公共財理論の展望
1ωヨ⇔F暮日げ興モデルを中心にしてi
山之内
光
弓 身
財政学者は︑最近ようやく︑従来とは︿異った窓から﹀︑財政現象を眺めはじめた︒
多くのものが︑まだ漠然としたままであるが︑新しい洞察が現われてきている︒1
9ζ■じd三訂轟p↓隷b馬ミ匙︑ミミ賊私塾︑㌧含︒︑︑§ミO︒o駐uお①Q︒ワH㊤ピ
公共財理論の展望 115
現代の財政理論は︑主として︑新古典学派やケインジアンの勺︒一三︒混和88日団のなかで︑財政制度が︑特に私的
経済領域での︑個入および集団の行動に︑いかなる効果を与えるのか︑を分析することをその主要課題にしてきた︒
そして︑財政パラミターとしての︑租税 公共経費 公債等が個々の経済主体に対してもつ効果を判定するために︑
これら財政の制度的選択が個別的に︑あるいは総体的にとりあげられたのである︒たとえば︑所得税 法人税 消費
税等の個別的租税構造や︑総体的な租税体系の経済効率性への効果︑あるいは予算上の黒字または赤字の︑所得水
準 雇用水準 物価水準に対する効果が︑分析的に︑そして経験的に研究された︒現代財政理論のこの分野における
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研究は︑もちろん重.要であり︑事実︑財政の具体的な政策提言を通じて︑稔り多い成果をもたらしたことは否定でき
ない︒ しかし︑これら財政学の主流は︑少くともその中心的な研究領域においては︑公共.財・サービスの理論を︑欠いて
いたことが指摘されなければならない︒すなわち︑これらは︑一方では価格理論の︑そして他方では所得分析の直線
的応用であり︑これが財政制度と経済的効率性の関係の分析に適用されたのであって︑少くとも︑古典学派︑新古典
学派の学統のなかで展開された︑いわゆる伝統的財政論についていうならば︑一般的に︑政府は市民とは全くかけは
なれた存在であり︑したがって︑個人企業は︑自己の公共財・サービスへの需要表とは直接関係なく︑まず第一義的
に︑政府を維持するために︑租税を負担すべきであるという命題が︑いわゆる国家公家政としての財政観のうえに︑
うちたてられたのである︒そして︑それらは︑これら租税の効果を予言する実証的側面と︑租税負担がいかに賦課さ
れるべきかという規範的側面とをもち︑その後︑公共経費の問題を︑財政学の対象として導入しながらも︑近年まで︑
﹀.ρコσq8 寓.∪節ぎ⇔一q凶●口ざ冨へと︑収入と経費との関連を切断したまま︑理論構成が試みられたの
である︒また︑フィスカル・ポリシーにしても︑新しい︑国民公家政としての財政観のうえに展開されはしたものの︑
ひとしく︑公共財理論には一顧をも与えず︑ひたすらに︑財政のマクロ分析に全エネルギーを集中したのである︒
ところで︑民主的資本主義社会では︑個人は︑一方では︑市揚機構を通じて配分される︑財・サービスの需要者︑
供給者として︑また︑他方では︑政治過程を通じて配分される︑財・サービスの需要者︑供給者として︑経済的資源配
分に関する︑二元的意思決定を行なわなければならない︒そして︑経済理論は︑主として︑私的セクターのメカニズ
ムを解明するために発展し︑たしかに︑この分野で︑経済学者は偉大な業績をわれわれに残してきた︒しかし︑特に
英米の経済学者に限定するかぎり︑かれらは︑政治的決定過程における個人的行動の解明には︑ほとんど分析的努力
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公共財理論の展望 117
を割くことはなかった︒ マーシャル経済学は︑本質的には︑私的財に関する需要と供給理論の展開であり︑市場機
構のメカニズムの解明をねらったものであった︒そして︑イギリスの伝統的財政論は︑功利主義的要素を織り込みつ
つ︑この偉大な経済学的業績を応用しながらも︑ついに︑集合的意思決定過程への個人の参加︑したがって︑個々の
私的選択が︑社会的あるいは集合的結果に結合せられるプロセスに︑積極的に︑経済分析を導入していくことには︑
失敗したのである︒このように︑伝統的な英米派財政論に関するかぎり︑政治的プロセスを通じての意思決定の結果
を︑個人的価値と関連づけるという試みは︑とられることはなかった︒しかし︑公共財も︑個人的欲求を充足するも
のとして︑その消費が個人の満足に結合しているという点では︑私的財と異なるところはなく︑これが個人の効用関
数のなかに入りこむとき︑公共財を私的財と区別することはできないであろう︒それにもかかわらず︑財政過程にお
ける個人の選択行動が︑ある意味で︑市場機構での選択に類似しているという仮説は︑たてられることなく︑政策分 つ 析には︑もっぱら︑個人とはきりはなされた︑国家または政府の良識が︑インプリシットに仮定され︑しかも︑この
政策論の基礎に横たわる仮説が︑現実社会における参政権の拡大を通じて︑民主的な社会的選択を個人に開放する過
程が進行していったにもかかわらず︑依然として︑財政論のなかで︑不動の地位を占めてきたのである︒
ところで︑他方︑十九世紀の後半から︑二十世紀の前半にかけて︑すでに︑ヨーロッ︒ハ大陸では︑ 7貯漆○り碧鼠 図ざ︒巳dσqo﹈1貯NN2斜閑■≦8冨Φご︾国.ピぼ餌p︒乞国■0り霞︾︾●ごΦ≦ユU①﹈≦帥同︒o等の論争を通じて︑経済理論を︑
私的財・サービスの領域のみならず︑公共財の分野にも︑拡大していこうとする試みがとられていた︒すなわち︑
一入八○年以来︑約四十年にわたって︑オーストリヤ︑イタリヤ︑スウェーデン︑フランスおよびドイツの財政単者
の問に︑厚生経済学の重要な問題について︑エネルギッシュな論争が続けられたが︑この問題は︑本質的には︑公的
ゼクタ;と私的セクターとの問の︑資源の最適配分に関連しており︑また︑公共財給付の︑費用の理想的な配分方法
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團
18@に関するものであった︒そして︑特に︑芝一︒す︒=し﹂巳鋤三および多数のイタリや財政学者の公共財理論への貢献に
一 は︑無視できないものがあったのである︒しかし︑英米の財政学者による︑特に︑イタリヤを中心としたこれら文献 噛 の無視は︑︸・ζ.じd口︒尾部⇒のいうように︑かれらの言語上の地方性に起因するものかどうかは︑しばらくおくとし
て︑少くとも︑第二次大戦以前の英米派財政論では︑これら一連の文献は︑ほとんど無視されたのである︒
英米派財政論の文献で︑公共財への経済分析が欠如していたという︑このようなギャップは︑一九四〇年代の後半
