工業セクターが約 22%であり、この比率は過 去5年間あまり変わっていない。労働人口でみ ると、工業セクターは約9%にすぎず、人口の大 部分(59%)は依然として農業セクターである2)。 1-2 一人あたり所得の向上 一人あたり GDP の推移をみると、以下の表 1-2にみられるように、パリ和平合意後の1991 年から 2000 年までの 10 年間の一人あたり所得 は停滞し、世界の最貧国の一つであり続けたが、 2001 年以降は、着実な発展を遂げてきたこと がわかる。 1-3 経済・社会指標の緩やかな改善 - UNDP の HDI 人々の生活状況の改善や開発の度合いは所得 水準だけで示されるものではないので、ある種 の経済・社会のパーフォーマンス指標である、 UNDP(国連開発計画)の「人間開発指標(HDI: Human Development Index)」の変化もみておく ことにしよう。HDIは、一人あたり所得に加え 教育や保健分野のいくつかの指標を取り上げて 総合指標として提示したものである。HDI は 1990 年の「人間開発報告書」以来国際比較に 加え、時系列の変化をみる上でも有益な指標で あったが、2010 年版より HDI の計算の仕方が 改められ、2008 年以降の指標は、それ以前と は継続性がなくなっているので、以下の表 1-3 では2007年までの指標をまとめている。 カンボジアにおける HDI の数値の変化をみ ると、一人あたりの実質 GDP の計算は、購買 力平価をもとに計算されているため、比較的高 表 1-2 カンボジアの一人あたりGDPの推移(1991-2011年)
(注)International Monetary Fund, World Economic Outlook Database.2011 (単位:米ドル)
く評価されている。他方、平均余命や成人識字 率は徐々に改善してきているものの、全教育レ ベルの就学率は停滞していることが示されてい る。また、カンボジアの HDI の国際的順位は 依然として低位(130-137位)にあり、しかも 99 年以降の持続的開発期に入ったと考えられ る時期においてもその向上のスピードは遅い。 1-4 課題を抱えるガバナンス-世界銀行のCPIA 一方、政府の経済運営能力などの、いわゆる ガバナンス能力の推移をみるには、世銀の CPIA (Country Policy and Institutional Assessment : 国 別政策制度評価)をみることにより推し量るこ とができる。CPIA とは、国際開発協会(IDA) の融資や支援を決定する際の主要参考指標で、 その国の制度や政策の善し悪しの度合いを指標 (最低数値が1、最高数値を6)で表すものであ る。この数値は 1996 年から測定され公表され るようになった指標なので、1995 年以前は把 握できないが、96年以降の3年毎の指標の変化 を示したものが、表1-4である。 この数値の推移を見ると、全ての指標につい て次第に改善に向かっている。とりわけ経済運 営に関連する指標が良くなっているのに対し (2.7 から 3.8 へ)、ガバナンス(公的部門の運 営と制度)に関連する指標が依然として低く、 またその改善のスピードが遅い(2.4 から 2.8 へ)。行政能力が依然として低いこと、腐敗や 汚職が蔓延していることが、このような低い評 価につながっていると考えられる。 ちなみに、世銀は、3.2 未満を制度や政策に 問題のある「脆弱国家」に属するレベルとして 位置づけており、この基準に照らすと、カンボ ジアが総合評価として「脆弱国家」を脱したの は、(この表には記載されていないが)2007 年 以降の時期であり、ガバナンス(公的部門の運 営と制度)分野は依然として「脆弱国家」レベ ルの評価であることが示されている3)。 1-5 国としての安定度
-「破綻国家指標(Failed States Index)」
