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ESRI Discussion Paper Series No.69

日本の教育経済学:実証分析の展望と課題

by 小塩隆士 妹尾渉

October 2003

Economic and Social Research Institute

Cabinet Office

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ESRIディスカッション・ペーパー・シリーズは、内閣府経済社会総合研究所の研 究者および外部研究者によって行われた研究成果をとりまとめたものです。学界、研究 機関等の関係する方々から幅広くコメントを頂き、今後の研究に役立てることを意図し て発表しております。 論文は、すべて研究者個人の責任で執筆されており、内閣府経済社会総合研究所の見 解を示すものではありません。

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日本の教育経済学:実証分析の展望と課題

東京学芸大学・小塩 隆士 大阪大学・妹尾 渉 要 旨 本稿の目的は、日本の教育についてこれまで行われてきた実証研究をサーベイし、今後 に残された研究課題を探ることである。具体的には、1)人的資本論と教育の収益率、2) 労働市場から見た教育、3)教育成果の要因分析、4)教育の産業分析、5)教育需要の決定 要因、6)教育と社会階層という 6 つのテーマ別に先行研究を分類し、その分析目的や手法、 結論や政策的含意を比較する。それぞれのテーマにおいて多くの研究が蓄積されており、 また、教育社会学など経済学以外の分野における研究の中にも、経済学的に見て興味深い ものが少なくない。しかし、データの制約などもあり、教育経済学における実証研究には 多くの課題が残されている。 とりわけ、次の 4 つが今後解決すべき課題として指摘できる。第 1 に、教育成果に関す る実証分析が米国等と比べて かなり不足して おり、教育の履歴情報を含む長期的なパネ ル・データの整備が求められる。第 2 に、学校教育において市町村レベルにおける自由度 がある程度認められるようになっており、教育成果に関するクロス・セクション・データ に基づく分析を進める余地が広がっている。第 3 に、国立大学の独立行政法人化等を背景 に、教育の産業組織論的あるいは経営学的分析も今後の蓄積が期待される。第 4 に、教育 と社会階層や所得格差の関連など、経済学と教育社会学による共同研究の成果が期待され るテーマが存在する。 *本稿の基礎となる論文は、内閣府経済社会総合研究所が 2003 年 8 月 7 日に開催したセミナー に提出したものである。コメンテーターの法政大学・小椋正立教授には、論文を詳細に検討して いただき、建設的なコメントを数多くいただいた。また、経済社会総合研究所の香西泰所長を始 めとして、セミナーに参加してくださった方々からも多くの貴重なコメントをいただいた。深く 感謝する。なお、執筆者のうち小塩は文部科学省科学研究費特定療育(B)603「世代間利害調 整プロジェクト」による財政支援を受けている。関係者の方々にお礼を申し上げる。もちろん、 残された誤りは執筆者によるものである。

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1.本稿の目的

教育をめぐる経済分析は、内外で数多く蓄積されている。とりわけSchultz (1963)や

Becker (1964)がいわゆる「人的資本(human capital)論」を確立して以来、教育やそ の成果を経済学の立場から分析する研究が進められ、教育経済学は経済学の中でも重要な 研究分野としての位置をすでに占めている。 とくに、教育が人的資本の蓄積や教育を受けた後の賃金水準、経済成長にどのような影 響を及ぼすのか、教育の「質」の違いが教育成果をどこまで左右するのかといったテーマ を始めとして、教育経済学の実証分析は米国を中心に膨大な量に上っている。一方、教育 社会学など教育学の分野でも教育にかかわる実証分析は数多く行われており、問題意識や アプローチこそ違え、経済学から見ても興味深い研究が少なくない。 しかし、残念ながら、日本においては教育をめぐる実証分析の蓄積はむしろこれからの ようである。もちろん、次節以降で紹介するように優れた実証分析は少なくないが、重要 なテーマが十分に分析されているとは言いがたい。その最大の理由はおそらく、教育に関 する情報公開がこれまできわめて限定的であったことに求められる。そのため、教育をめ ぐる議論は、実証分析の裏づけがほとんどない観念論や理想論に終始するという状況も見 られた。 しかし、最近では、研究者が独自に実施した調査などに基づいた、教育の実証分析が盛 んに行われるようになっている。新学習指導要領の導入をきっかけとする学力問題への関 心の高まり、教育現場におけるさまざまな新しい取り組みなどを背景として、こうした傾 向は今後さらに加速するだろう。同様に、教育社会学等の分野においても、教育と社会階 層との関連に対する問題意識の高まりもあって、丁寧な統計的処理がほどこされた実証分 析が数多く見られるようになっている。加えて、行政評価の重要性が意識されるようにな った現在、教育行政についても、統計に基づく客観的な評価がいままで以上に求められる ようになるはずだし、またそうあるべきである。 本稿の目的は、1)日本の教育についてこれまで行われてきた実証研究をできるだけ数多 くサーベイし、現時点におけるその“到達点”を明らかにするとともに、2)教育をめぐる現 状や教育経済学における理論的な研究、あるいは諸外国における実証研究の蓄積状況から 判断して、今後に残された研究課題を整理することである。サーベイに当たっては、経済 学的な発想によって行われた実証研究を基本的な対象とするが、教育社会学等の立場から の実証研究についても、経済学的に見て興味深いものについてはできるだけ幅広くカバー した。ただし、われわれのサーベイは包括的なものではなく、本稿で取り上げていない研 究の中にも、優れたものが数多く残されているはずであることを予めお断りしておく。ま た、純粋に理論的な研究についてはサーベイの対象外としている1 1理論的な点も含め、教育経済学に関するサーベイ論文としては、Hanushek (1986)(1996) (2002)、 Freeman (1986)、Card (1999)などが、邦語のサーベイ論文としては、山内(2000)、