う ロ わ ふ 以来︑ようやく︑界﹀■ζ己・︒ぬ奉≦ぴ =o薫円匙しσ︒芝︒P ℃︹色﹀.Qっ象β琴﹃9ご一.︵︸寓窪負その他の貢献によって︑
徐々に埋められてきた︒そして︑十九世紀後半以来の︑大陸での貢献の基礎のうえに︑こんどは︑英米派の側で︑か
えって積極的に︑公共財の分析が展開されるようになった︒投票と資源の配分に関する︑ゆ︒馬手の検討とともに︑
いぎ畠ず一モデルに関する︑ζロ薦挙く①の貢献は︑英米派の︑公共財に関する︑現代財政理論の端緒を開いたものにほ
かならなかった︒そしてこれらは︑QD節日器ぢ8の一九五四年および一九五五年の二論文によって︑効率性条件の精密
な定式化がなされ︑理論の補足︑拡大がおこなわれたのである︒このように︑公共財理論の不毛の地であった︑英米
派財政論の地盤にも︑ようやく︑その開頭がはじまったのである︒その一つのあらわれは︑一九五八年の︑ζ⊆超冨ぐ⑦
および≧磐↓℃$oo穿によって編集された︑Ω霧︒︒ざ︒︒ぼ9Φ↓﹃Φ○曙︒︷℃¢窪一〇間ぎ9p8であり︑このなかに︑
さきの︑ヨーロッパ大陸における︑公共財理論の貢献が︑はじめて英文で収録され︑ここに︑公共財理論への関心が︑
はっきりと表明されるにいたったのである︒もともと︑市場機構が︑資源配分上︑圧倒的な重要性をもっていたかぎ
りにおいては︑公共財理論の欠如も︑大きく顕在化することはなかったが︑国民総生産の四分の一以上が︑集合的欲
求の充足にむけられている現段階では︑特に︑公共財・サービス決定の領域へ︑経済分析を導入していくことが︑合
理性をもって︑重視されてきたわけである︒
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公共財理論の展望
!19
二
このように︑厚生経済学的分析を財政理論に適用して︑厚生基準の観点から︑公共経費論に重要な貢献を加えたの
は︑ゆ︒類ΦPζ信耳翼器およびω㊤玉器﹃oコ等によって代表される人々であり︑それ以前の英米派財政論が無視して
きた︑公共財・サービスの供給と︑それらの目標の分析が︑ここに開始されたのである︒このうち︑公共財の配分
に︑市場機構と類似の︑任意交換のプリンシプルを適用しようとしたのは︑¢do司2であり︑かれは︑いぎ舟三モデ 團ルの線に沿いながら︑いわゆる︑少数者モデルを展開したのである︒
ゆ︒毛窪の︑最適配分への任意交換アプローチは︑本質的
には︑市場と価格機構に類似の方式で︑資源を︑公共セクタ
一に配分することを︑示唆するものである︒したがって︑消
H 費者主権の原理が︑公共財の提供にも︑適用されるのである︒
B このモデルを概観すれば︑図!に示されているように︑ここ
G では︑単純化のために︑次のことがインプリシットに仮定さ 図 れている︒すなわち︑ω公共財は︑供給曲線GoGっで示される
ように︑その生産費はコンスタントであり︑吻社会は︑三個
人という︑少数者から構成されており︑そして︑㈲すべての
個人は︑ただ一種類の公共財を消費しており︑しかも︑㈲財
@ESF簸 琉︒ は・純粋の公共財であり⑤各消薯i納税者は・真の選好
Y DX
A
ZYZ
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120
〆
を表明し︑個人間の戦略は存在しない︒個人X Y Zは︑全体で︑公共財の総費用にあたる価格を︑支払わなけれ
ばならないが︑純粋公共財であるから︑個人はすべて︑公共財を同等に消費し︑排他原則は適用されえない︒したが
って︑一個人が︑公共財の総費用のうち︑より大きな部分を支払えば︑他の個人の支払額は︑少くなるであろう︒図
1では︑公共財の需要量︑供給量を︑水平軸にとり︑その需要価格と供給費用は︑垂直軸にとられている︒××線︑
kk線およびNN線は︑それぞれ︑各個人の︑公共財に対する需要関数であり︑これは︑純粋公共財の︑種々の数量
に対する︑個人の支払う価格を示している︒OU線は︑各個入の需要曲線を︑垂直に一純粋公共財は三個人が結合
消費をしなければならないから 積み重ねたもので︑公土平財に対する︑社会の総体的な需要関数をあらわす︒そし
て︑GoQっ線は︑財の追加的単位の︑供給費用を示している︒さて︑ここで︑総.需要曲線と総供給曲線の交点︑Aで︑
すなわち︑公共財の均衡産出量○ゆにおいて︑個人Xについては︑公共財︼単位当りの支払い額は○℃図であり︑個
人Yは○℃団を︑そして︑ZはO勺Nを︑支払うであろう︒そして︑三個人の支払いの額の合計は︑単位当り費用
○ωに等しい︒
このように︑ピ冒薮匡の少数者モデルによりながら︑この任意交換モデルは︑純粋公共財の特質について︑定式
化をしたうえで︑公共財に対する市場需要曲線を導出し︑公共財の均衡産出量を求めるのである︒そして︑私的消費
財の個人的需要曲線を︑水平に総計して︑市場需要曲線を導出するのとは対照的に︑公共財については︑それらを垂
直に積み重ね︑これによって︑ある公共財の一定量に︑社会が支払おうとする額は︑個々の社会成員が貢献しょうと
する︑支払総額であることを示し︑そしてそのために︑ある個人への︑;κ量の公共財の提供が︑自動的に︑他のす
べての個人に︑等量の消費をうながすことを︑あらわしたのである︒そして︑この分析方法が︑さきにあげたGop琶午
︒♂oづの論文での︑一般均衡の観点からの︑公共財の最適解の分析に︑基礎的用具を提供したのである︒
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公共財理論の展望 121
さて︑このような︑レぎ9匿一bび︒≦①つの少数者モデルに対しては︑多くの批判がなげられてきた︒それらのうちの
一つは︑これら任意交換モデルは︑公共財・サービスの需要が︑私的財の需要に対して︑独立的に決定できるという︑
いわゆる︑部分均衡条件によってのべられている︑というものである︒すなわち︑そこでは︑公共財のみが︑分析の
直接的対象となっており︑公共財と私的財との︑総合的な社会的均衡の重要性は︑問題にされていない︒しかし︑こ
れらの批判は︑ωpヨ器一ω︒Pζ蕊σq冨く①による︑私的財・公共財の双方を含めた︑配分効率性への︑一般均衡アプロ
ーチに導いたのであり︑さらに︑それは︑資源配分における︑社会的均衡論をも展開させることになったのである︒
しかし︑このモデルに対し♂\より基本的な弱点として︑批判されたのは︑多数者が導入された場合の︑ディレン
マについてであった︒市堤機構では︑多.数者の場合ほど︑純粋競争の︑より効率的な解に難ずくはずであるが︑公共
