教 育 臨 床 学
‑教 室 実 践 知 考 1
一 教 育 臨 床 の 位 置 づ け
村 田 義 幸 ﹃教 育 臨 床 の 意 味 ﹄ (﹃ 教 育 実 践 選 球 指 導 セ ン タ ー 年 報 ﹄
恥
9長 崎 大 学 教 育 学 部 平 成 八 年 度 一 九 九 七 ・ 七 刊 ) に は 、 大
い に 元 気 づ け ら れ た 。 氏 の 論 に 、 私 な り の 研 究 実 践 ﹃教 育 臨 床 学
‑
教 室 実 践 知 考 ﹄ か ら 「 私 な り の 」 と い う 限 定 を は ず し て も よ い
の で は 、 と い う 示 唆 を 見 た か ら で あ る 。
氏 は 、 教 育 臨 床 を 言 う に 、 ま ず 、 教 育 と い う も の を 次 の よ う に
と ら え て み せ る 。
教 育 は 、 (略 ) 一 人 ひ と り の 子 ど も た ち が 個 性 化 と 社 会 化 の 統 合 を 図
り な が ら 成 長 ・発 達 す る の を 援 助 す る 営 み で あ る 。 (略 ) も し 、 こ の 成
長 ・発 達 の 過 程 に 究 極 の 到 達 点 と ゴ ー ル が あ り 、 「あ る べ き 姿 (完 態
co m p l e ‑ e S ‑ a t e ) 」 に 到 達 す る ま で 指 導 ・援 助 す る の が 教
育 で あ る と す る と ' 子 ど も た ち に 随 分 と 苛 酷 な 要 求 を す る こ と に な る 。
む し ろ 、 個 人 が ' 他 者 と の か か わ り の 中 で 自 分 な り の 生 き 方 を 発 見 し 、 「今 、 こ こ で の 」生 酒 を ' 自 己 実 現 に 向 け て 生 き 生 き と 送 る の を 援 助 す
る の が 教 育 の 役 割 で あ る と 考 え る (四 九 貢 )
教 育 を こ の よ う な 営 み と と ら え る か ら こ そ の 教 育 臨 床 と い う わ
け で あ る 。
こ の こ と は 、 安 河 内 の 設 計 ・ 展 開 す る 国 語 教 室 ' そ し て 具 体 的
な 、 例 え ば 作 文 教 室 に 引 き つ け て 言 え ば 、 次 の よ う に な る 。
安 河 内 ⁚ 教 育 臨 床 学
‑教 室 実 践 知 考 1 安 河 内 義 己
⁚ 」 れ か ら の 国 語 教 室 は 学 習 者 ・ 子 ど も が 自 己 表 現 活 動 と し て の 言 請
活 動 を 、 (略 ) 学 習 者 ・子 ど も が 菩 々 と し て 行 う と こ ろ 、 そ し て 、 確 か
に 自 己 表 現 に 至 る と こ ろ と な る べ ‑ 、 ま す ま す そ の 作 動 機 構 の 改 良 を
進 め て い か な け れ ば な る ま い .V
・ 私 た ち は 、 い と も 簡 単 に 子 ど も に 体 験 を さ せ る と い う け れ ど も 、 子
ど も 自 身 が 、 自 分 の た め に 、 自 分 の 手 で ' 自 分 の 活 動 を や っ て こ そ '
し た が っ て 、 そ こ に は 、 こ の 事 例 に 見 た よ う に い ろ ん な ド ラ マ も ま た
展 開 さ れ る 、 と い う こ と が あ っ て こ そ 子 ど も の 体 験 な の で あ る 。 自 己
と い う も の は 、 こ う い う 場 に よ っ て 初 め て 芽 生 え 、 表 出 さ れ 、 表 現 さ
れ て ‑ る 。
こ う 見 て ‑ る と 、 作 文 = こ と ば を 綴 っ て 文 を 作 る こ と 、 そ れ を 作 文
だ と 考 え た こ と が 、 そ も そ も 国 語 教 室 の 間 違 い だ っ た と い う こ と に 気
づ か れ よ う 。
こ れ か ら は 、 作 文 で は な ‑ 、 作 自 (己 ) と し よ う 。 そ う す る こ と に
ょ っ て 、 私 た ち は 「書 ‑ こ と が な い 」 と い う 子 ど も の い ち ば ん の 悩 み