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教育は多面的である。教育には、企業やマクロ経済から見ると「生産要素」という側面 があるが、教育機関が生み出す「生産物」という側面もある。また、教育を受けることは、 生産性を高める「投資」行動として受け止めることが一般的であるが、教育を受けること 自体から消費者が満足を得るとすれば、「消費」行動としての側面もある。さらに、教育を 教育機関が供給するサービスと捉えても、そのサービスの生産にはその需要者である消費 者が参加するから、教育には需要と供給を明確に分割できないという特徴もある。本稿で 紹介する実証分析を見ても、こうした教育の多面性が反映され、教育に対する捉え方がそ れぞれにおいて微妙に異なり、また重なり合っている。そのため、本稿では、以下のよう にこれまでの実証分析を整理して紹介することにした。 まず、2.「人的資本論と教育の収益率」では、いわゆる人的資本論に基づいた、教育の 収益率をめぐる実証研究を取り上げる。日本における教育経済学の実証分析を見ると、こ の人的資本的発想に基づくものがかなりのウェイトを占めている。この節のサーベイは、 教育に対する経済学的アプローチを知る上で格好のイントロダクションともなる。 3.「労働市場から見た教育」では、教育と労働市場との関係に関する研究を取り上げる。 出身大学や学歴が就職や賃金、会社での昇進にどの程度影響するかといった問題は、労働 経済学の分野における重要なテーマとなっており、実証分析の蓄積も比較的豊富である。 この節では、教員の労働市場に関する実証分析についても紹介する。 4.「教育成果の要因分析」では、教育成果をめぐる議論を取り上げる。学級規模や習熟 度別(能力別)クラス編成等、教育の「質」がどこまで教育成果に影響するかは、教育政 策のあり方を議論する上でも重要なテーマとなる。 5.「教育の産業分析」では、教育産業の効率性をめぐる研究をサーベイする。産業組織 論的なアプローチから、とりわけ教育産業に「規模の経済」や「範囲の経済」が働くかと いった問題点を議論する。また、学校経営の評価のあり方についても簡単に議論する。 6.「教育需要の決定要因」では、人々はどこまで教育を受けるのか、どのような要因で 学校を選択するのかといった問題を扱った実証分析をサーベイする。また、消費者の教育 需要に対する財政支援のあり方についても考える。 7.「教育と社会階層」では、教育と社会階層との関係についての研究を取り上げる。こ れは、教育社会学の分野で重要なテーマのひとつとなっており、実証分析が盛んに行われ てきた。経済学から見ても、教育が所得格差の形成にどこまで影響するかはきわめて興味 深い問題である。 赤林(2001)、小塩(2001)などがある。日本語で書かれた教育経済学に関する単行本としては、 荒井(1995)(2002)、市川・菊池・矢野(1982)、伊藤・西村編(2003)、小塩(2002)(2003)、 経済企画庁経済研究所編(1998)、白井(1991)、永谷(2003)、藤野(1986)、八代編(1999)、 矢野(1996)(2001)などが代表例である。なお、世界銀行は、教育経済学に関する代表的な文 献をhttp://www.worldbank.org/education/economicsed/research/keyread/keyread_index.htm で紹介している。また、本稿執筆時点において、NBER(全米経済研究所)が教育経済学に関す る研究プロジェクト(http://www.nber.org/programs/ed/ed.html参照)を展開中である。

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大まかに整理すると、 2.と 3.が教育の経済的意義を労働市場との関係から考察した分 析例を、 4.と 5.が教育の供給面の問題を扱った分析例を、 6.と 7.が教育の需要面を 扱った分析例をそれぞれサーベイしていることになる。 最後に8.「残された課題」では、全体のまとめと残された課題の整理を行う。 2.人的資本論と教育の収益率 内部収益率の概念 教育を経済学の立場から取り上げる場合、まず頭に浮かぶのは「教育を受けることによ って、将来どこまで所得が増加するか」という考え方であろう。このような教育の収益性 をめぐる実証分析は、日本でも堀内(1973)など古くから試みられており、興味深い研究 も数多く見受けられる。教育には投資としての側面だけでなく、消費としての側面もある と考えられるが、人的資本論の立場に立つと、教育は消費者にとって一種の投資行動とし て捉えられることになる。なお、教育経済学の実証分析という点では、人々がどこまで人 的資本論的発想に基づき、教育の収益性を意識して教育需要を決定しているかという重要 な問題がある。人的資本論の妥当性を需要サイドから検証した論文は6.でサーベイするこ ととし、ここでは教育の内部収益率そのものをめぐる実証分析を眺めてみよう。 日本の公表統計を用いる場合、投資としての教育の効果を分析する最も手っ取り早い方 法は、『賃金構造基本統計調査』(賃金センサス)等を使って学歴による賃金格差を調べる ことである。しかし、教育には費用がかかり、しかも便益の発生は一時点ではなく生涯に わたるため、消費者にとっての教育の経済学的意義を調べるにはもう少し工夫が必要であ る。そこで昔から行われてきたのが、教育の(内部)収益率を計算するという作業である。 教育の内部収益率の計算を、大学教育の場合について簡単に紹介すると次のようになる。 まず、教育の費用については、大学の授業料を代表とする直接的な費用だけでなく、大学 に(4 年間)通学することによってみすみす失ってしまった賃金所得である逸失所得(放棄 所得)を加える。一方、大学教育から得られる便益とは、大学卒業後、引退生活に入るま で、高卒と比べて追加的に得られる賃金所得を意味する。そして、教育の内部収益率とは、 その教育の費用と便益を割引現在価値で見て一致させるような割引率として計算される。 すなわち19 歳で大学に入学し、23 歳から 60 歳まで勤労生活を送ると想定し、EtとBtを それぞれt 歳時点における教育の費用と便益を示すとすれば、

(

)

(

)

= − = −

+

=

+

60 23 19 22 19 19

1

1

t t t t t t

B

E

ρ

ρ

という方程式から得られる

ρ

が教育の内部収益率である。これは、

ρ

に関する高次の方程 式となるが、表計算ソフト等を用いれば簡単に計算できる。 こうした形で得られる教育の内部収益率については、公表された集計データで計算でき ることもあって、日本でも実証研究例が少なくない。これは、一頃ほどではなくなったも

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のの、日本では受験競争が厳しかったこともあり、教育がはたしてコストをかけるのに見 合ったものであるかという問題意識が強かったためかもしれない。最近における実証研究 を概観した田中(1998)によると、日本の大学の収益率は 1980 年代まで低下傾向を示して きたものの、80 年代以降は安定的に推移しているとする結果が一般的である。また、学歴 別の収益率の時系列的変化を調べた島(1997)によると、80 年代に入ってから、大学の収 益率が安定するとともに、高校、高専・短大の収益率との差が拡大している。 大学進学率が上昇傾向をたどっているのに大学の収益率が安定的に推移していることは、 大卒労働者市場の需給バランスが供給超過の方向に大きく崩れていないことを意味する。 この傾向はほかの諸国でもしばしば見られるが、産業構造の高度化に伴って、高い水準の 教育を受けた大卒労働者に対する需要が、大学進学率の上昇と見合う形で長期的に増加し てきたと説明することもできよう。 教育の収益率に関するその他の分析 教育の内部収益率の試算に関しては、次のような 3 つの応用的分析がこれまで試みられ てきた。第 1 は、収益率を大学や学部間で比較することである。首都圏の大学を対象にそ れを行った岩村(1996)によると、社会科学系の方が理工系よりも収益率が高い、(入学難 易度や伝統など)威信の高い大学ほど収益率が高い、収益率の分散は社会科学系より理工 系のほうが小さいといった興味深い事実が確認されている。 第 2 は、教育の社会的収益率と私的収益率を区別して計算することである。社会的収益 率の場合は、便益に税引き前所得を、費用に授業料など私的費用のほかに政府の補助金を 含める(厳密には教育の外部経済効果を含めるべきだが、推計がほとんど不可能なので捨 象する)。私的収益率の場合は便益に税引き後所得を、費用に私的費用のみを用いる。信国 (1977)はオイルショック前後のデータを用いて分析を行い、国立大学の社会的収益率の 水準は既に他の投資機会の収益率の水準よりも低いこと、理・医学部よりも社会科学系学 部のほうが社会的収益率が高いこと、また、私的収益率>社会的収益率であること、国公 立・私立などの設置形態の違いが私的収益率に関してそれほど大きな影響を与えていない こと、などを明らかにしている2。また、最近のデータを用いた経済企画庁(現内閣府)経 済研究所(1998)の推計においては、国立大学の場合は私的収益率>社会的収益率、私立 大学の場合は逆に社会的収益率>私的収益率という結果が得られている。 第 3 は、内部収益率をコーホート別に計算することである。この例としては、経済企画 庁『国民生活白書』(1996)がある。男子の場合、1935 年生まれで 11.1%、1950 年生まれ で8.1%、1965 年生まれで 9.0%という結果が得られているが、2 番目のコーホートの数字 がやや低めとなっているのは、「団塊の世代」のため世代内の競争が激しかったことを反映 2 信国(1980)は、その後のデータを用いて再計算を行っている。そこでは、大卒者の私的収 益率が2∼3%と大幅な低下を示しており、さらに、一浪進学かつ 1,000 人未満の企業に就職し た場合では、収益率が負になっている可能性を指摘している。

