滋賀大学経済学部研究ili¥R Vo 1.7 2000 一229一
公的金融の理論分析*
一展望の試み一
井 手 一 郎
1序論
金融市場において,公的なものの機能は,ど のように位置付けられるのか。本稿の目的は, この設問を理論的に考察するための分析枠組 みの幾つかを論じることである。 公的金融の現状についての社会的関心の高さ とは対照的に,経済学の領域では公的金融の理 論という名称で総括されるような学知の体系化 は未だ達成されていない。公的金融の定義自体, 公的という言葉の定義に応じて,広範な内容を 持つ。本稿では,議論の焦点を絞るため,考察 の条件を以下のように設定したい。第1に,中 央政府から,多かれ少なかれ,機関的に独立し た公的主体の金融活動を念頭に置く。第2に,公 的ということの意味を機関の所有形態とは独立 に定義する。これらの限定は,金融の機能が一 部の専門金融機関を離れ経済の様々な主体に拡 散しつつある,という状況認識に基づいている。 本稿では,旧来の財政学や金融論に対して, 公的金融の理論の分析的特徴を以下の点に求 める。第!に,分析対象について,狭義の財政 学が政府の収支を主要な分析対象にするのに 対して,公的金融の理論は,政府を含み,その 外に広がる公的なもの全体を分析対象に据え る。特に,狭義の公的金融機関と民間機関との *本論文の初稿は筒井義郎氏からの依頼を契機に 作成され,1999年12月10日,氏へ送付された。KERC 金融コンファレンス(2000年3月)での筆者の報告に 際して,諸氏から有益なコメントを戴いた。本研究 は滋賀大学,陵水学術後援基金,文部省科学研究費 補助金(一般(c)No.08630088)の援助を受けた。 戦略的関係から生成する金融秩序に注目する。 第2に,方法的な視点から,公的金融の理論を, 金融領域における公共経済学の試みとして位 置付ける。これは,かつて,公共経済学がミク ロ経済理論に基づいた分析手法の革新におい て,伝統的な財政学に対置されたことを踏まえ てのものである1)。 さて,以下では,公的金融の理論的考察を, 次のような主題に分割して整理したい。第1は, 金融市場における競争を十分に機能させること である。この主題の背後には,金融取引の自由 化は必ずしも有効競争をもたらさないという認 識がある。第2は,金融市場の機能を社会の中 で適正な範囲に限定することである。これは, 換言すれば,生成を促すという点で市場と拮抗 する非市場的な生成のモデルを検討することで ある。本稿では,後者に対しては,科学におけ る生成の装置を考察することから接近する2)。 1)伝統的な財政学や金融論に含まれる政策関連の 議論を,公的金融の理論という別の表題の下に再 分類することからは,新たな展望は開けそうもな い。また,公的金融を,実在する政府系金融機関 等によって定義することは,議論を経験に近づけ るという明らかな利点を持つが,反面,公的金融 の潜在的な可能性を狭く限定する怖れがあろう。 公的金融の制度変革が具体的に議論されている時 期に,既成の制度を分析の自明の前提に出来ない ことは明らかである。 2)「市場を社会に埋め戻す」という主張について は,Karl Polanyi(1944)が,しばしば参照される古 典的文献である。しかし,非市場的生成という視 点に依って行動論的分析への展開を考える本稿の 立場からは,以下で論じるように,Karlよりもその 弟,Michael Polanylの「探究者の社会」の理念が, 一層,重要であると思われる。一130一 滋賀大学経済学部研究年報VoL 7 2000 また,前者については,さらに,自由な市場か ら生まれてくる市場支配力の制御と,競争市場 の不安定性の制御とに分けて考察する3)。 以上のように,本稿は三つの観点から公的金 融の理論を概観するが,以下では,Friedrich August von Hayek, John Maynard Keynes,及び, Michael Polanyiの三人の議論を手がかりに,時 節の内容を簡単に紹介しよう。 第1に,計画経済への全面的移行が経済運営 の実際的な選択肢の一つでありえた時期に, Hayekは競争の意味を論じ,競争市場が中央計 画当局には実行不可能なタイプの情報の発見・ 伝達の機能を担いうることを強調して,市場経 済を擁護した4)。一般に,競争市場が存続する には厳しい条件が必要であって,その条件が満 たされない場合,市場の内部から競争を阻害す る構造が生まれてくる。また,政策当局による 外部からの競争促進・独占規制政策は,それが 価格機構の制約になる限りで,Hayekが洞察し た市場の機能を阻害する可能性がある。では, 市場での競争を生かしつつ,同時に,市場参加 者の誘因に働きかける政策的方法はないのか。 このような観点から,次節では,競争に参加す る公的機関の役割を検討する。この場合,公的 機関は民間主体のゲームの外に立つ超越的な 規制者としてではなく,民間と同様のゲームを プレイできる潜在的競争者として現れ,いわ ば,競争の脅威を強めることによって,公的な 目的を追求する。 第2に,良く整備された自由な金融資産市場 が,投資を評価する社会的機能を失い投機に翻 弄され不均衡に陥った経験を基に,Keynesは自 3)本稿は,概念化の意図と理論分析の枠組みの説 明に力点を置いた,方法的な側面の展望を目的と する。本稿は,関連する話題の紹介において,網 羅的であることを目指さない。言うまでもないこ とだが,本稿では言及しない諸研究においても,公 的金融の理論に属する優れた研究成果が生み出さ れている。 4)Hayek(lg4g). Caldwell (1997)も参照。 由と両立し,かつ,安定的に機能する経済制度 の可能性を考察した5)。Keynesは,社会的に必 要な投資を実行する機関として国家に期待し た。Keynesは自由な金融市場の失敗を補完する 公的主体の役割を洞察していたが,その枠組み を明確に分析することはなかった。第3節では, 預金市場のモデルに言及しつつ,市場の安定し た機能を支える公的機関の役割を検討する。こ こでは,預金市場におけるゲームの構造が,公 的機関の存在によって,経済厚生的に望ましい ものに変更される可能性を論じる。 第3に,科学の計画化が現実的な話題になっ ていた時期に,M. Polanyiは,探究が計画当局 には制御できない個人的性格を持ち,探究者の 社会が,計画当局の権威ではなく,探究者の相 互的権威に媒介されて成立するものであるこ とを論じた6)。M. Polanyiの議論は,価格機構に 依らない非市場的・非集権的な生成の一つの理 念型を与えている。第4節では,市場評価には 適さない公共的な投資の評佃磯構のモデルと して,意味を可能にする公的機関の役割を考察 する。本節では,公と私を意味の次元で扱い, 地域的に分立した公的機関から,公的意味を可 能にする知識基盤が分権的に生成される条件 を考察する。さて,公的生成の理念を実現する ためには,具体的な生成装置が活用される必要 があるが,生成装置が経済主体間に導入する ゲームは,しばしば当初の理念を裏切る結果を もたらす。本稿では,このことを学術秩序の生 成装置としての査読誌を例に説明する7)。 1工潜在的競争者としての公的機関 市場で活動する企業は,その活動の成果のう ち,自身に帰属する部分を,利潤として確保す 5) Keynes(1936), 6) M.Polanyi(1951,1966). 7)本節の議論は,別稿にて展開されるモデル分析 の非技術的な導入を兼ねている。