を 払 拭 す る こ と が で き る 。
こ う す る こ と の メ リ ッ ト は な に も 国 語 教 室 に 限 っ た こ と で は あ る ま
い 。 作 自 己 は 、 例 え ば 音 楽 教 室 で は ' 作 曲 、 演 奏 、 歌 唱 と い う 具 体 を
と る で あ ろ う し 、 図 工 教 室 で は 、 作 図 、 作 製 ' 制 作 と い う 具 体 を と る 2 で あ ろ う か ら で あ る 。
仮 に 教 育 を 、 村 田 氏 の 言 葉 を 借 り て 、 「 あ る べ き 姿 」 を 「 ゴ ー ル 」
■
長崎大学教育学部教科教育学研究報告
第 三 十 号
として設定し、そこに「到達」させることとしてみよう。
そうすると「あるべき姿」とは、今の学校教育でいえば、各教
科、道徳、特別活動が言うところの指導内容事項である。そして、
そこに「到達」させるとは、それら指導内容事項を間違いな‑、
伝達し、受容させ、そこに感化させていくことである。
ここに見られる教育の論理は、ひとことでいえば、「再生‑コピ
ーの論理」である。「再生
=
コピーの論理」は、工場生産の論理と原理は同じであって、この論理を支えているのは、(普遍性)(請
理性)へ客観性)である。これによって、いつでも、どこででも、
必要に応じて、同じ物が、大量に生産される。したがって、そこ
では、中村雄二郎氏が言う(﹃臨床の知とは何か﹄五貢岩波新書
一九九二年)ように「生命現象のもたらす意味の発生、自律的な
振舞い、自己創造などが真っ向から扱われることがない」。,AJれに対して、村田・安河内が言う教育の論理は「再構成の論3理十である。この論理を支えるのは、(固有性)(多義性)(体験性)
である。中村氏の吉を借りれば、(コスモロジ
ー
)(シンボリズム)(パフォーマンス)ということになる。
近代科学の普遍性を代表するものとしてデカルト的、ニュートン的
な物理学の(無限空間)(絶対空間)(略)が前面に登場することによ
って覆い隠されるようになったのは、有機的なまとまりをもった宇宙、
他にない固有の場所としてのコスモスである。このコスモスとは、大
宇宙(マクロコスモス)だけにかぎらない。それは、生命体が個体、
集合的にそのなかに生きるさまざまな国有の場所を指している。その
ことに着眼すれば、近代科学の(普遍性)が排除したのは、ほかでも
ない、事物のコスモス的な在り様を示す(コスモロジー)原理だとい
うことになる。(略) 二
近代科学の論理性、いっそう正確には論理的な一義性は、一つの原
因に対する一つの結果という単線的な因果関係を説‑のにきわめて適
している。(略)しかし、実際には(現実)は、もっといろいろな側面
あるいは多義性をそなえている。(略)環境との相関関係がはるかに複
雑な生命体や人間的事象になると、いっそうその性格がつよまる。し
たがって、(論理性)の原理が無視し排除したのは、(略)事物の多義
性としての(シンボリズム)(象徴表現)の原理だということになる。
(略 )
近代科学の客観性は、(略)客観や対象とは、主観や主体の働きかけ
を受け被る、単なる受け身のもの、受動的なものでしかない(とする
‑‑
安河内が付加)。つまりそこでは、事物の側からのわれわれに対する働きかけ、われわれの側からいえば受動になるような作用は一切無視
され、無いものとされている。とはいえ、事物とわれわれの具体的な
関係を成り立たせているのは、働きかけを受けつつおこなう働きかけ、
つまり受動的な能動とも言うべきものではなかろうか。そのような在
り様を人間のいとなみとして具体的に示せば、自分の身体を他人の視
線にさらして行う行動、つまり(パフォーマンス)ということになる
だろう。(前出書八、九貢)
中村氏は'以上を「わかりやす‑言いなおせば、(固有世界)(辛
物の多義性)へ身体性をそなえた行為)の三つである。これらをあ
わせて体現しているのが、私の(臨床の知)としてモデル化した
ものである。(略)へフィールドワークの知)と名づけてもいい」(前出書九、一
〇
貢)と言う。この(フィールドワークの知)とは、うまい名づけであり、す
ぐれて実践的なとらえである。安河内は、国語教室の授業をフィ
