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〈研究ノート〉新オーストリア学派の公共財理論について(第300号発刊記念)

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く研 究 ノー ト〉

新 オー ス トリア学 派 の公共財 理論 につ いて

公共財 (public goods)あるいは集合財 (collective宮00dS)と 呼ばれ るも のは,私 的財 (private goods)とは異なる性格 を有 し,通 常,公 共部 門 (政 府 ・国家)に よって直接提供 され るか,ま たはその生産 。供給にさい し,公 共 部 門か らの助成 ない し公共支 出に依存せ ざるをえない財 (サー ビスを含む)を い う。同義反覆的にいえば,公 共部 門の関与 ・干渉な しには,社 会の成員に提 1 ) 供 され るこ との困難 な財 を総称 して公共財 と定義 されているように思 う。 この ような公共財の必要性 を是認す ることは,い わゆる市場の失敗 (market failure)を承認す るこ とであって,少 くとも社会の資源配分 は,こ れ を全面 的に市場 システムにゆだね るのではな く,部 分的に もせ よ,公 共部門に も依存 2 ) すべ きことを含意 ない し暗黙の前提 に している, といってよい。 しか し, 自由市場経済擁護のチャンピォンをもって 自任す る新 オース トリア 学派に属す る経済学者に とって,か か る公共財の存在 と,資 源配分 におけ る公 共部 門の役割 を,消 極的に もせ よ是認す ることは,容 易 ならざることであ り, D 事実,こ の学派の内部 に も鋭 い意見の対立 を生んできた。異論の両極端 を代表 す る論客 として,一 方でロスバー ド (Murray N.Rothbard)とその流れ を汲 む ホ ッペ (Hans_Hermann Hoppe)を ,他 方でハ イエ ク(Friedrich A.Hayek)

1)た とえば貝塚啓明 「公共財」(『経済学辞典』)第 2版 ,岩 波書店,1979年 ,362ペ ー ジ参照。 2)現 代経済学は,公 共財 をプ ラスの外部性,公 害や環境汚染の ような現象 をマイナスの外 部性 として取扱 って きた。外部経済 ・外部 負経済の相違 はあ るものの,い ずれ も 「市場 の 失敗」 を意味す るもの とされ,社 会 の資源配分 は,市 場 と公共部 門の混合 ない し協力の体 制が不可避 と考 え られて きた。 血 ︵ 呑日 後 越

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146 第 300号発刊記念 (第301号) をあげ るこ とがで きよう。 本稿 はこの両者の議論の骨子 とその性格,お よび対立″点を明確 にす るため, ロスバー ドお よびホッペによる公共財批判の論 旨と,ハ イエ ク説の概要 を紹介 し,進 んで両者の対立が, 自由 と強制 (coercion)についての,さ らには政府 ない し国家の性格 についての見解の相違に由来す る″点を解明 したい。 I 通常,公 共財 は二つ の性質 を具有 してい る と考 え られてい る。辞典 ない し教 4 ) 科書的解説によれば,そ の第 1は ,排 除原則 (excluslon principle)が成立 し ない とい う特徴 である。排除原則 とは,対 価 を支払 った者だけが排他的にその 財 を消費 しうるとい うことを意味す る。対価 を支払わない者で も,そ の財 を消 費で きる とい うこ とであれば,い わゆ る 「只乗 り」(free rider)現象が生 じる か ら,そ の ような財の必要に して十分 な供給 を, 自由な市場 システムに期待す るこ とは困難であるとい うのである。 公共財 の第 2の 特徴 は,消 費におけ る非競合性 (nOn_rivalness)であ る。 これは,誰 かがその財 を消費す る場合 に,他 人 も同時にその財 を消費す ること を妨 げない とい う性質 である。 この場合 で も消費に伴 う代価の負担 を避け よう とす る 「只乗 り」現象が発生す るか ら,市 場 システムは満足に機能 しない とさ れ る。 以上の ように,そ の財に対す る需要が存在す るに もかかわ らず,市 場 システ ムにその生産 ・供給 を依存す ることを期待す ることができなければ,そ の供給 責任 は,公 共部 門が負担せ ざるをえず,こ こにこの種の財 を消費者に提供す る とい う政府の役割が生 じる。逆にいえば,公 共財 は以上のような根拠によって, 公共部 門が直接的ない し間接的に提供す る財 を指す と定義す ることもできよう。

3)但 し, ミーゼス (Ludwig von Mises)の 場合,外 部経済は 「市場の失敗」 を意味 しな い し,外 部負経済は外部経済の裏返 しではない。後者は私有財産制度の機能不全 をもたら す制度的欠陥に よって発生す ると考 えられている。 (ルー トヴィヒ ・フォン ・ミーゼス著

