学位研究 第
7
号 平成1
0年3
月 (研究ノー ト 資料)〔学位授与機構研究紀要〕
工学の博士学位記
‑ 大 正 ・昭 和 ・平 成 ‑
Di pl omasf ort heDoc t or a lDegr e esConf e r r edi nt heFi el dofEngi nee nng i nTa i s ho,Showaa ndHei s e iEr as
斎藤 安俊
Ya s u t o s h iSAI TO
Re s e a r c h i ‑ nAc a de m i cDe gr e e s , No. 7( Ma r c h,1 9 98 )l t hee s s a y / ma t e r ia
l]Th e J o u ma lo fNa t i o na lI ns t i t u t i o nf o rAc a d e mi cDe g r e e s
工学の博士学位記 一大正 ・昭和 ・平成‑
斎藤安俊*
1.
緒 言現在,わが国で博士の学位 を取得するのは,「課程修了」お よび 「論文提 出」 とい う
2
つの 方式 によって可能である。 これは第2
次世界大戦後の教育改革 において,アメリカ式 ともいえ る大学院制度が導入 され,新制度 による博士の学位 は 「大学院の博士課程 を修了 した者 に授与 する」 ことになったと同時に,それ以前 に行われていた論文提出による学位授与方式が温存 さ れた結果である。 論文提 出による方式 は,「大学院の行 う博士論文の審査 に合格 し,かつ,大 学院の博士課程 を修了 した者 と同等以上の学力 を有することが確認 された者 にも授与すること がで きる」と定め られたことによるもので,審査基準 を大学院博士課程修了による 「課程博士」に置 くことを明確 にしているものの,形式的には旧制学位 として大正
9
年か ら昭和37
年 まで続 いて きた唯一の学位,「論文博士」 に相当するもの といえる。一方,新制学位 としての博士の学位 は,授与 した大学名 を付記 して旧制度 による学位 と区別 することが うたわれてはいるが,旧制博士 と同様 に学位の種類 として専攻分野 を限定的に列挙 して 「○○博士」 と表示 されて きた。 しか しなが ら,平成
3
年7
月に行われた大 きな大学改革 の中で,2本立ての博士の学位授与方式は基本的には変わ らなかった ものの,学位の種類 につ いては,それまでの列挙方式 を廃止 し,適切 な専攻分野の名称 を付記 して 「博士 (○○)」と 表示することになった。以上 に述べた博士論文提出のみによる旧制学位,「課程博士」と 「論文博士」 による新制学 位,そ して博士 (○○)で表示 される平成3年7月以降の学位 は,いずれ もそれぞれの時代 の 学問的背景,社会的情勢などに対応 して性格が規定 されているが,授与 される学位記はどの よ うに異 なるかを知ることは興味深い。そこで本 ノー トでは,3代 (父 ・子 ・孫)にわたって国 立大学 より工学の博士の学位 を授与 された
1
つの例 について,その時期が大正,昭和お よび平 成の年代でそれぞれ上記3つの範噂 に相当することか ら,学位記の記述内容 を紹介 して参考 に 供 したい。それに加えて,これ らの関係者が学部卒業 にあた り授与 された証書の記述内容にも 言及する。 本 ノー トに示す学位記お よび卒業証書は,全国の大学か ら見ればご く一部 にす ぎな いが,3年代 にわたる博士の学位 などが制度の上で どの ような位置 に置かれていたかの一端 を 示す もの と考えられる。 なお,それぞれの授与時期 における博士の学位令などに関 しては,い*学位授与機構審査研究部教授
‑8 1 ‑
くつかの文献1)‑3)か ら引用 した。 また,取得者個人の問題 に関わることか ら,氏名 をは じめ, 学位が授与 された時期,大学名などは原則 として伏せ ることとした。ただ し,故人に係 る一部 については,授与当時の背景 を理解 しやす くするため,授与の時期 などを記載 した。また,大 学,学長 (総長)お よび学部長 (分科大学長)などの公印の位置は省略 した。
2.
