからである。智顗は、そうした如来蔵思想について、例 えば﹃四教義﹄で、 但地論師明。阿梨耶識是如来蔵。即是用 二 別教有門 一 。 ﹃四教義﹄巻三︵ ﹃大正﹄四六、 七三〇下、訓点筆者︶ とか、また、 三約 二 観心 一 明 二 別教 一 者 。観心因縁所生 。即仮名 。具 二 足一切恒沙仏 法 一 。依 二 無明阿梨耶識 一 。分 二 別無量四諦 一 。一切別教所 レ 明行位因 果皆従 レ 此起。 ﹃四教義﹄巻一二︵ ﹃大正﹄四六、七六八上、訓点筆者︶ と述べている。すなわち、 諸法実相論に立つ智顗からすれば、 真如とか阿梨耶識を実体化して、それより一切法が生ずると 説くような如来蔵思想は﹁但地論師明﹂ものであり、 ﹁分 二 別 無量四諦 一 ﹂するものなのである 。従って 、文に ﹁阿梨耶識 是如来蔵 。即是用 二 別教有門 一 ﹂とあるように 、智顗は如来 蔵思想を四教判の別教に位置付けるのである。 龍樹の空思想に連なる智顗の諸法実相論においては一切法 は空であるから、本も迹も空、色も心も空、煩悩も菩提も空 となり 、延いては本迹不二 、色心不二 、煩悩即菩提となる 。 天台止観ではこの諸法実相の論理を重んじるからこそ、例え ば湛然は ﹃法華玄義釈籤﹄ ︵以下 ﹃釈籖﹄ ︶で ﹁本迹雖 レ 殊不 思議一 18 ﹂と説いたり、また﹃法華玄義﹄の迹門十妙に対して 色心 ・内外 ・修性 ・因果 ・染浄 ・依正 ・自他 ・三業 ・権実 ・ 受潤の十種を立てながら、これを法華円教の立場から不二と して捉え、 ﹁故使 二 十妙始終理一 一 ﹂ 19 と示したのである。 ﹃釈籖﹄ のこの部分が後に﹃十不二門﹄として別行されたのも、伝統 的な天台教学がこうした諸法実相の円教教理を重んじたから であろう。 一方、本来清浄の法身を基底とする如来蔵思想では、色や 煩悩は空であるが、心や菩提は空ではないと位置付ける。そ うであるから﹃起信論﹄では先述した﹁心の生滅﹂を説く前 に真如を言説によって空と不空に分け、究竟して実を顕す如 実空と自己に内在する常恒不変の浄法としての如実不空を説 いたり、本覚が染に随う相を智浄相と不思議業相に分けて説 く中で、智浄相を論じるに当たり、水と風と波動の譬喩を説 くのである。要するに、真如を随縁・不変として相対的に観 じながら、随縁であるがゆえの不変真如の存在と、不変であ るがゆえの随縁的な真如の顕現を説くのである 21 。 更に、智顗と﹃起信論﹄の相違点を言えば、智顗は空・実 相という ﹁法﹂を基準とするが 、﹃起信論﹄は法身 ・真如 ・
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 一九八 如来蔵という ﹁体﹂を主体とする点が異なる 。従って 、﹃ 起 信論﹄では衆生の内に本来的に法身が具わることになるが 、 智顗の立場では、諸法実相の法と通じ合うことによって最終 的に衆生も真実実相として現成することになる。つまり、法 の立場に立てば、衆生は実相と通じ合う仏であるが、現実に は始覚によってその境涯に到らなければならないというのが 智顗の主張するところである。 そうした﹃起信論﹄を初めて天台学に取り入れたのは、湛 然である。湛然は、例えば﹃金剛錍﹄で﹃起信論﹄を用いて いるが、それも華厳教学の仏性説を批判するための一つの手 段であったと言う 20 から、伝統的な天台止観における教理の基 盤は 、やはり智顗が構築した諸法実相論であったと言える 。 それが日本天台に到っては、空思想に立つ智顗の諸法実相論 と如来蔵思想に立つ ﹃起信論﹄ の本覚論が重ねられ、 先の ﹃真 如観﹄や﹃三十四箇事書﹄が説くような本覚法門が形成され たのである。従って、智顗が構築した法華円教の諸法実相論 と日本天台の本覚法門は、基本的に異なった思想体系として 弁えなければならないと考える。 