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している可能性がある3 シグナリング理論 ところで、こうした人的資本論の考え方には、実は本質的な問題がある。というのは、 教育水準が高い者はもともと能力が高い者であるとすれば、教育の収益や賃金格差は、教 育による生産性向上効果を反映したものではなく、個人に生来備わっている能力差を反映 したものに過ぎないという解釈もできるからである。 実際、人的資本論とは対極的な考え方として、教育を受けることや学歴を高めることを、 自らの能力を他人に知らしめるための行動と解釈する「シグナリング(signaling)理論」 がある。このシグナリング理論も、Spence (1973)らが提唱して以来、教育経済学の分野 で重要な位置を占めている。ただし、シグナリング理論の中には、能力をめぐる情報の非 対称性を想定する考え方だけでなく、教育機関が試験等を通じて能力を見きわめていくと いう「フィルタリング」や「スクリーニング」の側面を重視した考え方も有力である。 人的資本論とシグナリング理論のどちらが妥当するかという問題は、教育のあり方を考 える上で重要である。シグナリング理論が妥当するとすれば、教育に対する公的支援の正 当性は、すべてではないにせよかなり減殺されることになるからである。そのためもあっ て、外国では両者の正当性を比較する実証分析が少なからず見られるが、結果は一様では ない4。日本では、この問題に関連する数少ない分析例として、安部(1997)、Abe (2002) がある。安部は独自に収集した大学別のパネル・データに基づいて、同一学部・大学の時 間を通じた入学時偏差値の変動が、学部・大学間の偏差値の変動に比べて入職時に与える 影響が小さいことを示している。安部は、入職時には(OB ネットワークの形成も含めた) 学校教育の効果が大きいとその結果を解釈している。この解釈が正しいとすれば、大学教 育は生産性の向上に貢献しているという、人的資本論的な状況が描けることになる。 一方で、シグナリング理論を支持する声も根強い。独自に実施したアンケート調査に基 づく大橋(1995)、これまでの実証研究を概観した橘木(2002)がその代表例である。この うち橘木は、シグナリング理論(橘木は「スクリーニング仮説」という表現を用いている) を支持する統計的事実として、(1)低学歴の人が高学歴の人よりも高い生涯賃金を得る例は 確かに多数存在しないが、無視できないほど少ない例ではない、(2)企業の指定校制度、大 学卒における銘柄大学とそうでない大学との間の昇進格差が存在する、(3)賃金や所得とは 関係のない動機で大学に行くことも多い、(4)医師や弁護士、技術者等職業決定に際してど の学部に進学するかが大きな役割を演じている、といった点を指摘している。しかし、こ れらの事実はシグナリング理論を全面的に肯定し、人的資本論を全面的に否定するものと 3 そのほか、Arai (1998)は、女子の短大・大学の内部収益率を試算している。女子の場合、 男子に比べるとデータ上の制約が大きく、Arai はいくつかの想定をおいて女子の内部収益率を 計算している。なお、人的資本と経済成長の関係を都道府県ベースで実証した分析として橋本 (2002)がある。 4 荒井(1995)は、人的資本論とシグナリング理論に関する詳細なサーベイを行っている。

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は言えない。また、シグナリング理論が正しいとすれば、なぜ企業は大学入学時点で学生 を採用しないのか、という疑問も残る5 3.労働市場から見た教育 Mincer 型の賃金関数 前節では、人的資本論の考え方と、それを反映した教育の内部収益率に関する実証分析 を紹介した。しかし、教育が人的資本論によって説明されるとしても、教育の成果が実際 に評価されるのは直接的には賃金や昇進など、労働市場においてである。この点は、シグ ナリング理論の立場をとっても同じである。学歴を高めることの経済的なメリットは、労 働市場において発揮されることになるからである。そこで本節では、教育の成果を労働市 場から分析する実証分析を幾つか紹介することにしよう。 ここでまず取り上げるのは、Mincer (1974)型の賃金関数の推計である。教育の内部収 益率の計算は人的資本論の発想に基づくものであるが、人的資本そのものは観測できない。 そのため、労働経済学の分野では、教育の内部収益率を直接計算するというよりも、賃金 から人的資本ないしは教育の役割を間接的に把握するというアプローチがしばしばとられ る。労働者が得る賃金は、労働者が過去に投資した人的資本の水準に大きく左右される。 この点に注目して、人的資本論に関する実証分析に道を開いたのが、このMincer 型の賃金 関数の推計である。 Mincer 型の賃金関数は、1)労働者はそのライフサイクルの当初の数年間は教育投資に 専念し、2)その後は仕事につき、オン・ザ・ジョブによる人的資本投資を単調減少の形で 実施していくと想定する。その想定の下で、賃金(w)の対数値(lnw)を教育年数 s や勤 続年数x によって推計する、

ln

w

=

const

.

+

α

s

+

β

x

γ

x

2

,

α

,

β

,

γ

>

0

という回帰式を推計することになる6。この場合、sにつく係数ß(×100)は、教育年数を 1 年間延ばしたときに賃金が何%上昇するかを示すことになる。このタイプの賃金関数の推 計の代表例としては、『賃金構造基本統計調査』のクロス・セクション・データに基づいた

Hashimoto and Raisian (1985)(1992)がある。ただし、彼らの推計式においては、教 育は教育年数ではなく、高卒、短大卒、大卒がダミー変数の形で与えられている。したが

