• 検索結果がありません。

総合的表現教科としての「ミュージカル」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "総合的表現教科としての「ミュージカル」"

Copied!
9
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

奈良教育大学学術リポジトリNEAR

総合的表現教科としての「ミュージカル」

著者 福井 一, 太田垣 学

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

巻 47

号 1

ページ 65‑72

発行年 1998‑11‑10

その他のタイトル Introducing Musical to Class

URL http://hdl.handle.net/10105/1488

(2)

奈良教育大学紀要 第47巻 第1号(人文・社会)平成10年

Bull. Nara Univ. Educ, Vol. 47, No. 1 (Cult. & Soc), 1998

総合的表現教科としての「ミュージカル」

福 井   ‑・太田垣   学*

(奈良教育大学音楽教室) (平成10年4月20日受理) キーワード:総合的表現教科、ミュージカル、表現科、総合的学習

1.は じ め に

文部省は、平成3 ・ 4年の2年間にわたって東京都千 代田区立錦華小学校(以下、錦華小)を研究開発学校に 指定し、同校では新たな教科の編成による実験教育がな された。内容は、これまでの小学校における教科、領域 を抜本的に見直して、国語、算数、体育、生活、表現、

人間、環境、特別活動とし、 21世紀を脱んだ新しい教 育課程を編成しようとする先行的研究であった。そこで は、音楽科は単独教科ではなく、図画工作科と合併され て「表現科」という新しい教科に再編成されている。教 育課程の中で、新しい教科が編成されることは、むろん これが初めてではない。平成元年告示の学習指導要領に おいて、小学校低学年において幼少接続を考慮した新教 科として「生活科」が設定されている。また幼稚園の新

「教育要領」 (平成元年告示)では、 5領域に再編され、

音楽リズムと絵画制作は事実上、 「表現」領域に統合さ れている。錦華小の試みは、現行の幼稚園の領域に習っ て「音楽科」と「図画工作科」とを新教科「表現科」に 合併・合科しようとするものである。今までの経緯から して、こうした試みは、次期の教育課程の改訂に生かさ れると予想されたので、当然のごとく音楽教育界から、

賛否両論が沸きおこった。しかし次期の学習指導要領改 訂では、とりあえず実施がみおくられ、今のところ騒ぎ は沈静化したように見える。しかし「学校週休2日」や

「ゆとりの教育」を考えた場合、いずれこうした教科の 再編は必至であると思われる。

筆者らはかねてより、 「表現科」については積極的な 考えを持っている。今回、研究が行われた小学校段階は もちろんのこと、中学校段階でも導入されるべきと考え ている。ただしその内容は、今回の「表現科」で構想さ れたように単に「音楽」と「図画工作」を合科した安易 なものではなく、より幅広い教科を巻き込んだ総合的な

* 劇団東俳

65

教科を構想している。 「21世紀にむけて、心豊かな人間 の育成」 (錦華小学校, 1993)を行うためには、総合的 表現教科(この言葉の中身は後はど明らかにする)が不 可欠と考えるからである。 「こころの教育」をはじめと して、学校内外を問わず、現代の教育が抱える諸問題の 解決にも、この新しい教科は有効であると信じる次第で

ある。

2.学校教育における「総合的表現教科」

総合的表賀教科の試みは、これまでも学校教育の種々 の段階で行われてきている。ここでは、そのはしりとも 言える幼児教育による領域「音楽リズム」‑「表現」へ

の変遷を振り返ることからはじめたい。

2.1幼児教育における「表現」‑経緯

前幼稚園教育要領の領域には、音楽リズム、絵画制作、

言語、健康、自然、社会の6領域があった。なかでも

「音楽リズム」に関しては、長年その問題が指摘されつ づけてきていた。その一つは、余りにも専門的な音楽教 育であり、二つ目は惰性的・放任主義的とも思える音楽 教育である。前者に特徴的なものとして、園の音楽教室 化という極端な形をとる場合もある。後者では旧態依然 とした歌唱教育やお遊戯、リズム運動であったり、果て は「何も音楽しない」状況であったりする。幼稚園にお ける音楽教育がこのような状態でよいと思っている音楽 関係者は誰もいないと思う。しかし、さてどうすると言 うとき、それに答えられる人は、これまた誰もいないだ ろう。音楽を教えるという事は「困難な事」と言ってし まえば楽であるが、それでは何の解決にもならない。

このような状況を生みだした第一義的な原因は、 「音 楽リズム」という名称にあった。この言薫の分かりにく さが、園における音楽教育を少なからず混乱させてきた

(3)

66 福 井

のである。この言葉の発案者である坂元彦太郎は既成の

「おゆうぎ」への批判からリズムという言葉を強く主張 したのであろうが、彼が言った「生命の、より直接的な 躍動としての、身体へのリズム表現」 (坂元, 1964)と いう発想は、音楽に対する本質的な問いかけとして評価 できるものである。生得的リズムがあって音楽があると いう考えは、仮説として合理的である。したがってこの 言葉が契機となって、音楽そのものや幼児の音楽にたい する理論的研究が積み重ねられていれば、現在の音楽教 育も随分変わったものになっていたはずである。しかし ながら戦前の「おゆうぎ」 ‑の批判、幼児のリズム教育 を刷新するという動機(尾見&伊吹山, 1985)からは、