本証妙修の解釈 道元禅師の宗旨 ・修証論を明快に表す言葉が ﹁本証妙修﹂ であることは周知の通りである。しかし、注意すべきは、禅 師自身が﹁本証妙修﹂と明言していないことである。 そもそも、この言葉は﹃辦道話﹄第七問答の、 それ 、修 ・証はひとつにあらずとおもへる 、すなはち外道の見 なり。仏法には、修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆえに、 初心の辨道すなはち本証の全体なり 。かるがゆえに 、修行の用心 をさづくるにも 、修のほかに証をまつおもひなかれ 、とをしふ 。 直指の本証なるがゆえなるべし。 すでに修の証なれば 、 証にきはなく 、証の修なれば 、 修にはじ めなし 。ここをもて 、釈如来 ・葉尊者 、ともに証上の修に受 用せられ、達磨大師・大鑑高祖、おなじく証上の修に引転せらる。 仏法住持のあと、みなかくのごとし。すでに証をはなれぬ修あり、 われらさいはひに一分の妙修を単伝せる 、初心の辨道すなはち一 分の本証を無為の地にうるなり。 しるべし、修をはなれぬ証を染汚せざらしめんがために、仏祖、 しきりに修行のゆるくすべからざるとをしふ。妙修を放下すれば、 本証、 手の中にみてり、 本証を出身すれば、 妙修、 通身におこなはる。 ﹃道元禅師全集﹄ ︵以下﹃全集﹄ 、二、 四七〇︱四七一頁、傍線筆者︶ という禅師の説示による成句である。更に、ここでは﹁修証 これ一等なり。いまも証上の修なるゆえに﹂と、 ﹁修証一等﹂ ﹁証上の修﹂が示されている。それ故、 ﹁本証妙修﹂は﹁修証 一等﹂や﹁証上の修﹂と同義として扱われるようになった。
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 一九九 さて、本覚法門と﹁本証妙修﹂の関連性を考察する上で問 題となるのは﹁本証妙修﹂の意味であるが、特に﹁本証﹂の 理解の仕方が重要であると考える 。つまり 、ここの ﹁本証﹂ を本覚法門が説くような ﹁法身 ・ 真 如 ・ 如来蔵の内在﹂ とか ﹁本 来的に証っている﹂というような意味に解釈しても良いのか と言うことである。仮に、そうであれば﹁本証妙修﹂は本覚 法門的な修証論となり得よう。しかし、 ここで道元禅師が ﹁本 証﹂を﹁全体﹂ ﹁直指﹂ ﹁無為の地にうる﹂と説示しているこ とを踏まえると、禅師は﹁本証﹂を本覚法門的な意味、換言 すれば﹁体﹂の意識を以て提示してはいないと考える。 では 、この ﹁本証﹂をどのように解釈するのかと言えば 、 その第一の手がかりは﹃辦道話﹄冒頭の この法は 、人人の分上にゆたかにそなはれりといへども 、いまだ 修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし。はなてば、 てにみてり、一多のきはならむや。かたれば、くちにみつ、縦横、 きはまりなし。 ﹃全集﹄二︵四六〇頁︶ という一文にあると考える。文頭に﹁この法は﹂と明示して いることから 、禅師は ﹁法﹂の立場に立って ﹁修﹂と ﹁証﹂ の関係を ﹁修によってあらわれ、 そのように証することによっ て得ることができる﹂と示していることが解る 。また 、﹁人 人の分上にゆたかにそなはれりといへども﹂という一文から は、禅師が衆生に内在するものとして﹁法﹂を位置付けてい ないことが解る。即ち、 ﹁父母未生己前﹂とか﹁威音音己前﹂ といわれるような無量の過去から、時間・空間を超えてはた らく真実として﹁法﹂を位置付け、それによる而今の衆生と 仏との不断の関係を示しているといえるのである。そうであ れば、禅師は諸法実相の立場に立って﹁修﹂と﹁証﹂の関係 を明かしていると言えるのではなかろうか。更に、そうした 禅師の立場は﹁修﹂と﹁証﹂の関係に止まらないと考える。 