公的金融の理論分析一展望の試み一 (井手 一郎) 一i3i一 る。ある企業が利潤の追求を目的とする場合, 所有形態に関わりなく,その企業を特に公的機 関と呼ぶ必要はない。本節では,利潤以外の目 的を追求する機関を公的機関と定義する。すな わち,公的機関は,その目的関数において,自 分の活動の成果が他主体に帰属する部分を積 極的に考慮する。ここから,公的機関を評価す る際の一つの基本的な視点が見出される。それ は,公的機関を評価する際には,公的機関自身 に帰属する純便益を計算するだけでなく,それ に加えて,公的機関の活動が他の主体に及ぼす 効果の純便益までも考慮する必要がある,とい うことである。一般に,後者の細目には,正負 いずれの項も含まれよう。公的機関は,外部効 果を通して,一つのシステムの中で機能する。 公的機関を単体で取り出し注目するだけでは, システム全体の機能が視野に入らない。全体を 把握するためには,全体を対象とする理論的な 分析枠組みが必要である。 公民共存のシステムを,理論的に表現するた めには,少なくとも公と民の二主体間の相互作 用を記述する必要がある。そのため,分析道具 としてゲーム理論が用いられる。以下,潜在的 競争者としての公的機関の役割を例解するため に,公民共存のシステムの最も簡単な場合とし て,混合複占(mixed duopoly)のモデルを考察し よう8)。混合複占の状況は,参加を通じる規制 (reguiation by participation9))の祖型をなしている。 想定するゲームは以下の通り。同質財を生産 する二つの企業,及び,消費者が存在する。消 費者の行動は線形の逆需要関数ρ(q)=a−bqで 要約される。ここで,pは価格, qは市場需要量 である。二つの企業のうち,一つは私企業で, Cm(q.)= Cmqmの費用関数で表される技術を持 ち,利潤πの最大化を目的として供給量を決め る。他の一つは公企業であり,費用関数はCk(qk) =Ck・7kで,社会的余剰にて測られる社会的厚生W の最大化を目的として,供給量を決める。各係 数について,a>Ck, Cm>0, h>0を仮定する。限 界費用一定,固定費ゼロの費用関数を前提する ことで,生産効率の優劣を限界費用の大きさで 簡単に順序付けることができる10)。 公企業が私企業に対する潜在的競争者にな る状況を表現するために,均衡概念として,私 企i業を先導者,公企業を追随者とするシュッ タッケルベルク均衡を採用する11)。すなわち, 公企業によって提示される政策関数を考慮し て,まず,私企業が,次に,公企業が,それぞ れの供給量を選択する。その際,公企業は政策 関数として,私企業の供給量を所与として社会 的厚生を最大化する供給量を選択すると宣言 する場合を考えよう。 以下では,Ck 〉 Cm,すなわち,公企業が私企 業より生産効率の面で劣るとする12)。この場 合,効率的な生産配置(q*k, qXm)は,私企業が限 界費用価格の点まで生産を拡大することであ る。すなわち,(g”: k, q”i m)=(0,(1/b)(a−Cm)). このゲームの均衡(qSk, qSm)は以下の通り: (i)Ck>(1/2)(α+Cm)の場合, (qSk, qS.) = (O, (1/2b)(a 一 c.))・ (ii)Ck<(1/2)(a+Cm)の場合, (qSk, qS.) = (O, (1/b)(a 一 ck)). 8)初期の研究は,Meni11 and Schneider(1966), H血s and Wiens (1980), BOs (1981), Beato and Mas−Colell (1984)など。海外での研究史については,Vickers and Yarrow(1988),De Fraja and Delbono(1990)などQ 日本での研究は,貝塚(1981a,1981b),井手・林 (1992),井手(1994),吉野・藤田(1996),Matsumura (lgg8),井上・鵜瀞(1999)など。日本での研究史に ついては,寺西・三重野(1995),山中(1995)など。 g)Sertel(lg88)を参照。 10)固定費をゼロと仮定することは,潜在的な競争 者としての公的機関の評価にとって有利な仮定で ある。 11)Beato・and・Mas−Cole皿(1984),井手・林(1992)など。な お,参入阻止価格やcontestabdityについては,既に多 くの教科書的解説がある。 12)公企業が私企業よりも生産効率で優るならば, 公企業が限界費用価格の点まで生産を拡大するこ とで簡単に効率的な配分を実現できる。
一!32一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.7 2000 (a十cm)x? P Ck o p=a−bg ピα一。“、♪/2わ‘α一Ck)th αの q 図1 シュタッケルベルク均衡における価格と供給量 Cm<Ck<(112)(a+Cm)の場合 (i)の場合,公企業の生産効率は低すぎるため, 私企業にとっての実効的な競争相手にはなら ず,私企業は独占価格を設定できる。これに対 して,(ii)の場合には,私企業は公企業の参入を 阻止するぎりぎりの価格を設定する。(図1を参 照。ここでは,a=4, Cm=0, Ck=b=1の場合が 描かれている。)いずれの場合でも,公企業の 均衡供給量はゼロになる。(ii)の場合,公企業は 私企業に比較して非効率であるにもかかわら ず,私企業の生産量は増加し,社会的厚生は改 善される。しかし,公企業が追随者として社会 的余剰最大化という政策関数を提示する限り, Ck→Cmの極限的な場合を除くと,一般に,効率 的な配分は実現できない。 ところで,政策関数を変更することで,効率 的な配分を実現できるだろうか。一例として, 次の政策関数を検討しよう13): ①q.≧g㌔一εの場合,qk=0.ここで,εは十分 に小さい正数である。 ②その他の場合,qk=g㌔一q.. ここで,私企業の供給量は公企業によって観 察できると仮定されている。さて,この政策関 数が私企業に信頼されるならば,私企業は%= 13)公企業の経営者に提示される誘因契約の設計に ついては,契約を依拠させる経済変数の立証可能 性が前提される必要がある。 g*m一εを選択するのは明らかである。公企業は 正数εの値を十分に小さくすることで,ほぼ効 率的な供給点を実現できる。 しかし,限界費用価格を実行する先の政策関 数と比較して,この政策関数の信頼性は必ずし も明らかではない。この政策関数によると,私 企業が効率的な生産点の近傍の生産量を選択 しない場合,公企業は生産を拡大することで, 価格を引き下げ,私企業をいわば罰することに なるが,公企業の限界費用が高い場合,公企業 の生産量を,市場価格が公企業の限界費用を下 回る水準まで拡大することは,社会的厚生の観 点からは損失にしかならない。すなわち,この 生産拡大は,私企業にとっても社会にとって も,利益にはならない。つまり,私企業が選択 する生産量によっては,事前に宣言した政策関 数を事後的に放棄・変更することが,私企業に とっても社会にとっても好ましい。政策当局が 一旦提示した誘因契約を,私企業の生産量選択 の後で変更することが,あらかじめ予想できる 限り,私企業は誘因契約の変更を当然の前提と して,始めの生産量の選択を行う。その水準は, 公企業が限界費用価格を政策関数として宣言 する先の場合と同じになろう。この意味で,限 界費用価格を約束する政策関数には,他の政策 関数とは異なる信頼性があるが,他の政策関数 の確約のためには,何らかの制度的工夫が必要 である。この点については,機関化の意義を考 える際に再び言及する。 均衡において生産を行わない公企業の存在 が,潜在的な参入の可能性を通じて私企業の行 動に影響し,経済厚生を改善するという以上の 議論は,存在することの外部効果を通じて機能 する公的機関の活動の典型を示している14)。こ 14)一般的な費用関数を考え,私企業の限界費用が 公企業の限界費用を上回る局面が存在するなら, そこでは,公企業が実際に生産を行うことが均衡 戦略になる。このことは費用面で優越する公企業 が,生産を担うことが好ましいという自明の結論 である。