幼稚園教育以外への広がりは期待できない。結局理論的 基盤を持たずに言葉が一人歩きしてしまったことから、

園以外の音楽環境や現場の経験主義に常に左右され続け たのである。

しかしこのような状況を生みだした根本的原因は、詰 まるところ教える側が「音楽」を分かっていなかったか らにはかならない。分かっていないからそれぞれ自分勝 手な想像で音楽をとらえ音楽教育を考えてきた。もっと

も誰しも音楽の重要性は認めても「音楽の意味」を語ら れる人など、いまだかっていないだろう。したがって音 楽の概念は人によって種々であり、音楽の範囲(ジャン ル)は広大で、しかもそれにはしばしば価値観が伴って いる。文化が異なればある音楽が音楽でなくなったりす るし、同一文化圏でも差異化・階層化していたりする。

残念ながら音楽の特色である多様性が同時に音楽の弱点 であり、音楽教育の弱点でもある。いったい音楽で何を 教えればいいのか?と考えている間に、世の音楽環境 はすさまじいテンポで動いてきた。その結果、気がつい てみると学校教育の「音楽」はすっかり時代に取り残さ れてしまった。 「幼児の音楽の独自性」を叫びつつも、

結局は小・中・高の音楽教育の下請け的な存在でしか有 り得なかった幼稚園の音楽教育が、その影響を直接的に 受けてきたのは、当然のことである。

だいいち音楽の中に現在あるような「幼児の音楽」と いうものが本当に存在するかどうかも疑わしい。もちろ ん現実には我々の回りに幼児向きの歌なるものは多数あ るが、わらべうたを除いて、それらの多くは大人の音楽 (あるかどうかは知らないが)をあらゆるレベル(言葉 を始め、音程、リズム)で簡易化したものである。唯一 わらべうたは現代の幼児や子供の歌のような形式での簡 易化はされておらず、伝統芸術音楽と連続している。音 楽の本質を考えると、大人の音楽を簡易化した幼児の歌 の存在が本来の姿かどうかは疑わしくなる。現実に民族 音楽では、オルフのように子供の音楽が大人の音楽の準 備ないしは進化段階という考え方は存在しないし(ブ ラッキング, 1986)、幼児の歌そのものが存在しない文

‑・太田垣   学

化もある。しかしこの「大人への準備」という考え方は、

今日まで園内外を問わずあらゆる音楽教育を支配してき た。そしてこの場合「大人の音楽」と言うのは「ヨー ロッパ芸術音楽」であった事は周知である。音楽は多種 多様なのだが、それを無視して画一的な教育を行ってき

た事は、ずいぶん幼児の音楽を歪めてきたのではないだ ろうか。

2.2 現教育要領(幼稚囲)における領域「表現」と 総合化

前述のような状況の中で、教育要領が改正され領域

「音楽リズム」が「表現」へと変化した。少なくとも音 楽関係者はそう理解している。それは教育要領の「内 容」のなかに「・‑一昔や動きなどで表現・‑‑」や「音楽

に親しみ・‑‑」 (・点筆者)といった表現があるからで あろう。同様に「絵画制作」関係者も「表現」のなかに 自分達の領分を兄いだしているにちがいない。しかし

「要領」を素直に読めば他の領域の中にも音楽に関する 活動は考えられる。同様に「表現」のなかにも他の領域 の活動が含まれている。たとえば「生活の中で様々な音、

色、形、手触り、動きなどに気付いたり一一」は「環 境」にも通じるし、 「生活の中で美しいものや心を動か す出来事にふれ一一」 (・点筆者)は「環境」、 「人間関 係」、 「言責」に通じるといった具合である。これは何も こじつけではなく、領域であるのだからあたりまえのこ とである。ところがこの領域の意味が音楽教育者の間で 十分理解されていなかった事が「音楽リズム」の特殊性 を生み、閉鎖性を持っ能力主義的な領域(井口, 1983) にする大きな要因になってしまった。現実には、音楽を 他の領域と有機的に関連づけて総合的に与える事はたや すいとではない。おそらくよほど音楽の本質を理解し、

確固とした音楽観を持っていないと不可能だろう。事実、

総合化という点で音楽の教材研究不足は指摘され続けて きた。しかし、音楽環境が、すでにジャンルを問わず

「音楽文化」と言われる一大文化範囲を作り上げ、他文 化範囲と交流を持たない、いわば孤立文化となってし まった今日の状況では、 「総合化」はいっそう困難であ る。加えて既成の音楽概念(しかも多くがヨーロッパの 一時代の音楽から生まれた)で教育を受け、 「音楽」の 中にすら階層をもうけ序列化するような教師に、他の領 域との関連総合を望むのはどだい無理であった。従って

「表現」領域で、総合的保育を実践できているとは言い 難い現状である。

2.3 小学校「表現科」構愚にみる総合化

冒頭にふれた錦華中の「表現科」の実験内容について は、 「季刊音楽教育研究」 (1993)に詳しい。本稿では総 合化の観点から、今まであまり問題にされなかった「表

(4)