・村田稔雄訳 『ヒューマ ン ・アクション』春秋社,1991年 ,662∼ 668ボー ジ参照。) 4)た とえば 1)の 貝塚教授の解説 を参照せ よ。

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新 オース トリア学派の公共財理論について 1 4 7 ところで問題は,以 上のような原則によって財 を公共財 と私的財に三分する ことは必ずしも現実的ではな く, しば しば机上の空論に等 しいケースも見受け られるということである。この点を最 も鋭 く指摘 しているのがホッペである。 9 彼は 「公共財理論および安全保障サービス生産の虚偽」 と題する論文で,大 略 以下のように述べている。 伝統的に公共部門によって生産されるべ きであるとされてきた財であっても, たとえば鉄道 ・郵便 ・電話 ・道路等については,そ れらの使用を料金を支払 う 人に限定する場合,私 的財 とみなすことができる。安全保障サービスという多 面的な財についても,個 人が保険に加入する場合には,私 的財 となりうる。 このように,一 般的に公共部門の提供 している財は,私 的財 となりうる反面, 排除性の欠如なり,消 費の非競合性のゆえに,公 共財の範鳴にはいるかに見え る多 くの私的財が存在 している。ホッペが例示するように,④ 私有の奇麗なバ ラ園は,そ の造園や維持 ・管理に全 く貢献 していない近隣の人々の目をたのし ませている。③私的に所有 している家屋の改善が近隣の私有地の財産価値 を高 める可能性がある。③貨幣 をその帽子に投げ入れない人でも,大 道芸人のパフ ォーマンスを眺めてたのしむことができる。① 自分の体臭防止剤によって,バ スに同乗 した人は臭い体臭に悩 まされずにすむ。⑥ 自分が清潔な服装をして, にこやかな顔付 きで他人 と面談すれば,不 潔な服装 をして,噛 みつ きそうな顔 付 きで他人に会 う場合 よりも,会 う人に利益 を与えていることになる,等 々。 以上に示 した④から◎ までの事例は,い ずれも排除原則の欠除,消 費の非競 合性の存在 という叙上の公共財の要件 を充たしているが,こ れらを公共部門に よって,あ るいは公共部門の援助によって供給されるべ きであると考えている

5)Hans‐ HeIIlann Hoppe,効 夕Eびθ%ο物危sα%冴Eサあガ6s c/Pガυ″彦 Pttq)夕の ,Kluwer Aca― delnic Pub.,1993,pp.3-26.(Chapter ェ : Fallacies ofthe Public Coods Theory and the Production of Security.) 6)な ぜ安全保障サー ビスが 多面的な財 であるか といえば,安 全保 障 とか国家防衛 といった 単一 の財 は存在せ ず,た とえばそれ らは,航 空機 とか ミサ イル といった財か ら構成 されて お り,航 空機 はさらに,ア ル ミニウム とか各種の電機 ・電子機器等々の財か ら構成 されて い るが,そ れ らはいずれ も代番的用途 をもつ無数の私的財 と競合す る稀少財 である, とい う意味であ る。

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148 第 300号発刊記念 (第301号) 人 は皆無 であろ う。 さ らにい えば,伝 統 的 に公共財 とされ,現 に政府 に よ り供給 されてい る財 が, かつ ての一 時期,私 的企業家 に よ り供 給 され た り,国 に よっては,現 在 も私 的 財 として取 引 され て い る例 が種 々存在 す る。 た とえば, 郵 便 サー ビスはかつて は 多 くの国では私 的財 であ った し,道 路 は私 的資金 で建 設 され,燈 台 さえ も元 の 来 は私 的個 人 と私 的組 織 が その供 給 に重大 な役 割 を果 た した といわれ てい る。 私 的警察 ・私 立探偵 ・私 的裁判所 。私 的仲 裁機 関等 も存在 した し, 病 気・貧 困 ・老人 ・孤 児 ・寡婦へ の援助等 も,私 的慈善 団体 の伝統的 な業務 であった。 こ うした財が純粋の市場 システムの下では生産されえないという議論は,経 験に よって反証 しうる,と ホッペはいう。 しか も,注 意すべ きは,上 述の基準によれば公共財 とされるべ き財が,す べ ての人に必ず しもプラスの効果 (外部経済性)を もちえないケースも存在する ことである。たとえば,個 人のバラ園の隣人が常にバラを愛好するとは限らず, 中にはこの花の嫌いな人がいるか もしれない。ある人の体臭防止剤の香 りを嫌 悪する人がいないとは限らない。加えて技術変化や制度の変更によって所与の 財の性格が変化する場合,か つては叙上の公共財的特徴 を具備するものであっ ても,純 然たる私的財 とみなすべ きことが常識化することもあろう。私的性 ・ 公共性の程度 も,人 々の価値観や人口構成の変化によって相違するのであって, 財 を私的財 と公共財に二分するような客観的な基準のごときものが存在すると 考えるのは誤 りである。ホッペは以上のように論 じている。 ホッペの指導者 ともいうべ きロスバー ドもこの点に関 し,次 のような議論を 展開 している。いまAと Bと が,二 人が使用する目的でダムを建設した。Cは 7)経 済学の教科書で公共財の典型 として好んで引用 され る燈台についての興味深い研究は, 下記 を参照 され たい。 ロナル ド・H・ コー ス著,宮 沢 ・後藤 ・藤垣訳 F企業 ・市場 ・法』 1992年,213-242ペー ジ (第7章 経済学のなかの燈台)。 8)ホ ッペ は前掲 5)で ,そ の例 として,TVケ ー ブルの発達や財産法の変革によって海洋 の一部が私有財産 として認め られ るようになるケー スを指摘 している。