公的金融の理論分析一展望の試み (井手 一郎) 一」33一 の状況が成立する条件と厚生的含意とを,現実 的な経済環境を念頭において,さらに詳しく考 えてみよう。 第1に,公企業の費用条件は民間企業の潜在 的競争者になりうる程度まで十分に低くなく てはならない。公企業には,均衡において生産 を行わないにもかかわらず,限界費用を十分に 低く保つように努力を続けることが求められ る。いま,この努力が固定費を要するなら,均 衡において生産を行わない公企業は,赤字を計 上することになる。ここで,赤字の削減を意図 して,公企業を廃止するなら,私企業は独占価 格を付け,私企業の利潤・株価は上昇し,当企 業の株価上昇から利益を得る人々の厚生は改 善する。しかし,社会的余剰の総和で測られる 社会的厚生は低下する可能性がある。 第2に,私企業は公企業が潜在的競争者とし ての能力を持つことを認識できなくてはなら ない。公企業の限界費用に関する情報に非対称 性があるなら,私企業は公企業の生産能力を試 すために,上の均衡生産量よりも小さい生産量 を選択する可能性があろう。公企業が生産能力 を顕示する明らかな方法は実際に生産を行っ て見せることである。 そこで,次に,公企業と私企業の競争を,クー ルノー均衡の概念を用いて分析してみよう15)。 公企業と私企業は相手の生産量は変化しないと 考えて,それぞれの目的関数を最大化する生産 量を選択する。図2は,そのようにして得られ た最適生産量を,相手の生産量に対する反応関 数g汗R,(9」),i,ノ=k, m;i≠ノとして図示したもの である。(図2は,図1と同じ係数値について描 かれている。)効率的な生産配置は点A,すな わち,(q*k, q*.)=(0,(1/b)(a−Cm))である。曲線 群Wは,等厚生線を表している。二つの反応曲 線が交差している点Cが,公民クールノー均衡 q. A qk = Rk(q.) ∫ 、 、 、 し M ’
W
N DK x Nt
N x Nt
C q. = R. (qk) 15)公企業の限界生産費は私企業の独占価格より小 さいと仮定する。すなわち,上の(h)の条件が成立 すると仮定する。 o qk 図2 クールノー均衡と反応曲線,及び,等厚生線 点であり,(qCk, qC.)=((1/b)(a−2Ck+Cm),(1/b)(Ck −Cm))となる。点Sは公民シュタッケルベルク 均衡点(qSk, qSm)=(0,(1/h)(a−Ck))である。また, 破線は公企業が利潤最大化を目的関数とする場 合の反応関数を表している。この線と私企業の 反応曲線との交点Dは,両企業が私企業として 活動する場合の均衡(三民均衡)を表している。 点Mは私企業が独占企業である場合の均衡点 (qMk, qAt{m)=(0,(1/b)(a−Cm))である。この図から, 以下のことが読み取れる。 第1に,社会的余剰の最大化を目的関数とす る公企業が,クールノー均衡における競争者と して市場に存在することは,利潤を追求する企 業のみが市場に存在する場合に比べて,必ずし も経済厚生を改善しない16)。図2の場合,公民 クールノー均衡点Cは,公企業が利潤を最大化 16)De Fraja and De}bono(1989),井手・林(1992)など。 言うまでもなく,公企業の存在がクールノー均衡に おいて経済厚生を改善できる場合もある。例えば, 公企業の限界費用が私企業のそれに極めて近い場 合,公民クールノー均衡は,シュタッケルベルク均 衡の場合と同様,効率的な生産点に近づく。しか し,シュタッケルベルク均衡の場合とは反対に,公 企業の限界費用が私企業のそれに近づくにつれて, 私企業の生産量はゼロに近づく。私企業の利潤もゼ ロに近づくので,私企業が生産に固定費を要する場 合,私企業は退出を余儀なくされよう。一134一 滋賀大学経済学部研究年報Vo 1.7 2000 する事実上の私企業として活動する民民クー ルノー均衡点Dより,低い経済厚生しか達成で きない。つまり,一企業が社会的厚生を追求す ることは,必ずしも意図した通りの結果をもた らさない。 第2に,独占企業が存在する市場に,新たな 私企業や公企業を参入させることは,必ずしも 経済厚生を改善しない。図2の場合,民民クー ルノー均衡Dよりも,私企業の独占均衡Mのほ うが高い経済厚生を実現している。すなわち, 独占市場に私企業を参入させて競争状態を作 り出す競争促進政策は,必ずしも経済厚生を改 善しない17)。 第3に,生産効率が劣る公企業を参入させる という方法だけによっては,一般に,クール ノー均衡において効率的な配分を実現するこ とはできない。すなわち,図2において,点A と点Cは一致しない。効率的な配分には限界費 用価格の成立が必要だが,私企業の反応曲線は 限界費用価格から乖離しており,公企業の参入 は私企業の反応曲線をシフトさせない。従っ て,反応曲線が交差する均衡点において,少な くとも私企業の限界費用価格は成立しない18>。 第4に,公民クールノー均衡Cから,私企業 の反応曲線に沿って公企業の生産量を削滅す る方向に若干移動することは,始めの点Cに比 較して,経済厚生を必ず改善する。このことは, 点Cの周辺において,私企業の反応曲線が右下 がりであることと,社会的余剰の最大化を目的 関数とする公企業の反応曲線上で等厚下線の 傾きがゼロになることを考えると,明らかであ 17)Lahiri and Ono(1988)。言うまでもなく,競争促進 政策によって厚生が改善される場合もある。本文 の主張は,常に改善されるのではない,というこ とである。 18)もっとも,適当な補助金政策等を併用すること で,私企業の反応関数をシフトさせることができ る。しかし,他の代替的な政策手段と参加による 規制との関係については,両者の併用を考える前 に,それぞれの政策手段の比較優位の条件を,理 論的に明らかにするべきであろう。 る。公企業の反応曲線を左にシフトさせるため には,公企業の目的関数に生産量を抑制するよ うな係数をくみこめばよい19)。すなわち,公企 業の行動目的を社会的余剰の最大化から乖離 させることが必要になる20)。 以上のように,社会的厚生の改善を誠実に追 求する公企業の存在が,行動ルールの選択に よっては,かえって逆の効果をもたらす場合が あることは,注意に値しよう21)。また,公企業 の生産量が大きいことは,必ずしも公企業が社 会的厚生の改善に貢献していることを意味し ない。逆に,公企業の生産量がゼロであったと しても,そのことが直ちに公企業の存在に貢献 がないことを意味するのではない。 さて,次の二つの設問を考えよう。 第1は,何故,公的機関を機関化する必要が あるのか,ということである。政策当局は,公 的活動が必要なときに,その都度,私企業と契 約を結び,必要な財を調達することができよ う。何故,公的な専門機関を設ける必要がある のか。この問いには公的機関を取り巻く環境条 件に応じて,様々な視点から答えることができ るが,上の議論からは,確約の一手段として機 関化を位置付けることができる。確約の必要性 は少なくとも二つの点で認められる。 まず,公的機関が,私企業に対する潜在的な 19)その一つの方法は,公企業の目的関数を利潤と 社会的余剰との加重平均にすることである。もっ とも,この方法では,民民均衡よりも左の生産量 を実現する場合の論拠を欠く。 20) Beato and Mas−Colell (1984), De FraJa and Delbono (1990),Fershtman(1990),井手・林(1992), Mats㎜ura (1998)。一般の寡占企業における目的関数の戦略的 確約については,Vickers(1985), Fershtman(1987), Sklivas (1987), Fershtman and Judd (1987), Fershtman, Judd, and Kalal(1991), Fershtman and Kalai(1997)など。 21)不適切な誘因条件の下で,公企業が企業成員の 私益の追求にかまけ,本来の社会的厚生の追求を 忘れているという批判は,本文の主張とは別の議 論である。本文で述べているのは,公企業が誠実 に社会的厚生を追求したとしても,それがかえっ て社会的厚生を引き下げる場合がある,というこ とである。