総合的表現教科としての「ミュージカル」

現科」の問題点を指摘したい。

同校の試みとして、 「芸術教科の枠を広げ、ディベー ト、文章、舞踊、演劇、パフォーマンスまで、子供の発 達段階に即して、総合的に表現活動に取り組めるように 指導内容を設定」している。芸術領域を統合化しようと する試みは画期的なことではある。しかし実際は「音楽

と図画工作が統合され、国語と体育の一部を取り込むか たちで設定されている」としながらも、実際は国語や体 育および特別活動は教科として残っている。要するに、

旧来の読み・書き・算(および体育)は残しているので ある。このことが音楽の立場からは「音楽軽視」と批判 される所以である。

ただ、 「次世紀をにらんで、児童が人間として豊かに 生きるための基礎的な学力を」を考える場合、なぜ国語 や算数、体育以外の教科を統合(あるいは総合)して、

新教科の設定がなされなければならないのか、逆にどう してこれらの教科を包含する形で構想しないのか、疑問 に思うのである。 「読み書き算」は重要だから残して (たしかに説得力はある)、束ねやすい教科をくくる、安 易な方法に見えて仕方がない。これでは旧態依然である。

現学習指導要領やそのもととなった「臨教審」が掲げる、

「自ら学ぶ意欲と社会の変化に対応できる能力の育成を」

目指し、 「知識、情報を単に獲得するだけでなく、自分 の頑でものを考え、創造し、表現する能力」を重視する という方向を具現化するのには、まず、すべての既成教 科の存在価値の問い直しがされるべきであろう。しかし ながら、始めから「主要教科」除外の総合ありき、では 新しい試みとは言えない。

2.4 教育課程書議会「総合的な学習」における総合

教育課程審議会が1997年に出した「教育課程の基準 の改善の基本方向について(中間まとめ)」には「総合 的な学習の時間」 (仮称)があげられている。その日 的・内容は「各学校が地域や学校の実態等に応じて特色 ある教育活動を自由に展開できるような時間を確保する こと」および「国際化や情報化をはじめ社会の変化に主 体的に対応できる資質や能力を育成する」ために、 「教 科の枠を超えた横断的・総合的な学習をより円滑に実施 するための時間を確保すること」とある。そして小学校、

中学校及び高等学校等において、 「例えば、国際理解・

外国語会話、情報、環境、福祉などについての横断的・

総合的な学習などを学校の創意工夫を生かして実施する こととする」としている。具体的な内容については今後 さらに検討されるようだが、例として以下のことをあげ ている。多少冗長であるが、引用する(下線筆者)0

ア「総合的な学習の時間」 (仮称)のねらいにつ いては、各学校の創意工夫の下で行われる横断的・

67

総合的な学習を通じて、自ら課題を見つけ、よりよ く課題を解決する資質や能力の育成を重視し、自ら の興味・関心に基づき、ゆとりをもって課題解決や 探究活動に主体的、創造的に散り組む態度の育成を 図ることとする。

また、知識内容を教え込むのではなく、情報の集 め方、調べ方、まとめ方、報告や発表・討論の仕方 などの学び方やものの考え方の習得を重視し、主体 的な学習を推進するとともに、各教科、道徳、特別 活動それぞれで身に付けられる知識や技能を児童生 徒の中で総合化することをねらいとする。

イ「総合的な学習の時間」 (仮称)の学習活動に ついては、例えば、国際理解・外国語会話、情報、

環境、福祉などの横断的・総合的な課題などについ て、地域や学校の実態に応じ、各学校が創意工夫を 十分発揮して学習活動を展開するものとする。その 際、自然体験やボランティアなどの社会体験といっ た実体験、観察・実験、調査、ものづくりや生産活 動など体験的な学習、問題解決的な学習を重視する。

さらに、高等学校においては、生徒の興味・関心等 に応じ一層多様な課題についての学習活動ができる よう配慮する。

また、ある時期に集中的に行うなどこの時間が弾 力的に設定できるようにするとともに、グループ学 習や異年齢集団による学習など多様な学習形態や、

外部の人材の協力も得っっ、異なる教科の教師が協 力し、全教員が一体となって指導に当たるなど指導 体制を工夫すること、また、校内にとどまらず地域 の豊かな教材や学習環境を積極的に活用することを 考慮する。

ウ 「総合的な学習の時間」 (仮称)に関する教育 課程上の位置付けについては、小学校及び中学校に おいては、上記ア、イに述べてきたこの時間の特質 にかんがみ、また、教科の枠にとらわれた指導にな らないようにするため、教科ではなく教科以外の教 育活動として各学年に位置付けることが適当である と考える。ただし、小学校については、低学年にお いて総合的な教科である生活科が設定されているこ とや生活科を中核とした他教科との合科的な指導が 進められていることなどを考慮して、第3学年以上 に設定する方向で検討する。なお、学習指導要領上 の具体的な位置付けや名称については、更に検討す

る。

また、高等学校についても必修とするが、その位 置付けについては、高等学校が単位制による教育課 程であり、この時間における学習成果を単位として 認定することが適切であると考えられることなども 考慮しつつ、更に検討する。

(5)