9)Cf.,NIturray N.Rothbard,約 切αタヴ αR夕σο夕体サ%ιttθ%ゲ し'″″り α″グ ル?物物 ″ Eθθ%θ物‐ じcs; The Center for Libertarian Studies Occasional Papers Series, # 3.1977.

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新オーストリア学派の公共財理論について 149 そ の建 設 費 を支 出 しなか っ た に もか か わ らず, そ の ダ ム に よ って洪 水 を まぬ が れ る等の利益 を受け ることになった とせ よ。 またAと Bと は個 人の費用で教育 を受けたが;Cは 教育 を受けなか ったに もかかわらず,Aや Bと 取引す ること に よって,利 益 を受けた とせ よ。 これ らの事例 は,Cに ついては 「只乗 り」の ケー スに該 当す るが,こ れが何故に格別の取扱いを必要 とす る問題 なのだろう か,理 解 に苦 しむ。Aと Bと がある財 を購入す ることは,彼 等にその財に対 し て支払 う自由意思があ るこ とを示 してい る。 この こ とに よって Cを 問接 的に 利す ることになった として も,誰 も損失 を蒙 るわけではない。 もしCが Aと B だけが費用 を負担 したために, 自分 の利益 を失 うと考 えるのであれば,Cも 自 由意思に基づ いて貢献すれば よいではないか。 「只乗 り」の存在 を公共支出王国家行為 を正 当化す る根拠 とす るが,国 家行 為 があ るか らこそ 「只乗 り」への欲求が生 じるのであって,「 只乗 り」論は循 環論法である。 さらに深 く考 えるならば,我 われが現在享受 している高い生産 性や賃銀等は,先 人の行 った節約 ・貯蓄 ・投資や技術開発に負 うところが大 き い。 この点に着 目すれば,我 われはすべて 「只乗 り」 をしているのであって, 外部経済'隆があるか らといって, ことさらに公共財 として,特 別の取tり切取ヽを す る必要 はない といわねばならない。 I I 前節では,財 を私的財 と公共財に三分すべ き合理的根拠が薄BBであり,む し ろそのような根拠は存在 しないとするロスバー ドとホッペ説の論旨を要約 した が,本 節では,か りにこの三分法の論拠が曖味だとする批判を無視するとして も,何 敵にこれを私企業ではな く,公 共部門で生産すべ きかは,一 層不明確だ とする彼等の説を紹介 したい。通説によれば,そ の財の生産に全 く貢献 しなか 10)但 し,外 部負経済のケースでは, ミーゼスのいうように (前出注 3)参 照)私 有財産の 侵害に対す る不十分 な防衛に起因す る現象なのだか ら,自 由市場の欠陥ではな く,財 産 (所 有権)侵 害の結果である。侵害は自発的交換のシステム としての市場か ら,定 義によって 排除される, とロスバー ドはいう。