って、各ダミー変数につく係数(×100%)は、それぞれの教育課程を修了することによっ

て何%賃金が上昇するかを示すことになる(たとえば、大企業の場合、大学を卒業すると

約46%賃金が上昇することになっている(1990 年データ)。

Hashimoto and Raisian のそもそもの分析目的は賃金決定要因の日米比較であり、日本

5 もっとも、日本でも1997 年に企業の採用活動の開始時期を制約していた就職協定が廃止さ

れて以降は、採用活動時期の早期化・長期化の傾向が見られる。

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では米国に比べて同一企業での勤続年数が重要な役割を果たしていることを明らかにして いる。そうした傾向については、Clark and Ogawa (1992)が『賃金構造基本統計調査』 の新しいデータを用いるとやや弱まる点を指摘しているが、彼らの推計結果を見ると、教 育の賃金押し上げ効果の大きさは時系列的に見て安定していることが分かる。なお、ミン サー型の賃金関数を、7.でも紹介する SSM(Social Stratification and Social Mobility; 社会階層と社会移動)調査の個票に基づいて推計したものとして、Tachibanaki (1988) や矢野・島(2000)がある。 しかし、ミンサー型の賃金関数については、いわゆるサンプル・セレクション・バイア スがかかることが広く知られている。たとえば、大学進学を選択した者は、大卒のほうが 高卒より有利だと判断した者に限定されると考えると、実際に観測される大卒・高卒の賃 金格差は、大学の収益率を過大評価している可能性が残る。さらに、ミンサー型の賃金関 数は内部収益率の直接的な推計に比べてデータ面の制約が小さいので、教育の収益率の国 際比較にしばしば用いられるものの、統計学的に見ると問題がある点に注意しておく必要 がある。 タテの学歴とヨコの学歴 次に、学歴が労働市場でどのように評価されているかという問題を考えてみよう。出身 大学や学歴が賃金や会社での昇進にどの程度影響するかといった問題は、労働経済学の分 野においても重要なテーマであり、実証分析の蓄積も比較的豊富である。ここで学歴とい う場合には、2 つの意味がある。ひとつは、高卒、大卒、院卒といった「タテの学歴」であ り、もうひとつは、大学であればどこの大学を卒業したかといった「ヨコの学歴」である。 「タテの学歴」の結果生まれる高卒者と大卒者、あるいは大卒者と院卒者の賃金の平均的 な格差は、労働厚生省『賃金構造基本統計調査』等から簡単に類推できる。ここでも高学 歴者ほど高い賃金を得るという統計的事実が確認できるが、人的資本論やシグナリング理 論以外にもこの現象を説明する理論があり得る。

それが、Thurow (1976)の提唱した「仕事競争(job competition)モデル」である。 このモデルでは、学歴は訓練可能性に対するひとつの指標であり、企業は学歴によって仕 事を割り当てると想定する。したがって、入職時において学歴間で賃金の差は存在しない が、時間の経過とともにOJTを通して徐々にその格差が大きくなる。大谷・梅崎・松繁(2003) は、ある国立大学工学部出身者へのアンケート調査をもとに、この仕事競争モデルの現実 的妥当性を検証している。具体的には、1)学歴別で見た初任給の差は入職時の年齢差で説 明できるかどうか、2)学歴別で見た賃金プロファイルを推計し、年齢にかかる係数が学歴 によってどうなるかを検定するわけである。 その結果、この仕事競争モデルは修士卒−博士卒間ではあてはまらないものの、学士卒 −修士卒間では支持されている。さらに、大谷(2003)も、同一大学の社会科学系学部の 卒業生に対するアンケート調査に基づき、大学在学中の成績を利用して仕事競争モデルを

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検証している。それによると、好景気で労働需要が高まるときには初任給への大学での成 績の効果がなくなるものの、景気が悪化し労働需要が減少するときには初任給への成績の 効果が現われる。これは、入職に際して成績を選抜基準とする割り当て(rationing)が行 われていることを意味し、仕事競争モデルを支持する結果となっている7 一方で、文部科学省『学校基本調査』によると、2002 度時点での日本の進学率は高校で 97%、大学で 48.6%(短大も含む)である。近い将来訪れると言われる「大学全入時代」 を考えると、とくに大学における「ヨコの学歴」はより一層重要な意味合いをもってくる と考えられる。このテーマに関する分析は、古くから行われてきた。 まず、初期の重要な分析である小池・渡辺(1979)は、名門大学出身であることが必ず しも上場企業への就職に有利なわけではなく、昇進の際も課長職ではむしろ無名校出身者 のほうが昇進の確率が高いことを示している。また、渡辺(1987)も、就職にあたって名 門大学出身であることは有利ではあるが、企業は無名校からも幅広く採用していることを 指摘し、同様の見解を示している。 一方、竹内(1995)は、各々の企業が特定の大学に対してそれほど大きな採用枠を目標 として掲げていなくても、名門大学卒の学生はそもそも希少な存在であるため、結果的に は入職時においては名門大学卒の学生が有利になることを企業側のデータから示す一方、 学歴による昇進の格差は存在せず、これが社員の競争意欲を持続させるために有効に機能 していると指摘する。 しかし、樋口(1994)や大橋(1995)は、官公庁や上場企業の役員を含む部長職以上へ と分析の対象を広げた場合、名門大学出身者が有利であることを明らかにし、その原因が 官庁や他社での幅広い人脈をもつこと8、先天的な知的能力が高いこと、その結果、恵まれ た職場に配置される傾向があること、後輩に支援することからより昇進に有利になること にあるのではないかと指摘している。 さらに、大学で文系教育を受けた者と理系教育を受けた者とでは、その後の労働市場で どのような違いが現われるかという問題もある。日本では、理系出身者よりも文系出身者 のほうが賃金や昇進の面で優遇されていると言われている。文系出身者と理系出身者では、 職業分布が異なることなどがその理由に挙げられるが、最近では、野田(1995)や冨田(1995) が個票データを用いて、実際には賃金、昇進とも理系と文系との間でそれほど差があるわ けではないことを確かめている。 [補論] 教員の労働市場 教育サービスの需要側に関する分析が盛んに行われる一方で、教育サービスを供給する 7 大谷・梅崎・松繁(2003)、妹尾・松繁・梅崎(2003)は、アンケート調査をもとに高校や大 学での成績が初任給や現在の賃金水準に与える効果も調べているが、いずれも有意な影響を与え ていない。 8 浦坂(1999)や前述の安部(1997)、Abe (2002)は、名門大学の OB ネットワークといっ た人脈が人気企業への就職の際に有利な条件となることを統計的に確認している。

(12)

側である教員の労働市場に関する実証分析もいくつか行われている。教育経済学の分野で は、教員の労働市場の分析が重要な研究テーマとなってきた。教員の労働市場は、1)医師 や弁護士などと同じように資格を必要とする専門職であることから一人前になるための訓 練期間が比較的長いこと、2)教員の配置などが制度的にかなりの制約を受けていること、 3)初等中等教育では大半の教員が公務員であるのに対し、高等教育では逆に公務員が少数 派になっていること、といった特徴を持っている。このため、教員の労働市場は、労働需 給の調整といった市場の変化に弾力的に対応できないという問題点がある9 ここでは、主に大学教員の労働市場に注目して実証分析を行った論文を紹介しよう。こ こでの主要な関心は、教育サービスの質を形成する教員の労働需給がどのように決定され ているのか、教員の所得や昇進といった賃金プロファイルはどのように決定されているか というものである。これらの問題は、教育産業に従事する人々にとって重要であるだけで なく、国家の人的資本の蓄積、人材の効率配分、教育サービスの質などに直接的・間接的 に関わる問題であり、政策的にも重要なトピックである。 これまでの実証分析を見ると、たとえば市川・菊地・矢野(1982)は、就職難や教員給 与の改善などが小中学校教員の供給を増やすほか、教育学部の入学倍率を高める効果があ ることを指摘している。また、大学教員を対象とした新堀(1984)は、1960 年代から 80 年代までのほぼ20 年間における大学教員の労働市場を概観し、1)60 年代に入って大学在 学者の大幅な増加に伴って大学教員の需要も増加したが、60 年代後半にはすでに頭打ちに なり、70 年代後半には著しい供給過剰になったこと、2)60 年代、70 年代の労働市場の拡 大は主に私立大学が担ってきたこと、3)国公立大学においては、ある一定の年齢構造が繰 り返し現れる「アカデミック・サイクル」が存在し、約15 年に一度、教員需要が生じる構 造になっていること、4)他方、私立大学ではそのような現象は見られないこと、などを明 らかにしている10。藤野(1986)も同様の分析を行い、この教員の需給調整過程が約 20 年 周期の長期波動をもつことを明らかにしている11 一方、大学教員の賃金と昇進に関しても興味深い分析が行われている。日本では、国公 立大学教員の賃金は、研究業績や教育への貢献と無関係に、人事院規則で定める俸給表、 またはそれに準ずる俸給表が一律に適用されているため、ほぼ勤続年数によって決まって いることは明らかであるが、私立大学教員に関しては依然不明な部分が多い。これを踏ま えて藤村(2002)は、大学教員の賃金と昇進に関する分析を行うために、国立大学と私立 大学の教員の所得関数(副収入も含む)をそれぞれ推定し、昇進の確率の分析を行ってい 9 大学教員の公募制に関する研究としては、山野井(1999)(2001)(2002)がある。 10 新堀(1984)は、大学教員の供給に関して、(1)60 年代、70 年代の教員需要の増加が東大や 京大出身者の占拠率を低下させたが、依然として大学グループごとのヒエラルキーが存在し続け ていること、(2)各地域の有力な供給大学によって、地域的ブロック化の現象がみられること、 (3)とくに新設大学ではその傾向が顕著であること、なども明らかにしている。 11 新堀(1984)、藤野(1986)らは、オーバードクター現象の発生メカニズムに関しても分析 を行っている。