68 福 井   ‑・太田垣   学

エ「総合的な学習の時間」 (仮称)の授業時数等 については、 「総合的な学習の時間」 (仮称)におい て多様な学習活動が展開できるようにすること、あ る程度まとまった時間が必要であること、一方、各 教科等の授業時数を確保すること、各学校において 円軌こ実施されるよう古̲=することなどを考慮し、小 学校及び中学校においては、各学年年間70単位時 間(週当たりに換算して2単位時間)以上の時間を 配当することが適当であるが、各学校段階、各学年 段階における具体的な授業時数については、各教科 等の教育内容の構成や授業時数との関連を考慮しつ つ、更に検討する。また、高等学校については、そ

の位置付けを踏まえ、更に検討する。

オ「総合的な学習の時間」 (仮称)の評価につい ては、試験の成績によって数値的に評価するなど導 常の教科と同様の評価は行わず、活動への参加状況 や参加意欲、報告書などから学習の成果を適切に評 価するなど、評価の在り方を工夫する必要がある。

この文章を読む限り、 「表現科」で構想された内容と 酷似している。とくに下線を付した部分は表現科が目指 した、総合的学習と一致するのである。ただし、教科と して行うのではなく、教科以外の教育活動として行うべ きであるとしている点が大きく異なる。活動例として、

国際理解・外国語会話、情報、環境、福祉などが例示さ れているが、筆者はなぜ「総合的な表現活動」が入って いないのか不恩議に思うくらいである。国際化時代の自 己表現能力を養うためには、むしろ欠かせないのではな いだろうか。

3.総合と表現

音楽は本来総合的なものである。事実、多くの民族音 楽を見ると音楽のみで存在しているものは少なく、舞踊 や演劇などの諸領域と密接に関連、総合化されているこ

とは既述した。ただ、いまだに「芸術」教育に固執する 人々は多いし、おそらく今だ多数派であろう。佐野ら (1993)は言語、絵画、音楽等に共通性を認めながらも 独自性を主張しているし、山本(1993)は「表現科」を

「新しい集団主義」と批判している。しかしながら、独 自性を持ち得たヨーロッパの音楽自体が、世界の音楽文 化のなかでは珍しい存在であり、それは人類史の中で特 殊とも言えるヨーロッパ文明と不可分であること、そし てその文明は常に内部崩壊の危機にさらされ続けてきた こと、また現代はまさに西欧文明の問い直しの時期であ る。西洋音楽は、すでに100年前に限界に来ている。西 欧文明同様、西洋音楽の持っ問題は深刻で、それは、た かだか数百年まえに作られた「芸術」という造語で、い つまでも祭り上げられるような代物ではなくなっている。

表現科、あるいは総合的表現教科が目指すのは、あら ゆる社会文化領域で、極度に複雑化、蛸壷化した現象を 各個の中で有機的に連関させ、総合化・統一化しようと いうものであろう。したがってこれは当然のことながら、

既成の教育の問い直しであり、現行の芸術教育へのアン チテーゼ(佐野ら, 1993)になる。いったいこれまでの 音楽・芸術教育、あるいは教育全体がどれほどのことを してきたというのであろうか。芸術教育の目的や意味に ついて、万人が納得しうる答えを兄いだせているのであ ろうか?

音楽教育関係者が考えなければならないことは、 「表 現」のなかになんとか自分の居場所を見つけだすといっ

た、ネガティブな発想ではなく、謙虚に現実の音楽環境 に目を向けることである。音楽の多様さを認め、既成の 価値尺度を排して、自らも様々な音楽的体験をかさねて 行くことから出発する以外にないだろう。そして音楽の 本質を真剣に考え、少なくとも子供達の現在の音楽環境 と同じ平面にあり、将来の音楽環境に連続していく活動 を考えることではないだろうか。実際幼児のおかれてい る音楽環境は多様で、情報社会の進行と正比例している (福井&武野, 1989X 多様な音楽環境に適応して行け るような音楽の場を提供する事が、これからの音楽教育 に求められている。

3.1総合的表現教科とミュージカル 3.1.1総合的表現教科

総合的表現教科は、別にミュージカルでなくてもよい。

たとえば演劇でも舞踊でも授業に取り入れることによっ て、総合的表現教科になりうる。しかし総合性という点 で、ミュージカルはぬきんでている。ここでミュージカ ルの歴史的経緯を述べる紙面は無いが、ミュージカルと いうのは、芸術は言うに及ばず、人間の文化のほとんど の領域を包含しているのである。ざっとあげても、音楽、

演劇、舞踊、美術、文学、加えて近年では音響物理、電 気、電子工学、情報工学etc.と関連領域は広がる一方 である。つまり現代のミュージカルは「芸術」から科学 までを包含した広範な「学問的」基盤のうえに成立して いるのであるのである。実際、アメリカのミュージカル は、文化系から理系まで実に幅広いスタッフを要して作 られている。これはある意味では当然で、音楽は本来、

物理現象の上に成り立っている。空気の振動である

「音」は、まざれもない物理現象である。物理的・数学 的に扱うことが可能であるからCDが存在する。現代の 音楽や映像の世界では、デジタル技術は欠かせない。最 終的には0と1で書き表せる科学である。同時に0と1 は人の心を惑わせる。つまり、この物理的な現象がさま ざまな情動を引き起こすのである。この部分は「芸術」