旧制度による工学の博士学位記わが国の博士の学位は,明治20年,勅令第十三号 による学位令 に端 を発する。 これはのちに 改定 されたことか ら第一次学位令 とも呼ばれるが,「帝国大学大学院二入 り定規 ノ試験 ヲ経 タ ル者」 に授与 され,これは明治1
9
年 に公布 された帝国大学令が定めた 「大学院二入 り学術技芸 の羅奥 ヲ攻究 シ定規 ノ試験 ヲ経 タル者ニハ学位 ヲ授与ス」に対応するものであった1)。さらに, この学位令 には 「之 卜同等以上ノ学力 アル者二帝国大学評議会ノ議 ヲ経テ」授与することも定 め られていた。この学位令は明治31年 に改正 された。その第二次学位令 によると,博士の学位 は,① 「帝国 大学大学院二人 リ定規 ノ試験 ヲ受ケタル者」,② 「論文 ヲ提 出シテ学位 ヲ請求 シ帝国大学分科 大学教授会二於テ之 卜同等以上 ノ学力 アリ ト認 メタル者」,③ 「博士会 に於テ学位 ヲ授 クへキ 学力アリ ト認メタル者」 に授与 され,さらに,④ 「帝国大学分科大学教授ニハ当該帝国大学総 長ノ推薦二依 り文部大臣二於テ学位 を授 クルコ トヲ得」ということになった。 この第二次学位 令 による③お よび④ の学位 は,「推薦博士」 といわれ,世評 はきわめて悪かったようであると い う1)。そこで,大正
9
年,第三次学位令 として大 きく改正 された。第三次学位令では,「学位 ヲ授与セラレルヘキ者ハ大学学部研究科二於テ
2
年以上研究二従 事 シ論文 ヲ提出シテ学部教員会ノ審査二合格 シタル者又ハ論文 ヲ提出シテ学位 ヲ請求シ学部教 員会二於テ之 卜同等以上 ノ学力 アリ ト認メタル者 トス」とな り, ここに 「論文博士」のみの旧 制学位 として昭和37
年3
月まで続 くのである。 ここで特筆すべ きことは,以前の学位令では学 位授与権が文部大臣にあったが,第三次学位令で大学に移 ったこと,ならびに提出された論文 は学部教員会で審査 されると明確 に規定 されたことである。本 ノー トで最初 に取 り上げる一世は,明治中期の生 まれである。大正
6
年 にA帝国大学理科 大学 を卒業 したのち企業 に就職 したが,当時 としては珍 しく,現場の片隅の貧弱な試験室で行 った研究成果 を学位論文 としてまとめることがで きた。学位請求論文は勤務先 に近いB帝国大 学工学部 に提出され,審査の上,大正1 5
年,「工学博士」の学位が授与 された。 この学位 は上 述の第三次学位令 によるもので,一世は大学の学部 または研究科 (大学院)で2年以上研究 に 従事 したことはないので,学位令後半 にあるそれ と同等以上の学力があると認め られたわけで ある。 この ときの学位記の表示 を図1
に示す。学位記
○ ○
願平民氏名
右論文ヲ提出シテ学位ヲ請求シ
本学学部教授曾二於テ学位ヲ
授クへキ撃力アリト認メタリ偽テ大正
九年勅令第二百鋸学位令二依り
文部大臣ノ認可ヲ経テ玄こ工学博士
ノ
学 位
ヲ授ク大正十五年〇月〇日B帝囲大学
工第〇鋸
図
1
旧制度による工学博士の学位記の例図
1
の学位記か らも明 らかなように,審査が工学部教授会で行われたことがわかる。 第三次 学位令 には,学位審査が学部教員会で行 われることが規定 されたので,大正か ら昭和 にかけて 帝国大学 に研究所が併設 されるようになると,同一大学で も学部教授 は学位審査 に携わること がで きるが,研究所教授 はそれがで きない とい う問題が生 じた。 とくに専門分野が近い学部学 科 と研究所の間では敵齢 をきた した り,誤解 を生 じて,やや もすれば関係が疎遠 にな りやすい こともない とはいえなかった。大学あるいは学部 によっては,学部教授併任 または兼任の形で 研究所教授 に学位審査の権限を認めた り,申請論文の内容 によって研究所教授 を副査 として審 査員 に加えることも行われた。 とくに後者 については,昭和37
年3
月末 日にてこの旧学位制度 が消滅する直前のいわゆる駆 け込み学位 申請が急増 した とき,その例が多かったようである。また,そのような場合,学部教授会構成員以外の教授が教授会に出席することになるが,担当 する申請者の審査の際に限 り出席が認め られた例 もあったといわれている。
以上のような学部 と研究所の間の関係か ら,当該大学 ・学部 ・学科の卒業者でない研究所の 教官などが博士の学位取得の件で苦労 したという弊害があったことは否定で きない。すなわち, 博士号 をもたない研究所の助手,講師,助教授 などで卒業者でない場合 は,論文が まとまって
も学部 に申請 しに くく,恩師またはその関係者 を頼 って出身大学 に論文 を提出 した り, とくに 上司の教授が卒業者でない場合は,教授の紹介で教授の出身校 に申請せ ざるを得 なかった例 も あったようである。
3.