財の場合には︑このことはあてはまらない︒ナなわち︑純粋公共財ほ︑結合消費といら特質をもち︑排他原則が適用
できないから︑個人は真の選好表を明らかにしない︑という理由で︑公共財に対する個人の需要情報を得ること︑し
たがって︑その費用負担の配分を決定することが困難である︒ここでは︑公共財に対して支払おうとする額を︑過少
表明することが︑個人の合理的消費者行動としては有利であり︑すべての個人には︑公共財に対する欲求の大きさを
隠蔽する︑あらゆる動機があるわけである︒しかも︑自己の支払額とは関係なく︑公共財の等しい享受が可能である
から︑それらの費用割当の︑明確な客観的指針は︑存在しないことになる︒したがって︑これらの観点からGっ餌巳午
①﹃oコーζ窒鵬峯く︒アプローチでは︑私的財と公共財の配分状態を︑オプティマルとノン・オ︒フティマルの︑ 二つの
カテゴリーに分類し︑パレートの基準を満足させる多様性のなかから︑単一のベストな解を得るために︑社会的厚生
関数という︑エクスターナルな基準を求めたのである︒
︑しかし︑いずれにしても︑H﹂⇒含乞一切︒≦窪の少数者モデルは︑英米派財政論における︑公共財理論の発展に︑一
121
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つの礎石を提供したのであり︑これらの基礎の上に︑精密化された︑より包括的な︑理論構成が可能になったのであ
る︒たとえば︑さきの図解でも明らかなように︑このモデルは︑純粋公共財の特質に関する︑定式化を試みているの
であり︑そして︑この定式化が︑経済財を︑純粋の私的財と純粋の公共財という︑二つのポラー・カテゴリーに分類
するという︑現代財政論のなかで︑一般的に用いられている︑Qっ鋤菖口巴の§の定式化を生んだのである︒そして︑さ
らには︑それらを基礎とした︑もっと詳細な置土ハ財の分類が︑公共財供給機構に関する︑分析の基礎を提供するにい
たっている︒われわれは︑新しい少数者モデルの検討に入る前に︑この問題にもふれておかなければならない︒
122 三
ω欝5器一︒︒9ρが︑純粋私的財と純粋公共財のポラー・ケースに関して︑定式化を試みて以来︑多くの財政学のテキ
スト・ブックは︑この特質分類を基礎として︑公共財の問題を論じてきた︒そして二つの純粋財の問に︑双方の特質
を混有する準公共︵私的︶財−ρ雪ω一−重三8︵ρ舞︒・一−℃白くp8︶σ鳥︒︒匹︒︒一を分類することによって︑公共財の価格
決定の問題を論じるようになった︒
ところで︑公共財を定義づける基準となる︑特質としてとられているのは︑それがもたらす︑便益の不可分性であ
る︒したがって︑可分性基準標の一方に︑その便益が︑個々の消費者に︑完全に可分的な︑すべてのく純粋に私的な﹀
財を分類し︑一これらの財・サービスの総供給は︑すべての個人に利用可能な供給の合計で示される一︑可分性
基準標の他方には︑便益が︑集団における個々の人々に︑完全に不可分であるく純粋に公共的なV財をとるならば︑
基準世上の両財の間には︑他のすべての財・サービスが︑それぞれのく可分性Vとく不可分性﹀の相対的度合に応じ
て︑位置づけられるのである︒
公共財理論の展望 123
しかし︑このような︑可分性と不可分性だけの︑=兀的な基準標に︑財・サービスを位置づけることの欠陥が︑最 はド近︑しd自遠き窪によって指摘された︒すなわち︑集団の規摸が変化するに照応して︑それは︑特定の財・サービスの︑
基準標上の位置を移動させるであろう︒したがって︑この一元的な分類は︑不可分性の特質があてはまる範囲︑ある
いは限界を示すことによって︑補足することが必要である︒たとえば︑特定地域の害虫駆除サービスは︑その特定地
域住民には︑不可分性が強いが︑より広域の住民を老慮に入れるときは︑便益は可分的なものとなろう︒そこで特定
の財を通じて︑相互関係に入りこむ︑関係集団の範囲を︑明確にするような︑基準標を導入することができる︒した
がって︑純粋型の財は︑一方では︑この相互作用が︑単一の消費単位︵個人あるいは家族︶に限定される︑完全に可分
的な財と︑他方︑概念上は︑無数の社会成員から構成される集団 0 P
㈲T
R.
(4)
(3>
(2)
●π
(1)
0
図2
に対して︑便益が完全不可分的な財という︑ポラー・ケースとし
て定義される︒そして︑不可分性の度合と︑不可分性の範囲とい
う︑二つの独立した特質は︑図2のような︑単一のボックス・ダ
イアグラムに示すことができる︒横座標に︑特定財の便益相互関
係集団の規模をとり︑縦座標に原点を0として上方に不可分度を
とって︑トップは完全不可分性を示す︒したがって︑あらゆる財
は︑これら二つの特質に照応して︑ボックスのどこかに︑その位
置が決められることになる︒ω鋤旨器尻︒づのポラー・ケースの定
義では︑すべての財は︑原点0か01で示される︑二組みのうちの︑
どちらかに分.類されるわけである︒
123
124
さて図2を用いて︑大まかな分類を試みると︑まず︑原点あるいはそれに近い位置にある︑純粋に私的な︑十分に
可分な財は︑ωのカテゴリーに位置ずけられる︒αまたはそれに近い位置にある︑純粋に公共的な︑十分な不可分性
をもつ財は︑㈲のカテゴリーにはいる︒そして︑たとえば︑拗は︑便益が︑部分的に可分的ではあるが︑限定された
数の人々についてのみ︑不可分性︑あるいは︿公共性﹀の要素を含む財であり︑同様に︑㈲には︑広範なスピル・オ
バー効果をもつが︑その便益が︑部分的にのみ︑可分性のある財が含まれる︒さらに︑㈲には︑不可分性の程度は︑
完全︑あるいは︑それに近いが︑不可分性の範囲が︑限られた規模の集団に︑とどまるような財が分類される︒そし
て︑ボックスの︑南東コーナーの周辺に分類される財は︑ほとんど存在しないであろう︒さて︑働に分類される財に
は︑消費単位と個々の人々の間に︑ある代替可能性が存在することが︑指摘されねばならない︒しかし︑集団に利用
可能な︑総供給を固定したとき︑一個人の消費増加は︑ある他の個人︑あるいは他の人々にとって︑利用可能な量を
削減するが︑それは純粋の私的財におけるように︑正確に一ではなく︑そして︑純粋の公共財におけるように︑0で
はない︒しかしながら︑非私的要素の効果は︑比較的少数の個人に限られており︑集団の規模が︑これらの限界を越
えて拡大するとき︑すべての公共性の要素は消失する︒これに該当する財は︑少数外部効果︵ω葺巴一めロ日び臼Φ纂霞・
昌巴三¢ω︶を含むもので︑消防施設はこの一例である︒これに対して︑㈲に含まれる財は︑多数外部効果︵貯茜?