り、近年評価を下げている(上位ほど悪い)。 この「破綻国家指標」は欧米的な価値観を反映 しており、近年のカンボジアの状況に関しては 評価が下がっていることが伺われる。 欧米的な価値観を反映した評価指標の別の例 として、Transparency Internationalが毎年作成し ている「腐敗認識指数(Corruption Perception Index: CPI)」がある 。 これは腐敗度の深刻さを 数値(1 から 10)で示したもので、数値が低い ほど腐敗度が高いことを意味する。カンボジア の場合、2005 年に 2.3(世界順位でみると良い 方から数えて130位)、2007年に2.0(同162位)、 2010 年に 2.1(同 154 位)と、世界で最も腐敗 度の高い国の一つと見なされており、また、 2005 年と比較すると近年、更に悪化傾向にあ ると考えられている。 以下で、1990 年代以来の約 20 年間にわたる カンボジアの主要な政治社会動向と開発にむけ た動き、および ASEAN を中心とする周辺諸国 との外交関係について、一覧表の形で整理して おいた。
表 1-5 カンボジアの「破綻国家指標(Failed States Index)」の推移
総 合 点 ︵ 合 計 ︶ 人 口 動 態 圧 力 難 民 ・ 国 内 避 難 民 集 団 の 不 満 人 的 逃 避 不 均 等 発 展 経 済 国家 の 非 正 統 化 公 的 サ ー ビ ス 人 権 治安 機 構 党 派 的 エ リ ー ト 外 的 介 入 2006 85.0 7.5 6.5 7.0 8.0 7.2 6.0 7.8 7.5 6.9 6.7 7.5 6.4 2008 85.8 7.8 5.7 7.5 8.0 7.2 6.6 8.3 7.6 7.1 6.2 7.2 6.6 2011 88.5 7.7 5.6 7.2 7.6 6.8 7.2 8.5 8.4 8.0 6.2 8.0 7.4
(出所)Foreign Policy誌が作成したThe Failed States Index(2006, 2008, 20011)より作成。
2.復興から開発への移行とODAの役割
次に、以下で、こうしたカンボジアの新たな 国づくりを支援してきた日本のODAについて、 その展開過程を整理しておくことにしたい。 日本政府は、1991 年パリ和平協定の締結に 尽力するなど、カンボジア和平に外交面から非 常に深く関わった4)。また、PKOへの初めての 参加、警察支援などこれまで関与しなかった分 野にも意欲的な支援を行った。経済復興面でも ODAの積極的な投入を行ってきた。 (注)筆者作成 カンボジア動向 カンボジア開発計画 ASEAN等、外交関係 1998 7月 第2回総選挙 11月 Hun Senを中心としたCPP /Funcinpec連立政権 12月 KRキュウ・サンパン、ノン チア投降 三角形戦略 98 第7回サミットハノイ行動計画 1999 4月 ASEAN加盟 教育SWAP、保健SWIM導入 2月 DDR計画発表-00年開始 99 カンボジアのASEAN加盟 2000 持続 的 開 発 期 5月 PRSP導入発表 政府・ドナー ・パートナーシップ WG設置 2001 7月 SEDPII策定(2001-05) 2002 ASEANサミット主催 2月 国家貧困削減戦略NPRS 策定(2003-05) 02 カンボジア・サミット主催 2003 6月 第3回総選挙 カンボジアMDGs策定 17のTWG/GDCC設置 2004 6月 組閣 四辺形戦略発表 04 ビエンチャン行動計画 2005 05 ASEANプラス3サミット 2006 クメール・ルージュ裁判実施 国家戦略開発計画NSDP策定 (2006-10) 06 東アジアサミット 2007 グロ ー バ ル 化 進 展 米国 対政府直接援助を再開 2008 第4回選挙-人民党圧勝 08 プレアビヒア寺院が世界遺 産登録 2009 以降、タイと断続的に武力衝突 2010 2011 2012 12 カンボジアがASEAN議長国 2-1 日本のカンボジア支援の概要 1992 年以降のカンボジア復興期において、 カンボジアに対する最大ドナーは言うまでもな く日本であった。他の主要な支援国・機関は、 国際機関としては、UNDP、世銀 (主として譲 許性の高い援助を行う国際開発協会(IDA))、 ア ジ ア 開 発 銀 行(Asian Development Bank: ADB)、そして地域機構としての EU(欧州連 合)、等である。2国間ドナーとしては、米国・ 豪州・フランスが主要な支援国である。