ールドと見立て、「知のフィールドワーク」と命名、1九九七年度
前 期 講 義 ﹃国 語 科 教 育 研 究 ﹄ を 、 次 の よ う に 計 画 、 実 施 し た 。
フ ィ ー ル ド 学 を 学 ぶ ‑ 観 を つ ‑ ち
次 の
1‑13 講 の テ
ーマ に 沿 っ て 、 受 講 者 は フ ィ ー ル ド ワ ー ク を 行 い 、
そ の 成 果 を 発 表 す る
。フ ィ ー ル ド ワ ー ク の 進 め 方
‑
提 示 さ れ た 教 材 を フ ィ ー ル ド と し 、 そ こ か ら 学 習 者 ・ 教 師 の
学 習 活 動 ・ 教 育 活 動 の 事 実 を 取 材 す る 。
2
取 材 し た 学 習 活 動 ・ 教 育 活 動 の 事 実 に 、 教 育 学 的 解 釈 を 与 え
る 。 具 体 的 に は 、 次 の よ う に 川 事 実 の 分 析 を し 、 分 類 す る 。 切 分 類 し た も の へ の 命 名 を 試 み る O 脚 事 実 の 関 係 づ け や 構 造 化 を 進 め る 。 仙 構 造 化 し た も の へ の 命 名 を 試 み る 。
3
教 育 学 的 解 釈 を し た も の に 教 育 学 的 意 味 を 与 え る 。
4 教 育 学 的 意 味 を 与 え た も の に つ い て 、 教 育 学 的 価 値 判 断 を す
る 。
51‑4
を ふ ま え ' 自 分 な り の 試 案 づ ‑ り を す る 。 仙 1 の 事 実 を 有 効 な も の ' そ う で な い も の に 分 別 す る 。 似 I の 事 実 に 不 足 す る も の を つ ‑ り 加 え る . 仙川 ^ sB の こ と を 材 に 再 編 成 を 試 み る 。
6
発 表 ‑ 討 議 。 *
2‑6の ワ
ーク に あ た っ て は 、 な ぜ そ う な の か 、 自 分 の 子 ど
も 観
、教 師 観
、教 材 観 、 言 語 観 、 教 授 観 、 学 習 観 な ど 、 ○ ○ 観
を 洗 い 出 し っ つ 、 ま た そ の 変 更 を し つ つ ' 理 由 を 明 ら か に す る 。
3講 4
〃5〃
6
講
7
〃
14
講 テ ー マ ・ 「 ﹃人 は い か に し て 学 ぶ か j 学 び の 事 実 の 取 り 出 し と そ
の 教 育 学 的 意 味 づ け ﹄
教 材 説 明 文 「波 に た わ む れ る 貝 」 森 圭 7 (東 京 書 籍
説 明 文 「 チ ョ ウ の 飛 ぶ 道 」 日 高 敏 隆 (三 省 堂
テ ー マ ・ 「 こ れ ま で の 教 育 ⁚ 」 れ か ら の 教 育 」
教 材 v T R 視 聴 「詩 の 音 読 ・ 朗 読 ・ 群 読 」 の 授 業
中 一 と 小 六 の 場 合 の 比 較 を と お し て
テ ー マ ・ 「国 語 教 室 の 具 体 を 設 計 す る 」
教 材 v T R 視 聴 「詩 の 音 読 ・ 朗 読 ・ 群 読 」 の 授 業
「 ﹃ お 祭 り ﹄ 北 原 白 秋 の 授 業 中 二 の 場 合
テ ー マ ・ 「授 業 設 計 」
教 材 V T R 視 聴 「古 典 の 音 読 ・ 朗 読 ・ 群 読 」 の 授 業
∃ 平 家 物 語 ﹄ の 授 業 中 二 」 の 場 合
テ ー マ ・ 「授 業 設 計 ‑ 対 話 活 動 を ど う 設 定 す る か 」
教 材 V T R 視 聴 「古 典 の 対 話 活 動 」 の 授 業
「 ﹃ お く の ほ そ 道 ﹄ の 授 業 中 三 」 の 場 合
テ ー マ ・ 「授 業 設 計
〜課 題 設 定 を ど う 進 め る か 」
教 材 v T R 視 聴 「短 歌 の 課 題 設 定 」 の 授 業
「 ﹃死 に た ま ふ 母 ﹄ 斉 藤 茂 吉 の 授 業 中 二 」 の 場 合
テ ー マ ・ 「言 語 活 動 の い ろ い ろ 」
中 六
一 上 ヽ . ̲ ̲ ′ )
安 河 内 ⁚ 教 育 臨 床 学
‑教 室 実 践 知 考 ‑
長 崎 大 学 教 育 学 部 教 科 教 育 学 研 究 報 告 第 三 十 号