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第300号発刊記念 (第301号 ) った人々に も,正 の効果 をもつ とい う財が存在す ることは,そ の財の生産が社 会的に望 ましいことを意味す る。 しか もその財が, 自由な競争市場にまかせて いたのでは,質 ・量 ともに十分に供給 されない とすれば,そ うした種類の財の 生産 を,公 共部 門が担当す るな り,私 企業 を援助 してそ うした財 を生産せ しめ るよう市場へ介入す ることは,公 共部門の責任であると解説 されている。 しか しこの教科書的解説は次の二″点で説得的ではない, とホッペは論 じる。 第 1に ,公 共部 門,す なわち政府 ・国家 とい う権力機構が,あ る財 を公共財 に指定 し,直 接的に,な い しは私企業に対す る援助によって間接的にそれ らを 生産す ることは,そ の財の生産 に非協力的な人々に対 して,そ の生産に要す る 費用の分担 を強制す るこ とにほか ならない。 そのような強制は,本 質的には非 協力的 な人々に対す る暴力の使用 ない しその脅迫 であって,非 暴力 ,非 略奪 (non‐aggression)の原則,す なわち自由の原則に反 し,容 認 しがたい, とい う。 この論理 は,政 府 ・国家 を個人の 自由を抑圧 ・侵害す る合法的暴力機構 と して,否 定的に理解す る無政府主義の哲学に由来す る。 第 2に , ここには資源配分 の効率性 をめ ぐる厚生経済学的な論″点にかかわる 問題がある, とホッペはい う。彼のい うには,公 共財 もまた私的財 と同様,稀 少な資源 を使用 して生産 され るのであって,公 共財生産は, さもな くば生産 さ れたであろう私的財の生産か ら,強 制的に資源 を公共財生産へ と振 りむけるこ とを意味す る。 したが ってここでは,効 率性の視″点か らの評価が重要 となる。 ところで,い わゆる公共財 は,市 場 システムにまかせ て放置 しておれば,そ の必要性が認識 されているに もかかわ らず,質 ・量 ともに十分には生産 されな い財 であるといわれている。 この事実は,公 共財 なるものに消費者が第二義的 な重要性 しか認めていないことを示す何 よ りの証左 ではないか。消費者の自由 な選択に まかせ るならば消費者は,い わゆる公共財 よ りも,私 的財の方を選択 したことは明白である。消費者の選択に合致 した資源配分がなされ ることを効 率的 と考 える厚生経済学の大前提 にたてば,い わゆる公共財の生産 とは,消 費 1 1 ) 公共支出を伴 う財の生産費用は,終 局的には税に依存することになるが,税 は強制的に 徴収 されるのだか ら, そ の費用の分担は強制だという論理である。

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新オーストリア学派の公共財理論について 151 者 に とっ て, 私 的 財 よ りも よ り価 値 の低 い, よ り緊 急性 に乏 しい財 を私 的 財 生 産 の犠 牲 に お い て, 強 制 的 に生 産 させ られ た こ とを, す な わ ち資 源 が 浪 費せ し め られたこ とを意味す る, と。か くて彼は,純 粋 な市場 システムのみが,公 共 財的性格 をもつ と考 え られ る財の生産 について も,そ の質・量 を合理的に決定 しうるのであって,市 場が適正 に供給 しえない特別の性格 をもった財 などはあ りえず,そ れ を公共部 門が生産す るが如 きは,資 源の浪費にほかならない, と 断言す る。 因みにホ ッペ は,進 んで国防 とか治安 の如 き,安 全保障サー ビスの生産分野 で も,非 独 占的で競争的な市場 システムの方が,国 家による安全保 障サー ビス 生産の合法的独 占の場合 よ りも,効 率的に もはるかにす ぐれていることを論述 してい るが,そ の詳細は別の機会 に論評 したい。 III ハ イエ クは,公 共財の理論的性格 を直接的に解明す るというよりも,む しろ 公共財 をその供給主体 である政府の役割に関連づ けて論述 している″点に特徴が あるといって よいが,そ の議論は必ず しも明快 とはいえない。本節では,彼 の 主著 『自由の条件』第 2部 第15章 「経済政策 と法の支配」,第 3部 「福祉 国家に おけ る自由」の各章,お よび 『法 と立法 と自由』第 3部 第14章 「公的部 門 と私 的部 門」での論述 を主たる対象 として,彼 の論 旨を要約 したい。 ハ イエ クは新 オース トリア学派の中心的存在であったが,ロ スバー ドを中心 とす る無政府主義者 とは決定的に異な り,政 府 とその活動の重要性 を是認 して いる。彼の最大の関心事 は,政 府活動 をゼ ロない し極小化す ることではな く, 12)ハ イエ ク全集 6 13)ハ イエ ク全集 7 所収。 14)ハ イエ ク全集10 所収。 15)ハ イエ クは経済問題 にたいす る古典学派の 自由擁譲論の解釈 にさい して も,「 経済活動 の 自由 とは,法 の下 での 自由であって,す べ ての政府活動の欠如の意味ではなかった」 と して,彼 等 を肯定的に理解 している。前出ハ イエ ク全集 6,124∼ 127ペー ジ参照。 (気賀 ・古賀訳 『自由の条件 II自由 と法』)春秋社,1987年 ,所 収。 (気賀 ・古賀訳 『自由の条件 III福祉 国家 におけ る自由』)春秋社,1987年 , (渡部茂訳 『法 と立法 と自由III自由人の政治的秩序』)春秋社,1988年 ,