(13)

る。その結果、1)所得に関しては、私立大学では外部勤続年数よりも勤続年数に対する評 価が高く生え抜きが有利であるのに対して、国立大学では外部勤続年数のほうが勤続年数 よりも評価が高いこと、2)昇進に関しては、国立大学では勤続年数のほうが外部勤続年数 よりも効果が大きいのに対して、私立大学はその逆になっていること、3)国立大学では編 著数と論文数が多いほど昇進に有利なのに対して、私立大学では昇進に影響を与えないこ と、4)大学からの収入や評価が教員の教育や研究、社会サービスのための時間配分に影響 を与えていないこと、などを明らかにした。さらに、藤村は、国立大学と私立大学では労 働市場が分断されていることを指摘し、とくに私立大学では流動性が低いことを問題にし ている12 一方、妹尾・松繁・梅崎(2003)はある国立大学文学部の卒業者のアンケート調査に基 づき、教員における男女間の賃金格差に焦点をあてた分析を行っている。Oaxaca(1973) の分析を拡張すると、男女別の賃金関数の推定結果は以下のように変形し定式化できる。 * * *

)

(

)

(

)

(

β

m

β

f

β

β

f m f

β

m f m

W

X

X

X

X

W

=

+

+

これは、男女間賃金格差を能力による部分と男女差別による部分とに分解したもので、

W

は平均賃金、

X

は個人の属性の平均、βは賃金関数を推定した際の個人の属性の係数、さ らに、β*は男女差別がない場合の個人の属性に関する係数を表す。また、添え字の m、f はそれぞれ男性、女性を指すものとする。左辺が平均賃金の男女格差であり、右辺の第 1 項は男性が優遇されていることで生じる格差、第 2 項は女性が冷遇されていることで生じ る格差、第 3 項が男女の能力や属性により生じる格差をあらわすことになる。ただし、男 女差別がない場合の係数β*をどのように処理するかといった問題も残るが、一般的には、 男女合わせた全サンプルの賃金関数を推定した際の係数で代替することが多い。この論文 の推定結果によると、1)単純な統計上の比較で生じていた男女間の賃金格差は、勤続年数 や年齢の差でほとんど説明されてしまうが、勤続年数・年齢に関する係数は女性より男性 のほうが大きいこと、2)大学教員に関しては、男女差別によると思われる賃金格差が小中 高専門学校の教員に比べて大きい可能性があること、などが明らかになっている。 昨今、初等中等教育では、民間人校長の採用や実力ある教員を域外から求める越境中途 採用(大阪府教育委員会2004 年度採用から)するといった新しい試みがなされるようにな っている。また、国家財政難の理由から、教員の退職金をカットする、地方に教員の人件 費を任せる代わりに給与関して裁量権を与える、といった議論も出てきている。高等教育 では、国立大学教員の兼業規制緩和(2000 年)や国立大学の独立法人化(2004 年度から) による教職員の非国家公務員化が始まるなど、日本における教員の労働市場もこれまでと 比べ様変わりしようとしている。今までにも増して、研究の蓄積が行われることが強く望 12大学教員の流動性の分析では、新堀(1984)、小林・塚原・山田(1985)、藤野(1986)、藤村 (2002)がそれぞれに触れており、概して日本では硬直的なこと、また、このことが要因で研 究者の研究水準が低くなっている可能性を指摘している。

(14)

まれる。 4. 教育成果の要因分析 教育成果をどう捉えるか 教育の成果を経済学の立場から考える場合、通常の財やサービスの生産と同様に、一種 の「生産関数」を想定することになる。教育のアウトプット(A)は、統一的な学力テスト の点数、あるいは教育を受けた後に得られる賃金などが考えられる(ただし、厳密には、 前者の場合は教育を受ける前からの変化、後者の場合は教育を受けなかった場合との差を 考えるべきである)。 一方、教育の成果を規定するインプットとしては、その子どもに生来備わっている能力 (IQ など)(I)、その子どもが育っている家庭・社会環境(F)、学校で提供される教育の質 (Q)、そして、その子どもと一緒に教育を受けるグループの特性(P)、という 4 つのグル ープに分けることができる。このうち一緒に教育を受けるグループの特性の要因はピア・ グループ効果ないしピア効果と呼ばれ、教育心理学の分野でもよく注目される概念である。 以上より、第 i 人に関する教育の生産関数としては、εiを誤差項として、

A

i

=

F

(

I

i

,

F

i

,

Q

i

,

P

i

)

+

ε

i という形が想定される。ただし、それぞれのインプットと教育の成果を結びつける、厳密 な理論的モデルが存在するわけではない。そのため、教育の生産関数を推計するに当たっ ては、教育の成果に関係すると思われる変数をアド・ホックに説明変数に加えた回帰分析 がしばしば行われている。もちろん、ここで最も問題となるのは、教育の質が教育の成果 に対してどのように影響するかである。教育の質を示す変数としては、学級規模(教員1 人当たりの生徒数)、教員の学歴や経験年数、報酬といった教員の質に関する変数、また、 生徒一人当たりの学校事務費や図書館の蔵書数等が含まれる13 。 米国では、こうした教育の生産関数に関する実証分析が夥しい数に上っている。それだ け、教育成果を客観的に捉えようという問題意識が強いのだろう。Hanushek (2002)は 最近の実証分析の結果を包括的にサーベイしているが、意外なことに、生徒一人当たり教 員数等教育の質が教育成果に対して有意にプラスの影響を及ぼしていないケースがかなり 多く、教育の質と教育成果に関する実証分析の結果は一様でないことが分かっている。 一方、学力テストの点数ではなく、学校卒業後の賃金水準と教育の質との相関関係に関 する実証分析も数多く行われている。その代表例としてしばしば引用されるのが、Card and Krueger (1992)である。彼らは、学校卒業後の賃金水準と教育の質との間にプラスの相 関があることを確認している。しかし、彼らの分析手法やデータの扱い方についてはいく つかの問題点が指摘されているほか、賃金と教育の質との間に有意な統計的関係を認めな 13 なお、教育成果を各人の学力テストなどの「質」ではなく、在籍する学生数など「量」で捉 えることもできる。後者のアプローチによる実証分析は、次の5.でまとめて取り上げる。