例えば﹁仏性﹂巻では﹃涅槃経﹄の﹁一切衆生悉有仏性如 来常住無有変易﹂を読み替えて、 悉有の言は 、衆生なり 、群有なり 。すなはち悉有は仏性なり 、悉 有の一悉を衆生といふ 。正当任麼時は 、衆生の内外すなはち仏性 の悉有なり。 ﹁仏性﹂巻︵ ﹃全集﹄一、 一四頁︶ と示している。先に挙げた﹃辦道話﹄の記述を踏まえてこの 一段を見ると、ここで禅師が﹁悉有は仏性なり﹂と述べてい ることは、万象︵衆生・諸法︶が仏性︵法・実相︶であるこ とを明言していると考える。こうしたところに諸法実相の理 念に基づき 、﹁法﹂を主体とする道元禅師の姿勢が表れてい ると考える。 第二に考慮すべきは、道元禅師が﹁一切衆生は常に仏法に 導かれている﹂ という意識を持っている点である。例えば ﹃ 辦 道話﹄の中に、 このとき 、十方法界の土地 ・草木 ・牆壁 ・瓦礫 、みな仏事をなす
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 二〇〇 をもて 、そのおこすところの風水の利益にあづかるともがら 、み な甚妙不可思議の仏化に冥資せられて、ちかきさとりをあらはす。 ﹃辦道話﹄ ︵﹃全集﹄二、四六三頁︶ という文がある 。ここでは尽界の一切が仏事を為しており 、 それに関わるものは、全て仏の化儀に導かれる存在であると 説いている。言うならば、 常に法に誘引されているからこそ、 時間・空間に関わらず、修は証として現成し得るとというこ とである 。また 、先述の文にある ﹁ここをもて 、釈如来 ・ 葉尊者、 ともに証上の修に受用せられ、 達磨大師 ・ 大鑑高祖、 おなじく証上の修に引転せらる。仏法住持のあと、みなかく のごとし﹂という説示からも、そうした禅師の意識を読み取 ることができよう。こうした主張は他にも、坐禅について、 ここをもて 、わづかに一人一時の坐禅なりといへども 、諸法とあ ひ冥し、諸時とまどかに通ずるがゆえに、無尽法界のなかに、去 ・ 来 ・ 現 に、 常恒の仏化道事をなすなり。彼彼ともに一等の同修なり、 同証なり 。ただ坐上の修のみにあらず 、空をうちてひびきをなす こと、撞の前後に妙声綿綿たるものなり ﹃辦道話﹄ ︵﹃全集﹄二、 四六四頁︶ と示しているところにも表れていると言えよう。 第三に 、禅師の修証観には ﹁祗管打坐﹂と ﹁而今の現成﹂ が関係することも忘れてはならない 。﹁祗管打坐﹂は周知の 通り禅師が説く仏道修行の正門であり 、﹁而今の現成﹂は 、 久遠無窮の時間・空間における﹁而今﹂に現成している真実 と言うことである 。言わば 、﹁ 永遠の今﹂というような時間 観を前提として現今における仏道修行の一瞬一瞬に真実が現 成していると言うことである。 以上の点を踏まえて 、上の ﹁本証﹂の語意を探れば 、﹁本 証﹂は﹃起信論﹄が説く如来蔵思想や本覚法門的な﹁体﹂の 位置付けで解釈すべきではなく、 諸法実相の立場で捉え、 ﹁常 に一切衆生に働きかける無辺際の仏法﹂と理解すべきである と考える。 また、 ﹁本証﹂がこうした意味であれば、 ﹁妙修﹂は﹁仏法 を働かせる修行﹂と解釈すべきであると思われる。そうした 修行であるからこそ禅師は ﹁妙修﹂ と示すのではなかろうか。 そうであれば 、﹁本証妙修﹂は ﹁諸法実相という真理が祗管 打坐によって而今に現成する﹂という修証論であると推察す る。 では 、﹁本証妙修﹂がこのような修証論であるとすれば 、 これが先述した﹃起信論﹄の本覚論、 智顗や湛然の円頓の理、 日本天台教学の﹁中古天台本覚法門﹂と関連するのか否かが 問題となろう。最後に、この点について﹃正法眼蔵﹄におけ る禅師の説示を踏まえながら考察を行いたい。