とされる部分である。物理窮象である空気の振動(粗密

(6)

総合的表現教科としての「ミュージカル」

波)からなぜ情動が生まれるのか、そしてなぜそれが

「芸術」とされるのか。この部分はいまだ謎である。要 するに音楽(他の芸術領域もそうだが)は科学と不可分 な存在になっており、芸術は科学との融合を目指してい

るとさえ言われる。最もわかりやすい例がコンピュータ 音楽等のデジタル芸術であろうO しかもミュージカル制 作には、職人的作業が伴う。教育現場で展開する場合は、

ある意味では職業教育にも通じる要素も存在する。知識 偏重の教育ではカバーできない広い領域を含むのである。

すなわち、お題目だけの総合化に終わることはない。

従って、もし総合的な表現教科の意義を認め、小・中・

高等学校教育段階で構想するのであるなら、ミュージカ ルが最適である。

3.1.2 総合化授業としてのミュージカル

総合化授業としてミュージカルを実施すること(以下、

ミュージカル教育)の意義を考えていく。重要なことは、

より良い人間教育を行いたい。そのためにミュージカル は教育の目的ではなく、手段であるということだ。目的 は「ミュージカル創造活動の中で、自ら考え、培った知 識を内的に総合し、表現することを通じて、社会人とし

て必要な資質能力を身につけること」である。

3.1.3 ミュージカル教育の教育的価値

現代の青少年の問題として、他者との関わりが希薄、

自分をうまく表現することが出来ない、健全なコミニュ ケ‑ションがとれないなどがあげられる。自己を上手に 表現し、人間関係を築くことに不得手な子供たちが急増 している。また、無気力・無関心・無感動あるいは自己 抑制が利かないものも増えている。ミュージカル教育は、

これらの問題の解決に有効である。以下にその意義を述 べる。

3.1.3.1日己表現力の獲得

そもそも「表現」というのは、心に思い感ずることを、

色・音・言語などの形によって、表出すことである。

ミュージカルはこの表現の宝庫である。ミュージカルに 自己を表現する手段が豊富なのは、本質的にさまざまな 要素から成り立っているからである。既述のように、作 曲・演奏・歌や脚本をはじめとして、大道具などの舞台 装置のためには木工の技術が必要だし、衣装のためには 裁縫も要る。背景には絵画、美しい動きにはダンスも必 要だ。これらの他にもさまざまな表現手段を含んでおり、

自分の恩いや感情をさまざまな形によって表し出すこと が出来るのである。ミュージカルは、各教科で学んだこ とを具体的に生かせる場でもあり、各教科の学習が身近 な存在となる。ばらばらに学んだ事柄が、個々の中で有 機的に統合されたときには感動が生じる。

69

ミュージカルの大きな魅力の一つに、自分自身の体全 体による"気持ち"の表現(演技)がある。体によって 喜怒哀楽を素直に表現出来るようにするのである。演技 は全て「気持ち」から始まるもので、表現を磨くもので ある。演技においては、口から出る言葉、豊かな表情、

肉体の動きなどに気持ちの裏付けがなければならない。

気持ちの裏付けがなくても「それらしく」は見えるかも 知れないが、そこには貞実感もなければ、心震えるもの もないからである。相手の台詞や行動、あるいは舞台上 で起こるさまざまな出来事や変化を、逃げることなく、

余すことなく、しっかりと五感でとらえ、自分の内側で 吸収したとき、はじめて「気持ち(自己の感情や考え)」

が生まれる。それを、外の何に頼るでもなく、最も基本 的なものである自分自身の言葉(声)や表情、肉体など によって表現し、他者へ伝えていくのである。コミュニ ケーションのための自己表現を、環実の世界に応用して、

日常生活を楽しくしていくことも出来るようになる。

表現したいことを明確に、自然に近いかたちで表現し ていくためには、正確な発音・発声による正しい言糞、

その場にふさわしい豊かな表情、何にでも対応出来るし なやかで強い肉体が必要であり、これらを総合的に(体 全体で)表現していかなければならない。

正確な発音・発声による正しい言糞を通してのコミュ ニケーションは、スムーズで円滑な楽しい人間関係を生 み出すものである。したがって、よく通り、美しく滑舌 のよい言葉を発するための学習は、教育のなかでも重要 であるはずだが、現実には行われていない。ミュージカ ル教育はその機会を提供する。

豊かな表情で表現できる人間の育成ということも、教 育では必要であろう。しかしながら、これも、系統的な 学習としては行われていない。申すまでもなく、豊かな 表情表出はミュージカルにおける重要な要素である。こ れには感性・感受性・感覚力が大きく作用する。物事を 繊細に感じとることが出来て初めて、心が動き、表情に 現れるからである。演技による表現は、これらがなけれ ば不可能である。したがって、ミュージカル教育では、

これらを注意して磨く活動(毎日のささいな一つ一つの 物事に関心をもち、それらを自分の事として、意識的に 感動していくなどの活動)を行うのである。感性・感受 性・感覚力を意識的に磨く活動は、ミュージカル教育の 大きな特徴である。また、表現のための、しなやかで強 い身体の育成も重要である。ミュージカルには「ダン ス」をはじめとして、身体による表現が不可欠である。