目日び興①×8ヨp憂冨︒︒︶︑あるいは︑霊σqO¢のいう外部性を伴うものである︒これらの財には︑公其的要素と私的要素
の︑双方が混有されるが︑ここに含まれる︑公共性あるいは不可分性の要素は︑規模が︑限界に近い程度.に︑大きな
集団に及んでいる︒伝染病予防接種はこの一例である︒少数スピル・オーバーのケースと比較して︑この場合は︑多.
数の人々の︑その財を通じての効用関数が︑実質的に︑密接に関連しあっている︒最後に︑㈲は︑小規模の集団に限
定される限り︑一個人にとって利用可能な数量は︑独立的には︑増減し得ない特質をもった財を含む︒しかし︑この
124
公共財理論の展望 125
財の共有集団の外部では︑純粋の公共性は妥当しない︒個々の小さい集団の聞には︑この場合︑公共性の要素は︑全
く存在しないかもしれない︒一例として︑特定小地域の専用プール等があげられよう︒
さて︑以上︑五つカテゴリーに︑公共財を分類したが︑さらに二つの重要な条件が︑導入されなければならない︒
図2における分類は︑全体的な政治的集団の規模が︑外生的に決められていることと︑ある所有権構造を前提してい
ること︑を看過してはならない︒まず︑政治的集団の規模が︑図との︑相互作用関係の限界線で示されている︑Pと
仮定しょう︒そして︑ある特定の財を︑相互作用関係の限界線︑あるいは︑それに近いTに分類することにする︒こ
こで︑政治単位が︑HOO勺という︑規模の大きい管轄区域に統合されるとすれば︑Tに位置する財は︑もはや︑㈲あ
るいは︑その周辺に分類することは妥当ではない︒集団規模の拡大は︑その分類を︑㈲←ωへとシフトするであろ
う︒第二に︑特定財のボックスでの分類位置は︑所有権構造に関する︑法律制度のいかんによって︑左右されるかも
しれない︒たとえば︑狩猟地の地主が︑侵入者を起訴しえないような︑法律制度のもとでは︑そのく地域Vは︑多数
の潜在的利用者にとって不可分であり︑不可分基準標の上方︑たとえば︑Rに分類されるであろう︒密猟者を起訴で
きる制度のもとでは︑その地域は︑基準標の︑より下方︑たとえば︑πにシフトされるであろう︒
このような︑公共財︑私的財および中間財の分類は︑公土ハ財理論の基礎を構成しているのであり︑それらの重要な
意義は︑公共財供給機構の機能としての︑ω生産量の決定−配分機能︵鋤一一〇〇節け一〇づ h自⇒O曲輪〇⇒︶ 働費用をいかに賄
うかの決定一調達機能︵津き︒ぎσqh呂98︶ ㈲便益をいかに分配するかの決定一分配機能︵象ω民げロま昌皆暮・
臨8︶に関する実証分析に︑有用な基礎を提供するということにあるが︑この問題については︑別の機会にふれるで
あろう︒
125
126
四
さきの考察から︑明らかにされた通り︑現代における公共財理論は︑発展途上にあり︑その方向は︑なお流動的で
あるけれども︑その大きな特徴の一つは︑その分析モデルが︑財政過程における個人の選択行動は︑ある意味で︑市 ⑯場機構における選択に︑類似しているという仮説にたっていることである︒その意味で︑ピぎ畠奪−切︒毛窪モデル
は︑現代公共財理論の分析上の手がかりを提供したのである︒この︑初期の任意交換モデルに対する︑批判的展開
は︑特に︑ω卑B器♂o⇔一ζ霞αq鑓く︒ア.フローチによっておこなわれたが︑それらは︑任意交換の少数者モデルでは︑
特に︑少数相互関係における︑交渉︑あるいは︑戦略行動上の困難があり︑そして︑このような状況において︑個人 岡が真の選好を表明しない︑ということに論議を集中した︒しかしながら︑これらの批判的論議は︑少数者モデルを︑
概念的に︑現実的状況として論じたのであり︑多数者状況への︑拡張のために有用な︑分析上の一手段として︑論じ
たのではなかった︒もちろん︑多数者の︑公共財現象における行動を︑解明することが︑公共財理論の第一課題である
が︑その多数者モデルを説明するためには︑まず少数者モデルが︑少数者構造だけから起る︑行動の特質によって抽
象されなければならない︒このような見地から︑少数者モデルを出発点として︑新しい︑公共財の需要︑供給理論を 圖展開しょうとしているのが︑じu口恥き窪である︒われわれは︑ここでは︑主として︑かれの多数者モデルへの出発点
となっている︑最も単純な少数者モデルを中心に検討することにしよう︒
少数者モデルの単純なケースでは︑まず︑二個人︵個人A︑個人B︶と二財︵第一財は私的財︑第二財は公共財︶
という社会が仮定され︑そして︑この二個人の生産的能力と嗜好は︑同一であると考えられている︒ところで︑この
第一財と第二財の︑需要︑供給の均衡が達成されるプロセスを考察するために︑まず︑最初に︑個人Aと個人Bが︑
126
単独に行動する状況を設定しよう︒このケースでは︑個人は第二財の公共性を認識していないために︑各個人は︑こ
れを︑私的な第一財と同等にとり扱うものとする︒このような条件のもとでは︑個人の問に︑取引のための誘因は︑
存在しないであろう︒だから︑各個人は︑一個人の状況で達成されるような︑私的均衡状態を求めるはずである︒さ
て︑図3は︑二財に対する︑ ﹁個人の選好構造を︑無差別図表に示したものである︒第一財︵私的財︶を横座標軸
に︑第二部︵公共財︶を縦座標軸にとれば︑この場合の個人の潜在的な
公共財理論の展望
\ \︑
、、
\
\
ここ\♂
1\『、、 H
寧I
EI\
, 、\、、G
\P
\ ︑ \ ︑ \ \
\
、
C
榊p
P
P 0
図3
127
機会は︑変換関数℃℃に要約されている︒個人は︑最初は︑まずE点へ
の到達をねらうが︑結果的には︑F点に到達することになる︒なぜな
ら︑個人は︑第二財のもつ︑公共性を認識していないために︑二個人と
も︑第二財に対して︑等しい需要を表明するからである︒しかしFも最
終均衡点ではない︒すなわち︑だれが生産するのかには関係なく︑公共
財には結合消費という特質があるために︑資源配分の意思決定に際し
て︑二倍量の第二財に直面したとき︑第一財に対する所得弾力性が0で
あるような︑例外的条件が与えられない限り︑個人は︑余分の第二財
を︑自分の実質所得の機会増加とみなし︑変換曲線℃︑℃︑に調整しよう