こういう「再構成の論理」によって、共同体が真に必要とする
そのときに、協同・共同の場で、共同体の目的に即して、独自の
新しい文化が誕生せられる。そして、その過程において'いまあ
る文化の伝達と受容も、欠‑ことのできない要件として進められ
ていく。
以上のような教育の営みにおいてなされる教育臨床の目的は、
村田氏によればこうである。
教 育 臨 床 の 目 的 は
、(略 ) 知 能 や 情 緒 の 発 達 に 問 題 を も つ 児 童 ・生 徒
に 対 し て 、 問 題 解 決 や 治 療 ・ 指 導 を め ざ す 治 療 的 援 助 だ け で な ‑ 、 親
や 教 師 が 、 何 ら 問 題 な い と 考 え る 児 童 ・ 生 徒 の 自 己 実 現 や 創 造 的 な 生
き 方 へ の 援 助 (開 発 的 援 助 ) も 含 ま れ る 。 つ ま り 、 全 て の 児 童 ・ 生 徒
が 教 育 臨 床 の 対 象 な の で あ る 。 (五 1 頁 )
これに異論はない
。
ただ、「‑‑だけでな‑‑‑も含まれる」という文脈で目的をとらえるよりも、教育臨床の目的は児童生徒の
自己実現への援助にある、とまずはしたい。そのうえで'氏が言
うように、これには「治療的援助」と「開発的援助」とがある、
とする。(安河内はこれに「発育的援助」を加えたい。これについ
ては後述する。)
ニ教育臨床の担い手
そこで'以上のような教育臨床を誰が担うかである。
村田氏は、「学校において教育臨床を担う中心的存在はいうまで
もな‑スクールカウンセラIであるが、教師も心理教育的援助資
源となることが必要である」(前出書五三百)とする。そして、「教
師に求められる資質」を、「①教科の指導者」であること、「②生
四
徒指導(生活指導)者」であること、「③教育臨床の担当者(心理
教育的担当者サービスの担当者)であること(五二、五三頁)、の
三つだと指摘し、その三番目に「教育臨床の担当者であること」
を置‑。そして、教育臨床の内容は、次のとおり、と言う。
・ 日 々 の 学 級 の な か で 展 開 さ れ る 授 業 シ ス テ ム を 最 適 な も の に す る こ
と が 重 要 で あ る 。 従 っ て 、 種 々 の 学 習 指 導 法 取 得 と 実 践 、 教 育 メ デ ィ
ア の 開 発 と 活 用 ' 学 級 づ ‑ り (学 級 経 営 ) の 考 え 方 や 技 術 、 教 育 評 価
の 知 識 と 学 習 者 へ の フ ィ ー ル ド バ ッ ク の 仕 方 (形 成 的 評 価 と 総 合 的 評
価 、
KRの 活 用 な ど )、 児 童 ・生 徒 の 個 性 や 適 性 を 考 慮 し た 個 別 指 導 (過
性 処 遇 交 互 作 用
‑ATI)の 工 夫 、 確 実 な 理 解 を 促 す た め の 問 い か け
や メ タ 認 知 を 促 す 働 き か け な ど 教 師 が 身 に つ け な け れ ば な ら な い 知 識
や 能 力 は 多 い 。
・ 児 童 ・ 生 徒 の な か に は 選 択 基 準 を ま だ 学 習 し て い な い と か (未 学
習 )、 誤 っ た 基 準 を 学 習 (誤 学 習 ) し て い る 者 も い る 。
( 略 ) 未 学 習 の 者 に 対 し て は 適 切 な 行 動 基 準 を 学 習 す る よ う 援 助 ・指 導
し な け れ ば な ら な い し 、 誤 学 習 し て い る 場 合 に は そ れ に ふ さ わ し い 対
応 が 必 要 と な る O 他 方 、 (略 ) 心 理 的 な 問 題 (欲 求 不 満 、 葛 藤 、 不 安 、
ス ト レ ス な ど ) の た め (略 ) の 場 合 に は 、 (略 ) 教 師 に 「 カ ウ ン セ リ ン
グ ・ マ イ ン ド 」 が 求 め ら れ る 。 (前 出 書 五 二 、 三 貢 )
これは大変な内容である
。
とても教室の教師ひとりで担える内容ではない。そこで、氏が言うように「教育臨床を担う中心的存
在はいうまでもな‑スクールカウンセラー」なのだ。が、ここで
問題なのは、具体的な誰をもって「スクールカウンセラー」とす