すなわち、①緊急人道支援と復旧復興支援が 重なる時期である、第1期(1991-93年)、②復 旧・復興期である、第2期(1993-97年)、③調 整期とされる、第3期(1997-99年)、④持続的 開発期と呼びうる、第 4 期(1999 年 -2006 年)、 に分けて概観することができよう。 なお、2007 年以降は後述するように、投資 の規模が拡大しており、この時期は⑤グローバ ル化の中での経済発展期(第 5 期)、としてと らえることにしたい。 第1期(1991-93年)は、1991年10月23日に パリ和平協定が締結されて以降、国連の包括的 なミッションである UNTAC による暫定統治、 及びその暫定統治下で行われた制憲議会選挙 (1993 年 5 月)を経て、同年 6 月 14 日に憲法議 会が召集されるまでの、いわゆる国連暫定統治 の時期である。 パリ和平協定によって設立された UNTACの 役割は、従来の停戦監視と武装解除を任務とし てきた国連 PKO の枠を大幅に越え、選挙の組 織と実施、難民及び国内避難民の帰国と再定住、 並びに国の再建と復興にまで及んだ。同時期、 UNTAC へ の 支 援 の み な ら ず、 国 際 社 会 は、 ODA や NGO 活動を通じてカンボジア復興の緊 急ニーズへの対応を開始した。援助のニーズに は、タイを中心とする周辺国に避難していた難 民及び国境沿いの安全地帯に移っていた避難民 の帰還と再定住、国家統治機能の再構築、国民 の生活基盤の復旧と共に、国内全土に埋められ た地雷除去作業、DDR 等の紛争終結国特有の 緊急課題が存在した。この点から、同時期の支 援は、緊急支援期として位置づけられる。 第 2 期(1993-97 年)は、国家復興開発計画 (National Programme to Rehabilitate and Develop
Cambodia: NPRD)の策定が行われ、インフラ の復旧や生活基盤の回復、農村開発などが本格 化し始めた時期である。カンボジアの行政能力 は未だ不十分ではあったが、カンボジア開発評議 会(Council for the Development of Cambodia: CDC)を設立するなど、カンボジア側の援助 受け入れ態勢が整い始めた。援助のニーズから カンボジアを概観すると、生活基盤の復旧復興 と共に、農業の普及、初等教育の拡充などを含 めた社会インフラの整備が重要視されていた時 期である。 第 3 期(1997-99 年)は、一時的なものであ ったにせよ、1997 年 7 月に二大有力政党であ るカンボジア人民党(Cambodian People’s Party:
表 2-2 日本によるカンボジア支援の重点の推移(概観)
状況 支援の重点・特徴
緊急支援期
(1991-93 年) 和平協定から UNTAC へ PKO 派遣JICA カンボジア事務所開設
CPP)とフンシンペック党が武力衝突を起こし たことにより、不安定な調整期として区分して いる。こうした国内の政治的混乱のために東南 アジア諸国連合(Association of South-East Asian Nation: ASEAN)への加盟が1年半遅れるなど、 復興過程としては停滞・後退と言える時期であ り、それゆえ調整期と位置づけられる。 しかしながら、1998 年 7 月には第 2 回選挙が カンボジア側の努力によって順調に実施された。 同年 11 月には、過半数には達しなかったが最 大の議席を得た CPP と第二党に転落したもの の引続き大きな議席数を獲得したフンシンペッ ク党による連立政権が発足するなど、前向きな 動きもあり、こうした動きが国際社会の信頼を 回復させ、次の持続的開発期につながっていく ことになる。 第4期(1999 -2006年)は、1999年4月のASEAN 加盟を契機として、カンボジアの国際社会への 本格復帰が果たされた後の時期である。近年で は、国家開発計画が一本化され6)、セクター・ ワイド・アプローチ(Sector-wide Approach: SWAP) やPRSP(Poverty Reduction Strategy Paper: 貧困削 減戦略報告書)などを軸としながら援助協調の 動きが活発化するなど、いわゆる、復興から 「通常の」開発段階に移って来ていると言えよ う。他方で世銀による DDR 事業(除隊兵士に 対するパッケージ支援等)は中断され、軍・警 察改革の遅れも指摘され、政府のみならず社 会全体への汚職の広まりも問題視されており、 残された課題もまだまだ多いと言わざるを得 ない。 