新制度による工学の博士学位記3. 1
初期の新制学位記昭和20年
8
月15
日のポツダム宣言受諾 により,わが国は連合国軍 によって占領 され,アメリ カを主 とする連合国の管理下に置かれることになった。 日本 占領および管理の方針は,連合国‑8 3‑
最高司令官マ ッカーサー元帥の指令 によって実行 に移 され,統治機構 をは じめ として多 くの改 革が行 われた。昭和21年11月
3
日には 日本 国憲法が公布 され,同22年5月3日に施行 された。また,同年,3月31日に教育基本法お よび学校教育法が公布 され,新学期 を期 して4月
1
日に 施行 されて,新学制 に基づ く単線型の6・3・3・4
制 (小学校,中学校,高等学校,大学) を 基本 とする学校制度が確立 された。学校教育法に基づ き,一部分の私立大学は昭和23年 に,大 部分の大学は昭和24年か ら新制大学に移行 し,従来の制度 による大学は旧制大学 と呼ばれることになった。
新制大学の発足 とともに,新 しい制度 に基づ く新制大学院 も登場 した。学校教育法 (昭和二 十二年法律第二十六号)では,第六十二条 「大学には,大学院を置 くことがで きる」 ことにな り,同六十五条により 「大学院は,学術の理論及び応用 を教授研究 し,その深奥 を究めて,文 化の進展 に寄与することを目的 とする」こととされた。学位 については,当時は,同六十八条 で 「博士その他の学位 を授与することがで きる」 とされるにとどまったが,学校教育法施行規 則 (昭和二十二年五月二十三 日文部省令第十一号)第六十八条第一項 により,「学位 に関する 事項 は,学位規則 (昭和二十八年文部省令第九号)の定めるところによる」 ことになった。
先 に述べたように,私立大学の一部は昭和23年か ら新制大学 に移行 したが,それにともなっ て昭和25年度か ら新制大学院の設置が認め られた。 これに対 して,国公立大学は新制大学 とし てのスター トが昭和24年度であるか ら,その時の入学者が4年の学部課程 を修了 して卒業 した 昭和28年度か ら大学院が発足 した。それに応 じて昭和28年
4
月1
日,学位規則 (文部省令第九 号)が公布 され,学位 は 「博士」および 「修士」 となった。 したがって,国公立大学大学院で は,新制度 による最初の修士の学位 は昭和30
年,博士の学位 は昭和33
年に授与 している。 本 ノ ー トにおける二世が取得 した工学博士の学位 は, この制度 による初期の もので,学位記の表示 は図2
に示す とお りである。B大学は旧B帝国大学であるか ら,図
1
の論文提 出のみによる旧制の学位記 と対照す ると, 新旧両博士学位の基本的な違いが明 らかである。 図 2に示 した工学博士の学位記は,戦後の制 度お よび規則 に基づ くものであ り,当時の学位規則第三条では,「博士の学位 は,独創的研究 によって新領域 を開拓 し,学術水準 を高め文化の進展 に寄与するとともに,専攻の学問分野に ついて研究 を指導する能力 を有する者 に授与するもの とする」 と規定 されている。 天野1)によ れば,このような性格規定は,博士の学位が依然 として研究者の 「能力証明書」であると同時 に研究上の 「業績証明書」であるとい う二面性 をもったことを意味するという。少 な くとも新制
1・2回生は,旧制学生 と重複 して大学 に在学 してお り,専 門授業科 目の時
間数が旧制学生 よりも少ないことなどか ら,何か と比較の対象になった。博士の学位 について は,新制度では原則的には大学院博士課程の3