公的金融の理論分析一展望の試み一 (井手 一郎) 一135一 競争者として機能するためには,ある程度の生 産効率を維持しなければならない。ところが, 公的機関が外部性を通じて機能する場合,公的 機関は均衡において実際に生産を行う必要が ない状況がしばしば起こる。このことが公的機 関の能力劣化の印象を招かないためには,機関 化によって,他の私企業にはない専門的能力へ の不退転の特化とその日常的練磨とを,あらか じめ顕示しておくことが必要であろう。 また,公的機関が政策当局の厚生評価関数と は異なる政策関数を行動目的として掲げる場 合,上で論じたように,政策当局が事後的に政 策の変更を提案する可能性がある。民間主体が あらかじめ将来の政策変更を読み込んで行動 するならば,当初意図した政策効果は実現でき ない。公的機関の機関化は,政策当局からの公 的機関の独立性を高め,政策関数への信頼性を 高めることになろう。もっとも,この公的機関 の独立性には,次のようなジレンマがある。公 的機関が独立的になることは,一方で,政策当 局の機会主義(一旦提示した政策関数をすぐに 変更しようとすること)を抑制する効果を持つ が,他方で,公的機関への制御を迂遠なものに し,このことには判型的費用が伴う。例えば, 公的機関が単に怠けている場合にも,その迅速 な規律化は困難になる。 第2は,上で述べてきた参加による規制,す なわち,公企業を参入させて私企業を制御する 政策と,他の代替的な政策との関係はどのよう に説明されるのか,ということである。端的に 言って,私企業が効率的であるなら,私企業を 公企業化して限界費用価格規制を行えば良い のではないか。公企業を設立して私企業と競争 させることの明らかな利点は,上の分析枠組み からは見えてこない。参加による規制は,その 単純さと直接性によって,他の精緻な政策設計 の議論とは異なる。参加による規制を正当化す るためには,政策当局の情報能力の限界等を前 提する必要があることは早くから認識されて いるが,他の代替的な政策との厳密な理論的対 質は今後の課題であろう22)。 以上のように,公民共存の複占市場の分析 は,システムの中で機能する公的機関の一つの 典型例を示している。しかし,この議論を公的 金融の理論として見る場合,次のような明らか な限界が指摘できる。 第1に,通常の混合複占の議論では,信認の 維持や危機の問題を論じる余地がない。金融取 引は関係性の商品化を基礎にしており,その結 果,通信的不確実性,実効性,犯罪誘発性等の 性質が避け難い。例えば,金融において重要で あるようなタイプの不安定性は,通常財の市場 では軽微な関連性しか持たないため,教科書的 な産業組織論において,十分に対象化されてい るとは言い難い。 第2に,通常財の場合は,財の物理的特性に 従って,自然に市場が分化すると考えられる が,金融の場合,商品は契約であるため,かな り自由に作成・合成可能であり,その結果,商 品の分類が不明確になる。この場合,個々の商 品に注目してその需給や一般均衡を考えるよ りも,金融商品全体を通して達成可能な配分の フロンティアを機能的に捉えるほうが有望で あり,実際,金融契約理論は誕生期から,その ような接近方法を採用している。 次章では,より金融の特性に密着した理論的 視点から,公的金融の機能を考えよう。
皿分権市場を支える公的機関
完備なArrow−Debreu市場を想定する限り,資 源配分は効率的であり,金融仲介機関や複雑な 金融契約に,資源配分上の積極的な存在理由は ない。一方で,例えば,銀行に存在理由がない 経済環境を想定しながら,他方で,その環境の 中での銀行政策のあり方を論じることは不毛 22)Harris and Wiens (1980), Beato and Mas−Colell (1984)など。一136一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.7 2000 である。銀行に存在理由がないなら,銀行を廃 止することで,対策を考えるまでもなく,問題 そのものを消去できる。現実の経済には,Arrow− Debreu市場の前提とは異なる様々な不完全性が 見出され,その様々な不完全性に応じて,多様 な経済制度の分化が生じると考えられる23)。し たがって,特定の金融制度の議論のためには, まず,その制度が存在理由を持つ不完全な経済 環境を特定する作業が欠かせない24)。 以下,本節では,要求払預金(あるいは,要求 払債務)の理論分析を例に,金融制度のミクロ理 論の基本的な考え方を論じ,金融市場の安定した 機能を支える公的機関の役割に言及する。 まず,要求払預金の契約的性質について確認 しよう。要求払預金のモデルは,少なくとも,三 期の時間構造を必要とする。第1期には預金とし て集められた資金が技術へ投入される。第2期に は早期の払い戻し請求とそれへの支払い,及び, 対応する投入資金の技術からの中途回収がなさ れる可能性がある。第3期には投資からの長期収 益が実現し,預金の長期収益が払い戻される。 第2期に技術から全ての投入資金が中途回収さ れるなら,第3期の収益はない。このような技術 23)金融制度のミクロ理論は,1980年代以降に形成 された。これは,1970年代以後の,非対称情報の 経済分析の展開と不完備情報下の非協力ゲームの 均衡概念の開発によって,情報的に不完全な経済 環境を分析する手法が充実したことの一つの成果 である。1980年以前の金融理論は,資産選択理論 とその関連領域を除くと,マクロ経済学の金融的 側面に過ぎなかった。現実の制度の細部に関心を 持つ研究者は,制度論的・実証的な接近方法を採っ たが,それらの具体的知見を機能の観点から一貫 して説明する理論モデルの構築は乏しかった。銀 行のミクロ理論の一般的な解説書として,Frelxas and Rochet (1997)0 24)金融制度のミクロ理論は,既存制度に関する定 型化された事実を確認するところがら分析を開始 する。しかし,ある制度の存在理由を明らかにす る作業の中で,他の代替的な制度の可能性が検討 され,理論的に可能な厚生のフロンティアが調べ られる。したがって,制度の存在理由を考えるこ とは既存の制度の正当化に資するだけではない か,といった批判は一面的である。 の下,要求払預金契約は,(i)早期払い戻しの利 子率r,及び,(ii)先着順の払い戻しルール,に よって特徴付けられる。つまり,第2期における 早期払い戻し要求は,技術から中途回収可能な 投入資金が存在する限り,rの預金利子率で払い 戻し請求の順に対応される。 以下,この契約の機能を明らかにするために, 若干の記号と用語を導入しよう。第2期におけ る,技術からの中途回収の収益を。>0とする。 第3期における,長期投資の収益をR>1とする。 また,c<Rと仮定する。つまり,長期投資の純 収益は正であり,長期投資に比較して中途回収 の収益は小さい。いま,第1期での1単位の投入 に対して,第2期に,当初の投入で測ってk∈ [0,1]単位の中途回収が行われ,残りの1−kはその まま技術に投入されるとしよう。このとき,中 途回収の収益は第2期においてkc,長期投資の収 益は第3期にて(1−k)Rである。さて,第2期での 早期払い戻し請求への支払いは,先着順で対応 されるため,二通りの収益概念が区別できる。一 つは,当初の預金で測って,早期払い戻しの請 求比率がx∈[0,1)であるときの,次の追加的な払 い戻し請求に対する収益である。これは早期払 い戻し請求の限界収益であり,記号rm(x)で表さ れる。 r.(x) 一 / or if OSxgc/r, if c/r〈xg1. (1) 他の一つは,第2期にて,合計してx∈(0,1] の人が同時に早期払い戻しを請求する場合の 一人当りの収益で,早期払い戻し請求の平均収 益である。これは,記号ra(x)で表される。 勉ω・