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152 第 300号発刊記念 (第301号) 自由体制 ない し自由経済 と調和 しうる政府活動の範囲 と種類は何かを明確にす るこ とであった, といってよい。 このため,彼 は第 1に ,法 の支配の遵守が 自由経済の有効に機能す る必要条 件 であるこ とを強調す る。 しか し第 2に ,そ れは十分条件 ではな く,政 府活動 に よって改善 され るべ き余地があるとしているが,必 ず しもその十分条件 を明 確 に論述 しているわけではない。 ここでは,公 共財 を政府の業務遂行によって 生産 。供給 され る財 ・サー ビス とい うょうに同義反覆的に理解 し,彼 の公共財 につ いての議論 を考察す る。 ハ イェ クによれば,政 府は 「最小国家」論者のいうように,法 の施行 と,国 民 を外敵か ら防禦す ることを唯一の機能 とす るものではない。進歩 した社会で は,市 場 によっては供給 されないか, も しくは適切に供給 されえない多数のサ ー ビスが存在するが,そ れを提供す るため,課 税によって資金を調達する権力 を使用すべ きであって,こ の″点に関 し異論の余地はない, という)。 いまそれ らのサー ビス(財)に該当す るものを,ハ イエクに従 って例示すれば, 暴力 ・伝染病 に対す る防禦,洪 水や なだれのような自然の威力か らの保護,現 代 の都市生活 を耐 えられ るようにす る快適 な環境づ くり,多 くの道路,度 量衝 原器 の規定,土 地登記簿 ・地図お よび各種統計の作製等には じまり,市 場に供 給 され るい くつかの財の品質証明にいたるまで,多 くの種類の情報が含 まれて いる。ハ イエ クによれば,こ れ らのサー ビスの提供は,提 供する側に何の利益 ももた らす ことができず,こ のため,市 場によっては供給 されない本来の集合 財 あ るいは公共財 である。 という)。 ハ イエ クは以上に加 えて,す べての人に対 して最低所得 を保障すること,民 間投資が衰BBするときには政府が介入 し,最 小費用で社会に最大の利益 をもた 16)同 上,126∼ 127ペー ジ参照。 なお,い わゆる 「最小国家」論否定については,ハ イエ ク 全集10,64∼65ペー ジ参照。 17)同 上。 18)同 上,68ペ ー ジ参照。 19)同 上,83ペ ー ジ参照。

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新オーストリア学派の公共財理論について 1 5 3 らす べ く公 共 投 資 な い し公 共 支 出 を配 分 す る こ と,ま た,教 育 と情 報 に 対 す る 助 成 ・融 資,建 築 規 制 ・純 正 食 品諸 法 (pure food laws),あ る種 の職 業 の 認 可 ,武 器 ・爆 発 物 ・毒 物 ・薬 品等 の危 険 な財 の取 扱 い に対 す る制 限,生 産過程 のためや劇場 ・スポー ツ場の ような公共施設設置のための,安 全 と衛生に関す る若子の規制等々。それ らが,消 費者の賢明な選択に不可欠の もの とな りうる か ぎり,公 共財 に該 当す るとい う。 彼 は また限定づ きではあるが,一 般的な富の増加や 人口密度の増大 に伴 い, 集団的行動 に よってのみ満 たす こ とがで きるあ らゆ るニー ズの割合が,増 大 し 続け ると信 じる若子の理由がある, とい う。 古典的名著 とされ る 『自由の条件』におけ る彼の論述によれば,彼 は まず政 府の普遍的な任務 として,効 率的な貨幣制度の提供 をあげ る。後にいた り彼は 貨幣の非国有化の為のユニー クな提案 を行 っているが,こ の′くは別の機会に論 評す るこ ととして,こ こではふれない。 また彼 に よれ ば,政 府 は さま ざまな形 態 の強制保 険 (compulsory insur‐ ance)を ,個 人 自らが備 えを怠 って社会一般へ迷惑 をかけ る結果 となること を防止す るために実施すべ きであ り,公 的に助成 された住宅の供給 も政府の可 能 な任務 の一つである。同様に,都 市計画や土地区画 も,そ れ らの施策によっ て,利 益の総計が損失の総計 を越 えるか ぎりにおいて,政 府の適切 な任務 とな 20)同 上,89ペ ー ジ参照。 21)ハ イエ クは,一 般教育 についての財政負担の支持 を是認す ることは,教 育の政府管理 を 肯定す るこ とと同一 ではない, とし,「 政府は両親にある証書 を与え,両 親は 自ら選択 し た学校 で子供 たちが受け る教育の代金 をその証書で支払 うことがで きる, とい う ミル トン ・フ リー ドマン教授が以前述べ た提案は,現 行の制度 よりも,は るかにす ぐれているよう に思 える。」と述べ ている。 同上,91∼ 92ペー ジ。 22)同 上,92∼ 93ペー ジ参照。 23)同 上,80∼ 81ペー ジ参照。 24)前 掲ハ イエ ク全集 6,128ペ ー ジ。 25)ハ イエ ク著 ・川 口慎二訳 『貨幣発行 自由化論』東洋経済,1988,参 照。 26)前 掲ハ イエ ク全集 7,46∼ 47ペー ジ参照。 27)同 上,124∼ 126ペー ジ参照。