年間,修士課程の2年 を加 えて も5年間の研究 業績で学位取得が可能であるのに対 して,旧制度の学位 には長年にわたる研究業績の積み重ね が必要で,努力賞の意味合いが含 まれていたことは否定で きない。 したがって, とくに実験 を 重視する工学博士の学位では,データや学会発表の数などか ら,新制学位 はやや もすれば旧制 学位 に比べて軽 く評価 され勝 ちであった。それに対 して,新制大学院初期の博士課程学生 には,‑8 4‑
旧制学位 と遜色のない論文作成 を目指 して昼夜実験 に励 んだ者が多かった と思われる。
なお,B大学の大学院工学研究科 は,旧B帝国大学時代 か ら設置 されていた工学部 を中心 に, 附置研究所の工学系研究部門を加 えて発足 した。 したが って,附置研究所の研究部門にも学生 定員が配置 され,教官 は大学院工学研究科の構成員 として,入学者の選考,授業,学位審査 な ど,学部教官 とまった く同 じ立場で担当す ることになった。 この点,前項で述べた旧制度時代 の問題点は大 きく改善 された といえる。 ただ し,旧帝国大学 によっては,附置研究所教官 には 大学院学生が配属 されず,学部学科の主導権が強す ぎるとい う不満が発足時か らもたれ,それ は近年の大学院重点化が実施 されるまで続いた例 もあった ようである。
学位記本籍(都道府県名)
氏名
年月日生
本学
大 学
院工学研究
科○○工学専攻の
博士 課程
において所定の単位を修得し学位論文の審査および最終
試験に合格したので工学博士の
学位を授輿する
昭和〇年〇月〇日
B
大学工博第〇競
図2 新制度による初期の工学博士の学位記の例
3. 2
平成の新制学位記平成
3
年7
月に行 われた大学 をめ ぐる種 々の改革の中で,学位制度が見直 され,関係法令が 改正 された。それに先立つ同年2
月の大学審議会第2
次答 申では,「課程制大学院制度の趣 旨 に沿ってすべての分野 において博士の学位 の授与の円滑化 を図るとともに,学術研究の高度化, 学際領域への展開等の状況 に柔軟 に対処す るため,博士の学位 の種類 について学位規則 によ り 限定的 に列挙す るとい う現行の方式 は廃止す る」 とい う改善案が提 出された。その結果,学位 規則第十条 によ り,「学位 を授与するに当たっては,適切 な専攻分野の名称 を付記す る もの と する」ことにな り,緒言で も述べた趣 旨に従 って,工学博士 にほぼ相当す る博士の学位 は 「博 士 (工学) 」
の ように表示することになった。本 ノー トの三世が工学の博士の学位 を取得 した のはC
大学であ り,その学位記 は横書 きで図3の ようになっている
。 なお, C大学は旧制時代 か らアメ リカ式の大学教育の導入 に積極的で,先述の旧帝大の ような学部 と研究所の間の壁 は 低かった ようである。‑85‑
工博 第〇号
学 位 記
本籍 (都道府県名)
氏 名
年 月 日生
本 学 大 学 院○○ 学 研 究 科
〇〇〇〇 工 学 専 攻 の博 士 課 程 にお い て所 定 の 単 位 を修 得 し学 位 論 文 の 審 査 及 び最 終 試 験 に合 格 した の で 博 士 (工 学 )の 学 位 を授与す る
平成〇年〇月〇 日
C大学
図 3 平成 3年 7月以降の工学の博士学位記の例 (1)
昭和49年 に行われた学位規則改正 によ り,「博士の学位 は,専攻分野 について研究者 として 自立 して研究活動 を行 うに必要な高度の研究能力及びその基礎 となる豊かな学識 を有す る者 に 授与す る もの とす る」 となった。 これ を前節 で述べ た新制度初期 の学位規則 と比較す る と,