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if O 〈H x 〈一 c/ r, if c/r〈xS1. (2) 第2期にx∈[0,1)の預金が払い戻される場合 の,預金の長期収益v(x)は,投資からの総収益を 残存預金額で割った平均収益で定義される。こ の値は,一単位の中途払い戻しの請求に対して, rlc単位の富が技術から回収されることを考える公的金融の理論分析一展望の試み一 (井手 一郎) 一137一 V, ra, rnl v, ra, rm v=R rロ=r川;C o x R v(e) r c 1 図3 要求払預金の収益構造 (線型銀行r=cの場合) o v (x) r鷹ω ss ra(X) と,r>cに対して,以下のように計算される。 R{!一(r/c)x} v(x) = max{ ,o} 1−x 図3は,r=cである場合について,縦軸に早 期払い戻し請求の限界・平均収益と長期投資の 収益を,横軸に早期払い戻し請求の比率を(第 1期の預金総額を1として)描いたものである。 さて,この場合には,早期払い戻し請求の限界 収益と平均収益は同じ値になり,xと独立した定 数。になる。また,長期投資の収益もxと独立の 定数Rになる。これらの性質が充たされる要求 払預金契約が提示される状況を,線型銀行と呼 ぼう。このとき,各預金者の収益が他の預金者 の払い戻し行動からは影響を受けず,達成され る資源配分は,各人が一人で技術を利用する場 合の配分と一致する。多数の預金者が集合する ことの便益はない25)。さて,図4には,r∈(c, R)の場合について,各収益が描かれている。臨 界的な早期払い戻し率x、を,次式を充たすx∈ [0,c/r]で定義する:rm(x)=v(x)。早期払い戻し率 。/rを超える預金が第2期に払い戻されると,技 術に投入されている富はゼロになり,預金の長 25)線型銀行が可能であるのは,中途回収技術が完 全に分割可能であると仮定されているためであ る。中途回収技術に非分割性がある場合,回収決 定は集合的な意思決定になり線型銀行は不可能に なる。 、匪一,ll一 e x, c/r 1 図4 要求払預金の収益構造 (c<r<Rの場合) 期収益もゼロになる。 図4から,要求払預金の導入するゲームの基 本構造が読み取れる。いま,第2期で早期に払 い戻される預金比率がx、に満たない場合,長期 収益は早期払い戻しの収益より大きい。した がって,収益の大きさから見ると,預金者の側 にやむを得ず早期払い戻しを要求する個人的 事情がない限り,預金を継続することが望まし い。この場合,継続預金が存在可能な均衡が成 立する可能性がある26)。しかし,第2期で払い 戻される預金比率がx、を超えるならば,預金継 続の利益は乏しく,早期払い戻しを求めること が全ての個人預金者にとって合理的な選択に なる。これが,銀行取付に対応する均衡である。 以上のように,r>cの要求払預金を通じて,複 数均衡を伴うゲームが導入される。 要求払預金の理論の焦点は,第1に,r>cで ある要求払預金が,銀行取付という非効率的に 見える現象を伴うにもかかわらず,何故用いら れるのか,ということである。言い換えれば, 要求払預金の存在理由を明らかにすることで ある。第2は,銀行取付をどのように評価し, 26)このとき,やむを得ず早期払い戻しを請求する 人とそうでない人とが,それぞれ異なった選択肢 を自発的に選んで分離するなら,自己選抜の条件 が充たされている,という。
一エ38一 滋賀大学経済学部研究年報Vo 1.7 2000 如何に対応すべきか,ということである。つま り,銀行取付の厚生的含意を明らかにし,政策 的対応を考案するという課題である。 中途回収の収益よりも高い預金利子率を伴 う要求払預金の存在理由については,様々な議 論が可能であろう。以下では,二つの考え方を 説明する27)。 第1の考え方では,要求払い預金は非対称情 報下で危険分担の機能を果たす。多数の預金者 が存在し,危険回避的で,第2期において判明す る各人の状態に応じて,現金を手元に確保する 必要が生じる可能性があるとしよう。また,預 金者の状態は観察も立証もできないとする。逆 に,預金者の状態が立証可能であるなら,第2期 において判明する状態に応じた保険契約を,あ らかじめ第1期にて結んでおくことで,効率的な 資源配分が実現される。しかし,状態が立証可 能でないという非対称情報の仮定のため,状態 の実現に直接,依拠した保険契約を結ぶことは できない。この経済の基本問題は,非対称情報 の下で,如何にして最適な危険分担を実現する か,ということである。要求払預金契約は,早 期払い戻し請求が自己選抜の条件を充たす範囲 において,状態の立証に依拠しない危険分担を 実現する。このことを図を用いて示そう。いま, 現金の必要を充たすために早期に払い戻される 預金の比率をθとすると,rを。より大きくとる ことで,図4のように,預金の長期収益v(θ)を Rより低める代わりに,早期払い戻しを余儀なく される場合の収益を。より高いrにできる。この ことは,現金の必要のない預金者から現金の必 要のある預金者へ,状態の実現に応じた資金の 移転が生じることを表している。このような移 転は線型銀行では不可能であった。この機構は 27)第1の考え方は,Diamond and Dybvlg(1983)を参 照。第2は,Calomiris and Kahn(1991), Ide(1995)を 参照。二つの考え方は,排他的ではない。本稿で は,詳細な条件のチェックは行わず,基本の論理 を直観的に説明する。 預金者の申し出のみに依拠し,状態の直接の立 証を必要としない。三期経済の仮定を改めて, 連続的な時間構造のモデルを想定し,現金の必 要が連続時間軸上で生起する一般的な場合を考 えると,必要が生じたときに直ちに払い戻しを 請求できるために,先着順・要求払いの契約が 求められることが明らかになる。第1の考え方に 従う限り,銀行取付は厚生損失以外の何物でも なく,政策当局にとっては,銀行取付を抑止す ることが,最優先の政策的課題となる28)。 第2の考え方では,要求払預金は,非対称情報 下で預金者に銀行監視を行う誘因を与える。技 術に関する仮定を変更し,危険のある投資技術 を導入する。ここで,長期投資の収益kは確率変 数であり,確率p>0でRを,確率1−pで0をとる。 中途回収の収益。の値については先と同じ仮定 を設ける。要求払預金の定式化は先のものと同 じであるが,今の場合,長期収益が確率変数で ある点で,第3期における預金収益も期待値を用 いて再計算される必要がある。なお,第2期の直 後に,第2期での情報を参考にして,追加的な払 い戻しの請求が可能であるとする。さて,経済 には情報生産技術があり,第正期にe>0の努力 を行った個人は,第2期の時点で第3期の収益の 実現値に関する収益予報を入手できるとする 29>。この収益予報は,一瞬遅れて,努力しなかっ た個人にも知られるとする。個人には,この情 報生産技術を利用する能力のあるタイプとその 能力のないタイプとが存在する。各個人のタイ 28)第1期にて,各預金者が自分で技術を利用でき,か つ,銀行取付の発生する懸念が十分に大きい場合,誰 も要求払い預金契約に参加しない。しかし,銀行取付 の生起確率が十分に低いと予想されるならば,個人に とって,銀行取付の可能性がゼロでなくても,要求払 預金に参加することが,個人で技術を利用するより も,好ましくなることがありうる。もっとも,銀行取 付の懸念は,要求払預金の期待効用を低下させる。 29)第2期にて判明する収益予報の内容に応じて,図 4は,複数,描かれる。例えば,収益予報が,第3 期の収益を確実に知らせる場合,ゼロ収益が予報 されるなら,v(x)のスケジュールは図4にて横軸に 一致する。