(15)

いとする実証分析例も存在する。このように、米国でも結果は一様ではない。 日本における実証分析例 日本の場合、米国のような形で教育の生産関数を推計し、教育の質と教育成果の関係を 調べた実証分析はきわめて少ない。最大の原因はデータ不足であろう。そもそも学力テス トの結果を実証分析に乗せるという作業自体、タブー視されてきた面もあるようだし、個 人がどのような教育を受けてきたかという履歴情報を含む統計はほとんど入手不可能であ る。また、教育の質を厳密に調べるためには、IQ など個人に生来備わっている能力や家庭・ 社会環境の影響を制御する必要もあるが、そうした要因に関する調査を行うことに社会的 な抵抗もあるかもしれない。確かに、大学受験業界や週刊誌の世界では、東大・京大を始 めとする難関大学の合格者数で高校のランク付けが盛んに行われている。しかし、合格実 績の高い学校に入学する生徒の能力ははじめから相対的に高いはずだから、合格実績がそ うした学校の教育の質を示すわけでは決してない。 このように教育成果に関する実証分析が数少ない中で、注目される実証分析は次の 2 つ である。第1は、学習塾や家庭教師等学校外教育投資がどこまで高校進学に影響を及ぼす かを計量的に調べた盛山・野口(1984)である14。彼らの関心は、「所得格差

学校外教育 投資

学力

教育達成」という因果関係を想定する「学校外教育投資仮説」が成立するか 否かを検証することにあった。分析手法は、変数間の相関係数に基づくパス解析によるで あり、計量経済学的に見てやや不明確な面がある。その点をとりあえず無視すると、進学 先高校の偏差値に対して中学校段階における塾通いは直接的な影響をもたらしていない、 という点が重要な指摘となっている。むしろ、親の社会的・経済的地位(父学歴、母学歴、 父職業、所得)が直接に、あるいは中学 1 年生時点の学力もしくは中学時代の学力変化を 媒介する形で、進学先高校の偏差値に大きな影響をもたらしていることが示されている。 同様の傾向は、塾通いだけでなく、家庭教師への投資についても明らかになっている。 この盛山・野口論文は、塾や家庭教師の教育効果に関する分析としてきわめて興味深い ものであり、教育社会学の分野でかなり注目されたと言われる。しかし、残念ながら、い わゆる学校外教育投資の効果に関する実証分析は、筆者の見る限りその後あまり行われて いないようである。高校進学に際してはほとんどの生徒が塾通いをしていること、また、 小学校段階でも塾通いをせずに国私立中学校を受験する生徒はきわめて例外的であること、 といった現状が実証分析を難しくしているからであろう。 注目される第 2 の分析は、大学入試で数学を受験するか否かが、大学進学後の成績や将 来のキャリア形成に無視できない影響を及ぼすことを、私立大学卒業生を対象とするアン ケート調査で実証した浦坂・西村・平田・八木(2002)である。彼らの分析によると、大 学入試で数学を受験した者ほど大学教育において高い学業成績を挙げ、(その効果とも相ま 14 この論文の前段階の作業に当たる盛山(1981)は、札幌市内の 1 公立普通高校の生徒をサン プルとして同様の分析を行っている。

(16)

って)大学卒業後も生涯にわたって高い所得を稼得し、より高い職位に昇進するとともに、 転職時においても収入面において有利な条件に恵まれているとされる。このうち、所得や 昇進への影響については親の学歴の違いをコントロールした上での推計結果であるが、親 の学歴に基づいてサンプルを分けて推計すると、数学受験の効果は親が高学歴の場合は有 意ではないが、低学歴の場合は有意になっており、数学受験が「階層相続」を弱める効果 をもっているという点すら指摘されている。 浦坂他の分析では、各人の所得関数を、大学入試で数学を受験したかどうかを示すダミ ー変数やそのほかの変数とともに推計している。この定式化に対しては、数学受験を選択 する者はもともと能力が高く、数学受験を選択した効果を過大評価しているのではないか との批判があり得る。したがって、分析結果の解釈には慎重でなければならないが、彼ら の分析は、高校段階までの数学教育の重要性を再確認させる材料になっているととりあえ ず評価してよいだろう。 さらに、この分析が示唆するもうひとつの点として、教育成果を分析するためには個人 が受けた教育経験を把握したパネル・データが不可欠だという点が挙げられる。前述の盛 山・野口論文もそうであるが、この浦坂他論文でも分析は研究者が独自に行った調査に基 づいて行われている。新しい学習指導要領では生徒や学校による教科選択や学校運営の自 由度がこれまでより幅広く認められるようになっているが、そうした改革の効果を評価す るためにも、教育成果を個人単位で追跡できるパネル・データの整備が求められる15 意識調査に基づく学級規模の影響 一方、教育成果に関する分析の中で最も身近な話題のひとつは、学級規模をどのように すれば教育成果が高まるかというものだろう。最近では、公立小学校等でこれまで40 人学 級だったところを35 人にするとか、30 人にするといった柔軟な対応が各地でとられるよう になっている。学級規模の問題は、教育行政においてきわめて重要である。学級規模を小 さくすれば教育成果が高まるというのが普通の考え方だが、それに応じて教員や教室を増 やすなど必要な経費が高まるとすると、学級規模の最適化が重要な問題となるからである。 ところが、すでに述べたように、教育成果に関する実証分析が盛んに行われている米国 の例を見ても、学級規模の教育成果については明確な方向性が認められない。最近の例を 見ると、米教育省の報告書(“Reducing Class Size: What Do We Know?” May, 1998)では、 15 妹尾(2003)は、医師国家試験の合格率を医学部教育成果とし、その決定要因を分析してい る。妹尾の用いたデータはパネル・データではないものの、国家試験の合格率は、学生-教員比 率や蔵書数といった教育環境ではなく、学生の入学時偏差値に大きく依存していることを明らか にしている。一方、市川(1987)は、理系教育を受けた後に技術職・専門職に就いた個人にア ンケート調査を行い、理系の教育効果の持続性を分析している。それによると、教育によって身 につけた知識が適切に使用されていない場合、そのスピードは緩慢ではあるが次第に減耗してい くこと、さらには、専門性が高い教育を受けているほど、職業環境との不一致や知識の陳腐化が 生じやすくなり、教育効果の持続性が損なわれている可能性があることを示している。

(17)