る か
、な の で あ る
。佐藤学氏は言う。
そ の モ デ ル を 、 イ ギ リ ス に お い て (略 ) 機 能 し て い る テ ィ ー チ ャ
ーズ ・ セ ン タ ー に 求 め る こ と が で き よ う 。 (略 ) わ が 国 の 場 合 、 各 県 、 市
単 位 に 地 方 教 育 セ ン タ ー が 設 置 さ れ て は い る も の の 、 そ の 機 能 は 、 個
別 的 な 問 題 を 抱 え る 教 師 の 具 体 的 実 践 的 な 要 請 を 出 発 と す る も の で は
な ‑ 。 行 政 機 関 が 重 要 と 判 断 し た 事 柄 を 一 律 に 伝 達 し 講 習 す る 様 式 が ■「 支 配 的 で あ る 1
確 か に そ う で あ る 。 私 も 九 年 間 行 政 機 関 に 身 を 置 い て い た の で 、
そ の こ と は 実 感 を 以 て 確 信 さ れ る 。 研 究 主 事 、 研 修 主 事 、 指 導 主
事 で は ス ク ー ル カ ウ ン セ ラ ー に は な り え な い 。
で は 、 大 学 の 研 究 者 か 。 こ れ に つ い て も 佐 藤 氏 は 言 う 。
教 育 研 究 者 は 一 般 に 、 教 師 た ち の 複 雑 な 仕 事 の 理 解 、 教 室 の 事 象 の
複 雑 さ の 理 解 に あ ま り に も 無 知 で あ り 、 そ れ ら の 実 践 的 な 問 題 の 解 決
に 対 し て あ ま り に も 無 力 で あ っ た 。 実 際 、 教 師 の 実 践 を 指 導 す る 研 究
者 は 多 い が 、 教 師 た ち の 抱 え る 複 雑 で 難 解 な 問 題 か ら 学 び 、 そ れ を 敬
師 た ち と 共 に 悩 み 協 同 で 解 決 の 道 を 探 る 研 究 者 は 少 な い 。 教 師 に 対 し
て 指 導 的 に ふ る ま う 研 究 者 ほ ど 、 教 師 の 仕 事 は 単 純 化 さ れ て 捉 え ら れ 、
そ の 指 導 や 助 言 の 根 拠 を 支 え る 自 己 の 研 究 は 薄 弱 で あ り 、 そ の 場 合 は 、
教 育 実 践 の 複 雑 さ や 困 難 さ に 対 す る 無 知 と 自 己 の 専 門 領 域 の 理 解 研 究
の 唆 昧 さ が 、 皮 肉 な こ と に 、 教 師 へ の 不 遜 な 助 言 や 指 導 を 容 易 に し て
い る 。 に も か か わ ら ず 、 そ れ ら の 指 導 的 や 研 究 者 が 存 在 し う る の は 、
教 師 た ち 自 身 が 「授 業 研 究 」 の 枠 組 み に 捕 ら わ れ 、 実 践 場 面 の 不 確 莱
さ と 孤 独 と 不 安 と が 権 威 へ と 誘 惑 を 呼 び 起 こ し て い る か ら だ 。 こ う し
て 、 教 師 と 研 究 者 と の 密 室 の 幸 せ な 結 婚 が 成 立 し て い る の で あ り 、 そ 5 の 相 互 依 存 は 、 「授 業 研 究 」 の 悪 循 環 を 絶 望 的 な も の と し て い る O〜
こ れ も 確 か に そ う で あ る 。 幸 か 不 幸 か 、 私 は 二 七 年 間 小 ・ 中 学
校 に 居 て 、 今 、 大 学 九 年 目 で あ る 。 で は 、 誰 な ら ば 最 適 の ス ク ー
ル カ ウ ン セ ラ ー な の か 。
安 河 内 ⁚ 教 育 臨 床 学 ‑ 教 室 実 践 知 考 1 こ こ で 、 黒 田 玲 子 氏 (東 京 大 学 大 学 院 総 合 文 化 研 究 科 教 授 ) の 、
実 に 時 宜 を 得 た 提 案 に 着 目 し た い 。 氏 は ' 「科 学 の ″ イ ン タ ー プ リ
タ ー ″ が 必 要 」 と 言 う 。 イ ン タ ー プ リ タ ー (I n ‑ 2 r p r e
‑ e r ) と は 、 「科 学 と 実 生 活 の 橋 渡 し を す る 解 説 、 評 論 家 」 で あ
る