公的金融の理論分析一展望の試み一 (井手 一郎) 一139一 プ(情報生産技術を利用する能力があるか否か) や努力は観察も立証も不可能である。したがっ て,これらの立証に依拠した誘因契約を設計す ることはできない。この経済の基本問題は,非 対称情報下で,如何にして必要な銀行監視努力 を引き出すか,ということである30)。一定の条 件の下,適切に設計された要求払預金は,この 役割を果たす。まず,線型銀行の場合を考えよ う。線型銀行では,早期払い戻しの収益が払い 戻しを請求する預金者の比率と独立になる。し たがって,監視努力を行わない預金者は,監視 努力を行った預金者が第2期に払い戻しを請求 した後に,放出された収益予報を確認して,払 い戻しを請求することで,監視努力を行った預 金者と同一の収益を確保できる。すなわち,各 預金者は,他者の監視努力にただ乗りすること で,監視努力の不効用を回避できる。このよう に,線型銀行の下では,最適な情報生産は実現 しない。監視努力の誘因を作るためには,図4の ように,先行して払い戻しを請求する人には高 い収益が帰属するような(すなわち,r>cであ るような)要求払預金契約が提示される必要が ある。 一定の条件の下,監視能力のある個人は監視 努力を行いつつ要求払預金に参加し,長期収益 悪化の予報を得る場合に,中途払い戻しを請求 する。また,監視能力を持たない個人も要求払 預金契約に参加し,第2期には預金を続け,第 2期にてまとまった払い戻しが起きた場合にの み,放出された収益予報を確認して,遅れて中 途払い戻しを請求する。この均衡は,最適な資 源配分を支持できる。この場合,銀行取付(投 資の中途回収と銀行の解散)は,継続する価値 のない長期投資を中止することであり,社会的 には何ら問題がない。しかし,この要求払預金 30>全ての利用可能な監視努力を引き出すことが社 会的に好ましいためには,各監視努力がもたらす 情報生産が社会的に正の純便益を持つことを仮定 する必要がある。 契約の導入するゲームには,もう一つの均衡が ある。第1の考え方と同様,大多数の預金者が 早期払い戻しを請求する場合,残りの預金者に とっても早期払い戻しを請求することが好ま しい。すなわち,収益情報の観点からは,預金 継続が好ましい場合にも,パニック的な銀行取 付が生じる可能性がある。 以上のように,r>cの要求払預金の存在理由 が,危険分担の編成にある場合も監視誘因の提 供にある場合も,好ましくない銀行取付の均衡 が存在する。パニック的な早期払い戻しの集中 は阻止される必要がある。しかし,効率的な資 源配分のためには,収益予報の悪化に伴う早期 払い戻しは実行されなくてはならない。 次に,好ましくない銀行取付を抑止する対策 について考えよう。対策の基本発想は,新たな 構造をゲームに追加することで,好ましくない 均衡を伴った複数均衡のゲームを,好ましい均 衡のみの単一均衡のゲームに変更することで ある。技術からの中途回収が完全に可分的であ るなら,早期払い戻しの利子率を適当な払い戻 し率の点で,不連続に減少させることで,ある 払い戻し率以降の払い戻し請求に対して線型 銀行を導入し,好ましくない均衡を消去できる 31)。しかし,一般に,中途回収技術は完全に可 分的であるとは限らない。以下,中途回収技術 が完全に可分的ではない場合にも適用できる 対策を考えよう。 第1の考え方の場合,ある水準以上の中途払 い戻し請求に対して,中央銀行が必要なだけ, 無利子で銀行に貸付を行うことを事前に確約 しておくことで,パニック的な取付を阻止でき る32)。この場合,投資技術は確実に高い長期収 益を生むので,中央銀行の貸付は長期収益から 確実に返済される。この枠組みが信頼される限 り,不必要な中途払い戻しを請求することは個 人にとって利益ではないので,実際に取付は起 31)Wallace(1988,1990), lde(1995)を参照。 32)Smith(lg86)を参照。
一140一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.7 2000 こらない。すなわち,公的な事後的再分配の機 構が存在するということが,ゲームの構造を変 化させ,実際にその公的機構を作動する可能性 を消去する33)。以下,このことを式で示そう。 十分に小さいε>0についてv(x)ニr+εを充たす x∈(0,Xc)をxεと定義する。早期払い戻しの請求 比率がκεを超える場合には,技術からの回収を 停止し,中央銀行から無利子で借り入れを行う としよう。このとき,長期預金の収益をvε(x)と する。この値は,x∈[0,κe)については,先に定 義したソ(x)に等しい。さらに,x∈[κε,1]につい ては,中央銀行への返済を差し引いて,以下の ように計算される。 R{1一(r/c)x,}一r(x−x,)
Ve(x)=t.
分子の第2項は中央銀行への返済分である。 ここで,xεの定義を用いると,全てのx≧xεにつ いて,vε(x)>rを示すことができる。すなわち, 早期払い戻しを行わないことの損失は消える。 したがって,銀行取付の均衡は消去される。 しかし,第2の考え方によると,銀行取付に は長期収益の悪化を見越した,厚生的に好まし いものが存在するため,その取付を阻止するこ とは社会的に損失をもたらす。常に,早期払い 戻しの遅れが中央銀行貸付けによって補填さ れるなら,銀行監視の誘因は失われる。中央銀 行は発生した取付がパニックによるものか,収 益の悪化によるものかを識別して,前者による 取付のみを阻止しなくてはならない。この識別 は収益予報が中央銀行には観察不可能である 33)中央銀行の貸付の代わりに,政府の銀行への課 税によって事後的再分配を編成することもでき る。この機構は政府による預金保険と見なすこと ができる。Diamond and Dybv三g(1983)を参照。とこ ろで,事後的な再分配の機構を運営するのに費用 がかかる場合,実際に取付が起きた時には,再分 配を実行しない方が有利になる。この場合,この 機構の事前的な抑止機能は働かない。前節の議論 と同様,事前に再分配の実行を確約する工夫が必 要である。 場合,実行できない。 第2考え方の場合,不完備な情報環境におい て,好ましい取付は起こし,好ましくない取り 付けのみを選別的に阻止しなければならない。 この課題を解決する方法の一つは,公的預金機 関を導入して,預金仲介を行うことである34)。 公的預金機関は,一方で,監視能力を持たない 個人に対しては,信託機関として資金の受け入 れ機会を開き,他方で,民間銀行に対しては, 預金者(債権者)として,監視能力を持たない 個人から集めた資金を一括して再預金する。公 的預金機関は,この預金仲介を通じて,多数の 小口資金を単一のまとまった量の預金に変換 する。公的預金機関が,監視能力を持たな個人 の資金から1−xεの資金を集めることができるな ら,公的預金機関にとっては,第2期にて預金 を継続することの期待収益はr以上になるので, ひとまず預金を継続することが,公的預金機関 の支配戦略になる。(必要ならば,遅れて公開 される収益予報に応じて,払い戻しを請求でき る。)第2期にて,この機関が預金を継続し,か つ,収益予報が良好である限り,他の主体はパ ニック的な早期払い戻しを行う必要がない。そ の結果,監視能力を持つ預金者にとっても,パ ニックの可能性を無視することが合理的にな る。こうして,協調の失敗の可能性が絶たれる。 監視能力を持つ個人は各人で銀行に預金を持 ち,早期払い戻しを請求する可能性を通じて, 監視努力の誘因を確保する。監視能力を持たな い個人は,公的預金機関を経由して預金するこ とで,他の預金者のパニックを怖れることな く,監視努力を行わない者にふさわしい収益を 確保できる。 公的機関の存在は,望ましい均衡以外の均衡 の可能性を消去する。これによって,複数短期 均衡に随伴する不確実性も消去される。このこ とは,所与の危険分布の下で,民間機関の分担 34)lde(1995)を参照Q公的金融の理論分析一展望の試み一 (井手 一郎) 一141一 できない危険を負うことではない。主体のタイ プが他者には識別できないという条件の下,公 的預金機関は,一部のタイプの主体を受け入 れ,他の主体を受け入れる民間主体と,関係し つつ棲み分けることで,分権的な機構が劣位の 均衡に落ち込むことを回避し,かつ,分権的な 機構が適切な誘因装置として機能することを 保障する。