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 二〇一 本証妙修と本覚法門 ︱まとめに代えて︱ では、上に見てきた事柄を通して本証妙修と本覚法門の関 係を考察したい 。先ず ﹃ 起信論﹄との関係について言えば 、 本証妙修は諸法実相の理念に基づいて、修行による真実の顕 現を主張しているわけであるから、如来蔵思想を基礎とする ﹃起信論﹄の本覚論とは異なる修証論と言える 。そもそも 、 道元禅師の修証論は、 ﹁行持下﹂巻の冒頭に、 仏祖の大道、かならず無上の行持あり、道環して断絶せず、発心 ・ 修行・菩提・涅槃、しばらくの間 伱 あらず、行持道環なり。 ﹁行持下﹂巻︵ ﹃全集﹄一、一四五頁︶ と記されているように 、行持道環の論理構造が前提となる 。 従って、禅師は自己の他に真実としての﹁体﹂を認め、これ を獲得するような修証観は持ち合わせていないと考える。 次に智顗が説く円教の教理と重ねてみたい。智顗が法の立 場に立ち、諸法実相の立場に立って修行を重んじた点は道元 禅師の修証観と通じるものであると考える。ただし、智顗が 今生における極果を初住位までと規定している点は禅師と異 なると言えよう。しかし、 湛然が円教の立場から﹃十不二門﹄ を説き、更には﹃金剛錍﹄において﹁万法は真如﹂であると いう諸法実相の教理を前提として牆壁瓦礫の無情に仏性を認 め、有情・無情の双方に仏法があると論証している点は注意 しなければならない。言うならば、湛然は智顗の説く円教教 理を前面に打ち出し、諸法実相という理念を現実に引き寄せ たと言えるのである。禅師が湛然の著述を熟読していること を考慮すれば、こうした湛然の主張にも注意を払わなければ ならない。 最後に本証妙修と本覚法門を重ねて考察したい。本覚法門 が天真独朗の観心であり一念覚知の速疾成仏論であることは 先述した通りであるが、道元禅師は、先ず﹁覚知の成仏﹂を 認めていないことが知られる 。例えば 、﹃ 宝慶記﹄の第四条 には、 次のような如浄禅師︵一一六三︱一二二八、 以下如浄︶ とのやりとりが記されている。 拝問 。古今善知識曰 、如 二 魚飲 レ 水冷煖自知 一 、此自知即覚也 。 以 レ 之為 二 菩提之悟 一 。道元難云 、若自知即正覚者 、一切衆生皆有 二 自知 一 。一切衆生依 レ 有 二 自知 一 、可 レ 為 二 正覚之如来 一 耶 。或人云 、可 レ 然、 一切衆生無始本有之如来也 。或人云 、一切衆生不 二 必皆是如来 一 。 所以者何 、若知 二 自覚性智即是 一 者 、 即是如来也 、未 レ 知者不 レ 是也 。 如 レ 是等説、可 二 是仏法 一 否。 和尚示曰 。若言 二 一切衆生本是仏 一 者、 還 同 二 自然外道 一 也。 以 二 我我 所 一 比 二 諸仏 一 、不 レ 可 レ 免 二 未 レ 得謂 レ 得、未 レ 証謂 一レ 証者也。 ﹃宝慶記﹄ ︵﹃全集﹄七、 六頁︶ ここで禅師は如浄に﹁魚が水を飲んで冷・暖を自覚するよ うに、この自覚は覚であり、菩提の証果であると言うが、そ
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 二〇二 の自覚が正覚であるのならば一切衆生には自覚がある。衆生 はその自覚によって正覚の仏であるか。また、一切衆生は本 来的に仏であるとも言う。更に、一切衆生は必ずしも仏では なく、自覚性智の者が仏であり、そうでないものは仏ではな いとも言うが、これらの説は仏法であるのか﹂と問い掛けて いる。 これに対して如浄は﹁仮に、一切衆生が本来的に仏である と言えば、それは自然外道の見解と同じである。自己と自己 の所有する主体を以て、諸仏と比べれば、未だ証果を得てい ないのに得たと思い、未だ仏法を証していないのに証したと 思う増上慢の者の見解を免れることはできない﹂と応答して いる。 この第四条は 、多くの場合 ﹁心常相滅論﹂や ﹁本来本法 性。