とするであろう︒通常は︑第二財の生産を若干削減して︑第一財を拡大
するであろう︒第二財の所得弾力性が︑0であるようなケースでは︑調整点はGに求められるが︑二財とも所得弾力性
がプラスである限り︑第二の目標点は︑FとGの間に︑決定されるであろう︒単純化のために︑第二財の所得弾力性
を︑︵そして︑二二モデルでは︑第一財についても︶1とするならば︑全く独立的な調整のもとでの︑第ニラウンド
127
128
の目標はHとなるであろう︒しかし︑この目標は︑二個人が相互依存的であるという︑E点の揚合と同じ理由で︑実
現されえない︒そして︑群点︵そこでは︑しdOロO国管が成立する︶が実現されるまで︑調整が続けられる︒そして︑
この位置は︑全く独立的行動のもとでの最終均衡の一つを示す︒したがって︑1の所得弾力性を仮定するとき︑均衡
点は︑国国管=線にそって決定される︒
以上の︑最終均衡への調整プロセスでは︑個人による︑第二財の公共性の認識がないため︑戦略行動は生じない︒
図3の構造は︑個人の独立的な調整均衡が︑パレートの意味での︑ノン・オプティマルであることを示している︒
すなわち︑二個人は︑勺℃に平行な︑そして群を通過するような生産可能性曲線に︑調整しようとするが︑両者が結
合的︑あるいは︑協同的行動をする揚合には︑各個人の生産可能性曲線は︑℃勺算で示される︒この曲線を基礎とす
る限り︑個人独立的行動は不可能であるけれども︑両者の同時的行動が︑各々を℃℃算にそって移動させ︑結局︑
最適な国葵に到達させるであろう︒
︐以上のモデルでは︑二個人はそれぞれ独量的に行動し︑そこに交換︑取引は生じないことが仮定された︒次に︑個
人の相互作用関係を導入しょう︒この場合には︑独立的行動のケースで得られた均衡点は︑当然︑修正されなければ
ならない︒ここでは個人は︑第二財の供給が集合的活動であること︑したがって︑第二財の供給に関する︑ある取引
調整から︑相互利益が生じてくることを認識している︒しかし︑二個人は等量の公共財を消費するから︑二個入︑器
財という単純なケースでは︑取引は不可能である︒したがって︑ここで取引の対象となるのは︑集合財としての第二
財の生産に貢献する︑労働についての︑各個人の側での︑アグリーメントである︒個人Aが︑第二財生産への︑個人
Bのアグリーメントを︿買う﹀ことが出来るのは︑ω自分で第二財を生産することに同意すること︑拗個人Bに第一
財の一定量を移転すること︑によってである︒そして︑モデルの単純な条件のもとでは︑二つの選択は︑両者にとつ
128
公共財理論の展望
て無差別である︒
さて︑図4のボックス・ダイアグラムにおいて︑水平軸に個人Aの︑自己消費のための︑第一財生産の労働時間
剛を︑垂直軸に︑個人Bの同じ労働時間をとる︒そして︑個人Aの原点はO︑個人Bのそれはαとする︒ここでは︑さ
きの独立的調整過程で達せられる点はEで示される︒それゆえ︑O国は私的調整均衡における︑第一財生産に費す︑
個人Aの時間であり︑○︑国は同じく個人Bの時間である︒そして︑Pは私的生産可能性曲線であり︑二個人はE点
で均衡している︒そして︑第二財に対する個人的評価は︑第二財
0 P
1α
1占
K
J /
P
E
図4
129
人の無差別曲線の接点であり︑
つて等しいことを要求する︒
0
したがって︑この点における条件は︑ を生産する︑他の個人の労働時間の︑間接的な評価とみなされるので︑垂直軸の︑上方への移動は︑個人Aにとって︑第二財供給量の増加を示し︑水平軸の︑左方への移動は︑個人Bにとって︑同様の増加を意味する︒そして︑E点からの移動が︑一般的に北西の方向である限り︑相互に有利な交換が︑可能になるはずである︒このようにして︑取引均衡点は︑契約軌跡円内に沿ったところに決定されるであろう︒そして︑この最終均衡点では︑二個人とも︑第二財生産の︑自己の労働時間の一部を断念しており︑そこでは︑E点よりも大きな第二財と︑より少い第一財が供給され ⑳ることになる︒さて︑この契約軌跡上の十分取引均衡点は︑二個
取引される二財の︑限界代替率が︑二個人にと
129
130
さて︑ここで簡単な代数的表現を用いて︑これらの関係をさらに明瞭にしよう︒ろを第一財︵私的財︶︑為を第二
財︵公共財︶とし︑α︑ろを︑それぞれ︑その財の生産者とすれば︑個人A︑個人Bの効用関数は︑それぞれ︑
q騨目q9︵賊9㌘閑デkgQ︶⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝:・:⁝︵H︶
q︒11q犬逸fk〜v囲9Q︶⁝⁝⁝⁝⁝⁝・−⁝⁝⁝⁝⁝⁝・:⁝︵◇︶
で示される︒そして︑第一財と第二財の変換関数は︑
肉911︑9︵×評w掬♂︶⁝⁝⁝⁝・:⁝⁝⁝⁝⁝⁝・:⁝⁝⁝⁝⁝︵q︒︶
零11慰︵慰孚慰q︶⁝⁝⁝⁝・⁝:⁝⁝⁝⁝⁝・−⁝⁝⁝⁝⁝︵昏︶
である︒そして︑個人の全く独立的行動のもとで︑取引が生じないケースの均衡条件は︑
&象葺㌔qaもきを
き ま舘眺ミ舘賊嶺と書けば︑
@暴∵麟†︒⁝⁝⁝・−⁝⁝⁝⁝・⁝⁝︵α︶
・蒔♂ ︑爵♂ 副導㌔1・eさ一︒⁝︑⁝.⁝⁝⁝⁝⁝⁝︑⁝⁝⁝⁝⁝︵①︶
である︒すなわち︑個人は︑消費における限界代替率が︑かれの限界変形率と一致しない限り︑その行動を修正する
はずである︒
次に︑第二財の公共性が知られ︑少数相互関係のもとで︑取引が導入されるプロセスに移ろう︒公共財の定義によっ
て︑個人Aが生産消費す・︒無位鼠は︑個人・の評価では︑自分自身が生産消費す・︑聖単位・同等であ ひ
る︒個人Bが生産 消費する廼一単位の︑個人Aの評価についても同様である︒このことは取引のな︑い均衡で︑第二130
公共財理論の展望 131
財を生産する個人A︵個人B︶の活動が︑個人B︵個人A︶に︑外部経済を与えていることを意味する︒この状況で
は︑個人は︑他の個人の生産活動に対して︑0以上の評価を下し︑そして︑他方の第一財生産に対しては︑何も評価
しないわけである︒すなわち︑この関係は︑
@ ヲ∵︒∴蕗−v9⁝・−⁝⁝⁝⁝・−−−︵刈︶
零爵9︾ §蒔pQ 副爵f11ρ副︒図司Vρ⁝⁝⁝.⁝︑⁝⁝.⁝︑⁝−⁝︵︒︒︶