2-3.日本の支援の具体的な展開過程 日本は、1989 年に開始されたパリ和平プロ セスに積極的に関与し、1992年3月に本格的に 活動を開始した国連カンボジア暫定統治機構 (UNTAC)による PKO 活動に対して初めて文 民警察官を派遣する等、パリ和平合意後の対カ ンボジア支援は、日本の国際協力にとって新し い領域を開く機会となった。特に、日本の外交 イニシアティブは顕著であり、1992年6月には 「 カ ン ボ ジ ア 復 興 国 際 委 員 会 」(International
て主要な援助国というわけではなかった。しか し、近年、中国はカンボジアに対する援助を急 拡大している。ただし、その正確な金額は、中 国がOECD(経済協力開発機構)のメンバー国 でないことから ODA 統計が存在せず、同じ基 準での統計が公表されていないことから必ずし も明らかではない。 2008 年 1 月に公刊された米国のCRS(Con-gressional Research Service) 報 告 書 に よ れ ば、 中国のカンボジアへの支援表明は、2007 年に は 9150 万ドルであり、2007~09 年の合計で 2 億 3600 万ドルの支援を約束している8)。2010 年の JICA 研究所レポートでは、CDC の資料に 基づき、中国の対カンボジア援助額の統計が掲 載されており、それによれば、2004 年度あた りから中国の援助は急拡大していることが示さ れている9)。中国のカンボジアに対する援助額 (無償と借款の合計)は、その詳細は不明であ るが、2008年には1億ドルの水準を超え、日本 の ODA 額とほぼ肩を並べ、それ以降日本を抜 いてカンボジアに対する最大の支援国になった といわれている。 カンボジアに対する近年の援助できわめて象 徴的に有名なのは、カンボジアの首都プノンペ ン中心部に中国の無償援助で建設された閣僚評 議会の建物である(2009 年完成)。きわめて豪 華な近代的ビルであるため目につき、一部には カンボジア的な外観ではなく異様であるとして 批判もある(図2-1参照)。 また、カンボジアに対する中国の援助は上記 のような政治案件に対する無償援助にとどまら ない。無償援助では地方(省)政府による水供 給支援事業や、公務員などの人材育成事業もあ る。また、交通運輸部門での中国の支援の拡大 も顕著で、特に 2000 年以降の中国による道路 修復・建設支援金額は大きく、2005-08 年をみ ると、この分野での海外援助に占める中国の支 援金額のシェアは 50%を上回っているとされ 表 2-4 中国を含む主要ドナーの対カンボジア援助(グロス)額の推移(1992-2008年)
(注) Jin SATO, Hiroaki SHIGA, Takaaki KOBAYASHI, and Hisahiro KONDOH, How do “Emerging” Donors
Differ from “Traditional” Donors ?: An Institutional Analysis of Foreign Aid in Cambodia, JICA Research
表 3-2 対カンボジア直接投資額の推移(1994-2010年) (注)CIB(カンボジア投資委員会)統計。(単位:百万米ドル) 今村裕二(JICA専門家)作成資料「カンボジア投資における三つの留意点」2011年6月より。 506 2243 744 853 448 218 251 229 1050 4415 2673 10891 5859 2690 0 2000 4000 6000 8000 10000 12000 19 94 19 95 19 96 19 97 19 98 19 99 20 00 20 01 20 02 20 03 20 04 20 05 20 06 20 07 20 08 20 09 20 10 763 205 238 表 3-3 国別・業種別投資累計額(1994-2010年) (注)CIB(カンボジア投資委員会)統計。(単位:百万米ドル) 出所、表3-2と同様。 表 3-4 業種別の投資累 計額比率 (1994-2010年) (出所)表3-2、表3-3と同様。 