天然自性身﹂の疑団と重ねて考察されるが、本覚法門や 修行不要論との関係についても頻繁に採り挙げられる一条で ある 。また 、﹁現成公案﹂巻にある次の文からも同様の見識 が窺える。 諸仏のまさしく諸仏なるときは 、自己は諸仏なりと覚知すること をもちいず。しかあれども証仏なり、仏を証しもてゆく。 ﹁現成公案﹂巻︵ ﹃全集﹄一、三頁︶ この説示には、先の﹃宝慶記﹄第四条における如浄の応答 が反映されていると考えることができるが、ここで禅師が自 己が仏であることを覚知することを明らかに否定しているこ とが理解できよう。更に、 ﹁仏教﹂ 巻に次のような記事がある。 しかあれば 、衆生は天然として得道せり 、といふにあらず 、その 一端なり。 ﹁仏教﹂巻︵ ﹃全集﹄一、三九一頁︶ ここで禅師は明確に衆生が本来的に仏である認識を否定し ている。要するに、修行不要論に陥りかねない本来成仏の説 を退けているのである。 こうした説示内容を見ると、禅師の﹁本証妙修﹂と日本天 台の本覚法門は、現実の得道を説いているという一点におい て通じるものであるが、修証・成仏の論理構造は全く相容れ ないものであると言えよう。すなわち、禅師は本覚法門が主 張するような得道・成仏観を持ち合わせていないと考えるこ とができるのである。以上の考察を通して本証妙修と本覚法 門の関係を言えば、道元禅師は﹃起信論﹄を始めとする本覚 門の立場に立っていないと推察する。 更に言えば、禅師は始覚とか本覚と言う概念自体を認めな いのである 。それは 、﹁ 行仏威儀﹂巻で以下のように説いて いることから明らかである。 行仏それ報仏にあらず 、化仏にあらず 。自性身仏にあらず 、他性 身仏にあらず 。始覚 ・本覚にあらず 、性覚 ・無覚にあらず 。如是 等仏 、たえて行仏に斉肩することをうべからず 。しるべし 、諸仏 の仏道にある、覚をまたざるなり。
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 二〇三 ﹁行仏威儀﹂巻︵ ﹃全集﹄一、五九頁︶ ここで禅師は、始覚・本覚という見解を退け、行仏は﹁諸 仏の仏道における覚を待たないもの﹂と示している。すなわ ち、行仏威儀の即時に﹁覚﹂が現成するというのである。こ のような説示から、禅師は始覚・本覚という﹁覚﹂に対する 相対性を払い、而今における﹁覚﹂の現成を説いていると考 える。この意識は﹁海印三昧﹂巻に端的に示されている。 いはんやいまの道は 、本覚を前途にもとむるにあらず 、始覚を証 中に拈来するにあらず 。おほよそ 、本覚等を現成せしむるは仏祖 の功徳なりといへども 、始覚 ・本覚等の諸覚を仏祖とせるにはあ らざるなり。 ﹁海印三昧﹂巻︵ ﹃全集﹄一、一二〇頁︶ ここでは本覚を現成することができるのは仏祖の功徳では あるが、 始覚や本覚等を仏祖とすべきではないと説いている。 要するに、始覚・本覚という相対的な認識では禅師が主張す るところの﹁仏法の現成﹂は適わないということである。 以上、本証妙修と本覚法門の関係を見てきたが、上の考察 からすれば、禅師が説く修証論・成仏論は、従因向果の始覚 門でも、従果向因の本覚門でもなく、先の﹁行仏威儀﹂巻で 説くような ﹁ 覚﹂の法門であると言えよう 。そうであれば 、 本証妙修は本覚法門的な修証論ではなく、むしろ伝統的な天 台止観における円教の教理、智顗や湛然が構築した諸法実相 論と重なる修証論であると推測する。道元禅師が ﹃正法眼蔵﹄ 等で中国天台教学の典籍を盛んに引用し、説示を展開する理 由の一つとして、以上のような智顗教学との関連性があると 考える。 ︵ 1 ︶﹃天台本覚論﹄ ︵日本思想大系九、 岩波書店、 一九七三年一月、 四七七頁︶ ︵ 2 ︶﹃山家学報﹄一所収、一九一六年六月 ︵ 3 ︶﹃思想﹄六〇所収、一九二六年一〇月 ︵ 4 ︶﹁日本古天台研究の必要を論ず﹂ ︵前掲、一八九頁︶ ︵ 5 ︶﹁中古已来の日本仏教は 、平安朝の初頭に立てる南山 ・北嶺 の教学が 、爾後の日本仏教の二大幹流を為すのであり 、源平 鎌倉に入ると共に 、諸の新仏教を派生したが 、爾後の日本仏 教は 、禅 ・念仏 ・日蓮の三系統を幹流とし 、それ等が最も有 力に人心を司配した 。さてこの禅念仏日蓮等の仏教は 、 何を 母体として産声を揚げたのであらうか 。日本仏教史上 、この 場合先づ推すべきは日本の古天台であらう 。﹂ ︵﹁日本古天台研 究の必要を論ず﹂ 、前掲、一七八頁︶ ︵ 6 ︶両氏の纏まった研究成果としては 、硲慈弘氏の ﹃日本仏教 の展開とその基調﹄ ︵三省堂 、一九四八年︶ 、田村氏の ﹃鎌倉 新仏教思想の研究﹄ ︵平楽寺書店 、一九六五年三月︶ 、﹃本覚思 想論﹄ ︵田村芳朗仏教学論集一 、春秋社 、一九九〇年一一月︶
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 二〇四 等が上げられよう。 ︵ 7 ︶道元禅師と本覚思想についての論考は 、本覚思想そのもの の研究においても論じられている場合もあり枚挙に暇がない 。 道元禅師と本覚思想の関係を主題とした論考を限定して採り 挙げてみても以下の如くである。 ︿以下、あ順、敬称略﹀ 粟谷 良道 ﹁道元の本覚思想批判について﹂ ︵﹃仏教学﹄四〇 所収、一九九九年三月︶ 池田 魯参 ﹁道元禅師と天台本覚思想︱御抄における天台義 批判︱﹂ ︵﹃宗学研究﹄一三所収、一九七一年三月︶ 同 ﹁道元の本覚思想批判﹂ ︵﹃道元学の揺籃﹄ 、前掲 、 九一頁以降︶ 同 ﹁道元と中古天台本覚思想︱ 「正法眼蔵法華転 法 華 」 を 通 路 と し て ︱ ﹂︵ ﹃ 仏 教 学 ﹄ 三 二 所 収 、 一九九二年三月︶ 同 ﹁本覚思想の研究動向に思う﹂ ︵﹃道元思想大系﹄ 一四﹁思想﹂八所収、同朋舎、一九九五年九月︶ 伊藤 秀憲﹁ ﹃正法眼蔵﹄ 理解の視点﹂ ︵﹃宗学研究﹄ 二九所収、 一九八七年三月︶ 鏡島 元隆 ﹁道元禅師と天台本覚法門︱法華経引用に関連し て︱﹂ ︵﹃宗学研究﹄二所収、一九六〇年一月︶ 同 ﹁本証妙修の思想史的背景﹂ ︵﹃宗学研究﹄七所収 、 一九六五年四月︶ 同 ﹁本証妙修覚え書き﹂ ︵﹃駒澤大学仏教学部論集﹄ 一八所収、一九八七年一〇月︶ 佐々木俊道 ﹁道元禅と天台本覚法門に関する一考察﹂ ︵﹃ 印度 学仏教学研究﹄七三所収、一九八八年一二月︶ 同 ﹁道元禅師と本覚法門に関する一考察︱ ﹁天台伝 南岳心要﹂をめぐる諸問題︱ ﹂︵ ﹃宗学研究﹄三五 所収、一九九三年三月︶ 同 ﹁道元禅と本覚法門︱源信に関わる二 、 三の問題 ︱﹂ ︵﹃宗学研究﹄四〇所収、一九九八年三月︶ 同 ﹁ 証 真 の ﹁ 異 義 ﹂ に つ い て ︱ 道 元 禅 と 本 覚 法 門 を め ぐ る 一 考 察 ︱ ﹂︵ ﹃ 宗 学 研 究 ﹄ 三 一 所 収 、 一九八九年三月︶ 田村 芳朗﹁道元と天台本覚思想﹂ ︵﹃鎌倉新仏教思想の研究﹄ 、 平楽寺書店、一九六五年三月、五四八頁以降︶ 同 ﹁道元の本覚思想﹂ ︵﹃道元思想の特徴﹄ ﹁講座道元 Ⅳ ﹂所収、春秋社、一九八〇年九月、七四頁以降︶ 同 ﹁道元と本覚思想﹂ ︵﹃本覚思想の源流と展開﹄ 、平 楽寺書店、一九九一年一月︶ 角田 泰隆 ﹁道元禅師の修証観に関する問題について ︵一︶ ︱ 本 証 妙 修 を と り ま く 諸 問 題 ︱ ﹂︵ ﹃ 宗 学 研 究 ﹄ 二九所収、一九八七年三月︶ 同 ﹁道元禅師の修証観に関する問題について ︵三︶ ﹂