テネシー州が1985 年から取り組んでいる学級規模縮小の取り組みが一定の成果を挙げてい ることが指摘されている。しかし、それとは逆に、学級規模の縮小が期待したほどの成果 を挙げていないとする報告も散見される。 日本においても、教職員配置改善計画と連動する形で、学級規模と教育成果の関係に関 する分析はしばしば行われてきた。杉江(1996)は、そうした分析を 1990 年代半ば時点に おいて詳細にサーベイしたものである。杉江論文を読むと、日本において学級規模に関し てそれまで行われてきた調査は、学級経営に関する教員の主観的な意見、あるいは学生・ 児童生徒の意見を尋ねる意識調査がほとんどとなっている。 ただし、最近になって、意識調査という形をとっていても比較的丁寧な統計的処理を行 う実証分析が見られるようになっている。その代表的な例が山崎・世羅・伴・金子・田中 (2001)である。山崎他は教員の意識調査をベースにして、1)「児童生徒の学習状況」「教 員の学習指導」「児童生徒の学校生活」「教員の生徒指導」という 4 つの質問グループごと に主成分分析を行い、それぞれの第1 主成分を「児童生徒の学習順調度」「教員の学習指導 順調度」「児童生徒の学校生活順調度」「教員の生徒指導順調度」と名づけるとともに、2) その各順調度を、学級規模や学校規模、教員の属性(性別、年齢、教職経験年数)、ティー ム・ティーチング実施の有無を説明変数とする回帰式を推計している。それによると、と りわけ小学校の場合、教育における各順調度は、学級規模が縮小するほど有意に高まるこ とが示されている16。一方、山崎・世羅・伴・金子・田中(2002)は前出・山崎他(2001) とは対照的に、生徒児童の意識調査をベースにして、学級規模が生徒指導や学習指導に対 する生徒児童の意識にどのような影響を及ぼしているかを見たものである。ここでも、学 級規模が小さくなるほど、児童生徒の学習状況や学校・学級生活の状況が改善することが 統計的に確認されている。 大学教育についてはどうか。学期末試験等、教育成果の要因分析を直接行ったものは筆 者の調べるかぎり見当たらなかった。しかし、最近盛んになっている、学生による授業評 価の結果を学級規模と結びつけた分析として、中井・馬越(1999)が興味深い。彼らは名 古屋大学で実施された、学生による授業評価に基づき、「学生の意欲」「内容の理解度」「教 官の熱意」「興味の増加」「総合的満足度」という項目について、クラス規模がどの程度影 響しているかを調べている。彼らは、各項目を点数化したものとクラス規模の対数値との 相関係数をとると、いずれの項目についてもマイナス0.4 前後となっており、両者の間に緩 やかながらマイナスの相関関係があることを明らかにしている。彼らはさらに、科目別に 分けた場合の効果についても、クラス規模と授業評価との間にマイナスの相関があること も報告している(ただし、学生や教官の属性を十分にコントロールしていないという問題 が残る)。おそらくこうした分析は、各大学において非公開の形で行われているものと推察 される。 16 櫻田・岡田・山崎(2002)も、学級規模の効果についてほぼ同様の問題意識に基づく分析を 行っている。

(18)

学級規模と教育成果の関係 しかし、われわれが最も知りたいことのひとつは、学級規模が教育成果そのものにどの ような影響を及ぼすかである。国立教育政策研究所(2002)の調査は、その問題に答えよ うとしたものである。この調査の中でとくに注目されるのは、全国の小中学校約 150 校を サンプルとし、学級規模と数学(算数)および理科の学力テストの結果との相関関係を調 べている点である。同研究所の分析によると、どちらの教科でも、また小学校・中学校の いずれにおいても、学級規模と点数との間に明確な相関関係は認められない。しかし、残 念ながら、この分析は学級規模以外の要因を制御していない。そのため、ここから明確な 結論や政策的な意味合いを導き出すことは、まったくできない形になっている17 このように見てくると、少なくとも現時点においては、学級規模と教育成果との関係に 関するきちんとした実証分析は、教員や児童生徒・学生の意識に関するものを別にすれば、 日本ではほとんど行われていないと結論づけざるを得ない。しかし、2001 年度から実施さ れている「第 7 次教職員配置改善計画」では、小学校では国語、算数、理科、中学校では 英語、数学、理科の各科目において 20 人クラスの実施を認める方針が打ち出されており、 そうした政策変更の成果を客観的に調べる上でも、詳細な実証分析が必要になってくると 思われる。 ただし、今後、学級規模と教育成果の関係を分析するに際しては、次の 2 点に注意する 必要がある。第 1 に、すでに述べたように、教育成果に影響を及ぼすその他の要因を制御 しなければならない。たとえば、学級規模と教育成果の間には、プラスの相関関係が見か け上成立する可能性も否定できない。私立の学校経営者が、与えられた予算制約の下で一 人当たりの教育成果を最大化しようとする場合、学生の規律が平均的に高ければ、学級規 模を大きくしてもかまわないだろう。そうした学校経営者の行動が一般的であれば、規模 の大きい学級ほどそれに参加する学生の規律が高く、したがって教育成果も見かけ上高く なるというのは、ありうる話である(Lazear (2001)参照)。 さらに、クラス規模が学生側の行動によって左右される度合いの高い大学の場合、授業 の評価がクラスの規模に影響を及ぼすという面も否定できない。たとえば、上級生等から の情報を参考にして、評判の高い(成績評価の甘い?)授業ほど学生が集まり、その結果 としてクラス規模が大きくなるということも考えられないわけではない、と前出の中井・ 馬越が指摘している。 第 2 に、学級規模のあり方については、小中学校の場合、大学に比べるとそれだけを取 り出して議論することは次第に無意味になっていくかもしれない。というのは、学級規模 の調整はかなりの程度、習熟度別クラス編成の実施と連動して行われていくはずだからで 17 丸山(1984)は大学生の退学行動の決定要因を定量的に分析した興味深い研究であるが、そ れによると、学生/教員比や平均講義規模の上昇は退学率を有意に高める一方、学部規模の拡大 はむしろ退学率を引き下げる方向に働くという結果になっている。

(19)

ある。実際、習熟度別クラス編成の教育効果については、地方自治体レベルで学力調査を 行う等してその効果を統計的に調査し、結果をインターネット等で公表しているところも 増えてきている。学級規模の教育成果に及ぼす影響の分析は、実質的には習熟度別クラス 編成の効果の分析にシフトしていくだろう。 5.教育の産業分析 規模の経済と範囲の経済 学校経営の効率性を測るという試みは、個々の教育機関の関心であるだけでなく、国の 教育政策の観点からも非常に有益である。とくに日本の場合、国公立・私立などの設置形 態や初等中等教育や高等教育といった教育レベルを問わず、ほとんどの教育機関には税金 が投入されていることから、財政政策上もその効率性を測る客観的な分析は欠かせない。 また、学校経営を分析する上で、国公立・私立といった設置形態の違いがもたらす諸問題 も避けては通れない。本節では、このような学校経営に関わる様々な実証分析を紹介する。 学校の経営に関する分析の中でも「規模の経済(economies of scale)」と「範囲の経済 (economies of scope)」に焦点をあてたものは英米などでも頻繁に行われている分析の一 つである。一般的に、教育の現場でも、通常の企業と同様に生産の規模が拡大すれば 1 単 位当たりの生産コスト(平均費用)が低下し、それだけ効率性が高まるようなケースが考 えられる。たとえば、一人の教師が一人の生徒にマンツーマンで教えるよりも、クラス単 位で一度に複数の生徒を教えるほうが効率がよいかもしれない。実際にこのような効果が 発生している状況を「規模の経済が存在する」、「収穫逓増である」、あるいは「スケール・ メリットがある」などと呼ぶ。 一方で、教育機関は、その活動を通じて教育を受けた人材、研究成果、社会貢献といっ た多様な財やサービスを同時に生産するmulti-product firm として捉えることもできる。 とくに大学のような教育機関はその傾向が強い。「範囲の経済が存在する」とは、単一の財 やサービスをそれぞれ別の機関が生産するよりは、一機関が複数の財を同時に生産したほ うが、効率性が高まるような状況をいう。たとえば、教育機関などの場合、図書館などの 施設を教育活動と研究活動で共有することで、それぞれに別々の図書館を作るよりも総費 用を抑えることができる。 日本における実証分析例 最近になって日本でも、規模の経済、範囲の経済の存在を検証する実証分析が試みられ るようになっている、その場合、次のようなタイプの大学の費用関数が推計される。 ik i j k ij ij j ij i i