Capital by Country 566 7719 3894 2379 1402 1140 756 746 635 310 304 148 0 2000 4000 6000 8000 10000 Chin a Sout h Ko rea Malay sia EU USA Taiw an Thai land Sing apor e Viet nam Hong Kon g Isra el Japa n Country C a p it a l Capital by Sector Tourism 50% Agriculture 7% Service 22% Industry 21% 表 3-5 中国の対カンボジア投資の推移とシェア(1998-2009年) 年 合 計 プロジェクト数中 国 比 率 合 計承認額(100 万米ドル)中 国 比 率 1998 212 40 18.9 555.5 104.7 18.9 1999 135 27 20.0 196.2 46.0 23.5 2000 83 7 8.4 160.2 28.4 17.7 2001 47 5 10.6 139.5 5.0 3.6 2002 44 8 18.2 143.6 24.1 16.8 2003 58 10 17.2 64.7 32.9 50.9 2004 75 21 28.0 154.7 83.1 53.7 2005 123 41 33.3 682.4 452.0 66.2 2006 119 31 26.1 2,300.6 717.1 31.2 2007 166 32 19.3 1,344.6 180.3 13.4 2008 125 28 22.4 7,621.8 4374.6 57.4 2009 122 28 23.0 1,871.3 892.7 47.7 1998-2009 1309 278 21.2 15,234.0 6,940.9 45.6
高いことがわかる。 要するに、これらの表からわかるように、こ れまでは中国の投資が圧倒的に多く、その内容 としては(資源関連を除けば)リゾート開発な ど観光分野の不動産投資が大半を占めるが、そ の中には投資が認可されたものの実現しない案 件も少なからずあった(投資認可プロジェクト の平均実行率は約 6 割とされている)。その一 方で、縫製業など労働集約産業の投資とそれに よる雇用の拡大に関して、一定のインパクトを 与えてきたことは事実である。近年のカンボジ アの衣料品の輸出(特に欧米むけ)の拡大は、 こうした投資によって支えられてきた面がある。 3-2 日系企業の直接投資 - 2010 年後半以降の急増 こうした中で、特筆に値するのが、2010 年 後半より日本企業の投資が急拡大していること である。その業種も、従来の縫製・製靴等に変 わって電子・電器、機械製造分野の投資が急拡 大しつつある。 その要因としてあげられるのは、中国・ベト ナムにおける労働市場の環境悪化(労賃の高騰、 ストライキの頻発等)や、タイにおける政治不 安などであり、周辺諸国の投資環境の悪化によ って、これらの国々に進出していた企業にある 種のリスク分散の機運が急速に高まったことで ある。いわゆる「チャイナ +1」といわれるリ スク分散行動である。 また、当然ながら企業はリスク分散の投資先 として、カンボジアのみならず周辺各国と投資 先としての優劣を比較検討することになるが、 競争相手となりうるバングラデシュ、ミャンマ ー、ラオス、等と比較して、カンボジアが進出 しやすいと考えられたということもある。 その背景には、カンボジアの投資環境が次第 に改善されてきたことがあげられる。2002 年 及び 2007 年の選挙は特に混乱もなく実施され、 人民党及びフン・セン首相のリーダーシップの もとで政治的に安定し、また道路や港・電力供 給などの基礎的インフラも近年着実に改善して きている11)。また、2007 年に日・カンボジア 投資協定が締結され、2008年7月末に発効した ことも、日系企業にとって投資環境の改善につ ながっている。 以下の表 3-7は、2005年以降の日系企業の投 表 3-6 カンボジアの各分野における中国の直接投資(認可額)の比率 (1998-2008年)
(注)CDRI, Assessing China’s Impact on Poverty Reduction in the Greater Mekong Sub-region:
ーター科学」が 6.9%と、理工学系の学生数は きわめて少なく、特に工学系の学生の少なさが 際立っている(いずれも 2008 - 09 年の数値)。 「エンジニアリング・メカニック」学部の就学 生数は、2008-09年で4,719人にすぎない。 特に日系企業の進出の著しい電子・電器、機 械等の分野での人材の拡大と質の向上、すなわ ち工学系の分野の全体的な底上げは、このまま こうした分野の投資拡大が継続することを前提 とすると、不可欠であると考えられる。人材育 成にはワーカーやオペレーターレベルの人材と、 中間管理職にあたる技師やエンジニアの二層が ある。現時点での進出日本企業のニーズは主と して前者であるが、進出の本格化とともに後者 のニーズが高まり、中長期的な製造業の発展と いう観点からは、後者のエンジニア・技師レベ ルの人材が不可欠である17)。すなわち、両方の レベルの人材育成が同時に必要である。 今のところ、現地ですでに生産を開始したミ ネベアの小型モーターの製造工場も、必要な労 働力は組み立てラインのワーカーないしオペレ ーターであり、必ずしもエンジニアや技師に対 する大きなニーズがあるわけではない。また、 同じく現地生産に着手したアスレ電器や泉電子 も、現時点ではまだエンジニアを採用している 段階ではない。しかし、今後更に工場の規模が 拡大し、様々な製品を作るようになるにつれて、 工場のラインを管理・運営をできる中間管理職 的なエンジニアや技師のニーズが高まるものと 予想されている。 また、部品や素材産業の進出が進むとセット メーカーの進出が考えられる。実際、2011 年 7 月末時点で、遠からず 2 社(1 社は韓国系)の 大きなセットメーカー(組み立てメーカー)が カンボジアに進出するという話があり、セット メーカーはより多くのエンジニアを必要とする 表 3-13 高等教育機関(公立・私立)の学問分野別就学数とその比率
ク対応能力の向上にむけて』2009 年。本稿の 日本の対カンボジア ODA に関する分析・記述 は、その際の研究調査の成果であり、上記の報 告書の内容と一部重複している。
6)Royal Government of Cambodia, National Strategic
Development Plan 2006-2010, Phnom Penh, 2005
7)『カンボジアにおける JICA 事業の概要』JICA カンボジア事務所 2006年6月。
8)The Congressional Research Service,“China’s Soft
Power in Southeast Asia” CRS Report, January
2008, p.6.
9)Jin SATO, Hiroaki SHIGA, Takaaki KOBAYASHI, and Hisahiro KONDOH, How do “Emerging”
Donors Differ from “Traditional” Donors?: An Institutional Analysis of Foreign Aid in Cambodia,
JICA Research Institute, March 2010, pp.20-22, 41. 10)Ibid. 11)インフラの中で、カンボジアへの投資のネッ クの一つとされているのは電力料金の高さであ り、ベトナムの約 3 倍である。また 、 法律や規 制の不備や適用の恣意性なども、投資にあたっ てのマイナス面としてあげられることが多い。 12)2011年8月に現地訪問・ヒアリング。 13)2011年8月に現地訪問・ヒアリング。 14)上松裕士(プノンペン経済特別区 Managing Director)へのヒアリングによる(2011 年 7 月 29日)。 15)JICA「カンボジア国・産業人材育成プロジ ェクト・詳細計画策定調査」2011年7-8月。筆 者はコンサルタントとして調査団に参加。日本 の近年の対カンボジア投資に関する情報は、主 としてその際の調査と関連して入手したもので ある。
16)Royal Government of Cambodia, Implementing
the Rectangular Strategy and Development Assistance Needs, Phnom Penh, 2004.