「独創的研究」,「新領域」,「学術水準」,「文化の進展」,「研究 を指導する能力」が消 えてお り, 初期 の性格規定 は寺沢3)によると,戦前 の 「博士」 のイメージを色濃 く負 った ものであ り,人 文 ・社会科学分野か らみれば
,3
年や5
年で達成 される目標 ではなかった とい う。 現在 は,大 学院設置基準 (昭和 四十九年六月二十 日 文部省令第二十八号)第四条において,博士課程 は, 改正学位規則の上記括弧内を目的 とすると定め られている。工博第〇号 学位記本籍(都道府県名)
氏名
年月日生
本学大学院工学研究科○○学専攻
の博士課程において博士論文の審
査及び最終試験に合格したので博
士(工学)の学位を授与する
平成
〇
年〇 月
〇日B大学
図4 平成 3年 7月以降の工学の博士学位記の例 (2)
‑8 6
‑ここで,同一大学院における学位記の平成
3
年7
月を境にした前後の違いを比較するため,B
大 学大学院工学研究科学生便覧平成8
年度版か ら「課程博士」学位記の様式 を引用 して図4
に示す。これによる と,博士 の学位 の表記が 「工学博士」ではな く 「博士 (工学)」に変わったのは 当然であるが,新制度初期 の
B
大学の学位記 (図2)
と同一研究科であ りなが ら 「所定の単位 を修得 し」が見 られない。その後の学位 に関す る性格や規則が変わった ことに対応 したことも
考 えられるが,同時期 のC
大学の学位記 (図3)
は約4 0
年前のB
大学の学位記 と様式 はほとん ど同 じである。 B大学が 「所定の単位 を修得 し」を除いた意図は不明であるが,現在の博士 の 学位が 「課程博士」 と 「論文博士」の二本立てであって も,緒言で述べ たように大学院博士課 程修了 に審査基準 を置 くことを考慮す る と,「所定の単位 を修得 し」の もつ意味 は大 きいので はないか と考 えられる。4.
大学の卒業証書寺沢3)によると,わが国の学位制度の第 Ⅰ期 は,文部省が学制 を制定 した明治
5
年か ら帝国 大学が発足 した明治19
年 までの黍明期で,この間に創立 された東京大学が卒業者 に与えた 「学 士」 は学位 であった。 しか しなが ら,帝国大学の発足後 はアメ リカな どの学位であるBa c he l o r
に事実上相当 しなが ら,平成3
年7
月に 「学士」が学位 に位置づけ られるまでの長い間,学士 は単 なる称号であった。 したがって,学部の課程 を修了 した者 に大学が授与す るのは学位記で はな く,卒業証書であって,その授与式 は 「卒業式」であった。本 ノー トの 目的は,博士学位 記の記述法の大正 ・昭和 ・平成3
代 にお よぶ変遷 を示す ことにあるが,平成3
年7月に 「学士」が学位 に位置づけ られるまで,卒業証書 は どの ように記述 されていたか,また,卒業者 に与 え られる,あるいは認め られる称号の 「学士」 は証書 とどの ような結びつ きがあったかを明 らか にすることも,わが国の学位制度研究の一端 を占めるもの と考 えられる。 そこで,本 ノー トで とりあげた工学博士取得関係者の例で,卒業証書のい くつかの内容 を示す ことにする。
まず本 ノー トの一世の大学の卒業証書 を図
5
に示す。文体 は別 として,現代感覚か ら大 きな 違和感があるのは本籍県の後 に 「平民」が付記 されていることである。 明治2
年 に制定 された 族称 において,平民 は華族 ・士族の下位 に区分 されていたが,士族 といって も法律上の特権 は な く平民 と同等であった。大正3
年の戸籍法で,華族 ・士族のみ戸籍 に記載す ることになった が,戸籍用紙か ら族称の欄が消 えたのは昭和13年である4)。参考 までに,明治後期
( 40