a

b

Y

c

Y

Y

C

=

+

+

∑∑

+

ε

2

1

ただし、ここで、Ciは第i 大学の費用、Yijは大学の第j 生産物、εiは誤差項である。係数

c

ij

(20)

が負であれば生産物同士の費用の相互補完性が示されることとなる。さらに、範囲の経済 は、下記の定式化によって推計されるのが一般的である(生産物が2 財の場合)。

{

}

)

,

(

)

,

(

)

,

0

(

)

0

,

(

j i j i j i GLO

Y

Y

C

Y

Y

C

Y

C

Y

C

SC

=

+

上式の分子は、個々の財を別々に生産した場合の費用の合計から、全ての財を同じだけの 量、同時に生産した場合の費用を引いたものを意味する。したがって、全ての財を同時に 生産する方が費用が低く抑えられるようなときは、この分子の部分が正になり、反対に、 全ての財を同時に生産する方が費用が高くなるようなときは負になる。よって、SCGLOの 値が0 より大きい(SCGLO > 0)であれば範囲の経済が存在することになる。大学の生産物 としてどのような指標をとるかという問題が生じるが、教育面の生産物としては学部の学 生数と大学院の学生数、研究面の生産物としては(これまでの研究実績を反映して支給さ れる面が強い)科学研究費補助金が代理変数として採用されることが多い。 具体的な研究例を見ると、まず、Hashimoto (1997)が、私立短期大学で規模の経済が 存在していることを確認し、その効果が最も明確に現われる学校規模(在学生数)を1,400

人程度と推計している。さらに、Hashimoto and Cohn (1997)は、私立大学に関する規 模の経済と範囲の経済を推計しており、諸外国における分析結果と同様に日本の私立大学 においても、規模の経済と範囲の経済が存在していることを示した。また、妹尾(2004) は、国立大学に関して規模の経済と範囲の経済の存在を確認し、さらに、文系大学と理系 大学では規模の経済や範囲の経済が働く水準が異なることも明らかにしている。このよう な結果は、教育機関が教育活動や研究活動にそれぞれ特化するといった動きを牽制するも のであり、同時に、現在進捗中である国立大学の統廃合にも重要な示唆を与える。 ただし、こうした分析については、生産物の「質」を分析上どのように制御すべきかと いう問題がつきまとう。大量の学生を輩出しても学力が低かったり、科学研究費補助金に よる研究成果が貧弱であったりする場合も当然ありうる。規模の経済、範囲の経済をめぐ る分析については、生産物の「質」のコントロールが今後の課題となろう。 学校経営に関する評価 一方、具体的なデータに基づき、学校経営そのものに関する評価を行ったり、教育サー ビスの供給主体としての教育機関の特徴を分析したりする研究も幾つか行われている。こ うした分析の中心的な対象となるのは、当然ながら私立大学である。

たとえば、米澤(1992)や Baba and Tanaka (1997)は、現在の学納金収入と私学助 成に過度に依存する経営がいずれは経営難に陥る可能性が高いことを指摘し、これまで公 的な参入規制のもと規模を拡大してきた私立大学の経営が、ここにきて行き詰まりを迎え ていることを示している。ただし、いずれも定性的な議論や集計データに基づく一般的な 分析となっている。

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一方、丸山(1991)は、私立大学の学納金の規定要因を分析し、入学時の偏差値が高い ほど授業料が高くなることを示し、私学助成などの機関補助よりも奨学金などの個人補助 の必要性を指摘している。さらに浦田(1998) は、首都圏では教育環境の質や入試難易度 が高い大学ほど学納金が安くなることを、私立高校・中学校ではその逆の関係性があるこ とを統計的に示している。 こうした分析は、政府の教育サービスに対する関与・補助のあり方という教育政策のあ り方についても、重要な意味合いを持っているものであり、さらなる研究が望まれる分野 である。実際、最近では、私立大学だけでなく国立大学も対象に含めて、教育の効率性を 詳細に分析する試みが、まだ学会報告やディスカッション・ペーパーの段階ではあるが見 られるようになってきた。 たとえば、妹尾(2003)は、図書館や病院といった公共機関や非営利組織(NPO)の効 率性を分析するのに用いられる手法である包絡線分析(DEA:data envelopment analysis) を用いて、国公立・私立大学の医学部教育・研究を統計的に評価している。DEA は、教育 機関の生産物・投入要素の比率を利用して、最も効率性の高い機関で形成される効率性フ ロンティアを想定し、そのフロンティア上にある機関の効率値を 1 として、他の機関がど の程度効率的であるか推計を行う。線形計画法を用いたこの手法には、複数の生産物と投 入要素を同時に扱えるといった利点もある。実際には、一般的に入手可能なデータをもと に教授数、助教授数、講師数などを投入要素、医学部学生数、国家試験合格率、科学研究 費補助金、公表された業績数などを生産物として採用している。その結果、私立大学より も国公立大学のほうが相対的に効率的な教育・研究活動を行っている可能性が高いことを 示している。 また、Suwanrada・前川(2001)は、国立学校特別会計によって国立大学に配分される 予算が実際に効率的な配分になっているかどうかを検証している。彼らは、基本的に『文 部省年報』に掲載されているクロス・セクション・データに基づき、各国立大学の歳出額 がどのような要因によって左右されるかを回帰分析によって検証している。それによると、 国立大学に投入されている運営費用の配分は、院生の比率や教育費/歳出費比率や国際シ ンポジウム開催数といった要因よりも、職員数、研究所や医学部の有無といった設置形態 に大きく依存していることが明らかになっている。彼らはこの結果に基づき、現在の国立 大学への資金の配分に疑問を呈している。 高等教育への政府関与の評価 教育の産業分析を行う場合、高等教育に対する政府関与を無視することはできない。日 本の高等教育においては、設置基準や入学定員などの面でかなりの程度、政府が規制して きた。しかし、その規制がどのような効果をもたらしたかを統計的に検証するという作業 は、政内ではほとんど行われてこなかった。 そうした中で、高等教育に対する政府関与の効果を、経済学の立場から分析した数少な

参照

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