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154 第 300号発刊記念 (第301号) 2 8 ) る, とい っ。 これ らに加 えてハ イエ クは,休 養 の楽 しみ,そ のための機会 の提供,あ るい は 自然 の美 しさ,歴 史的遺跡,科 学 的 に興味 のあ る場所 等の保 存に対 して も, 政府の役割は存在するという。 自然公園 ・自然保存なども一定の限定づ きでは あるが,政 府の任務 とみなしている。 以上のようにハイエクは,政 府によって提供 される広範囲の公共財 を認める が, このことは自由 と背馳することを意味 しない, という。 自由の擁護 という 見地か ら重要なことは,政 府活動の量ではな く,そ の質であるともいう。この 見地か ら彼は,課 税や強制役務, とりわけ兵役 も,そ れらが予見可能であって, 人が自分のエネルギーを何か別の方法で用いようとも,そ れとは無関係に強制 されるものであるかぎり,強 制のもつ悪の性質を取除 くことになる, という果 味深い解釈 を示 している。すなわち, もしある額の税 を支払 う必要が予めわか っていることが,そ の人にとってのすべての計画の基礎になるとするならば, そして, もし兵役の一期間がその人の生涯のうちのある予想 しうる部分 を占め るとするならば,そ の人は自分 自身の一般的な生活設計を, 自分 自身でつ くっ て,そ れに従 うことができるのであって,そ こでは自由は保証されている, と いうのである。 IV 同一 の新 オー ス トリア学 派 に属 す る とされ て い なが ら, ロ スバー ドや ホ ッペ と, ハ イエ クとでは,公 共財 ない し政府の市場経済へ の介入につ いての考 え方が, 叙上の ように著 しく相違 しているが,こ の根本的な原因は, 自由 と強制につい ての,両 者の思想の相違 に由来す ると考 えられ る。 ハ イエ クは, 自由を強制 され ることがない状態 と考 える。そして強制 とは, 28)同 上,132ペ ー ジ参照。 29)同 上 ,162∼ 163ペー ジ参照。 30)前 掲ハ イエ ク全集 6,17∼ 18ペー ジ参照。 31)ハ イエ ク全集 5(気 賀 ・古賀訳 『自由の条件 I自 由の価値』)春秋社,1986年 ,21ペ ー ジ。

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新オーストリア学派の公共財理論について 155 ある人の環境 または事情が他 人に よって支配 されてお り,そ の結果,よ り大 き な災いを避け るために,そ の人が 自分 自身の首尾一貫 した計画に従 うのではな くて,他 人の 目的に奉仕す るように行動 を強いられることをい う, と定義す る。 別 の個処 で も彼 は,強 制が悪 いのは,あ る人の行動が 自分 自身の 目的ではな く,他 人の 目的のために他人の意思に奉仕 させ られ る場合 である, と表現 して い る。 これに対 して 自由は,彼 によれば,「 各人が 自分 自身の知識 を自己の 目 的のために利用 で きる状態」 をい うのである。前述の ように,課 税や兵役 を直 ちに 自由の侵害 と考 えないの も,こ の点 と関連す る。 この ようなハ イエ クの定義に対 し,ロ スバー ドは, 自由 とは個人の正 当な財 産 (所有権)へ の干渉が存在 しないこと, と考 える。 この ことは,そ の人 自身, お よびその人が生産 した財産 ならびに,そ れ をもって,他 人の財産 と自由意思 に もとづ き交換す ることによって得 た果実 としての財産に対 して,他 人か らの 侵害が存在 しないことを意味す る。 ロスバー ドのいう純粋 自由の体制1とは,こ の ような個人の財産が他人か ら妨害 ・侵略 ・干渉 されない社会 を指す, といっ 3 6 ) て よい。 ロスバー ドとその同調者 の哲学 に よれば,人 は生 まれ なが らに して,そ の人 自身の所有者 であ り, 贈 与や遺贈 に よって も, そ の財産 を取得 で きるが, こ う したケー スを除 くと,ホ ッペが適切 に解説 しているように,ロ スバー ドのいう 財産 を取得す る正 当な方法 としては, 以 下の二つの可能性が考 えられ る。

第 1 は ,原 始的 占有行為 (act Of original appropriation)によってであ る。 これは, 自然の恵みである資源 を,他 人が稀少性があると認識 してそれ を占有 す る以前に, 特 定の個 人が 占有 し, こ れ をその人の財産 とす ることをい う。 32)同 上 ,35ペ ー ジ。 33)前 掲 ハ イエ ク全 集 6, 6ペ ー ジ参照。 34)ハ イエ ク全 集 8(矢 島 ・水 吉 訳 『法 と立 法 と自由 Iル ー ル と秩 序 』)奉 秋社 ,1987年 ,74 ペ ー ジ。

35)Cf.,Murrey N.Rothbard,コ ろ夕E筋 ガcsゲ 五カグリ,Hllmanities Press,1983,p.43. 3 6 ) の. σガサリp . 4 1 .