年代)の東京帝国大学の卒業証書 を図6
に示す。 この証書 は,後 に中央気象台長 として, さらに随筆家 として も知 られた故藤原咲平博士 とはクラスメー トであ り,「如骨 (じょこつ)」の愛称で親 しまれなが ら,苦 しくて他界 した人5)
の ものである。 国 よ り明 らかなように,「卒業証書」 も本籍や族称 も記載 されていない。国家権力 の権化 の ように 思われた東京帝国大学であるが,図5
のA帝国大学 と年代 に僅かな差異があるとはいえ,封建 的色彩の濃い事項の記載がなされていないことは興味深い。 なお,族称が廃止 されたのは実 に 敗戦後の昭和2 2
年である。‑
8 7‑
第〇鍍卒業謹書○○願平民
氏名
A 帝 国
大学理科大学二於テ左記ノ学科目ヲ修メ成規ノ卒業試問ヲ経タリ偽テ
之ヲ謹ス(35学科目名記載)
大正六年七月十
三 日
A
帝国大挙理科大学長(位階・勲等・学 位 ) 氏
名A 帝 国 大
学理科大学長ノ澄明ヲ認メ玄二卒業謹書ヲ授与ス
A
帝国大学総長(位階・勲等・学位)氏名
図
5
大正前期の大学の卒業証書の例氏名
東京帝囲大学理科大学理論物理学科ヲ
修メ正二其業ヲ卒へタリ偽
テ
之ヲ謹ス
明治四十二年七月十日
東京帝国大学理科大学長
正四位勲二等理学博士桜井錠二
東京帝囲大挙理科大学長ノ
澄
明ヲ認メ玄二東京帝囲大学ノ印ヲ鈴ス
東京帝国大学総長
正三位勲二等男爵横尾新
図
6
明治後期の大学の卒業証書の例図
5
に示す卒業証書 によってA帝 国大学 を卒業 した一世 は,旧制高等学校 の卒業者である。明治1
9
年 に帝国大学が設置 されてか ら,帝国大学へ の予備教育 と高度の実務教育 を行 う目的で, 高等 中学校が設置 された。明治27年 には高等学校令 を公布 して,帝国大学の予備教育 を主体 とした高等 中学校 を専 門学科 を教授す る高等学校 に改変 した。その結果,高等学校 は修業年限
4
年の専 門学部 と帝国大学の予備教育 を行 う3
年の大学予科 とか ら構成 されることになった。高 等学校 によって,法学部 ・医学部 ・工学部が設置 されたが,明治30
年代 に入って医学部が医学専 門学校 として独立 した り,法学部 ・工学部は廃止 されて,高等学校 は大学予科のみ となった6)7)0 一世が高等学校 を卒業 したのはこの時代 であ り,その制度 は大正7
年の高等学校令改正 まで続くのである。
‑88‑
図
7
に大学予科修了を認めた旧制高等学校の卒業証書 を示す。明治後期および大正前期の帝 国大学の卒業証書 とともに,当時の卒業期は7月 (したがって入学は9
月)であったことがわ かる。卒業諜
○○解平民
氏名
年月日生
右者本校二於
テ
大学線科第二部ノ学科ヲ修メ正二其
業ヲ卒へタリ偽テ之ヲ謹ス
大正三年七月六日
第〇高等学校長(位階・勲等)氏名
第
〇
鋸図7 大正前期の高等学校の卒業証書の例
以上の明治 ・大正両時代の卒業証書 と対比するため,新制大学初期の卒業証書の一例 を図
8
に示す。図
5
および図6
を含めて明らかなことは,明治の帝国大学以来,学科 または課程の修 了,所定の授業科 目の履修などを古 くは分科大学長,現代では学部長が証明 し,それを総長 ・ 学長が認めて卒業 させ,学士 と称することを認めてきた。学士が学位 に位置づけられた現在は, 学士の学位 を授与することを記載 し,卒業証書は学位記 に改められたようである。卒業謹書
氏名
年月日生
本学工学部
○○
工学科所定の課程を修めたこ
と
を認める昭和〇年〇月〇日
B大学工学部長(学位)氏名
本学工学部長の認定によ‑
卒業謹書を授興し工学士と
称することを認める
B大学長(学位)氏名
工第〇凍
図8 新制大学初期の卒業証書の例
‑8 9‑
5.