で示される︒このように︑各個人は︑他方の生産する第二財に対して︑プラスの限界評価を下すから︑かれは︑この
財の拡張にく支払Vうはずである︒それに照応して︑各個人は︑0以上の何らかの受取りに対して︑自己の生産を拡
張するであろう︒もちろん︑このような条件のもとで︑取引が生じ︑そして取引は︑次の条件がみたされるまで続け
られるであろう︒
@ ル船∵︵−︶﹁麟⁝∵蕊灘﹈・・⁝⁝⁝⁝⁝︿㊤︶
@ イ噌樋芋︶﹇麟∵蕗﹈⁝⁝−⁝⁝・⁝倉︶
この条件は︑二個人︑二財交換のケースでの︑一般条件であり︑第二財における︑どのような程度の外部経済︑ある
いはく公土ハ性Vをも包摂している︒個人が︑第二財の公共性を認識しないで︑これを純粋の私的財と考えるとき︑㈲
および働式の左辺は0となり︑取引は生じない︒そして︑第二財が︑部分的にのみ公共的である手合︑すなわち︑個
人が︑他方の生産した第二財に︑プラスの評価をくだすけれども︑自己の生産する第二財の方に︑高い評価をくだす
ようなときも︑圖および働式の条件は修正されない︒また︑第一財︑第二財ともに︑純粋に集合的な揚合について
131
撹
も︑これは︑二個人︑借財のケースの均衡条件である︒二財のうち︑一財が純粋公卉財である場合は︑均衡条件の説明は大いに単純化することができるが︑第二財が純粋に公共的であることが︑知られているとき︑二個人のうち︑一
方のみが第二財を生産する︑という仮定をすれば︑均衡の必要条件は︑型式だけに約すことができる︒個人Bが第二
財を生産し︑個人Aは︑第 財の移転を通じて︑適正に決定された分け前に対して︑個人Bに支払うということを仮
定すれば︑ ・9き ・︒き ︑き 鳶∵.・︒さ﹂釣⁝.⁝.⁝⁝⁝︐⁝⁝.⁝.⁝⁝⁝⁝︐︵︒﹀︶
がえられる︒そしてこの必要条件は︑りQ︹深戸邑の︹5アプ・ーチにおいて定式化された︑二個人の第一財と第二財の限
界代替率の和が︑限界変形率に等しくなければならないという︑公共財を含めた︑資源配分の最適条件の定義にほか
ならない︒しかし︑この少数者モデルにおける︑偲式︑︵ゆ︾︶式および㈹式で示されに条件は︑直接的には︑Go⇔ヨ・
自Φ一の︒昌におけるような︑資源配分の最適性︑ないし︑効率性に結びついて︑のべられているのでない︒それらは︑む
しろ︑二個人の取引過程を通じて達せられる︑均衡点の特質を定式化するものとして︑示されている︒そして︑これ
らの必要条件が︑満足されないかぎり︑なお︑取引からの相互利益が生じる可能性が︑残されていることになる︒
132 五
さきにふれたように︑初期の団巳p︒匡−切︒≦Φ⇒の少数者モデルに対する︑最も基本的な批判として︑なげられた
のは︑少数者の仮定を一般化して︑多数者をモデルに導入したとき・任意交換の前提が完全に崩壊する・という主痴
であった︒すなわち︑二個人の仮定をゆるめ︑社会を構成する人々が多数になるにつれて︑われわれは︑いわゆる多
團
記者のディレンマつ胃頓?2Bげ興匹一一①百B餌︶に直衝することになる︒すなわち︑個人が︑相互依存関係にある多数公共財理論の展望 133
者ゲループの一員であるとき︑かれは︑自己の個人的行動が︑他個人の行動に︑影響を与えないと考える︒個人は︑
少数者モデルにおけるような︑戦略的交渉には加わらないで︑一つの合成単位としてのく他人Vの行動に対して︑自
己の行動を調整しようとするにすぎない︒かれは︑他者の行動全体を︑かれ自身の決定のパラミターとして受取り︑ 翼直接︑間接に自己の行動の結果として︑これが変化するとは考えない︒結局︑多数者モデルでは︑個人は︑自己の行
動の作用を︑無視できるほど小さいものとみなし︑かれの︑︿反社会的﹀行動に対する他者の反応を︑全く無視でき
る︑と考えるのである︑
また︑少数者グループでは︑個人は直接に競争者を意識し︑︵構成員が二人を越える状況では︶連合を形成しよう
とし︑そして︑当事者の一人︑あるいは︑それ以上との︑共同活動の生産性をみとめる︒集団のなかの他の個入に相
対して︑かれは︑競争と協同の双方の関係を理解するのである︒しかし︑多数者の状況では︑これらはすべて消失す
る︒個人は︑論理的には︑すべての構成員の問に︑相互依存関係のあることを十分承認しているが︑連合を求め︑形
成することが︑生産的であるとは判断しない︒そして︑他の構成員との競争関係︑協同関係は認められず︑相互依存
の個人的関係は存在せず︑そして︑有利な取引条件を得るための交渉の余地はない︒︵各々にとっては︑これらの条
件は外生的に決定されている︐︶しかしながら︑この交渉機会の消失は︑どちらも取引を交渉しない点で︑二面的で
ある︒少数者構造は︑個人に取引を導入させ︑その条件を交渉させるが︑相互依存関係が一般的である︑多数者のケ
ースでは︑取引行動ならびに交渉行動は︑排除されるであろう︒このように︑多数者の導入が︑効率的解に導く市場
機構とは対照的に︑公共財では︑多数者の導入が︑このような奇妙なディレンマに︑われわれを乾しいれるのであ
るつかくして︑各個人は︑公共財に対する自己の選好を過少に表明しても︑公論管財の供給にほとんど影響を与えず
に︑自己¢税負莞を有利にすることを知っており︑ここに︑個人は︑その真の選好を表明しないという︑いわゆる︑
133
134
飼︿フリー・ライダース﹀︵閃器①−肉的︒屋︶の問題が指摘されるのである︒ζωαq暫くΦが︑冒冒畠餌広一ゆ︒芝Φ⇒の少数者
の任意交換モデルに関連して︑批判を試みたとき︑根底的には︑この核心にふれたのである︒
さて︑少数者モデルに対する︑以上のような基本的問題点にもかかわらず︑切口筈碧窪が︑あえて︑公共財の需要
と供給の理論的展開の出発点として︑まず少数者モデルをとりあげているのは︑公共財の供給や費用負担に関する︑
二個人︵あるいは三個人︶の取引︑あるいは︑協定というモデルが︑現実社会の財政構造を説明しようとするもので
はないことを認めたうえで︑多数者のディレンマがない場合に︑公武ハ財現象が与えられると︑いかに︑そして︑な
ぜ︑効率的結果が出てくるのがを示すことが︑多数者モデルの展開に︑有用た基礎を提供する︑と考えたからであ
る︒それゆえ︑個人の︑真の選好を隠蔽しようという企てが︑少数者の任意交換の理論構造を︑根底から崩壊させる