より豊かに、美しく、持続的な表現を可能にするのは、

しなやかで強い身体であり、育成には時間を要するが、

その過程で自己抑制力、持続力、忍耐力なども、副産物 として得られる。

このようにミュージカル教育は、自己表現を行う活動

(7)

70 福 井   ‑・太田垣   学

の中で生徒一人一人から何かを引き出し、自己発見をさ せる教育である。自分の新しい面を発見し、自分をより 深く知り、さらに自己表現力を高めていくのである。

ミュージカル教育によって高められる種々の表現力に よって、高度なコミ3.ニケ‑ションが可能になる。それ は単なる技術的な表現能力の獲得だけではない。性格の 変化も伴うのである。具体的には、自分に自信がついて いくことによって、主体的・積極的になり、さらに自分 の殻を破っていくことによって、度胸や広い視野も身に ついていくのである。

3.1.3.2 正常な人間関係の構築

青少年が仲間とのかかわりの中で、切瑳琢磨し、粋を 深めることは、現代社会では大変困難になっている。彼 らは、うわべだけの、希薄な人間関係で生きている。し かし、人間は一人では生きられるものではなく、この社 会では、絶えず他者と接していかなければならないこと は自明である。自分をよく理解し、他者をよく理解し、

尊重しつつも他者と深く関わるなかで、善い人間関係を 築いてくことが重要だ。活動の随所に「協力・協調」す

ることが要求されるミュージカルは、希薄な人間関係で は不可能で、すぐに破綻を来してしまう。ミュージカル 教育は、より深いより厚みのある人間関係を構築するこ とが、可能なのである。

また、ミュージカルは、相手を説得したり、譲歩した りする(相手を尊重し受け入れると同時に自己主張をす る)という作業を繰り返し行う活動でもある。この交流 しあう過程が教育的に極めて重要であり、この過程で次 第に仲間とのこころの粋が深まっていくのである。

ミュージカルの創造活動とは、さまざまな個性や価値 観をもった人たちが、それぞれの立場で、一つの大きな ものを見っめ考えていく活動でもある。公演に至るまで には、毎回、脚本、音楽(作詞・作曲・演奏等)、配役、

役作り(演技)、演出、舞台装置、照明、音響、他さま ざまなことで、仲間との激しいぶつかり合いが起こる。

良いものにしようと患う気持ちが、仲間と論争を生じる。

これは当然で、むしろ好ましいことではあるが、今の青 少年は意見の食い違いが、そのまま人間関係の対立にま で発展してしまう。しかしミュージカルでは対立を調 軽・修復しないことには、一歩も先に進まない。作品を 完成させるためには、お互いに自己をさらけ出して、ひ たむきで真剣な話し合いをしなければならない。いかに 論理的に自分の主張を展開できるか、相手との妥協点は いずれか等、現実の社会と同様の駆け引きが行われる。

このような闘争、協調、妥協を繰り返し行うことによっ て、人間関係・信頼関係は、深く厚みのある非常に強固 なものとなる。

ミュージカル教育は、集団で行うものであり、決して

一人では出来ないものであるから、自分と他者との関わ りを覚え、全員で協力し助け合うことの重要性が自然に 身に付く。すなわちミュージカルは、全ての人間一人一 人が何ものにも替えられない、掛け替えのないものだと いうことを学ぶことができるのである。活動を通して、

他者を尊敬出来るようになり、他者に対する誠実さや思 いやりも備わってくるのである。ミュージカルにおいて は、その役割を問わず一人一人が同価値で、不要な人間 は一人もいない。自らの存在自体が希薄になりがちな現 代において、自分を必要としてくれる場の存在(居場 顔)を認識できることは、非常に大切なことである。

さらにミュージカルの重要な要素である「演技」は、

他者を表現することであり、自分とは異なるさまざまな 個性や価値観を理解していくうえで、重要な活動なので ある。さらに、いったん自分という個性(自己)から離 れる別の個性(役をつくり上げる)ことによって、逆に、

自己を客観的に見つめ直すことも出来るのである。他者 を理解し、自分を客観的に見つめることによって、他者

に対する理解力や許容力が増していく。

このように、人間関係を改善し、他者との善い関係の 築き方を学べるようにするのも、ミュージカル教育の重 要な意義である。

3.1.3.3 感動体験の提供

「楽しさ」は生活のエネルギーであり、生きてゆくた めの原動力である。ところが、 「何をやっても楽しくな い」という若者が増えている。

現代のように、自分の人生すら予見可能であると、一 日の生活の積み重ねも単調にならざるを得ない。しかし、

そのことによって、感情に起伏が生じにくく、感動する 力が衰え、結果として無感動になってしまうことは否め ない。平穏な日常のなかで感動を体験するためには、意 識的な努力を要する。無気力で無関心なかれらに、教育 のなかで感動を体験させ、その好奇心を呼び覚ましてや

らなければならない。

その意味でミュージカル教育は有効であるO ミュ‑ジ カルの創造活動はその過程においてさまざまな感動体験 を提供する。なかでも、公演においてその感動は最高水 準に達する。ミュージカル制作当初から行余曲折を経て、