以上のような公的機関の機能は,前 節で述べた(潜在的)競争者としての公的機関 が民間機関と同等の活動主体として市場に参 加するのとは異なり,民間機関とは異なる機能 を担うことで,全体としての経済システムが劣 位の状態に崩落するのを抑止する点に特徴が ある。 さて,以上のような要求払預金の理論は,金 融制度のミクロ理論の基本的な特徴を備えて いる。しかし,以下のように,限界も明らかで ある。第1に,今日,金融の担い手は,金融機 関から社会の他の一般主体へと,拡散しつつあ る。企業間信用など,金融機関以外の主体によ る金融活動の意義はこれまでも認識されてい たが,今日では,それに加えて,決済機能のよ うな,従来は金融機関にもっぱら集中されてい た機能が,他の主体にも広がりつつある。拡散 した金融状況を全体として対象化してその機 能を論じるために,どのような枠組みを考える べきだろうか。この課題に答えるためには,銀 行など従来の金融機関に焦点を限定する接近 方法では不十分であり,上の分析では代表技術 によって要約されていた経済の実質的な側面 に,さらに踏み込んだ理論的接近が必要であろ う。 第2に,科学技術の高度化と専門分化の進展 によって,銀行の審査能力は,機関内部で維持・ 育成可能なものから,より一層,外部の社会的 な技術評価の制度に依拠するものに変化しつ つある。銀行が,借手の技術力そのものを評価 せよ,という社会的要請に必ずしも十分に対応 できない理由の一つは,技術力の評価に必要と される専門能力が,到底,単一の銀行内には保 持できない水準に達しているからであろう。社 会に分散的に存在している技術評価能力を有 効に活用する社会的枠組みは,如何なるもので あろうか。これは,言い換えれば,投機とは峻 別される意味での,投資の社会的編成を可能に する条件を明らかにすることである。 次章では,多数主体の分散した状況から生成 する秩序の意義を考え,知識との関係で,公的 なものの役割を再考する。
IV意味を可能にする公的機関
公的生成という概念を提示し,関連する論点 を明確にすることが,本節の課題である。 分権制の下では,一方で,集権制の場合と比 較して,個別主体によって発見・修得された局 所的・現在的な知識や技能が有効に活用される 契機がある。他方で,多くの個別主体の協調を 欠く行為が,非効率や無秩序をもたらす恐れも ある。知識や技能の活用の面での分権制の利点 を維持しつつ,同時に,協調の失敗を回避する ためには,分権制の下で機能し,同時に,多数 の個人の行為を方向付け,整序し,あるマクロ 的な秩序を生成する具体的な装置が必要であ る。 市場機構は,幾つかの条件が充たされる場 合,一つの生成装置として機能する。すなわち, 市場の失敗を引き起こす要因が存在しないな らば,市場機構は,各主体の個別利益の追求を 通して,多様な職業的分化を生み出し,社会的 分業を編成する。しばしば,官営機関の民営化・ 市場化が主張されるのは,生成装置として現に 機能している市場機構iへの信頼の故であろう。 しかし,官営機関が,市場の失敗が生じる条件 の下で活動している場合,官営機関の機能を市 場で代替するという主張には,原理的な困難が 認められる。知識利用の面での集権制を廃し, かつ,市場機構の拡大適用を避けようとするな一ユ42一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.7 2000 ら,市場機構に替わる,ある種の,公的生成の モデル,が提案される必要があろう。そのよう なモデルが利用可能になって始めて,過度な民 営化・市場化を回避しつつ,同時に,分権的生 成の利点を公的な領域においても追求できる のである。 前節では,公的機関が民間主体と,いわば, 棲み分けることで,全体としての経済システム の安定性が高まる状況を考察した。本節では, 分散的に存在する多数の公的機関から,意思決 定における分権を保ったままで,ある非市場的 な秩序が生成する条件を検討する。 もっとも,公的生成の必要性は必ずしも強く 認識されているのではない。以下,本論に入る 前に,公共投資の評価や裁量行政の転換に関す る二つの提言の限界に触れておこう。一つは, 官の事業に費用便益分析を適用せよという主 張であり,他の一つは,裁量的規制よりもルー ルに基づく検査を重視せよという主張である。 第1に,官の事業の評価に費用便益分析を適 用することは,どの程度,有効であろうか。こ れは,官の事業についても,市場における民間 投資評価の方法を適用せよと言う主張である。 費用は何らかの手段でまかなわれる必要があ るので,費用と(当機関で回収可能な)収益と を予測する作業の意義は,改めて云うまでもな い。しかし,公共的な事業のもたらす全体便益 を予測する作業は,必ずしも易しくはない。確 かに,費用と収益については,少なくとも事後 的に,当機関において把握することが可能であ ろう。しかし,第2節でも述べたように,民間 投資の場合とは異なり,公的機関の活動の便益 は外部効果を通じて他主体に帰属することが 少なくないため,全体便益の大きさを公的機関 自身の収益によって測ることはできない。社会 的純便益を算出するためには,他者に帰属する 便益の推計の作業が介在せざるを得ない。一般 に,この推計の方法的基礎は堅固ではない35)。 また,全体便益については,予測の正確さを実 現値を用いて事後的に検証する手段がないた め,予測者に正確な予測を行わせるための誘因 契約の設計は易しくはない。さらに,費用便益 分析自身も無費用で出来るものではない。費用 便益分析そのものの費用が大きく,その便益が 小さいと予想されるならば,費用便益分析の精 神に従って,費用便益分析の一般的導入は断念 されるべきであろう36)。民間投資と公共投資の 経済的差異は小さくなく,公共投資評価での費 用便益分析の有効性は,必ずしも自明ではな いQ 第2に,事前的な裁量的規制をルールに基づ く事後的検査に転換することは,分権制の機能 のための十分条件になり得るであろうか。これ は,事前に行動を制約することなく,一定の ルールの中で自由な活動を個別主体に許した 上で,事後的にルール違反がなかったかを検査 すべき,という主張である。ところで,事前的 な行動の自由度を与えられた主体は,如何にし て自らの行動の方向性を見出し,他者との無用 な重複や衝突を回避できるのか。事後的な検査 は,事前的な行動選択の方向付けについては, 何ら積極的な指針を提示しない。むしろ,事後 35)例えば,次のような基本的な問題点がある。普 通の人には訪れることが困難な場所にある考古学 的な遺跡を考えよう。このような文化的対象につ いての個入の便益判断は,生理的な水準での満足 等から生じる自明なものではなく,むしろ,教育 や報道の制度を通じてもたらされる社会的生成物 である。文化的対象に関する個人の評価は,文化 的な記憶を維持し,個々の事物の意味を判定し,公 衆を啓蒙する持続的活動を前提して,始めて可能 になる。これらの制度の機能の適切さについの価 値判断抜きには,個人の予想純便益を厚生判断の 確かな基礎として採用することはできない。何故 なら,これらの制度の変更によって,個人の予想 純便益の値は,一変する可能性があるからである。 36)明らかなのは,公共投資への費用便益分析の導 入は,その作業を代行するシンク・タンクの隆盛 をもたらすことである。ところで,費用便益分析 への支出は,しばしば,次善の策である。費用便 益分析に資源を費やすことなく,有望な投資に全 資源を投入することが可能ならば,その方が効率 的である。