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 二〇五 ︵﹃宗学研究﹄三〇所収、一九八八年三月︶ 西島 和夫﹁正法眼蔵における本覚 ・ 始覚思想について﹂ ︵﹃ 宗 学研究﹄三〇所収、一九八八年三月︶ 袴谷 憲昭 ﹃本覚思想批判﹄ ︵大蔵出版 、一九八九年七月 、特 に三一九頁以降︶ 硲 慈弘﹁鎌倉時代に於ける心常相滅論に関する研究﹂ ︵﹃ 大 正大学学報﹄三四所収、一九四二年一〇月︶ 花野 充道 ﹁道元と天台本覚法門﹂ ︵﹃印度学仏教学研究﹄ 一〇五所収、二〇〇四年一二月︶ 同 ﹃天台本覚思想と日蓮教学﹄ ︵山喜房 、二〇一〇年 九月、特に六三八頁以降︶ 松本 史朗 ﹁道元と如来蔵思想︱批判宗学の可能性について ︱ ︵上︶ ﹂︵ ﹃駒澤大学仏教学部研究紀要﹄ 五六所収、 一九九八年三月︶ 同 ﹁道元と如来蔵思想︱批判宗学の可能性につい て ︱ ︵ 下 ︶ ﹂ ︵ ﹃ 駒 澤 大 学 禅 研 究 所 年 報 ﹄ 九 所 収 、 一九九八年三月︶ 山内 舜雄 ﹁道元禅師と本覚法門について﹂ ︵﹃印度学仏教学 研究﹄一七所収、一九六一年一月︶ 同 ﹁道元禅師と本覚思想﹂ ︵﹃宗学研究﹄三五所収 、 一九九三年三月︶ 同 ﹁道元禅と天台本覚法門﹂ ︵﹃教化研修﹄二九所収 、 一九八六年三月︶ 同 ﹁硲慈弘氏の道元禅師における本覚法門批判への 研究について﹂ ︵﹃道元思想大系﹄一四 ﹁思想﹂ 八所収、同朋舎、一九九五年九月︶ 同 ﹁本証妙修と本覚法門︱宗学の論争点をめぐって ︱﹂ ︵﹃道元思想大系﹄ 一四 ﹁思想﹂ 八所収、 同朋舎、 一九九五年九月︶ 同 ﹃道元禅と天台本覚法門﹄ ︵大蔵出版 、一九八五年 六月︶ もちろん 、禅師と本覚法門の関係を考察した論考はこれに限 るものではなく、諸氏が各々の考察の中で取り扱っている。 ︵ 8 ︶これは 、花野氏が ﹁道元と天台本覚法門﹂ ︵前掲︶で提言し ていることであるが 、本覚法門を考察する上で重要な指摘で あると考える 。花野氏は 、﹁本覚思想と本迹思想︱本学思想批 判に応えて︱ ﹂︵ ﹃駒澤短期大学仏教論集﹄九所収 、二〇〇三 年一〇月︶ 、﹁本覚思想の定義をめぐって﹂ ︵﹃印度学仏教学研究﹄ 一〇四所収、 二〇〇四年三月︶ 、﹁天台本覚思想の論理構造﹂ ︵﹃ 印 度学仏教学研究﹄一一〇所収 、 二〇〇六年一二月︶ 、﹁ 智顗と 如来蔵思想﹂ ︵﹃印度学仏教学研究﹄一一六所収 、二〇〇八年 一二月︶ 等の論稿をはじめ、 ﹃天台本覚思想と日蓮教学﹄ ︵前掲︶ においても一貫してこの点を主張している。 ︵ 9︶﹃ 大 乗 起 信 論 ︱ 仏 教 の 普 遍 性 を 説 く ︱ ﹄ ︵ 大 蔵 出 版 、
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 二〇六 一九九八年五月、六四頁︶ ︵ 10︶﹃道元学の揺籃﹄ ︵大蔵出版、一九八九年一二月、一〇六頁︶ ︵ 11︶﹃道元学の揺籃﹄ ︵前掲、一一〇頁︶ ︵ 12︶これについては後述する。 ︵ 13︶ 花野氏 ﹁本覚思想と本迹思想︱本覚思想批判に応えて︱﹂ ︵前 掲、一九頁︶ ︵ 14︶安然の思想研究については 、末木文美士氏の一連の研究 、 並びに ﹃平安初期仏教思想の研究︱安然の思想形成を中心と して︱ ﹄︵春秋社 、一九九五年二月︶が代表的な成果として挙 げられよう。 ︵ 15︶田村氏は ﹁ 天台本覚思想概説﹂ ︵前掲 、四八〇︱四八三頁︶ において本覚思想の進展段階を不二相即論 ︵空的相即論︶ ・内 在的相即論 ・ 顕現的相即論 ・顕在的相即論の四期に分けてお り 、 それを踏まえて花野氏は ﹁本覚思想と本迹思想﹂ ︵前掲︶ で本覚思想を 、① ﹃起信論﹄に説かれる本覚内在論 、② ﹃真 如観﹄ などに説かれる流出論的な本覚思想、 ③ ﹃三十四箇事書﹄ などに説かれる事常住の本覚思想の三種に大別し 、本覚思想 に対する田村氏や硲慈弘氏の位置付けに対して ﹁田村先生は 、 ②と③の思想を ﹁天台本覚思想﹂ 、それ以前の思想を ﹁先駆的 な本覚思想﹂というように分けられました 。