実際に一つの舞台が完成したときの感動は、彼らにとっ て、何ものにも替えられない生涯の財産になる。それは 創造の過程のこまかな感動の集大成であり、公演におい てしか体験出来ないものである。公演がもたらす「感 動」は以下の三点に集約できる。

‑つは、今まで行ってきた創造活動全ての集大成がこ こにあるからである。各個人が、この瞬間のために行っ てきたさまざまな努力や悩み、苦しんできたことの成果 を他者に披露するのであるO これには、自己の成果と全

(8)

総合的表現教科としての「ミュージカル」

体として(協力)の成果とがある。前述のように、

ミュージカルは、一人では出来ない活動であって、他者 との協力が不可欠である。しかし、公演に至るまでには、

各自において非常に孤独な闘いがある。その過程でより 多くの努力や苦悩を体験した者ほど、大きな感動と自信 を得られる。さらに、皆で協力し準備してきた一つの作 品の完成と披露が、衆目の中で行われる。より質の高い 中身の濃い作品ほど、より大きな感動が得られるのは当 然で、 「自分たちで一つの大きなものを創り上げた」と いう共通の自信が、より確かなものになるのである。と もかく公演とは、自己表現と共同制作の成就の瞬間であ り、全活動の集大成なのである。

次に、公演は全てが一つになる「瞬間」である。

ミュージカルに関わる仲間、すなわち、スタッフ、キャ スト等が、このわずかな時間に一つになるのである。こ こに至るまでにバラバラだった者たち、互いに闘ってき た者たちが、今は観客と対噂している。表現者という明 確な仲間意識のもとに、仲間になるのである。相互理解 と和解と解決の瞬間とも言えよう。不思議なことに、参 加者の心だけではなく、作品の仕上がり一歌、演奏、

演技、ダンス、音響、照明、大道貝、小道具、衣装、舞 台転換、舞台監督、もここで一体となるのである。さま

ざまな表現手段でメッセージを観客に伝えてゆき、観客 もその世界に引き込まれてゆくというプロセスの中で、

その場にいる全ての人々が同じ価値観を共有するのであ る。初めは知らなかった者同士に、粁・連帯感が芽生え るこの瞬間は、ミュージカルの真髄である。

さらに感動的なのは、観客との生の交流である。これ も公演本番でしかあり得ないことである。表現活動は、

表現するものを享受する人が存在することによって、は じめて成立する活動である。ここでは、それが観客であ る。自分たちが苦労して創ってきた作品、自身の表現が 目前の観客にさらされ、瞬時に評価されるのである。こ れは、非常に厳しく、かつ正直なものである。面白くな ければ笑いは起こらないし、表現が不的確・本十分であ れば、観客に伝わらない。反対に、表現者が、作り上げ る過程、公演において、精一杯の努力を積み重ねれば、

観客の心を震わし、深い感動を与えることが出来る。そ してフィナーレでは観客の拍手が起こったとき、自分た ちの活動が認められ、評価され、長きに渡るさまざまな 苦労が報いられるのである。観客に感動を与えられたこ とで、自分たちもよい深い感動を体験する。この閉幕の わずかな時間に体験する緊張と解放は、感動の極である。

彼らは、たいへんな努力と苦悩を繰り返し行うことでの み、大きな「感動」を手に入れることが出来、それが

「本当の楽しさ」だということを、理屈ではなく自らの 体験を通して理解するのである。自らの努力の成果を、

なによりもはっきりした、目に見える形で知ることが出

71

来るのである。公演とその感動は一つの大きな自信とな り、さまざまな物事に対して意欲的に取り組むチャレン ジ精神や主体性・積極性が身につくのである。無気力・

無関心・無感動であったかれらも気力に満ち、好奇心旺 盛になり、何にでも感動する素直な精神状態に戻ること が出来るのである。

このように、自己表現力の獲得、正常な人間関係の構 策、感動体験の提供、これらがミュージカル教育の軸で あり、教育における重要な今E]的意義である。ミュージ カルとは、人生におけるさまざまなものが凝縮された、

複雑な人間関係を整理したかたちで表された表現芸術で ある。すなわちミュージカルは、 「擬似社会体験・擬似 人生体験」であると言える。 「擬似社会」の中で自己の 表現力を高めたり、コミュニケーションの仕方を学んだ り、生活のルールを学んだりして、その本質を実践的に 理解し自らの力で、人間形成をしていくものである。

ミュージカルは、自己を表現する能力や他者と協調性、

そして物事に素直に感動出来るこころといった「人間 力」を、いっさいの理屈ぬきで、自然に教えてくれるの である。

4 教員養成課程における統合化授業の可能性 (まとめにかえて)

ここまで、論を進めてきて思うのは、こうした活動が 最も必要なのは、教員養成のレベルではないか、という

ことである。それぞれの専門領域で学んだ知識を、自分 なりに統合整理して総合化すること、目に見える形で実 際体験することは、教師となるものにとって必要な事で あろう。筆者らは、従来から音楽は本来総合的存在であ るべきだ、という考えにたち、 「音楽」を指導してきた。