公的金融の理論分析一展望の試み (井手 一郎) 一143一 的な検査と懲罰の可能性に対し危険回避的に 振舞う主体は,革新よりも慣行の反復を選び, 行動を自己規制するかもしれない。裁量的規制 の根拠は様々な条件の下で明確にされる必要 があるが,各個人の方向選択を可能にする生成 装置を準備しない限り,事前的な裁量的規制の 単なる撤廃は,そのより強化された復活に終わ る懸念すらある。 さて,以下では,社会的に編成された探究の 概念を鍵として,公的生成の問題を考える37)。 公的機関は,必ずしも探究を目的にして設立さ れるのではないので,このような見方には明ら かな限界がある。また,探究の社会と市場とで は,産出され活用される知識の質が異なる。し かし,金融と探究の関連性は少なくない。例え ば,金融機関の中心機能の一つである審査は, 知識の生産と評価に関係している。ある革新的 技術を持つ企業の収益性や社会的貢献の可能 性を判定するためには,科学技術についての一 定の理解が欠かせない。市場機構はしばしば知 識を発見する過程として理解される,等々38)。 まず,社会的に編成された探究の理念を描写 しよう。探究が社会的に編成される根拠は,個 37)探究者の社会の理念については,M. Polanyi(1966) を参照。本稿は,理念に対して装置を区別する。理 念についての記述は技術や誘因に必ずしも縛られ ない。それに対して,装置の作動は,特定の技術水 準や参加者の誘因体系等に依存する。理念はそれを 適切に体化する装置を伴って始めて現実的になる。 理念を記述するだけでなく,装置の分析を行う必要 があり,その分析は,行動論的な枠組みの中で行う ことができる。この点で,M. Polanyiには装置の本 格的な分析が欠けている,と筆者には思われる。 38)知識生産の視点に付いては,Gibbons et al(1994) を参照。本稿は,広範な知識の生産のためには,何 らかの生成装置の活用が不可欠であり,同時に,具 体的な装置の採用は,主体間に当初の生成の理念 とは異なるゲームを導入することを強調する。こ のことは,生産されるのが,科学的知識の場合(上 記の本の用語ではモード1)でも,より実践的な 知識の場合(同じく,モード2)でも,基本的に 変化はない。特に,Gibbonsらは,科学的知識の産 出における理念と装置の乖離を軽視している,と 筆者には思われる。 人の知的能力には限界がある,という事実であ る。個人の知的能力が完全であるなら,知識生 産の社会的編成は問題にならない。この限界の 自覚が,一方で,認識機械の開発を促し,他方 で,社会的に編成された探究を生み出す。 社会的に編成された探究は,以下のように描 写できる。第1に,それは個人主義的である。 どのような主題をどのような方法で探究する かは,各個人が自分で決定する。第2に,それ は相互的である。探究の成果は他者に手渡さ れ,評価されるが,絶対的な評価者は存在せず, 評価能力を持つ現役の探究者が,評価能力を維 持できている限りにおいて,評価者の役割を果 たす。第3に,それは蓄積的である。歴史的に 形成された既成知の全体に対して,新たな探究 の成果が追加され位置付けられる。第4に,そ れは可変的である。探究の成果の評価基準は, 独創的な発見を通じて内生的に変化する。 個人は他者の行う探求に対して協力的でも 非協力的でもあり得る。しかし,個人は,先行 する既成知を参照して始めて,自身の行う探究 の方向性を明らかにできる。この性質を相関的 と呼ぼう。探究が相関的でありうるためには, 過去の探究の成果が参照可能な形式で整理さ れていなければならない。ある視点(方向性)a を定めた場合に,ある対象!を参照して決定さ れる別の対象2の位置を,視点aの下での対象 1に対する対象2の意味と呼ぶ。意味は対象に内 在する性質ではなく,ある視点を定めた場合の 対象問の関係の表現である。視点や参照対象の 選択に応じて,同じ対象が複数の意味を持つ。 例えば,個人が自身の既成知を対象1として新 たな探究を位置付けるとき,その位置付けは探 究の個人的意味を与える。対象1として社会全 体で蓄積されている既成知が参照される場合, その位置付けは探究の公的意味を与える。社会 的に編成される探究は,新たな探求の成果に公 的意味を付与する際に,独創基準を適用する。 すなわち,既成知と重複する探究成果について
一!44一 滋賀大学経済学部研究年SU Vol.7 2000 は,それだけで公的意味を認めない。 さて,以上のような社会的に編成された探究 の理念を,地域的に分立している公的機関の経 済活動に応用する場合,どのような公的生成の 理念を描くことができるであろうか。 第1に,公的機関の経済活動は,その活動に ついての知識の産出を伴う。この知識に注目し て,探究の評価と同様の基準を,公的機関の活 動に適用できる。すなわち,(i)公的機関の活動 の地域的・局所的な貢献は,予想純収益の算出 や地域的意味の評価等を基礎にして行う39)。さ らに,(ii)公的機関の活動の公的意味を独創基準 を適用して確定する。このような複合的な評価 基準によって,公的機関の経済活動は一種の実 験的探究になり,探究と同様の観点から,独創 性という質を問われることになる。先例主義, すなわち,評価の確立している先例を反復する ことは,(i)を充たしても,(ii)を充たさない。ま た,費用便益分析における全体便益の推計には 前述した困難があるが,公的意味の確定の手順 は,既成知が参照可能な形式で整理され公開さ れている限り,当事者以外にも論理的な追跡が 可能である。ある地域aで為された発見が,独 創として知識基盤bに登録され,後日,別の地 域。で活用される場合,(ii)の過程は, aから bの局面を審査する。通常の費用便益分析は, aに視野を限定して。を無視するか,あるい は,aと。の合計評価が容易であると仮定して いる。前者は視野が狭隆であり,後者は現実的 ではない40)。 第2に,公的機関の活動の評価は,単一の固 定された評価機関に任されることなく,公的機 関の相互的権威によって達成される。すなわ 39)本稿は,科学的知識の生成過程を参照して,公 的生成のモデルを考える。科学的知識を参照対象 とする限り,探究主体の個別性(身体性・地域町 長)は主要な問題にはならない。しかし,想定を 変更して,主体の個別性を明示的に評価に組み込 む場合には,個別性の特性値に応じたクラスごと の公的意味が確定されることになろう。 ち,多数の公的機関のうち,当分野の審査にお いて最も卓越していると思われる機関が,その 卓越性を維持する限りにおいて,評価者の役を 兼ねる。新たな卓越した機関が現れれば,その 機関が評価者の役を引き継ぐ。このようにし て,公的機関の間で卓越した新たな評価者を 次々とリレーすることで,評価機能の衰退を回 避し,常に達成可能な最高の評価能力を維持す る。全ての機関の活動の試みは,一覧できる形 に整序されて公開され,独創が期待できる分野 が示される。各公的機関は,全機関の活動の一 覧表を参照して,相関的に自身の新たな活動の 方向性を選択する。 探究の評価基準は,言葉で明記することの出 来ない暗黙的な性質を持ち,さらに,探究の進 展に応じて内生的に変化する。先端の探究を共 有する現場の探究者だけが,まずは齪擁や違和 感の形で,評価基準の転換の必要性を感受でき る。その先行する変化の気配の下で,ある独創 的な探究が,新たな探究成果を生み出し,同時 に,評価基準の転換を実現する。現場の探究者 のみが実質的な評価者になりうるのはこのた めである。探究の現場から離れて,専門機関化 された評価機関は,このような探究の動態に追 い付けない。 第3に,知識の評価において,その生産者が 官営機関であるか民営機関であるかは問題に ならない。その結果,官民を共通する探究的貢 献のフロンティアが定義される。知識を理解す ることはしばしば困難であるが,知識を理解す 40)新たな機能する公的制度の発見について,特許 を導入できるかどうかは,制度開発における独創 の誘因を作るためだけでなく,公的金融における 新たな担保可能性の視点からも,興味ある問題で ある。特許の制度の導入の是非は,非協力的状況 で発見の誘因を創出する正の効果と,過度の誘因 効果が協力的態度を不可能にし,恣意的な認定が 努力をかえって阻害する負の効果とを,勘案して 判断されるべきであろう。云うまでもなく,独創 を判定するための知識基盤の整備が第1の前提で ある。