という批判は︑少なくとも︑しUロ︒ロき碧にとっては︑少数者構造を︑概念的に︑現実の状況として論じ︑多数者状況
への拡張のための︑有用な分析上の手段としては︑論じなかったという意味で︑方向を誤っていたのである︒もちろ
ん︑公共財理論の主たる課題は︑多数者グループについて︑公共財現象が与えられた場合の︑行動を説明することで
あるが︑多数者モデルを解明するための︑有用な方策として︑少数者の相互関係だけから生起する︑行動の特質から
抽象された︑少数者モデルを︑まず展開しなければならなかったのである︒そして︑究極的には︑この少数者モデル
を基礎にして展開されていく︑公共財の基礎理論は︑基本的には︑財政の経済学を︑民主的過程の現実に結びつける
ことをねらったものであり︑どちらかといえば︑政治的選択に対する︑実証的分析に重点がおかれている︒
ところで︑公共財の現範的理論は︑さきにあげた︑Qo9︒ヨ自Φ一︒︒︒⇒の二つの基本的論文で︑最もすぐれて構成せられ
たが︑それは︑直接的に︑新しい厚生経済理論から導出されている︒資源配分に関する規範は︑旧厚生経済学のそれ
よりも︑はるかに注意深い定義が与えられ︑特に︑ピ閑○げげぎωが︑旧厚生経済学的規範が内包する弱点を暴露して
134
公共財理論の展望 135
以来︑特に︑パレート的最適性の問題の精緻化に︑精力的な分析的努力が集中されたのである︒そして︑パレート某
準の︑形式上の有用性にもかかわらず︑その条件を満足させうる状況の︑多様性の問題が残された︒そして︑この最
適のなかから︑単一のベストな解を得るために︑社会的厚生関数という︑外部的な︑そして非個人的な︑基準の定式化
が︑はかられたのである︒それゆえ︑その意味では︑この社会的厚生関数と全体的なパレート体系とには︑基本的な
不調和が存在しているのであって︑実は︑この不明瞭さこそ︑現代厚生経済学が︑そして同時に︑それに立脚した公
共財の規範的理論が直面している︑最大の悩みの一つなのであり︑ωロ︒ゲ窓窓にとっては︑ω⇔百厚Φ一の8も竃︒︒︒σq審く①
も︑ひとしく︑この基本的矛盾を︑理解してはくれなかったのであった︒かれらが配分問題と分配問題を区別したこ
とに対して︑ある単一解を導出するために︑外部的な基準がひきいれられるなら︑なぜ︑個人的選好の体系に基づい
た規範が︑公共財の生産と供給への資源配分において︑尊重されるべきなのか︑また︑分配はそれ自体に︑配分上の
結果に対してフィード・バック効果をもっているので︑このような区分は空虚ではないのか︑を問い︑個人的な選好
体系から︑配分効率性条件を導出する︑︵パレート最適に基づいて選択するのではない︶︑コンシステントな公共財の
規範的理論を︑提出することができるというのが︑かれの解釈であった︒そして︑規範的な財政理論は︑もちろん︑
公共財の︿市場機構の失敗﹀の分析について︑実証的な要素を含み︑そして実証的財政理論は︑スタンダードな規範
的理論に含まれている︑基本的な効率性分析から出発しなければならないように︑現代の財政理論は︑規範的要素と
実証的要素を混有している︒そして︑切ロ︒ずききの立場は︑分析からでてくる実証的内容の方に︑より重点をおいて
おり︑ここでとりあげた少数者モデルは︑財政の純粋任意交換理論であって︑それが最初に提出されているのは︑よ
り適切なモデルが検討されうる前に︑この理論が︑まず厳密に展開されなければならぬと考えるからである︒
いずれにせよ︑ここで展開された少数者モデルは︑極端に純化ざれた条件のもとで︑効率的結果が出現する傾向に
135
36@あること︑だけを証明するのであり︑次の理論的課題は︑多数者の集団のケースで︑公共財現象に直面する際の行動 36
ユ エ を︑説明することでなければならない︒そのためには︑まず︑平等少数者モデルから︑不平等少数者モデルへ︑さら
に多数者モデルへと前提条件を拡大し︑そして︑そこに生じてくるブリi・ライダースの問題が︑詳細に検討されな
ければならないのである︒︵未完︶
注田︾●O.男茜︒〜卜硫ミ園旨§︑袋ミ詩︑§§ら3﹃吟①斜一男○︒田Nコ匙Φ鮎GHりb︒9ω同斜①昏這ミ︵これは︑すでにかれの肉q§黛
︑ミ亀ミニく鰹ミ︑︑♪Hゆ悼Oの一部として論じられたもので︑ 一九二八年に独立の書物となったものである︑︶︸肖∪巴8P
︑︑︐き三絶亀ミ︶ミミ勘︑︑ミミ亀一跡①自←ε㏄b9申しQ護昏焦駄こ留口¢一鱒二〇山←這柴と津げ︒︹rε漣申¢.囚.寓ぎ評︒︒閑旨ミミ融
㌔︑帆ミミら5一監︒︻r一C降刈いト⊃昌二︒二G一〇姻もQ
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ミミ︑ミ=能〇二死三︒7¢F㌔︑〜ミミミ︑ミ︐ミ軍馬$ミ〜§§恥︑ミ︑ミ婁㌻こ︐吃︑ミミ︑隈ミミ≧.ミおへN^ぎ鴇§ミ窪亀辱窮
ヒ匙建鮎織§yHG︒り①脚国.ご昌二撃=︾国巳αqo㏄畦一瓶二σq①勺毒αq①コ山県ω8q巽浄8ユΦ鴇ミQヨ母跨專へζびきき︑㌧馬匙ミ︑O鴨隣§軽窺︑♪
δb⊃Q︒一国●ω餌詳Uδ≦奪εコσq㏄子ooユ①急窪ω8q¢さN鳥帖多気N︑ミ鳶︑︿ミ穿起や馬吻專トミミミ硫︒蔑ミ︑ミ〜︑︑鮮HOb⊃合﹀.U①
<三∪①ン自費09﹂㌧篭謡蔑㌧勘氏亀N.象§ミミ轟︑ミ謡難ミ︑ミ目りG︒鱒.なお︑ U①<三∪¢7甘需︒のものを除いて︑これらはす
べて︑男.﹀.7ゴ薦屋︿ρ﹀■↓.℃¢m500昇の編集による︑6︑へ〜旨勘動軌匙縞馬﹃訪馬︒︑︐旨ゆ︑︑導N円物﹄ミ§ら3H霧G︒のなかに︑英
文で収録されている︒
㈲ これらについては︑特に㍗7βゆ⊆oプ㊤雷㊤コv..﹃餌の∩ざづNp山︒=Φゆづp5NΦ.︑↓7①H酔p=pづ↓﹃pa訟05ぎ国ωo巴日︸毎oq︑︑鷲ミ
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働 い一≦.bd¢3鋤コ鋤P﹃︑ミbへ§笥謡靴窺嵩駄恥ミ博蔑量さ〜︑ミ守︑勘︵ぎ︒駄♂一80︒︾民器罫︒¢
観 刃.﹀.ζ壼σq屋くρR︑︸四日.︑ミミセミ︑︑袋ミ勘︑︑ミ帽嵩籠Ψ昌硫ミ駄旨§︑象ミ帖ら肉ら§oミ客H8り.