結 吉本 ノー トでは
,3
世代 にわたって国立大学 よ り工学の博士 の学位 を授 与 され,学位記が まと めて保存 されている1
つの例 について,学位授与の時期がそれぞれ大正,昭和 ,平成の年代 で あ り,新旧学位制度 にもまたが ることか ら,学位記の記述内容 を紹介 した。学位記 の様式 は大 学 ・大学院によって異 なる もの と思 われるが,本 ノー トで引用 した博士 の学位授与 は3
代 とも 国立大学で行 われてお り,その うちの2
校 は同一大学である。 学位記 は,当然,授与 される時 点 における学位 に関す る規則や基準 に沿 って記述 されているので,大学 ・大学院によって差 は あって も,それほ ど大 きくはない と思 われる。学位記 のほか,関係者の卒業証書の一部 も示 し, その変遷 について も若干の説明 を加 えた。本 ノー トに例示 した学位記お よび卒業証書 は,全 国の大学か ら見ればご く一部 にす ぎないが,
3
つの年代 にわたる博士 の学位が制度 の上で どの ような位置 に置かれていたかの一端 を示す も の と考 えられる。 同時 に,卒業証書 について も,学位記 とともにそれぞれの背景 と照 らし合 わ せ ることは興味深い。なお,著者8)はさきに,工学修士 または修士 (工学) を
Ma s t e ro fEngi ne e r ing
,工学博士 また は博士 (工学) をDoc t o rofEngi ne e r i ngとそれぞれ直訳す ることには問題があることを指摘 し
た。 したが って,本 ノー トの英文要 旨では,工学の博士 をこの ような直訳 にす ることを避けた 表現 とした。 また,「学位記」 についてはアメ リカの学位 に関す る成書 の1
つ9)に記載 されて いる" Di pl o ma "に相当す る もの とした。
参 考 文 献
1 )
天野郁夫 :「日本 の学位制度 ‑その変遷」,I DE・現代 の高等教育,1 9 77
年2
月号,pp.3 0‑
38 ( 1 97 7).
2)
戸 田修三 :「戦後の学位の変遷過程」, (財)大学基準協会会報第70
号 (通算No.1 0 ) ,p p.4‑1 6 ( 1 993).
3 )
寺崎 昌男 :「日本 の学位制度 をふ りか える」, (財)大学基準協会会報第70号 (通算No.10)
,pp.1 7‑2 9 ( 1 993).
4)
百瀬 孝 (著),伊藤 隆(監修):事典昭和戦前期の 日本 制度 と実態,吉川弘文館,p.5 ( 1 9 9 0) . 5)
藤原咲平 :「如骨伝」, (東京帝国大学)理学部会誌,No.2,pp. 3 7‑40 ( 1 92 5).
6 )
文部省 :「学制百二十年史」3版,p.42
, (秩) ぎょうせい,( 1 993).
7)
天野郁夫 :旧制専 門学校, 日経新書293
, 日本経済新 聞社,( 1 978).
8 )
斎藤安俊 :「アメ リカにおける工学系 の上級学位」,学位研究,No.5,pp. 3‑5 7 ( 1 9 96).
9 )
E.Wa i t e r s:" De g r e e s ,Di pl oma s ,a ndAc a de mi cCos t ume ",Ha nd boo ko fCol l e g ea ndUni v e r s i t y Admi ni s t r a t i o n:Ac a de mi c,A s aS.Knowl e s( e d. ),Cha pt e r1 4,pp.2‑ 206‑2‑ 222,Mc Gr a w‑ H i l l
( 1 9 7 0).
‑9 0‑
〔ABSTRACT〕
DiplomasfortheDoctoralDegreeConferredintheFieldofEnglneerlng inTaisho,ShowaandHeiseiEras