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156 第 300号発刊記念 (第301号) 第 2は ,生 産行為 (act Of prOduction)によってであ る。 これは第 1の 方 法に よって私物化 した財産に,そ の人の労働 を加 えることによって,新 しい私 的財産 を生産す ることを意味す る。 第 3は ,自 発 的 ・契約 的交換 (voluntary,contractual exchange)によっ てである。 これは前述の第 1ま たは第 2の 方法によって得 た私的財産 を,他 人 が同様 に して得 た財産 と自発的に交換す ることによって新 しい財産 を取得す る こ とを意味す る。 次 にロスバー ドや ホッペのい う強制 とは,他 人の身体,あ るいは叙上の方法 で取得 した財産 (所有権)に 対す る物理的暴力の行使, またはその脅迫による 干渉 ・略奪の開始 と定義 され る。 もちろん,そ の物理的暴力 を加 えられた被害 者が, 自己の財産 を防禦 し,そ の権利の回復 をはか る行為 は強制に該 当 しない。 強制 とはこの場合,あ くまで攻撃的暴力 を指す。 このようなロスバー ドや ホッペの 自由 と強制の概念 とハ イエ クのそれ とを比 較すれば,両 者の相違は歴然たるものがある。前者では 自由 と強制が個人の身 体や財産 に対 して加 えられ る物理的暴力ない しその脅追 として客観的に定義 さ れているのに対 し,後 者では 自由は財産 (所有権)と は直接関連づけて定義 さ れてお らず,強 制 も行為者のいわば主観的な感情ない し意思の在 り方 として理 解 されているように思 う。 もっ とも,ハ イエ クに も,強 制 を物理的暴力 と同一視 しているかのごとく読 み とれ る箇所がないわけではない。 た とえば彼は次の ようにい う。 「暴行 ある いは暴力の脅迫は,強 制の最 も重要 な形態である。」「真の強制が生 じるのは, 征服者の武装集団が,か れ らのために人民 を苦役 につかせ る場合,ま た暗い秘 密 を知 っているものが,か れの犠牲者 を恐喝す る場合,そ して もちろん,国 家 がわれわれ をその命令 に したがわせ るために,刑 罰 を科 し,物 理的な力の行使 3 8 ) C f . , H a n s _ H e r m a r l n H o p p e , “F . A . H a y e k o n G o v e r n m e n t a n d S o c i a l E v o l u t i o n : A Critique",助 夕貿夕υ彦切 `アスクSサ句αtt Eσθ″θ物ガcs,vol.7,no.1(1994),lM.N.Rothbard,の . び私,(35)p.219.

39)Cf.,Hans‐ Hermann Hoppe,わ ″ . 40)ハ イエ ク全 集 6,6ペ ー ジ。

(13)

新 オース トリア学派の公共財理論について 1 5 7 4 1 ) に よって脅迫す る場合 である。」 しか し注意すべ きは,他 方でハ イエ クは,前 述のように,課 税や兵役 も, も しそれ らが確実に予想 しうる規則の適用であるか ぎり,強 制 とい う悪の性格が 取 り除か/ L るともい う。 しか も彼 は,物 理的暴力の行使や脅迫は,強 制のなされ る唯一の形態ではない, として,次 の ような事例 を示 している。 オアシスの水源の独 占的所有者が,そ の水源に依存 して居住 している人に対 してなす要求 と力t,鉱 出の町で, きび しい失業期 間に,経 営者がなす労働者に 対す る解雇の脅迫は,は じめに契約 したこ と以外の行動 を労働者に強いるため 利用 され るか もしれない。 これ らは,身 体や財産 に対 して物理的暴力 を加 えた わけではな く,い わばたんなる自発的 ・平和的交換の拒絶に該 当 した り,あ る いは援助の省略にす ぎないのであるが,ハ イエ クは,「特定の人のサー ビスが, わた しの生存あるいは,わ た しの もっとも評価 しているものの維持に とって不 可欠」であれば,そ れ らのサー ビスの供給に対 して,供 給者が請求す る条件 は, 強制 を構成す る, とい う。 もっとも彼は,こ の ようなケースが現実にはご く稀 であることに留意 をしていはいるが。 V 要約 しよう。 ロスバー ドや ホッペの強制概念に比すれば,ハ イエ クのそれが, かな りの暖味 さを残 していることは否定で きない。 とくに彼のごとく,交 換の 拒絶 も物理的暴力の行使 も,そ れ らをともに強制 とい う同一範鳴に含めること は,論 理的首尾一貫性に欠け るきらいがある。 第 1に ,ハ イエ クの強制概念は,他 人の 目的ない し意思に,心 ならず も奉仕 さ せ られた り,そ の人に とって最 も価値 あるものの提供 (交換)を 拒絶 された り 41)同 上,10ペ ー ジ参照。 42)同 上, 8ペ ー ジ参照。 43)同 上, 9ペ ー ジ参照。 44)同 上, 8ペ ー ジ。