それは現代の音楽環境が余りにも専門分化し、或いは ファッション化してしまったため、ともすれば音楽の存 在意識・意味が希薄になっていると感じるからである。

少なくとも音楽の始まりにおいては、音楽は人間の行動 にとって欠くことの出来ないものであったはずである。

このように考えると、音楽だけに偏らない創作活動、総 合表現活動としてのミュージカルは、われわれが忘れて いる人間と音楽の結びつきを気づかせてくれる数少ない メディアの一つではないだろうか。さらにミュージカル の中には領域や教科の多くが含まれるうえ、ミュージカ ルというパフォーマンスがもつ求心性は現代の学生の心 理にマッチすると考えたのである。既製品があふれてい

る世の中、無から有を作り上げるプロセスは、現代の学 生に一番欠けている事であり、教員となるものにとって

は、それを経験する事は何より必要ではなかろうか。

ただ、今どきの学生にとっては、たやすいことではな い。何をとっても初めてのことばかりで、右往左往の連

(9)

72 福 井   ‑・太田垣   学

続である。特に問題なのは、 「希薄」で「やさしい」人 づきあいに慣れている学生にとって、ミュージカルの製 作にともなう、対立、抗争の危険性をはらんだ緊張した 人間関係は、相当のストレスになるようである。といっ ても、実際、世の中で生きていく上では、日常茶飯事の

ことばかりなのであるが、人との対立を避けることで自 分の居場所を確保してきた彼らにとっては、難しいこと である。昨今の学校教育が抱える問題点が、ここでも顕 著に現れているのである。相互理解、妥協、協力等々‑

これらは社会で生きていくうえで、あたりまえのことな のだが、理屈ではわかっていても、今の若者たちにとっ ては現実にはとても難しい。したがって理屈ではなく、

実体験を通して、他者との交流の中で、自分や他者の位 置を確認し、コミュニケートしていくことを学ぶことは、

有意義である。そして、よくよく考えてみると、こうし た総合的表現活動は、世界のあらゆる文化でその文化の 構成員となるために、通過儀礼やイニシエーションとい

う形で、綿々と行われてきたことである。

引用文献

J.プラッキング著 徳丸吉彦訳(1986) How Musical isMan?

岩波書¥ti

福井隼仁(‑) ・武野里佳(1989)幼児の音楽認知に関する研究 保育指導法に関する発達的研究 奈良教育大学 27‑59.

井口太(1983)幼椎園教育における音楽リズムと問題点 季 刊音楽教育研究 36, 4, 26‑1.

錦華小学校偏(1993)平成3 ・ 4年度 文部省研究開発学校指 定研究紀要

尾見敦子・伊吹山真帆子(1985)リズムから考える 幼児と音 楽 大宮真琴・徳丸吉彦編 有斐閣

坂元彦太郎(1964)幼児教育の構造 フレーベル館

佐野 靖・小山真紀(1993)新教科モデルの特質と問題点 季 刊音楽教育研究 36, 4, 2‑16.

山本幸正(1993) 「表現」ではなく「芸術」を 季刊音楽教育 研究 36,4,96‑9.

参考文献

文部省(1968)幼稚Eg教育指導書一般編

文部省(1971)幼稚園教育指導書領域編音楽リズム 文部省(1989)幼稚園教育指導書

文部省(1993)教育課程審議会中間まとめ

坂元彦太郎編(1984)幼稚園教育要領解説 フレーベル館

Introducing Musical to Class

Hajime FUKUI and Manabu OHTAGAKI

{Department of Music, Nara University of Education, Nara 630 ‑ 8528, Japan) (Received April 20, 1998)

The purpose of this paper is to investigate possibility and significance of introducing musical to class at elementary schools, junior and senior high schools and teachers colleges. Because of the sudden internationaレ ization and the enormous increase of information, Japan has been pressed to undertake fundamental reform in education.

There are two important targets that we should aim for. One is to educate people well for the future of Japan. The other is to give high respect for each child's individuality as well as to cultivate his/her sincere re‑

spect for life and other people, creativity and internationality in order to encourage full demonstration of a child's ability through his/her life. Particularly, cultivation of rich humanity (Enhancement of "emotional ed‑

ucation") is the most important problem pressed for resolution.

Because a musical gives students various opportunities for social and emotional experiences that haven t been provided in other subjects, it must be effective in cultivating of rich humanity at school.

Key Words : Integrated performance curriculum, Musical, Performance

参照

関連したドキュメント

 神経内科の臨床医として10年以上あちこちの病院を まわり,次もどこか関連病院に赴任することになるだろ

突然そのようなところに現れたことに驚いたので す。しかも、密教儀礼であればマンダラ制作儀礼

子どもが、例えば、あるものを作りたい、という願いを形成し実現しようとする。子どもは、そ

共通点が多い 2 。そのようなことを考えあわせ ると、リードの因果論は結局、・ヒュームの因果

このような情念の側面を取り扱わないことには それなりの理由がある。しかし、リードもまた

在させていないような孤立的個人では決してない。もし、そのような存在で

エッジワースの単純化は次のよう な仮定だった。すなわち「すべて の人間は快楽機械である」という

子どもたちが自由に遊ぶことのでき るエリア。UNOICHIを通して、大人 だけでなく子どもにも宇野港の魅力