さらに②の思想 を ﹁顕現的相即論﹂ 、③の思想を ﹁顕在的相即論﹂と呼ばれて います。硲先生は、 道元の﹁心常相滅論﹂批判を、 ﹃五部血脈﹄ や ﹃ 牛頭法門要纂﹄に説かれる天台本覚思想 、すなわち②の 思想ではないか、 と推測されました﹂ ︵五一頁︶と述べている。 ︵ 16︶本覚法門における主要文献の成立年代については 、田村氏 が ﹁天台本覚思想概説﹂ ︵前掲 、五二一︱五四〇頁︶で行って いる。それを簡潔に記せば以下の通りである。 第一次的形態 ︵平安後期一一〇〇︱平安末期一一五〇︶ ﹃本理 大綱集﹄ ︵伝最澄︶ 、﹃円多羅義集﹄ ︵伝円珍︶ 第二次的形態 ︵平安末期一一五〇︱鎌倉初期一二〇〇︶ ﹃牛頭 法門要纂﹄ ︵伝最澄︶ 、﹃五部血脈﹄ ︵伝最澄︶ 、﹃ 本覚讃﹄ ︵伝良源︶ 、﹃本覚讃釈﹄ ︵伝源信︶ 第三次的形態 ︵鎌倉初期一二〇〇︱鎌倉中期一二五〇︶ ﹃真如 観﹄ ︵伝源信︶ 、﹃三十四箇事書﹄ ︵枕雙紙、 伝源信︶ 第四次的形態 ︵鎌倉中期一二五〇︱鎌倉末期一三〇〇︶ ﹃修禅 寺決﹄ ︵伝最澄︶ 、﹃断証決定集﹄ ︵伝最澄︶ 、﹃ 三 大章疏七面相承口決﹄ ︵伝最澄︶ 、﹃漢光類聚﹄ ︵伝 忠尋︶ 、﹃法華略義見聞﹄ ︵伝忠尋︶ 第五次的形態 ︵鎌倉末期一三〇〇︱南北朝期一三五〇︶ ﹃法華 肝要略秀句集﹄ ︵伝最澄︶ 、﹃法界心体論﹄ ︵ 伝 最澄︶ 、﹃紅葉抄﹄ ︵伝澄豪︶ 、﹃河田谷十九通﹄ ︵信 尊︶ 、﹃ 一帖抄﹄ ︵一三二九、 信聡筆︶ 、﹃ 二帖抄﹄ ︵相 伝法門見聞、一海筆︶ 、﹃八帖抄﹄ ︵一海筆︶ 第六次的形態 ︵南北朝期一三五〇︱室町時代一四〇〇︶ ﹃蔵
﹁道元禅師と中古天台本覚法門 ︱中国天台教学を通路として︱﹂ ︵清野︶ 二〇七 田 抄 ﹄︵ 一 三 四 七 、 豪 海 ︶、 ﹃ 等 海 口 伝 抄 ﹄︵ 宗 大事口伝抄 、一三四九 、等海︶ 、﹃八帖抄見聞﹄ ︵一三六七、 直海︶ 、﹃七帖見聞﹄ ︵天台名目録聚鈔、 一四〇二、 貞舜︶ 、﹃二帖抄見聞﹄ ︵一五〇一、 尊舜︶ 、 ﹃三大部見聞﹄ ︵尊舜︶ 、﹃法華鷲林拾葉鈔﹄ ︵尊舜︶ この田村氏の説に対し、 花野氏は﹃天台本覚思想と日蓮教学﹄ ︵前掲 、六五一頁︶で述べているように 、﹃観心略要集﹄を源 信の真 、﹃三十四箇事書﹄を皇覚の切紙と見て時代設定を行 い 、田村氏のそれより全体的に五十年から百年ほど繰り上げ て見ている。なお、 両氏によれば ﹃真如観﹄ と ﹃三十四箇事書﹄ は同一の思想内容のものではないとされるが 、ここでは道元 禅師在世当時の本覚法門の思想体系を把握するために両書を 取り上げた 。また 、花野氏は一貫して 、﹃真如観﹄は如来蔵思 想に基づく ﹃起信論﹄立ちの本覚思想文献であり 、﹃三十四箇 事書﹄ は智顗教学に基づく円教立ちの本覚思想文献である ︵た だし 、﹃真如観﹄にも円教立ちの思想 、﹃三十四箇事書﹄にも 如来蔵思想立ちの思想が見られるとする︶と主張している。 ︵ 17︶これについては後述する。 ︵ 18︶﹃釈籖﹄巻第一四︵ ﹃大正﹄三三、九一八上︶ ︵ 19︶﹃釈籖﹄巻第一四︵ ﹃大正﹄三三、九二〇上︶ ︵ 20︶﹃起信論﹄の真如説については種々の論考がある 。例えば 花野氏は ﹃起信論﹄の真如を ﹁ 随緑﹂としているが 、古く 脇谷撝謙氏は ﹁起信論は果たして縁起論なりや﹂ ︵﹃六條学 報﹄七四所収 、 一九〇七年一二月︶という論文の中で 、 真如 縁起説を否定している 。また 、近年では吉津宜英氏が ﹁起信 論と起信論思想﹂ ︵﹃駒沢大学仏教学部研究紀要﹄六三所収 、 二〇〇五年三月︶の中で ﹃ 起信論﹄の真如説は 、 真如凝然で あると述べ︵一四頁︶ 、真如凝然説を提言している。 ︵ 21︶ 池田氏﹁本覚思想の研究動向に思う﹂ ︵前掲、三〇二︱ 三〇五頁︶