⑥ =o≦霞ユ切︒≦①昌︾目︒軽袋︑匙防︒職ミ肉s嵩︒ミ8巳降GQ.
137 公共財理論の展望
n回︾.ω弩邑︒・︒p↓ぎ℃gお雷8q9空霞︒吋×需・き霞p沁§.遭ミ卑§§駐§賊惣ミ導参く9︒︒①﹂⑫o合︹u二二二三仏国昌︒ωざ一︒口︒♂誤8q︒︷℃量8国メ宏量ぎ・①扇§帖§亀尊§§駐§ミG︐ミ文月詳︾<︒ピωメHゆ綴
別注9国$山㌔昏ぽ08α︒・帥巳雷げ=︒℃︒腎ざ︑ミ勘肉帆謡§8<︒ピ§H㊤①・︒⁝=民・﹃一︑ω臣8曼︒=冨bd巳αq3︵
︑§§建こミ.yお鐙﹁
㈲即bd︒幕p︒℃.︒三主H刈①占卜︒︒脚︒︷﹄も■寓窪巽リミミ§︑尋ミ零・§3まメ寧︒︒由い渕・﹀・罫㏄・qH・︿・・
呂互辞.らや羊︒︒9芝こ■ゆ︒舅︒rき欝こ肉§︒鼠・・§貸室§§旨駄§要§讐N巳・・rまρ≦亀器・づ偶
臣①ω舜①図①≦︒・ぎρH昌貫︒含象88昏①ω①8巳国ユ三︒⇒.
恥.ch︒︸漏陶.=§器p園.ミ﹂ミミ§h§︒こ︾まご幽囚.Ω巴ぴ邑一7曵︑ミ臣寒馬ミ警・ミきま㏄脚しu亮﹂由費げ・さ︒や︵
葺.腿詳H.
加9℃●︸﹁留ヨ器﹃︒72︶ン閑﹁︸ζ餐αq毎<ρ8●︒一戸.︵
囮私的財の総量鼠とし︑狩と班を︑茅︑れそれ︑個人・および個人りあ私的消費レ・すれば︑私的財については︑≧柴㌦+き︒.
が常に成立し︑同様に︑公共財の総量を&とし︑個人のそれぞれの消費量を瀞︑澄とすれば︑純粋公共財では︑き﹃許×・・︑
P1㌶勝・が成立する︒︵℃.﹀.Oo⇔日β①﹃OPU冨αq同鋤旨二〇国×勺︒空目︒ロ︒︷p︒↓ず⑦oqo隔℃偉げ財︒国×唱①p臼ε円ρR︑譜Oo鳶象鷺
執ミミら︑奪睾ミ.寒ミ冨吻§ミ勉§し8①り娼﹂b︒卜︒①︶
⑬ 最近この問題に関する論文は多いが︑財政学のテキスト・ブソクでも︑この問題をとりあげるようになっている︒たとえば︑
│閃.ぎρO︒§・謡ミミ寧ミミ=ゆ・壽︒ミミ烏︾ミ母旨﹂o舞3畳.・︒評bゴ■℃団霞ぴ・さ︒℃・︒F9畳﹂①・
抽. たとえば︑︼幽①肘ず①﹁は最近次のような分類を試みている︒︵甲℃.︸.幽①﹁げ2︐導名9簿■︾℃9賊.︶
137
138
純粋公共財
準公共財︵準私的財︶ 純粋私的財
ユ00% →←
純粋の公的欲求から生じる 私的欲求と公的欲求の混合から生じる 純粋の私的欲求から生じる
100%
公共セクターによって配分 公共セクターか私的セクターのどちらかによって配分 例 私的セクターによって配分 国 防じd
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を参照のこと︒
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…畑@二個人の生産能力に差異のあるとぎは︑そして︑どちらかの財の生産に規模の収益があるときは︑普通の意味での利益の比較
が︑効率的な取引を導き出すであろう︒もし︑個人Aが︑第一財に効率的であれば︑自分の労働時間のすべてをこれに費し︑
個人Bの第一財消費を提供することによって︑第二財を︿購買﹀するであろう︒ そして︑Bが第一財生産に効率的であるな
ら︑その関係は逆になる︒
ここでは︑二個人が第一財︑第二財に関係なく︑財の生産にむけられる︑利用可能な︑一定量の労働時間をもつこと︑この
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時間は︑各個人に同﹁であることが仮定されている︒モデルでは︑余報は利用可能ではないものとされている︒
鋤 この場合︑もちろん︑交渉力や幸運がある限度内で︑第二財生産における二個人の分け前を決定するかもしれない︒取引の
ないE点から︑契約軌跡上へのシフトは︑相互の利益を確保させるが︑これらの利益の多数の可能な分配があるはずである︒
このことは︑所得効果のために︑第二財の量を若干変化させるであろうが︑このことは︑ここでは無視されている︒
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劉 価格理論は︒ 一般的に少数者のケースと多数者のケースを区別して分析している︒たとえば複占や寡占の場合は︑企業にと
っては︑自己の行動に対する競争者の反応を予測することが合理的であり︑それに対して競争社会では︑︿競争者﹀の行動を
与件として受取り︑この事情に反応していにすぎない︒したがって︑市場機構の基礎に横たわる相互関係に︑差異はないにも
かかわらず︑構成者数のちがいが合理的な意思決定者の︑行動パターンの基.不的相違を生ぜしめるのである︒
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