(14)

1 5 8 第 3 0 0 号発刊記念 ( 第3 0 1 号) す るこ とで もあるのだか ら,わ れわれが強制行動 をとらないためには,他 人に とって最 も重要 な ものが何 であるか,他 人の意思や計画が何 であるか を,予 め 完全 に知 ってい る必要がある。 しか し,個 人の 目的ない し選好は,予 め他人が これ を知 ることがで きない。 このことは,こ の学派の議論の前提 で もある。 も し個 人が交換 を拒否 した り,援 助 を行 わないことが他人に対す る強制に該当す るか どうか を,予 め行為す る当人が知 ることができないならば,強 制 をさけ, 自由 を擁護す るとい う行為 の基準 として,ハ イエ クの概念は殆 ど役 に立たない のではあるまいか。 第 2に ,物 理的暴力の行使 を強制 として理解す る場合 に も,ハ イエ クのケー スでは,そ れが攻撃的暴力の開始であるのか, 自己の権利防衛の性格 をもつの かが区別 されていない。 このために,強 制の概念が不明確 とならざるをえない。 た とえば,上 記第 1の ケースで交換 を拒絶 された個人が,交 換 を要求 して行使 す る実力は, どの ように評価 され るだろうか。 ロスバー ドの場合,交 換の拒絶 は何 ら強制に該 当 しないか ら,こ の場合 の実力は攻撃的な暴力,す なわち強制 がなされたことを意味す る。 しか しハ イエ クの場合 は どうであろうか,論 理的 に曖味 さが残 るといわざるをえない。 次 に,ロ スバー ドや ホッペは,財 を公 共財 と私的財 とに区分す る理論的根拠 を否定 し,さ らに,多 くの財が公共財的 性格 をもつ として も,こ れ を政府が提供す ることは,明 白な強制である, と論 じるのに対 し,ハ イエ クは既述の ように,広 範囲な分野 ・領域で公共財が存在 す るこ と,そ れ らを政府が供給す るのは当然であって,強 制に当たらない と考 えている。 もっ とも,ハ イエ クも,公 共財の提供 に当っては, 自由市場の 自生 的 な発展 を阻害 しないこ とや,特 定集団を保護す る結果 とならないよう,随 処 で注意す ることを忘れてはいない。 しか し,ハ イエ クが公共財提供 を国家の役割 として積極的に評価 し,こ れ を 強制 として否定的に理解す るロスバー ドや ホ ッペ と決定的な対立的見解 を示 し ているこ とは,余 りに も明白である。 ホ ッペはハ イエ クの国家の役割に関す 45)拙 稿 「経済的効率性の概念」『彦根論議』第253.254合 併号参照。

(15)

新オーストリア学派の公共財理論について 159 る見解や公共財観が,現 代社会民主主義者のそれ と体系的に区別 され るような ものではあ りえない, と鋭 く断定す る。 この断定 は,い ささか性急にす ぎる観 があるとはいえ,ロ スバー ド的視点か らは,た しかに一面の具理 をついている よ うに居tう。 もっ とも,ロ スバー ドや ホッペの公共財否定論が国家 を攻撃的暴力機構 とし て把握す る無政府主義の論理 に立脚す る以上,彼 等の無政府主義 その ものにつ いての積極的展開 を検討す る必要があることは論 をまたない。 しか しその考察 は別の機会 にゆず りたい。

46)Cf.,Hans_HeIIlarln Hoppe,qク .び私 (4印う夕Rタクル切 Q〆A容 カウあ%Eび θ%θ″ヮ党S,V01.7,No. 1(1994).

(16)

第300号発刊記念 (第301号 )

On Public Goods Theory ofthe

Neo‐Austrian School

Kazunori Echigo

l have set rnyself two goals.First,I want to explain the fallacies of so‐called public goods theory and Hayek's view regarding the role of state, My investigation supports the conclusion i a clear― cut di‐ chotomy between private and public宮 00dS does not existe Second,I will try to answer the question: what fundamentally distinguishes Hayek from Rothbard― Hoppe,is his political and social philosophy. In contrast to】VIisesian―Rothbardian theory of freedonl,Hayek's defi‐ nition of freedom and coercion does not contain anything regarding action,scarce goods and property.

Hans‐ Hermann Hoppe insists on such as the following; ``Hayek's view regarding the role of rnarket and state cannot systematically be distinguished frorn that of a modern social democrat."

参照

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